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2011年8月の26件の記事

2011年8月30日 (火)

「相槌」~河野裕子「家族の歌」より

先日、「歌人・永田和宏氏のエッセーの朗読」(ここ)という記事を書いた。
歌人であり京大名誉教授である永田和宏氏が、同じ歌人の亡くなった奥さま河野裕子さんについて書いたエッセーの話であった。
Image07571 それで自分も早速Amazonで「家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日」という本を買ってきて読んでいる。この本は、2009年9月から、産経新聞夕刊に、乳ガンが再発した裕子さんたち家族4人で短歌・エッセーのリレー連載をしたものをまとめたものだという。まだ全部読んでいないが、心を打つ一文があった・・・(写真はクリックで拡大)

「相槌を打つ声のなきこの家に気難しくも老いてゆくのか(永田和宏)

相槌    永田和宏
 河野裕子が家へ帰ってきた。在宅看護か、入院して緩和ケアを受けるかという選択のとき、河野は迷わず家に帰ることを決めた。正解だったと思う。家族の負担は増えたがなにより一緒に居られる時間が増えたのがうれしい。
 病状は予断を許さない。一緒にいて、少しでも元気で笑ってくれれば、ひょっとして「このまま」が続くのではないかと錯覚するが、それが儚(はかな)い望みだということは打ち消しようがない。
 テレビなどで、伴侶の病気を「共に背負う」という言い方をするが、私にはよくわからない。病人の無念さ、寂しさを当人と同じように担うなんて、到底できないと思う。河野が泣いて泣いて、私の知らないところで繰りかえし泣きながら、今の自分の状況に折り合いをつけてきたのはよく知っている。そんな時にも、何もしてやれなかった。苦しみや悲しみを、一緒に頒かち待ったなどとは、とても言えない。
 いま私の心のすべてを占めているのは、河野の病状である。その不安や怖れは当人以上のものかもしれないとも思う。しかしそれは、実は、河野を失い、一人残される〈私のその後〉への不安だと気づいて、愕然とする。
 私たち夫婦はとにかく何でもよく話す夫婦であった。私が帰ればたちまち河野の速射砲のごとき話か追いかけてくる。私かトイレに入れば、扉の前で話し続けたものだ。私もよく話した。
 そんな話の中で、「よかったわね」「それはすごいわね」という河野の相槌は常に私を安心させてくれた。歌でもサイエンスでも、私はこれまで人並み以上に頑張ってきたと思う。それは河野のそんな相槌を無意識のうちに求めていたから続いたことなのかも知れないと、この頃痛切に思う。
 歌一首を河野が「いいわね」と言ってくれる。誰が認めてくれなくとも、それで十分だった。研究成果がいい雑誌に掲載される。内容はわからなくとも、「よかったわね」とひと言が聞ける。そんな相槌が私のこれまでの努力を支えてきたのかも知れないと思う。
 男一匹、なんというスケールの小ささよと笑われれば返す言葉がないが、自分の話を聞いてくれる存在の大きさに気づき、その相槌が何ものにも代えがたい喜びであったという発見を、今さらながら私は誇らしくも思うのである。だから余計に、その何ものにも代えがたい存在を失うかもしれない不安と怖れに打ちのめされそうになる。(22・7・31)」(河野裕子、永田和宏、その家族(著)「家族の歌」p40より)

何とも言葉が無い一文である。その情景を思い浮かべながら読むと、ひと言ひとことが心に沁みる・・・。奥さまの病状を思うと、まさに言葉がない。
しかしこの夫婦のやりとりは自分の家と重なる。
我が家も会話の多い夫婦だと思う。屈託のない家庭には会話が一番・・。我が家の何でもしゃべってしまう歴史は長い・・。だから昔、結婚式の仲人や主賓などに呼ばれた時には、必ず「ぜひ会話の多い家庭を!」と言ってきた。
しかし我が家と永田さん一家で、決定的に違うのは、我が家は無駄話が多いという事。否、会話の全部が無駄話なのかも知れない。決して会話が「歌」に昇華して行くことは無い・・・。

それに、“相槌”も違う。我が家でも“速射砲のごとき話か追いかけてくる”状況は同じ。しかし“真面目な自分”は、新聞を読んでいると、二股を掛けられない。つまりカミさんが話し始めると、目は新聞の同じ所を行ったり来たり・・・。そのうちに“うるさーい”となる。
テキはそれを知ってか、テレビを見ている時にも、突然、テレビを勝手に切る。アレッと思うと、おもむろにペチャクチャを始める。相手の都合は関係なく、自分本位なのである。理由は簡単。(実は自分もそうなのだが)後で言おうとすると必ず忘れてしまうから・・。よって「相槌」などという風流さは皆無・・・・。自分の言いたいことを、相槌などお構いなく、勝手にしゃべりまくる・・・・(まあ“お互い”だけど・・・)

先に書いた肺癌が発見された同僚(ここ)。今週と来週の2週間の予定で、入院治療が始まった。Netで見ると、骨に移転したときは、自動的に4期と判定されるという。これも、何とも言葉が無い・・・。
7月に兄貴一人を残して、半年で亡くなった義姉・・。このところ、この手の話に敏感になっている自分・・・。

しかし“せめてもの救い”の出発点は、やはり「家族」である。

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2011年8月29日 (月)

キング・クリムゾンの「エピタフ」

先日NHKラジオ深夜便で、キング・クリムゾンの「エピタフ」という曲を放送していた(ここ)。この曲は、宮川泰夫アンカーが8年前、自ら志願してロックのコーナーを担当した最初にかけた曲だとか・・・

前からここにも書いているが、自分はロック・グループ、ピンク・フロイド(PINK FLOYD)の信奉者。付き合いは古い。メモを括ると、1972年6月26日、まさに24歳の時に友人から「原子心母」のLPを貰ったことに端を発する。
それ以来のプログレッシブ・ロックのファンなのだが(もっともPINK FLOYDの他のアルバムを聞き始めたのは、その20年後。結局、ライブを含めて全CD、DVDを集めたが・・・)、自分は“浮気をしない”(←出来ないのではない!)性格なので、PINK FLOYD以外は全く聞いていない。それが初めて、同じプログレのキング・クリムゾンの「エピタフ」を聞いたのである。
110829kingcrimson そして自分はこの「エピタフ」を「原子心母/エコーズ」の延長線上に捉えた。そして、さっそくこの楽曲が収納されている「クリムゾン・キングの宮殿」というCDを買ってきた。調べると、このCDは、その後のロック界に多大な影響を与えた記念碑的なアルバムだとか・・・。少し聞いてみよう・・・

<キング・クリムゾンの「エピタフ」>

実は自分には“Kくん”というPINK FLOYDの先生がいる。Kくんは遠い昔の部下だが、未だにPINK FLOYDの情報交換をしている。そのKくんに聞いてみた。「原子心母/エコーズ」の延長線上に「エピタフ」を捉えたが、この先にはどんな曲があるのか?どんな曲を聞くと良いのか、推薦しろ・・と。
そしたら返事がスゴイ・・。「とうとうキング・クリムゾンの世界に入られましたか。「いらっしゃ~い!」と、桂三枝になった感じです。・・・」と来た。
そしてKくん推薦の曲がズラズラっと・・・(解説略)

1.King Crimson
 2nd「ポセイドンのめざめ」
 6th「太陽と戦慄」
 7th「Starless and Bibleblack」
 8th「Red」
 9th「U.S.A.」(Live)
2.Emerson Lake & Palmer
 「Tarkus」「展覧会の絵」
3.Yes
 「危機」「こわれもの」
4.U.K.
 1st「憂国の四士」
 2nd「Danger Money」
5.その他
 ・Soft Machine
 ・Hatfield and the North
 ・Gong
 ・Genesis 

自分にとってみると、まさに異次元の世界・・・。

洋楽の世界で、“唯一PINK FLOYDだけを聞く”自分が、今後これらの世界をどう捉えて行くかは分からない。NHK FM愛好者を自認する自分だが、チューナーから流れてくる様々な楽曲のうち、CDを買ってまで新たなジャンルを聞こうという気になることは、今まであまり無かった。さてさて、これらプログレの新しいジャンルの楽曲が、果たして自分の心に入ってくるかどうか・・・

六十過ぎの手習い(?)ではある・・・。

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2011年8月27日 (土)

「危ない場所」

先日の日経新聞のコラム「あすへの話題」で、「危ない場所」という記事があった。曰く・・

危ない場所
   
 早稲田大学教授 津田廣喜
前回に続き、もう一つの例を挙げる。
 フランス南部にニームという町かある。ジーンズの生地であるデニム発祥の地である。ビゼーの組曲やファン・ゴッホの絵で知られるアルルに近い。町の郊外にローマ時代の水道橋の遺跡がある。川を跨いだ全長275m、高さ50mの堂々たる佇まい。地震がない場所とはいえ、この石造りの建造物が2000年もの間、よく壊れずに残ったものだと感動する。無論、世界遺産である。
 水路のすぐ上が頂上であり、幅4mほどの平面になっていて手摺りなどはない。上がるのは簡単なので、私も行ってみた。高所恐怖症の人なら、目を回して真っ逆さまに転落しそうな所である。何一つ遮るもののない360度の絶景を堪能した反面、日本ならばここまで来ることはできないだろうと思った。
 事故が起きた場合、日本では公の施設管理者が責任を免除されることは極めて稀である。注意喚起の立て看板ぐらいでは勿論不充分である。危険地域を柵で囲む。しかも、子供が容易に立ち入れないように、金網だと破れた箇所を常に補修しておかなければならない。それでも、事故が起きれば大変である。
 日本では、前回述べた3車線道路を造ることも、水道橋の頂上に登れることも、まずあり得ない。自ら判断した結果には一定の責任を負わなければならないという「危険への接近」の法理を持ち出せる彼の国との差は、これほどにも大きい。交渉事などでも、誤解を避けるために、双方の発想は違うものだということを念頭に置いて取り組むことが肝要だろう。」(2011/08/16付「日経新聞」夕刊p1より)

この話を聞いて、直ぐに思い浮かんだのが2006年の夏に行ったオーストリアでのこと。登山電車でシャーフベルク山の山頂に行った。歩いて行くと、断崖絶壁の端に出た。看板も何も無い。そのまま歩いて行くと、断崖に真っ逆さま・・・。危ないのでガイドに聞くと「全ては自己責任」だという。(写真はクリックで拡大)

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カミさんと話した。我々のようなツアーでもないと、一旦誤って落ちたら、誰も知らないし、誰も探さない。まあ実に単純明快だが、怖いね・・・・

一方、日本はというと、先日の天竜川の川下り船転覆事故のように、事故が起きて初めて法規制が話題になる。船舶職員法では、12歳未満の乗船者への救命胴衣着用を運航者に義務付けられているという。今更、法律が・・というのも空しい。これに限らず、確かに色々な法に、色々と書いてある。しかしそれらを全部知っていて、全部守ることなど到底不可能・・・。結局、何かの事件が起こるまでは、全員が知らんフリ・・。でもいったん事件が起こると「なぜ“この法”を守らなかった!」と責める・・。これは企業での規定も全く同じ。法はお上(会社ではエライ人)の身を守るためにある・・!?
考えてみると、同じような“大丈夫だろうという思い込み”が、身近に何と多いことか・・。

昨日は「福島第一の3キロ圏内で初の一時帰宅実施」というニュースが流れていた。そう言えば、今日のテレビで東大の先生が、福島原発の事故の規模は広島原爆の約30倍だと言っていた。確かにNetにもその報道はある。
福島原発の事故の規模は広島原爆の約30倍――。先週(7月27日)の衆院厚労委員会で仰天発言が飛び出した。発言者は、参考人として出席した東大先端科学技術研究センター長の児玉龍彦教授である。
児玉教授は東大アイソトープ総合センター長も兼ねる。そんな放射線研究の第一人者があらためて訴えたのは、福島原発の事故による放射能汚染の深刻さと、鈍い政府対応に対する不満だった。
新聞テレビはなぜかほとんど報じていないが、児玉教授は、今回の事故の規模が広島原爆と比べて「熱量計算で(原爆)29.6個分、ウラン換算で20個分が漏出した」と試算。さらに「原爆の放射能の残存量は1年後に1000分の1程度に低下するが、原発の放射線汚染物は10分の1程度にしかならない」と強調し、福島原発事故は「原爆数十個分に相当する量と、原爆汚染よりも多量の残存物を放出した」と訴えたのだ。・・・(日刊ゲンダイ2011年8月1日)」(
ここより)

新しい首相選びで、現在政界は“お祭り”の真っ最中だが、こんな先生に叱られないような政府がホントウに出来るのだろうか・・・
一つだけ皆で祈ろう。フクシマが「危ない場所」というレッテルが貼られないことを・・・

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2011年8月26日 (金)

「“いただきます”夫婦で復活」

またまた古い新聞記事の話で恐縮だが・・・・。(カミさんが、「最近暗い話が多いので、方向転換したら!」と言うもので・・・)
だいぶん前の新聞だが、こんな投稿があった。

「『いただきます』夫婦で復活
     主婦(川崎市高津区 65)
 子ども2人が独立し、夫婦2人の生活になり10年が過ぎました。最近、食事前に「いただきます」を言わなくなっていることに気づき、ちゃんと言いましょうということになりました。
子どもがいる時はしつけのため気にしていたことが、夫婦だけになるとなおざりになってしまうのです。
 「いただきます」には批判もあるようですが、私たちは「目に見えないものへの感謝の念」で考えが一致しました。しかし一度使わなくなっていた言葉を復活させることは、簡単なようで結構大変でした。夫は忘れないうちにと、テーブルに着く途中で言ってしまうことも。2人とも食事の途中で思い出して言い、大笑いすることもありました。
 「いただきます」以外にも「おはよう」や「おやすみ」など家族4人の頃には自然にしていたあいさつが失われてきています。2人だと照れがあるからでしょう。とりあえず次は「ごちそうさま」に挑戦中です。」(2011/08/10付「朝日新聞」p8「声」より)

仏教の視点での「いただきます」については、前に書いた(ここ)、今日は家族の間の挨拶について考えてみよう。

この投稿を読むまでもなく、我々の家族間の挨拶は、何といい加減なことか・・・。それは全て“甘え”から来ている。甘えに歯止めが効かなくなっているので、何事もいい加減になる・・・?
これは危ない・・・(何せ「変わらないものは無い」のである。あまり甘えていると逃げられるぞ・・・・!?)

