« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月の27件の記事

2010年6月30日 (水)

ウィーン・フィルの女性コンサートマスター談

先日の日経新聞に「ウィーン・フィルに新風~女性初のコンサートマスター就任」という記事があった。曰く・・・

ウィーン・フィルに新風~女性初のコンサートマスター就任
      アルベナ・ダナイローヴァ
・・・私は2008年5月、ウィーン国立歌劇場管弦楽団のオーディションに合格し、当初からコンサートマスターとして入団した。コンサートマスターとは、オーケストラ全体を統率する役目の第1バイオリン首席奏者のことだ。試用期間を経て、今年3月に正式に就任した。女性はコンサートミストレスと呼ばれる。
歌劇場の専属オーケストラであるウィーン国立歌劇場管弦楽団と、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との関係はやや複雑だ。歌劇場管弦楽団の精鋭部隊がウィーン・フィルという図式なのだ。日本ではニューイヤーコンサートでウィンナワルツを弾く姿が有名だろう。だが、ウィーン・フィルの奏者は日常的には歌劇場管弦楽団の構成メンバーとしてオペラを演奏しているのである。
一般に、歌劇場管弦楽団に在籍して2年以上の奏者がウィーン・フィルに入る。新参者の私も来年ようやくウィーン・フィルハーモニー協会に入会する。でもコンサートマスターとして歌劇場管弦楽団に採用された私は、既にウィーン・フィルのコンサートマスターも何度も務めた。昨年9月の日本公演にも同行した。長く男性ばかりたったウィーン・フィルで私は史上初の女性コンサートマスターといわれている。
伝統と格式、独自の響きを持つウィーン・フィルには同じ教師の下で学んだ奏者が多い。だが私には全く知人がいなかった。純粋に、世界一のオーケストラで仕事がしたくて入団した。女性が長くいなかった団体ゆえの面倒や困難はあろうが、失敗しても価値ある挑戦だと思った。
・・・・・・
ウィーン・フィルに女性が入り始めたのは2000年ごろからだ。今はバイオリン、ハープ、ビオラ、チェロのパートに合わせて7人いる。私たち女性がオーケストラの伝統を変えてしまうのだろうか。それは分からないが、私が入る前後で団員がかなり入れ替わった。変化が起きるとすれば、様々な要素が絡み合ってのことだろう。
長く男性ばかりだったため、劇場にきちんとした女性奏者用の楽屋がない。そんなささいな不自由はあるけれど、今の待遇には満足している。・・・(ウィーン国立歌劇場管弦楽団コンサートミストレス)」(2010/06/22付「日経新聞」p40より)

この「事件」については、当blogでも何度か書いた。2007年正月に「ウィーン・フィルに女性が居た」(ここ)とビックリし、ちょうど1年前の2009年5月には、朝日新聞の記事を見て「ウィーン・フィルのコンサートマスターに女性?」(ここ)という記事を書いた。

そういった経緯で、もう驚くには値しない話題なのだが、こうして本人の手記を新聞で読んでいると、改めてビックリする・・・。つまり自分にとっては何とも受け入れ難い“大事件”なのである。

調べてみるとウィーン・フィルの女性団員は、1997年のハープ奏者採用が最初らしい。(上の記事では2000年頃と言っている) もう10年以上も前のことだ。でも自分の頭の中は、相変わらず女性団員を受け入れていない・・・。未だに“ウィーン・フィルは男性だけ・・・”という思い込みにすがっている・・・
既に女性コンサートマスターが演奏しているのに・・・・

別に女性差別のツモリは無いのだが、自分にとってこれはあまり好ましい話ではない。せめてウィーン・フィルとベルリン・フィルだけは、コンマスに男性が座って欲しいもの。それなのに35歳の美人女性か・・・・。しかも、もう7人もウィーン・フィルに女性が居るという・・・。自分はもう時代に付いて行けないな・・・。
でも・・・・・。
そもそも伝統というのは、民主主義とか人権とかは関係ない。今回の“事件”も、その内、そうなった経緯をもう少し詳しく調べてみよう。1997年~2000年当時の、女性が入団するに至った背景が良く分からない・・・

最近、昔好きでなかったカラヤン/ベルリン・フィルのCDを良く買う。最近のピリオド楽器の演奏(作曲された当時の楽器での演奏スタイル)などよりも、よっぽど安心して聞いていられるので・・・。
しかしこのウィーン・フィルの変化についての自分の違和感を見ても、つくづく自分は変化を好まない保守的な人間だと思う。
(この新聞記事のオリジナルのPDFは(ここ))

(関連記事)
ウィーン・フィルのコンサートマスターに女性?

| コメント (2)

2010年6月29日 (火)

「幸福度指標は無駄」

旧聞だが、先日の日経新聞のコラム「インタビュー領空侵犯」に、「幸福度指標」についての意見があった。曰く・・・

幸福度指標は無駄~物差しより政治哲学を
      元世界銀行副総裁 西水美恵子氏
――「幸福度指標」を作ることに反対だと聞きました。
「国民の幸福など測っても無駄です。そもそも幸せは測れないもの。国民総生産は生産物を市場価格に換算して足し合わせる。ところが幸福は人それぞれ、市場価格などで換算できず足し算できない。『測れるものは必ず管理される』という言葉があります。国民の幸福を無理に数値化すると、国が間違った指標を管理しようとして危険なことになります」
「ブータンの国民総幸福量がお手本とされますが、これは誤解です。国民総幸福量は指標ではなく、ブータンが長年貫いてきた政治哲学です。前国王の雷龍王4世が海外メディアに『国民総生産より国民総幸福量の方が大切だ』と話した言葉がひとり歩きしたのです。前国王の意図は『国民の幸せを中心に据えて国を収めるのは常識で、経済成長は幸福を実現するための手段である』ということ。国民総幸福量の追及は公共政策哲学なのです。日本の政治家は、幸福度を測って何に使うつもりなのか。必要なのは物差しではなく哲学です」
――幸福追求に重きを置くと、経済成長が軽視されると懸念する人もいます。
「目的は国民の幸せ、経済成長は重要な手段です。目標と手段を取り違えではいけません。『ブータン2020』という国家ビジョンでは、自然環境や文化伝統を破壊し、家族や友人、地域社会のきずなを犠牲にするような経済成長は追求せず、人が安らかに住める国をつくると宣言しています。こうしたビジョンを掲げながら、一人当たりの国民所得が南アジア2位となるまでの成長を遂げました」
――なぜブータンではうまくいったのでしょうか。
「人口約70万人のブータンは、北に中国、南にインドと大国にはさまれ国家存亡の危機感を常に抱いています。武装しても勝ち目はない。国を守るのは人心しかないのです。国民総幸福量は、国家安全保障戦略でもあります。10代で即位した雷龍王4世は、数年かけて国中を回って国民の声を直接聞き「国の安泰をもたらすのは国民の幸せだ」と学んだのです」
「翻って日本の政治家をみると、本気度が足りない。真剣に国民の目線から国を治めようとするなら、一円も無駄にできない高齢の年金生活者の生活を1日でも体験してはどうか。国の役割は、国民一人ひとりが努力して幸せになる上での障害を取り除くことです。日本は憲法第13条で『幸福追求に対する国民の権利』を基本的人権として認めています。時間の浪費にすぎない幸福度指標より、政治のあり方を本気で考えてほしいと思います」(2010/06/21付「日経新聞」p5より)

当サイトは、前からブータンの「国民総幸福量」に興味がある。最初にこの言葉を知ったのは、NHKの「五木寛之 21世紀・仏教への旅 幸福の王国をめざして~ブータン」という番組からだった(ここ)。 その後、BS朝日で放送された「ZOOM ASIA~奇跡の国ブータンから学ぶこと」も見た(ここ)。
これらの番組で、自分は経済的な幸福だけを追っている先進国のはかなさを知ったもの・・・

筆者が指摘している通り、目的と手段の議論は良くある話。「目的は国民の幸せ、経済成長は重要な手段」という指摘は全くその通り。でも経済が立ち直れば、金が回って皆が幸せになれる。つまり“金さえあれば幸せ”という短絡思考で、つい経済に目が行ってしまう。
しかし、そもそも日本では、政治家が“幸せ”を論じること自体に違和感を覚える。ブータンは敬虔な仏教国。だから“幸せ”という哲学的な政治理念も解せる。“金がないと幸せになれない・・”と思う人が多い日本とは違う・・・

前に「知足石」の事を書いた(ここ)。 仏教では「足るを知る」ことを説く。
自分はどうも、仏教国ブータンでは国民が“足る”を知っているように思えてならない。逆に、“先進国ニッポン”は足るを知っている国民とは思えない・・・。ここが出発点・・・。
何? 自分は足るを知っているかって??
知っていたら、こんな記事は書かないよ。こんなことを書きながら、自分に言い聞かせているのが現実なのさ・・・・

(関連記事)
NHK「五木寛之 21世紀・仏教への旅」ブータンの幸福観
真の豊かさ・幸福とは?~ブータンの国作り
「吾唯(われただ)足るを知る」

| コメント (0)

2010年6月28日 (月)

Yahooオークションに凝った~FMチューナの更新

最近、自分は何かに“凝って”いないと心が安定しないように感じる。何かに夢中になっていると安心する。例えば、TVを買うぞ、パソコンを更新するぞ、エアコンを買うぞ・・・、と思うと、それに没頭する。性能・機能は? メーカーは? 型は? 幾らで買う?・・・そのイベントが終わると、次のターゲットを探し、またそれに没頭する。まあヒマと言えばその通りだが・・・・
それで、最近凝っているのがYahooオークション(通称ヤフオク)(これ)。
自分のステレオ装置の歴史は古く、独身時代に買った機器が、未だに動いている。でも耳が壊れて(ここ)違和感があるため、スピーカでの鑑賞はせず、音楽はもっぱらイヤホンで聴いている。
でも耳の周波数特性についての自信は無くなったとは言え、ノイズ・音質等については相変わらずウルサイ・・・。

それで、ほとんど使っていない、つまり飾っているだけのオーディオ機器を売ることを思い立った。オークションでの相場を調べてみると(ここ)、未だにそれらが売り買いされている事が分かったから・・・。しかし便利な時代で、持っている機器の型名を入れると、オークションでの取引価格が分かる。それで、売る価値があるかどうかの判断が出来るのだ・・・。

売ろうと思い立った機器が、35年前の独身時代に買った英国製メインアンプ、同時期のコンデンサー型ヘッドホン、そして10年前の多機能学習リモコンとMDデッキの4種類。オークションに出品し、約1週間待っていたら、MDデッキ以外の3種について買い手が付いた。それで売れてしまった。アンプやヘッドホンは万円単位だ。未だに名が残る“名機”はそれを求める人がまだ居ると言うことだ。

入った金、数万円をどうしよう・・・。銀行に入れておいてもつまらないので、今動いている機器の改善に使おうと思った。するとやはりFM放送の受信状態の改善だ・・・

音源の収集は、FM放送が一番金が掛からなくて良い。もちろん音質はCDとは比べものにならないが、まあそこそこの音はする。今の自分の耳にはガマンできる範囲かも??
FMの改善は、まず“入り口”から・・と、アンテナ工事屋に「マルチパス(グジュグジュというノイズ)の最も少ない方向への調整」を頼む。そして昨日(6/27)来たのだが、結論は、1)アンテナ自体が20年経って劣化しており、そろそろ交換時期 2)電界強度は、それなりにレベルがあるので(70)、今の5素子のFMアンテナを8素子、10素子に変えたからといって、耳に分かるほどの改善につながるかどうかは不明 3)マルチパスの改善は不明、とこのと。まあそんなものだろう・・・

結局、FMアンテナの方向は、前回調整して貰った時は、「東京タワーよりも浦和局の方が、マルチパスが少ないので、アンテナの方向を浦和に調整する」だったが、今回、浦和に向いていた方向を東京タワーに戻した。(浦和の方がノイズレベルが高かったので、もっぱら東京局を受信していたため・・) もちろんレベルは上がったが、マルチパスについては不明。

