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2011年7月の24件の記事

2011年7月31日 (日)

DOCOMOのテレビCM「森の木琴」が素晴らしい

そろそろ夕飯か・・と7時前に居間に降りていったら、テレビでTBSの「夢の扉+」という番組がついていた。何気なく見ていたら、CMが始まった。森の中に「綱」?・・・と、それは長大な木琴だった。
木製のボールがその木琴を段々と降りて行く。奏でられるメロディーはバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」。画面を見詰めていると、画面に鹿が出て来た。するとメイ子(愛犬)がいつものようにテレビに駆け寄って吠える。つい「ウルサイ!」とそれを制する。
最後の木のボールが携帯電話の隣に止まる!!思わず拍手したしまった。

このCMはスゴイ。録画していなかったので、NetでDOCOMOのサイトを見たら、このCMは「TOUCH WOOD SH-08C」の「森の木琴」というCMだそうで、やはり載っていた。そしてつい何度も見てしまった。Youtubeにも載っていた。先ずは鑑賞してみよう・・・

なお、DOCOMOのサイトは(ここ)、Youtubeは(ここ)。

Netで色々と調べてみると、このCMは「第58回「カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル」で「フィルム・クラフト部門 金賞」「フィルム部門 銀賞」「サイバー部門 金賞」を受賞した作品らしい(ここ)。なるほど、さすがだ・・・

さらに(ここ)の「300万回再生ドコモ「森の木琴」CM 国内外で「美しい」と絶賛の嵐」という記事によると、この作品は(2011年)3月から評判になっていたらしい。(現在は600万回の再生)自分が今頃発見したのが遅い!?
「装置は全長44メートルで、使われた鍵盤は413鍵。撮影は九州・福岡県嘉麻市の古処山で4日間かけて行われ、スタッフは森の中で1週間キャンプをしながら木琴を作り上げたという。」

短時間のCMだからとバカにしてはいけない。こんな秀作もあるのだ・・・。何より“品”がある。DOCOMOが言いたい“woodの温もり”も伝わってくる。

CMの世界はピンからキリまで。最初に気になったCMは1980年のフジカラーの、岸本加世子と樹木希林の「それなりに・・・」だったっけ(ここ)。
その当時はシンプルな内容だったが、この「森の木琴」の作品は、DOCOMOのサイト(ここ)によると、大変なスタッフが関わっている。まさにCMといえども“作品”。

ほとんどが録画の番組を見る自分。だから再生時にスキップして、見たことがないCM・・。中にはこのような感心するCMもあるようだ。これからはCMも作品として、見てみようかな・・・・

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2011年7月30日 (土)

「“老いる”素晴らしさはある?」

朝日新聞の土曜日の付録版に「悩みのるつぼ」という人生相談がある。だいぶん前の記事だが、これが面白かった。曰く・・

「“老いる”素晴らしさはある?
    女子高校生 16歳
 私は16歳です。
 いきなりですが、私は「老い」が怖いです。誕生日が来るのが怖いです。16歳の小娘が何をふざけたことを、とお思いになるかもしれません。でも、私は本当に悩んでいるのです。
 高校生になって、はたと考えました。高校を卒業したら大学に行って、大学を卒業したら社会入として働き、クラス替えも卒業式も入学式もない、変わらない環境で一生のうちの半分以上をすごすのだろうか、と。
 よく見ると、久しぶりに会った祖父や祖母、両親や近所の人たちも老いているではないですか。自分もそうなると考えると、長生きするより早く死にたいとまで考えてしまいます。
 年を取ると兄妹は結婚し、家庭を持ち、私のことなど忘れてしまいます。そして、そのままこの世からいなくなってしまい、私はひとりぼっちになってしまうのではないでしょうか。
 結婚すると言ってもしょせんは他人です。うまく行くわけがないような気がするのです。かといって孤独死は嫌です。
 ある時、ご年配の方が「暇つぶし」といっていましたが、いつまでの暇つぶしなのだろう、と真剣に考えてしまいました。老いて、体がいうことをきかなくなり、お金も使う楽しみがなくなり……。こんなことばかり考えていると、悲しくなってくるので、どうか「老いる」ことの素晴らしさを教えて下さい。

「思い出すこと」が楽しくなります
    作家 車谷長吉
 上田正昭氏(京都大学名誉教授・古代史)が好んで使った言葉に、中国の「先憂後楽」という語があります。若い間に苦労をすれば、老後になると楽な日々がある、と意訳して使われました。
 あなたさまはまだ若いのですから、日々、より苦しい道を選んで生きていくのがいい、と私は思います。少なくとも私はそうしてきました。
 ところが今は、楽になりすぎてかえって困っている老人たちも多いのです。つまり「暇つぶし」に困っているのです。私の場合は新聞を丁寧に読んだり、気に入った本を暗記するまで読んだりしています。別にそれが楽しいわけではありませんが。
 辞書を丁寧に読んだりもします。大部分は忘れてしまいますが、自分のよく知っている言葉に、意外な意味が含まれているのに驚くことがあります。仏教語では「愛」には「欠乏」という意味が含まれています。また写経をしたりすることもあります。そうすると、心が静まります。
 お金を使う楽しみがなくなれば、残ったお金は自分より困っている人のために使えばいいのです。私は結婚をしていますが、子はありません。嫁はんとおしゃべりを楽しむのが、ただ一つの楽しみです。私の弟は結婚せず、一人で自分より困っている人たちのために働いています。それが楽しみであるようです。下の妹は結婚していて、子育てを楽しんでおります。
 冷酷なことを申せば、人の一生は生まれてきた瞬間から、死へ向かっての行進です。私は若いころからそう思ってきました。別に早く死にたいなどと考える必要はありません。
 時の流れを止める方法はありません。とにかく自分から買ってでも苦労をすることが、何より大事です。それが後になって自分への肥やしになるからです。若いうちはいろいろ経験をされるのがいいでしょう。
 若いころに出会った人のことを思い出したりするのも年を取ってからの楽しみになります。特に初恋の女性のことなど。「老いる」ことの最大の楽しみは、それです。
 田舎の中学生だったころに簿記のつけ方を教えていただいた女性の先生から1年に1、2度、お電話をいただくことがありますが、それが待ち遠しいような気持ちになったり、長野市まで会いに行ったりもします。すると、先生も喜んでくださるのです。去年の秋も、そういう経験をしました。」(2011/07/16付「朝日新聞」b10ページより)

この“やりとり”をどう読みますか?・・・
この“少女の悩み”は、何とも初々しく、実に言い当てている。そうなんです。「クラス替えも卒業式も入学式もない、変わらない環境で一生のうちの半分以上をすごす」のです。
クラス替えもないため、いくらトシを取っても(昔の会社仲間での同窓会をやっても)、級長(時の上司)はいつまでも級長です。逆に、元の部下から見ると、自分はいつまで経っても班長(?)なのです。
確かに自分も、そんな「変わらない環境で一生のうちの半分以上をすごして」きたのです。

でも激変する環境に比べると、居心地が良かったのも事実。リストラされて会社を転々・・というのもツライので・・・

でも、こう真っ正面から指摘されてみると、なぜか“言い訳”の言葉が頭に浮んでしまう。でもこれからのいわゆる“余生”。この女子高校生から「暇つぶし」と指摘されないような、そんな生活をしないといけないな・・・。クワバラクワバラ・・・・

●メモ:カウント~205万

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2011年7月28日 (木)

「有り難い」という言葉・・・・

最近、トシのせいか「有り難い」という言葉が頭に良く浮かぶ。そして、改めてこの言葉を噛みしめている。

「広辞苑」にはこうある。
あり‐がた・い【有り難い】
①存在が稀である。なかなかありそうもない。珍しい。万葉集17「これを除おきてまたは―・し」
②生存しにくい。生きがたい。源氏物語東屋「世の中は―・くむつかしげなるものかな」
③(世にも珍しいほど)すぐれている。立派である。宇津保物語吹上上「いと―・き君と聞きたてまつるぞ」
④またとなく尊い。もったいない。恐れ多い。伽、七草草子「帝釈天王は天降り給ひ、…汝が親を若くなさんとて薬を与へ給ふぞ―・き」。「―・い教え」
⑤(人の親切や好意などに対し)感謝したい気持である。身にしみてうれしい。梅暦「思ひがけない御隠居さまの―・いおぼしめし」。「君の心づかいが―・い」「―・く頂戴する」
⑥本当に恵まれていて、うれしい。「―・いことに雨は降らなかった」

前に「「ありがとう」の仏教思想(1/6)」(ここ)という記事で、「ありがとう」という言葉について書いた。
仏教的には、「有る」ことが「難しい」こと、つまり広辞苑で言う①「存在が稀である」こと。しかし日常的には⑤「感謝したい気持である」の気持ちで使うことが多い。

「感謝」という目線で一日の出来事を思い浮かべてみると、朝、目が覚めて、いつものように活動できることが有り難い。朝食をキチンと食べられて有り難い。愛犬が元気にウンチをしている事が有り難い。新聞をゆっくりと読めること(世間の動きに目が行って、載っている事件の、悲劇の当事者でないこと)が有り難い。テレビドラマの世界にのめり込んで、ドキドキハラハラとそれを楽しめることが有り難い。通勤電車が遅れもせずに定刻通り動いていることが有り難い。会社がまだ存在している事(失礼!)が有り難い。毎晩10時になるとカミさんと和室に集合して、ほんの20分の坐禅が出来ることが有り難い。夜、いつものように、何事もなく自分のベッドで寝られることが有り難い。・・・等々、考えようによっては、日常生活のありとあらゆる事が、“有り難い”対象になるのではないか?

一方、いつも口を尖(とが)らせて、文句ばかり言う人もいる。これらは、単に姿勢の問題。物事をどう捉えるかの・・・。
前にこんな記事を書いた。
「・・・高速道路を運転させていた九州に赴任している息子が、高速を降りて料金所で金を払うときに「ありがとうございました」と言っている。反射的に「エライな~」と言ったら、「挨拶するのは当たり前だろう」と叱られてしまった。関東では皆“無言”と思ったが、九州では挨拶するのが普通らしい。」(ここより)
同じような話で、先日も新聞の投稿欄にこんな記事があった。“スーパーのレジで、お金を払う客が、ほとんど無言。中にはイヤホンで耳をふさいでいる人もいる。スーパーのレジを打つ人も人間。「ありがとうございました」と言われたら、客も“それが当然”という態度ではなく、何か言葉を返したいもの・・・”という内容。
バスを降りる時も同じ。ありがとうございました、と言って降りる人もいるが、自分は始終無言だ。

結局、原点がどこか・・という話。やってもらう事が「当たり前」と思うと、ありがとうという言葉は出て来ない。しかし、自分の期待以上にして貰うと、自然に“ありがとう”が出てくるもの・・・。
(いつもカミさんと感心しているのが、日本のスーパーのレジさんの丁寧さ・・・。商品を扱うことが、実に丁寧で、挨拶も行き届いている。わざわざ一つひとつをポリ袋に詰めてくれたり・・・。そこまで丁寧にすることはないのに・・と思う)

おっと話がずれてきた。「有り難い」だっけ。
自分も段々と人間が枯れてきたせいか、感謝する気持ちが芽生えてきたようだ。しかし感謝の言葉を発する事は少ない。今日の帰りのバスを降りる時も、やはり自分は無言だった・・・。“感謝の気持ちを口に出す・・・”。それが出来るかどうかが、今後の課題かもね・・・

何?今までで一番「有り難かった」こと?
ウーン。前に、(寝ていてお腹を冷やしたせいか)電車でトイレに行きたくなったとき、慌てて駅のトイレに駆け込んだときに運良く“個室が空いていた!”。この時は「有り難かった」。ホントウに・・・。用が済んだ後に、トイレの便座に向かって「ありがとうございました!」と最敬礼したのは言うまでもない・・・。

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2011年7月27日 (水)

2010年のシェア(市場占有率)(3/3)~世界シェア

先日の日経産業新聞に、毎年恒例の2010年のシェア(市場占有率)の記事が載っていた。続いて世界シェアを見ていこう。(出典:2011/7/25「日経産業新聞」P18~P21)

