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2010年10月25日 (月)

「緩和ケアってなあに?」

カミさんが入っている日本尊厳死協会。その機関誌「リビング・ウィル」が、たまに送られてくる。そのNo139(H22年10月1日発行)に、気になる記事があった。曰く・・・

緩和ケアってなあに?
    広島パークヒル病院 城仙泰一郎先生
「緩和ケアとは?」
緩和ケアとは、がんなどの末期の方々のために生きる為の支援をする、一日一日を一生懸命生きてゆく為の支援をすることですから、ホスピスは死に場所などと考えないで欲しいのです。WHO(世界保健機関)の定義によると、緩和ケアとは、生命を脅かすあらゆる疾患を持つ患者とその家族に対して緩和医療を行うことですが、日本ではがんとエイズだけが対象で、それ以外の病気は一般患者として扱うよう法的に縛られています。私も本音では、苦痛を伴うあらゆる疾患の患者さんとその家族に広げたいと思っています。
「緩和は苦痛をゼロにすることではない」
緩和は、苦痛特に痛みを全くゼロにすることではありません。痛みを自制できる範囲で維持できるところまで緩和することです。以前、下半身に激痛を感じる患者さんの要請で神経ブロックを施したところ、今度は少々痛くてもいいから感覚を戻して欲しいといわれました。痛みも感覚も全部無くなるのは如何に恐怖かということが分かります。痛みも生きていることの生体反応なのです。今は、モルヒネを使って、感覚を無くさないで痛みを消去することが可能になりました。
「がんも生物である」
がんも生物で、がんにもがんとしての生き方があります。人はがんになったら何とかしてそれを取り除こうとしますが、その何年間は本当に良い時だったのでしょうか。がんに気付かないで何の治療もせず、がんの命と共に人生を終る人もいます。がんの性質、個性を含め、よく知ることが大切です。そうすることで、将来はがんとの共生も考えられます。
「医原病を少なくしたい!」
がんの治療を続けると、別の新しい病気になることがよくあります。胃がんの人が肝硬変や肺疾患または骨の病気になるような例です。これを医原病といいます。医療が作った病気という意味ですが、副作用による病気で副作用病といってもいいかもしれません。医原病で死ぬ患者も苦しいし、医者も心苦しいのです。それを少しでも少なくする為には、医師の説明を十分に聞いて理解し、自分の意思を明確に医師に示すことが大事です。リビングウィルを書いておくことによって、医原病は減少するのではないかと考えています。
「安楽死、尊厳死→平穏死、豊かな死」
尊厳死という言葉が分かり難いというので、「平穏死」という言葉が生まれています。またつい最近、世界で最も「豊かな死」を迎えられるのは英国で、オーストラリア、ニュージーランドがこれに続き、日本は23位という評価が出されました。これはイギリスのある機関が、世界40カ国の終末医療や苦痛を和らげる緩和医療について医療関係者に聞き取りを行い、普及状況や質、医療費など複数の観点から評価したものです。日本は高額な医療費と医療に従事する人員の不足から低い評価になったようです。私は豊かな死と同じ意味で「緩和死」というものがあってもいいかなと考えています。私にとって、「平穏死」「豊かな死」はまさに希望であり、祈りであります。(文責 小林惇)」(「リビング・ウィル」No139~P26より)

最初に、自分はどうもホスピスについて誤解をしていたようだ。ホスピスとは助からない人なら誰でも入れると思っていたら、がんとエイズだけに限られるとのこと。確かに、ホスピスのホームページを開いてみると「がん、あるいは悪性腫瘍と診断され・・・」とあり、実質はがんの患者に限られるようだ。他の病気はなぜ?助かる可能性があるから??

