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2010年8月の26件の記事

2010年8月31日 (火)

近江俊郎の「南の薔薇」

自分は世の(?)シルバー亭主族に申し訳ないことをしたかも・・・。
今日会社から帰ってきたら、カミさんがえらくタカピー。聞くと昨日の当blogの“金賞氏”の記事(ここ)を読んで「自分なんか、金賞の奥さんに比べれば大人しい方よ!」と自分を見直したとか・・・。また「世の中の女なんか、(男にとって)優しそうな人はいても、優しい女なんかいないのよ」とのたまう・・。
世の女性に悪い影響を与える昨日の金賞の記事は消そうかな・・・(男性の立場が益々弱くなる・・・)

(気を取り直して・・・・)
昭和23年(1948年)の歌だというのに、この歌は何と軽快な現代的な旋律だろう・・・。
100831minaminobara 先日、この歌のオリジナル盤を初めて聞いた。その軽快なこと・・・
ステレオ再録盤は前から聞いていたが、オリジナル盤の“元気さ”に、つい取り上げてみたくなった。

<近江俊郎の「南の薔薇」>~昭和23年

「南の薔薇 」
  作詞:野村俊夫
  作曲:米山正夫

南のバラ そよ風に
ほほ笑む 君の姿
胸に抱き 接吻(くちづ)ける
花よ バラの花
麗しの 月の宵
ともに 盃あげ
君よ歌え 恋の歌を
なやましこの胸 燃えたつ恋
南の国 スペインの
君はやさしの 薔薇

南のバラ あこがれの
君こそ 花の女王(クイーン)
夢の間も 忘られぬ
花よ バラの花
麗しの 月の宵
ともに 盃あげ
君よ歌え 恋の歌を
なやましこの胸 燃えたつ恋
南の国 スペインの
君はやさしの 薔薇

このアレンジが素晴らしい。実に今風・・・。62年前の楽曲とは思えないほど現代的だ。
ステレオ再録盤は、確かに音は良いが、若々しさが無くなっていてどうも物足りない・・・

<近江俊郎の「南の薔薇」>~ステレオ再録盤

Netで誰かが“西郷輝彦の「星のフラメンコ」と雰囲気が似ている”と書いていたが、同感! そうか、何でこの歌が自分にフィットしたか分かった。「星のフラメンコ」なのだ・・・。自分は「星のフラメンコ」も大好きだった・・・。
それに「盃あげ・・・」という歌詞は「乾杯の歌」を思い出す??

昭和23年と言えば、まだまだ戦後そのもの。物資が無い時代。「リンゴの唄」もそうだが、明るい歌は人の心を明るくしてくれる。
不況の現役族と同じく、我々シルバー族は円高で資産が減っている人が多い(だろう)。そんな暗い心を、こんな歌でも聞いて明るく取り繕おうか・・・

(付録)
今日帰りの電車で、立って本を読もうと広げたら、前の席のヒッピー風の(こんな表現はもう古い?)お兄さんに席を譲られてしまった。シルバーシートでも無かったのに・・・。
今度は、自分はしっかりと礼を言って堂々と座ってやった。エッヘン!
人生二度目の体験だから慣れたモノ・・? 一度目(ここ)の時はドギマギしたけど・・・。

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2010年8月30日 (月)

ある大学の同窓生で作る文集「むつごろう⑥」を読む

ある知人から、「大学のクラス(同窓生)で文集を作っているが、今回第6集が出た。同じクラスの出身者がリタイアして色々な道を歩んでいるので、“エンジニアのその後の色々な生き方”を知る意味で読んでみないか・・・」と全6冊の文集を借りた。
Image04981 前から聞いていたが、卒業後43年経った同じ大学のクラス(工学部電気工学科)のメンバーが、それぞれリタイア時期を迎えて、また集まり出したのだという。そして、年に1回、皆がエッセイを書いて「むつごろう」という題のクラス会誌(文集)にまとめて配る事になり、今年で6冊目になったとか。
巻頭言を読むと、20年続けるのだそうだ。あと14年・・・・。今回はとりあえず最新刊の第6号を読んでみた。13人の方が、それぞれ自由な題で文を寄せている。今日はその感想である。

昭和42年卒の某大学電気工学科のクラスなので、皆エンジニアの道を歩んだはず・・・なのだが、リタイアして書いている内容は、いたって自由。それぞれの“その後”の人生が映し出されていて面白い。
それを、勝手な読み手(自分)がこんな順番を作ってみた。自分が感じた“面白さ”順位である。

<金賞>「日々雑感」E.K氏
この記事は、筆者が毎週発行している「経済レポート」にある文を“編者が勝手に選んだ”そうだ。週単位で書かれている短い日々のエッセイが実に軽妙で愉快だ。筆者に無断だが、その中の“傑作”を抜粋してみる。
「2010年5月 私の携帯は女房としか通信しない。それも、家にいるときは離れた所に置きっぱなしだからまず出られない。留守電を開くと、女房の怒り声が入っていることが多い。昨日は女房は娘と猫の入院先に出かけた。私は夕方、買い物に出た。出先で携帯を見ると、着信記録がある。折り返し電話しても病院だから繋がらない。留守電があった。「出掛けるのが面倒だから、買い物をしてきてよ」と言う。本人も出掛けているのに変だなぁ。「豚汁にするから具材を買ってきて」という。今日は暑いのに変だなぁ。しかし、買っていかないと夕飯は食わせてもらえないから、従順に買い込んだ。帰る途中、電話が掛かってきた。「何の用?私は電話なんかしてないよ。一体いつの留守電を見たの?携帯も使えないの。馬鹿じゃないか!」豆腐は冷ややっことなって俺の口に入った。」

この方は、まさにblog的な(?)書き方で、実に完成されている。奥さんがホントウにそう言ったかどうかは定かではないが、そのウィットが何とも楽しい。その生活ぶりが目に浮かぶ。その続きが読みたくなる。よって「金賞」である。

(これ以降は具体的な文がないので分かりづらいが、まあこんな内容の文章だ、ということで・・)
<銀賞>「城塞都市「鎌倉城」への熱き思い」M.F氏
鎌倉を散歩しながら、その歴史的背景などを案内してくる。当サイトのコンセプトである「ヘエー」の連続。自分もよく鎌倉には行ったので、色々と鎌倉の風景を思い出しながら、読んでいて楽しめた。そして、もう一度鎌倉に行きたくなった。
「ヘエー」が多かったので「銀賞」。

<銅賞>「近況、諸事雑感」S.N氏
「四国歩き遍路」についての体験記。これも読んでいて面白かった。「特別の宗教心は無い」という筆者。それでも数回に区切って、今年は64番(前神寺)まで来たとか・・・。自分も、ある意味“羨望”なのだが、とてもその気にはなっていない。
たまたま自分の興味と合ったので「銅賞」。

<銅賞>「マーガレット・ミッチェル著“風と共に去りぬ”」K.I氏
25~30年ほど前にロンドンで6ドル10セントで買った1000ページの原書を、正味半年強をかけて読んだという。その小説の原書の内容と、映画の脚色との違いなどを13項目に分けて解説している。映画「風と共に去りぬ」が好きな人にとっては「ヘエー」の連続だろう・・・。自分は今回は走り読みだったが、その内に映画を見ながら、再読してみたい。DVDは持っているので・・・。よって(?)「銅賞」。

<番外賞>「光市事件」N.M氏
異色の工学部出身の弁護士さんの力作。有名な「光市母子殺害事件」について解説し、社会正義について、そして死刑について論じている。少し“くさい”(格好の付け過ぎ)なのと、長文なのが少し難点だが、“頑張って”読んでいくと、ついその世界に引き込まれてしまう。事実の重さである。まあエンジニア崩れ(?)の素人に、法律の世界を紹介しようとする姿勢はいちおう評価出来る。次回はもう少し肩の力を抜いて・・・。他の人の文章に比べて異色であるが“力作”なので「番外賞」。

その他、「市の国際交流」についての記事、「男の料理」、「21世紀の日本を考え」たり、「哲学」を勉強したり・・・。はたまた「アインシュタイン」が出てきたり、「東京散歩」をしてみたり、「南十字星」の見つけ方や、改めて「大学の法学部」に入り、その卒業論文を紹介したり・・・、と内容はまさに多彩・・・。

ところで、そもそもここに寄せるエッセイの“スタンス”は何だろう? 自由に文を寄せる主旨は分かる。しかし、これらの文を読んでみると、人によってそのスタンスがかなりバラついている。もちろん自由投稿なので、それは良いのだが、読む身になって考えてみると、「面白い!」記事と、「パス!」と飛ばしてしまう記事に分かれてしまう。

まあ「自分が書きたい事」を勝手気ままに書くのも良いが、せっかく配布するので、「読んでもらう」事を意識して書いた方が、読み手も楽しい・・・(特に哲学の話は、素人には難しかった)

工学部は、他の学部と違って、かなりの確率でメーカーに就職する。電気工学部は電機メーカーに・・。しかし、リタイア後はそれぞれの人生の辻褄合わせ(?)のために、フリーになった(老後の)時間を使う。つまり、自分が今まで出来なかった事に時間を費やす。この文集は、“その色々”が垣間見られて、何とも興味深い。

でもこのような活動は羨ましい・・。65歳世代と言うが、6回目の発行というのでスタートは60歳還暦のとき・・・。(自分は既にその年は過ぎた・・・)
かくいう自分も工学部。しかし卒業以来、集まった事はない。言い出しっぺが居ない事もある。でもそれだけクラスの結束が弱かった証なので、これは仕方がない。
あと5冊ある。せっかくなので順に読んで行こう。当blogのコンセプト(=“サンデー毎日”になったらどうする?)に、少しはヒントを与えてくれるかも知れないので・・・

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2010年8月29日 (日)

「国債増加と借金大国は別物」~ロジカルな考え方と“カン”

当サイトお気に入りの日経新聞のコラム「大機小機」。先日の記事が分かったようでいて、実は良く分からない・・・。もちろん読み手(自分)の知識不足なのだが・・・。曰く・・・

国債増加と借金大国は別物
国債累積高が900兆円に達し、国民1人当たりいくらの借金だとか、このままでは日本は借金大国になるとかという懸念が広がっている。しかし、これは誤解である。
国民1人当たりの借金は、国民1人当たりの資産でもある。国債の発行とは国債を渡してその分のお金を国民から受け取り、財政支出で国民に返すことである。そのため、国民の持つ国債以外の資産は変わらず、総資産は国債分(=将来の税金負担分)だけ増える。つまり、国債を発行していなければ、その分、国民の資産も少なかったのである。
国債は政府の借金であり、日本の資産とは民間の資産から政府の借金を差し引いたものである。前述のように国債増加はそのまま民間資産の増加になるから、日本の資産も変わるはずがない。つまり、国債発行では、日本は借金大国にはならない。
借金大国の可能性は国債発行とは無関係で、国民の消費意欲が高く、国内生産では足りない場合に出てくる。そのとき政府が需要を増やせば、経常収支が悪化して借金が膨らむ。しかし、現実は消費意欲が低く、生産力が余って経常収支は黒字である。こうしたときに政府が需要を増やしても、余った生産力が使われるだけで、日本の借金は増えない。
それでも次のような懸念がある。今のところ国債は、大半が日本人に保有されているからよい。だが外国人の持つようになったら、日本全体が外国に対して借金を背負うから、借金大国になるというものである。しかし、これも杞憂である。
外国人が日本国債を保有しているとすれば、それは外国人が、日本の資産と引き換えに日本国債を買ったからである。すなわち、外国人の日本国債保有高が増える分、日本人の外国資産保有高も増えている。外国に国債の利払いをすると同時に、外国から収益を受け取るから、結局は戻ってくる。外国人が日本国債を買ったから大変という見方は、交換で日本人が外国資産を受け取ることを忘れている。
国債が問題なのは、日本の借金が増えるからではない。国債が重要な金融資産であり、発行しすぎて信用を失えば、金融危機が起こるからである。そうなれば、1990年代初頭のバブル崩壊や2008年の世界金融危機のように、人々が不安で倹約に走り、不況が悪化してしまう。(魔笛)」(2010/08/27「日経新聞~大機小機」より)

今まで自分が思っていた事を論破しているので、一行一行じっくりと読んでみる。実にロジカルな展開なので、フムフムと・・・。でも、どうも頭に入って来ない。つまり自分の理解が追いついて行かない・・・・
今までは、“今は国債を国内で保有している、つまり単なる国内の貸し借りなので大丈夫だが、それを外国人が買うと問題”だと思っていた。でもそれは違うという・・・。

先日の同じ「大機小機」の記事で、こんなのがあった。
危うい国債神話
・・・財務省によれば、国債所有者は銀行等が290兆円強、生損保等が約140兆円弱で、海外と家計はともに40兆円弱にすぎない。注目されるのは、ゆうちょ銀行が160兆円弱、かんぽ生命が70兆円弱と、郵政グループが国債保有の中核を担っていることである。
日銀統計によると家計の金融資産は約1450兆円、うち約800兆円が現金・預金、約400兆円が保険・年金準備金である。この構造が維持される限り大量の国債発行も懸念なしというのだが、永続性の問題は無いのだろうか。
今年度予算では税収37兆円に対し44兆円の国債発行が予定されている。しかも、歳出92兆円のうち21兆円が国債費だ。家計に例えれば、月収は37万円だが出費が92万円なので、44万円は借金で賄おうということである。しかも、過去の借金返済と利払いで21万円も必要な状態だ。ここを乗り越えるには、何よりも経済成長によって税収増を図ることが本筋だ。・・・・国債暴落はあり得ないと識者は口をそろえるが、必ず「当面は」と前提を付けている。・・・かつての銀行不倒神話や不動産神話のように、国債問題を神話扱いしてはならない。(陰陽)」(2010/08/12「日経新聞~大機小機」より)

ふと思った。ロジカルに考えるのは、それだけの基礎知識があっての事。基礎知識がないと、幾らロジカルに説明されても、ダメ・・。よってカン(勘)に頼る事になる。「何かヘン・・・」とか・・・
一般的に、男は理屈で考え、女はカンで生きるという。ウチのカミさんなど、「私はカンで生きている」と堂々とのたまう。
自分も、ここ還暦過ぎまで生きてくると、今までのロジカルな考え方で果たして良かったのかと、ふと疑問を持つ事がある。つまりカン(勘)の方が当たっている・・・
カンは今までの経験の積み重ねが瞬時に出てくるもの。だから逆に経験のない人間は、カンでの判断は禁物・・。そう考えると、あながちカンは否定出来ない。自分も最近は、会社で若い人に「最終的には(プロとしての)カンが正しい」ナンテ言っている。

そのカンでこの問題を捉えるとどうなる? もし国債増加が借金大国とは話が別としても、国債に頼ったバラマキで、ただただ国民に良い顔をするだけの政治は、何かヘンと思わない??
民主党総裁選でニュースは大賑わい。日本が抱えている問題山積みの現状と比べて、何かヘンだと、自分の“慣れないカン”が騒ぐのだが・・・

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2010年8月28日 (土)

AM放送を高音質で聞く~パイオニアのチューナー「F-C3」

誰も興味を起こさない“しょうもないこと”に夢中になること。それが「趣味」・・・?

