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2011年6月 2日 (木)

「法科大学院は必要か?」

とうとう当blogもこの6月で、5歳の誕生日を迎えてしまった。“5つ”の子どもなら可愛いが、還暦を挟んだ5歳など、可愛くも何ともない・・・。
それに、「リタイア後、どうしよう・・・」という“悩み”で始めた当blogではあるが、最近は「(何も見つからないので)このblogを書くことを“リタイア後の本題”にすればよいではないか・・」と開き直るありさま・・・。まあもうしばらく、このblogを書きながら考えてみよう・・

最近、どうも日本の法曹について疑問を感じる。
先日の朝日新聞に「争論~法科大学院は必要か」という記事があった。今日も長い記事でスミマセン。

<○の視点>
「理念に立ち戻り法曹を増やせ

   元早稲田大総長、法科大学院協会特別顧問 奥島 孝康さん
 旧来の法律家たちはよく、法科大学院出身者を「法律論が弱く、レベルが低い」と評します。しかし、法科大学院制度の元となった司法制度改革の理念は、「事前規制型の行政国家から事後救済型の司法国家へ」ということでした。だから法曹人口を大幅に増やす必要があり、これからの法律家は受験技術にたけた人だけではなく、多様なバックグラウンドで培った豊かな教養や人間性を持った人が求められるという考え方でした。
・・・・ところが実際の試験は、旧司法試験と同様の細かい法律知識を持たねば対応できない内容となっています。合格者数も2千人程度で、政府の司法制度改革審議会」の意見書の「2010年ころに年間3千人」には遠く及ばず、合格率も25.4%(10年)と、意見書の「法科大学院修了者の約7~8割が合格」の目標を大きく下回っています。
 多様な人材を受け入れるという理念も失敗しました。私か教えた早稲田大の法科大学院は当初、理念に忠実に社会人や法学未修者を多く受け入れました。しかし、初めて法律を学ぶ人に3年教えただけで、旧司法試験レベルの法律知識を問う試験に合格させるのは難しく、合格率は低くなります。合格率が下がると法科大学院の評価が下がるので社会人や未修者は減らさざるを得ません。
 日本弁護士連合会には「就職先がなく食えない弁護士が多いので、これ以上合格者を増やすべきではない」と主張する人がいますが、弁護士が多いのは東京など都会だけで、地方はまだまだ少ない。東京で食えなければ、地方に行けばいいのです。
 ・・・その努力もせずに「弁護士が多すぎる」と主張するのは、弁護士が既得権益を守ろうとしているからとしか思えません。
 今月初めて実施された「司法試験予備試験」は、「経済的な事情から法科大学院に進めない人にも法曹への道を残すため」と言われていますが、その合格者が増えれば旧司法試験を復活させるのと同じ結果になり、司法制度改革の理念を否定することになります。
・・・司法制度改革の理念の実現のためには、司法試験の合格者を段階的に年5千人程度に増やすべきだと思います。国の人口に対する法曹資格試験合格者数の割合では、日本は他の主要国に比べまだ少ないのです。例えば、米国は人口約3.1億入に対し年6万人近くが合格。英国も人口約6200万人に対し年約5千人。ドイツも人口約8200万人で約1万人です。合格者2千人程度で「合格者のレベルが低い」というのは見当違いで、むしろ昔の年500人という合格者数が異常だったのです。」

