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2010年12月22日 (水)

「いただきます」の仏教思想(4/6)

雑誌「大法輪」を読んでいたら「日常語に含まれている大切な仏教思想」という記事があり、心に留まった。その全文を6回に亘って読んで行く。今日はその4回目。

「日常語に含まれている大切な仏教思想
    大本山護国寺貫首 岡本永司

私たちが日常使っている言葉の中に深い仏教思想が含まれていることが多くあります。その一端をご紹介させていただきます。
・・・
「いただきます」
第四番目は「いただきます」という言葉であります。同じように「頂戴します」などとも使われており、いずれも仏教の深い意味を持った言葉であります。「いただく」とは「頂(いただき)」のこと、頭のことで、頂戴は頭の上にのせることになります。インドでは尊敬する人や深い感謝の意をこめた時相手の足を自分の頭上に捧げる行為をします。私たち僧侶は仏様を礼拝する時五体投地の礼拝と申して自身の体を大地に伏して仏様の御足を頭の上にいただく畏敬の念を持って拝みます。また法衣を着る時や経典を読誦する時もそれを頭上にいただいてから行法に入ります。師僧から教えを受けるときは「頂戴受持(ちょうだいじゅじ)」と申してありがたく教えをいただくことになります。
こうした行為のほかにこのいただきますという言葉は、前述したように素晴らしい仏教思想を含んでおります。一般的には食事をする時など合掌して「いただきます」と言って箸を取るのが食事の作法と言われておりますが、これも最近では大分薄れてしまっており残念でなりません。子供の頃からの躾が大切であることが痛感されます。ある学校で給食の折には食前に皆で合掌していただきますと言って食べる習慣になっていたところ、都会から転校してきた子供の母親は合掌するのは宗教行為で、「給食費を払っているのだから一々いただきますと言う必要はない」と学校に文句をつけ、結局その学校では今まで行なわれていた素晴らしい食事作法が取りやめになったそうです。誠に情けないことでその母親の心の汚れ浅知恵、またそれに屈した学校の不甲斐なさに驚くばかりであります。
私たちは自分の生命を保持して会社活動をしていく上でどうしても食事を摂らねばなりません。そしてその食材は全て命あるものから摂取する以外にないことはご承知の通りであります。お腹が空いたからと言って石や土を食べるわけにはまいりません。米麦にしても大根人参等の野菜や果物、肉や魚介類全ていのちあるものであります。仏教では戒律の一番目に不殺生戒を説いております。しかし、この戒を完全に守り実践して行くことは自らのいのちを絶つことになってしまいます。私たちは誠に申し訳ないけれども、他の生物のいのちを自らの体に取り入れなければ生きていけない存在であることを深く懺悔し、強いて言うならば「お詫び」をしながら食事をいただくほかありません。つまり私は今あなたの尊いいのちをいただくという強い内省の念が込められているので、それが合掌という形をとることになるのであります。そして戒で説く不殺生戒はかかる上は出来るだけ他のいのちを尊び無駄な殺生や殺戮を慎めとの戒であると思います。実に私たちは天地自然の恵みや神仏の計り知れない大きな力によって生きることが出来ることに敬意と感動の念を持ち、自らを支えて下さる全ての不可思議な、考え及ばない全てに、その力をいただいている、頂戴しているという現実に心から「いただきます」「頂戴しております」と言える豊かな心で日々を過ごして参りたいものであります。」(雑誌「大法輪」2010年11月号p25より)

実はこの記事を読んで「ドキッ」とした。正直、食事の前に合掌して「頂きます」と言う人は、自分の前にはただ一人を除いていなかった。でも一人だけ居た。
入社した当時、2年先輩が、会社の食堂で、昼食の時に合掌して「頂きます」と言っていた。22歳の自分は、“何かの宗教か・・?”とそれを見ていぶかしがった。奇異に感じていた。その意味が、ここに書いてあることだと知ったのは、だいぶん後のこと。

全ては子どもの時の躾(しつけ)である。子どもの時に、食事の時どのような作法とするかは、家庭での親の躾。自分の場合は、合掌こそしなかったが必ず「頂きます」と言わされた。自分はそれを、親に対する「頂きます」だと思っていた。まさか「いのち」を頂くとは、思ってもみなかった。
子どもの時に、自分の親が「“頂きます”の意味は・・・」と教えてくれていれば、そのひと言もまた別の言い方になっていたのでは?つまり「言わされている」から「自らが言う」に変わった??

では自分たちの子どもに対してはどうしていたか・・・。ウーン。同じだったな・・
「頂きます」を、どこまで躾けたかは忘れた。少なくても現在は「頂きます」と言っていないのでは?もちろんその意味を子ども達に教えた記憶もない。
まあいつもの“子どもを持つと、イヤミが自分に返ってくる”一例に過ぎない。

でもこれを機に、少なくても家庭では食事の前後に「頂きます」「ご馳走さま」と言うことにしよう。
どうも現在の息子どもを見ると、「躾」に自信がない。まあ「隗より始めよ」という諺もあるので・・・・

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コメント

 変な雑学ですみませんが・・・、 
 食事の前「いただきます」と手を合せることは自然のこととして、その前後に、何かを言うことはありませんでしょうか?
 私の実家では、「どうぞ召し上がれ」と母はいつも言ってくれました。
 かなり以前、姉の家に行ったとき当時2.3歳だった姪の子が、あんな小さいのに「どうぞ召し上がれ」と言ったのと子供たちはビックリしていました。
 ところが・・・、うちの子供に言わせると「私は、おばあちゃん(義母)の言った『おあがんなさ~~い』(メロディーつき)の方を思い出す。」と。
 それぞれのご家庭では、このような会話はあるのでしょうか?
 今の皆さんのご家庭ではどうなのでしょうか?

【エムズの片割れより】
確かに、「頂きます」と言ったときに、何と言われたか・・・。ウチでは、単に「ハイ・・」だったかも・・。
まさに親から子に受け継がれていく、作法(習慣)ですね。

投稿: ジャン | 2010年12月23日 (木) 23:13

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