AM放送(中波のラジオ放送)。それをステレオで聞いたり、良い音を追求することは元々意味がない事かも知れない。関東や関西ではNetでの民放サイマル配信の実験も始まっている。(ここ) 聞き慣れたAM放送が、劇的に良い音質で聞けるNet配信はまさに感激モノ・・。よって、たぶん将来はNet経由であらゆる放送が良い音で聞けるようになるのだろう。でも問題はNHK・・。

自分はAM放送の「NHK第一」とFM放送の「NHK FM」しか聞かないのだが、そのNHKのNet配信への姿勢、将来像が分からない。よってとりあえずは“電波受信での音”を追求してしまう・・・。
世に出現したFM/AMチューナーは、FMが主であって、AM受信はオマケ的な位置付け。しかしNetで(ここ)や(ここ)を見て、「AM stereo チューナーとして超優秀機」という製品がある事を知った。
それは1993発売の、Pioneerの「F-03」(当時24,800円)と「F-C3」(当時20,000円)という2機種。今はAM放送をケンウッドのKT-1100D (当時74,800円)で聞いているが、そんな話を聞くと、つい手に入れて聞き比べてみたくなるもの・・・。これも趣味の世界・・・。

先日ヤフオク(Yahoo!オークション)を覗いたら、そのパイオニアの「F-C3」が売りに出ていた。完動品の純正AMループアンテナ付で価格は1000円。誰か競合者が現れるかな?と思ったが、結局自分一人の応札しかなく、1000円(別に送料1160円)で落札した。
そのチューナーが昨日着いた。そして聞いてみた・・・。なるほど、確かに高域が伸びている・・・
アンテナを取り替えたりして、色々なモードで聞き比べてみた。番組は今日の昼前の天気概況で、AMのNHK第一とFM放送で同じ放送。当方の受信場所は東京タワーから直線距離で約35キロの木造の2階である。

<パイオニア「F-C3」~純正アンテナ>

2万円のチューナーにしては、結構良い音で受信出来る。高域の音まで伸びている。

<ケンウッドの「KT-1100D」~純正アンテナ>

パイオニア「F-C3」に比べて値段が4倍だが、AM放送の音質は確かに劣る。高域が不足している。

<ケンウッドの「KT-1100D」~FM放送>

同じ番組をFM放送で聞くとこんな音。さすがにノイズが皆無。

<パイオニア「F-C3」~自作ループアンテナ>

アンテナを(ここ)の“線材を段ボールに巻いて作った自作アンテナ”に替えてみた。
電波は確かに強力になったが、ノイズが増えてしまう。NGだ。

<パイオニア「F-C3」~ケンウッドの純正アンテナ>

アンテナをケンウッドの純正アンテナに替えてみた。ノイズが増える。やはりチューナーの設計は、純正のループアンテナの特性との対であることが分かる。

<パイオニア「F-C3」~純正アンテナ>

もどって、やはりこれが良いようだ。評価が高いのは、感度と言うより、高域が伸びているため。

そもそも“聞ければ良いのさ”という位置付けがAM放送だと思う。Img_25451 でも雑音がなくて良い音で聞く事が出来れば、それに超した事はない。
このチューナーの入手によって、今後の我が家のAM放送は、パイオニアの廉価版チューナー「F-C3」で聞く事にあいなった。(写真はクリックで拡大)

人間、何かワクワクする事を持っていないと、早くトシを取るという。その点、1000円のチューナーでこんなに“ワクワク”している自分は、まだまだ若い事になる?

しかし1000円という値段がどうも納得出来ない・・・。このチューナーが、「バカにするな!」と言いそうで・・・
要は、どんな高価な物でも、必要が無い人に取っては1円でも高い。逆にレアな物は、定価100円の物でも1万円を出しても欲しがる人もいる。それがモロに出ているのがヤフオクの世界だ。
たった1000円で買った(送料込みだと2160円)今回のチューナーだが、大事に使おうと、ウェットティッシュで磨いてあげた。“今後、AM放送はキミに頼るから頑張ってね!”

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2010年8月27日 (金)

チェリッシュの「白いギター」

先日、TVをつけたらNHK hiで「第42回 思い出のメロディー」を放送していた。後半しか見なかったが、久しぶりにチェリッシュを見た。歌っていたのは「白いギター」。昔良く聞いた歌・・・。発売は1973年9月25日というから、38年も前の歌だ。しかし自分にとってみると、つい先日の歌・・・・

<チェリッシュの「白いギター」~2010年版>(2010/8/20NHK)

 

「白いギター」
  作詞:林春生
  作曲:馬飼野俊一

白いギターに 変えたのは
何か理由(わけ)でも あるのでしょうか
この頃とても 気になるの
あなたの身辺(まわり)の 小さな事が

愛しあう 二人には
恋の予感が 嬉しくて
花を摘む 草原に
秋の陽ざしが まぶしくて

爪をかむのを 止めたのは
何か理由でも あるのでしょうか
黙っていると 気になるの
あなたの身辺の 小さな事が

愛しあう 二人には
恋の予感が 嬉しくて
花を摘む 草原に
秋の陽ざしが まぶしくて

ラララ・・・

Wikiで見ると、チェリッシュのデビューは1971年の「なのにあなたは京都へゆくの」。この歌も良く覚えている。そしてこれ以降の歌はほとんど聞いた。「だからわたしは北国へ」「ひまわりの小径」「古いお寺にただひとり」「若草の髪かざり」「避暑地の恋」「てんとう虫のサンバ」・・・・
二人は1977年に結婚。その後夫婦デュオとして、現在まで現役で活躍しているとのこと。

チェリッシュは女声の声が独特・・・。澄んだ声というか、クリアな声と100827cherish2 いうか・・・。久しぶりで聞いた声にも、それは残っていた。
久しぶりに昔の音源を聞いてみた。こちらは誠に若々しい・・・。それもそうだ、さっきの59歳(!)の声に比べて、こちらは22歳の声・・・。(写真はクリックで拡大)

<チェリッシュの「白いギター」オリジナル>

しかしテレビを見てこう感じたのは自分だけではないと思う。
100827cherish つまり、二人とも還暦前後なのに、男性の“それなり”に比べて、女性の何と若々しいことか・・・。
これはどのカップルでも共通して言えること・・・。男はトシと共に“風貌も老化”して行くが、女性はなぜか元気で若い・・・。その理由は、隣のカミさんを眺めてみれば直ぐに分かる(ヨネ)。(なにせ**に金を掛けているし・・・・)
チェリッシュのお二人を見て、“それ”は我が家だけの現象ではない事を実感した。

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2010年8月26日 (木)

今回の「蕁麻疹」は手ごわい・・・・

今回の「蕁麻疹」は手ごわい・・・・。(これも自分用の備忘録なので失礼!)
今回の蕁麻疹のスタートは7月4日。かれこれ2ヶ月か・・・
Netで“蕁麻疹には酒が良くない”と「知り」、酒を断ったのがちょうど1週間前の8月19日。それを機に、ピタリと(←これは言い過ぎだが)蕁麻疹が止まった。それで昨夜、ビールを飲んでみて、本当に酒が悪さをしているのかどうかを“確認”した。(←これやせ我慢)
結果、それはホントウだった。今朝、またいくつかの蕁麻疹が出現・・・・。なるほど・・・

自分は習慣的に、体調不良などについて、WORDでメモを取っている。年ごとに1ファイル・・・。WORDは便利で、「蕁麻疹」で検索すると、それについていつ書いたかが直ぐに分かる。それで過去にさかのぼって調べてみた。
前回は2006年5月から8月位まで「蕁麻疹」の文字がある。その前は、2001年9月から10月位まで。そして最初が2000年5月から11月まで、半年苦しんだ。なるほど・・。自分の蕁麻疹の歴史からすると、4回目という事になる。
メモを見ると、初回はとにかく様々な薬を飲み、その都度、抗アレルギー薬の副作用で苦しんでいた。その副作用は尋常ではなく、いわゆる体調不良なのだが、悪心というか、体が普通ではなくなる。前に「たかだか風邪薬~薬の副作用の怖さ・・・」(ここ)という記事を書いたが、これも抗アレルギー薬の副作用。
そんな自分の慢性蕁麻疹も2000年11月に、アレグラという薬に出会って、やっと解決した。当時、処方してくれた皮膚科医は、「有名な薬だったが問題があって販売中止になっていた。それが対策されて、やっとまた使えるようになった。アレグラは飛行機もパイロットも使うほど副作用が無い薬・・」と言ったことを覚えている。この薬が効いた。それ以来、勝手に「自分に効く抗アレルギー薬は、アレグラ」と決めてしまって、たまに蕁麻疹が出るとそれを飲んでいた。
今回も、それにならってひたすらアレグラを毎日2錠ずつ飲んでいるが、どうも治りが良くない。それでさっきの飲酒の話になる・・・。

それがだ・・。2000年のメモに、散々飲酒が良くないと書いてあるではないか。酒を飲まなくなったら蕁麻疹が出なくなった、とか、少しずつ酒を飲み出したが蕁麻疹が出ない、とか・・・
そんな貴重な自己体験を、すっかり忘れて同じ事を繰り返しているバカ者・・・。(それで今回はblogにメモしておく事にした)

自分の飲酒の歴史は長い。でも深酒はしない。缶ビール1本程度を毎日欠かさず・・・。2100826jinmasin ~3年前だったか、それまで飲んでいたビールを、胃がもたれるから、と梅酒に変えた。それも飽きてきて、最近はサントリーの「ほろよい」シリーズに凝っていた。でも、先週から酒を絶ったのだ・・。そして、昨夜のビールテストで「クロ」と出た。うーん。自分の蕁麻疹に酒はダメ!(写真はクリックで拡大)

昨夜、ミニ同期会で一緒に飲んだ男が、血尿が出て病院に行ったら膀胱がんだと・・。それを機に40年の?喫煙を止めた、と言っていた。
体に良い悪いは別にして、人間、長年の習慣を変えるのは何かキッカケが必要なようだ。自分の飲酒(それほどの量ではないが)の習慣も、今が見直すチャンスかも知れない。
適量の飲酒はかえって体に良いとの話もあるが、別に自分は体のために飲んでいるわけではない。まあ酒の楽しみというより、習慣で飲んでいるのが現実。
蕁麻疹の原因は分からない。でも自分の場合、飲酒がそれを悪化させている事は確実。それは体からのアラーム。
そろそろ自分も、体からのメッセージに耳を澄ますトシかも知れないな、と思うこの頃である。(次回蕁麻疹が出たら、酒を止めるぞ!←直ぐに忘れるんだから・・!!)

