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2011年8月 8日 (月)

「常に観察すべき五つの真理」(1/6)~「老い」

先日、あるお寺で「常に観察すべき五つの真理」という冊子が無料で配られていたので貰ってきた。日本テーラワーダ仏教教会という所から出たプレゼント用の冊子。単純な内容だが、真理・・・。最初の項を、何度かに分けて読んでみよう。(写真はクリックで拡大)

常に観察すべき五つの真理
     アルボムッレ・スマナサーラ長老
 今回ご紹介する経典の名前は「Abhi・・・」です。長いタイトルになっていますが、おそらく、どんな人にも意味が分かるようにと意図的に長くした可能性もあります。
Image07332  タイトルを少し分析してみますと、まずabhi・・というのは「常に、いつでも」という意味で、pacc・・は「観察すべき、考慮すべき、思い浮かべるべき」という意味です。人間には、頭の中でいろいろなことを思い浮かべたり考えたり妄想して楽しみたい、というところがあります。でも、仏教ではそれは認めません。なんでもかんでも好き勝手に思い浮かべることはよくない、と教えています。そして、好き勝手に妄想するかわりに、思い浮かべるべき項目を設定し、それらを繰り返し思い出して頭の中で常に回転させるように、と教えているのです。
 次の語tha・・は、この経典では「項目」や「箇条」という意味で使われています。sutt・・は「経典」です。
 これらの語を合わせて、全体の意味としては「常に観察すべき項目の経典」となります。いわゆる、朝も昼も晩もいつでも思い浮かべるべき項目がこの経典で述べられているのです。文字どおりそのままの意味ですから、意味が分からないということはないでしょう。このように、誰にでも理解できるようにわざとタイトルを分かりやすくしてあるのです。

人生のモットー
 「朝も昼も晩も常に考えておくべきこと」とはいったい何でしょうか?
 私たちは毎日ごく普通に生活しています。普通に生活していますが、生きる上では何か「モットー」というものが必要です。モットーというのは、日常生活での思考パターンといいますか、私はこの路線で頑張っている、というような生きる指針のことです。
 そこで「人間はどのような路線で生きるべきか」という問いにたいする答えが、この経典にあるのです。ですからこれはとても重要な経典です。なぜなら「人間はどのように生きるべきか」「どんな道を歩くべきか」ということを教えているのだから、ほんのちょっとの大切どころではないのです。
 ところで、この「Abhi・・・」というタイトルの経典は他にもいくつかありまして、今回とりあげる経典では、観察すべき対象として五つの項目を教えていますが、他に、三つの項目の経典もありますし、四つの項目の経典もありますし、十の項目の経典もあります。たとえば十の項目の経典は出家者のための経典になっていまして、「出家者が常に観察すべき」と記されています。
 では、この経典はどうかといいますと、次のように記されています。

「女性であろうが、男性であろうが、在家者であろうが、出家者であろうが、この五つの項目を常に観察すべきである。」

 対象者は特別に限定していません。出家者だけとか仏教徒だけではなく、「人間なら誰でもこの五つを観察してください」と教えています。この五つの項目は、誰にとっても平等に共通している普遍的な真理です。したがって、すべての人間が観察すべきものなのです。
 では、その五つとはなんでしょうか?