<世界シェア>~単位:%、( )は対前年比%
・自動車 ①トヨタ11.2(-0.6) ②GM (米)10.9(-0.2) ③フォルクスワ-ゲン(独)9.6(-0.3) ④ルノー日産(仏日)9.0(0.3) ⑤現代(韓)8.1(0.1)
・薄型テレビ ①サムスン(韓)22.3(-1.1) ②LG電子(韓)18.5(1.1)ソニ-12.4(0.0) ④Pana8.4(-0.1) ⑤シャ-プ7.4(1.1)
・パソコン ①HP(米)18.5(-1.2) ②デル(米)12.5(-0.1) ③エイサー(台)12.4(-0.2) ④レノボ゙(中)9.8(1.6) ⑤東芝5.5(0.3)
・サーバー ①IBM(米)31.3(-1.0) ②HP(米)31.3(1.8) ③デル(米)14.3(2.4) ④オラクル(米)6.7(-2.0) ⑤富士通4.5(-0.5)
・HDD
ウェスタン(米)31.3(1.6)シーゲイト(米)30.0(-1.5) ③日立ストレージ17.5(1.2) ④東芝10.9(-2.5) ⑤サムスン(韓)10.3(1.1)
・DRAM ①サムスン(韓)37.4(3.8) ②ハイニックス(韓)21.4(-0.2) ③エルピーダ16.2(-1.2) ④マイクロン(米)12.6(-0.8) ⑤南亜科技(台)4.3(-1.1)
・NAND型フラッシュメモリー ①サムスン(韓)38.6(2.0) ②東芝33.9(2.0) ③
マイクロン(米)11.7(3.2)ハイニックス(韓)9.9(0.0) ⑤インテル(米)5.7(-0.8)
・インクジェットプリンタ- ①HP(米)48.0(2.2) ②キャノン21.6(-1.1) ③エプソン19.7(0.6) ④ブラザ-工業4.5(-0.4) ⑤レックスマ-ク(米)3.1(-1.4)
・クレジットカ-ド ①VISA (米)61.8(0.8) ②マスタ-(米)27.1(-0.9) ③アメリカンエキスプレス(米)9.3(0.0) ④JCB 1.5(0.2)⑤ダイナ-スクラブ(米)0.3(-0.1)
・デジカメ ①キャノン20.0(-0.9) ②ソニ-18.7(0.2) ③ニコン14.5(0.5) ④サムスン(韓)11.4(-0.2) ⑤Pana8.8(-1.3)
・ビデオカメラ ①ソニ-42.7(2.7) ②
Pana 16.9(-0.2)ビクタ-13.9(-5.2) ④キャノン13.0(2.0)
・携帯電話端末 ①ノキア(フィンランド)32.6(-5.7) ②サムスン電子(韓)20.2(0.1) ③LG電子(韓)8.4(-2.1) ④ZTE(中)3.6(-) ⑤リサーチ・イン・モーション(加)3.5(-)
・CT ①GE(米)32.0(0.0) ②シ-メンス(独)26.5(0.5) ③東芝メディカル25.0(0.5) ④フィリップス(蘭)15.0 (0.0) ⑤日立メディコ1.0(-1.4)
・MRI ①シ-メンス(独) 33.0(2.0) ②GE(米)32.0(2.0) ③フィリップス(蘭)21.0(1.0) ④東芝メディカル10.0(1.0) ⑤日立メディコ3.0(0.0)
(出典:2011/7/25「日経産業新聞」P18~P21)

世界シェア32品目の内、日本勢がトップになったのは10品目。自動車は、10年初めのリコールの影響でトヨタがシェアを落とした。携帯電話端末では、トップのノキアが「アンドロイド」搭載機に押されてシェアを落とした。

*このオリジナルの新聞記事のPDFは(ここ=3MB)。

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2011年7月26日 (火)

2010年のシェア(市場占有率)(2/3)~自動車/住建/生活・食品・医療/サ-ビス/機械

先日(2011/07/25)の日経産業新聞に、毎年恒例の2010年のシェア(市場占有率)の記事が載っていた。今日は「その2」である。(出典:2011/7/25「日経産業新聞」P18~P21)

<自動車>~単位:%、( )は対前年比%
・乗用車(除軽) ①トヨタ49.5(1.5) ②ホンダ16.6(-0.9) ③日産15.1(-0.3) ④マツダ5.4(0.2) ⑤富士重2.7(-0.2)
・軽自動車 ①ダイハツ34.9(0.1) ②スズキ32.5(-0.2) ③ホンダ9.3(-0.3) ④日産8.5(0.5) ⑤三菱6.3(0.2)
・輸入自動車 ①フォルクスワーゲン21.9(-0.7) ②BMW 15.2(-2.1) ③ベンツ14.5(-2.6) ④
日産12.6(12.4)アウディ7.9(-1.7)
・普通トラックいすゞ34.0(1.9)日野33.8(-0.1) ③三菱ふそう17.2(-1.3) ④UDトラック(旧日産ディ-ゼル)15.0(-0.5)
・二輪車 ①ホンダ49.0(2.5) ②ヤマハ25.0(-2.0) ③スズキ21.8(0.0) ④川崎2.2(-0.3) ⑤ハ-レ-1.8(-0.2)
・カ-ナビ(除純正) ①三洋26.6(-0.5) ②パイオニア21.9(0.3) ③Pana 18.4(-0.1) ③富士通テン16.7(1.4) ⑤アルパイン5.5(-)
・タイヤ ①ブリヂストン45.4(0.2) ②住友ゴム24.7(0.2) ③横浜ゴム17.0(0.1) ④東洋ゴム12.5(0.1)

自動車は、トヨタがプリウスのヒットで半分のシェアを握る。輸入自動車では、全数がタイからの輸入扱いになった「マーチ効果」で日産が4位に。普通トラックでは、いすゞが僅差で1位に。

<住建>
・マンション ①大京6.3(1.2) ②
三井不動産5.9(2.1)野村不動産5.9(2.6)住友不動産5.6(0.6)藤和不動産4.0(-0.5)
・戸建て住宅 ①積水ハウス3.8(-0.3) ②積水化学2.3(-0.2)大和ハウス2.3(-0.3)住友林業2.1(-0.2)タマホ-ム2.1(-0.3)

<生活・食品・医療>
・化粧品 ①資生堂23.7(-0.4) ②カネボウ16.5(-0.3) ③コ-セ-10.3(-0.2) ④ポ-ラ8.6(0.1) ④花王6.3(0.0)
・台所用洗剤 ①花王36.5(0.5) ②P&G 30.1(0.1) ③ライオン24.9(0.7)
・衣料用合成洗剤 ①花王41.0(0.2) ②ライオン32.8(0.1) ③P&G25.9(-0.1)
・シャンプー・リンス ①花王25.3(0.2) ②
P&G 19.8(1.6)資生堂19.3(-0.5) ④ユニリーバ17.4(0.4)
・歯磨き ①ライオン32.3(1.1) ②花王21.3(1.0) ③サンスター17.6(0.6) ④アース9.5(0.6)
・婦人服 ①ワ-ルド3.1(-0.3) ②オンワ-ド樫山2.8(-0.2) ③クロスプラス2.3(0.0) ④イトキン1.8(0.2) ⑤サンエ-・インタ-ナショナル1.8(0.2)
・婦人下着 ①ワコ-ル32.0(2.6) ②トリンプ・インタ-ナショナル12.9(0.0) ③グンゼ3.7(-0.2) ④シャルレ3.5(-0.1) ⑤セシ-ル2.8(0.2)
・ビ-ル系飲料
アサヒ37.5(0.0) ②キリン36.7(-1.0) ③サントリ-12.9(0.6) ④サッポロ12.0(0.3) ⑤オリオンビール0.9(0.0)
・清涼飲料 ①コカコ-ラ28.7(-0.4) ②サントリ-21.6(0.6) ③
伊藤園11.0(1.4)キリンビバレッジ9.9(-0.7) ⑤アサヒ飲料9.1(1.1)
・即席めん ①日清40.0(-0.2) ②東洋水産21.1(1.1) ③サンヨ-15.0(1.0) ④明星8.3(-0.7) ⑤エ-スコック8.0(-0.4)
・ハム・ソーセージ ①日本ハム21.2(-0.2) ②伊藤ハム19.8(0.6) ③丸大17.0(0.2) ④プリマハム9.6(0.0) ⑤米久8.2(0.0)
・アイスクリーム ①ロッテ17.2(0.0) ②森永12.7(-0.3) ③グリコ12.2(0.2) ④明治10.8(0.3) ⑤ハーゲンダッツ8.7(-1.2)
・医療用医薬品 ①武田7.7(0.1) ②アステラ7.0(-0.1) ③第一三共5.6(-0.2) ④
田辺三菱4.5(-0.2)中外4.3(-0.4)
・総合感冒薬 ①大正29.6(-0.6) ②第一三共18.9(-0.5) ③武田10.8(0.8) ④全薬7.2(-0.4) ⑤エスエス6.6(-0.2)
・育毛剤・発毛剤 ①大正46.5(6.2) ②花王17.2(-1.0) ③
第一三共7.3(-0.7)資生堂7.1(-1.8) ⑤ライオン5.8(-1.6)

ビールはアサヒが2年ぶりに首位奪還。しかしこのジャンルはシェアの変動が少ない・・。

<サ-ビス>
・海外旅行 ①JTB 22.6(0.9) ②HIS 12.9(0.2) ③阪急交通9.5(-1.0) ④近畿ツ-6.1(0.2) ⑤日本旅行5.6(0.7)
・国内旅行 ①JTB 23.8(0.2) ②
楽天トラベル6.1(0.9) ③日本旅行6.1(0.1)  ④近畿ツ-6.1(-0.2)ANAセールス4.6(0.0)
・ホテル ①プリンスホテル8.7(-1.1) ②東急Gr4.5(-0.3) ③阪急阪神第一Gr 4.2(-0.2) ④ニューオータニ3.2(-0.1)ロイヤルホテル3.1(-0.1)
・国内航空 ①全日空46.5(1.2) ②JAL 40.6(-3.7) ③スカイマ-ク5.3(1.5) ④エア・ドゥ2.1(-0.6) ⑤スカイネット1.3(-0.5)
・宅配便 ①ヤマト42.0(1.7) ②佐川急便37.4(1.2) ③郵便事業10.8(2.4) ④福山通運3.8(-0.1) ⑤西濃運輸3.7(-0.2)
・クレジットカ-ド ①三菱UFJニコス14.2(0.1) ②
JCB 13.6(0.9)三井住友カ-ド13.1(0.4) ④セゾン7.6(-0.4) ⑤イオンクレジット5.5(1.0)
・電子マネー ①ナナコ25.1(-0.8) ②
ワオン24.7(3.3)スイカ22.4(0.2) ④エディ17.8(-2.3) ⑤パスモ9.0(-0.5)
・人材派遣 ①リクル-ト5.8(-3.6) ②テンプHD4.0(0.2) ③
パソナ3.3(0.4)アデコ2.7(-0.5) ⑤マンパワーJP 1.6(-0.2)
・ゴルフクラブ ①SRIスポーツ21.8(-0.4) ②
ブリヂストン14.4(4.1)テーラーメイド13.6(-0.2) ④キャロウェイ11.7(0.0) ⑤ミズノ6.2(0.3)

国内旅行は楽天トラベルが2位に躍進。電子マネーは我らがスイカが3位に転落。パスモも5位。関東地方は不振?

<機械>
・産業用ロボット ①安川21.4(-3.0) ②Pana  13.5(-3.4) ③川崎重工10.0(2.3) ④ファナック5.5(0.2) ⑤不二越4.6(-0.4)
・船舶
ユニバーサル14.7(2.1)今治14.0(0.0)  ③三菱重工8.0(0.9) ④幸陽船渠7.3(-0.2) ⑤大島造船所7.1(0.5)
・フォークリフト ①豊田自動織機43.0(2.1) ②三菱重工20.2(-0.2) ③コマツ16.4(-0.4) ④TCM 8.4(-0.5) ⑤日産6.8(0.1)
・腕時計 ①カシオ38.5(-0.9) ②シチズン34.0(2.5) ③セイコ-24.4(-1.1) ④オリエント2.1(-0.5) ⑤リコ-1.0(0.0)
(出典:2011/7/25「日経産業新聞」P18~P21)

*このオリジナルの新聞記事のPDFは(ここ=3MB)。

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2011年7月25日 (月)

2010年のシェア(市場占有率)(1/3)~エレクトロニクス/情報・通信・メディア

今日の日経産業新聞に、毎年恒例のシェア(市場占有率)の記事が載っていた。今年も2010年のシェアについて見ていこう。(出典:2011/7/25「日経産業新聞」P18~P21)

<エレクトロニクス>~単位:%、( )は対前年比%
・薄型テレビ①シャ-プ33.7(-2.3) ②
東芝23.0(3.4) Pana22.2(-0.4) ④ソニ-11.5(0.3) ⑤日立5.8(-0.3)
・ブルーレイ・ディスク録再機①Pana36.8(0.2) ②シャ-プ30.7(-5.1) ③ソニ-18.0(-8.1) ④東芝12.0(-) ⑤三菱2.0(1.0)
・携帯音楽プレヤ-①アップル48.2(-3.3) ②ソニ-44.4(9.0) ③
トランセンド2.2(0.2) ④グリーンハウス0.9(-1.4) ⑤マウス0.8(-0.7)
・ビデオカメラ①ソニ-30.1(-1.0) ②ビクタ-24.1(-3.6) ③Pana 21.0(5.9) ④キャノン14.4(4.1)
・デジタルカメラ①キャノン18.5(-2.9) ②Pana 16.0(-0.7) ③
ソニ-13.7(3.3) ④カシオ13.6(-2.9) ⑤富士12.5(1.0)
・デジタル一眼レフカメラ①キャノン32.0(-6.7) ②ニコン29.4(-3.1) ③
ソニ-13.1(5.9)Pana9.9(1.4) ⑤オリンパス8.2(1.2)
・複写機・複合機①リコ-27.6(-1.0) ②キャノン27.5(0.2) ③富士ゼロックス23.2(0.2) ④シャ-プ10.2(-1.1) ⑤コニカミノルタ8.8(1.2)
・ルームエアコン①Pana24.7(0.0) ②ダイキン18.3(0.1) ③三菱13.9(0.0) ④
日立11.8(1.6)東芝10.6(-2.3)富士通セネラル10.1(-0.1)
・洗濯機①東芝26.1(-0.2) ②日立23.5(3.1)Pana23.0(1.4) ④三洋15.0(1.1) ⑤シャ-プ12.4(-0.6)
・冷蔵庫①Pana24.0(1.1) ②シャ-プ17.3(-1.3) ③
日立16.2(2.3)東芝13.4(-1.9) ⑤三菱13.4(0.4)
・IHクッキングヒータ①Pana51.5(-1.4) ②日立24.3(3.8) ③三菱17.1(0.4) ④東芝5.0(-2.4)
・リチウムイオン電池①三洋47.0(-3.7) ②ソニー26.8(4.9) ③Pana 14.6(-0.9) ④日立マクセル5.4(-1.2) ⑤GSユアサ4.2(1.8)
(出典:2011/7/25「日経産業新聞」P18~P21)