さて、我が家の事を少し振り返ってみる。我が家で「いただきます」は言うかな・・・? キッパリ“言っている”と言うには、ちょっと自信が無い。でも「ごちそうさま」については、かなりはっきり言っている・・・と思う。実は、自分は“実に正直な人間”なのである!? だから、「これはうまい!」と思うと、つい「ごちそうさま」が口をつく。まさに“ごちそうさま”の話なのだが、ウチの料理人の腕前は大したもの。新婚当初、住んでいた団地で「あのー、卵焼きはどうやって作るんでですか?」と、歩いている知らないおばさんに聞いた、という逸話の持ち主とは思えないその後の上達ぶり・・。
それに外食をした時には、自分は必ず三つ指をついて「ごちそうさま」と言う。もっともこれは“金はアナタが払えよ!”という意思表示・・・。(←これ少し不健全!)

話は変わるが、最近、昔の加山雄三ではないが、散歩をしながら「幸せだな~」を連発するようになった。カミさんが「言ったもん勝ち」(事実はどうあれ、言ってしまえば事態はそうなる・・!?)と言っていたせいもあるが、夏の夜、満腹の腹を抱えて、やっと涼しくなった近所の道を、犬を連れて散歩する時、「幸せだな~」が出る。
うまいものを食事の制限もなく、ビールと一緒に思う存分に食う事が出来、外に出て喜ぶ犬を連れて散歩をする事が出来、まあ身に迫った大きな悩みがない(本当は色々あるけど・・)のは幸せ・・・と、意識的(?)に「幸せだな~」を口にする。すると、ホントウにそんな気になるもの・・・
(もちろん我が家の場合は、あまりたくさん言い過ぎて、単なる枕詞(まくらことば)に陥ってしまった気はするが、まあ「言ったもん勝ち」だ・・・)

前にも書いたが、「黙っていても分かる」は傲慢。なるべく良い事、前向きの事は家族といえども口に出して言いたいもの。
「親しき中にも礼儀あり」という言葉もある。感謝の言葉、前向きの言葉、それらが自然に出てくる関係が良い。最初は無理に言ったとしても、段々とそれらが自然に出てくる関係・・・、それを目指すとしようか・・。

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2011年8月25日 (木)

「豊かさの競争」~視点の違い

カバンの中から、少し古い新聞の切り抜きが出て来た。(通勤電車の中で、気になる記事があると、新聞をビリビリと破いてカバンの中に入れておくのだ)。
またまた日経新聞の「大機小機」」なのだが、なかなか勉強になる・・・・。曰く・・・

豊かさの競争
 (2011年)7月22日に「経済財政白書」が公表されたが、その中に印象的な一文がある。それは「輸入が増えて『国際競争に負ける』のではなく、輸出と輸入が両建てで増えて『豊かさの競争に勝つ』のである」というものだ(152ページ)。この文章は、我々に次のようなことを考えさせるものとなっている。
 第1は、輸出入を勝ち負けで論じてはならないということだ。
 一見すると、国際競争に勝てば輸出が増え、負ければ輸入が増えるようにみえる。これは個々の市場における企業間の競争については成り立つ。しかし、経済全体にとって輸出が増えることが「勝ち(良いこと)」で輸入が増えることが「負け(避けるべきこと)」ということにはならない(その理由は後述)。
 第2は、輸出と輸入の両方が増えることこそが自由貿易のメリットだということだ。グローバル化を推進して貿易を盛んにする最大の理由は、国際分業を推進して経済を効率化することにある。限りある国内資源を得意な分野に集中して輸出を増やし、不得意な分野は輸入に委ねる。こうして輸出入が並行的に拡大することによって経済が効率化し、生産性が高まる。これがグローバル化のメリットである。輸出が増えることは大切だが、それと同じように輸入が増えることも大切なのである。
 第3は、経済の最終目標は国民生活を豊かにすることにあるということだ。
 例えば、環太平洋経済連携協定(TPP)をめぐる議論を聞いていると、農産物の輸入が増えることが反対理由として指摘され、工業製品の輸出を増やせることが賛成理由として指摘されることが多い。しかし、これは生産者の視点に立った評価である。生産者の視点に立てば、輸入品との競争にさらされることは避けるべきことであり、輸出機会が増えることは歓迎すべきことになるからだ。
 しかし、経済の最終的な目標は、生産者の利益を守ることではなく、国民の生活をより豊かにしていくことである。輸出を追求して輸入を防ぐことは、消費者の選択の機会を狭め、また経済全体の効率化を妨げることによって結果的に生活の豊かさを損なうことになる。
 白書が指摘するように、我々の究極の目標は「豊かさの競争に勝つこと」なのである。(隅田川)」(2011/08/10付「日経新聞」p17より)

なるほど・・・・
この論は、ある事象を捉えるとき、その事象を判断する(見る)“立場”の違いで、その価値(意味)は大きく変わってくる(変動する)、と言うこと。
視点という意味では、学生の頃、「朝日ジャーナル」という週刊誌があった。我々が学生だった1960年代の終わりの頃は、まさに学生運動華やかなりし時代。よくデモ隊と機動隊がぶつかったという記事やテレビを目にしていた。そんな中、朝日ジャーナルで、「テレビの画面で、学生が機動隊の警棒で打たれている場面を写すと、視聴者は“学生が可哀想”と思い、学生の投げた火炎瓶に逃げ惑う機動隊の姿を写すと“機動隊が可哀想”と思う。」という記事があった。
そのとき、事実は色々あるが、マスコミの報道如何で、世論は誘導される、という事を知った。
つまり、報道を鵜呑みにせず、自分なりの見識で判断せよ、ということ。

福島の原発事故。そのマスコミの報道ぶりを「戦争での大本営発表と同じだ」との非難が多いらしい。マスコミが、自分の目で確認せず、政府・東電の発表をそのまま鵜呑みにして報道していた・・、というもの。
確かに相手が放射能という目に見えないものが相手。それに避難命令が出ている原発に近付くことも出来ない。そんな状況下では、自分の目で確かめよ、というのは無理だったかも知れない。
すると、それらの報道は、結局、それを捉える視聴者側の見識に頼ることになる。疑えば良いというものでもないが、ニュースのNHKばかり見るのではなく、民放も見ろ、とはカミさんが良く言うセリフ。確かに、週刊誌の見出しだけを見ても、まあ色々な見方があることは分かる・・・。

さてさて、次期首相を決めるために、政界は大騒ぎ中。しかしこれだけは、我々一般ピープルの見識で決めることが出来ない。何とも歯がゆいものだ・・・。

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2011年8月24日 (水)

FMチューナL-02Tと、デジカメFX30の修理

段々と秋が近くなってきたらしい。夜の愛犬を連れての散歩も、今日はセミの鳴き声が聞こえないで、秋の虫の鳴き声が聞こえる・・・
さて、昨夜と今日、身近な機械の修理をしてしまった。今日はその備忘録。(写真はクリックで拡大)

<KENWOODのFMチューナL-02Tのアンテナ切り替えリレーの交換>
KENWOODサービスで、1年前にオーバーホールを受けた時に、非常に感度が良い個体だ、との評価を頂き、40日間にも及ぶ調整をして貰った我が家の現行機のL-02T。それがアンテナ切り替えリレーの不良から、「バイパス手術」をしたことは前に書いた(ここ)。それはそれで落ち着いたのだが、何か気持ちが悪い。何とかリレーが手に入れば、正常な姿に戻るのだが・・と、長い間リレーを探していた。形名はMATSUSHITAのNR-HD-12V(AE5343)(代替:NR-SD-DC12V(AE5643))である。
Netで探すと、色々な部品を海外も含めて探してくれる商社がある。問い合わせた結果は、海外で一番安いところは@10$だった。送料は分からない。国内では3つ見つかったが@2000円だった。
Img_28181 所が、先日ヤフオクで、「Yahoo!オークション - アラート」に形名を登録しておいたら、まさにオリジナルの「NR-HD-12V(AE5343)」の出品があり、手に入れることが出来た。そしてそれが昨日着き、早速リレーの交換をした。
リレーはDIP型のICほどの大きさなので、基板から外すには、うまくハンダを除去する必要がある。そこで会社の同僚から借りてきたのが、「ソルダープルト」。つまりバネ仕掛けで溶けたハンダを吸い取る道具。これは若い頃に実験室で散々使った。Img_28161 今でも使っているかと、製造現場に聞いたが、今は電動式のポンプを使っていて、バネ式は無いという。それで同僚がプライベートに持っているというのを借りてきた。米国製。宝山のホンモノ。まさに自分が昔使っていたものと同じ。
早速、L-02Tをバラして、アンテナ切り替え基板に5つ、RF基板に1つ付いているリレーを、借りてきたこの「ソルダープルト」を使ってハンダを除去し、交換した。掛かった時間は2時間ほど。ついでにRF基板のハンダ補正もしたが、なかなか根気が要って、大体・・・・。
そして電源を入れると、見事に復活。我が現行機のL-02Tも元の姿に戻った。
時たま起きる“ピュー”というレベルダウンのトラブル。Sメーターも一緒にレベルが下がるので、RF基板が原因だが、筐体を叩くと直るので、どこかの機械的な接触不良、ないしはリレー?
ともあれ、リレーは新品に交換したし、一応のハンダ補正もした。これで同じ現象が出たら、サーテ・・・。また回路図を眺めて“テキ”の隠れているところを探すとしよう。

<デジカメLUMIX DMC-FX30のシミ修理>
我が家で、デジカメDMC-FX30ほど毎日活躍している機械はない。カミさんが常に持ち歩いてはパチパチ・・・。それが先日、望遠にした時に左下部分に黒いシミが出ることに気付いた。
Img_28231_2 買ったのが2007-03-18とメモにあるので、もう4年半も使っている。とにかく軽いのが気に入っていたが、そろそろ寿命かも・・・と思い、新しい機種を物色し出した。すると、安い!
1万円程度で立派なデジカメが買える。もう買い換えてしまおうか・・。でもまだ動いているし・・・・。
Netで、「DMC-FX30 シミ」とか、「DMC-FX30 分解」とかで検索すると、分解した時の写真などが載っている。どうも簡単に掃除が出来そうだ・・・。というワケで、夕方、分解してみた。液晶からのフイルム状のケーブルを外すが、なかなか微細。ネジを外してCCDを外す。見ると、やはり大きなゴミがCCDに付いていた。それを綿棒で取る。(写真はゴミを撮った後)

Img_28141 Img_28131 Img_28101

広角では目立たず、望遠にすると目立つので、てっきりレンズに付いたゴミだと思っていたが、CCDの前に厚いガラスがあるので、そんな現象になったのだろう。
ゴミを取った後、元に戻すのだが、四角い板を取り付けるのに苦労。一つの部分が基板の下に入るのに気づかず、はまらん・・と焦った。
それに液晶ユニット(カメラ裏面)からのフレキケーブルの細い方がなかなか入らない。コネクタにロック機構があるらしく、ロックを外してリボンを挿入し、コネクタのロックを倒すとうまく行った。このリボンは外す時もロック機構に注意が必要。

ともあれ、部品を残すことなく全部取り付けし、復活。動きも元通り。ゴミも無い。これでまた当分使える。修理に出せば、1万円以上取られたところだったが・・・? 下の写真は、ゴミを取る前と、取った後の撮影例。(左の修理前の写真は、画面の左下に黒い点が見える)

P11001231 P11001261

久しぶりに、昔に戻っての機械をバラしての修理・・・。昔と大きな違いは、何と全てメガネを外して行ったこと。自分はド近眼だが、老眼になってみると、メガネを外すと、細かな作業にはちょうど見易いことが分かった。しかし、ウデは落ちた・・・。細かな作業が・・・
でも、まだまだ元気。自分での作業は、経費、時間の無駄を省く。また何か修理の項目を探そう・・・

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2011年8月22日 (月)

歌人・永田和宏氏のエッセーの朗読

先日、NHKラジオ深夜便(2011年8月20日放送)で、歌人・永田和宏氏のエッセーの朗読があった。妻の歌人・河野裕子さんが亡くなった話である。どこかできいた名だな・・・と思110822kawanoyuuko って前の記事をめくってみると、自分も2008年9月17日に「永田和宏氏の短歌の世界・・・」(ここ)という記事を書いていた。
その頃は、2000年に乳がんの手術を受けた奥様も健在だった。しかし先の放送(NHKラジオ深夜便「科学と短歌~ふたすじの道を歩む 歌人・京都大学教授 永田和宏」(2008/9/14~15放送))の直前、2008年の7月に乳がんの再発が見つかっていたらしい。そして、2010年8月12日に亡くなったのだという・・・。知らなかった・・・。
カミさんに話すと、何と(!!)知っていた・・・。テレビや新聞でも、大きく報道されていたという。
その永田和宏氏のエッセーの朗読である。少し聞いてみよう。