○老い
「私は老いるものであり、老いという性質を乗り越えていない。このことを女性も男性も在家も出家も常に観察すべきである。」

 1番目は「Jar・・」です。 Jar・・は「老いる性質のものである」という意味で、omhiは「私は」という意味。これらを合わせて「私は老いる性質のものである」という意味になります。
 次の「jar・・」は、「老いを乗り越えていない」という意味です。atitaは「乗り越えること」、この語の前にanが付いていますから否定形になり、「乗り越えていない」となります。
 私たちは「老い」ということを乗り越えていません。生きているなら、「老い」は必ず通らなければならないものなのです。「老いる」ということは、自然法則です。「生きる」ということは「老いる」ということと同じなのです。赤ちゃんが成長するということは、老いることであり、私たちはただ言葉をかえて、「成長している」とか「すくすく育っている」などとごまかして言うだけで、真理の立場から見ますと、生まれた瞬間から老いているのです。
 この「老いることは自然法則であること」「絶対に避けられないこと」「老いを超えることはできないこと」、これらを常に観察するようにしてください。この真理を、女性も男性も在家も出家も、朝昼晩、常に頭に入れておいて観察すべきです。」(日本テーラワーダ仏教教会「常に観察すべき五つの真理」より)

言うまでもなく、仏教の教典は無数に存在する。この冊子では、あまり知られていないが分かり易い教典を紹介している。そして、我々が見つめなければいけない第一の真理は「老い」だという。

しかし、「赤ちゃんが成長するということは、老いることであり、・・・生まれた瞬間から老いているのです。」という文言は、我々シルバー族からすると面白い。
言われてみると、それは確かだ。人生は右に大きく膨らんだ放物線を描いていると思っていた。つまり、赤ん坊から20年で成長して、青年期にピークを迎え、それから60年をかけて衰えていく・・。しかしそれはY=-aX+bの、初めからただただ右下がりの直線だという。なるほど・・。そう考えると、今は単なる一里塚か・・・・。

しかし「老い」という言葉と「赤ちゃん」という言葉は、あまりピッタリ来ない。つまり何か違和感を覚える。それでは「老い」という言葉は、いつ位からだったらフィットするのだろう。
まあ40歳を過ぎてからかな・・・。不惑の年という言葉もあるので、まあこんな所だろう。

今のサラリーマン社会では、60歳定年が一般的。延長戦があっても、65歳くらいが限度。それに引き替え、高齢者が名声を博している世界もある。企業のオーナー社長も年齢に関係無く活躍しているケースが多いが、何よりも芸術の世界は高齢者が多い。音楽家や画家、文筆業もそうだ。特に指揮者は高齢者でないと大指揮者とは言われない。まあピアニストなどと違って、自分で音を出さないので、体力の老化をごまかせるのかも知れない。その点、自分で音を出す演奏家はツライ。ホロヴィッツが晩年に来日したとき、「ひびの入った骨董品」と評されたことを思い出す。引き際が難しい・・・。

0歳から老化の始まりと考えると、もうオワリ・・と思っていたこれからの“余生”が、何となく“まだまだこれから・・・”と思える。
つまり、シルバー族も“まだまだこれからがあるぞ・・・・”。確かに、急にトシを取ったワケではない。一貫した流れだ・・・。その過程の中で、またまルールによって会社という組織から離れただけ。よってそれからはそれとは別の仕組みの中で生きて行く・・・・
そうなのだ。まだまだ先はある。元気を出そうぜ! ナ~ンテ、意味もなく定年間際の自分を鼓舞するエムズくんではある。

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コメント

定年を迎える3年前、私の勤務していた会社は、恒例の合宿セミナーを開催した。定年後の人生をどうするか、経済面を含めて2日間を使わせてくれた。それから10数年が過ぎて、今でも記憶に残っている事柄は、定年後自由にできる時間が平均して10万時間はあるということであった。計算式は60から80歳まで生きるとして、一日16時間使えるとして
16×365×20=116800(時間)。でも私は定年後既に6年間を過した。
16×365×6=35040(時間)がすぎていったのである。まあこれから先、又20年を生きると想定して10万時間あると思う事にする。

【エムズの片割れより】
確かに、現役時代に自由になる時間と、定年後のに自由になる時間。挽回は必ず出来ますよね。
でも、忙しいからといって出来ない事が、ヒマになったら出来るかというと、同じく出来ないような気がします。
ともあれ、自由になる絶対時間をどう遣うか・・・。面白い発想です。

投稿: 金子 次郎 | 2011年8月 9日 (火) 13:20

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