次に思い立ったのが、FMチューナを変えよう・・・。
改めてNetで調べてみると、自分が学生時代以来聞いていたFM放送による「エアチェック」という趣味(手段)は、CDレンタルが開始されてその意味が無くなり、1980年代でその使命を終えたという。よって、1980年代を最後に、FMチューナ自体の開発が無くなった。よって、今FMチューナを買おうとしても1~2万円程度の廉価版しかなく、本当の性能が欲しい場合は、1980年代のホンモノの中・高級機を手に入れないとダメ、という事が分かった。
Yahooオークションを見ると、確かにそれらがかなり売り買いされている。よし、オークションで中古品を手に入れよう・・・。では何を手に入れる??
100628fx46 メーカーはやはりケンウッド(トリオ)だろう・・・・。学生時代から憧れていた通信機のメーカ-。そもそも、自分が大学1年の時(1966年)に買ったのが、TRIOのFX-46Kというキット。真空管8本のチューナの組み立てキットを買い、下宿でハンダゴテ片手に自分で組み立てた。会社に入って次に買った100628kt5000のが同じくTRIOのKT-5000という機種(1970年代初め)。これは2000年まで使った。(写真はクリックで拡大)(写真はここから借用)
それが壊れて新しく買ったのがSONYのST-S510という機種。これはほとんど検討せずに買った。やはり安易に買いすぎて、性能が今ひとつ・・・
今回はそれを更新しようというわけだ。KENWOOD製品を調べたら、サイトにトリオ/ケンウッドのチューナ開発の歴史があり(ここ)、1986年発売が最後の製品だった。

本当はバリコン式のアナログ機が、技術的に一番完成されて音が良いらしいが、オークションに適当な製品が出ていない。それでこの1986年発売のKENWOOD最後の中級機「KT-1100D」を手に入れることにした。
そして昨夜、締め切り直前のオークションのデッドヒートを行った。たまたま同じ機種が2つ出品されていたので、両方の値動きを追いながら応札する。目指していたセットは、他に2人の買い手が値を争っており、もう一台の方に応札を変えたら、それを何とか落札することができた。自分はなるべく良い品が欲しいので、そう安く買う必要も無かったので、値段を競合相手よりも高く入れれば確実に落札出来るのだが、競り合いになると何となく戦闘的になってしまって・・・・(これはイカンな・・・)

このチューナが送られて来たら、まず製造メーカーであるKENWOODのサービスに送って、オーバーホールをしてもらう予定。製造から20年以上も経っているので、当然体のあちこちに病気や怪我があるだろう。まずは故郷(KENWOOD)に帰って、休養を取ってもらい、これから我が家で10~20年は動いてもらわねば・・・・

これでも売った値段の半分。さて、後はどうしよう・・・。“次に凝るターゲット”を探さねば・・・・
(でもオークションからは少し距離を置こう。今、野球賭博で騒いでいる相撲界にも通じる“スリル”が怖いので・・・)

| コメント (2)

2010年6月27日 (日)

谷嶋早苗作曲~混声四部合唱「いわし雲」

先日、「死んだお母ちゃん」というものすごく音が悪い歌を紹介したが(ここ)、今日はそれに負けないくらいローカルな合唱曲を紹介しよう。
大谷浩之作詞、谷嶋早苗作曲の「いわし雲」という混声四部合唱の曲。

<混声四部合唱「いわし雲」>

「いわし雲」
  作詞:大谷浩之
  作曲:谷嶋早苗

いわし雲が流れて行くよ
サナトリアムの屋根の上を
ひしひしと身を寄せあってゆくよ

去年おれはあの雲を見たよ
死に近い母のかたわらで
おれの家と隣の屋根の
間の空に
うっすらと流れて来たのを見たよ

母は戦争の頃をうなされていたよ
食べものと病気の永い息子のことを

母は知らないんだよ
戦争を起こした奴を

おれは縁側に立って泣いたよ
いわし雲がきえて行くまで

いわし雲が流れて行くよ
サナトリアムの赤い屋根の
しずかな午後の光の中を

いわし雲が流れて行くよ

この歌は1957年(昭和32年)頃の作曲との事で、時代背景はまさに昭和30年代から40年代の、いわゆる「うたごえ運動」の時代である。某地方大学のあるサークルの部室で生まれた極めてローカルな曲。そして、その部屋で20年ほど歌い継がれ、そして消えていったという・・・・
この音源は、1966年(昭和41年)の冬、20人ほどの合唱で、地方放送局のスタジオで収録され、ソノシートに残されたもの。

前に「グリークラブの思い出」(これ)という記事を書いた。
ここで書いたように、合唱団には、自前で創作した「持ち歌」を持っている場合がある。一番有名なのは、「ウ・ボイ」という男声合唱曲。これは自前ではないものの、(ここ)で書いたように、「長い間、関西学院グリークラブの門外不出の秘曲であり、楽譜が出回らなかったという。」
この「いわし雲」もそれと同様に、楽譜が出回らなかったマイナーな曲、という意味では“秘曲”なのかも知れない。楽譜の公式な出版もない・・・

この曲がメジャーな合唱曲とならなかったのは、いわゆる反戦歌だったことにあるのかも知れない。確かにその当時は反戦歌で良かった。しかし時代が変わって、いわゆるマジメな合唱団にとって、「オレ」という表現や「戦争」という言葉が一般の合唱団では歌いづらかったのだろう。特に現代の合唱団では・・・

音楽は、(軍歌を代表例に)その当時の時代の要請によって作られ、そして忘れ去られていくもの。これは仕方が無いことではある。
でもそれぞれの心の中にいつまでも生き続ける旋律はある。その意味で、自分にとって、この旋律はいつまでも残っている名曲なのである・・・・。

最後に、同じ時に録音された「休暇中のトム」という曲を聴いてみよう。作詞・作曲は「いわし雲」と同じである(たぶん・・)。この歌も戦争がテーマ。当時のベトナム戦争だ・・・

<混声四部合唱「休暇中のトム」>
作詞:大谷浩之、作曲:谷嶋早苗(たぶん・・・・)

(関連記事)
グリークラブの思い出

| コメント (1)

2010年6月26日 (土)

映画「告白」を観る

映画「告白」を観た(これ)。「娘は事故死ではありません。このクラスの生徒に殺されたんです。警察に訴えても、少年法に守られた犯人はたぶん保護観察処分・・・。あなた方は人を殺しても罪に問われない。でも、このままでは終わりにはできない。」

Image04781 前からカミさんが貰ってきたチラシを前に、見に行こうという話はあった。でもなかなかカミさんが行こうと言わない。(自分一人では映画には行かないのである)
それが、友達から「いい映画だ」と言われて、俄然見に行く気になった・・。(自分に劣らずミーハーなのである)(写真はクリックで拡大)

観た感想をひとことで言うと○。“良い映画か?”と問われると「いい映画」とか「悪い映画」と言うには、何かが違う・・・・。
つまり、自分が今まで観てきた映画のジャンルとは違う気がする。スジが面白いとか、ハラハラするとか、そんな受け止め方とは明らかに違う。
スジ的には、最初から松たか子(森口先生)の幼い娘を殺した犯人は分かっている。でも最初から犯人が分かっているドラマ、“コロンボ”とは明らかに違う。そして、別に特別な種明かしがあるわけでもない。強いて言うと、松たか子(森口先生)の復讐の方法が種明かしかも知れないが・・・
最初から最後まで、松たか子の“すごみ”が画面にあふれる・・。他のカワイイ系の女優ではこうは行かない。そして、自分の子どもを殺された復讐が着実に実行されて行く・・・

テーマは、「少年法に守られた中学生の殺人犯」。少年法の理不尽・・・・。その壁を、子を奪われて怖いもの無しになった松たか子が一人挑む・・・
この構図は「光市母子殺害事件」と同じだ。この事件でも残された夫は、少年法に守られた判決を聞いて、その直後の記者会見で夫は、「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」と言った。(ここ

画面に品(?)はない。血しぶきが飛び散る人殺しの場面が多い。そして物語の背景として、携帯の時代、Netの時代が色濃く映し出される。それに最初の場面から“イヤ”になる。先生が話をしていても誰も聞いていない。給食の牛乳パックが教室内を飛び交い、イジメの連続。
しかしそれを淡々と受け入れる教師たち・・。今の中学校は、これが現実なのだろうか?

この映画を別の視点で捉えると、劇場で観た方が良い映画だと思った。
劇場での映画鑑賞には、色々な楽しみ方がある。3Dに代表されるような劇場ならでは・・・の、音響を含めた大迫力など・・・。この映画は、そんな迫力とは別世界だが、TVで“ながら”的に観るような映画ではない。映画館で、その世界に浸って(埋没して)観るべき映画のような気がした。

最後に、この映画を観て思ったことふたつ。
1)高校の頃、学校の先生になろうかと思ったことがあった。でも先生にならなくて本当に良かった・・・。この映画が現在の教室の実態とすると、あまりに悲惨・・。教師は並の人間では務まらない・・・。

2)江戸時代の「仇討ち制度」の復活は出来ないものか・・? Netを検索するとこんな記述があった。「江戸時代は,国は被害者の思うようにはこまごまと何もしてくれない代わり,その仕返しとして被害者の身内が加害者を『殺してよい』仇討ちの決まりが認められていた。」(ここ

今度の参議院選。どこかの党が「少年法を廃し、江戸時代の『仇討免状』の復活の法制化推進・・・」とかいうマニフェストを掲げたら、自分は文句なく投票するのだが・・・・

(関連記事)
「光市母子殺害事件」~門田隆将著「なぜ君は絶望と闘えたのか」を読んで

| コメント (1)

2010年6月25日 (金)

チケット争奪記で敗北~年末ベートーヴェン全交響曲連続演奏会2010

昨年の大晦日に、「来年の大晦日はベートーヴェンを聞きに行くぞ!と宣言した」という記事を書いた。(ここ

今年は、チケットの発売当日に買うぞ、と思ってサイトを開いてビックリ。
201012312402 「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2010 世界的巨匠ロリン・マゼールが満を持して登場! 80歳で挑む初の“振るマラソン”」(ここ
ロリン・マゼールが登場するせいか、チケットの値段の高いこと・・・。昨年まで(ここ)2千円のD席は7千円、5千円だったC席は1万4千円、1万円だったB席は2万1千円、1万5千円のA席は2万8千円、2万円のS席は3万5千円。今回は別に10万円のプラチナ席もあるという。

この値上がりの比率が面白い。D席350%、C席350%、B席210%、A席187%、S席175%という具合に、逆累進だ。まあ、確かに2千円は安かったが・・・。

そして今日、このチケットの争奪戦が、予想よりも遙かに厳しいことを体験してしまった。
サイト(ここ)に、「チケットぴあ」の先行発売が“取扱い6月18日(金)10:00~20日(日)23:30”とあったので、満を持して当日10時前から電話。すると最初から話中でかからない。数分後、やっとつながったと思ったら、D席、C席は完売。

そして今日10時からの「一般発売」。今度は、電話だとつながらないで終わってしまうので、カミさんと二手に分かれて、それぞれローソンのチケット販売機からチャレンジする事にした。10時前からボタンを押し続ける。・・と最初の画面でD席は「完売」、C席は?・・「完売」、B席2万1千円は取れるが、止めた・・・・・。2カ所のローソンからアクセスしたが、まったく同じように完敗・・・。

チケットの争奪戦はかなりのもの。乗り物のチケットも含めて、最初の数秒・・、瞬時に終わってしまう。これは“運”だけか??
もともと安いD席、C席は、設定数が非常に少ないのでは??・・・ナンテ勘ぐってしまう。(チケットの種類の所に、席ごとに「D席は計**席、C席は計**席・・」、という表示があれば、数が少ない席は“取れなくても仕方がないか・・・”と諦められるのだが、そんな表示は見たことがない)

まあ今年は、ロリン・マゼールなので、人気があるのだろうが、自分は指揮者なんてどうでも良いので、安くて落ち着いたコンサートがいいな・・

でも今回、二つのメリットがあった。
一つは、今年の大晦日も(特にイベントは無いので)こころ穏やかに過ごせそう・・・。もう一つは、blogネタを与えてくれた・・・(トホホ・・・)

| コメント (1)

2010年6月24日 (木)

初めての音楽配信購入~高橋真梨子の「掌」

初めて音楽配信サイトから楽曲を買ってみた。
音源は色々な所から手に入るが、“これは”と思った録音は、何とかオリジナルのCD音源が欲しくなるもの・・・。

チェウニの「池上線」(シングル盤)(これ)と同じく、前にアップした高橋真梨子の「掌(てのひら)」(ここ)も自分にとってはそんな大切な1曲。
100624hitoriaruki この曲は、高橋真梨子の「ひとりあるき」というCDに入っており、現在も販売中。でも欲しいのはそのうちの1曲だけ・・・。1曲のためにCDを買うのももったいない・・・。でもオリジナル音源が欲しい・・・。
でも、今自分が持っているFMから録った音源(MP3)は、結構音質が良いので、CDのオリジナルが手に入っても、どれだけの差が出るかは分からない。でもやはり“ベストの音質”を持っていたい・・・・

