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2010年11月11日 (木)

「老いても『常精進(じょうしょうじん)』で!」

雑誌「大法輪」の今月号(2010年12月号)にこんな文章があった。曰く・・

老いても「常精進」で!
お釈迦さまが死を目前にされ、激しい腹痛の中で説かれた最後の教えは、
「諸(もろもろ)の事象は滅びゆくものである」
「弟子らよ、つとめ励めよ」
というものでした。前者はいわゆる「諸行無常」で、後者は「常精進(じょうしょうじん)」と呼ばれます。このうち常精進とは、最後の日まで輝く「いのち」であるように・・・と示されたことに他なりません。
鎌倉のある名刹の老師は、自身の死期が近いことを悟り、床に伏しながら、弟子に向かって、NHKの英語のテキストとそのテープを買ってくるように頼みました。弟子は怪訝そうな顔をして、「老師、今から英語を学ぶのですか?」と聞きました。
老師はにっこり笑い、
「お前の言いたいことはよく分かる。どうだ、今日は日曜日だから鎌倉の駅界隈は大勢の人でにぎわっておるであろう。その中には外人さんもたくさんいるはずじゃ。鎌倉でさえそのような状況じゃから、あの世にはもっと外人さんがいるに違いない。あの世で布教するためには英語が必要じゃ。だから今から英語を学ぶのじゃ」
と言ったといいます。
ユダヤ系ドイツ人であったため、迫害を避けドイツからアメリカへ渡ったサミュエル・ウルマン(1840~1924)。彼は実業家であり、教育者であり、詩人でありましたが、次のように老いと青春について語っています。

  時には、二十歳の青年よりも
  六十歳の人に青春がある。
  人は歳を重ねただけで老いない。
  理想を失った時初めて老いる。

サミュエル・ウルマンのこの詩は、「常精進」に通じる言葉であると私は思うのです。理想をもって常に前に進む、青春、それは老いには関係がない。老いても青春時代の心をたもて・・・と言うのです。」(雑誌「大法輪」2010年12月号p77より)

この鎌倉の老師の言葉・・・。「ウィットがある!」なんて捉えてはバチが当たる? 死を前にしても、この平常心・・・。これこそ修行の賜?
ふと「茫然自失」という言葉を思い出した。広辞苑には「あっけにとられて、我を忘れてしまうさま。」とある。ちょっと違う・・・。むしろ「放心状態」の方が近いか?気の弱い自分が、死を前にした時の状態は・・・!?
鎌倉の老師の話はどうもうますぎる。ホントウかどうかは知らない。でも“なるほど”・・・。

前に「ある大学の同窓生で作る文集「むつごろう⑥」を読む(ここ)」という記事を書いた。
これはある大学の同窓生が、卒業後40年を経て、現役リタイアを機に毎年文集を作り、配っているもの。これを借りて過去6年分を読んだのだが、そこにはリタイア後のサラリーマンのサンデー毎日の姿が色々と書かれている。再度大学に行って異分野の勉強を始める者、四国のお遍路にチャレンジする者・・・。
先のサミュエル・ウルマンの言葉は良く聞く。詰まるところ、“精神的な老若は、単なる年齢だけでは決まらない。心の若さで決まる・・”。なるほど・・・。

リタイアサラリーマンが行く場所を失った時にどうするか・・・。自分にも“その時”が確実に近づいているのに、なかなかターゲットが定まらない。
最近では、当blogを続けることで「無為に過ごしてない」という言い訳にしようかな・・・ナンテ思ったり・・・。
これまでの人生の自由時間“以上”に与えられるであろう、これからの自由時間の過ごし方・・。こんなblogを4年半も書きながら、堂々巡りしながらさまよっている自分・・。まあ今後も見つからんな!

●メモ:カウント~135万


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コメント

毎日「片割れ」のブログを楽しみに読ませていただいております。
昨日は新しいブログのUPがなかったので、少々心配致しましたが、
今回の「老いても常精進で!」を拝読し安堵いたしました。
エムズ氏はコメントの終盤で「最近では、当blogを続けることで「無為に過ごしてない」という言い訳にしようかな・・・ナンテ思ったり・・・。」
との弱気な(過小評価な)記載がありますが、貴ブログは、人生を真正面から立ち向かう、稀に見る几帳面なブログだと思います。
今日は、片割れのブログよりコピーした、朝日俊彦氏の「こころの時代・大往生のすすめ」「ガンになって教えられたこと」をウォークマンで聴きながら、病院での二時間の待ち時間を過ごしました。
近々に訪れるであろう死と対峙せねばならぬ私にとって、今回の記事も大変参考になりました。有難う御座いました。

【エムズの片割れより】
過分のお言葉で、恐縮です。当blogもあまり肩を怒らせないように、と思っています。ですから特にテーマのない日は退散・・・。

投稿: 田中久雄(柳風) | 2010年11月12日 (金) 00:46

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