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2011年6月の22件の記事

2011年6月30日 (木)

「亡き人を描く画家」~NHK日曜美術館

NHK日曜美術館で、「記憶に辿りつく絵画~亡き人を描く画家~」(ここ)(2011/06/26放送、再放送は2011/07/03 20:00~)を見た。

NHKの解説に、こうある。
「「亡くなった娘を絵画で蘇らせて欲しい」。1人の画家に来た依頼だ。
画家は独自の写実表現で注目される諏訪敦。
諏訪は以前、舞踏家の大野一雄を1年にわたり取材し、連作を描いた。そして7年後に100歳を迎えた大野を再び取材し描いている。諏訪は写実的に描くだけでなく、徹底した取材を重ねて対象となる人物と向き合い、人間の内面に迫ろうとする気鋭の画家だ。
依頼したのは、2008年の5月、南米ボリビア・ウユニ塩湖で交通事故に遭(あ)い炎上死した、鹿嶋恵里子さん(当時30)の両親である。鹿嶋恵里子さんは結婚も決まり、結納式から10日後の突然の悲劇だった。
依頼した内容は、諏訪の絵によって快活な娘を蘇(よみがえ)らせて欲しい、というものだ。
亡き人を描くために彼はわずかな手掛かりを求め、さまざまな取材・手法から彼女の特徴を探っていく。自分の表現としての作品性と、依頼した両親の娘に対する思いをどのように1枚の絵画に描いていくのか。諏訪が悩み、葛藤していく様を撮影した。
番組では6か月にわたり諏訪と依頼した鹿嶋さん家族を取材。親の思い・亡き人と向き合った彼の苦悩と完成までの軌跡を追った。」
(NHKのここより)

死者の肖像画を描くというショッキングなテーマに、恐る恐る見た番組だったが、この作品は、ある意味ドキュメンタリーの秀作だと思う。最愛の娘さんをまさに不慮の事故で亡くし、それを未だに受け入れられない両親。そして、明るい表情の肖像画を、と願う。
それを受けた画家は、両親のスケッチから始めて、数々の写真や実際に着ていた服などから、実物大の肖像画に昇華させていく。その6ヶ月間の、まさにドキュメンタリー。
両親の“明るい表情の娘の姿を”という希望と、画家の“単なる写真を写したような肖像画では、絵として鑑賞に耐えない”と思うギャップ。それを画家は悩みながらも、そして何度も描き替えながら描いていく。手の表情に至っては、写真から読み取るのが難しいため、義手のメーカーに出向いての取材までしている。
そして半年後。出来上がったのは単なる一枚の肖像画。それを持って依頼者の家を訪ねる画家・・・。双方、まさに“ドキドキ”の一瞬である。そして出来上がった肖像画を見て、両親は感動する。新しい娘がそこに居る。出来上がった肖像画は、両親が見たこともない腕時計を手にする架空の姿。でも新たな娘が帰ってきた・・。その肖像画からは、写真と違って感動が伝わる、という。その肖像画は、見れば見るほど娘が色々な言葉を発している、という・・・。

番組は、同じく子どもを亡くした別の親も取材している。その人は、全ての情報から“画家が捉えた人物像”を描いてくれれば、そのように娘を捉えてくれた人もいる・・と思えて、嬉しいこと・・・と言う。突然亡くした子供に対する親の想いは、みな同じ・・・

一緒に見ていたカミさんが「良い番組を見せてもらった・・・」と涙を拭く・・・。この番組は、家族の姿、そこに突然襲った悲劇、両親の子どもの死への想い、それらを画家としてどう捉えるか・・・等々、色々と考えさせられた番組だった。
日曜美術館という番組は、どちらかというと展覧会の紹介が多いが、このような方向の番組作りもなかなか面白い。今後も期待したいもの・・・・。
(もし良かったら、今度の日曜日(2011/07/03)の夜に再放送があるのでご覧下さい)

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2011年6月28日 (火)

「悪口は勝手に言わせておけばよい」~ブッダの教える発想の転換(3/5)

雑誌「大法輪」2011年5月号に「ブッダの教える発想の転換」という記事があった。なかなか耳の痛い話ではあるが、5回に亘って読んでみよう。今日はその3回目。

ブッダの教える発想の転換
   菅沼 晃(東洋大学名誉教授)
・・・・・・
<悪口は勝手に言わせておけばよい>
 「バラモンよ、君はこのように罵詈雑言(ばりぞうごん)をあびせかけて私を非難しているが、私は君の罵詈雑言を受けとらない。だから、バラモンよ、それは君にもどり、君のものだ」(『相応部経典』第七「バラモン相応」)
 ブッダが布教活動を始めたころ、ラージャグリハの竹林精舎で説法していたとき、アッコーサカというバラモンから、罵詈雑言を投げつけられて非難されたことがありました。このバラモンは周囲の人びとが次々に仏弟子になってゆくことに腹を立て、ついに我慢できなくなって竹林精舎に出かけていって面罵したのです。
 「言葉の暴力」といわれるように、罵(ののし)り謗(そしる)ることは、本質的には殺人や傷害と変わるところがありません。怒り・憎しみ・恨みが外に向かって表されるとき、身体的には暴力や傷害などの行為となり、口で言う場合には罵り・誇りの言葉となり、心に思うときには怨念となっていつかは動きだし、相手を傷つけるからです。
 何かの言い合いがあって、相手に悪口雑言を浴びせられた日の夜。「あのとき、こう言ってやればよかった」と思って眠れなくなることがありますが、ブッダはアッコーサカ・バラモンの罵詈雑言を「そっくり君にお返しする」と言って、あっさりと退けました。
 「昔からいままで、人びとは黙って座っている人を非難し、多く語る人を非難し、少ししか語らない人を非難する。この世に非難されない人はいない」(『真理の言葉』二二七)と言われるように、ブッダは人間が社会生活のなかにいる限り悪口を言われる存在であることを認めたうえで、「言い返してはならない」といっているのです。
 私自身も職場の会議で、理不尽な理由によって非難され罵倒されたことがあります。そのようなとき、ブッダの言葉を思い出して「今の言葉は、そっくりあなたにお返します」と言ったことがあるのですが、どうも通用しなかったようでした。現実にはなかなか難しいこととは思いますが、「言い返して何になる」というブッダの言葉は常に心に止めておきたいと思います。」(雑誌「大法輪」2011年5月号p49より)

この論もなかなか手厳しい・・・。
確かに人間社会で、誹謗中傷は日常的なことかも知れない。しかし、心にはあまり良い影響を与えない。人の悪口を言っているときは、何だか心がスッとするのだが、何とも後味が悪い。結局自分で発した言葉は、自分に返ってくるという事なのだろう。
誹謗中傷の原因は価値観の違い。物事に対する価値観が違うから、非難することになる。上の記事のように、面と向かって非難しないまでも、人は人を評価し、色々な勝手なことを言う。しかし、人から評価されるほど不愉快なことはない。自分は自分なのだ。それを、自分の知らないところで、そして別の価値観で評価され、色々と言われるのを聞くとゾッとする。
その点、政治家はマスコミ始め、表舞台で堂々と評価される。それにも拘わらず、菅首相は今までの首相と違って、実に打たれ強い。それだけ見ても大物。まあそれは、裏舞台でヒソヒソ言われるよりはマシかも・・・

先日の朝日新聞の「民主党の弱さ~黙々と汗かく人が少ない」という記事に、こんな言葉があった。
「・・・小沢一郎氏の政治資金問題と分派活動、鳩山由紀夫、菅直人両氏のリーダーシップ不足……。さらに深刻なのは、与えられた任務を果たすフォロワーシップとも呼ぶべき「政治の作法」が欠けていることだと思う。「作法」にうるさかった竹下登元首相の語録を引きつつ、民主党の現状を考えてみよう。
 ▼汗は自分でかく。手柄は人にあげる
 例えば原発の再稼働問題。菅首相は浜岡原発の停止要請を発表し、得意満面だった。一方で点検の済んだ原発の再稼働に向けた地元自治体との話し合いは、海江田万里経済産業相に委ねている。竹下流であれば、停止要請といった目立つ仕事は経産相に任せ、首相は地元との折衝に汗を流すだろう。菅氏の「手柄は自分」の体質が、民主党全体に及んでいないか。・・・・・・
 ▼世間の評価は自己評価の半分と心得よ
 自分が80点の仕事ができたと思っても、世間から見たら40点というケースがある。人の評価は難しいのだ。・・・」(2011/06/25付「朝日新聞」p4より)

「悪口は勝手に言わせておけばよい」。確かにそうだ。でも悪口を言われなくて済むのなら、それに越したことはない。それは「人徳」の問題かも・・?
上の記事だけを読むと、菅首相は悪口を言われるタイプで、竹下登元首相は悪口を言われないタイプなのかも知れない。(竹下氏に人徳があったかどうかは知らないが・・・)

そろそろ我々も、「徳」を考える世代に入ってきた。表舞台はもとより、裏舞台でも「罵詈雑言」という言葉と縁のない暮らしをするためには、どう生きたらよいのか?
「徳」という言葉を前に、たじろぐ自分ではある。

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2011年6月27日 (月)

人生での経験と“品性”

最近、“人生での経験”について思う。つまり、還暦をとっくに過ぎた自分のような年齢になると、これからの人生で“画期的な経験”や“今までに無い経験”をする機会は、自分で努力しない限り非常に少ない。・・・とすると、“自分の人生”も既に見えた・・・・!?

先日の朝日新聞「ひととき」の欄に、こんな投稿があった。曰く・・・
死んでたまるか!
 災害や原発事故におびえて暮らさなくてはならない昨今だが、96歳の私にも、死に直面した数々の体験がある。その都度、「死んでたまるか!」との思いで乗り越えてきた。
 初めは小学1年のとき。豪雪地帯の新潟県で生まれ育った私は、下校途中、屋根の雪下ろしの雪の下敷きに。窒息しそうになりながらも自力で抜け出した。
 東京の親戚宅で暮らしていた20代のときには、2・26事件が勃発。ラジオからは「流れ弾が危険です。身を伏せてください」との叫び声。陸軍教育総監の自宅近くだったために、生きた心地がしなかった。
 悲惨な太平洋戦争に突入後は、昼夜の別なき激しい空襲。結婚して越してきた名古屋市で、逃れた岐阜県大垣市の親戚宅で、両親が住んでいた三重県桑名市で、3度家を焼かれた。
 桑名市の実家が焼けたときは油脂爆弾に吹き飛ばされ、全身火だるまになった。体は焼けただれ、危うく死体置き場にリヤカーで運ばれそうになった。
 歳月は流れ、いまは安穏の日々を送っている。命は自分で守るもの。人間、ダメと思ったらダメ。生きていれば、幸せな生活は必ず訪れる。(名古屋市 H.T 無職 96歳)」(2011/06/25付「朝日新聞」p31より)

自分はサラリ-マン現役時代、“転勤嫌い”で通していた。何のことはない。本音は、気が弱いので“変化がキライ”だっただけ。30歳代の頃、仕事の内容が大きく変わってコケた。そして退職の少し前、トシをとってから初めての転勤を経験し、案の定、そこで新たな体験をした。しかし、慣れた場所から動くことは、動くことそのものがストレス・・・。それが苦手だった。

「昔の人は強い」「女性は強い」とよく言われる。戦争を体験した人は、それに比べれば全てが“どうってことない”ことだという。だから強い。
昔、自分が若かった頃、家庭内である事件を起こした。それを(仲が悪かった)“人類のテキ”の田舎の親父から、「そんなこと、昔の戦争体験からすると何でもないこと」と事も無げに言われた。その言葉がいまだに頭から離れない。自分は戦争の体験は無いのであまりピンと来なかったが、それほどに戦争の体験は重いことだったのだろう。
今回の震災から100日余。被災者にとってみると、先の戦争体験に匹敵するような、悲惨な体験をされた方も多い。
一方、カミさんに言わせると、女性は死ぬ覚悟でお産をするという。お産の痛みが、それからの人生において常に基準となるらしい。だから“お産の痛みに比べれば・・”となって強いらしい。それに比べると、男の何とひ弱なことか・・・。自分も含めて、話にならん・・

それらの過酷な体験を持つ人に比べて、“順風満帆の人生”は果たして良いものか、最近疑問を感じる。人生で大きな事件が無い・・・。大きな悲惨な体験がない・・・。それ自体は非常にラッキーな事ではあるが、いざ逆境に陥ったとき、逆境への耐力があるかどうか・・・