薄型TVでは、2009年に東芝がSONYを抜いて3位に浮上したが、2010年はPanaをも抜いて2位に浮上した。テレビと一緒に買われることが多いブルーレイ・ディスク録再機でも12%のシェアを獲得。昔のブラウン管テレビで強かった東芝が、戻ってきた。
デジタルカメラではソニーが躍進。ソニーは、携帯音楽プレヤーでも首位のアップルに、あと5%までに迫った。ビデオカメラではPanaが躍進。エアコンでは東芝がひとりシェアを落とし、5位に転落。白物家電では日立が順位を上げた。

<情報・通信・メディア>
・携帯電話①ドコモ48.5(-1.5) ②au 27.6(-0.8) ③ソフトバンク21.3(1.8) ④イ-・モバイル2.6(0.5)
・携帯電話端末①シャ-プ22.8(-3.4) ②
富士通17.3(2.3)Pana11.7(-3.4) ④NECカシオ10.7(-) ⑤京セラ10.4(4.3)
・パソコン①NEC19.3(1.0) ②富士通19.0(1.1) ③東芝11.2(0.0)デル9.7(-2.4) ⑤日本HP 9.6(0.4)
・メモリ-カ-ド①サンディスク20.4(-0.9) ②Pana 18.6(-0.6) ③東芝10.3(1.0) ④
ソニ-8.1(0.7)キングマックス7.0(2.7)
・インクジェットプリンタ-①キャノン43.3(-1.6) ②エプソン42.7(1.1) ③ブラザ- 6.6(-0.1) ④日本HP 6.6(1.3) ⑤リコー0.7(-0.3)

・プロバイダー①OCN 21.1(-0.9) ②Yahoo!BB 11.8(-0.5) ③BIGLOBE 7.9(-0.2) ④au one net(KDDI)7.8(0.5)ぷらら7.3(-0.6)
・光ファイバ-通信回線①NTT東42.0(-0.2) ②NTT西32.3(0.3) ③KDDI 9.4(0.9) ④ケイ・オプティコム5.8(0.2) ⑤UCOM2.5(-0.5)
・ポ-タル・検索サイト①ヤフ-69.7(-0.4) ②グ-グル11.4(0.8) ③MSN 3.5(-0.2) ④インフォシーク2.8(0.0) ⑤goo 2.6(-0.3)
・動画サイト①ユ-チュ-ブ57.4(-2.9) ②ニコニコ動画27.6(2.0) ③Gyao!など(ヤフー)3.7(-1.2)
・家庭用ゲ-ム機①任天堂49.7(-6.9) ②ソニ-48.1(7.7) ③マイクロソフト2.2(-0.9)
・家庭用ゲ-ムソフト①任天堂20.2(-3.7) ②
バンダイナムコゲ-ムス11.6(-0.2)カプコン11.5(4.5)スクウェア10.1(-3.2)ポケモン9.8(2.5)
・出版①リクル-ト13.6(.1.0) ②集英社5.4(0.1) ③講談社5.1(0.2) ④小学館4.6(-0.1) ⑤角川3.8(0.0)
・音楽ソフト①ソニ-ミュ-ジック17.5(0.3) ②エイベックス13.9(-0.5) ③ユニバ-サル11.6(-0.8) ④
ジェイ・ストーム6.5(0.9)  ⑤EMI 5.0(-1.7)
・映画ソフト①ソニー・ミュージック8.8(0.2)エイベックス7.2(0.1)ソニー・ピクチャー4.6(2.0)④ジェネオン・ユニバーサル4.6(0.7) ⑤ワ-ナ-4.4(-0.6)
・映画①東宝35.8(4.0) ②ディズニー13.9(8.5) ③ワーナー10.9(2.4) ④フォックス9.0(3.9) ⑤松竹6.5(-1.1)
・広告①電通23.9(1.8) ②博報堂9.6(-0.4) ③ADK5.2(0.0) ④大広2.1(0.1) ⑤東急1.6(0.0)
・サ-バ- ①富士通24.4(-0.5) ②
日本IBM 19.6(2.3)NEC16.6(-4.4) ④HP16.4(2.4) ④日立9.3(-1.5)
(出典:2011/7/25「日経産業新聞」P18~P21)

パソコンは、デルの転落に伴い東芝が3位に浮上。携帯電話端末は、東芝との事業統合した富士通が躍進したが、スマートフォンで海外勢に出遅れた上位陣がシェアを落とした。。

*このオリジナルの新聞記事のPDFは(ここ=3MB)。

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2011年7月24日 (日)

アナログテレビ放送終了の日(2011年7月24日)

今日は、アナログテレビ放送終了の日だった。何年も前から、「2011年7月24日」は特別な日としてカウントダウンされてきた。そしてとうとうその日を迎えた・・・。

自分のテレビの歴史を振り返ってみると、自分がPanaのデジタルチューナを買ったのが、2003年11月15日。そして地デジの試験放送が、東京で始まったのが2003年12月1日だった。そして自分が地デジ用のUHFアンテナを立てたのが2003年12月7日。地デジの試験放送が始まって1週間後だった。当地は、ホントウは受信可能地域ではなかったが、20素子のアンテナのせいか、バッチリ受信できた。それ以来、デジタル放送しか見ていないので、今日のアナログの停波は、影響は全く無いが、それでも今日を神妙に迎えた。

午前中にアナログ放送を受信してみたら、VHFのアンテナが無いのだが、一応の絵が出ていた。そこには「今日正午 アナログ放送終了」という文字が・・・。
本当は、12時の停波を“体験”したかったのだが、今日は、ゴキブリの2度目のバルサンを焚いたこともあり、4時間家を閉め切っておく必要から、いつものホームセンター(ジョイフル本田)に出掛けた。
買い物の途中、フト時計を見たら11時57分。そうだ!車のカーナビにアナログのテレビがあったっけ・・と思い出し、急いで車に急行。12時の1分前だった。NHKはアナウンサーが、終了の解説をしていたが、民放はどこも普通の番組。でもテロップには「アナログ放送終了まであと*秒・・・」。
そして12時。どの局も一斉にブルーのアナログ放送終了の告知画面に。(写真はクリックで拡大)

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サラリーマン現役時代にお世話になった「NTSC」とのお別れである。アナログ放送で使われているカラーテレビの規格であるNTSC方式が米国で開発されたのが1953年。白黒テレビとのコンパチがコンセプトだった。日本でのカラーテレビは、1957年(昭和32年)12月28日にNHKと日本テレビが試験放送を開始したらしいので、日本では、54年の歴史に幕を下ろしたことになるらしい。(白黒テレビも含めると、1953年放送開始なので58年の歴史に幕)
しかしアナログ放送は、ゴースト(画面が何重にも映る妨害)との戦いだった。絵にウルサイ自分が、ゴーストクリーンチューナ(東芝TT-GC9)を買ったのが、1989年11月3日だった。当時の定価で10万9千円もした。帰線区間にゴースト検出用の信号を入れ、それを頼りにゴーストを軽減するもの。当時、NHK技研に行った際、NTSCのホンモノの画面を見て、放送局の原画はこんなに素晴らしい、と驚嘆したもの。その画質をゴーストクリーンチューナに期待したが、まあソコソコだった。
それが、世はデジタルハイビジョンの時代。その画質については今更、言うまでもない。

ふと、どのような経緯で停波が今日(2011年7月24日)になったのだろう、と調べてみた。wikiによると、「停波予定とされている「2011年7月24日まで」の根拠は、電波法が2001年7月25日に改正施行された際に地上アナログ放送の周波数を使用できる期間を施行から10年を超えない期間と定めたことによる。なお2008年10月末の放送局の再免許の際、アナログテレビ放送免許の有効期限が2011年7月24日となっている。」とあった。
結局、法の施行日から来ていたわけだ。
ともあれ、一時代が終わった。現在の素晴らしいテレビを見られるのも、長生き(!)したおかげ・・・?
技術的には、そろそろ完成の域なので、自分の生きている間はもう変わらないだろう。まあこれから死ぬまで、デジタルハイビジョンをゆっくりと楽しむことにするか・・。
テレビ好きの(でもあまり見る時間が無い)エムズくんではある。

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2011年7月22日 (金)

手仕事屋きち兵衛さんのコンサートに行く~新曲「愛の旅路」

今日(2011/07/22)は、手仕事屋きち兵衛さんの多摩でのコンサート(ここ)があった。
2年前の初めてのコンサートに続き、今日は2回目。「ベーカリーカフェ みらい人」(ここ)の「第20回記念みらい人コンサート」である。
6時半開演。60位ある席は満席。いつものように、唱歌「故郷」から始まる。そして新しい趣向として、初めの「風の桜衣」と「安曇野」の2曲では、横のスクリーンに見事な写真。きち兵衛さんの解説によると、きち兵衛さんのマネージャーさん(宮下常雄氏)は、プロの写真家だそうで、それはそれは見事な安曇野、そして高遠のサクラ・・・。それらがプロジェクターに映ったところの写真を撮り損ねたので、ここで紹介できないのが惜しい・・・・。
前に、撮影や録音は自由、と言われていたので、今日も“音”を録ってきてしまった。相変わらず経験豊かな、きち兵衛さんならではのトークも楽しい。少し聞いてみよう。

<手仕事屋きち兵衛さんのトーク>

ここで紹介があった、同人会「銀の月」のコンセプトは素晴らしい。聴衆は年配者が多いためか、皆感心して(?)聞いていた。このコンセプト、どなたかマネをされたら???(写真はクリックで拡大)

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最後に、“昨夜作った”という新曲を披露してくれた。「愛の旅路」という歌。どこかで聞いたな・・・・。クールファイブにも同じ名前の歌があった?? おっとあれは「愛の旅路を」だった・・・。少し聞いてみよう・・・

<手仕事屋きち兵衛さんの新曲「愛の旅路」>

「愛の旅路」(2011年7月21日作曲)
   作詞・作曲:手仕事屋きち兵衛

もう私は 一人じゃない
そうあなたに 巡り会えたから
さあ二人で 歩き出そう
この遙かな道を どこまでも
走らずに 立ち止まらずに
愛の旅路

もう私は 迷いはしない
そうあなたと 見つめ合えるから
何も言わずに 分かり合える
こんな二人に なれたのだから
いとしくて たまらない
愛の旅路

もう私は おそれはしない
そうあなたが ここにいるかぎり
たとえ世界に 終わりが来ても
ただこのまま 生きて行こう
あきらめず 変わらずに
愛の旅路

ここに歌われているのは、ベテラン夫婦だろうか、新婚のカップルだろうか・・・。円熟のきち兵衛さんらしい歌である。
さて、初めて会場で音を録ってみて、難しさが良く分かった。エアコンだろうか、会場では気が付かなかったが、録音にはゴーという低いノイズが入っている。録音機にローカットフィルタが付いていたが、ONにすれば良かった・・・。後の祭りだ。しかし音は悪い。スピーカーを通しての音だから・・・。たしかに会場でもこんな音。直接音は録れないので、仕方なし・・・

前に松本の浅間温泉に行って、きち兵衛さんを聞いたが(ここ)、松本は「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が開かれることでも分かるように文化都市。
まだまだ創作意欲旺盛で、お元気なきち兵衛さん。また松本に聞きに行こう・・・

(関連記事)
「手仕事屋きち兵衛コンサート」 7/22に東京・多摩で開催
手仕事屋きち兵衛さんの「車座コンサート」に行く~ホテル玉之湯
手仕事屋きち兵衛さんのコンサートに行く~唱歌「故郷」

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2011年7月21日 (木)

「死を“前に見よ”」~ブッダの教える発想の転換(4/5)

雑誌「大法輪」2011年5月号に「ブッダの教える発想の転換」という記事があった。なかなか耳の痛い話ではあるが、5回に亘って読んでみよう。今日はその4回目。

ブッダの教える発想の転換
   菅沼 晃(東洋大学名誉教授)
・・・・・・
<死を「前に見よ」>
 「大王よ、巨大な山があなたを圧しつぶすように、老いと死があなたに迫っているとき、ただ、真理にかなった行い、正しい行い、善い行い、功徳を積む行いをするほかはありません」(『相応部経典』「コーサラ相応」)
 古い経典では、私たちは死へと向かう存在であることが様々な表現で説かれますが、これはコーサラ国王パセーナディヘの言葉で、「雲のような大きな山が、あらゆる生き物を
圧しつぶしながら迫ってくる」というのです。最近のテレビで大雨などによる土砂崩れの有様を見ていると、すべてを圧倒する巨大な山の土石流が私たちを圧しつぶすという譬喩(ひゆ)が生々しく感じられ、まさに我が身に迫ってくる死を実感させられる気がします。
 老いや死はもともと人間に内在しているものなのに、いざそれに直面すると「死は突然やって来た」とショックを受けるのは、死を「前に見ていない」からです。ブッダが老・
死について実に多くの言葉を残しているのは、老死を後ろからやって来て突然私たちを暗黒の淵に突き落とすものととらえるのではなく、「前に見る」ことを私たちに求めているからです。「死を前に見る」のは、私たちにとって実につらいことなのですが、それを見据えながら、精一杯生きて行くほかはないのです。」(雑誌「大法輪」2011年5月号p49より)