<永田和宏「もうすぐ夏至だ」>

この朗読に中に出てくる歌・・・

「一日が過ぎれば一日減ってゆく 君との時間 もうすぐ夏至だ」(永田和宏)
 
「この家に君との時間はどのくらゐ 残つてゐるか 梁よ答へよ」(河野裕子)

「あなたにもわれにも時間は等分に 残つてゐると疑はざりき」(永田和宏)

そして言う・・・
「家族とは時間を共有するもの・・・。時間の共有というのは、思い出すという共同作業なのである。半身を失ったような、という表現で伴侶を失う悲しみを言うことがあるが、それは二人で共有した時間を強引にもぎ取られてしまうことによるのだろう。・・・」
何とも、その通りである・・・

<永田和宏「後の日々」>

同じく、この朗読に中に出てくる歌・・・

「たつたひとり君だけが抜けし秋の日の コスモスに射すこの世の光」(永田和宏)

「手をのべてあなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が」(河野裕子)

「長生きして欲しい誰彼数えつつ つひにはあなた一人を数う」(河野裕子)

「ご飯を炊く誰かのために死ぬ日まで ご飯を炊ける私でいたい」(河野裕子)

「何年もかかりて死ぬのがきっといい あなたのご飯と歌だけ作って」(河野裕子)

「生きてゆく とことんまでを生き抜いて それから先は君に任せる」(河野裕子)

「・・・・実際に河野裕子はとことんまでを生き抜いた。それならば、それから先を君に任せる、と言われた私がその後を生き抜く他はないではないか・・・」
一人残されたとき、果たしてその通りに生きて行けるのかどうか・・・。少なくても自分は自信がない。

<永田和宏「歌は遺(のこ)り歌に私は」>

「・・・自分がこれまでに残してきた歌、妻の歌、家族の歌は、何にも換えがたい私の財産であり、軌跡でもある。ところが癌が見つかり、またそれが再発してからの妻の歌は、どれもが私には悲しいものになってしまった。

「大泣きをしてゐるところへ帰りきて あなたは黙つて背を撫(な)でくるる」(河野裕子『葦舟』)
 泣いている背を撫でる、ほんのわずかなことだったはずだが、それがそんなに強く妻には感じられていたことを歌で初めて知る。

「俺よりも先に死ぬなと言ひながら疲れて眠れり靴下はいたまま」(河野裕子『葦舟』)

 あの夜は、確かに泣いた記憶があったが、その後の記憶はない。眠ってしまったものらしい。「靴下はいたまま」が哀れだが、それは妻が自分の居なくなった後の私を、視線の向こうに見ている哀れさでもある。

「一日に何度も笑ふ 笑ひ声と笑ひ顔を 君に残すため」(河野裕子『葦舟』)

 会った頃からよく笑う少女であった。結婚してからも、いまもそれは続いている。彼女が居なくなったら、きっと「笑ひ声と笑ひ顔」ばかりを思い出すことになるのだろう。こんな歌を私に見せるのは反則だろうと思いつつも、私は泣いてしまう。最近の彼女の歌は、すでに「その後」への視線が強い傾斜を見せ、それが私を悲しくさせる。
 歌を残せるのは、何ものにも換えがたい財産だと思ってきたが、しかし、遺された連れ合いの歌を読むのは、また何ものにも換えがたい切なさと悲しみ以外のものではないことを知って愕然とする。

「歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらう いつか来る日のいつかを怖る」(永田和宏)

 それら悲しみの歌、二度と帰らない二人の時間を痛切に思い知らされるこれらの歌を、ふたたび以前のように自分の財産だと思える日は来るのだろうか。」

どの歌も、心が痛む。
ふと先日亡くなった義姉のことを思い出した(ここ)。医師からのガンの宣告のその時、一緒に聞いた弟からのメール・・・。
「Mさん(義姉)は、ショックが大きいと思いますが、いたって冷静です。Mさんがいないと、兄貴は、生きていけないのを知っているので、兄貴のことを心配しています。冷静・平静で心の乱れを、感じません。大した人です。」
前にも書いたが、義姉はその通りの受け止め方で、静かに亡くなって行った・・・
そして残された人は・・・・・

仏教で言う四苦八苦の「愛別離苦(あいべつりく)~愛するものと分かれる苦しみ」(ここ)。
それは、誰にでも必ず来る苦しみ。原理的に、それを避けることは出来ない。
仏教の原点は、「人生は苦である」。(苦諦(くたい=苦という真理):迷いの生は一切皆苦。老・病・死に代表される苦に満ちている。)
誰も避けることの出来ない苦。最初に「人生は苦である」という言葉を聞いた時に、「ん?」と思ったものだったが、年を取るに連れ、近くの人が亡くなって行く現実を見るにつけ、「人生は苦だ」という言葉が、段々と分かってきたような気がする今日この頃である。

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2011年8月21日 (日)

義姉の四十九日と納骨

今日は、7月4日に亡くなった義姉の四十九日の法要と納骨のため、谷中の菩提寺に行ってきた。若い住職による法要と、納骨。
P11000871 聞くと、お墓の中には7つの骨壺があるとか。「骨壺に名前を書かないと、誰のか分からなくなるのでは?」と、お墓やさんに聞くと、普通は書かないのだそうだ。どの骨壺が誰の・・・なんて、一度納めたら分からなくなっても良いのかな・・・?
お墓の中を覗くと、上下二段になっており、上の段が一杯になった感じ・・・

法要後、上野公園のそばの「鰻割烹 伊豆栄 梅川亭」で会食。これを「お斎」(おとき)というのだそうだ。なかなか風情のある料亭だった。
P11001031 床の間のテーブルに、義姉の写真と位牌、そして鰻重。仏さまになった義姉も一緒に食べるらしい。
位牌には「寳鏡院翠香智宣大姉」という文字。相変わらず、戒名はなかなか難しい。

我が家は、ちょっと変わっているのか、自分の家のお墓に初めて行ったのは、大人になってから。あるとき、親父がお墓の建て替えをすると言いだし、改修後、祖母の何回忌か忘れたが、法要をした時に初めてこのお墓に行った。それ以降、親父が、祖母の何回忌かごとに法要を主催したので、あまり縁がなかった従姉妹などとも、そこで会う事になった。
結果として、祖母が親戚の皆を集める機会を与えてくれたことになる。

それの仕切っていた長男だった親父が15年前に亡くなり、その後、二人の娘を嫁に出した叔父が入った。そして今度は義姉が入った。
世代的にいうと、叔父、叔母は皆まだ元気なので、今回の義姉は順番からすると、早過ぎる。

今更、何を言っても仕方が無いが、有限の命。いつ墓に入るかは別にして、せめて親子の順番だけは守って欲しいのも。
しかし、これは誰に頼む・・? 阿弥陀さま?神さま?仏さま?・・・

今日は私事で恐縮だが、義姉の冥福を祈りたい。

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2011年8月20日 (土)

「ボイジャー太陽系外へ~人工物で発 地球から34年の旅」

だいぶん前の新聞だが、彼の惑星探査機・ボイジャーの記事があった。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

ボイジャー太陽系外へ~人工物で発 地球から34年の旅
 1977年に打ち上げられた米航空宇宙局(NASA)の無人探査機「ボイジャー1号」が間も110820voyager1 なく太陽系を出る。最新の研究によると「いつ出てもおかしくない状態」(NASA)で、人類が作った物体としては初の「太陽系脱出」となる。
 ボイジャー1号は79年に木星に接近したあと、80年に土星に接近。そのとき土星の重力で太陽系の公転面から外れた軌道に入った。(2011年8月)11日現在、太陽から176億4千万キロ(太陽から冥王星までの距離の3倍程度)離れたところを、時速約6万1千キロで太陽系の外に向けて飛行中だ。
 太陽からは、陽子や電子からなる「太陽風」が吹き出している。ボイジャー1号は太陽風が急減速する「末端衝撃波面」を2004年に通過。6月に英科学誌ネイチャーに掲載された論文によると、昨年末から今年2月に太陽風の「風速ほぼゼロ」を観測した。さらに太陽風の影響と星間物質の影響が見分けられない状態を観測すると、太陽系を出たことになる。
110820voyager  その位置は、太陽から平均181億キロ前後にあると推測されており、NASAは昨年「2015年ごろに太陽系を出る」と発表。しかし、ボイジャー計画の責任者を務めたカリフォルニア工科大のストーン教授は今月、「いつかはわからないが、いつ越えてもおかしくない」と述べた。1号の半月ほど前に打ち上げられた2号も、太陽から143億キロ離れたところを飛行中だ。
 ボイジャーは、地球外の知的生命に発見されることも想定し、地球の言葉や音、画像を記録したレコードを搭載。20年ごろまでは通信が可能で、太陽系を出た後も星間空間の状態について貴重なデータを送ってくるとみられる。(ワシントン=行方史郎)」(2011/08/11付「朝日新聞」夕刊p1より)

さらにWikiによると、「ボイジャー1号は2010年12月現在で太陽から約174億km離れたところを太陽との相対速度・秒速約17.07kmで飛行中であり、地球から最も遠くにある人工物体となっている。 地球との通信のための電波は片道約13時間を要する。・・・・今後は原子力電池の出力低下にともない、全ての機器に電源を入れておくことが出来なくなるが、稼動を完全に停止するのは、1号は2020年以降、2号は2030年以降の予定である。」という。

一応自分も理系の端くれだが、人類が生み出したあらゆる技術の中で、自分はこのボイジャー計画ほど、スゴイものは無いと思っている。
何しろ、太陽系の外に出るという壮大さ、34年もの歳月を経て、宇宙という未知の世界で、未だに現役で動いているという長寿命。何よりも、通信が片道13時間もかかるという距離でも、通信が保持されているということが驚異。そもそも、技術革新が激しい現代において、34年前の探査機が2機ともに未だにコントロール下にあるというのは、もの凄いこと・・・。
そしてそれを支える長寿のメシの種(燃料)が原子力電池だという。
Wikiによると、「2機のボイジャー探査機ではそれぞれ3個の原子力電池が電力を供給している。この発電装置は当初想定されていた寿命を大幅に超えて現在も稼動しており、2020年頃までは地球との通信を維持するのに十分な電力を供給できると期待されている。」
原子力も、使い方次第ではとてつもない力を発揮する。(今日は、それ以上は論じない・・・)

ボイジャーが発射された1977年がどんな年かと調べてみると、今日の新聞には「NY市場 円、75円台突入 戦後最高値更新」とあったが、当時は「円高新記録、影響深刻=年末には1ドル240円の大台を割って、過去の最高記録を更新した。」だったとか・・・。
それに、今をときめく米アップルの創業の年。巷には、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」やピンクレディーの歌が流れていた・・・。

先日、電子機器の寿命について書いた(ここ)。それらの機械に比べて、宇宙という未知の世界で動いている電子機器。繰り替えすが、これはもの凄いこと。

日本の小惑星探査機「はやぶさ」帰還のニュースがあったのが昨年の6月だった(ここ)。
「はやぶさ」の7年間で飛行距離60億キロ、もすごかったが、ボイジャーは34年間経って、まだあと10年間は大丈夫と言うからスゴイ。それに“地球からの距離”が176億キロというから、はやぶさの60億キロに相当する“飛行距離”はどの位の距離になるのか・・・・

こんな技術力を持つ人類。原発など1954年(原発の世界初)からの技術。福島における原発の制御など、どうって言うことはないと思うのだが・・・

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2011年8月19日 (金)

「もごもごさん」~滑舌について

先日の日経新聞の「プロムナード」というコーナーに、滑舌についての面白い記事が載っていた。少し長いが・・・。曰く・・・

もごもごさん   新井素子(SF作家)
 うちの旦那は“もごもごさん”だ。
 もごもごさん……これ、言葉や字面だと、なんだかとっても可愛い感じがするんだけれど、実際は、可愛いだなんてもんじゃない。
 もごもごさん。つまり、滑舌が悪いのよ。結婚直後から、正直言って、「旦那が何言ってるんだか判からん」っていうことが、時々、あった。でも、当時は、私はその度におだやかに聞き返し、旦那も優しく自分の台詞(せりふ)を説明しなおしてくれ、問題は発生しなかった。
 だが。時間というものは、どんどんたつのだ。
 気がつくと、この間、私達は銀婚式を迎えていた。このくらい長いこと夫婦やってると、当初の甘い気分なんか持続している訳もなく、会話というのは用件伝達の為にするものになってしまうから、相手が何言っているのか判らないと、そりゃ、凄いストレスなのである。おだやかに聞き返していた私は、もうこの世にはいなく、優しく説明してくれた旦那も、この世にはいない。いるのは、焦って聞き返す私と、とげとげしく説明する旦那だ。
 しかも。ここで、私と旦那、双方共に問題が発生した。
 まず、私がね、ちょっと耳が遠くなってきてしまった感じがするの。今の処、半日ドックの聴力検査にひっかかってはいないのだから、聴力的な問題が発生している訳ではないとは思う。でも、複数の人と喋っていると、時々、相手の言葉が聞き取れないことがある。ということは……多分、聴力、衰えてきているんだよね。昔に比べると、なんか、人の言葉が聞き取りづらくなってきているんだよね。
 それから、旦那が。
 もともと“ごもごさん”だったのが、より、酷(ひど)くなった。しかもその上、これも年をとったからなのかなあ、もの凄いいきおいでひとり言を言うようになったんだよね。
 これは、聴力に自信がなくなってきた身には、応える。
「んじゃ、駄目だろっ! って……××が……××××……だって×××××……」
 夫婦二人の休日で。いきなりこんな台詞が聞こえてくると、そりゃ、私としては、身構える。
 「何、旦那、何かあったの?」
 「……って、何」
「いや、今、何かが駄目だって叫んでなかった? 私、あなたに何か悪いことした?」
「あ、いや、違う、ごめん。パソコン見てて、つい思わず叫んだんであって、ありや、ひとり言」
うわあああ。これは、ぜひ、やめて欲しい。
 だってこの時、家には二人しかいないんだよ? この状況で、旦那が何か言ったら、そりゃ、当然、私に対して言われたことなんじゃないかと私は思う訳であって、あからさま
に人を咎めているような台詞だの、「それはどうなってるんだっ!」みたいな台詞が聞こえると、その度に、わたわたする。わたわたするしかない。
 いや。
 そもそも、旦那が何を言っているんだか判るのなら、私だって、ひとり言に対して、こんなに気を遣わないんだ。ただ、旦那の台詞が全体的に物凄く不明瞭だから、こんな話になっちゃうのであって……。
 明確な発言を求めたい。」(2011/08/16付「日経新聞」夕刊p7より)

