« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月の26件の記事

2011年1月31日 (月)

森山良子の「いつも通るこの道」

先日、NHK BS2で放送された「私のうたの道 森山良子」(2011/01/29放送)を見た。しみじみした広瀬修子の語りにより、森山良子の半生をたどっていた。
歌手への道のキッカケは、来日したジョーン・バエズに呼ばれて一緒に歌ったこととか。それに、“歌謡曲”「禁じられた恋」を歌う時の葛藤など、ナルホドという話が多かった。
確かに、「禁じられた恋」がヒットするに連れて、我々“老舗”は何か“チャウ(違う)”と思ったもの・・・。理由は簡単。フォークの森山良子が何で・・??
その異色の「禁じられた恋」については、“コブシを回せ”というレコードスタッフの指示に、非常な反感を覚えたという。しかしその後、作曲家三木たかしを始めとした製作スタッフの「売ろう」という熱意に対して、自分の不満など何とちっぽけな事かと痛感し、良い勉強になった。と言っていた。
その後、森山良子の澄んだ声での「歌謡曲」が続く・・・。今日はその中から「いつも通るこの道」を聞いてみよう。この歌は、1979年1月21日の発売。「禁じられた恋」から10年後である。

<森山良子の「いつも通るこの道」>

「いつも通るこの道」
  作詞・作曲:森山良子
いつも通るこの道は
あなたとの思い出いっぱい この石だたみ
ふたり立ち止まり 見つめあいましたね
いつまでも わたしの歌に 出てくるような
すみれ色の夕暮れでした
あなたはわたしを 好きだといって
わたしもあなたが 大好きでした

このうえなく照れ屋のあなたは
無口な少女の心のすきま うめつくすだけの
ことばも言えず ただやさしく
包んでくれました
若すぎたあのころの わたしは すこしだけ
おとなぶって
静かな愛の てざわりよりも
愛のことばが ほしかったんです

あなたにさよなら言った夜
ボロボロ朝まで 泣きました
あれからしばらくは思い出ほっぽり出して
あなたの好きな歌 口ずさんだ
あれから何度か 恋をして
少しちがう私に なりました
あのときもらったやさしさを
いまでも大事にしています

いつも通るこの道に
あなたとわたしのかげがゆれる
いつも通るこの道に
ゆるやかな風のメロディー

森山良子も自分と同じ年なのでちょうど63歳。1回のステージが2時間半。数々のコンサートをこなすには強靱な体力が必要。従って、ボイストレーニングの他に、階段を駆け上がるなど、日常の体力増強には心掛けているという。それでも、体がギブアップして、休演のアクシデントも・・・

そう言えば、先日同じNHKで、ヒューマンドキュメンタリー「裸の55歳 郷ひろみ THE エンターテイナー」(2011/01/07放送)を見たが、その姿勢と似ている。この番組では、55歳になった郷ひろみが全国55カ所を巡るツアーのために、自分を磨き、体力を磨き、そしてステージで最高のパフォーマンスを見せる姿を描いていた。ある意味「郷ひろみ」という“商品”をどう維持するか、それに賭ける執念を描いていた。
この森山良子の姿もそれとダブる。まあどんな役者・芸術家も、それが演劇やコンサートなどの“ライブ”である限り、その時、人は商品になる。
よって“その瞬間”を楽しみに集まってくる観客に対して、プロとして体調不良などとは言えない。これは大変なプレッシャー・・・。
自分などの凡人は、人生を見渡してみても、代替不可能な(絶対に欠席できない)場面なんて、そうそうあるものではない。せいぜい、結婚式の仲人や主賓などを頼まれた場面位しか思い浮かばない。つまりそれ以外の場面は、誰か他の代役で済んでしまう。会社での活動は全てがそうだ。

我々シルバー世代の「現役の代表?」である森山良子。今後の益々の活躍を見守っていきたいもの。

| コメント (4)

2011年1月29日 (土)

カタログの燃費表示と「実燃費」~我が車の歴史

先日の朝日新聞に「カタログの燃費表示と「実燃費」との違い」という記事があった。なるほど・・・。そんなモノか・・・。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

国産車 低燃費に「?」~利用者指摘 新表示義務化へ
1リットルあたり38キロ。国交省が昨年、「もっとも燃費の良い乗用車」と認めたトヨタ・プリウスのカタログ上の燃費だ。ところが、ユーザーからが異論があがる。実際の走行距離から燃費を算出する携帯電話のサイト「e燃費」では、平均でガソリン1リットル当たり約21.7キロとの結果が出ているからだ。
110122asahi e燃費の会員は全国約50万人。うち約10万人から携帯電話で実際の給油量と走行距離を入力してもらっており、車種ごとに「実燃費」を算出して公表している。・・・
プリウスの実燃費はカタログの6割に満たないが、ほかの車の実燃費はさらに劣るため、このサイトの低燃費ランキングでも1位だ。一方、輸入車部門で1位のフィアット500はカタログ値19.2キロに対して16.8キロ(達成率約88%)だ。
実燃費とカタログ値との差が国産車で目立つことには、海外の自動車メーカーからも批判が上がる。この理由を、国交省関係者は「性能テストの内容と、メーカーの取り組み方にある」とみる。・・・・」
(2011/01/22付「朝日新聞」夕刊p1より)

「いつかはクラウン」というキャッチコピーをご存じだろうか? これは1983年の7代目クラウンのときに石坂浩二がテレビのCMで言っていたコピーだという。
トヨタ車で、「カローラ」⇒「コロナ」⇒「マークⅡ」ときて、ついに「いつかはクラウン」で完成・・・、というわけ。自分もだいたいこの路線に乗ってきた。
自分の場合を思い出してみると、独身時代は会社の寮に住んでいたが、駐車場が順番待ち。それで友人から寮の駐車場(の権利)付のセールスカーあがりのボロのサニーを買ったのが最初。3段コラムシフトでハンドルの遊びが大きくて怖い車だった。それでも環七を通って茨城の田舎まで走ったもの・・・。
それ以来の我が人生の車の歴史は・・・

1)サニー(1974年12月?)~中古
2)カローラ1200HT SL(1975年3月31日)~新車
3)スターレット(1983年4月17日)~中古~カミさん用
4)ブルーバードSSS 4ドアHT 1800(1985年3月25日)~新車
5)ミニカ(ライラ)(1986年12月26日)~新車~カミさん用
6)チェイサーHT(2000アバンテ)(1993年5月9日) ~新車
7)ファミリアセダン1500(インタプレイSE)(1994年2月13日) ~新車~カミさん用
8)ヴィッツ(1300)(2005年1月8日) ~新車

<我が家の車の歴史>
(カローラ)     (ブルーバード)    (ミニカ)
Image05701 Image05721 Image05731

(チェイサー)     (ファミリア)     (ヴィッツ)
Image05751 Img_26781 Image05771

1975年3月、初めての車、「カローラ30 2ドアハードトップ(1200CC)」を新車で買った。車好きの同僚の紹介で、アッという間に契約。カタログの表紙にあったグリーンを選んだ。この車は、良く乗った。
子どもが出来てから、カミさんが免許を取った。それでカミさん用に中古のオンボロ車を買った。10万円位だったか・・・。とにかくエンジンが掛からず、神業・・・。
それからカミさん用の車は、軽自動車のミニカ、ファミリア、そしてチェイサーを経て今のヴィッツ。

結婚してから25年間の通勤はずっと車通勤だった。2000年に東京の本社に転勤になって、車通勤が終わった。
結局自分が乗った車は、カローラから始まって、コロナではなくて日産ブルーバード、次のマークⅡは高いのでチェイサー。そしていよいよクラウン・・という所で、ずっこけてヴィッツ。結局「いつかはクラウン」に届かなかった。まあ車通勤が終わったことも大きい。
でも今のヴィッツはとても便利・・・。
自分は新車を買って乗りつぶすのがモットー。最初のカローラは、ちょうど10年乗ったが、クラッチが滑って坂道を登らなくなったので、諦めた。
次のブルーバードはひどかった。パワステがガリガリ音を立てたり、発電機(オルタネータ-)が壊れ、それを知らずに乗っていて、カミさんが走行中にバッテリーが上がったところでエンジンストップ、という危険な目にも遭った。これは実に危ない状況。その後オートマのトランスミッションが壊れ、まさに多臓器不全に陥ったのが8年目。3年車検になるまで12年乗るとい自分のモットーが崩れた。日産とは相性が悪かった。
カミさん用に買ったマツダのファミリアも色々問題があった。そんな事で、自分はトヨタ派になってしまったのだ。

おっと、話が思い出話に行ってしまった。
最初の車を買ったときから、燃費が単なるカタログ値であることは車好きの同僚から教えられていた。でもさすがにチェイサーの新車で、初めてガソリンを入れたときのショックは未だに覚えている。確か1リットルで5.6Kくらいだった。こんな燃費でこれから乗るのか・・・とガックリした。
燃費のカタログ値は、もはや誰もこの値にビックリする人はいない。それほどに、国内車の燃費は誰も見ていない。信用していない。そんな形骸化した値は無意味なのだが、メーカーはその値に血眼になる。どのメーカーも同じスタンスなので、相対的には信用出来る。よって値は違うが順番は同じ結果・・・。でも外車との比較では矛盾だらけ・・・。
ふと疑問に思った。海外でも日本同様の法令による燃費表示になっているとすると、同じ車を海外で販売する場合、カタログにはどんな燃費の値が載るのだろう。
例えばプリウスの日本のカタログ値の38キロが、米国では何キロ?英国では??

もう卒業した“車熱(車に対する情熱)”・・・。ヴィッツが一番だ。それが我が家の“悟り”である。(今夜は、つい車の思い出に浸ってしまった・・・・)

| コメント (1)

2011年1月28日 (金)

「知的障害者―捜査の全面可視化を急げ」

今朝の新聞各紙に、村木さんが「検察の在り方検討会議」に出席した記事が載っていた。朝日新聞には・・・

村木元局長、取り調べ可視化を提言 検察の在り方会議
郵便不正事件で無罪判決が確定した厚生労働省の村木厚子・元局長が27日、事件を受けて法相が設置した「検察の在り方検討会議」(座長・千葉景子元法相)に出席。大阪地検特捜部の取り調べを受けた体験から、「検察の調書がまともなものか担保するために、取り調べの可視化は必要だ」と語った。取り調べの際に弁護士が立ち会うことも認めるべきだと提言した。・・・」(
2011/01/28付「朝日新聞」p33(ここ)より)

一方、先日の同じ朝日新聞の社説に重いテーマの記事が載っていた。知的障害者に対する検事の取り調べについての論である。曰く・・・

知的障害者―捜査の全面可視化を急げ
放火事件でいったん起訴した男性について、大阪地検堺支部は起訴を取り消した。異例のことだ。
公判前に否認に転じた男性の弁護士が、取り調べの様子を記録したDVDの提出を検察に求めた。
そこには、男性が何度も説明に詰まりながら検事の質問をおうむ返しにする様子などが録画されていた。「自白調書」を確認する際に検事が誘導していたことは明らかで、これが取り消しの決め手となった。
男性は昨年1月、職務質問された際にライターを持っており、周辺で相次ぐ不審火を自供したとして大阪府警に逮捕された。
男性には知的障害があった。福祉サービスを受けるための療育手帳を所持しており、捜査官も知っていたが、特段の配慮はみられなかった。
そのため、弁護士が府警と地検に取り調べをすべて録画する全面可視化を求めた。物事をうまく説明できず、質問の意味を理解しないまま容疑を認めるおそれがあると考えたからだ。
ところが府警はこれに応じず、地検も取り調べの最後の場面を録画しただけだった。だから検事の誘導は証明されたが、どの時点で不当な取り調べが始まったかといった点は分からない。
起訴した検事の責任が重いことは言うまでもない。それにしても、決裁した検察幹部がDVDを見なかったのだろうか。郵便不正事件と同様に都合の悪い証拠には目をつぶったのか、それともチェックが甘かったのか。
検察も府警も捜査の経緯を徹底的に検証して公表しなければならない。
取り調べは原則として全過程を録画すべきだ。とりわけ知的障害者の事件は、全面可視化を急ぐ必要がある。
今回のように裁判員裁判の対象事件に限って検察は、一部可視化に取り組んでいる。しかし、窃盗など対象外の事件で調べられる知的障害者も多い。取り調べは密室で行われ、捜査官による誘導を立証するのは難しい。
知的障害者の取り調べには弁護士のほか、本人の障害の特性をよく知る親族や支援者の立ち会いを認めてはどうだろうか。冤罪(えんざい)を防ぐだけではなく、事件の真相を究明するうえでも必要な措置だ。
何より、取り調べにあたる警官や検事が容疑者の知的障害に気づいたら、普段にもまして適正な捜査を心がけるべきである。
障害に対する基本的な知識を身につけるため、捜査関係者を対象に、専門家による研修を進めてもらいたい。
大阪弁護士会は知的障害者の刑事弁護マニュアルをつくり、相談窓口も設けている。参考になる動きだ。
自分を守る能力が弱い知的障害者の捜査では、人権により配慮するのは、当然のことだ。」(
2011年1月25日付「朝日新聞」社説より)

この記事を読みながら、“有り得る”、いや“たくさんあるだろう”と感じ、ゾッとした。
村木さんのような現職の官僚幹部の“健常者”でさえ、このありさま。
まして知的障害者が、怖い警察官や検察官相手に、自分の無実を訴えることなど出来るわけがない。つまり警察に連行されてパニックになり、警察・検察の言いなりになってしまう。そしてオウム返しの供述証書が作られてしまう・・・。そしてその調書“だけ”に基づいての判決・・・
今回はたまたまDVDがあったので異例の展開となった。でも今回の府警のように、幾ら弁護士が録画を求めても、警察が拒否すれば、全ては闇の中に葬られてしまう現実・・・。まさに“怖ろしい”としか、言いようがない。

