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2011年3月の24件の記事

2011年3月29日 (火)

「世界がもし100人の村だったら」

先日の朝日新聞の「きょういく特報部2011~チェ-ンメールを題材に 確かな情報の発信者へ」という記事があり、その中にこんな記述があった。曰く・・・

「・・・そして最後に配ったのが、ベストセラー「世界がもし100人の村だったら」のもとになった英文のメールだ。世界を100人の村にたとえ、文字の読めない人や栄養失調に苦しむ人が何人いるかで格差や貧困の現実を表現し、「このメッセージを人に伝えてほしい」と締めくくる。「人に広めて」と求める点では、震災の時のメールと同じだ。このメールも次々と転送され、世界をかけめぐった。
 もし自分に届いたらどぅするか。杉浦教諭は自分もこのメールを受け取り、統計資料を調べて数字などが間違っていないことを確かめたうえで転送したと語り、そして訴えた。「むやみに転送しないことは大切だが、ただ捨てるだけでなく、内容によっては事実関係を確かめて判断してほしい。そして受け身から一歩進んで、自ら確かな情報を発信できる人になろう」
 生徒からは「どんな情報も1回疑ってみようと思う」 「自分も、メールやツイッターで発信者になれるんだな、と思った」といった声が出た。」(
2011/03/27付「朝日新聞」p25より)

この記事の中に出て来た「世界がもし100人の村だったら」。Netで調べたらそれはこんなメッセージだった。

世界がもし100人の村だったら

もし 現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。

その村には・・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます。

52人が女性で
48人が男性です。

70人が有色人種で
30人が白人

70人がキリスト教徒以外の人たちで
30人がキリスト教徒

89人が異性愛者で
11人が同性愛者

6人が全世界の富の59パーセントを所有し、その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調で苦しみ
ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています
ひとり (そう、たったひとり) は大学の教育を受け
そして ひとりだけがコンピューターを所有しています

もしこのように縮小された全体図からわたしたちの世界を見るなら、
相手をあるがままに受け容れること、 自分と違う人を理解すること
そして そういう事実を知るための教育がいかに 必要かは火を見るより明らかです。

また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もしあなたが今朝、目覚めた時、健康だなと感じることが出来たなら・・・
あなたは今週生き残ることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、獄門の苦悩、
あるいは餓えの悲痛を一度も経験したことがないのなら・・・・・
世界の5億人の人たちより恵まれています

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を
感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら・・・・
世界の30億の人たちより恵まれています

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるなら・・・・
あなたはこの世界の75パーセントの人々より裕福で

もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入ったいれ物があるなら・・・・・
 あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8パーセントのうちの一人です

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・・・それはとても稀なこと

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間 2倍の祝福を受けるでしょう。
 なぜならあなたのことを思ってこれを伝えている誰かがいて、
その上、あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです

昔の人がこういいました。
わが身から出づるものはいずれわが身に戻り来る、と。

お金に執着することなく 喜んで働きましょう
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく 人を愛しましょう
誰も見ていないかのごとく 自由に踊りましょう
誰も聞いていないかのごとく のびやかに歌いましょう
あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう

このメッセージを人に伝えてください、そしてその人の一日を照らしてください。

アメリカの友人からのメッセージ 3.2001
作者不詳
訳 なかのひろみ」
ここより)

Netでこのメッセージの解説を読むと(ここ)、このメッセージは2000年台初頭に話題になった大変に有名なものらしい。(自分は知らなかったが・・)
Net上には、数え切れないメッセージが流れている。そして、その取捨選択はなかなか難しい。もちろん、ありそうでウソのチェーンメールも多い。たまたま自分の所には、最近はチェーンメールが届いていないが、こんな考えさせられる文章なら大歓迎??
当サイトでも、こんな考えさせられるメッセージやことばを、これからも集めて行きたいもの・・・。

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2011年3月27日 (日)

FMシアター『薔薇のある家』を聞く

先日、「最近凝っているNHK FMのラジオドラマ」(ここ)という記事を書いたが、今日はその続き・・・。
昨夜NHK FMで放送された「FMシアター『薔薇のある家』」(これ)を聞いた。昨年の作品だが、今回、平成22年度文化庁芸術祭優秀賞受賞を記念して再放送されたもの。
出演は、大竹しのぶと奈良岡朋子の二人だけ。さすがに“大物さんお二人”の出演だけあって聞き応えがあった。少し聞いてみよう・・・。

<FMシアター『薔薇のある家』>

物語の詳細は書かないが、NHKのサイトにはこの物語の解説として「舞台や映画への出110327fm 演はおろか、足の怪我の後遺症で家から外出すらできなくなった往年の大女優。そして、彼女と同居している献身的な付き人の中年女性。この二人が、ある夏の日の一夜に繰り広げる、残酷だがハートウォーミングな葛藤のドラマ」とある。(写真はクリックで拡大)

テーマは「老い」。往年の大女優。その付き人はもう50歳近い・・・。彼女も“その後”を考えざるを得ない・・・。
ドラマを聞きながら、“あれっ?奈良岡朋子ってもう引退していたんだっけ?”と思わせるような、リアリティ。Netで調べると、現在81歳だという。それに対して大竹しのぶは現在53歳。それぞれが、実にはまり役。

そう言えば、先日エリザベス・テーラーが79歳で亡くなったとニュースで言っていた。往年の大女優も、時代と共に過ぎ去っていくのは、どんな世界も同じ。ただ、女優の世界は、トシ相応の役もあるため、引退時期は色々・・・。映画「阿弥陀堂便り」の北林谷栄などはその代表格。

このドラマで、婚期を逃した付き人が、しみじみと大女優が亡くなった後のことを言う場面があった。唯一仕えているもの(このドラマでは大女優)との関係は、いつか必ず終焉を迎える。それ以降、残された自分はどう生きるか・・・。
これは別に女優の世界でなくても、どの世界でも同じ。

ふと、ある叔父のことを思い出した。親父の弟のある叔父は、唯一子供が出来なかった。ずっと夫婦だけで生きていたが、定年を機に、都会の自宅を売って、夫婦で熱海にある高級老人ホームに引っ越した。そこを旅行の帰りに、一度だけ尋ねたことがあった。その時に聞いたことは、夫婦の誓いは「先に死なないこと」だそうな・・。一人残された時の淋しさを考え、生きるなら二人一緒に・・・。死ぬのも・・。だから先に死なない・・・
お二人とももう80歳をとうに過ぎているが、まだまだお元気・・・

前にも書いたが、テレビドラマと違ってラジオドラマは、瞼の裏で場面の想像が膨らむ。自分はイヤホンで聴いているが、その音質の良さと相まってなかなか面白い。ついでに、100円ショップ・ダイソーで売っている3メートルのイヤホン延長コードがなかなか便利。部屋の中であちこと動いても、イヤホンは外れる心配がない・・。
そんな聴き方をしている最近の自分だが、NHK FM が発信するこの“文化”を、果たしてどのくらいの人が聞いているのだろう・・。今回の震災では、ラジオの有用性が再認識された格好だが、音だけで表現するラジオドラマの世界も、テレビと違ってまた格別・・・
最近テレビドラマを見ない自分だが、ラジオドラマだけは当分熱中しそうな気がする。

*この番組の全部(50分)をお聞きになる方は、ZIPファイルを(ここ)に置くので、クリックしてダウンロードして下さい。最高級チューナーL-02Tの音です。

(関連記事)
最近凝っているNHK FMのラジオドラマ

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2011年3月26日 (土)

NHK特集「シルクロード」を見る・・~喜多郎の「飛天」

人間、「そのうちに・・・」と思っていても、永遠にやらないことがいかに多いことか・・。
自分にとって、その一つが読書とともに、昔の録画テープを見ること。リストで数えてみたら、ベータのテープが45本、EDベータが28本、S-VHSが140本、そしてD-VHSが50本あまり・・・。
それらのテープが「そのうちに見るぞ!」とのかけ声とは裏腹に、VTRテープのラックに鎮座したまま・・・。
一方、テレビの画質は信号がデジタル化され、昔のNTSCアナログ時代には信じられないような高画質になってしまった。それなのに、わざわざこれら昔のアナログ番組を見るのか・・・という問題になる。

自分が番組の録画に必死になっていると、カミさんが「生活がテレビに左右されているなんて、バカバカしい・・」と良く言っていた。しかし自分は「そのうちに時間が取れるようになったら、ゆっくりと見るのさ・・」とうそぶいていた。そして番組を見ないまま(見る時間が無いまま)、ただただ録画を繰り返していた・・・。そしてテープだけが溜まった・・。
問題はそれ(=見るの)がいつか・・・だ。その自分も定年の年齢をとっくに過ぎ、そろそろ「その時期」になってきたのでは??(それでどうする??それが問題・・・)

番組には、デジタルのキレイな画面で見れば見るほど、素晴らしい・・という番組がたくさんある。ほとんどの番組がそうだ。しかし作品の中には、“画像の鮮明さだけで売っている番組”ではなく、音楽やナレーションを含めての名作は幾らでもある。その代表的なのが、NHK特集「シルクロード」(これ)では??

先日からNHK特集「シルクロード」を見出した。この番組は、言うまでもなく1979年~1980年に中国シルクロードを取材し、1980年4月1981年3月まで放送されたもの。最近でこそ再放送されないが、過去に数え切れない位再放送された。自分も、最終的にはデジタルリマスター版を、デジタルVTRに録画してあり、それを今改めて順番に見ている。
NHK特集「シルクロード」全12集と「シルクロード第2部」全18集(ここ)を順に見るべく、第5集まで見たが、当時のフイルム画像とともに、喜多郎の音楽と、石坂浩二のナレーションが、ゆったりとした当時の中国に合っていて、まさに名作。
確かに今のハイビジョンに比べると、幾らハイビジョンテレシネでフイルムのネガをリマスターしても、当時のフイルムの画像はボーッとしていてピントも甘い。でも当時はまさに中国内陸部への“探検”であった。よって、機材としてはフイルムカメラしか持って行けなかったのである。でも改めてこれらの番組を見てみると、必ずしも現代のシャープな映像が絶対に必要・・とも、思えてこない・・。

2年前に西安に行ったが、この番組の映像に出てくる30年前の街並みに比べて、当然ながら様変わりしていた。大繁華街に・・・。まあ、そんな比較をしながら、ゆったりと昔のビデオを見るのも、これまたシルバー族の贅沢ではないか・・・。
最後に喜多郎の音楽をひとつ・・・。

<喜多郎「シルクロード」より「飛天」>

(関連記事)
喜多郎のNHK特集「シルクロード」のテーマ

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2011年3月24日 (木)

「出産願望 日本は極端に低い?」

ネタ切れの時は、カバンの中を探す。するとアーラ不思議・・・、昔の新聞の切り抜きが出てくる・・・・。
先日の朝日新聞に「出産願望 日本は極端に低い?」という記事があった。曰く・・・

出産願望 日本は極端に低い?
 日本の男女は、子どもを持つことへの願望や必要性を感じる度合いが、他の国に比べて著しく低い――。18力国を対象にした国際調査で、こんな結果が出た。妊娠についての知識も、トルコに次いで2番目に乏しかった。日本は、1人の女性が生涯に産む子どもの平均数(合計特殊出生率)が18力国中最低。出産への願望や必要性を強く感じていないことや、妊娠についての正しい知識が乏しいことが、少子化の一因になっている可能性がある。
 調査は英カーディフ大や独製薬企業メルクセローノ社が、2009~10年にインターネットなどを使って実施。欧米諸国や中国、インドなどで、子どもを持つ意思がありパートナーと暮らす男女約1万人に聞いた。日本からは481人が参加した。
 調査では「幸福には子どもを持つことが必要」「人生において子どもを持つことが重要」といった出産への願望や必要性に関するコメントに対し、自分に当てはまるかを5段階で評Image06111 価してもらい、回答を数値化。18力国の1万人の平均値に対する、各国の回答の偏りを算出した。
 質問一つひとつに対する回答は公表されていないが、願望、必要のいずれの偏差値も、18力国中、日本が最低だった=グラフ。
 「月経のない女性も妊娠できるか」など、妊娠についての13の設問で、日本の平均正解率は37%。17%のトルコに次いで低く、18力国の平均58%を大きく下回った。」
(2011年3月9日付「朝日新聞」朝刊より)(写真はクリックで拡大)

