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2010年10月の25件の記事

2010年10月30日 (土)

京懐石料理(八王子)「鶯啼庵(おうていあん)」に行く

誰でも“高嶺の花”の店の一つやふたつは持っているもの。我が家の高嶺の花は、当八王子の京懐石料理店「鶯啼庵(おうていあん)」(ここ)。

昔、会社の接待で、一度だけ来た事がある。それは10年ちょっと前のこと。その時に、その高級さ、品の良さに魅了され、そのうち個人で一度来てみたいものだと思った。それからウワサで知っていたカミさんと二人で、我が家の“高値の花の店”として、深く記憶の底に“潜んだ”。

先週から我が家に茨城のお袋が来ている。1週間ほどの滞在。その軍資金を兄貴から貰ってしまった。最初は、我が家が勝手にお袋を呼ぶので、そんな援助金は貰えない、と断ったのだが、一応預かった。しかしその額が大きかったため、一悶着。でも最終的には、せっかく来たお袋を、その「鶯啼庵」に連れて行こうという話でまとまった。まあ兄貴が“お金は生きるように使うもの”との哲学に従ったものだが・・。
そして昨夜、お袋に便乗して3人で「鶯啼庵」に行ってきたわけ・・。コースは5千円から1万2千円まで各種。それぞれ品数が違う。我々は年寄りなので、そんなに食べられないと思い、7千円コース(サービス料が別に10%)にした。

まず「鶯啼庵」の場所を探すのに一苦労。ちょうど中央道八王子インターチェンジの側なのだが、山を切り開いた場所らしく、裏道で何とも分かりづらい。ほとんどがタクシーや無料送迎バスで来るらしい。送迎バスは、八王子や立川周辺から無料で送ってくれるらしい。確かに車で来ると酒を飲めないな・・・

店に入って目に入る正面のホンモノの滝にビックリ。裏山が滝や池、そこに浮かぶ舟など、がかがり火と共にライトアップされている。場所が都会でないだけに、奥深く雄大。その大きな庭が各部屋から眺められる。通された部屋からもガラス越しに良く見える。部屋は8名ほど座れる部屋。そこを3人で占領。掘りごたつ式なので楽・・・。部屋の床の間の掛け軸には、たまたま親父の名前と同じ文字がひとつ掲げられていた。これも偶然。まるで死んだ親父も一緒に参加しているように・・・。(写真はクリックで拡大)

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料理は京懐石。全部で8品出たが、どれも上品でおいしかった。自分は銀鱈の焼き物が一番フィットした。

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トイレに行ってビックリ。男性小用の便器がない。全て個室に洋風便座。今まで色々な店に行ったが、男子小用便器が無い店は初めて・・。廊下も上品・・。

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せっかく来たので、帰りに店の写真を撮ってみた。ついでに、カミさんが店に入る時に見かけたという「道祖神」の写真を撮った。

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ともあれ、大正解の店だった。来年90歳を迎えるお袋も大満足。品の良い店、品の良い料理。それがなかなかうまかった・・・。仲居さんに聞くと、この店は出来てから17年だという。自分が初めに来たのは、まだ店が新しかった頃・・・。でもなかなかの店で気に入った。
まあひょうたんからコマ・・。自分のお金では到底こんな贅沢は出来ない。家に帰って、お袋は早速兄貴に礼の電話をしていた。
まあこれも親孝行!? なかなか印象の残る会食ではあった。

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2010年10月29日 (金)

「おかげさま」の仏教思想(2/6)

雑誌「大法輪」を読んでいたら「日常語に含まれている大切な仏教思想」という記事があり、心に留まった。その全文を6回に亘って読んで行く。今日はその2回目。

「日常語に含まれている大切な仏教思想
     大本山護国寺貫首 岡本永司
私たちが日常使っている言葉の中に深い仏教思想が含まれていることが多くあります。その一端をご紹介させていただきます。
・・・

おかげさま
第二番目は「おかげさま」であります。この言葉もよく使われておりますが、文字通り陰の力、即ち目にはっきり見えない力ということであります。
私たちは生きて行く上で実に様々なご縁や支えによってはじめて生きることが出来ます。はっきりと目に見えることでは家族や同僚、周囲の人々や諸々の物の力を蒙っておることは申すまでもありません。しかしそれらは氷山の一角と言えるほどわずかなことであります。私たちの生命を保つための食物にしても、それを生産している人々のことはほとんどわかりません。それらを運ぶ人々や国のことも知り得ません。また私たちを寒暖から守る衣類にしても、自分が働いたお金で買ったのだと言うかも知れませんが、そこに至るまでの道のりはわかりません。ほんとうに目に見えないところで働いている人や限りない物の力や支えによって生きることが出来るのであると痛感させられます。
そればかりではなく、私たちが生存に不可欠な大地、水、空気等々の大自然の恵みなくしては一日たりとも生きることはできません。更に私たちには人類発生以来綿々と続いている目に見えないいのちがあり、これは先祖代々のお陰をいただいておることになります。そして心の支えとなる諸仏諸菩薩の大威力を蒙っております。つまり私たちがいま生きていられるのは、一人一人がピラミッドの最頂点にいるようなもので、その裾野は限りなく広く深い底辺を持っていると申せます。そのほとんどすべては陰の力であると受け止めれば、自(おの)ずから人や物に対する見方、考え方が仏法で説く報恩謝徳の精神に立脚し生きる方向が定まると思います。」(雑誌「大法輪」2010年11月号p23より)

先日の第1回目が「ありがとう」(ここ)。そして今回が「おかげさま」。つまり“感謝”である。

日々“感謝で暮らす”ということは、確かに理想的な生き方だとは思う。しかし何とその実現の難しいことか・・・。

先日、会社で、各拠点が自分のところの悪さ加減は棚に挙げて、他の部門の非難ばかりする、ということが問題になった。他の部署から受けている支援を「おかげさま」とは捉えず、それらのミスに対して文句を言う口先ばかりがとがっている・・・、と。
確かに人間の原理として、「自分は悪くない」というスタンスは仕方がないこと。でもそこがスタート点だと、何も改善されない。原理的に“自分は悪くない、全ては他が悪い”という事は、“自分は何も悪くないので直すところがない”ということなので直しようがない。
でも、まず自分の悪さを意識するということは、凡人にとっては非常に困難なこと・・・。

でも「おかげさまで」という言葉は、聞いていて清々しい。
手仕事屋きち兵衛さんが、コンサートのトークの中でよく「品の良い老人になろう」と言う(ここ)。人間トシを取るほど、他人の支援が必要になる。その時に「おかげさま」という言葉がどれほど、支援している周囲の人を元気付けるか・・・
ヘソの曲がっている自分など、「おかげさま」は一番苦手な言葉だが、まあ長期戦で少しでもこの言葉が口から出るように努力したいと思う。(のだが、まあムリかな~~?)

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2010年10月28日 (木)

「NHKラジオ第2」を聞き始める・・

先週の日曜日の新聞だったか、テレビ・ラジオの番組表の投書欄に「先日ラジオで放送された“文化講演会”が良かった」という記事があった。NHKラジオ深夜便で時々放送される文化講演会のアーカイブ。それが今でも放送されている??と番組表を調べたら、日曜日の夜9時から、NHKラジオ第2で放送されていることが分かった。また「NHKラジオ第2 文化番組 カルチャーラジオ」のHP(ここ)を覗くと、科学、歴史から漢詩まで毎日30分ずつ番組が放送されている。そうか、本屋のNHKテキスト売り場で見かける放送は、これか・・・、と納得。

毎日6時間近く放送されているNHKラジオ深夜便。もちろん自分は全部を聞いているわけではないが、その量に比較して毎日30分の追加録音は誤差範囲。よって、これも録音しておいて、通勤途上に聞く対象に加えよう・・・、と思って先日の日曜日の夜からNHKラジオ第2の録音を始めた。
ウチの録音機材は、オリンパスのVJ-10。そのライン入力に、主力のFMチュ-ナ-L-02TとAM放送用パイオニアのF-C3をつないでいる。それらの切換はタイマー連動のリレーで。そこにNHK第2を入れなければ・・・。とりあえず、AMチューナーを手持ちのケンウッドKT-1100Dに変えた。これは電源がONする度に、二つの局(NHK第1と第2)を切り替えられるので、タイマー連動にすれば簡単・・・。

それにしても、NHKラジオ第2放送の番組表を見てビックリ。そのほとんどが語学講座とその再放送・・。確かにラジオという媒体は語学の勉強に向いているのかも知れない。
昔、受験勉強時代、ハイドンの「時計」交響曲で始まる「百万人の英語」とか、ブラームスの大学祝典序曲で始まる「大学受験ラジオ講座」などがあった。文化放送でスタートは夜10時半頃だったか・・・。調べてみると、「百万人の英語」は1958年(昭和33年)から1992年まで、「大学受験ラジオ講座」は1952年(昭和27年)から1995年まで放送されたという。スポンサーはもちろん旺文社。当時、旺文社は文化放送の大株主だったとか。その関係も旺文社の業績悪化から、2001年に解消・・・。時代と共に何もかも変わっていく・・・。

そういえば、小学校の時、教室でNHKのラジオを聞く時間があったっけ・・・。自分たちは、教室にテレビが入る前の時代だった。そう多くの回数を聞いたわけではないが、教室に流れるラジオ放送を聞きながら、頭はそのドラマの中に入り込んでいたっけ・・・。
シルバー世代を迎え、何から何まで、“昔”に戻りつつある最近の我が生活ではある。

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2010年10月26日 (火)

男声合唱団コール・ファーマーのシューベルトと「小雨の丘」

シューベルトの歌曲の男声合唱版を初めて聴いた。それに懐かしのメロディー「小雨の丘」も・・・。
先日、NHKラジオ深夜便で放送された「明日へのことば~平和の願い、歌声を届けて33年 合唱団常任指揮者 升本 弘」(2010/10/20放送)を聞いた。升本氏は男声合唱団コー101026chorfarmer_2 ル・ファーマー(ここ)の常任指揮者であり、そのコール・ファーマーは1967年東京農業大学男声合唱団として升本氏によって創設され、その後OBを加えて大学から離れ、一般合唱団になったという。特徴として、オーストラリアやニュージーランドに親善演奏旅行に行っており、それは1977年以来今年で17回を数えるという。(写真はCFのHPより借用~クリックで拡大)
この番組では、コール・ファーマーの演奏を2曲紹介していた。少し聴いてみよう。

<コール・ファーマー:シューベルト「美しき水車小屋の娘」より「さすらい」>

何とも不思議な気持ち・・・。男声合唱によるリートである。でも聞いていて何か心地よい・・・

次に「小雨の丘」である。この歌は宝塚歌劇団出身の歌手・小夜福子の歌で昭和15年に発売された歌だという。

<コール・ファーマー:「小雨の丘」>

「小雨の丘」
  作詩:サトウハチロー
  作曲:服部良一

雨が静かに降る 日暮れの街外れ
そぼ降る小雨に 濡れ行くわが胸
夢のような小糠雨 亡き母の囁き
独り聞く独り聞く 寂しき胸に

辛いこの世の雨 悲しき黄昏よ   
そぼ降る小雨に 浮かぶは思い出   
移り行く日を数え 亡き母を偲べば   
灯火が灯火が 彼方の丘に

丘に静かに降る 今宵の寂しさよ
そぼ降る小雨に 心の涙よ
ただ独り佇めば 亡き母の面影
雨の中雨の中 けむりて浮かぶ

この歌は非常に古い歌だが、男声合唱で現代に見事に蘇っている。特にピアノの伴奏の編曲が素晴らしく、聞いていて心地よい。オリジナルに敬意を表して、小夜福子の歌でも聞いてみよう。

<小夜福子の「小雨の丘」>

まさに宝塚スターの歌謡曲。それがこうも変身するのだ!