前に、映画「筆子 その愛」の山田火砂子監督が、「刑務所に入っている人のうち23%が知的障害を持っている人だ」と言っていたことを書いた(ここ)。
確かに、生きるために刑務所に入る人も居るかも知れない。しかし、警察・検察の誘導尋問に乗って、えん罪で服役している人もたくさんいるのかも知れない。
それらの“現実”に対して、日本の社会は、このような社会的弱者を救う手立てをどう取っているのか・・・。事実をキチンと見極める努力をどの程度しているのか・・・・
現状は、「“調書で”本人が有罪と認めている」という型どおりの返答しか得られないのだろう。

検察庁の改革の道筋が未だ見えない。特に可視化の問題が分かり易い。物事は「正」もある反面、必ず「負」の部分もついて回る。屁理屈で、何とでも反対意見が言える。要は、それで“何もしない”のか、それとも少しでも“前進する”のか、である。
先日、検事総長が替わった。検察の現場は未だ危機感が乏しいので、それに対するショック療法だという。これで少しは検察の現場も正気に戻ったのだろうか・・。

繰り返すが、この社説で指摘されていることで一番怖ろしいことは、「療育手帳を所持しており、捜査官も知っていたが、特段の配慮はみられなかった。 」という部分。容疑者がどのような人かを理解しようとせず、“自分のストーリー”に乗せることだけが仕事と割り切っている検察官の姿・・・。まさに言語道断。
もっとも、先の村木さんの記事(ここ)で、「村木さんは逮捕後の取り調べで、担当検事から「私の仕事はあなたの供述を変えさせることだ」と言われてショックを受けた。「たくさんの検事によって『事件に関わった』という調書がなぜ作られたのか。チームで調書が作られたことを大変恐怖に感じた」という。」という部分を読むと、知的障害者の調書など、赤子の手をひねる以上に、たやすいこと。

そして現実は、たかだか“取り調べの可視化”で揉めているという。色々な理由を述べているが、検察・警察組織の保身にしか見えない。世界の例をそのまま導入しても良い。とにかく何かしないと、日本の弱者は、保身という国家権力によって踏みつぶされてしまう。

「検察の在り方検討会議」の議論もあろうが、先ずは交代した検事総長の改革に向けた(現場の保身を押さえる?)リーダーシップに期待したいところだが、どうだろう・・・

| コメント (0)

2011年1月27日 (木)

「自転車にも強制保険を」

当サイトお気に入りの日経新聞のコラム「インタビュー領空侵犯」。先日「自転車にも強制保険を」という記事があった。曰く・・・

自転車にも強制保険を~利用者は“車両”と自覚せよ
   東京大学教授 山内昌之氏
――自転車の利用者に厳しい意見をお持ちだとか。
「高齢者や一部の子どもを除き、自転車が歩道を走ることは2008年の道路交通法改正でも原則として禁止されています。しかし、依然として我がもの顔で歩道を走り回る自転車が後を絶ちません。自転車が加害者になる事故もかなり発生しているのではないでしょうか。そこで提案したいのが、強制保険制度の導入です。自動車と同様、自転車を利用する人全てに保険加入を求めるのです」
「私自身も数年前、歩道を歩いているとき、後ろから猛スピードで走ってきた自転車に衝突され、横転しました。幸い骨折や後遺症もなくすみましたが、あのときのショックと恐怖はいまだに忘れられません。ぶつかられないまでも傍若無人な自転車にひやひやした経験を持っている人は多いと思います。事故は決して人ごとではありません」
――強制保険の仕組みがあればそうした歩行者の泣き寝入りが減ると?
「実際の事故の補償にも役立ちますが、保険の効果はそればかりではありません。応分の費用負担が生じることで、自転車の乗り手に安全に対する意識の向上が期待できるのではないでしょうか。自転車の利用者には、自転車は歩行者でなく、クルマの延長線上の乗り物であり、歩行者にとっては凶器にもなり得るという自覚を、保険を通じてぜひ持ってほしいと思います」
――ただ、車道は怖いし、費用負担に対する不満も出そうです。
「歩行者の多くいる歩道では自転車から降りて押す、百歩譲って、せめて最徐行するぐらいのマナーがあれば、ここまで目くじらをたてることもないのでしょう。しかし、そういう利用者が果たしてどれだけいるでしょうか。もはや利用者の良識に期待する段階はすぎたと考えています」
「それに、高齢化社会を迎え、歩道を歩く高齢者が着実に増えているという現実を直視すれば、今後自転車が歩行者をはねるといった深刻な事故が増えるのは確実でしょう。そのためにも保険の制度化は避けて通れないのではないでしょうか」
――そもそもの問題は道路行政の貧困さにあるという意見もあります。
「その見方には私も賛成です。本来は自転車専用レーンの整備などをもっと行政が進めるべきでしょう。ただ、そうだからといって、歩行者が割を食ってもいいという理屈にはならないはずです。私自身はまず自転車に乗りません。人混みでは絶対乗らないことにしています。自転車利用者には甘えるなと強く言いたいですね」
(聞き手から)
車に比べ交通弱者だから、というのが歩道通行容認論の背景にある。だが、徐行もせず人混みを走り抜ける金属の塊が「弱者」なのか。自転車と歩行者の事故は近年増え続けている。日本の人口が減少する中、大都市圏の高齢者は急増する。利用者が歩行者の懸念に無自覚のままなら、規制強化論はもっと強まるだろう。(編集委員 館道彦)」(
2011/01/24付「日経新聞」p5より)

自分も犬を連れて散歩しているとき、音も無く迫って来る自転車に何度か怖い目に遭った。人間よりも、飛び出した犬が自転車に轢かれるのではないかと、そちらの方が心配・・・。でも歩道を自転車が通るのは仕方がないこと・・、と諦めていた。
それが、2008年7月に自転車が歩道を通ることが禁止されたという。なるほど、警視庁のホームページに確かに書いてある。(ここ
1)自転車は、車道が原則、歩道は例外(【罰則】3ヵ月以下の懲役又は5万円以下の罰金)
2)車道は左側を通行~右側通行は禁止されています。(【罰則】3ヵ月以下の懲役又は5万円以下の罰金)
3)歩道は歩行者優先で、自転車は車道寄りを徐行(【罰則】2万円以下の罰金又は科料)

これだけの罰則があるに、なぜそれが守られていないのか・・・
それは、その改定が知られていないから?警察の指導が不足しているから??そして警察が取締をしていないから?
理由は良く分からない。でも自転車事故は多い。

半年ほど前だったか、会社の上司の奥さんが横断歩道を渡っているときに、通勤の自転車にぶつけられ、足の骨折の重傷を負ったことがあった。でも自転車には保険はない・・・。ぶつけた当人も途方に暮れたが、幸いにも自転車での“通勤の途上”と認められ、会社の何かの保険が適用されたとか・・・。
車と違って、自転車事故の損害賠償は大変・・。全て自費となる。よって自転車に乗る人の自覚の意味でも、強制保険という手段も有り得るかも知れない。

先日テレビで、皇居の周囲をジョギングする人が多く、歩行者にぶつかって危ない。というニュースをやっていた。自転車もそうだが、早いもの、大きいものは気が大きくなる。道路で、大きなダンプカーが軽自動車に対して“態度が大きくなる”のと同じ・・。自転車もジョギングをしている人も、歩行者に対して同じように気が大きくなっているのでは? そこどけ!そこどけ!・・・・。だから歩行者優先が守られない・・・

話は飛ぶが、前にこれと同じ「領空侵犯」の記事を元に「「子ども1人に月10万円支給したら?」~大和証券 清田会長の話(ここ)」という記事を書いた。それが2009年3月25日だった。
その半年後、2009年8月の総選挙における民主党のマニフェストに子ども手当が載り、2010年4月から子ども手当が実施された。
この“自転車の強制保険案”も、同じような流れで、意外と実現するかも・・・??

●メモ:カウント~155万

| コメント (1)

2011年1月26日 (水)

今日から週休3日制・・・

大きな声では言えないが、実は今日から週休3日(週4日勤務)制に移行した。
自分の場合、54歳で子会社に移籍。60歳定年を迎えたが延長戦で1年半。そして昨年の7月から今の会社に移って1年半。その会社も63歳以降は、嘱託契約の条件が大きく変わるという。それならば・・ということで、それを機にフルの週5日勤務から週4日勤務に変えてもらった。よって休日は、従来の(土)(日)+(水)。
それで、契約更新後の初めての休日が本日・・・というわけ。

このトシになると、給料よりも休日が欲しくなる。毎朝5時半の起床はツライ・・。
たまたま同僚が昨年、60歳定年後の嘱託契約に際して週休3日にした。それを見て、自分も・・・、と密かに機会を窺っていた。その機会が偶然に訪れた、というわけ。

夢のような(?)、毎週中日の(水)の休日・・。“フル勤”歴41年・・。人生の大きな転換点だ。
サーテ・・・と嬉しくなったのも最初だけ。“その日”が近付くにつれ、それが当たり前に思えてくるのが何とも不思議・・。つまり、週4日勤務が決まってからの日々は、段々と5日勤務が“ヘン”と思えてくる。何とも図々しいというか・・・。
でもこれは自分にとって、恐怖の“サンデー毎日”への第一歩であることは確か。いわゆる慣らし運転である。
今までは、何をやろうにも「時間が無い」ので出来なかった。でもこれから、やるぞ!
「それで何をするの?」
「・・・・」(←特に“案”がない・・)

まったく困ったものだ。こままでは、いつものダラダラ休日を過ごすことになりそう・・・。

昔、週休2日制になった時、(日)は従来通りの休日だが、新たに休日になった(土)は、自分を高めるために時間を使うべし・・・・、ナンテいう話があった。
よって、この毎週(水)は、今までの(土)(日)とは違う使い方にしたいもの。
一方、カミさんは自分の新たな(水)に何をやらせようかと虎視眈々と狙っている。これには“警戒”が必要・・・

初日の今日は、カミさんと聖蹟桜ヶ丘にクツを買いに行った。前にカミさんが、タコが出来て困っていたが、1年前に口コミである店のクツに替えてから良くなったというので、自分も最近の足の不調対策にその店のクツを買ってみようというもの。
店の人が自分の足や姿勢を色々と測定する。結果は、自分の場合、歩くときに右足を少しひねって歩くクセがあるという。だから足の指の付け根が痛くなったり、ひざに来たりするのだという。選んでくれたクツはまさにピッタリ。しかし踵(かかと)が少し緩い。そして、クツの下敷き(インソール)を自分の足に合わせて作って貰った。これ以上合わせるには、特注でクツを作るしかない・・。さて、効果の程はどうか・・・

さすがに今日は(水)。店も空いている。
昔、若い頃、皆が有給休暇を取らないので、労働組合が有休消化運動をしたことがあった。その時に、何人かで一緒に有休を取って、習いたてのゴルフに行った。その時のむず痒さに似ている。どこか後ろめたいような気分・・・
まあこんなのも今日だけ。直ぐに当たり前になってしまうだろう。
さて来週の(水)は何をしよう・・・・。映画?読書?テレビでオペラ?(料理だけは逃げたいが・・・)
サラリーマン人生も、段々と終盤に向かう自分ではある。

| コメント (0)

2011年1月25日 (火)

「慢性痛は4.4人に1人」

前にも書いたが(ここ)、最近老化のせいか、体のあちこちが痛くて困る。幸い、ひざの調子だけは現在はよいのでラッキーだが、このところ自信喪失・・・
先日の日経新聞の「今どき健康学」というコラムに「痛み」についての記事があった。曰く・・・

慢性痛は4.4人に1人
調査は2010年6月から7月にかけてインターネットを使って実施した。慢性痛の条件として「最初に痛みを感じてから現在まで3カ月以上痛みがある」「慢性的な痛みを一番最近感じた時期は1カ月以内である」「慢性的な痛みが少なくとも週2回以上ある」などをあげた。
まず、4万1597人に慢性的な痛みをもっているかどうかを聞き、「もっている」と答えた5998人を対象に痛みの状態や治療状況などについて答えてもらった。
慢性痛にはいろんな原因があるが、調査では「腰痛」と答えた人が全体の55.7%と最も多かった。次いで「四十肩・五十肩・肩こり」の27.9%、「頭痛・片頭痛」の20.7%、「関節炎」の12.9%の順だった(複数回答)。
次に、その痛みは和らいでいるかどうかを質問した。治療の満足度を聞いたわけだが、「はい」と答えた人は29.3%、「いいえ」と答えた人は17.1%だった。これに対して、「あまり変わらない」とした人は全体の半分以上にあたる53.6%いた。
また、慢性痛によってやる気をなくしたり(そう思うと答えた人の割合は76.7%)、いつも疲れた感じがする(70.5%)、いらいらしたり、精神的なストレスを感じる(66.1%)などと答えていた。
治療の意向を聞いたところ約8割が「しっかり治療したい」と答えており、「新しい治療があれば試してみたい」人も約7割いた。
一方、「(痛みは)一生つきあっていくもの」(61.3%)、「ある程度我慢すべきもの」(52.7%)という答えもあり、半ばあきらめている人も多かった。
調査を指導した日本大学医学部麻酔科(東京)の小川節郎教授は「痛み治療に関する認識の低さは医師にも患者にもある。調査結果を慢性痛治療の課題解決に役立てたい」と話している。(江戸川大学教授 中村雅美)」
(2011/01/23付「日経新聞」p10より)

ある集団で、慢性痛を持っている人の割合は14.4%だという。年代に無関係な集団を想定すると、そんなものか・・・。でもシルバー世代に限ってみると、もう少し多くなるのだろう。それにインターネットを通じた調査なので、高齢者などインターネットにあまり縁のない人は統計に表れない。だから我々シルバー世代は、実際にはもっと多いと想定される。

