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2011年4月の25件の記事

2011年4月30日 (土)

「原発関連収入 何に使ったのか」「原発収入 地方を責めないで」

今朝の朝日新聞の投書欄に、先日の原発収入についての意見に対する反論が載っていた。曰く・・

原発関連収入 何に使ったのか
  (神奈川県鎌倉市 65 男性)
 報道で、福島県は原子力発電所の稼働にかかる県税として「核燃料税」を課しており、今年度は44億円に上る予定だったことを知った。この一部は周辺市町村にも分配されるという。
 また、原発を誘致することにより、県も当該市町村も国から多額の特別交付金を毎年配分され、さらに固定資産税、住民税などの地方税も入ったはずだ。多くの住民が原発関連で雇用される効果も含め、相当の経済効果が県や当該市町村にあったと思う。
 福島県知事は今回の原発事故で、ことあるごとに補償、補償と訴えているが、県や当該市町村は、これまで得られた、このような原発関連の収入で、不測の事故が起こった場合の備えをどれほどしていたのだろうか。例えば基金として蓄えていたお金を避難住民に配分したとか、離れた地域に一定期間快適に居住できる避難場所を設定していた、などという話は全く聞こえてこない。一体、多額の収入を何に使っていたのだろう。
 政府の復興構想会議がスタートしたが、いつどこで、どれほどの規模で起こるかわからない巨大地震・津波の被害と、一定の想定ができた原発事故の被害を同じ土俵で議論してはならないと思う。」(
2011/04/25付「朝日新聞」声p7より)

原発収入 地方を責めないで
   (福島県いわき市 41 主婦)
 神奈川県鎌倉市の方の「原発関連収入何に使ったのか」(25日)にがくぜんとし、福島の原発による電力をのうのうと使っていた首都圏の方の言葉にいら立ちを感じました。
 東京からいわきに移り住んで15年。この間、家から歩いて30分以上かかる駅への路線バスも廃止され、都会と地方のインフラ、サービスの格差を痛感しています。
 投稿は、多額の原発関連収入が入るのに原発事故時に備えた貯蓄をなぜしてこなかったのかという指摘でした。しかしそもそも自分たちが使いもしない電力を作るための原発を喜んで招く所はなく、泣く泣く受け入れる過疎地の厳しい財政事情を知ってほしいものです。交付金で箱物を造り、地域振興を図るのは責められることでしょうか。
 今回の原発被害補償は最終的に数兆~数十兆円に上るとか。原発事故時に備えた貯蓄をと言われますが、当初予算が例年約1兆円の福島県で簡単に備えができる規模ではありません。しかも安全で事故は起こらないと造った原発は国策です。放射能被害で遺体捜索もままならない中、福島県は、宮城県や岩手県のようには前に向けず、原発事故の収束をいまだに足踏みして待だされている状況なのです。」(
2011/04/30付「朝日新聞」声p8より)

ここで、この二つの投稿に対する意見を言うつもりはない。要は、視点の違いによって色々な見方が出来る・・・ということだ。

先日、てんかんの持病を持った青年が、薬を飲み忘れてクレーン車を運転し、発作で意識がないまま児童6人がはねられて死亡する事故があった。
今回の事故を受け、「日本てんかん協会県支部の鈴木勇二事務局長によると「栃木は車社会で、免許を取得したいという患者は多い」という。2年以内に発作が起きている場合などは免許は取得できないが、「免許を取得しようと治療に励んでいる人もいる」と指摘する。
 てんかん患者の免許取得は14年の道路交通法改正で可能になったばかり。鈴木事務局長は、今回の事故を受け、「医師の診断を得て免許を取得している人たちまでも安全性を疑われるのでは…」と困惑ぎみに語り、てんかんに対する正しい理解を求めた。」(
ここ)と報道されている。
また、「日本てんかん協会によると、発作は軽度のけいれんから、意識障害など重度のものまで個人差があるが、多くの場合は薬で抑制できるという。02年の道路交通法改正で一定期間発作が出ていないなどを条件に、てんかん患者も運転免許を取得できるようになった。しかし、柴田容疑者は免許の取得・更新時に持病があることを申告していなかったという。」(ここ)という報道も・・・・

一方、福島県の避難者が、「福島県民のホテルなどへの宿泊予約が拒否される」(ここ)という風評被害も・・・

どれも、一つの事実をどう捉えるかの問題・・・・。
「原発関連収入」という事実だけを捉える人は、より良い使い道は無かったのか?と疑問に思う。しかし東京から原発を誘致した地方に移り住んだ人は、「原発関連収入」に頼らざるを得ない現地の財政状況を訴える・・・。

一方、児童6人が亡くなった交通事故では、てんかん協会が、今回の事故で多くの地道に治療しているてんかんの人の努力が、報われなくなるのではないかと心配している。これも、ある意味「福島県の人は・・・」という風評被害と同じ心配か・・・?

交通事故でも裁判でも、警察や裁判所は必ず双方の意見を別々に聞く。そう、一つの現象も、人が、そして視点が違うとまったく逆の結論になるので・・・。
これら事例でも、つくずく“事実の捉え方”の難しさを感じた。つまり、テレビ・新聞やNetから洪水のように流れてくる情報を、そのまま受け取るのではなく、自分の視点を持って受け取ることは、非常に重要ではあるが、“その道”の経験が無いと、自分の意見を言える状況には達しない。つまり殆どの情報は、ついそのまま受け取ってしまう。まさに付和雷同である。
これは自分の能力のせいで仕方が無いが、せめて、全ての情報を「one of them」と言う一歩下がった視点で受け取りたいもの・・・・

*まったく関係のない話だが、今日は一日鼻水で参った。花粉症?抗アレルギーのアレグラを飲んでも良くならない・・・。アレルギーはトシと共に鈍感になるという話も聞いたが・・・。困ったものだ。

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2011年4月28日 (木)

ジュリアーニ前ニューヨーク市長談「指揮命令系統を1つに」

今日は、東日本大震災から四十九日目・・・。被災地では各地で四十九日の慰霊祭などが行われたという。
昨日の日経新聞に、米9・11テロの時に、ニューヨーク市長として強力なリーダーシップを発揮し、世界中から賞賛を浴びたジュリアーニ氏の言葉が載っていた。曰く・・・

指揮命令系統を1つに
    ジュリアーニ 前ニューヨーク市長
――米同時テロの際に「ふだんの生活に戻ろう」と呼びかけました。
 「テロの3、4日後、遺族たちに率直に聞いた。『どう振る舞えばよいのか』と。『いつも通りで』というのが答えだった。その2日後くらいから『ふだんに戻ろう』と言い始めた。悲しみにくれている人はいた。でも、危機を克服するにはそれが一番よいと思った」
 「テロの経済的打撃も大きかった。だからブロードウェーの俳優に『仕事に戻れ』と促した。『レストランを開け』『野球を再開しろ』と。10日目に自らコメディー番組に出演し、『みんな笑っていいぞ』と言った」

 先行き示す必要
――避難などが長引くと元気を出すのは大変です。
「人々の目を未来に向けさせ、『いつまでもこの状態が続くわけがない』と思わせることだ。個人の鬱状態と同じく、社会の鬱状態の主な原因は先行きの展望の欠如だ」
 「テロでニューヨークの一部は破壊され、多くの人が亡くなった。でも、大半は生きのびた。できることはたくさんあるのに、体は大丈夫なのに、心が言うことを聞かない。だから前を向かせることが大事だ。テロという敵がいた我々と異なり、大震災は自然災害だ
が、前を向くのは日本にも当てはまるのではないか」
 「日本の大部分は今まで通りだ。教育水準が高く、創造性あふれる人々が暮らしている。東京には10回以上行ったが、人混みだらけで時速180キロで走っているかのような、都会育ちの私好みの街たった。今は抜け殻のようだと聞いた。東京が危ないのではないだろう。東京がふだん通りに暮らせば経済も活性化する。それを人々に伝えるのが指導者の仕事だ。2年後の日本はより強い国になっていると信じる」

 情報すべて公開
――危機管理で大切なのは何ですか。
 「指揮と制御だ。ただ、制御は究極の目標だ。危機を制御することなどできない。でも誰かが必ず責任を負わなければならないし、方向性を示さなければならない」
 「指揮で大事なのはワン・ボイス(命令を出す人を1人に絞ること)だ。1人が無理な場合でもワン・セントラル・ボイスにする。私は当初は毎日3回、その後は2回、記者会見したが、州知事や関係部署の職長も同席させ、専門的な事柄も含めてその場ですべての情
報を取材できるようにした。今後のテロの可能性、がれきの片付け、学校の再開日時など何でもだ」
 「情報はすべて公開した。『世界貿易センターが崩れたことでハドソン川の堤防に亀裂が入った』ことも伝えた。修理完了まで3週間、高波が来たらマンハッタンが水没するおそれがあった。我々は修理の進み具合を明かし、住民の信頼を得た。2005年のハリケーン・カトリーナヘの対処は失敗の典型例だ。連邦政府と州知事と市長が対立し、ばらばらのことを言った」
――当時のブッシユ大統領ともめなかったですか。
 「その日のうちに米連邦緊急事態管理局(FEMA)長官が派遣されてきて、我々の指揮系統に入った。私の退任の日まで州知事とFEMA長官は一緒にいて、情報を共有した」
――休みなしで頭が働きましたか。
 「家には毎晩帰ったが、最初の1週間は寝られなかった。再びテロがあったらすぐ分かるようにテレビをつけっ放しにしていた。眠気を誘うかと思って読み始めたチャーチルの伝記を完読してしまった。もともと5時間しか寝ない生活だったから大丈夫だったのかも
しれない」(
聞き手はワシントン支局長 大石格)」(2011/04/27付「日経新聞」p1より)

さすが未曾有の大事件の経験者・・。実に示唆に富むアドバイスではないか・・
何度も同じ事を書いて恐縮だが、異常時にこそリーダーの実力が表れる。今回の震災でも、米タイム誌が選ぶ「世界で最も影響力のある100人」に入った福島県南相馬市の桜井勝延市長も、そのような一人かも知れない。桜井市長は、3月24日、動画サイト「ユーチューブ」で被災地の窮状を自分の言葉で訴え、その英語テロップ版が国境を越えて注目を集めたという。(ここ
色々な立場の人が、それぞれの考え方で動いている・・・・。

現場系の人は、その熱意が人々の心を打ち、先のジュリアーニ前ニューヨーク市長のように、時の英雄になることがある反面、事務方の人たちでは、そんな話をあまり聞かない。東電の社長たち経営幹部がその代表例。何よりも“自分の言葉”で語らない。否、語れない??

一方、政治の世界では、相変わらず今日も「自民党は、菅総理大臣が設置を目指す東日本大震災からの復旧・復興を推進するための与野党合同の実施本部について、「菅政権の延命策と判断せざるをえない」などとして、参加しない方針を正式に決めました。」といったニュースが流れている・・・。
どちらが悪いとかは別にして、震災復興が政争の具に成り下がっていることに国民は白けてしまう・・・。

「四十九日」について広辞苑にはこうある。「人の死後49日間のこと。前生までの報いが定まって次の生にうまれかわるまでの期間。俗に、この間死者の魂が迷っているとされる。」「人の死後49日目に当る日、すなわち中陰の満ちる日。死者追善の最大の法要を営む。」

世の政治家、リーダーたちは、3万人にも及ぶ犠牲者から、“冥土に行ってから”後ろ指を指されないような行動・リーダーシップをぜひ期待したいところ・・・。

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2011年4月27日 (水)

静岡に伯母の納骨に行く

今日は、3月9日に亡くなった伯母の納骨のため、静岡まで行ってきた。
久しぶりの新幹線である。思えば、新幹線には無数に乗ったが、個人的に乗ったのは数えるほど・・・。今までの殆どがビジネスだった。しかし新幹線は速い・・・。

今日は、何とか天気が持ったので、富士山が見えるかと期待していたが、曇っていて見えなかった。残念・・。
静岡駅で新幹線から在来線に乗り換え、東海道線のある駅で、お骨を持って車で先に行っていた弟夫婦と待ち合わせ。昼食後、お寺に・・・。昔故人と縁のあった人が数人来てくれて参列してくれたので、有り難かった。
伯母は、若い時に夫に先立たれ、養子の息子も、音信不通だったが4年ほど前に亡くなった。よって身よりは、妹であるウチのお袋と、我々甥っこしかいない。それで甥の我々がお骨をお寺に納めに来たというわけ・・・。
特養で亡くなったあと、直葬にして、納骨の今日、住職さんのお計らいで、葬儀と四十九日の法要をして頂いた。そして納骨。

P10904721 ここお寺は、浄土宗。仏説観無量寿経を唱えていた。お経の声の素晴らしいこと・・・。
でも正坐には参った。慣れているはずの正坐。しかし今日は直ぐにしびれてきて・・・。すると、後の座っていた地元の人が、小さな椅子を持って来てくれた。それで何とかしのげた。いやはや葬儀の場での阿弥陀さまの出現であった。

伯母は結婚してからこの静岡の地に住み出した。姉や兄が早世しため、実質的な長女的な存在だったので、婿養子をもらって本家を継ぎ、夫が亡くなったときに、長崎から代々のお墓をこの静岡に移したという。しかしその本家のお墓も、もう後を継ぐ人は居ない。これで終わる・・・。当面は、その妹であるウチのお袋が面倒を見ることにして、時間稼ぎをすることにしたが、いずれこの墓は無縁化する。