この番組では、オーストラリアへの演奏旅行は、戦争中に日本人捕虜収容所があった町に行って、ホームステイをする話など、色々と興味深い話があった。

でも、このような団体活動を維持するのは大変なこと。まずは中心になる人物が必要。学校音楽コンクールなども同じだが、素材(生徒)は平等。それをハイレベルに持ち上げるのは指導力。その点、このコール・ファーマーは、作曲・編曲もされるという常任指揮者の升本弘氏、およびピアニストの湯山優子氏を得て、体制は盤石のようだ。
レパートリーも、上の2曲からも分かるように、作曲・編曲者を抱えているだけに強い。“受け身”の合唱団と違って、どんな曲にもチャレンジ出来る無限大の可能性を秘めている。だからシューベルトにも昔の歌謡曲にもチャレンジ出来る・・。

合唱は、女声合唱も良いが、自分はやはり男声合唱が一番好きだな・・。一度、コール・ファーマーの定期演奏会にでも行ってみる?そのうち時間が取れたらね・・・

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2010年10月25日 (月)

「緩和ケアってなあに?」

カミさんが入っている日本尊厳死協会。その機関誌「リビング・ウィル」が、たまに送られてくる。そのNo139(H22年10月1日発行)に、気になる記事があった。曰く・・・

緩和ケアってなあに?
    広島パークヒル病院 城仙泰一郎先生
「緩和ケアとは?」
緩和ケアとは、がんなどの末期の方々のために生きる為の支援をする、一日一日を一生懸命生きてゆく為の支援をすることですから、ホスピスは死に場所などと考えないで欲しいのです。WHO(世界保健機関)の定義によると、緩和ケアとは、生命を脅かすあらゆる疾患を持つ患者とその家族に対して緩和医療を行うことですが、日本ではがんとエイズだけが対象で、それ以外の病気は一般患者として扱うよう法的に縛られています。私も本音では、苦痛を伴うあらゆる疾患の患者さんとその家族に広げたいと思っています。
「緩和は苦痛をゼロにすることではない」
緩和は、苦痛特に痛みを全くゼロにすることではありません。痛みを自制できる範囲で維持できるところまで緩和することです。以前、下半身に激痛を感じる患者さんの要請で神経ブロックを施したところ、今度は少々痛くてもいいから感覚を戻して欲しいといわれました。痛みも感覚も全部無くなるのは如何に恐怖かということが分かります。痛みも生きていることの生体反応なのです。今は、モルヒネを使って、感覚を無くさないで痛みを消去することが可能になりました。
「がんも生物である」
がんも生物で、がんにもがんとしての生き方があります。人はがんになったら何とかしてそれを取り除こうとしますが、その何年間は本当に良い時だったのでしょうか。がんに気付かないで何の治療もせず、がんの命と共に人生を終る人もいます。がんの性質、個性を含め、よく知ることが大切です。そうすることで、将来はがんとの共生も考えられます。
「医原病を少なくしたい!」
がんの治療を続けると、別の新しい病気になることがよくあります。胃がんの人が肝硬変や肺疾患または骨の病気になるような例です。これを医原病といいます。医療が作った病気という意味ですが、副作用による病気で副作用病といってもいいかもしれません。医原病で死ぬ患者も苦しいし、医者も心苦しいのです。それを少しでも少なくする為には、医師の説明を十分に聞いて理解し、自分の意思を明確に医師に示すことが大事です。リビングウィルを書いておくことによって、医原病は減少するのではないかと考えています。
「安楽死、尊厳死→平穏死、豊かな死」
尊厳死という言葉が分かり難いというので、「平穏死」という言葉が生まれています。またつい最近、世界で最も「豊かな死」を迎えられるのは英国で、オーストラリア、ニュージーランドがこれに続き、日本は23位という評価が出されました。これはイギリスのある機関が、世界40カ国の終末医療や苦痛を和らげる緩和医療について医療関係者に聞き取りを行い、普及状況や質、医療費など複数の観点から評価したものです。日本は高額な医療費と医療に従事する人員の不足から低い評価になったようです。私は豊かな死と同じ意味で「緩和死」というものがあってもいいかなと考えています。私にとって、「平穏死」「豊かな死」はまさに希望であり、祈りであります。(文責 小林惇)」(「リビング・ウィル」No139~P26より)

最初に、自分はどうもホスピスについて誤解をしていたようだ。ホスピスとは助からない人なら誰でも入れると思っていたら、がんとエイズだけに限られるとのこと。確かに、ホスピスのホームページを開いてみると「がん、あるいは悪性腫瘍と診断され・・・」とあり、実質はがんの患者に限られるようだ。他の病気はなぜ?助かる可能性があるから??

それにしてもこの文章には、ついうなずいてしまう。特に「人はがんになったら何とかしてそれを取り除こうとしますが、“その何年間は本当に良い時だったのでしょうか”。がんに気付かないで何の治療もせず、がんの命と共に人生を終る人もいます。」という捉え方・・・。

前に、亡くなった朝日俊彦先生が自分のがんに対して「胃がんクン、君の使命は理解できた。君が僕の体に宿ってくれたおかげで、色々な気付きとか学びとかで自分は一回り大きな人間になれたような気がする。でも、ボクも使命がありそれを全うしたい。だから君とソコソコでお別れもしたい。だから悪いけれども気を悪くしないで、いつかはお別れをするつもりで、それまでは共存共栄して行きましょう」と呼びかけていた。(ここ
自分の体に宿ったがんも、第三者的に捉えることが出来れば、このような言葉も出るのだろう。でも自分など、その場に遭遇したら・・・
確かにがんも生き物。ある段階を越えたら、闘病せずに共生して残された時間をがんと一緒に過ごす、という選択肢もあるような気もする・・・。
それに「がんの治療を続けると、別の新しい病気になることがよくあります。・・・副作用による病気で副作用病といってもいいかもしれません。」という「医原病」という言葉もショックだ。ところがこの言葉は、広辞苑にもATOKにも載っている公式な言葉。確かに「医師に任せている」と危ないのは確か・・・。

同僚の奥さんが抗がん剤の治療中で、今大変だそうだ。我々は何もしてあげられない。ただ祈るだけ・・・・。がんは決して別世界のことではない・・・。
まあ、自分もこんな文章を読みながら、“その時”への心の備えを作っているのかも知れない。もちろん“その時”は誰でもやってくる。しかしそれを家族と一緒に受け止められるのか、それとも生涯独身者として、ただ一人で泣くのかの違いは大きい。(おっとっと、またいつもの話になってきたぞ・・・)
それにしても、さすが尊厳死協会・・。なかなか考えさせられる文章(講演)ではある。

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2010年10月24日 (日)

「似た者同士 父娘の戦いは続く」~映画「エデンの東」

何とも訳の分からないタイトルではある・・・・
今朝の朝日新聞の「声」の欄に、深刻な悩みが載っていた。曰く・・・

似た者同士 父娘の戦いは続く
    中学生(福岡市南区 15)
私は父と戦っている。父は自分勝手だ。どうしても私は父を理解することができず、口げんかをする。皮肉なことに私はその父の意地っ張りなところや頑固なところを受け継いでしまって、似たもの同士なかなか決着がつかない。
私は父を説き伏せようとし、父は私の考えの盲点を突いてくる。28の年齢の差は大きく、私の多少背伸びした考えを、父は大人の目線で鋭く斬(き)ってゆく。これは私にとって最高に悔しいことだ。
自分のことを一番優先、という父の考えを改めさせるにはどうしたらよいのか。色々試してみたが、こちらの話を納得させることが一番望みがありそうなので、この方法で攻めることにしている。
何としても父に勝ちたいので、父が納得せざるを得ない話ができるよう、日々言葉を磨き、辻褄(つじつま)の合うように、しっかり筋道を立てながらものを考えるようにしている。父さえ攻略できれば、我が家にも安息の日がやってきて、母の悩みがいくらかは減るはずだ。しかし、それはまだまだ遠い道のりになりそうだ。」(2010/10/24付「朝日新聞」p9「声」より)

何とも深刻な悩みを抱えているご家庭があるようで、ご愁傷さま、としか言いようがない。
話はぶっ飛ぶが、さっき録ってあった映画「エデンの東」を見た。この映画は1955年公開というからもう半世紀以上も前の映画。だから自分も名前だけは知っていたが、見た事はなかった。でも何の事はない、“ひねくれ次男”の物語だった。でも自分に言わせると、まだまだひねくれ足りないな・・。
父親の期待を一身に集める優等生の長男に対して、粗暴でひねくれ者の次男。(この兄弟が双子というのは後で知った) そして、親の愛を得ようと、もがく次男・・。その間で、非常に重要な役割を担う長男のフィアンセの女性。そして近くの街で売春宿を営む、二人の出産後に家を去った母親の出現・・・。

家庭はある意味、出口の無い“るつぼ”。当事者には見えない事がたくさんある。その絡まった糸を、この映画では第三者のフィアンセが解きほぐしてくれる・・・。この存在はどの家庭でも渇望するところ・・・。(それは多くの場合、ヨメさん・・・?)
どの家庭も子どもが思春期のころは扱いが難しい。しかし、先の投書の家庭では、立派に会話があるではないか! これは素晴らしいこと。この「エデンの東」も親子の会話がある。これが全ての第一歩だ。

さっき夕食の時に、カミさんとこの映画の話をした。ウチも色々あったが、これ以上は何も出来なかった。よって現状が精一杯・・という結論に・・。

人間の成長は、全て“家庭”から始まる。親にならなければ、人生で見えない事がたくさんある。
また“いつもの話”になるが、未婚者が増えている日本は、未熟者が増えているように見えてならない。政府は、円高よりも婚活に注力すべし!!??

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2010年10月23日 (土)

フォークダンス「オクラホマミキサー」

さっき、夜遊びの帰り、車の窓から見える満月がキレイだった。(夜遊びといってもモールでトンカツを食っただけだが・・・)
秋もたけなわ。学校の運動会も終わっただろう。
ところで、今朝の新聞に「昔は~運動会はフォークダンス 今は~創作ダンスが増加」という記事があり、現代は「フォークダンス」という言葉がもう廃れているのだということを知った。曰く・・・

「「オクラホマミキサー」「マイムマイム」――。かつて体育祭や運動会の定番だった外国生まれのフォークダンス。最近では、あまり見かけなくなった。中学校1年生と小学校5年生の娘を持つ東京都在住の女性も先日、2人がこうしたダンスを1回もしたことがないのに気づいたという。
フォークダンスは世界の民族舞踊の総称で、オクラホマミキサーは米国、マイムマイムはイスラエルの楽曲・踊りだ。日本フォークダンス連盟(東京)によると、日本での普及は、GHQ(連合国軍総司令部)の紹介がきっかけ。戦後、男女共学や民主化の流れに沿って学校体育に盛り込まれ、若者の娯楽としても人気となった。最近は「愛好者の高年化などが進み、学校での機会は減ってきた」(同連盟)。
代わって増えているのが、ソーラン節など民謡系の踊りや流行歌、アニメソングなどによる創作ダンスだ。文部科学省によると、創作ダンスは少人数でも楽しめるため、「生涯スポーツの入り口として徐々に広がってきた」(企画・体育課)という。」(2010/10/23付「日経新聞」p2sより)

子どもの運動会に行ってから以降、もう20年も運動会には縁がない。でもその時もこんなフォークダンスは無かったように思う。その時、既にフォークダンスは廃れていた??
まあそう言わず、こんな曲を聞いてみよう。フォークダンスの定番、「オクラホマミキサー」である。

<フォークダンス:「オクラホマミキサー」>

先日、NHKのラジオ深夜便でこの曲が流れていた。その時、アンカーが「このオクラホマミキサーには“オクラホマミキサーの法則”というのがあって、彼のアインシュタインが発見した法則だ、と言っていた。それは好きな女の子の一人前で曲が終わってしまう、というものだという・・・。
あまりに出来過ぎた話に、ホントかなとNetで検索するとちゃんと記述したページがあった(ここ)。読むとやはり何か出来過ぎで、ウソっぽい・・。でも読んでいて愉快・・・。

