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2010年4月10日 (土)

中村元の「般若心経」(6/7)

中村元先生の「般若心経の講義」を、7回に分けて聴いてみる。
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第12回 空の思想-般若心経・金剛般若経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていく。

こーちーはんにゃーはーらーみーたー
故知般若波羅蜜多
ぜーだいじんしゅーぜーだいみょーしゅー
是大神呪是大明呪
ぜーむーじょーしゅーぜーむーとうどうしゅー
是無上呪是無等等呪
のーじょーいっさい くー  しん じつ ふーこー
能除一切苦真実不虚
こーせつはんにゃーはーらーみーたー
故説般若波羅蜜多
しゅうそくせつしゅーわつ
呪即説呪曰
ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー
羯諦羯諦波羅羯諦
は    ら   そーぎゃーてーぼーじーそ    わ   かー
波羅僧羯諦菩提薩婆訶
はんにゃ-しんぎょう
般若心経

<こころをよむ/仏典「般若心経」~その5>

故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に。般若波羅蜜多の咒を説く。すなわち咒を説いて曰わく、
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

「こういうわけだから、このように知りなさい。「般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無等等咒なり」と。この般若波羅蜜多という真実の智慧は不思議な力がある、これは偉大な智慧のことばであるというわけです。サンスクリットの原語で見ますと、「咒」はマントラということばを使っております。これはもともと、ヴェーダの祭りのときに唱える文句を言ったのです。そのマントラということばをここへとりまして、ほんとうに力のあるのものは何か、それは般若のさとりであるという立場から、「大神咒」「大明咒」というぐあいに讃えているのであります。
それからこれはまた無上咒、すなわち無上のことばである。また、「無等等咒」であるといいます。この「無等等」ということばは仏典によく出てきます。よく行われている解釈は、「無等」とは「等しいものがない」「類がない」ということで、次の「等」は「平等」「円満」を意味するというものです。そして、「無上咒」のほうは本性を示し、智慧の智をあらわす、「無等等咒」のほうは仏性、仏となりうる可能性を示し、慈悲をあらわす、というふうに解釈されております。つまりは、般若波羅蜜多というものは不思議な力があるということを讃えているのです。だから、一切の苦しみを除き、真実にして、虚妄ではないというのです。
「羯諦」以下は、もとのサンスクリットの原音で申しますと、ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハーです。これはもちろん、訳すこともできます。最初のガテー ガテーは「往ける者よ、往ける者よ」という呼びかけ。パーラは彼岸のことですから、パーラガテーは「彼岸に往ける者よ」。パーラサンガテーは「彼岸に全く往ける者よ」。ボーディは「さとりよ」ということになります。最後のスヴァーハーということばはヴェーダの祭りでよく使うことばです。それがここに取り入れられたのですが、「幸あれ」「幸あれかし」と訳すことができるかと思います。
漢字に訳すとなかなか趣意がうまく伝わらない。むしろ、不思議な力を保つためには訳さないほうがいい。それで、このように音だけを写して、ここに記されたのでしょう。
この『般若心経』は「空」というものの究極の境地をじかにぶっつけに述べていて、空の境地を身につけたならば、不思議なすばらしい力があらわれるという趣意を伝えているのです。」(前田専学監修「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」より)

いよいよフィニッシュである。音楽で言うと終結部。最後の呪文に向かって驀進して行く。詳細は、下記の関連記事の時に書いているので、ここでは詳しく書かない。

ちなみに、「真言」について考えてみる。広辞苑によると、
しん‐ごん【真言】=〔仏〕①真実の語。②(梵語 mantra の訳語)密教で、真理を表す秘密の言葉。呪。陀羅尼。

じゅ‐もん【呪文】=①密教・修験道・陰陽道などで唱える神秘的な文句。→呪。②呪術の最要部を成す唱文。一定の手続の下で唱えると、自然力あるいは神や人間の行動を積極的に統御し得ると考えられる文節・語句または無意味な綴字の連続など。

ところで、「言霊(ことだま)」という言葉がある。
大きな声では言えないが、実は自分の口のバルブは、どうもゆるんでいるようだ。口から出す言葉を、一旦心に止めて咀嚼してから発すれば良いのだが、どうもクセで、何も考えずに口からどんどん出てしまう。特にカミさんとの会話では・・・。
それでカミさんに良く言われる・・。「言葉には言霊という魂があるので、あまり乱暴な口をきくと、その通りになってしまうよ・・・・と」

こと‐だま【言霊】=言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。

ちょっと例えは悪いが、「覆水盆に返らず」ということわざもある。
言葉の重みを少し考えなければいけないと思うこの頃・・。(でもさすがに会社では言葉を選んではいるが・・・・)

話は飛ぶが、ウチの近くのバス停まで歩いて1分かかる。朝夕の行き帰りに、毎日この般若心経を唱えながら歩くようになって、もう5年以上になる。この真言の持つ言霊が、自分に対してどのように作用しているかは分からないが、唱える毎に少しでもこの世界に近付ければ・・・と思うのだが・・・

(関連記事)
「般若心経」勝手帖-13 是大神呪
「般若心経」勝手帖-14 羯諦羯諦

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コメント

片割れ様こんばんわ
私、字を知らない人達に読ませる絵に描いた般若心経を知って、若気の至りで色紙に描いたりして知人に配りました。今振り返ると、これを見て般若心経を声に出して唱えるのが、仏の教えに一番適っているのではと思ったりしています。

投稿: wolfy | 2010年4月11日 (日) 00:28

wolfyさん

江戸時代(?)の絵文字ですね。昔の人は、色々と考えたのですね。これを見ても、唱えるだけで、御利益があるようです。

投稿: エムズの片割れ | 2010年4月13日 (火) 22:38

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