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2011年2月 8日 (火)

また会える「死」の世界

雑誌「大法輪」の今月号(2011年3月号~ここ)に、死の世界の捉え方についての記事があった。曰く・・・

また会える「死」の世界
    浄心寺住職・日本死の臨床研究会 佐藤雅彦

・・・・
日本人の「あの世」
やがて誰にも訪れる死の向こう側とは、どんな世界なのでしょう。仏さまの世界とは、いかなる世界なのでしょうか。それは、ただ別離のみに悲しく彩られた世界ではなく、大切な父母や、兄弟、愛する人らとの再会をかなえてくれる場所「あの世」があることを、日本人は、親から子へ、子から孫へと語り継ぎながら生きてきたのではないでしょうか。
誰もが耳にされたことがあるでしょう。多くの高齢者たちが死を語るときに「もうじき、お迎えをいただくのだから」と迎えに来る存在が、どんな仏なのか神なのか明確な知識をもたなくても、人間の及ばぬ大きな力を持つ存在が、寿命が尽きるときには迎えに来て、連れられてあの世に旅立っていくと考えてきたのです。それが死の世界だったのです。人々は、あの世とは、仏さまのおられる安心の世界、大切な親や家族や人々と会える世界だと信じて、その世界に行けるように、生まれられるようにと「後の世に生まれること」(後生(ごしょう))を大事に願って、仏道修行を生活と離れることなく、生きてきたのです。
それに比べて私たち、現代に生活をする人々は、なぜ死を「仏さまのおられる世界」「また会える世界」などと.容易には感じることができないのでしょうか。科学的な考え方に偏重した時代に生きる私たちは、科学的でないものを受け容れにくい生き方をしているからといえましょう。もっと簡単に言えば、目に見えないものは信じられないのです。確かに仏さまの世界から帰ってきて、報告してくれた人はおられません。目に見ることのできない世界など、あるわけがないと決めつけるのです。現代の私たち日本人は、残念なことながら、死の世界は何もない世界で、あの世など信じられないものと考え、生きている人が大多数になってしまっているのではないでしょうか。

素朴な祈りとしての「願う世界」
しかし私たち現代に生きる人々も、ご縁のある身近な誰かとの死別を経験してみると、暗黒な何もない世界としての死の中に、大切な人が葬り去られたことを想像するより、素朴にどこかあの世で生きていてほしい、私たちを見守ってほしいと、願いたくなるものではないでしょうか。その願いたくなる心こそ、大切にすべき心のはたらきなのです。
お釈迦さまの残してくださった大きな智慧の言葉に、死の後の仏さまの世界での再会を意味する言葉があります。「倶会一処(くえいっしょ)」(ひとつ処でともに会う)や「一蓮托生(いちれんたくしょう)」(同じ蓮の台(うてな)にいのちを託す)といった言葉です。ともに仏さまのもとでまた会えることを教えてくれています。そのような世界があるのならば、そこで会うことのできることを願い、その心をたもって生きてゆけたなら、死の迎え方は、おそらく違うものになることでしょう。死が失うばかりのものではなく、死によって大切な方々と再び「会う」という、得ることのできる世界が、きっと見えてくるはずです。願う心は、自ずと心を育んでくれるものです。
いつの日か、この私や愛する家族は、どのような様子の中で死を迎える日と出会うことになるのでしょう。こうして文章を読むことのできるうちや、自ら求めて仏の教えにふれることのできる時にこそ、自らの死を思い、仏さまの世界に生まれることのできるような生き方をしているか、大切なことを後回しにした生き方をしていないか、しっかりと見つめてみることは大事な仏道修行といえましょう。
そして宗派を超えて、仏さまの世界を願う生き方をしてゆくとき、死もまた、きっと「また会える」と生死を超えた信心が育まれていくものです。合掌
」(雑誌「大法輪」2011年3月号p25より)

別に自分は仏教徒でも無ければ新興宗教徒でもない。ごく普通の日本人だと思っているが、こんな文章を読むと、素直に「そうだろうな・・・」と思う。
人間が現役を離れ、いわゆるご隠居さんになってくると、死の問題が身近な話題になってくる。でも(我が家の家訓ではないが)「臭いものに蓋」・・・・。そんな縁起でもない話題は避けたい・・。
でも、ここで言われているように、元気な今だからこそ、その話題に触れられる・・・。

誰でも人生観は自由。死の後の世界についての考え方も自由だ。でも自分は、死後の世界を、何も無い暗い穴の底のような世界を想像するよりも、先に行った人が待っていてくれる明るい平和な世界、と捉える方が楽しい。そう願いたい。

こんな考え方はあらゆる所に出てくる。小説でも映画でも・・・
前に見た映画「おくりびと」(ここ)で、笹野高史扮する焼き場の担当者のセリフ「死ぬのは門をくぐること。いってらっしゃい。また会おうな・・・」を思い出した。
また映画「阿弥陀堂だより」(ここ)でも、先生の臨終の場面で、先生:「先に行くよ」、奥さん:「そんなに待たせませんから」・・・という場面があった。
こんなセリフが自分の記憶に残り、その言葉をblogに記録しているだけでも、自分はこのようなことを信じている証拠かも・・・??

ともあれ、「あの世に行ったら、先に逝った人にまた会える」と思った方が、少なくても自分の場合は心が救われる。そう思うのだが・・・。


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