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2011年4月26日 (火)

原子炉「マークⅠ」~「脱原発」よりも「凌原発」

今回の原発事故も、当時のジャッジが正しかったかどうか、国会でも議論が始まっている。全ての行動やジャッジは、“歴史”によって洗い直されて行くのだろう。
先日の日経新聞に、36年前(1976年)福島原発のメーカーである米GE社内で起こった「抗議辞職」の記事が載っていた。40年近く経って、今回事故を起こしたGE社の原子炉「マークⅠ」の暗部に光が当たる・・・。曰く・・・(少し長文だがじっくりと読んでみよう・・・)

原子炉「マークⅠ」~米国流に頼らず「凌原発」
      ニューヨーク支局長 山中季広
 廃炉の運命が待つ福島第一原子力発電所の1号機から4号機はどれも、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が1960年代に実用化した「マークⅠ」という原子炉である。70年代、その安全性をめぐってGE社内で激しい対立があったと聞き、当事者を訪ねた。
 GEの原発技師だったデール・ブライデンボーさん(79)は太平洋を望むカリフォルニア州アプトスという街に健在だった。マークⅠの「欠陥」をめぐる社内の論議で孤立し、抗議の辞職をした人だ。
 「むろん福島の事故は地震と津波のダブルパンチのせい。マークⅠが自壊したわけではない。でも在職中に私がもっと声を大にして改良を訴えていたら、これはどの壊滅には至らなかったかもしれない。草創期の原発マンとして悔いが残ります」
 入社したのは53年。アイゼンハワー大統領が国連で原子力の平和利用を高らかに訴えた年だった。原子力部門に配属され、揚々と働いた。新設炉の安全審査の専門家として、スイスやインド、イタリアなど輸出先各国へ出張。完工したばかりの敦賀と福島でも技術指導をしている。
 GE上層部とぶつかったのは75年、マークⅠの弱点が社内で発見されてからだ。後継機マークⅢの開発テストから、マークⅠの原子炉格納容器の意外なもろさが判明した。何か不測の事態が起き、もしも冷却機能が失われると、格納容器は内部からの負荷に耐えられず、損壊してしまう――。
 後知恵でいえば、福島で起きた事故をなかば言い当てている。だが残念ながら、開発段階ではまったく見落とされていた。
 安全審査のプロとして各国で太鼓判を押してきたブライデンボーさんは悩んだ。「負荷の限界を調べ直して改良するのが急務。それにはいったん全基の運転を止めるしかない」
 社内の大勢は違った。「一斉に運転を止めたら重大欠陥視される」「立地先の住民を不安にさせる」「今後の営業戦略が描けなくなる」。当時、福島を含め二十数基がすでに操業中だったからだ。ブライデンボーさんの意見は退けられる。納得できず、同調してくれた若手2人と同じ日に辞表を出した。76年2月のことだ。
 その当時も今も、GEはことマークⅠに関しては「必要な補強や改良はその都度すませており、欠陥は何もない」と常に自信満々だ。福島の事故の後でさえ、「マークⅠは世界で32基が運転中。40年以上の長きにわたって設計通りに操業を続けており、当局の安全基準はすべて満だしている」と強気を崩さなかった。

 マークⅠの歴史をさかのぼるうち、もうひとりカギを握る人物と会った。
 スリーマイル島事故当時の米原子力規制委員長ジョセフ・ヘンドリー博士(85)である。「マークⅠを全面禁止のふちから救った男」と呼ばれる人だ。
 72年、規制当局内で、マークⅠを含む沸騰水型の原子炉を全面禁止にすべきではないかという懸念が持ち上がった。「格納容器があまりに小さく、水素が大量発生すれば容器は耐えられない」。立ちはだかったのがヘンドリー博士だった。「全面禁止などおよそ非現実的。原発各社もわれわれ規制当局も大混乱する。そうなれば、もう原子力の終わりだ」と押し切った。
 取材でその経緯をただすと、博士は「またその話か」とうんざりした顔を見せた。博士によれば、安全な原発とそうでない原発の間に線を引くことなどおよそ不可能で、「仮に福島の原子炉がマークⅠとは別の型だったとしても、あの揺れとあの波では同じように破壊されていた」。
 「私の哲学では」と博士は続けた。「火でも蒸気でも石炭でも、人類は革新的技術を手に入れるたび、痛ましい事故に見舞われた。それでも我々は克服して前進してきた。福島の悲劇もその例外ではない」。それ以上の質問をさえぎる強い口調だった。