都会で挫折を知らずに生きているエリート族。一方、派遣切りに遭う派遣社員や、先の戦争や今回の震災の経験を経た一般ピープル。有り得ない話だが、飛行機で南海の孤島に不時着した・・・なんて想像すると、どちらの方が生命力があるかは一目瞭然だ。
人生、果たして順風満帆がホントウに良かったのかどうかは、死ぬまで分からない。しかし自分や家族の死を含めて、逆境が無い人生などあり得ない。だから、これから見舞われるであろう人生の挫折や逆境(病気とか、天災とか、家族の不和とか・・・)。その時にこそ、それまでに培われた人間性や、人間としての実力が問われるもの。それは決して学歴でも、社会的ポストでもない。生きる力は、まさにこの投稿のように、挫折を乗り越えた体験の蓄積だけが育てるもののような気がする。

前に手仕事屋きち兵衛さんのコンサートで(ここ)、きち兵衛さんが「トシを取ったら、品のある老人を目指そう」といった話をされていたが、その通りだと思う。
幾多の体験によって培われた人間としての実力と品性。
過去はどうあれ、品のある、そして耐力のある老人を目指したいものだが、さてさて・・・

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2011年6月25日 (土)

「携帯拾われ“親切心”引きつぐ」

今日は軽い話・・。今朝、朝日新聞を読んでいたら「若い世代」という投稿欄に、こんな記事が・・・。曰く・・・

携帯拾われ「親切心」引きつぐ
   大学生 M.U 横浜市 22
 携帯電話を終電間近の車内に落としてしまった。一緒にいた友人がそれを鳴らしてくれたところ、拾った方が電話に出てくれ、夜のうちに会うことができて手元に戻った。翌日、その方が「携帯を拾ったので連絡をください」と、友人が携帯を鳴らす前に私の家の留守電に自分の携帯番号を残してくれていたのに気づいた。
 あらためてお礼がしたいと思い電話した。すると「気にしないでください」と言われ、ますますお礼をしたくなった。何度かやりとりするうちに「じゃあ」と相手が切り出した。私は何でもするつもりでいた。すると相手は「もし携帯が落ちてるのを見つけたら今回の僕のようにしてあげてください」と言ったのだ。
 その瞬間、それまで見ず知らずだった人からこんなにも無償の親切心を得て、「優しい」という言葉はこういう行為を言うんだと思っな。
 落ちている携帯を見つけたら今度は私か同じことをしようと、心の底から思った。」(2011/06/25付「朝日新聞」p12より)

ちょっと出来過ぎた話ではある。でも震災や政治の混迷など、暗い話が多い昨今、こんな話を読むと、“出来過ぎ・・・”とは思いながらも、なぜかホッとする。それほど、今年は良いことが少ない。

それにしても、携帯で世の中は変わってしまった。携帯のお陰で、いつでも誰とでも連絡がつく。しかしそれは相手の電話番号を知っているから・・・。だから、肝心の携帯を失うと、それこそ手も足も出ない。昔のように、紙に電話番号をメモする習慣も無くなってしまったため、せっかくの友人が、携帯紛失とともに“番号が分からない”という事態に陥り、相手と連絡を付ける手段を一瞬にして失った結果、友人が他人のように遠くなってしまった感に・・・。

前にいた会社で、非常連絡網なるものを作り、訓練をしたことがある。真夜中に携帯が鳴る・・・。眠い目をこすりながら見ると、「これは訓練です。**で震度5の地震が発生しました。安否の確認です・・・・」。それを見て、「今何時だと思っているのだ!」と怒ったもの。(でもそれが正夢になろうとは・・・)
パソコンのメールと違って、携帯のメールは、リアルタイムで相手の携帯を鳴らす。これは注意が必要。夜中など、相手のことを考えて打たないと、とんでもない迷惑を掛けてしまう事になる。

先日、ひょんな事から、今使っているパソコンに水をこぼしてしまった。あわてて、強制的に電源を切った。そしてドライヤーで乾かし、祈る気持ちでパソコンの電源を入れる・・。すると見かけないブルーの画面が出て、何やらチェックする。強引に電源を落としたので、ファイルが壊れたみたい・・・。「システムの復元」で前日に戻したら、何事もなかったように動き出したのでホッとした。
機械は壊れたり、失ったりするもの。それを前提に日々過ごさなければいけないのに、自分の周囲は何と無防備なことか・・・
財産(お金)や健康問題も同じ。何事もないことを期待しての生活。この大学生の携帯紛失事件もそうだが、常に“あらゆる事が想定内”という生活に、そろそろ切り替える時期かも知れない。そろそろトシ・・・。どんな不幸が、いつ何どきに来ても、パニックにならない心構え・・・
口で言うのはたやすいが、実行は極めて難しい。しかしとっくに還暦も過ぎた・・・・
しかし「臭いモノにはフタ」という我が家の家訓と、どう折り合いを付けるか・・。難しい局面に入ってきた我が家ではある・・・。(ウーン・・・・)

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2011年6月24日 (金)

「ほどほどに眠る 睡眠時間、気にしすぎず」

今日の「日経新聞」夕刊の「こころの健康学」は睡眠について。曰く・・・

ほどほどに眠る 睡眠時間、気にしすぎず
 不眠に悩んでいる人は多い。しかし、それは人間の宿命だと、睡眠を研究する専門家に聞いたことがある。彼の理論は次のようなものだ。
 原始時代に、もしいつでもゆっくり眠れる人がいれば、猛獣に襲われて命を落としていた可能性が高い。そうした環境で生き延びるためには、少しの物音にも敏感に反応してすぐに目が覚めるような人だ。そうした人たちの子孫である現代人は、元来ゆっくり眠ることができない遺伝子を受け継いでいるというのだ。
 私はその話を聞いて、とても納得した。そう言えば、私は子どものころチャンバラが好きだった。そのころ読んだ剣豪小説のなかに、剣豪は少しの物音にも目を覚まして敵に反撃したという話があり、自分もそうなりたいものだと努力したことを思い出した。
 私は、早速その話を、不眠を訴えていた患者さんに伝えてみた。眠れないということを気にしすぎているためにますます眠れなくなっていると考えたからだ。その話を聞いて、その人は、なるほどと笑いながら少しけげんそうな表情をして言った。もしゆっくり眠れないと猛獣に襲われることはないだろうが、心身ともに疲れ果てて体を壊してしまうのではないか。それもそれで説得力のある考え方だ。
 そこで2人で話しあった結果、結局はほどほどに眠ることが大切だが、あまり睡眠時間を気にしすぎるのは良くないだろう、という常識的な結論に落ち着いた。(国立精神・神経医療研究センター 大野 裕)」(2011/06/24付「日経新聞」夕刊p7より)

夜中に目が覚めることなど無かった自分だが、いわゆる中途覚醒が気になりだしたのは110624kakusei いつ頃からだったか・・・。老人がトイレのために夜中にゴソゴソと起き出す話は良く聞く。しかし、自分までも??
寝てから1時間半くらいの周期で、よく目が覚める。それほど行きたくないトイレに、付き合いで行ってみる。そしてベッドの側に置いてあるヘッドホンアンプについ電源を入れてしまい、「ラジオ深夜便」をイヤホンで聞いてしまう。すると益々目が覚めて・・・。(まあこれは自業自得だが・・・)

それにしても、昔に比べて寝付きが悪くなったし、眠りも浅くなった。睡眠時間は年と共に短くなり、20歳台に比べて65歳を過ぎると1時間ほど少ないのが普通らしい。しかし自分の場合は、なぜかかえって年と共に、体が多い睡眠を必要にしているような気がする。いったいこれはどうしたことだろう・・・

会社での昼休み、食事から帰ってくると、最近はいつも机の上で居眠り。たった10分でも眠れると、午後の体調が良いこと・・・・。やはり体が欲している。

休日、朝起きると「どう?寝られた?」がカミさんとの会話の第一声。それほど眠ることが大事件になってしまっている最近の我が家・・・。

一方、このコラム。確かに猛獣の話も分かるが、結果として体がスッキリしないのだからどうしようもない・・・。それに“気にしない”ことが出来る人は、たぶん最初から不眠ではないのかも・・??
フト思った。大人気のNHK「ラジオ深夜便」。自分のように、録音しておいて、後で通勤途中で聞くような人は、そう多くはないはず。とすると、ほとんどの人(老人)はナマで放送を聞いていることになる。そして修行中のお坊さんでもあるまいし、午前2時や3時に起きていること自体が不自然。結局、リスナーのほとんどは、“中途覚醒の人”ということになる。
なるほど・・・。世の中の“中途覚醒者のための番組”が「ラジオ深夜便」だったのだ!!
・・・とすると、番組名を「“中途覚醒友の会提供”のラジオ深夜便」とした方がスッキリ??

こんなバカなことを考えているから、今晩も寝付きが悪い・・・? アアまた自業自得だ・・

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2011年6月23日 (木)

昭和46年の出来事(24歳)~小柳ルミ子の「わたしの城下町」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの25回目。自分が23歳から24歳、つまりサラリーマン2年生になった昭和46年(1971年)の出来事を調べてみる。

この年は新入社員ながら段々と仕事を覚えて、仕事が面白くなってきたころ。6畳一間の寮の部屋に、二人。この時代は、これが普通だった。
土曜日は臨出。日曜日は昼まで寝ていて、午後は寮の仲間と街に繰り出し、どこかで夕食を食べてから帰る、という生活。もちろんテレビなど部屋に無いので、ヘッドホンで音楽を聴いたり・・・。もちろん寮の屋上にはFMのアンテナを設置した。

しかし学生時代は、それぞれの年で、何があったか直ぐに思い出せるが、サラリーマンになってからは、その時々の出来事を思い出すのが一苦労・・。何かの事件(出来事)があS46 っても、何年の出来事かが思い出せない。つまり、いわゆる定常状態に入った・・・・?(写真はクリックで拡大)

さてこの年は、7月30日に雫石上空で全日空機と自衛隊機が空中衝突。S461 成田新空港反対闘争が激化。ドルショック等々。第一勧業銀行、東亜国内航空の発足。多摩ニュータウンの入居開始。

この年の歌は、「また逢う日まで(尾崎紀世彦)」「よこはま・たそがれ(五木ひろし)」「わたしの城下町(小柳ルミ子)」「おふくろさん(森進一)」「17才(南沙織)」「虹と雪のバラード(トワ・エ・モア)」「なのにあなたは京都へゆくの(チェリッシュ)」「雨の御堂筋(欧陽菲菲)」「別れの朝(ペドロ&カプリシャス)」・・・・。今でも良く聞く歌が多い。
その中で、今日は、小柳ルミ子の「わたしの城下町」を聞いてみよう。

<小柳ルミ子の「わたしの城下町」>

「わたしの城下町」
  作詞:安井かずみ
  作曲:平尾昌晃

格子戸をくぐりぬけ
見あげる夕焼けの空に
だれが歌うのか子守唄
わたしの城下町
好きだともいえずに
歩く川のほとり
往きかう人に
なぜか目をふせながら
心は燃えてゆく

家並がとぎれたら
お寺の鐘がきこえる
四季の草花が咲き乱れ
わたしの城下町
橋のたもとにともる
灯のように
ゆらゆらゆれる
初恋のもどかしさ
きまずく別れたの

橋のたもとにともる
灯のように
ゆらゆらゆれる
初恋のもどかしさ
きまずく別れたの

この歌は、小柳ルミ子のデビュー作であり、代表作でもあるが、自分にとってみると先の布施明、伊東ゆかりに続く“平尾昌晃一家”の家族が増えたように見えた。編曲はもちろん森岡賢一郎(ここ)。このコンビの歌はそれ以降良く聞いた。
この頃から、いわゆる70年代の歌謡曲の全盛期であり、この当時の歌はほとんど知っている。自分の「素晴らしい音で歌謡曲を聴く」という趣味の全盛期だった。

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2011年6月22日 (水)