しかし95歳は大往生。でも伯母の人生は、家族的には寂しかった。伯母は、息子が成人して家を出た後、妹を頼っ茨城のウチのお袋の近くに引っ越してきた。そして寮の賄い婦やスーパーの総菜作りなど、色々な仕事を長くやって一人で暮らしていた。しかし、十数年前にウチの親父が亡くなったのを機に、お袋と一緒に住み始めた。我々息子どもにとっては、姉妹二人で暮らしてくれることは、何よりも心強かった。
その伯母も、4年前、90歳の時に玄関先で転んだことをキッカケに、1週間の入院ですっかりおかしくなってしまった。つまり痴呆が始まってしまった。老人にとって、一人での入院は絶対にダメ。でも何とかその後特養に入れて、大往生が出来た。

葬儀で住職が言っていた。人間には2つの死がある。一つは肉体が滅んだ時の死。もう一つは、自分の記憶が全ての人の頭からか消え去ったとき・・・。今は、第一の死。
葬儀が始まる前、参列してくれた地元の人に「この街には子どもの時や学生の時に良く立ち寄った」という話をした。「この伯母ちゃんには、子どもの時にいつも小遣いを貰った。学生の時に、旅行に行っても、必ず帰りに立ち寄った。そしていつも小遣いを貰った。お金のない子供の時に、その小遣いがどれほど有り難かったか・・・。だから、大人になってもその恩は決して忘れない・・・」。
すると、地元の方が「うちも小遣いをあげておかなくては・・」と笑っていた。
よって、伯母の葬儀などで色々動くことについては、まったく違和感がない。昔の恩が今も我々の心に生きている。つまり昔の恩返しなのかも知れない。

子どもの時の付き合いの形。それは一生付いて回る。伯母が子どもの時に、色々と可愛がってくれた恩は、晩年になって、皆で特養に入れるように活動したり、お墓にきちんと埋葬したり、それらはみんな伯母の徳・・・・。結局、昔自分のしたことが自分に戻ってくる・・・

話は飛ぶが、この街の寂しいこと・・。“村人発見”が出来ないのである。14万人の立派な市。確かに市街はいちおう立派。でも店が無い。あっても開いていない。だから「駅前でお茶でも飲もうか・・」と言っても、店が見つからない・・・。
結局、お茶も飲まずに駅前で弟夫婦と別れた。地方都市はそんなものか・・・

ともあれ、震災直前に亡くなった伯母の葬儀も何とか終わった。まさに数少ない身寄りによって・・である。しかし、老人になると頼れるのは血縁だけ。よって、家族は大切なのである。それなのに、家庭を持たない若者が増えるとは何事か!!
・・・おっと、またその話か・・・・・。そろそろオシマイ・・・。

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2011年4月26日 (火)

原子炉「マークⅠ」~「脱原発」よりも「凌原発」

今回の原発事故も、当時のジャッジが正しかったかどうか、国会でも議論が始まっている。全ての行動やジャッジは、“歴史”によって洗い直されて行くのだろう。
先日の日経新聞に、36年前(1976年)福島原発のメーカーである米GE社内で起こった「抗議辞職」の記事が載っていた。40年近く経って、今回事故を起こしたGE社の原子炉「マークⅠ」の暗部に光が当たる・・・。曰く・・・(少し長文だがじっくりと読んでみよう・・・)

原子炉「マークⅠ」~米国流に頼らず「凌原発」
      ニューヨーク支局長 山中季広
 廃炉の運命が待つ福島第一原子力発電所の1号機から4号機はどれも、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が1960年代に実用化した「マークⅠ」という原子炉である。70年代、その安全性をめぐってGE社内で激しい対立があったと聞き、当事者を訪ねた。
 GEの原発技師だったデール・ブライデンボーさん(79)は太平洋を望むカリフォルニア州アプトスという街に健在だった。マークⅠの「欠陥」をめぐる社内の論議で孤立し、抗議の辞職をした人だ。
 「むろん福島の事故は地震と津波のダブルパンチのせい。マークⅠが自壊したわけではない。でも在職中に私がもっと声を大にして改良を訴えていたら、これはどの壊滅には至らなかったかもしれない。草創期の原発マンとして悔いが残ります」
 入社したのは53年。アイゼンハワー大統領が国連で原子力の平和利用を高らかに訴えた年だった。原子力部門に配属され、揚々と働いた。新設炉の安全審査の専門家として、スイスやインド、イタリアなど輸出先各国へ出張。完工したばかりの敦賀と福島でも技術指導をしている。
 GE上層部とぶつかったのは75年、マークⅠの弱点が社内で発見されてからだ。後継機マークⅢの開発テストから、マークⅠの原子炉格納容器の意外なもろさが判明した。何か不測の事態が起き、もしも冷却機能が失われると、格納容器は内部からの負荷に耐えられず、損壊してしまう――。
 後知恵でいえば、福島で起きた事故をなかば言い当てている。だが残念ながら、開発段階ではまったく見落とされていた。
 安全審査のプロとして各国で太鼓判を押してきたブライデンボーさんは悩んだ。「負荷の限界を調べ直して改良するのが急務。それにはいったん全基の運転を止めるしかない」
 社内の大勢は違った。「一斉に運転を止めたら重大欠陥視される」「立地先の住民を不安にさせる」「今後の営業戦略が描けなくなる」。当時、福島を含め二十数基がすでに操業中だったからだ。ブライデンボーさんの意見は退けられる。納得できず、同調してくれた若手2人と同じ日に辞表を出した。76年2月のことだ。
 その当時も今も、GEはことマークⅠに関しては「必要な補強や改良はその都度すませており、欠陥は何もない」と常に自信満々だ。福島の事故の後でさえ、「マークⅠは世界で32基が運転中。40年以上の長きにわたって設計通りに操業を続けており、当局の安全基準はすべて満だしている」と強気を崩さなかった。

 マークⅠの歴史をさかのぼるうち、もうひとりカギを握る人物と会った。
 スリーマイル島事故当時の米原子力規制委員長ジョセフ・ヘンドリー博士(85)である。「マークⅠを全面禁止のふちから救った男」と呼ばれる人だ。
 72年、規制当局内で、マークⅠを含む沸騰水型の原子炉を全面禁止にすべきではないかという懸念が持ち上がった。「格納容器があまりに小さく、水素が大量発生すれば容器は耐えられない」。立ちはだかったのがヘンドリー博士だった。「全面禁止などおよそ非現実的。原発各社もわれわれ規制当局も大混乱する。そうなれば、もう原子力の終わりだ」と押し切った。
 取材でその経緯をただすと、博士は「またその話か」とうんざりした顔を見せた。博士によれば、安全な原発とそうでない原発の間に線を引くことなどおよそ不可能で、「仮に福島の原子炉がマークⅠとは別の型だったとしても、あの揺れとあの波では同じように破壊されていた」。
 「私の哲学では」と博士は続けた。「火でも蒸気でも石炭でも、人類は革新的技術を手に入れるたび、痛ましい事故に見舞われた。それでも我々は克服して前進してきた。福島の悲劇もその例外ではない」。それ以上の質問をさえぎる強い口調だった。

 マークⅠに警鐘を鳴らした技師と、お墨付きを与えた当局者。立場は違っても原発開発に身を投じた2入と話して実感したのは、マークⅠを輸入したころの日本がまだまだ原発後進国だったという事実だ。
 70年代初め、敦賀や福島を訪れたGE技師たちは教師役で、東芝や日立、東京電力の担当者が生徒だった。「1万年に1回しか壊れない」と自信顔の教師に向かって生徒の側から「津波対策がなおざり」と指摘するのは無理な注文だったのだろう。
 あれから40年、未曽有の原子力災害に遭った日本は原発の未来とどう向き合ったらよいのか。米国流の科学万能思想に支えられた老朽原発に頼り続けるのでは報われない。むしろ、原発をしのぐ技術で世界の先頭に立てないだろうか。反原発、脱原発というよりむしろ、代替エネルギーで原発を凌駕する「凌(りょう)原発」社会を目指したい。
 たとえば太陽光発電では福島が世界のトップを走り、波力では宮城が、地熱では岩手が最先端を行く。夢見るのは、人間の知恵と力で制御できる安全な発電技術のメッカとして、東北が立ち上がる姿だ。」
(2011/04/24付「日経新聞」p8より)

自分もかつてメーカーの設計者の端くれだった立場から読むと、両者の言い分が良く分かる。・・・と言うより、もし自分が当事者だったら、とても辞職を叩きつけることなど出来なかっただろう。むしろ、ヘンドリー博士のように、会社側の論に傾くのではないか・・・
つまり、いつ来るか分からない地震に対して、一日の稼ぎが1億円と言われる原発を止めることなど、経営的にはとても出来ない相談。もちろん社会的にも影響が大きく、政府内でも、東電社内で同じ議論が起きたとしても、「原発を止めて改修せよ」などとジャッジするトップが居たとは到底思えない。止めなくても良い論理を“作り出す”こと、それが解(仕事)であっただろう。それが冷徹な現実・・・
しかし、視点が変わるとジャッジも変わる。企業論理では上記のようになってしまう判断も、表沙汰になる政治、または表沙汰になる国民の目線で判断が下されると、みんな建前論の優等生になって、まるで正反対のジャッジが“正解”になる。それも現実・・・

1986年1月28日、スペース・シャトル、チャレンジャー号が射ち上げに失敗し、7名の乗組員が死亡した。いわゆるチャレンジャー号爆発事故である。この事故の時、現場ではある部品の欠陥を認識し、また当時の気温が低かったことによる危険性も指摘されていたが、NASAの幹部は耳を傾けず(耳に届かず)、発射ボタンを押した。Wikiには「原因究明をするロジャース委員会は、事故の根本原因はNASAの組織文化や意志決定過程にあったと結論づけた」とある。

今回の原発事故にしても、当初はいわゆる現場方のジャッジよりも、事務方(経営)のジャッジが優先されたらしい。原発という経営資源が二度と使えなくなることへの経営者のおののき・・・
どんなジャッジも、その人の頭の中に占めるアイテムの重要度の順位で決まる。経営トップは、今後の業績を優先して数千億円をドブに棄てることをためらう。政治家は、そんなことよりも政争・・・。そして、もちろん東電の原発の現場は、何よりも収束に向かって一番効果がある事を考える。しかし事務方・東京の本店からブレーキが・・・・。そして事態は機会を失い、泥沼に・・・・?
しかしまだ原発事故は現在進行形であり、当時のジャッジがどうだったかなど、まだまだ歴史に洗われてはいない。

歴史に残る、まさに未曾有の原発事故収束への道・・。被災地復興も含めて、後々の“歴史という裁判”で、「あの時は間違った・・」「あの時に、こうすれば良かった・・」という答弁のない正しいジャッジを、あらためて現リーダーに期待したいもの・・・。

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2011年4月25日 (月)

「長寿“太り気味”、医療費高く」

今日は年一回の会社の健康診断の日。ここ数年、胃のレントゲンをサボっていたが、今回は胸のレントゲンもサボっちゃった・・・・。決して福島の影響ではないのだが・・・

昨日の日経新聞のコラム「今どき健康学」。今回の話題は「長寿「太り気味」、医療費高く」。よく言われている事だが、少し太り気味の方が寿命は長いらしい。曰く・・・

長寿「太り気味」、医療費高く
肥満度をはかる目安としてBMI(ボディー・マス・インデックス)という指標がある。体重(キログラム)を身長(メートル)の2乗で割った値で、日本ではBMIが25以上の人を「肥満」、18.5以下を「痩せ」として、この間の18.5~25は普通体重、25~30を過体重と呼ぶ。
東北大学医学部の辻一郎教授らが2009年に公表した調査によると、過体重の人が最も長生きするという。BMI25~30は日本肥満学会の基準では肥満度は1。いうなれば「太り気味」あるいは「やや太めの人」「小太り」になろうか。こういう人たちは痩せより長生きする割合が高いのである。
調査は宮城県大崎市の大崎保健所管内で40歳から79歳までの国民健康保険の加入者全員。対象者は5万5千人弱で、喫煙や飲酒、肥満度などを1995年から12年間にわたり調べた。その結果、40歳時点の男性で最も平均余命が長い人は過体重で41.64年。普通体重は39.94年、肥満は39.41年だった。痩せの人は一番短く、34.54年であった。
 女性も同様で、40歳での平均余命が長い順に過体重(48.05年)、普通体重(47.97年)、肥満(46.02年)、痩せ(41.79年)だった。男女とも過体重は痩せより6~7年長生きするというわけだ。
 今年3月、台湾の成人男女約12万5千人についてBMIと死亡率の関連を調べた結果が得られた。これによると男女ともBMI24~25.9のグループの死亡率が最も低い。熊理なダイエットも寿命を短くしているという。これまで日本ではBMI22が標準とされてきたが、これからは少し太り気味、BMI24くらいが寿命からみて理想的なのかもしれない。
 でも、喜んでばかりいてはいけない。東北大などは体格別に生涯医療費も算出した。40歳の男性で肥満(1521万3千円)、過体重(1510万5千円)、普通体重(1313万2千円)、痩せ(1199万1千円)だった。40歳の女性も同じ傾向がみられた。
 男女とも肥満あるいは過体重の人の生涯医療費が高い。これは太った人ほど治療に長期間を要する生活習慣病の危険が高まるといえそうだ。いずれにせよ、「太り気味」は寿命にとってはよいが、医療費には優しくないという結果である。(江戸川大学教授 中村雅美)」(
2011/04/24付「日経新聞」p8より)