さっきNHKの夕方のニュースを見ていたら「震災孤児」をいう言葉が出て来た。震災で両親を亡くした子どもなど、身寄りのない子どもは児童相談所で一時的に保護されるが、児童相談所は既に虐待などで保護された子どもたちで一杯で、新たな受け入れは限られているという・・・。(ここ
とっくに死語になっていた「戦災孤児」という言葉が、今頃ゴロ合わせのように「震災孤児」として復活してくるとは・・、何ともやりきれない。

今日は、水道水が放射能で汚染されているというニュースで大騒ぎ。でもテレビニュースで、「赤ちゃんのミルクを作るためにキレイな水が欲しい・・」と言っているヤンママが、本当に若い・・・。
子どもを持つことに対する気持ちが萎えている(?)現代の日本人。でも日本の未来は子供たちに託するしかない。震災孤児も含めて、一人でも多くの子供たちが、逆境に揉まれながらも強く成長し、そして世のヤンママがたくさん出来る事によってこそ、東北は、そして日本はよみがえる。
昔の老英国病ではないが、こんな「出産願望 日本は極端に低い?」なんて言われる停滞した日本の雰囲気を、若い人たちがぜひ返上し、じゃんじゃん子どもを産んで、新たな復興の道へ邁進して欲しいものだ・・・。

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2011年3月23日 (水)

昭和44年の出来事(22歳)~由紀さおりの「夜明けのスキャット」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの23回目。自分が21歳から22歳、つまり大学3年生から4年生になった昭和44年(1969年)の出来事を調べてみる。

この年は自分の就職試験の年。当時は4年生になってからの就職活動だった。就職活動といっても、別に活動はしなかった。各企業から大学に各2名くらいの枠が与えられ、その枠に入れれば受験できた。そして受験では、あまり落ちた人の話を聞かない。いわゆる推薦校制で、推薦する大学側もそれなりの人を受験させ、その人を受ける企業側も、相当ひどくなければ採る・・という良き時代だったように思う。
就職試験は確か5~6月頃で、正式に採用通知が来たのは、夏休み前だったような気がする。よって自分の場合は、就職試験は一回受けただけだった。
でも中には、宗教関係で興信所の調査員が学校に来たり、面接試験で落ちた人もいて、まあ色々・・・。でも今の学生のように、就職活動に時間をかけなくて済んだ良い時代だった。
ふと思い出した・・・。自分とほとんど会話が無かった親父から、一度だけ「就職するなら電電公社((NTT)にしろ」と言われたことがあった。「いやオレはメーカーに行く」と言った。そう言えば自分の科に電電公社から来た教授がいて、弱電系のトップクラスの連中を電電公社に送り込んでいたっけ。まあ自分には関係ないけど・・・。重電系では成績順に御三家の日立、東芝、三菱・・・。

110323yoakeno ふと思い出す。この年の夏のある日、友人の下宿を訪ねたら、この歌のレコードがあった。「ルールールルルー・・・」。由紀さおりの「夜明けのスキャット」だった。そして、由紀さおりがあの童謡歌手の安田章子と聞いて、ヘエーっと思ったもの・・・。(写真はクリックで拡大)

<由紀さおりの「夜明けのスキャット」>

「明けのスキャット」
  作詞:山上路夫
  作曲:いずみたく 

ルルル・・・・・
ララララ・・・・・

愛し合うその時に
この世はとまるの
時のない世界に 二人は行くのよ
夜はながれず 星も消えない
愛の唄ひびくだけ
愛しあう二人の
時計はとまるのよ
時計はとまるの  

前年から吹き荒れていた東大紛争。その余波で、とうとうこの年(1969年)の東大と東京教育大学(現筑波大学)の入試が中止された。自分の大学でもストなどがあり、何とも騒がしい年だった。

S44この年の事件としては、「人類初の月面着陸に成功」、「沖縄72年返還決まる」、「東大安田講堂での学生放水排除」、「マツモトキヨシ市長発案による、松戸市のすぐやる課誕生」、「五百円札の発行」、「パンティストッキングの発売」、「東名高速道路開通(東京-小牧間)」、「週刊ポスト・週刊少年チャンピオン発刊」、「TVで“8時だヨ!全員集合”がスタート」、「NHK FMの本放送開始」、などなど・・・・

この年の歌謡曲は豊作だった。「白いブランコ(ビリー・バンバン)」、「 風(シューベルツ)」、「長崎は今日も雨だった(内山田洋とクールファイブ)」、「時には母のない子のように(カルメン・マキ)」(ここ)、「禁じられた恋(森山良子)」、「夜明けのスキャット(由紀さおり)」、「 港町ブルース(森進一)」、「ある日突然(トワ・エ・モア)」、「フランシーヌの場合(新谷のり子)」、「恋の奴隷(奥村チヨ)」、「昭和ブルース(ブルーベル・シンガーズ)」、「いいじゃないの幸せならば(佐良直美)」、「人形の家(弘田三枝子)」、「悲しみは駈け足でやってくる(アン真理子)」、「愛の化石(浅丘ルリ子)」、「黒ネコのタンゴ(皆川おさむ)」、「白い色は恋人の色(ベッツイ&クリス)」、「空よ(トワ・エモ・ア)」、「今日でお別れ(菅原洋一)」(ここ)等々・・・・

何とか就職も決まり、卒研以外では麻雀などで遊んでいた時期だった。夜は下宿で、相変わらず音楽を聞いていた・・・。当時凝っていた布施明、ブルーコメッツ、マーラーにワーグナー・・。

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2011年3月22日 (火)

「男と女、どちらが強いか」

「文藝春秋」の今月号(2011年4月号)に、彼(か)の作家・渡辺淳一氏が「男と女、どちらが強いか」という実に“分かりきったこと”について一文を寄せていた。曰く・・・

男と女、どちらが強いか
     渡辺淳一(作家)
 表題のような質問をされたとき、読者の皆さんはどう答えるだろうか。
 もし男なら、「そりゃ、男だろう」と答える人が圧倒的に多いかもしれない。これに対して女性も、「男でしょう」と答える人が多そうである。しかし、男でも年齢(とし)をとるにつれて答えは微妙に変わってきて、六十歳あたりから上になると、「女性かも・・」と答える人が増えてくるかもしれない。そして女性も、この年代になると、「そりゃ、女性でしょう」と答える人が多くなりそうである。
 ではいったい、この正しい答えはどちらなのか。それは、このあとのことを読んでから、考えて欲しいのだが。
 もうずいぶん前、わたしが医師になりたての頃だから、今から四十五年以上も前になるけれど。
 当時、わたしは新人の整形外科医として、札幌の大学病院から北海道の阿寒町にあった雄別炭鉱病院に出張した。
 その頃はまだ炭鉱があり、落盤事故なども多かったので、各種骨折や外傷などに対する基本手技だけは一応マスターしていたが、出張するに当たって教授から、「無理してやりすぎないように、自信がなければすぐ医局に連絡しなさい」と注意をされていた。
 実際、わたしもそれを守るつもりでいたが、ある日、突然三十五歳の女性の急患が運び込まれてきた。
 彼女はどこにも外傷はないが、すでに顔面蒼白で意識がなく、血圧も測れない。一目見ただけで腹腔内に大出血がおきている、産婦人科系の疾患であることはすぐわかった。
 だが生憎、その日、産婦人科医は学会に出張していて不在で、外科系の医師はわたし一人しかいない。
 しかもこういう場合、ほとんどは山の下の釧路の大きな病院に転送するが、今から送つたのでは一時間はかかり、途中で絶命することは目に見えている。
 「どうしよう」と、外科の婦長にきくと、「すぐ開腹しましょう」という。
 しかし産婦人科はまったく自信がない。そういうと、「じゃあ、わたしのいうとおりやってください」というではないか。
 そこでいわれたとおり、お腹を切り開くと、おびただしい血液が一気に溢れ出す。それを見ただけで、足ががたがた震え出すが、とにかく懸命に膿盆(のうぼん)で血を掻き出し、ようやく出血点を探し出す。
 「ここです」と婦長にいわれるままに、そこをがんじがらめに縫合し、何とか出血だけはくい止める。
 むろんこの間、輸血と点滴だけは続けていたが、開腹してから止血するまで三十分以上かかり、相当の出血をしたことは間違いない。
 一般に、人間の総血流量は体重の十二分の一で、その三分の一が出ると失血死すると、医学の教科書には書かれている。
 だが彼女の場合、三分の一どころか二分の一近くはたしかに出ている。
 それから考えて、甦ることはまず難しい。そう判断して、患者の夫にも諦めてもらうように告げ、ともかく輸血と点滴だけは続けたまま、疲れ果てたので、医局へ戻って少し休んでいた。
 すると三十分後に手術室から、「至急来て下さい」という連絡があり、急いで行くと、意外なことに蒼白だった彼女の顔に軽く赤味がさし、低く呻いているではないか。「なになに、助かるのか・・」
 信じられないまま、さらに輸血を続けているうちに血圧も測れるようになる。
 ここまできたら、もはや命にかかわることはない。先程、諦めて欲しい、といったご主人に、「申し訳ないが助かりそうです」といって、病室へ移す。
 かくして、翌日戻ってきた先輩の産婦人科医に、患者さんを引き渡してから「信じられないことがおきたのです」と、手術の経緯を話すと、先輩がいうではないか。
 「君ね、たしかに三分の一が出ると失血死すると書かれているけど、教科書通りきちんと死ぬのは男だけ。女性は違う。女性はアナログだから、最後まで諦めてはいけないの」と。
 やはり妊娠して出産する性は強いのか。初めの質問にわたしがどう答えるか。
 もはや、それは書くまでもないだろう。」
(「文藝春秋」2011年4月号p79より)

ここで「女性はアナログだから」という視点が面白い。そうなのだ。男はロジカルに考える。我が家でも、自分は必ず「原理的には・・」と言う。しかしカミさんは違う。何事も“カン”に頼るところが多い、という。料理の味付けにしても、道順にしても・・・。男には到底信じられない・・・。でも実はそっちの方が良く当たる。

話は飛ぶが、昔息子の幼稚園の運動会でのこと。お遊戯でも駆けっこでも、自分は息子が見付けられず、「どこだ?どこだ?・・」と言っているうちに終わってしまった。
カミさんは“動物的カン”で、直ぐに息子の姿を見付け、「あそこでしょう!」と言うが、我々男には(自分だけかも知れないが)、子どもが皆同じに見えてしまう・・。
これらも、女は“生む性”だから、より“動物的”なのだろうと思う。
こんな事もあった。昔息子が赤ん坊の時、急病のため救急車で運ばれたことがあった。その時、自分は腰が抜けて・・・。でもカミさんはしっかりしていた。エライ・・!

だから自分は昔から、女性には到底かなわないと思っていた。男なんて、いざとなったら弱い動物・・。偉そうにしているが、いざとなったら尻尾を丸めて、ただ逃げるだけ・・・

昨日、震災を受けた石巻市で80歳のお婆さんが9日ぶりに救助された。もちろん孫の少年の働きが大きかったことは言うまでもないが、それにしても素晴らしい。
強い女性。震災で壊れた建物のどこかで、また“女性”が発見されないだろうか??