 マークⅠに警鐘を鳴らした技師と、お墨付きを与えた当局者。立場は違っても原発開発に身を投じた2入と話して実感したのは、マークⅠを輸入したころの日本がまだまだ原発後進国だったという事実だ。
 70年代初め、敦賀や福島を訪れたGE技師たちは教師役で、東芝や日立、東京電力の担当者が生徒だった。「1万年に1回しか壊れない」と自信顔の教師に向かって生徒の側から「津波対策がなおざり」と指摘するのは無理な注文だったのだろう。
 あれから40年、未曽有の原子力災害に遭った日本は原発の未来とどう向き合ったらよいのか。米国流の科学万能思想に支えられた老朽原発に頼り続けるのでは報われない。むしろ、原発をしのぐ技術で世界の先頭に立てないだろうか。反原発、脱原発というよりむしろ、代替エネルギーで原発を凌駕する「凌(りょう)原発」社会を目指したい。
 たとえば太陽光発電では福島が世界のトップを走り、波力では宮城が、地熱では岩手が最先端を行く。夢見るのは、人間の知恵と力で制御できる安全な発電技術のメッカとして、東北が立ち上がる姿だ。」
(2011/04/24付「日経新聞」p8より)

自分もかつてメーカーの設計者の端くれだった立場から読むと、両者の言い分が良く分かる。・・・と言うより、もし自分が当事者だったら、とても辞職を叩きつけることなど出来なかっただろう。むしろ、ヘンドリー博士のように、会社側の論に傾くのではないか・・・
つまり、いつ来るか分からない地震に対して、一日の稼ぎが1億円と言われる原発を止めることなど、経営的にはとても出来ない相談。もちろん社会的にも影響が大きく、政府内でも、東電社内で同じ議論が起きたとしても、「原発を止めて改修せよ」などとジャッジするトップが居たとは到底思えない。止めなくても良い論理を“作り出す”こと、それが解(仕事)であっただろう。それが冷徹な現実・・・
しかし、視点が変わるとジャッジも変わる。企業論理では上記のようになってしまう判断も、表沙汰になる政治、または表沙汰になる国民の目線で判断が下されると、みんな建前論の優等生になって、まるで正反対のジャッジが“正解”になる。それも現実・・・

1986年1月28日、スペース・シャトル、チャレンジャー号が射ち上げに失敗し、7名の乗組員が死亡した。いわゆるチャレンジャー号爆発事故である。この事故の時、現場ではある部品の欠陥を認識し、また当時の気温が低かったことによる危険性も指摘されていたが、NASAの幹部は耳を傾けず(耳に届かず)、発射ボタンを押した。Wikiには「原因究明をするロジャース委員会は、事故の根本原因はNASAの組織文化や意志決定過程にあったと結論づけた」とある。

今回の原発事故にしても、当初はいわゆる現場方のジャッジよりも、事務方(経営)のジャッジが優先されたらしい。原発という経営資源が二度と使えなくなることへの経営者のおののき・・・
どんなジャッジも、その人の頭の中に占めるアイテムの重要度の順位で決まる。経営トップは、今後の業績を優先して数千億円をドブに棄てることをためらう。政治家は、そんなことよりも政争・・・。そして、もちろん東電の原発の現場は、何よりも収束に向かって一番効果がある事を考える。しかし事務方・東京の本店からブレーキが・・・・。そして事態は機会を失い、泥沼に・・・・?
しかしまだ原発事故は現在進行形であり、当時のジャッジがどうだったかなど、まだまだ歴史に洗われてはいない。

歴史に残る、まさに未曾有の原発事故収束への道・・。被災地復興も含めて、後々の“歴史という裁判”で、「あの時は間違った・・」「あの時に、こうすれば良かった・・」という答弁のない正しいジャッジを、あらためて現リーダーに期待したいもの・・・。


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コメント

、代替エネルギーで原発を凌駕する「凌(りょう)原発」社会を目指したい。・・・
本当にその通りに成ると良いですね!

【エムズの片割れより】
良くも悪くも、原発政策は大きく変わりますね。その代替を世界中でどう考えるか・・・。簡単ではありません・・。

投稿: 一生を賢明に | 2011年4月27日 (水) 13:54

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