滑舌の悪い人は、結構いるものだ。つまり話を聞いても、何を言っているのか分からない・・・。よって生返事をして放っておく事になる・・。
昔、いっとき上司だったMさん。自分が巡り会った中で、最も分からない人だった。会議録を作るために、会議の内容を録音したことがあった。後で語録を作ろうとしたが、何度聞いても分からない。その時に良く分かった。主語がないのである。述語ばかり・・・。だから何を言っているのか分からない。それに話が飛んで、元に戻らない。Aという話をしているうちに、Bに話が飛ぶ。またAに戻れば良いのだが、今度はCの話に飛ぶ。結局、戻ってこなくて、話の最初と最後はつながりが無く、話が終わってもただただ徒労感だけが残った。作曲の世界だって、二部形式はA、A’、B、A’で元に戻る。文章だって起承転結。結局、組織としては、その上司の指示では動かなかった。

今の会社の同僚にも、滑舌の悪い人がいる。組織長になるに際して「もう少し滑舌良く、分かり易く話せ」と言いたい所だが、言っていない。理由は、(琴線に触れることであり)場合によっては、非常に大きなダメージを相手に与える危険性があるため・・・

しかし我が家では違う。「主語がない!」という言葉が、家中を飛び交う。カミさんが話し出すと、多くは述語から始まる。それでは、自分の頭の中で“場面設定”が出来ない。よって「主語がない!」と反撃するわけである。何気ない会話でも、主語があれば、相手が何について話しているか、その場面が頭に浮かぶので容易に理解できる。
それに“話が飛ぶ”時も注意が必要。カミさんは、話をしながら別の人の事に話が飛ぶ場合がある。相手は、自分ではこっちがちゃんと付いてきているものとして、どんどん話が進む。しかし自分の頭の中は、元の主人公のまま。よって話が段々トンチンカンになってきて、「主語がない!」となる。(まあ最近は、自分の方が言われる事もあるけど・・・)

映画やテレビドラマでは、セリフの滑舌は命取り。我が家で今楽しみに(ドキドキハラハラして)見ているドラマに、フジテレビの「それでも、生きてゆく」(ここ)がある。その中で、主人公を演じる満島ひかりの演技にはいつも舌を巻く。どんなに激しい言い争いの場面でも、セリフがしっかりと聞き取れる。これは役者として大変重要なこと。激情する場面では、普通の役者は何を言っているか分からず、DVDレコーダーを巻き戻して何度か聞くことがあるが、この人の演技は安心して聞いていられる。

ともあれ、人間関係はコミュニケーションで成り立っている。夫婦や家族でも、「言わなくても分かる」はNG。「言葉に出して言わないと分からない」を前提に、何よりも円滑な人間関係を保つためにも、滑舌の良い会話を大切にしたいもの・・・。(今日も長くてゴメン!)

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2011年8月18日 (木)

同僚の肺癌・・・・・

今日はショックな事があった。会社の同僚が肺腺癌に罹ったという。まだ62歳なのに・・・・

会社の定期検診があったのが4月25日。その同僚は、胸のレントゲンで、右の肺に影が見つかり、その検査機関の再検査でCTを撮ったのが6月21日。30日に結果を聞きに行ったところ、やはり右の肺に異常があるとのことで、大学病院への紹介状を貰い、7月6日にK大病院に。
そこで検査入院が必要との話をされ、ベッドの空きの関係で入院が出来たのが7月25日~27日。その後に実施した骨の検査で、転移があると診断されたとのこと・・・・。絶句である。

本人はいたって健康体だそうで、症状は皆無。よって検査入院も、忙しい月末、月初は避けて欲しいとK大病院に要求していたほど・・・・。
そう言えば、前に咳をした時にあばら骨が痛くなったとかで、近くの整形外科に行ったことがあった。それも関係あったのかも・・・

しかし、毎年やっている定期検診。異常なしの状態から、1年後に急転直下・・・。
同じような話は他でも聞く。
多分、自分が30歳台のころ、中学の同級生だった女性が肺癌末期だという連絡を受けた。臨床検査技師だった彼女は、やはり前年は異常なしだったのが、1年後のレントゲンで既に末期の肺癌。ほどなく亡くなったが、職場でのタバコの煙にやられた、と聞いたことがある。彼女の思い出話は前に書いた・・・(ここ)。肺がんとはこんなにも急激なのか・・・

結局、1年に一度毎の検診では早期発見につながらないということ?

同僚がどのような告知を受けたのかは知らない。しかし、残酷な現代。かなりシビアな宣告を受けたのではないか・・・。そんなとき、これからその同僚にどんな言葉を掛けたらよいのか・・・。まさに言葉がない・・。

今年は、自分の周辺に、死に至る病気の話が多い。3月の伯母の逝去に始まり、1月に胃がんが見つかって、7月に亡くなった義姉・・・。確かに誰でも死ぬ。100%死ぬ。誰でも頭では分かっている。しかし「それは一般論で、自分には関係無い」と思って我々は日々暮らしている。それが普通・・・

当blogには、死についての記事が非常に多い。つまりは、それほど自分も死におののいている、という証。当blogの記事を書きながら、死がいつ巡ってこようとも大丈夫なように、自分自身に対して、その心構えを言い聞かせているのかも知れない。
人生は理不尽なもの。いつ誰に赤紙が舞い降りてくるか分からない。その分からないものにおののいていても仕方がない。でもそんな事は言葉の遊び・・・。当事者になってみると、全てが吹っ飛ぶ・・

頭の中を、いつも言葉だけが駆け巡っている。「所詮、人間など弱い存在。将来など大いなるものに任せて、目の前の日々の生活の充実しかない」と・・・
でも自分は分かっている。「その時」になったら、仏教の話も、神さまの話も、理屈も、頭の中で論じられてきた全ての事は吹っ飛んで、ただただオロオロと、カミさんの前で泣くだろう・・・・と。それが自分(の実力)さ・・・。
それで良いのではないかと思う。
人の病気に対しては、言葉が難しい。心の中で、祈るしかない。

(2013/12/16追)
この同僚が2013/12/14逝去。骨への転移が確認されてから、2年5ヶ月。そのうち、2年間は出勤していた。ご冥福を祈る。

*今日の話と全く関係ないけど、近くのカミさんの友人が「ウコンの花」を持って来てくれたという。何だが、ウコンの花は珍しいそうだ。自分も初めて見た・・・(写真はクリックで拡大)

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●メモ:カウント~210万

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2011年8月17日 (水)

電子機器を長期間使うには・・(電子機器の寿命)

自分が“ぞっこん惚れている”ケンウッドのFMチューナーL-02T。製造からそろそろ30年が経とうとしている。この恋人をいかに長生きさせるかが、自分の“余生”の大きな課題であ~る。

それで何をしたら、これら電子機器の寿命が延びるかを考えてみた。
チューナーに使われている部品は、半導体、コンデンサ、抵抗、コイル、バリコン、リレー、コネクタ、基板、スイッチ、線材などがある。
一番問題となりそうなのが、機構部品。スイッチやリレー類だ。これらは自動車のエンジンと同じく、使わないと動かなくなる危険性。それに接点も接触不良を起こしやすい。まあこれらは一般論だが・・・。
110817buhinjyumyou_2 原理的に一番寿命が短いとされている部品は、電解コンデンサであろう。先の、放って置くと物理的に接触不良が起こるであろう機構部品を別格にすると、電解コンの寿命が電子機器の寿命そのもの、と言っても過言ではない。(写真はクリックで拡大)

そこで先日、電解コンデンサの世界一(世界シェア25%)のメーカーという会社に電話して、電解コンの寿命について聞いてみた。

「電子機器の寿命を、乱暴だが電解コンの寿命と置き換えると、どのような使い方だと、寿命が延びるのか?」
「とにかく最大の要因は温度。使用温度も保存温度も温度が低いほど電解コンの寿命は延びる」
「1日24時間電源を入れているのと、1日8時間だけ使うのとでは、どちらが寿命は長い?」
「連続使用よりも、短い時間で使った方が、累計寿命は長くなる」
「あまり入れたり切ったりすると、ラッシュ電流などで、部品の寿命に良くないかなと思っていたが・・・」
「あまり頻繁だと問題だが、普通の使い方ならそれほど気にする必要は無い」
「すると、24時間使用よりも8時間使用は、3倍以上になる?」
「そうだ。電解コンの製品寿命は一般的に15年としている。それに電解コンの製造から3年経った部品は、なるべく使わないで欲しいとメーカーに言っている。電解液が減って、電圧を加えても復帰しなくなる。もし3年以上経った部品を使う場合は、セットメーカーのリスクで・・・」
「電子機器または電解コンが乗った保守基板を保管する場合、いつでも使える状態で維持するためには、どのような事を注意すればよいのか?」
「1年に一度は、30分~1時間程度電源を入れて欲しい」
「1年に一度は24時間電源を印加する、といった常識が我々にはあったが、そこまでしなくて良い?毎日、短時間でも電源を入れておいた方が良いのかな・・と思っていたが・・・」
「毎日とか毎月とか電源を入れる必要は無い」

「ありがとうございました」

なーるほど・・・。
つまり、これらをまとめると、

<電子機器(電解コン)を長期間使うには・・・>
1)なるべく温度の低い場所に置く。
2)なるべく電源を入れている時間を少なくする。
3)少なくても1年に1時間は電源を入れる。(長期間使わない測定器類も、年に1回の校正の時に電源を入れるのでOKとか・・)

つまり<中古品を買う場合には・・・>
1)定期的に短時間ずつ、現役で使い続けていた製品を買う。
2)倉庫などに長期間保管していた中古品は、保管温度や湿度の点、それに長期間電源を入れていない点でダメ。(温度が高くなる倉庫に、年単位で保管していたセットは絶対にダメ)
ということらしい。

110817denkaiondo つまり、電解コンは「アレニウスの法則」に則っているとのこと。
(「アレニウスの法則」=「一般には,使用環境の温度が10℃下がると寿命は2倍に伸びるという「10℃2倍則」として寿命を算出するのに使われることが多い。例えば,Al電解コンデンサの場合,「105℃2000時間」といった寿命が公表されている。95℃であれば寿命は4000時間,85℃であれば8000時間,75℃であれば 1万6000時間,65℃であれば3万2000時間となる。」(出典ここ

よって、L-02Tなど古い機器を、大切に長く使い続けるには、“専用のエアコン”で機器をなるべく低い温度に保つことが必要。よってL-02Tにはどんなエアコンが良いのか、これから検討して“設置”することにしよう。(←これウソ・・・)

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2011年8月16日 (火)

「機縁-そうなるべくしでそうなる」

先日、雑誌「大法輪」を読んでいたら、こんな記事を見つけた。(いつも同じ雑誌の話で恐縮だが、なかなか他の本を読むヒマがないのだ・・。←これムダな言い訳・・・)
曰く・・・

機縁-そうなるべくしでそうなる
 「おとずれる」ということで思い出すことがあります。
 小説『ビルマの竪琴』の著者・竹山道雄さんは、その著書の最後に「ビルマの竪琴ができるまで」という一文を載せています。
 ビルマの資料が足りなくてなかなか小説が書けなかったのだそうですが、「機会というものは注意を集中しているとつかまるものだ」と言われ、次のように書いていらっしゃるのです。――少し長い引用ですが――

『ある日、電車にのっていました。あの頃のことですから、立ったまま身うごきもできず押しつぶされそうでした。隣りに立っている人が雑誌を手に丸めて読んでいましたが、それが私のすぐ目の前にありました。見るともなく見ると、その記事はビルマの戦争の様子を報じたものでした。これが私の求めていたものでした! これが第一報でした。私はそれをむさぼるように覗き読みしました。その雑誌が何であるかを知りたくてなりませんでしたが、知らない人が読んでいるのを覗きこんでいたことですから、きくのも照れました。もじもじしているうちに、その人が手を持ちかえ、その瞬間に、それが「月刊読売」であることが分かりました。私は駅を降りると、すぐにこれを買いました。四頁ばかりの短い記事でしたが、ここには、ビルマ全国に日本兵の白骨が累々と野曝(のざら)しになっていることが報じてありました。このことと、前から私の頭にひそんでいたことが結びついたのでした。すでに第一話を作っているときからそういう話にしようと思っていながら、それにはっきりとした形をつけることができないでいたのがにわかにまとまり、骨子がきまりました。』