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2011年3月21日 (月)

韓国から「教育移住」続々~厳しい受験競争・就職難

ときどきカバンの中から昔の新聞の切り抜きが見つかる。少し気分を変えよう・・。
もう一ヶ月も前の記事だが、日経新聞に韓国の受験競争や就職難についての記事があり、韓国もなかなか大変だな・・と思った。曰く・・・

韓国から「教育移住」続々 米国など外国籍取得 厳しい受験競争・就職難、自国での将来に不安

着実な経済成長を続ける韓国を離れて米国、カナダなど海外に生活拠点を移す人が増えている。子供に米国などの国籍を取得させるため留学から戻らず出産し育てるケースが多く、妊婦が一時的に渡米する「遠征出産」も目立つ。背景には韓国内の激しい受験競争に加え就職難や急激に進む少子高齢化など、将来への強い不安がある。
・・・・
「韓国には英語を話せなければダメという雰囲気があった」。張智栄(チャン・ジヨン、29)さんはオーストラリアで働きながら英語を勉強しカナダ人男性と結婚。昨年からモントリオールで生活し始めた。「子供が生まれればカナダ国籍」と言うが、韓国語と祖国の文化は教えるつもりだ。自らは韓国籍を持ち続け、夫の退職後に韓国に戻る計画を立てる。
韓国では小中学生の頃から深夜まで塾に通い、有名大学を卒業しても正社員として就職できるのは半数程度にとどまる。その後も厳しい社内競争にさらされ、昇進が遅れれば「38線(南北軍事境界線の別称=38歳前後で早期退職を迫られる)」が待ち受ける。定職に就けないため結婚や出産をためらう若者も少なくない。
漢陽大の金信栄(キム・シンヨン)助教授(39)は「韓国人は10歳代半ばから老後まで常に不安にさらされている。不安から逃れるためには海外に出るしかない」と解説する。自身も米国留学中に妻が妊娠し、滞在期間を延長し米国で出産させた経験を持つ。
元来教育熱心な韓国の親は「子供の未来に希望を持てず、借金しても海外に送り出すようになった」(金助教授)。裕福な家庭が集まるソウル江南地区の小学校では「毎年数十人の児童が英語教育のため母親同伴で留学する」。男の子の場合は「米国籍なら厳しい兵役義務を回避できる」という動機もあるようだ。
韓国政府は少子高齢化の到来を見据え「人材流出対策」に本腰を入れ始めた。今年1月に施行した改正国籍法は外国籍を保持したまま韓国籍を取得できる「二重国籍」を制度化した。小学校6年の時に両親とカナダに移住し韓国籍を失った鄭鉉郁(チョン・ヒョンウク、25)さんは、政府機関の韓国金融委員会に勤務するが「複数国籍が可能なら韓国に戻る人も増えるだろう」とみる。
国籍を変えた「海外同胞」に向ける国民の視線は総じて冷ややかだ。最近も米スタンフォード大出身の人気歌手タブロさんが「学歴詐称」のデマで「ネット市民」から袋だたきにあい、一時活動中断に追い込まれた。金助教授は「米国留学がエリートの象徴だからこそ、激しい嫉妬の対象になる」と分析する。
ただ、その冷たい視線が移住の歯止めになっているわけではない。政府も雇用創出や少子高齢化対策を重要政策に掲げるものの、当面は「教育移住熱」が収まりそうにない。」(
2011/2/13付「日経新聞」より)

隣国韓国の経済発展はめざましいが、この記事を読むとやはり歪みが出ているらしい。しかし、日本より激しい受験戦争を勝ち残ったとしても、38歳で見切りを付けられるとは・・・・。厳しい・・・。かなりの格差社会のようだ・・

それに比べて、かつての高度成長期のような熱気が失せ、元気のない最近の日本・・・。
でも今回の震災で、それらの不信は払拭される・・・。日本の底力は、この震災の復興で証明される・・・。
・・・・そう思いたい。(どうしても心が震災の方に向いてしまう“エムズくん”ではある)

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2011年3月20日 (日)

海外メディアが伝える枝野官房長官の働きぶり

前に「大震災の報道に思う・・・・」(ここ)という記事を書いた。3月13日だった。それ以降も枝野さんの奮闘・活躍は続いており、我が家でも「枝野さんは、寝ているのかな・・・」と心配するほど・・・。
会社でもその話で持ちきり・・・。“唯一信頼出来る話は、枝野官房長官の記者会見だけ・・・”。この枝野さんに対する信頼感や評価は、たぶん国民全体で同じではないか・・・?

またまた、なちさんから面白いサイトを紹介頂いた。(ここ
枝野さんの働きぶりについて、海外メディアも絶賛しているという・・。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

枝野官房長官の働きぶりを、海外メディアが「政界のジャック・バウアー」と報じる

震災情報を国民に伝えるため、連日不眠不休で記者会見を開く枝野官房長官。彼の働きぶりはインターネットでも話題になっており、一部では105時間寝ずに働いたともささやかれている。そしてツイッターでは彼の睡眠不足を心配して、#edano_nero(枝野、寝ろ)というハッシュタグまで登場し、枝野長官は一躍時の人となった。
しかし彼の奮闘ぶりは日本国内だけでなく、海外でも取り上げられ始めている。イギリスの110320telegraph ニュースサイト「Telegraph」は、「危機の中のジャック・バウアー、枝野幸男(Yukio Edano, the ‘Jack Bauer’ of the crisis)」という見出しで、彼の働きぶり、そして日本での称えられぶりを綴った記事を掲載した。
Telegraphは枝野官房長官に休息を促す#edano_neroハッシュタグについて触れ、その称えられようから「枝野幸男は、地震・津波危機の思いがけないヒーローとなった」と記事の中で書いている。
また、疲労も関係なしに働く枝野官房長官を、アメリカの人気ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』の主人公ジャック・バウアー捜査官になぞらえて、あるツイッターユーザーが「枝野さんがやっと就寝されたそうで。実に105時間ぶりだとか。105時間といえば、4日間以上。『24』にすれば4シーズン分。つまりジャック・バウアー4人分です。ありがとう!日本のジャック・バウアー!!」とつぶやいたことにもTelegraphは触れ、今や枝野長官の活躍ぶりは世界に知られることとなった。
Telegraphは枝野官房長官の他に、自衛隊の連日の救助活動を心配して生まれた#jietai_taberoハッシュタグ、そして菅総理のこれからするべきことについてツイッターユーザーが作り出した#kan_okiroハッシュタグと、#kan_neteroハッシュタグについても言及している。
様々な批判を受けながらも、官房長官という重大な職務をまっとうする枝野幸男氏。その己の身を顧みず国民のために働く姿は、まさにヒーローそのものである。(文=田代大一朗)参照元:Telegraph」(
ここより)

このサイトは「ロケットニュース24」というのだそうだ。この記事の原典は「Telegraph」。オリジナルの記事は、3月16日付の(ここ)だ。なるほど~・・・。フムフム・・・・(ホホホ・・・)

また、3月14日付の米「The Wall Street Journal」でも「Tireless Edano Earns Twitter Respect(ツイッターユーザーが枝野官房長官に「枝野寝ろ」)」という記事があったそうだ。英語原文は(ここ)。日本語訳は(ここ)。
加えて、同じ3月14日付の英「The Guardian」にも「Please, Edano, go to bed」(ここ)という記事が・・。

今回の大災害という大きな課題を前に、政治家の誰もが身にまとっていた鎧(よろい)を剥ぎ取られ、その真実の姿(本当の実力)が白日の下にさらされた。
当サイトでも、前に何度も「日本を託せるリーダーが居ない・・」と書いた・・。
もしかすると、枝野さんこそが、今後の日本を託せるリーダーなのかもしれない・・。

(関連記事)
大震災の報道に思う・・・・

●メモ:カウント~170万

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2011年3月19日 (土)

喜多郎の「無限水」と「フル・ムーン」~震災の鎮魂歌

原発への注水が成功し、明日には本命の仮設電源接続の可能性が出てきた。これで原発は必ず終息する・・・。自分はそう思う・・・

「こんな時に、どんな記事を書こう・・・」とカミさんに言うと、「歌がいいよ・・」という。
先日紹介した米のサイト(ここ)に載っている数々の写真。言葉は要らない・・・(写真はクリックで拡大)

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これらの人たちに、音楽を送ろう・・・。こんな音楽を聞きながら、我々はただただ黙祷しよう・・・

<喜多郎「無限水」>

<喜多郎「フル・ムーン」>

先日、なちさんからのコメント(ここ)で、「prayforjapan.jp(ここ)」というサイトを紹介頂いた。これは(ここ)に書いてあるように、「インターネットに投稿された心に残るエピソードや、海外から寄せられた応援メッセージをまとめています」だそうだ。ここに記載されている幾つかを読んでみよう・・・

「物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。@kiritansu」

「ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、「大丈夫?無理しないで。」とメールしたら、「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?言葉に気をつけろ。」と返事が。彼らはタフだ。肉体も、精神も。@yoshimicov」

「父が明日、福島原発の応援に派遣されます。半年後定年を迎える父が自ら志願したと聞き、涙が出そうになりました。「今の対応次第で原発の未来が変わる。使命感を持っていく。」家では頼りなく感じる父ですが、私は今日程誇りに思ったことはありません。無事の帰宅を祈ります。@Namicoooo」

「停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。勝手に復旧してるわけじゃない。俺らが室内でマダカナーとか言っている間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる。@yoh22222」

「4時間の道のりを歩いて帰るときに、トイレのご利用どうぞ!と書いたスケッチブックを持って、自宅のお手洗いを開放していた女性がいた。日本って、やはり世界一温かい国だよね。あれみた時は感動して泣けてきた。@fujifumi」

「都心から4時間かけて歩いて思った。歩道は溢れんばかりの人だったが、皆整然と黙々と歩いていた。コンビニはじめ各店舗も淡々と仕事していた。ネットのインフラは揺れに耐え抜き、各地では帰宅困難者受け入れ施設が開設され、鉄道も復旧して終夜運転するという。凄い国だよ。GDP何位とか関係ない。@rasuku」

「ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。@aquarius_rabbit」

「国連からのコメント「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。」 @akitosk」

「ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった。@unosuke」

さっきニュースで「首相、自民総裁に副総理での入閣要請 谷垣氏は拒否」というのをやっていた。いま政治家が為すべき事は何か?マスコミが為すべき事は何か?
政治家は“政争ゴッゴ”をしているヒマはないはず・・。マスコミは、先頭切ってフル回転している政府の、“言葉尻を捉えてその活動の邪魔をすること”ではあるまい・・。

世界中から、見えない無数の応援が来ている。今こそ国中が一丸となって、被災者を救う活動に徹すべき時だと思うのだが・・・

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2011年3月17日 (木)

「三つの母の日」

福島第一原発3号機に、自衛隊の消防車から放水が始まったという。何とかこれで落ち着いてくれると良いのだが・・・
今日は、あえて地震の話題を避け、「母の日」の話題・・・・。雑誌「大法輪」の今月号(2011年4月号)に、こんな話が載っていた。