そこで思い付いたのが、音楽配信サイトからの入手。もちろんCDとは比較出来ないが手軽・・・。調べると、どの通販サイトにもこの曲は登録されており、みな200円。しかし再生方法が様々。結局、OnGenというサイトをたたいてみた。理由はファイルがパソコンに置いてあるWindows Media Player用のWMA形式であること。NHKラジオ深夜便を毎晩録音しているオリンパスのラジオサーバーが、昔はWMA形式だったので、MP3以外では、自分としては馴染み・・・。

今持っているSONYの携帯プレヤーで聞くことは出来ないと分かっていたが、アナログでMP3変換することを覚悟して買ってみた。決裁はクレジット。簡単にダウンロード出来た。そしてアナログ再生からMP3で録音してみたのだが、何か物足りない・・・。
それで、デジタルのままいったんCDに落として、それからMP3を作ることにした。でも1曲でCD-Rを一枚使うのももったいない・・・。ちょうど、100円ショップに寄った時、100円でCD-Wを売っているのに気が付き、買ってみた。それで、Windows Media PlayerからCD-Wに焼いたら、あっけなくCDが出来た。そしてそのCDからいつもの通りにMP3に変換したのがこの音・・・・

<高橋真梨子の「掌」>

   「掌(てのひら)」
     作詩・作曲 : さだまさし

    1)うつむきがちに 私は
     掌をみつめてる
     自分の人生をみつめている
     つかみそこねた愛を
     指でそっとたどって
     ためらいに疲れて ため息つく
     今より少しでいいから
     勇気があれば
     あなたのあたたかい指を
     離さずにすんだのに
     ありきたりの別れなど
     しなくてすんだのにと

    2)流した涙の数を
     指折りかぞえてみる
     ついてるついてないとかぞえてみる
     いつの間にか私の
     悲しみの数の方が
     自分の年よりも増えてしまった
     掌を鏡に写し
     さよならと云ってみる
     いつもと同じ笑顔で
     こうして別れた
     そしていつもこの涙を
     拭うのも私の手

前にアップした音源(ここ)と、どれだけ違うかは分からない。
でも自己満足したのは確か・・・・

だいぶ前の記事だが、「日本レコード協会が(201年5月)24日に発表した2009年度の音楽配信の販売件数は前年比3%減の約4億6187万件で、統計をとり始めた05年度以来、初のマイナスとなった。販売額はほぼ横ばいの約906億円にとどまった。・・・調査会社のシード・プランニング(東京・台東)によると08年の世界の音楽配信市場は6000億円にのぼる。パソコン向けが7割を占める最大市場の米国は世界全体の5割弱を占め、・・」(2010/05/25付「日経新聞」より)とのこと。

これからはNetで音楽を買う時代?? どのサイトも、一旦CDに焼くと自由なフォーマットに変換出来ることは分かった。
でもCDを持っていると何か安心することも確か・・・。
だんだんと“使いこなす”ことが面倒になってきたオジサン世代。自分の場合も、少なくともiTunesだけは(覚えることが多そうで)何か抵抗があるな・・・

でも高橋真梨子の「掌」を手に入れて、やっと安心した・・・??

(関連記事)
高橋真梨子の「掌」

| コメント (1)

2010年6月23日 (水)

「中学受験 闘争心希薄な小6」

先日の日経新聞のコラム「挑む」が面白かった。曰く・・・

挑む 中学受験 闘争心希薄な小6~具体的な目標持たせる
難関私立中学を目指して塾に通う子供たちは誰もが「××中 合格!」と書いた鉢巻きを締め、死にもの狂いでお勉強・・・というのは、塾の宣伝かマスコミ報道でつくられた都市伝説のようなものだ。
実際は、入試まで半年強となったこの時期になっても、「行きたい学校は特にない」「友だちと一緒に近所の区立中学に行きたい」と公言する6年生がいる。勉強嫌いではないし、才能もある。塾も大好きだ。ただ執着心や闘争心が希薄で、親や教師の励ましに乗せられるほど幼くはない。
こういう子は精神的なブレが少なく、すんなり難関校に合格するケースもあるので、あまりあおってもいけないが、勝負の夏を控え、このままでもまずい。個別に呼び出し、「中学生になったら何をしたい?」「将来どんな大人になりたい?」と尋ねてみた。
「好きな本を読んで、のんびり過ごしたい。だからどこの中学でもかまわない」とA男。どうやら夢や野望を抱かせるのは難しいようだ。「でもさ、大人になってやってみたいことくらい、あるだろう?」「うーん、お酒を飲んでみたい、かな?」。さすがは僕の教え子・・・。そこで攻め方を変えてみる。
あのさ、酒を飲むだけなら20歳になれば誰でも飲める。でもな、本当にうまい酒ってのは、一生でそんなに何度も飲めるもんじゃないんだぜ。限界までスポーツに打ち込んだ後の生ビールとか、大きな仕事をやり遂げた後の祝杯とか、好きな人にフラれて落ち込んでいるときに親友と飲む酒とか。何の目標も達成感もないまま、惰性で飲む酒なんて、うまくも楽しくもない。どうせ飲むなら、本当にうまい酒を飲みたいとは思わないか?
小学生相手に何の話をしているんだ?、と我ながらあきれたが、彼は妙に得心がいったようで、すがすがしい顔つきで教室に戻った。
来年の「志望校合格の祝杯」は無理だけど、きっといつか君とうまい酒を飲む日がくる。それを楽しみに、先生も現役で頑張るからな。(後
)」(2010/06/21付「日経新聞」p23より)

中学受験か・・・。今となっては懐かしい言葉・・・。ご多分に漏れず、我が家でも一度挑戦をした事がある。結果は・・? まあまあか?
当時は、昭和から平成に変わる頃。自分も仕事が忙しい時期。でも、ほぼ3年間つきっきりでやった。どの家庭でも良くある“一大イベント”というよりは、“一大プロジェクト”だ。
でも冷酷に“結果”が出るのでイヤだな・・・。その結果とは、中学受験の場合は“親に下される”結果だ。

先日聞いた城山三郎の昔の講演(これ)の中で、母親が子供の受験戦争に没頭する様子が論じられていた。そこでの城山三郎の指摘とまったく同じように、自分たちも「なぜ中学受験?」→「子供が将来、職業の選択肢を増やすため」と考えたもの・・・。
でも結果はどうだ?職業の選択肢が増えたか??(まあこのことは過ぎ去った話。これ以上は論じない・・・)

でも「中学受験」もゲームと捉えると面白い。「もう一度やるか?」を問われると、「やる」と応えるような気がする。思っただけで何かワクワクする・・・。これも自分に自由な時間が出来たせいかも。でも「対象」さえ居れば、面白いぞ!きっと・・・。
でも残念ながら、教える相手が居ないのだ・・・。「孫」?それは夢・・・(ヨメさんもいないのに、何で孫を想定出来るだろう・・・)
仕方がないので、「中学受験支援NPO」ナンテいうのが無いのか探してみるかな?? もっとも、そんな“素人”なんか、誰も相手にしないよな・・・・
ふと、昔を思い出させたコラムではあった。S

(関連記事)
30年前の城山三郎の講演会から~「父親の役割」

| コメント (0)

2010年6月22日 (火)

「NTT光フレッツ」を「auひかり」に変えた話・・

世には“うまい話”が無いようでいて、実はあるようである・・・
今日、ウチのインターネットを、NNTの「@nifty光 with フレッツ」からKDDIの「@nifty auひかり」に変更した。

ひと月ほど前、KDDIのセールスマンが来て、「auひかり」の勧誘を受けた。前にも来ていて、NTTよりも有利だとか・・・・。夜だったので二言三言の立ち話だったが、こちらの条件、つまり“プロバイダーは(面倒なので)@niftyから変えない”という話に、それは可能であるというセールスマンの話で、少し検討する気になった。
置いていったパンフレットを見ると、NTTよりも安そう・・・・
まず価格コム(ここ)で確認。なるほど、nifty経由に限定すると、auが安いようだ。今のniftyは毎月6,720円+NTT525円=7,245円が、IP電話込みで、5,460円+電話525円=5,985円になるという。差し引き1,260円ほど安くなる。それに価格コム経由だと、37,000円のキャッシュバックが付くという。
メリットは、この値段と速度。NTTの最大100Mbpsに対して「auひかり」は1Gbpsで、10倍。もっとも実際にはどの位の速度が出るかは分からない。

niftyの問い合わせ窓口に電話してみた。すると、しきりに「auひかり」への変更を勧める。NTTは1年以上経っているので、止めても特に問題はないという。それに、価格コムから改めて申し込まなくても、この電話で価格コムキャンペーンは適用可能だという。それでつい申し込んでしまった。@niftyが同じなので、今使っている環境と何も変わらない・・・

先ずは工事日の設定から・・・、と思ったら、電話で申し込んでからちょうど一週間後、KDDIから電話が来て言うには、途中でNTTの電柱を使わなければいけないので、その申請に1か月半位掛かるという。申請して良いか?と言うので、手続きをしてもらう事にして、仕方なく待つことにした。
それから3週間後、KDDIから申請が通ったので、工事日を決めたいと電話があった。
それで、今日工事に来てもらって開通したというわけ。話が始まってから、40日。NTT申請があった割には早かった。でも、IP電話が開通するにはもう1週間ぐらいかかるとのこと。

「金」以外の唯一の変化点である“速度”を測ってみた。光フレッツも早かったので、特にこれ以上の早さは不要なのだが・・・。
4つのスピードテストのサイトで測ったが、どのサイトでも速くなっていた。ウィルスバスターを入れると、上りが遅くなるテストサイトがあるが、それでも前より3~4割は速くなっている。下りは、もともと80M位はあったのだが、DELLの新しいデスクトップで、最高153Mというデータが取れた。もちろんサイトによってはあまり変わらない所もある。古いノートPCでは、やはり90M位が限界。でも前よりは少し速い。
上りは、ベストの値で、50~70Mが90M位まで改善された感じ・・・
もちろん、上り下りとも、ここまで早くなると、体感上での変化は感じられない。

もうひとつ、携帯電話との連携がある。ウチはdocomoだが、息子がau。カミさんの携帯も5年も経ったので、ちょうど機種変更の話が出ていた。番号引き継ぎだと、電話機本体はタダで変更出来る。そして、「auまとめトーク」と家族割に申し込むと、家の電話機からどのauへも無料。相手問わず、なので大きい。それにauひかりと同じ名義のau携帯から家の電話機へもタダ。むろん家族のau通しもタダになるという。これは助かる・・・

整理すると、
1)料金(今後1年で計算すると)
  NTT光フレッツのまま  ⇒7,245円
  Auひかりに変えた時   ⇒3,505円(ここ
  (キャッシュバック37,000円含む~住所による)
  ここ1年間だけ見ると、半額以下になる計算。その後は先に書いた通り約2割・・

2)速度 場合によっては3~4割速くなるケースも?
そして、
3)携帯電話との連携で、家族間の通話はほとんど無料・・・

世の中、そんなにうまい話はあり得ないのだが、NTTとKDDIの競争に乗じると、美~味い話もありそう・・・

●メモ:カウント~105万

| コメント (8)

2010年6月21日 (月)

疫病を前に~人間の究極のエゴイズム

先日に続いて、雑誌「大法輪」の特集「死」(ここ)からの話題。

黒死病と死
 「黒色か鉛色の斑点」が、体の至る所に現れてくる。これこそ、「死の到来のきわめて確実な徴候」であった。その「徴候」から「3日以内」に、「大部分の者」が「まるで畜生のように」死んでいった。そして至る所の教会に、毎日、毎時間、「おびただしい数の死体」が続々と運ばれた。中世イタリアの作家ボッカチオの顰(ひそみ)に倣(なら)えば、黒死病(ペスト)に襲われたフィレンツェの悲惨な状況をこう記すことができよう。
 18世紀に至るまでヨーロッパ各地で大量の死者を出した疫病、それが黒死病である。小説『デカメロン』のなかでボッカチオは、1348年のフィレンツェにおける黒死病大流行の様子を詳細に記述している。黒死病と死――その状況が生み出したものとは。それはボッカチオ自身も目にした、「生き残っている」人々にみられる、これまでの道徳的・宗教的規範の根本を揺るがすような奇妙な態度である。罹病への恐怖ゆえ、瀕死の妻や子供をまるで自分と関係ないかのように見捨てる者。近所付き合いを一切絶つ者。節度をわきまえず享楽に走り、自分の欲望を満たすことで疫病に対抗できるとする者。自分以外のことは何も構わず、身内や財産を捨てて田舎に逃げる者。多くの研究書で指摘されているように、単なる疫病への恐怖心という次元を超え、死を免れどうにかして生き延びたいという欲求からくる、人間の究極のエゴイズムの有様をそこに見出すことができる。
 果たしてこのような残酷極まりない人間の行為を、冷酷だと糾弾できるだろうか。じじつ「死」が日常の光景であったその当時、人々はこの行為をなすことによってのみ自分を守ることができると信じていた。死ぬか、罹病するか・・・・人々が信じたのは、「神」でもなく、「法律」でもない。疫病から逃れ、自分の健康を守るために効果的だと信じてなす自らの行為のみであった。
 究極のエゴイズム――それは黒死病と死の間を生き抜いていくための一番安全な手段だったわけだが、そこにこそ「死を想え」ということばが重みを持ってくる。自己の生存とモラルとの葛藤を際立たせた黒死病は、あらためて死の意味を問いかけるものだったといえる。(酒井紀幸)」(「大法輪」2010年7月号p86より)

