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2011年6月 3日 (金)

「掲諦。掲諦。波羅掲諦」を光に生きる~般若心経に学ぶ発想の転換(4/4)

雑誌「大法輪」に「般若心経に学ぶ発想の転換」という記事があった。この記事の一部を、4回に亘って読んで行こう。今日はその第4回。

「般若心経に学ぶ発想の転換
  篠原鋭一(成田市・曹洞宗 長寿院住職)
・・・・・・

===
第四段
故知般若波羅蜜多 是大神呪是大明呪 是無上呪是無等等呪 能除一切苦真実不虚 故説般若波羅蜜多呪即説呪曰 羯諦羯諦波羅羯諦 波羅僧羯諦菩提薩婆訶 般若心経
===
掲諦。掲諦。波羅掲諦」を光に生きる
 今までお伝えしたことを理解すると共に自覚して頂ければ掲諦、つまり「万歳、おめでとう!」ということになるのです。

 昨年の暮、名曲「千の風になって」を訳詩・作曲をし、ご自分で歌唱された新井満氏と私の寺で冬の夜の酒宴を楽しむ機会を得ました。
 語り合ったことは。“いそがないで”ということです。そして大きな社会問題となっている“自死”について語り合い、苦しんでいる方々へのメッセージを作ったのです。
 新井満氏は次のようなメッセージをまとめて下さいました。

  外がどんなに嵐でも
  雲がどんなに厚くとも
  雲の上は
  いつだって
  抜けるような青空。
        新井 満

 このメッセージに「般若心経」を感じました。決して「空(そら)」と「空(くう)」が同じ文字だからというわけではありません。いや、それでもいいのです。このメッセージには般若心経に説かれた「空(くう)」の教えも含まれているのではないかと強く思ったことでした。

 こんな質問を頂きました。
  「周りの人たちから孤立しています。誰も私に手をさしのべてくれません。」
  自分以外の人との
  「つながり」が切れてしまうのは、とてもつらいものです。
  そんなときには、
  誰かが手をさしのべてくれるのを待つのではなく、
  自分のほうから動いてみてはどうでしょう。
  するとそこに
  新しい「つながり」がうまれます。
  人は人を必要としています。
  あなたが誰かとの「つながり」を求めているのと同じように、
  あなたとの出会いを待っている人が
  きっとどこかにいるはずです。

 つらくなった時そっと唱えてみませんか。
  「褐諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧褐諦、菩提薩婆詞……」
 ほら、生きる力が湧いてきましたね!
 “空”を生きる智慧を持てば、迷うことはありません。雲の上はいつだって抜けるような青空なんですから・・・。」(雑誌「大法輪」2011年5月号p55~59より)

ふと震災に遭った人たちを想う。もし自分が、津波で家を、そして家族を流され、何もかも失って、ひとりぼっちになってしまったとしたら、心がポッキリ折れて、多分「死」しか考えなくなるだろう。
でもここでは、“そうではない。雲の上は晴れている。自分から動けば縁が生まれる・・と説く。

我々のように還暦過ぎの人間にとっては、既に色々な人生を歩み、もう余り怖い物は無い。多分・・・。怖いものは病気くらい・・・
でも将来、心がポッキリと折れる可能性は充分にある。それは、震災に遭った人たちと同じく、家族との別れ・・・。いつか必ず来る別れ・・・・。

そんなとき、般若心経は我々の心を救ってくれるのだろうか? それは分からない。
でも、とてつもなく難解な般若心経・・・・。その難解な向こうに、何かがあることだけは分かる。自分の般若心経を少しでも分かろうとする道は、死の直前まで続くような気がする。その時に、その片鱗だけでも“分かる”とありがたいのだが・・・。

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