三つの母の日
   金沢・曹洞宗・雲龍寺住職 荒崎良徳
日本には、三つの「母の日」があると思います。
 一つ目は、五月第二日曜日の、いわゆる「母の日」です。これは、今から百年ほど前に、アメリカのメソジスト教徒、アンナ・ジャーヴィスという女性が、亡き母を偲び、命日に白いカーネーションを墓前に捧げたことに始まるとされています。それを聞いて感動した当時の大統領、ウィルソンがアメリカ議会の議決を経て「母の日」を定めたと伝えられています。いわば、アメリカ型の「母の日」です。
 二つ目は、五月五日です。一般にはこの日を「こどもの日」と称して、こどもに関するさまざまな行事が行われていますが、法律をきちんと読んでみますと、次のように定められてあります。昭和二十三年七月十日発布・法律第一七八号「国民の祝日に関する法律」の第二条に「五月五日、こどもの日、こどもの人格を尊重し、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と明記してあります。つまり、五月五日は単にこどもたちの幸福を考えるだけの日ではなく、母に対する深い感謝を求める日でもあるのです。いわば、日本国の法律に定められた「母の日」です。
 三つ目は、七月十五日あるいは八月十五日です。この日は、いわゆる「お盆」ですが、その原点にまでさかのぼって思惟してみますと、まぎれもなく大切な「母の日」であることが解ります。「お盆」という言葉の語源を尋ねてみますと、インドの古い言葉「ウランバーナ」を、中国の人が「孟蘭盆(うらぼん)」と音写し、それを省略して「盆」と称するようになったようです。ウランバーナとは、「倒懸(とうけん)の苦しみ」と訳されます。つまり「逆さに吊り下げられたような苦しみ」という意味です。
 一般に、親戚一同が集まって賑やかに過ごす楽しさを、盆と正月が一緒に来たようだと表現しますが、その語源を尋ねると、何となく恐怖を感じて、尻込みしてしまうような言
葉になります。
では一体、誰が、何が原因で「逆さ吊りの苦しみ」に陥ったかというと、『仏説孟蘭盆経』には「釈尊の弟子・目連尊者(もくれんそんじゃ)の亡き母が、罪根深結(ざいこんじんけつ)のために餓鬼道に堕ち、倒懸の苦しみに苛(さいな)まれていた」と記されてあります。
 目連尊者は釈尊の十大弟子の一人に数えられるほどの立派なお方です。そんな秀れたお方を生み育てた母親が、何故、餓鬼道に堕ちて逆さ吊りの苦しみに陥らねばならなかったのでしょうか。『孟蘭盆経』には、たった一言「罪根深結」とだけ記されてあり、その具体的な内容は、後世の私たちが推理するしかありません。その一つとして、古歌に詠われている、『たらちねの心は闇にあらねども 子を思う故に迷いぬるかな』の「迷い」を挙げることができると思います。
 そして、その「迷い」は、時としてエキサイトし暴走し、どんな犠牲を払ってでも、たとえ自分が地獄に堕ちても一切後悔はしないから、我が子だけは幸福にしてやりたいとい
う願いに膨れ上がります。この願いは、特に母親に強く見られます。それは当然のことで、十月十日の間、自分の血肉を胎内の子に分け与え、張り裂けるような苦しみの中で出産した、いわば自分の分身のような我が子ですから、どんなことをしてでも幸福にしてやりたいと願うのは、自然の摂理と称してもいいことだと思います。しかし、その願いは時として社会生活のルールを逸脱することもあり、いわば「罪」を犯すことさえあります。これを『孟蘭盆経』では「罪根深結」と称しているのだと思います。
 私たちは皆、母親の「罪根深結」に守られて、生まれ、育ってきたはずです。そのことを、しっかりと憶念するのが、孟蘭盆に関わる「母の日」だと思うのです。
 アメリカの議会で決められた「母の日」に従うか、日本の法律に定められた「母の日」を守るか、孟蘭盆経に述べられた「母の日」を心から念ずるか、ここは、しっかりと考え
るべき正念場だと思います。」(
雑誌「大法輪」1011年4月号p40より)

世の中、知らないことが色々ある・・。お盆が“大切な「母の日」”だとは・・・。しかし言われてみると、ナルホド・・と思う。
動物の世界でも、子育て中の母親が一番危険な存在と言われる。森の中で偶然に動物に出会った時、その動物の子供がそばにいると、母親から思わぬ攻撃を受ける・・。それは「いのち」を継ぐ性の、自然の摂理・・・。
これは人間も動物なので同じ・・。だから親が子どもを無条件で庇う。だから刑法もそれを認めている。
「刑法第1刑法第105条(親族による犯罪に関する特例) 前2条(犯人蔵匿等・証拠隠滅等)の罪については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる。」
それにも拘わらず、子どもの虐待の話が絶えないのは、よく報道されること・・・。

一方、持ちたくても子どもを持てない親の悩みも多い。たまたま先日見たNHKドラマ「四十九日のレシピ」(ここ)。和久井映見扮する妻の不妊治療の話が出てきた。
幾ら子どもが好きで愛情を注ぎたくても、その子どもが授からない・・・。このドラマでは、不妊治療失敗で落胆する妻を見かねた夫が、ダックスフンド(犬)を買ってくる。それを受け容れては、妊娠を諦めることにつながると、拒否する妻・・・。
確かに、子育ては単に愛情の問題だけではなく、親をも育てることは周知の事実。でもこればかりは“大いなるもの”のなせる業(わざ)。人間は手も足も出ない領域・・・

ウチのメイ子(愛犬)。貰った時に不妊手術をしてしまった。だから子どもは生めない。子育ての喜び(?)も味わえない。もちろん「母の日」を祝ってくれる家族(子ども)も居ない・・。
人間の都合でペットの人生を左右する傲慢さ・・・。

「メイ子が散歩に行きたいって!」「いや、メイ子は寒いから今日は家に居たいって・・」
と繰り返される、我が家でのたわい無いやりとり・・・。
メイ子に対して、子どもを持てなくした罪滅ぼしのため、せめてメイ子が喜ぶ散歩くらいは、いやがらずにしてあげようか・・・・

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2011年3月16日 (水)

米メディアが伝える東日本大震災の写真

東日本大震災(東北関東大震災)。今日は、何とか交通機関が普通に動いたので助かった。しかし計画停電の影響は大きく、各企業は休業を余儀なくされている。
自宅の今日の停電予定は、15:20~19:00。カミさんから15:54に、停電が始まったとメールが届く。まあ自分が家に着く19時前には終わっているだろうと思って帰路につく。降りる駅に着いても辺りに停電の気配無し・・。バスに乗っていると、急に警官の赤いライトが見える。停電の交差点での交通整理だ。そこが市の境界なのだろう、急に辺りが暗くなる。街路灯も消えて、ヘッドライトだけがやけに明るい。この調子では、途中の大交差点で渋滞かな・・・、と思っていたら、意外と車が少ない。警官が二人で信号の代わりをしていた。日本人は実に従順。整然と車は流れていた。
家に着く。真っ暗。“愛犬”が吠える。まったく!自分の足音を覚えていない!
カミさんに聞くと、暗くなってすることもないので、メイ子(愛犬)を相手に、「泣いた赤鬼」と「りゅうになりたかったへび」という“お話”をしていたという。たまに首を挙げてカミさんを見たというので、メイ子もじっくりとカミさんの“お話”を聞いていたのだろう・・・。(←カミさんの頭は“まだ”正常なので・・・。念のため)

18:50に電気が回復。やれやれ・・・。しかし交通整理の警官も大変だ。今夜は3℃~4℃。寒い中、3時間も立っての交通整理は大変・・・。交差点は無数にある。警官は全員が駆り出されて、各所に割り当てられているのだろう。大変だ・・・

震災の様子はテレビから幾らでも流れてくるが、特に原発の推移について、海外のメディアが注目しているという。ふと、昨年「Net上にある素晴らしい写真」(ここ)という記事を書いたのを思い出した。
これは、.boston.comというサイト(ここ)。見ると、やはり日本の巨大地震の写真がたくさん載っていた。日本の新聞にはない写真もある。(写真はクリックで拡大)

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2011年3月のアーカイブスはここ
2011年3月11日分はここ。「Massive earthquake hits Japan」
2011年3月12日分はここ。「Japan: earthquake aftermath 」
2011年3月14日分はここ。「Japan: Vast devastation」
2011年3月15日分はここ。「Japan: New fears as the tragedy deepens」
2011年3月16日分はここ。「Japan: Continuing crisis」
2011年3月17日分はここ。「Japan: Hopes fade for finding more survivors」
2011年3月18日分はここ。「Japan: One week later」
2011年4月13日分はここ。「Japan's crisis: one month later」

早く日本も、こんなサイトから“無視される”状態になりたいものだ。

(関連記事)
Net上にある素晴らしい写真~「アイスランド火山の噴火」等

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2011年3月15日 (火)

初めての計画停電

いよいよ計画停電が始まった。当地は第2グループ。本日(2011年3月15日)は18:20~22:00の予定。昨日と違って、今日はやる雰囲気・・。夕食を早めに済ませ、6時過ぎから食器を片付け、早じまい。
テレビを見ると、7時から・・・という文字。やる時にはたぶん市町村防災で放送があるだろう・・、と思っていたら、案の定放送があった。・・・と、ほどなくプチッと電源が落ちた。6時52分。予想よりも少し早いな・・・
P10902801 早速キャンドルに点火。2つ点けた。そして携帯ラジオを・・・・。街灯も消えた真っ暗な中、ラジオの音は安心を呼ぶ。犬も、とりあえずは自分の穴蔵に駆け込んだ。静か・・・。外に出てみた。天気は曇っているが、意外と明るい。道も分かる。もちろん車が走って来ると明るい。(写真はクリックで拡大)

さてと、する事もないのでblogでも書くか・・・。ノートパソコンは停電でもOKなのさ・・・。と蓋を開けて気が付いた。キーボードが見えない。仕方がないので懐中電灯を液晶の上からぶら下げ、何とかキーを打っている。

停電で真っ暗な夜など、何年ぶりか・・・。記憶にない。1970~1980年代の真夏の停電も、昼だった。エアコンの使い過ぎで、大停電になったことがあった。それから節電のためのエアコン停止があり、暑くて仕事が大変だった。でも今回はまさに夜だ・・・。そして、毎日続く可能性・・・・。
P10902741 今回の計画停電だが、まず自分の場所がどのグループに属しているかを調べることが必要。八王子も2つのグループに記載がある。調べるには、市役所のホームページを見るのが一番。当地は第2グループだった。そして輪番は、今日の朝日新聞夕刊の表が分かり易い。コピーをして壁に貼っておいた。(この表を利用される方はPDFを(ここ)に置いておきます)

困ったこと?寒さかな・・・? 今日は暖かいので楽だが、電気不要のポット式ストーブがあったら良かった。昔使っていたストーブが、まだ納戸にあるとばかり思っていたが、棄てたらしく探したが無かった。よって、電子レンジで3分チンの湯たんぽをひざに乗せてこれを書いている。
有線の電話やNetは当然つながらないが、携帯電話があるので連絡はOK。懐中電灯は、LED型が便利。結構明るいし、充電式の単三でOK。これもほんの思い付きで買ったもの。夏の夜の、犬の散歩の時にバッグに入れておこうと・・。それがこんな時に役立った。

明日からは、少しずつ昼間の時間帯にずれて行くので楽だが、これは慣れるまで大変そう。でも、電気に頼った便利な生活を当たり前に思っていた我々。色々と考えさせられる夜である。

あっ点いた。8時50分だった。ちょうど2時間の停電だった。明るいいつもの生活が戻った。やれやれ。でも被災者に比べたら・・・・・

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2011年3月14日 (月)

安田章子と川田正子の「ねんねのお里」~計画停電と通勤難民

今日のタイトルは、何とも珍妙な・・・
11日の大震災から3日が経過した。生存可能と言われる72時間を過ぎてしまった。あの現地の惨状を見ると、通勤がどうの、停電がどうの・・などとは、とても言っていられない。でも・・・・・・
昨夜遅く、計画停電の画面がテレビに・・・。当地は9:20~13:00及び18:20~22:00。昼間は良いとして、夜はまさに困る時間帯・・。それを見て、急にバタバタしてしまった。
何の手当もしていない。ヌカったか・・・?今更買いに行っても、ロウソクも乾電池も無いだろう。料理は停電の前にしておくとして、明かりと寒さが問題・・。
「ロウソク無いよね・・」とカミさんに言うと、何かガサゴソ・・・。飾り用の、いわゆるキャンドルがたくさん見つかった。これで明かりはOK。乾電池も買い置きを一カ所に集めた。充電式の電池も充電完了。ロウソク用のライターも見付けた。よし、準備完了。そして予行演習・・・。暗いが真っ暗にはならないな・・・。問題はメイ子(愛犬)だね・・・・。怖がってカミさんから離れないぞ・・・。これが昨夜遅く・・・

今朝、いつもの通り起きてテレビを点けてビックリ。電源が自前なので動くとばかり思っていたJRが、これほどの影響を受けるとは・・・
JR中央快速線が、何と立川以西が終日運行中止という。これでは会社に行けない・・・。京王線は??調布以西が動かない時間帯がある。でも9:00~13:30と18:00~22:00の間だけで、それ以外は休日運転だという。
行きは京王線で何とか行けそうだ。そこでバスで京王八王子に行き、停まっていた各駅電車に乗る。座っているので、時間は覚悟・・・。途中では急行電車を優先させるため、止まりに止まって・・・。でも2時間半で何とかいつもの駅に着いた。駅で下りる時は、人を掻き分け、大変だったが・・
途中で、会社に電話を入れる。すると「あまり社員が来ていないので、無理をしないで・・・」という話。帰ろうかな・・と少しだけめげそうになったが、近くまでたどり着いているので、何とか行くぞ!と思った。