先日、昔録っておいたNHKのドラマ「火と魚」(ここ)をまた見た。都会の売れっ子作家が、がんを体験したことで、酒・女・タバコに縁を切って、小島に移り住む。そして健康的(!)な生活・・・。ドラマの中で「1日3時間歩いている」と豪語する。

誰も、そんな体験をすると人生観が変わるもの。しかし“健康”に向かって何をするにしても、“どの程度か・・”が難しい。やり過ぎれば、それはかえってストレスになって体に跳ね返ってくる。つまり歩き過ぎれば、足を痛める・・。しかも個人差があるので、幾らが理想かは、一概に数字では言えない・・。

最近強く思う。体は“いつ何どき”故障するか分からない。腰痛を筆頭に、ひざが痛くなったりして、いつ歩けなくなるか分からない。
また最近思うのは、体の対応力の低下だ。例えばクツ。どんな履き方をしていても、今まではどうっていうことが無かったのに、この所、“我が足”はそれが不満でどうも悲鳴を上げているようだ・・・
よって特に海外旅行などは、“今すぐに”(=行けるときに)行っておいた方が絶対に良い。「そのうち」は“結局行かない”と同義になってしまう。

それに“意欲”も問題。自分など、まだまだ現役なのに(?)、色々と面倒な海外旅行よりも、段々と温泉宿の方が良いと感じるようになって来る。
善は急げ・・・かもね。

| コメント (0)

2011年1月24日 (月)

「高齢化韓国 自尊心の行き場」

だいぶん古い記事だが、先週の日経新聞に「(地球回覧)高齢化韓国 自尊心の行き場」という記事があった。曰く・・・

「高齢化韓国 自尊心の行き場
「退職したら、長年の経験を生かせる仕事は何もなかった」。携帯電話部品を製造する中小企業の社長だったキムさん(57)は3カ月前、ようやくソウルでタクシー運転手の仕事を見つけた。再就職がうまくいかないときは「自殺も考えた」が、高校生の息子や家族のことを考え思いとどまった。「社長だったのに、という自尊心を捨てるのが大変だった」
・・・
韓国は2008年の金融危機からいち早く回復し、10年は6%成長を達成した。それなのに、なぜ働き口が少ないのか。探っていくと韓国が直面する根深い社会問題が浮かび上がる。
朝鮮戦争後の1955~63年に生まれた「第1次ベビーブーマー世代」約700万人が55歳の退職期を順次迎えている。だが、年金をもらえるのは60歳から。サムスン経済研究所の金貞根(キム・ジョングン)首席研究員は「大半は5年間無職だと生活できないし、その後も年金だけでは不十分」と説明する。
サムスン電子など世界トップ企業はあるが、国全体で見ると裾野産業は育っていない。新卒の一流大生でさえ就職難で、急増している高齢者の再就職は限られる。
「引退後30年を準備しなさい」。こんな本が読まれている。著者で元統計庁長の呉鍾南(オ・ジョンナム)氏(58)は「平均寿命が80歳に達し高齢者人口が10%を超えて、韓国人が老後の不安を自分のものと実感し始めた」と解説する。
おカネの問題だけではない。メンツを重んじる韓国人は「自尊心」という言葉をよく使い、高齢者ほどその傾向は強い。だが「自分を変えなければ残りの人生を生きていけない」(呉氏)という切迫感から自尊心を捨てることを余儀なくされるケースも多い。その葛藤が怒りを増幅し、矛先は政治に向かいがちだ。
・・・・
李大統領は新年演説で「高齢者ほど貧富の格差が大きい現実を直視しなければならない」と高齢化対策に本腰を入れると言明。65歳以上に支給される地下鉄無料パスも登場した。一方で大統領は「無差別な恩恵で歓心を買おうとする福祉ポピュリズムは財政危機を招く」とクギを刺す。
総選挙と大統領選を来年に控え、高齢者対策は争点の一つだ。野党民主党は「無償給食・無償医療・無償保育」を重要政策に位置付けた。与党ハンナラ党でも朴槿恵(パク・クンヘ)元代表が「福祉」を旗印に独自のシンクタンクを発足。他の有力候補も相次ぎ「大統領のポピュリズム批判」論争に参戦した。
運転手のキムさんは「私に合う政策の大統領が選ばれたら」と願う。選挙に向けてばらまき競争が始まれば、高成長で存在感を高める韓国の足かせになりかねない。」(
2011/1/18付「日本経済新聞」p8より)
(ポピュリズム=「民衆の利益が政治に反映されるべきという政治的立場」~wikiより)

お隣の国、韓国でも、バラマキが流行っているらしい。しかしこんな記事を読むにつけ、韓国も決して“サムスンだけではない”のだと気付く。驀進中の韓国でも、“色々ある”のだ。
イタリアでは大統領の不祥事疑惑で大騒ぎ・・・。英国では財政再建で消費税の大幅増税。まあ“色々ある”のは日本だけでは無いらしい。

今朝、電車の中で聞いたNHKラジオ深夜便の「明日へのことば~書に求めるもの~書家 武田双雲」(2011/01/23放送)で双雲氏が「感謝メガネ」を提唱していた。何事にも正と負の両面がある。負の部分ばかり挙げ連ねて「あら探しメガネ」でお互いを非難するのではなく、良い面を見る「感謝メガネ」で見たら随分と世界は変わる・・と言う。確かに、“リーダーシップが無い”という指摘も、リーダーシップを取った途端に、“独善的だ”と非難される。何事も両面があるということ。
せめて家の中だけでも感謝メガネで見たら、どんなにか家庭が平和になる??

1101240120nikkei 話は“ぶっ飛ぶ”が、先週の新聞で、頭から離れないグラフがあった。それでやっと見付け出したのがこれ・・・。(2011/01/20「日経新聞」夕刊1面より)(写真はクリックで拡大)
米・中と日本の名目GDP推移のグラフだが、日本が1995年以降、どうにかなっちゃっている・・・。原因は??

ともあれ、当サイトも双雲氏の提唱に合わせて、「日本だけ何でGDPが停滞しているのだ!」ナ~ンテいう非難めいた言葉は慎むことにしようか・・・。(←たぶん守れないと思うけど・・・)

| コメント (0)

2011年1月23日 (日)

居間の照明をスポットライトに替えた

今の家を建てたときのキャッチフレーズは「それでなくても暗い世の中(家庭?)。照明位は明るくしようぜ」。それでどの部屋も昼光色の蛍光灯で明るくした。居間のダウンライトなどは、前の家であまり使わなかったので、廊下以外では採用せず。
そのポリシーが崩れたのが、2009年9月(ここ)。昼光色一筋だった蛍光灯の色が、電球色に変わった瞬間・・・。

それなのに、また一歩進んで(?)、「居間の照明をスポットライトにする」とカミさんが言い出した。何だか「喫茶店のようにする」のだそうだ。最近、とある出来事からカミさんの言う事には、からきし弱い自分・・・・。
スポットライトなど、商店用だけで家庭用など無いだろう・・・ナンテいう心配は、Netで調べて吹っ飛んだ。家庭用の色々なタイプのスポットライトがあるではないか。天井に付いているシーリングのローゼットに簡単に取り付けられる製品が色々ある。
そこで年末に、行き付けのジョイフル本田(ここ)に、どんな製品があるのか、現物を見に行った。フロア一杯に色々な照明が並ぶ。スポットライトも色々ある。取り付けの仕組みも現物を見るとよく分かる。あまりライトのビームが絞られていない方が良いな・・。効率からはやはり光源は蛍光灯か・・・、等々。選んだモノを店の人に聞いたら、在庫はないという。そこで候補の器具をメモして帰った。

正月のバタバタが終わって、カミさんからまたその話題が浮上・・・。しばらく話が無かったので、忘れたのかな・・・と思ったのは大甘・・・。仕方なく通販で手配・・・。しかし通販は安い。6千円のスポットライト1個が4千円・・・。取り付けレール(スライドコンセント)も9千円が6千円・・・・。
ライトを何個取り付けるかが問題。前に100Wのシーリングライトを付けたら明るすぎて困った。それで今回は、22W×4=88Wと想定。まあ3つでも良いのだが、暗くて後から1個追加するのも面倒なので、4つ注文。

P10900611 それで取り付けたのがこんな具合・・・(ちなみに天井が汚いが、20年以上壁紙を替えていない事による。犬が騒ぐのと、キッカケがないので替えないと、カミさんが言う・・)(写真はクリックで拡大)

ここからが本題なのだが、点灯してみて後悔・・・!? あまりに暗く、4つでは足りなかったか・・・・。困った・・・
部屋を出て、しばらくして戻ってみると、何と明るい・・! これは何だ??
消してみる。でも点けると明るい。製造したばかりなので、最初だけ立ち上がりが悪いのかな・・と勝手に納得。
その後、消灯してしばらくして点けたら、また暗い・・・。
そこで慌てて、捨てようと縛ったランプの箱をもう一度拾って注意書きを読んだ。すると「周囲温度が低い場合、明るくなるまでに時間が掛かります。」「点灯後約10分間は明るさや光色が若干変化します。」と書いてあるではないか・・・
Netで見ても、電球型蛍光灯は、最初は暗いことが当たり前らしい・・・
大きい声では言えないが、知らなかった・・・・。

リクエストしたカミさんに「最初が暗いのが気に食わん」と言ったら、「全然問題ない・・」との返事・・・
確かに、水銀灯などの放電燈は段々と明るくなるのは常識。でも家庭用の蛍光灯が同じ現象とは・・・・
次に買うときは、点灯時間の少ないものを探そう・・・。
とうとう居間が電球色のスポットライト照明になってしまった。でもまあ2万円ちょっとでカミさんの機嫌が良くなれば儲けモノか?? (これで「駅前のマンションに引っ越す」というカミさんの声を、どの位押さえられるか・・・。それが問題だ)

| コメント (0)

2011年1月22日 (土)

昭和43年の出来事(21歳)~布施明の「愛の園」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの22回目。自分が20歳から21歳、つまり大学2年生から3年生になった昭和43年(1968年)の出来事を調べてみる。

この年、自分は大学3年になった。学校近くの下宿に移り、新しい生活が始まった。夜はもTc2551 っぱらヘッドホンで音楽を聴いていた。友人から借りたLPレコードをSONYのTC-255というオープンデッキに録音し、繰り返し聞いた。この年と翌年の2年間は、マーラー(ここ)と布施明とブルー・コメッツ、そして森山良子だけ(?)を聞いたように思う。ヘッドホンはSTAXのコンデンサーヘッドホン(イヤスピーカー)SR-3。その後、SR-Xを買ったが、いつ頃買ったのか良く覚えていない。(写真はクリックで拡大)

この年は府中で3億円事件が起きた年。12月10日朝、東芝府中工場のボーナス3億円をS43 積んだ現金輸送車が、白バイを装った男に奪われた事件で、死傷者無し、犯行時間は3分。結局犯人は捕まらずに時効。何とも歴史に残る名(?)事件となった。
金嬉老事件やメキシコオリンピックもこの年。金嬉老事件では、お陰で寸又峡温泉が“すまたきょう”と読んで貰えるようになった・・。と現地の人が言っていたのを思い出す。
食料品では、インスタントラーメンの「出前一丁」「サッポロ一番みそラーメン」が発売され、「ボンカレー」や「かっぱえびせん」もこの年に発売されたという。どれも現在に続く長寿商品である。
そして7月からは郵便番号制度が実施され、今の携帯電話の流れにつながるポケットベルのサービスも始まった。
全国的に学生運動が激化し、東大安田講堂の占拠などで東大の卒業式が中止、年末には次の年(昭和44年)の東大の入試の中止が発表された。自分の学校でも、授業中止が相次いだ。
東京オリンピックのマラソンの円谷選手が自殺したのもこの年(ここ)。
テレビでは、テレビアニメの「巨人の星」の放送が始まった(ここ)。
映画では「2001年宇宙の旅」。この頃は、“夢の未来”の21世紀だったようだが、もう21世紀も10年も経った。その現実は・・・?