思い出すと、中学のとき、“オクラホマミキサーの法則”みたいな事があったような、無かったような・・・。高校の時はフォークダンスの機会は無かった。踊ったのはもっぱら中学の時だったな。女の子とは、ひと言の話もしなかった多感な時期・・。でもフォークダンスで目指す女の子が段々近付いてくるとドキドキしたりして・・・。そして手を握るどころか、指先どおしでチョット触れるのが精一杯・・・、仏頂面で踊ったもの・・。
“また”こんな曲を聞きながら、昔を懐かしむシルバー世代ではある。

(関連記事)
フォークダンスの想い出~コロブチカ

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2010年10月22日 (金)

「晩ご飯の発想」

先日の日経新聞の「春秋」が面白かった。曰く・・・

「家に帰ると泥棒が入ってめちゃくちゃなことになっている。しばしパニックになり、さて、という時だ。「男性は警察に届を出そうとか、被害品のリストを作ろうとか言い出す。でも……」と続く話を、作家の小川洋子さんがしていた。
「きょうの晩ご飯をどうしようか、と考えられるのが女性です」。なるほどと感心していると、対談相手のフランスの女性作家が「いや、そう考えるよう強いられてきた歴史の結果ではないか」と異論を挟んだ。そんな見方もあるかとは思ったが、小川さんは「だからこそ女は人間を描ける」と負けていなかった。
一人暮らしで働く30歳未満の若者の手取り収入(可処分所得)を、総務省が5年ごとに調べている。先日発表になった去年の結果は、月額女21万8156円、男21万5515円。わずかだがはじめて男女が逆転した。賃金の男女格差が大きいといわれ、40年前を見れば女は男の4分の3しかなかった国の話である。
これも時代の一つの節目ではあろう。男性が多く働く製造業の不振と、女性が多い医療・福祉分野の急成長。逆転の背景にはそんな産業構造の変化があるそうだ。そのまた背景にあるのが、独自のものの見方をすることへの女性自らの自信だろうか。小川さんいうところの「晩ご飯の発想」。確かに男には縁遠い。」(2010/10/20付「日経新聞」「春秋」より)

これを読んで、「ウーン」とうなってしまった。これは確かにあるゾ・・・・。
でもこれは“動物”の話なのかも知れない。人間といえども動物。オスとメスの話・・・。オスは外敵に対して牙を剥く。メスは家族・子供を育む・・。まあ“理想論”だけど、そんなところが原点のような気がする。

NHKラジオ深夜便のミッドナイトトークというコーナーでの、脚本家の田渕久美子さんの話が面白い。田渕さんが良く言っているのが、家で脚本を書き始めると、“田渕久美子になった!”と、子供が近寄らないという。いつものお母さんの顔と、脚本家の顔は違う。
女性が何かに没頭することは少ないと思っていたが、この話を聞いて、そうでもないな・・と思った。つまり、男は何かに熱中すると寝食を忘れて没頭する。他の世界が見えなくなる。でも女性は、その中でも「今日の晩ご飯は・・」という発想・・。それは動物が生きて行くためには必要なことなのだろう。

我が家などは、いつもそうだ。機械モノが送られて来たり、パソコンがトラブったりすると、自分はついそのことに熱中してしまう。他のことは頭に入らない。でもそんな事情にお構いなく、インターホンからはカミさんの「オトーさん、ごは~~ん!!」という声。返す言葉は「ウルセー!!」
でもそろそろ自分もリサラリーマンリタイアの時期・・・。いつまでも「ウルセー!」が許されるとも思えない。先の20代の所得の話ではないが、現代は全てが女性優位に進んでいる世の中・・。「オカーさん、ごは~~ん!!」と言わざるを得ない日が、一日でも遠いことを祈ろうぜ・・・。

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2010年10月21日 (木)

嬉しくなること・・・良質FM放送

このところ、NHKのFM放送が楽しみ・・・。“今更”なのだが・・・。
今惚れている我が恋人、ケンウッドのL-02TというFMチューナーはつくずく音が良いと思う。特性がどうの、という問題ではない。聞いていて何か嬉しくなるのである。これはすごい事だ。30年も前の製品を今頃論ずるのは、もはや時代遅れなのかも知れないが、それ以降、同じような製品がないのだから仕方がない・・・。

FM放送はあらゆるジャンルの音楽を無尽蔵に放送しているので、考え方によっては実に楽しい音源。しかし、そのFM放送を良い音質で聞くのは至難の業だということが良く分かった。
まず電波の質。当サイトでも何度か書いているように、我が家で最大の悩みだったマルチパスノイズが97Km先のNHK水戸送信所の電波を捉えることで解決し(ここ)、やっと思い通りの音でFM放送を聴けるようになった。
何度も言うが、その電波を最高級のチューナーで捉えたその音が感動ものなのである。一番分かるのが、スタジオのアナウンサーの所作。声以外の音が筒抜け。原稿をめくる音、原稿をずらす音が全て聞こえる。別に雑音が聞きたいわけではないのだが、今までの音に比べて、別格。実に生々しい。だから安心して聞ける。これは多分に雑音レベルによるのだと思う。電波の状況によっては、CD並みにノイズが聞こえない。特に音楽が始まる直前、アナウンサーが手元のスイッチを切った瞬間、まさに無音の時間が訪れる。これは感動ものだ・・・(これ~マルチパスノイズがひどいが・・・)

NHK FMは、何よりも放送内容が自分に合っている。歌謡曲から童謡、クラシックまで音楽が多彩。他の民放は、若者の音楽に偏っていて自分は全く聞かない。
電車の中で、録音したおいたFM放送の“良い音”を聴くと、ゾクゾクッと嬉しくなる。別にCDを買わなくて済んだ、とかいう経済的な問題ではない。“良い音”で新しい音楽を、または聞き慣れた音楽を聴ける喜びである。
単にお金を論ずると、L-02Tの中古を手に入れて、メーカーにオーバーホールに出し、FM専用アンテナを建てると、まあ13~14万円位かかるか?そのお金でCDを買うと、50~60枚位は買える。だから最初からそのお金でCDを買えば良い、という議論もある。しかし放送の世界は無限の可能性を秘めている。つまり、あらゆる音楽を手に入れられる可能性・・。

自分の場合、FM放送は、NHKラジオ深夜便が毎日4時間、それに(月)~(土)までの「歌謡スクランブル」、(月)~(金)までの「にっぽんのうた 世界の歌」を定期的に録音している。前は、1週間録音しておいて、前の週のMP3ファイルを携帯プレヤーに転送し、1週間遅れで聴いていた。それが今では、次の日には聞いている。つまり放送が待ち遠しいのである・・・。まったく予想してなかったこの動き・・。それこそL-02Tの御利益であり、マルチパス退治が成功した(遠路はるばる来る)水戸の電波のお陰・・・。これこそ趣味・・・?

でも究極はデジタルラジオなのだろう。しかし日本のデジタルラジオの試験放送は先日終了したと報じていた。いつになったら本格放送が始まるのか・・・
アメリカでは全米の90%のAM/FMラジオ局でデジタル放送を実施しているというし、英国では、例えばロンドンでは、51局の放送がデジタルラジオで聴取可能であるという。

しかし、もしデジタルラジオが始まっても、その放送の方式が問題だ。圧縮をかけると当然音質は下がる。帯域の関係でPCMのまま放送するとは考えられないし・・・
そうなると、当分はNHKのFMを現在のアナログのままで聴くしか方法はないようだ。そうすると、将来考えられる一番のリスクはチューナーの寿命、という事になる。何せ30年も経っている老人チューナー。まあ予防保全の手段は講じたものの・・・。
何?幾ら良い音でもMP3で録音して聞いていたのでは意味無いって? それは仕方がないのさ・・。昼は家に居ないし、夜は寝ている・・。まさかWAVで録音する訳にもいかない。元々の音源の質が良ければ、MP3で録音しても良い音なのさ・・・。
このトシになって、改めてFM放送の音に惚れ、毎日“嬉しくなっている”シルバー族ではある。(←別に高価なL-02Tを買った言い訳をしているわけではないが・・・。ついでに、L-02Tは部品の関係で、故障すると直らない可能性が高いとケンウッドのサービスが言っていた。ケンウッドが修理不能と断った製品がまたオークションで売られ、ジャンクでも修理を期待して買う人もいるという。これは危ない。年月が経つに連れ、完動品は益々希少価値が増すかも??)

(関連記事)
FMチューナーL-02Tの修理~ケンウッド白山の抜群のサービス

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2010年10月20日 (水)

TBSドラマ「塀の中の中学校」を観る

先日放送され、録画しておいたドラマ「塀の中の中学校」(2010/10/11放送)(ここ)を観た。カミさんが観て、良かったというもので・・・
舞台は松本市にある「松本少年刑務所」の中にある「松本市立旭町中学校桐分校」。日本で唯一の刑務所内にある公立中学校だという。ドラマは入学式から始まる。普通の中学生と思っていたら、70代の老人までいる5人。皆、義務教育を受けることなく人生を生き、それ故に犯罪に手を染めた人たち。みな複雑な家庭環境であり、苦労の末だ。でも中に、小学校6年の時に2年間病気で入院し、退院したものの弟や妹に先を越され、プライドずたずたで学校に行かなくなった、という人も居た。こんなキッカケは、どこにでもありそう・・・
皆、今までの人生を読み書きが出来ないのを隠しながら生きてきた。それが1年間の勉強で、自信を身につけていく過程が描かれていた。
最後のテロップにこうあった。「昭和30年以来、桐分校を卒業した受刑者は691名。再犯率は極めて低い。」
冒頭の関係者の語り・・・。「昭和28年当時、255名の受刑者中200名が義務教育未修了者だった。何とか救済策はないかと考え、桐分校が生まれた。」

先日カミさんが買ってきたビッグイシュー(ここ)。ここに「若者を襲う貧困~高校中退者の今、未来」という特集があった。
Image05321 それによると、実質の高校中退率は2005年度で8.3%だったという。しかし文科省発表の中退率は2.1%・・・・。そのからくりはこうだ・・。(写真はクリックで拡大)
「文科省によれば、全国の高校中退者は90年の12万3千人をピークに、82年から07年まで7万~12万人規模で推移してきた。中退率は毎年「2%」台だという。
「中退率をより正確に算出しようとすれば、ある年に入学した1学年の3年間の中退者数を調べ、それをその入学時の在籍数で割らなければいけないのですが、文科省の算出方法は『ある年度の学校全体の生徒の中退者数÷ある年度当初の学校全体の生徒の在籍数』で、それだと中退率は実質の3分の1になる。中退率が2~3%なのと、8%とするのでは社会に与える影響が明らかに違います。・・・」(ビッグイシュー153号p15より)

この記事にもある通り、底辺校であればあるだけ中退率は上がる。逆に親が教育に熱心な進学校の中退率は極めて低い。これらは良く知られていること。そして貧困が低い教育水準につながり、高校中退が正規社員への壁となる現実。まさに負のスパイラル。

ふと自分の場合を振り返ってみた。そしてゾッとした・・・。
自分の場合、兄貴が3つ上だったため、1年間大学がダブるので、親の負担が大変だったせいか、浪人は許されなかった。つまり当時2回の受験チャンスしか無かった。両方に落ちれば働くしなかい・・・・
まあ何とか引っかかったので、今の自分がある訳だが、もしあの時に引っかかっていなかったら・・・、と思うとゾッする。まさに“人生の命拾い”をしたわけだ。

先日会社で、ある品質事故があり、プリント基板のパターンの分析を外部に依頼した。その報告書に「元素の周期律表」が載っており、懐かしく見た。「すいへのりーべは、ぼくのふね。そうだマグネにアルミくん。・・・」と、ここまでは思い出したが、その後は出て来ない・・・。
自分が受かった大学の物理の試験に、この表が出た・・・。この表を覚えていたので、それで受かった!?
ひょんな事で、また昔の事を思い出してしまった。
まあ誰にでも人生が動く大きなイベントというものはあるもの。しかしそれらをどう乗り越えるのかは、かなりの確率で「偶然」が左右しているのかも・・・。もし人生、うまく行ったなら、それは単に「ラッキー=運が良かった」だけなのかも知れない・・・。

●メモ:カウント~130万

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2010年10月18日 (月)