会社に着くと、確かに社員が少ない。地震があった11日の話を聞くと、外出先で地震に遭い、お台場から柏までの約41キロを午後3時半から11時間歩いて、柏の自宅に着いたのが午前2時だったとか、同僚で同じ駅で降りる人は、5時間以上歩いて、家に帰ったのが午前3時だったとか・・・。自分も車に分乗させて貰えなかったら、大変だった・・・
とりあえず今日は、帰れる範囲で退社可、との事だったので、状況に合わせ、順次社員が退社。自分も2時半に退社。京王線の各駅停車の電車で帰る。行きは2時間半、帰りは1時間20分。ラッキー・・・。
京王八王子駅で駅員に聞いてみた。
「さっき新宿行きの最終が16:40だと言っていたが、調布以西の運行停止は18:00~22:00ではないのか?」
「18:00~22:00の運行停止は、どの駅に電車が止まっていても、そこでオワリということ。よって最終の16:40発の電車も、何かの都合で調布駅に着く前に18:00を迎えたら、その駅で運行停止、ということ」
「明日の状況は?」「連絡が来ていないので、何も決まっていない」
なるほど・・・。
そういう原理か・・・・
でも早く出たので、5時前に到着。ラッキー。
テレビで見たら、JR中央快速は立川まで動いているはずが、30分に1本の運行で、吉祥寺や三鷹駅で人があふれていた。京王線で良かった・・・
八王子駅からのバスの窓から見ると、店が軒並み休んでいる。駅ビルもビックカメラも・・・。これは大変なこと・・・

全然関係ないけど、歌を聴こう・・・・。Wolfyさんの受け売りだが、“現世の混乱を忘れて聞いてみてください”。

<安田章子&ひばり児童合唱団の「ねんねのお里」>

「ねんねのお里」
  作詞:中村 雨紅
  作曲:杉山はせを

ねんねの お里は よいお里
こんもり 小山が 西東
みかん畑も 見えてます

ねんねの お里は よいお里
枝から 枝へと とびとびに
駒鳥なんかも 鳴いてます

ねんねの お里は よいお里
ひわ色 とき色 こげ茶色
きれいな お花も 咲いてます

Netで見ると、この歌は「昭和五年発行『世界音楽全集11「日本童謡曲集」』に採録されています。」とある。
作詞の中村雨紅は「夕焼小焼」の作詞者として有名。八王子の恩方の出身で、恩方には「夕やけ小やけふれあいの里」(ここ)という施設があり、前に田舎の両親が来た時に泊まりに行ったことがある。
最後にオトナになった川田正子の歌唱でも聞いてみよう。

<川田正子の「ねんねのお里」>

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2011年3月13日 (日)

大震災の報道に思う・・・・

関東では、全てのキー局が震災の報道一色。関西や九州では違うのだろうか?
テレビ神奈川などの小さな局では、さすがに通常の番組が流れている。見ているとネタ切れのためか、同じような内容の繰り返しが多い。特にNHKでは、地上の総合TVと同じ番組が、教育TVと衛星の3チャンネルでも流れていた。時間帯によっては、教育TVとBS2で、安否情報が流れていたものの、はたして5チャンネルで同じ番組を流す必要があるのだろうか?
確かに未曾有の事態ではある。よって流す情報が多いのであれば、各チャンネルで別の画面が流れて良いはず。それが出来ないのであれば、少しでも国民の平静を願う意味でも、通常の番組を1チャンネル位は流しても良いのでは・・・・
ニュースは震災関係以外でも色々ある。今日行われた名古屋の議会選挙とか・・・。でも、“震災以外のニュースはタブー”といった雰囲気が気になる。太平洋戦争に突入する前の熱狂を国民に煽った当時のマスコミを、ふと思い出した。

それにしても記者会見を見ていて、あきれることが多い。はっきり言って、枝野幸男官房長官以外の記者会見は見ていられない。枝野さんは、はっきりとした口調で、会見場で出る質問全部に、自分の言葉で説明している。説明も、聞いていて分かる。それは、たぶん自分なりに納得し、自分の言葉で説明をしているからだろう。
それに引き替え、保安院とかの記者会見は、「配った書類の、前回との違いは線を引いてある・・・」と言った、とても国民相手の会見ではない。まさに記者に対する書類の説明会・・・。
海江田大臣も、「官邸に戻らなければいけない・・」と言って、原稿を読むだけで記者会見場から逃げて行った。数分の国民への説明よりも、官邸での仕事が優先するのか・・。結局これは、実力の差。自分の口で説明が出来ないので、逃げるしかない・・・

東電管内では、明日の(月)から計画停電が実施されるという。これは大変なこと。各家庭にとって、電気ほど重要なものはない。問題は、各企業がどう対応するのか・・・。政府が経団連には要請したと言っていたが、各家庭が停電のもと、寒空でブルブルと我慢しているのに、隣の工場では煌々と電気が点いてモーターが唸っている・・・という状況は、何かヘン・・・

今日の昼にホームセンターに行ったカミさんの友達からの連絡。店はごった返している。トイレットペーパーや、水、ガスボンベ、米といったものが既に売り切れているという。トイレットメーパーは、昔のオイルショックの再来?
ウチはとうとうこの2日、出なかった。スーパーに行くのも、どこかへのお出かけも、何か気が引けた。あんなに多くの人が被災にあって大変なのに・・・と、出掛ける気が萎えた・・・

それにしても、今回の事態で、多くの人は、「自分にとって真に大切なものは何か?」という問いが自分に突き付けられ、それぞれ自分なりに回答を噛みしめているのだろう。
結局、大切なものは家族の命。それさえ確保出来れば後はどうでも良い・・・

テレビを見ていると、政府代表として枝野さんが一人頑張っているように見える。ある意味、これらの試練は“政治ゴッコ”をしていた世の政治家に、天からの鉄拳が下されたのかも・・・。
政府のしっかりとした対応を願うと共に、東電の原発の早期の安定停止を祈るばかり。
2007年7月に起きた新潟県中越沖地震で、震度6でガタガタになった東電柏崎原発。「とにかく原発がうまく停止してくれて良かった」と関係者が拍手喝采をした。との話をあとで聞いたことがある。そんな言葉を今頃思い出して噛みしめている。

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2011年3月12日 (土)

福島第一原発の事故・・・

1F1(福島第一原発1号機)で格納容器に海水を入れて、冷やすそうだ・・・
今日の午後から夕方にかけては、福島原発のニュースが主になった。燃料棒が核反応を抑制するための水からむき出しになり、溶け出したという。それで海水を入れて冷却し、何とか危機を回避する・・・。

夕方の鉄骨だけになった1F1の姿にはビックリした。でも官房長官の説明には納得出来る。そもそも構造物そのものは、(今回吹き飛んだカバーは別にして)飛行機が衝突しても壊れない強度がある。そう簡単には壊れない。でも、素人目には鉄骨だけの姿は刺激的・・・

昔、原発の格納容器の中に入ったことがある。格納容器の真下に立った時、上に原子炉があって無数の金棒が下がっていた。最悪のときは、地球の引力で制御棒を落として原子炉を止める仕組みだと教えて貰った。無機質なパイプだけがある世界。意外と小さかった。それが今大変な事態になっている。
原子炉の要は水。原子炉の水は純水なので真っ青。そして本当の透明。実に美しい・・・。
それは、海水のような汚い水の世界ではない。それなのに今回海水を使うということは、1F1は廃棄する、ということを意味する。1F1は東電初の原発。よってGE製らしい(ここ)。1971年営業運転というから、ちょうど40年・・・。

「想定外」という言葉がニュースの中で多い。想定外の地震、想定外の津波・・・。確かに設計はある事態を想定して、それに耐えるような基準で設計する。無限大の想定などはあり得ない。でもその想定を超えると“壊れても仕方がない”と言えるのか?
相手は放射能だ・・・。

1Fの20キロの範囲、2Fの10キロの範囲の人が避難している。現在避難している人の心は察してあまりある。チェルノブイリ原発を想像する人もいるだろう。
これを機に、原発に対する色々な議論が起こるだろう。ぜひ冷静な議論が欲しい。

良くも悪くも、何か大きな変化を予感させる原発の事故ではある。
(午後10時15分、また余震だ。それでも震度5だという。「日本沈没」を書いた小松左京。こんな事態を“想定”していたのだろうか・・・)

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2011年3月11日 (金)

巨大地震であやうく帰宅難民に・・・

何とか家にたどり着いた・・・・(こんな時にblogでも無いのだが・・・・)

それにしても今日の地震はすごかった。14:46発生。余震もすごい・・
隣の席の課長が、たまたま福島原発に行っている人と電話をしていて、「地震で緊急警報が鳴っている、と言って切れた」という。福島で地震ということはこっちにも来るのかな・・と話していたら、グラグラ・・・・。ウソだろう・・・と思うくらいの揺れ・・・・
社内では、それほどの被害はなかったが、金庫が倒れたり、ロッカーが倒れたりの被害。会社の前を走る環七の車は普通の流れ・・・

地震発生からずっとNetを見ていたが、Netは終始普通に動いていた。アクセスが滞ることもなく・・・。段々と挙がってくる情報。鉄道は全面ストップ。せめて京王線だけでも動けば帰れるが・・・と思ったが、ダメ・・・。
帰れる人は帰っても良い、と言われても・・・。歩いて帰るには遠い・・・。
電車が動くまでは会社に待機していよう、と覚悟を決めた。
・・・と、府中から車で通っている人が、4人までなら乗れると言い出し、同じ方向の人に声を掛けだした。自分の家は府中からはだいぶん離れていたが、ひとり断った人がいたので順番が回ってきて自分にも声が掛かった。ラッキー・・・・

かくして、その人の車に同乗させて貰う事にした。会社では泊まり込みのために、食料として、一人ペットボトル1個とパン2個を配りだした。それで、それを貰って車に乗り込む。何時間かかっても、座っていればいずれ着く。17時10分に5人で出発。それが、さすがに車で都内まで通勤しているだけあって、通る道は実に細い“マニアック”な道ばかり。ほとんど車がいない・・。府中までほぼノンストップ。さすがに府中を過ぎると混んで来たものの、途中で2人を降ろして、八王子の自宅に着いたのが約3時間後。午後8時には家に到着・・・。そしてテレビで見て、その惨状に呆然・・・・

地震発生から、もちろん電話は通じない。メールだけは送れる。カミさんから会社のアドレスに「大丈夫。茨城のお袋にも電話で確認したが、大丈夫」との連絡があり、一安心。
車からもメールを送るが、何とかやっと通じる。しかしやっと届くメールは一度にどっと来る。そして、お袋の無事を兄弟に連絡。九州の息子からも安否確認が来る。大阪の従姉妹からも大丈夫か?のメールが・・・

テレビでは、電車が今日中は動かないという。つまり通勤で都内に通っている人は、全員帰れない・・。自分も本来は帰れなかったはずだが・・・。
帰宅出来て、いつもの生活が出来るのはラッキ-だが、それにしてもこの被害は・・・
福島第1原発2号機では、緊急自家発が動かず、放射能漏れの危険から住民の避難が始まったとか・・・。
blogなど書いている状況ではないのだが・・・・。

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2011年3月10日 (木)

NHKラジオもインターネット配信開始~2011年10月から

いよいよ始まるぞ。NHKラジオもインターネット聴取が可能に・・・
今朝の新聞に、総務省がNHKから申請のあったNetでのNHKラジオのストリーミングサービスに認可を与え、10月からスタートする・・とあった。

インターネットでNHKラジオ番組のリアルタイム聴取が可能に、NHKが10月ごろをメドに開始(2011/03/09)
総務省は2011年3月9日、日本放送協会(NHK)から申請があったラジオ番組を放送と同時にインターネットを通じて一般に提供する業務の認可について電波監理審議会に諮問し、適当とする答申を受けたと発表した。この答申を受けて総務省は、NHKに対する認可を同日付けで行った。
NHKが提供を開始するのは、AMのラジオ第1放送(関東広域放送)とラジオ第2放送、(全国放送)およびFM放送(東京都域放送)である。ユニキャストによるストリーミング方式でNHKのWebサイトから提供する。配信期間は2011年10月ごろから2014年3月末までを予定する。送信時の伝送速度は1チャンネル当たり48kb/s程度で、提供エリアは国内に限定する。
AMの音声はモノラル、FMはステレオで提供する。NHKは、ラジオ番組のインターネット配信 のために必要とする費用を2011年度から2013年度までで合計3億円と見込んでいる。2011年度に必要な資金は、2011年度予算に計上済みという。
NHKは、ラジオ番組のインターネット配信がラジオを聴取しにくい状況を改善する措置の有効性について、アンケートなどにより検証・確認を行う。この検証を行ったうえで、必要があるときは実施内容の変更や延長などのための認可申請を行う。なおNHKは今回のラジオ番組のインターネット配信業務を、放送法第9条第2項第8号でNHKが可能な業務として規定されている「放送およびその受信の進歩発達に特に必要な業務」と位置付けて、認可申請を行った。」(
ここより)(詳細資料はここ

民放のradiko(ラジコ)(ここ)に比べると1年半遅れだが、まあ良しとしよう。
サーテ、今度はそれをどうMP3化するかだな・・・・。radikoの場合は、「予約録音対応ソフト」などが出回っているが、NHKの場合は・・・?
自分の場合、今はNHKラジオ第一と第二を、それぞれ別のAMチューナーをタイマーで起動させ、オリンパスのラジオサーバーで録音している。まあ簡単な話、AMチューナーをパソコンにつなぎ替えればそれで終わるのだが、パソコンだとタイマーで・・という訳にはいかない?常に起動しておく必要があるかな・・・?
まあパソコンは古いのがあるので、それを使うかな・・・
それに、このサービスが開始すれば、たぶんNHK用の予約録音ソフトも出て来るだろうし、パソコンも番組に合わせて休止モードになったり復帰したりも出来るようになるだろう・・・

FM放送は、源信号を決して削らないことが良い音で聞く基本なので、今後もNetで聞くことはない。自分が聞く対象はあくまでAM放送だけだ。でも、時代と共に、どんどん状況は良くなって行く・・・。
サービスが国内に限っているので、海外の人には残念かも知れないが、とりあえず楽しみではある。

(追:2011/06/04)
NHK会長記者会見要旨 2011/6/2
「ラジオのインターネット配信・IPサイマルラジオについて」
(会長)「NHKラジオのインターネット同時配信・IPサイマルラジオの開始日が決まった。9月1日(木)の防災の日からパソコンのみの配信を始める。10月1日(土)からはパソコンに加えてスマートフォンでも配信を始め、番組表や番組ホームページのURLなども表示し、番組情報なども提供する。今回のIPサイマルラジオはラジオの難視聴対策が目的で、2年間の試行となっている。配信はラジオ第1(関東広域)、ラジオ第2(全国)、FM(東京都域)放送で、配信エリアは国内限定。詳細は検討中だが、専用のホームページに各波の聴取プレーヤーを設け、簡単に聞くことができるものにする。放送に比べて若干遅れが生じるため、時報と緊急地震速報はカットする。また、政見・経歴放送と権利処理できなかったコンテンツが含まれる番組は配信しない。新たなラジオの魅力をお届けし、NHKラジオに触れていただくきっかけになればと思っている。」(
ここより)

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ラジオ番組ネット配信の新会社設立へ

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2011年3月 9日 (水)

2度目の「不整脈」騒ぎ・・・・

ドジを2回繰り返すと、それはバカ・・・。昨夜、まったく同じドジを繰り返し、2度目の不整脈でドタバタしてしまった。自分の今後への自戒を込めてメモしておく・・・

自分の心臓の鼓動が最初におかしくなったのは、2004年7月5日の夜。会社の飲み会があって、中華料理と一緒にビールと紹興酒をしっかり飲んだ。暑い日で、東京駅から中央ライナーでゆっくりと帰ろうと、席に座ったら心臓がおかしい。家に着くと、まさに心臓の鼓動がメチャクチャ。救急外来に行こうかとも思ったが、調べると生命に危険が無いようなので、様子をみる。しかし脈がバラバラで息苦しい。
次の日に近くの大学病院に行く。心電図を取ると脈はメチャクチャで130位ある。血液凝固抑制の点滴(ヘパリン)に薬(シベノール)を入れるとアッという間に発作が止まった。それはまさに手品のよう・・・。医師から言われたことは、・・・(写真はクリックで拡大)
「今起こっていたのが「発作性心房細動」。昨夜は脱水とかお酒を充分に飲んじゃったとかありますか?宴会ですか・・。起こりやすい状況ですね。充分飲んだ?それで暑かったと・・。電車の中で変と・・。なるほど・・。その通り。良く起こりやすい。ごく当たり前。
今後同じように起こり易くなります。心電図はコピーして差し上げます。別の所で今後起こって、医者に掛かるかも知れないのでそれを持っていて下さい。発作性心房細動。これが続くと長嶋さんと同じになる。48時間以上続くと脳梗塞を起こし易くなる。これは飲酒脱水がきっかけになりやすい。年齢と共に発生する確率が増えてくる。ですから起こったときには薬を飲んで戻し易くする。この薬は毎日飲む必要は無い。それから飲酒の時には必ずこれからウーロン茶を1リッター位飲むつもりでやって下さい。それで脱水を防げますから、それだけでかなり差が出てきます。酔いは直ぐに醒めますけど体には良いですから。そう言うことです。・・・
薬は10回分。一日3回まで。4時間は間を空ける。止まらなかったら来て貰った方が早いのですがね。それではこれで様子を見て。起こったときには水分を充分に採ってかつ薬も飲む。そうすればたいてい良いですね。脱水は一番本当にきっかけとしてなりやすいので。夏が起こり易いですね。今後それで段々起こり易くなる人も居ます。あと飲酒の量。」

(そして2週間後)
「その後どうですか? その後無い。じゃあやっぱり酒ですね。これだけ暑いと脱水になったときに起こり易いので、水分を充分に採ることと酒の量を気をつける事、もう本当にこの二つ。脱水が起こします。この夏場は脱水と酒、基本的にはこの二つ。特に深酒の翌朝。でもあなたの場合は21時だったけど。ただこういうのは起こり出したら起こり易くなることは確かです。再発も充分あります。だから薬を渡しているのです。段々起こり易くなる人はたくさん居ます。採血検査で甲状腺機能。これは大丈夫でした。心臓のマーカは、この時は心臓に負担があったから上がっていたがこれは不整脈のため。これは仕方がない。今は戻っているはず。甲状腺ホルモンが上がっていて不整脈が起こり易い人が居るが甲状腺ホルモンは基本的に問題ありませんでした。これは良かった。そして今日の心臓の検査。これも心臓の動き、心機能は良好です。そうすると今のところ心配するところは無い。不整脈の予防だけになります。心機能が悪かったりするとそれは何で?と言う事になる。このまま脱水を防いで。そう言うことで特に定期的には要らないです。症状があるようだったら、そして薬を使う頻度が増えたてきたら、またその時に予約を取って来て下さい。発作が起こって飲んでも直らない時は緊急で来て下さい。点滴をしましょう。薬を飲んで止まれば良いが、それを繰り返すようだったらまた来て下さい。薬は20錠出したので、1回に2錠のんで10回分だから足りますよね。それじゃあよろしい。非常に良い結果で。病名は分かっていますよね。発作性心房細動、一過性心房細動。・・・」

以上は、昔書いたメモの転載。あれから7年近く・・・。自分の定期(名刺)入れには、常備薬として下痢の特効薬(新ワカ末A錠)と、この「シベノール」が入れてあり、いつも持って歩いていた。
一回だけ、顧客の外資系のER社とケンカをした帰りの地下鉄の中で、あまりの“怒りと暑さ”で不整脈を起こした事があった。まさに脱水状態だったので、あわてて薬とポカリスエットをがぶ飲みした。
昨夜は、それ以来の不整脈だった。今回も第1回目と全く同じ状況。中華料理とビールに紹興酒をしっかり飲んで・・。心臓のことはまったく忘れていた。家に着く寸前、バスの中で心臓がおかしい・・・。家に着いて見ると、脈拍が140位。不規則で心臓がバクバク言っている・・。サーテと、今度は落ち着いていつも持っている「シベノール」を飲む。1錠飲んだが、Netでカミさんに調べて貰ったら1回2錠飲むらしいので、後からもう1錠飲む。それと水分を・・・とお茶を2~3杯飲む。せっかくの薬が飲んだ水で吸収が遅れるかな・・と思いつつ・・。
案の定(?)、前は点滴に薬を入れた瞬間に戻った脈が、今度は戻らない・・・。
おかしな・・・。鼓動は90位で、少なくはなったが、相変わらずランダム・・・。明日朝までに発作が止まらなければ、病院に行くしかないな・・・と。よく眠れないまま、午前2時になった。1度目の薬を飲んだ夜9時過ぎから5時間位経ったので、そろそろいいかな・・と、また「シベノール」を2錠飲む。今度は一緒に飲んだ水が少なかったので薬の吸収が早かったらしく、30分後の午前2時半にやっと鼓動が正常に戻った。やれやれ・・・

後で、昔の医師の言葉を振り返り(上記)、“4時間は空ける”という指示が結果として守れていてホッとした。
1度目は、昔の仕事仲間のTさんから、「心房粗動で2週間入院した」と書いたメールを貰った夜の出来事だったので、てっきりTさんの不整脈が“うつった”と思ったが、今回の事例で、不整脈はうつらない事が分かった。(←これ冗談だよ・・)
しかし周辺に不整脈の話は多い。先のTさんは最近も不整脈が止まらすに入院したと言っていたし、同期のMくんは、中国に赴任する前に調べたら不整脈があり、結局原因不明で最近は薬を毎日飲んでいるとか・・。それに2月の同期会では、Iくんがやはり不整脈だという話をしていた。

2度あることは3度ある。しかし今度の経験で「自分は中華料理の紹興酒で不整脈発生の体質」という事がしっかりと分かったので、“もう紹興酒は飲まないぞ!!”と誓った。
しかし不思議なのは、何で紹興酒だけ? 紹興酒のアルコール度数は14~18度らしい。日本酒だって15%位はある。結局、がぶ飲みと、暑さだな・・。それで脱水症・・・・

不思議なもので、昨夜寝る時、あまりに脈が元に戻らないので「まあランダムでも心臓が動いているのでいいか・・・」なんて思ったり・・・。
話は飛ぶが、前にカミさんから胎動の話を聞いた。自分以外の動物が自分の体の中にいて勝手に動く不思議・・・・。昨夜の不整脈は、その胎動が心臓で起こっている感じ。もちろん自分は胎動などは分からないが、心臓内側から何かが突き上げてくるような感じなので、胎動も同じかな・・・?ナンテ思った次第。
しかし、“正常の脈”がどれほど何事もなく静かな事か・・・、改めて認識。それにしても先のTさんは、不整脈が自分で気が付かないと言う。人の体内の声を聞く耳には色々ある・・・
我々も段々と体にガタが来る世代。自分の内から挙がってくる色々な声に、そろそろ“じっくりと”耳を傾けていないといけないな・・と思った次第。お疲れさまでした・・・。

(追:2013/01/26)
本当にblogは日記。今日、不整脈が再発し、自分のblogを“不整脈”で検索し、改めてこの記事を読んで確認することが出来た。2年ぶり・・・
今日の不整脈は、居間で17:05発生。いつもは数秒から数十秒で治まるのだが、15分経っても止まらない。カミさんも「薬を飲んだら」と言うので、持っているシベノール2錠を飲む。しかし止まらない・・・。そして薬を飲んでからちょうど1時間後の18:25に突然、脈が普通に戻る。
それはそれで良いのだが、今までは飲酒がきっかけ。それが、今回はキッカケが何も無い・・・。9年前に貰った薬20錠も、残す所5錠。そろそろ新しい薬を貰っておかないといけない。この不整脈も持病に昇格。ともあれ、blogは便利なメモ帳である。

(追:2013/07/23)自己用メモ
2013/07/17 7:35~13:00発症。シベノール2回。2013/07/19 心エコー、レントゲン、血液検査⇒OK。頓服・サンリズム、2時間おき。
2013/07/23 胃カメラOK。

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2011年3月 7日 (月)

NHK東京FMがスカイツリーに引っ越すぞ!

たまには良いニュースがあるもの・・・・。
建設中のスカイツリーの350mの展望台にカメラが入り、ここ数日、そこからの映像がテレビで流れたが、そのニュースの中で、アナウンサーがどうも「ラジオ」と言っていたような気がした。東京タワーから放送しているFM局は全てそのまま東京タワーに残る、という話だったが・・・。
ダメ元でNetで検索してみたら、何とNHK FMの82.5MHzのアンテナを、東京タワーからスカイツリーに移すことで、総務省の認可が2月3日付で下りていた。その結果、来年2012年春のスカイツリー開業に合わせて、FMがスカイツリーから送信されるとのこと。
総務省のHPにはこうある。(写真はクリックで拡大)

東京スカイツリーへの超短波放送局及び超短波文字多重放送局の無線設備の設置に向けた変更許可について
      報道資料/平成23年2月4日
総務省は、平成23年2月3日付けで、日本放送協会、株式会社J-WAVE及び財団法人道路交通情報通信システムセンター(VICS)に対して、東京スカイツリーへの超短波放送局(VICSについては超短波文字多重放送局)の無線設備の設置に向けた変更許可を行いました。
110307fm 日本放送協会、株式会社J-WAVE及び財団法人道路交通情報通信システムセンター(VICS)は、現在、東京タワーから超短波放送(VICSについては超短波文字多重放送)を実施しているところですが、東京都西部地区(八王子市など)の受信環境の改善及び高層建築物などによる都心部の受信環境の改善を図るために、現在、東京都港区(東京タワー)から送信している放送局の無線設備の設置場所を東京都墨田区で建設中の東京スカイツリーへ変更することを希望しています。
総務省では、日本放送協会、株式会社J-WAVE及び財団法人道路交通情報通信システムセンターからの変更申請に対する審査を経て、平成23年2月3日付けで、東京スカイツリーへの放送局の無線設備の設置に向けた変更許可を行いました。
(参考)
日本放送協会、株式会社J-WAVE及び財団法人道路交通情報通信システムセンターについては、東京スカイツリーからの超短波放送(VICSについては超短波文字多重放送)は、東京スカイツリー竣工後(平成23年12月予定)、試験電波期間を経て、平成24年より開始される予定です。」(
総務省HPここより)

我が家では、マルチパスのないFM波を求めて苦労してきた(ここ)。まさに当八王子では、東京タワーからの電波はどの局もマルチパスノイズでジュルジュル・・・。それでFM東京は、八王子に中継局を建てた(ここ)。しかしNHKは何の手立てもなかった。
それで仕方なく我が家では100K先のNHK水戸を受信している。しかし電波が弱い・・・

東京タワーからの電波がどこで反射してジュルジュルになっていのかは分からない。新宿の高層ビル群か?しかし今回の送信所の引っ越しは、「東京都西部地区(八王子市など)の受信環境の改善及び高層建築物などによる都心部の受信環境の改善を図るために、・・」とはっきり目的が書かれているので心強い。
あと1年・・・。マルチパスのない強力な電波が届くことを大いに期待したい。

いやはや長生きはするものだ!?全てが良い方向に向かう・・・
久しぶりに「バンラーイ!!」と叫んだニュースではあった。

(2012/03/01追)
東京スカイツリーのHP(ここここ)によると、スカイツリーからのFM放送(NHK、J-WAVE)は、2012年4月下旬から本放送開始予定とのこと。

(2012/04/15追)
風鈴崋山さんからの情報で、スカイツリーからの送信開始は2012年4月23日だと知った。調べると(ここ)に、2012年4月6日付のNHK-FM BLOGとして、「NHK-FM 東京スカイツリーから送信開始のお知らせ」の報道があった。

(関連記事)
スカイツリー/東京タワー/フレッツテレビのFM電波の差
FM放送のマルチパス対策奮闘記
FM放送のマルチパス対策奮闘記~その後

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2011年3月 6日 (日)

八王子飛行場?が消えた~今日の散歩・・・

「八王子飛行場?で~今日の散歩・・・」(ここ)という記事を書いたのが昨年(2010年)の12月。そのラジコン飛行機の飛行場が消えてしまった・・・

P10902151 今日は暖かかった・・・。昼前に散歩・・・。いつもの梅の木は、まだ三分咲き??
梅見物はまだ先で良いか・・・(写真はクリックで拡大)
いつものように、多摩川に出て、土手を歩く。八高線の橋の下をくぐってビックリ。何やら、河川敷に工事の柵が・・・。土手の下が様変わり・・・。樹木も影が無くなり、だだっ広く工事中・・・。ダンプが走り、土の選別機(?)が動いている・・・。P10902261 何か匂う・・・。肥料の山だ・・・・。
工事の看板には「河川敷に繁茂する外来種の「ハリエンジュ林」を除去し、多摩川本来の自然環境にもどす工事です」とある。

あの飛行場は、影も形もない・・。
数週間前から、車で橋を渡りながら「河川敷の青い(ホームレスの)家が無くなったね。何かヘンだ・・。何を始めたのだろう」という話はしていた。でもこんなになっているとは・・・・・

(昨年暮れ(2010/12/05)の姿・・・飛行場等)

P10807391 P10807701 P10807211

(現在(2011/03/06)の姿~全てが無残に・・)

P10902471 P10902561 P10902311

しかし河川敷のもとの姿は、その片鱗もない・・・。

歩いていると、模型飛行機を持ったオジさんが歩いてくる。このありさまを知らなかったようP10902601 で、携帯でどこかに電話をし出した。そして「まあ借りているだけなので・・」と言葉少な・・・
しばらくして、どこから飛び立ったのか、上空に模型飛行機が飛んでいる。せっかく来たのだから・・と飛ばしたのだろう。(写真の右の人・・・)

工期が3月10日とあった。今週中には工事が終わるらしい。来週来たら、果たしてどのような姿になっているのか・・・
散歩の楽しみであった八王子飛行場・・・。そこでまたラジコン飛行機が飛ぶ日は来るのだろうか・・・

般若心経に「不生不滅不垢不浄不増不減」(ここ)とある。「この世にあるすべての存在には“永遠に変わることのない存在”というものは無い。生じることも無ければ滅することも無い。きれいとかきたないとかいう事もない。増えることもなければ、減ることもない・・・」と言った意味だが、多摩川の河川敷も変わっていく。世の中の全てが変わって行くのである・・・。
まあ、この工事で河川敷がどのように変わるのかは分からない。人が入れる何かの施設が出来るとラッキーなのだが・・・。そして飛行場も・・・

(関連記事)
八王子飛行場?で~今日の散歩・・・

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2011年3月 4日 (金)

「ご馳走さま」の仏教思想(5/6)

雑誌「大法輪」を読んでいたら「日常語に含まれている大切な仏教思想」という記事があり、心に留まった。その全文を6回に亘って読んで行く。今日はその5回目。

日常語に含まれている大切な仏教思想
      大本山護国寺貫首 岡本永司

私たちが日常使っている言葉の中に深い仏教思想が含まれていることが多くあります。その一端をご紹介させていただきます。
・・・
「ご馳走さま
第5番目は「ご馳走さま」という言葉であります。有り難く食事をいただいたあとに「ご馳走さま」と言って箸を置きますが、この文字は馳は馬に乗ってかけまわるということ、走はあちこち走りまわるという意味になります。この言葉にも仏教の人や物に対する深い意味が込められております。
私たちは前述のように自らの生命を保っていくためには、他の生命をいただくほかありませんと申しました。
しかしそうした食材は自然に湧いてくるものではありません。世界中あちこちで生産されている食料をさがしまわり走りまわって見付け集められて私たちの所に届けられるのであり、それらを生産する人や運ぶ人や物、更にはその食材をいろいろ考え料理する人々は数え切れないほど大勢おります。そうした大勢の人々の大変な努力によってはじめて私たちのいのちが保たれているのであります。その大きな働きに謝意を表する意味で食事の終わりに心から「ご馳走さま」と申すことになります。
私たち僧侶が一定期間行をするとき、食事をいただく折「五観の偈」という五ヶ条の句を唱えます。その第一は「初めには功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)るべし」とあります。まずこの食をいただくに当たっては、この食材は天地万物の恵みとここに至るまでの多くの人々の労苦によってなりたっているのであることをしっかりと思いなさいということであり、その第四には「四つには正しく良薬を事とし、形枯(ぎょうこ)を済(すく)わん事をとれ」とあります。これは今いただく食事は唯空腹を満たすためのものではなく、大切な自らのいのちを保つための良い薬をいただくのであるとの思いで食べ、肉体を枯死(こし)から守る程度にしてとどめ、過食を戒めております。「ご馳走さま」にはこのような思想が織り込まれております。」(
雑誌「大法輪」2010年11月号p26より)

日常、何気なく使っている言葉も、調べてみると深い意味があるようだ。我々はそれを知る事もなく、長い間“何となく”使っている・・。でもたまにはその語源を認識するのも、良い事では・・・?

「頂きます」「ご馳走さまでした」・・・
これを言う習慣が身に付くかどうかは、まさに子供の頃の親の躾の問題・・。小さい時からキチンと躾ければ、その言葉の深い意味は分からなくても、“食べられる事への感謝”だということは、幾ら小さい子どもでも分かる。自分はどうだったか・・・。食事の前の「頂きます」は親に躾けられたように記憶している・・・・。たぶん必ず言わされた・・!?

それで、自分の子どもに対してはどうだったか?食事の前後に必ず「頂きます」「ご馳走さまでした」を言うように、躾けたか?? どうも疑問だ・・・。特に子供が思春期の“面倒くさい”時期には、たぶん逃げたと思う。ピリピリした思春期の子供への躾は、どこも大変だ・・・
それもあって、「“頂きます”という意味は・・」という話をしたかどうか・・・。たぶんしなかったな・・・

自分が小学校高学年から中学の頃、夕食の後に必ず兄貴と二人で正座をさせられ、親父から「説教」を“頂いた”。どんな説教話だったかは完全に忘れたが、その正座の場面だけは未だに目に焼き付いている。あまり良い思い出ではない。足がしびれ、長~い「お説教」・・・
思春期に近かった自分の心の中は、ただただ“反感”だけ。「立て膝で食事をしている親父に、そんなエラそうなことを言う資格があるのか?」と・・・。(ぶん殴られるから、口には出さなかったが・・・)
黙って聞いていたが、自分の目は反抗心で燃えていたはず・・・。口をきかずに黙っていた自分に対して、親父から「お前は感謝が足りない」・・・と毎日毎日言われ・・、数えてみたら合計201134回も言われたっけ・・・。(←もちろんウソ)
思春期・反抗期は、言われれば言われるほど「誰が感謝なんかするものか・・」と逆の行動をするもの・・・。そして力んで、力んで親父と対峙してきた。
いつだったか、体からその力が抜けた時、既に親父はこの世にいなかった・・・・
人間、この力が抜けた時に初めてオトナになれる・・・。(自分がホントウのオトナになれたのはいつだったのだろう・・・)

ところで、今も自分は必ず食事の後には「ご馳走さまでした」と言う。カミさんと外食をした時も・・。しかしその意味する所は、料理を作ってくれたカミさんへの“ゴマすり(=明日もヨ・ロ・シ・ク!)”であり、外食では支払いをカミさんにさせるための“念押し”(=オレは払わないぞ!ご馳走・サ・マ!)なのである。何とも小さい、小さい・・・

ふと、子供の頃のちゃぶ台の風景を思い出す「ご馳走さま」ではある。

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2011年3月 3日 (木)