話は飛ぶが、先日のNHKラジオ深夜便のインタビュー・スペシャル「わたしと“人間・親鸞”~作家・五木寛之」(2010/06/13~14放送)を聞いた。
五木さん自身、戦後、平壌からの引き上げに際し、人を押しのけて帰ってきた負い目が未だにあるという。つまり、“お先にどうぞ”という人は、生きて日本には帰れなかった・・・・
生きるか死ぬか。その究極の状況に置いては、人は獣になる。防空壕でも同じ。一杯で入れない時は、誰かが入ろうとしても蹴飛ばして入れまいとする。逆に、足を引っ張って、中にいる人を外に放り出し、自分が代わりに入ろうとする人も・・・・
親鸞は、「それでもいいんだ・・・」という“救い”を庶民に与えたという。

また話が飛ぶが、「お先にどうぞ」では、今朝こんな事があった。たまに行く駅前のドーナツ屋。店に入ると前に2人並んでいた。1人目が簡単に終わり、2人目のキレイな女性は、何か違う。店員とのやりとりを聞いていると、レシートを出して、ポイントを記入することと、それとは別に10枚位のレシートを出して領収書を書いてくれと頼んでいるみたい・・。40歳位の女性店員が、待っている自分を気にして、「次のお客さんを先にして良いですか?」と聞くと「私も順番を待っていた」とキレイな女性は言う。仕方なく店員は、電卓を出して合計を計算して領収書を作っていた。その中でも「お返事を頂けなかったので・・・」とかの“厳しく”、しかし丁寧な言葉が飛び交っていた。最後に「これからは貯めないで持ってきて下さい」と店員が言うと、キレイな女性は「レシートの日付を良く見て下さい。ここ1週間位で、貯めていません」「それは失礼しました」・・・・
言葉は丁寧だが、キレイな女性たちの“火花が散った”やりとりに、自分は帰ろうかなと・・・・

これらを見るに、女性は強い。自分など、「どうぞお先に」と言うだけでなく、「何時頃に来たら空いていますか?」と聞いて、出直すかも・・・。
さっきの五木寛之さんの話ではないが、大陸からの引き上げも、男だけだったら帰れなかったかも・・・
でもこんな事は、女性にとって“ごく普通のこと”、という話もある。

話は戻るが、自分が疫病の真ん中に放り出された時、疫病が移ることを覚悟しても、本当に家族を看病するか?あるいは、防空壕で他人のために場所を譲るか??

朝の通勤電車での席取り合戦では譲らないけど、家族が死の疫病の時は、自分はその疫病が移るのもいとわず、当然看病すると思う。絶対に・・・!! 必ず・・・! 迷わず・・・? 多分・・???
(でも逃げたらゴメン! まあそれは、自分も凡人だったという事さ・・・)

(付録)薬の副作用・・・
(土)に風邪で近くの医院に行ったが、「微熱と咳」と言ったら、薬の山・・・。抗生剤と、熱止め、咳止め、喉の薬、総合感冒薬、それに胃の薬に加えて熱冷ましの頓服まで、何と7種類の5日分。これだけくれて初診なのに1430円は安い!でもちょうど一日分、3回飲んでダウン。薬の副作用でフラフラ。舌は真っ白。薬を止めて1日半でやっと元に戻った。薬は怖い・・・・
風邪で声がしゃがれたため、今日はパソコンの「音声認識・音声入力のソフト」(これ)の動きが悪い・・・!??

| コメント (0)

2010年6月20日 (日)

多田武彦作曲 男声合唱「死んだおかあちゃん」

フトしたことから、放ってあったMDのディスクを整理した。そうしたらこんな音源が見つかった。多田武彦作曲の「小学生の詩による男声合唱組曲」だ。
自分は大学2年の1年間、工学部のグリークラブに入っていたことがある。その時に歌った曲。当時の音源は何らかの手段で、オープンリールに録ってあり、3年ほど前に物置に置いてあったSONYのテープデッキに電源を入れたら動いたので(ここ)、その時に、これは・・・と思うテープをMDに入れ直しておいたもの。

この曲も懐かしい。特に第7曲「死んだおかあちゃん」が何とも切ない。とんでもなく音質は悪いが聞いてみよう。昭和42~44年の頃の音。もう、世の中では手に入らない音源である。

<多田武彦作曲「小学生の詩による男声合唱組曲」からⅦ「死んだおかあちゃん」>

   「死んだおかあちゃん」
     作詞:香川美治子(大阪府弘治小学校児童)
     作曲:多田武彦

   おかあちゃん
   おはかのなかで
   どうしているやろ
   雨がふったら
   どうしているやろ
   雨がふって
   おかあちゃんさむいから
   しゃがんでいるやろ

この合唱曲については、サイト(ここ)にもデータがある。
当時の楽譜がないかと本箱を探したら、出てきた。「多田武彦男声合唱組曲集」(昭和37年2月初版)である。(自分は結構物持ちがよい・・・)

当サイトでも、母を亡くした子の詩については、何度か書いている。「母を思う子の心と、子を思う母の心」(ここ)や「かけがえのない大切なもの」(ここ)など・・・・
先の記事の子どもの詩を読んでも、またこの歌の歌詞を読んでみても、母親は子どもが小さい時に死んではダメだ。小さな心はそれに耐えられない・・・・・。(父親はどうでも良いけど・・・・)
おっと、今日は父の日だっけ・・・。(まあ、子どもにとっては父より母のが重要なのさ・・・)

ついでに、Ⅳ「あり」も聞いてみよう。中間部のマイナーな旋律が自分は好きだった。

<多田武彦作曲「小学生の詩による男声合唱組曲」からⅣ「あり」>

(2011/02/01追)
全曲をお聴きになる方はzip(ここ)をクリックして数分待つ。
ただし40年前のワカメ状のオープンテープが音源のため、信じられないくらい音は悪い。

(関連記事)
母を思う子の心と、子を思う母の心
「かけがえのない大切なもの」

| コメント (4)

2010年6月19日 (土)

我が家のエマニエル夫人~「メイ子」

W杯、対オランダ戦。負けは負けだが、1:0はまあ善戦だね。
今日は風邪を引いているので(?)、どうでも良い話・・・・

言うまでもなく“メイ子”とは、本名「メイリー」という我が家のマスコット犬の名。
ボール投げや、台所で落ちてくる食材をキャッチ・・・といった彼女の“得意技”を除くと、特P10704231 に趣味という趣味もなく、一日中「決まった席」でまどろんでいることが多い。(写真はクリックで拡大)
彼女の「決まった席」は2カ所あり、一つは玄関や道路が見える三角出窓、もう一つは庭に面した出窓。これら出窓が、犬を飼ってみてこれほど有用だとは思わなかった・・・。
P10704271 庭に面した出窓では、いつも日向ぼっこをしながらまどろむ・・・。でも猫が通ると、途端にワンワン・・・。三角出窓では、玄関が見えるので誰かが家に入ろうとしたり、道路に犬が通りかかったりすると、ワンワン・・・

ウチのカミさんが、先日近所の家に遊びに行ったら、そこの犬がいやに大人しい・・・。大人しい理由は、外の刺激的な光景(道路等)が見えないことにあるらしい。果たしてメイ子にとって、外の刺激的な光景はハッピーなのかどうか・・。近所の家に遊びに行ったお陰で、カミさんはこの“大きなテーマ”を抱え込んでしまった。もし道路を歩いている犬が見えなければ、吠える必要もなく心穏やかに暮らせたかも・・・。でも考えようによっては、せっかくの楽しみが無くなるかも・・・。いや、メイ子にとってそれはストレスでは・・・・・。

茨城の田舎に帰ったとき、メイ子のお気に入りの場所がある。おばあちゃんが座る籐の椅子。いつもそこにちょこんと座る。それでカミさんは考えた。
三角出窓からは道路が見えないようにシールを貼り、その代わりに、居間に庭を見える場所P10704081 を用意しようと・・。そして少し高価だが、茨城の田舎と同じような籐の椅子を買ってきた。それに座って庭を眺め、少しでも心穏やかに暮らせるように・・・・と。
その写真がこれ・・・・
まさに我が家の「エマニエル夫人」ではあるまいか??

2~3日前から2月以来の風邪を引いてしまった。珍しく近くの医院に行ったが、数年ぶりの医院は大賑わい。人が待合室からあふれていた。もちろん老人ばかり・・・・

ウチのカミさん。たまに自分が病気をすると、その“励ましの言葉”が厳しいこと、厳しいこと・・・
亭主のことも、エマニエル夫人くらいに気を遣ってくれれば、風邪などいっぺんに治るものを・・・

| コメント (0)

2010年6月17日 (木)

縄文時代の平均寿命は14.6歳

雑誌「大法輪」の今月号の特集は「死」(ここ)。縁起でもない話題だが、実に広範囲の視点から「死」を論じていてなかなか面白い。そこからの話題・・・

日本の平均寿命の歴史
・・・縄文時代の平均寿命について小林和正教授が縄文人骨を分析した結果、平均寿命は14.6歳と推定している。鎌倉時代の平均寿命については、平田和明教授らが鎌倉市由比ヶ浜南遺跡から出土した人骨を分析して、24歳と推定している。江戸時代の平均寿命は農村の過去帳調査の報告によると、男が36.8歳、女子が26.5歳であり、深川で発掘された骨から推測した江戸時代後期の平均寿命は男が45.5歳、女が40.6歳であった。江戸時代では男女の平均寿命は男性が女性より長かった。出産での死が多かったことも影響しているのだろう。
明治になると、明治4年(1871年)に「検戸の法」の制定により戸籍がつくられ、さらに明治7年に医制が交付され、明治9年から全国で死亡数、死因の調査を行い、衛生統計が取られるようになると、それをもとに生命表が造られ、平均寿命が計算された。明治24年から31年(1891~1898)の平均寿命は男42.8歳、女44.3歳である。大正10年から14年(1921~1925)の平均寿命は男42.06歳、女43.20歳である。
その後、昭和10年(1935)まで平均寿命は徐々に伸びたが、戦時中に低下し、昭和20年の男23.9歳、女37.5歳と最低になった。そして昭和22年に男女とも50歳代になる。初めて人生50年になったのだ。昭和26年には60台に入り、昭和46年に70歳を超えた。昭和59年女性の平均寿命は80.18歳と80代に入ったが、男性は74.54歳であった。平成20年(2008)の平均寿命は男が79.29歳、女は86.05歳である。なお世界の平均寿命は男性が66歳、女性が68歳で、日本女性は世界1位、男性が2位である。(酒井シヅ)」
(「大法輪」2010年7月号p109より)

縄文時代の平均寿命が14.6歳というのは、子どもの死亡率の影響なのだろう。赤ん坊の死亡率が、平均寿命に大きく詠唱することは、分かっているが、この当時は子どもはなかなか育たなかったのだろう・・・・。しかし、江戸時代の農村の女子が26歳とは短い。男と10歳も違う。それだけ出産が大変だったということか? しかし戦争直後の昭和20年の男23.9歳というのは哀れ・・・。男は皆戦地で死んで行った・・・・

生物学的に、“生む性”が強くなければならないのは分かる。しかし、それは生命力であって、発言力とは違う。なのに、近代の女性の強さは何だ?“生む性”以上に、ありとあらゆる点で女性が強い・・。(大きな声では言えないが、ウチのカミさんがとうとう“自分一人で都会のマンションに引っ越す”と言い出しやがった・・。都会に住みたければ、自分が死んでから・・・、という話が転けた・・・?)
このパワーの源はどこか・・・。少子高齢化の日本。もともと神が生むためのパワーとして与えたもうものが、それに活かされないで、あふれ出ている(?)・・・、と考えるとなぜか自分は納得・・・・