これは単なる統計で、個人ベースではほとんど参考にはならない・・。と分かってはいるものの、つい自分のBMIを計算してしまう・・・。すると、自分は「普通」のランク。昔は痩せだったが、今は普通・・・。まあそうだろう・・・
思い出してみると、チョンガー(独身)時代は何とBMIが16.8。完全な痩せだった。でも結婚してからは、普通ランクの下の方の値が続いている・・。

福島の原発事故で、避難地域の様子がテレビで映される。そこには、放たれた牛の群れが見られる。餓死させるよりは・・・と、飼い主が牛の縄を解いてから避難したという。そして今日から家畜の処分に向けた立ち入り調査が始まったという。
避難している人たちと同時に、まさに家畜たちも被害の当事者だ。

人間の病気もそうだが、イザという時、つまり生命の危険に陥った時、「痩せ」は不利だと言われる。原理的に、確かにそうだ・・・。太り気味の人は、体内にエネルギーを蓄えているので、それだけ命が長らえられる。先の避難地区の家畜たちも、たぶん痩せの方から死んでいったのだろう。何とも言葉が無い・・・

1964年の東大の卒業式で、大河内一男総長が「太った豚より痩せたソクラテスになれ」と言ったという。当時のマスコミが囃した“名言”だった。
一方2500年前、ブッダは、「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの智慧は増えない。」と言ったという。
一般には「痩せ」の方に分があるようだ。

でも考えてみると、痩せも肥満も体質が一番の原因のような気がする。たまたまウチはあまり気にしてこなかった。太り過ぎで困ったことも無かったので・・・
でも息子を見ていると、体重が気になる・・・・

先日、息子からこんなメールがカミさんに入ったという。
「クイズです。今日体重を量ったら驚く数字が!!いったいどれでしょう?①80 ②82 ③83 ④85 さあどれだ?」
「どれも太り過ぎで選べない・・」
「正解は①80でした。これでも2キロ減ったんだから。前は82や83だったんだから。にしてもひどい。どれも太り過ぎやなんて・・・」
息子の年齢は別にして、まあ平和なことだけは確か・・・

まあウチのモットーは、“いつも食事をおいしく、楽しく食べること・・・”。その結果、少しくらい太ろうが、気にしない・・。何よりも、食事制限をしないで済んでいるだけ、恵まれている・・・。(でも時々体重計に乗っては、“100グラム(!)減った!”ナンテ叫んでいる自分は、なんだこりゃ!)

●メモ:カウント~180万

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2011年4月24日 (日)

映画「鉄道員(ぽっぽや)」を観る

4月からNHKのBSプレミアムが放送開始したが、同時に新しい色々な番組も始まった。その中で、“山田洋次監督が選んだ日本の名作100本~家族編~”(ここ)を録画して、休日毎にせっせと観ている。
4月は「東京物語」「二十四の瞳」「トウキョウソナタ」「鉄道員(ぽっぽや)」「めし」ときて、今夜は「若者たち」を、今放送している。このうち、「東京物語」は前に観たので省略。昨日「めし」を観て、今日は「鉄道員(ぽっぽや)」を観た。(「二十四の瞳」は昔観たが、もう一度観るつもり・・・)

110424poppoya それで今日観た「鉄道員(ぽっぽや)」だが、スピリチュアルな世界を自然に描いていてなかなか良かった。この映画は昔評判になったものだが、広末涼子も、可愛くてなかなか良かった。
高倉健は相変わらず渋い。先日、民放で映画「幸せの黄色いハンカチ」を放送していたので、ついまた観てしまったが、どれもなかなか渋い。しかし、言葉が少ないが、所作で心を表現出来るのは大変なもの。それが出来る代表的な俳優だ。

この映画のストーリーは、赤ん坊の時に死んだ女の子が、少しずつ大きくなって父親の所に出てくる・・・。何とも怖い話なのだが、家族のつながりをしっとりと描いている。

亡くなった子供、亡くなった人をどう捉えるか・・・。それは人によって当然違う。でもウチは結構スピリチュアルな世界が好きなので、それらを好意的に捉える。
これらスピリチュアルな世界も、亡くなった人に会いたいと思う人は、好意的に捉え、会いたくないと思う人は否定的に捉えるのだろう。
同じような映画に「異人たちとの夏」がある。この映画もこの番組で放送予定らしいが、昔観た時に、亡くなった両親が、亡くなった当時のままの姿で成長した子供の前に出てくる設定に、少しゾッとした。それにバックに流れるプッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」の「私のお父様」が何とも切なく、怖かったもの・・・。この映画も放送されたらまたじっくりと見るつもり・・
それに比べて、この「鉄道員(ぽっぽや)」は物語が単純なだけに、分かり易い。むしろ温かい・・・・

そして、この映画のもう一つのテーマは、定年になって会社を辞めたら、どう生きる・・・・?
この映画では、雪の中で主人公が亡くなる・・・。映画のセリフでは「大往生だ・・・」と言っていた。確かに、自分の好きな仕事をやり遂げ、妻や娘も先立っており、人生に悔い無し・・という所なのだろう。でも一般的に見ると若い・・・
でも家族に先立たれて一人残され、仕事という生き甲斐も失いかけた人間に取ってみると、定年間際で、廃線の前に、このような形で家族の元に逝く、というのもそう悪く無いような気がしてきた。
何とも少しセンチになって観た映画「鉄道員(ぽっぽや)」ではあった。

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2011年4月23日 (土)

「震災後に“買いだめした”16%」「水や電池、3割が使わず」

先日の新聞に、震災にからむ買いだめについての記事があった。曰く・・・

震災後に“買いだめした”16%
東日本大震災の発生後、首都圏のスーパーやコンビニから水や乾電池、カップ麺などがImage06372 姿を消した。消費者の買いだめが原因とされる。だが今回の調査で、何らかの物を買いだめしたと答えた人は16%。決して多数派ではない。
・・・
買いだめした人の約8割が「後悔している商品はない」と回答。買いだめをした理由の2位は「どうせ、いずれ使う(食べる)」。衝動的というより合理性を感じさせる。
回答者全体でも3割が買いだめ自体を「仕方ない」「何とも思わない」とみる。次の災害時に買いだめを「する」派と「しない」派は半々だ。
・・・」
(2011/04/18付「日経新聞」p15より)(写真はクリックで拡大)

買いだめ商品 水や電池、3割が使わず カップ麺・お茶は消化
東日本大震災直後、首都圏の消費者を中心に飲料や食品を備蓄用にまとめ買いする現象がみられた。「家庭内在庫」となったこれら品々について日本経済新聞社が全国の1000人に聞いたところ、ペットボトル入り飲料水や電池はいまだ温存している人が多いことがわかった。飲料については今後もまとまった量を購入する意向を示す人が比較的多かった。
Image06351 大震災発生から1週間以内に、備蓄用に買いだめした人が最も多かった商品はカップ麺の20.5%。これにペットボトル飲料水の19.1%、電池の15.2%が続く。
買いだめした商品をその後どれだけ使ったかについては、カップ麺は「すべて使い切った」 「半分以上は使った」の合計が48.3%に。買いだめした人が7.6%だったペットボトルのお茶は60.5%と“消化率”が高かった。
一方、飲料水と電池は「まったく使っていない」入が3割超。これらは今後の節電などへの「備え」として温存したい心理があるようだ。なお、飲料水を購入した人の3.6%、カップ麺では3.4%が一部を被災地への寄付に回した。
今後、買い置きする量を増やしたい品については22.9%が電池、21.5%が飲料水を挙げた。水やお茶などの飲料は、19.0%の人がケース単位などで購入する機会が増えると思うと回答。これら品目の家庭内在庫は当面、震災前をやや上回る水準で推移しそうだ。
アンケートは調査会社マクロミルを通じ、20代以上の男女を対象にインターネットで4月15~16日に実施した。」
(2011/04/20付「日経新聞」p27より)

1970年代のオイルショックの時はトイレットペーパーが品薄になり、多くの人が手に入れるのに往生した。今でもときどき、当時のスーパーで、開店と同時にトイレットペーパーの売り場に殺到する人たちの姿が放映される。一方、当時製紙会社の経営幹部が会見で「たくさん売れて儲かるだろう、という話をきくが、長い目で見れば需要は一定であり、売上は変わらない」と言っていた事を思い出す。
それは確かだ。人々は、手に入りづらくなる、と思うと頭の中で計算する。「どうせ使うのだから、今のうちに買っておこう・・」。かくして店頭から商品は消えるが、一旦買いだめした人は当分買わないので、しばらくすると商品は店にあふれる。これは自然の摂理・・・。先日スーパーに行ったが、案の定、即席麺やペーパーは売り場にあふれていた。

これらは心理の問題かも・・。カラになっていたスーパーの売り場に、商品が運び込まれると、自分では必要が無いと思っていても、ついみんなと一緒に買ってしまう。ウチでも、当時、がらんとした売り場にあった少残りのインスタントラーメンを「いちおう買っておくか・・」と、つい買ったもの。まあ、もう食べてしまったので、ムダにはならなかったが・・・

何? それで、ウチで買い占めたものは無かったかって? ⇒それはヒミツ・・・・。
何? ウチで買い占めて後悔したものは無かったかっって? ⇒それもヒミツ・・・。

まあウチは“孤高の覚りの境地の家庭”ではなく「付和雷同型」の家庭であることは、今回の買いだめ騒動で充分に自覚した。トホホ・・

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2011年4月22日 (金)

田中好子さんが亡くなった~キャンディーズの「わな」

今朝の新聞に、キャンディーズのスーちゃんこと、女優の田中好子さんが昨夜(2011年4月21日)、乳がんのため亡くなった・・・、という記事が載っていた。36歳で発病した乳がん110422tanakayosiko は、55歳で命を奪った・・。あまりにも早い・・・・
周知のように、キャンディーズから女優に転身した田中好子さんは、伊藤蘭さんとともに女優としても才能を発揮した。思い出すのは2001年度上半期に放送されたNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の母親役。この朝ドラは、国仲涼子の可愛さで、自分も珍しく見た記憶がある。
しかし、まだまだ活躍が期待される女優だったのに・・、と惜しまれる。
キャンディーズの「わな」を聞いてみよう。

<キャンディーズの「わな」>

「わな」
  作詞:島武実
  作曲:穂口雄右

「スカートの裾ひるがえして帰ってくればいいさ」
と あの人が云う
短かな沈黙の押し問答
背中つついたのは冷たい風…
だったかな そう
あの人は花の名教えてくれる
頬笑み返してくれる
抱きしめて Kiss してくれる
でも あいつはしくじった(fall in you)
でも あいつはしくじった(fall in you)

「マスカラの黒ひきなおして座ったままでいなよ」
と あの人が云う
短かな溜息のアンコール
睫こすったのは冷たい指…
だったかな そう
あの人は紅茶を入れてもくれる
タマネギむいてもくれる
腕の中つつんでくれる
でも あいつはしくじった(fall in you)
でも あいつはしくじった(fall in you)

もうあいつは両手を拡げてしまう
薄笑み浮べてしまう
くらやみにかわいてしまう
ああ あたしもしくじった(fall in you)
ああ あたしもしくじった(fall in you)

この軽快な歌を聞くと、自分は伊豆を思い出す。その昔、この歌をやっと録音してカーラジ110422wanacandies オで聞き始めたのが、たまたま伊豆への家族旅行の時。曲がりくねった道を、この歌を聞きながら、歌詞を「何て言っているんだ?」とカミさんと“分析”しながら車を走らせたもの・・・。
この歌は、1977年の発売だという。キャンディーズのデビューは1973年。そしてテレビに出始めたのが1975年頃らしい。まさに自分の独身時代だ。
当時、よく「3人のウチでどのタイプが好き?」というやりとりが流行った。キャンディーズの3人は、それほどキャラクターが違って見えたもの・・。
110422wanacandiestv キャンディーズは当時、別に大好きなグループ・・というわけではなかったが、今日の田中好子さんの急な訃報に接し、ふと昔のテレビの画面を思い出した。
まさに皆に“好かれて”いた田中好子さん。「惜しいな・・・」と思うと同時に、当時の青春時代を思い出させるキャンディーズの歌である。

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2011年4月20日 (水)

「空」~般若心経に学ぶ発想の転換(1/4)

雑誌「大法輪」に「般若心経に学ぶ発想の転換」という記事があった。この記事の一部を、4回に亘って読んで行こう。今日はその第1回。

般若心経に学ぶ発想の転換
    篠原鋭一(成田市・曹洞宗 長寿院住職)
・・・・・・
◎生きている内の「般若心経」
私は名刺の裏に次のように書いています。
「お寺には生きている間においで下さい。死んでからでは遅いのです。“仏教”はより良く生きるための“生き方”を説いています。生きている間に学び実行して下さい。死んでからでは遅いのです。」
般若心経の教えも生きている内に人生に活かさねば全く意味がありません。
そこで、紙面の都合もあり、論理的にお伝えすることのできない私の力不足もありますから、各段の文言を、感性で語らせて頂きます。
各段と言いましたが、このお経は大体次の四段落に分かれていると受けとめて下さい。
 第一段は「観自在菩薩」から「亦復如是」まで・・。
 第二段は「舎利子是諸法空相」から「以無所得故」まで・・。
 第三段は「菩提薩捶」から「得阿耨多羅三貌三菩提」まで・・。
 第四段は「故知般若波羅蜜多」から終りの「般若心経」まで・・。

====
第一段
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空度一切苦厄 舎利子色不異空空不異色 色即是空空即是色 受想行識亦復如是
====
◎なんと言っても「空」です!
「色不異空。空不異色」。そして次に「色即是空。空即是色」とあります。
「色はすなわち空なり。空はすなわち色なり」。「現象の世界は空である、空なるものが現象の世界である」ということなんですが・・。
おもいきり平易に言えば「欲にまかせてあれやこれや手に入れてみたけれどやがてみんな失いますよ。どんなに愛し合っている間柄でも別れがくるのですよ。生まれたのだから
死ぬのはさけられませんよ。そして形ある物はいつか壊れるのですから・・。この事実をよーく自覚しておきましょう!」
このことが自覚できたら次のメッセージがジーンと身にしみませんか・・。タイ国・ピピット・プラチャート学僧、ナーン和尚さんのメッセージです。
  「心に仏法があるから」
  ほとんど切り抜けようのない重大な問題や苦しみに出会っても
  ほほえみ、笑うことができる
  わたしたちは自由そのものだ
  そんなものの奴隷にならない
  心は自由
  心に仏法があるから気分がいい
  苦しみが起っても
  消し去ることができる
  それだけで笑顔が作れる
  問題がおこるのが人生というものだ
このメッセージを昧わってみて下さい。「空」という「仏法」が自覚できたら、このような境地になり、生き方が定まると思えてなりません。

こんな質問を頂きました。
 「何をやってもうまくいきません。出口の見えないトンネルの中を歩いている気分です。」
  同じ状態が続くことはありません。
  あらゆる物事は移り変わっていきます。
  幸せなことは長続きしませんが、
  不幸なことも長続きしないのです。
  ですから、幸せなときには
  幸せを思いきりかみしめればよく、
  不幸なときには
  物事が移ろいゆくのを
  焦らずに待っていればよいのです。
  今は幸せなときが来るまでの準備期間です。
  トンネルから抜け出せるときが
  必ずやってきます。
  「空」なんですから!