驚きました。こういうことってあるんですね。条件が調っていて、次から次へ、良いほうへ良いほうへと事が運ばれていきます。
 ――隣の人が雑誌を手にしていた。それが私のすぐ目の前にあった。その記事はビルマの戦争の様子を報じていた。これが私の求めていたもの。むさぼるように読む。その人の手が雑誌を持ちかえた。それが「月刊読売」だった。駅を降りるとすぐに買った――
 あざやかというよりほかはありません。
 このようなとき、駅を降りるとちゃんと雑誌は店にあるのですね。竹山道雄さんに買われるべく「月刊読売」は待っていたのではありませんか。
 人はこれを「偶然」と言っていますが、そう簡単に片付けてしまっていいものでもありません。
 「偶然」とか「奇遇」とかは、思いがけない出合いのことで、なぜそうなったかを説明することが困難であることから、漠然とそういう言葉を用いて逃げてしまっているときのことを言います。
 「機会というものは注意を集中しているとつかまるものだ」と竹山さんは言われました。求めれば得られる、求めなければ得られない、そのことを言われているのです。
 偶然でもなし、奇遇でもなし。仏教ではこれを「機縁」と呼んでいるのですね。「そうなるべくして、そうなるべきときに、そうなっている」ということなのです。
 わたしはそれを「おとずれ」と言わせてもらっています。・・・・」(雑誌「大法輪」2011年9月号p29より)

ここにある「求めれば得られる、求めなければ得られない」という言葉が心に残る・・・。考えてみると、“そりゃそうだ・・・”。良く聞く笑い話で「宝くじは買わなければ当たらない」というのがある。確かにそうだ。当てようと思って買うから当たる。自分のように、買いもしないで「宝くじが・・・」というのは、もはや妄想の世界・・・

先日、テレビで「北の国から~‘87初恋」を放送していた。“純”が“れい”に一目惚れしたとき、その後二人が恋人になる事に、自分が「幾ら男が一目惚れしても、そうそう上手く行くはずがない」と言ったら、カミさんが「いや、念ずれば通ず。その女性を想う心に対しては、女性も共感するもの」みたいな事を言う。つまり、幾ら一方的な好意でも、相手もそれに共鳴する事があるというのである。
この言葉には恐れ入った。

自分も青春時代、幾多の片想いを経験した。しかし“おっかなくって”、その想いを伝えたことはほぼ皆無・・・・。
もしさっきのカミさんの言葉がホントウだとしたら、青春時代、自分もその想いを相手に伝えれば良かった・・・・!!(若しかしたら、カミさんが別の人だったりして・・・。ホホホ・・・。思わず笑みが出てしまう!!失礼!)

おっと話がずれた。
ところで、ウチの夫婦は果たして「機縁-そうなるべくしでそうなった」のであろうか・・・??これ以上論じると“血を見る”ので、今日はこの辺でお開きとしよう・・・。

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2011年8月15日 (月)

KENWOODのFMチューナー「L-02T」のカタログ・接続図・文献

小学生の頃に作った鉱石ラジオから始まって、今までにどの位のAV(オーディオ&ビデオ)機器を手に入れただろう・・・。その半世紀にも及ぶ自分のオーディオ人生の中で、30年も前の(1981年11月発売?)定価30万円だったというFMチューナー「L-02T」は、最も“離せない”機器になっている。
なぜか・・? 普通は、“いい音だ”と感じても直ぐに慣れてしまう。しかしこのL-02Tは、毎晩聞くたびに、「これは良い音だ」と感心する・・・。自分的には、そこが他の機器とは根本的に違う。
(“自分的”には、シンセサイザーのチューナーは全部NG。それに比べて、昔持っていたTRIO のKT-5000 (\39,500、1969年頃)は、昔、MDに録ったものを聞いても、音が良い。やはりバリコン式が良い音の条件らしい。まあ“惚れた、惚れない”の話なので、L-02T以外の機種など、どうでもよいのだが・・・)

このL-02Tというチューナーは、良く言われているように“みずみずしい音”であり“生々しい音”。そもそも“音”などというものは“好き嫌い”の世界。それでも、なおかつ自分はこのチューナーの音に惚れてしまった・・・
よって、もし世の中に、ケンウッドのFMチューナー「L-02T」の“ファンクラブ”でもあれば、自分は真っ先に入るかも・・・・!?

しかしこの機械ほど、繊細なものはない。例えると、貴婦人? それとも令嬢??
つまり、置かれた環境(受ける電波)によって大きく表情を変えるのだ。お城や御殿に住んでいる(キレイな電波を受けている)時は、この上なく麗しい。しかし、いったんホコリだらけの巷に降りるや(キタナい電波を受けるや)、その美しさは一挙に失われる。
繰り返すが、この最高級チューナーは、強い良質の電波が入ると最高の音を出す反面、マルチパスのあるようなキタナイ電波や弱い電波だと、ジュルジュルのキタナイ音しか出さないのである(ここ)。よって、このご婦人との付き合い方、ご機嫌の取り方は極めて難しい。まあそれだけに、つい気に掛けてしまい、“存在感がある”ことになる・・・・。
紆余曲折があったが、幸いなことに、我が家では、今のところ何とかキレイな電波を受けて、絶好調な音を出している。

さて本題だが、いったん惚れると、“お嬢さん”の素性を知りたくなるもの・・。そんな訳で1年前にL-02Tの“初号機”を手に入れて以来、色々と資料を集めてしまった。(写真はクリックで拡大)

<L-02Tのカタログ>
1982年5月発行のカタログはこんな調子・・・・

L02t011a L02t021a L02t031a L02t041a L02t051a L02t061a L02t071a L02t081a L02tgr1a

(詳細をご覧になる方のために、カタログのPDFをここに置きます。~10MB)

このカタログに載っているデータが興味深い。特に「総合S/N特性」。このグラフを見ると、Image07295 ステレオだと、最高性能を発揮するためにはアンテナ入力が75dB以上必要な事が分かる。それだけの入力があれば、カタログデータ的にはステレオでもS/N比が89dBも取れる。それと、他の3枚のデータも、アンテナ入力が10mvの時のデータであることに気付く。これは80dB以上の電界強度。これだけの電波を受けられる場所は、そう多くはあるまい。まあカタログデータは、車の燃費と同じく理想環境なので、まあこんなものだろう。

<L-02Tの接続図(回路図)>
そしてL-02Tの回路図だが、ケンウッドの補修部品として外販している事が分かり、手に入れることが出来た。(ここ)からメールで、ケンウッドに依頼すれば、1~2週間で送ってくれる。(多分他の機種の回路図も、有料で手に入るのでは?)
自分が送って貰った時には、A3が3枚で、代引き料込みで千数百円だった。
またケンウッドのサービスセンターや、取扱販売店でも取り寄せてくれるという。
(下記の写真は、意識的に読めない大きさにしている)

L02tcircuit1 L02tcircuit2 L02tcircuit3

(2011/09/09追)
cooltune さんから、「無線と実験」誌の1983年6月号に、L-02Tの回路図が折り込みで入っている、との情報を頂き、調べてみた。すると回路図そのものが載っていた。つまりL-02Tの接続図は既に公知のようである・・・。
よって、(ここ)にそのPDFを置きます。10MBあり。

<L-02T海外モデルのサービスマニュアル>
サービスマニュアルは、海外版モデルのものは前に米のサイトから手に入れて、当サイト(ここ)にアップしてあるが、日本語版は手に入っていない。

・L-02Tの海外モデル回路図付サービスマニュアル(英文)のPDFは(ここ)に置きます。~17MB

<L-02Tの文献>
そして、文献だが、唯一発見した文献を前に手に入れて(ここ)にアップした。何せ古い雑誌の記事なので、これを手に入れるのは苦労した・・

雑誌「ラジオ技術」1982年1月号の記事(PDFはここ
・「新製品スクランブルレポート No.46“ケンウッド L-02T” 黒川晃」
・「ケンウッドFMチューナL-02Tに採用した“ノンスペクトラムIFシステム”“ノンステップ・サンプリング・ホールドMPX”の特徴 沼田幸雄 (トリオ)」

<FM放送のノイズ対策記事>
自分が体験した一番の妨害波が電柱からのスパークノイズだった(ここ)。このことについての文献がこれ・・・。
(この文献も、ある友人が出身大学の図書館で古いCQ誌を探して送ってくれたもの・・・。実に貴重品である)

CQ誌の2000年10月号P147「電力会社にも協力を求めた電力用空中架線のノイズ対策」(PDFはここ

このように、我が愛するL-02Tについての素性調査はだいたい出来た。大事に大事に使いたい所だが、弱点は部品が無いこと。電解や抵抗などの一般部品ならどうにかなるが、特殊部品だと壊れたときに直すことが出来ない。何ともヒヤヒヤものである。
誰かが言っていた。何でもデジタル化されて行く中で、“FM放送はアナログ最後の砦”。その通りだ。たぶん自分が死ぬまで(まあ長くて20年ほど?)は、L-02Tを楽しめるだけの“手は打った”。
よって、これから自分が老いぼれて住居を変えることがあっても、絶対条件は「キレイなNHKのFM電波が受信できること」なのである・・・。(“老いらくの恋”は怖ろしいのである・・・)

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2011年8月13日 (土)

「才能は高齢でも開花する」

昨日の日経新聞夕刊に「抗加齢を学ぶ」というコラムに「才能は高齢でも開花する」という記事があった。曰く・・・

才能は高齢でも開花する
定年後や年を取ってからも仕事を続けたり、現役の時以上に活躍したりする人がたくさんいる。このような人がやっている勉強や仕事は、その行為自体が楽しくて仕方ないのだ。ノーベル賞をもらった高齢の研究者も、その業績は現役のときの仕事だが、その後もずっと受賞するまで研究を続けていたことになる。
 大学に籍を置いて研究したり、自宅を研究室にしたりする人もいる。一生好きな仕事を続けていて、みんな幸せなのだ。年を取ってから芸術で花咲いた人や、素晴らしい曲を作った作曲家も多い。江戸時代の伊能忠敬などは、50歳から若き日の夢を求めて天文学を勉強し始め、ついには全日本の地図まで完成させたのだ。それも近代的な測量技術もなく、ひたすら日本中を歩いて完成させている。
 現代で言うならば70歳くらいから勉強を始めて、90歳を過ぎてから地図を完成させたようなものだ。トレーニングを重ねてエベレストの登山に成功したりヨットで世界一周したりした人もいる。俳句などは人生経験の多い方が内容の濃いものが作れる。要するに才能は年齢と関係なく花咲くのだ。(京都府立医科大学学長 吉川敏一)」(2011/08/12付「日経新聞」夕刊p7より)

なるほど・・・・

一方、先月の朝日新聞(2011/07/23付b10ページ)に「定年を過ぎても働き続けたい?」というアンケート結果が載っていた。(写真はクリックで拡大)
Image07181 それによると、7割の人が働き続けたいと回答しているという。働き続けたい人の理由の①は「収入を得たい」(全体の54%)、②は「精神的に張り合いがある」(48%)、③は「社会とつながっていたい」(35%)、④は「体の健康につながる」(29%)。
一方、働き続けたくない人の理由の①は「自分の時間が欲しい」(35%)、②は「しんどい」(16%)、③は「家族と過ごしたい」(15%)・・・か。
理由はどれも分かる・・・

確かに、先の記事の伊能忠敬のように、引退後にその才能を開花させた人も多いが、それらは、詰まるところ本人のやる気・・・。
我々サラリーマンの場合も、リタイア後(定年後)の時間の過ごし方が、まさに人生で初めて「人間として生きる」期間なのかも知れない。つまり、現役サラリーマンの時期は、時間がまったく自由にならない。極点な言い方をすると、時間を会社に売って生活費を稼いでいた。その呪縛から解かれて自由になるのが、まさに定年後の時間。考えようによっては、“時間を自由に出来る時期”を得るために、現役時代に働いてきたのかも知れない・・・。

つまり、その過ごし方如何で、別の才能が開花するかも知れないというのだ。言われてみると当たり前の事だが、でも元気の出る言葉だ。

最近思うことがある。何かにワクワクしていること、それが重要ではないか・・と。それはほとんどの場合、趣味に関すること。それでも良いではないか・・。このトシになってもワクワクすることがあるのは、嬉しいことでは?
それにワクワクすることがあれば、少なくても頭がボケることはあるまい・・・。

何? 今自分がワクワクしていること?
それはSONYのPCM録音機の「NAC-HD1」(ここ)に、CDの原音を録音して、色々な音楽を良い音で聞くこと。MP3では、“歌”だけでも音源を6000曲ほど集めたが、今度はオリジナルの音源で集め直し始めた。そして、それをどんどんNAC-HD1に収録している。
MP3で当たり前のように聞いていた色々な歌が、改めてCD音源で聞くと、素晴らしい!
そしてCDが手に入らない音源は、FM放送からも録音している。つまり、今まではもっぱらMP3で録音していたFM放送だが、今はNAC-HD1でリニアPCMで録音している。これがまた良い音なのだ。
それに、ここ数年付き合いがなかったCDレンタル屋からも、またCDを借り始めた。目的は前のMP3録音用ではなく、オリジナルのCD音源の録音・・・。
このワクワクも、歌の数がエンドレスなので当分楽しめそうだ。
ただ、それが先の記事のように、自分の何かの才能を開花させているかというと、単なる時間つぶし!?それが問題だ。
サラリーマンの場合、学者と違って仕事の延長線上での“何か”を見付けるのは至難。でも自分も、もっと別な高尚な(!)没頭できることを見付けねば・・・・!?