<×の視点>
「司法試験の受験資格にするな

   中央大法科大学院教授  安念 潤司さん
 日本の法科大学院制度の困ったところは、一種の精神主義に貫かれていることです。現実を無視して、「理念はこうだ」という。戦時中の日本軍と同じですな。
 「受験指導をするな」といいますが、学生は端的に受験生です。司法試験に受からないと先の展望が開けない。我々だって教育者ですから、教え子にとって一番重要なのが司法試験合格なら、一肌脱ぎたいと思うのは当然ですよ。
 そもそも受験指導だと学問的な水準が保てないという考え方が間違っている。・・・・
 法学未修者も受け入れて多様な人材を養成するという建前ですが、未修のかなりの部分が法学部卒の「隠れ未修」。本当の未修者はごく少数です。・・・・
 今の司法試験は、法科大学院修了から5年以内に3回までしか受けられない。回数制限は外国でもありますが、「ほとんど受かる」という前提だからです。合格率25%で、3回までというのは過酷すぎる。学生の精神的重圧感は大変なものです。「三振」したら、30歳近くになって何も残らない。
 制度を作った人たちは、法科大学院がこんなに多くできるとは思わなかったようです。しかし、当然予測できたことじゃないですか。法科大学院がないと、法学部に学生が集まらない。法学部は、講義がほとんど大教室でコストがかからないドル箱なんです。それを維持するために、どの大学も法科大学院をつくらざるを得ない。だから合格率が下がった。
 今のままだとかなりの学生が三振しますから、現実的には「5年3回」という制限をなくすしかない。でもそれは小手先の対策で、本来は合格者を大幅に増やすという王道を取るべきです。
 合格者を増やすと、法曹の平均的な質は当然低下します。だけど、それで誰が困るんですか。上位500人は、旧司法試験の時代と同じくらい優秀なはずです。ぎりぎりで合格した連中だって、世の中に出せば意外と使い物になるかもしれない。入り口で絞るんじゃなく、チャンスは与えて、後は自由競争に任せればいい。
 当然、「法曹資格さえあれば食える」という考えは通用しなくなります。でも、資格ってそういうものでしょう。足しにはなるかもしれないが、保証にはならない。
 ・・・世の中が貧乏になって、法曹だけが栄えるということはないんです。
 今度始まった予備試験は、原理的には肯定しています。司法試験は学歴不問でかまわない。ただ最終的に合格者数がどれくらいになるかが問題で、あまりに少ないと、いかにも言い訳としてつくった制度になってしまう。
 法科大学院はあってもいいけれど、司法試験の受験資格として強制すべきじゃない。行きたい人だけが行けばいい。法科大学院を出たことが世間で高い評価を受けるようになれば、ほっといても学生は来ます。」(2011/05/31付「朝日新聞」p15より)

両者は法科大学院の必要性については意見が違うものの、司法試験の合格者増に対しては意見が同じようだ。しかし立場が違うにせよ、両者のそれぞれの言葉には共感できる部分が多い。

特に、日弁連の「就職先がなく食えない弁護士が多いので、これ以上合格者を増やすべきではない」という主張は、氏が言うように、まさに既得権益を守ろうとしている姿。
“当然、「法曹資格さえあれば食える」という考えは通用しなくなります。でも、資格ってそういうものでしょう。足しにはなるかもしれないが、保証にはならない。世の中が貧乏になって、法曹だけが栄えるということはないんです。”という意見も、実にもっとも・・・。

ところで、弁護士への相談料は、30分5000円が相場だそうだ。普通のサラリーマンが1か月160時間働くとすると、弁護士さんの月給は160万円、年収は1920万円になる。それに比べ、H21年の男性サラリーマンの平均年収は500万円、女性は263万円(ここ)、男女平均は406万円だそうだ(ここ)。つまり、弁護士さんの給料は、一般サラリーマンの5倍。

もちろん時間単価は、その付加価値によって決まる。しかし、法曹資格によって裏打ちされた弁護士の世界のレートは、我々一般ピープルの世界とは明らかにかけ離れている。我々庶民が1万円と感じるところが、弁護士世界では10万円・・・という感じ。
だから「合格者を増やして誰が困るんだ? 後は自由競争に任せればいい」という考え方は大賛成。

業務独占資格で断トツの高収入を誇る弁護士さん(ここ)。一方、同じ業務独占資格で、獣医さんの世界がある。自分のペットをどの獣医さんのところに連れて行くかは、ほとんどが口コミ。歯医者さんを選ぶとき以上の、口コミの世界である。つまり、選択肢は幾らでもあり、救急車で担ぎ込まれるような次元ではないため、患者側の意志で医師を決める。よって、自然淘汰が甚だしい世界だろう。

それに比べ、どうも弁護士先生の世界は、一段高いところに君臨しているように見えて、どうも好かん。日弁連の「食えなくなる~」という悲鳴など無視して、日本中弁護士だらけにして競争させたらよい。そうすれば、我々庶民の感覚と合ってきて、国民に身近な存在となることだろう・・・

今日の内閣不信任案の政治家たちではないが、“バッカみたい”と国民に侮られないよう、今住んでいる世界から、階段を数段降りてきてくれることを期待する法曹界ではある。

(関連記事)
「司法試験の合格者数を巡る論理」

●メモ:カウント~190万


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