ブータンの「国民総幸福量」の測り方

今朝の日経新聞に「ブータン 独自の経済指標で国作り」という記事が載っていた。当サイトが興味を持っているブータンの「国民総幸福量」について、その仕組みが披露されていた。曰く・・・

ブータン 独自の経済指標で国作り~ブータン「国民総幸福量」政策評価に重要
      カルマ・ウラ国立研究所長に聞く
中国とインドに挟まれたブータンは、国民総幸福量(GNH)と呼ぶ独自の経済指標を使って、国作りを進めている。経済成長を優先し、リーマン・ショックで傷ついた世界各国はこの試みから何を学べるだろう。ブータン国立研究所のカルマ・ウラ所長に経済政策の現場の実情を聞いた。
――国民の幸福度をどうやって測るのですか。
「2年ごとに聞き取り調査をする。人口67万人のブータンで、約8千人のデータを集める。合計72項目の指標があり、1人当たりの面談に5時間かかる。これを数値化して、歴年変化や地域ごとの特徴、年齢層による違いなどを把握する」
「世界で主流の国内総生産(GDP)が個人消費や設備投資などで構成されているように、GNHには①心理的幸福 ②健康 ③教育 ④文化 ⑤環境 ⑥コミュニティー ⑦よい統治 ⑧生活水準 ⑨自分の時間の使い方――の9分野の構成要素がある」
――GDPで計測できない項目の代表例は。
「例えば心理的幸福を測る場合、正・負の特定の感情に心を抱いた頻度を聞く。正の感情は①寛容②満足③慈愛。負の感情は④怒り⑤不満⑥嫉妬で、地域別にみれば国民の感情を示す地図ができる。どの地域のどんな立場の人が怒っているか、慈愛に満ちているか、一目で分かる」
――なぜ指標が必要なのですか。
「政府が具体的な政策を実施し。その成果を客観的に評価するために基準が要る。個別政策の審査と開発計画の選定について、GNHに基づく手順を公式に定めた。1990年代から国際化や民主化に伴い、ブータンでは当たり前だった価値観を改めてシステム化する必要があった」
――世界に普遍性はありますか。
「経済成長が高い国や、医療が高度な国、所得や消費が多い国の人々は、本当に健康で幸せだろうか。先進国でうつ病に悩む人が多いのはなぜか。地球環境を破壊しながら成長を遂げて、豊かな社会が訪れるのか」
「他者とのつながり、自由な時間、自然との触れあいは、人間が安心して豊かな気持ちで生きる上で、欠かせない要素だ。米欧の地方自治体では、GNHの考え方に基づく政策が浸透しつつある。金融危機で関心が一段と高まっている」
――とはいえ市場と競争が活力の原点では。
「一人ひとりが自分の心に自問してみれば、答えは違うはずだ。世界各国の政治指導者が、国民の幸福度について真剣に語り始めている。GDPの巨大な幻想に、気づく時がきている」(2010/10/18付「日経新聞」P6より)

突然話が変わるが、先日NHKテレビで「プラネットベービーズ『ブータン“幸せ”の国の子育て』」(BS-hi 10月10日午後9:30~)(これ)という番組を見た。
それはブータンの大家族の中での子育てについての番組。村に学校がないため、親の世代までは学校教育を受けた事がない。しかし子どもの世代は英語での授業・・・。

当サイトでは、今まで色々とブータンについて書いてきた。(ここなど)
しかしこのテレビ番組を見て、自分は受け止め方が少し変わった。確かにブータンの人は皆、「幸せ」「欲しい物は何も無い」と言う。しかし、ふと、それは「知らない」からなのではないか?と思った。

村の生活だけで、他の世界を知らない世代・・。「今」しか知らないので、今が満足・・・?
経済優先ではなく、国民の幸福を追い求める政治。それはひとつの理想像だろう。
そして、英語を武器に世界に打って出る若い世代。世界をまたに掛けた若い世代が、「どの国よりもブータンが最高」と言っている場面を見たいもの・・・。

イカンな・・・、この不信感・・・。
今日、“幸福度を1人当たり5時間の聞き取り調査で測る”事を知り、少し疑問が発生してしまった。
たぶんこれは、最近ちまたを賑わしている“検察の密室取り調べ”のニュースの影響と思う。まさかブータンでは日本の検察のような“誘導インタビュー”などは、無いと思うけど・・・

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2010年10月17日 (日)

ブヨに咬まれた話

最近は平和だ~、ナンテ書いていたら、そのバチが当たったのか、カミさんが自宅で庭仕事をしている時に、“ブヨ”に咬まれた。(ブヨは関東用語で、正式名称は「ブユ」といい、関西ではブトとも呼ばれるらしい)

先週の(水)(4日前)、会社から帰るとカミさんが虫に刺されたという。両足の9カ所が大きP10803572 く(1~2センチ位)赤く腫れている。何の虫か分からないが、ズボンの中に入ってチクチク刺した、と言う。家に入ってズボンを脱いだ。だから家の中にまだその虫が居るかも、という。その後、てんとう虫のような虫が見つかったので、これが刺したのかも・・・、という事になった。(写真は2日目。クリックで拡大)
次の日、腫れが引かない。痒いという。これはアレルギーだ、と思い、アレグラを飲む。そして2日後の(金)になって、とうとう明日病院に行く、と言い出した。
それで、3日目の(土)に行きつけの皮膚科に行く。そして診断は「ブヨに咬まれた」というもの。塗り薬や飲み薬を貰って飲み出す。今日は4日目だが、赤く腫れた所は、段々と輪郭がぼけてきたが、まだしっかりと赤い。

病院から帰って、Netでブヨを調べてみると、コワイ・・・。ブヨとはハエの1/4位の大きさで、ハチのような虫。それが皮膚を噛み切り吸血するのだという。
Wikiによると「翌日以降に(アレルギー等、体質に大きく関係するが)患部が通常の2~3倍ほどに赤く膨れ上がり激しい痒みや頭痛、発熱の症状が1~2週間程現れる(ブユ刺咬症、ブユ刺症)。体質や咬まれた部位により腫れが1ヶ月以上引かないこともままある。ひどい場合はリンパ管炎やリンパ節炎を併発したり呼吸困難などで重篤状態に陥ることもある。」という怖い症状もあるという。
しかし皮膚には噛み切ったような後は見えない・・・。

ここからがナゾだ。ブヨは9匹で、一斉に咬んだのか、それとも1カ所刺した事により、蕁麻疹のようなアレルギーで9カ所腫れているのか?
Netで見る限り、「1カ所一噛み」のように思える。しかし皮膚にはどこも噛みキズは残っていない。カミさんに聞くと、咬まれた直後は小さな水ぶくれの様だったという。それにあちこちでチクリとしたという。とすると、同時に何カ所も刺された・・・?

どうも傷口が(見え)無いので、このナゾは解けない。でもとうとう我が家でも「大事件」が勃発した、ということ。まあ日常生活に支障を来すほどでないので、幸いだが、まさに“災難は天から降ってくる”もの。油断禁物・・・。

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2010年10月16日 (土)

「CT検査でがんになる」

「文藝春秋」の今月号(2010年11月号)の広告が目に留まり、買ってきた。「医療の常識を疑え」という特集。最初の記事が「衝撃レポート CT検査でがんになる」。慶大講師の近藤誠氏が書いている。なかなかショッキングな論である。要旨を少し紹介すると・・・(写真はクリックで拡大)

「CTはX線撮影よりも200~300倍の被ばく量がある」
Image05291 「発がん死亡リスクは、被ばくした時の年齢が低いほど高くなり、高齢になるほど低くなる。子どものCTは危険。」(グラフは、被ばくによる発がん死亡の上乗せ分)
「推定では、45歳の1万人が全身CTを一度受けると、8人が発がん死亡し、同じ人たちが75歳まで毎年全身CT検査を受けると(合計30回)、190人が被ばくにより発がん死亡する」
「日本はCT大国であり、さらに装置が新鋭化して検査時間が少なくなったため、検査回数の増加と共に国民全体の被ばく量が増加。“とりあえずCTを”“念のためCTを”・・」
「35歳未満の若者に実施されたCTを、あとで調査した研究によると、腰椎のCTは70%が、頭部CTと腹部CTは、それぞれ36%と37%が正当化出来ないとされました。それらCT検査の大部分は、放射線被ばくの心配がないMRIで代替できる。」
「なぜ不必要なCT検査が行われているかというと、まず放射線診断医に知識がない。各科の医者のほとんどは、一回のCT撮影に発がん性がないと思い込んでいる。」
「放射線検査による被ばくを減らそうと思ったら、不要な検査を避けるしかない。第一に、少々のことでは、病院に行かない。中年以降の不調は、大方は老化現象で、つける薬はない。そうだとすれば、医者に診てもらう必要もない。受診なければ被ばくなし、で済む。」
「子どもの場合は、転んで頭を打ったくらいでは、医者に連れて行かない。ましてやCTは撮らない。ただし、意識を失っていたり、ぐったりしていたら、医師に診て貰う必要がある。」
「次に、患者が医療機関に歩いて行くだけの体力があり、症状も軽いのに、初診時に「まずCT」と言われたら、CT室に行かず、そのまま帰宅しましょう。」
「がん検診は、検査に利益があるかどうか判然としません。その一方で放射線検査には、発がんリスクという不利益が厳然として存在する。したがって、がん検診の存立が正当化されるには、がん検診が寿命を延ばすことが証明されなくてはならない。ところが、どの臓器のがん検診も、この証明が不存在で、中には寿命短縮が証明された検診すらある。肺がんを例にすると、・・・寿命延長効果は認められず、被験者の寿命短縮が証明されてしまった試験もある。」
「マンモグラフィによる乳がん検診、X線透視による胃がん検診は、被ばく量が相当多い一方、がん死予防効果はない。」
「そもそも、がん発見目的の検査で発がんしたら本末転倒です。これら放射線を用いる検診には、近付かないのが一番です。」(「文藝春秋」2010年11月号P144より)

前に「胃がん・肺がん検診~有効性示すデータ、日本だけ」(ここ)という記事を書いた。これは朝日新聞の記事だが、同じような論が段々と広まってきた。

30年も昔、自分の住んでいた近くの診療所で、医師が直ぐに胃カメラを勧める、という今までと違った動きがあった。聞くと、それは胃カメラを購入した為と分かった。もちろん胃カメラが必要があるケースもあるだろう。しかし、早く償却を・・・、と考えるのも自然の流れ。CTも同じだ。高価なCTを導入したら、たくさん使って回転を良くしないと、借金で病院がつぶれてしまう・・・・。

とにかく、これらのリスクを避けるには、この論が指摘しているように、自分自身が放射線防護主任となって避けるしかない。でも病院で、CT検査を指示されてスタスタ帰ってくるのもなかなか勇気が要ること。すると、病院には近寄らない、という事になる。
特に検診では、放射線検査は要注意。
自分の場合、胃の透視はここ数年やっていないが、それに加えて、肺のレントゲンもこれからはパスしようっと・・・・。
相変わらず、ミーハーな自分ではある。

(関連記事)
胃がん・肺がん検診~有効性示すデータ、日本だけ

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2010年10月15日 (金)

思い出のTV・ラジオ主題歌集(7)

我々還暦世代が子供の頃に聞いていたテレビ・ラジオ番組のテーマソングを集めた企画の第7回。今日もこんな曲を聞きながら、昔を懐かしむことにしよう。

(25)<「ウルトラセブンの歌」(ジ・エコーズ、みすず児童合唱団)>

WIKIによると「『ウルトラセブン』は、円谷プロダクションが制作した特撮テレビ番組、またはその劇中に登場するヒーローの名称である。1967年(昭和42年)10月1日から1968年(昭和43年)9月8日までにTBS系で毎週日曜日19:00 - 19:30に全49話が放映された。宇宙の侵略者から地球を守るウルトラ警備隊及び、地球人に協力するヒーロー・ウルトラセブンの活躍を描いた物語である。」とある。自分が知っているのは、名前だけ・・・。
ん?? 待てよ?この歌は幼かった息子がよく歌っていたのでは??あの“どうしようもなかった”長男が・・

(26)<「ゲゲゲの鬼太郎」(熊倉一雄)>

説明の必要が無いほど有名な「ゲゲゲの鬼太郎」。この音源は我が誇るL-02Tという、発売時30万円もした最高級FMチューナーで録音したもの。この音の良さを聞いて下さい。(この音の良さが分からない人は、少なくてもオーディオマニアではない・・。もっともそんな人は、この記事を読んでいないか・・)

(27)<「行け!タイガーマスク」(新田 洋、スクール・メイツ)>

「行け!タイガーマスク」
  作詞:木谷梨男
  作曲:菊池俊輔

白いマットの ジャングルに
今日も嵐が 吹き荒れる
ルール無用の悪党に
正義のパンチをぶちかませ
行け 行け タイガー タイガーマスク

三本ロープの ジャングルに
吠える野獣の 無法者
縞のガウンをひるがえし
やつらの牙を折ってやれ
行け 行け タイガー タイガーマスク

草も木も無い ジャングルに
血を呼ぶ罠が 待っている
フェアープレーできりぬけて
男の根性みせてやれ
行け 行け タイガー タイガーマスク

先日、カミさんが「この歌知っている??」と歌い出したのが「タイガーマスク」。自分は聞いたことがなかった。まあプロレスのマンガだろうことは知っていたが、それまで・・。
WIKIによると「『タイガーマスク』は、梶原一騎原作、辻なおき作画のプロレス漫画およびアニメ作品。東映動画製作、よみうりテレビ・NTV系列で1969年10月2日から1971年9月30日まで放映。全105話。」とある。
この当時、ウチのカミさんはテレビでこのアニメを見ていたのかな~~?(追:ウチのカミさんが歌うために、特別に歌詞付!)