誰か“神”に聞いてきてくれないか? 「現状の強い女性は、神の“当初設計図”と合っていますか?それとも設計ミスですか?」・・・と。

| コメント (0)

2010年6月15日 (火)

ショルティ/ロンドン響の“マーラーの3番”のCD

ショルティ/ロンドン響のマーラーの交響曲第3番を、40年ぶりにゆっくりと聞いた。そう・・・、この音だ・・・。
マーラーのLPを初めて買ったのは高校3年の時。ワルター/コロンビア響の1番「巨人」(ここ)だった。

前にも書いたが、自分がクラシックを本格的に聴きだしたのは高校のとき。通学時、駅前の本屋で、音楽の友社の「名曲解説全集」を立ち読みしては、旋律を追ったもの・・・。大学に入ってからは、ただ一人見つかったクラシック好きと友達になり、その友人からLPを借りては、オープンデッキに録音して聞いた。下宿の部屋で、1時間半にも及ぶ大作をSTAXの100615mahler3 ヘッドフォンで散々聞いたもの。それが、ゲオルグ・ショルティ指揮、ロンドン交響楽団の演奏するマーラーの交響曲第2番「復活」と第3番だった。
前に「復活」の記事を書いた時(ここ)、その時に聞いた音源が欲しくなって、通販でショルティの「復活」のCDを手に入れた。しかし、3番は手に入らなかった。
その3番が、先日yahooのオークションに出ていて、競争相手に何とか競り勝って落札した。やっと、昔の恋人に逢えたわけだ・・・。
それがこれ・・・・(冒頭の部分だけ)

<ショルティ/ロンドン響のマーラーの交響曲第3番冒頭>

録音から半世紀を経ようとしている音源にしては、何と生々しい音か・・・。さすがデッカ・・・。この録音も、てっきりカルショー(ここ)のプロデュースによるものだと思っていたら、どうも違うらしい。(この)サイトを読むと、カルショーはマーラーと肌が合わなかったらしい。その記事によると・・・
「カルショーはマーラーの曲が大の苦手で、比喩的ではなく肉体的に猛烈な不快感を覚えるほどだったらしい。・・・ショルティはカルショーの考えを変えられると思い、彼らはこの第1番に挑んでみたものの、『編集の終わりまでには、もうこれ以上我慢できないことがわかった』。そのため、以後ショルティは当時新人だったデーヴィッド・ハーヴェイのプロデュースで他の7曲を録音し、マーラー交響曲全集を完成したのだった。」とある。

しかし、この大曲。まさに学生時代の夜の下宿では、格好の娯楽だったわけ・・。

この録音を聴きながら、全然関係のない小学校の頃の風景を思い出した。小学校3~4年の頃、学校の前にあった雑木林で、粘土細工のオジサンが店を出した。雑木林の木々の間に、むしろを敷き、そこに粘土細工の型を売るのである。小学生はそれを買い、別に買った金粉などの粉をその型に塗り、粘土を入れて色々な造形を作った。それが何であったかは忘れたが、出来上がったものを、そのオジサンの所に持って行くと、むしろの上でコンクールを開き、当選するとまた材料をくれた。ほどなく学校から禁止令が出てそのイベントは終わったが、頭の引き出しからそんな光景がこぼれた。
そう、その粘土細工のように、この録音が自分の“記憶の型”とぴったり合うのである。

要は40年前、自分の頭の中に型が作られた。いったんそれが出来てしまうと、簡単には変わらないようである。前にカラヤン/ウィーン・フィルのブラームスの1番について、同じようなことを書いた。(ここ)この録音も同じ例である。

このところ、同じような「音の“昔の恋人”探し」をしている。まあそれだけ余裕が出てきたとも言えるが、古きを探す自分の姿は、既に老いの境地に達しているのかも・・・
見方を変えると、オーバーな言い方だが、自分の人生に影響を与えたレコードなのかも・・。
世の高名な音楽評論家さまが勧める名盤というのは色々ある。でも、自分にとっての名盤は、何のことはない、自分が最初に巡り会った録音(盤)なのかも知れない・・・

(関連記事)
旧日本フィル解散時(72年)の小澤征爾の「復活」
ジョン・カルショーの録音

| コメント (2)

2010年6月14日 (月)

小惑星探査機「はやぶさ」の回収成功・・・

今朝の新聞トップは、小惑星探査機「はやぶさ」帰還のニュースだった。
7年間、60億キロ(地球―太陽間の40倍)にも及ぶ大宇宙旅行の末、地球に帰ってきた100614hayabusa1 「はやぶさ」。この話題を分かり易く伝えていたのが、6月10日のNHKの「クローズアップ現代」。非常に分かり易い内容だったが、Netでは事実と違う点も指摘されている。例えば通信が途絶えた後、偶然に捕捉出来たとの放送内容だったが、実際には捕捉は60%の確率であり、決して偶然や奇跡ではなかったという。(写真はクリックで拡大)

「・・・「はやぶさ」探査機は、受動的にも安定となるよう設計されており、現在のコーニング運動は、最終的には +Z軸まわりの純スピン運動に収束していきます。・・・
「はやぶさ」の軌道の不確定性を考慮しても、むこう半年から1年間の間は、臼田局のアンテナをイトカワに指向させることで、探査機をビーム幅内に捕捉できるはずで、この間に探査機を見失う可能性はごく少ないものと考えられます。・・・・
累積確率が示すように、ほぼ2006年の末までに60% 以上の確率になることがわかります。・・・」
(JAXAの2005年12月14日付サイト(ここ)より)

しかし新聞やニュースでは「満身創痍の奇跡の帰還」とか、「離陸後に燃料漏れで制御不能になり、通信も完全に途絶したが奇跡的に復旧し・・・」(読売)とか、表現が華々しい。何よりも自分は「偶然」という表現に、違和感を覚える。そもそも開発費が127億円もかかった「はやぶさ」プロジェクト。そんな偶然に頼るようなプロジェクトではなかったはず。だから、宇宙科学研究所(JAXA)のサイトにも、国の金を使っているためか、このようなキチンとした説明責任を果たしている。それなのに、取って付けたようなマスコミのお祭り騒ぎはどうも頂けない・・・。

それに、このプロジェクトが惑星のサンプルを持ち帰る事がミッションだとすると、どんな苦労をしても、それは当然ではないか。むしろ、機器の故障等でサンプルを持ち帰る事が出来なかったら、それこそプロジェクトの大失敗で、税金の無駄遣いと言われても当然だ、と思っていた。そもそも、どの位の確率でサンプルを持ち帰れる計画だったのか・・・。そして今回は、その想定内のトラブルだったのか・・・。もっと言うと、発生したトラブルを想定していなかったこと自体が、設計ミスではないのか・・・?「予想外の・・・」は、まさに“想定しなかった”という設計ミス。
しかし、この自分の発想はどうも違うらしい・・・・。
100614hayabusa 同じJAXAのサイトに「ミッション達成度(ここ)」というページがある。
それによると、今日までに「カプセルが地球に帰還、大気圏に再突入して回収」まで達成しているので、既に400点。(「難易度の高いミッションが山盛りゆえ、通常の探査ミッションを100点満点とすると、「はやぶさ」のミッション合計点は500点満点になる」:川口PMここ)より)
つまり、このプロジェクトは、サンプルを持ち帰るだけの目的ではなかったのだ・・・。

この成功により、100億円で請け負ったというNECは名を挙げた。これは世100614hayabusamaker 界に誇れる。同時に日本の科学技術が名を挙げたということ。その意味では大いにお祭り騒ぎをして良いと思う。
でも帰還の立役者、イオンエンジンの担当及び全体取りまとめはNEC(NEC東芝スペースシステム)らしいが、左記のように、このプロジェクトや衛星には日本の多くの企業が携わっている。その意味では日本の技術の結集といえよう。(左図は2010/06/15付「日経新聞」p3より)

少しイヤらしいが、メーカーのミッション達成度はどうなのだろう。イオンエンジンのNECは、4基が全滅。そして知恵を絞って何とか1基を動かしたという。よって△? そして姿勢制御装置3基のうち2基が壊れたというので、NEC東芝スペースシステムは△、それに燃料漏れで化学エンジン12台も全損したというので、化学エンジンの三菱重工は×。サンプル採取では、弾丸を撃って砂を巻き上げる装置は動かなかったというので住重等は×・・・・。逆に話題が無かったメーカーは無事に動いたというわけで○。何とも、故障を起こし、満身創痍のメーカーが話題となり、無事に動いたメーカーが話題から取り残される・・・。良くある話だが、何か解せない・・・・。完璧に動いたメーカーをもっと話題にせねば・・・。
でもここで大きな問題がある。当初設計は4年で地球に戻るもの。それが燃料漏れの事故で帰還が7年に伸びた。重量に制限のある衛星では、冗長設計など出来ないはず。よって寿命で壊れたというイオンエンジンを筆頭に、どの機器も設計寿命を超える大変な力を発揮した事になる。その意味では、これら機器は皆○かも・・・・

一方、“何でこんな大金をこんな不要不急な事に使うのか?”という指摘もある。これは先の事業仕分けのスパコンの「何で2位ではいけないのか」という実に文学的な発想に似ている。(ゴルフのブービー賞ではないが、2位を狙う方が、(1位以下にコントロールしなければいけないので)よっぽど1位を狙うよりも難しいのに・・・) これは価値観の問題なので解はない。

でもせっかくの130億円。大いに国中でお祭り騒ぎをして、この成果を日本人全体で謳歌しようではないか?(W杯初戦でカメルーンに勝った日本チームの話題に負けるな!)
そうすれば、子どもたちもそれに刺激を受け、理科系に進む人が増えて、未来の日本の科学技術の底上げが可能になるかもね・・・・

| コメント (0)

2010年6月13日 (日)

44年ぶりの高校の同窓会

今日は、44年ぶりの高校の同窓会に行った・・・・、というのは正確ではない。高校の東京地区の総会の二次会に自分だけちん入した、というのが正しい。ちん入したのは計3人だったけど・・・。

先日、ひょんな事で、同窓会への誘いのメールをもらった。昭和41年卒の同窓生を仕切っている(?)ある女性からだった。
シルバー世代は、サラリーマンをリタイアすると、同窓会が盛んになるという。その一端で、自分もそろそろ少しだけ顔を出してみようかな・・と思っていたので、一応考えることにした。でも正直あまり積極的ではなかった・・・・。が、結局は、カミさんに背中を押されて行く羽目になった。

神田神保町の店。集まったのは10数人。そのうち数人は2年前の同窓会で会った同じクラスだった人(ここ)。それ以外は、まさに42年ぶりの再会。男はサラリーマンのリタイア組が多く、それぞれ肩書きが取れて一般ピープルに戻っての再会。
中に旧姓が自分と同じ姓だった女性が居た。今や同窓会の幹部だが、その人がエラク懐かしがってくれて、話が面白かった。(何とツーショットを撮ってしまった!光栄!!) 今回の会を仕切ってくれた女性も、まさに会の幹部。色々な人の状況を実に良く知っている・・・・(昔の姿からは想像できない)
もう一人女性は、東京マラソンで完走したとかで、メダルと完走者名簿を見せてくれた。
何・・? 話題は女性のことばかり・・?? それはそうだ。正直、高校時代にこれらの女性と、まともに話をした記憶はない。そんな自由な時代ではなかったのだ・・。

でも殻(肩書)が取れて、昔の事を話すのも楽しいもの・・・。(でも正直、高校時代は勉強ばかりで楽しい思い出など何も無いけど・・・・) それに、自分は昔に比べて変わったと思っているが、昔の同級生から見ると変わっていないという・・。これもまた面白い。

そうだ!面白い話がひとつあった・・。なぜか5学年ほど下の男が一人ちん入していた。昼の総会の後に(学年は違うものの)なぜか一緒に来てしまったとか・・・。まあ頭のハゲ具合からいうと、我々世代と遜色なかったが・・・
だいたいこんな時の話題は、どうしても子どもの話になる。いつものように、ウチの息子は九州に赴任したので、ヨメさん探しでは手も足も出ない、という話をしていたら、この男が、娘さんが博多生まれ(?)とか・・・。案の定、ヨッパライ通し「ヨシ、二人をくっつけよう・・」という話で“合意”・・・
まあヨッパライは、そんなもの・・・・
でもまあ、ウチの宿題は“それだけ”であることは確か・・・・

ひょんな事での44年ぶりの再会・・・・。でも女性のパワフルさは、ここでも健在。高校時代、あれほどお淑やかで麗しかった女性陣が、いまや同窓会を仕切っている・・・。
Yさん:「忘年会は12月でなくて、今回は11月にするよ」
全員:「Yさんの言う通りにしま~す・・・」