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2010年8月25日 (水)

「ゆく川の流れは絶えずして・・・・」~ミニ同期会

今日は何かセンチ・・・・。
同期会から急遽メールが入って、前に勤めていた会社のクラブで、同期の連中と飲んできた。
前に、「勤めていた工場の閉鎖」(ここ)という記事を書いた。この工場は、実質9月末で業務を終了し、残務整理に入って3月末で完全閉鎖との事。
この工場には、直ぐ近くに懇親のためのクラブ(飲み屋)が併設されている。そのクラブが、一足先に8月末で業務終了との事で、今日から3日間、生ビールが39円(工場が昭和39年開設なので)という閉店セール・・・。
同期会の幹事から「**クラブに感謝しようの会」というメールが入ったのが昨日。それで急だったが自分も行ってみたわけ。急だったので5人しか集まらなかったが、クラブは満席の盛況・・・。まるでデパートの閉店セールだ。案の定、“8月末閉鎖”の話が出るまでは、まさに閑古鳥の状況だったというが・・・・
回りを見回すと、懐かしい顔のオンパレード。見覚えのある現役引退組が、あちこちで席を占めていた。

久しぶりに集まった同期の話は、たわいもない話ばかりだが、やはり健康についての話にはドキッとする。まだ還暦チョイ過ぎなのに、亡くなった人の話もあり、家族の病気の話もある。そして自身の病気の体験談も・・・・

そして、激震が走る撤退事業の話では、まさに「人間万事塞翁が馬・・・」の幾多の例・・・。もうサラリーマンが、長期間平穏無事で過ごせる時代ではなくなっている。事業にとって必要が無くなれば、否が応でも人が切り棄てられる時代・・・・
そんな具体的な生々しい話を聞いていると、いかに“何も無いこと”がラッキーなことか・・・

このクラブでは、何度飲み会をやっただろう。2階の和室では、忘年会に暑気払い、懇親会に同期会・・・・・。そして1階のロビーのフロアでは、チョイ飲みで何度来たか・・・
ここで飲んだ時は、(電車で帰るには遠回りになるので)いつもカミさんに車で迎えに来て貰った。それも今日が最後・・・・。
帰りに、いつもの待ち合わせ場所の本屋に立ち寄ってビックリ。「昭和63年の開店だが、この8月末で閉店・・・」との張り紙・・・・。

この本屋に来るのも今日が最後か・・・。何もかも最後・・・・・。そう思うと、何かセンチになってしまった。
「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず・・・・」。
時代は流れていく。そして、場所も人も、何の計算式からはじき出されるのか知らないが、何もかも順番に消えて行く・・・。
しかし、“行け行けどんどん”の時代にサラリーマン時代を過ごせた我々団塊組は、“滑り込みセーフ”の世代。これは何より“ラッキー”なこと。それでも人間は不満を言う・・・。
我が家は最近、とみに“何も無いこと”を嘆いている事が多いが、何も無い事がいかに幸せな事か、色々と身につまされた今夜のミニ同期会であった。

本日の同期会の結論:”元気なうちに金を使ってしまおう”

(関連記事)
入社40年目の“同期会”

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2010年8月23日 (月)

手仕事屋きち兵衛の「ふる里景色」

連日、暑い日が続いている。今朝の朝日新聞のトップは「炎暑延々」。見出しの文字を見ただけで気分的に暑くなってしまう。今日は、ビッグニュースが無かったのか、それとも猛暑がビッグニュースに育ったのか・・・
猛暑の影響で、老人の熱中症での死亡記事も多い。同じ紙面の社会面には「エアコン嫌い 死の危険~“風が体に悪い”熱中症に」という記事まである。
茨城の田舎で一人暮らしをしているお袋に電話をして、「老人は暑さに鈍感なので、良く水分を採ってエアコン付けなけりゃ」と言うと、「エアコンはキライ。茶の間の北に面している庭に大きな木があるので、とても涼しい」という。相変わらずエアコンを付ける気配はない。
これはどの老人世帯でも同じ傾向なのは、先の新聞にある通り。近くの一人住まいのおばあさんも、エアコンは付けないという。だからカミさんが遊びに行っても、連れて行ったメイ子(ペットの犬)の方が先に音を上げて、早々に退散するという。

同じ紙面の「天声人語」にもこんな文字が・・・
「言葉ひとつにも暑苦しいものと涼やかなものがある。「深窓の佳人」などと聞けば、それだけで体感温度はやや下がる。たとえば避暑地の、緑の木立に開いた窓を思えば、佳人の姿はさておき涼気にふれる心地がする。そんな窓とは縁遠い「浅窓の中年」だが、せめてもの涼をと「緑のカーテン」を育ててみた。5月に植えたヒョウタンがネットを這(は)って窓を覆っている。ハート形の葉が重なって日差しを和らげてくれる。浅緑色の実がぶら下がり、グラマーな曲線美に気分もなごむ。気分だけでなく、実際に温度も低くなる。吸い上げた水分を葉っぱから蒸散させ、周囲の熱を奪ってくれる。サツマイモを約100平方メートル植えると、1時間あたりの冷却能力は6畳用エアコン10台分という試算もあるそうだから、植物を侮れない。・・・・」(2010/08/23付「朝日新聞」天声人語より)

確かに、「木の下なので涼しい」という田舎のお袋の言葉は、どうも本当らしい・・。

そんな夏の風物詩を描いた歌が、手仕事屋きち兵衛さんの「ふる里景色」。何とも情緒がある歌である。「風暦」というアルバムにも入っているが、今日はレアなアルバム「風景色」の録音から・・・

<手仕事屋きち兵衛の「ふる里景色」>

「ふる里景色」
  作詞:
池田充男
  
作曲:手仕事屋きち兵衛

朝顔垣根に夏の色
つるべはするする水を汲む
むぎわら帽子の影ふたつ
井戸から西瓜をひき上げる

ほうほう蛍 蛍を追って
遊んだふる里 夢のなか 遠い空
水車がコットン 麦をひく

みなとの坂みち まつり笛
小舟の白帆が 見えかくれ
手ぬぐい母さん 網干し場
ちいさな背中に 秋の風

ちんちん千鳥 千鳥が鳴いて
親よぶその声 夢のなか 遠い波
灯台ぴかりと 沖を指す

てんてん手まり 手まりをついて
遊んだ寺町 夢のなか 遠い里
粉雪ちらちら 竹に舞う

この歌詞に出てくる「つるべ」は既に死語かも・・・? ふと、前に挙げた小柳ルミ子の「ゆうぐれの里」という歌を思い出した(ここ)。
「つるべ井戸からくみ上げた 冷たい水はもう秋の色・・・・」

秋が恋しいこの頃だが、意外と秋は短い。直ぐに冬になってしまう。印象的に言うと、9月は暑いが11月はもう寒い。春は、3月は寒いが6月はもう暑い。つまり「暑い」「寒い」という言葉が出ないのは、4,5,10月の3ヶ月位しかないようだ。
なぜか・・・。これは紙に正弦波を描いてみると直ぐに分かる。つまりこれ以上の温度は暑い、これ以下の温度は寒い、と横に線を引いてみると、その間に入った快適な期間は意外と短いことが直ぐ分かる。海洋性気候で寒暖の変化が少ない地域では快適な期間が多いし、逆に高地や砂漠など、寒暖の差が大きい地域では快適な時期はあっという間に過ぎてしまう。
暑いと言っては文句を言い、寒いと言っては文句を言う。何ともわがままな人間さまである。まあこんな歌でも聴きながら、秋を待つ事としよう。

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2010年8月22日 (日)

夢がかなう「ドリームボード」

カミさんが「ドリームボード」というのを作った。曰く、自分の願い事を書いたこのボードを眺めているだけで、それがかなうという・・・。
キッカケは大分前の朝日新聞の「ひととき」欄、「私のドリームボード」なる投書。

私のドリームボード
弟に「ドリームボード作り」を勧められた。願いごとを書き記し、目につく場所に飾ればよく、彼はそれで願いごとがかなったという。面白そうなので、三男の昼寝中、少しずつ作ることにした。・・・・・ 恩田幸枝(主婦)39歳」(2010/04/28付け「朝日新聞」p33)

それで見つけたのが、“見るだけで夢がかなう「ドリームボード」の作り方(無料でできます)”(ここ)という羽田直樹さんのblogの記事。この方は、米シリコンバレー在住のソフト屋さんらしい。
この記事に「ドリームボード」の考え方や作り方が書いてある。少し抜粋すると、こんな具合だ。

===========
<理論>マーフィーの黄金法則
マーフィーの法則は、失敗したくないと思っていると、失敗してしまうというものです。黄金法則は、その逆で成功の願望を持っていると、成功してしまうというものです。

なるほど、願えば達成する、というワケか・・・

<科学的な検証>
・・・私たちの世界はほとんどのもの(物質や電子や光)は、ランダムな振動(波)を持った粒子でできているというものです。
ランダムというのが、曲者であって、鍵でもあります。意思や潜在意識が、このランダムの要素に影響を与えるようです。

<努力の必要がない>
このドリームボードは努力が必要ないので、ひょっとすると日本人向けではないかもしれないとも思っています。というのは、「目標達成のために、なにかを犠牲にする」というのは、日本人の美徳とも言えるのですが、それが必要ないです。

なるほど・・・。努力が苦手の我が家には打って付け・・・

<願いは正確に>
「願いには注意をするべきだ。なぜなら、本当にかなってしまうことがあるからだ。」というのは、アラジンと魔法のランプからです。

なるほど・・・。では何を願おう??

<ドリームボード作成の下準備>
無料で作れますが、お金をかけてもいいです。私は$10ほどお金をかけました。
必要なもの:
・大きめのダンボールや厚紙(ドアの半分ぐらいのサイズ以上)
  私は1年のカレンダーが一枚の紙になっているのを使っています。
・「自分の夢」が載っている雑誌やカタログや広告など

<ドリームボードを作る>
上記で準備した絵や写真を切って、厚紙などに並べて貼ります。
想像しやすくなる絵や写真はとても大切です。
車と一緒に自分を写真に入れるのもいいです。女の人の場合、セクシーな体を望むのなら、アイドルの水着写真で顔の部分を自分の写真にするのもいいでしょう。結婚願望の場合でしたら、結婚式の写真を自分の顔にするのもいいかもしれませんね。

<ドリームボードの使い方>
毎日、目の付くところに貼ります。お薦めの場所は、自分のオフィスの目の前ですが、バスルームでも玄関のドアの内側でもどこでもいいです。
ドリームボードを1枚作って、それを写真にして、持ち歩いたり、あちこちに貼ったりするのも効果的です。

<注意事項(最重要)>
使い方に関してです。「ほしい」、「なりたい」と思ったり、想像するのはよくないです。
つまり、「ほしい」と思ったときに「ほしいと思う自分」が実現してしまい、「所有している自分」は実現しなくなるからです。
その代わりに、「もっている自分」、「なっている自分」を想像することです。

<宇宙のプログラム変更>
目標達成の決断が自分の中で下されると、自動的に宇宙のプログラムが変更されます。そして、目標や夢が達成される準備ができて、そのためのイベントが起こります。
そのようなイベントが起きたら、それに乗ることです。これは、重要ですよ。
彼女や彼氏が欲しければ、合コンやパーティーのお誘いがあれば、行ってみることです。
私たちには自由意志があるので、行動の意思決定は自分でする必要があります。
夢に関して誘われたら、その誘いに乗ってみるのがいいということです。
明らかに怪しげな誘いは、詐欺などもありますので、やめておきましょう。

<どれくらい時間がかかるのか?>
信じる力が大きければ、達成までの時間が短くなるようです。逆に信じなければ、いつまで経っても達成できないのかもしれません。
そのために、自分で信じられないようなことよりも、信じられるぐらいのことから始めるのがお薦めです。
たとえば、「1億円もらう」と願ってもそれを自分が信じられなければ達成の可能性が低くなります。でも、「100万円」ならありえそうだと思えるので、あれば、100万円から試すのがいいと思います。1万円でも千円でも1円でもいいですよ。

<超裏技(裏ドリームボード)>
ドリームボードは、来客などの時に見られることがあります。
ただ、絶対に人に言えない、見せられないような夢や目標がある場合、裏ドリームボードを作ることをお薦めします。自分しか見ないものです。
人に言えない、見せられない場合、その抑圧された感情が、自分にすごいパワーを与えてくれます。
ただし、願望がかなうには条件があります。それは、実現によって、自分が本当に幸せになること、そして周りの人も幸せになることです。
自分のエゴはOKですが、人の不幸などは願わないほうがいいということです。

<忘れちゃいけない、重要事項>
「否定形」で願うと、宇宙が混乱して、なりたくないことが実現してしまいます。
「大学受験で落ちたくない」と思っていると、「落ちて」しまいます。
「ふられたくない」と思っていると、「ふられて」しまいます。
マーフィーの法則です。

以上、羽田直樹さんのblogの記事「見るだけで夢がかなう「ドリーム・ボード」の作り方(無料でできます)」(ここ)より抜粋。
=================

Img_25401 ちなみに、カミさんが作ったのは「都会のマンションに住むこと」。左の写真にあるように、都心の駅から徒歩7~8分にあるマンション。サンダルを履いて、近くのコーヒーショップに行く・・・。もちろん近くには図書館・・・
作ったドリームボードの下半分は、上に開くように作ってある。そしてその裏側には「裏ドリームボード」が・・・・。そこに何が貼ってあるかはカミさんの“個人情報”なので内緒・・・・(写真はクリックで拡大)

カミさんの“駅前マンション”願望・・・。これはもう30年以上の歴史があるので、全然気にならない・・・。

さーて、自分はどんな望みを貼ろうか・・・。あまり頭に浮かばない。・・・と言うことは日々の生活が満ち足りているという事で、実にラッキーなことでは???
でもシルバー世代になってみると、段々と欲が無くなっていく。会社での出世などは、“それ何の話?”という次元。全ては過去さ・・・
でも何か目標(希望・夢)を持って生きていくのは必要なこと。そうだった、このblogも“サーテこれからどうしよう・・・”“何を目標に生きようか・・・”がコンセプトだったっけ・・。
だからそんなに簡単に目標が見つかるわけ、無いのさ・・・

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2010年8月21日 (土)

AMループアンテナを作った~ミズホUZ-K1S

毎日、NHKラジオ深夜便を録音しているが、23時台から1時まではFMでは放送していないので、この2時間は仕方が無く「NHK第一」を録音することになる。問題はその音質だ。
いつも使っているオリンパスのラジオサーバーVJ-10内蔵のAM受信機は、自分には不満。専用のアンテナ(AN-1)を買ってはみたものの、(確かに良くはなったが)受信機の性能がいまひとつ。よってオーディオ用のチューナーで受信する事になる。