それにしてもこの文章には、ついうなずいてしまう。特に「人はがんになったら何とかしてそれを取り除こうとしますが、“その何年間は本当に良い時だったのでしょうか”。がんに気付かないで何の治療もせず、がんの命と共に人生を終る人もいます。」という捉え方・・・。

前に、亡くなった朝日俊彦先生が自分のがんに対して「胃がんクン、君の使命は理解できた。君が僕の体に宿ってくれたおかげで、色々な気付きとか学びとかで自分は一回り大きな人間になれたような気がする。でも、ボクも使命がありそれを全うしたい。だから君とソコソコでお別れもしたい。だから悪いけれども気を悪くしないで、いつかはお別れをするつもりで、それまでは共存共栄して行きましょう」と呼びかけていた。(ここ
自分の体に宿ったがんも、第三者的に捉えることが出来れば、このような言葉も出るのだろう。でも自分など、その場に遭遇したら・・・
確かにがんも生き物。ある段階を越えたら、闘病せずに共生して残された時間をがんと一緒に過ごす、という選択肢もあるような気もする・・・。
それに「がんの治療を続けると、別の新しい病気になることがよくあります。・・・副作用による病気で副作用病といってもいいかもしれません。」という「医原病」という言葉もショックだ。ところがこの言葉は、広辞苑にもATOKにも載っている公式な言葉。確かに「医師に任せている」と危ないのは確か・・・。

同僚の奥さんが抗がん剤の治療中で、今大変だそうだ。我々は何もしてあげられない。ただ祈るだけ・・・・。がんは決して別世界のことではない・・・。
まあ、自分もこんな文章を読みながら、“その時”への心の備えを作っているのかも知れない。もちろん“その時”は誰でもやってくる。しかしそれを家族と一緒に受け止められるのか、それとも生涯独身者として、ただ一人で泣くのかの違いは大きい。(おっとっと、またいつもの話になってきたぞ・・・)
それにしても、さすが尊厳死協会・・。なかなか考えさせられる文章(講演)ではある。


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コメント

世間一般では、がん患者の最期は痛み苦しみ、もがくものと思われています。
確かに以前はそのようであったでしょう。しかし、最近では緩和ケアーの考えが普及して、必ずしも、もがき苦しむ終末ではなくなりました。
WHOでも緩和療法の重要性を説き、遅れていた日本の医療に警鐘を鳴らしています。
いまや合成麻薬も数種あり、用法も多岐にわたってきました。
今ではガン患者の終末は、もがき苦しむ時代ではなくなりました。
現在では病院で最終期を迎えるのが、普通になっているようですが、元来病院は病を治すところであって死を迎える場所ではありません。
入院したことのある人なら解かるでしょうが、あの狭い空間で、周囲に気を使っての旅立ちは相応しくありません。
今は介護保険も整備されましたし、訪問医療・訪問看護も期待できるのですから、それまでに生活していた空間、自宅が最適だと思います。
終末期に入院すると、病院では最低限輸液を施します。
ですから屍はみずみずしい肌をしているのです。
このことが本人を苦しめるのです。出来れば断食がよいのです。
一番楽な最期は、皮膚がカサカサになるのが理想なのです。
巨木がそうであるように枯れて朽ちるが良いのです。
何より大切なことは、死を迎える人のマインドです。
宗教も良いでしょうが、宗教もいろいろで、一時の借り物の宗教では不十分です。  人生、永い間に自分の信ずるところを明確にしておくことが大切なことだと思います。

【エムズの片割れより】
目から鱗のコメントをありがとうございます。そうですか・・。今はガンの末期でも苦しまなくて済みますか・・・。そうなんですね。
自分も、もし死に場所が選べるなら、やはり自宅ですね。“枯れて朽ちる”死に方は、当サイトで2010年8月19日に書いた石飛幸三医師の話と同じです。それが理想か・・。
「死を迎える人のマインド」、これは難しい問題です。自分など、心(意志)と実際の体(動き)が別々になってしまうのではないかと思います。自分がその時を迎えるまでに、その域に達することが出来るのかどうか・・・

投稿: 田中久雄(柳風) | 2010年10月26日 (火) 19:37

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