「政治の質を決めるものは何か」

毎日愛読している日経新聞のコラム「大機小機」。今日のテーマは、日本の政治の質を決めるものは・・? 曰く・・・

政治の質を決めるものは何か
 日本の政治はどこまで落ちていくのか。いっこうに底打ちする気配の見えないこの国の政治の低迷は、全世界周知の事実である。今や政治の現状を嘆くのが、あいさつ代わりとなった。
 この惨状は一体何に起因するのか。少し考えてみれば明らかだが、民主主義の下で政治の質を決めるのは、われわれ国民の質である。国民の質が低下すれば、必然的に政治の質は低下する。
 政府・与党がまとめた社会保障と税の一体改革案では、2015年までに消費税率を10%まで引き上げるとしている。しかし与党内の議論は反対一色である。菅直人首相の消費税発言で民主党は参院選で惨敗した。増税を掲げて選挙は戦えない、というわけだ。これが正しいとすれば、要するに消費税は嫌だ、と逃げているのは投票する国民ということになる。
 地球上、事情はどこでも同じ、というわけではない。ドイツでは05年、メルケル氏率いる野党が、医療保険制度の将来を確かなものにすべく付加価値税率を上げることを公約として掲げ、総選挙に勝利し、公約どおり07年1月に税率は16%から19%に引き上げられた。
 日本の政治の行方を決める国民の方はどうだろうか。過去20年を振り返ると、反省しなければならない事例はいくらでも見つかる。風邪をひいただけで救急車を呼び、救急病棟に乗りつける若者が登場した、というニュースを前にすると、社会を支える制度が機能するために守らなければならない約束事を理解していない、と言わざるをえないだろう。「モンスター・ペイシェント」が「医療崩壊」の重要な一因であることは、医療界の常識である。
 こうした「緩み」の積み重なりが国を傾ける根本なのだ。それはやがて社会の制度、そして政治をも揺るがす。「ゆとり」を標榜して円周率を3にしてしまう国がどこにあろう。不出来なマニフェストを喝采し、「チェンジ」に熱狂した果てに「こんなはずではなかった」と嘆くが、本人が勉強不足だっただけではないか。
 30年間英国で教えた森嶋通夫教授は、著書「なぜ日本は没落するか」(1999年刊)において社会の土台は人間であるとした上で、2050年の日本につき表題のごとく論じた。過激なペシミズムに思えたその論調は、年を追うごとに現実味を帯びてきた。(与次郎)」(2011/06/22付「日経新聞」p17「大機小機」より)

よく人の話を聞いたとき、“ストンと落ちた”感じがする時があるが、自分にとってこの話は、何となく“ストン”と落ちた。つまり、いつもの“ナールほど・・”病の発症である。
毎回同じ事を書いて恐縮だが、ミーハーの自分は、誰かのこんな論を読むと、つい“ナールほど・・・”と思ってしまう。まあ節操が無いだけだが・・・
でも「民主主義の下で政治の質を決めるのは、われわれ国民の質である。国民の質が低下すれば、必然的に政治の質は低下する。」という指摘は、その通りだと思う。
政治家は、選挙で落ちるのが怖いので、世論に迎合する。国民は、ただただ今の生活に対しての損得で物事を考える。結局は、国民の質の低下が政治の低下、そして世界でバカにされる日本の現状を生んでいるのだろう。

でもせめて国民は“聞く耳だけは持っている”と思いたい。そして「これからの日本はこうあるべき!」という政治家の“将来の日本像”を語る強い言葉を聞きたい。そしてその声に、国民を納得させる力があることを期待したいもの。
消費税問題も原発問題も、政治家は税金で食っているおだから、国民を教育する(?)義務もあるのでは・・・?

ふと、2005年の「小泉劇場」、つまり「郵政解散」を思い出した。郵政民営化関連法案が参議院で否決されるや小泉首相は衆議院を解散したが、そのときの小泉首相の熱っぽいテレビでの演説がいまだに思い出される。持論をとうとうと延べ、衆議院議員選挙を通じて、持論の可否を世論に問うた。
その時の内容の如何は別にして、そんな熱っぽい政治が今欲しい。そんな事を思いつつ読んだ今日の「大機小機」ではある。

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2011年6月21日 (火)

NHK FMシアター「吉野雛」

自分のFM放送との付き合いは、大学1年の時(昭和41年)からだから、半世紀近い。もちろん、いわゆる“働き盛り”の時は、聞く時間はなかったが、1年前に高級チューナーL-02Tを手に入れてからは、夢中になって聞いている。
100%NHK FMしか聞かないが、その番組の中での「お買い得(拾いモノではない)」は、「FMシアター」(毎土曜日22:00-22:50)と「青春アドベンチャー」という二つのラジオドラマ。
とにかく音が良い。そのリアルさは、音楽CDの比ではない。もちろんドラマの内容も素晴らしい・・・

先日(2011年6月11日)放送された「吉野雛」。何とも心温まるファンタジーで、良かった。
この番組について、NHKの解説にはこうある。(写真はクリックで拡大)
「古より信仰を集めてきた大峰山系のひとつ・吉野。代々、林業を営む神田家の長男・太110621yoshinobina 一(25)は、将来を誓った恋人・奈美(25)を火事で突然失った。絶望で仕事に手が着かない太一は、ある時、山に伝わる「過去に一日だけ戻ることができる」山神伝説を知り、恋人に逢いに過去に戻ろうとする。奈良・吉野で今生の別れを遂げた源義経と静御前の悲恋物語をベースに、死者への未練から行動を起こした主人公と亡くなった恋人が一日だけ再会するラブストーリー。」ここより)

内容的には、還暦過ぎの我々が聞くには、少々恥ずかしいが、何とも心が洗われる・・・
少し聞いてみよう。

<NHK FMシアター「吉野雛」一部>

(このドラマの全部(50分)を聞かれる方は(ここ)をクリックして10分待つ・・・)

ドラマの内容を書くことはしないが、ドラマの最後に、お婆さんが言うセリフ、「この世に生かされておる者がすべきことは、過去にとらわれることやない。過去を忘れず、今を生きていくことや」が、テーマのような気がした。
この言葉は、まさに仏教の教え・・・。

このドラマの脚本を書いた橋目真理子さんはどんな方?とNetで検索したら、(こんな)サイトを見付けた。それによると、
「・・・橋目さんは、2人のお子さんを育てながら、家事の間に脚本を書いています。20代から脚本を書き始め、今、母親になり、描ける視点も増えたと言います。橋目さんが脚本を書くときに一番力を入れているのは「人」。・・・ここより)
とのこと。この脚本家は、精神的にはまだまだお若いようだ。

ところで、このドラマのように「過去に一日だけ戻ることができる」としたら、どうする?
“あの人生で一番輝いていた日をもう一度・・”と考える人もいるだろうし、“あの日の失敗さえ無かったら・・・”とその日に帰ってやり直すことを考える人もいるだろう。

ふと現実に戻ると、一番たくさんの人が思い浮かべるのが「2011年3月11日」だろう。もう一度この日に戻れたら・・・。たぶん多くの人が死なずに済んだ。原発の事故だって・・・

ふと「自分だったら?」と考える。ウーン。直ぐには“戻りたい日”が思い浮かばない・・・。
強いて言うと、耳鳴りがした日(いつか特定できないが)、即刻大学病院に行っていれば、右耳が難聴にならずに済み(ここ)、今でも素晴らしいFM放送やCDの音楽を聴けたのに・・・(まあ思い浮かべるのがこんなこと位なので、自分の人生も大過なく・・なのかも)

ともあれ、時間のある方は、(ここ)から、L-02Tで受信した素晴らしいFM放送の音をお聴き下さい。出来ればイヤホンで・・・・

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2011年6月20日 (月)

NHK「ザ・ベストテレビ2011」が楽しみ・・

“我が輩はテレビ人間である”とは何度か書いた。(しかし実際は“録画人間”であって、録画番組をほとんど見ていない・・・・)
そんなテレビ人間が、毎年楽しみにしている番組にNHKの「ザ・ベストテレビ」がある。
NHKのホームページ(ここ)にはこうある。

NHKと民放の連携で、この1年のドキュメンタリーの最高傑作が大集合!
テレビ界を代表するコンテスト受賞作を2日連続で一挙紹介!
グランプリ7作品は "まるごと"放送!!

多チャンネル化が進むなか、毎年、膨大な数のテレビ番組が制作されては電波に乗っています。しかし、その大半は、一部地域だけでの放送であったり、また再放送の機会に恵まれていません。なかでも、ドキュメンタリー番組は、その傾向が顕著です。放送される時間帯も、多くの人が視聴しやすい時間帯とは言いがたく、ドラマなどと違って、DVD化されることもめったにありません。例え、人の心に強く訴えかける名作・傑作・力作であっても、視聴者がそうしたドキュメンタリーを見ることは、極めて困難な状況です。
そこでNHKでは、その年のおもだった「テレビ番組賞」に入賞したドキュメンタリー作品のダイジェストを一挙に紹介し、グランプリ受賞作品については全編をまるごと紹介する「ザ・ベストテレビ」を放送。「公共放送の使命を果たす画期的な番組」として、視聴者などから大きな反響をいただいてきました。4年目の今年も、放送界の垣根を越えたこの試みに、チャレンジします。」
ここより)

この番組を強く意識したのは、「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」(東海テレビ)を見たとき。これが放送されたのが2009年。この「ザ・ベストレテビ」は今年で4年目だというので、自分は2年目から見ていたことになる。
その番組は、後で「門田隆将著「なぜ君は絶望と闘えたのか」(これ)を読んだこともあり、印象が強い。

昨年は、この番組を“発見”するのが遅く、最初の部分を見逃してしまった。それで今年は、【NHKネットクラブ】キーワードウオッチというのに【登録キーワード】として“ザ・ベストテレビ”という文字を登録しておいた。そうしたら、予想通りそれに引っ掛かって、昨日メールが飛んできた。
それによると、放送されるのは以下の通りだという。

【第1部 2011年6月25日(土)午後0:00~5:00 BSプレミアム】
◆日本民間放送連盟賞 テレビ教養番組 最優秀
  映像'10「きほとみずき~大人の階段 車いすで駆けのぼる~」(毎日放送)
◆日本民間放送連盟賞 テレビ報道番組 最優秀
  BBTスペシャル 「不可解な事実 ~黒部川ダム排砂問題~」(富山テレビ放送)
◆ATP賞テレビグランプリ2010 ドキュメンタリー部門 最優秀賞
  特集番組 「二本の木」(NHK・NHKエンタープライズ)
◆文化庁芸術祭賞 テレビ・ドキュメンタリー部門 大賞
  NHKスペシャル 「密使 若泉敬 沖縄返還の代償」(NHK)

【第2部 2011年6月26日(日)午後0:00~3:30 BSプレミアム】
◆「地方の時代」映像祭2010 グランプリ
  「笑ってさよなら~四畳半 下請け工場の日々~」(中部日本放送)
◆ギャラクシー賞 テレビ部門 大賞
  NNNドキュメント'11「夢は刈られて ~大潟村・モデル農村の40年~」(秋田放送)
◆放送文化基金賞 テレビドキュメンタリー番組 本賞
  NHKスペシャル「封印された原爆報告書」(NHK)

毎年長丁場ではあるものの頑張って見ている。どの番組もさすがにそれぞれの関門を突破してきただけのことはあって、結構見応えがある。

今年も例年のごとく録画しておいて、後で見よう・・。1年以内に見る努力をしているが、何と昨年の「ザ・ベストテレビ」の録画の中に、まだ見ていない番組があることを発見してしまった。
今週中に見たら、間に合う・・・!?
まあこんなものさ・・・。

もし時間がある方は、録画しておいて、少し覗いてみたら如何でしょう?