つくずく“女性は長生きする動物(失礼!)だ”、と実感して帰ってきた・・・

| コメント (1)

2010年6月12日 (土)

家族旅行の写真の思い出・・・・

今朝の日経新聞のコラム「春秋」にこんな記事があった。

「テレビドラマの名作「岸辺のアルバム」をご存じだろうか。家族の崩壊を生々しく描いたこの作品は最後に小さな救いがあった。多摩川べりのマイホームが洪水で流され、一家はすべてを失う。しかし、分厚いアルバムだけは残るのだ。
思い出のつまったアルバムは家族の絆(きずな)の象徴にほかならない。ようやく持ち出してきたその一冊に、再生へのかすかな希望がにじむ――。そんな物語である。そこに張り付けられた写真は子どもたちの運動会であり誕生パーティーだろう。そしてなんといっても、そろって出かけた旅行の光景の数々であったろう。
きのう公表された2009年度の観光白書が、日本人の家族旅行の少なさに触れている。みんなで泊まりがけの旅に出かける回数はフランスや韓国に比べて半分ほど。いちどの旅行の宿泊日数もフランスは10泊にも及ぶのに日本は3泊に満たない、といった指摘だ。それでいて使うお金だけは際だって多いという。
豪華な宿に泊まったりグルメを楽しんだりしても、機会が少ないうえに駆け足ではアルバムの写真は増えそうにない。家族の絆も緩もうというものだ。だけど仕事が忙しくてね……と弁解するご同輩。たしか「岸辺のアルバム」の父親もそんなことを言って家庭を顧みなかった。自戒をこめて書いておくとしよう。」(
2010/6/12付「日経新聞」「春秋」より)

どうっていう事のない一文。でも山田太一の「岸辺のアルバム」は懐かしい。1977年というから、もう30数年前のドラマ・・・。もう一度見てみたいドラマの名作だ。

どの家庭でも家族での旅行は思い出に残る最大のイベント。特に子供にとっては大きな事件・・・。今は家族旅行など当たり前だが、昔は一般的ではなかった。
自分の子ども時代を思い出すと、家族そろっての旅行の記憶は一度たりともない。どんなに思い出そうとしても、出て来ない。たぶん親父が嫌っていたので“実績ゼロ”なのだろう。無理矢理ひねり出すと、旅行とは言えないが、小学校の低学年の時、当時住んでいた与野の近くの大宮公園に花見に行ったのが、親父が一緒だった唯一の記憶・・・。お袋には色々と連れて行って貰った思い出があるが、まあ昔の男なんてそんなもの・・・。(今考えると、どこかに行こうと言われても、とても自分がOKしたとは思えないが・・・)

自分に子どもが出来てからは、家族旅行は無数に(?)行ったもの・・。しかし段取ったのは全てカミさん。しかも行く先は全て会社の保養所。だから行く場所は決まっていた。熱海、伊豆、箱根がほとんど。でもそのお陰で、回数だけは行ったもの。
でもたぶん子どもは覚えていないと思う。今度はどこに行く、といった話無しに車に“子供達を積んで”スタートしたので、行った先がどこか、分からないままに終わった、と思う。
まあそんなもの・・・・。
でも先のドラマと同じく写真だけは撮った。よって、ウチのアルバムもそれなりに残っている。(もちろんカミさんの制作だが・・・)
写真は整理が大変。つい放っておくと、いつの写真か分からなくなる。よって映り込みの日付は重要だった。それが今のデジカメでは、日時は勿論のこと、撮影場所や緯度経度まで一枚ごとに記録される時代になってきた。

でも写真の重みを考えると、昔の写真は一枚ごとに重かった。一枚ずつアルバムに貼って、注釈を書き・・・。写真数十枚で分厚いアルバムが一杯になってしまって・・
それが今や、旅行に行くと一日に数百枚をデジカメで撮る・・・。
もちろん、見ないのは昔も今も同じだが・・・。

今日の結論? 今後も、昔の写真を懐かしがる時が来ないことを祈りたいな・・・(常に過去より現在の方が良い・・・ということ)

| コメント (0)

2010年6月11日 (金)

映画「ワンダフルライフ」のテーマ

先日NHK hiで放送された映画「ワンダフルライフ」を見た(2010/06/02放送)。1999年の作というから、もう10年以上も前の映画だ。しかしこの映画のテーマが何とも不可思議・・・・。
「貴方の一番大切な思い出を1つだけ選んでください。」

ストーリーは(ここ)に詳しいが、先週死んだ人が、月曜日にある場所に集まってくる。そこは天国の入り口。そこで職員から面接を受ける。そして言われるのが、「貴方の一番大切な思い出を1つだけ選んでください・・・」

(火)(水)で死者は、自分の人生を振り返り、人生で最も大切な瞬間を選ぶ。
そして(木)(金)でそれぞれの思い出のシーンが、撮影スタッフによって撮られていく・・・
そして(土)が上映の日。死者たちは自分の思い出の場面をみて、その「一番大切な記憶」だけを持ち、その他の記憶を消して天国に旅立って行くのだ・・・・
しかし、渡辺という老人は、自分の人生はみなそこそこで、選ぶような思い出はない、と言って選べない。そこでスタッフの望月は、その老人の71年分の人生のビデオを見せ、何とか思い出させようとする。そして渡辺は、一度だけ妻の京子と一緒に映画を見た帰り、公園のベンチに二人で座った一瞬を選ぶ。京子は許嫁を戦争で亡くし、自分と見合い結婚した後も、墓参りをしていたのを知っていたので、妻・京子との思い出をなかなか選べないでいたのだ。

老人が天国へ去った後、望月に感謝の手紙が残されていた。実は、自分の妻・京子の戦争で死んだ許嫁が望月だったのだ。実は望月も思い出を選べず、ここに留まっていた。しかし5年前に亡くなった京子のビデオを見ると、京子が選んだ思い出は、戦争に行く前の自分との一瞬だった。
ようやく、元の許嫁・京子の自分への想いを知り、それを思い出に、望月もようやく天国へと旅立っていった・・・・。

とまあ、こんなストーリーのファンタジーなのだが、この映画を見ながら「自分の一番大切な思い出」って何だろう?と、つい考えてしまった。実はこれがなかなか難しい。この老人と同じく思い出さないのである・・・・。

先日、ふと思い立って、当blogのカテゴリの欄に、時系列の記事一覧表を作ってみた(ここ)。
そのとき、タイトルにリンクを張りながら、記事を書いた当時の情景が、思った以上に頭に浮かぶことを発見した。映画では老人が自分の人生を71本のビデオで提供してもらっていたが、どうしてどうして、blogのタイトルもそれに等しい位、思い出すキッカケを与えてくれる。でも、まだたった4年間だけど・・・

自分の過去を振り返った時、自分が幸せだった色々なシーンが次々に思い出される人は、それこそワンダフルライフだったと言えるのだろう。
たしかに、人生で転機となった、または重要な場面というのは幾つかあるもの。でもそれを思い出したいかというと、それは別なような気がする。つまり、重要な場面と、ハッピーの場面は違う・・・

でもやはり、大事な瞬間、大事な思い出が多い人ほど、良くも悪くもその人の人生が充実していた、とは言えるのかも・・・
自分もこれからそんな思い出を作らなければ・・・。と言っても、意志の力ではムリだな・・

| コメント (1)

2010年6月 9日 (水)

ホームレス支援の雑誌「ビッグイシュー」

昨日、カミさんが都内に行った時に、「ビッグイシュー」という雑誌を買ってきた。それを今日の通勤の時に一通り読んでみた。どうしてどうしてオトナ用の時事雑誌だ。(写真はクリックで拡大)

Image04711 前に立川に行った時、駅前で、何やら身なりの乏しい人にカミさんが近付いていく。何かと思ったら、300円の雑誌を買う。聞くと、ホームレス支援の雑誌だそうで、出来るだけ買うようにしているとのこと。その時は、あまり気に留めなかったが、今回はそれを実際に読んでみた、というわけ・・・。

この雑誌の生い立ちについて、中に解説がある。曰く・・・
Image04741 「ビッグイシューは、ホームレスの人々に収入を得る機会を提供する事業として、1991年に英国ロンドンで始まりました。・・・・最初、販売者は、この雑誌10冊を無料で受け取り、その売り上げ3000円を元手に、以後は140円で仕入れ、300円で販売し、160円を彼らの収入とします。・・・・」

「2003年9月創刊以来、2010年3月末まででビッグイシューの実売数は約388万冊となり、ホームレスである販売者の人々に5億748万円の収入をもたらすことができました。・・・」

Image04733 毎月2回、1日、15日の発売だというが、その販売場所はまだまだ少なく、左記のような場所だという。
今月号(2010/6/1号)の特集はワールドカップで注目が集まっている南アフリカ。ネルソン・マンデラの経歴が短くまとめて書いてあった。

世界の注目は、マンデラ当人が開会式に出席するかどうか・・・。それが今日の夕刊に「開会式、マンデラ氏出席へ」との記事があった。曰く・・・
「11日に当地であるW杯南アフリカ大会の開会式に、マンデラ元大統領(91)が出席することになった。孫のマンドラ氏が8日、明らかにした。・・・来月92歳になるマンデラ氏は体力が衰え、出席は危ぶまれていた。」(2010/06/09付「朝日新聞」夕刊より)

おっと、話がビックイシューからW杯に行ってしまった。
しかしこの雑誌、事情を知らないと、幾ら駅前で売っていたとしても、何か近付くのが怖く、知らんフリをして通り過ぎたくなるもの。でも事情を知ると、こんな事で少しでも役に立てることができるのであれば・・・、とも思う。

自分と同じく、この雑誌の事を知らない人も多いだろう。もし上の販売場所を通る方が居られたら、一度買ってみては??

| コメント (0)

2010年6月 8日 (火)

マリンバによる「チゴイネルワイゼン」

先日、平岡養一の木琴を取り上げた(ここ)。今日はマリンバである。

自分は相当にサラサーテの「チゴイネルワイゼン」が好きなようだ。この曲については、下記の(関連記事)にもあるように、当blogでも度々書いているが、今日はマリンバによる「チゴイネルワイゼン」の演奏である。

CDを検索してみると、マリンバによる「チゴイネルワイゼン」は、神谷百子と高橋美智子の二人がCDを出しているようだ。この二人の演奏を聞き比べてみよう。特に最後の1~2分の第3部が圧巻・・・。よくもまあこんな早さでバチが動くもの・・・

<神谷百子の「チゴイネルワイゼン」>

<高橋美智子の「チゴイネルワイゼン」>

これらのテクニックには、舌を巻く。女性でも、これだけエネルギッシュな演奏をする・・・。

ところで、木琴とマリンバはどこが違う??
一番権威があるであろうヤマハのサイト(ここ)には、このような解説があった。(写真はクリックで拡大)
100608marimba 「マリンバ」=基音(音名として使用している音程)と4倍音(基音の2オクターブ上の音程)が同時に鳴るように調律されており、低音域ではさらに10倍音での精密な調律を施しています。シロフォンと比べて広い音域を持ち、深く柔らかな音色がします。アフリカ発祥。
100608mokkin 「シロフォン」=基音と3倍音(基音の1オクターブと5度上の音程)が同時に鳴るように調律されています。マリンバよりも高い音域を持ち、音色は鋭く歯切れが良いのが特徴です。東南アジア発祥。
100608xylophone「立奏木琴」=器楽合奏の教材用に使用される音板打楽器で、ソプラノ・アルト・テナー等音域を分けることによって、それぞれの楽器に違った役割を持たせています。

なるほど・・・。
今の小学校は知らないが、我々の小学校の音楽の時間は、ハーモニカと木琴の時代だった。(ウチの息子の時代はピアニカだったけど・・・)
マリンバは、幾ら叩けば音が出るとはいえ、作りが単純なだけに演奏は難しい・・・。でもこれらの演奏は神業的に素晴らしい・・・

(関連記事)
「チゴイネルワイゼン」の想い出
サラサーテ自演の「チゴイネルワイゼン」
ハーモニカ(森本恵夫)による「チゴイネルワイゼン」
モーツァルトのトルコ行進曲

| コメント (2)

2010年6月 7日 (月)

