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2011年8月30日 (火)

「相槌」~河野裕子「家族の歌」より

先日、「歌人・永田和宏氏のエッセーの朗読」(ここ)という記事を書いた。
歌人であり京大名誉教授である永田和宏氏が、同じ歌人の亡くなった奥さま河野裕子さんについて書いたエッセーの話であった。
Image07571 それで自分も早速Amazonで「家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日」という本を買ってきて読んでいる。この本は、2009年9月から、産経新聞夕刊に、乳ガンが再発した裕子さんたち家族4人で短歌・エッセーのリレー連載をしたものをまとめたものだという。まだ全部読んでいないが、心を打つ一文があった・・・(写真はクリックで拡大)

「相槌を打つ声のなきこの家に気難しくも老いてゆくのか(永田和宏)

相槌    永田和宏
 河野裕子が家へ帰ってきた。在宅看護か、入院して緩和ケアを受けるかという選択のとき、河野は迷わず家に帰ることを決めた。正解だったと思う。家族の負担は増えたがなにより一緒に居られる時間が増えたのがうれしい。
 病状は予断を許さない。一緒にいて、少しでも元気で笑ってくれれば、ひょっとして「このまま」が続くのではないかと錯覚するが、それが儚(はかな)い望みだということは打ち消しようがない。
 テレビなどで、伴侶の病気を「共に背負う」という言い方をするが、私にはよくわからない。病人の無念さ、寂しさを当人と同じように担うなんて、到底できないと思う。河野が泣いて泣いて、私の知らないところで繰りかえし泣きながら、今の自分の状況に折り合いをつけてきたのはよく知っている。そんな時にも、何もしてやれなかった。苦しみや悲しみを、一緒に頒かち待ったなどとは、とても言えない。
 いま私の心のすべてを占めているのは、河野の病状である。その不安や怖れは当人以上のものかもしれないとも思う。しかしそれは、実は、河野を失い、一人残される〈私のその後〉への不安だと気づいて、愕然とする。
 私たち夫婦はとにかく何でもよく話す夫婦であった。私が帰ればたちまち河野の速射砲のごとき話か追いかけてくる。私かトイレに入れば、扉の前で話し続けたものだ。私もよく話した。
 そんな話の中で、「よかったわね」「それはすごいわね」という河野の相槌は常に私を安心させてくれた。歌でもサイエンスでも、私はこれまで人並み以上に頑張ってきたと思う。それは河野のそんな相槌を無意識のうちに求めていたから続いたことなのかも知れないと、この頃痛切に思う。
 歌一首を河野が「いいわね」と言ってくれる。誰が認めてくれなくとも、それで十分だった。研究成果がいい雑誌に掲載される。内容はわからなくとも、「よかったわね」とひと言が聞ける。そんな相槌が私のこれまでの努力を支えてきたのかも知れないと思う。
 男一匹、なんというスケールの小ささよと笑われれば返す言葉がないが、自分の話を聞いてくれる存在の大きさに気づき、その相槌が何ものにも代えがたい喜びであったという発見を、今さらながら私は誇らしくも思うのである。だから余計に、その何ものにも代えがたい存在を失うかもしれない不安と怖れに打ちのめされそうになる。(22・7・31)」(河野裕子、永田和宏、その家族(著)「家族の歌」p40より)

何とも言葉が無い一文である。その情景を思い浮かべながら読むと、ひと言ひとことが心に沁みる・・・。奥さまの病状を思うと、まさに言葉がない。
しかしこの夫婦のやりとりは自分の家と重なる。
我が家も会話の多い夫婦だと思う。屈託のない家庭には会話が一番・・。我が家の何でもしゃべってしまう歴史は長い・・。だから昔、結婚式の仲人や主賓などに呼ばれた時には、必ず「ぜひ会話の多い家庭を!」と言ってきた。
しかし我が家と永田さん一家で、決定的に違うのは、我が家は無駄話が多いという事。否、会話の全部が無駄話なのかも知れない。決して会話が「歌」に昇華して行くことは無い・・・。

それに、“相槌”も違う。我が家でも“速射砲のごとき話か追いかけてくる”状況は同じ。しかし“真面目な自分”は、新聞を読んでいると、二股を掛けられない。つまりカミさんが話し始めると、目は新聞の同じ所を行ったり来たり・・・。そのうちに“うるさーい”となる。
テキはそれを知ってか、テレビを見ている時にも、突然、テレビを勝手に切る。アレッと思うと、おもむろにペチャクチャを始める。相手の都合は関係なく、自分本位なのである。理由は簡単。(実は自分もそうなのだが)後で言おうとすると必ず忘れてしまうから・・。よって「相槌」などという風流さは皆無・・・・。自分の言いたいことを、相槌などお構いなく、勝手にしゃべりまくる・・・・(まあ“お互い”だけど・・・)

先に書いた肺癌が発見された同僚(ここ)。今週と来週の2週間の予定で、入院治療が始まった。Netで見ると、骨に移転したときは、自動的に4期と判定されるという。これも、何とも言葉が無い・・・。
7月に兄貴一人を残して、半年で亡くなった義姉・・。このところ、この手の話に敏感になっている自分・・・。

しかし“せめてもの救い”の出発点は、やはり「家族」である。


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コメント

60歳をとうに過ぎた者にとって、死は極めて近いところにあります。50歳以降2回も心臓病で死にぞこなった者としては、最後には逍遥として逝かれる人に対して畏敬、尊崇の念を禁じ得ません。死を身近なものと感じた時から、人は考え方を変えることが出来るようになります。人を心から慈しむ事が出来るようになります。それはそれは不思議な事が起こるようですね。

【エムズの片割れより】
何とも、我々未熟者にとっては、うかがい知れぬ世界・・・。段々と世俗から離れていく、という事でしょうか・・・

投稿: 中野 勝 | 2011年8月31日 (水) 21:56

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