この年のヒット曲としては、「君だけに愛を」(ザ・タイガース)、「伊勢佐木町ブルース」(青江三奈)、「花の首飾り」(タイガース)、「天使の誘惑」(黛ジュン)、「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)、「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)、「好きになった人」(都はるみ)、「愛の園」(布施明)、「今は幸せかい」(佐川満男)(ここ)、「ゆうべの秘密」(小川知子)、「恋のしずく」(伊東ゆかり)(ここ)、「小さな日記」(フォー・セインツ)(ここ)、「知りすぎたのね」(ロス・インディオス)などなど、名曲(否、自分の良く聞いた歌)が目白押し・・・。
中でも、ピンキーとキラーズはその斬新なスタイルで一世を風靡したもの・・・
またまた布施明で恐縮だが、今日は「愛の園」を聞いてみよう。どうしてもこの歌は挙げたいのだ・・・

<布施明の「愛の園」>

「愛の園」
  作詞:山上路夫
  作曲:平尾昌晃

そこには花が 咲いている
愛の花が 咲いている
いくら摘んでも 花はつきない
どこに どこにあるの 愛の園
ふたり ふたりだけの 愛の園

そこには夢が あふれてる
愛の夢が あふれてる
眠る二人を 夢がとりまく
君と 君と行こう 愛の園
ふたり ふたりだけの 愛の園

そこにはいつも ふたりだけ
愛し合ってる ふたりだけ
ちょうどアダムと イヴのように
君と 君と生きる 愛の園
ふたり ふたりだけの 愛の園

布施明の初期の作品は、自分の学生時代の色々な思い出につながる。「霧の摩周湖」(ここ)、「恋」(ここ)、「愛の園」、「愛のこころ」(ここ)、そして「愛の香り」(ここ)の初期の5曲は、どれも自分の宝の歌だ・・・。

大学の掲示板で家庭教師のバイトを見つけ、3人目を教えた。1年の時も、2年の時もやっていたので、ほぼ4年間やっていたと思う。確か週2回で月に3千円位だったと記憶している。他のバイトはあまりやらなかったが、それでも交通量のカウントなど、懐かしい・・・。どれも金欠病の学生にとっては助かった・・。

旅行はもっぱらユースホステルの利用で、2年の時の北海道を皮切りに、九州、四国、山陽などに行った。小説は山本有三と石川達三に凝ったのを覚えている。
あまり勉強はしなかったが、“天敵”の語学の試験勉強だけはやった。1年のとき、ドイツ語で留年した友人を見て、怖くなっただけ・・。だから、語学だけは授業にも真面目に出た。でも結局英語もドイツ語も身に付かなかったが・・・。

段々と“自分”を意識するようになった年頃であった。

←BACK                       NEXT→

| コメント (5)

2011年1月20日 (木)

東洋大学の「現代学生百人一首」

先日の朝日新聞の天声人語に、「現代学生百人一首」なるものが載っていた。曰く・・・

「〈先生がニコっとして言う「がんばるな」私の中で「がんばれ」になる〉と北海道の高3の女生徒久島紗貴さん。東京の高1女子河合光葉さんは〈「頑張って」背中に掛かるその言葉時に重荷に時に翼に〉とうたう。今年も東洋大学から「現代学生百人一首」が届いた。
24回目となり、全国から6万余首が寄せられた。人生を一日にたとえるなら、明けゆく朝を生きる彼ら。逃げ足の速い青春を紡ぐ言葉は、三十一文字(みそひともじ)というより「サーティーワン」とでも呼びたくなる。
若い日に、友達が「人生」を教えてくれる。〈旧友が声変わりしてふと気づく違った道を歩む僕らに〉中3、三谷航平。ときに自分がくすんで見えることもある。〈夢語る友の横顔まぶしくて隣にいるのに遠く思える〉高3、藤島由紀子。
入選した100首のテーマは様々だが、家族を詠んだ作も多い。〈そばをうつ父の姿を眺めてる母の視線はどこかあたたか〉高2、中山芙美。〈「アレ取って」以心伝心「はい、どうぞ」25年の夫婦の絆〉高3、澤田知里。
とはいえ反抗期。〈ひとり見る夏の夕日のうつくしさ今日なら母に謝れるはず〉高1、石井優希。将来への心配に揺れもする。〈就活で不況の闇に呑(の)み込まれ嵐の波間を漂う九月〉高3、岩崎健悟。
だが、喜びを分かち合える幸せがある。〈泣きながら内定決まり一番に電話したのは大切な祖母〉高3、猪尾梓。小学生の部に〈おじいちゃんあんまりゆだんしていると王手しちゃうよまったなしだよ〉2年、藤原祐奈。冬の日だまりのような、暖かさ。」(
2011年1月19日付「朝日新聞~天声人語」より)

調べてみたら、「現代学生百人一首」は、東洋大学が「現代学生のものの見方・生活感覚」をテーマに日本全国の学生たちを対象に主催しているイベントだという(ここ)。そして選考は東洋大学の5人の教授があたっているという。

天声人語に取り上げられたもの以外で、気になった作品は・・・
「望まれて生まれてきたと思ってたブランコ漕いで月へ行こうか」(千葉県 麗澤中学校3年 大場あすみ)
⇒何か寂しいな・・・。せっかく貰った人生だ、明るく行こうよ!

「学校や予備校自宅皆別人本当の私はどこにいるの」(千葉県 県立津田沼高等学校3年 柴田祐希)
⇒世のサラリーマンだって、会社の自分と家庭の自分は様変わり。そんなものさ・・・

「朝七時乗り込む車両の顔馴染み他人だけれど何故か落ち着く」(千葉県 西武台千葉高等学校2年 高市尚音)
⇒最近、通勤電車で途中で降りる自分をめがけて、いつも自分の席の前に立っていたAさんが居ない・・・(ここ

「たばこ税もっと値上がりして欲しいそしたらきっと父も長生き」(東京都 星美学園高等学校3年 梨子田礼美)
⇒自分も独身の頃吸っていたタバコ。いまではそれが信じられない・・・。日本全国を禁煙ゾーンにして欲しいな・・・

「二年後は絶対ここにいるんだと強く思ったオープンキャンパス」(静岡県 県立御殿場南高等学校2年 勝又綾子)
⇒昔~し、今住んでいる団地の見学をした時、「そのうち我々もここに住みたいね」と話しながら歩いた道が、今ではお気に入りの散歩道・・・。散歩ルートは自称「“へ”の5番」!?

「祖父母たち支えて歩くお互いを私の憧れこんなカップル」(兵庫県 県立伊川谷高等学校3年 竹波愛菜)
⇒だいたい人間が枯れてくると、争う元気が無くなり、皆仲良くなるもの。争う人はまだまだ元気な証拠・・・(←ウチなんてまだまだ元気!)

blogを始めてから、文章を“ダラダラと”書くようにはなった。でも“五七五七七”を書く才能には恵まれていない。
昔、祖母が「ぬはり社」という短歌の同人誌をやっていた(ここ)。叔父も退職後、俳句に目覚めた。
よって、血統的には自分にも俳句・短歌の血はあるように思うのだが、どうも自分にその才は現れていない。まあ血統なんてそんなものさ・・・

あこがれの“五七五七七”ではある。

| コメント (1)

2011年1月19日 (水)

「いつかは読みたい本」ベスト10

先日の朝日新聞に「いつかは読みたい本」ベスト10が載っていた。朝日新聞の会員サイト2500人のアンケートだが、我々シルバー世代の“時間潰し”の参考になるかも・・・。
曰く・・・

<「いつかは読みたい本」ベスト10>
①紫式部「源氏物語」(489)
②司馬遼太郎「坂の上の雲」(272)
③トルストイ「戦争と平和」(240)
④ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(223)
⑤プルースト「失われた時を求めて」(209)
⑥柳田国男「遠野物語」(207)
⑦ダンテ「神曲」(187)
⑧「万葉集」(155)
⑨吉田兼好「徒然草」(139)
⑩太宰治「人間失格」(139)
⑪マルクス「資本論」
⑫タンダール「赤と黒」
⑬「旧約・新約聖書」
⑭ミッチェル「風と共に去りぬ」
⑮ゲーテ「ファウスト」
⑯松尾芭蕉「おくのほそ道」
⑰ユーゴー「レ・ミゼラブル」
⑱宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
⑲セルバンテス「ドン・キホーテ」
⑳ブロンテ「嵐が丘」
(2011/01/15付「朝日新聞」b2より)

自分がこのうち何冊読んだかって??そんなこと恥ずかしくて言えるわけ無いじゃないか・・・!?
Image05671 錚々たる顔ぶれ。自分もほとんどの本(の名前だけ)は知っている。なるほど・・・・(写真はクリックで拡大)
「源氏物語」は確かにそのうちに読んでみたい。「坂の上の雲」は2回ほどチャレンジしたが挫折した。テレビドラマでいいや・・。トルストイ、ドストエフスキーは取っ付きにくい。でも「カラマーゾフの兄弟」は新訳の文庫を兄から貰ったので、そのうちにチャレンジしてみよう・・。「徒然草」は抜粋を読んだ(ここ)。「レ・ミゼラブル」はジャン・ギャバンの映画の影響で、高校の時に読んだ。
高校の時は、図書館長だった国語の先生から「何でも良いから、たくさんの本を読め」と常日ごろ言われていたので、その影響が大きい。当時、河出書房新社から黄色の表紙の世界文学全集が出て、ロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」などを買って読んだもの・・。緑の表紙の「嵐が丘」や「ジェーン・エア」も懐かしい。

考えてみると、オトナになってからは、まるで古典を読んでいない。確かにキッカケが無いのだが、「そのうち・・」で良い・・と言われると、“そのうち”読んでみたくなる。
そう言えば、オペラもそうだ。長大なオペラを、なかなかじっくりと見る気にはなれない。オペラの名前こそ自分も色々知っているが、全曲を通して鑑賞したものは数えるほどしかない。ビゼーの「カルメン」、ワーグナーの「ニーベルングの指環」の4曲。それ位しかない・・・。
でも若い時から、せっせと録画だけはしている。ワーグナーにベートーベン、モーツアルトやプッチーニ。ヴェルディも・・・。これらのオペラも「そのうち」にじっくりと見るぞ!と思って録ってある。でもまだ見ていない・・・。
せっかくこの世に生まれ出た“この一生”・・・。せめてこの世の名だたる古典文学やオペラを、人生が終わるまでに一度位は鑑賞しないとこの世に生まれた甲斐がない??
でもまあ、「そのうち・・」と言っているウチに、人生が終わってしまうような気もするな・・・

| コメント (1)

2011年1月18日 (火)

ひざの痛みが治った???~続かない体操と靴ひも?

今日、会社の階段をトトト・・・と下りて気が付いた。アレッ?ひざが痛いんじゃなかったっけ・・・!?
備忘録として、先日、右足ひざの痛みについて書いた。(ここ)それが2日前の日曜日頃から、何となく痛みが少なくなったような気がして・・・。
その時に、カミさんに言ってみた。
「それがさ、ウコンとビタミンEを飲み始めたら(1/10~)、ひざが良くなってきてさ・・」
「・・・・」(←カミさんが無視した“音”)
しかたなく、
「それがさ、昨日の夜に、ひざの体操を始めたら、ひざが良くなってきてさ・・・」
「・・・・」(←カミさんが無視した音)
しかたなく、
「それがさ、このところ靴のひもを良く締めて靴の中で足が動かないようにしたら、ひざが良くなってきてさ・・・」
「・・・・」(←カミさんが無視した音)

“そんなわけ無いだろう・・・”。ま、そりゃそうだ・・・。でも病人は“救い”を求めるもの・・・

ウコンは結構色々なことに効くようだ。カミさんの近所の友だちが家庭菜園でウコンを作っているそうで(ここ)、ときどきその家庭菜園に行ってウコンのホンモノを貰ってくる。それを干して、粉にしてカプセルに詰める。このカプセル詰めがカミさんの“趣味”。カミさんのblogを見ると(ここ)、2007年12月(←今は止めているが、blogは備忘録としては実に便利・・)には始まっている。それに2008年12月にも記事があるので(ここ)、その頃にはこの趣味が“定着”したようだ。
それを、自分は冷ややかに見ていた。もちろん自分で出来上がったウコンのカプセルを飲むこともなかった。でも最近、何となく自分の体への自信が揺らいだこともあり、この10日から飲むことにした。別にひざのために飲むわけではないが、何か効能があるようなので・・・・

ひざの体操(ここ)は有効らしい。先日のNHKの番組(ここが聞きたい!名医にQ「ひざの痛み」~2011/01/15放送)によると、体操を始めて1週間くらいで状態が変わるらしい。
それに靴も大事らしい。NHKの「ためしてガッテン~ひざ痛」の本にこうある。
「このように横アーチがつぶれた状態は、比較的女性の方に多くみられます。加齢によるじん帯のゆるみや肥満などが原因になりますが、足に負担のかかる靴を履くことも誘因のひとつ。高いヒールの靴はもちろん多大な負担をかけますし、平らな靴の場合でも、靴ひもをしっかり結ばないで履いていると、靴の内部で足がすべって、足に負担がかかります。」(p77より)
つまり足が靴の中で動くと、足の負担が増してひざが痛くなることがあるようだ。自分の靴はユルユル。足を締め付けるのが嫌いなのと、いちいち靴紐を結ぶのが面倒なので、ひもをユルユルにして靴を履いていた。それでこれを読んでからの1週間、キチンとひもを解いて靴を履き、脱ぐ時も同様にキチンとひもをほどくことにした。すると何だが足が軽くなったような感じで、大変によろしい・・・。
まあ、どれが効果を上げたのか、または自然治癒なのかは分からない。しかも、みな初めてから数日・・。だからまだ効果が出るとは思えない。でも“たまたま”にしても、今日の痛みが無いことは嬉しい・・・

明日からまた痛み出す可能性もあるので、今のうちにメモしておかなくては・・・と、とりあえず書いたわけ・・・。(読んでくれる皆さんには迷惑な話だが・・・)

しかし、「続ける」ということがこれほど大変とは・・・
例えば体操。会社の机の中で、椅子に座ったまま足を伸ばすだけでも良い。と言われて、“よし頑張るぞ”と思ったのもその時だけ。フト気が付くと、まったくやっていない・・・。

考えてみると、何事も自分は続かない。幾ら体にガタが来ても、体が痛くても続かない。これはもはや“根性”のせいだな・・・・。“性根(≠根性)”を入れ替えなければ・・
カミさんは「続ける」という事が得意だという。これは男女差だろうか・・??それとも自分の自覚の無さか・・・。トホホ・・・

| コメント (1)

2011年1月17日 (月)

「雀のかあさん」~タイガーマスクの歌

今日は阪神大震災から16年目。今朝のテレビで、5時46分に一斉に黙祷している人の実況中継が映し出されていた。
あの日も寒かったが、このところ全国的に寒さが続く。日の出も遅い。
そう言えば、4年前に「朝が暗い・・・“日の出”時刻の研究?」という記事を書いたっけ・・(ここ)。どうも朝暗いのは苦手なのだ・・・。
それによると、日の出の時刻は、今日は最も遅い時期を抜け出して少し早くなった。と言っても東京の場合、6:51が6:50に1分早くなっただけだが・・・(ここ