●メモ:カウント~195万

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2011年6月18日 (土)

離婚式プランナーの言葉~「旧郎旧婦」が指輪割る

今朝の朝日新聞の「耕論」のテーマは「心機一転」。そこに離婚プランナーなる人の記事があった。曰く・・・

「“旧郎旧婦”が指輪割る
     離婚式プランナー 寺井広樹さん(31)
 行き詰まった結婚生活に終止符を打ち、お二人をそれぞれ人生の新しいステージヘと送り出す――。そんなお手伝いをすることが、私の職業になってしまいました。私自身は未婚なんですが、結婚式ならぬ「離婚式」の、企画と運営を手がけています。
 きっかけは、ひょんなことでした。大学時代に親しかった先輩が2年前、離婚を決意。「あんなに仲がよかったのになぜ」という衝撃とともに、「立派な結婚式を見せてもらっだのだから、私の手で、ケジメの離婚式をさせてもらいたい」と思ったのでした。
 最初は嫌がった先輩夫婦を説き伏せ、挙式にこぎつけたものの、やはり式の当日は、ご親族から次々に叱責されました。「人の不幸をおもしろがっているのか」と。でも式が終わった後、「意外に感動した」といった感想をもらい、別の夫婦の挙式を「受注」することに。後は、口コミで離婚式の様子が伝わっていくなかで、新たな依頼が相次ぎました。
 レストランなどで行う離婚式は、新郎新婦ならぬ「旧郎旧婦」と友人らのあいさつ、会食などが中心です。2人が出会ってからの思い出の写真を見せる「スライドショー」など、要望にはなるべく柔軟に応じます。これまでに利用したのは20~60代の77組。
 ほぼ全組に共通することがあるんです。夫婦最後の共同作業として、「独身にカエル」の意味を込めた「カエル付きハンマー」で結婚指輪をたたき割ってもらいますが、割った瞬間、旧郎旧婦の表情がパッと明るくなります。恨みもつらみも、恥ずかしさも吹っ切れ、「心機一転」となるらしい。それを見た親族、友人だちから温かい拍手がわき起こり、空気がなごみます。
 離婚を人生の失敗ととらえるのではなく、成長へのステップだと考える人が増えているような気がします。
 毎回、人間ドラマがありますね。養育費や財産分与などについてきっちり説明する旧婦がいれば、精いっぱい感謝の気持ちを伝えて涙ぐむだけの旧婦も。子どもたちは思い思いの言葉で、両親にエールを送ります。「旧婦」にプロポーズした参列者もいました。
 式を挙げたことで、離婚を思いとどまった例も6組あります。どんなに多くの人に支えられているかを思い知ったり、伴侶の悪いところしか見ていなかった自分に気づいたりしたんだそうです。出会ったころの純粋な気持ちに立ち返り、2人のやり直しが始まったのなら、これも立派な人生のリセットではないでしょうか。
 離婚も、離婚を考えることも、決してマイナスではないはずです。愚痴を言いあうぐらいなら、2人の人生を一度総括し、親類、友人らの声を聞き、前向きの人生に踏み出してほしいと思います。(聞き手・山本晴美)」(2011/06/18付「朝日新聞」p13より)

この記事をどう読むか・・・・。世の夫婦で、“離婚した方がハッピー”なのはどの位あるのだろう? 先の震災で結婚ブームが報道される中、相変わらず熟年離婚も多いのだろう・・。
さて、この文章で「式を挙げたことで、離婚を思いとどまった例も6組あります。どんなに多くの人に支えられているかを思い知ったり、伴侶の悪いところしか見ていなかった自分に気づいたりしたんだそうです。出会ったころの純粋な気持ちに立ち返り、2人のやり直しが始まったのなら、これも立派な人生のリセットではないでしょうか。」という部分がせめてもの救い・・・。77組中の6組。8%に満たない数字だが、気付くことは大切。
先日の内観法の記事で(ここ)、「こんなにも家族や周りの人から多くのことをしていただいていたのに、お返ししたことの、なんと少なかったことか」という文があった。
人間、この離婚問題に限らず、このように感謝の気持ちが生まれれば、世の争いごとがどれだけ減ることだろう。それだけに、この感謝という心は、人間にとって大変に難しい課題なのかも知れない。

さて、ウチ??
離婚なんて全く考えていない。理由??・・・ だって離婚しても、お互いに行くところが無いから・・・。これが我が家の平和の極意さ・・・。エッヘン!!

(関連記事)
「離婚お試し 1000元から」
「内観療法のうつ病への効用」

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2011年6月17日 (金)

「東電問題への対応」

自分のミーハーぶりは、どうにかしないといけないな・・・・、と思う。つまり、ちょっと新聞記事を読むと、「なるほど~~」と感心してしまって、まるで自分の意見というものが無い。これこそ問題だ。今日もいつもの日経「大機小機」の記事を読んで、なるほど~~~。曰く・・・

東電問題への対応
 福島第1原子力発電所の事故は収束のメドが依然立たず、被害額は最終的に10兆円規模に達するともみられている。もしこの賠償費用をすべて負債として認識すれば、東京電力は債務超過になるはずだ。今回の事故は「異常に巨大な天災地変」によるものであり東電は免責されるとの議論もあるが、同じく震災被害にあった東北電力女川原発に事故は起きていない。防災対策の不備は明らかで、東電が責任を免れることは考え難い。
 一般的に、債務超過だが事業維持に社会的価値が認められる企業の破綻処理として最も簡明な方法は、会社更生法の適用申請である。仮に東電について会社更生法が適用されれば、株主、債権者が損失を負担するとともに、経営者も退陣することで明確に責任が問われることになる。
 一方で事故被害者への補償が十分になされなくなると危惧する向きもあるが、会社更生法の下で十分な補償がなされなければ、国が責任を引き継ぐのが原子力損害賠償法の趣旨に沿った対応である。国策として原発を推進し、個々の原発の安全点検までしてきた国が、東電とともに補償責任を負うのは当然である。また会社更生法の適用は金融市場の大きな動揺を招くとの懸念も聞かれるが、市場でも既に相当程度、東電の法的処理の可能性が意識されている。
 これに対し、政府が策定した「賠償支援スキーム」の下では、東電の株主や債権者は保護される一方、賠償費用は結局、電力料金に転嫁され、事実上の国民負担として長い時間をかけて回収される。回収すべき金額は、東電の精いっぱいの合理化を織り込んでも、株主・債権者が保護されるため、更生法により処理される場合より大きくなる。
 しかも、賠償費用を賄うための負担金を払い続ける間、東電は国の管理下に置かれ、設備投資や研究開発、社員の処遇に至るまで厳しく抑圧される。このように技術開発力や人材を集める魅力を欠く企業が、国の中枢である首都圏の電力供給を担う事態は、日本全体にとってベストの対応と言えるだろうか。
 会社更生法を適用すれば、法的処理後も残存する賠償費用は基本的に国の負担に帰する一方、首都圏の電力は、その重荷から解放された「新東電」が担う仕組みとすることができる。簡明かつ合理的な法的処理をなぜ採用しないのか、政府にはより明確な説明が求められよう。(誠児)」(2011/06/17付「日経新聞」p17「大機小機」より)

先に、同じ「大機小機」の記事「電力料金引き上げの勧め」(ここ)について書いた。この記事は賠償資金の出所の話題。もちろんこの記事とは観点が違う。それらも含め、「大機小機」というコラムは、自分のように思想がない人間にとってみると、意表を突く視点(!?)が実に面白い。

人間がある意見を述べるとき、かなりの部分を自分の過去の経験から絞り出す。よって経験が多い人ほど、その意見は的を射る。そう考えると、自分が如何に経験が乏しいかがバレてしまう・・・。
でも色々な意見を、あまり自分の思い込みがなく、素直に受け取ることが出来るのも、ある意味、白色(無知)の美徳(メリット)かもね・・・
新聞のあちこちを斜め読みしては、“なーるほど、そんな視点もあるのか・・”と(負け惜しみながら)楽しんでいる最近ではある。

(関連記事)
感情的反発!?~「電力料金引き上げの勧め」の論

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2011年6月16日 (木)

「内観療法のうつ病への効用」

雑誌「大法輪」の2011年7月号に「内観療法のうつ病への効用」という記事があった。そこに“内観療法”の解説がある。曰く・・・

「内観療法のうつ病への効用
   浄土真宗本願寺派僧侶・医学博士
   大阪学院大学国際センター非常勤講師  千石真理
・・・・・
『見方が変わる内観法』
 内観法は、1953年、浄土真宗の僧侶、吉本伊信師によって確立されました。内観は、文字通り、自分の内面を心の目で観ることです。うつ病、アルコール・ギャンブル依存症、摂食障害、不安神経症、適応障害等の精神障害をわずらう患者には内観心理療法として、精神的に健康な人には、自己発見・自己改善の方法として、適応されます。
 内観法・内観療法は次の三つのテーマ、①してもらったこと。②して返したこと。③ご迷惑をかけたこと、に沿って、生まれてから現在まで、内観者と内観者の人生に大切な人との関係を調べていきます。
 特別な事情がある場合以外、通常は、母親から始め、父親、祖父母、兄弟姉妹、配偶者、子供……と相手を変えて、年代順、(例えば、0歳から7歳、8歳から15歳、16歳から23歳)、というように区切って、その人と出会ってから現在まで、あるいは、その人が亡くなるまで、時代をさかのぼって調べていきます。
 1時間か2時間に一度、面接者が内観をしている人のところに来て、今までの時間は、いつの誰に対して、どのようなことを調べていたのかを尋ねます。内観者の報告後、面接者は、次は誰に対するいつ頃の自分について調べるようにと、テーマを与えて、去っていきます。内観療法は、大きく分けると、内観療法が受けられる研修所や病院などの施設に入って、1日約15時間、一週間、外部からの刺激を一切遮断した状態で、この内観のテーマに取り組む集中内観と、日常生活を営みながら、自分で時間を見つけて、内観を継続していく日常内観(分散内観ともいう)に分類されます。
 内観で大切なことは、過去に起こった現在までの出来事を具体的に思い出すということと、相手の立場になって、自分自身のあり方を振り返る、ということです。すると、どのような気づきがあるのでしょうか? 内観の三つのテーマに沿って、自分を振り返ると、こんなことがわかります。「人にしてあげたことは、恩着せがましく、良く覚えている。けれど、人にしてもらったことは、当たり前になっていて、感謝の気持ちすら起こらなかった」「人に迷惑をかけられたことは、調べなくても良く覚えているのに、自分が他人にかけた迷惑は、都合よく忘れ去っていた」「こんなにも家族や周りの人から多くのことをしていただいていたのに、お返ししたことの、なんと少なかったことか」。
 私たちは、普通、自分の都合で物事を見ます。自分に親切な人は良い人だが、そうでない人は、嫌いな人。遠足に行く日に雨が降るのは困るが、晴天が続いて、水不足になるのは困る……。等、自己中心的な判断をしがちです。そして、この自己中心性や、否定的なものの見方が原因で、心の病を発症することがあります。「私かこんなに苦しいのに、人は私を助けてくれない」「お母さんは、私のために何もしてくれなかった」「私がこんなに頑張っているのに、人は認めてくれない」「私は人からうっとうしがられているのではないか」など、と。
 しかし、内観が深まると、この「私が、私が」という気持ちが大きく変わっていきます。ここに、内観ならではの、認知の大転換がおきます。人は普通、「楽しかった、嬉しかった、悲しかった、悔しかった」等の、自分の感情で物事を評価します。しかし、内観は具体的に起こった事実を思い出して、調べていきますので、感情に翻弄されずに、自分の自己中心性や、歪んだものの見方に気づきやすいのです。
 怒り狂っていたような出来事や、辛い思い出さえも相手の立場になって、客観的に自分を調べると、ものの捉え方が広く、洞察が深くなり、それまでと違った角度で、物事が見えるようになります。過去は変えられなくても、過去の見方は変わる。すると、その後の行動や生き方が変わってきます。・・・・」(雑誌「大法輪」2011年7月号P66より)

この方法はなかなか面白い。よく若い人がキレることがあるが、そんな人にもこの方法を勧めたいな・・・。
しかしこの記事からも、自分を客観的に見ることが、いかに難しいかを認識させられる。人間は原理的に自己中心的な存在なのかも知れない。つまり、原理的に“「私が、私が」という気持ち”なのだろう。

ところで自分は???
前にも何度か書いたが、子どもの頃、一番“憎い”のは親父だった。つまり、当時の自分は「人類のテキは“親父”だ~!」が合い言葉であり、生き甲斐(?)だった。それに対するテキの言葉は、「**(=自分の名)は感謝がない」・・
それから幾多の年を経て・・・、今の感想は??
結論⇒「親父の指摘は正しかった」・・・・

ウーン。これは認めざるを得ない・・・。
上の記事の「人にしてあげたことは、恩着せがましく、良く覚えている。けれど、人にしてもらったことは、当たり前になっていて、感謝の気持ちすら起こらなかった」「人に迷惑をかけられたことは、調べなくても良く覚えているのに、自分が他人にかけた迷惑は、都合よく忘れ去っていた」「こんなにも家族や周りの人から多くのことをしていただいていたのに、お返ししたことの、なんと少なかったことか」という言葉が、自分には何とも重たい・・。
ではどうする・・・・?
親父がまだ生きていれば、何とでもなるが、10年以上も前に死んでしまった。
あとは、あの世で、もし会えたら、「負けた」とでも言おうか・・・(この素直でない態度・・・!悟りの境地にはほど遠い自分ではある。⇒やはり「負けた!」)