  (雑誌「大法輪」2011年5月号p55より)

言うまでもなく、般若心経の本は、書店にあふれている。それほどポピュラーなお経だが、凝縮し過ぎたせいか(?)、極めて難解なお経でもある。だから様々な解釈が生まれ、さまざまな訳がある。この記事もそんなものの一つ。
この記事は、般若心経の神髄を、平易な問答に置き換えているところが面白い。

話は変わるが、先日、生まれて初めてお寺で坐禅というものを体験したが(ここ)、これが何とも心地よい。それで、つい通販で坐禅布団を買ってしまった。坐禅には、やはり専用の座布団が良い・・。
前にも書いたが、自分の場合、坐禅をしても、精神の集中などにはほど遠い。しかし、我が家に一室だけある和室で、単に座るだけなのだが、これが何とも落ち着く・・・。
ブッダは、瞑想によって悟りを開いたという。
坐禅・瞑想について、先日のお寺の住職さんは、動き回っている日常を「止めてみることが大事」、と言っていた。

そう・・。バタバタしている毎日を、一瞬でも止めて、和室にある般若心経の掛け軸を眺めながら(ここ)、ボーっと座るのも、“発想の転換”には良いのかも知れない。

(関連記事)
「般若心経」勝手帖
中村元の「般若心経」

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2011年4月19日 (火)

「国立「結婚学校」があればなぁ。」

先日の朝日新聞に「結婚未満~国立「結婚学校」があればなぁ。」という記事があった。曰く・・・

国立「結婚学校」があればなぁ。
     山本貴代
 藍子(仮名)、36歳。「アラフォー」という言葉を目にすると、胸がざわめくようになった。親の「結婚しなさい」コールが煩わしくなり、家を出て6年。仕事は、広告代理店の下請けの制作会社で事務職をしている。現場と人事・経理の間で、担当部署の受発注から、中途採用・派遣社員の教育と監督までやる何でも屋さんだ。
 帰宅は、毎晩早くて22時。終電に駆け込むと0時半。最近では日付が変わるのも珍しくない。正社員で裁量労働制だから残業手当はなし。時間短縮制度を使い、毎日4時半に帰宅する同僚ママのやりかけの仕事を、夜中までかかって片付けるむなしさと悔しさ。
 「同僚の面倒をみているうちに結婚や出産しそびれちゃう」。焦りもある。夕方に帰る派遣の女子に憧れてしまう。いいなあ。時間あって、責任なくて。
 結婚って、少しずるくないと、たくさんの長所を持った将来性もある人を勝ち取れないのかな、なんて卑屈になる。
 彼氏いない歴10ヵ月。休日は洗濯、掃除、アイロンがけして図書館へ。会社では約100人の担当をして気を張って働いているから、休日は一人の空間が気持ちいい。
 でも動物として、適齢期に子供を産むという機能を使わずに終わったら悲しい。親にも何かに対しても申し訳ない気がする。役立たずというか。「適齢期」という制限がゆるまって、かえって気づく機会を失っちゃったのかも。
 国に「結婚学校」をつくって欲しい、なんて願ってしまう。家事、子育て、親戚づきあいなど結婚後の暮らしのイロハはもちろん、男性には異性の口説き方や社交術、女性には無邪気に甘える方法など教えてくれる。生徒たちでマッチメイキングもできたら、不器用な私でも結婚できるかな。
 雇用均等法施行から25年。女性の社会進出が逆に結婚に繋がる出会いを減らし、悩める乙女を増やしたなら、なんとも皮肉な話だ。35歳~44歳の独身女性は、2005年の国勢調査によると全国に126万人以上いる。30歳以上となれば280万人近くなる。アラフォー独身女性1千人で「結婚したい」人は8割以上だが、「男性との出会いの場に積極的」な人は1割以下だった(拙著『女子と出産』より)。もし国立・結婚学校ができたら、果たして全国の藍子は救えるだろうか。」(
2011/04/09付「朝日新聞」b4頁より)
(「アラフォー」:35歳から45歳までの女性層を指す。アラウンドフォーティー(Around Forty = 40歳前後)の略語)

国立「結婚学校」とは、何と斬新なアイデアであろう・・・(拍手!!)。
しかし皮肉な世の中だ・・・。世の未婚男性は「結婚したい。でも・・・」。同じく女性も「結婚したい。でも・・・」。つまりそれぞれの需要はあるものの成就しない。マッチングミスなのであろう。それを国が救済する・・・。なるほど・・・。グッドアイデア!(何か寂しいけれど・・・)

結婚は自分という人間を作るのに絶対に必要、というのが自分の持論。だから「生涯未婚率の上昇」は心配・・・。結婚は何よりも自分の“結婚する気”が必要。それが無ければ、周りが幾ら心配しても始まらない。全てはそれがスタート。

大昔は、親が決める(?)見合い結婚が当たり前。つまり本人がどう思おうと、流れで結婚したものだ。結婚式で初めてまともに夫の顔を見た・・・、という話も聞く。現代では人権問題だが、ここで言いたいのは、(乱暴だが)「結婚生活は本人の努力次第でどうにでもなる・・・」のでは・・・?ということ。
要は結婚のキッカケだ。そのキッカケを今は“恋愛”と称するらしい。別にキッカケなどどうでも良いではないか・・。“恋愛”などという“他人に誇れる(?)”キッカケなんて、吹けば飛ぶようなモノ・・・。そんなの、続いても数ヶ月間だけさ・・・。後は、本人達の努力あるのみ・・・。

今回の東関東大震災で、婚約指輪が売れているという。もし家族が居ない一人者だったら、津波で流されても、誰も自分を探してはくれない。誰も自分の死を悼んではくれない。それは問題だ・・・。がキッカケらしい・・

人生を一人で生きて行くのは大変。だから、誰かと一緒に生きたい・・・、と思う。もちろん友人と生きるのも良い。でもそれは所詮“友だち”。肉親ではない。付き合いの濃さが違う・・・。津波で流された時、友人が自分の死体を探してくれるか?答えは「否」・・・
結局、「連れ合い」「伴侶」が一番のパートナー、ということになる。
次回の選挙では「国立“結婚学校”をつくる!」という候補がいたら、絶対に投票するぞ・・!?

(付録)
ある雑誌に、こんな言葉が・・・

自分以外の人との
「つながり」が切れてしまうのは、とてもつらいものです。
そんなときには、
誰かが手をさしのべてくれるのを待つのではなく、自分のほうから動いてみてはどうでしょう。
するとそこに
新しい「つながり」がうまれます。
人は人を必要としています。
あなたが誰かとの「つながり」を求めているのとおなじように、
あなたとの出会いを待っている人が
きっとどこかにいるはずです。

(雑誌「大法輪」2011年5月号p59より)

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2011年4月18日 (月)

「すみません」の仏教思想(6/6)

雑誌「大法輪」を読んでいたら「日常語に含まれている大切な仏教思想」という記事があり、心に留まった。その全文を6回に亘って読んで行く。今日はその6回目。

「日常語に含まれている大切な仏教思想
     大本山護国寺貫首 岡本永司
私たちが日常使っている言葉の中に深い仏教思想が含まれていることが多くあります。その一端をご紹介させていただきます。
・・・・・
「すみません」
 第六番目は「すみません」という言葉であります。これも私たちはよく使っております。広辞苑には「物事をうまく決着せずまた、自分の気持ちが落ち着かないことから相手に対してあやまる時、礼をいう時、頼む時などに使う言葉」と出ております。一般的にはそれでよいのですが、仏教思想としては更に一歩を進めて、今まで述べて来たように私たちは万物の限りない恵みや他の生命他の人々、全て自らをとりまく一切のものの支えや縁によって今存在しているので、そうした大恩にはなかなかお返しができません。誠に微力な自分で申し訳ありませんという謙虚な心と、今後出来るだけ世のために仏教で示す利他行にはげんで参りますという積極的な心構えを示す言葉であると信じます。
 遺伝子工学の世界的な権威である筑波大学名誉教授村上和雄博士は、長年の研究の結果、人が人としてこの世に生れてくることは奇跡の中の奇跡であるとし、更に私たちが持つ笑い、感動、また感謝や思いやり、敬虔な祈りは、私たちの体内にある良い遺伝子を目覚めさせるスイッチをオンにし、悪い遺伝子をオフにするとされ、逆に怒り怨み憎しみや嫉妬などの心の働きは良い遺伝子をオフにし、悪い遺伝子を目覚めさせオンにし、細胞全体にダメージを与えるようになると言われております。
 二千五百年の歴史を持つ仏教思想の主張する宇宙万物の不可思議な働きを、人智を超えた仏の働きとし、その偉大なる恵みに対し今生命をいただいていることに畏敬の祈りと、感謝の念を持ち、自らの心の在り方、生き方を規正し他を利して行く利他行を実践して行くことが、経に示されている「心身安楽」という最高の安らぎの道であると最先端の生命科学の分野でも実証されつつあることに深い感銘を禁じ得ません。日々をこうした心構えで過して行くことが仏教徒の願であり生き方であり、人として幸せをつかむ道であると確信いたしております。」
(雑誌「大法輪」2010年11月号p25より)

ここで言われている、良い遺伝子、悪い遺伝子のオン・オフは本当らしい。恨みや怒りの感情を常に心に抱いている人は、病気になり易いという・・。

さて、いままで6回に亘って、「ありがとう」「おかげさま」「もったいない」「いただきます」「ご馳走さま」と読んできて、今日は最後の「すみません」であった。
どの言葉も“一歩引いた”言葉であることに気が付く。現代社会は「オレが!」「オレが!」の世の中。これら謙譲の姿勢は本当に失われてしまっている。

ところで、このような人間の特性は、どのようにして生まれるのだろう。どのようにして育くまれるのだろう・・・。当然子どもは親の姿勢を見ながら育つ。親の姿勢を正しいと思って育つ。よって親の影響が一番大きいことは疑う余地はない。そして教師。特に小学校低学年における先生の位置付けも重要だろう。
そして物心が付く頃になると、他に影響を与える人間が出てくる。それは本を通しての影響かも知れないし、色々な人との出会いによって生じるかも知れない。まあ、良い性根を持った人は、良い手本が身近に居るもの・・・。

仏教でいう「四苦八苦」(ここ)の一つに、「怨憎会苦(おんぞうえく)」という苦しみがある。「うらみや憎しみをもった相手と付き合う苦しみ」のことである。

一方、会社や色々な組織、または親戚付き合いなどでも、我々は様々な人間関係に苦しむ。そして、そのイヤな相手の中に、「すみません」というイメージの人は多分少ない。
つまり、今までみてきた「ありがとう」「おかげさま」「もったいない」「いただきます」「ご馳走さま」「すみません」という言葉が、その人のイメージになっている人は、他人から見て「怨憎会苦(おんぞうえく)」の対象にはならないものだ。多分・・・

話は飛ぶが、この東日本大震災の発生から1カ月後の4月11日、ワシントン大聖堂で、被災者らに祈りをささげる各宗教合同の集会が開かれ、そこで、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の英訳が披露されたという。(ここ

「ありがとう」「おかげさま」「もったいない」「いただきます」「ご馳走さま」「すみません」という謙譲のイメージの人間・・・。
「サウイフモノニ ワタシハナリタイ(such a person I want to become)」・・・(←ほぼ100%、自分はムリだと思うけど・・・・)

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2011年4月17日 (日)