何とも厳しい指摘である。我々凡夫は、その時に際し、確かに「死は突然やって来た」とショックを受ける。しかし、生きとし生けるもの、老死は誰にとっても“前に”横たわっているものである。それが人によって違うのは、それが“何時か”であって、“有無”ではない。有に決まっている。でもやはり「死は突然やって来た」を感じるのは、前回も書いたように“自分だけは無関係”といった(特に自分のような)スタンスに起因する。まさに“臭い物には蓋”という考え方。それは虚構であって、真理ではない。よってあっと言う間に綻ぶ・・・。頭では分かっているものの・・・・

同じく「大法輪」の今月号にこんな記事があった。
神々といえども死んでしまう
 天上界の神々とはいってもそれぞれに寿命があり、その寿命が尽きれば死んでしまいます。「人間(じんかん)五十年、下天(げてん)の内を比ぶれば、夢幻の如くなり」と謡われるように、最下位の下天=四天王でさえ、その一日は人間の五十年に相当します。人間
に比べるとほとんど永遠といってもよい寿命ですが、寿命があるかぎりは死ななければなりません。
 神々の死期が近づくと、五つの死の兆候が現われるといわれます。これを天人の五衰と呼びます。1)衣装が塵で汚れてくる。2)頭上の花飾りがしおれてしまう。3)脇の下から汗が流れだす。4)身体が臭くなる。5)みずからの座席にいることが楽しくなくなる。神々といえども例外なく死んで、六道に輪廻すると考えられています。六道とは、地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人間道、天道を指します。阿修羅を除いて、五趣と呼ばれることもあります。趣とは、行き先という意味です。」(雑誌「大法輪」2011年8月号p79より)

ちょっと横道にそれるが、信長で有名な「人間五十年・・・・」を調べてみた。それはこんな意味らしい。

「思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」
  ↓
「・・・・
人間の寿命は五十年
「化天」(「下天」)に比べ、夢や幻のように儚いものである
(人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない)
この世に生まれて滅びぬ者などいるはずがない
これは仏の意思だとすると、私は悔しい」

それにしても、神にも寿命があるとは知らなかった・・・。だとすると、人間など儚いもの・・・。それは分かる・・・。頭では・・・。

ところで、“天人の五衰”を“現在の自分”にあてはめてみるとどうなるのだろう・・・
1)衣装が塵で汚れてくる。家にいる時は一日中パジャマ姿のまま。
2)頭上の花飾りがしおれてしまう。頭から毛が無くなる。(ハゲ)
3)脇の下から汗が流れだす。うっかり失禁をする。
4)身体が臭くなる。加齢臭(老臭)がする。
5)みずからの座席にいることが楽しくなくなる。⇒毎日が楽しくなくなる。

自分にあてはめると、1)と2)は該当(×)。他は非該当(だと思う)(○)。つまり3勝2敗でセーフ・・。もう少し生きられそうだ・・・。
よって残された時間を“死を「前に見る」”ことが出来るように修行を積まねば・・・!?

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2011年7月20日 (水)

NHKテレビドラマ「下流の宴」

またまたテレビドラマの話で恐縮だが、昨夜でNHKのテレビドラマ「下流の宴」(ここ)が終わった。

あらすじは・・・(NHKの第1回あらすじから)
「福原由美子(黒木瞳)の目下の悩みは、息子の翔(窪田正孝)が高校中退後フリーターを続けていること。その翔が、突然沖縄の離島出身で同じくフリーターの宮城珠緒(美波)と結婚すると言い出した。幼い頃、医者の父を亡くし、母・満津枝(野際陽子)から「下流に落ちるな」と厳しく育てられた由美子。福原家「下流転落」の危機を夫・健治(渡辺いっけい)や娘・可奈(加藤夏希)に相談するが何も得られない。由美子は、幼なじみで、今は受験のカリスマとなった島田(遠藤憲一)に思い切って会いに行く・・・。」

何となく見はじめたドラマだったが、結局最後まで見てしまった。
“努力をすれば何倍にもなって戻ってくる”という持論の野際陽子と黒木瞳の母娘。それはそれでよいのだが、医者の家庭だったというプライドから、下流を見下す猛烈な偏見。しかし結局それらは虚ろであり崩壊していく・・。一方、その偏見を見返す事だけを目標に、東大医学部を出た受験のカリスマ。そして沖縄出身の、価値観がまるで違う宮城珠緒(美波)・・・。

世の中の一流と二流三流との違い、人生で何を目標に生きるか、結局何が人生の“勝ち”か・・・等々、色々を考えさせられた風刺劇であった。

当blogを始めた5年ほど前、「人生における“勝ち”と“負け”」(ここ)という記事を書いたことがある。
還暦を迎える頃になると、人生のレースもオワリ。会社での肩書も取れて、みんな同列・・・。
当時、自分も還暦を迎えるにあたって、ふと振り返って書いた記事であった。あれから5年。当時と今とでは、自分の心境(価値観)が大分違ってきたことに気付く。あの当時は、何となく・・・考えていたものが、今ではかなり明確に結論が出ている・・・・・
結局、世の中で“先生”と呼ばれる人でも、我々のように一般ピープルでも、終わってみると(リタイアして皆平民となってみると)、違いは無かった。金をたくさん稼いだかどうかも関係ない。ある程度の生活に困らない金があれば、それで充分。よって会社で、出世が早いか遅いかも大きな問題ではなかった。
結局、人生をいきいきと生きたかどうか、それだけが重要だったような気がする。
どんなに社会的な地位が高くても、ストレスに負けて病気になることもあるし、家庭がボロボロな例もある。家庭も含めて、どう人間らしく生きられたか・・・・

そんな視点で考えてみると、このテレビドラマ「下流の宴」では、“沖縄の宮城家の価値観が一番!”のような気がする。つまり、珠緒の母(余貴美子)の豪放磊落な言葉を借りると「くだらない事に拘ると余計に大変な思いをする」(wikiより)という価値観。
大家族の沖縄の価値観からすると、“先生”の価値はそう重くなく、皆でワイワイ楽しく・・・。結局、それが勝ちなような・・・・

このドラマでもセリフで言っていたが、「上だの下だの、あっちの世界だのこっちの世界だのと拘っていたのは、自分たちだけだった・・・」
結局、キーワードは「こだわり」。何~んだ・・・。釈尊が言っていることと同じではないか・・・

何のことはない。NHKのテレビドラマの話が結局、仏教の原点の話になってしまった。
自分たちもあと何年生きるか知らない。でも残された時間を、「こだわり」を捨てた、自由で軽い、生き生きとした生活を送ることが出来れば、死ぬ時に「アー面白かった!」と言えるかもね・・・・

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2011年7月18日 (月)

フジテレビのドラマ「それでも、生きてゆく」

最近、カミさんから強制的に見せられているテレビドラマがある。フジテレビの「それでも、生きてゆく」(ここ)というドラマ。(毎週(木)22:00~)
先週、2回目が放送されたところ。7月7日から始まって、9月までの放送予定らしい。

Wikiによると、あらすじは・・・「1996年夏、深見洋貴の妹・亜季(7歳)が洋貴の友人である少年Aこと三崎文哉によって殺害された。この事件によって深見家は家庭崩壊し、洋貴は父とともに釣り船屋で働いて過ごしていた。
一方、少年Aの家族は密告者からの嫌がらせをいたるところで受け、そのたびに引っ越しを繰り返していた。父親は子供のために母と離婚し、子供に母親の姓を名乗らせるなど対応していた。
そして、2011年夏。洋貴の前に一人の女性が現れる。その女性こそ、少年Aの妹、双葉だった。双葉のことを知らなかった洋貴は初め、「自殺志願者」と感じ、自分の境遇・殺害された妹のことを話そうとするのだが…。」

幼い妹を友人に殺された深見洋貴の前に、15年後、犯人の妹が現れる。被害者の夫婦は離婚し、家庭は崩壊。加害者の家庭も人目を避けてひっそりと暮らしていた。そこには加害者本人の姿はない。どちらの家庭も、大きな負の遺産を引きずり、重い毎日を過ごしている。そこでの被害者と加害者の妹との出会い・・・

テーマが、殺人事件を引き起こした加害者家族と被害者家族だけに、何とも重たい。しかし、その環境の中をけなげに生きてゆく加害者の妹を演じている満島ひかるさんの演技が110718mitsuisima 際立っている。自分の人生を兄の事件のためにメチャクチャにされていながら、でも兄を慕っている妹。拠り所のない不安定な(加害者の妹という)存在を、実に見事に演じている。
実は自分は、“満島ひかる”という名前を今Netでしらべて初めて知った。沖縄出身の25歳。でも既に数々の賞を取っている大女優らしい。

このドラマ。カミさんが言うには、脇役が大物揃いという。確かに、柄本明、風吹ジュン、時任三郎、大竹しのぶなどスゴイ・・・。それだけ、フジとして力が入っている証拠・・・・?

フジテレビのドラマは、当サイトでも「風のガーデン」「不毛地帯」などを取り上げたことがある。そういえば、前に「もう一度見たい20世紀の名作ドラマ」ベスト10」という記事を書いたことがある(ここ)。それによると、1位から3位までフジテレビだった。つまりフジテレビのテレビドラマは優秀・・・、ということ??
そのベスト10で、断トツの1位が「北の国から」だった。これは昔、自分もレンタルビデオで全編見たことがある。それが、BSフジで、今晩から再放送する(ここ)という。(2011年7月18日から毎(月)22:00~22:55 全24話)

この「それでも、生きてゆく」というドラマ。テーマが重いので、「北の国より」のように“もう一度みたい”と思うかどうかは分からないが、じっくりと見ている番組ではある。

(関連記事)
もう一度見たい20世紀の名作ドラマ」ベスト10

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2011年7月17日 (日)

第18回平和祈念「八王子とうろう流し」に行く

今日(2011年7月17日)は、カミさんが見付けてきた「第18回平和祈念・八王子とうろう流し」見物に行ってきた。場所は八王子市役所前鶴巻橋・河川敷広場。時間は18時。市役所の駐車場に車を停める。交通整理の人も出ていて、便利。車を降りるや、大きな太鼓の音。会場は、駐車場のすぐ下だ。太鼓の演奏を聞きながら、とうろう流しの申し込みをする。一般人でも1000円でとうろうを申し込める。普通は戒名を書くらしい。今日は先日7月4日に亡くなった義姉の冥福を祈る・・・。(写真はクリックで拡大)

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会場には、河川敷も含めて、広いシートにたくさんのとうろうが並べられている。うちわ太鼓の音・・・。土手の上からお坊さんの列が会場に入ってくる。八王子仏教会の主催ということで、各宗派の代表かも知れない・・・。

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とうろうを持った一般人が列を作る。6時40分頃、中央の仏壇の前にお坊さんが座り、読経が始まる。ちょうど日が沈む。

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それと同時に、流れ作業で一般人のとうろうに灯が入れられ、バケツリレーで、川の中に運ばれ、浅川に流されていく。手伝いの人は皆ブルーのシャツ。ガールスカウト、ボーイスカウトの人らしい。

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とうろうを係の人に渡してから、橋の上に行ってみることにした。読経は般若心経を称えているので、一緒に声を合わせる。橋の上からだと、会場全体が見渡せる。

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川にたくさんのとうろうが流れて行く。しかし流れは順調とは限らない。川の中に、何人もの人たちが入って、引っ掛かっているとうろうを流れに乗せてあげる。川上を見ると、青いシャツの集団。なるほど、あそこでとうろうを回収しているのだ・・・。とうろう流しと言っても、ほんの数百メートル。まあ仕方が無い・・・

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だんだんと辺りが暗くなってくる。すると、とうろうの中のろうそくの色が映えてくる。しかしとうろうの中には“火災”を起こしているものも幾つかあった。

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7時過ぎ、徐々に暗くなってきた会場を後にした。帰りがけに、テントの中にいた人に聞いたら、今日流される灯ろうの数は3000個くらいとのこと。
しかし駐車場といい、屋外トイレといい、市役所の設備がそのまま利用できて、会場としては最良・・・

我が家の灯ろう流しは、昨年11月の高幡不動尊の「萬燈会」(ここ)に続いて2回目。あの時は「家内安全」だったが、今回は先日の義姉の葬儀もあったことから(ここ)、義姉の冥福を祈った。
我々のとうろうが無事に流れて行ったかどうかは分からない。せめて火災だけは起こさず流れて行ったことを信じているが・・・・。
何とも情緒のある夏の風物詩ではある。

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2011年7月16日 (土)

NHK FMのラジオドラマ「世界でたったひとりの子」

毎晩聴いているNHK FMの「青春アドベンチャー」((月)~(金)22:45~23:00)(ここ)。昨夜終わったアレックス・シアラー原作の『世界でたったひとりの子』(全10回)が面白かった。今日はこのドラマの紹介である。

「科学技術が発達した未来。人々はガンや脳卒中といった数々の疾病を医学の力で克服し、さらに40歳になったら無料で提供される老化防止薬によって、そのときの肉体の状態を維持したままで200歳まで生きることが可能になった世界。
しかし、不老長寿の一方で、生殖能力を破壊するウイルスの蔓延により、その世界は大人ばかりで、ごく少数の幸運な人々だけが子どもに恵まれ、そして、子どもに恵まれなかった人々の中には子どもを借りたり、買ったり、盗んだりして子どもとの時間をもとうとする人々がいた。
一方、貴重な子どもは、PP(ピーターパン)インプラントの手術を受けると、その時点からまったく年を取らなくなる。つまり肉体的な成長が止まってしまうのである。そして、成長を止めた子どもたちは一種のスターとして脚光を浴びる。体は子どものままなのに、心はすでに老成しているという、きわめてアンバランスな存在・・・・」
((ここ)参考)