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2011年8月12日 (金)

日吉ミミの「男と女のお話」~“なんでも変わる”

先日の朝日新聞夕刊の「あすへの話題」でこんな記事があった。まさに仏教の教え、そのもの・・・。曰く・・・

なんでも変わる
   作家 諸田玲子
駆け足で取材をしてきた。古寺や城趾をめぐっていると、やはり「国破れて山河あり」の感慨を新たにする。
 家臣の明智光秀に謀反をおこされた織田信長はまだしも、木曽義仲や源義経、豊臣秀次など身内に滅ぼされた例は数知れず。弟をだまし討ちにした、なんて話も信長や斎藤義龍ばかりではない。
 昨日の味方は今日の敵、ホントに、人の心はくるくる変わる。歴史家や郷土史家の皆さんのような深い知識には及ばないが、曲がりなりにも歴史をかじっていると、なにより無常観が身にしみる。偉くなっても金持ちになってもしょせんはおなじ、ま、のんびりいこう、という気になってくる。
 なにしろ変わらないものはないのだ。
最近、思い出した歌詞がある。「世の中、変わっているんだよ 人の心も変わるのぉさ」
 この前には「恋人にフラれたの よくある話じゃないか」という一節があって、たしか日吉ミミさんが歌っていた。曲名は忘れたが、学生運動ありヒッピーあり、批判精神が旺盛で個を主張していたあの時代に、ぶっきらぼうな歌い方がぴったりだった。
 私は、思ったとおりにいかなかったり、人に冷たくされたり、哀しいときに歌う。
 しょうがない、そういうものサと気持ちを切り替える。つっぱっていた昔より生きやすくなったのは、「変わって当たり前」と思えるようになったからだろう。
もっとも若者はまねをしないこと。大いにつっぱって、恋人にも世の中にも「なんで変わったの?」と食ってかかる気概を大切にしてほしい。人は、年と共に、いやでも丸く変わってしまうものだから。」(2011/08/10付「朝日新聞」夕刊p1より)

そうだよな~、と読んでいたら、今朝、日吉ミミさんが、10日膵臓癌のために亡くなったと聞いた。64歳だと言っていたので、Netで調べてみると、昭和22年(1947年)7月21日、埼玉 110812hiyoshimimi県浦和市(現さいたま市)生まれだと知って、急に親近感を覚えた。
・・・というのは、自分も数ヶ月遅れの、隣の町(旧与野町)での出生なので・・・。
そんなワケで、今日は日吉ミミの「男と女のお話」を聞こう。

<日吉ミミの「男と女のお話」>

「男と女のお話」
   
作詞:久仁京介
   作曲:水島正和

恋人にふられたの
よくある話じゃないか
世の中変わっているんだよ
人の心も 変わるのさ

淋しいならこの僕が
つきあってあげてもいいよ
涙なんかをみせるなよ
恋はおしゃれな ゲームだよ

ベッドで泣いてると
涙が耳にはいるよ
むかしを忘れてしまうには
素敵な恋を することさ

スマートに恋をして
気ままに暮らして行けよ
悪い女と言われても
それでいいのさ 恋なんて

男と女が
ため息ついているよ
夜が終わればさようならの
はかない恋の くりかえし

お盆も近いが、亡くなった話を聞くと、やはり無常を覚える。先の記事のように「すべてのものは変わる」。人も何もかも滅びていく。それは原理としては分かる。しかし、つい“64歳は、死ぬには若いな~”と思う。
日吉ミミさんの冥福を祈りながら、“無常”という言葉を噛みしめよう。

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2011年8月11日 (木)

「精神疾患が加わった「5疾病」って?」

先日の朝日新聞「ニュースが分からん!」に、精神病が多くなっているという記事があった。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

精神疾患が加わった「5疾病」って?
   ⇒患者が多いから重点的に医療体制を整えるんだ

アウルさん:国民病なんて言われる「4疾病」が「5疾病」になるって聞いたけど何のこと?
Image07421:「4疾病」は「がん」「急性心筋梗塞」「脳卒中」「糖尿病」のことだね。医療法に基づいて2007年に指定された。国内で患者が多く、死亡率も高いため、重点的に医療体制を整える必要がある、と定められた。それに「精神疾患」を加えることを厚生労働省が決めたんだ。
ア:どうして?
A:患者数が急増しているからだ。通院や入院をしている人は約323万人(08年)で、がん患者の2倍にあたる。特にうつ病と認知症の増加が目立ち、うつ病などの気分障害は1999年と比べて2倍の約104万人、アルツハイマー病は8倍の約24万人に上る。年間3万人を超える自殺者の9割が、精神疾患にかかっていた可能性があるとも言われ、早急な対策が求められるためだ。
ア:「5疾病」に決まると、どうなるの?
A:全国どこに住んでいても病気の症状にあった治療が受けられるように、各都道府県が医療計画で体制を整備しなければならなくなる。医療計画は自治体ごとに5年ごとに見直され、精神疾患は次の改定で盛り込まれる。来年度からのところが多い。
ア:具体的には?
A:治療に時間がかかるから、救急やリハビリなどの役割分担を地域の病院ごとに決める。病院や診療所、訪問看護ステーションが連携して、退院後も住み慣れた地域に暮らしながら治療できるようにする。厚労省が、計画の元になる指針を今年度中につくることになっている。
ア:私の住む地域がどうなっているか知りたいわ。
A:各都道府県は医療計画をホームページで公表しているから、これで確認できるよ。病院から自宅に戻ることができた患者数や、死亡率の低下などについて、疾患ごとに数値目標を掲げているところもある。(月舘彩子)」(2011/08/10付「朝日新聞」p2より)


うつ病というと、前に見たNHKのテレビドラマ「下流の宴」(ここ)の北沢を思い出す。京大出で、証券会社のトレーディング部長。億単位の年収だったが、結婚への不信感から(?)、結局うつ病になって退社。念願かなって金持ち専業主婦になった娘も、離婚して実家に出戻り・・・

サラリーマンでもうつ病は多いらしい。人間関係に疲れて罹患してしまうのだろう。その時に、逃げ込める“懐(ふところ)”があると、まだ救われる。上のドラマでは、結局夫婦間にうつ病を受け止める土壌がなかったため、夫は実家の親の元へ、そして妻は夢破れて離婚し、これまた実家へ・・・。結局、実家(親)が全てを受け止めている。

今日は、先の震災からちょうど5ヶ月目。震災を機に、婚活が増えたと聞くが、実績はどうなのだろう。結局、非常時の駆け込み寺は家族しかない・・・。
先の記事では「年間3万人を超える自殺者の9割が、精神疾患にかかっていた可能性がある」という。ショッキングな数字だ。
サラリーマンが、会社のリストラなどで精神が失速した時、独身で家族を持たず、親とも疎遠な場合、逃げ込む所が無い。自殺が多いのも、逃げ場の問題が大きいのかも知れない。
鬱病患者のうち、家族持ち者と独身者の割合はどうなのだろう・・・。何より、独身者は“発見”そのものが遅れる。そして手遅れ・・・!?

確かに上のドラマのように、家族も色々だが、ひとりぼっちよりは良かろう・・・と思う。
「各都道府県が医療計画で体制を整備・・・」とあるが、その中に“婚活推進”という文言は入るのだろうか? ぜひ入れて欲しいものだ。

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2011年8月10日 (水)

英暴動の写真

最近のニュースでこんなにビックリしたニュースはない。彼のイギリスで発生している暴動である。何でこんな事に・・・、と思って新聞を読んでみると、今朝の朝日新聞にこうある。

英暴動 全国規模に~背景に若者失業
 英国・ロンドンで始まった若者らの暴動は、わずか3日間で全国規模に広がった。キャメロン政権は警察力を増強して暴動を押さえ込む構えだ。だが、背景には、経済危機で深刻な若年層の失業や、緊縮財政で低学歴層にしわ寄せが行く現実がある。
 9日未明、ロンドン北部エンフィールドにあるソニーの倉庫で、火の手が上がった。地元メディアは目撃者の話として、出火直前に若者約20入が電気製品やDVDソフトを持ち出したと伝えた。
・・・
発端となったロンドン北部トットナムでの黒人射殺事件は、麻薬取引を捜査中の警官が、不審な男性が逃げただけで発砲した。「人種偏見に基づく過剰な対応」と反発が広がった。英メディアは「黒人というだけで警察は犯罪人扱いする」との声を伝えている。
 だが、実際に放火や略奪に加わった若者は、黒人ら有色人種だけでない。大勢の白人の姿も目立つ。
 背景には、若年層で深刻な失業問題がある。若年雇融危機による景気後退が追い打ちをかけた。失業率は7.7%だが、24歳以下に限れば2割近い。トットナムでも求人1件に平均54人が求職に殺到するなど雇用危機が深まっていた。・・・」(2011/08/10付「朝日新聞」p3より)

テレビのニュースではより鮮明に暴動の様子を伝えていた。信じられないのはそこが五輪も近い英国であるという点。
たまに覗いている米boston.com(ここ)をクリックすると、案の定、色々な写真が載っていた。(August 8, 2011はここ)(August 9, 2011はここ)(写真はクリックで拡大)

Bp13 Bp9 Bp3 Bp2 Bp20 Bp12

この写真にあるように、騎馬隊が何とも英国らしい。火事を馬は怖れないのだろうか??無用な心配をしてしまう・・・。
失業問題があるとはいえ、根底には人種差別問題があるようだ。

日本の場合は、1960年代の成田闘争や学生運動の時代ならともかく、今は暴動など死語になっているのでは?? そもそも若者にそんな元気がない??

菅首相が、辞任の時期について、口にし出したようだ。もし今の日本で、原発事故を背景に暴動が起きたとすると、今の政府にそれを押さえる力はあるのだろうか?
Image07501 円高の暴動も抑えられない日本。国民はいつものように大人しくしているので、せめて円高の暴動だけでも鎮圧して欲しいもの・・・(世界で、円を買いたい人が多いようだが、「円は売り切れました!」とでも言ってやれば良いのに・・・!!)

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2011年8月 9日 (火)

クールファイブの「夏の花よ」

そろそろお盆。通勤電車も大分空いてきた。今日は長崎の原爆の日だ。
また暑さが戻ってきた。夜散歩しても、風が無いと汗がじわっと出てくる。今日は東北電力で、供給の電力がギリギリだったらしい。
暑いこんな時、こんな歌はいかが?? クールファイブの「夏の花」という歌である。

<内山田洋とクールファイブの「夏の花よ」>

「夏の花よ」
  作詞:阿久悠
  作曲:三木たかし

お前を抱いたら
軽い 軽い こんなにも
泣いてくらす時が長過ぎて
やせてしまったか
花園に戻したら
咲くかもしれない
別れるなら この季節
もいちど咲ける 夏に

いつでも お前が
損な役を引き受けて
笑うことが苦手だったのと
いってくれたけど
微笑めばしあわせが
来るかもしれない
別れるなら この季節
もいちど咲ける 夏に

背中を見たなら
細い 細い あんなにも
雨とまじる影がはかなくて
消えて行きそうだ
この部屋に 忘れもの
あるかもしれない
別れるなら この季節
もいちど咲ける 夏に

夏という季節は、何となく明るいイメージがあるせいか、夏を歌った演歌は少ないようだ。110809nastunohana その中で、この「夏の花よ」という歌はもう30年も前(1983年6月発売)の歌だが、実に三木たかしとクールファイブのコンビらしい歌で、前川清節を聞かせてくれる。
当サイトでは、クールファイブ/前川清については「港の別れ唄」しか紹介していない。ここで取り上げないのは、あまりに有名な歌が多いせいかも知れない。

でも、“良い音”で前川清の歌声を聞くと、何とも“シアワセ”を感じる。まあ自分も日本人・・・
何かしている時、シアワセを感じると言うことは、人生の生き甲斐・・・・
それはそれで良いのだが、「ご趣味は?」⇒「前川清を素晴らしいオーディオセットで聞くこと」ナンテ・・、ちょっと格好悪いかな・・・

ついでに、前川清の新録音盤でも聞いてみよう。音質がだいぶん違う・・・

<前川清の「夏の花よ」>

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2011年8月 8日 (月)

「常に観察すべき五つの真理」(1/6)~「老い」

先日、あるお寺で「常に観察すべき五つの真理」という冊子が無料で配られていたので貰ってきた。日本テーラワーダ仏教教会という所から出たプレゼント用の冊子。単純な内容だが、真理・・・。最初の項を、何度かに分けて読んでみよう。(写真はクリックで拡大)

常に観察すべき五つの真理
     アルボムッレ・スマナサーラ長老
 今回ご紹介する経典の名前は「Abhi・・・」です。長いタイトルになっていますが、おそらく、どんな人にも意味が分かるようにと意図的に長くした可能性もあります。
Image07332  タイトルを少し分析してみますと、まずabhi・・というのは「常に、いつでも」という意味で、pacc・・は「観察すべき、考慮すべき、思い浮かべるべき」という意味です。人間には、頭の中でいろいろなことを思い浮かべたり考えたり妄想して楽しみたい、というところがあります。でも、仏教ではそれは認めません。なんでもかんでも好き勝手に思い浮かべることはよくない、と教えています。そして、好き勝手に妄想するかわりに、思い浮かべるべき項目を設定し、それらを繰り返し思い出して頭の中で常に回転させるように、と教えているのです。
 次の語tha・・は、この経典では「項目」や「箇条」という意味で使われています。sutt・・は「経典」です。
 これらの語を合わせて、全体の意味としては「常に観察すべき項目の経典」となります。いわゆる、朝も昼も晩もいつでも思い浮かべるべき項目がこの経典で述べられているのです。文字どおりそのままの意味ですから、意味が分からないということはないでしょう。このように、誰にでも理解できるようにわざとタイトルを分かりやすくしてあるのです。