計画停電~「独占」の弊害をなくす契機に

今日のニュースでは、東電が原発事故収束に向けて工程表を出したという。福島第1原発を安全な状態にするまでに6~9ヶ月・・・。「正月になってしまう・・」という住民の声や、「そんな事では済まないのでは?」という声・・・。
一方、何とも不平等だった“計画停電”という言葉が段々と遠くなって、何よりだ。やっと平静を取り戻した。そう言えば、この計画停電について、見事に喝破した論が先日の朝日新聞にあった。少し振り返ってみよう・・・

「“独占”の弊害をなくす契機に
    経済学者 八田達夫さん
 東京電力の計画停電は、とんでもない「無差別停電」だった。原則廃止を決めたのは当然だ。
 そもそも電力会社は、大口需要家の企業と需給調整契約を結んでいる。電力を安く販売するかわりに供給能力が不足したら節電を求めるものだ。これを徹底して行使せず、一般家庭の電力を一方的に切り、信号機や電車、病院など社会インフラの電力を切った。町工場や商店も大混乱した。いくら緊急事態でもこれは許されない。
 もし需給調整契約で不十分だとわかったら、経済産業省は震災直後から電気事業法第27条を発動し、東電の大口需要家に電力の使用制限を命令すべきだった。違反すれば賦課金もかけられるので、計画停電は避けられた。経産省はいったい何をしてたんだろう。
 近年、商社やメーカーが電気を供給する企業を設立し、電力市場に参入している。ところが、計画停電で東電はこうした企業の顧客への電力も切った。送電線には何の問題も起きていない。顧客に電力を送る託送の中立を義務付けている電事法に従えば、他の発電事
業者の顧客に迷惑をかけるべきではなかった。日本卸電力取引所での東電管内取引が震災後、停止しているのも奇妙なことだ。
・・・・・・(略)・・・
 需給に応じて自動的に電力節約を促すためには、多くの発電会社による競争によって、時間ごとに細かく形成される電力価格が、安定供給に中心的な役割を果たす制度にする必要がある。そのためには発送電の分離と、発電会社の分割が不可欠だ。
それができていないのは、電力会社の独占力のためだ。私は経産省総合資源エネルギー調査会の委員を長年つとめた。そこで感じたのは、さまざまな癒着ともたれ合いの構造だ。
 電力業界は会社と労働組合の集票力によって政治に影響を及ぼし、役人を天下りで受け入れ、官僚と癒着した。世論形成に影響のあるテレビ番組のスポンサーにもなっている。電力の発送電一貫体制を分割することは、この地域独占を破壊することになる。
 欧米並みの制度をまず東電の区域に導入すべきだ。原発被害への賠償に対する国の補助と引き換えに、東電をいったん国有化する。その後、発送電を分離し、発電会社は複数に分割する。いったん国有化することは、発送電分離を可能にする上で重要だ。
 欧米では、政府が電力会社から料金を取って原発の使用済み燃料を最終処分する仕組みだが、日本ではそうなっていない。これでは費用がわからず、原発を推進すべきか否か経営判断できない。
 こんな制度では、国と電力会社が責任を押しつけ合って、問題を先送りするだけだ。東電から原発を切り難し、政府の管理下に置くべきだ。責任を誰が取るのか、あいまいなのが一番いけない。」
(2011/04/12付「朝日新聞」p15より)

しかし今回の停電には参った。昔はカミナリが落ちるたびに停電になったもの。それが東電では、電柱の上にある“お釜(開閉器制御器)”のお陰で、もし電線の切断などで電源が切れても、逆方向からの送電で停電は瞬時に回避される仕組みが定着し、停電はほぼ皆無になっていた。それだけに参った・・・

それに、今回の計画停電で死者が出たのは痛ましい。
「信号が消えた交差点で、出会い頭に車両同士が衝突する事故が16~22日に計6件発生し、神奈川と群馬で2人が死亡、4人が重傷を負った。」(2011/04/18付「日経」p30より)
それ以外でも、酸素吸入器が止まって、停電後に死亡したり、ローソクが倒れて火事になって死亡したりで、何人もの死者が出ている。
東電・政府は、死者が出る事態まで“想定”して、計画停電を始めたのだろうか・・・
一方、福島第1原発の事故では、“死亡者ゼロ”と政府・東電は声高らかに謳う。何かヘンだ・・・

長くなって恐縮だが、同じく朝日新聞の天声人語にはこんな記事が・・
「震災のずっと前だが、新橋の立ち食いそば屋で照明が突然消えた。電気を使いすぎたのか、ライスジャーを二つとも切れと店長が叫んでいる。なるほど、ご飯の保温より電灯や券売機が大切だ。納得してそばをすするうち、明かりと客足が戻った。
電気の使い道には優先順位があり、不要不急が多いほど節電の余地も大きい。そういえば、照明を落とした地下鉄の駅こそパリの明るさだと、仏語教師が懐かしがっていた。あちらが暗いのではなく、震災前の東京が明るすぎたのだ。
「ここ10年、けばけばしく外壁を照らす店舗が増えました。オフィスの照度も千ルクスと過剰。就寝時の闇との落差が大きすぎて、安眠できない人がいるほどです」。照明デザイナー、石井幹子さんの指摘だ。
石井さんは岐阜の世界遺産、白川郷を照らすにあたり、10ルクスを確保できる光源を用意した。それも万一の消火活動に備えた明るさで、通常は雪明かりの趣を損ねない1ルクス。都会とは桁がいくつか違う。夜道も3ルクスあれば、近づく人の悪意を10メートル手前で読み取れるという。
夏の大停電は、大節電で防ぐほかない。政府は、大きな工場やビルには25%、家庭にも20%の節減を求めるらしい。需給の見通しを日々伝える「電気予報」も検討されている。
町工場や病院を泣かせる計画停電ながら、あえて功を探せば節電意識の高まりだろう。節電とは皆が「そば屋の店長」になること。照明も空調もほどほどでいい。「輝ける都市生活」を、薄明の下で省みたい。」(
2011年4月8日付「朝日新聞~天声人語」より)

我々の家庭で、電気を無駄遣いしていないかと聞かれると、“していない”とは到底答えられない。
従って、どの家庭でも「半分にしろ」と言われると不要不急の電源を切って、必要最小限にする事は出来る。でも今回のように、一方的に電源を切られると、東電に対する反感だけが残って、節電の努力をする気そのものが失せてしまう。
TVで、どこかの家で、電源が切れた瞬間、「アッ」という声だけが残った黒い画面を放送していたという。
それでいて、電力使用実績のグラフを見ると80%台。これが95%以上であれば、仕方がないと諦めも付く。よって、それこそ“計画”的に、機械的にバシバシ切るのではなく、ギリギリまで使用電力の状況を見ながら、95%を過ぎた時に、必要最小限のエリアに絞って実施する事が出来なかったのか・・・。素人的には、そう思える。
東電も拙速で、“歴史に残る”愚行を重ねたものだ。
先ずは試練のこの夏。社会全体で智慧を絞り、何とか停電だけは避けたいもの。

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2011年4月16日 (土)

映画「英国王のスピーチ」を観る

今日はカミさんと映画「英国王のスピーチ」(これ)を観てきた。この映画、前から観ようと言っていたのだが、震災の影響で、何となく映画どころではなく、1ヶ月経ってやっと観に行った、ということ。

50歳を超えて、夫婦で行くと各1000円、または還暦を過ぎれば一人でも1000円。映画が身近になって、たくさん観るぞ・・と思ってはみたものの、どの映画を観るかが、はなはだ難しい。
一番手っ取り早いのが口コミなのだが、それほどの情報は入ってこない。結局、マスコミに踊らされることになる。
Image06261 この「英国王のスピーチ」も、何のことはない。アカデミー賞の作品賞を受けたから見る気になった・・、に過ぎない。何とも主体性がないが仕方が無い・・・・

映画を見終わって、直ぐに「何点?」と聞くのが習慣。カミさんは「前半は飽きて、まあ60点」という。何の、自分は85点の合格点だな・・・。

映画でもテレビドラマでも、実話に基づく物語は内容が濃い。この物語も実話に基づくという。今の英国女王・エリザベス2世の父君の物語だ。幼少の頃、厳しいしつけなどによって、吃音というコンプレックスを抱えていた次男。長男のエドワード8世Image06271 が、王位を捨ててシンプソン夫人との恋を取ったことで、自分に王位が回ってくる。王ともなると、ラジオでの生スピーチをするしかない。それへの恐怖と緊張・・・・

しかも、時は第二次世界大戦前。ヒトラーのドイツに宣戦布告のとき・・・・。
その吃音を直すための、スピーチ矯正の専門家ライオネルとの物語である。それを支えるバックには、夫を信じる妻エリザベスの姿・・・

吃音の背景にあるのは、幼少の頃からの厳しい環境による、心の病。自信の無さ・・・・。それらを少しずつ克服していく。ラストシーンは、当時世界の1/4を支配していたという大英帝国全土に向けた戦争スピーチ。
ベートーヴェンの7番の交響曲に乗って、国民を鼓舞する演説が始まる・・・。何とも格好良い演出だ・・・。
でもスピーチについては、良く言われている事が出てくる。「私に向かって話せ」というのはその代表。

世界に冠たる大英帝国の王も、裏側は普通の“生身の人間”だという場面が何度も出てくる。そんな場面を見ていると、テレビなどで堂々と話している“人前で話すことが商売”の人でも、一人になった時は、緊張で震えているのだろう・・・と、つい可笑しくなる。つまり誰でも同じなのだ。
人間は人生で緊張する場面は幾らでもある。面接試験のとき、何かの代表になって皆の前で話をする時など・・・。その時、「こんなにドキドキしているのは自分だけ」とツイ思ってしまう。でもそれは誰も同じなのだ・・・
でも原稿を見て良い時は、余り緊張しないもの。原稿を見ないで話をするのは大変・・。結婚式で言うと、仲人は堂々と原稿を読んでも可。しかし主賓は紙を見ない。よって主賓の挨拶の方が大変・・・

まあ、王さまが、個人の家を訪問する場面などでは、“警備が大変だろうに、そんな事がホントウに可能なのかな・・?” な~んて、「ローマの休日」を思い出したりしたものの、自分は結構楽しめた映画ではあった。

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2011年4月15日 (金)

妻の「断捨離」スイッチ

先日の朝日新聞に「妻の「断捨離」スイッチ」という記事があった。なかなか感心する記事で、うなってしまった。曰く・・・

妻の「断捨離」スイッチ  田中和彦
コンサルタント会社に勤めるAさん(37)が、職場から送った段ボールの山を前に、妻は目をつり上げた。
「一体どういうこと? 会社のコスト削減分をなぜこの狭い家が引き受けるわけ?」
 モノヘの執着から離れ、身軽でシンプルなライフスタイルを目指す「断捨離(だんしゃり)」ブーム。その影響を受けた妻の剣幕に、Aさんは一言も反論できなかった。
 きっかけは、Aさんの勤務先が、オフィス移転を機に「フリーアドレス制」を導入したことだった。
 この制度、毎日決まった机で仕事をするのではなく、自分のノートパソコンと社内用携帯電話を持って、好きな席を選べるというもの。コスト削減やペーパーレス化、社員同士のコミュニケーションの活性化が狙いとされる。
 コンサルタントは日中は社外で過ごすことが多い上、組織改編や人事異動のたびに引っ越す手間も省けることから、Aさんの会社では、社長の鶴の一声で実施された。
 しかし、人間の習性なのか、いつの間にか座る席が固定化してくる。Aさん自身も、自分の居場所を失ってしまったようで、どうも落ち着かない。
 もっと大きな不満は、限られた収納スペースしか与えられなかったことだった。個人用ロッカーだけでは、それまでの仕事でたまった荷物が、収まり切るはずもない。
 不要な書類は処分せよと通達されても、過去の蓄積がいつ役立つとも限らないという考えがよぎる。すべてをデータ化するのは、手間がかかりすぎる。窮余の一策として、捨てられない資料を宅配便で自宅に送ったという次第だ。
 結局、妻に言われるまま、吟味に吟味を重ね、最低限の書類だけファイルして、すべてを焼却処分にした。さらに、この件が妻の「断捨離」スイッチをオンにした。
過去1年間に、読み返さなかった本、聴かなかったCD、身につけなかったスーツやネクタイなどが、次々とやり玉に挙げられた。
  「そのネクタイは、送別会で贈られたものだから」と抵抗した時は、「じゃあ、使うの?」と問いつめられた。「いや、でも記念だから」と返すと、「いつもらったの?」。それが12年前と知って、妻はあきれてものも言えないという顔になった。そして、ネクタイをデジカメで撮影し、「この写真が記念だから」。ネクタイは、あえなく「処分箱」に仕分けされた。
 相当量のモノと思い出が葬られたことに、Aさんは「意外にサッパリ気分ですよ」と話す。もちろん、強がりにしか聞こえない。」(
2011/04/09付「朝日新聞」b9頁より)

まず「断捨離(だんしゃり)」という言葉だが、知らなかった・・。Netで見るとWikiに「断捨離(だんしゃり)は、部屋の整理整頓と共に生活に調和をもたらそうとする、クラターコンサルタントやましたひでこの提唱する生活術」とあった。
提唱者の、やましたひでこ氏のサイトには「自分とモノとの関係を問い直し、暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。不要・不適・不快なモノとの関係を、文字通り、断ち・捨て・離れ引き算の解決方法によって停滞を取り除き住まいの、暮らしの、身体の、気持ちの、人生の、新陳代謝を促す・・・」(ここ)という定義も・・・