さて、このところ新聞ネタばかりで恐縮だが、昨日の朝日新聞の天声人語が心にとまった。曰く・・・

「小鳥の情愛はなかなか深い。例えばシジュウカラは、雛(ひな)を天敵から守るため、鳴き声を使い分けているらしい。立教大院生の鈴木俊貴さん(27)が、21組の親子の実験で突き止めた。
剥製(はくせい)のカラスを巣箱に近づける。親は外からチカチカと鳴いて知らせ、雛はカラスのくちばしが届かない底に身を潜めた。次は透明の箱に入れたヘビ。親の声はジャジャと濁り、雛たちはまとめて丸のみされぬよう巣を飛び出したという。まさか「地下地下」「蛇蛇(ジャジャ)」ではなかろうが、弱者なりの知恵に驚く。
どの子も救おうと声をからす親と、けなげに聞き分ける子。金子みすゞの「雀(すずめ)のかあさん」がチクリとくる。 〈子供が子雀つかまへた。その子のかあさん笑つてた。雀のかあさんそれみてた。お屋根で鳴かずにそれ見てた。〉
そのスズメに一人っ子が増えているという。こちらは岩手医科大などの研究だ。去年の繁殖期、全国の愛好家に雛の数を調べてもらうと、商業地で平均1.4羽、住宅地が1.8羽、農村部でも2羽だった。4~5羽も珍しくない鳥だから少子化である。
都会ほど瓦ぶきの家が減り、広い巣を作れる場所が減ったせいらしい。国内のスズメは20年で半減したともいわれる。この鳥の親も懸命に鳴き分けて、1羽2羽を守っているに違いない。
小さきものたちの大きな愛を知るにつけ、保護者の顔をしたカラスやヘビに育てられる子を思う。しつけに名を借りた虐待を前に、被害児は泣き分けるすべを知らない。せめて隣家から漏れ来る「子苦子苦(シクシク)」の声を聞き分けたい。」
2011/01/16付「朝日新聞」「天声人語」より)

ここで紹介されている金子みすゞ(ここ)の「雀のかあさん」という詩が、何とも心を揺さぶる。この詩は小学校の教材にもなっているらしい。

最近、タイガーマスクの主人公・伊達直人などの名前で児童養護施設へランドセルなどの贈り物をする現象が続いている。
あまり寄付という習慣のない日本人は、ふとニュースでそれを聞いたとき、「自分も・・・」と思い立ってもどうするかが分からず、同じようにタイガーマスクのマネをするのだろう。そこには日本人の優しさと、寄付文化の希薄さが垣間見える。
でも配分がなかなか難しいのでは・・・、とツイ心配してしまう。先日の新聞に、外国でサンタの贈り物として寄付したいという申し出を断った話が載っていた。施設の長は「サンタの贈り物として、子どもたちは大変に喜ぶでしょう。でも来年同じような贈り物が無かったら、自分たちは悪い子どもだったのでサンタが来なかった、と悲しむでしょう」と言ったとか・・・。

ところで、今回のタイガーマスクでテレビに良く出る「児童養護施設」とは、「保護者のない児童(乳児を除く・・)、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設とする。」(児童福祉法第41条)だという。昔は孤児院といったという。
子は親を選べない・・・。まさに先の「天声人語」の嘆きを思い出す。
虐待でなくても、16年前の阪神大震災で両親を亡くし、養護施設に保護された子どもたちも多かったのだろう。

前に取り上げたが(ここ)、タイガーマスクの歌でも歌って、この「タイガーマスク運動」が永続される事を祈ろう。(もっとも自分はタイガーマスクを知らない。この歌はカミさんのリクエスト・・・~調べたら、タイガーマスクの登場は1970年の頃・・。もう自分はサラリーマンだった・・)
何?・・自分は寄付しかたって??・・それはエーと・・・・・

<「行け!タイガーマスク」(新田洋、スクール・メイツ)>

    「行け!タイガーマスク」
      作詞:木谷梨男
      作曲:菊池俊輔

    白いマットの ジャングルに
    今日も嵐が 吹き荒れる
    ルール無用の悪党に
    正義のパンチをぶちかませ
    行け 行け タイガー タイガーマスク

    三本ロープの ジャングルに
    吠える野獣の 無法者
    縞のガウンをひるがえし
    やつらの牙を折ってやれ
    行け 行け タイガー タイガーマスク

    草も木も無い ジャングルに
    血を呼ぶ罠が 待っている
    フェアープレーできりぬけて
    男の根性みせてやれ
    行け 行け タイガー タイガーマスク

この記事と関係無いけど、先日カミさんが近所の友人から貰った花・・。パメラ・ヘザリントン“コロネーション”という花だそうだ。(写真はクリックで拡大)

P10900261

| コメント (0)

2011年1月15日 (土)

「幸福は文化芸術の力で」

昨日の日経新聞夕刊1面の「あすへの話題」というコラムに「幸福は文化芸術の力で」という記事があった。曰く・・・

幸福は文化芸術の力で
     文化庁長官 近藤誠一
世界は日本をこう見ている。世界一の長寿国(デンマークは29位)、第三の経済大国(同30位)、国際競争力六位(同9位)、世界で10番目に人間らしさが実現されている国(同16位)、一人当たり所得は17位(同5位)、これらの総合得点では世界第九位(同10位)。世界の人が住みたい国として日本を12番目に挙げる(同10位)。
以上は世界の各種の機関の調査結果である。「日本人はこんな素晴らしい国に住んで、さぞかし幸福でしょう」と言われてもおかしくない。現に私が最近まで住んでいたデンマークの、右の各分野でのランキングはそれぞれ、29位、30位、9位、16位、5位、総合で10位、住みたい順位は10番目だ。そして国民の幸福度は世界一。ところが日本人の幸福度は世界で90番目でしかない。このギャップは何なのか?
その理由をひとつに絞れば、戦後の経済偏重だ。日本の驚異的経済復興の裏で二つのことが起こっていた。まず見事な復興の成功体験により、幸福追求の手段でしかない経済成長が自己目的化した。その結果、これだけ世界に評価される国になったのに、経済停滞と新興国の追い上げの前に閉塞感に陥ってしまった。
第二にこの間に文化芸術を軽視し過ぎた。経済成長に資する画一性と勤勉さが美徳とされ、余暇や文化により幸福を求めることに後ろめたさを感じるライフスタイルになってしまった。その結果世界に誇る文化資産を国民が鑑賞し、生活の一部にするシステムが育たなかった。才能あるアーチストは外に行き、国民は成熟した社会の力となる創造性を養う機会を失った。
まだ遅くはない。優れた文化資源と才能は十分にある。頭を切り替え、文化芸術を教育と生活の中心に置けば、芸術のもつ力が、日本の息を吹き返させてくれるだろう。」(
2011/01/14付「日経新聞」夕刊1面より)

筆者が文化庁長官なので、文化芸術への傾注を言うのは良く分かるが、その立場を割り引いても、まあそうかな・・とも思う。
今は時代が違い、少しは人間らしい社会になったが、我々団塊の世代が現役バリバリの時は、およそ仕事以外の生活は無かった。今でこそ勤続**年特別休暇や、リフレッシュ休暇などがあり、壮年期に海外旅行なども出来るが、我々の時代は長期休暇での海外旅行など、夢のまた夢・・。そしてリフレッシュ休暇などの恩恵に浴さない最後の世代・・・。これらの制度が出来たとき、自分の年代以前には適用されないルールと知り、恨めしく思ったもの。でも制度の当初は誰も使わなかった。制度だけ出来ても、職場がそれを取れる雰囲気ではなかった・・・・。だから別に残念でもなかった。そんな時代だったので、自分の音楽を聴く趣味も、オーディオの機材も、30~50歳代の30年間はホコリをかぶったまま。よって機械も完全にさび付いた。

まあその取り返しの期間が今の我々シルバー世代なのだろ。でもなかなかうまく行かない。時間だけは取れるようになったのだろうが、どうも回転が悪い。慣れていないせいか??

今日はカミさんが一日出掛けてしまったので、“絶対に一緒に行かない”と言っていた映画「トロン:レガシー」を、仕方が無く一人ノコノコ行ってきた。新聞の評価で、今までに無い映像だ、というのと3Dだったので、行ってみたわけ・・。
確かに映像は目新しいものの、途中でついウッカリ寝てしまった。あと何分だ?と終わりの時間を気にしたのも、自分にしては珍しい映画・・。
つまり自分には付いて行けなかった。フィットしなかった・・・。“ゲームの世界”は良く分からん・・・。3Dにも飽きた??

つまり、文化芸術の世界(?)で今までの遅れを取り戻そう・・、と闇雲にチャレンジしてもダメ。自分の能力を前提に良く選ばなければ・・・?(別に今日の映画が文化芸術だとも思わないが・・・)
管再改造内閣が発足した。日本人の幸福度は世界第90位というが、それが少しでも向上するような政策が動き出すのかどうか・・・。期待はするものの・・。
ン?もう期待しない??

| コメント (0)

2011年1月14日 (金)

「回転ずし スシロー、売上高首位に」

今日の昼食は、近くの寿司屋で握りのランチ。750円也。もちろん味は、スシローには到底かなわない・・・!?
今日の日経新聞に「回転ずし スシロー、売上高首位に」という記事があった。我が家(というより、カミさん)ごひいきのスシローの話題である。やっぱりね~・・・。
曰く・・・

回転ずし スシロー、売上高首位に
回転ずしチェーン「スシロー」を運営するあきんどスシローの2010年下半期(7~12月)の売上高が、「かっぱ寿司」のカッパ・クリエイトを上回り、首位となったことが13日明らかになった。
各社が発表した月速報値を集計したところ、スシローの7~12月の売り上げは、前年同期比20%増の455億円だった。スシローは一貫105円でトロを提供するなど素材を重視した戦略に転換し、既存店売上高を伸ばした。これに対してカッパは平日に1皿90円への値下げを定期的に実施したが、客足が伸び悩んだ。10年年間(1~12月)ではカッパが首位を維持したが、差は8億円と09年度の55億円から大幅に縮小した。」
(2011/01/14付「日経新聞」p11より)

我が家がスシロー福生店(ここ)に通い出してから、もう7~8年経っただろうか。WIKIによ110114sushiro ると、「2001年9月 - 東京都葛飾区及び福生市に出店し、関東に進出。」とある。ウチは結構昔からの馴染みらしい・・。(写真はクリックで拡大)
この店を知ったのも、カミさんの友達からの口コミ。行ってみて、これはうまい・・と、それ以来の大ファンになってしまった。ここを知ってからは、他のチェーン店は到底足下にも及ばないことが分かった。また同じスシローでも、“ぐりーんうぉーく多摩店”にもたまに行くが、福生店の方がなぜかうまいと感じる。これは“関東進出初の老舗”福生店なればこそ!の根性かも・・・・?

ある寿司“通”によると、都内では山手線の内側と外側で値段が違うそうだ。「お好み」で幾ら食べても食べなくても、山手線の内側では1万円以上するらしい。でも、(もちろん自費で行った事は無いが)どうも庶民の自分は、銀座の寿司屋のランチ1万円よりもスシローの方が美味く感じるのは、自分に寿司を味わう“才能”が無いためかも・・・

ふと思い出した。学生の頃、(もう亡くなってしまったが)当時日立・会瀬の社宅に住んでいた叔父の家に遊びに行った事がある。その時に、叔父一家と近くの寿司屋に行った。そのとき初めて寿司を“お好み”で食べた。たまごを「ぎょく」と言ったり、お茶を「あがり」と言ったり、寿司を素手で取って、醤油を寿司の背中にチョイと付けて食べる事などを教わった。懐かしい思い出だ・・・。

街の中に寿司屋は溢れている。しかしどんな高級な寿司屋よりも、自分の口にはスシローの作りたての寿司が一番。もちろんこれは多分にカミさんの影響を受けてはいるが、それでも大食らいの息子どもと行くには手頃な店だ。
まあ、だいたい自分の好物の“びんとろ”が通じない寿司屋なんて、ボクはキライだね・・・
これは決して負け惜しみで言っているのでは無いので念のため・・・。
(前に兄貴に連れて行って貰った寿司屋のお好みで、「ビントロある?」と聞いたら笑われた・・・。これでトラウマになった?)

| コメント (2)

2011年1月13日 (木)

「大地からの贈りもの~レアアース、レアメタル」

当サイトのコンセプトは“へえ~”
先日放送されたNHKラジオ深夜便「インタビュー 大地からの贈りもの~レアアース、レアメタル 東京大学名誉教授 月尾嘉男」を聞いた。
自分は出身が理系なこともあって、このような具体的な数字があると、実に理解しやすい。まあ女性はどちらかというと不得手らしいが・・・。話を文字にしてみると・・・。