<ラジオドラマ「世界でたったひとりの子」(1/10)>

*引き続き(2/10)~(5/10)を聞かれる方は(ここ)をクリック、
 (6/10)~(10/10)を聞かれる方は(ここ)をクリックして下さい。
(音が素晴らしいので、出来たらイヤホンで聴いてみて下さい。)

先日書いた「老・病・死は不幸とは決まっていない」(ここ)という記事で、「健康至上主義のあやうさ」という引用文を読んだ。
シルバー族にとって、一番関心のあるのは健康問題。このドラマでは、それを超越してしまった未来が舞台・・・。人は200歳位まで死ななくなった。そんな世界での生活とは?生き甲斐とは?・・・・
こんなドラマを聞いていると、「生」「老」「病」「死」一つひとつについて、別の角度から考えてしまう。
まあそんな難しいことを考えなくても、なかなか面白いドラマだったので、聞いてみよう。なおこの原作は、結構有名な本らしい・・・・

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2011年7月15日 (金)

昭和47年の出来事(25歳)~藤圭子の「京都から博多まで」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの26回目。自分が24歳から25歳、つまりサラリーマン3年生になった昭和47年(1972年)の出来事を調べてみる。

しかし学生時代と違って、サラリーマンになると、その年に何があったか、からきし思い出せない。ただ仕事をしていた・・・・だけ!?
まあ“一般論”でしか思い出せないな・・・・・(写真はクリックで拡大)

S47 さてこの年は、日中国交正常化と沖縄返還の年。それに「浅間山荘事件」や「札幌冬季オリンピック」「川端康成の自殺」などがあった年。山陽新幹線が新大阪-岡山間で開通したのもこの年。6月30日には日本フィルハ-モニ-交響楽団が解散。
これらは良く覚えている。浅間山荘事件では、テレビが軒並み実況中継。最高視聴率は90%にも達したという。
S471 当時の出張では、新幹線で岡山まで行き、そこで在来線に乗り換えたもの・・・。
日本フィルの解散演奏会は未だに覚えている。そのことは「旧日本フィル解散時(1972年)の小澤征爾の「復活」」という記事で既に書いた(ここ)。

1972年6月16日(金)19:00 東京文化会館で行われた日本フィル第243回定演。小澤征爾の指揮によるマーラーの「復活」だった。演奏会が終わった後、聴衆が帰らず、何度も小澤征爾がステージに呼び出されていた光景を思い出す。渡邉暁雄指揮のこの日本フィルは、テレビを通じて、子どもの頃から自分のクラシック世界を育ててくれた原点であった。

この年の歌は、「この広い野原いっぱい(森山良子)」「瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)」「ひとりじゃないの(天地真理)」「旅の宿(よしだたくろう)」「学生街の喫茶店(ガロ)」「せんせい(森昌子)」「京都から博多まで(藤圭子)」「喝采(ちあきなおみ)」「漁火恋唄(小柳ルミ子)」「そして神戸(内山田洋とクール・ファイブ)」「さそり座の女(美川憲一)」「ハチのムサシは死んだのさ(平田隆夫とセルスターズ)」「赤色エレジー(あがた森魚)」等々・・・
その中で、今日は、藤圭子の「京都から博多まで」を聞いてみよう。退廃的な藤圭子の歌声は、世間に沁みた・・・・。

<藤圭子の「京都から博多まで」>

「京都から博多まで」
  作曲:猪俣公章
  作詞:阿久悠

肩につめたい 小雨が重い
思いきれない 未練が重い
鐘が鳴る鳴る 憐れむように
馬鹿な女と 云うように
京都から博多まで あなたを追って
西へ流れて 行く女

二度も三度も 恋したあげく
やはりあなたと 心にきめた
汽車が行く行く 瀬戸内ぞいに
沈む気持を ふり捨てて
京都から博多まで あなたを追って
恋をたずねて 行く女

京都育ちが 博多になれて
可愛いなまりも いつしか消えた
ひとりしみじみ 不幸を感じ
ついてないわと 云いながら
京都から博多まで あなたを追って
今日も逢えずに 泣く女

改めて聴いてみると、この歌はまさに“猪俣公章節”だ。自分が好きだった猪俣公章は、森進一の一連の歌や、クールファイブ、五木ひろしなど、多くの名曲を作曲したが、残念ながら1993年に55歳の若さで没してしまった。実に惜しい死であった。

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2011年7月14日 (木)

「老・病・死は不幸とは決まっていない」

雑誌「大法輪」の先月号(2011年7月号)に「老・病・死は不幸とは決まっていない」という特集記事が載っていた。
最近、義姉の逝去をきっかけに、こんな話題を身近に感じる・・・。曰く・・・

健康至上主義のあやうさ
   花園大学元学長 西村惠信
○人間存在の根源的苦悩
 仏陀は「生老病死」の苦悩を、生きとし生けるものの避け難いリアリティー(真実実在)であると説いた。これは世間の凡夫にとって、徹底した悲観主義のように見える。しかし誤解してはならないのだ。
 仏陀はこのように、苦悩という真実を説くことによって、人に悲しみを与えようとしたのではない。むしろ人間の根本に纏わり付く苦悩の真実を示すことによって、人を夢のような安逸な楽観主義から目覚めさせようとして、ひとときの快楽に酔いしれる人間の「無明」を告発されたのである。
・・・・
生きとし生けるものにとって、「生」れてくることじたい、すでに血みどろの苦しみを経るのであり、若い者もやがて「老」いとともに身心が衰え、醜い姿になっていくということも苦しみである。
 さらに生身の身体であるかぎり、身体が傷つき、健康を損なって「病」の床に臥すという苦も避けることはできず、そしてやがて「死」という絶対的絶望によって迎えられねばならない。
 このことは誰一人として例外の許されることのない「必然的苦悩」である。これを少しく西田哲学に倣って言えば、「個人あって苦悩があるのではなく、苦悩があって個人がある」、ということになる。
・・・・・
 もし「老いる」ということを好ましくないことと考え、無理に若さを繕おうとすれば、これは若さへの執着という醜さを曝(さら)すだけである。かつてローマの賢人キケロが、『老いの豊かさについて』で書いているように、老人には若者に対して誇りうる多くの点がある。それは死を目前にした老人の自己卑下ではなく、老人に与えられた人生の最も豊かな時期(死を迎えようとする時)に於ける讃歌であるという。
・・・・
 言うまでもなく老若男女を問わず、健康であるほど結構なことはない。健康でいることは人間にとって理想である。しかし病というものが、生けるものの不可避の実在として、生存に纏わりついている以上、病むことが必然である以上、健康でいることは一時的逃避であり、滅多にあり得ない偶然と言うべきである。健康で有ることが難しいから「有り難い」と言うのである。
 病むとか死ぬとかいうことは、生存の根本にある「実在」としての「病」や「死」が、現実化するに過ぎず、決して偶然の出来事ではない。それは大きく自然との縁によって起こる必然であって、医療の介入できる領域ではない。
○病の体験は自己の完成
 病んで「病」を知ることは、自分の中のリアリティー(実在)に出会うことであり、自己の完成であるとさえ言えるのだ。そういう意味で「死」は存在するものにとっての更なる完成であろう。しかし人は死を体験することは出来ない。
 そうとなればその一歩手前の「病」は、生きる者にとって出会う最後の真実であるとさえ言うことができよう。他方、人の病を見舞う者にとって、病む人は「病」というリアリティーを現成してくれている教師でさえあるのだ。そういう立場から病む人と対するのでなければ、真の見舞いにはならないと思う。
・・・・・
 もちろん病人はふたたび元気になることを望んでいる。しかし直ぐには元気になれないから、やむなく床に臥しているのである。このことはとりわけ回復不可能と診断され、死
の床に臥せている人にとっては深刻であろう。本来そういう人を見舞うには言葉がないものだ。
 ともあれ病を見舞うとき、健康を標準として見舞うと、見舞いがかえって病人を惨めにする。そうではなくて、「病」というものが生きとし生けるものの根底に潜む避けがたい真実であるという「諦観(たいかん)」から見舞うならば、真に病人にとって慰めになるであろう。
 仏陀は「大医王」と呼ばれるほどに、病む人の治癒に努力された。しかし病人の苦しみを安らげたのであって、決して死を遠除けようとされたのではない。むしろ死を厳(おごそ)かに迎え入れることを教えたのである。
 もし仏陀が現代にいませば、生にのみ執着して死の真実から逃れようとする現代人の無明と傲慢を見て、どんなに嘆かれることであろう。」(雑誌「大法輪」2011年7月号p88より)

ここで述べられている「病んで「病」を知ることは、・・・自己の完成である・・・」「・・「死」は存在するものにとっての更なる完成・・・」は少し誇張が過ぎる気もするが、そんな捉え方もあるのだ・・・。

理屈的には“当たり前”の「老・病・死」。しかし、それを当たり前の事として、素直に受け入れられる人は、世界広しといえど、何人いることか・・・
徐々に訪れてくる「老」は仕方がないと諦めても、「病」と「死」が自分に訪れるときは、“何で自分が・・・”と捉えるのが普通。そして、(自分が代表例だが)“自分だけは「病」と「死」には関係無い・・・”と思って日々生活している我々・・・。

頭では分かっているものの、現実直視が難しい「老」⇒「病」⇒「死」。我々凡夫は、どうしたら「老・病・死は不幸とは決まっていない」と思える境地に達することが出来るのだろう?
そう考えると、先に見事に諦観して(?)亡くなっていった義姉(ここ)は、もの凄い人だった・・、ということになる。
まだまだ「老・病・死は不幸」の呪縛から逃れられない自分ではある。

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2011年7月12日 (火)

我がピュア・オーディオへの回帰

少し前の新聞記事だが、朝日新聞の「男のひといき」という囲み記事に、こんな投稿が・・。
夢の車で第二の青春
 念願だったスポーツカーを64歳にして手にいれた。2人乗りのオープンカーで、色は白。旧友たちは、やれ狂い咲きだの、やれ年寄りの冷や水だのとからかうが、それはすべて「羨望」だと聞き流している。
 きっかけは、新聞に載ったある外国高級車の広告だった。「退屈な大人になるな」とのキャッチコピー。いまだ孫がおらず、友人の孫談議にうんざりしていた私の心はわしづかみにされた。
 そして、だめを押しだのがコラム「天声人語」で紹介された、自動車評論家の徳大寺有恒さんの言葉だった。スポーツカーの絶対条件は、「世間に不要なものであること」だという。
 現役時代、収入やら家族構成やらで、どんなに願っても高嶺の花で「我が家に不要」だったスポーツカー。無駄遣いなのは百も承知だったが、今年2月、清水の舞台から飛び降りた。もっとも、外国車は高すぎるので、国産だが。
 かくして、今年還暦を迎える女房と2人、白髪を覆う帽子を目深にかぶり、サングラスで目尻のしわを隠しながら、分をわきまえた控えめな速度で、第二の青春を昧わっている。退屈な大人になるのはまだ早い。(新潟市 N.T 無職 64歳)」(2011/06/26付「朝日新聞」より)

人間、何かに熱中しているとトシを取らない?? つまり趣味に没頭していると、若さが保てて、健康?? 上の投稿は“我々シルバー族”の今後のあるべき姿を示しているようで、大いに納得・・・。

そんなわけで、今日は(上のスポーツカーとは違うが)自分のオーディオ歴談義である。
自分の場合、ラジオ製作の趣味が小学校時代に始まった。中学時代にいっそう夢中になり、高校時代は受験で一休み。大学に入ってから拡大。就職もそちら関係に行こうかと思ったが、“かすった”・・。サラリーマン時代は、若いときは別にして、壮年期は全く時間が無く、オーディオの世界からは離れていた。でも“そのうち・・”と思っていたのもつかの間、1998年7月、51歳の時に耳が壊れて(ここ)、事態は一変した。
それまでは、健康診断で聴力測定は自慢だった。耳だけは自信があった。両耳とも低域から高域まで“高感度”で“フラット”。それがストレスによって発病した突発性難聴のせいで、右耳の高域が聞こえなくなった。いわゆる難聴なので、オーディオどころではない・・。

しかしその後、MP3に夢中になり出したのが2004年のころ。アイリバーのMP3プレヤーを買ったのを機に、レコードやテープなど、持っている全ての音源をMP3化した。少しくらい音が悪くても、所詮自分の耳の特性が悪いので、まあいいや・・・。それ以来、MP3での音源を集め続けている。

転機は、ちょうど1年前の2010年初夏。自分に色々な音楽ソースを与えてくれているNHK FMの番組を“なるべく良い音で聴こう”と思い立ったとき。子どもの時から“FMチューナーはトリオ(ケンウッド)”という既成概念があったので、ヤフオクでケンウッドのKT-1100Dというチューナーを買った。それを機に、(ここ)で最高級機のL-02Tの存在を知り、手に入れたのが昨年2010年の7月末。
それから1ヶ月余のメーカーオーバーホールを経て、この1年間我が家のL-02Tは大活躍。耳が壊れて以来、ステレオスピーカーからの音には違和感を覚えるため、もっぱらBOSEのイヤホンで聴いている。