なるほど・・・・
この記事にあった会社の座席の「フリーアドレス制」。自分は体験したことがないが、昔の会社の別のセクションで実施したことがある。当事者にはエラク不評だった。たぶん今はやっていないと思う。会社に行って、自分の居場所が決まっていない・・・、ということは、サラリーマンにとって心が不安定になる。メンタル的にもこの考え方は、自分は好かない・・・

さて本題の「断捨離」。自分も家で、モノをたくさん持っている。未だに仕事の関係のモノも完全には棄て切れていない。棄てよう棄てようとして、10年も経ってしまった。もちろんこれからも使う予定、開く予定は皆無。でも棄てるには勇気が要る・・・。なぜか? この記事と同じように、それぞれに何らかの思い出があるから・・・

しかし電子ファイルの時代になって、紙の資料は極端に少なくなった。自分の“昔の垢”はむしろ電子ファイル。これはあまりスペースを取らないので、まあ許すか・・・。問題は図書類。これは自分の部屋にあるだけに、まだカミさんの非難の対象にはなっていない。それがくせ者・・・
それと、なかなか踏ん切れないのが衣服。どんな衣服も、“ゴミ箱”に棄てるのは、ものすごく抵抗感がある・・・。

話は変わるが、ウチのカミさんの趣味。それは“戸吹”に行くこと。戸吹とは当八王子の清掃工場の名前である。車に不要物を満載して戸吹に棄てに行く。それに快感を覚えるカミさんではあるが、家の中は“カミさんのモノ”で溢れている。自分の部屋のモノ以外は、全部カミさんのモノと言っても良い?? だから当分、自分を非難する資格なんて無いのさ・・・

でもそれは言い訳・・。まあ、人生もこれから終盤に向かう。何かのキッカケが無いと処分出来ない。「断捨離」という言葉を知ったこともひとつのキッカケ・・・。これを機に、周囲の不要物の整理をすることとしようかな・・・。(出来るかどうか分からないけど・・・。多分出来ないと思うけど・・・)

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2011年4月14日 (木)

「ゲンパツの言語学」

先日の日経新聞に、まさに原発報道における自分のモヤモヤを晴らしてくれたような記事があった。曰く・・・

ゲンパツの言語学
    ドイツ文学者・エッセイスト 池内 紀
 東日本大震災で被災した福島第1原発をめぐって一つのことがはっきりしてきた。政府、官邸、原子力安全・保安院、東京電力、原子力安全委員会、国際原子力機関、さらに原子力問題の専門家などがメディアに発表するにあたり、パターン化した言い方があることだ。総じて「ゲンパツの言語学」と名づけてもいいような気がする。
 放射能が流れ出ている。それは「高濃度の放射性物質を放出」であって、たとえ基準の数千倍の高い濃度を測定しても、つねに「局所的」に高い値を示したまでのこと。いずれ海水や河水に拡散して、「相当に薄まる」
 大気中の放射線量は「ミリシーベルト」というなじみのない単位により、人が浴びても「直ちに人体に影響しない」が、「念のため」の措置が告げられる。つづいて必ず日常生活でもけっこう放射線を浴びており、「通常、自然界に存在する程度の値」である旨の説明が加わったりする。そしてどこかからべつの意見が出されると、「情報共有がスムーズに図れていない」となる。原発の状況については「かなり深刻」で、危機を脱するには「時間が必要」といたってあいまいだが、東電による封じ込めの作業については、「液体状の合成樹脂をまいて飛散を防ぐ」といったことまでもが大きく報じられる。
 この言語学が何をめざしているか明らかだろう。事実をはっきり述べず、遠回しの言い方でやわらげ、当初のような悪い状態ではなく安定に近づいているというムードをつくり出すこと。ながらく外国語を教えた者の目には、この言語学を通して、原子炉を冷やしつづける以外、手のほどこしようのない実状がすけて見える。」(
2011/04/13付「日経新聞」夕刊p1より)

話は飛ぶが、日本語は世界的にもモヤモヤしている言語だと、良く言われる。その代表例が「前向きに対処する」という言葉。これは一般的には政治家や官僚が「NO」の意味で使う。前に政治家が訪米した時に、通訳がこの言葉をそのまま「YES」と訳し、物議を醸したことがあるとか・・・

しかし今回の原発事故における情報開示の評判は、はなはだ宜しくない。特に世界各国からの評判が良くない。そこには東電の“政府を気にしながら・・・”の背景もあるらしい。だから昨日(4/13)の東電・清水社長の1ヶ月ぶりの記者会見が、“具体的な回答が少なく、同じ内容の質疑が続いたため、会見は約2時間に及んだ。”(ここ)という。
これは、枝野さんが、元エネルギー庁長官が東電への天下りしたことに関し、「法律上、天下りに該当するかどうかに関わらず、社会的に許されるべきではない」ここ)と、自分の言葉で語ったのとは対照的・・・。
本当は東電の社長も、「自分はこう思うので、自分の責任で政府を説得する」なんていう言葉を期待したいものだが、まあ無理だろうな・・・。

一方では、「避難地域に10年、20年住めなくなる」という総理の(?)本音の発言(?)が、非難の集中砲火を浴びていた。こうなると、まあ政治家はムニャムニャを繰り返すしかないのかな・・・なんて理解したりして・・・

それにしても、放射能汚染で避難を指示された地域の人々には、心が痛む。人の命と同様に、これらは到底お金ではあがなえない。先祖代々の土地を、そして住み慣れた家を出て行けと言う・・。そして避難所と称する場所は、だだっ広い体育館にただ布団を敷いただけ。そこで生活など、出来るわけがない。そして、やっとプライバシーが確保出来る仮設住宅が与えられたとしても、環境激変は同じだ。避難地区で「少しでも寝たきりのばあちゃんを動かしたら、死んでしまう」と避難を拒否した家族があると聞くが、良く分かる・・・。

前にチェルノブイリで、こどもたちの甲状腺ガンが急増したが、今後の福島での放射能の影響も、否定のしようがない。旧ソ連のこの事故では、500以上の町や村が地図上から姿を消したという。((ここ)より)
日本でも同じような事態にならないとは、まだ誰も言えない・・。人の命を別にすると、震災の被害は街の復興で元に戻せる。しかし放射能汚染だけは、じわじわとそこに住んでいる人々にダメージを与え続ける。例え避難したとしても、その避難先で“環境激変”というダメージを与え続ける。
それを受ける人は、単に自宅が原発から近かったというだけの理由で・・・

でもやはり原発は人類にとって必要なエネルギー源なのかも知れない。・・・とすると、“原発事故は起きる”という「想定」の中で考えるしかあるまい。
110414montsaintmichel すると、本土から数十キロ離れた無人の孤島に原発を作り、そこで事故を起こしても、避難民がいない、という形で作るしかあるまい。まるでフランスの世界遺産「モンサンミシェル」のような・・・
そんな原発計画を提案する原発メーカーは無いもの110414genpatuyomiuri だろうか・・・

東芝は10年間で、日立は30年で廃炉処理をする案を提出したというが(ここ)、汚染された普通の人が住んでいた土地は、いったいいつになれば再び住めるようになるのだろうか・・・

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2011年4月13日 (水)

国立に桜を見に行った

やっと少し心に平穏が戻ってきたので(震災とは関係ないが)、カミさんに誘われるまま、今日は国立に桜見物に行ってきた。(国立は「こくりつ」ではない。国分寺と立川の間にある「くにたち」である)

駅はまだ工事中。駅を降りると、桜の木が一杯・・・。それにチューリップなどの花も咲いている。駅前の通りが、実に良く手入れされた花壇なのだ・・・(写真はクリックで拡大)

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駅前の通りが、ずっと先まで桜の木・・・。何本あるかは知らないが、まさに整備された桜並木だ。少し歩いて行って、横断歩道から先の方と、振り返って駅の方を撮ってみた。道に沿って歩いていると、チリンチリン・・・。自転車だ。ふと気が付くと、自分たちが歩いていたのは、どうも自転車専用の通路らしい。「逆送禁止」という看板。それに駅に近い道の側に、かなり広い自転車置き場。市が市民に開放しているらしい。留めている自転車の数は、数え切れないほど多い。どうもこの街は、自転車天国のようだ。

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その自転車置き場の先に大きな門。そうか、これが天下の一橋大学か・・・。おっと、左手にも門がある。そっちに行ってみると、“入る人は一声掛けて”という看板。どうも中に入れるようだ。・・・と中年のおばさんがしゃべりながら堂々と入って行く。つられて我々も構内に・・・。立派な庭。立派な堂々とした建物。奥にはテニスコートがあった。
でも人影は少ない。まだ学校が始まっていないのか?それともこちらの敷地は教室が無いのかな・・・。でも自転車で走っている若者が多い。みんな一橋の学生??

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帰りみち、モズバーガーによる。さすがに規模が大きい。外はまさに“桜吹雪”・・・
隣の席には、大学の先生とおぼしき男性が女子学生二人と何やらしゃべっている。若い女性は、頭が良い上に、キレイ・・・。

ひょんな事からの桜見物。でも今日は、少し葉桜になりかけていた。もう1週間早ければ、一番キレイだったかもね・・・・。
しかしこの桜並木の整備は、サクラの開花のたった1~2週間のために行われているわけで、たぶん裏には大変な苦労があるのだろう。

時計をまったく気にしないサクラ見物・・・。実に“幸せな状態”ではある。
平日だったので、それほど混んでいない駅前通り。もちろん元気な“おばさん連れ”や、初老のご夫婦の姿もチラホラ・・・。それらの人は、みんな幸せなのであろうと思った。つまり、桜見物に行こうと思える人は、みな幸せなのだ。心配事がある人は、到底心にそんな余裕はない。
“何も無い”ことの幸せを、改めて実感したサクラ見物ではあった。

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2011年4月12日 (火)

フリオ・イグレシアスの「黒い瞳のナタリー」と郷ひろみの「哀しみの黒い瞳」

先日、本当に久しぶりにフリオ・イグレシアスの「黒い瞳のナタリー」を聞いた。このフリオ・110412julioiglesias イグレシアスという人。スペインの歌手だが、何とも良い声だ・・・。
Wikiによると「日本では人気は少ないが、全世界ではレコード・CD等の売り上げが3億枚を超え、世界のトップセラーのベスト10に入っており、最も成功したラテンシンガーである。」とある。
ロシア民謡「黒い瞳」を元歌とした親しみやすい旋律であるフリオ・イグレシアスの「黒い瞳のナタリー」を聞いてみよう。

<フリオ・イグレシアスの「黒い瞳のナタリー」>

そして、この歌を郷ひろみが「哀しみの黒い瞳」という曲名でカバーしている。

<郷ひろみの「哀しみの黒い瞳」>

「哀しみの黒い瞳」
  作詞:岩谷時子/J.Iglesias
  作曲:R.Arcusa

なぜに ほほえむのか 別れの夜に
ぼくに残されるのは 思い出ばかり
行方さえ 知らないで
ただ虚しく 傷つくのか
君を腕に抱くのは 誰なのか つらい

なぜに 昨日君は やすらぎだった
今日は 生きるのぞみも 失くしたぼくさ
君は今 どこにいる
あの言葉を 忘れないよ
抱かれながら死にたいと ささやいた声を

夢 まぼろし 白い夜 酔いしれたふたり
教えてくれ この苦しみ この愛を
なぜに 黒い瞳

本来の歌手は、オペラ歌手のように、声を楽器として操れる人なのだろう。しかし森進一を代表に、声量をマイクでカバーし、声の個性で表現する歌手もいる。
でもやはり基本は歌唱力。歌がうまい・・と思う歌手の名前は、色々と浮かぶ。
ちなみに、昔のレコード大賞の最優秀歌唱賞(ここ)を調べてみると、3回が五木ひろしと森進一の2人、2回がフランク永井、岸洋子、由紀さおり、八代亜紀、石川さゆり、中村美律子の6人だった。

世に歌唱力が認められている(?)美空ひばり、菅原洋一、森昌子、島倉千代子などは1回。布施明にいたってはゼロ回・・。この郷ひろみは1回だった。
まあこれが歌唱力のバロメーターになるかどうかは疑問ではあるが・・・

でも聞いていて“素晴らしい歌唱”というものはあるもの。このフリオ・イグレシアスの歌は、歌詞は良く分からないものの(郷の歌は、訳詞かな?)素晴らしい。前に取り上げたアレクサンダー・グラツキーの「ソング」(ここ)も同類だ。

昔、「ビロードの声」という言葉を聞いたことがある。ソプラノ歌手のシュヴァルツコップだったっけ・・・?これは定かではないが、まあ声は天性のものだ。

ところで、以前盛んだったカラオケ。最近はどうなのだろう・・・? 昔は飲み会の帰り、スナックなどでカラオケで歌ったもの。それが今はカラオケ屋(カラオケボックス)の時代・・。独身の頃、カラオケの老舗を自認していた自分だが(ここ)、本当に最近歌わなくなったエムズくんではある。(まあ天性の何かが無いだけだけど・・・・)

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2011年4月11日 (月)

NHK BSプレミアムで「もうひとつのシルクロード」が始まった

NHK特集「シルクロード」については、当blogで何度も取り上げた(ここ)。それだけ“我が人生で(!?)”大きな意味を持っていた(少しオーバーだが・・・)、ということ・・。特に自分の場合は、喜多郎の音楽に因るところが大きい。

1980年代に放送されたNHK特集「シルクロード」は、1981年にテーマ別に再編集されて放送された。2005年に本編のハイビジョン版が放送されたが、今回は“1981年に放送されたシルクロードのテーマ別バージョンのデジタルリマスター版”として、“BSプレミアム(BS103)「もうひとつのシルクロード」”という番組で始まったのだ。