(28)<「あしたのジョー」(尾藤イサオ)

これは知っているぞ!!と言うより大好きだったマンガ・・。自分がマジメにマンガを読んだのは、「巨人の星」(ここ)と、この「あしたのジョー」くらい・・・。しかも、「あしたのジョー」は10年ほど前だったか、文庫本を全冊買ってきてもう一度読んだもの・・。自分にしては珍しい。
WIKIによると、「『あしたのジョー』 は、高森朝雄(梶原一騎)原作、ちばてつや画によるボクシングをテーマにした漫画である。1970年(昭和45年)4月1日〜1971年(昭和46年)9月29日、毎週水曜19時〜19時30分、フジテレビ系放映(全79話)。」とある。このマンガは不滅だ!

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2010年10月14日 (木)

「ありがとう」の仏教思想(1/6)

雑誌「大法輪」を読んでいたら「日常語に含まれている大切な仏教思想」という記事があり、心に留まった。その全文を6回に亘って読んで行こう。

日常語に含まれている大切な仏教思想
           大本山護国寺貫首 岡本永司

私たちが日常使っている言葉の中に深い仏教思想が含まれていることが多くあります。その一端をご紹介させていただきます。

「ありがとう」
第一番目は「ありがとう」という言葉で、これは日本語で一番美しい言葉であると言われております。一般的には人から頂き物をした時とかお世話になったときに感謝の意をこめて使われておりますが、この言葉の中には大変深い仏教の考え方、生き方の指針が含まれております。本来は法華経の「是(こ)の諸(もろもろ)の菩薩は甚(はなは)だ是れ有り難し」から出ていると言われております。お釈迦さまは弟子達に一つまみの土を手に取って、自分が今人間として此の世に生を受けたことは、この広大なインドの大地と掌(てのひら)の土と比較するほど稀有なことであるとされました。これを教典では「人身受け難し、今すでに聞く」と申しております。
申すまでもなく、この地球上には数えきれぬほどの種類の生物が存在しております。それらの中で不思議な縁を得て人間として生を受けたことは、正に奇跡的なことと言えます。まして私たちは日本の国に生を受けております。世界中を見ると、長い内戦や民族対立に苦しむ国の人、飢餓に苦しむ人々、その他過酷な気象条件のもとで生活している人々がおられます。そうしたことを考えると環境や治安が悪化したと言われながらも、安定して暮らして行ける日本に住していることも、全く「ありがたい」ことであります。
その他私たちが生きていく上では、天地自然の恵みや他の人々からの支えがなくてはなりません。そうした全ての事に感謝していく仏教的生き方が極めて大切なことであるということがこめられております。「ありがとうと言われるように言うように」との標語がありますが、私たちは「ありがとう」の本来の意味をかみしめて、口先ばかりでなく実生活に生かし実践して参りたいものであります。・・・」(「大法輪)2010年11月号p22より」

まるほど・・・。「有る」ことが「難しい」のか・・・。だから“有り難い”こと・・・

我々の日常生活を振り返ってみると、「ありがたい」事を「当たり前だ」と受け取っていることが如何に多いことか・・・。
“今日も何もなかった”というありがたさ。小旅行で、“事故もなく帰って来られた”というありがたさ。“今日もおいしい物を食べられる”というありがたさ・・・。これらを真に「有り難い」と受け止められる人は、世の中、そうは居ない。何事も慣れてくると“当然”となってしまう・・。

我が家は一般的な無信教(多神教?)家族なのだろうが、実は玄関に和歌山・熊野神社の「牛王符(ごおうふ)」を挙げてある。これはだいぶん昔に、友人からもらったお札で、スピリチュアルな事が好きな我が家は、それ以来、車で遠出をする毎に、出発前そして無事に帰ってきた時に、夫婦で二礼二拍手一拝をしている。その御利益かどうかは分からないが、今のところ無事である。
同様に、会社でもトップを筆頭によく神棚に向かって「安全祈願」する事がある。これは決して神道に頼っているのではない。安全に対して会社としてはやるだけのことはやった。あとは個人の意識だけ・・・、ということで、皆に安全に対する意識を蘇らせるために“形を作る”・・。我が家の二礼二拍手一拝も、その意味では「安全運転」への決意の現れ・・。よって、無事に帰ってきたら「ありがとう」を態度で示す・・・。

上の文に、「ありがとうと言われるように言うように」という標語が書かれていた。「ありがとう」という言葉がすぐに口をついて出る人は、人から好かれる。これは子どもの時からの教育なのだろう・・・。
ん?・・ハッと気が付いた。大きな声では言えないが、子供の頃、自分は死んだ親父から「お前は感謝と言うことを知らない」という言葉を“何万回”聞いただろう・・。ヘソの曲がった(次男の)自分は、そんな言葉を聞くたびに「ふん!」とうそぶいていたもの・・・。そして決して、意地でも「ありがとう」とは言わなかった。

たしかにそのおかげで“バチが当たった”場面はたくさんあった。でも自分もそろそろトシ・・・。“晩年は良い人だった”と言われるために(?)、とりあえず「ありがとう」を連発してみるかな・・??(ビョーキと思われるかも知れないけど・・・)

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2010年10月12日 (火)

昭和42年の出来事(20歳)~布施明の「恋」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの21回目。自分が19歳から20歳、つまり大学1年生から2年生になった昭和42年(1967年)の出来事を調べてみる。

この年、自分は大学2年になった。サークルはこの1年間だけ男声合唱のグリークラブに入った。男声四部のハモる楽しさを覚えた。この頃は、時間が長かった。毎日の色々な出来事が未だに頭に残っている。
夏休み、北海道に行った。当時はやっていたユースホステルを利用しての2週間の旅だった。函館、襟裳、阿寒、摩周湖、網走から札幌。もちろんすべて鈍行列車の旅。途中、襟裳岬に行く混んだ電車の中で、目の前に中学時代の女友達にバッタリ会ったのにはビックリ。後で、一緒に撮った唯一のカラー写真を送ってもらった。この旅のテーマソングは、「霧の摩周湖」(ここ)と「マリモの歌」(ここ)だった。

この年は佐藤内閣の時代。羽田闘争の学生デモが吹き荒れた。4月には東京都知事に美濃部亮吉が当選、革新知事の誕生。7月にはEC(欧州共同体)が成立。
ベストセラーでは多湖輝の「頭の体操」。テレビドラマでは、佐藤慶の「白い巨塔」。そういえば、下宿のおばさんが「アップダウンクイズ」が好きで良く見ていたっけ・・・。
相撲は大鵬・柏戸の全盛の頃。南アフリカでは世界初の心臓移植手術。

この年のヒット曲としては、「銀色の道」(ザ・ピーナッツ)、「君こそわが命」(水原弘)、「ブルー・シャトー」(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)、「夜霧よ今夜もありがとう」(石原裕次郎)、「小指の思い出」(伊東ゆかり)、「恋」(布施明)、「世界の国からこんにちは」(三波春夫)、「真赤な太陽」(美空ひばり・ブルー・コメッツ)、「世界は二人のために」(佐良直美)、「モナリザの微笑」(ザ・タイガース)、「帰ってきたヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセーダーズ)、「君だけに愛を」(ザ・タイガース)、「この広い野原いっぱい」(森山良子)などなど。
そのなかでも新鮮だったのは12月発売の「帰ってきたヨッパライ」。テープを早送りした歌声には皆がビックリしたもの。
この年は、自分が本格的に歌(歌謡曲)を聞き出したとき。当時買ったSONYのオープンデッキに、テレビの歌番組からどんどん録音した。一番良く聞いたのが布施明であり、ブルー・コメッツであった。そして伊東ゆかりや森山良子も聞き出した頃。この年は、まさに自分の人生での“歌元年”の年であった。

101012koifuse 今日はこれら色々あるヒット曲のうち、布施明の「恋」を聞いてみよう。自分が本当に何百回と聞いた平尾昌晃/布施明コンビの、「霧の摩周湖」に続く初期の作品である。この後、このシリーズは「愛のこころ」(これ)、「愛の園」、「愛の香り」(これ)と続いていく。

<布施明の「恋」>

「恋」
  作詞/作曲:平尾昌晃
  補作詞:水島哲

恋というものは
不思議なものなんだ

逢っているときは なんともないが
さよならすると 涙がこぼれちゃう
逢うたびにうれしくて
逢えば 又せつなくて
逢えなけりゃ 悲しくて
逢わずにいられない
それというのも 君のためだよ
ぼくのこの胸も 恋にふるえてる

逢えばそれだけで 楽しいくせに
わかれたあとの 涙がつらいのさ
逢うたびに うれしくて
逢えば 又せつなくて
逢えなけりゃ 悲しくて
逢わずにいられない
そんな恋だけど 君が好きだよ
ぼくは君だけを 愛しつづけたい
ぼくは君だけを 愛しつづけたい

まあ自分の現実の世界は、こんな甘いものはひとかけらも無かったが、でも成人を迎えたこの年は、我が人生のテイクオフの時だったかも・・・。

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2010年10月11日 (月)

「システムに頼りすぎるな」~玄侑宗久氏の言葉

今朝の日経新聞「インタビュー領空侵犯」は「システムに頼りすぎるな」という論。芥川賞作家だという玄侑宗久氏の言葉だった。曰く・・・

システムに頼りすぎるな 心を活発に働かせよ
  作家・福聚寺住職 玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)
――何でも「システム化」しようとする最近の日本の傾向に批判的だと聞きました。
「そうした動きは私たちの周囲でますます広がってきています。例えば医療の分野では、システム化が進んだ結果、検査データなどに頼りすぎるあまり、患者を目の前にしながら、その顔色ひとつ満足に読み取れないようなお医者さんが増えてきました」
「私に関係が深い分野では、葬祭紹介業も営む流通大手が今年5月に公表したお布施の目安なるものが大変な物議をかましました。これもシステム化の弊害といえるでしょう」
――ただ、目安が欲しい人もいると思いますが。
「お布施は葬儀の際の読経や戒名に対する対価ではありません。定まった価格などがあるはずもなく、百人いれば百通りあるのがお布施の本来の姿です。どうしたらよいのか戸惑う人はいるでしょう。しかし、どうしたらよいのか思い悩むこと自体がとても大切だと思います」
「禅では人間の心が活発に働くことが大事だと考えています。しかし、システム化が進むと、どうしたらよいのかあれこれ思い悩むことがそもそもなくなってしまう。心が死んでしまうのです。社会が変質し、余裕が失われ、人々が逡巡するのを待てなくなってきているせいかもしれません」
――なぜそうなってしまったのでしょう。
「原因の一端は情報システムにあるのかもしれません。私が寺を継いだころ、パソコンに檀家さんの情報を入力し、法事の際にそのデータに基づく話を披露して大変感激されました。しかし、大事でないこと、些末(さまつ)なことは本来忘れる方が自然なのではないでしょうか。ところが、データとしていったん入力すると、何が大事で、何が大事でないのかが分からなくなってしまうのです」
「この夏に騒がれた百歳以上のお年寄りの行方不明も、現場のナマの情報より、数字や文字などのデータ情報を重視しすぎるようになったツケが出たと見ています」
――ではそうした姿勢を改めれば問題は解決すると?
「それはどうでしょうか。システム化の背後には、もともと性善説的な日本には存在しなかった、人間は管理しなければいけないというキリスト教の『性悪説』に傾いた考え方があるからです。そして日本が長年にわたり、西洋とりわけ米国からいろいろなシステムをそのまま輸入をしてきた『無批判なアメリカ化』の結果という面が大きいと思います。私たちはそのおかしさに気づけるかどうか・・・それが問われているのかもしれません」

