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2010年4月21日 (水)

昭和38年の出来事(16歳)~梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの17回目。自分が15歳から16歳、つまり中学3年生から高校1年生になった昭和38年(1963年)の出来事を調べてみる。

この年は、自分も高校に進学し、早くも受験勉強がスタートした。入った高校は、いわゆる受験校だった。とどのつまり、放って置いては生徒が勉強しないので、学校側が生徒が勉強せざるを得ない仕組みを作ったのだろう。
S38 この年の出来事を調べてみると、3月31日に、いわゆる「吉展ちゃん誘拐事件」があった。そして11月22日にはケネディ大統領暗殺という大事件があった。このときの事は今でも覚えている。その日は、ある友人に誘われてある大学の見学に行った。その帰りに、駅前で号外を配って大騒ぎをしていた。ちょうどこの日、日米間テレビ宇宙中継実験があって、そこで初めて写った画面がケネディ大統領暗殺のニュースだった。(余談だが、この友人は、2年後にさっさと“一人だけ”この大学の医学部に入りやがった・・)(写真はクリックで拡大)

その他の明るい話題では、6月16日にソ連のボストーク6号で世界初の女性宇宙飛行士となったテレシコワが「私はカモメ」とコールサインを送った。また、12月8日にプロレスの力道山が暴力団に腹を刺されて亡くなった。

100421konnichiwaaka この年に流行った歌謡曲は、ヴァケーション(弘田三枝子)、東京五輪音頭(三波春夫)、見上げてごらん夜の星を(坂本九)、高校三年生(舟木一夫)、浪曲子守歌(一節太郎)などなど。
今日はその中で昭和38年11月発売の梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」を聞いてみよう。この年のレコード大賞を受賞した歌である。

<梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」>

  「こんにちは赤ちゃん」
    作詞:永六輔
    作詞:中村八大
  
  こんにちは赤ちゃん あなたの笑顔
  こんにちは赤ちゃん あなたの泣き声
  その小さな手 つぶらな瞳
  はじめまして わたしがママよ

  こんにちは赤ちゃん あなたの生命
  こんにちは赤ちゃん あなたの未来に
  この幸せが パパの希望(のぞみ)よ
  はじめまして わたしがママよ

  ふたりだけの 愛のしるし
  すこやかに美しく 育てといのる
  こんにちは赤ちゃん お願いがあるの
  こんにちは赤ちゃん ときどきはパパと
  ほらふたりだけの 静かな夜を
  つくってほしいの おやすみなさい
  おねがい赤ちゃん
  おやすみ赤ちゃん わたしがママよ

この歌詞を改めて読んでみると、何とも明るい歌詞だ。歌謡曲は暗いテーマが多いが、その中で、こんな明るい歌に、心が和む・・・。
まあ、ちまたではこんな明るい歌が流れていたようだが、受験生の我々はただ暗いだけ・・。一杯いっぱいの受験生生活の毎日で、この頃の良い思い出はほとんどない・・・。

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コメント

 本当に明るい「こんにちは赤ちゃん」を聞いていて、当時のことがあれこれ蘇った。
 そのうち、ふと思った。永六輔さんは、この歌を書いた頃、ご自分のお子さんの誕生を経験し、こんな明るい歌が生まれたのだなと。
 それから、30~40?年を経て、久しぶりに作詞したのが、前日4月19日のブログにも載っていた「命連綿」と「色即是空」という曲だったのかと。
 実に、「人間の人生」というものを考えさせられてしまった。
 そして、今日偶然に車の中で、民放ラジオの「誰かとどこかで」を聴いた。(普段NHKしか聞いていないので、)何年ぶりかで聴いたのだが、私は耳を疑った。これは永六輔さんの番組ではなかったのか?と。耳をダンボにして聴いてしまった。
 ラジオから流れてくる永さんの声は、私たちが聴きなれた永さんの声ではなかった。(こんな言い方をしては失礼なのだが、)声に精彩がなかった。何かとても切なくなった。

投稿: ジャン | 2010年4月22日 (木) 23:42

ジャンさん

かの「黒い花びら」も永六輔作詞なんですね。「こんにちは赤ちゃん」との落差??
この人の事はあまり知りませんが、なかなかの個性ですね。

投稿: エムズの片割れ | 2010年4月24日 (土) 23:21

 「黒い花びら」もそうですね。イメージは大分違いますよね。
 ほかに「上を向いて歩こう」もそうですよね。
 「遠くへ行きたい」「見上げてごらん夜の星を」とか・・、NHKの「夢であいましょう」という番組から、中村八大との六八コンビで多くの曲が生まれましたよね。いつも楽しみに見ていました。誰にでも歌いやすい曲が多いです。

 才能豊かな方は、引き出しがいっぱいあるのでしょうね。
 また、永さんは、毒舌でいろいろ物議も醸したことも記憶にあります。

投稿: ジャン | 2010年4月25日 (日) 00:04

永さんは尺貫法を残せという運動もしていましたね。昭和38年頃はお肉などはまだ匁で買っていました。夫は今だ尺寸で寸法を測っていますが、私は土地や家がヘーベーと言われるとすぐ理解出来ません。坪ならぱっと広さがわかります。リットルより升や合ならすぐわかります。小学校の算数で換算するテストがありましたが、日常使う物は簡単に変えられません。日本の風土に合ったものは捨て難いのです。

投稿: 白萩 | 2010年4月25日 (日) 11:35

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