   「もうひとつのシルクロード」
    BSプレミアム: 毎週火曜 午後6時~6時30分
             毎週月曜 午前1時30分~2時(日曜深夜)(再)
             毎週月曜 午後0時30分~1時(再)

じつはこの番組の“発見”が遅れ、第1回の4月5日放送分を録画し損ねた。それで昨夜の再放送を何とか録画した。それをさっき少し見たのだが、これはまさに“あの番組”だ。
つまりあの「文物編」「自然編」等のテーマ別編・・・。

あのフイルムの映像が、ハイビジョン化された鮮明な映像として蘇っている。もちろん石坂浩二のナレーションも喜多郎の音楽もそのままだ。
これは拾いもの・・・。あれから30年。確かに古い。しかし悠久の大地は実に情緒がある。

当サイトお勧め一番の番組です。このページを読んだのも何かの縁・・・。どうぞこの番組をご覧あれ・・・!!(取り急ぎ・・・) ~番組の放送時間は(ここ)。

(関連記事)
NHK特集「シルクロード」を見る・・~喜多郎の「飛天」
NHK特集「シルクロード-2」がアンコール放送される

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2011年4月10日 (日)

女性が活躍する会社ベスト10

ベスト10が好きな当blog。久しぶりのベスト10(20)である。
先日の日経新聞に「日経ウーマン~女性が活躍する会社ベスト100」という記事があった。曰く・・・

「女性誌「日経ウーマン」が選ぶ「女性が活躍する会社ベスト100」で、1位に日本IBM、2位にプロクター・アンドーギャンブル(P&G)、3位に大和証券グループが入った。同様の調査は13回目。詳細は7日発売の日経ウーマン5月号に掲載される。
 1位の日本IBMは理事などを含む女性役員が28人と多く、IT(情報技術)を活用した在宅勤務制度が充実していることなどが高く評価された。2位のP&Gは女性の管理職比率が25.3%と高く、4割まで短縮可能な時短勤務制度を備える。国内の女性活用推進をけん引してきた外資2社が上位に入った。
 大和証券グループは2008年の前回調査の7位から3位に躍進した。トップダウンで午後7時前退社を励行し年休取得を推進。09年4月には生え抜きの女性役員が4人誕生した。5位のソニーと10位の高島屋は1988年の第1回調査でもトップ10入りしていたランキング上位の常連。・・・・」(
2011/04/06付「日経新聞」p9より)

<女性が活躍する会社ベスト20>
①日本IBM
②プロクター・アンドーギャンブル(P&G)
③大和証券グループ
④第一生命保険
⑤ソニー
⑥住友生命保険
⑦パソナグループ
⑧富士通
⑨リコー
⑩高島屋
⑪ジョンソン・エンド・ジョンソン
⑫日立製作所
⑬日本生命保険
⑭パナソニック
⑮東芝
⑯オリックス
⑰花王
⑱帝人
⑲野村ホールディングス
⑳資生堂

調査方法は、上場企業など4472社を対象に2011年1月上旬~2月上旬に調査し①女性役員の有無など女性の管理職登用度②有給休暇取得率などワークライフバランス(仕事と生活の調和)度③女性社員対象の研修制度の有無など女性活用度④全社員に占める女性社員比率など男女均等度――の4項目を測った。回答は433社。

このリストを見ると、外資系、生保、電気メーカーが目立つ。何となく分かる。でも電気メーカーだけはピンと来ないな・・・。印象として、サービス業は分かるものの、メーカーは難しいという感じなので・・・。

先日、カミさんが、「友達の娘さんが、勤めている生活雑貨・文具の小売会社で、バイヤーになった」と言っていた。
Wikiによると「バイヤー (buyer) とは、小売店や通信販売会社の仕入れ責任者が価格や売買戦略などを取引メーカーや卸売業者と話し合う人の事を言う。価格交渉人と訳されるが、価格だけではない。特に、大手家電量販店や大手スーパーマーケットのバイヤーともなるとメーカーの営業担当者を相手に何千万単位の商談をする場合がある為、メーカーへの要求は非常に厳しいものとなる。」とある。
ウチの下の息子と同級だったというから30歳をチョット過ぎた年・・・。いやはや女性の社会進出はものすごい速さだ・・・。

今日は久しぶりに近くのモールに買い物に行ったが、フードコートでヤンママが多いこと・・・。濃い化粧の“娘さん”が大きな子供を連れている。
少子高齢化と、女性の活躍する会社、そしてヤンママ・・・。頭が混乱して、まさに古い時代に生きた自分は、到底付いて行けない世界になってしまった。
しかし今の若い女性にとって、子供を育てるということは、どのような価値になってしまったのだろうか・・・。うかがい知ることの出来ない最近の女性の世界・・・。
“分かり易い男の世界”で、サラリーマン生活が終わって、ホッとしている自分がここにいる・・・。

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2011年4月 9日 (土)

初めて「坐禅会」に行く

今日は、初めて坐禅を体験した。でも結果はボロボロ。雑念だらけ・・・
カミさんが坐禅に行きたいと言い出したのはだいぶん前のこと。Netで調べても、坐禅会を行っているお寺は、都内にしP10901771 か見つからない・・・・。
・・・・と、2月のある日、街を歩いていたら「坐禅~参加自由」の掲示。何と・・・。こんなに近いところで坐禅会が行われていたとは・・・。帰って早速Netで調べてみたら、立派なホームページがあり、坐禅会についての紹介も・・・・(写真はクリックで拡大)

それから、行こう行こうと思っていたが、震災などもあり、やっと今日初参加してきた。HPに「初回の方は4時半までにお越しください」とあったので、4時半に入る。街の真ん中だがお寺の駐車場がたくさんあるので助かる。今日の初心者は我々二人と、他に女性が一人。4時半になると住職が来て、禅堂を開けてくれた。そして3人の初心者だけに30分間、お話をしてくれた。心を平穏にする坐禅とは・・・。そして坐禅の座り方、上座仏教のスリランカでの修行の話など・・・・。
5時前になると、常連さんが次々と顔を出し、500円玉をお布施箱に入れて、勝手に禅堂に入っていく。

お話が終わって、5時過ぎに初めて禅堂に入る。暗いお堂の正面に、照明された仏さまが明るく浮かんでいる。その前には「三界萬霊」とある。先に始めていた人が5人いて、今日は我々を入れて8人。教えられた通りに、座布団を尻の下に。靴下は履いていても良いと言われたが自分は脱ぐ。そしてあぐらをかいて手に印を結ぶ。背筋を伸ばして浅い呼吸・・・・
体を尻と両膝の3点で支える、と聞いたが、あぐらがうまく出来ないために両膝が床に届かない。だから体重は全て尻に・・・。まあそれでも何とか安定し、坐禅に・・・
しかし意識は通常から脱せない。いつもの通り、次から次に雑念が浮かんでは消える。この時点で既に落第・・・。
そうだ、これは夜ベッドに入って、眠る前の状態に似ている。体からは力が抜けているが、頭の中は色々な雑念が回っている状態・・・・。
坐禅をしながらの雑念(煩悩?)は、まず「時計が見たい・・」。薄暗い中でシーンとはしているものの、遠くから子供の騒ぐ声や、鳥の鳴き声が聞こえる。どの位の時間が経ったのか、まるで分からない。坐禅の時間は1時間弱のはずだが、何分くらい経ったのか・・・。後から住職が見ているかも知れず、時計を見るワケにもいかない・・・。第2の雑念は「寒い・・・」。第3の雑念は「鼻の頭が痒い・・・」。
隣をそうっと見ると、カミさんがピクリとも動かない。よって自分も鼻を掻いたらいけないような感じで、我慢我慢・・・。さっきの住職の話を思い出して、ホントウに痒いのか?と自問自答・・・・。
あぐらの体勢を少し直そうとしたら、何と足の土踏まずがこむら返り・・・。イテテ・・。ヤバイ・・・と、そうっと足をさする・・・。

どの位時間が経ったのだろう・・・。木を叩く音・・・。何という道具か分からない。木柾(もくしょう)??そして堂内が明るくなり、皆が足をさすりながら立ち上がった。カミさんは足がしびれて動けない・・・。自分はとにかく寒いだけ・・・

お堂を出てから住職のお話が少し。寒そうにしているので「寒かったですか?堂内は暖房は無いのです。夏は汗がしたたり落ちる」と言っていた。確かに坐禅は修行である。冷暖房完備はヘンだ・・・。でもこれからは寒さ暑さ対策が必要だな・・・

かくして1時間弱の、初めての坐禅が終わった。カミさんは気持ちが良かったという。精神集中も出来たという。しかし自分は、時計が気になって、そして鼻の頭が痒くて困った。修行などにはほど遠い・・・
カミさんが月に一度位は行こうよ、と言っている。自分は予想していた眠気は全く無かったものの、精神集中は全く出来なかった。座った形だけ・・・。
でも次回に行った時には「精神集中が出来て、坐禅の素晴らしさが分かった・・・」ナ~ンテ書きたいものだが、サーテ・・・・

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2011年4月 8日 (金)

「日本の国力と“品性に”自信を持とう」

昨夜11時32分の地震にはビックリした。東北で震度6強。東京でも震度4だった。いったい日本列島はどうなっているんだろう・・と、マジメに考えてしまった。
そろそろ1ヶ月になる。東日本大震災以降、とにかくネガティブなニュースが多い。明るい論は無いかと思っていたが、今朝の「日経新聞」「大機小機」に前向きな論が載っていたのでホッとした。曰く・・・

日本の国力に自信を持とう
 わが国を先例のない巨大地震が襲った。多くの尊い命が失われ、先端産業の部品工場が壊滅的被害を受けた。原子力発電所の事故処理は長期戦になりそうだ。
 復旧復興とエネルギー供給体制の再構築には膨大な資金が必要だ。大震災の被害総額は明らかではないが、全体で30兆円程度は見込む必要力ありそうだ。地震発生から1ヵ月近くたつが、いまだに日本全体が無力感に襲われ、立ちすくんでいる。だが、我々はこれを克服する力を持っていることを忘れてはなるまい。
 第1は経済の力だ。関東大震災当時、日本はまだ途上国たった。産業は脆弱で、輸出減少と輸入急増で貿易赤字が拡大、インフレと円暴落に見舞われた。復興公債の調達が十分できず、「国辱外債」と批判された高利子外債を発行。さらに財政悪化で緊縮財政を迫られ、震災手形等で金融システムが破綻、金融恐慌に突入した。
 だが、今日の日本経済は世界一の債権大国だ。今回の大震災で10兆円程度の供給能力が失われたらようだが、なお10兆円の余剰供給能力がある。品不足によるインフレは回避できそうだ。当面の電力供給が心配だが、電源転換と需給調整で乗り切れそうだ。
 国際収支にも不安はない。輸出停滞と観光収入の減少、農産物の輸入増加などで仮に貿易サービス収支の黒字がゼロになったとしても、海外投資による所得収支の黒字が12兆円ある。10兆円以上の経常黒字は十分確保できるはずだ。円暴落はありえない。
 また、復興資金調達について、これ以上の国債増発は困難との見方があるが、経常黒字に相当する年間10兆円以上の国内余剰資金がある。3年間で30兆円だ。復興資金の国内調達にも問題はない。国債の日銀引き受けも増税も不要だ。国富は2700兆円ある。銀行システムも健全だ。
 第2は災いを転じて福となす力だ。今回の大災害は日本人の意識革命と生活様式の一大変化をもたらすはずだ。原発事故を教訓にクリーンエネルギー開発が一気に加速するだろう。すでに復興のための斬新なアイデアや未来都市構想が出始めている。閉塞感を打破するチャンスでもある。
 当面、日本経済にとって厳しい局面が予想されるが、秋には復興需要で景気は回復に転じ、新生日本の国造りに向けた力強い胎動が始まるだろう。日本の国力に自信を持ともではないか。(富民)」(
2011/04/08付「日経新聞~大機小機」より)

経済的にも、国民的にも必ず復興する。それは誰も疑わないだろう。でもそれは全体の話。家を流され、家族を失った人たちは、まだまだそんな気持ちにはなれない。

この震災で、日本の価値観が、そして文化が変わるかも知れない。家を流され家族を失った人、放射能汚染から農地を追われた人、海の汚染から漁を断念せざるを得なかった人・・・。
企業の業績も、不要不急商品を筆頭に軒並みダウンだ。その反面、復興特需の企業も多いと聞く。停電対策での電池の買い占めをはじめとしたパニックは、程なく収まるだろう。そして復興特需はこれから・・・・

今は、「震災の影響で・・・」と言うと、何でも許される風潮。それも何かイヤな感じ・・・。
昔のオイルショック(1973年)の時、社業でそれまでの見積に比べて、相当高い見積を作った。2倍くらいの見積でも許される雰囲気があった。誰もが、何が妥当か分からなくなっていた。しかし今回は震災。復興特需で儲けている会社の存在そのものが、何かイヤな感じがする。
ウワサによると、重電メーカーは特需で沸いているという。それに電線も世の中から消えた。全ての製品が東北に送られているらしい。
もちろん孫正義氏の100億円を始め、デパート業界の競争相手も含めての支援など、いわゆる美談は尽きない。でも品物が少なくなれば価格は上がる。当たり前の市場原理だが、今回の震災特需だけは、ある特定企業だけが儲かる、という事態を避ける方策は無いものだろうか・・・
「日本の国力に自信を持とう」を「日本の国力と“品性に”自信を持とう」としたいものだが、どうだろう。