インタビュー 大地からの贈りもの~レアアース、レアメタル
     東京大学名誉教授 月尾嘉男

・地球上の重量を比率で表すと(=クラーク数)、酸素が一番多く半分。次がケイ素で26%、アルミニウム8%、鉄5%・・・。それに対して、レアアースのジスプロシウムは4ppm、つまり0.0004%で光磁気ディスクに使用している。MRIなどの磁石を作るのに必要なレオジムは0.0022%しかない。
・日本の食糧自給率はカロリーベースで4割。よって6割は輸入。そば粉の9割はアメリカや中国などからの輸入。大豆の自給率は5%。小麦粉は14%、果物は4割。魚は5割。水は日本に降る雨の総量の20%を使っているが、輸入している穀物などを育てる水まで入れると、全部で4割を使うことになり、生態系を維持するための川に流す水量を考えると、取水率4割はギリギリとなる。
・原油は99.6%、天然ガスは96%、石炭は100%が輸入。日本のエネルギー自給率は4%。
・地球上の資源を今のまま使い続けると、あとどれ位で無くなるかを調べてみると、石油は40年で無くなる。天然ガスは70年、ウランは85年。そして銀は14年、金は17年、銅が36年、鉛が24年。鉄だけは120年。レアアースのうち、アンチモンが13年、タングステンが62年、ニッケルが46年、クロムが123年、コバルトが182年。
・木材の輸入率は8割。世界中で今、1年間に北海道と同じ面積の森林を切っている。これは1秒間にテニスコート3面分を切っている計算になる。このスピードで切って行くと、530~540年で森林は全部無くなってしまう。人類が出す二酸化炭素の3割はこれら森林が酸素に変えてくれている。それが少なくなると地球温暖化が進んで100~200年で人類絶滅の危機に直面?
・資源は、減っていくものは値段が上がる。今世紀に入っての10年間で見ると、石油は2.7倍、ウランは8.4倍、レアメタルの代表のニッケルは1.9倍、アンチモンは4.1倍。
・レアアースは、現在中国で生産されたものが97%。埋蔵量は中国が36%、ロシアに19%。タングステンは生産量の75%、埋蔵量の67%が中国。アンチモンの生産量の88%、埋蔵量の56%が中国。
・対策の第一は備蓄。石油の備蓄は日本では10カ所で行っており、194日分ある。レアメタルは茨城県の国家備蓄倉庫で7種類備蓄している。
・対策の第二は、資源の調達先を分散する。カザフスタン、ベトナム、モンゴル、オーストラリア等と進めている。日本の温泉にもレアメタルが含まれている。草津温温泉にはスカンジウム、別府温泉にはリチウム、タングステン、セシウムが含まれており、抽出の技術開発が進んでいる。
・第三は、不要品からの回収。金で言うと、世界一の高品質の鉱山は日本の鹿児島県の菱刈金山で、1トンの鉱石から60グラムの金が取れる。携帯電話は8000個位集めると1トンになるが、その配線などに使われている金を取り出すと300グラム取れる。つまり5倍。今まで日本で使われた金(金歯や電子部品など)を全部回収出来たとすると、日本は世界一の金保有国だという。
・第四の対策は、レアメタルを他の素材で代用する技術の開発。錆びないステンレスは従来、鉄とニッケルとクロムの合金だったが、ニッケルの代わりに銅を使う製品が既にある。または鉄とクロムとスズで作った製品もある。
・「節約こそ最大の資源」。日本では重量で6500万トンの食料が供給されているが、そのうち2000万トンが棄てられている。まだ食べられるのに、賞味期限切れで棄てられたりしている。パーティーの15%の料理は手付かずで棄てられる。
・世界で飢餓状態にある人は11億5000万人いる。世界人口の20%。逆に食べ過ぎ・肥満で困っている人が10億人位いる。ちょうど見合う数字。アメリカでは1日に棄てている食料をお金に換算すると120億円になる。アスレチックなど、体重を減らす為に使うお金が1日に120億円。肥満治療で医療費として使っているお金が1日260億円。年間1000万人もの人が餓死している状況から、配分をうまくする社会が必要。

(2011/01/06「NHKラジオ深夜便」から)

実にゾッとする数字・・・。特に、金や銀が10数年で掘り尽くすとは知らなかった。石油の話はよくあり、産油国では延命のために産出量を調整しているやに聞く。しかし、金銀銅などの馴染みの金属がそれほど少ないとは・・・。なるほど、廃棄品からの回収の話題が多いはずだ・・・・

地上デジタルへの変更が半年後に迫った。各家からアナログのテレビが排出されている。先日、軽トラックで回っている回収屋さんに聞いたら、集めたブラウン管テレビは、修理されて輸出されるのだという。車も多く輸出されているらしいが、これらは資源の有効活用からすると、非常に良いこと。壊して金を取り出すよりも、よっぽど価値がある。
まだウチにも処分していないブラウン管テレビがある。今は回収料が2千円とか・・・。先の「減ってくる資源は値段が上がる」という話ではないが、アナログテレビはこれから益々各家庭から排出される。つまりはテレビのダブつきから回収料の2千円は上がって行くだろう。早く処分せねば・・・・
なかなか勉強になる「NHKラジオ深夜便」ではある。

| コメント (1)

2011年1月12日 (水)

「ファナックの国産宣言」

今朝の日経新聞のコラム「企業 強さの条件~ファナックの国産宣言」を読んで、なるほど・・・と納得した。曰く・・・

企業 強さの条件~ファナックの国産宣言~全てを決める研究開発
工作機械の頭脳となる数値制御(NC)装置で世界シェア6割を握るファナック。富士山のふもと、山梨県忍野村に本社を置く同社は有価証券報告書の事業リスクの項目に「富士山噴火」を挙げる。よほどの天変地異でも起きない限り、この地を、そして日本を離れるつもりはない。
・・・「少ない部品でつくればコストは下がり、信頼性は上がる」。実質的な創業者で名誉会長の稲葉清右衛門(85)はこの言葉にもの作りの基本方針を込める。
まず価格を決定
清右衛門は「ありきたりの設計を製造段階で改善しようとしてもどだい無理」と言い切る。円高を乗り切るために、多くの日本企業が工場でのコスト削減に血道をあげる。対するファナックの発想は「利益は開発時点で決まり、製造段階では生まれない」。
ありきたりではない製品をどう生み出すのか。決めるのはまず価格だ。内外約200カ所に置いた保守サービス拠点を通じて市場の変化や顧客の要望を吸い上げ、競合他社に負けない価格を探る。価格から一定の利益を引いて製造原価を算出する。この原価に収めるのが設計の絶対条件。原価に利益を上乗せし価格を決定する手法の逆を行く。
・・・「同じ性能なら世界2位の独シーメンスより1割ほど安い」
・・・・
ファナックの海外売上高比率75%を超えるが、円高の逆風下でも昨年7~9月期の売上高営業利益率が43.8%と過去最高を更新した。
生産も国内に集中する。・・・・清右衛門の長男で社長の稲葉善治(62)は「1カ所でつくるのが一番いい」と強調する。・・・・
価格、開発期間、仕様――。様々なハードルを越える研究者には重圧がかかる。昼夜を問わない研究者の働きぶりは業界の誰もが知る。・・・・
国内でのもの作りを宣言するファナックの姿はむしろ日本企業の一つの可能性を示す。・・・」
(2011/01/12付「日経新聞」1面より~オリジナル記事のPDFはここ

ファナックという会社は、昔の本社や寮が近くにあったせいか、何となく身近な会社。数年前に山中湖に行ったとき、富士山麓の森の中に黄色いビル群を見たこともある。(ここ) ・・・でも実は何の縁もない。
昔、日経ビジネスという雑誌にファナックの特集があった。もう20~30年も昔の話。その中に、ファナックは新入社員が入社すると徹底的な残業をさせ、個人的な時間を取らせないようにして、今までの人的なつながりを断ち切らせる、という怖い言葉があったのを、今でも覚えている。本社が富士山麓に移ったのも、その延長線上か・・と想像した。つまり会社の業績は素晴らしいが、この会社ほど社員が働く会社、いや働かされる会社は無いのではないか・・・? 要は、この“働く”ということをどう捉えるかだ・・・

給料を貰っているのだから働くのは当然。要はその密度・・・。よく揶揄されるのがお役所。給料は安いが仕事の密度は薄いと・・・。
先端会社の社員は良く働く。だから業績も良い。だから給料も高い・・・。それを良しとする人に取っては理想的なサラリーマン生活。しかし、ほどほど人生を楽しみたい人に取ってはツライ・・。つまり、世間から隔絶された企業村に閉じ込められた、と思う人は勤まらない。
かくいう自分も、昔は同じような境遇にあった。独身時代は工場の敷地内にあった独身寮に住み、食堂が無かったので、休日は社員証をもって工場内に入って工場の食堂で食事をとったもの。そのうちに、工場の敷地内にクラブが出来、帰りにそのクラブで一杯飲んだもの。だから、まさにファナックの忍野村と全く同じだった。
日立製作所も昔は同じだった。日立市の山の手に社宅群が並び、兎平供給と称する会社のスーパーマーケットに家族が日常品の買い物に行った。昔は企業丸抱えが多かった。それを羨ましがられたもの・・・。
でも今の人は・・・・?

話をファナックに戻すと、ファナックはまさにカリスマ創業者・稲葉清右衛門氏の思想が脈々を受け継がれているようだ。そしてそれが活きて業績につながっている。だから会社のリスクは「富士山噴火」と豪語できる。この事は、普通の会社の感覚からすると、信じられないくらい“飛んでもない”ことだ。それほど、事業リスクが無いとは・・・・。
ファナックは普通の会社と何が違うのか?それはリーダーの強さだろう。前に、社長の世襲についてマスコミにたたかれた事があった。でも結果オーライ・・。実績が出ていると、そんな話は吹っ飛ぶ・・・。鳩山さんや小泉さんとはそこが違う・・・?

民主党が相変わらず揺れている。NHKの会長人事も揉めているとか・・・。どれもリーダー不在の典型だ。北朝鮮のようなリーダーも困るが、日本のカリスマ・リーダーの不在・・・。
先のファナックの“有価証券報告書の事業リスク”ではないが、それが現在の日本の最大の“事業リスク”ではないだろうか?

| コメント (0)

2011年1月11日 (火)

2010年のデジタル家電シェア

当サイトはベスト10が大好き。そして各社のシェアも大好き・・・(ここ)。
先日の新聞に2010年の「デジタル家電シェア」が載っていた。これは「全国の家電量販店の9割にあたる役4000店舗の販売実績を調査するGfKジャパン(東京・中野)のデータを集計した。」もの、とのこと。それによると・・・

<レンズ交換型デジタルカメラ>
①(1)キャノン  31.5%
②(2)ニコン   28.9%
③(-)ソニー   15.2%

<小型デジタルカメラ>
①(1)キャノン    18.5%
②(2)カシオ計算機 16.7%
③(3)パナソニック  14.7%

<ブルーレイ・ディスク録画再生機>
①(2)シャープ    33.6%
②(1)パナソニック 33.5%
③(3)ソニー     21.3%

<携帯電話端末>
①(1)シャープ   25.0%
②(-)アップル   12.9%
③(3)富士通    11.9%

<電子辞書>
①(1)カシオ計算機 57.8%
②(2)シャープ    24.9%
③(3)キャノン    12.9%

<プリンター>
①(1)キャノン      46.3%
②(2)セイコーエプソン 44.0%
③(-)日本HP       3.7%

<ノートパソコン>
①(1)東芝     21.7%
②(2)NEC       21.1%
③(3)富士通   20.2%

<薄型テレビ>
①(1)シャープ    37.0%
②(3)東芝      23.4%
③(2)パナソニック 15.9%

<携帯音楽プレヤー>
①(1)アップル    55.0%
②(2)ソニー     40.0%
③(3)日立製作所  1.9%

<ビデオカメラ>
①(1)ソニー     40.2%
②(3)パナソニック 24.2%
③(-)キャノン    14.8%
  (2011/01/09付「日経新聞」1面より)

それぞれ“なるほど・・・”と思う。
Image05661 大きな変化は、携帯電話端末で、昨年2位だったPanaが落ちて、アイフォーンのアップルが2位に登場。薄型テレビでは、東芝が宿敵Panaを逆転。Panaは大幅ダウン。
携帯音楽プレヤーでは、前年番外の日立が3位とはこれ如何に・・・。でもたった1.9%・・
ビデオカメラでは、昨年2位だったビクターが脱落・・・。JVCは経営的にツライ・・・(写真はクリックで拡大)

薄型テレビは自分も東芝製(37Z3500)を使っている。HDDの外部接続が出来るので買ったもの。でもとうとう外部HDDは使わなくなりつつある。代わりに現役で使っている4年前の日立のDVD録再機(DV-DH1000D)のシリーズを、ヤフオクで買い増した。
もう撤退した日立のDVDレコーダーだが、ワケ禄がすこぶる使い勝手がよい。同じシリーズの番組が2つ録画されると、自動的に専用フォルダを作ってくれる。しかも、古い番組を見ていてストップボタンを押しても、アイコンはその場所に留まる。これは使い手からすると当たり前。
しかし東芝のテレビの外部接続HDDの録画リストは、「連ドラ」録画のリストが見づらく、それに録画リストで古い番組を見ていて、途中でストップすると、アイコンがリストの先頭に戻ってしまい、続きを見るのに、録画リストからまたその番組を探さないといけないので大変。それで、とうとう堪忍袋の緒が切れて、使うのを止めた・・・、というわけ。
早送り再生機能などは、新しいモデルは付けたようだが、録画リストの扱いは、今はどうなっているのか・・。もう一つ。今使っている(37Z3500)の画面は、光沢になっていないので助かるが、その後の機種は光沢になったらしい。なぜ反射して見にくくなる光沢にするのか、理由が分からない・・・。だから2台目はPanaを買ってしまった・・。(それはそれで後悔したが・・・!?)
シェアが伸びている東芝。本当は応援したいところだが、使い勝手はまだまだだ。東芝の設計者は、他社製品も含めて自宅で使いこなして、自社の設計思想(使い勝手)で良いと思っているのだろうか?大きなHDDが取り付け可能な割に、それをどう見るか(古い番組をどう探すか)まで、神経が行っていないらしい。もっとも自分の機種は古いので、現行機種がどうなっているかは、調べてもいないので知らないが・・・。(東芝を応援しているだけに厳しいのだ・・)

携帯音楽プレヤーは、自分はソニー派(ここ)。でも今年のモデルは代わり映えがしなかった。
ビデオカメラは、(孫などの)録る対象がないので“いらん”・・・。

ともあれ、“現役さんは大変ですね~~~”。
およそ他人事のシルバー族ではある。

| コメント (0)

2011年1月10日 (月)

ロス・インカスの「コンドルは飛んで行く」~お見舞いに行く

今日は寒かった。昼でも5℃に達しなかったのでは?
今日は、カミさんとごく近しい人のお見舞いに行った。その帰りみち、立川駅で降りた。駅110110 を出ると、フォルクローレの4人の楽団が演奏の準備をしている。もらったチラシによるとウィニャイという楽団らしい。寒い中、演奏が始まった。そして2曲目に「コンドルは飛んで行く」が演奏された。(写真はクリックで拡大)

駅前でフォルクローレを聞くのは2度目である。最初は八王子の駅前で演奏しているのをうっとりと聞いた。1993年のことである。そして早速フォルクローレのCDを買い求めたもの・・・・。
少し聞いてみよう。持っているこの曲の4つの音源を聞き比べたが、やはりロス・インカスの演奏が一番自分にフィットする・・・。wikiによると、有名なサイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」は、このロス・インカスの演奏を元にしたという。