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2011年6月15日 (水)

東京リーダーターフェル1925が歌う旧制高校寮歌

今日は、こんな歌はいかが? 旧制高等学校の寮歌である。

<東京リーダーターフェル1925の「嗚呼玉杯に花うけて」>

第一高等学校寮歌
「嗚呼玉杯に花うけて」
  作詞:矢野勘治
  作曲:楠 正一

嗚呼玉杯に 花うけて
緑酒に月の 影やどし
治安の夢に 耽りたる
栄華の巷 低く見て
向が岡に そそりたつ
五寮の健児 意気高し

芙蓉の雪の 精をとり
芳野の花の 華を奪い
清き心の 益良雄が
剣と筆とを とり持ちて
一たび起たば 何事か
人生の偉業 成らざらん

濁れる海に 漂える
我国民を 救わんと
逆巻く浪を かきわけて
自治の大船 勇ましく
尚武の風を 帆にはらみ
船出せしより 拾二年


<東京リーダーターフェル1925の「紅萌ゆる岡の花」>

第三高等学校逍遥歌
「紅萌ゆる岡の花」
  作詩・作曲:沢村胡夷

紅萌ゆる 岡の花
早緑匂う 岸の色
都の花に 嘯けば
月こそかヽれ 吉田山

縁の夏の 芝露に
残れる星を 仰ぐ時
希望は高く 溢れつヽ
我等が胸に 湧き返る

千載秋の 水清く
銀漢空に さゆる時
通える夢は 崑崙の
高嶺の此方 ゴビの原

神楽ヶ岡の 初時雨
老樹の梢 伝う時
穂燈かヽげ 口誦む
先哲至理の 教にも


<東京リーダーターフェル1925の「都ぞ弥生」>

北海道大学予科寮歌
「都ぞ弥生」
  作詞:横山芳介
  作曲:赤木顕次

都ぞ禰世の 雲紫に
花の香漂う 宴遊の莚
尽きせぬ奢に 濃き紅や
その春暮れては 移ろう色の
夢こそ一時 青き繁みに
燃えなん我胸 想を載せて
星影冴かに 光れる北を
人の世の 清き国ぞとあこがれぬ

豊かに稔れる 石狩の野に
雁はるばる 沈みて行けば
羊群声なく 牧舎に帰り
手稲の巓 黄昏こめぬ
雄々しく聳ゆる 楡の梢
打ち振る野分に 破壊の葉音の
さやめく甍に 久遠の光
おごそかに 北極星を仰ぐかな
おごそかに 北極星を仰ぐかな

どの歌もお馴染みだが、歌詞は何とも難しい。これらの歌がいつ頃出来たのかを調べてみると、「嗚呼玉杯に花うけて」は明治35年 (1902年)、「紅萌ゆる岡の花」は明治37年(1904年)、「都ぞ弥生」は明治45年(1912年)だという。どれも100年も前。
どの歌も、自分が感激して聞いたのは高校生の頃。東大、京大、北大を思い浮かべては、到底届かない高嶺の花と思いつつも、進学を夢見ていたもの・・・
あれから半世紀も経ってしまった・・・。
高校生の頃、これらの歌が歌われた時代は、遙か昔・・と感じていた。しかしその時点からみると50年前の歌だったのだ。その高校時代から同じく50年経ってしまった・・・。つまり同じ50年・・・・。何とも時間が経つのは早い・・・

東京リーダーターフェルのこの録音は、太鼓に合わせて歌う・・・。何とも明治の雰囲気がある。たまには、こんな歌でも聞いて、古き良き時代を偲ぼうではないか・・・。(別に明治生まれではないけど・・・)

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2011年6月13日 (月)

「エネルギー政策 原発なき電力供給は目前」

昨日に続き、“ものごとを別の角度から見てみよう・・”という話。先日の朝日新聞「私の視点」というコラムに、原発が無くても電力供給は可能、という論が載っていた。曰く・・・

エネルギー政策 原発なき電力供給は目前
     国際エコノミスト 齋藤 進
 原子力発電所を全部止めれば、電気が足りなくなるし、電気代も上げざるを得ない――。これが現在のところ、大方の日本人が抱いている「常識」かもしれないが、私の解答は「否」である。原発を全面停止・廃止しても、電気は余るうえ、電気代も逆に大幅に下がり得る。
 日本のエネルギー政策の大本営である経済産業省資源エネルギー庁の統計情報や、総務省統計局の「日本の統計」「日本統計年鑑」などによると、日本全体の発電能力は、原子力を1とすれば、おおよそ水力1、火力4の比率だ。大震災前の操業率は、水力がほぼ100%、火力と原子力はそれぞれ50%前後だった。
 停止前の原子力の操業率が100%だったとしても、火力の操業率を75%以上にすれば済む。まして原発の操業率が50%なら、火力の操業率を65%以上にすれば電気は余る。したがって原発がすべて停止・廃止されても問題はない。
 原発が止まれば、電気代を上げないと電気の供給が足りなくなるというのもおかしな話だ。日本で発電される電気の20%近くは実は自家発電で、その90%が火力、10%が水力だ。大手企業などは、電力会社から電気を買うより安いから自前の発電設備を使っている。
 既存の発電設備だけでも電気は余るし、昨年の原子力発電実績を新型発電設備のガスタービン・コージェネレーション(熱電併給)に置き換えても、必要な新規投資額は8千億円程度で済む。この新規設備能力に30%増しの余裕をみても1兆円程度だ。しかもガスタ
ービン・コージェネレーションの熱効率は既存火力より30~50%も高く、同規模量の発電での二酸化炭素(CO2)などの排出量も大幅に下がる。この方式の大規模発電は大手のガス会社で、ここ10年近くも実施され実証済みだ。
 燃料の天然ガスは、原油と異なり、世界的に供給量が増えており長期的には安定供給が見込まれる。天然ガスを液化する段階で硫黄・窒素分などの有害物質は除去され、環境負荷は極めて小さい。しかも、日本の大手重工業メーカーには上記の設備を短期に製造・設営する能力がすでに備わっている。日本が得意とする国家総動員態勢で当たれば、早ければ1年、遅くても2年以内にすべての原発に代わる新規発電設備ができる。
 中長期的には、原発全廃を決定したドイツのように、再生可能エネルギー利用の拡大に注力すれば環境負荷はさらに小さくなる。
 要するに、安くて環境にも優しく、持続可能な電力供給は、原発に頼らなくても、国民の選択次第で目の前にあるのである。」(2011/06/11付「朝日新聞」より)

自分など、“素直なので”すっかり電力会社の言うこと、マスコミの報道に洗脳されてしまっている。しかしこの論は面白い。電力不足の話が、“自分たちに都合の良い情報、理屈だけで論じている”という状態が良く分かる。
裏に隠しているモノは、いわゆる“隠し球”?それとも“ヘソクリ”??
前に原発停止に伴う東電の電力不足が伝えられたとき、「揚水発電の活用が抜けているのでは?」という議論があった。先日の関電も同じように、本当は手段があるのに、それは隠しておいて「15%削減を!」などと喧伝する。だから大阪府の橋下知事が怒る!?

この論を読んで、「大震災前の操業率は、水力がほぼ100%、火力と原子力はそれぞれ50%前後だった。」という事実?を知った。発電能力の2/3を占める火力発電が、50%の操業率だとすれば、原理的には確かにその火力の操業率を15%アップするだけで原発の全面停止にも対応出来ることになる。
すると、先の関電発表に対する「・・・いきなり数字だけ出されて、15%削減? こんなの、府県民の皆さん、普通だったらできるわけないんです。できなかったらどうなるか。原子力発電所が必要でしょうという議論に持っていかせるためのブラフ(はったり)としか、今のところ見えないですね」 (ここ)という橋下知事の発言も真実みを帯びる。

広辞苑を引くと、【事実】=「事の真実。真実の事柄。本当にあった事柄。」。【真実】=「うそいつわりでない、本当のこと。まこと。」とある。
この定義からすると、電力会社の発表は、一つひとつが“事実”ではあるものの、電力が不足するという“真実”ではない・・・、ということか?

世の中で起きること全てに言えることだが、“事実”は確認出来ても、その“真実”を見極めることは難しい。つまり、報道される一つひとつの「事実」から物事の「真実」を見極めるためには、それなりの知識が必要であり、自分たちに、それらを“見る目”が無ければ、国の、そしてマスコミの扇動に易々と乗ってしまう、という事になる。
戦争の時によく使われた「プロパガンダ(propaganda)(=宣伝。特に、主義・思想の宣伝)」という言葉があるが、日々の報道に易々と乗っている自分が何とも情けない・・・・・

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2011年6月12日 (日)

「菅首相 解散の覚悟はなかった」

昨日の朝日新聞の「記者有論」というコラムに「菅首相 解散の覚悟はなかった」という記事があった。曰く・・・

菅首相 解散の覚悟はなかった
   政治グループ次長 鮫島 浩
 歴代首相で一番、評価できないのは誰か。菅直人氏は野党時代、そんな問いを記者たちによくぶつけていた。彼の答えは明確だった。社会党の村山富市氏というのである。
 野党に転落した自民党から首相の座を打診され、自社さ政権をつくって自民党を与党に復帰させたのは、やむを得ない。村山氏の失敗は、政権運営に行き詰まった後、首相の大権である衆院解散・総選挙に踏み切らず、自民党の橋本龍太郎氏に首相の座を明け渡してしまったことだ――それが、菅氏の理屈だった。
 杜民連という小所帯からさきがけを経て民主党を結成した菅氏がずっと目指してきたのは、まずは自民党に代わって政権を担いうる野党第1党を作り、総選挙で政権交代を果たすことだった。総選挙で過半数を獲得することをあきらめ、国会内で自民党と交渉して主張を採り入れてもらおうとしてきた社会党は、「権力」の使い方を知らないと菅氏の目には映った。村山氏には解散権を行使する意思も覚悟もなかったのだ、とつねづね語っていた。
 その菅氏が解散に踏み切ることなく、首相の座を去ろうとしている。内閣不信任案の採決直前に鳩山由紀夫前首相と密室で駆け引きし、退陣表明と引き換えに不信任案可決を回避する道を選んだのだ。
 私はその直前、何度か菅氏と電話で話した。官邸からは造反を抑えるため、「首相は不信任案が可決されれば解散する意向を固めた」という情報が意図的に流されていた。だが、電話口の菅氏は、決して「解散」という言葉を口にしなかった。菅氏を10年以上取材してきた私には意外だった。解散の覚悟はなかった。
 被災地は選挙どころではない。震災復興を急ぐため政治空白は作れない。支持率が低くて勝てる見込みがない。解散回避の理由はいくらでもある。だが、政争に明け暮れる衆院議員たちは、いまこそ有権者と向き合うべきだ。このまま解散を回避しても、国民不在の対立を続ける政界に、被災した人々のくらしを取り戻す力はない。むしろ、復興のための増税の是非や原発の見直しを含む電力改革を争点に解散・総選挙を行い、衆院議員一人ひとりに有権者への説明を迫るほうが、国民の側に立った政策を実現できる。そう世論を説得することはできなかったのか。
 菅政権は次々に押し寄せる問題の対応に追われるばかりで、あまりに平凡に終わろうとしている。本当に残念だ。」(2011/06/11付「朝日新聞」p12より)

原発・電力不足問題も政局も、色々な角度から眺めてみることは大事。つまり、ある方向の論にだけ耳を傾けるのではなく、逆の視点の意見にも耳を傾けることで、全体の事実が分かってくる。
そんな意味で、先の菅首相の解散騒動について“菅首相は言論不一致では・・”と指摘しているこんな意見も面白い。

政治家に限らず、普通のサラリーマンでも、立場によって発言が変わることは良くあること。担当者の時に言っていた(主張していた)事柄が、課長、部長と立場が変わるに従って、見る目や視野が広くなり、過去の自分の間違いに気付き、スタンスが変わって行く。これはむしろ望ましいことかも知れない。
しかし政治家の場合はどうか・・。選挙で候補を、自分の信条に合っているからこそ投票し、自分の代わりに国会で発言して貰う。それが間接民主主義の原理。よって、簡単に信条が変わってしまうのは困る。その意味では、個人の自由、つまり朝令暮改で動いてもらっては困るのが政治家なのかも知れない。

