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2010年10月12日 (火)

昭和42年の出来事(20歳)~布施明の「恋」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの21回目。自分が19歳から20歳、つまり大学1年生から2年生になった昭和42年(1967年)の出来事を調べてみる。

この年、自分は大学2年になった。サークルはこの1年間だけ男声合唱のグリークラブに入った。男声四部のハモる楽しさを覚えた。この頃は、時間が長かった。毎日の色々な出来事が未だに頭に残っている。
夏休み、北海道に行った。当時はやっていたユースホステルを利用しての2週間の旅だった。函館、襟裳、阿寒、摩周湖、網走から札幌。もちろんすべて鈍行列車の旅。途中、襟裳岬に行く混んだ電車の中で、目の前に中学時代の女友達にバッタリ会ったのにはビックリ。後で、一緒に撮った唯一のカラー写真を送ってもらった。この旅のテーマソングは、「霧の摩周湖」(ここ)と「マリモの歌」(ここ)だった。

この年は佐藤内閣の時代。羽田闘争の学生デモが吹き荒れた。4月には東京都知事に美濃部亮吉が当選、革新知事の誕生。7月にはEC(欧州共同体)が成立。
ベストセラーでは多湖輝の「頭の体操」。テレビドラマでは、佐藤慶の「白い巨塔」。そういえば、下宿のおばさんが「アップダウンクイズ」が好きで良く見ていたっけ・・・。
相撲は大鵬・柏戸の全盛の頃。南アフリカでは世界初の心臓移植手術。

この年のヒット曲としては、「銀色の道」(ザ・ピーナッツ)、「君こそわが命」(水原弘)、「ブルー・シャトー」(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)、「夜霧よ今夜もありがとう」(石原裕次郎)、「小指の思い出」(伊東ゆかり)、「恋」(布施明)、「世界の国からこんにちは」(三波春夫)、「真赤な太陽」(美空ひばり・ブルー・コメッツ)、「世界は二人のために」(佐良直美)、「モナリザの微笑」(ザ・タイガース)、「帰ってきたヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセーダーズ)、「君だけに愛を」(ザ・タイガース)、「この広い野原いっぱい」(森山良子)などなど。
そのなかでも新鮮だったのは12月発売の「帰ってきたヨッパライ」。テープを早送りした歌声には皆がビックリしたもの。
この年は、自分が本格的に歌(歌謡曲)を聞き出したとき。当時買ったSONYのオープンデッキに、テレビの歌番組からどんどん録音した。一番良く聞いたのが布施明であり、ブルー・コメッツであった。そして伊東ゆかりや森山良子も聞き出した頃。この年は、まさに自分の人生での“歌元年”の年であった。

101012koifuse 今日はこれら色々あるヒット曲のうち、布施明の「恋」を聞いてみよう。自分が本当に何百回と聞いた平尾昌晃/布施明コンビの、「霧の摩周湖」に続く初期の作品である。この後、このシリーズは「愛のこころ」(これ)、「愛の園」、「愛の香り」(これ)と続いていく。

<布施明の「恋」>

「恋」
  作詞/作曲:平尾昌晃
  補作詞:水島哲

恋というものは
不思議なものなんだ

逢っているときは なんともないが
さよならすると 涙がこぼれちゃう
逢うたびにうれしくて
逢えば 又せつなくて
逢えなけりゃ 悲しくて
逢わずにいられない
それというのも 君のためだよ
ぼくのこの胸も 恋にふるえてる

逢えばそれだけで 楽しいくせに
わかれたあとの 涙がつらいのさ
逢うたびに うれしくて
逢えば 又せつなくて
逢えなけりゃ 悲しくて
逢わずにいられない
そんな恋だけど 君が好きだよ
ぼくは君だけを 愛しつづけたい
ぼくは君だけを 愛しつづけたい

まあ自分の現実の世界は、こんな甘いものはひとかけらも無かったが、でも成人を迎えたこの年は、我が人生のテイクオフの時だったかも・・・。

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