(聞き手から)
効率性や何かの役に立つだろうかといったことばかり気にする現代人の日常生活。玄侑さんは。日々のそうした心の持ちようが問題だという。そもそも人生には無駄な時間など存在しないのですから――。400年前の梁がまだ残る静謐(せいひつ)な古刹での一言はずっしり身にしみた。(編集委員 館道彦)
~古代中国の法事国家、秦は行きすぎたシステム化で滅びました。」(2010/10/11付「日経新聞」p5「インタビュー領空侵犯」より)

この文章を読むと色々な事が頭をよぎる。お布施の議論は、あまりに建前論の気がする。先日聞いたある人の話。「叔父の時の戒名は、**万円で9文字の立派な戒名を付けてくれたが、義父の時は、**万円でたったの*文字で寂しかった。カネで戒名が決まるのを目の当たりに見た」と言っていた。僧侶の世界は広い。色々な僧侶がいるのが現実・・・。
医者が患者の顔色を見ない、という話はその通り。前に近くの大学付属病院で、初診のとき、紙に症状を書いただけで、大仰な色々な検査に回され、検査結果が出てから初めて医師と面談した。医師にとっては効率が良いのだろうが、検査の必要の有無を、患者の顔も話も聞かないで決めるやり方に、反発を覚えたもの・・。
そうは言っても、自分がデータに左右されている事も現実。どうも理系出身のせいか、カンやフィーリングよりも、ついデータを信用してしまう。
前に突発性難聴になったとき(ここ)、毎回測定する聴力テストのグラフを見たくて、医師のカルテのデータを覗いては、「こんなデータはあまり気にしない!」と叱られたもの・・。でも「**KHzで*dB良くなった」というデータは、自分には実に良く分かるのだが、生身の人間に適用するには、それなりの見方が必要らしい。

話は変わるが、先週FMアンテナを交換してから(ここ)、連日FMチューナーのノイズ量(S/N比)のデータを採っている。昼の時間帯はノイズが少ないが、夜はなぜノイズ量が多い・・??
これは聴感上耳で聞けるのでフィーリングの話ではないが、「雑音を聞いて音楽を聴いていない?」と我ながらちょっと心配になる。

まあのトシになると、“データよりも「カン」が全て”、と思い至ってはいるものの、相変わらずデータに心が左右されている自分ではある。

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2010年10月10日 (日)

信州・松本への一泊旅行

昨日書いた、長野・松本のホテル玉之湯での手仕事屋きち兵衛さんのコンサート(これ)を目的に、松本へ一泊旅行してきたので、今日はその写真集。
2010年10月8日朝、出発。中央道を一路長野に。途中、諏訪湖サービスエリアで休憩。天気も上々。松本インターを降りて、まずは「松本市美術館」(ここ)に直行。目当ては付属レストランでのランチ。(ちなみに、今回の旅行は、全て松本出身のカミさんの友達の口コミで穴場を教えて貰った)
なるほど、1000円にしては、なかなかホンモノのランチ。外人シェフがやっているらしいが、充分に堪能。見学予定だった絵本展は次の日から・・・で空振り。一応館内も見たが、良く分からなかった。(写真はクリックで拡大)

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次に定番の松本城。ここは前に行った事がある。でも定番なので・・・。まあ天気も良く、散歩日和。でも城内が意外と奥深いのにはビックリ。垂直に近い階段を上り下りするのは結構きつく、今がラストチャンスかも・・・

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次に行ったのが、「アルプス公園(ここ)」。ここはチョット分からなかった。大きな駐車場はあるのだが・・・。おっと失礼。今Netで見たら、何と我々は、東駐車場から一歩も出なかった。奥深く、色々と施設があるのだが、どこも行かずに帰ってしまった。事前準備不足・・・
早めに旅館に、と思ったが、少し早過ぎるので、途中の護国神社に寄ってみた。そして、ホテル玉之湯に。散歩に出たら、近くに小さなお社があった・・・。手仕事屋きち兵衛さんのコンサートの模様は(ここ)。

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次の日(2010年10月9日)、あいにくの雨模様だが、先ずは「道の駅 ほりがねの里」(ここ)へ。ここも口コミ。朝10時ちょっと過ぎだというのに駐車場は一杯。しかもほとんどが地元の車。中に入って分かった。何の事はない、地元の名産の直売場。「ほりがね物産センター」には野菜などが沢山あり、いわゆる現代の朝市?カミさんは時間を掛けて1万円も買い物・・・。自分は時間つぶしに近くの臼井吉見文学館へ。受付のおばちゃんが、本日初の客?に、色々と解説をしてくれるが、この人の事をほとんど知らないのがバレそうになって早々に退散。

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次に行ったのが、禄山美術館(ここ)。シンボルの本館が情緒を醸す。ここも前に来た事があるが、駐車場を始め、建物も増築されたらしく、結構見応えがあった。ちょうど12時、塔の鐘が鳴った。でもどうもランダムな音・・。子どもが鳴らしていた。

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それから「安曇野アートヒルズミュージアム(ここ)」に。ここは規模が大きい。雨模様でも人が一杯。ガラス製品の販売が主。自分はヒマなのでソファーで居眠り・・・。ついでに昼食のソバを食べる。天気が良ければ、もっと混雑していただろう。

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さて、そこから最後の店に。これも松本の出身の方の紹介。お菓子屋「開運堂」(ここ)。ここのお菓子はどれもおいしいという口コミ。行ってみて、なるほど・・・。裏に工場があり、いつでも見学が出来る。土曜だというのに、ガラス張りの工場では色々な和菓子、ケーキなどを作っていた。なるほど、ケーキも生もの。休日など無いのだ。

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ピッカピカの店内。創業120年の店だが、聞くとこの建屋は、5年ほど前に建てられたのだという。店内の喫茶店でお汁粉を食べる。店内も、店員さんも何か上品。こんな店は気分が良くなる・・・。

かくして帰路に。帰りの中央道は雨で大変だった。50キロ制限。車の上げる水しぶきで前が見にくく、緊張の運転だったが何とか家に着いた。
振り返ると、松本は落ち着いた街だった。がさつな感じがしない大人の街。人口の割に土地が広い?せいか、車も少なく、店も施設も上品な印象。ただバスがあまり走っていないのが気になった。移動は全て車?
2日間、松本市内を巡ったワケだが、非常に好印象の街だった。またいつか行く事もあろう。お疲れさま。

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2010年10月 9日 (土)

手仕事屋きち兵衛さんの「車座コンサート」に行く~ホテル玉之湯

念願だった、長野・松本・浅間温泉のホテル玉之湯で毎月第二(金)に開催されている「手仕事屋きち兵 車座コンサート」(ここ)に行ってきた。昨夜(2010年10月8日)のコンサートは、まさに“車座”、目の前でのコンサート・・・・(写真はクリックで拡大)

P10802131前から話だけはあったものの、なかなか実現しなかったが、ようやく昨日、息子とカミさんの3人でホテル玉之湯に一泊してきた。1万6千円弱の部屋。もちろんお目当てはきち兵衛さんのコンサート。時間は20:40から約1時間だという。
温泉に入って、夕食を食べて、15分前に行くと、もうきち兵衛さんがリハーサル中。部屋の中に入って良いというので入る。きち兵衛さんに「まだ15分も前ですよ・・」、と冷やかされながら・・・
きち兵衛さんから「リクエストがあればまだ間に合うかも・・」と言われて、シメタと思い「風の桜衣」(これ)をリクエスト。カミさんは「生きている悲しみ」(これ)を。そして図々しく「もうひとつ、“木更津にて”も・・・」(これ

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相変わらず、きち兵衛さんは「写真も録音もご自由に・・」と。ただし演奏中のフラッシュはご勘弁を・・・・・。それで図々しく、撮(録)らせて頂いた。
まずは自分のリクエストした一番好きな「風の桜衣」を、きち兵衛さんの軽妙なトークと共にご紹介しよう。(「絵島生島事件」の詳細はここ

<手仕事屋きち兵衛の「風の桜衣」~車座コンサートより>

 「風の桜衣(はなごろも)」
     作詞/作曲:手仕事屋きち兵衛

   山里を染めて咲く 小彼岸桜(こひがんざくら)
   風を呼び 風に乗り 空に流れ行く
   かなしい程に 澄んだ青空の中
   はじけ散る 桜吹雪(はなふぶき) 春景色
   いつ誰が名付けたか 高遠桜嵐(たかとうはなあらし)

   山里の人は言う あれはあの女(ひと)の
   切なさと哀しみが 染め上げたのだと
   道理(みち)を忘れた 恋におぼれた罪と
   裁かれて落とされて 流された
   あの女(ひと)のはかなさを 飾る桜衣(はなごろも)

   山里に流された その女(ひと)は絵島
   美しい女(ひと)ゆえの 恋の濡れ衣
   女盛りの花を 散らした絵島
   泣き濡れて あきらめて手を合わす
   山里の赤い桜(はな) 絵島の物語り
   山里の赤い桜(はな) 絵島の物語り

とにかく、まず音が素晴らしい。“ナマ演奏”なので当然なのだが、ギターの、そして声の柔らかい響き・・・。最初に聞いたとき「何と柔らかい・・・」が第一印象・・・
そして、きち兵衛さんも還暦を迎えたと言っていたが、まだまだ声が衰えていない。次の日は大町でコンサートとか・・
そして、図々しくお願いした3曲全部を取り上げてくれた。しかも、トークの中で、その歌にちなむ話をさりげなくされる・・。まあ昔、ラジオ放送にも出演されていたというので、お上手なのは分かってはいるが・・・

しかしこの浅間温泉も、他の温泉地と同様に客足が段々と遠のいてきているらしい。確かに若い人は温泉に行かなくなったのだろう・・・。我々シルバー族は温泉は好きなものの、きち兵衛さんのコンサートがなければ、この温泉の名は知らなかった・・・。キッカケは何であれ、来てみると、ウチが選んだ1万6千円弱のコースにしては、なかなかのもの。夕食の懐石料理も立派。部屋も個室で落ち着ける。(自分が頼んだ豚肉料理が一番うまかったが・・・)
しかも何もかもが上品。きち兵衛さんが良く言う「“品”を持とうよ!」がホテルにも浸透している??

自分も若い時から幾多のコンサートには行ったが、今回のコンサートは特別・・。何が特別かというと、目の前での演奏会は初めて。リクエスト曲はもちろん、歌われた歌のほとんどを知っている事もあり、時間延長してくれても、「あー、終わっちゃった・・」という感じ。
それがもし、温泉客の減少と共に廃れる可能性があるとしたら、非常に残念なので何とかしなくては・・・。
たしかに自分もきち兵衛さんが言っていたマイナーな歌手(←失礼!)を聞く「(少数派ではなくて)極小数派」なのかも知れない。でも何か響く・・・

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2010年10月 7日 (木)

「福澤心訓」はウソ・・・

兄貴の事務所の玄関に、開設以来30数年間「福沢諭吉の心訓」なるP10800841額が鎮座している。この心訓は、特に兄貴が若い頃から心酔していたもので、事務所の開設祝いにどなたかから頂いた物だという。曰く・・・・(写真はクリックで拡大)

福沢諭吉の「心訓」
一、世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つ事です。
一、世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩に着せない事です。
一、世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情をもつ事です。
一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事です。

この訓は、自分が知った訓の中で、最も古いものだ。初めて目にしたのは、学生の頃だっただろうか・・。実に分かり易く、戒めにとむ。
ところが・・、だ・・・・。これが福沢諭吉の作というのは真っ赤なウソだという。

慶応大のサイトにはこんな記述が・・・・
[慶應義塾豆百科] No.98 福澤心訓
「世に「福澤心訓」なるものがある。全部で七か条からなり、「一、世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事をもつことである」云々で始まるもので、福澤先生の数多い箴言のなかでも、今日では世人に最も良く知られた言葉となった。ここで述べられているのは、きわめて平易な表現で、しかも現代人にもそう抵抗なく受け容れられる教訓であることから、意外に多くの人々によって語り継がれ、結婚式でのスピーチなどにも、しばしば引用されるようになっているようだ。
けれども残念ながらこの心訓は福澤先生の言葉ではない。どこかの智恵者が勝手に、それもどうやら戦後になってしばらくしてから作り上げ、それをさも先生の発言であるかのように「福澤心訓」などと勿体らしく銘打ったにすぎない真赤な偽作である。
そう思って読むと、この心訓にはなかなか味な表現がある。末尾の一項「一、世の中で一番悲しいことは嘘をつくことである」と。この心訓の作者は、最後に「嘘」をつくことは「世の中で一番悲しいこと」だと、自ら記したのは、皮肉といえば皮肉である。もちろん塾内の福澤関係者もこうした偽作の横行に決して手を拱(こまね)いていたわけではない。『福澤諭吉全集』第20巻の附録で、富田正文が「福澤心訓七則は偽作である」と断定したのをはじめ、新聞、雑誌でこの心訓を福澤の言葉として引用された記述にぶつかるとその都度、筆者にあてて心訓の偽作であることをお知しらせする労をいとわないできたつもりである。一体先人の箴言といったものは、普及させようと努力してもなかなか人口に膾炙しないのが常だが、心訓の場合、「偽作だ」「偽作だ」と声を大にして訴え続けているにも拘わらず、これを福澤先生の言葉として受けとめて座右の銘にまでして下さる奇特な人の方が、偽作だとする関係者の否定をはるかに上廻っているのが現状で、しかもその普及には業者が介在し、立派な額入りにして有料で配布する商魂のたくましさに、いささかお手上げといったところである。だが少なくとも塾生のご父母・塾員諸兄姉にだけは、「福澤心訓」は偽作であることを今一度あらためて指摘しておきたい。よく美術工芸品などで、作者の判然としない作品を「伝何某」とよぶ習慣がある。差し当たり心訓なども「伝福澤」とでもいっておくより仕方がない現状かも知れない。けれどももう一度だけはっきり言っておきたい。「世の中で一番悲しいことは嘘をつくことである」と。」(ここより引用)

【膾炙】(かい‐しゃ)(なますとあぶり肉とが万人に好まれるように)広く世人に好まれ、話題に上って知れわたること。(広辞苑より)

なかなか愉快な解説である。しかしこの慶大のスタンスは「福沢先生の作だなんて“迷惑”・・・」。
確かに、ことの真偽は重要で、著作権も絡んでくる!?? しかし、誰が最初に流布したかは分からないが、それが世に広く受け入れられているということは、誰もが「なるほど・・」と納得している証拠。つまり福沢諭吉の作だと言われて、皆がおかしいと思っていない。

ここ)によると、「心訓」が作られたのは1967年の頃らしい。先の額が玄関に飾られたのは1983年頃なので、その道では“老舗”という事になる。
しかし「その普及には業者が介在し、立派な額入りにして有料で配布する商魂のたくましさに、いささかお手上げといったところである。」という記述を読むに、この写真は少々恥ずかしい。

しかし40数年前の流布の方法は何だったのか?雑誌?新聞?これらは証拠が見付かっていない。今ならさしずめネット。ネット上で情報(ウワサ)を流布することは、いとも簡単。どんなウソも簡単に流れる。だから読み手の技量(能力)が(だまされないように)試される。しかし、半世紀前だと、相当に信じられる情報でないと途中で挫折して流布されなかっただろう。よって、かなり皆が納得して流れて行ったのだろう。それ故、これは福沢諭吉作(伝)で良いではないか。

妙に、慶応のスタンスの“意固地さ”が気にかかる。
もし“これはエムズ君の作・・”ナンテ流布されたら、内々「光栄だ」と思って、自ら進んで流しちゃうけど・・・。

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2010年10月 6日 (水)

「CEATEC JAPAN 2010(エレクトロニクスショー)」に行く

今日は、幕張で開催中の“CEATEC JAPAN 2010”に行ってきた。確か2年前にも行った(ここ)。その時とは様変わり。3D(立体テレビ)のオンパレード・・・・
いつものように、海浜幕張から・・・。この街はあまり好きでない。実に無機質なコンクリートが続く街。それに遠い。東京からも遠いし、駅から会場までも遠い。(写真はクリックで拡大)

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お目当ては、東芝の出した「グラスレス3D」のテレビ。今日の会場は、どのメーカーも3Dテレビだらけ。皆メガネを掛けるが、唯一東芝だけが、メガネ無しで3Dが見られるという。それがどんなものか見たかったが、結果はNG。見せる会場が、暗幕で仕切られており、そこに入る為に長蛇の列。今日中に入れるのはここまで、と列を区切っており、並ぶ事も出来なかった。もっとも1時間以上も並ぶ気は無かったが・・・・。でも、うがった見方をすると、暗いところでしか効果を示せないのかも・・・

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Panaも三菱も3D。3Dはもう珍しくもなく、メガネを借りて見るほどではなかった。その中で、SONYがテレビではなく、PlayStationに特化した展示を行っていた。

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大きな画面の前にレースの運転台を作り、希望者を運転台に座らせて運転させる。景色が普通の道路だけに、大画面の立体像は迫力満点。東芝の囲い込み(もったいぶり)展示とは違い、多くに人が見られ、好感が持てた。

ともあれ、とにかく人が多い。それだけ市場が活況なのだろうが・・。でもはっきり言って欲しい物は無かったな。3Dも、どうも欲しいとは思わない。どうせ一過性の事だろう、と思われてならない。昔、ステレオをはみ出して、バイノーラルやサンスイのQS(これ)など立体ステレオが流行った事があった。自分もこの手のゲテモノは大好きで色々買ったが、どれも一過性だった。3Dは、どうもそれらの思い出に重なる・・。
でもまあ、63も近いのに、こんな会場に行けるだけまだマシ、とでも思おう・・・。

(関連記事)
「CEATEC JAPAN 2008(エレクトロニクス展)」に行った

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2010年10月 5日 (火)

「行政の無駄排除は番号で」

当サイトお気に入りの日経新聞のコラム「大機小機」。またカバンから古い切り抜きが出てきた。内容が一般論なので、まだ時機を逸してはいないかな・・?
曰く・・・

行政の無駄排除は番号で
ドイツ、オランダ、スウェーデン、オーストリアの電子政府の実施状況や、納税者番号制度を調査する機会に恵まれた。IT(情報技術)時代に不可欠なツールである番号を活用し、税制や社会保障制度を中心とした行政を効率的に推進する姿が印象に残った。
スウェーデンは住民登録情報をデータベースに、あらゆる行政サービスを電子政府として提供しており、納税者番号もその一部に取り込まれている。オランダはまず納税者番号から始めて、社会保障・税番号、市民サービス番号へと徐々に国民の了解を得ながらその範囲を拡大してきた。
オーストリアはセキュリティーの優れたセントラルモデルと呼ばれる方法であらゆる行政サービスを電子的に提供しているが、こと納税に関しては社会保障番号を活用している。電子政府の番号はICカードに格納され本人が認識していないが、納税に関しては本人の記載・告知・民間利用が基本となるため番号が見える必要があるからである。
一方、ドイツでは番号アレルギーが強く、統一的な国民番号は導入されていないが、納税者番号制度が導入され、社会保障とも連携している。
程度は異なるが、社会保障給付の無駄を排除し行政効率を高めたいという思いが番号の活用につながっている。
翻ってわが国では、参院選前に選択肢が公表され、ドイツ型、スウェーデン型、米国型の3つの選択肢についてパブリックコメントが募集されたが、国民戦略室の改組や民主党代表選の中で放置されたままである。
社会保障の不正受給防止の目的で所得情報を交換していないわが国の現状は、欧州諸国にはるかに遅れている。今後年金の一元化や給付付き税額控除の導入には番号制度は不可欠だ。国民にとっても、番号で税金の使い道を監視するならば異論はないはずだ。大風呂敷を広げた電子政府から始めるのではなく、まずは国民合意の得られやすい税・社会保障共通番号から議論を始め、行政効率の劣化を防ぐ必要がある。
「番号を付けることは、家の鍵を国家に渡すことではない。番号はあくまで住所だ。国はそれを活用してどこまでサービスを効率よく行うかを考える」。納税番号から始めて社会保障分野に範囲を広げ、国民合意に20年かけて市民サービス番号にたどり着いたオランダ政府幹部の発言が印象に残った。(ミスト)」(2010/9/25付け日経新聞「大機小機」より)

昔、たしか「イレーザー」とかいう映画で、コンピューターの画面を叩くと、その人のデータがすべて表示される場面があった。その目的が何であれ、ひとり一人に番号を付けるということは、自分に関するデータがすべてコンピューターに登録され、誰かに自分のすべてが覗かれる可能性がある、という懸念は拭えない。
しかし、現代のコンピューター時代に、国民のデータベースが無いというのも違和感がある。要は“使い方次第”だということ。
そこで外国ではどうしているかを調べるのも現実的な解を与えてくれる。それを調べた結果、各国は悩みつつも前に進んでいるという。そして議論が進んでいないのは日本だけ・・??

このような場合、普通は得られるメリットと、失われるデメリットを比較する。メリットは、医療情報などが一元管理されれば、自分の病歴も分かり、アレルギーなどを含めてより良い医療を効率的に受ける事につながるだろう。社会保障も間違いが無くなる。
一方、デメリットは自分も個人情報が覗かれる?脱税がしにくくなる?いや、お見合いの時、自分のデータを相手に見られて、会う前に断られてしまうかも・・・!?