この1年、関連の機器を手に入れたりして、それなりに楽しんできたものの、最近はネタ切れ・・。しかし“何か”していないと落ち着かない・・・。ふと、“FM放送の音楽のオリジナルは所詮CD。もう一度、CDのオリジナルの音に戻ろうか・・”という気になった。つまりピュア・オーディオへの回帰(?)である。それで欲しくなったのがSONYの「NAC-HD1」というジュークボックス。もともと自分は、CDを100枚収納できるSONYの「CDP-CX100」というオートチェンジャーCDプレヤーを使っていた(1993年12月)。この「NAC-HD1」はそれのデジタル版だ。これを手に入れたのが今年の5月だった。
FMチューナーをつないでみて、イヤホンからの音が格段に良いのにビックリ。これはつまり、今まで使っていたヘッドホンアンプの性能の問題なのだが・・・。Netで「NAC-HD1はデジタル出力が優秀だ」というウワサを知って、ついでに海外製のDAコンバータを買った。これはもっぱらヘッドホンアンプとして使う目的。これがやはり音が良いのだ。それから、FM放送をPCMのまま録音して改めて良い音で楽曲を集める事と、持っているCDをこのジュークボックスに録音して、改めて聴く趣味が始まった。
「NAC-HD1」はSONYらしい製品だが、メジャーにはならなかった。つまり、アナログ録音のレベル調整が出来ない。録音したCD音源は、元のCDのままのため、音量にバラツキがある。フォルダの階層が3階層しかないため、音源の整理が大変。・・・等々、色々と致命的な欠陥(?)があるため、実に優秀な性能の割に売れなかったらしい。でも良い音を聞くには実に便利な製品なので手放せない・・・。

しかし話はこれでは終わらない・・・。ほんの1か月前、家電量販店で、BOSEのスピーカーシステムの展示品を見た。小さいスピーカーから、あのBOSE独特の音、そして独特の低音。昔から、あんなに小さなスピーカーから、よくあれだけの音が出る・・と感心していたBOSEだ。
それで、また「ことによると、スピーカーからの音を、難聴の自分も楽しめるかも・・」と思い立った。耳が壊れて以来、違和感のためスピーカーでの聴取は諦めていたのだが・・・

勢いで、BOSEのデジタルホームシアタースピーカーシステムを買ってしまった。そして“祈るように”電源を入れた。結果はNG。現実は残酷である。仏教でも言っている。人生は苦である。つまり、何事も思い通りにならないのである・・・。
特にサラウンドは、自分のように右耳が壊れた者にとると、もの凄い違和感。やはりな・・・・
でもスピーカーの間隔を近づけると、違和感が少なくなることを見付け、それで使うことにした。

そんなわけで、このところ凝っていた自分なりのピュア・オーディオへのバタバタ劇も、そろそろ一段落して来たのでメモしてみた。
Img_27081 今は机の上に「NAC-HD1」が鎮座し、せっせと持っているCDを録音している。そしてベッドに寝ながらリモコンで操作して聴く(MP3とは比べようも無いくらい良い音の)音楽・・・。
その音楽が例え“香西かおり”であっても、“前川清”であっても、良い音で聞く音楽は自分にとって別世界・・・・

来年(2012年)春、東京のNHK FMの送信所は東京スカイツリーに引っ越す(ここ)。これで、もしFM放送のマルチパスの悩みが消えると、たぶん今以上に高S/NでFM放送を聴くことが出来るだろう。
そしてまた「長生きしていて良かった・・」と思えることだろう。何か無理に“熱中するテーマ”を探すエムズ君ではある。でもそれは決して“料理”ではない。これこそが問題なのだ・・・!?

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2011年7月11日 (月)

原発コスト「安さ」の虚構

今日は震災から4ヶ月目。まだまだ落ち着かない。
少し前の朝日新聞だが、「原発コスト「安さ」の虚構」という記事があった。原発コストが実は高い・・という話は聞いていたが、具体的な数字があるので、読んでみよう。曰く・・

原発コスト「安さ」の虚構
・・・・
ところが、その原発のコストに疑いの目が向けられている。
 立命館大教授の大島堅一は、電力各社の有価証券報告書をもとに、原発のコス卜を調査。1970年から2007年までの発電費用に、原発開発を促進するための税金や、使用済み核燃
料の再処理費用なども加えて計算した。
 結果は原子力10.68円、火力9.90円、水力7.26円。原発のコストは国が使う試算の約2倍になった。
 大島によると、電気料金には、明細書に記されていない原発固有のコストが、月300円は入っているという。電源開発促進税や再処理費用だ。
 電促税は、交付金として原発のある自治体などに渡る。原発1基で運転開始までの10年間、地元には449億円か落ちる。運転後も出るこの交付金が、全国に50基以上の原発を建設する原動力となった。
 大島は、国の再処理費用は実際よりも少なく見積もっているとみており、「原発の本当のコストはもっと高い」と疑っている。

賠償も上乗せ?
 「国民負担をお願いするとき、政治家は税金と電気料金のどちらを選ぶか。間違いなく電気料金だ」
 エネルギー行政を担ってきた経産省の元幹部は打ち明ける。実は電気料金には負担を転嫁しやすい秘密がある。「総括原価方式」だ。
 人件費や発電所の建設費、燃料費など、電気事業にかかるコストに利潤(報酬率)を加え、電気料金をはじき出す。東電の報酬率は現在、3%。電力業界は、この方式を利用し、1基3千億~5千億円という原発建設に邁進してきた。
 独占的な電力体制に異議を唱える自民党衆院議員、河野太郎は自身のブログで「究極のぼったくり商法」と、この方式を批判する。
 今回の原発事故に伴う損害賠償費用も、電気料金の中に入れられる可能性が高い。菅政権は、賠償負担を東電以外の電力会社にも負わせる方針で、電気事業連合会会長の八木誠(関西電力社長)は記者会見で、負担は「(事業コストに)織り込めると理解している」と、料金転嫁は当然という認識だ。
 原発のコストは東電の原発事故を受け、ますます膨らみかねないが、もはや原発を止めても電気料金が安くなるとは限らない。
 原発の廃炉には30年以上かかり、1基数百億円ともいわれる。核燃料のごみである「高レベル放射性廃棄物」を地中深く埋める事業には最低でも100年の歳月がかかる。費用は兆円単位、生命に害を及ぼさなくなるのは数万年単位といわれる。肝心の最終処分場の場所選びも進んでいない。・・・・」(2011/06/30付「朝日新聞」p3より)

一方、7月3日付の日経新聞には「「電源迷惑料」年1660億円~電気料金に上乗せ」という記事があった。曰く・・・(写真はクリックで拡大)
「電源迷惑料」年1660億円~電気料金に上乗せ
原子力発電所などを立地した地方自治体が受け取る電源立地交付金などは、1973年の第1次石油危機を受けて74年に制定された電源3法が根拠だ。財源は電力料金に上乗せしている電源開発促進税(国税)。税収が乏しい地域に財源を配分する形で、原発立地を後押ししてきた。
Image07092  電源3法とは電源開発促進税法、特別会計法、発電用施設周辺地域整備法。電源開発促進税の税収は国のエネルギー対策特別会計を通して、関係自治体などに配分する。2011年度予算では主に地域振興に充てる電源立地対策費として1660億円を計上した。このほか電促税の税収は原発関連の独立行政法人の運営費などにも充てられている。
Image07091  政府試算によると、出力135万キロワットの原発を新設する場合、運転開始までの10年間で481億円、その後40年間で903億円の交付金が自治体に配られる。原発着工前からの手厚い配分で、自治体は交付金なしでは財政運営できない体質に変わってしまう。
 交付金の使い道はハコモノ建設や一般家庭への給付金など多様。このため無駄遣いの温床にもなってきたとされる。 07年度から電促税の税収は国の一般会計を通じて必要分だけ特会に繰り入れる仕組みに改めたが、効率化の効果は不透明だ。」(2011/07/03付「日経新聞」p9より)

今回の福島第1原発の事故で、原子力発電の、今まで日が当たらなかった部分が白日のImage07041 下にさらされている。福島原発だけでなく、全国の原発まで・・・。でもそれはそれで良い事だ。原発コストや、電源3法についても、勉強する良いチャンス。これらの報道を、自分でどう捉えるのかは、読み手の実力次第・・・・!?(写真は2011/07/03付「朝日新聞」p2より)

一般的に、“権力”は自分の都合の良いように世論をコントロールしようとする。原発コストについても、これから進めようとする施策に都合の良い面だけで論じようとする。そこは“超優秀な人”が考えるので、抜かりはない。しかし今回のようにひとたびボロが出だすと、虚構の理屈は崩壊の一途??
しかし、参加住民を7人に絞った玄海原発の説明会や、九電の“やらせメール”など、どうも最近の動きは、世論コントロールの“プロ”としては拙い。

今日のNHKニュースによると、菅内閣の支持率は9%下がって、16%だという。逆に“支持しない”は11%増えて68%だという(ここ)。
しかしここまで打たれ強い首相も珍しい。ストレスで(?)リタイアした安部さんが懐かしい・・!? 捉えようによっては、歴史に残る“大物首相”なのかも・・。

連日、政治や原発や震災復興など、平常時にはないビッグな報道が続く。
4ヶ月目の命日に際し、政治や国民の目線が、ぜひ被災者に向くよう、監視を強めていこう。

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2011年7月 9日 (土)

大山鳴動してゴキブリ一匹!?

今日のゴキブリ退治は“仕留め感”が無かった。これはウチのカミさんの感想・・・

今日は、我が家で2回目になるゴキブリ退治の日。一度目は2004年7月だった。おっと季節が一緒だな・・・。
この家を建てたのが1988年(昭和63年)9月。この家はなかなか密閉度が良いらしく、永くゴキブリ騒動が無かった。それなのに大騒ぎになったのは、息子が大学を卒業して、アパートにあった冷蔵庫や洗濯機などを我が家に送り返してきた2004年の3月。それを機にゴキブリが出現し、とうとうその年の7月になって、ゴキブリ退治に乗り出した。
まずバルサンや、コンバットなど色々買ってきて、1階だけで試した。しかしゴキブリは消えない。その3週間後、もう一度やろうと、今度はコンバットの12~16畳用というのを6個買ってきて、1階と2階の全体を燻すことにした。その時は、家中を煙だらけにして3時間放って置いた。帰ってみると、居間にゴキブリの死骸が1匹・・・。でもそれを最後に、我が家からゴキブリが消えた。

それから7年。“平和な家庭”が壊れたのは、2~3週間前だったか・・・。カミさんがキッチンで2回ほどゴキブリを見付けて仕留めた。その後、自分も夜、物を取りに行った暗い居間で、何やら動く物を見付け、必死に1匹仕留めた。これで意を決した。またバルサンをやるぞ~!
先週、前回と同じ12~16畳用の50gのバルサンを6つ買ってきた。それで家全体をやるぞ!
しかし今朝になって心変わり・・・。ゴキブリが出現している1階だけやろうか・・・と。理由は単純。寝具や電化製品にカバーを掛けたり・・・、準備が色々と大変なのである。それにバルサンの注意書きにこんなのを見付けた。
「ゴキブリの卵は厚い殻に覆われていて退治が困難です。虫卵がふ化する時期(10~14日後)に再度バルサンをすると効果的です。」
7年前のバルサンの効果は、2度目に1階2階で大がかりにバルサンをしたためではなく、結果として2回やった効果かも・・・。それで、今回は1階だけバルサン3個を使い、2週間後にもう一度同じ事をすることにした。

さて、今日は1階のバルサン第1回目。2階のドアを閉め、キチンの戸棚を全部開け、居間を含めて3つの大型バルサンを焚いた。そして外出・・・。
4時間後にワクワクしながら(?)家に戻ったらまだ室内は煙っていた。しかしゴキちゃんの姿がない・・・。そしてやっと見付けたのが、浴室に死んでいた1匹だけ。7年前の大騒ぎの時と同じ成果。
それをカミさんが「仕留め感がないね」と言う。実は昨夜もノコノコ1匹出て来たのだ。その1匹を、「どうせ明日仕留めるから、いいや・・」と見逃してやった。しかしカミさんに言わせると、昨夜のゴキちゃんとは違うようだという。
昨夜見逃してやったゴキちゃんはどこかで頓死しているのか、それともまだ息を潜めているのか・・・??
ともあれ、前回の実績がある。2週間後にまた徹底的に燻せば、またしばらくは出て来ないだろう・・・。
まあ、一匹のゴキちゃんに大騒ぎをしている“平和な(!?)”我が家ではある・・・

*自分は「大山鳴動すれど鼠一匹」と覚えていたが、正しくは「大山鳴動して鼠一匹」だという。トホホ・・・

(2011/07/10追)
今日、家の中を掃除したら、玄関のドアの所にオトナのゴキちゃんが1匹、キッチンの戸棚の隅に子どものゴキちゃんが2匹見つかった。よって、昨日見付けた浴室の1匹を入れて、一家4匹を“殺った”・・・。何とも仏教的でないゴキちゃん退治ではある。
(2011/07/11追)
何と!今日になって(丸2日後!)、居間で瀕死のゴキが見つかったという。計5匹・・。何ともしぶとい・・・。やはり2度目のバルサンは必要・・・

●メモ:カウント~200万

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2011年7月 8日 (金)

東京リーダーターフェルとダーク・ダックスの「惜別の歌」

義姉が亡くなってから4日になる。それにふさわしい歌は無いかと探したが、なかなか思い浮かばない。クラシックだったら、チャイコフスキーの悲愴交響曲や、ベートーベンのエロイカの葬送行進曲、マーラーの1番「巨人」の2楽章の葬送行進曲も浮かぶ。それにショパンの葬送行進曲もあるし、とにかく色々な曲がある。しかし追悼の日本の歌は思い浮かばない・・。ふと、「惜別の歌」をまだ取り上げていなかったことを思い出した。
そんな訳で、今日は有名な「惜別の歌」を聞いてみよう。まずは男声合唱の「東京リーダーターフェル1925」の歌で聞いてみよう。

<東京リーダーターフェル1925の「惜別の歌」>

「惜別の歌」
  作詞:島崎藤村
  作曲:藤江英輔

遠き別れに 耐えかねて
この高楼に のぼるかな
悲しむなかれ わが友よ
旅の衣を ととのえよ

別れといえば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を ながむれば
夢はずかしき 涙かな

君がさやけき 目のいろも
君くれないの 唇も
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ

そして、定番ダーク・ダックスの歌でも聞いてみよう。

<ダーク・ダックスの「惜別の歌」>

自分は、この歌はなぜか女声よりも男声の方が好きだな・・・。
この歌が生まれた背景は(ここ)に詳しい。それによると、この歌は終戦直前に中央大学の学生の間で生まれ、中央大学の学生歌として定着したものが、昭和26年頃にレコーディングされ、昭和30~40年代の歌声喫茶でよく歌われて有名になったという。
自分が知ったのも、歌声喫茶のルート。しかしこの歌が昭和20年頃の作とは知らなかった。でも3拍子の物静かな旋律は、「北上夜曲」(ここ)と似て、静かに心に滲みる歌だ。

背景は、藤村の原詩は嫁ぐ姉、そしてこの歌詞は戦争での別れであるという。作者には大変に失礼だが、今日はこんな静かな歌を聴きながら、亡義姉の冥福を祈ることにしよう。

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2011年7月 7日 (木)

「戒名料」に思う・・・日本のお寺は必ず廃れる!?