先日、ケンウッドのFM/AMチューナー(KT-1100D)をヤフオクで買った(ここ)。
そして、買うと同時にKENWOODのサービス(横浜・白山)に送ってオーバーホールをして貰った。ほぼ完動品だったが、この先10年は安定して動くように・・と、消耗品である電解コンだけでなく、出来る限りIC関係も交換して貰った。ヤフオクで買った本体の値段以上の費用がかかったが、ピッカピカになって返ってきた。
ついでに、AMアンテナはチューナーの設計の一部、と思っていたので、ケンウッドのサービスにKT-1100Dの純正アンテナが無いか聞いたところ、純正は無いが同等品があるというので付けて貰った。しかしレベルがいまひとつ・・・

先日、フトしたことから、ミズホ通信という所から「ループアンテナの主要パーツキットUZ-K1S」というのを売っている事を知った(これ)。

自分の場合、遠距離受信が目的ではない。594KHZの「NHK第一」だけが目的。よって、ヘタにアンプ付きを買うと、レベルが雑音と共に増幅されてしまって過大になる恐れがある。よってアンプ無しの「UZ-K1S」というキットにした。
Img_25341 それを今日作った。電線を巻くワクだけは用意するしかない。導体でなければ何でも良い。メーカーの作り方の見本は、幅40センチのハンガーを二つ、1メートル離して棒に縛り付けて、1m×40cmの枠で巻くもの。しかしデカイ・・・。確かに大きいほど感度が良くなる事は分かるが、今回は置く場所の制約から、35cm×55cmの段ボール箱を利用する事にした。先ず段ボール箱を真っ二つに切る。線材は帯状に巻くので幅は3cmもあれば充分なのだが、20cm位でカットした。(写真はクリックで拡大)
キリで小さな孔を空けて、電線を表に出して巻く事10回(L1)。そして二次巻き線を2回(L2)。チューナーにつなぐと、直ぐにシグナルメーターが振り切れた。なるほど、これは強力だ・・・。

さてチューニングなのだが、これが思う通りに行かない。指向性が「8」の字なので、指向性の最悪値は分かる。よってそれから90°回せば良いはず・・・
しかし同調点が分からない。そもそもレベルメーターが振り切れているので、バリコンを回してもピークが分からない。アンテナの方向を最悪値近くにして、バリコンを回すと、レベルが最も下がるポイントはある。しかし目的は最大値なのだ・・・・
さっき、夜になってもう一度チャレンジ・・・。バリコンBOXには丁寧にも細かな周波数まで書いてある。これはダテでは無いだろう・・・。ふとチューナーの受信を「NHK第二」に変えてみて気が付いた。何と「NHK第一」が少し聞こえる。バリコンを回してみると、第二の放送の中に、第一の音が大きくなったり小さくなったり。そしてピークのポイントがある。(アンテナの片線を外して弱くしても同じだが・・) バリコンBOXのメモリを見ると、600のほんの少し上。なるほど。そういうことか・・・

そもそもL1(10回)はLC共振器。つまり同調器である。よってある周波数に同調すると、L2(2回)から出力される電波は、チューナーの受信周波数とは関係なく、L1で同調した周波数が最大になっている。だから受信したチューナーで混信まで引き起こす。つまり、レベルメーターが振り切れてピークが分からない場合は、受信機の周波数をわざとずらして、そこで聞こえる音が最大になるポイントにバリコンを調整すれば良い事になる。小学生のころ、鉱石ラジオを作ったが、その原理と同じ。そもそもL1は、もう一つの“ラジオのバリコン”なのである。
自分はNHK第一しか聞かない。よって、これでバッチリ? 色々な放送局(周波数)を聞く人は、その都度、ループアンテナの同調点を合わせなければならない。
Netで色々と探ってみたが、この同調についての方法は記述がなかった。つまりレベルが振り切れていた人はいなかったのだろう。だから自分とは違ってピークが分かった・・

なお、L1からバリコンBOXまでは最短が良いだろうと、30cm位で切って短くした。そしてチューナーにつなぐL2は、わざわざバリコンBOXを経由する必要は無いので、昔のテレビに付いていた300Ωの平行フィーダーをL1ケーブルに直接継ぎ足して延長し、チューナーまで持って来た。

AM放送を良い音で聞くのは、原理的に振幅変調なので至難の業。でもこんなに簡単に高感度アンテナが作れるとは・・・。本来、電線とバリコンがあれば良い。バリコンは100円ショップで売っているラジオに付いている物を外して使えばよい。だから部品的には数百円のレベル。ミズホ通信のUZ-K1Sは、バリコンをわざわざ箱に入れて、取り付け端子を付け、素人用にまとめたもの。だから実に分かり易いが、部品の割には高価。
でも今回の4200円の買い物。AM受信で困っている人で、少し工作が出来る人にとっては、お買い得かも・・・

最近、ハンダゴテを手にする機会が増えてきた。紅顔の工作少年の再来である。そろそろシルバーエンジンが掛かってきたかな?でも今日は、キライだった電磁気学を思い出してゾッとしたけど・・・。
ふと40年前、就職の配属の時に「だいたい線がつながっていなくて通信が出来るという“無線”というのは、そもそも理解が出来ないし、生理的に自分に合わない」と、有線通信課に行ったYという男のことを思い出した。自分も未だに無線は分からない。何が飛んで行く??
おっとそう言えば、小学校の時にアマチュア無線に憧れた事もあったけ・・・・?(何か今の話と合わないけど・・)

ともあれ、徐々に“昔に帰っている”自分がここにいる。

(事後報告その1~2010/08/23)
昨夜の録音を聞いてビックリ。今までよりもノイズが大きい・・・。確かに入力信号は594KHzに同調していて、その周波数だけ抜群に強くはなっているのだが、当然その近くのノイズ信号にも同調しているワケだ。つまり必要以上のノイズをチューナーに送り込んでしまった結果、S/Nがかえって悪くなったようだ。
色々試してみたが、ケンウッドの準純正アンテナは、レベル的にはシグナルメーターの最大値ギリギリだが、ノイズは少ない。つまりチューナーの必要信号は何とか満足しているが、あえて不要なノイズ分を送り込んでいないので出力のノイズは少ない・・・。なるほど・・・。やはり「AMチューナはメーカーの純正アンテナを使用すること」は正しかった。ちなみにSONY他の手持ちのループアンテナは、ケンウッドにはかなわなかった。
どうも段ボールの力作は、遠距離受信用であり、自分の中距離受信には向かないようだ。

(2013/05/06追)
ミズホ通信も2012年12月31日で廃業したとのこと(ここ)。このアンテナの資料も、今となっては貴重なため、取扱説明書(作り方)のPDFを(ここ)に置きます。バリコンは、100円ショップの安い中波ラジオから部品を取って作ることも出来るようです。

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2010年8月20日 (金)

「GM、スピード再建~企業再生に何が必要か?」

今朝の日経新聞の記事「GM、スピード再建~再上場を申請」の解説記事「企業再生に何が必要か」を読んで、なるほど・・と思った。曰く・・・

業再生に何が必要か~資金・指導力・危機感の3点
米ゼネラルモーターズ(GM)が予想以上のスピード再生を果たしつつあるかが、企業再生の必要条件は何だろうか。米IBMや日産自動車など一度は転落しながら、後に復活を果たした企業を振り返ると、3つの要素が浮かび上がる。すなわち「潤沢な再建資金」「強力な指導者」そして「組織全体の危機感の共有」の3点セットだ。
再建資金についてはGMの場合、強力無比のスポンサーがついた。巨大企業の破綻で景気の底割れを恐れる米政府である。オバマ大統領はホワイトハウスに自動車産業再生に向けたチームをつくり、約500億ドルの公的支援に踏み切った。
だが、カネだけでは企業の「延命」はできても、「再生」はしない。AT & T出身のウィッテーカーGM会長は「自動車の素人」とやゆされつつも、時に強力なまでのリーダーシップを発揮し、自己満足に陥りがちなGMの企業文化の改革を進めた。過去1年で上級幹部13人のうち12人を入れ替えたという。
そして最後の条件が組織全体への危機感の浸透だ。外部から起用されたトップがいくら改革の旗を振っても、社員が危機感を共有していなければ、改革は空回りし、最悪の場合、内紛が起こる。カネボウ出身の会長を迎え入れた1980年代の日本航空(JAL)がその典型だろう。
対してカルロス・ゴーン社長率いる日産やルイス・ガースナー会長が就任した直後の米IBMは「破綻の瀬戸際」という認識が社員に浸透し、改革への抵抗勢力は皆無に近かった。「危機感の欠如」がいわれ続けたGMでも労働組合が退職者向け給付で大幅に譲歩するなど、関係者の危機意識は確実に高まっていた。
GMの上場申請は脱国有化に向けた第一歩であり、金融危機の影響で政府依存を強めた産業界の再而立化という意味でも重要だ。GMと同じく公的支援の下で再建を目指す日航の前途に再び注目が集まるだろう。(編集委員 西條都夫)」(2010/08/20付「日経新聞」p9より)

この解説は実に分かり易い。資金が回らなければ会社は潰れる。それはそうだ。そして強力な指導者がいないと、会社がどっちの方向に向かうか、迷走してしまう。そして底力としての社員の危機感・・・。
思い出すと、GMを破産に追い込んだ最大の元凶は 巨額の会社負担を伴う手厚い企業年金制度と医療費(健康保険給付)であった。当時(2009年6月)、これらの見直しに組合が権利を主張して同意せず、破産の道に突入していったと記憶している。それが、“労働組合が退職者向け給付で大幅に譲歩した”とある。JALの場合も、アメリカの航空会社(UA)の場合も、現実に破綻するまで自分たちの既得権を主張する。破綻してしまっては、元も子もない、と思うのは外野ばかり・・・。そして、破綻して初めて現実を知り(?)、やっと団結する・・・。

これらは、多数の人間が納得する事の大変さを表している。たとえ労組の幹部が、当時仕方がないと判断していたとしても、それを全組合員に納得させることは不可能だったのだろう。結局、レガシーコストの削減を全員に納得させるためには、破綻して納得させるしか方法は無かった・・・。

ふと先の戦争を思い出した。「開戦しない限り、軍で暴動が起きるかも知れなかった」と、開戦を決めた軍の幹部がTVで言っていた。終戦の時も同じ。軍のトップは、負けを認めるしか無いと思っていても、軍の全員に対してそれを言い出すことが出来なかった。それで天皇のご判断を・・・として逃げた・・・

実は、世の中の全てがそうだ。行け行けドンドンの場合は、誰も苦労はしない。反対もしない。しかし、撤退のようなネガティブな判断は、誰もが逃げる。先送りをする。
つまり、“組織全員の合意”は、地獄を見せなければ不可能か・・?
・・・とすると、日本の財政破綻、少子高齢化による国力の疲弊など、日本国民が地獄を見るまで、何も手を打てないのだろうか・・・
いや待てよ? 日本の指導者が国民に対して、「早くこうしないと、こうなってしまうぞ」と判断を仰いだ事があっただろうか?そんな争点の選挙は覚えがないな・・・

つまり日本の場合、さっきの「資金」「指導力」「危機感」の3点のうち、決定的に「指導者」が不足している事は、誰もが認めるところ。
戦後の日本を引っ張った吉田茂、所得倍増計画の池田勇人、色々あったが“コンピューター付きブルドーザー”の田中角栄・・・・。国民はそれらに匹敵する強力な指導者を求めている。
しかし今日のニュースでは、軽井沢での民主党幹部の宴会の模様が流れていた。国民の意思である選挙結果ではなく、単なる党内手続きの総裁選で国のトップが選ばれる仕組みの理不尽さを、特に感じるこの頃である。

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2010年8月19日 (木)

“看取り”と向き合う~石飛幸三医師の話

このblogの記事は、いつも思いついた時に書き溜めている。しかし、書き終えないうちに時間が経ってしまう例がある。その時は、普通はボツ・・・
でもどうしてもボツに出来ない書きかけがあり、今日はそれを・・・・。この記事は1ヶ月以上前に書きかけた記事である。

7月7日に放送されたNHKラジオ深夜便「<インタビュー>高齢者の”看取り”と向き合う 特別養護老人施設・常勤医 石飛幸三」(2010年7月7日放送)を聞いた。
人生のエンディングについて、特養の現場医師としての実例に基づく話だった。
特養の多くの認知症のお年寄りは、いざ病気になると病院に入院する。そこで行われるのは、1日でも長い延命治療。体が弱ってきて飲み込めなくなると、病院では「胃瘻(いろう)」の処置がされる。胃に直接食物を入れる方法だ。しかし他の器官がそれに追従できず、胃から食道に食べ物が逆流して気管に入り、窒息死してしまうケースがよくあるという。
それに、家族が胃瘻を拒否すると「生きられるのにそれを止めるとは、殺人にも等しい」とまで医師が言うという・・・。患者は必要以上の各種投与に苦痛が増すばかり・・
しかし、この石飛医師は、その人毎に必要なカロリーだけを与え、それをも欲しないときは無理強いをせずに、自然な形で逝かせるという。現在行われている(誰もが対峙する)病院での人生のエンディングの姿について、警鐘を鳴らされている。

氏は「『平穏死』のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」という本も書いておられるという。数少ない常勤医が過度な治療をしない平穏なエンディングについての提言である。

エンディングについては、我が家ではいつも話題になる。カミさんは尊厳死協会に入っているように、このようなエンディングには絶対反対。自分も協会には入っていないが、同様。たぶん先に逝く自分の場合は、カミさんがしっかり防御してくれるだろうから安心だ。その逆も大丈夫・・・。多分大丈夫・・。いや絶対に大丈夫!

たまたま昨日、“終活”について書いた。この所そんなネガティブな話題ばかりで恐縮だが、自分ももう一度この放送を聞いて考えてみたいと思ったテーマなので・・・。
もし一緒に考えてみたい方が居られたら、この放送(39分)のZIPファイル(36MB)を置くので、(ここ)を叩いて10分待つ(100Mの光回線では2分)。出てきた窓のファイルをダブルクリックすると放送が始まる。はず・・・

今日のニュースで、2例目の脳死移植手術が取り上げられていた。今回は本人の同意無し。家族の同意だけだとか・・・。難しい問題だ。
でも、昨日のエンディングノートや遺書の話ではないが、病気に罹る前、つまりエンディングを考える必要の無い時にこそ、これらは考えておくべき問題かも知れない。

断っておくが、ギックリ腰で急にそのことを考え出したワケではないので念のため・・・。
(ギックリ腰は9割方回復。“へっぴり腰”で何とか歩いている・・・)

*NHKラジオ深夜便「<インタビュー>高齢者の”看取り”と向き合う 特別養護老人施設・常勤医 石飛幸三」(2010年7月7日放送)は(ここ

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<石飛幸三医師のドキュメンタリー番組>~2012年7月7日追
クレアトさんから、石飛幸三医師のドキュメンタリーがYoutubeで見られるというコメントを頂いた(ここ)。早速見たが、そのままNHKで放送して欲しい内容。ぜひ皆さんにも見て頂きたく。(ここ

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2010年8月18日 (水)

「先に逝く者は“終活”考えよう」

今朝の朝日新聞の「声」の欄に、「先に逝く者は“終活”考えよう」という投書があった。曰く・・・

先に逝く者は「終活」考えよう
   無職 男性(66)
「就活」「婚活」などの言葉は、広く社会に定着した感があります。
「終活」とは、自分の人生の終わりに備える活動の略。人生のエンディングを自分らしく迎えるために、生前から考え、準備することです。
・・・先日のテレビでも、生前から葬式のあり方を考える、最近の家族の様子を伝えていました。
あの世に向かって生きていく年齢になる私たちは、葬式は生きているうちから心掛け準備すべきものです。「先に逝く者は残る子どもを煩わせてはならない」。考えに考え抜いて、私は「終活」を始めました。・・・・」(2010/08/18付「朝日新聞」p12より)

先日NHKで「もしも明日…家族の葬式をする事になったら」(2010年8月13日放送これ)という番組を見た。(この投書で書いている番組も同じだと思う)
ある主婦が、闘病の末に亡くなった夫の葬儀について、エスカレータ式に事が進んでいくことに疑問を持ち、家族葬を行うまでをドラマで描いていた。
確かに茫然自失の家族にとって、分からない事だらけの葬儀は、プロに任せるのが一般的。しかしそこには規格化された効率的な面と、番組にもあったが「人気があるのは・・」という業者のお勧め(都合)が存在している。そこを素人が見定めるのは容易ではない。
しかし、家族葬派、直葬派に最近寝返った自分が、改めて思ったのは、葬儀は残された人のケジメのため、という原則論。それは幾らリタイア後とはいえ、一気に周知してケジメを付けるという意味で、最低限は必要なセレモニーかも知れない、ということ。番組では、家族葬にして、知人たちに周知しなかったので、ポツリポツリと参拝者が訪れ、悲しみがかえって長引いた、と言っていた。

当blogでも、下の関連記事にあるように、葬式、遺書などの“エンディング”については度々考えてきた。しかし今回の番組を見て、自分が今までと違ったのは、この投書と同じく、“エンディングノート”なるものを、そろそろ書き出そうかな・・・と思ったこと。
それで本屋に行った時に探してみた。すると“エンディングノート”のコーナーがあった。数種類が並んでいる。しかし手にして思った。何か違う・・・・。結婚に至る思い出話や、残す言葉など、全てが手書きだ。しかも、何か項目が違う・・・。これは使えない、と即断。
自分の思っていたのは、まさに「先に逝く者は残る子ども(妻)を煩わせてはならない」という一点だけ。つまり情報の一元化、集約化。
それで自分の結論は、「USBメモリーを一つ買ってこよう」だった。

残しておくべき情報は、銀行等の各種パスワード、財産目録、家族では分からない趣味部分の財産の処分についての希望、・・・等々で、いわばデジタル的(無機質)な情報。
これにはUSBメモリーが一番。WordやExcelのファイルで残しておけば、幾らでも更新が出来るし、メモリーを保管しておく場所さえ伝えておけばそれで事が足りる。
まあ個人用パソコンを調べれば、幾らでも情報は出てくるが、他人がパソコンを見るのはなかなか大変。よって“まとめ”を電子情報として独立してどこかに置いておけば、それを見れば誰でも分かる・・・
前にも書いたが、遺書を書く気は無いので、そのメモリーに情緒的な情報はない。だからパスワードも不要だろう・・。いやいやパスワードでのロックは必要か?でも、せっかくの情報が、パスワードが分からなくて無駄になるのもつまらないしな・・・。

しかし先のTV番組でも言っていたが、こんな話を自由に話せるのも、皆が健康なうち。一旦誰かが病気になったら、とてもこんな話は出来ない。よって、今のうちに「必要な情報は、USBメモリーに入れておくからな」と伝えておく事にしよう。
さて、問題はそれをいつ作るか・・・・。こんどディスカウントで安くメモリーを売っていたら買って作る事にでもしようか・・。よって自分の場合、時期は未定である・・・・

(関連記事)
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島田祐巳著「葬式は、要らない」を読んで
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2010年8月17日 (火)

時代に翻弄された唱歌「お山の杉の子」

NHKハイビジョン特集「日本のいちばん長い夏」(2010年 7月31日放送)を見ていたら、聞き慣れた唱歌「お山の杉の子」が流れてきた。・・・・・と、歌詞が戦時色・・・
この「お山の杉の子」は“小国民文化協会の懸賞募集の入選作品を、審査員だったサトウハチローが補作し、昭和19年11月「小国民文学」で発表した軍事保護院献納小国民歌”だという。(出典:西東社「童謡・唱歌こころの歌」p40」

オリジナルの歌詞は、・・・

「お山の杉の子」
  作詞:吉田テフ子
  補詩:サトウハチロウー
  作曲:佐々木すぐる
(1)
昔 昔の その昔 椎の木林のすぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の 禿山は いつでも みんなの笑いもの
「これこれ杉の子起きなさい」
お日さまにこにこ声かけた 声かけた
(2)
一二三四五六七 八日 九日 十日たち
にょっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子顔出して 「はいはいお陽さま 今日は」
これを眺めた椎の木は
あっははのあっははと 大笑い 大笑い
(3)
「こんなチビ助何になる」 びっくり仰天 杉の子は
おもわずお首を ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも考えた 「何の負けるか いまにみろ」
大きくなって 国
(皆)のため
お役に立ってみせまする みせまする
(4)
ラジオ体操一二三
(ほがらかに) 子供は元気に(で)のびてゆく
(三年五年十年と)
昔々の禿山は 禿山は
今では立派な杉山だ 誉れの家の子のように

              (誰でも感心するような)
強く 大きく 逞しく
椎の木見下ろす大杉だ 大杉だ
(5)
大きな杉は何になる 兵隊さんを運ぶ船

(お舟の帆柱 梯子段)
傷痍の勇士の寝るお家 寝るお家
(とんとん大工さんたてる家 たてる家)
本箱 お机 下駄 足駄 おいしいお弁当たべる箸
鉛筆 筆入れ そのほかに
うれしや まだまだ役に立つ 役の立つ

(たのしや)
(6)
さあさ負けるな 杉の木に 勇士の遺児なら なお強い

(すくすく伸びろよ みなのびろ)
体を鍛え 頑張って 頑張って
(スポーツ忘れず)
今に 立派な兵隊さん 忠義孝行 ひとすじに
(すべてに立派な人となり 正しい生活ひとすじに)
お日さま出る国 神の国
(明るい楽しい このお国)
この日本を護りましょう 護りましょう
(わが日本をつくりましょう つくりましょう)

先の放送では、このうち(1)(3)(6)番を歌っていた。
<オリジナル歌詞の「お山の杉の子」>

戦後、戦意昂揚の歌詞が変えられ国民的な愛唱歌となったが、これらの歌詞が色々ある。

Wikiによると、最初のレコードの発売は昭和19年12月で、歌は安西愛子、加賀美一郎、寿永恵美子、日蓄合唱団だったという。
そして戦後、歌詞を変えて吹き込み直したのがこれ・・・。
(1)~(4)番を歌っている。

「お山の杉の子」安西愛子、川田孝子、伴久美子、杉の子こども会~昭和25年?>

そして、今歌われている歌詞がこれ・・・・
<「お山の杉の子」クラウン少女合唱団>

作詞の吉田テフ子の住んだ徳島県穴喰町は杉山が広がり、彼女の家の山にシイノキがあったという。たぶん、そんな彼女の意志とは関係なく、進駐軍の検閲の許可を得るために改作が繰り返されたようだ。(郡修彦氏著「親子で楽しむ日本の童謡」p130によると、昭和21年末に第一次改作の歌詞による録音が行われたが、進駐軍の検閲不許可により日の目を見なかったとか・・・)

ひょんな事で、「お山の杉の子」を勉強してしまった・・・。誰でも知っているこんな明るい歌にも、こんな戦意昂揚の背景があったとは・・・
今日は、昼に38.5℃もあった。連日猛暑が続いている。そして夏が終盤に近付くにつれ、段々と戦争の番組も少なくなり、戦後65年目が過ぎ去ってゆく。

*ギックリ腰・・・ご心配をおかけしましたが、急速に回復中で、明日一日養生して、8/19から“現役復帰”予定です。これから自分も立派な体験者。一人前に体験談を語るぞ!エッヘン・・??

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2010年8月16日 (月)

「現代を生き抜く女性論」~フジTVのドラマ「GOLD」より

カミさんが、面白いから、ここだけ見ろと言う。フジテレビで(木)夜放送しているドラマ「GOLD」(ここ)。8月5日放送の第5回、主人公の早乙女悠里(天海祐希)が女子大で講演会をしている場面。題は「現代を生き抜く女性論」。
ここで展開されている論を、どう捉えるか・・・・

「ある兵隊さんがお姫様に恋をした。もちろん身分違い。でも兵隊さんは手紙を書いて、顔見知りの給仕に届けて貰った。返事はこう。「私の部屋の窓の下で1年間立っていて下さい。365日一日も欠かさずに・・・。そうしたら・・」。もちろん兵隊さんは立ち続けた。雨の日も雪の日も。そして、ようやくあと1日という所までたどり着いた。あした、あの窓の下に立っていれば、美しいあのお姫様が・・・。
次の日、兵隊さんはどうしたと思いますか?
行かなかったの・・・。これはただの姫の気まぐれで、自分をからかっているだけかも知れない。そんな約束をした覚えはない、と言われるかも知れない。もしそうだったら、悲しみのあまり自分は死んでしまうだろう。
兵隊さんは怖くなって、ついに姫の部屋の前には立たなかった。たった1日、あと1日の事なのに・・。
考えられないでしょう?皆さん。逆の立場だったらどう?王子さまにそういわれて、あと1日立たない女はいないでしょう。もしからかわれたら、「最低の王子、100年の恋も冷めるわ」で終了するだけよ。
兵隊さん、これは貴女たちの相手の男、男性の象徴なの。ロマンチストでナイーブで・・。それに何より土壇場で弱い生き物。開き直りる事がなかなか出来ないの、それが男よ・・・
男子は弱いわよ。だけど振り絞ってカッコつけて生きていくの。それなのに最近の子は、自然体だの、自分らしくだの、要は逃げ道を用意しているとしか私には聞こえない。原因は何だか考えた。最近の男子に覇気がないのは、貴女たちのせいよ。貴女たちがコンパでもデートでも、男たちと割り勘なんかにしているせいよ。・・・・・・・
男のお尻をぶったたいて働かせなさい。そうしてそのお金をばんばん使って経済を、この国を立て直しなさい。女は縦列駐車が苦手だし、男は電話しながらテレビが見れないの。違うのよ、生き物としてのシステムが。・・・
男は兵隊さんのお話よ。いざとなればビビリ出し、逃げ出したりもしちゃうのよ。あんたたちがケツぶっ叩いてやらせるしかないよの。働け働け金稼げ。そのためには普段から見栄を張らせるしかないのよ。割り勘なんて男を去勢するだけよ。・・・
“女の財布は出すフリだけよ”“女の財布は見せるだけ”・・・・ハイよろしい」

オリジナルの音源はここ。
「現代を生き抜く女性論」~フジTVのドラマ「GOLD」#5より>

さてこの論をどう見るか・・・。ここに挙げたことで分かるように、自分は“然り”だな・・・
まあ財布をどう使うかは別にして、土壇場で強いのは女。男はいざという時にはヘナヘナになる・・・・
昔、子どもが赤ん坊の時、引きつけを起こして救急車で病院に担ぎ込まれたことがある。心臓が止まりそうになって・・・。自分は病室の外で腰が抜けた状態に・・・。その点、女は強い。カミさんはしっかりと子どもの側で医師のすることを見守っていた。そして(あまりに様子が冷静なので)“看護婦さんですが”と聞かれたり・・・

カミさんが言うには、このドラマの原作者は男性だという。女性の原作ならまあ分かるが、原作が男性ということは、この原作者もこれらを認めているということ・・・。

ふと、交尾の際に雄を補食する雌のカマキリを思い出した。
今日は多くを語らず、早く寝ようっと・・・

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2010年8月14日 (土)

何と!我が人生初のギックリ腰・・・

当blogは、個人的備忘録なので、ちょっと失礼・・・
こんな記事を書くことになろうとは、全く予想していなかった。何と、ギックリ腰になったようなのである・・。
今日の午後、カミさんとスーパーで買い物していたとき、買い物かごのカートを押していたら、何か腰に違和感・・・。ん??
前にも何度かあった。ヤバイ、ギックリ腰かな・・?なんて、今までは“思っただけ”で終わっていた。でも今回はちょっと違う・・・
そして用心のために買い物の荷物も持たず、車の運転もカミさんに任せて家に帰る。それが、何と時間と共に悪化・・・。立っているだけで痛い。立っても前かがみにしていると楽だったのが、それもダメになって・・・。寝ているか、座っている時は良いのだが、立つとダメ・・・・
カミさんに支えて貰いながら、何とか2階の自室に・・・・

昨年の五十肩に続いて、今度は人生初のギックリ腰だ。ギックリ腰は、くしゃみをしてもなるという。でも今回はくしゃみもしていない・・・。ストレスのため、とも言う。盆休みになって気が緩んだのか・・・
10年以上前に、カミさんが重傷のギックリ腰になった。その時の状況を聞くと、痛くて寝られなかったという。まあそれに比べるとまだ良いが、いやいやこれからどうなるか分からない・・・

参ったな、こりゃ。我が人生、幸いなことに外科的な病気にはあまり縁がなかった。それがトシと共に・・・?
前に、“椅子を引く女”とカミさんをからかったものだが、まさか自分が家の中で杖を頼りにトイレに行くことになろうとは・・・・。そのバチが当たった??
今日の日付を、“ギックリ腰の日”として覚えておかなくては・・・。
アーメン・・・・

●メモ:カウント~115万

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2010年8月12日 (木)

「死後にもセーフティーネット」~長江曜子氏の論

先日の新聞に、聖徳大学教授 長江曜子氏の「死後にもセーフティーネット」という記事が載っており、興味深く読んだ。曰く・・・

死後にもセーフティーネット
    聖徳大学教授 長江曜子さん
葬祭業に従事している米国人から「日本人の供養は丁寧で、とてもすばらしい」と言われたことがあります。亡くなって7日ごとに念仏をあげ、49日目にようやく納骨する。その後も故人をしのぶ法事がある。残された人の悲嘆を徐々に和らげるタイミングは絶妙だし、親族が集まって絆を深める機会にもなる、と分析していました。
でも現実はどうでしょう。私はお墓に関するセミナーの講師をしていますが、今年に入って「お墓の相続を放棄したい」「火葬場で遺骨の受取拒否は可能か」などの相談がありました。
核家族化が進み、親類との交流も細るにつれ、お墓は「先祖代々」から「夫婦」「個人」へと変容が進んでいます。故郷から離れて暮らす人も多い。先祖をまつることが重荷となっている家庭は少なくないのだと思います。
一方で、単身の人や子どものない夫婦にとっては、お墓を作っても誰も訪れてくれないかも、という不安があります。その思いが、散骨や樹木葬を望む人の増加につながっているのでしょう。
でも、お墓は死者だけではなく、生きている人にとっても必要だと思います。「死者を記憶し、時には死者と対話する」というのは人間の自然な欲求です。中国・上海では、散骨された海を見渡す展望台が設けられ、散骨された人々の名前が石碑に刻まれていました。北京で樹木草が行われている場所でも、木の1本1本に故人の名前のプレートが設置されていました。
たとえ亡くなった本人が「お墓は必要ではない」と考えても、残された人には故人をしのぶ追悼の場所が必要なのだと実感しました。
良いことも悪いことも、亡くなった人と分かち合う、という経験は。生者にとって貴重な癒やしになりますし、若い世代に命の大切さを伝えることもできます。お墓参りの持つ力にもっと気付いてほしいのです。
欧州では、お墓の問題を福祉行政の一環として位置づけています。たとえばスウェーデンでは、所得の0.07%を埋葬税として支払い、葬儀や墓の使用権の費用に充てています。無縁の墓は整理されますが、政府がその後も責任を持って遺骨の管理と祭祀を続けます。民間がお墓を経営することは「永続的に管理できるかどうかリスクが高い」として認められていません。
現代でも「死んだ後も、誰かがずっと自分をまつってくれる」という安心感が、生きている人には必要ではないでしょうか。それがないと、社会が殺伐としてしまうと思います。
日本では墓や遺骨の永続的な管理を保証する法的な仕組みが不十分です。東京都営の墓地では無縁の遺骨を合祀していますが、他の自治体の墓地ではどうするのかあいまいで、明文化していないことも多い。「永大供養」をうたっていても実際には期限が限られていたり、民間の霊園やお寺自体が無くなってしまうこともあります。
人間にとって避けようのない死への不安を和らげるためにも、死者をまつることも家族だけに任せず、社会全体で「死後のセーフティーネットづくり」を考えるべき時ではないでしょうか。」(2010/08/11付「朝日新聞」p11より)

当blogでは、今までも死の問題やお墓の問題を度々取り上げてきた(ここなど)。今年の5月には、新潟まで、カミさんのお祖母さんの墓参りと、お墓掃除に行ってきた(ここ)。確かに故人を偲ぶ場所は生者にとって必要だと思う。でも少子高齢化の日本社会は、その方向には向かっていない。

しかしこの記事の、スウェーデンの考え方は新鮮だ。確かにお寺さんも永遠ではない。それで国が全てを管理する・・・。なるほど・・・。でもここまで国に管理されると、息苦しさも感じるが・・・。

ところで、今の若い人にとって、故人とは、そしてお墓とは、どのような位置付けなのだろう? 昔とは大分変わってきているのだろうか? 所詮、死んだ後のことは次の世代に全てを託さざるを得ない。そこに故人の意志は関係ない。これらは、次の世代の人の価値観や考え方だけで決まる。よって、昔からある家代々の墓でも、それが維持されるか、無縁墓になっていくかは、先に死ぬ我々シルバー族などは、考えても仕方がないこと・・・
お墓の継承者がいない場合はもとより、子どもたちが居たとしても、結局故人を偲ぶ関係があるかどうかの問題。もちろん子供たちが住んでいる場所とお墓の位置関係もある。お墓が住居の近くにあれば、何とか維持が続けられるだろうし、故人との関係が希薄でお墓の場所が遠ければ、無縁化していくのは仕方がないこと。だからと言って、子どもたちを責めることはできない。
それに最近話題になっている「100歳以上の人でも、住民票が一緒の家族でも居場所を知らない・・」ということからも、最近の家族関係の変化を読み取る事が出来る。
それら、現代の人々の価値観の変容と、少子高齢化による家族関係の今後の変化を前提にすると、長江氏が言っている「社会全体で“死後のセーフティーネットづくり”を考えるべき時では?」という考え方も確かにあるように思う。

何?我が家?・・・当然、“ケセラセラ”さ・・・・

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2010年8月11日 (水)

「英語を話せますか?」→日常会話以上は37%

楽天の三木谷社長の2012年末までに社内で英語を公用語にすると発表したことが話題だ。先日の楽天の決算発表も、三木谷社長の説明は英語(ここ)。それを日本人記者が同時通訳の日本語を聞いている・・・・。

ところで、今のサラリーマンのうち、どの位の人が英会話が出来るのだろうと、前から疑問だった。その解答が先日の新聞に載っていた。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

「楽天などが社内の共通語を英語にする。世界で稼ぎ、成長を持続するには、「社員全員が英語を話せなければならない」との判断だ。では、多くの日本企業の受け止め方はどうだろう。約1000人の男女会社員に聞いてみると・・・。
100811eigo 「共通語を英語にすることをどう思うか」を聞いたところ、「どちらかといえば」を含め、73%が「反対」と答えた。理由は・・・・(左の写真参照~写真はクリックで拡大)
問題意識はあるが、実際にやるとなると・・・。調査の結果を要約すると、そういうことか。ただ、それにしても英語ができる日本人ビジネスマンが少ない。「ビジネスで英語に不自由しない」と答えた人はわずか3%。「ほとんど話せない」が63%にのぼり、「日常会話程度なら」という人も28%だった。
なぜ、話せないかを「ほとんど話せない」という人に聞いてみると、ちょうど半数が「英語を使わざるを得ない環境になかった」と理由を挙げた。「自分の努力不足」(44%)、「ネイティブ(英語が母国語の人)の英語に触れる時間が少なかった」(29%)などの答えも多かった。
実際、日本企業にいれば英語は必要なかった。「社内でどれくらい英語を使うか」と聞いてみると、「ほぼ毎日」の人は5%しかおらず、「全く使わない」が70%、「年に何回か」が15%だった。
ただ、「今後はそうもいくまい」と考える人は多いようだ。来年度に完全実施される新学習指導要領で小学校高学年の英語が必須になるが、これについては「国民が英語に堪能になるよう十分教育すべきだ」(43%)、「英才教育と全員教育の双方に目配りすべきだ」(22%)などと賛同し、変化を望む声が多かった。~調査方法=調査会社マクロミルを通じ、7月30~31日に20歳代の男女会社員1032人にインターネットで聞いた。」(2010/08/08付「日経新聞~クイックサーベイ」より)

この記事を読むと、話せない理由に、半数が「英語を使わざるを得ない環境になかった」と答えているらしい。・・とすると、三木谷社長の論は正しいことになる・・・。
ビジネスマンにとって英語は必須。これを否定する人はいないだろう。小さな国ゆえ、世界を相手にビジネスを展開せざるを得ない韓国の英語熱については、今更言うまでもない。それに引き替えマーケットが大きかった日本は、今までウチに閉じこもっていても何とかビジネスが出来た。でもこれからは違う・・・。良く言われることだ。
この論は、携帯電話の世界と同じで、日本のガラパゴス化という言葉を連想する。

さて、このアンケート結果をどう見るか・・・。「6割が話せない」という結果を多いと見るか・・・。自分の感想は、逆に「4割近いビジネスマンが、英会話が出来る」という事実に感心した。実は、もっともっと少ないと思っていた。しかし自分が思っている以上に、時代は進んでいたのだ・・・・

誰かが、「人には語学脳(能?)というのがあって、それが開く人は、英語だけでなく他の言葉も話せるようになる。逆に語学脳が開かない人は、どれだけ努力をしても話せるようにはならない」と言っていた。本当かどうかは知らない。
フトこんなことを思い出した。現役時代、100億円にも及ぶ巨大プロジェクトがあった。自分は関係しなかったが、知り合いのKさんという九州の営業マンが、そのプロジェクトの営業担当として本社に転勤になった。工業高校出のKさんはもちろん英会話など経験がない。東京の単身赴任寮に入ったKさんは、その後猛勉強。ほどなく顧客の外人相手に、臆することなく英語で営業活動をしたとか・・・。そのバリキには舌を巻いたもの・・・・。ちなみに、彼は現在福岡で社長業をしている。
元部下だったTさん。こちらも専門学校出で英語には縁がなかった。それをサービスマンとして家族でアメリカに赴任。赤ちゃん同様のマネから始まって実践で訓練。現地で堂々と業務を遂行。3年後に帰国。その後20年近く英語とは縁のない生活に戻ったが、TOEIC 700点をキープ。
これらの例は、追い込まれれば人間はかなりのパワーを出すということか・・・・。

ちなみに韓国LGは、新入社員のTOEIC平均は900点。同じく韓国・現代は800点で新入社員の足切りをするという。

さーて、自分は“天敵”の英語(ここ)を、死ぬまでに“どう料理”するか・・・・。
どうも今のスピードでは、料理方法を考えているウチに死んでしまいそう・・・

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2010年8月10日 (火)

戦争とリベラリズム~清沢洌

先の戦争で、マスコミなどによって踊らされた日本人の国民性について知りたいと思っていたが、今朝の新聞に、リベラリズム(自由主義)についての記事があった。曰く・・・

この戦争において現れた最も大きな事実は、日本の教育の欠陥だ
“戦争と言論人③”  清沢洌(きよさわ・きよし)
日本の敗色がいよいよ濃くなってきた1944年(昭和19年)3月16日、清沢洌は日記(「暗黒日記」)に日本を滅ぼすものは「信じ得ざるまでの観念主義、形式主義」の教育であると書いた。
Image04931 清沢は35年の論文「現代日本論」でも、「注入主義の教育は、何が善であり、何が悪であるかということを内容も検討せずに教え込む」「詰め込み教育の危険なのは、物を批判的に見ず、ある既成概念を固守する結果、社会的に討議して、漸進的進歩の道をとるということが困難だ」と日本の教育について批判している。
・・・・
「清沢さんにとって、人間に一番大切なことは自由と幸福を追求すること。それを阻む戦争には徹底して反対だった」
清沢は軍国主義一色に染まりつつある当時の新聞も批判した。「日本の新聞の欠乏しておるものは、リベラリズムの立場がないこと」「リベラリズムのない国の新聞というものは、とにかく一つのサイドのニュースしか伝え得ない」「ジャーナリズムだけには両方の立場を公平に報道するというリベラリズムが必要である」(34年講演)
・・・・・
しかし、日本は多様な意見を容認しない、清沢の理想と正反対の偏狭な社会になっていく。41年2月、清沢は内閣情報局によって「意見の発表を禁止すべき人物」にリストアップされ、発言の機会を封じられる。
いずれ日本は敗北すると確信した清沢は、戦後に発表するための資料として戦時の日本社会、日本人の姿を日記に活写していく。対米戦にあたって、米国通を活用するどころか迫害する知識軽視の軍部や一つの考え方しか持てない国民を厳しく批判する。
「世界歴史において一国の政治が、かくのごとく低級無知なる人間の一団の手に落ちたる例ありや」、「元来が、批判なしに信ずる習癖をつけてこられた日本人」
45年5月21日、清沢は戦後を見ることなく、肺炎のため55歳で急逝する。死の4ヶ月前の日記には戦後日本への遺言のような言葉がある。
「言論の自由が行われれば日本は良くなるのではないか。来るべき秩序においては、元老の自由だけは確保しなくてはならぬ」  」(2010/08/10付「日経新聞」p38より)

前に「仏教界の戦争協力」という記事を書いた。(ここ
「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と説き、検挙された真宗大谷派の高僧・竹中彰元についての話。
未だに理解できない仏教界の戦争協力・・。つまり、当時の日本の社会全体が、“戦争への道”以外の意見を封じる世論だったのだろう。そんな中でこの清沢の意見も封じられた。
その無批判の風土を、清沢は教育の欠陥だという。確かに北朝鮮や中国を見ても、教育と情報遮断によって国が国民を操作しているようにも見える。
しかし国民も頭の中は自由。たぶん日本人も、多くの人が戦争に対する批判はしていたのだろう。ただ口に出せなかった。その環境の中で、戦争反対は、“革命”にも通じる勇気、行動が必要だったのだろう。だから誰も言えなかった。そして結果的にアメリカの手によって“革命”はなされた・・・・。
そして解き放たれた(?)学校の先生は、一夜にして“正しい戦争”から“誤った戦争”と、平然と生徒に教える言葉を変えた。

無批判に付和雷同する日本人の国民性・・・・。それが分からない。
先日のニュースで(ここ)韓国人の日本嫌いは71%に達していると言っていた。豊臣秀吉以来の日本の侵略行動を見れば、これは当然の結果。
中国でも、先生が「永遠に忘れないで下さい。1937年の今日は『国恥』の日でした」と盧溝橋事件を生徒に教えていた(ここ)。

それに引き替え、日本人は原爆で20万人を殺された直後でも「ギブミー、チョコレート」・・
これらを“節操がない”と捉えるか、“人がいい”と捉えるか・・・

天皇陛下バンザイと言って戦争で亡くなって行った人々は、戦後の日本人の無節操な行動を、どう見ているのだろう・・・

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2010年8月 9日 (月)

東大寺大仏 現代なら4657億円~建設費、関大が試算

当サイトのコンセプトは、“ヘエ~”・・・・・
先日の日経新聞に「東大寺大仏 現代なら4657億円」という囲み記事があり、“ヘエ~”と読んだ。曰く・・・

東大寺大仏 現代なら4657億円
752年に開眼供養が行われた東大寺(奈良市)の大仏と大仏殿の創建時の建造費が、現在の価格で約4657億円に上るとみられることが6日までに分かった。関西大(大阪府吹田市)の宮本勝浩教授(理論経済学)らが試算した。建造にかかわった人の消費などによる経済波及効果は約1兆246億円に上るという。
100809toudaiji 宮本教授らによると、建造当時や再建時の資料などをもとに原材料費、人件費、労働者の住居費の3つに分けて費用を推定した。
原材料費は、大仏に使った精錬銅約500トンなど約3363億5千万円。人件費を約1292億円、住居費を約1億7千万円と積算した。石材や内部装飾、東大寺の他の建築物にかかった費用は含んでおらず、実際にはさらに多額の費用が必要だったとしている。」(
2010/08/07付「日経新聞」p34より)

別の記事では・・・
大仏の建造費はサッカーワールドカップ(W杯)開催費より高額?
奈良・東大寺の大仏と大仏殿の建築費用を現代の金額に換算すると、約4657億 3100万円になることが4日、関西大学大学院会計研究科の宮本勝浩教授らの試算で分かった。大仏の建造費用を試算したのは初めて。同教授は「経済波及効果も1兆円超あったとみられ、日韓W杯の約1.3倍に当たる」と話している。
 宮本教授らは、平安時代後期の「東大寺要録」という史料に記載されていた材料費を基に、当時の1両を約10万円と仮定して試算。練金代が1万436両と記されており、価格も推定すると、精錬銅なども含めた大仏の材料費は計約1977億4000万円となり、大仏殿は木材や瓦の現在価格から、約1386億 1300万円となるという。
 また、延べ260万人が携わった工事などの人件費は、現代の建設労働者の平均日当1万3790円(2004年度)を基に、約1292億500万円と算定。人件費に伴う労働者の住居費は約1億7300万円とした。」
時事通信より(ここ

整理をすると、
1)大仏の材料費(精錬銅約500トンなど)約1977億4000万円(42.5%)
2)大仏殿の材料費(大仏殿の柱材用の丸太84本や、瓦等)約1386億 1300万円(29.8%)
3)260万人の人件費(現代の平均日当1万3790円を基に)約1292億500万円(27.7%)
4)住居費 約1億7300万円(0.04%)
  合計4657.31億円

なるほど・・・・。材料費が7割か・・・。そしてあの大仏殿を思い出しながら、この5000億円弱の数字を、多いと見るか少ないと見るか・・
それでつい、“それではピラミッドは?”“万里の長城は??”という事になる。
人類で最大のプロジェクトと言われるピラミッド。この建設費用はいったいどの位なのだろう。誰か試算をした人はいないのだろうか?
一方、万里の長城は、秦の始皇帝以降、千数百年に亘る地道な建設事業。数十年の期間で完成させたピラミッドとは、少しプロジェクトの形態が違う。関西大学の宮本教授グループが、次にピラミッドと万里の長城の試算をしてくれると面白いのだが・・・

ところで、ピラミッドは壮大な公共事業だと言われている。普通、事業は投資とリターンを考えるが、ピラミッドを一つの事業とすると、リターンは何? ペイした?? といつものクセで、つい考えてしまう。どうもロマンがないな・・・・・

話変わってドイツのノイシュヴァンシュタイン城。バイエルン王ルートヴィヒ2世が、時代遅れの建設で国家財政を破綻に追い込んだというこの城だが、今は有数の観光名所となって地元の財政を潤しているという。
もちろん、このような文化遺産を、事業という視点で捉えるのは意味がない。でもこのように現在価値で示されると、つい“プロジェクト”として捉えてしまい、“ヘエ~・・”と、ピンと来るので、なかなか面白い。

何? 我が家の“息子プロジェクト”の社会における現在価値?? そんなの怖くて計算できるわけがないよね・・・

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2010年8月 8日 (日)

NHK「吉永小百合 被爆65年の広島・長崎」より~原爆詩の朗読

前に、「吉永小百合が朗読する“人間をかえせ”」(ここ)や、「“原爆詩集”を読んで」(ここ)という記事を書いたが、先日NHKで放送された番組「吉永小百合 被爆65年の広島・長崎」(2010/08/06放送)(これ)では、2010年7月9日に開かれた「平和の絆コンサート」の原爆詩の朗読の模様とともに、吉永さんの原爆にちなむ場所の訪問などが丁寧に紹介されていた。(再放送:[BS2]8/16(月) 後8:00-9:30)
良く知られているように、吉永小百合さんは長い間、ボランティアで原爆詩の朗読会を行っている。これを始めたキッカケが番組の中で紹介されていた。それによると、昭和60年の映画「夢千代日記」の最後で夢千代が亡くなる・・・。それを演じたことが、吉永さんに後悔として残ったという。この人だけは生きていて欲しいと願う人が死ぬ。懸命に生きている被爆者の方々につらい思いをさせてしまった・・・。
それから原爆詩と出会い、昭和61年2月22日に初めて朗読の会を開催し、それ以来24年続いているという。

この番組の中で、前にも紹介した「生ましめんかな」という詩を(ここ)、吉永さんが朗読していた。

<吉永小百合さん朗読の「生ましめんかな」>

  「生ましめんかな」
    栗原貞子
  こわれたビルディングの地下室の夜だった。
  原子爆弾の負傷者たちは
  ローソク一本ない暗い地下室を
  うずめて、いっぱいだった。
  生ぐさい血の臭い、死臭。
  汗くさい人いきれ、うめきごえ
  その中から不思議な声がきこえて来た。
  「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
  この地獄の底のような地下室で
  今、若い女が産気づいているのだ。
  マッチ一本ないくらがりで
  どうしたらいいのだろう
  人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
  と、「私が産婆です、私が生ませましょう」
  と言ったのは
  さっきまでうめいていた重傷者だ。
  かくてくらがりの地獄の底で
  新しい生命は生まれた。
  かくてあかつきを待たず産婆は
  血まみれのまま死んだ。
  生ましめんかな
  生ましめんかな
  己(おの)が命捨つとも

吉永さんの朗読は、何とも心に沁みる・・・。この詩は事実で、その時に生まれた女性もこの会場に来ており、また番組の中では本人への吉永さんのインタビューもあった。(写真はクリックで拡大~写真はNHKの番組から)

Img_25131 Img_25141

そして、同じく吉永さんが朗読した、大平数子さんの「慟哭」という詩も良かった。

<吉永小百合さん朗読の大平数子作「慟哭」>

Img_25201 Img_25181

アルビノーニの「アダージョ」の音楽(ここ)とともに流れる詩・・・・。実にマッチしている。
それに詩の中の「しょうじよう、やすしよう」という子供の名前を呼ぶフレーズが何とも切ない・・・。

明日は、長崎の65回目の原爆の日。共にかつての原爆の悲劇を、もう一度思い起こそうではないか・・・。

(関連記事)
「原爆詩集」を読んで
吉永小百合が朗読する「人間をかえせ」
峠三吉「人間をかえせ」のレコードを聴いた

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2010年8月 7日 (土)

NHKスペシャル「封印された原爆報告書」を見て

毎年8月に入ると、原爆や終戦にまつわる番組が色々と放送される。そして毎年NHKスペシャルでは、よく新発見資料に基づく番組が放送される。
昨日(2010/08/06)放送されたNHKスペシャル「封印された原爆報告書」(これ)を見た。
NHKの番組解説にはこうある。
「アメリカ国立公文書館に、181冊1万ページにおよぶ「原爆被害の実態を調べた報告書」が眠る。まとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。しかし、報告書はすべてアメリカへと渡っていた。なぜ、貴重な資料が被爆者のために生かされることなく、長年、封印されていたのか? 被爆から65年、番組では報告書に隠された原爆被害の実相に迫るとともに、戦後、日本が被爆の現実とどう向き合ってきたのか検証する。」

ナレーターは言う。「調査の対象となった被爆者は2万人。治療はほとんど行われず、原爆が人体に与える影響を徹底的に調べていた。報告書は日本人の手で英語に翻訳されていた。被害の実態を調べた貴重な記録は原爆を落とした国、アメリカに渡されていた。浮かび上がってきたのは被爆者の救済よりも、アメリカとの関係を優先させていた日本の姿です。被爆者のために活かされることの無かった報告書。今明らかになる原爆調査の実態です。」

調査を指揮した陸軍省医務局。原爆投下の2日後に広島に調査団を派遣。まとめられた「原子爆弾に依る広島戦災医学的調査報告」。被爆して亡くなって行く様子を調査。被爆者は、まさにモルモット・・・。
アメリカ調査団が到着すると直ぐに、日本側から調査報告書を提出したいという申し出があったという。自ら進んでアメリカに報告書を提出した陸軍省医務局幹部。
当時の陸軍軍医少佐(94歳)はこの番組で証言する。
「いずれ要求があるだろうと、その時はどうせ持って行かなくてはならない。早く持って行ったほうが心証がいいだろうと」
「心証を良くするというのは何のために?」(沈黙・・・)
「731(部隊)のこともあるでしょうね」

報告書の中には、当時アメリカが最も必要としていたデータも含まれていた。原爆がどれだけの範囲にいる人を殺すことが出来るのか。対象となったが17000人の子供たちだった。同じ環境にまとまっていた子供たちの死亡率が貴重なサンプルとなった。爆心地からの距離と死者の割合を示す「死亡率曲線」。それがその後のアメリカ核戦略の礎となった。そしてこのデータによって、モスクワ6発、スターリングラード5発、というシミュレーションが行われた。
その研究を引き継いだジェームズ・ヤマザキ氏は言う。「革命的な発見でした。原爆の驚異的な殺傷能力を確認出来たのですから。アメリカにとって極めて重要な軍事情報でした。まさに日本人の協力の“賜物”です。貴重な情報を提供してくれたのですから」

そのデータを見た被爆者は、友人達の死が日本人の手によって調べられ、アメリカの核戦略に利用されていた事を初めて知って、ひと言・・・。「バカにしとる」・・・

そして日本人医師は、被爆者に対し、治療には関係のない投薬を行い、その影響の検査を毎日行っていたという・・・・

何ともやりきれない気持ちでこの番組を見た。透けて見えてくるのは、同胞の死を踏み台にした軍部医務局の保身。
特に子供たちの、爆心地からの距離と死亡率とをグラフにした「死亡率曲線」について、「日本人の協力の“賜物”だ」とのアメリカ研究者の発言に衝撃を受けた。
この“協力”は軍部の調査について言ったのだろうが、最初自分は、“原爆の死”そのものを“日本人の協力”、と思ってしまい、深い憤りを覚えた。
でも結果として、アメリカにとって日本人の原爆の死は、まさに“核戦略への協力”そのものなのである。
敗戦と同時に保身に走る日本の軍、医師団。この保身術によってどれだけの医師が戦犯から逃げられたのかは知らないが、被爆者の苦痛も気にせず、ただモルモットと見て不要な投薬でのデータ取りに何の疑問も持たなかった当時の医師たち・・・。何ともやりきれない・・・

情報の公開によって、段々と当時の事実が暴露されつつある。そこに感銘を受けるような立派な事実は、ほんのひとかけらもない。それが日本人の実態・・・・。

これらの事実を受けて、これからの世代はそれらをどう乗り越えて行くのか・・・。
終戦にまつわる番組は、見逃せない高品質な番組が多いので、毎年楽しみではある。今年は、原爆投下、そして終戦から65年目。戦争を知っている日本人はもう人口の1/4しかいないという。せめてこの夏の期間だけでも、戦争を風化させないために、皆で戦争を見つめようではないか。

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2010年8月 6日 (金)

スクラッチノイズの低減~川田孝子の「叱られて」

このところオーディオ系の話ばかりで恐縮だが、今日はレコードのスクラッチノイズの話。
先日、“通行人”さんからのコメントで(ここ)、エルプという会社から「レーザーターンテーブル」なる製品が出ていることを知った。(ここ
これは、レコードの溝を針でなくてレーザー光で読み取るという物。原理的には良く思い付く話だが、本当に製品があったのだ。HPを見るとデモCDがあるというので、送ってもらった。再生してみて、期待とは違った。自分の思い込みではあるのだが、針と同じようなスクラッチノイズがある。確かに溝にゴミがあったり、溝にキズがあればスクラッチノイズとして出てしまう。
これは自分が「レーザーなのでノイズが無くなる」と思い込んだ方が勘違い。では何のためにレーザー?という事になる。「レコードを痛めない」「録音時の音を忠実に再生」「割れた盤や反った盤も再生可能」というのが特徴らしい。しかし100万円はなかなか高価・・・・。
デモCDの中に「パソコンソフトでのノイズ低減」なる音源があり、この効果がかなりある事が分かった。スクラッチノイズを見事に消している。

Netで検索すると、このレーザーターンテーブルを使って、貴重なレコード音源をCDにしてくれるサービスがあるのを知った。それで(ここ)に書いた自分にとって非常に大切なモラヴェッツの「月光」のLPのCD化を頼んでみた。
このサービスをしてくれる会社は九州と神奈川にあった。それで今回は神奈川の会社に頼んでみた。CD化されていない、自分にとって貴重なLP。それがどのように復活してくるか楽しみである。1ヶ月以上かかるとの事だが、うまく再生出来たらまた紹介しよう。

Image04911 話は変わるが、ひょんな事で、郡修彦(こおりはるひこ)著「親子で読んで楽しむ日本の童謡 (CDブック)」(これ)という本をAmazonの中古屋で買った。既に新刊本は手に入らない。郡修彦氏は世界的に高名なSPレコードの復刻技術者であり、音楽史の研究家。この本には、その郡氏が復刻した昭和初期に録音された日本の童謡25曲が、CD化されて付いている。(写真はクリックで拡大)

実は、その再生音が素晴らしい。まず昭和27年1月25日発売のコロンビアC146-Aから復刻された、川田孝子の「叱られて」を聞いてみよう。

<川田孝子の「叱られて」~郡修彦氏復刻>

「叱られて」
 作詞:清水かつら
 作曲:弘田龍太郎

叱られて 叱られて
あの子は町までお使いに
この子は坊やをねんねしな
夕べさみしい村はずれ
コンときつねがなきゃせぬか

叱られて 叱られて
口には出さねど眼に涙
二人のお里はあの山を
越えてあなたの花の村
ほんに花見はいつのこと

同じSPレコード盤を、NHKで放送されたものと聞き比べてみよう。普通に再生するとこんな音になる・・・。

<川田孝子の「叱られて」NHKの放送>

このスクラッチノイズの違い・・・・
このために、どんな技術が投入されているのかは知らない。しかし、この効果は絶大。その苦労が忍ばれる。

昔のアナログ音源のほとんどは、それなりに音質を改善されてCD化されている。ヒスノイズも少ない。しかしもちろん全てではない。よってCDが手に入らない場合は、自分が持っているレコードを個人的に再生することになる。その時、どうしてもスクラッチノイズが気になる・・・。Netで見ると、パソコン用のノイズ低減ソフトもあるようだが効果の程は分からない。
自分もそのうち、時間が取れるようになったら、持っているLPをゆっくり聞いてみようと思ってはいるが、これは先の楽しみ・・・

それよりも、先の本に付いていた郡氏が復刻した発売当時の童謡レコード。これらは、まさに日本の文化遺産である。それが、このような形で手に入ったのはラッキーと言うより他はない。この日本で初めてレコード化された時の色々な童謡の音源を、想像以上に良い音で楽しめるのも、我々シルバー族ならでは・・、かも知れない。(若い人は童謡など興味がないだろうから・・・)
当blogでも今後、何回かこの音源を取り上げてみたい。非常に貴重な音源であるので・・・・。

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2010年8月 4日 (水)

森田童子の「地平線」と「狼少年 wolf boy」

最近自分が凝っている森田童子。またまた森田童子で恐縮だが、今日は「地平線」という歌の紹介。
先日、森田童子の最初のアルバムである1975年発売の「GOOD BYE グッドバイ」というLPを手に入れたが、これに入っていたのが「地平線」という歌。先ずは聞いてみよう。

<森田童子の「地平線」>

「地平線」
  作詞・作曲:森田童子

地平線の向こうには 
おかあさんと
おなじやさしさがある 
だからぼくはいつも 
地平線の向こうで
死にたいと思います

地平線の向こうには 
ぼくとおなじ
淋しさがある 
だから地平線よ 
ぼくが目をさまさないうちに 
遠くまでつれていって

地平線の向こうには 
夏の草花が咲きみだれています 
だからぼくはいつも 
君の胸に抱かれて
眠りたいと思います
(*)
地平線の向こうには 
血よりも赤い
夕焼けがある 
だから傷ついた戦士のように
故郷を思うのです

地平線の向こうには 
愛よりも深い
海がある 
だからぼくはいつも 
地平線の向こうに
沈んでゆきたい

地平線の向こうには 
おかあさんと
おなじやさしさがある
だからぼくはいつも 
地平線の向こうで
死にたいと思います

そして、森田童子最後のアルバムである1983発売の「狼少年 wolf boy」に入っていた「狼少年 wolf boy」という歌が、この「地平線」の替え歌(?)だった。一部、(*)の部分の歌詞が違う・・・

<森田童子の「狼少年 wolf boy」>

「狼少年 wolf boy」
  作詞・作曲:森田童子
・・・・
(*)
狼に育てられた
ぼくは涙も笑うことも知りません
だからぼくはいつも
地平線の向こうで死にたいと思います
・・・・

森田童子のディスコグラフィーが(ここ)にある。初アルバムの「地平線」と、8年後のラストアルバムの「狼少年 wolf boy」・・・。この両者にどんな変化があるのか・・・。活動の停止が1983年12月というから、11月に森田童子が「狼少年 wolf boy」というアルバムを出した時には、「これが最後」と認識していたのだろう。
それだけに、この「狼少年 wolf boy」という歌のラストを聞くと、まさに“オシマイ”という感じがする・・・・。
この引き際・・・・。(ここ)にあるように「80年代になると、もう自分の居場所はないと思ったのか、新曲を作らなくなった。その意味では、溶けていくように消えていなくなったというのでしょう」というプロデューサーの言葉を重ね合わせてこの歌を聞くと、森田童子の何かが伝わってくる・・・・。

前に“森田童子の全楽曲をそろえるぞ”と宣言してみたが(ここ)、とりあえず全部手に入れた。しかし数曲は音質に問題がある。でも全曲聴いてみた感じは、どの楽曲も自分にフィットする。このような歌手は自分にとって珍しい。最初に聞いた時は、この歌手は男?女?・・と悩んだのが懐かしい・・・

今でも森田童子のCDはまさにレア。オークションでも、どのCDも非常に高値で取引されている。しかし引退後30年も経って、未だにこれだけ人気を保っているのは、森田童子の何かが、未だに息づいている証拠。
自分は今頃・・・の遅い目覚めたが、高値で森田童子のCDを買っている人は、どのような年代なのだろう・・・・。自分は新米だけど・・・

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2010年8月 3日 (火)

引退希望年齢は「65歳」が最多の41.5%・・・

新聞を読んでいても、どうも目が行くのは同世代の動向・・・
先日の日経新聞に「知りたい!そのデータ」という囲み記事があり、引退希望年齢は「65歳」が最多の41.5%だったそうだ。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

「55~69歳の人に「何歳ぐらいまで働きたいか」を尋ねたところ。最も多かったのは「65歳」で全体の41.5%だった。「70歳」が27.1%、「60歳」が11.8%でこれに続く。平均では66.0歳。独立行政法人労働政策研究・研修機構が2009年夏に全国5000人を対象にした調査(有効回答率72%)でこのような結果が出た。
1008031 回答者の年齢階層別に見ると、55~59歳、60~64歳の人は「65歳」と答える人が半分程度で最も多いが、65~69歳になると、現にその年齢で働いている人もいることから「65歳」派は約10%に減る。代わりに「70歳」と答える人が過半数となって、最も多くなる。この世代の男性の場合、次に多かった引退希望年齢は「75歳」だった。働いているうちに働くことが生きがいになり、年
をとっても働ける自信が生まれてくるようだ。」(2010/08/01付け日経新聞p11より)

この統計は、何とも読むのが難しい。55歳の人に尋ねれば65歳位と答えるかも知れないが、69歳のまだ働いている人に尋ねると、75歳と言うだろう。しかし69歳のもう働いていない人に尋ねることは、それ自体が無意味・・・・。
よってこの統計は、「55~59歳、60~64歳の人は「65歳」と答える人が半分程度で最も多い」という部分だけ読むことにしよう。

自分が60歳を過ぎて感じることは、肉体は段々とガタが来ているのだろうが、精神的にはまだまだ引退したい、とは思わない。同僚も同じ。60歳でヤレヤレ引退出来る、と言って引退した人はごく少数派。大多数は、まだまだ働ける、働きたい、と言っていた。しかし現実がその前に立ちはだかる。
その現実の壁が、こんなにも厚く、高いものとは知らなかった。退職してハローワークに行った同僚のメールを読むと、その壁はそう簡単には越えられそうにないようだ。

全ては需要と供給によって決まる。こんな当たり前の事が、特にシルバー世代の働き口には大いに作用する。つまり、幾ら自分で働けると思っても、相手の会社は、その人を雇う必然性が無く、結果として就職口が無い・・・。
よって、世のシルバー族で働いている人は、多くが現役時代の経験が生かせる場が見つかったラッキーな人、または世の中に通用する特殊技術の持ち主だろう。

ところで、自分は世に通じる何かの持ち主?? → とんでもない・・・
自分の場合は、ただただラッキーとしか言いようがないが、そのラッキーをどう返すことが出来るかが今後の課題・・。
仏教で言うところの、全ては“縁起”と同時に、それらに対する“恩”を忘れてはならないと思う。

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2010年8月 2日 (月)

「あっ」と「おっ」~日経「春秋」から

今朝の日経新聞の「春秋」。胸にグサッと突き刺さる言葉である・・・。曰く・・・

「開演前のホール。席に座りうつむいてものを読んでいると、ひざに何か当たる。顔を上げれば、前を人が通り抜けようとしている。無言。込んだ電車が駅に着く。車内の人の流れが収まったころ、ぐいぐい背中を押すものがある。無言。
「申し訳ありません」とか「降ります」の声も聞こえる。聞こえるのだが、回数がめっきり減った。印象をそう知人に話したらうなずいていたから、的外れでないのだろう。言葉は携帯電話やパソコンを通じてとびかうのに、肝心の一言が聞こえない。渇きをいやす一杯の水に手が届かぬようなもどかしさがある。
いや、「あっ」は別格だった。人にぶつかって「あっ」、足を踏んでも「あっ」。落とし物に気づかぬ若者を追って手渡せば、やはり「あっ」。おわびにお礼に縦横無尽のこの一語だけは、特に男性の口からやたら出てくるのである。十数年前か、「あっ」がチンパンジー語に由来するらしいという研究があった。
類人猿は出会った相手に敬意を表するときには「あっあっ」、見下して威嚇するときは「おっおっ」と叫ぶ。日本人の男性も同様で、目上への第一声は「あっ」、目下なら「おっ」になる。京大霊長類研究所などの発表はそんな内容だった。思い出してから目くじらを立てるのはよした。「おっ」でないのだから。」(2010/08/02付け日経新聞「春秋」より)

この話は当たっている。なぜ分かる?自分が当事者だから・・・!?
朝、よく駅前のドトールに行ってコーヒーを飲む。帰るとき、食器置き場にいる店員さんに盆を渡す。頭をチョコッと下げただけで無言・・・。「スミマセン」と口では言っている。でも声には出ていないことが分かる。
なぜか?→耳にイヤホンをしているため、声が出しづらい。

筆者が指摘している「無言」の原因も、ことによると、こんな簡単な事かも知れない。でも「あっ」は、どう理解しよう・・・。まさか・・とは思うが、自分も意外と同じかも知れないな・・・。

バスを降りるとき、若い女性が「ありがとうございました」と運転手さんに声を掛けている風景を良く見る。自分は??→「無言」。

以前、九州の息子が帰省の折、一緒に車で田舎に帰ったとき、高速道路を運転させていた息子が、高速を降りて料金所で金を払うときに「ありがとうございました」と言っている。反射的に「エライな~」と言ったら、「挨拶するのは当たり前だろう」と叱られてしまった。関東では皆“無言”と思ったが、九州では挨拶するのが普通らしい。

カミさんと一緒に犬の散歩に行くと、同じ犬を連れた人が、皆挨拶をする。カミさんに聞くと、名前を知らない人が多いが、犬を仲介に犬仲間として話を交わすという。

どんな状況でも、挨拶は清々しい。シルバー世代になると、求められるのは“品”である。自分もこれからなるべくイヤホンを耳から取って、声で挨拶をするように心がけることにしよう・・・。(←今更・・・だけど)

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