<ロス・インカスの「コンドルは飛んで行く」>

110110kondoru この曲を聞くと、やはりアンデスの高地を連想する。もちろん南米には行ったことはない。でもこのケーナの音がアンデスの高い青空を舞う大きなコンドルを連想させる・・・。

高い青空の上におられる大いなるものに祈りたい。

●メモ:カウント~150万

| コメント (0)

2011年1月 8日 (土)

ダーク・ダックスの「白い想い出」

今日のテレビニュースで、ダーク・ダックスのトップテナーの“パクさん”こと、高見澤宏さんが(2011年1月)7日に亡くなったと言っていた。77歳。
セカンドテナーのマンガさんこと佐々木行が1997年に倒れ、それ以来3人で歌っていたダーク・ダックスだが、とうとう2人になってしまった。それで、(Wikiによると)2010年2月からは、「ダークダックスwithしゅうさえこ」を結成して活動しているという。

ダーク・ダックスのレコードで、自分が大事にしているLPがある。1969年発売の「結成15周年記Img_26771 念」のLPである。このLPに収録されている「北上夜曲」(ここ)、「銀色の道」、「雪の降る街を」、「くちなしの花」、「旅立った人」(ここ)、「白い想い出」、「かあさんの歌」(ここ)、「愛していても」は、どれも自分の宝である。(写真はクリックで拡大)
ダーク・ダックスの録音は、同じ歌で何種類もあるが、自分はキングの録音が好きだ。今日はそのなかで「白い想い出」を聞いてみよう。

<ダーク・ダックスの「白い想い出」>

「白い想い出」
  作詞・作曲:山崎 唯 

雪が降ってきた ほんの少しだけれど
わたしの胸の中に 積りそうな雪だった
幸せをなくした 黒い心の中に
冷く淋しい 白い手がしのびよる

雪がとけてきた ほんの少しだけれど
わたしの胸の中に 残りそうな雪だった
灰色の雲が わたしに教えてくれた
明るい陽ざしが すぐそこに来ていると

CDのこの歌の解説によると、「ダーク・ダックスがこの歌を初めてレコーディングしたのは昭和38年10月だった。当時、東京のテレビ局TBSで、『みんなで歌おう』という番組のレギュラーを持っていたダーク・ダックスは、この番組の今月の歌に取り上げる歌をいつも探していたが、ある日メンバーの“ゲタさん”が、赤坂の歌声バーでこの歌に出会ったのである。早速作者を探したところ、なんと仲間の山崎唯ではないか。その上山崎が奥様の久里千春と恋愛中に捧げた歌とのこと。早速お願いしてレコードにしたところ大ヒットした歌である。」(meldacのCDより)とのこと。

歌詞も素晴らしい。何とも雪の今の季節にピッタリ・・・。
今は「黒い心」でも、きっと「明るい陽ざし」が来ると・・・。
これは全てにあてはまる。「朝が来ない夜はない」という言葉もある。例え今は暗くても、未来は明るいと信じて進むしかない・・・。

最近、自分の死生観をも変えるある出来事から、「運命の理不尽さ」に、どこに向けたら良いか分からない怒りさえ感じている自分である。この歌のように、少しでも明るい未来が来ると信じたい・・・。

| コメント (6)

2011年1月 7日 (金)

家族マージャンの思い出

またまた古い新聞の切り抜きの話で恐縮だが、昨年の朝日新聞の「ひととき」欄に、「72歳差 家族マージャン」というのがあった。曰く・・・

72歳差 家族マージャン
わが家と同じマンションでひとり暮らしをしている母の家のリビングには、椅子こたつがある。このこたつ、金曜日の夜にはマージャン卓に早変わりする。囲むメンツは、母、私、大学生の娘、高校1年生の息子。親子3代でのマージャンである。
・・・
年齢差72歳のメンバーだが、手加減はなし。実力伯仲、運が支配する世界だ。息子は、「今夜、マージャンしようか」と声を掛けられると別人のようになってさっさと宿題を済ませ、風呂の掃除までする。研究熱心で解説書をよく読み、毎回ゲーム結果を記録する。同じくらい勉強にも熱をいれて欲しいものだが、個室でパソコンに向かうよりもずっといい。
娘は、母が「えいっ」とおどけたしぐさで牌をツモってくると、「おばあちゃん、かわいい!」と笑う。
いつまでも続くはずのない、牌を交ぜながらのかけがえのないひとときだ。」
(2010/12/22付「朝日新聞」p33より)

実はわが家(実家)での家族マージャンの歴史も古い。そもそも、昭和30年代初め、まだ埼玉の与野に住んでいた頃、両親が隣の家の夫婦を呼んでは、マージャンをやっていた。当然小さかった我々子どもたちは早く寝かされた。親父が無類の(?)マージャン好きだったのだ。
自分がマージャンをするようになったのは、いつ頃だったのか・・・。少なくても、自分が中学生の頃には、既に家族4人でマージャンを始めていた。・・と思う。メンツは両親と兄貴と自分。弟は番外・・・。点2か点3で賭けた。
親父は先に書いたように、元々のマージャン好き。それに勝負事の好きな兄貴は大学で“研鑽を積み”ハイレベル。自分とお袋は、結局点も数えられないレベル・・・。でも麻雀は運が左右する勝負。だから面白い・・・。
自分と親父とは、“歴史的に”すこぶる仲が悪かったが、このコラムと同じように、マージャンとなると、一時“休戦”・・。考えてみると、まさに家族が仲良くコタツを囲む“唯一の”ひとときだった。
その後も、実家に帰ると両親と我々夫婦で卓を囲み、正月に兄弟の夫婦がぞろぞろとそろうと、男組と女組のそれぞれのマージャン大会・・・。結局親父が亡くなるまで色々な形で家族マージャンは続いた。親父が亡くなった後も、正月に皆が実家にそろうと、する事が無い事もあって、よくマージャンをしたもの。
そういえば、パソコンのはしり時代もマージャンゲームが流行った。今のゲームの世界とはスピードが違うが、それも遠い記憶になった。

でも世の中、マージャンは「健康マージャン」と名前を変えて、老人の健康維持のゲームに様変わり。今の若者はマージャンが出来ないのでは?
思い出すと、学生時代、試験が終わると必ずマージャンをした。試験勉強でろくに寝ていないのに、直ぐに徹マン。でも平気・・・。元気だった。
雀荘もよく駅前にあって、サラリーマンが通ったものらしいが、自分の職場ではあまりマージャンの話は出なかった。結局自分の場合、学生時代と家族マージャン以外は知らないままに終わりそう・・・。結局、賭け事には向いていなかっただけの事だが・・・

そのうち、自分も健康マージャンなるものをやるのかも知れない。まあそれもいいかな?
そのうち自分にも天から「今度はあなたの番」と赤紙(?)が落ちてきたときは(死ぬ順番が回ってきた時は)、マージャンをしながら脳溢血で死んだ親父と同じく、ダブル役満をテンぱった興奮で(?)脳溢血で死ねると良いのだが・・・・。(自分は未だに親父がダブル役満をテンぱって、その興奮で脳溢血になって死んだと信じている!?)
なぜかマージャン好きだった死んだ親父を思い出す年頭ではある。

| コメント (1)

2011年1月 6日 (木)

体の老化~ひざ関節症?~「終わりの始まり」

最近、駅の階段を下りる時に“だけ”、右足のひざがツーンと痛みを感じるようになった。昨夜カミさんにそのことを話したら、「それはお母さん(お袋)と一緒のひざ関節症だよ。最悪人工関節の手術だよ」とおどかされた。そして、「全ては老化。体操すればこれ以上進まないかも・・」とも・・・。
田舎のお袋も、ひざ関節症で、結局人工の関節を入れた。それを知っているだけに、思わぬ言葉にヤベーと思った。
思い起こすと、昨年の後半の半年は、物理的に体のあちこちが痛くなって参った。シルバー世代になるまで、外科とはあまり縁がなかった。それがこのところは“マズイ”・・・
昨年(2010年)は、7月初めの蕁麻疹から始まって、8月初めの(初めての)ギックリ腰、9~11月の右手のPC腱鞘炎(?)、11月からの両足指の付け根の痛み、年末からの左肩の凝りや、今回の右ひざの痛みと、どこかが痛み出して、それが何とか治ると別の場所が痛み出すという悪循環・・・。これは何だ?・・・・
今回のひざ・・。確かにNetで見てみると、階段を下りる時に痛いのは、ひざ関節症の初期だという。やばいぞ・・・・。
この半年で、物理的に体のあちこちが痛み出したのは、体からの何らかのメッセージなのだろう・・・。さてどうする??加齢が原因とすると、病院に行っても根本的には治らない。さてどうする?・・・

カミさんは、体操によるひざ周辺の筋肉の強化などで少しはマシになると言っていた。まずは情報を集めねば・・・。Net上の情報では良く分からない。本は??Amazonを見てみると、関係の本がズラリと並ぶ。それで上から2冊(Amazonの推薦順?)を買って読んでみる事にして、注文した。

話は飛ぶが、今朝の新聞を読んでいたら、「終わりの始まり」という言葉があり(2011/01/06付「日経新聞」1面)、イヤな思いで読んだ。17世紀の債権大国・ジェノバ共和国の話だったが、自分のこれらの体調変化も「終わりの始まり」なのかも知れない。
精神的なものは別にして、体という物理的なものは、どうしても老化が避けられない。それにどう対処するか・・・。
“この体”が動き出してから63年余。まあ今まで大きな病気もせずによく頑張っているとは思う。でも段々と部品は劣化していく。それらとこれから、どう付き合って行くか?だましだまし付き合って行くしか無いだろうが・・・。
前に、元医師の友人が、“散歩が良い”と言っていた。だらだら散歩でなくてキチッとした散歩・・・。でもそれもあまり守れていない・・・・。何かしらの言い訳をしながら、犬に合わせたダラダラ散歩だ・・・

せっかくこの半年を振り返った。それぞれの痛みが消え、例え良くなったとしても、いつもの“喉元過ぎれば・・”ではなく、そろそろ自身の物理的な劣化に気が付き、どうそれを労るか、どう鍛えるか、に目を向ける良いチャンスかも知れない。

でもそれはそれとして、世の中は、そして人生は無常である。理不尽である。有り得ないことが現実に起こり得る。自分も老化する前に何かが起きる可能性は当然ある。
「終わりの始まり」という言葉が、妙に心に迫るこの頃である。(今日は自分用の備忘録でした)

| コメント (4)

2011年1月 5日 (水)

映画「武士の家計簿」を見る

先日、森田芳光監督の映画「武士の家計簿」(これ)を見た。この映画は、内容と言うより、森田芳光の作品だから見た、というのが本音。あまり監督を意識してない自分も、森田芳光という監督は、映画「それから」(ここ)&(ここ)以来、意識している。
「家族ゲーム」や、彼(か)の「失楽園」(ここ)も森田芳光の監督。

100105bishinokakeibo 映画は、江戸時代末期、加賀藩の「御算用者(経理係)」の家柄である猪山家の物語。膨れあがった家の借金の返済に、思い切って家財全てを売り払ったり、藩での米の横流しを摘発したりして、持ち前のソロバン感覚を武器に出世していく。
そして息子の英才教育。そして幕末の動乱に巻き込まれ、息子はソロバンの腕を見込まれ、新政府軍の会計職に抜擢されて、重用されていく。(写真はクリックで拡大)

この物語の背景が、「偶然古書店で発見された猪山家のホンモノの家計簿」、と聞いていたので、たぶん物語も事実に近いのだろうと、興味深く見た。そして、なるほど・・・と。
物語は下級武士の日常を描いているので、決してドラマチックなものではない。しかしチャンバラが全てではない現実の武士の世界を垣間見る事はできる。
一番のクライマックスは、新政府軍の大村益次郎から言われるシーンかな・・・、と思った。「命を投げ出す兵隊は幾らでも居るが、これからは補給(兵站)が重要。兵隊の食糧やワラジの補給が出来るのは、君しか居ない・・・」
父親との「“そろばんバカ”にはなりたくない」という葛藤が、やっと晴れた瞬間だ。

キャストは、皆、実にフィットしていた。特に妻役の仲間由紀恵が光る。それに松坂慶子のとぼけた可愛い母親・おばあちゃん役、中村雅俊、西村雅彦の夫婦のそれぞれの父親役、それに品のある草笛光子のおばばさま役。どれも、はまっていた。特に30年以上前の、自分が若かったときの“憧れの君”だった松坂慶子が、最近は“堂々と育って(?)”、顔にひとかけらのシワもない・・・。何とも・・・・。
そして主役の堺雅人だが、先日見た「ゴールデンスランバー」もそうだったが、この人の表情をどう捉えるのかが難しい・・・。つまり、いつも見せる微笑みの表情(の評価)が難しい・・・。
それに堺雅人・仲間由紀恵の晩年の老け役は、やはり違和感があった。これは仕方がないが・・・。

インドのカースト制度ではないが、江戸時代の“お家芸”の話もこの映画の重要な要素。剣術の家に生まれた子どもは、代々同じように剣術で藩に召し抱えられ、この猪山家のように“ソロバンと筆”がお家芸の家は、代々ソロバンと筆を武器に藩に仕える。よってお家を継ぐために、自分の跡継ぎとするべく、子どもの時から英才教育を施す。それがお家の維持には必須なこと。
そんなシーンから、「お家芸」もその技術を代々受け継いでいく仕組みとしては、意味のある制度だったように感じた。

チャンバラが出てこない時代劇、としてPRされた映画だが、それもなかなか良い。確かに盛り上がりには欠けるかも知れないが、この映画に何を期待するかだ・・・。
自分にとっては、武士の世界の日常を淡々と表現したオトナの物語、と写った。まあ何度も見る映画ではないが、なるほど・・と思った映画だった。

| コメント (3)

2011年1月 4日 (火)