昨日、滞りなく兄嫁(義姉)の葬儀が終わった。そこで見聞きしたことをもとに、最近のお寺さん事情を考えてみたい。
前から“葬儀の不思議?”について、色々と記事を書いてきた。(「島田祐巳著「葬式は、要らない」を読んで」(ここ)、「お葬式は なぜ高い?」(ここ)など・・。左の検索欄で「戒名」「葬儀」などで検索すると、過去の記事が出てくる)

今回の義姉の葬儀に関しては、事情があって最初は火葬のみ(直葬)を考えていた。葬儀は、納骨の時に親族だけで簡単に、という条件で、東京・谷中(日暮里駅の近く)の菩提寺にお布施の金額を問い合わせた。その時に60万円と言われたという。その後、普通葬に変わって、通夜と葬儀に住職に来て貰った。その時、お布施として80万円の現金を用意した。葬儀屋は、「多過ぎる位・・」と言っていた。しかし、通夜の当日、まず住職から差し出されたのは、111万4千円の振込用紙。100万円が通夜・葬儀・戒名料で、11万4千円が納骨の時の費用だという。お金が足りず、結局後日振り込むことにしたという。
住職が持って来られた戒名は、○○院△△△△大姉。通夜と告別式の読経はそれぞれ40~50分。告別式では、一緒に四十九日法要も行う、と言っていたが、どこからが四十九日の法要か分からないまま、45分の読経が終わった。
(先日、叔母の直葬に際しては、納骨の時に(ここ)葬儀と四十九日法要をして頂いた。その時は、葬儀の法要の後、一時皆が外に出され、住職が衣を替えて再度入場され、「今から四十九日法要を行います」と言われたので、はっきり区別できたのだが・・・)

それから住職は一緒に火葬場に行って、精進落としの食事。そして75分後に骨あげ。それが終わると、ひと言の法話もなく、タクシーで帰られた。時間にして滞在時間は約4時間。
確かに檀家といっても別に顔見知りでもなく、話すことが無いのかも知れない・・・。でも結果として、実に存在感が無い菩提寺住職だった・・。

告別式が始まる前、戒名料の相場について葬儀屋さんに聞いてみた。最初に振込用紙を渡された、という話にはさすがにビックリしていた。戒名料は幅があり、少なくても20~30万円。菩提寺のない人については、葬儀屋として僧侶を、通夜と告別式、戒名料込み手数料無しの15万円で紹介しているという。確かにお寺を持っていないお坊さんも多く、2日で15万円は大変な収入・・
(戒名料については、今日、会社に戻ったときの雑談で、「福島で先年父親が亡くなったが、その時は戒名料を200万円取られた」と言われて、これまたビックリ・・・)
(ついでに、カミさんの友人の例では、お爺ちゃんが亡くなって、戒名料が160万円と聞いてとても払えず、「院」が付かなくて良いから・・とお寺さんに値下げを頼んだが、一人だけ院が付かないのはおかしい、と断られ、仕方が無く160万払ったとか・・。そうしたら今度はお婆ちゃんが亡くなって、これも値下げを頼んだがダメで、同じく160万円・・・・。そして法事は1回30万円とか・・・)

精進落としのときに聞いた住職の話。
「時代が変わって、3年ほど前から“戒名は要らないのでその分下げてくれ”という例が出始めている。どこに葬るのかを聞くと、自分の寺のお墓だというので、“それなら断る”と言った。檀家も、生活保護者の家もあり、変わった。特に、親の年金や、最近は減ったが戦傷者の年金などに頼って生活をしている人がおり、親が亡くなるとどうしようもなくなる。自分たちの生活がやっとで、お寺への寄付金まで回ってこない。
先日の震災で、お寺の本堂も被害を受け、修理しようと思っているが、戦後のドタバタで建てたものなので、図面がない。見積もって貰ったら、耐震設計が必要で、5000万円だと言われた。他の所に頼んだら、2~3000万円。
自分の体も色々あって大変。お経を読んでも、目の前に線香があると喉をやられるので、大きな線香は最後に点けている。前に葬儀に行ったら、木魚が割れていて、音が出ないので強く打ったら、腱鞘炎になってしまった。それに卒塔婆を書いたりするので、手の故障は職業病。前に、月に3件ほどあった葬儀が、半年ほど1件も無かった。その時には、手が治ってしまった。・・・・」
確かに、お寺も大変なのかも知れないが・・・・

先日の朝日新聞に「戒名料 受け取れない」という記事があった。曰く・・・
戒名料 受け取れない
東日本大震災で多くの命が失われた被災地の寺院で、戒名料の受け取りを自粛する動きが広がっている。家族や自宅を失った被災者に配慮した。一方で、自粛が当然のように受け止められては困る、との声もある。葬儀の件数がかつてない規模になり、お寺の慣習にも異変が起きている。

「戒名料30万円で100人分の葬儀をして被災者から3千万円受け取るのか」
 宮城県石巻市にある曹洞宗寺院の住職は、知人からこう詰め寄られ、無料で戒名を付けることにした。津波で寺院が全壊し、多くの檀家が死亡。住職は「かねて戒名料には批判が多かった。寺院復旧にかなりのお金が必要だが、こういう状況では仕方ない」と話す。
・・・
 同県南三陸町の寺院の住職はこれまで20万~100万円の戒名料を受け取っていたが、震災後は「お金は生きるために使ってください。お布施は生活が落ち着いてから気が向いたらでいい」と拒んでいる。
 石巻市内の住職によると震災前、同地域の葬儀では、読経料とは別に戒名料として故人1人あたり20万~50万円を受け取るのが一般的だったという。戒名で格式の高い「院号」では1人100万円前後となる場合もあった。
 多くの住職は自らも被災者で、寺院などの修理を控えている。それにもかかわらず、戒名料の受け取りを自粛するケースが出ている背景には、葬儀の件数が膨大で、読経料やその後の法要でのお布施で一定の収入が得られる側面もあるという。
・・・・
 一方で、こうした寺院の動きに困惑する関係者もいる。宮城県気仙沼市にある浄土真宗寺院の住職は「震災犠牲者だけを特別扱いするのはおかしい」として、喪主の資力に応じて通常通りの戒名料をもらっているという。「地方の寺の多くは過疎化で檀家が減り、お布施収入も減って厳しい。葬儀での法名(戒名)料や読経料は貴重な収入源で、受け取り自粛が当たり前と檀家に思われるようになるとつらい」と話す。
 震災後の混乱が落ち着いた5曰くらいからは、「友引」の日以択は、連日のように葬儀が続いているという。住職は「ここ3、4年分くらいの収入を2ヵ月で得た」と明かした。
 また、岩手県陸前高田市の曹洞宗普門寺の熊谷光洋住職(59)は、無償の集団葬儀によって儀式が形骸化しないかと心配する。「被災地で戒名料を下げるのは当然だが、寺は檀家のお布施によって支えられている。無償化が広がれば存続できない寺も出てくる。檀家との信頼関係を築き、戒名や葬儀の意味をきちんと伝えることが大切だ」と話している。

<戒名>~仏の弟子となった証しとして授けられる名前。宗派によって異なる場合もあるが、男性は「信士(しんじ)」「居士(こじ)」「院居士(いんこじ)」、女性は「信女(しんにょ)」「大姉(だいし)」「院大姉(いんだいし)」とランクが上がっていく。
 日本消費者協会の昨年の調査では、葬儀で戒名料や読経料として寺院に払った費用総額は全国平均で51万4千円。東北は61万6千円で、九州・沖縄の29万6千円の倍以上だった。」(2011/07/03付「朝日新聞」p39より)

昨日の葬儀のあとで、“若手”が雑談をした。
「このお墓は、次の世代になる前に、たぶん持ちこたえられなくなるね。これからの葬儀は、たくさんの人がそれぞれ香典を持ってくるという今までの風習も廃れ、益々簡素化されていくだろう。しかし、先祖代々の自家の墓に入るにも100万円要るとなると、その墓を棄てて、別の安く入れる墓を用意しなければいけなくなる。それに、墓守という負担を子どもの世代に引き継がせること自体が、もう無理・・・」

檀家の減⇒お布施の高騰⇒益々の檀家離れ⇒檀家の減・・・・という負のスパイラル。
本来の檀家として、人々が“心の拠り所”として常に出入りしているお寺さんは別にして、都会の人にとってみると、お寺は住職の顔も知らない単なるお骨の収納場所。それ以上のお寺の存在意義を、都会人に植え付けることが出来ないお寺は、潰れて行くのが当然・・・。
つまり、檀家制度にあぐらをかき、普通の人々の心に居場所を有していない日本の仏教(お寺)は、確実に廃れていく。そう確信した。

繰り返すが、キリスト教のように、ホスピス活動をする訳でもなく、死への旅立ちに向かって、檀家の心のケアをする訳でもない日本のお寺。幾ら自分の家のお墓があっても、住職が戒名料と称して“お骨の収容許可費”1件100万円も徴収する日本の葬式仏教の現状。そんな有り難くないお寺に、誰が寄付をする? そんなお寺が廃れないワケがない・・・
今回の葬儀は葬儀として、檀家制度やお寺のあり方について、非常に疑念を持った二日間であった。

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2011年7月 4日 (月)

兄嫁の見事な死にざま・・・・

今朝、6時16分、兄嫁が亡くなった。66歳だった。兄嫁は今年の正月明け、末期の胃がんが見つかり、抗ガン剤の治療も芳しくなく、半年で逝った。明日(2011/07/05)は通夜、明後日は告別式だ。

この兄嫁の死への道のりがどうしても理解できない。でも今日、兄嫁の弟さんと話をして、少し分かったような・・・。これは自分の人生観、死生観に大きく影響を与えるかも・・・
110704michi 兄嫁は、医師から末期癌で治る見込みがないことを、発見後直ぐに告知された。その場に居た弟の話によると、告知されてもまったく動じなかったという。冷静に話を聞いていたという。そして心配したことは、残される兄貴のことだけ・・・
その後の抗ガン剤治療も副作用がほとんどなく、良かった・・・と思っていたが、効かなかった・・。そして緩和医療に徹することになった。その治療の過程で、ひと言も「死」という言葉が出ず、死への恐怖の話も全く出なかった。淡々と、そして飄々と・・・・。そしてそのまま逝ってしまった。この死への道程は、どう理解したら良いのか・・・

同じマンションに住んでいる兄嫁の知人が、毎日散歩の帰りに見舞ってくれた。それを本人は非常に楽しみにしており、家族はありがたかった。しかしその知人も、「死の話などが一切出なかったので、見舞いに行けた。もしそんな話をされたら、怖くてとても見舞いに行けなかった」と言っていた。
ちょうど1ヶ月前、「余命は、持って1ヶ月」と家族に主治医から告知された。主治医が言う。「どうも本人が死を意識していない。“胃がムカムカするんです・・”と直ぐに治るようなことを言う。自分がどんな状況にあるのか、言っても分からない。だから家族から本人に現在の自分の状況を分からせて下さい。そして残された時間を有意義に使って下さい」。
自分は「死を避けているにせよ、頭から外そうとしているにせよ、そのまま逝かせる方法もあるのでは?なぜそこまで“死”をのど元に突き付けるのか・・」と主治医に聞きたかった。でも止めた。
その後、本人は「そんなことは分かっている」と言ったとか・・・。
死に際して、会いたい人も言わなければ、死ぬ前にこれだかはやっておきたい・・という話もなく、最後まで淡々と逝ってしまった・・・
結果として、主治医は分からなかったのだ。死を前に、誰でもオロオロして落ち込むのが普通。それなのに、死を平然と受け止めている兄嫁の姿が主治医には理解できなかったのだろう。兄嫁は、生前からまさに悟りを開いた仏だったのかも・・・・

そして昨日、昼頃までベッドに腰掛けていたのに、その後「血圧が60に下がったので個室に移します」と看護士さんから連絡が来たのが午後3時頃。その話を聞いて、胸騒ぎを覚えて駆けつけた弟さんの話によると、昨夜、痰が詰まって、息をする苦しい音が個室の外まで聞こえたという。酸素マスクも苦しくて自分で外し、苦しんでいたという。でも弟さんが1時間ほど居て、帰ろうとすると、声が聞こえ、ベッドに戻ると「ありがとう」と言ったという。結局、それが最期の言葉となった。病状が悪くなってから亡くなるまで、ほんの半日だった。これは苦しみの時間が少なかったことを思うと、良かった。これも悟りの結果・・?