人生のモットー
 「朝も昼も晩も常に考えておくべきこと」とはいったい何でしょうか?
 私たちは毎日ごく普通に生活しています。普通に生活していますが、生きる上では何か「モットー」というものが必要です。モットーというのは、日常生活での思考パターンといいますか、私はこの路線で頑張っている、というような生きる指針のことです。
 そこで「人間はどのような路線で生きるべきか」という問いにたいする答えが、この経典にあるのです。ですからこれはとても重要な経典です。なぜなら「人間はどのように生きるべきか」「どんな道を歩くべきか」ということを教えているのだから、ほんのちょっとの大切どころではないのです。
 ところで、この「Abhi・・・」というタイトルの経典は他にもいくつかありまして、今回とりあげる経典では、観察すべき対象として五つの項目を教えていますが、他に、三つの項目の経典もありますし、四つの項目の経典もありますし、十の項目の経典もあります。たとえば十の項目の経典は出家者のための経典になっていまして、「出家者が常に観察すべき」と記されています。
 では、この経典はどうかといいますと、次のように記されています。

「女性であろうが、男性であろうが、在家者であろうが、出家者であろうが、この五つの項目を常に観察すべきである。」

 対象者は特別に限定していません。出家者だけとか仏教徒だけではなく、「人間なら誰でもこの五つを観察してください」と教えています。この五つの項目は、誰にとっても平等に共通している普遍的な真理です。したがって、すべての人間が観察すべきものなのです。
 では、その五つとはなんでしょうか?

○老い
「私は老いるものであり、老いという性質を乗り越えていない。このことを女性も男性も在家も出家も常に観察すべきである。」

 1番目は「Jar・・」です。 Jar・・は「老いる性質のものである」という意味で、omhiは「私は」という意味。これらを合わせて「私は老いる性質のものである」という意味になります。
 次の「jar・・」は、「老いを乗り越えていない」という意味です。atitaは「乗り越えること」、この語の前にanが付いていますから否定形になり、「乗り越えていない」となります。
 私たちは「老い」ということを乗り越えていません。生きているなら、「老い」は必ず通らなければならないものなのです。「老いる」ということは、自然法則です。「生きる」ということは「老いる」ということと同じなのです。赤ちゃんが成長するということは、老いることであり、私たちはただ言葉をかえて、「成長している」とか「すくすく育っている」などとごまかして言うだけで、真理の立場から見ますと、生まれた瞬間から老いているのです。
 この「老いることは自然法則であること」「絶対に避けられないこと」「老いを超えることはできないこと」、これらを常に観察するようにしてください。この真理を、女性も男性も在家も出家も、朝昼晩、常に頭に入れておいて観察すべきです。」(日本テーラワーダ仏教教会「常に観察すべき五つの真理」より)

言うまでもなく、仏教の教典は無数に存在する。この冊子では、あまり知られていないが分かり易い教典を紹介している。そして、我々が見つめなければいけない第一の真理は「老い」だという。

しかし、「赤ちゃんが成長するということは、老いることであり、・・・生まれた瞬間から老いているのです。」という文言は、我々シルバー族からすると面白い。
言われてみると、それは確かだ。人生は右に大きく膨らんだ放物線を描いていると思っていた。つまり、赤ん坊から20年で成長して、青年期にピークを迎え、それから60年をかけて衰えていく・・。しかしそれはY=-aX+bの、初めからただただ右下がりの直線だという。なるほど・・。そう考えると、今は単なる一里塚か・・・・。

しかし「老い」という言葉と「赤ちゃん」という言葉は、あまりピッタリ来ない。つまり何か違和感を覚える。それでは「老い」という言葉は、いつ位からだったらフィットするのだろう。
まあ40歳を過ぎてからかな・・・。不惑の年という言葉もあるので、まあこんな所だろう。

今のサラリーマン社会では、60歳定年が一般的。延長戦があっても、65歳くらいが限度。それに引き替え、高齢者が名声を博している世界もある。企業のオーナー社長も年齢に関係無く活躍しているケースが多いが、何よりも芸術の世界は高齢者が多い。音楽家や画家、文筆業もそうだ。特に指揮者は高齢者でないと大指揮者とは言われない。まあピアニストなどと違って、自分で音を出さないので、体力の老化をごまかせるのかも知れない。その点、自分で音を出す演奏家はツライ。ホロヴィッツが晩年に来日したとき、「ひびの入った骨董品」と評されたことを思い出す。引き際が難しい・・・。

0歳から老化の始まりと考えると、もうオワリ・・と思っていたこれからの“余生”が、何となく“まだまだこれから・・・”と思える。
つまり、シルバー族も“まだまだこれからがあるぞ・・・・”。確かに、急にトシを取ったワケではない。一貫した流れだ・・・。その過程の中で、またまルールによって会社という組織から離れただけ。よってそれからはそれとは別の仕組みの中で生きて行く・・・・
そうなのだ。まだまだ先はある。元気を出そうぜ! ナ~ンテ、意味もなく定年間際の自分を鼓舞するエムズくんではある。

                               NEXT→

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2011年8月 7日 (日)

「不眠~脳に効く薬には離脱現象がある」

今日は、昨日と打って変わって怖ろしい話・・・。睡眠薬などの頭に作用する薬は怖い・・という話。
雑誌「大法輪」(2011年8月号)の「医は仏道」という記事に、「不眠~脳に効く薬には離脱現象がある」という記事が載っていた。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

不眠~脳に効く薬には離脱現象がある
     浜松医科大学名誉教授 高田明和
 最近、抗うつ剤、睡眠薬、抗不安薬を止めることができないと訴える人が多くなっています。
 覚醒剤とか麻薬なら分かるのですが、抗うつ剤や抗不安薬にも禁断症状があるのでしょうか。
<離脱現象とは>
 眠れないという人はうつ状態の前兆だなどとされ、うつ病の診断にも用いられます。そこで医師は眠れない人に対して、睡眠薬とともに抗うつ剤を使うことが多くなっています。
 実は、この連載でうつ病について書いた時にはあまりくわしく述べなかったのですが、最近抗うつ剤、とくに選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI たとえばパキシルのような薬)は50%くらいの人にしか効果がなく、効果があった人の半数が1年以内に再発する(つまり全体の25%しか効かない)ということで問題になっています。
 つまり抗うつ剤が、初期に考えられていたほど効かないのです。
 パキシルやルボックスのようなSSRIといわれる薬は、脳内のセロトニンの量を増やすとされます。しかしこれを使うと頭がぼんやりして考えられなくなるので、うつや不安に苦しむ人には悩みの軽減という効果があると考えられ、行政も使用を許可しています。
 しかし、このような薬は次第に量を増す必要があるとされ、最初は10mgを2週間、ついで20mgを2週間と増やし、最後は40mgにします。患者は頭がぼんやりするので、苦しくて減らすように訴えます。
 そこで、急に減らすと激しい「離脱現象」(=禁断症状)が起こるので、今度は40mg→30mg→20mg→10mgと減らします。
 しかし結局、徐々に離脱現象が現れ、頭に強い電流が流れるようだとか手足がしびれるとか、頭に時に雷のような音がするなどと訴えます。とくに多いのは不眠、強度の不安です。
 これ以上減らせないので、患者は10年も薬を使うようになっています。
 医師は別の抗うつ剤に変えるのですが、これにも離脱現象があり、抜けられません。
<脳が変わってしまう>
 不安や不眠には抗不安薬、睡眠薬を使うのですが、これらにも離脱現象があるのです。
 不眠は脳の抑制がうまくゆかないからということは、すでに述べました。多くの場合に神経を抑制するGABAという物質が塩素イオンの通路(受容体)を刺激して、塩素イオンが通り、神経が抑制されるという仕組みになっています。
 この抑制を強めるために受容体に結合する物質、多くの場合にはベンゾジアゼピンという物質を使います。すると通路が開き、塩素イオンが多く流れ込み、抑制が働き、眠れます。
Image07281  ところが、すべての薬に当てはまるのですが、薬を使うとそれと結合する受容体が減り(これを「ダウンレギュレーション」といいます)、あまり薬が効かないようにするという仕組みを体はもっています。
 つまり、塩素イオンの通路の数が減るのです。そこで次第に薬の量を増すようになります。
 しかし、いつまでも薬を使っているのはよくないので、適当なところで薬を止めようとすると、受容体の数、塩素イオンの通路の数は増えることになっています(これを「アップレギュレーション」といいます)。
 しかし、この保証はないのです。つまり脳は変わってしまい、塩素イオンの通路の数がもとに戻らないので、ベンゾジアゼピンが駄目なら、別の睡眠薬を使うということになり
ます。
 じつは不安の場合にも不安の神経が興奮するので、これを抑制するためにベンゾジアゼピンのようなものを使います。
 ベンゾジアゼピンのうちで眠りの中枢に効くものが睡眠薬だといったらよいでしょう。
<離脱現象について十分理解を深めよう>
 とくに高齢者になると、一度減った受容体はもとに戻らないということがよくあります。
 そうなると眠れず、不安になるので常に医師に薬を処方して貰わなくてはならないということになってしまいます。
 とくに不眠につきもののうつ状態をなくすために抗うつ剤のSSRIを使うと、神経のつながりの部分であるシナプス間隙のセロトニンが増えるのですが、そのためにセロトニンの受容体が減ります。
 今度薬を止めようとすると受容体がもとに戻らないので、不安、不眠、脳の活動の異常などが起きてしまい、薬から離れられなくなるのです。
 脳に働く薬は、脳を変えようとするものです。薬を止めた後に元に戻るという保証はありません。
 抗うつ剤でも抗不安薬でも睡眠薬でも薬はなるべく使わないようにし、もし使うなら先生とこのような離脱現象について十分理解を深める議論をしてからにしていただきたいものです。」(雑誌「大法輪」2011年8月号p210より)

何とも“ドキッ”とする話ではある。睡眠薬などは薬局でも売っているし、誰でも手に入る。それが“頭を壊す”という・・・

確かに、睡眠が不足すると一日中体調が優れないことがある。一日をムダにする位なら、睡眠薬で寝た方がよっぽど良い、という論もある。
昔、会社で米・東海岸に出張したことがあった。その時の睡眠はまさにボロボロ・・・。まったく寝付かれず、明け方にウトウト・・・・。時差に弱い自分は、それ以来、海外旅行には必ず睡眠薬を持って行くことにしている。
まあこれは異常時だが、日常の睡眠薬は、注意しないといけないようだ。でも医師は「副作用を心配しているようだが、少しくらいなら全く心配ない」と言う。
結局、判断するのは自分・・・。

でも、「薬は体に良くない」ことは事実。どんな薬も、飲まないに越したことはない。結局、薬の効果とそれによる弊害を天秤に掛けて、自分で判断するしかない。

最近、ウチのカミさんの趣味は自家製モニョモニョ・・・・。酵素ジュースだとかウコンだとか(ここ)、良く分からないままに飲まされている。(たとえ“暗殺用の毒”でも飲まされてしまうのである・・・)
まあ市販の「薬」よりは良かろうと、命令に逆らえず、飲んではいるが・・・。

とにかく“直ぐには薬に頼らない”姿勢だけは必要だな・・・

(関連記事)
薬の副作用は怖い・・・

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2011年8月 6日 (土)

「いわせてもらお」~軽い話題・・・

今日は8月6日。広島の原爆投下から66年目だという。これから8月15日の終戦記念日まで、毎年恒例だが、テレビで色々な番組が放送される。今日は、NHKスペシャルで、米軍の原爆投下の動きを日本軍は事前に察知していたが、その情報が活かされなかった、と言っていた。
先の震災に始まって、未だ収束しない原発、そして今日の広島原爆の日・・・。何とも気が重いニュースが多い今年だが、そんな時にこそ、こんな軽い話はいかが??
今朝の朝日新聞に「いわせてもらお」という囲み記事があった。曰く・・

仕事
 パートで、時間外保育の保育士をしている。迎えが来ない園児に「ママ、遅いね」と声をかけたら、「私のママはお仕事が忙しいの!」。「そっか、先生も毎日忙しいからね」と話すと、「先生は暇でしょ!私たちとずっと遊んでいるじゃない!」。(兵庫県姫路市・遊んでいるワケでは……・52歳)

使い勝手
 家族で家電量販店に扇風機を買いに行った。どの機種にするか、なかなか決まらない。ふと、夫(60)と娘(24)の日頃の行動を思い出して提案した。「足の指で押しやすそうなスイッチのものがいいんじゃない」。すんなり決まりました。(愛知県豊橋市・誰もいないときは私も……・57歳)

注意
 塾に勤めていた頃のこと。筆記用具を生徒に貸すと、戻ってこないことが多かったので、「よい子のみなさん、借りた鉛筆と消しゴムは必ず返して!」と書いた紙を貼りだした。すると生徒から、「よい子は返すから、“悪い子のみなさん”と書き直したら」と突っ込まれた。(東京都葛飾区・みんな“よい子”になって・71歳)」(2011/08/06付「朝日新聞」b10より)