一方、解散総選挙も、“そんなヒマがあるか!”がマスコミの論調だった。でも“政争に明け暮れている国会議員は全員クビ”という手段も面白い。
おっとそれが解散総選挙か・・・・
でも、また同じような候補者からしか選べないとすると、あまり代わり映えがしない・・。
日本の国難は、政治家の貧困そのものなのかもね・・・・

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2011年6月10日 (金)

「怒ればあなたは必ず負ける」~ブッダの教える発想の転換(2/5)

雑誌「大法輪」2011年5月号に「ブッダの教える発想の転換」という記事があった。なかなか耳の痛い話ではあるが、5回に亘って読んでみよう。今日はその2回目。

ブッダの教える発想の転換
   菅沼 晃(東洋大学名誉教授)
・・・・・・
<怒ればあなたは必ず負ける>
 「怒りにたいして怒りを返すならば、さらに悪を積み重ねることになる。怒りにたいして怒りを返さないならば、勝利しがたい戦に勝ったことになる。他人が自分にたいして怒っているのを知っても怒らず、自心を鎮めて怒りを返さない人は、自分と他人の双方に利益を与えることになる」(『相応部経典』七)
 今、私たちの身の回りで「怒る人」がふえています。電車の中や駅で、何かのお店の中で、駅員さんや店員さんの対応が気に入らないなどの理由で、訳もなくキレて怒鳴っている。こんな人をよく見かけます。それどころか「怒って何か悪い」、「怒るのは相手が悪いからだ」という人さえいます。しかも、その「怒る人」が若者よりも中高年者に多いようなのも気になります。激しく変わって行く世間が気にくわない、自分が大切にされていないという思いが、ちょっとした機会に吹き出るのでしょうが、これも自分を守ろうとする自我の意識の表れにすぎません。
 しかし、いちど怒りを爆発させると、自分を抑えられなくなって、怒りはますます強くなり、心は怒りで一杯になって身も心も消耗させてしまいます。怒りは、まさに私たちに
とって猛毒なのです。この「毒」は怒りの対象となった人にも及んで、心をかき乱して深いダメージを与えます。怒ることのメリットは何もない。相手が怒っても、自分は怒らない。「怒ったら負けだ」という心構えを持て、とブッダは教えています。」(雑誌「大法輪」2011年5月号p49より)

これも言われてみるともっともな話である。しかし現実には実行が難しい・・・
我々はどんな時に怒るのであろう? 気にくわない時・・・? つまり“自分の思い通りに行かなかった時”がもっとも簡単に怒るのかも知れない。でも、その怒りの相手は様々。相手が自然のときもある。でも、天気が悪いと怒ってみても仕方がない。結局、身近な所に怒りをぶつける。そしてその人の周囲に暗雲がたちこめる・・・

しかし人間、一番心の底から怒るのは、理不尽なことをされた時かも・・・
ふと数年前の、ある外資系の顧客とのやりとりを思い出した。今思い出しても、その時の理不尽さに対する怒りは心に残っている。しかし同時に、怒りは心臓に良くないことを身をもって体験した。つまり帰りの地下鉄の中で心臓がバクバク・・。不整脈だった。
確かに怒りは体に良くない・・・・

周囲を見回すと、怒った姿を見たことがない、という人もいる。これは性格だろうか、それとも人間のスケールの違い?? でもサラリーマン世界では、怒ったことがない人は、逆に甘く見られることがあるので注意。
でも我々のように、サラリーマンリタイア間近組ともなると、ビジネス上で一線を退いていることもあり、怒る場面は本当に少なくなった。これは人生の余裕かも知れないし、責任の程度かも・・・。それに、怒る価値があるかどうかについて、つい考えてしまう・・・。一歩離れて見る・・・。これは体にも良いこと。

一方、家庭ではどうか? 若い時は自分の機嫌の悪さを、近くにいるカミさんにぶつけていたもの・・・。
それで今は?? そんなことをしようものなら、アッと言う間に逆襲され、「スミマセン・・」と謝らされるのがオチ・・・。そんな状態で、どうして“落ち着いて”怒れようか・・・。
むしろ、カミさんが怒るのをオドオドして恐れているほど・・・。残念だが、立場は激変している。
でも、とにかく怒りは良くない。これは先ずカミさんに悟らせねば・・・・

ひょんな事で、カミさんの怒りの怖さを思い出してしまった・・・・。

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2011年6月 9日 (木)

「全原発、来春停止の可能性」

さもありなん。日本の原発が全部停まる可能性・・・・。
昨日の日経新聞に「全原発、来春停止の可能性」という見出し。“日本中が電力不足”という事態に、段々と近付いてきている。曰く・・(写真はクリックで拡大)

全原発、来春停止の可能性 検査後の稼働 難航 再開の是非、国に責任
 原子力発電所が定期検査に入ったまま再稼働できないという状況に陥っている。安全性について地元自治体の理解が得られないためで、このままでは来春にも国内54基の全原発が止まる。電力不足が全国に広がりかねず、早急な対策が必要だ。
<負担増、年3兆円超も>
今年7月、福井県にある関西電力の高浜、大飯両原発で1基ずつが検査に入る。停止中の同社の原発は全11基中6基に上り、今夏の最大需要見込みに対し、供給力は約10万キロワット不足する計算だ。電力不足は東日本だけの問題ではない。
1106091  全54基が止まれば、来夏には全国各地で電力制限の実施に追い込まれるのは必至だ。海江田万里経済産業相が7日明らかにした試算では、全基停止し、火力発電で代替した場合、燃料費の負担増は年3兆円以上になる。
 原発は13ヵ月運転するごとに検査が義務づけられている。しかし、再稼働の前提としている地元県知事などの同意が得られない。
 「浜岡ショック」が地元の不安を決定的にした。菅直人首相の中部電力浜岡原発の停止要請は「巨大地震の差し迫った危険」が理由だが、浜岡は経済産業省原子力安全・保安院が指示した地震・津波の短期対策を実施ずみだ。基準を満たしたのに停止という分かりにくさが混乱を招いた。
 経産省は7日、短期対策に続き、全電源を失った場合の対応なども盛り込んだ追加策を発表。これで自治体の理解を得たい考えで、海江田経産相は「私か出向いて説明する」と言う。しかし問題の根本は原発の稼働という重大な決断を事実上、自治体に押しつけている構図にある。福島の事故を踏まえた説得力のある安全基準を基に、国の責任で運転の是非を最終判断する仕組みが要る。
・・・・
 北海道から九州まで国内の原発54基すべての稼働が止まれば、合計で4896万キロワット、日本全体の約2割の発電能力を失うことになる。電力会社別では東電を除けば北海道、関西、四国、九州の4電力は原発の比率が4分の1を超えており、原発停止の影響は大きい・・・・」(2011/06/08付「日経新聞」p4より)

検査後の再稼働には知事の同意が必須とすると、その法的根拠は?・・となる。

再稼働の権限は 法的には電力事業者 知事、事実上の決定権
  原子力発電所の運転再開のカギを握るのは、地元の理解だ。経済産業省原子力安全・保安院の検査後、原発の再稼働を決める権限は電方事業者にあり、地元自治体に1106092_2 了解を得るための法手続きは必要ない。ただ、福島原発事故を受け、「大事故が起こった場合は運転再開について地元自治体と協議する」などと記した県や市町村との協定を無視できなくなっている。
 一般に再稼働の実質的な最終決定を下すのは知事となる。ただ、知事は任期との関係で選挙を強く意識しながらの判断を迫られる場合もある。
 福井県は1971年に電力事業者と「原子力発電所周辺環境の安全確保等に関する協定書」を交わした。西川一誠福井県知事は現在、定期点検中の原発の再稼働を認めていない。電力事業者が知事の姿勢を尊重せざるを得ないのは、この協定書があるからだ。
1106093  2004年に関西電力美浜原発3号機(福井県美浜町)で配管破断による蒸気噴出で11人が死傷した事故を受け、協定書が改訂された。一定規模の事故で停止した原発を再稼働するには、電力事業者が県と事前に協議しなければならないことが新たに明記されたのだ。
 実際、日本原子力研究開発機構が昨年5月に高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)を14年ぶりに再稼働した際には、協定に従って県と協議する手続きを踏んだ。
 福島の原発事故は県外で起こった事故であり、福井県内に現在ある原発を再稼働させるかどうかについて、協定による縛りはないが、現実には電力事業者が知事や住民の意向を無視して原発を再稼働させることは難しい。」(2011/06/08付「日経新聞」p4より)

なるほど・・・。有り得る話・・・・
でも何かヘンだ・・・・・

某原発では「現在運転中の原発は絶対に止めるな」という指示が出ているとか・・・・。つまり、上記のような背景があるため、一旦止まったら再稼働が難しい・・という議論。
何かヘンだ・・・

検査後の原発と、現在稼働中の原発を比べて、どちらが安全か? この議論は、運転中の原発を止めろ、という話は(権限がないので?)しないが、一旦止まったら再開はさせない。という話だ。地元としては、全原発を止めたい??
いや、こんな記事もある。

「ただ地元の反応は複雑だ。玄海原発が立地する玄海町は1日、町議の3分の2に当たる8人が再開に賛成した。岸本秀雄町長は6月中旬までに、再開への同意を九電に伝えるとみられる。」(同紙より)
今夜のNHKニュースでは、佐賀県知事も再稼働承認の方向とか・・・

もし自分が、今稼働中の絶対に止められない原発の人間だったら、“稼働中の原発が事故で止めざるを得ない状況に陥ったとして”どんな判断をする?
たぶん、その事故内容を隠蔽して、知らんフリして稼働を続けるだろうな・・・
そして、無理に無理を重ねて、「今度は**電力の原発で大事故発生!!?」

原発の再稼働の話は、感情的な議論ではなく、もう少し国民全体で冷静な議論はできないものだろうか・・・?
方向転換にしても、時間が掛かるのだ。車だって直ぐには止まれないのに、彼の原発(政策)が直ぐに止まれる訳がない。(だから1Fでは未だに止まっていない・・・)

できたら国民投票をして原発の将来を決めても良い。ドイツのような原発廃止でも結構。しかしそうなった時は、今までの電力政策の延長線上に将来はないわけで、安全=高負担を前提に国民全体でその負担(=我慢も)を受け入れる姿勢が求められることは言うまでもない。
でも日本人は先の太平洋戦争開戦の時と同じく、熱しやすく冷めやすい。だから今は「自分も我慢するから、原発を全廃」なんて言っていても、いざとなると真夏の暑さに閉口して「徐々にやろうぜ・・」なんて直ぐ変わる・・・。と思うのだが・・・、どうだろう・・・

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2011年6月 7日 (火)

昭和45年の出来事(23歳)~菅原洋一の「誰もいない」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの24回目。自分が22歳から23歳、つまり大学4年生からサラリーマン1年生になった昭和45年(1970年)の出来事を調べてみる。

この年は自分の就職の年。新入社員教育のため、3月末に横浜の新子安の寮に入った。同室の人は、確か四国の人だった。でっかい寮で、風呂も広かった。スーツ姿で、4月1日に川崎の体育館で行われた入社式に臨んだ。あの光景は未だに覚えている。出身地により北から順に並ぶ。その数は1000人も・・・。右隣は北大出のやつ。夕方、自分のような“お上りさん”には珍しかった川崎の街を何となくさまよっていたら、ちょうどその男に会い、一緒に喫茶店でお茶を飲んだ。その男とはそれ以来の付き合い。もう40年以上だ・・・。

この1年間は中身の濃い1年間で、色々なことを覚えている。まずは新入社員教育。10人ずつのグループに分かれて、工場での実習、販売店実習、富士山麓の教育施設での研修など、2ヶ月間の教育だった。そして、配属に向けての、社内の部門の紹介。自分の方向は決まっていた。趣味の音楽と、オーディオの電気を合体すると、それはステレオ・・・。
それが、土壇場になって心変わり。アマチュア用よりプロ用の方が面白いかな?・・・というワケで、プロ用のオーディオシステムの世界を目指して、八王子の方の工場に配属された。第一希望に配属されたのはラッキー。まあ行ってみると、目指していたものとはチョコッと違ったが、幸か不幸か、入社した時の担当機器が、還暦を過ぎても自分の人生に影響を与えるとは思わなかった。これは事後談である。
6月にその工場に同期40人とともに配属され、半数以上が新築の寮に入った。同期の連中がずらっと並んだ寮生活は、なかなか面白かった。でも寮に食堂が無かったので、食事はほとんど会社の食堂・・・。まあそれは味気なかった。

