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2011年7月 4日 (月)

兄嫁の見事な死にざま・・・・

今朝、6時16分、兄嫁が亡くなった。66歳だった。兄嫁は今年の正月明け、末期の胃がんが見つかり、抗ガン剤の治療も芳しくなく、半年で逝った。明日(2011/07/05)は通夜、明後日は告別式だ。

この兄嫁の死への道のりがどうしても理解できない。でも今日、兄嫁の弟さんと話をして、少し分かったような・・・。これは自分の人生観、死生観に大きく影響を与えるかも・・・
110704michi 兄嫁は、医師から末期癌で治る見込みがないことを、発見後直ぐに告知された。その場に居た弟の話によると、告知されてもまったく動じなかったという。冷静に話を聞いていたという。そして心配したことは、残される兄貴のことだけ・・・
その後の抗ガン剤治療も副作用がほとんどなく、良かった・・・と思っていたが、効かなかった・・。そして緩和医療に徹することになった。その治療の過程で、ひと言も「死」という言葉が出ず、死への恐怖の話も全く出なかった。淡々と、そして飄々と・・・・。そしてそのまま逝ってしまった。この死への道程は、どう理解したら良いのか・・・

同じマンションに住んでいる兄嫁の知人が、毎日散歩の帰りに見舞ってくれた。それを本人は非常に楽しみにしており、家族はありがたかった。しかしその知人も、「死の話などが一切出なかったので、見舞いに行けた。もしそんな話をされたら、怖くてとても見舞いに行けなかった」と言っていた。
ちょうど1ヶ月前、「余命は、持って1ヶ月」と家族に主治医から告知された。主治医が言う。「どうも本人が死を意識していない。“胃がムカムカするんです・・”と直ぐに治るようなことを言う。自分がどんな状況にあるのか、言っても分からない。だから家族から本人に現在の自分の状況を分からせて下さい。そして残された時間を有意義に使って下さい」。
自分は「死を避けているにせよ、頭から外そうとしているにせよ、そのまま逝かせる方法もあるのでは?なぜそこまで“死”をのど元に突き付けるのか・・」と主治医に聞きたかった。でも止めた。
その後、本人は「そんなことは分かっている」と言ったとか・・・。
死に際して、会いたい人も言わなければ、死ぬ前にこれだかはやっておきたい・・という話もなく、最後まで淡々と逝ってしまった・・・
結果として、主治医は分からなかったのだ。死を前に、誰でもオロオロして落ち込むのが普通。それなのに、死を平然と受け止めている兄嫁の姿が主治医には理解できなかったのだろう。兄嫁は、生前からまさに悟りを開いた仏だったのかも・・・・

そして昨日、昼頃までベッドに腰掛けていたのに、その後「血圧が60に下がったので個室に移します」と看護士さんから連絡が来たのが午後3時頃。その話を聞いて、胸騒ぎを覚えて駆けつけた弟さんの話によると、昨夜、痰が詰まって、息をする苦しい音が個室の外まで聞こえたという。酸素マスクも苦しくて自分で外し、苦しんでいたという。でも弟さんが1時間ほど居て、帰ろうとすると、声が聞こえ、ベッドに戻ると「ありがとう」と言ったという。結局、それが最期の言葉となった。病状が悪くなってから亡くなるまで、ほんの半日だった。これは苦しみの時間が少なかったことを思うと、良かった。これも悟りの結果・・?

今日、会ったその弟さんに「兄嫁の最期が理解できない。なぜそんなに淡々と逝けるのか?死は怖くないのか?」と聞いてみた。すると「それは深い諦め。諦観では? 姉は既に死を超越してしまって、開放される、という明るい状況だったのではないか? 死も怖くない。開放されるから・・・。自分の肉体に執着すると、死は怖い。体が少しでも痛むと怖い。でも自分は肉体の自分の他に、魂の自分もいる。肉体の自分に執着しなければ、例え病気でも苦しまないし、痛くもない。自分は姉のことが理解できる。」と言われてしまった・・・・・。「そんな風に死を迎えられる人は少ないのでは?」と聞くと、「確かに少ないでしょうね・・」とも。

死へのスタンス、心の持ちようで、人間はこれほどの違いが出るのか・・・。兄嫁の今回の死への道程。これを見つめると、自分も何だか死が怖くない気がして来る・・・。
兄嫁は何の宗教も信じていない普通の人。自分の死を知ってからも、宗教に走ることもなかった。そんな普通の人でも、まるで仏さまのような考え方を持っていたことを、亡くなってから知った。
この事は、自分の死生観に重大な影響を与える。兄嫁の冥福を祈ると共に、明日からの通夜、葬儀を通して、兄嫁の生き方、死に方について、じっくりと見つめてみたい。そしてこの境地に自分も行けるかどうか、考えてみたい。


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コメント

私もエムズの片割れさんと同世代で、ブログを呼んでいると人生経験も似たような点が多いようなと感じたり、それでいて「俺は違う」と思ったり・・・。
死に向かって、このような生き方もあるのですね。 ありきたりですが、心からご冥福をお祈りいたします。

【エムズの片割れより】
“怖い”死に対して、このような死に方があるのだと、少なくても自分には“目から鱗”になったようです。

投稿: 一市民 | 2011年7月 5日 (火) 10:05

私も叔父の死に際して同じような経験をしました。

叔父の主治医は、余命宣告という深刻な話をしているのに、それが伝わっていないように感じる、と言いました。

もうリハビリしても仕方ないのに、そういう意味のことを説明したのに、リハビリのことを聞かれたりする、と言いました。

叔父は生涯独身でした。(私もそうなると思います)
それで、実家である我が家に帰って来ました。

余命を宣告されているのに、日々、淡々としていました。リハビリも続けていたようです。

今にしてみると、死を覚悟して諦めたけど、でも、死ぬということを、死というものを考えないようにしていたのではないか、と思えます。

それは重大な危機に突然直面したことによる脳の自己防衛反応の一種かもしれない、とも思いました。

癌で死んで行く叔父を見て、いつかは自分もこうなる、こうして死んで行く、という見本を見せ付けられた気がしています。

最後の晩は、叔父の病室に私が泊まりました。

血圧が下がったから来てほしいと病院から連絡があって駆け付けたときには、まだ意識がありましたが、夜には意識がなくなり、翌朝逝きました。

そのとき、看護師さんから、まだ本人は聞こえてますから何か声を掛けてあげて下さいと言われましたが、声が出ませんでした。

その晩に、意識のない叔父に、向こうで私の父(叔父の兄)や叔父の両親に会えるね、と声を掛けていました。

仏教的には、生まれ変わるから、あの世で会う、ということはないのでしょうね。

【エムズの片割れより】
何とも自分と同じような体験ですね。なるほど自己防衛かも・・・。
自分の場合は、はたぶん泣き叫ぶであろうから、そんな死に方は羨ましいです。

投稿: たかはし | 2011年11月 5日 (土) 18:26

一昨日実母が逝きました。生き様、死に様などの言葉が頭の中を駆け巡っていて、何故かネット検索してしまいこちらに来ました。母は治りたがっていたしそれを信じていたので兄嫁さまとはちょっと違うのですが、こちらを読んで頭の中の整理が少しできました。ありがとうございます

【エムズの片割れより】
それはご愁傷様です。
誰も一度は経験するはずの死。でもそれとは無関係、と装って生きている自分。受け入れはなかなか難しいです。

投稿: いーたん | 2013年5月29日 (水) 07:21

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