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2011年4月 7日 (木)

計画停電中止?~やっと春・・・

昨日テレビを見ていたら、東京の桜がやっと咲いたとか・・・
この季節はなかなか難しい。どのような服装にするのかが・・・
今朝のテレビで、「東京は現在13℃、昼は20℃まで上がる」との予報。今年初めてコートを脱いだ。すると体が軽いこと軽いこと・・・。でも少し寒い・・。それにコートを脱いでいる人は少ないな・・・。どうも気にしてしまう。周囲の人の服装を・・・

関東の“周辺の地域”に大ショックを与えた計画停電(当八王子は周辺地域!)。どうやらそれが廃止の方向らしい。
報道によると、夏のピークの予想5500万KWに対して、今日(4/7)現在5000万KWのメドがついたという(ここ)。最近の電力使用実績のグラフ(ここ)を見ても、84%。まだまだ余裕がある。この調子では、たぶん計画停電は無くなるな・・・

しかし何度かあった停電のショックは大きかった。しかもちょうど寒い日の停電で、降参・降参・・・。納戸にまだあったと思っていた電気不要のポット式石油ストーブは、影も形もなく、寒いのでナベの時に使う携帯コンロで暖を取ろうとしたが、なかなかうまく行かず・・・。P10902871 冷たいコタツに“チン”のあんかを置いて、じっとしているしか無かった・・・。
照明も同じ。たくさんあったキャンドルでOKと思ったが、細々とした火で心もとなく・・。何とか充電式のランタンを通販で手に入れ、それを天井から吊して、何とかサマになったもの・・・。(写真はクリックで拡大)

夏も停電があると聞いて、それこそゾッとした。エアコンが止まった暗い部屋で、どうする・・? エアコンの無い昔を思い出すと、氷柱を置いてうちわで扇ぐ??そんなに大きな氷があるとも思えず・・・
では扇風機・・。電源が切れるので電池式の扇風機はどこかに無いか・・・? 照明と違って、モーターを回すと電気を食う。だから普通の乾電池式はダメだ。大きなバッテリー・・・。そうだ、ノートパソコンのバッテリーの容量が大きいので、それを使うUSB用の扇風機が良いな・・。これだとかなり長時間OK。しめしめ。今のうちにこれを買っておこう・・・・。とNetで通販を見ると、軒並み売り切れ・・・。残念。誰も考えることは同じか・・・

でも計画停電が無い事はありがたい。節電なら出来るが、停電は本当に困る・・。AC電源のタイマーは停電で狂ってしまうので、電池式のタイマーを買ったり、充電式のランタンを買ったりで、かなりの散財。でも停電が無くなれば、それらは“許す”。

カミさんが言っていた。友だちが電話で「ホントウに停電しているんだ~~!」と言われると、「何でここだけ?」と腹が立つ。でも腹を立ててはけない・・、と言葉では思う。でも腹が立つ・・・。いやいや、いけない・・・。修行が足りない・・・。つまりその葛藤の方が大変・・・
まあ今回の停電。実際の停電被害よりも、いかに我々の心が狭いか・・、心の修行が足りないか・・・。そっちの不足を自覚させられた“被害”の方がよっぽど大きかった??
停電が無い事を祈る・・・。

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初めての計画停電

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2011年4月 6日 (水)

緊急時のリーダーの動き

東日本大震災からそろそろ1ヶ月が経とうとしている。もちろん政府はフル回転中だが、その動きに異論も多い。まさに“イザ”というときに、リーダーはどう動くのか・・・・だ。
今月の日経新聞「私の履歴書」は、前米大統領ジョージ・W・ブッシュ氏である。4月1日の第1回の記事は、こんな文字から始まる・・・。

「9・11
危機を悟った最中に探し求めたのは「静けさ」だった。2001年9月11日。時計の針は午前9時を回ろうとしていた。
 テキサス州知事時代に学んだことは数多い。その一つに 「指導者たるもの、どのような危機に際しても泰然自若とすべし」ということがある。リーダーが過剰に反応すれば、即座に国民にも伝搬する。だから、大統領としての行動は常に客観的に見つめていなければならない。そのために一瞬でもいい。私だけの静謐(せいひつ)な時間が必要だった。
「我が国が攻撃にさらされています」。遊説先のフロリダ州で小学校を訪れていた私にアンディ・カード首席補佐官がそう耳打ちした。この時、すでにニューヨーク・摩天楼の象徴、世界貿易センタービルに2機目の旅客機が突入し、未曽有の惨事を引き起こしていた。
 その時の感情をどう表現したらいいだろう。言葉にできない怒りが全身を貫いた。それだけは今もはっきりと覚えている。直後、目に映ったのは私の前で無邪気な笑顔を見せる子供たちの顔だ。「この子供たちを守らなければならない」。心にそう誓った。
 控室に場を移し、ニューヨークでの悲劇をビデオで確認する。ちょうど、2機目が南棟に激突する瞬間だった。スローモーションで再生される映像に私は言葉を失った。これは紛れもなく、旧日本軍による真珠湾攻撃以来、我が国が初めて受ける奇襲攻撃にほかならない。・・・・
ニューヨークだけではなく、ワシントンの国防総省も同様の自爆攻撃を受けているという。即座に私はそれを合衆国に対する「宣戦布告」と受け止めた。・・」(
2011/04/01付「日経新聞」p36より)

一方、今日の朝日新聞夕刊に「陸前高田市長 妻と涙の対面」という記事があった。曰く・・
陸前高田市長 妻と涙の対面
東日本大震災で1152人が死亡、1231人が行方不明となっている岩手県陸前高田市で、戸羽太市長(46)の妻・久美さんが遺体で見つかった。戸羽市長が5日夕、市内の安置所で確認した。震災直後から災害対策に追われ、妻を捜せずにいた戸羽市長は「見つかってよかった」と涙を浮かべた。
 戸羽市長によると、見つかったのは、自宅から200mほど坂を上った場所。5日午後、警
察官から知らされた。公務のためすぐに安置所に行けず、対面できたのは数時間後。「ごめんな」と何度も声をかけた。前日の4日は久美さんの39歳の誕生日だった。・・・」(
2011/04/06付「朝日新聞・夕刊」p9より)

ブッシュ前大統領は、“その時”に戦争を意識した。その後の動きは周知の通り・・・。一方、陸前高田市長は、妻の消息の確認も出来ず、公務に没頭。3週間も経ってからの対面だった。

普通の人間にとって、一番大切なものは家族だという。仕事は家族を養う手段だとも・・・。しかし国が、そして市が危機に瀕する時、そのリーダーの頭は公務が優先する。公務にあたる人ほどその傾向は強いのだろう。
そして、そのちょうど対極にあるのが、件(くだん)の東電の社長さんだ。最も重要な時に入院。国民から「逃げた」と指摘されても仕方が無い。

昔、原発の中央制御室に何度か行ったことがある。先日、やっと電気が通り、照明が点いたあの部屋・・。部屋に居る人が多く、ある人に聞いた。「何でこんなに人が多いの?」「確かに普通の時は多すぎるが、事故が発生した時はそれぞれの持ち場が決まっており、それだけの人数が必要なのだ」という話だった。
つまり緊急時にこそ、動ける体制・・・。社長業も同じだろう。緊急時にこそリーダーシップが取れる人。そんな人材を選び、それなりの待遇が与えられているはず。
政治家なら即更迭。それに比べて何とも“優しい東電”ではある。

前にも書いたが、“特に緊急時にこそ人間の真の姿(実力)が現れる”。公私ともにその言葉が頭を占めている最近の自分である。

●メモ:カウント~175万

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2011年4月 5日 (火)

FMシアター『花の独身』を聞く

ほんの1週間前にNHKのFMシアターを取り上げたが(ここ)、また同じ話題。
先日、FMシアター「花の独身」を録音して聞いた。この番組は、初回放送が2010 年10月30日だったそうで、原作は「NHK銀の雫文芸賞2010 最優秀作」だそうだ。
「銀の雫文芸賞」というのは知らなかったが、「高齢社会の生き方をテーマにした小説を募集する「NHK銀の雫文芸賞」・・・」ここ)というものらしい。(小説の原文はここ

この作品をラジオドラマ化したFMシアター「花の独身」。岩本多代さんの上品な話し方が何とも心地よい・・・。少し聞いてみよう。

<FMシアター「花の独身」>

*このドラマ全部(50分)を聞く場合は、(ここ)にZIPファイルを置くので、クリックしてダウンロードして下さい。

NHKのHPにはこうある。
「あらすじ:独り暮らしの三谷有子(75)は、歯科医の坂東(73)に誘われ、中高年のカメラクラブに入会。紅葉撮影会で奈良の正歴寺を訪れた有子は、杉本由紀雄(73)と親しくなる。いつもは会が終わればさっさと帰途につく有子だが、撮影中に滑って足を痛めた杉本を気遣い、家が近所の彼女が一緒に帰ることになった。この日から、どちらからともなく二人は、クラブの勉強会後一緒に帰るようになる。子を育て上げ、連れ合いの死を乗り越えた二人は、お互いの"伴走者"となり人生の第4コーナーをまわろうと、"同棲"生活を始める…。「超高齢社会・日本」の、これからの"老い心地"良いラストスパートの駆け抜け方を描く。」

自分には少し早いが、なかなか考えさせられるテーマである。
老いは必ず近付いてくる。そして夫婦は(事故でもない限り)必ず一人が先に逝き、一人が必ず残される。その時、残った一人はどう生きて行くか・・・

普通は、年下で平均寿命が長い妻の方が後に残る。そう男は“期待”する。でもなかなか、そううまくは行かない。そのとき、男は“難民”になる・・・

このところ、“一人で生きる”ことについて、つい考えてしまう。女性は炊事・洗濯・等々、家事は何でもできる(はず?)。つまり一人残されても、動物としては(失礼!)何とか生きていける。でも大概の男は、ライオンのオスのように、一頭では生きること自体が、実に大変なこと・・・。
もちろんオトコ全員がそうなるわけではないが、自分自身を“想定してみると”、残された男の悲哀を、つい感じてしまう・・・。

このドラマは、連れ合いに先立たれ、残された男女が出会い、そして寄り添って生きて行く姿を描く。“そんなにうまく行くかい??”と、やっかみながらも、“100%あり得ない世界!”・・・というワケでもない。
でもこれは理想・・・。そんなこと以前に、(急にシラけるが)まず“食うこと”が出来るか・・・だ。

最近の自分の身近な出来事とともに、一人残された老後をどう過ごすか・・・を思い、ついつい聞き入ってしまった。(まだ、しぶとく「料理の勉強を始める」とは書かないエムズくんではある)

(関連記事)
FMシアター『薔薇のある家』を聞く

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2011年4月 3日 (日)

非日常的なこと・・・・~兄弟の急病で翻弄された

当blogに、今まで何度も「日頃、“何も無いこと”が何と幸せなことか・・」と書いてきた。
先週来、兄弟の急病で翻弄され、他のことが何も手がつかなくなってしまった。まだまだ解決の糸口は見付けられないが、何とも困ったこと・・・・

今朝の朝日新聞の「天声人語」。最初の言葉が「日常というものがかくも微塵に破壊された光景を見たことはないと、遅ればせながら被災地に入って思った。・・・・」。
もちろん東日本大震災についての話だが、何の変化もなかった自分の日常が、まさに“かくも微塵に”破壊されてしまった・・・・

シルバー世代の夫婦が、“イザ”という時、どう動けるか・・・。奥さんが入院中なのに亭主が体調を崩すと、子供がいない場合、兄弟しか頼る相手がいない。そんな“非日常”な対応で、先週、全ての時間を遣ってしまったワケ・・・。

しかし、あることに専念せざるを得ず、それ以外の情報から遮断されると、人間は不安になるもの・・。つまり、テレビからの情報も新聞からの情報も無いと(読んでいるヒマが無いと)、こんなにも不安定になるのかと、改めて認識した。ちょうど、出張で新聞を長い間読まなかった状態に似ている。だから帰りの駅で新聞を買って読むと、ホッとする。日常で、たった“新聞を読む”という行動が、こうまで心の安定に繋がっているとは・・・
だからここ数日の新聞が溜まってしまった。今日もそれらを読むヒマが無かった。加えて、今日の新聞もまだ読んでいない状態・・・。困ったものだ・・・

でも今続いているドタバタで、自分が改めて認識したことがある。「人間、ピンチの時(追い詰められ、逃げ場が無い時)に本性が現れる・・。つまり本当の人間性が現れる・・・」

非日常といえば、何と今日、モグラの“もぐりんくん”が我が家の庭に“再来”した。「“もぐりP10903531 ん”クンとの戦い~第2ラウンド(ここ)」を書いたのが2010年11月20日。それから4ヶ月余。もちろん直ぐに姿を消した訳ではないが、何の手段も功を奏さず、どうしようもなかったが、何となく姿を消した。ヤレヤレと思っていたが、今日はまた庭で大暴れ・・・。たぶん庭のミミズは食い尽くしただろうから、食料がたぶん見つからないはず。だから「なーんだ、食い物が無いや~」と、また姿を消して欲しいもの・・・(写真はクリックで拡大)

ともあれ、兄弟の体調不良事件で、まだまだ翻弄されそう・・・。落ち着いて新聞を読みたい・・・。それだけが今の望み・・・
「何も無い日常・・・」。東日本大震災もそうだが、何とそれが素晴らしいことか・・・・!!

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