でも考えてみると、我々には既に色々な番号が付いている。もちろん会社では従業員番号で全ては管理されているし、パスポート番号や健康保険証の番号、年金の番号、住民基本台帳の番号に運転免許証の番号等、幾らでもある。考えようによっては、それらが単に一元化しただけ??
とにかく、議論が進まないというのが最も困る。
どの国も悩んでいる。やるにせよ、止めるにせよ、一度国民全体で考えてみる価値はあると思うが・・・

自分が思うには、さっきの医療情報の一元管理など、何か不都合があるかな?確かに病歴も立派な個人情報。だからこれから治療を任せる医師にも知られたくない??自分は過去の病歴を開示しても、良い医療を受けたいと思うが・・

(付録)今朝のNHKラジオ深夜便で、新井満さんが、良寛の句「散る桜 残る桜も 散る桜」を紹介していた。なぜか心に残った・・・

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2010年10月 4日 (月)

「一息ついて、とぼとぼと」

先日、雑誌「大法輪」の「心があったまる仏教」で「柔軟な心に知恵は宿る」(ここ)という記事を書いた。今日はその続き。同じ記事の中に、こんな“お話”が・・・

一息ついて、とぼとぼと
・・・心が柔軟な母親の一言で、一家の命が助かったということもあるのです。
知人から寄せられたエッセイを、ご本人の了解を得た上で紹介させていただきます。

「お団子は減ったが  中尾寿満子(島根・74歳)
旧満州大連で暮らしていた私たち日本人の生活が、根こそぎ覆った昭和20年8月15日。
敗戦を知って数日もたたない間に、美しい大連の街並みに轟音を響かせ戦車で進入してきたロシア兵。「イー・アル・サン・スゥー」と声を出し、保安隊と呼ばれる中国の人達が街中を行進するという異様な光景は、当時10歳だった私の脳裏にやきついている。
父は失職。三度の食事に事欠くようになってくるなかで、母が高粱(こうりゃん)の粉を練って小さく握り、油で揚げてくれる“おだんご”が、唯一のおやつだった。
砂糖の入らない“おだんご”は、うすい塩味。油で揚げてあるので香ばしさが増し、私たち4人弟妹の最高のおやつだった。
十月に出産をひかえていた母が、大きなお腹でその日も“おだんご”を揚げていたお昼過ぎ、ロシア兵が二人、銃を突きつけ入ってきた。治安は乱れ、夜の外出は禁止。若い女性は気を付けて避難するようにと注意事項が回っていたが、子供4人の我が家に昼間乱入してくるとは思いもしなかった。
とっさに母は揚げたての“おだんご”を「どうぞ、どうぞ!」とロシア兵にすすめた。家の中を見回していた二人の兵士は、子どもしかいないことを確かめ笑いながら“おだんご”を口に入れ、「スパシーボ」(ありがとう)と帰って行った。
「ふるえていた私たちに、“おだんご、ありがとう”の言葉が返ってくるとはねェー」と驚いていた母。
母の機転で、おやつの“おだんご”の数は減ったが、おいしそうに食べてくれたロシア兵の顔と「スパシーボ」の声は忘れられない。
敗戦の日から六十余年が過ぎ、日本へ引き揚げるまでの苦しさは薄れてきたが、高粱の粉を練って油で揚げてくれた一口サイズの香ばしい塩味の“おだんご”は、母が作ってくれたおやつとして、心にしっかりと刻まれている。」

子を守る母の知恵とはこのようなものかと感動しました。
「心が柔軟な母の一言」、これはこちこちになっていない「やわらかな心」「やさしい心」「しなやかな心」のことを言います。
・・・・・
私は色紙によく「一息ついて、とぼとぼと」と書きます。行き詰まったと思わないで、一息ついて辺りを見回していると、新しい道も見えてくるものです。見えてきたら、その道を、あせらず、とぼとぼと、歩いていけばよいのだと思っています。(群馬 曹洞宗長徳寺住職 酒井大岳)」(雑誌「大法輪」2010年10月号P30より)

何かにこだわって力が入っている時、こんな話を聞くとホッとする。異次元・・・。そう、同じ次元では、その延長線上で事態は進む。でも、ここでのロシア人のように、フト次元が違う出来事に出くわすと、ハッと“元の人間”に戻る。そんな話だ。

誰でも人生にピンチはある。自分も現役時代、本社に転勤になってから“卒業”直前の半年間、精神的にピンチになった。カミさんの薦めで初めて漢方薬局に行き、症状を言って心が安定する漢方薬を処方してもらった。その薬と、カミさんの「今の状態は永遠ではない。長くて1~2年でしょう?」という言葉で、ハッとした覚えがある。これには助かった・・・。
縁あって、半年後に子会社に移る事になり、それまでの超ストレス環境から変わったことで、ピンチは脱した。
自分の場合、近くに異次元の意見を言ってくれる人がいたので助かった。しかし独り者はそううまくは行かない。異次元の話は誰もしてくれない。自分ひとりで、同じ思考パターンの中をぐるぐる回るだけ。そして鬱になる???
自分の事を本当に心配してくれるのは親と配偶者だけ。でも親は別に住んでいれば目は届かない。だから配偶者が必要だ。だから当サイトでも、皆、結婚しろと言っている。
カミさんは、子どもの小学校時代の同級生だった親と話す機会があるらしい。その娘さんは、ウチの息子と同じトシだが、みな結婚していないという。前にも書いたが(ここ)、“フルタイム女性の賃金水準の上昇により、女性が独身に留まった場合の厚生水準が飛躍的に上昇し、独身に留まることが必ずしも不利ではなく、非婚化を引き起こしている。”という事情が近所でも当てはまるのかも・・・

おっとっと。また自分の結婚推進論になってしまった。
でも、何でもそうだが、別の切り口で考えることにより道が開ける、ということは良くある。人間の原点は家族・・・。そう思うのだが、子供たちの世代は、そうは考えないらしい。現実は甘くはないな・・・、と感じる秋のこの頃、まあ「一息ついて、とぼとぼと」あまり深刻にならないようにしようか・・・。

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2010年10月 3日 (日)

期待と落胆~FMアンテナのその後

人生、期待していればいるほど、うまく行かなかった時の落胆は大きい。若い時の恋愛もそうだし(!?)、子どもの受験もそうだ。
大きな声では言えないが、「まだやっているの!?」というヤジにもめげず、まだやっているのだ・・。FMを良い音で聞くプロジェクト・・・。でも今日最大に挫折した。
大いに期待していただけに、その挫折の影響は計り知れない・・。(←こんな事で!?・・世の中、平和な証拠)

FM放送をマルチパスの無い音で聞きたい、という願いを叶えてくれたのが「NHK水戸」の電波。(ここ)それを見つけたのは2010年9月21日の夜だった。それ以来、水戸の電波に惚れている。しかし距離が100Kもあるので電波が弱い・・・。もう少し強ければ、ノイズが少なく聞けるのだが・・・
マスプロに電話して聞いてみた。「ケーブルが20年前の5C-FVなので7Cに替えたいが、FMアンテナのFM8に7Cは取り付けられるのか?」「7Cでも取り付けは可能だが、ケーブルロスはほとんど影響ない。最後の手段として10素子のFM10がある」とのこと。
そうだ、最後の手段として、「マスプロ電工 超高性能型遠距離用FMアンテナ FM10」があるのだ。でもここまで来ると、とても人には言えない・・・。「まだやっているの?」・・・なので・・。
そこで、そうっとFM10を通販で発注して、ついでにケーブル5C-FBの20mパックを発注。そImage05251 して先日のアンテナ工事屋に、「先日と同じFMアンテナの交換作業」を予約。しめて計2万円ちょっと・・。
そして、今日の午後、アンテナを交換した。たった2週間前に設置した8素子のFM8を、今度は10素子のFM10に・・・・
特性を見ると、NHK水戸の83.2MHz付近では、利得が2.5dB位良い。それにケーブルロスの改善が少しあると考えれば、レベルがうまくすると3dBくらい良くなるハズ。するとS/N比(ノイズ量)も3dBくらい改善されるハズ・・?と期待したのだが・・・・(写真はクリックで拡大)

P10800121 さすがに10素子はデカイ。昔のマストにそのまま付けたので、強度的には大いに問題。今後の台風がコワイ・・。工事屋さんも二人で大変な苦労をして取り付けてくれた。(トップが今回の水戸向き10素子FMアンテナ。中段が地デジ、下段が東京タワー向きの20年前の5素子FMアンテナ)
ケーブルが取り付けられ、マストが立てられる。レベル計は・・? 8素子の時に最大50dBあったので、“せめて50を超えろ!”と祈るが、45dB位をうろうろ。それかP10800161 ら方向を色々変えてみたが、何と48~49dB位しかレベルが取れない。+3dBのつもりが、ナント-1dBとは・・・。カネを掛けて前の8素子の方が良いとは・・許せない!!

工事屋さんにグチを言っても始まらない。メーターが最大に振れるところに方向を決めたが、何とも自分は不機嫌・・・。工事屋さんに「なかなか思い通りには行かないね」と作り笑い・・・
一日中、こんな事で大騒ぎをして、知らない人が家の周りを歩くので犬はキャンキャン吠えるし、それを聞くカミさんもおかんむり。そのあげく「ムダな事が嫌いなくせに、金を掛けてムダを・・」と言うので、益々自分は不機嫌・・・

買い物に行って、帰ってから録音しておいた音源をチェック。S/Nが最大56dB取れているので、とりあえず一安心。前よりも、悪くはなっていないようだ。
しかし分からない。全く同じ場所、同じ方向に建てたのに・・・、ケーブルのロスも少なくなったはずなのに・・・。少しとは言え、なぜ悪くなる?

まあ自分の人生なんてこんなモノさ・・・。アナログ的な言葉よりも、自分はよほどグラフを信Screenhunter_004 じる。当然良くなる・・・。そんなデータだったのに・・。でも現実はなかなか難しい・・・(明日でも、マスプロに聞いてみよう・・・)

かくして、“今度こそ”FM大騒ぎは終わった。
水戸を受信してから、毎日のノイズ量を計っているが、なぜか段々と特性は良くなっている。この理由は、我がチューナー(ケンウッドL-02T)が、段々とそのアンテナに慣れてきた事による。つまり、我がチューナーは、新米を拒否するらしい。しかし段々と気心が知れてくると心を許して特性が良くなってくる・・・。8素子で水戸を初めて受信した時は50.1dBだった。しかし10素子に替えた今日は平均52.6dB。つまり、スタートは前よりも良い。よって1週間位経って、お互いの理解が進めば、段々と特性は良くなるだろう・・・。ナ~ンテ夢見ているのだが・・・・(電波伝搬状態はこうも毎日変わるものか・・?)
まあ、こんな所でグチを言って、腹の虫をなだめるエムズ君ではある。トホホ・・・

追)ヘヘヘ・・・。この記事をアップして、FMチューナーに電源を入れたら、レベルが51.5dB。過去最高・・。やはりこのチューナーは自分の気持ちを汲んでくれる・・・!(本格的に電波伝搬の原理を研究せねば・・・!)

追)結果として、満足の行く受信が出来ている。調査の結果、FMの電波が時間と共に大きく変動していた。要はメーターの振れではない。どの程度のS/N比で受信出来るかだが、時間と共に安定? 結局悟ったのは、昼と夜では、最大5dBも昼の方がノイズが少ない。またL-02Tは、FIXの出力端子の方が、Variable端子に比べて3dB程度ノイズが少ない。よって最終的にはFIX出力端子を使っている。それで昼は57~58dBのS/Nが取れている。8素子と10素子のアンテナの差は何とも言えない。でも結果オーライ。

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2010年10月 1日 (金)

唱歌「田舎の冬」の音源が見つかった

前に「唱歌「田舎の冬」」という記事を書いた。(ここ
その時に、音源が見つからない、と書いたら、先日“酒屋”さんからのコメントで「30年ほど前に発売になりました日本ディスクライブラリーの通販商品「この道はいつか来た道」LPレコード10枚組の中に入っております。」という情報を頂いた(ここ)。しかもヤフオクに出ているとも・・・。
それで手に入れた音源がこれ・・・・。島田祐子が歌っている。

<島田祐子の「田舎の冬」>

「田舎の冬」
  作詞者不詳
  作曲:島崎赤太郎

ましろに おく霜 峰の雪
しずかに さめくる 村の朝
ほういほい ほういほい
むら雀
かり田のかかしに ひの光

ひなたにつづるは 古ごろも
軒には たるひの とくる音
ほういほい ほういほい
かん烏
門辺の枝には 柿二つ

いろりにほだたく 夕けむり
枯野に風立ち 日のくるる
ほういほい ほういほい
渡り鳥
鎮守の林に 宿かさん

残念ながら、LPの状態が良くないので、こんな音しか再生出来ない。しかしホンモノの録音を初めて聞いた・・・。
それで分かったことは、唱歌「田舎の冬」は、現在はほとんど誰も歌っていない「まぼろしの歌」になりつつあるということ。もちろんCDもない。
このLPは、唱歌集としては選曲、歌い手ともになかなか良いので、これのCDが手に入らないかと、Net上で探してみたが、検索に引っ掛からない。
この音源も、今となっては非常に貴重なものなのかも知れない。(音質が残念だが・・・)

でも“酒屋”さんのおかげで、胸のつっかえが取れた。この音源は大切にしよう。

(2010/12/08追)
KAEKOZOUさんから“古いレコードで「田舎の冬」が見つかったのでYoutubeにアップした”との連絡を頂いた。貴重な音源である。(ここ)より・・

<金野祐子の「田舎の冬」>

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