給料4万3円の社会人になって、4月に初めて買ったのが菅原洋一のLPだった。「今日でお別れ」が目当てだったが、ちょっと編曲が違っていた。そのLPに入っていたのが「誰もいない」「芽生えてそして」「知りたくないの」等々。前年の昭和44年の発売だが、今日は「誰もいない」を聞いてみよう。

<菅原洋一の「誰もいない」>

「誰もいない」
  作詞:なかにし礼
  作曲:大六和元

誰もいない 誰もいない
長い長い 孤独の夜よ
寒い心に ひざかけまいて
宛名のない 手紙を書くの

誰もいない 誰もいない
信じられない 手品のようね
レースをあんで あんではほぐし
針の止まった 時計を見るの

誰もいない 誰もいない
遠い遠い 想い出だけね
涙をかくす マスクをつけて
終わりのない 本を読むの
本を読むの

この年の一大イベントは、大阪万博。自分も大阪のユースホステルを使って、入社前の春S45 休みに行った。もちろん最初に行ったのが、自分がこれから入る会社のパビリオンだった。なぜか誇らしかった。前途洋々たる(←これ勘違い!)スタートの年であった。(写真はクリックで拡大)

この年の出来事としては、日航「よど号」事件(3月31日)、日本万国博覧会開催(3月14日~9月13日)、三島事件(11月25日)など・・・。
日本の人口が1億人を越えたのもこの年。
S451 テレビ番組では、「樅の木は残った」「時間ですよ」「あしたのジョー」・・・
そしてこの年の歌謡曲では、「あなたならどうする(いしだあゆみ)」「圭子の夢は夜ひらく(藤圭子)」「希望(岸洋子)」「経験(辺見マリ)」「京都の恋(渚ゆう子)」「男と女のお話(日吉ミミ)」「手紙(由紀さおり)」「走れコウタロー(ソルティー・シュガー)」「秋でもないのに(本田路津子)」「雨がやんだら(朝丘雪路)」「誰もいない海(トワ・エ・モア)」「京都慕情(渚ゆう子)」等々。

とにかく出張も含めて、毎日が忙しく、夢中に過ぎた去ったサラリーマン1年生だった。

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2011年6月 5日 (日)

世界中の原発が国連の直轄事業だったら・・?

今朝の朝日新聞の「天声人語」はこんな記事・・・
「古代ギリシャ人は地球が丸いことを知っていたそうだ。エラトステネスという人は地球の大きさを計算した。二つの都市で観測された夏至の太陽の高度の差から、周囲は4万6千キロとはじいたという。
実際は4万キロだからかなり近い。満足な計測器もなかった時代の知恵に驚く。地球の大きさは、むろん当時と変わらない。だが世界の人口は増え続けてきた。先日は国連が、今年10月には70億人に達するという予測を公表した。
2050年までに93億人、2100年までには101億人を超すという。どこか恐ろしくなる数字だ。地球は誰ひとり振り落とさずに回る。自分もその一員ながら、さぞ重かろうと案ぜずにいられない。
1億年を1メートルとして、地球の歴史を46メートルに表したとしよう。原人の登場は最後の2センチにすぎない。そして「ミリ」にも満たない近代以降、私たちは爆発的に繁栄した。この星の恵みを満身に受けながら、わずかな「身ぶるい」で壊れるもろさを、痛感させられたばかりだ。
かつて読み、書きとめた一首がある。〈幾万年地下にありしを汲(く)み上げて消費して来しこの一世紀〉水野昌雄。石油に限らない。長い地球史からみれば、ほぼ瞬時に万物を消尽(しょうじん)して華やぐ時代へのおののきが、背後に透ける。
どの資源も無限ではない。農地は疲弊し、海は枯渇が心配される。「飽(ほう)」を捨て「贅(ぜい)」を削り、貧富と幸不幸を均(なら)した百億共存をつかみとる知恵が、続く時代には欲しい。周囲4万キロの、この限りある球体の上で。」(2011/06/05付「朝日新聞~天声人語」より)

そして、5月30日付日経新聞にはこんな記事が・・・(写真はクリックで拡大)
集中講義 企業を考える② 大組織が技術・市場の力引き出す
ゲイラード・ハントという米国の著述家が、1814年の米国における人々の暮らしぶりを書き留めて1914年に出版している。ハントにその100年の間の記録を残す必要性を感じ
させるほど、米国は大きく変容した。その事実を心に刻みつけてくれる野外博物館が、マサチューセッツ州のスターブリッジという町にある。
 この野外博物館では、スタッフらがハントの本に基づいて1814年の衣装を身にまとい、
当時の日課をこなしながら来訪者の質問に答えている。一部で水車と馬に頼るものの、力仕事は人が担う。衣食住をまかなう仕事も基本的には手仕事ばかりである。作業が夜にずれ込めば、暗い鯨油ランプかロウソクをともすしかない。
 このような悠久の暮らしぶりは、実は日本においても変わらない。いまから200年もさかのぼると、日本人の平均身長は成人男性で160センチ足らずで、弥生時代とあまり変わらないという。平均寿命も33歳程度で、生まれる人間の半分は15歳までに死んでいた。そういう状態が何百年も何千年も続いていたのである。
Image06771  現代の人々は、いまの生活水準をあたかも当然の権利のように受けとめて自己実現や娯楽に関心を振り向ける。しかし人類史から見れば、それは特異なことと言わざるを得ない。人類最大の関心はずっと生存だったのである。世界の人口が飢餓の壁を破って急速に増加したのはこの2世紀の間の出来事である。
 何が人類を苦役や飢餓から解き放ったのであろうか。技術の力、または産業革命と答える人は多いと思う。または私有財産制度の確立と、市場取引の普及と答える人もいるであろう。しかし、技術や市場のポテンシャルを最大限に引き出したのは、19世紀から20世紀の変わり目に登場したエンタープライズ(大企業)である。
 それから100年余。現代の豊かさをもたらしたエンタープライズの成り立ちを改めて産業革命から尋ねてみたい。(神戸大学教授 三品和広)」(2011/05/30付「日経新聞」P23より)

同じ新聞の隣の欄にはこんな記事も・・・・
経済教室 科学技術の役割~原発事故に学ぶ(上)
   東京大学名誉教授 畑村 洋太郎
・・・・・
 筆者は、どんな産業分野でも十分な失敗経験を積むには200年かかると考える(図Image06772 参照)。米機械学会は1942年にボイラーの危険度を引き下げた。産業革命以降、ボイラーの爆発で1万人以上が命を失ったとみられる。ボイラーが出現して約200年がたって、ようやく手に負える製品になったということだ。一方、原子力発電は始まってまだ60年しかたっていない。・・・・・」(2011/05/30付「日経新聞」P23より)

大分長い引用になった。よく言われているように、地球が生まれてから、そして人類が生まれてから、それに現代文明が生まれ西暦が始まってから、今の我々の時代は、ほんの一瞬だと言うことを改めて認識する。
そして、確かに我々人類は、それぞれの技術を体得するまでに、幾多の犠牲を払ってきた。飛行機の開発ではコメットの空中分解など、昔読んだ柳田邦男の「マッハの恐怖」を思い出す。人類が新しい技術を手に入れるまでの苦難は、上の表でも良く分かる。確かに原発は、まだ60年の歴史しかない・・・
一方では、たった直近200年間での爆発的な世界人口の増大。そしてそれらの人間が、地球が46億年もかかって営々と培ってきた自然の資源を、あっという間に使い果たす・・・
従って人類は、生きるために必須のエネルギーを求めて、未知の原子力という“未だ御せない技術”に突進するしかない・・・

今回の原発事故。大いなるものから見ると、まさに起きるべくして起きた事象なのかも知れない。人類の原発への技術は、まだまだヒヨッコ。だとすれば、「原発事故は起きる」という前提で捉えるしかない。よっって今回の原発事故は、一企業である東電の事故ではなく、人類が未熟なために引き起こした事故、と捉える・・・。
確かに地震国ではそれなりの対応が求められ、それが不足していたのは事実だろう。しかし、もし東海沖の地震だったら、中電・浜岡原発が事故を起こしていたかも知れないし、もし敦賀沖だったら・・・・。そして、それが海外の原発の直下だったら・・・。そう考えると、世界中のいつどこで起きても不思議ではない・・・。

もし人類が「原子力はまだ人類が御せる技術には達していないため、世界全体で協力して運営する」ということになっていたら、どのような展開になっていたのだろう?
世界的な仕組みは国連しか知らないので、世界の原発が国連の直轄事業だったとしよう。
すると、今回の福島第1原発の事故は、世界中の原発から見て、まさにモデルケース。世界中の応援の技術がフクシマに集まるだろう。そして世界中の文殊の知恵が集まり、あらゆる機材が送り込まれ、フクシマの現状と対策と全てのデータは、世界の原発に即時に流され、直ぐにそれぞれの再発防止に利用される。
そして、世界の国々の原子力発電の恩恵に応じて、フクシマの復興費用は、全世界規模でまかなわれる・・・

ふと、そんな夢を見てみてしまった。前提はあくまでも「原発事故は起きる」「原子力はまだ人類が御せないもの」。
もちろん国連配下の日本の原発は、50/60Hzの関係から、日本の東西で、それぞれ最も地震災害の影響の少ない場所に作り、電力は玉突きで送電・・・

そんな視点で考えると、政府・東電の情報秘匿などは論外。それに、海外も単に日本の原発事故のデータをタダで貰うのではなく、世界中の原発保険のような機構があって、再発防止への人類の貴重な(大変なコストが掛かっている)データなので、それなりの支援を前提とする・・・。

まあ、原子力の平和利用なんていう次元を飛び越えた夢物語だが、世界から注視されている“人類始まって以来”の原発事故。それをこれからの世界的体制再構築をも踏まえて、もっともっと有効利用しようではないか・・・。もちろん夢だけどね・・・

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2011年6月 4日 (土)

道路灯の間引き工事をしていた・・・

今晩から自宅の前が暗くなった・・・・。
昼間、自宅の前に高所作業車が停まって工事をしていた。電柱に取り付けてある道路灯の取り替え工事であった。家の真ん前なので、2階の窓から丸見え。
P10807981 見ていると、水銀灯のランプを交換し、安定器を取り替え、そしてケーブルまで交換していた。

夕方散歩と買い物に出た。まだ街灯が点く時間帯ではない。家の前の道路灯も、ランプが新品に交換されて、さぞ明るくなっただろうと思っての、散歩の帰り道、何か様子がヘンだ・・・
何と道路灯が幾つも点いていない。ほぼ一つおきに間引きされている。消えている道路灯には「消灯中」という表示が・・・・。
家の前のランプはどうなんだろう? 消灯対象かな・・・? 歩きながら、「消えていた方が、家の中まで照明されなくて落ち着くかな・・・?」ナンテ言いながら・・・
果たして、自宅の前の道路灯は消えていた。そして良く見ると「消灯中」という表示。残念??

確かに、現代日本は全体的に明る過ぎ・・・。道路照明だって、歩道は暗いと危険だが、車道は、車がヘッドライトを点けて走るので、それほど明るくなくても良いはず・・・。しかも、車が走っていなくても一晩中煌々と点いている。ムダと言えばこれほどのムダはない。
3月の計画停電の時(ここ)、駅からの帰りのバスで、妙に道路が暗かったのが印象に残っている。道路が明るいのは当たり前だった・・・

昔、タイやベトナムに行った時、街全体が暗かった。別にそれでもあまり不都合はない。日本の道路照明も、何らかの法律で明るさが決まっているのかも知れないが、これからは未曾有の電力危機の季節。道路照明の間引きなど、考えてみると最優先の節約対象。大いに実行すべし!

でも、明るかった自宅の裏庭は真っ暗・・・・。
「これだと、車を入れる時に暗いな・・・」「こんなに暗いとドロボウが入るかな・・」ナンテ言っている自分・・・・。
なんだこりゃ!