「真の弱者と真の格差」

当サイトお気に入りの日経新聞のコラム「大機小機」。だいぶん前の記事だが(=ネタ切れの時は、昔の切り抜きを・・)「真の弱者と真の格差」という話。曰く・・

真の弱者と真の格差
多くの人が、社会的弱者を守るべきだと言い、格差を無くすべきだと言う。しかし、誰が守るべき弱者であり、何が是正すべき格差なのかを見分けることは難しい。
弱者の範囲を広げすぎると、強者をも救うことになり、かえって不平等になる。また、あまりにも格差の縮小を追求して結果の平等を実現しようとすると、「何もしないでも助けてくれる」というモラルハザード(倫理の欠如)を生んでしまう。
では、真の弱者とは何か。それは自らの意思ではどうしようもない力によって大きな負担を強いられる人たちである。日本ではそうして意味での正真正銘の弱者がいる。将来世代がそれである。秋田大学の島沢諭氏らが行った世代会計の分析によると、現時点で生まれたばかりの新生児世代は生まれた瞬間に1600万円もの生涯純負債を負っている。人口が高齢化する中で賦課方式の社会保障制度を維持しているためである。
さらに過去の負債を返済する分を加えると、これから生まれる将来世代は1億円以上の負担を強いられるという。将来世代は社会的意思決定に全く参加することなく、一方的に巨額の負担を強いられる。まさに真の弱者である。
格差についてはどうか。本当に格差が問題となるのは、「機会の不平等」によってもたらされる格差である。日本にはこうした正真正銘の格差がある。現世代と将来世代の格差がそれである。
前述のように、日本では将来世代の純負債はゼロ歳世代の6.6倍にもなる。これは諸外国に比べて飛び抜けて大きい(主要国で最も大きいのはイタリアの2.3倍)。
我々はいつ生まれるかを選択することはできないのだから、こうした現世代と将来世代との格差は、純粋に機会の不平等に基づくものである。
つまり日本で最も守られるべき弱者は将来世代である。彼らは意思決定に参加できないままに、重い負担を負わされているからだ。そして、日本で最も是正されるべき格差は現世代と将来世代との格差である。その格差は想像を絶するほど大きく、100%機会の不平等に基づくからだ。
こうした真の弱者、真の格差問題に対応するには、現世代の負担による財政の健全化を急ぎ、世代が自立できるような頑健な社会保障制度を打ち立てていく必要がある。それが我々現世代の最大の責務である。(隅田川)」(2010/12/14付「日経新聞~大機小機」より)

同じ日の「日経新聞」1面に「改革迷走 瀕死の社会保障」という記事があり、上の記事と同じようなことが書いてあった。曰く・・・
「団塊の世代が引退し社会保障の支え手から受給者になだれ込む2012年は目前だ。給付膨張の時限爆弾を前に、政府はいくつかの改革案をまとめたものの、与党の反発で腰砕けの状態にある。本質的な改革を封じたまま、瀕死の社会保障を再生する手掛かりは見えてこない。
「なんで引退した父の方が稼ぎがいいのか」。大手小売業に勤める高橋宏太(仮名、32)は釈然としない。宏太の年収は390万円。退職し企業年金も含め504万円の年金を受け取る父(69)より少ない。
就職氷河期の01年に入社してから昇級はなく、賞与は減った。毎週末にゴルフに出かける父を見ると「僕から税や保険料を取って父のような高齢者に配るのはおかしい」と思う。
・・・・
悪いのは団塊の世代ではなく、その影響を知りながら改革を先送りしてきた政治だ。民主党が看板とする年金改革は今年の参院選敗北後、消費税引き上げ論とともに封印された。団塊の引退まで時間切れ寸前の今回も、医療・介護の改革案は与党内の「高齢者負担反対」の一言で金縛りとなっている。・・・」(2010/12/14付「日経新聞」1面より)

「死人に口無し」という言葉がある。先のコラムで指摘しているのは、それと同じような、「生まれる前の人に口無し」という現実なのではないか・・。
正月の、今年を占う新聞記事を読んでいても、未曾有の政治の貧困を憂いている文言が何と多いことか。簡単には解決策が無い。総選挙で自民に変えてみても、解決できない。ならば民主・自民の妥協しか無かろう、という年頭の新聞の社説もあった。(ここ

結局は、「死人に口無し」のごとく、発言しない「生まれる前の人に口無し」にすがる・・・。
見方を少し変えると、現在の“借金によって辛うじて成り立っている”国の予算は、うるさいことを言わない子どもたちに、その尻ぬぐい押し付けているだけ・・・・?
何ともその場しのぎの日本である。
でも、でも・・・である。財政再建への大なたは、我々国民に各種サービスの低下という色々な“苦”をもたらす。英国では公的債務削減のため、消費税を20%に引き上げるという。(ここ

政治が悪い悪い、と我々は言うが、結局今の政治の体たらくは、我々現世代の単なる代弁者に過ぎないのかも知れない。自分をも含めた現世代が、(我が家の家訓!をまねて)「臭い物には蓋」主義で問題先送りを“させて”いるに過ぎないのかも・・・
もし真に現世代が問題解決に立ち向かう気概があるのなら、消費税20%をぶち上げた政党が、唯一大躍進をして然るべき・・・。
でもそんな事はとても想像できない・・・。自分など、まさに“総論(=格好の良い議論)賛成・各論(=自分に降りかかる負担は)反対の「日和見日本人」の代表”に見えてきてハッとする。ふと、自分にはあまり言う資格が無いのでは・・?と感じる年頭ではある。

| コメント (0)

2011年1月 3日 (月)

童謡「たきび」

さて明日から会社が始まる。“仕方なく”部屋を整理していたら、新聞の切り抜きが2枚出てきた。書こう書こうと思っていた童謡「たきび」の記事・・。なぜこの歌に拘るか?実はこの歌は、若しかすると我が人生で最初に覚えた歌かも知れないので・・・・・。
自分は幼稚園に行っていない。行ったには行ったが、逃げ帰った記憶があるので(ここ)、そのまま止めたと思っている・・・。でも一方、小学校に上がる前にこの歌を幼稚園で教わって歌っていたことが記憶にある。何とも不思議は出来事なのである。記憶をつなぎ合わせると、数度だけ行った幼稚園で、この「たきび」という歌だけ覚えて、それから幼稚園を止めた??
そんな訳で、この歌は自分の人生で忘れられない歌になっている。まず聞いてみよう。

<西六郷少年少女合唱団の「たきび」>

「たきび」
  作詞:巽聖歌
  作曲:渡辺茂
かきねの、かきねの
まがりかど、
たきびだ、たきびだ、
おちばたき。
あたろうか、あたろうよ。
きたかぜ、ピイプウ、
ふいている。

さざんか、さざんか、
さいた みち、
たきびだ、たきびだ、
おちばたき。
あたろうか、あたろうよ。
しもやけ おててが
もう かゆい。

こがらし、こがらし、
さむい みち、
たきびだ、たきびだ、
おちばたき。
あたろうか、あたろうよ。
そうだん しながら
あるいてく。

何とも懐かしい光景が目に浮かぶ。小学校の低学年の時は、昭和20年代の終わり。朝は霜柱が立ち、それを面白がって踏みながら学校に行ったもの。そして指が赤く腫れた“しもやけ”。もう死語になってしまった。お袋は「あかぎれ」で何か黒いものを塗っていた。あかぎれと言えば、「母さんの歌」の歌詞に出てくるな・・・。

見つかった新聞のひとつは、2010年1月22日付の朝日新聞多摩版。「たきびだ 焚き火だ 豊田駅♪ 発車合図に日野ゆかり童謡、あすから~市職員の演奏放送」という記事。
「・・・「たきび」は岩手県出身の童謡詩人、巽(たつみ)聖歌(1905~73年)が41年に作曲した。聖歌は48年から亡くなるまで、豊田駅が最寄りの日野市旭が丘で暮らした。・・・
2005年暮れ、隣の八王子駅で、八王子に住んでいた中村雨紅(うこう)作詞の「夕焼小焼」が発車メロディーになった。これをきっかけに、地元でも「『たきび』を採用できないか」との声が上がり、たきび会と商工連が市やJRへの要望活動を始めた。
たきび祭などを通じ住民の間に機運が次第に高まり、昨年9月には約1ヶ月で約2300人分の市長あての署名が集まった。市がJR八王子と交渉し、(2009年)11月中旬にメロディーへの採用が決まった。・・・・」
(2010/01/22付「朝日新聞」多摩版より)(オリジナルのPDFはここ
なるほど。25年も住んでいれば、「ゆかりの地」となるな・・・

もう一つの新聞記事は、2010/12/18付の朝日新聞「うたの旅人」。
「・・・1941年(昭和16年)9月、渡辺茂のもとに、NHKから「12月の子ども向けラジオ番組で使いたいので、曲を付けて欲しい」という依頼が舞い込む。・・・新宿の自宅で、何回も口ずさんでいるうちに、自然と旋律が浮かび、わずか10分ほどで五線紙に音符を書き込んだという。29歳のときだ。
「たきび」が、初めて電波に乗ったのは、その年の12月9日。太平洋戦争開戦の翌日だった。・・・放送されたのは「軍の番組管制が完全に行き渡るまで」の12月9、10日の2日間。・・・以後、「たきび」は戦後の49年(昭和24年)まで、取り上げられることも、歌われることもなかった。封印されたのだ。・・・1949年にNHKが放送開始した松田トシ、安西愛子による「うたのおばさん」でとりあげられると、たちまち全国の幼稚園や保育園で歌われた。・・・・」
(2010/12/18付「朝日新聞~うたの旅人」より)

まるほど・・。そんな背景で、当時の自分の幼稚園時代(昭和28年)にも歌われており。それで自分も覚えた訳か・・・。

童謡ひとつ取っても、時代背景を調べてみると、色々な歴史がある。
何とも記憶の彼方にある“我が「たきび」”ではある。

| コメント (2)

2011年1月 1日 (土)

明けましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
P10808782 サーテ、2011年がスタートした。・・・と言っても何が変わる訳ではない・・・。いつもの通り・・・。
左の写真は、カミさんが作ったウサギ。(写真はクリックで拡大)

我が家の元旦の唯一の行事は初詣。毎年年末にお札を頼み、元旦に初詣がてらそれを貰うのが恒例。今年もいつもの高幡不動に行く。今年も家族4人そろって・・・。
ところが、今年は例年と様子がおかしい。毎年同じような午後の時間に行くのだが、今年は駅を降りると、警察官が「最後尾はここ」という看板を持っている。何と駅からお寺までの参道に人がぎっしり・・・。こんな経験は今までにない。仕方が無く、お参りを諦めてお札だけ貰って帰った。そして遠くの方から帽子を取って形だけ手を合わせてはみたが・・・
このところ、お参りの時に車を止めさせて貰っているカミさんの友人のSさんも、今日はあまりの人の多さに退散し、別の日に改めて行くことにしたとか・・・。近くの人も同じような話をしているので、今年の参拝者は異常。この人の多さは、どう理解したら良いのだろう・・・。世の中、神さま仏さまにお願いするしか、方法は無くなったのか・・・・
なお、お札は数年前にサボったことがある。そしたら途端に“異常事態”が発生して・・・。それに懲りて、また毎年貰うようになった。

さて元旦の新聞は、その新聞社の思いが出ていて面白い。日経新聞は日本が現在置かれている状況を再認識し、改めて警鐘を鳴らしていた。そして、その記事に示されているグラフが実に分かり易い。
Image05601 まず1面。主要国の平均年齢のグラフ。日本人の2010年の平均年齢は45歳だという。そして2050年頃には58歳位までになるという。歩いている人の平均が60歳近くなるとは・・・
そして、その日本を追っているのが少子化国の韓国。それを中国、ブラジル、インドが追う。抜かれるのはフランス、米国・・・。それでもどの国も平均年齢が上がっている・・・

Image05612 その原因は、日本の年齢別人口の変化。20歳未満の人口が大きく減り、現役世代の64歳以下が漸減して、リタイア世代の65歳超者が激増する。
「1955年に9827万人だった人口は04年に1億2777万人まで増加した。だがこれをピークに人口は減少に向かう。国立社会保障・人口問題研究所の予測によると、46年には1億人を割り込み、55年には8993万人まで減る。・・・・・・」

Image05581 そして出生数と死亡者数のグラフ。
「2010年の人口動態統計の年間推定では、死亡数が戦後最多を更新した。・・・・・三大死因の順位は変わらず、トップは「がん」の35万2千人、2位は心筋梗塞などの「心疾患」で18万9千人、3位は脳卒中などの「脳血管疾患」で12万3千人・・・」

Image05611 それから、人口問題と同時に深刻な政府の債務。良く言われているようにダントツ日本!!確かにこのグラフを見ると、日本だけが突出して大きい。

「人口減×高齢化×財政難」という難題。
「かつて日本は危機的な状況に追い込まれながら、明治維新、敗戦後の高度経済成長という2度の奇跡を経験した。だが、バブル崩壊後の失われた20年間は、長期にわたるデフレ、そして急速に進む高齢化や人口減という、世界でどの国も経験したことがない未知の難題に直面している。」(2011/01/01付「日経新聞」p9より)

これらの将来の状況は、誰でも考えれば直ぐに分かる事ばかり。でもそれらを目をそらせて考えようとしない。確かにそれらの課題は、今すぐに現象として現れてこないので、政府(国)が先送りしたい気持ちも分かる。誰がババを引くか??
これらの問題は、まさに年金問題と同じ。発覚するときには自分はもう居ない。オレは関係なくなって逃げる・・・というあの姿にダブる・・・。

さて、2011年というこの年。政治の混迷を脱して、少しでも国民が納得出来る方向に進むのだろうか?何とも歯がゆい年のスタートではある。
今年もつれづれに勝手なことをメモする当blog。変わらずに、お付き合いのほどを・・・・

| コメント (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »