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2011年3月23日 (水)

昭和44年の出来事(22歳)~由紀さおりの「夜明けのスキャット」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの23回目。自分が21歳から22歳、つまり大学3年生から4年生になった昭和44年(1969年)の出来事を調べてみる。

この年は自分の就職試験の年。当時は4年生になってからの就職活動だった。就職活動といっても、別に活動はしなかった。各企業から大学に各2名くらいの枠が与えられ、その枠に入れれば受験できた。そして受験では、あまり落ちた人の話を聞かない。いわゆる推薦校制で、推薦する大学側もそれなりの人を受験させ、その人を受ける企業側も、相当ひどくなければ採る・・という良き時代だったように思う。
就職試験は確か5~6月頃で、正式に採用通知が来たのは、夏休み前だったような気がする。よって自分の場合は、就職試験は一回受けただけだった。
でも中には、宗教関係で興信所の調査員が学校に来たり、面接試験で落ちた人もいて、まあ色々・・・。でも今の学生のように、就職活動に時間をかけなくて済んだ良い時代だった。
ふと思い出した・・・。自分とほとんど会話が無かった親父から、一度だけ「就職するなら電電公社((NTT)にしろ」と言われたことがあった。「いやオレはメーカーに行く」と言った。そう言えば自分の科に電電公社から来た教授がいて、弱電系のトップクラスの連中を電電公社に送り込んでいたっけ。まあ自分には関係ないけど・・・。重電系では成績順に御三家の日立、東芝、三菱・・・。

110323yoakeno ふと思い出す。この年の夏のある日、友人の下宿を訪ねたら、この歌のレコードがあった。「ルールールルルー・・・」。由紀さおりの「夜明けのスキャット」だった。そして、由紀さおりがあの童謡歌手の安田章子と聞いて、ヘエーっと思ったもの・・・。(写真はクリックで拡大)

<由紀さおりの「夜明けのスキャット」>

「明けのスキャット」
  作詞:山上路夫
  作曲:いずみたく 

ルルル・・・・・
ララララ・・・・・

愛し合うその時に
この世はとまるの
時のない世界に 二人は行くのよ
夜はながれず 星も消えない
愛の唄ひびくだけ
愛しあう二人の
時計はとまるのよ
時計はとまるの  

前年から吹き荒れていた東大紛争。その余波で、とうとうこの年(1969年)の東大と東京教育大学(現筑波大学)の入試が中止された。自分の大学でもストなどがあり、何とも騒がしい年だった。

S44この年の事件としては、「人類初の月面着陸に成功」、「沖縄72年返還決まる」、「東大安田講堂での学生放水排除」、「マツモトキヨシ市長発案による、松戸市のすぐやる課誕生」、「五百円札の発行」、「パンティストッキングの発売」、「東名高速道路開通(東京-小牧間)」、「週刊ポスト・週刊少年チャンピオン発刊」、「TVで“8時だヨ!全員集合”がスタート」、「NHK FMの本放送開始」、などなど・・・・

この年の歌謡曲は豊作だった。「白いブランコ(ビリー・バンバン)」、「 風(シューベルツ)」、「長崎は今日も雨だった(内山田洋とクールファイブ)」、「時には母のない子のように(カルメン・マキ)」(ここ)、「禁じられた恋(森山良子)」、「夜明けのスキャット(由紀さおり)」、「 港町ブルース(森進一)」、「ある日突然(トワ・エ・モア)」、「フランシーヌの場合(新谷のり子)」、「恋の奴隷(奥村チヨ)」、「昭和ブルース(ブルーベル・シンガーズ)」、「いいじゃないの幸せならば(佐良直美)」、「人形の家(弘田三枝子)」、「悲しみは駈け足でやってくる(アン真理子)」、「愛の化石(浅丘ルリ子)」、「黒ネコのタンゴ(皆川おさむ)」、「白い色は恋人の色(ベッツイ&クリス)」、「空よ(トワ・エモ・ア)」、「今日でお別れ(菅原洋一)」(ここ)等々・・・・

何とか就職も決まり、卒研以外では麻雀などで遊んでいた時期だった。夜は下宿で、相変わらず音楽を聞いていた・・・。当時凝っていた布施明、ブルーコメッツ、マーラーにワーグナー・・。

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コメント

最近は、由紀さおりが出した「1969」というアルバムが世界的に売れているという評判が高いですね!昨日のNHKのクローズアップ現代でもこの話題が取り上げられていましたが、ごらんになりましたか?「1969」には、由紀さおりのこの「夜明けのスキャット」もちろん、石田あゆみの大ヒット曲「ブルーライト横浜」等1969年にヒットした歌謡曲がカバーされているようですね。1969年、私は何をしていただろうか?私は1966年に大学を卒業して就職し、1968年に新しい部署に移り、2年目を迎えました。あのころころの上司、同僚の顔が浮かんできますね。

投稿: KeiichiKoda | 2012年2月22日 (水) 10:09

上のコメントへの追加です。「石田あゆみ」ではなく、ひらがなの「いしだあゆみ」が正しく、「ブルーライト横浜」ではなく、かたかなの「ブルーライト・ヨコハマ」が正しいようです。ところで、エムズの片割れさんの日本の歌の中には、この曲がはいっていないようですが、どうしてでしょうか?また、この年1969年は歌謡曲の豊作だったと書かれていますが、例にあげられた曲の中に、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」がはいっていないのはどうしてでしょうか?

【エムズの片割れより】
何とも難しい質問で・・・。特に理由はありません。
「ブルーライト・ヨコハマ」も昔良く聞きました。その後、いしだあゆみは大女優に・・・。未だに“細い”というイメージです。

投稿: KeiichiKoda | 2012年2月23日 (木) 10:17

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