(2011/11/14追)
上に書いた街灯の間引きが終わった。今日、高所作業車が来て、街灯の工事をしていた。夜になると、消えていた街灯が点いている。
結局、5ヶ月間の節電だった。原発の発電が段々とゼロに近づく中、当分続くとおもっていた街灯の節電が、解消されつつあるようだ。

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2011年6月 3日 (金)

「掲諦。掲諦。波羅掲諦」を光に生きる~般若心経に学ぶ発想の転換(4/4)

雑誌「大法輪」に「般若心経に学ぶ発想の転換」という記事があった。この記事の一部を、4回に亘って読んで行こう。今日はその第4回。

「般若心経に学ぶ発想の転換
  篠原鋭一(成田市・曹洞宗 長寿院住職)
・・・・・・

===
第四段
故知般若波羅蜜多 是大神呪是大明呪 是無上呪是無等等呪 能除一切苦真実不虚 故説般若波羅蜜多呪即説呪曰 羯諦羯諦波羅羯諦 波羅僧羯諦菩提薩婆訶 般若心経
===
掲諦。掲諦。波羅掲諦」を光に生きる
 今までお伝えしたことを理解すると共に自覚して頂ければ掲諦、つまり「万歳、おめでとう!」ということになるのです。

 昨年の暮、名曲「千の風になって」を訳詩・作曲をし、ご自分で歌唱された新井満氏と私の寺で冬の夜の酒宴を楽しむ機会を得ました。
 語り合ったことは。“いそがないで”ということです。そして大きな社会問題となっている“自死”について語り合い、苦しんでいる方々へのメッセージを作ったのです。
 新井満氏は次のようなメッセージをまとめて下さいました。

  外がどんなに嵐でも
  雲がどんなに厚くとも
  雲の上は
  いつだって
  抜けるような青空。
        新井 満

 このメッセージに「般若心経」を感じました。決して「空(そら)」と「空(くう)」が同じ文字だからというわけではありません。いや、それでもいいのです。このメッセージには般若心経に説かれた「空(くう)」の教えも含まれているのではないかと強く思ったことでした。

 こんな質問を頂きました。
  「周りの人たちから孤立しています。誰も私に手をさしのべてくれません。」
  自分以外の人との
  「つながり」が切れてしまうのは、とてもつらいものです。
  そんなときには、
  誰かが手をさしのべてくれるのを待つのではなく、
  自分のほうから動いてみてはどうでしょう。
  するとそこに
  新しい「つながり」がうまれます。
  人は人を必要としています。
  あなたが誰かとの「つながり」を求めているのと同じように、
  あなたとの出会いを待っている人が
  きっとどこかにいるはずです。

 つらくなった時そっと唱えてみませんか。
  「褐諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧褐諦、菩提薩婆詞……」
 ほら、生きる力が湧いてきましたね!
 “空”を生きる智慧を持てば、迷うことはありません。雲の上はいつだって抜けるような青空なんですから・・・。」(雑誌「大法輪」2011年5月号p55~59より)

ふと震災に遭った人たちを想う。もし自分が、津波で家を、そして家族を流され、何もかも失って、ひとりぼっちになってしまったとしたら、心がポッキリ折れて、多分「死」しか考えなくなるだろう。
でもここでは、“そうではない。雲の上は晴れている。自分から動けば縁が生まれる・・と説く。

我々のように還暦過ぎの人間にとっては、既に色々な人生を歩み、もう余り怖い物は無い。多分・・・。怖いものは病気くらい・・・
でも将来、心がポッキリと折れる可能性は充分にある。それは、震災に遭った人たちと同じく、家族との別れ・・・。いつか必ず来る別れ・・・・。

そんなとき、般若心経は我々の心を救ってくれるのだろうか? それは分からない。
でも、とてつもなく難解な般若心経・・・・。その難解な向こうに、何かがあることだけは分かる。自分の般若心経を少しでも分かろうとする道は、死の直前まで続くような気がする。その時に、その片鱗だけでも“分かる”とありがたいのだが・・・。

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2011年6月 2日 (木)

「法科大学院は必要か?」

とうとう当blogもこの6月で、5歳の誕生日を迎えてしまった。“5つ”の子どもなら可愛いが、還暦を挟んだ5歳など、可愛くも何ともない・・・。
それに、「リタイア後、どうしよう・・・」という“悩み”で始めた当blogではあるが、最近は「(何も見つからないので)このblogを書くことを“リタイア後の本題”にすればよいではないか・・」と開き直るありさま・・・。まあもうしばらく、このblogを書きながら考えてみよう・・

最近、どうも日本の法曹について疑問を感じる。
先日の朝日新聞に「争論~法科大学院は必要か」という記事があった。今日も長い記事でスミマセン。

<○の視点>
「理念に立ち戻り法曹を増やせ

   元早稲田大総長、法科大学院協会特別顧問 奥島 孝康さん
 旧来の法律家たちはよく、法科大学院出身者を「法律論が弱く、レベルが低い」と評します。しかし、法科大学院制度の元となった司法制度改革の理念は、「事前規制型の行政国家から事後救済型の司法国家へ」ということでした。だから法曹人口を大幅に増やす必要があり、これからの法律家は受験技術にたけた人だけではなく、多様なバックグラウンドで培った豊かな教養や人間性を持った人が求められるという考え方でした。
・・・・ところが実際の試験は、旧司法試験と同様の細かい法律知識を持たねば対応できない内容となっています。合格者数も2千人程度で、政府の司法制度改革審議会」の意見書の「2010年ころに年間3千人」には遠く及ばず、合格率も25.4%(10年)と、意見書の「法科大学院修了者の約7~8割が合格」の目標を大きく下回っています。
 多様な人材を受け入れるという理念も失敗しました。私か教えた早稲田大の法科大学院は当初、理念に忠実に社会人や法学未修者を多く受け入れました。しかし、初めて法律を学ぶ人に3年教えただけで、旧司法試験レベルの法律知識を問う試験に合格させるのは難しく、合格率は低くなります。合格率が下がると法科大学院の評価が下がるので社会人や未修者は減らさざるを得ません。
 日本弁護士連合会には「就職先がなく食えない弁護士が多いので、これ以上合格者を増やすべきではない」と主張する人がいますが、弁護士が多いのは東京など都会だけで、地方はまだまだ少ない。東京で食えなければ、地方に行けばいいのです。
 ・・・その努力もせずに「弁護士が多すぎる」と主張するのは、弁護士が既得権益を守ろうとしているからとしか思えません。
 今月初めて実施された「司法試験予備試験」は、「経済的な事情から法科大学院に進めない人にも法曹への道を残すため」と言われていますが、その合格者が増えれば旧司法試験を復活させるのと同じ結果になり、司法制度改革の理念を否定することになります。
・・・司法制度改革の理念の実現のためには、司法試験の合格者を段階的に年5千人程度に増やすべきだと思います。国の人口に対する法曹資格試験合格者数の割合では、日本は他の主要国に比べまだ少ないのです。例えば、米国は人口約3.1億入に対し年6万人近くが合格。英国も人口約6200万人に対し年約5千人。ドイツも人口約8200万人で約1万人です。合格者2千人程度で「合格者のレベルが低い」というのは見当違いで、むしろ昔の年500人という合格者数が異常だったのです。」

<×の視点>
「司法試験の受験資格にするな

   中央大法科大学院教授  安念 潤司さん
 日本の法科大学院制度の困ったところは、一種の精神主義に貫かれていることです。現実を無視して、「理念はこうだ」という。戦時中の日本軍と同じですな。
 「受験指導をするな」といいますが、学生は端的に受験生です。司法試験に受からないと先の展望が開けない。我々だって教育者ですから、教え子にとって一番重要なのが司法試験合格なら、一肌脱ぎたいと思うのは当然ですよ。
 そもそも受験指導だと学問的な水準が保てないという考え方が間違っている。・・・・
 法学未修者も受け入れて多様な人材を養成するという建前ですが、未修のかなりの部分が法学部卒の「隠れ未修」。本当の未修者はごく少数です。・・・・
 今の司法試験は、法科大学院修了から5年以内に3回までしか受けられない。回数制限は外国でもありますが、「ほとんど受かる」という前提だからです。合格率25%で、3回までというのは過酷すぎる。学生の精神的重圧感は大変なものです。「三振」したら、30歳近くになって何も残らない。
 制度を作った人たちは、法科大学院がこんなに多くできるとは思わなかったようです。しかし、当然予測できたことじゃないですか。法科大学院がないと、法学部に学生が集まらない。法学部は、講義がほとんど大教室でコストがかからないドル箱なんです。それを維持するために、どの大学も法科大学院をつくらざるを得ない。だから合格率が下がった。
 今のままだとかなりの学生が三振しますから、現実的には「5年3回」という制限をなくすしかない。でもそれは小手先の対策で、本来は合格者を大幅に増やすという王道を取るべきです。
 合格者を増やすと、法曹の平均的な質は当然低下します。だけど、それで誰が困るんですか。上位500人は、旧司法試験の時代と同じくらい優秀なはずです。ぎりぎりで合格した連中だって、世の中に出せば意外と使い物になるかもしれない。入り口で絞るんじゃなく、チャンスは与えて、後は自由競争に任せればいい。
 当然、「法曹資格さえあれば食える」という考えは通用しなくなります。でも、資格ってそういうものでしょう。足しにはなるかもしれないが、保証にはならない。
 ・・・世の中が貧乏になって、法曹だけが栄えるということはないんです。
 今度始まった予備試験は、原理的には肯定しています。司法試験は学歴不問でかまわない。ただ最終的に合格者数がどれくらいになるかが問題で、あまりに少ないと、いかにも言い訳としてつくった制度になってしまう。
 法科大学院はあってもいいけれど、司法試験の受験資格として強制すべきじゃない。行きたい人だけが行けばいい。法科大学院を出たことが世間で高い評価を受けるようになれば、ほっといても学生は来ます。」(2011/05/31付「朝日新聞」p15より)

両者は法科大学院の必要性については意見が違うものの、司法試験の合格者増に対しては意見が同じようだ。しかし立場が違うにせよ、両者のそれぞれの言葉には共感できる部分が多い。

特に、日弁連の「就職先がなく食えない弁護士が多いので、これ以上合格者を増やすべきではない」という主張は、氏が言うように、まさに既得権益を守ろうとしている姿。
“当然、「法曹資格さえあれば食える」という考えは通用しなくなります。でも、資格ってそういうものでしょう。足しにはなるかもしれないが、保証にはならない。世の中が貧乏になって、法曹だけが栄えるということはないんです。”という意見も、実にもっとも・・・。

ところで、弁護士への相談料は、30分5000円が相場だそうだ。普通のサラリーマンが1か月160時間働くとすると、弁護士さんの月給は160万円、年収は1920万円になる。それに比べ、H21年の男性サラリーマンの平均年収は500万円、女性は263万円(ここ)、男女平均は406万円だそうだ(ここ)。つまり、弁護士さんの給料は、一般サラリーマンの5倍。

もちろん時間単価は、その付加価値によって決まる。しかし、法曹資格によって裏打ちされた弁護士の世界のレートは、我々一般ピープルの世界とは明らかにかけ離れている。我々庶民が1万円と感じるところが、弁護士世界では10万円・・・という感じ。
だから「合格者を増やして誰が困るんだ? 後は自由競争に任せればいい」という考え方は大賛成。

業務独占資格で断トツの高収入を誇る弁護士さん(ここ)。一方、同じ業務独占資格で、獣医さんの世界がある。自分のペットをどの獣医さんのところに連れて行くかは、ほとんどが口コミ。歯医者さんを選ぶとき以上の、口コミの世界である。つまり、選択肢は幾らでもあり、救急車で担ぎ込まれるような次元ではないため、患者側の意志で医師を決める。よって、自然淘汰が甚だしい世界だろう。

それに比べ、どうも弁護士先生の世界は、一段高いところに君臨しているように見えて、どうも好かん。日弁連の「食えなくなる~」という悲鳴など無視して、日本中弁護士だらけにして競争させたらよい。そうすれば、我々庶民の感覚と合ってきて、国民に身近な存在となることだろう・・・

今日の内閣不信任案の政治家たちではないが、“バッカみたい”と国民に侮られないよう、今住んでいる世界から、階段を数段降りてきてくれることを期待する法曹界ではある。

(関連記事)
「司法試験の合格者数を巡る論理」

●メモ:カウント~190万

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