こんな事が話題になるのは、“幸せ”な証拠・・・
あまり重い物を背負っていると、いつか潰れてしまう。すこし重い物をおろして、気分だけでも軽くなりましょうか・・・。

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2011年8月 4日 (木)

「定年後の余生は儲けもの」

またまたまた“トシ”の話で恐縮だが・・・・(これは別に意識してトシの話をしている訳ではない、たまたま新聞で見付けるblogネタが偏ってしまっただけ・・・)
先日の日経新聞の「抗加齢を学ぶ」というコラムに「定年後の余生は儲けもの」という記事があった。曰く・・・

定年後の余生は儲けもの
 人は必ず死ぬ運命にある。長寿があたりまえになると、いろいろな身体機能が失われたのち、つらくてもひたすら生きてゆかねばならない。この苦行から逃れるために我々は死ねるようにプログラムされているのかもしれない。そのように考えれば、生きている間は精いっぱい楽しく、有意義に過ごすことが必要だ。
 この戦後60年あまりの間に30年ほど長寿になった。長寿にはなったが定年はわずかしか延長されていない。定年後のこの儲けものともいえる期間が重要だ。働いている間はなにかと束縛されているが、定年後の余生は自由で人生最高の楽しい日々なのだ。いままでの生活を反省し、リセットすることも可能だ。20年あれば一仕事できる。若い時の発想や価値観を修正し、自分に合った新しい人生を築くことができる。
 この人生最高の豊かな生活は、定年までの生活の延長でもよいし、まったく新しいものでもよい。趣味に基づくものでも新しく考案したものでもよい。急に決められないので定年前でも後でもよいが、この自由な時間に何をしようかと考えていることが必要だ。(京都府立医科大学学長 吉川敏一)」(2011/07/29付「日経新聞」夕刊P7より)

いやはや“ごもっとも”な論である。
最近、「余生」という言葉が気になる。広辞苑にはこうある。

よ‐せい【余生】  残りの人生。老後に残された人生。「静かに―を送る」

たしかに「静かに余生を送る」という言葉が一般的な使い方。でもここコラムでは、“静かに送っては勿体ない”と言っているような気がする。

実は最近、ある人のために有料老人ホームの“研究”をしている。まだ現場には行っていないが、老老介護をしている大先輩(失礼!)から体験談を聞き、実際に親を入れているホームの名前を聞いたり・・・。やはり大手に入れている例が多いようだ。
数ある有料老人ホーム、どのような基準で狙いを定めたらよいのか・・
軽費老人ホーム(ケアハウス)もあるし、有料老人ホームといっても介護付きや住宅形など・・・。ハテハテどこが良いのだろう・・・・

しかし、この余生という残された膨大な時間も、人によって使い方がまるで違ってくる。人によっては、リタイア後の“その時”を虎視眈々と狙って、“それっ!”とばかりに行動に移す御仁も居られよう。一方、運悪く病を得て、病院通いと、闘病でその貴重な時間を過ごさざるを得ない人もいる。
果たして、これらの違いはどこから来るのだろう。

人間、前向きの生き方をしていれば、病など寄ってこないのでは・・? と考えると、自分など危ないな・・・。
だいたい当サイトのコンセプトが「リタイア後、サーテどうする!?」なのだから・・・。
でも最近、このコンセプトを少し変えようかと思い出した。つまり自分の余生は、“趣味”である「“リタイア後、サーテどうする!?”を考える事」をしながら送ろうか・・・と。その趣味をあれこれ考えているうちに、自分の命も尽きるだろう・・・
でも神さまの目は、これ位ではごまかせないかな・・・???

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2011年8月 3日 (水)

「長寿には“生きがい”が大切」

またまた“トシ”の話で恐縮だが・・・・
だいぶん前だが、日経新聞の「今どき健康学」というコラムに、「長寿には『生きがい』が大切」という記事があった。良く言われている話だが・・・

長寿には「生きがい」が大切
 よく言われるように、日本の人口の高齢化は急だ。世界のどこの国も経験したことがない高齢化社会になりつつある。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2055年には75歳以上のいわゆる後期高齢者の割合が総人口の26.5%になるとされている。
 高齢化というのは単に歳をとると言うことではない。有名なサミュエル・ウルマン(19~20世紀の米国の実業家で詩人)も「人は年齢を重ねただけでは老いない。理想をなくした時に老いるのである。(人は)希望がある限り若く、失望ととともに老いる」と言っている。いつまでも若々しくあるためには、希望や理想をもつことの大切さを謳(うた)っているのだ。
 アンチ・エージングという言葉が世の中で使われるようになって久しい。米国生まれの概念で加齢による様々な肉体的な衰えを防止する老化防止、抗老化ということであり、主に美容の世界を中心に言われているようだ。
 しかし、これはよりよく年齢(とし)をとる、ということとは狙いが少し違っている。むしろ、これからの高齢化社会においてはウェル・エージングという言葉がぴったりくる気がしてならない。
 人間総合科学大学の柴田博教授によれば、ウェル・エージングのキーワードは3つある。それは長寿、QOL(生活の質)の向上、社会貢献である。
 長寿は文字通り年齢相応の幸せを享受することであリ、単なる延命を狙った「長命」ではない。また、QOLの向上は生活環境など肉体的・物質的な面だけではなく精神面も含めて日々の生活に満足感を覚えることだ。そのためには能力と意欲を生かして社会貢献をすることが必須である。いわば「生きがい」をもつことで幸せな日々を達成することが大切なのである。
 よく、年齢を重ねるとともに「円熟味を増す」と言われる。人格はもちろんだが、精神的能力など総合能力は若い時代とは格段に違うことがよくある。
 米国の心理学者エリクソンは人のライフサイクルを乳児期、幼児期初期、遊戯期、学童期、青年期、前成人期、成人期、老年期の8つに分けた。このうち老年期には英知が育つとされる。肉体的衰えはあるとはいえ、人の総合能力は生涯発達するものだ。(江戸川大学教授 中村雅美)」(2011/07/24付「日経新聞」P10より)

実に良く分かる話である。しかし“このうち老年期には英知が育つとされる。”という言葉は嬉しい・・・。

一方、これも古い記事だが先日の新聞各紙に、2010年の平均寿命の記事があった。
「女性、猛暑で寿命縮む
2010年の日本人の平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳たったことが、厚生労働省が27日に発表した同年の「簡易生命表」で分かった。09年比では女性は0.05歳縮み、男性は0.05歳延びた。女性は5年ぶりに縮み、男性は5年連続で過去最高を更新。女性の平均寿命短縮について同省は「猛暑により熱中症や心疾患などで死亡する人が増えたことが一因」とみている。
・・・・
・・女性は26年連続で世界1位。香港、フランス、スペインが続く。男性は香港、スイス、イスラエルに次いで4位たった。
 がん、心臓病、脳卒中の「三大死因」によって将来死亡する確率は女性50.88%、男性53.97%。3死因がすべて克服されたと仮定した場合、平均寿命は女性は93.17歳、男性は87.45歳になると試算された。65歳以上の期開か一生に占める割合は女性が25.9%で、男性が20.6%。・・・」(2011/07/28付「日経新聞」P42より)

やはりここで肝要なのは、先の記事の「長寿は文字通り年齢相応の幸せを享受することであリ、単なる延命を狙った「長命」ではない。」ということ。
自営業で多い“いつまでも現役で働いている人”、それに対して“ベッドの上で胃ろう(ここ)で生き長らえている人”・・・

このトシになって悟ったこと・・・。「老年期に英知が育つ」ために必須な条件は、“元気(健康)な夫婦”。この条件が少しでも崩れたとき、その家庭には暗雲が立ちこめ、文字通りの“不幸”が訪れる。
とは言っても、寿命は天から授かったもの・・・。これだけは逃げられない運命・・・、という捉え方もある。
結局、「その時」が来るまで、夫婦で生き生きと暮らす・・・。それ以外には無いようだ。毎日、“生きがいを持って生き生き”と暮らしていれば、たぶん“赤紙”が落ちてくる日も遠退くだろう。

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2011年8月 2日 (火)

香西かおりの「あゝ人恋し」

今日は、久しぶりで良い音で歌を聞いてみたくなった。それで、香西かおりの「あゝ人恋し」を聞いてみる。
何度も書いているが、自分は良い音で歌謡曲を聞くのが趣味。この「あゝ人恋し」も録音が素晴らしい。

<香西かおりの「あゝ人恋し」>

「あゝ人恋し」
  作詞:市川睦月
  作曲:玉置浩二

こんな夕暮れは いつも思い出す
さざんかの咲く道で
独りで遊んだあの頃を
赤い夕日の 鏡の中に
こぼれて落ちる 月日の破片
誰かいて欲しい 背中抱いて欲しい
人はなぜ生まれ どこへ流れるの
こんな夕暮れ あゝ人恋し

こんな夜更けには 振り返ってしまう
足音を引きずって
あいつが帰ってくるようで
外は木枯らし 暗い夜空に
にじんで消えた 男と女
誰かいて欲しい 夢をわけて欲しい
人はめぐり逢い いつか別れても
こんな夜更けは あゝ人恋し

誰かいて欲しい 背中抱いて欲しい
人はなぜ生まれ どこへ流れるの
こんな夕暮れ あゝ人恋し
人はなぜ生まれ どこへ流れるの
こんな夕暮れ あゝ人恋し

この歌は、1993年3月17日に発売された「無言坂」のいわゆるB面に収録されていた。「無言坂」はこの年(1993年)の第35回日本レコード大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦でも計5回歌われたという。でもこの“B面”はあまり目立たない。しかし、自分は好き・・・

110802kouzai 何よりも、香西かおりの歌は、あまり演歌っぽくない。「流恋草(1991年3月)」「花挽歌(1992年7月)」「無言坂(1993年3月)」「ごむたいな(1995年8月)」と、どれも新鮮な歌の世界を聞かせてくれた。でももう20年近く前になる。

歌謡曲は、編曲で大きく“変身”する。ついでに「すき(1997年2月)」のB面に収録されていた、同じ「あゝ人恋し」のアコースティック・バージョンを聞いてみよう。同じ川村栄二による編曲である。同じ楽曲、同じ編曲者でも、歯切れ良いドラムスが無くなり、こう変身する・・

<香西かおりの「あゝ人恋し(アコースティックVer)」>

最近は、こんな“自分にピッタリ”くる歌が少ない。でも香西かおりのこれら初期の歌は、いつまで経っても素晴らしい録音で、自分にとって“宝”である。

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2011年8月 1日 (月)

「不眠と刺激~目が覚めても時計は見ない」

先日の日経新聞の「こころの健康学」に不眠の話が・・・

不眠と刺激~目が覚めても時計は見ない
 その人は「時計と格闘する」と表現していたが、まさにその通りだった。夜中に目が覚める。時計を見るとまだ夜中の3時だ。「また、こんな時間に目が覚めてしまった」と焦り、布団の中で目を閉じてじっとしている。ずいぶん時間がたったように感じて、目を開けて時計を見てみる。まだ15分しかたっていない。
 それを延々と繰り返しているうちに、だんだんと外が明るくなってくる。また今日も眠られなかったという後悔にも似た思いでいっぱいになり、気持ちは暗くなる。体の重さを感じながら布団の中でぼんやりとしたまま、時間だけが過ぎていく。不眠を訴える人からよく聞く話だ。問題は、ゆっくり眠るためには刺激を少なくした方がよいという原則とまったく逆の対応をしていることにある。
 例えば、時計だ。私がよく患者さんに話すことだが、時計を見ても見なくても、3時は3時だ。時計を見てしまうと、それが刺激になって目がさえてきてしまう。布団の中で「寝ないと」と考えることも刺激になる。眠れていないことが気になるし、その結果良くないことが起きるのではないかと考えることにもなる。これもこころの中の刺激だ。
 目が覚めても時計は見ない。なかなか寝つけないようだったら起き上がって、ゆっくりとした時間を過ごしてみる。不眠に悩んでいるときに、刺激という視点から自分の行動を振り返ってみると、新しい対応策が見えてくる。 (国立精神・神経医療研究センター 大野 裕)」((2011/07/22付「日経新聞」夕刊P7より)

前に何度か書いたが、自分もトシと共に夜中に目が覚める事が多くなってきている。これは老化現象の一つらしく、同じ年代の同僚からも同じ話をよく聞く。
この話も良く分かる。自分も前から、目が覚めたときは、なるべく目を明けない方がよい。ということには気付いていて、今は“声で知らせる時計”を使っている(ここ)。
でも、要は「時を気にするな」ということなので、この論とは噛み合っていない。

定年を過ぎると、老化現象が多くなってくる。前にこんな言葉を紹介した。
「少々のことでは、病医院に行かない。中年以降の不調は、大方は老化現象で、つける薬はない。そうだとすれば、医者に診てもらう必要もない。」(ここ
・・とすると、それに対応する手段は無い。どう折り合いを付けていくか・・・。それだけ・・。

前に義姉が亡くなった時の記事でも書いたが(ここ)自分の衰えていく肉体をどう捉えるか・・。そっちの話かも知れない。
自分の肉体を、もう一つの自分として捉え、それを冷静に見詰めることが出来れば、自分の不眠も客観的に見詰めて評価することができ、乗り越えるきっかけになるかも・・・
すべてが「拘る」ことから来ていることは、頭では分かっているのだが、我々凡夫にとってはなかなかやっかいなテーマである・・・

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