山本有三の「波」復刊

昨日の朝日新聞朝刊の多摩版に「絶版 山本有三の「波」復刊」という記事があった。何とも懐かしい名前だ・・・。曰く・・・

絶版 山本有三の「波」復刊
絶版の文学作品を、再び手元に――。三鷹市の山本有三記念館(ここ)は、1984年に絶版となった小説「波」を復刊し、5日から販売を始めた(ここ)。記念館が本を独自に出版するのは珍しいといい、・・・・・
「波」は、小学校教諭・見並行介が妻に駆け落ちされる場面から始まる。妻は取り戻したものの、彼女が残した息子の出生の疑惑に悩みつつ生きる物語で、1928年(昭和3年)7月から11月に朝日新聞の連載小説として掲載された。・・・・・・
復刊して、矢野さんは使用漢字の少なさに改めて驚いたという。有三は「振り仮名廃止論」を唱え、振り仮名をつけないと読めないような漢字は使用しなかったため、「コタツ」や「じょうず」など、カタカナや平仮名が目立つ。・・・・」(
2010/06/06付「朝日新聞」多摩版p37より)

高校の時、国語の先生が、何よりも「読書」を勧めた。何の本でも良いので、とにかく本をたくさん読め、といつも指導された。夏休みの宿題もとにかくたくさんの読書・・・・
そんなとき、山本有三に凝った。漢字が少なくて読みやすかった事もある。当時の自分は、誰かに凝ると、その人の作品ばかり読む・・・・。山本有三を初め、石川達三、武者小路実篤などにも凝った。そして図書館で借りられる本はみんな読んだ。「波」もそのうちのひとつ。
久しぶりにそんな名前を目にすると、何とも懐かしい・・・。
でも昔買った本が例えいま出てきたとしても、それを読む気はしない。でも新品はなかなか手に入らない状況のようだ。

前に何かのキッカケで、昔読んだ石川達三の「青春の蹉跌」を読みたくなり、図書館で聞いたことがあった。すると、表には出ていなくて、奥の書庫から探してくれた。それで、もう一度読んだことがある。そのことだけで、これらの本は現代人には読まれないのだと分かった。漱石のようなメジャーな作品でないと、本屋に置いても売れないのだろう・・・

話は変わるが、同じ昨日の朝日新聞の「声」の欄に、「文庫本の陳列は買う立場で」という投書があった。曰く・・・

文庫本の陳列は買う立場で 主婦
私は文庫本が大好きです。でも実際に書店に出向くと、目当ての本を探すのはとても大変です。書棚がたいてい出版社別になっているからです。
このため、A社の棚にないのでB社に棚へ移動する。それを繰り返すことになります。
・・・・
ネット書店では、著者名で検索すれば出版社や文庫本・単行本にかかわらず一覧が出てきます。書店でも、実用書などは出版社に関係なくテーマ毎に並んでいることが多いです。客の方も「○○社の文庫本が読みたい」と思う人より、「○○さんの文庫本が読みたい」と思う人が多いはずで、書店には売る側の立場の陳列から、買う側の立場に立った著者別の陳列に変えることを望みます。
電子書籍が普及するなかで書店が生き残るためには、そんな工夫がますます重要になるのではないでしょうか。」(
2010/06/06付「朝日新聞」「声」P6より)

この指摘は全くその通りだ。書店でマイナーな文庫本を探すのは本当に大変。あらかじめ、出版社を調べてから本屋に行かないと、なかなか探し出せない・・・・。
まあ、世の本屋の文庫本売り場は「顧客志向」ではないということだ・・・。

最近は“iPad”の話題が多いが、このような絶版本も読めるようになるのだろうか? 時期は分からないが、必ずそんな時代が来ると思う。でもその時、残りのページの厚さを気にし、読み終わった時の達成感を思うと、やはり紙が良い・・。
毎日が日曜日はなったら、このような昔読んだ本をもう一度読み直す、という趣味も良いかもね・・・。
そう言えば、死んだ親父が、本を買って“積ん読”趣味があったっけ。でも電子書籍だと、積んどくわけにはいかない。“積ん読”という言葉はどう変わるのだろう・・・?“溜め読”??

| コメント (1)

2010年6月 6日 (日)

茨城・龍ヶ崎観音に行く・・・・

今日は久しぶりにお袋がひとりで住んでいる田舎に帰った。自分の故郷は、茨城県の竜ヶ崎市である。その竜ヶ崎に帰った時に、最近必ず寄る所がある。それはカミさんが好きな龍ヶ崎観音だ。(写真はクリックで拡大)

P10703561 P10703601 P10703261

自分が竜ヶ崎で中学を卒業した当時、竜ヶ崎観音は廃寺だった。敷地はあったが、お堂は無かったような気がする。それもそのはず、昭和51年に再建されたという。

P10703711 P10703691 P10703761

このお寺は、葬式は執り行わない安産・子育ての観音さま。今日も、赤ちゃんを中心に、4世代の家族がお参りに来ていて写真を撮っていた。

コンセプトが赤ちゃんのため、お札を売っている境内に、「子は宝」という額が飾ってあった。曰く・・・
「子は宝
子供は宝というけれど
いづれは飛んで行く
でもその日まで
私達の宝でいてね」

P10703431 P10703451 P10703751

境内は子供にまつわるお地蔵さんや、水子地蔵も・・・・

P10703621 P10703521 P10703371

今日我々が、この観音さまに何をお願いしたかって??
それは神のみぞ知る・・・。(←おっと観音さまだっけ・・・・)

| コメント (0)

2010年6月 5日 (土)

「世界中の人が日本人と同水準の生活をするには地球が2.3個いる」

単なる統計の数字も、ひとつのグラフにしてみると、圧倒的な迫力に変わることがある。世界人口という実にどこにでもある統計数字。それを折れ線グラフにすると、何という上昇率・・・・

今日6月5日は「世界環境デー」だという。
今朝の朝日新聞に「69億人+3000万種 みんなも地球守ろう」という記事があった。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

「・・・地球は46億年前に誕生した。その数億年後に生命が芽生え、多様な進化を遂げた。Image04701 人類誕生はわずか数百万年前。この100年程度で爆発的に増え、50年前に30億人だった世界人口はいまや70億人に迫り、2050年には91億人に達するという。
大正時代に5千万人だった日本の人口も1億2千万人に達している。エネルギー消費は1965年の4倍近い。家庭には電化製品があふれ、物資の輸送や工場など様々な過程でエネルギーが使われる。・・・・・
国際エネルギー機関(IEA)の見通しでは、世界のエネルギー需要は2030年に07年の1.4倍になるという。人口が集中する都市には車があふれ、排ガスが漂う。廃棄物の処理も課題だ。
世界自然保護基金(WWF)の計算によると、世界中の人が日本人と同水準の生活をするには地球が2.3個いる。米国と同じ水準なら地球は4.5個も必要になるそうだ。」(
2010/06/05付「朝日新聞」p21より)

これは面白い発想だ。豊かな生活をするには、地球資源の消費が必要。貧しい国の人々は、お金が無いのでそんなに資源を消費していない。しかし世界の人々全員が、日本人と同じように消費(浪費)したら、今の地球が持っている資源だけでは足りない・・・、という。

この話とは全く関係ないが、同じ今朝の朝日新聞「天声人語」にこんな言葉があった。
「・・・言葉を弾丸にたとえるなら、信用は火薬だと徳冨蘆花(ろか)は言った。火薬がなければ弾は通らない、つまり相手に届かないと。「国民が聞く耳を持たなくなった」と嘆いた鳩山首相には火薬は尽きていた。有言実行で言葉の重みを取りもどすことが、まずは船出の仕事となる。」(2010/06/05付「朝日新聞」「天声人語」より)

これはなかなかうまい表現だ。言葉はどこにでもある。誰でも発することが出来る。しかし、その言葉を誰がどのような場で発したかで、言葉の重みはまるで違う。

散々論じられているように、日本の財政は破綻寸前。来年度の予算は40兆円の税収でも、大量の国債発行により100兆円にのぼる一般会計予算を作らざるを得なくなるという。

今回の菅新首相。ただ選挙結果のみを目標に国民に迎合するのではなく、日本の行き過ぎた生活水準を見直して、地球資源の無駄遣いも含めてキリリとした姿勢を期待したいところだが、さてさてどうだろう・・・

| コメント (0)

2010年6月 4日 (金)

平岡養一の木琴~「お江戸日本橋」と「山寺の和尚さん」

平岡養一という名を知っている人は、もうほとんどいないのではないか。特にNet世代では・・・。しかし多分シルバー族はほとんどが知っている名前。なぜかというと、昔ラジオからよく流れてきたので・・・

何年頃かは全く分からないが、ラジオから「お江戸日本橋」のテーマソングと共に流れてきた木琴の音色・・・。伴奏はいつも田中園子だった。
その音をもう一度聞きたいな・・と思い立ち、音源を探してみた。しかし無い・・・。CDが1枚出ているが、日本の曲は無い。
Img_24131 先日、オークションでやっと平岡養一のLPを見付け、手に入れた。それがこの音源。1963年7月の発売の25センチ盤である。これは1962年11月27日のカーネギー・ホールでの演奏会の模様。
レコード盤に針を落として気が付いた。伴奏が田中園子のピアノではない。どうも懇意にしていたニューヨーク・フィルの面々らしい・・。(写真はクリックで拡大)

<平岡養一(木琴)の「お江戸日本橋」>

古いレコードにも拘わらす結構良い音が出た。でも残念、伴奏は田中園子が良かったのに・・・
「お江戸日本橋」とともに思い出す曲が「山寺の和尚さん」。ついでにこれも聞いてみよう。

<平岡養一(木琴)の「山寺の和尚さん」>

平岡養一の略歴はWikipediaに詳しい。それを読むと、人生の大半は米国在住だったらしImage04681 い。明治40年(1907年)生まれというから古い。カーネギー・ホールへの日本人出演第1号というのもうなずける。73歳で、昭和56年(1981年)没。
そして愛用の木琴は、通崎睦美に受け継がれているという・・・・。

現代の神谷百子や高橋美智子の演奏に比べると、いかにもオーソドックス。技巧に走っていない。先の二人の演奏に慣れている自分の耳には、少し物足りない位・・・。でもそこには古き良き時代の情感が漂っているように聞こえる。
田中園子の伴奏での、平岡養一の「お江戸日本橋」を聞きたいところだが、音源は見つかりそうにない・・・・。

| コメント (1)

2010年6月 3日 (木)

小林啓子とジョーン・バエズの「ドナ・ドナ」

先日の日経新聞「私の履歴書」(オービック社長・野田順弘氏)に、こんな話が載っていた。
「・・ある朝、目が覚めたら外が騒がしい。父親が知らない人と話している。それに、昨日父親がセリで売ったはずの仔牛がいる。知らない人が言った。「やっぱりそうか。居なくなって、行き先はここしかないと思って来てみたが、やはり帰っていた・・」。昨日売られた仔牛が、10キロ以上離れた先から、母親恋しさで、一晩かけて戻ってきたもの・・・・」(要旨)(2010/06/01日経新聞より)

会社から帰って「戻る習性は牛にもあるのか・・・」、とカミさんに話したら、「聞きたくない。そんな話は切なくて聞きたくない・・・」という。そして出てきた歌が「ドナ・ドナ」・・・・
「ある晴れた 昼さがり 市場へ つづく道・・・・」。まさにこの歌詞通りの話だ・・・

<小林啓子の「ドナ・ドナ」>

「ドナ・ドナ」
  訳詞:安井かずみ
  作曲:ショローム・セクンダ

ある晴れた 昼さがり 市場へ つづく道
荷馬車が ゴトゴト 子牛を 乗せてゆく
何も知らない 子牛さえ
売られてゆくのが わかるのだろうか
ドナ ドナ ドナ ドナ 悲しみをたたえ
ドナ ドナ ドナ ドナ はかない命

青い空 そよぐ風 明るく とびかう
つばめよ それをみて おまえは 何おもう
もしもつばさが あったならば
楽しい牧場に 帰れるものを
ドナ ドナ ドナ ドナ 悲しみをたたえ
ドナ ドナ ドナ ドナ はかない命

話は変わるが、先日NHKで「ヒューマンドキュメンタリー『私の“家族”』」(これ)(2010/05/07放送)という番組を見た。特別養子縁組で、3人の子どもを育てている夫婦とこれから迎える夫婦の、二つの家族を追っていた。特別養子縁組とは戸籍上、実子として記載される。よって、後がない。しかし、生後数ヶ月の赤ちゃんから3人を育てたこの夫婦は、小さい時から生みの親は別にいると教えてきた。そして12歳になった長女が、生みの親に会いたいと言いだし、斡旋をしてくれたNPOを通して、中学卒業前のバスケットの試合に見に来て欲しいと伝える。しかし生みの親からの回答は「事情のため来られない」・・。泣く長女。抱きしめる母親・・。そして卒業祝いにボールペンが・・・。
もう一組は、妻が子宮摘出により子どもが生めない。そして依頼したNPOから電話がかかってくる。用意するものは、ほ乳瓶とミルク・・・。「ほ乳瓶が要るとすると、赤ちゃんなのかな・・」とつぶやく若い母親。そして受け渡しの場。赤ちゃんを抱いて現れた若い母親は、どうしても赤ちゃんを渡せない・・・・
このNPOの例では、特別養子縁組をする相手には、一切の条件は出せない。そして面接では、「何があっても育てられますか?」という問い・・・・