今日、会ったその弟さんに「兄嫁の最期が理解できない。なぜそんなに淡々と逝けるのか?死は怖くないのか?」と聞いてみた。すると「それは深い諦め。諦観では? 姉は既に死を超越してしまって、開放される、という明るい状況だったのではないか? 死も怖くない。開放されるから・・・。自分の肉体に執着すると、死は怖い。体が少しでも痛むと怖い。でも自分は肉体の自分の他に、魂の自分もいる。肉体の自分に執着しなければ、例え病気でも苦しまないし、痛くもない。自分は姉のことが理解できる。」と言われてしまった・・・・・。「そんな風に死を迎えられる人は少ないのでは?」と聞くと、「確かに少ないでしょうね・・」とも。

死へのスタンス、心の持ちようで、人間はこれほどの違いが出るのか・・・。兄嫁の今回の死への道程。これを見つめると、自分も何だか死が怖くない気がして来る・・・。
兄嫁は何の宗教も信じていない普通の人。自分の死を知ってからも、宗教に走ることもなかった。そんな普通の人でも、まるで仏さまのような考え方を持っていたことを、亡くなってから知った。
この事は、自分の死生観に重大な影響を与える。兄嫁の冥福を祈ると共に、明日からの通夜、葬儀を通して、兄嫁の生き方、死に方について、じっくりと見つめてみたい。そしてこの境地に自分も行けるかどうか、考えてみたい。

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2011年7月 3日 (日)

NHK「四川大地震、被災地は今“李先生と30人の子どもたち~紅白中心学校~”」

先日、「NHK「ザ・ベストテレビ2011」が楽しみ・・」(ここ)という記事を書いた。そこで、昨年の「ザ・ベストテレビ2010」で、まだ見ていなかった番組を“発見”したが、先日それを見た。
BS世界のドキュメンタリー「<シリーズ 四川大地震、被災地は今>第2回 李先生と30人の子どもたち ~紅白中心学校~」(2010年6月29日放送)(ここ)という番組である。この番組は。「第26回ATP賞テレビグランプリ2009 ドキュメンタリー部門最優秀賞」を受賞したという。ATP賞というのは制作プロダクションが作った番組に対して贈られるもので、この作品はテムジンというプロダクションの制作。

この番組について、NHKの解説にはこうある。
「<シリーズ 四川大地震、被災地は今>第2回 李先生と30人の子どもたち~紅白中心学校~
未曾有の被害をもたらした四川大地震から半年、被災者たちの現状を克明に伝えるシリーズの第2回。震源地に近い紅白鎮の小中学校では、合わせて159名の児童生徒と8名の教師が犠牲となった。
9月の新学期から仮設校舎で授業が再開、受験を控えた中学3年生の子どもたちは悲しみに暮れる間もなく勉強に励んでいる。子どもたちの多くは、家が遠いため寄宿舎での生活。1組を担任する李庭芳先生(32歳)は、10歳の一人娘を地震で失った。
だが、農村の子どもたちにとっては、高校進学が将来を左右する重要な岐路となる。李先生は交換日記を通して生徒の心境を把握したり、親を亡くした子を家まで訪ねてケアしたりと、奔走する日々だ。いつも明るく気丈に振る舞い、決して涙を見せない李先生だが、自らが負った深い心の傷を一体どう癒してゆくのか。
懸命に子どもたちの救出と保護にあたり、娘を探しに行けなかった李先生を、生徒たちは第二の親と慕う。彼らの話から、震災の過酷な現実が次第に明らかになってゆく。そして迎える、大事な中間試験。番組では、悲しみを背負いながら教壇に立つひとりの女性教師と、クラスの子ども30人の心のつながりを丹念に見つめてゆく。」
(NHKのここより)

四川大地震の発生は、2008年5月12日14時28分。誰もが地震で家族を失い、そして友達を失った。助かった子どもも、級友を助けるため、遺体や重傷で死に逝く人たちを見て、その精神的なショックは計り知れない。しかし現実の高校受験は迫ってくる・・・。

この番組でも先生が言っていたが、中国における“勉強”の重要度は日本の比ではない。先生は言う。「山村の子どもたちの将来は進学しなければ厳しいです。炭鉱や出稼ぎをして暮らすしかありません。もし勉強ができれば彼らの運命は変わります。大学に進学できた生徒は大勢います。わたし自身がそうでした。両親は普通の農民です。勉強によって職を得ました。手に職がない人より良い待遇です。彼らにはわたしよりもいい生活をして欲しいのです。」
生徒だけではなく、先生自身も一人娘を失い、その心の傷は癒えていない。そして先生へのカウンセリングを、「カウンセリングは古傷を開く行為。ゆっくりと治しているのに、それを開かれたら一層傷つきます」と拒否する先生。先生も生徒も、地震の悲劇を背負ったまま現実の受験に向かって進んでいる・・・。そして卒業・・。先生と生徒の信頼関係・・・。

この番組が初回放送されたのは、2009年1月17日だったという。東日本大震災が起きる2年前。でも人々の震災による痛み、そして復興への営みは、国も人種も関係がない・・・。

先日、新聞のテレビ欄に「ザ・ベストテレビ」は再放送の予定がないと載っていた。でもこの番組は、もともと“BS世界のドキュメンタリー”。
日本が大震災を経験し、その目でこの番組を見たなら、震災前に比べて色々と感じる所があるのでは・・と思った。そしてもしこの番組が再放送されれば、日本の震災復興への大きな励ましとなるような気がするが、どうだろう・・・。

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2011年7月 2日 (土)

中学の同級生からの、突然の電話

我が家の電話機は、しゃべる(ここ)。誰からの電話かをしゃべるのである。
その電話機が今朝「茨城県から電話です」とのたまう・・・。電話帳に載っていない番号は、市外局番から判断して、その県名をしゃべるのである・・・。

電話に出てビックリ。「R市のSだけど・・・」。中学の時の同級生からだ。頭の中は50年前に一気に飛ぶ・・・。頭のピントはバッチリ・・・。
聞くと、今日は出社しているが、非常勤での勤めもそろそろ終わりで、懐かしくなって電話したという。「どうしている?」から始まって、話は弾んだ。お互いの勤めの話や、健康問題、そしてリタイア後の生活まで、話題は共通。
糖尿を持っているが、酒は飲んでいるという。好きなモノを絶ってまで、長生きはしたくないと・・。そして話題は会社が終わってどうする??  聞くと、無趣味なので、ボランティアでもしようかと・・・。車の運転ぐらいしか出来ないので、爺さん婆さんの病院への送り迎えとか・・。それは喜ばれるぞ、と自分は反応する。

そしてリタイア後の“やること”・・・。自分が核心の質問をする。「ところで料理はするのか?」。予想に反して(?)「けっこうやるよ」という返事。「山に行くので、山では食い物を自分で作るしかない」・・・。なるほど・・・・。「そう言えば、会社の同期で、定年後“主夫”をしている奴がいるが、そいつも山が趣味だった。なるほど、山か・・・」。そして言われてしまった「料理も面白いぞ。やってみたら?」・・。仕方なく生返事・・・・

この男とは、学生時代以後、1度会ったことがある(1度しか会っていない?)。記録を調べたら2003年2月19日のことだった。某自動車会社に行ったやはり中学の友達から「たまたま上京するので、会おうか・・」と40年ぶりに電話が来たのがキッカケ。それで今日電話があったSにも声を掛け、3人で会った。それ以来の電話・・・
そのとき、カミさんが「男の人は40年近くも会っていないのに、それでも友達なの?」とあ
きれていたのを思い出した。「何十年会っていなくても、友達は友達なのさ・・・」とうそぶいたもの・・
しかし、それからもう8年も経ってしまった。でも人間の頭はスゴイ。50年前の事でも色々な場面を思い出す。そして色々なことを思い出しながら、話が進む・・・

Sが言っていた。「先日、中学の仲間と会った。40年ぶりだと言ったら、50年だろ、と言われてしまった。中学を卒業してもう50年も経ってしまった・・・。そしてもう5人も亡くなっていた・・・」
Sとは中学1年の時の1年間しか一緒でなかった。クラス委員長や生徒会長などをやった学校のリーダーだった。しかし中学2年の時に市内の中学の再編に伴い、彼とは別の中学になってしまった。そして彼は、地元に出来た新設私大に行ったが、実力があったのだろう、就職した地銀の支店長を10年も勤め、言いたいことを言い過ぎて子会社勤めになったと言っていた。
それもそろそろ終わり。そして皆、肩書の取れた平等な爺さんになる・・・。

しかし今日の突然の電話。誰かの頭の中に自分の名前がまだ残っていることは喜ばしい。まだ自分はまだ“生きている・・・!?”。しかも電話の“中身が無い”のも嬉しい。だいたい突然の電話は、誰々が亡くなったとかいう内容が多いもの。その点、中身が何も無い電話は良いものだ。
今度、田舎に帰ったら、声を掛けて一緒に飲もうかな・・・。
こんな話題も事件になる“何も無い”平穏な日常。これこそが“幸せ”の極致なのではないだろうか・・・。

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2011年7月 1日 (金)

今日の「明治神宮」

7月1日は会社の創立記念日で半ドン。年に一回の午後半休である。前の会社は半休制度があり、午後の半休を取って、よく都内のあちこちに行ったものだが、今の会社には半休制度が無いため、今日は貴重な午後・・。昨年は池上に行ったっけ。その前の年は井の頭公園。それで今日は、念願の明治神宮に行ってみた。念願というのは、今まで、何度となく行こうと思ったのだが、雨が降ったり、原宿までは行ったが、方向を間違え、しかもあまりの暑さに退却したりで、自分は今日初めて明治神宮に行ってみたわけ・・・。今日はその写真集である。(写真はクリックで拡大)

JR原宿で降り、陸橋を渡るともう明治神宮の境内。鳥居があり南参道を進む。本殿に入る道に大鳥居。歩き始めてまずビックリは、うっそうとした茂み。高い木々。前にNHKの番組で、明治神宮は、大正時代にまさに“新設した神社”と聞いていたので、その木々のスケールにまず圧倒された。とても90年しか経っていない境内とは思えない・・

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大鳥居を過ぎると、左手に神宮御苑がある。拝観料500円とある。お金を取るのだから、さぞ見応えあるのだろうと、入ってみることにした。苑内には隔雲亭、お釣台、あずまや、菖蒲田、清正井などがあるという。

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この御苑も木々の茂みは深く、昼なお暗い・・・という感じ。隔雲亭の前方には南池。そこには亀と鯉が悠々と泳いでいる・・。

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少し進むと、菖蒲田。花期は6月上旬から7月上旬とあるが、花の数が少し寂しい。

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そして唯一ガードマンが警備している(?)清正井。ガードマンさんの話によると、1分間に60リットルの水が湧き出ているという。手の平だけは水につけても良いと言っていた。

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そしていよいよ本殿へ。いやはやスケールが大きい。

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参拝する場所から中を覗くが、御社殿全体が見えない。参拝の仕方がちゃんと書いてあり、その通りに二礼二拍手してからお祈りをして、一礼をする。
参拝を終えて歩き出すと、境内右手にお願い事のコーナーがあった。せっかく来たので書こうかなと思って見ると、お願い事を備え付けの紙に書いて、封筒に入れて奉納するらしい。紙を見ると「初穂料」を書く欄がある。幾ら“おこころづけ”とあっても、100円と1万円では、お願い事がかなう確率が違う気がして、何かイヤな気がして止めてしまった。

さて帰ろうかと思い、原宿駅に戻るか、そのまま代々木の方に行ってみるか迷ったが、せっかく来たのだから、別の道へ・・ということで代々木駅に行く事にした。車道を歩く。とにかく境内は広い。カラスがあっちこっちで鳴いている。そして道の近くにも飛んでくる。

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そしてやっと代々木方面の出口にたどり着いた。
しかし大都会のど真ん中に、こんな大自然があるとは・・・。初詣で日本一の参拝者を誇るというのも分かる。都会とは別天地なのである。まさに日の光が地面に届かないほどの自然・・。その中を歩くと、まさに霊験あらたなり・・・、という雰囲気なのである。

しかし代々木駅までは結構あった。原宿に戻れば良かった・・。
かくして“大旅行”が終わったのである。今日は都内は33℃?とにかく暑かった。ふとカメラの写真データを見た。何と境内には1時間位しか居なかった。それなのに、大旅行をした感じ・・・。つまり、いかに自分の体力が落ちているか・・・
ふと思う。歩けるウチに早く行きたいところに行っておかないと、体力的に早々行けなくなるな・・・。自分の体力の衰えを実感した小一時間ではあった。

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