「タイムマシンは実現可能?」

先日の日経新聞にタイムマシンの記事があった。今更・・・の感もあるが、ワクワクする世界ではある。曰く・・・

タイムマシンは実現可能? 未来旅行、理論上では証明
H・G・ウェルズのSF小説やマンガ「ドラえもん」などでおなじみのタイムマシン。空想世界に欠かせない“夢の機械”は実現可能なのか。
「1秒の10億分の1という極めて小さな時間旅行なら、ジェット飛行機のパイロットが体験している」。米アリゾナ州立大学のポール・デービス教授はこう指摘する。未来へ行くタイムマシンは理論的に証明済みだ。
アインシュタインの特殊相対性理論によれば、物体の速さが増すほど時間の進み方が遅くなる。もし、光の速さの99%で飛べる宇宙船ができれば、船の中の経過時間は地上の7分の1になる。宇宙に10年間滞在すれば理論上、地球は70年たっている計算だ。
理論物理学の大家、自然科学研究機構の佐藤勝彦機構長は「将来は未来への旅が実現するだろう」と話す。ただ、スペースシャトルでも光速の数万分の1なので、今は時間旅行はできない。
問題は過去へさかのぼるタイムマシンができるかどうかだ。時間と空間の関係を理論化したアインシュタインの一般相対性理論では、「ワームホール(虫食い穴)」が存在するとされる。地球をビー玉の大きさに圧縮したような超高密度の物体の近くで、空間と時間がゆがんでできる宇宙のトンネルのようなものだ。
相対論研究の第一人者である米カリフォルニア工科大学のキップ・ソーン教授は、ワームホールが「過去への抜け道になる」と唱える。一方の入り口を光速に近い速さで振動させれば、その場所の時間の進み方は出口地点に比べて遅くなる。出口に行った後、再びワームホールを通って入り口へ戻る。そこには過去の世界が現れるという。
ところが、過去に行くタイムマシンには「因果律の破れ」というパラドックスが立ちふさがる。過去に戻って結婚前の両親を殺してしまえば、自分はどうなるのかという問題だ。「車椅子の天才」と呼ばれる英国のスティーブン・ホーキング博士は過去への時間旅行には、計算上無限大のエネルギーが必要になるなどの制約があってできないと主張する。ホーキング説を支持する物理学者が多いが、まだ証明されたわけではない。
一流の物理学者たちがタイムマシンをまじめに考え、議論を戦わせている。「時間や空間への理解を深めることになるからだ」と佐藤機構長は強調する。
いずれ決着はつくのだろうか。タイムマシンが開発されたら未来へ行って確かめてみたいものだ。」
(2011/02/27「日経新聞」p15より)

先日紹介したNHK FMのラジオドラマ「蒲生邸事件」(ここ)の舞台は、昭和11年2月26日。まさに2.26事件の時代にタイムスリップする物語。その前に放送された「タイムスリップ大坂の陣」も同じような内容。それに、こちらはシェイクスピアが日本に出張してくるというおまけまで付いていた。タイムスリップは、色々なドラマが出来上がる楽しいテーマ。
誰もが「そんな事は夢・・・」という前提で楽しんでいる。
そのタイムマシンが本当に出来るのか・・・という科学的検証をマジメに検証すると、先の記事になるらしい・・・。

仏教における“あの世・彼岸・浄土・来世・・・”という概念は、宇宙の果てに通じているように思える。肉体が朽ちて、魂だけが残るとすると、それは宇宙に属する。我々の住む三次元世界、そして今、目の前を流れて行く時間軸を超えて、“大いなるもの”や悠久の流れに身を任せるとき、人間の存在や人間の意志など、ちっぽけに見える。

ふと思い付いて、久しぶりに柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」~般若心経(ここ)を見た。(ここをクリックするとWindows Media Playerで再生)

こんな悠久の世界がいい・・・。こんな世界に浸っていると、「死」とはタイムマシンに乗って時空を超えた宇宙の果てに行くこと・・・のような気がしてくる。
「科学」よりも「哲学」の方が身に沁みる、我がシルバー世代ではある。

(関連記事)
「般若心経」と「穏やかな心」

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2011年3月 2日 (水)

安田祥子と小林啓子の「比叡おろし」

我々、初老にもなると、良く夜中に目が覚める。昨晩も夜中にふと目が覚めた。いつものように、枕元の時計を叩く。すると「午前3時5分です」と声を出す(ここ)。つい「シメタ!」と思い、イヤホンを耳にねじ込んでしまう。午前3時台は、NHKラジオ深夜便「にっぽんの歌こころの歌」の時間帯なのだ。優しい須磨佳津江アンカーの声が聞こえてくる。今日は「郷愁の歌:由紀さおり&安田祥子、童謡・抒情歌集」だという。つい3時から4時まで聞いてしまった。
その中で、久しぶりに安田祥子の「比叡おろし」が流れてきた。しみじみと聞いてしまった。

<安田祥子の「比叡おろし」>

「比叡おろし」
  作詞・作曲:松岡正剛

風は山から降りてくる
レタスのかごをかかえて
唇はくびれていちご
遠い夜の街を 越えて来たそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ

風は琵琶湖に落ちてくる
北山杉を下に見て
夕焼けはよそゆきマント
光る銀の靴を はいていたそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ

風は今夜も吹いている
死んではだめよと言いながら
さよならは小さなみぞれ
そっと京都の町に 捨ててきたそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ

この曲は前から自分も持っていたが、その歌にまつわる須磨アンカーの解説が面白かった。曰く・・・
「・・・『比叡おろし』は、論客で知られる松岡正剛さんが若い21歳の時、失恋して一晩で書いた曲。心を寄せている女性と逢うことになって、一週間、当日のデートコースを練りに練って日生劇場のラシーヌを奮発した。市原悦子さんが主演だった。これが最悪の選択だったようで、途中でその女性が「私、帰るわね。ごめんなさい」と言って風のように席を立ってしまった。呆然として、何も分からなくなった。雪のような冷たい恋だったと思い、その夜、初めて松岡さんが作詞作曲したのが、この『比叡おろし』だった。・・・その後の活躍は皆さんご存じだと思いますが、才能のある方は失恋しても素晴らしい作品を作るものなんだなあと、改めて感心してしまいました。心に滲みる『比叡おろし』でした。・・・」
(*ラシーヌ(Jean Racine)は、イギリスのシェイクスピアと肩を並べる、フランス古典劇の代表的作家)

無知な自分は松岡氏を知らない・・・。Netで見てみると、なるほど偉大な方のようだ。でもその経歴には、歌のカケラはない・・・。でもこの「比叡おろし」という歌だけは、歌い継がれている・・・。

“誰でも小説が一つだけは書ける”という話がある、自分の人生を書けばそれが小説になるという話だ。でも、“誰でも一つだけは歌が作れる”という話は無い・・・

与野に住んでいた小学生低学年の頃、近所の家の縁側で、蓄音機でSPレコードをかけていた。それを物珍しそうに塀の外側から覗いていたら、入って見て良いという。それで初めて間近に見たのが、自分のレコード音楽との出会いだった。
小学校高学年の頃、親父が叔父に頼んで買ったプレヤーと、童謡のSPレコード。それとの出会いが自分の音楽人生に多大な影響を与えたことは事実。
そんな長い自分の音楽人生でも、ただの一つも歌(音楽)を作ったことはない。もちろん才能が無いためだが、こんなエピソードを聞くと、今からでも歌の一曲位作ってみようかな・・・、ナンテ思ったりして・・・・

ついでに、この「比叡おろし」は小林啓子も歌っている。最後に、それも聞いてみよう。だいぶん雰囲気が違う・・・

<小林啓子の「比叡おろし」>

●メモ:カウント~165万

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2011年3月 1日 (火)

「政府、税と社会保障改革で新聞5社の提言比較」~メディアの読み方

今日は、昨日(これ)の続きで、法人としてのメディアについて。
先日の日経新聞に、政府が社会保障改革について、新聞5社の提言を聞いたという記事があった。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

政府、税と社会保障改革で新聞5社の提言比較 基礎年金の財源に消費税どこまで 考え方に違い 厚生年金適用拡大では一致

政府は26日、社会保障改革を議論する集中検討会議(議長・菅直人首相)を開き、日本経済新聞など新聞5社の提言を比較検討した。年金改革では基礎年金の財源に税金をどこまで充てるかが焦点に浮上。委員からは改革を先送りせず、断行するように求める意見が相次いだ。
110301shinbunhikaku 政府は19日に日本経団連など労使4団体の意見も聞いており、今回は新聞5社の社会保障改革に関する提言を検討。朝日新聞を除く4社から直接ヒアリングした。
年金改革では、パート労働者なども厚生年金に入れるようにする必要性で一致。受給権を得るための加入期間を25年から10年程度に縮める考え方も共通した。
焦点の基礎年金の財源については、日経新聞が全額を消費税で賄うよう主張。朝日新聞、読売新聞、産経新聞の3社は税と保険料で半分ずつ賄う現行の社会保険方式を維持するよう求めた。毎日新聞は当面は現行方式のまま税金で無年金・低年金対策を行い、将来は基礎年金を全額税による最低保障年金に移行するよう主張した。
朝日新聞と読売新聞は全額税方式にすると必要な税財源が大きくなるので、基礎年金は社会保険方式で、新たな税財源は医療や介護に充てるべきだとの考え方。日経新聞は税方式になれば基礎年金の保険料は廃止すると主張した。
産経新聞は「年金は自己責任が原則」とし、現役時代に保険料を納めても老後の生活に困る人を応援するため、月2万円を年金に上乗せする制度の創設を提唱した。
委員からは「若い世代が厳しいなど前提となる認識は重なっている」(宮本太郎・北海道大教授)などの指摘が出た。柳沢伯夫元厚生労働相は「障害があっても先送りは絶対に駄目だ」と改革の断行を訴えた。
菅首相は「多少の意見の差はあったが、年金の問題は十分一緒になりうるのではないか」と結び、6月に税と社会保障の一体改革案をまとめる考えを改めて強調した。
終了後に記者会見した与謝野馨経済財政担当相は「税か保険料かという議論よりも、国民負担をどこまでお願いできるかが重要」と指摘。社会保障費の抑制については、6月に具体案を出す考えを示唆した。」(
2011/02/27付「日経新聞」p3より)

昨日書いたNHKの「日本人はなぜ戦争へと向かったのか(3)熱狂はこうして作られた」(2011/02/27放送~ここ)の番組で、時の首相・近衛文麿は、昭和12年に首相になる前の昭和11年にNHK総裁に就任し、昭和20年に亡くなるまで、その地位にあったと言っていた。そして、それまでの新聞に対して、新たなメディアとしてのNHKラジオが、戦争遂行に大きな影響を与えた、とも言っていた。NHKの総裁が首相だったという事実・・・
現代もそうだが、テレビ・ラジオからは大量の情報が流れている。それに比して新聞は地味だが、紙という“残る”媒体での影響力は、ラジオ以上のような気もする。

新聞も法人。ある人格で、さまざまな事に人のように主張する。そしてそれは、結果として民衆を煽る。世論を動かす力を持っている。
確かに、個人の主張に比べると、それらは法人だけに“練られた主張”のように見える。
先の記事は、政府がその練られた新聞の主張を客観的に聞いた、と言う記事。

日経に載っていた比較の表は、各紙での主張の違いを表していて面白い。国民が一番関心のある年金、医療費、消費税について、各紙でこれだけ違う・・・・

我が家で取っている新聞は、朝日と日経の2紙。ここで思う。読んでいる新聞の主張に、知らず知らずのうちに啓蒙されてしまっているのではないか・・・と、ドキッとする・・・。
どうも“新聞に書いてあることは正確”という思い込みが自分にはあるようだ。つい、鵜呑みにしている・・・。それが危険・・・。

2年ほど前に、ブータンのテレビ番組の記事で、ampouieさんから「何に関するマスコミ報道も同じですが、流される情報がすべて正しいと思い込むのは禁物です。むしろ報道には嘘があると思うのが賢明です。」(ここ)というコメントを頂いたことがあった。

その時はピンと来なかったが、先のNHKの番組やこの表を見て、やっとその真意が分かった・・・・!?
流れて来る情報に対して、いま一歩離れたところから物事を見ないといけないな・・と思うこの頃ではある。

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