永遠のテーマである「親と子の絆」・・・。実子の場合はただ受け入れるしかないが、それと同じように、ただ受け入れるしかない(実子として)養子を迎える夫婦の思いに、胸が潰れる・・・
生き物すべてに共通する命の連綿・・・。牛も人間も同じ・・・。何とも重たい話だ・・・
それなのに、九州では牛たちが、口蹄疫という病気のために次々に・・・

ところで、「ドナ・ドナ」の歌の背景については色々と論じられている。「“ドナドナ”はワルシャワ・ゲットーの詩人イツハク・カツェネルソンが作詞者で、彼の妻と二人の息子が1942年絶滅収容所に連れられた時の印象に基づいて書かれた歌である」(ここ)とか・・・

Wikipediaによると、この歌は「1938年に Dona Dona として作られたイディッシュ語の歌」で、「ジョーン・バエズが Donna Donna として1961年に発売し大ヒット」、「日本語版は、1965 年3月、ザ・ピーナッツがシングル「ドンナ・ドンナ」を発売した。」とある。
なるほど、「ドナ・ドナ」と「ドンナ・ドンナ」と2種類ある理由が分かった。
次に定番のジョーン・バエズの歌を聴いてみよう。

<ジョーン・バエズの「ドンナ・ドンナ」>

このジョーン・バエズの歌詞をNetで調べてみると(ここより借用)、

「Donna Donna」
On a wagon bound for market       
市場へ向かう 荷馬車の上に
There's a calf with a mournful eye.   
悲しい目をした 1匹の子牛
High above him there's a swallow     
高い空には ツバメが1羽
Winging swiftly through the sky.     
すいすいと 勢いよく 飛んでいる
(*)
How the winds are laughing       
どうして 風は あんなに笑うのか
They laugh with all their might      
力のかぎりに 笑っている
Laugh and laugh the whole day through 
一日中 笑いに笑って
And half the summer's night.     
夏の夜が更けるまで 笑いつづける
Dona, dona, dona...               
ドナ ドナ ドナ・・・

"Stop complaining," said the farmer,   
「愚痴は よしな」 と農夫が言う
"Who told you a calf to be?   
「だれがおまえに 子牛になれと言った?
Why don't you have wings to fly away 
翼を手に入れて逃げ出してみろや
Like the swallow so proud and free?"
誇り高く自由な あのツバメのように」
(*)くり返し

Calves are easily bound and slaughtered
 子牛らは やすやすと縛られ 殺される
Never knowing the reason why.       
そのわけも わからずに
But whoever treasures freedom,      
だが 自由を尊ぶ者たちは
Like the swallow will learn to fly.  
ツバメのように空を飛ぶことを学ぶのだ
(*)くり返し

最後に、日本初の「ドナ・ドナ」のレコード、サ・ピーナッツの「ドンナ・ドンナ」を聴いてみよう。

<ザ・ピーナッツの「ドンナ・ドンナ」>

============
(2012/07/03追加)
2012/06/30付「朝日新聞」「うたの旅人」に「ドナ・ドナ」についての記事があったので、参考に記しておく。
・・・・まずこの詞を読んで欲しい。

  荷車のうえに子牛が一頭
  縄に縛られて横たわっている
  空高く一羽の鳥が舞っている
  鳥は行ったり来たりして飛びまわっている
  ※ライ麦畑で風が笑う
  笑って笑って笑い続ける
  一日中 そして夜半まで
  ドナ・ドナ・ドナ・ドナ
  ドナ・ドナ・ドナ・ドナ※

  子牛がうめくと農夫が言う
  いったい誰が子牛であれとお前に命じたのか
  お前だって鳥であることができたろうに
  燕(つばめ)であることができたろうに
  ※~※繰り返し

  ひとびとは哀れな子牛を縛りあげ
  そして引きずっていって殺す
  翼を持つものなら空高く舞い上がり
  誰の奴隷にもなりはしない
  ※~※繰り返し

 原詩は、アーロン・ツァイトリンというユダヤ人の作だ。ポーランド・ワルシャワで作家活動をした詩人で、東欧系ユダヤ人が日常的に使っていたイディッシュ語で書いた。ただ、書いた場所はニューヨークで、1940年以前のことだ。
 前記は、大阪府立大学教授の細見和之さんによるその訳詞だ。広く知れ渡り、音楽の教科書に載っている日本語歌詞からは大きな隔たりがある。重く、深い。
 日本語版の「ドナードナ」はNHKの「みんなのうた」で66年に放送され、国内に広まったとされる。細見さんは言う。「メッセージ性は低くなり、『かわいそうな子牛さんの歌』になった。思想性が排除された結果、小学校の教科書に載るようになったのでしょう。
・・・・・
(作曲者の)セクンダは1894年、ウクライナで生まれた。ユダヤ人だ。「歌の天才」の呼び声が高く、1907年にニューヨークに渡り、名門ジュリアード音楽院の前身でクラシックを学んだ。そして、東欧系ユダヤ人の文化を受け継ぐイディッシュ劇場で作曲のキャリアを積んだ。
・・・・・
セクンダと同時代のユダヤ系音楽家に、後にアメリカ音楽の体現者と呼ばれるG・ガーシュウィンがいた。だが、セクンダは彼と隣あわせにいながら、ユダヤ移民の世界にこだわり「ドナ・ドナ」を誕生させた。40年公演のイディッシュ劇の挿入歌として。その劇の台本を担当したのが作詞者のツァイトリンだった。
 彼は前年に劇場支配人から招待され、ワルシャワから渡米していた。この旅は彼にとって人生最大の転機となった。渡米直後、ワルシャワのユダヤ人が、新たにできたゲットー(強制居住区域)に移住させられたのだ。そして、42年には、ワルシャワ近郊にユダヤ人の絶滅収容所が作られ、ツァイトリンの父親は、ここに移送される途中に殺されてしまう。
 この死を詩に残した詩人がおり、一部の研究者らの間で「ドナ・ドナ」の作詞者だと考えられていた。イツハク・カツェネルソンだ。彼もまたアウシュビッツの強制収容所で殺されている。
「ドナ・ドナ」の原詞はそんなユダヤ人の苦難を連想させる。ただ、研究が進み、「虐殺」を直接的に歌ったものではない、とされている。詞に出てくる言葉を細見さんはこう「解釈」している。
 荷台=ユダヤ人が置かれた運命
 子牛=虐げられるユダヤ人
 自由の鳥=自由な異教徒
 農央=傍観者的な異教徒

そして、細見さんは「鳥の『自由』と子牛の『奴隷状態』が明白に人間同士の関係を示している。『ドナ・ドナ』が抑圧された人の悲しみを歌った歌であることは疑いない」と解説している。・・・・」
(2012/06/30付「朝日新聞」「うたの旅人」より)

| コメント (3)

2010年6月 2日 (水)

韓ドラ「商道(サンド)」を見た

韓国三大歴史ドラマの一つだという「商道(サンド)」をDVDレンタルで見た。全50話。「宮廷女官チャングムの誓い」「ホジュン 宮廷医官への道」と同じ演出家ということなので期待を持って見た・・・。(写真はクリックで拡大)
100602sando ドラマの舞台は、日本でいうと江戸時代の終わりの頃の時代だ。実在の豪商イム・サンオク(1779年~1855年)を主人公にした作品。ドラマの“レベル”からいうと、ホジュンには到底かなわない。チャングムもイジワルの連続や仇討ちで、見ていてあまり気持ちが良いものではなかったが、この「商道」も汚いシーンが多かった。
まず、競争相手の商団のチョン・チスのやり方があまりに汚い。自分たちが儲けるために、戦争勃発の“ニセのろし”まででっち上げるやり方に、見ていて辟易・・。これは商売の競争と言うより、もはや犯罪だ。
そして主人公サンオクと、競争相手であり父のカタキの敵商団の娘との恋・・。この不自然さにも参った。敵の娘なのでサンオクの周囲の人の誰もが心配する。反対する。でも最後までネチネチと・・・。
100602sando1 母親が「その娘との結婚だけは絶対に許せない」と、師匠の娘と結婚させる。この子が実に美人で宜しい。それなのに、その後もネチネチと・・・。“心ここにあらず・・”の夫との生活は、あまりに新妻が可哀想。と言うより、そもそも結婚した妻に対して失礼だ。そんな事なら結婚しなければ良い。これには怒りさえ感じる。まあ最後は子宝に恵まれるので、カンベンしてやるけど・・・・

ホジュンでも似たような関係の娘がいた。でもそれは娘側の片想いで、主人公は妻一筋だったので見ていて清々しかった。でもこのドラマは頂けない・・・・。最後には、妻はその娘と夫に、同じ床まで用意して・・・・。心が広いというか・・・

このドラマの演出だが、画面で二人が話している場面に、背景に突然他の人が現れて“その話を耳にする・・”という演出も何かフィットしなかった。

悪漢が最後に自殺するので、全体としてはまあこんなものかと思うが、韓国ドラマのイジワルストーリーは、我が家はそろそろ卒業の気配・・・・
このドラマのどこまでが事実かは知らない。でもこの豪商は、後世に名を残す活躍をした事は確かなようだ。

| コメント (1)

2010年6月 1日 (火)

ショパンのノクターンNo20「遺作」

今日は、当サイトの4歳の誕生日である。数日前、カウントも100万を超えた。この4年で書いた記事が1150余。コメント数は1870余。我ながら良く続いたもの・・・。最近では、“blogが趣味”と堂々と言うようにもなってきた。
何のために書くのかって?自分も良く分からないが、前にも書いた通り、blogを書くことによって、日々の生活が「意識的になる」ことは確か。何かのイベントがあっても、どこかに出かけても、非日常的な出来事があると、ついblogに書こうとする・・。だから何でも“blogネタ”という目で見てしまう・・・・。逆にこれがblogの効能かも知れない・・。それにボケ防止のための“頭の体操”にも良いように思う・・・。

さて、当blogは“音楽”を一つのコンセプトとしているが、このトシになると、クラシック音楽の世界は一通り舐めてしまって新しい(自分にフィットする)曲を発見するという事は非常に少ない。その中で、珍しく“発見”したのが「ショパンのノクターン第20番 嬰ハ短調“遺作”」という曲。
この旋律を聴いたのは、フジテレビのドラマ「風のガーデン」で、平原綾香が歌う「カンパニュラの恋」を聞いたときだ。このドラマについては、前に記事を書いた(ここ)。

このドラマの中で幾度となく流れて来るこの旋律。でも何度聞いても、あまりフィットしなかった。ショパンのノクターンが原曲だ、と聞いてもピンと来なかった。でもドラマが終わって、ふとこの歌を録音してMP3で聞くようになってから、やっと自分のものになった・・・。
子どもの時以来のクラシック人生において、ショパンのこの曲は何度も聴く機会はあったのだろうと思う。でも多分自分の前を通り過ぎていった・・・。でも平原綾香によってやっと自分の前で止まった・・・。
だいたい自分は、ショパンはそう好きな方ではない。でも第20番のこの旋律は、聴くほどに味が・・・・
改めて聴いてみよう。フジ子・ヘミングの演奏である。

<ショパンのノクターンNo.20「遺作」~フジ子・ヘミング(pf)>

楽譜を見ながら演奏を聴くのもオツなもの・・・。楽譜のPDFは(ここ)。

同じこの曲を色々な楽器で演奏している。ついでにそれらを聴いてみよう。

この木琴の演奏は、この曲に合っていると思うが・・・
<ショパンのノクターンNo.20「遺作」~通崎睦美の木琴>

次にフルートで聞いてみよう・・・
<ショパンのノクターンNo.20「遺作」~山形由美のフルート>

最後にこの曲を知らせてくれた平原綾香に敬意を表して・・・・
<平原綾香の「ノクターン」>

当blogがいつまで続くか知らないが、どこかで自分が“頓死”しても、このblogがNet上に残っていて、自分の“遺作”となると思うと何か楽しい・・・。プロバイダーとの契約さえ続いていればNet上には残るはずなので・・・

どちらかというと、賑やかな曲の方が好きだった自分だが、こんな旋律に惹かれるようになるとは、我が人生の好みも、段々とリタイアモードなって来たのかもね・・・

| コメント (9)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »