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2010年3月の27件の記事

2010年3月31日 (水)

把瑠都が新大関に~思いやりの相撲?

今日、先場所14勝1敗だった関脇把瑠都が新大関になった。最近までほとんど知らなかった。しかし、先場所はニュースのたびにその取り口が紹介され、白鵬とともに、前評判通りの成績を残した。
100331baruto ニュースで見るたびに、カミさんと話題にするのが、その勝ち方。勝負が決まると同時に力を抜く、またはそこで動きを止める。相手をだめ押しで土俵の外に投げ捨てない。これは大変なこと。前に、千代の富士だったか、勝った後もだめ押しで相手を土俵の外に投げ飛ばす事があった。朝青龍も同じようなスタンスのように思えた。しかし、把瑠都は決して相手を投げ飛ばさない。それは相手の怪我を思いやってのことだと感じて、カミさんと「偉いね~」と話していた。(写真はクリックで拡大)

今朝の日経新聞に「大関への道 はるばると~3度のけが 大相撲に変化」という記事があった。その記事を読んで、やはり自分自身が怪我で泣いていたのか・・と思った。曰く・・・

大関への道 はるばると~3度のけが 大相撲に変化
長身肉厚の立派な体を誇る把瑠都にも泣き所が1つある。大きなサポーターが巻かれた左ひざだ。新入幕から2場所連続で勝ち越し、前頭筆頭まで番付を上げた2006年秋場所。10日目雅山戦で前十字靱帯を損傷し、途中休場に追い込まれた。三役目前での急停車だった。・・・・・・結局、左ひざのケガは都合3度繰り返し、最初の休場から6場所で4度休場。十両陥落の憂き目も2度味わった。・・・取り組んだのが理詰めの相撲への改造。・・・初土俵から36場所での大関昇進は、同じヨーロッパ出身の琴欧洲(19場所)に大きく劣るものの、地力は追い抜いた感さえある。・・・万能、正統のモンゴル人横綱に対して、洗練されてきたとはいえ、この新大関にはどこか規格外の魅力が漂う。・・・」(2010/03/31「日経新聞」p41より)

我が家は、特に相撲が好きというわけではないが、本人が自覚しているかどうかは分からないが、自分のケガの経験から相手にもケガをさせないように、という“大人の相撲”は、見ていて気持ちがよい。それは、相手を土俵外に放り出して「どんなものだ」と、あたかも自慢するような取り口とは一線を画している。
先場所の番付表を数えたら、東は21人中で外人が10人、西は20人中5人が外人だった。4割近い外人で何とかもっている“国技”。でもひ弱な日本人よりも、また日本人と顔が似ているモンゴル系と違ってまさに西洋人の顔をした把瑠都はなかなか面白い。しばらく把瑠都の活躍を見守っていこう。

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2010年3月30日 (火)

「求む、マニフェスト仕分け人」

昨日の日経新聞(2010/03/29付)によると、鳩山内閣の支持率は、前回の2月から7%ダウンの36%、不支持率は同8%アップの57%だという。さっきのニュースでも、「鳩山首相が郵貯限度額2千万円に引き上げについて亀井氏らの案を了承・・・」とある。何とも「大山鳴動して鼠一匹」か??

先日の日経新聞の「大機小機」にこんな記事があった。
求む、マニフェスト仕分け人
半年を経た鳩山由紀夫政権の最大の公約違反は、何だろう。ガソリンの暫定税率を据え置いたことか、それとも高速道路の無料化を事実上見送ったことだろうか。
総選挙のマニフェスト(政権公約)を読み返すと、個別メニューもさることながら、最大の公約違反は、公約実現の財源を歳出のムダを削って生み出す、として果たせなかったことではないか。
マニフェスト通りなら2010年度は、7兆円の新施策を7兆円の歳出削減でまかなうはずだった。ところが24日成立した予算では、公約実現のための歳出増は3兆円強に圧縮する一方、歳出削減は鳴り物入りの事業仕分けにもかかわらず、1兆円に満たなかった。ムダ削りに限れば、公約の実現度は7分の1だ。
埋蔵金を10兆円もかき集めてなお、税収が借金(国債)を下回る、終戦直後以来の悲惨な10年度当初予算の姿である。仮に11年度予算で、子ども手当の満額支給や、農家の戸別所得補償の完全実施などマニフェスト通りにすると、さらに10兆円の新財源が要るという。消費税を凍結したまま、そんなカネはどこから出てくるのだろか。
現政権のずるさは、事業仕分けの対象を自民党政権時代からの施策に限り、自身のマニフェストは棚に上げていることだ。子ども手当や戸別補償は政策目的に照らし多くの疑念が出ている。高速無料化にいたっては世論調査で常に反対が多いのに、メンツにこだわり1000億円も使って社会実験とやらをする。
民主党に投票した人の多くは、自民党政権に愛想をつかしただけで、民主党マニフェストのすべてに賛成したわけではない。政権に一片の誠実さがあり、公約に自信があるのなら、子ども手当や戸別補償も仕分けのまな板にのせ、専門家の忌憚のない評価を受けたらどこか。財政窮迫下では、既存のムダ削りも大事だが、新たなムダを許さないことも肝要だ。些事ながら例えれば。
鳩山首相の意向で、国内総生産(GDP)では測れない国民の幸福度を測る指標を開発するという。70年代に大騒ぎしてできた国民純福祉(NNW)が、すぐにお払い箱になったのを思い出す。
幸せって何だっけ――明石さんまさんの20年以上も前のCMがリメークされ、違和感がないのは「幸せ」のつかみどころのなさゆえだろう。オーイ仕分け人!(手毬)」(2010年3月25日付「日経新聞」p17「大機小機」より)

まあこれらは、鳩山内閣がいつも指摘されていることだが、こうも“日常的に”指摘されると、やはりこれらの指摘は本当なのだろうと思う。

それより、「国民の幸福度を測る指標を開発する」という所に興味を持った。Netで検索してみると、こんな記事が見つかった。
「国民の「幸福度」を調査へ=新成長戦略の指標に-政府
 鳩山由紀夫首相は(2月)28日、首相公邸で菅直人副総理兼財務相や仙谷由人国家戦略担当相らと会い、新成長戦略の具体策取りまとめに向け、国民の「幸福度」を調べる方針で一致した。具体的な調査項目を詰めた上で、3月初めにも着手する。
 会談後、仙谷氏は公邸前で「単なる数字のGDP(国内総生産)だけじゃない成長をわれわれがどうつくっていくのかと(いうことだ)」と記者団に述べ、新たな指標として検討していることを明らかにした。
 「幸福度」については、昨年12月にまとめた新成長戦略の基本方針でも「国民の『幸福度』を表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取り組みを行う」と盛り込まれた。 (2010/02/28-14:05)」

当blogでも前に論じた(ここ)ブータンの「GNH国民総幸福」という理念。それの後追いか?

ちなみに、70年代に大騒ぎしたという「国民純福祉(NNW)」とは、「《 net national welfare 》純国民福祉。国民福祉指標。GNP(国民総生産)から、防衛費など福祉に結びつかない項目を削除し、余暇、主婦労働などの福祉的要素を加えて作った指標。」だそうだ。

“国民の幸福”は、政府としてぜひ追及して欲しいアイテムではあるものの、何かしっくりとこない。このような、漠然とした施策よりも、もっともっと緊急にやらなければいけないアイテムが山のようにあると思うのだが・・・

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2010年3月29日 (月)

「死に立ち会うことで生を学ぶ」

先日の朝日新聞の「声」の欄に、小児科医のこんな投書があった。

死に立ち会うことで生を学ぶ
   小児科医(51)(新潟県佐渡市)
日本の医療レベルは高く、平均寿命や乳児死亡率の低さはトップレベルです。一方で近年死亡する場所はほとんど病院です。最近、命が軽んじられているのではないかといわれますが、私は、人々が死に触れる経験が減れば減るほど、社会から命の尊厳が失われると感じています。人の死を経験できると、生かされている命に感謝し、「死」の対極にある「生」が明瞭になり、心が育つのだと思います。
外来でいつもやんちゃだった子どもが急に大人びたあいさつをしてくれたとき、不思議に思って尋ねると、わがままを言って迷惑をかけた祖父の死に立ち会ったのだと教えてくれました。
「じいちゃんの分もがんばる」。普段見せなかった顔で言われると、これが孫への一番の教育だと感動しました。
自らの臨終のときは、テレビやゲームだけで実際の死に触れる機会のない現代の孫たちへ、生きる力を授ける最大のチャンスとなりえます。」(2010/03/27付「朝日新聞」p16「声」より)

この記事を普通に読むと「なるほど。その通り」で終わる。しかし捉え方には色々あるもので、「それは子供が可愛がられ、大事に育てられている環境だけで言われること」という議論もある。

昨日、NHK TV「こころの時代~死を人生修行の場として 竜宝寺住職 中野東禅」(2010/03/28放送)を見た。心に止まる話が幾つもあったが、その中でこんな話があった。
「滋賀県の県立病院の研究Grの発表で、350人の看護師さんに「初めて、看護していた患者さんがご遺体になった時、何を感じたか」をアンケートした。結果、1/4は「厳粛な気持ちになった」と答え、1/2は「怖かった」と答えた。これは“心が通っていた”かどうかの違い。心が通っていないと怖い・・・」
上の投書も、まさに心が通っていたおじいちゃんだったからこそ、良い影響を残したのだろう。しかし、ほとんど会わなかったおじいちゃんだと、受け止め方は違うだろう。

こんな話もあった。「学生に「死」について書かせた700通の作文を分類した。そのとき、近くで死んだ人がいなかった人は、死について、空想でやたらと説明を書いていた。しかし近くで実際に亡くなった人がいて、身近に死を体験した人は、死については説明しない。これは仏教でいう「如実知見(=事実を事実のまま見る智慧)」で、直接体験した人は説明など出来ない。事実そのもの・・・・と捉える。」

そして「子供は10歳を境に、死を意識する」という話があった。
自分の場合、初めて死に出会ったのは、小学校5年の時の祖父の死だった。訳も分からず病院に行き、祖母から言われて、割り箸に巻いたガーゼを水に浸し、亡くなった祖父の口に持って行ったのだけは覚えている。でも自分の、まさに10歳の時の出来事で、自分が死を意識できたかというと、良く分からない。

ついでにこの番組で、中野さんが「直腸がんだと思い込んだ時(実際は違った)、頭の中が真っ白になって・・」「妻に対して何もしていない(食事や旅行等)事に気付いたとき、死が本当に怖くなった。知り合いのホスピス医に言ったらこう言われた。“当たり前です。夫婦に後悔が無ければ死ねます”。これは逆に夫婦に負い目があったら死ねないという事。それはこたえた」と言っていたのが印象に残った。
どんなに偉いお坊さんにとっても、死はそんなもの・・・

先の投書も、死を教材にするという発想は少しイヤだが、「死」を意識することによって、対極にある「生」を意識する(大切にする)という考え方も分かる。
しかし、自分の死を孫に見せる・・という発想は、まだまだ未熟な自分には分からない世界。まあ将来、もし孫でも出来たら、ゆっくり考えることにしよう・・・。

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2010年3月27日 (土)

「早春賦」~“歌い継いでいきたい童謡・唱歌”

先日の朝日新聞に「歌い継いでいきたい童謡・唱歌」というベスト10が載っていた。それによると・・・

   <「歌い継いでいきたい童謡・唱歌」ベスト10>

   ①赤とんぼ         2033点
   ②ちいさい秋みつけた  1629点(ここ
   ③仰げば尊し       1142点(ここ
   ④荒城の月        1104点(ここ
   ⑤夕焼小焼        1091点
   ⑥早春賦          1035点
   ⑦大きな古時計      1003点
   ⑧里の秋             885点(ここ
   ⑨かあさんの歌       873点(ここ
   ⑩故郷             867点(ここ
   (「朝日新聞」2010/3/20付b2より)

数えてみると、当blogではこのベスト10のうち6つを既に挙げている。当サイトの価値観100327syouka (?)は、朝日新聞の4116人の読者とそう変わらないようだ。(写真はクリックで拡大)
ひとつだけ、「大きな古時計」は他の歌に比べて新しく、少し違和感を感じたが、Netでみると、1962年にNHKの「みんなの歌」で発表されたというので、そう新しくもない。しかし自分が耳にしたのは2002年の平井堅だった。

当サイトで取り上げる曲は、「自分が好きな歌」「好きな録音」というコンセプトなので、まだ挙げていない歌は、自分にとっては“今ひとつ”・・・
でも“ベスト10”に敬意を表して、今日は「早春賦」を聞いてみよう。

<NHK東京放送児童合唱団の「早春賦」>

「早春賦」
  作詞:吉丸一昌
  作曲:中田 章

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷融け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

この歌は、1913年(大正2年)2月「新作唱歌(三)」で発表されたというから古い。長野県安100326sousyunfu 曇野あたりの早春の情景をうたった歌なのだという。そして作曲者の中田章(1886~1931年)は東京音楽学校教授で、パイプオルガン奏者、中田喜直の父だという。

今日は、この数日の真冬の天気から解放されて、やっと青空、春が戻ってきた。桜が咲くと期待していたが、残念・・。当八王子はまだだ。
昨年は、週末の散歩で咲いていなく、次の週の週末には既に散っていた。今年も同じパターンかな・・・・?

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2010年3月26日 (金)

遺書は必要か?

先日、兄貴の事務所に遊びに行っての雑談で、最近親の死による遺産のトラブルが結構あるという話を聞いた。遺児だけでなく、“遺児の連れ合い”という第三者の目線(価値観)が入ってくるため、遺産相続が難しくなっているという。本人は、遺産は要らないと思っても、ヨメさんからせっつかれて・・・、というのが多いらしい。
「だから、誰も遺書を作っておくべし」という話・・。

確かに、父親が亡くなったとたんに、遺産相続の問題から母親の生活が脅かされる可能性はある・・・。両親が二人だけで平和に暮らしていたのに、不動産の名義が亡父だと、その遺産は子供たちにも1/2が相続される。子供が自分の母親の家をどうこうしようと思わなくても、ヨメさんから「母親が住んでいる家を売って、権利分はもらえ」とせっつかれるかも知れない。
それを避けるために、あらかじめ遺書を作っておくべきと言う。そしてその遺書で、「自分が死んでも、財産はすべて奥さんに譲る」とあれば、少なくても母親の生活が脅かされることはない、というワケだ。そして、実際にそうする人が増えているとか・・・

それもそうだ。ウチでも今から遺書が必要か?・・と思って、家に帰ってカミさんに話すと、「そんなことは必要無い。ウチの息子どもは大丈夫」と一笑された。
皆が心配している通り、本人にその気が無くても、将来結婚して、その連れ合いの意見で揉める可能性が無いとは言えない。しかし、遺書で書き残さないと心配・・というのも寂しい話。
それに、残された母親の生活を脅かすような事を子供がしたとすると、それは親にとって“自業自得”なのかも知れない。つまり、そんな子供に育てる事しか出来なかった、という自分たち親の責任・・・?

しかしイヤだな・・。そんな骨肉の争いは・・・。遺産なんて所詮不労所得。でも、死んだ後は“祈る”ことしか出来ない。
死後の世界から現世が見えるかどうかは知らない。行ったことがないので・・・。でも前に見た映画「ゴースト ニューヨークの幻」では、強盗に殺された夫が、昇天せずに何とか残された妻を助けようと奮闘していた。だから仏の世界からも、現世をコントロールすることも出来るかも・・・?
よって、もし自分が死んだ後、息子が理不尽な事をしようとしたら、あの映画のように何かの力を借りて、ぶん殴ってやる・・・
だから我が家は遺書なんて作らないのさ・・・・

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2010年3月25日 (木)

「景気悪化を生むムダ排除予算」

昨日(2010/03/24)、現憲法下で5番目に早いという2010年度予算が成立した。最悪の国債44兆円を見込んだ過去最大の92兆円予算である。

先日の日経新聞の「大機小機」というコラムに「景気悪化を生むムダ排除予算」という記事があり、なるほど・・・と思った。曰く・・・

景気悪化を生むムダ排除予算
民主党のマニフェスト(政権公約)の基盤は、財政支出のムダ排除による予算の発掘と組み替えである。しかし財政支出は必ず何らかの必要性があって実行されているから、何をムダと断定するかは困難である。事実、事業仕分けで捻出された金額は、予定を大幅に下回った。
「コンクリートから人へ」というスローガンや、ダム工事を中止して子ども手当を支給する政策から判断すれば、「ムダ」とは国民が直接自分の利益にならないと考える支出である。逆に、家計の消費に直接代替する支出が「ムダ」ではない政府支出だということになる。
給食費や高校授業料などは、これまで国民が既に支出していた消費である。これらを政府が肩代わりすれば、家計は同じものを現物で受け取るのでその分の支出を減らす。これを代替効果と呼ぶ。一方、国民は減らした消費の分だけ可処分所得が増えたと錯覚するかもしれない。しかし、よく考えてみれば、それは、家計がこれまで直接に支出していた同じ消費を、税金という異なった手段で支払っているにすぎない。いずれそれを賄うための増税が不可欠となるのは自明である。つまり、所得効果はなく、支出は増えないのである。
たとえ、当面増税はないと考えたとしても、一時的な所得増加からの消費性向は20~30%にすぎないことが分かっている。このため、全体としての総需要は低下する。
逆に、国民の誰もが自分の消費とは評価しない「ムダ」な支出の例は、戦費支出やインフラ整備である。このとき、消費は減らないから、財政支出はそのまま総需要の増大となって景気回復につながる。「ムダ」な財政支出こそが景気対策となる。
ケインズはこの点を見抜いて、景気対策としては、廃坑に金を埋めてそれを再び掘り出させる事業が有効である、と説いた。エジプトの富や中世の繁栄は、ピラミッドや寺院建築のように、いくら作っても消費を減らすことのない支出の賜であるとも述べている。
選挙目当てのバラマキ支出によって、同時に景気回復も狙うことはできない。増税を心配し始めた賢明な国民は、将来に備えて消費を切りつめ、貯蓄に励む結果、景気は悪化して経済は縮小し続ける、と経済理論は教えている。専門家による。政策立案が必要である。(桃李)」(2010/3/20日経新聞「大機小機」より)

昔、映画「ベン・ハー」で、ピラミッド(?)の建設に多くの奴隷が石を運ぶシーンがあった。当時はそれが普通の考え方。それが、ピラミッド建設の“奴隷”の「飲み過ぎによる休暇届」が発見されて、「ピラミッド建設は、農閑期の民を救うための公共事業だった」という風に変わってきた。確かに「ムダ工事」などで総消費を増やさなければ景気対策にはならない。一方、選挙対策のためのバラマキは景気対策にはならない・・・。なるほど・・・・

しかしムダ消費をするための財源はなく、赤字国債の額は、積もり積もって国民一人当りの借金は724万円・・・。幸い日本の場合は国債が国内で売買されているため、“放蕩息子が親から借金をしていて、まだサラ金には手を出していない・・・”という状態とか・・・

井上陽水の名曲「傘がない」(これ)に、こんな歌詞がある。「テレビでは 我が国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をして しゃべってる だけども 問題は今日の雨 傘がない・・・」
そうなのだ、我が家は国の景気対策も借金も子ども手当も関係ない。心配なのは円高による投信の「含み損」なのだ。なるべく“見ない”ようにしているのだが、たまに見てしまうと、その差損の“ガク”に“ガックリ”くる。
鳩山さ~ん、他はどうでも良いので、(特に対ユーロで)円安に誘導して~!!

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2010年3月23日 (火)

NHKスペシャル「命をめぐる対話~暗闇の世界で生きられますか」を観て

2010年3月21日に放送されたNHKスペシャル「命をめぐる対話~暗闇の世界で生きられますか」これ)を観た。何とも言葉が出ない・・・。

ナレータの言葉が重い・・・。
「ちょっと想像してみてください。もしもあなたが、意識がはっきりしているのに目を開けることも話すこともできない。体を動かすことも全くできない。そんな状態がずっと続くとしたら、どうしますか。TLS(完全な閉じ込め状態)究極の命を生きる人がいます。
難病が進行し、体を全く動かすことができず、瞼も開けることができません。しかし意識や感覚は残っていて、音を聞くことも考えることもできます。意思を伝えることのできない暗闇の世界に、一人生きています。意思の疎通が極めて困難になる「完全な閉じ込め状態」や「閉じ込め症候群」。脳梗塞など脳の病気や事故で、運動の機能が損なわれることで起こります。人口呼吸器や人工栄養の延命治療の発達により、今こうした状態で生きる患者が増えています。
「完全な閉じ込め状態」になったら、死なせてほしいと訴える人がいます。人工呼吸器をつけて暮らしている照川貞善さん。わずかに動く頬の筋肉でパソコンを動かし、要望書を書き上げました。
「動くことが出来なくて、意思の疎通も出来なくなれば、精神的な死を意味します。闇夜の世界に身をおく事になり、とても耐えられません。その時は、呼吸器を外して死亡させてい頂きたく、事前にお願い申しあげます」
照川さんの要望書が今、社会に議論を巻き起こしています。意志が伝えられない暗闇に閉じ込められた時、私たちは命とどう向き合えば良いのでしょうか。・・・」

この言葉・・。「般若心経」でいう無の世界そのものでは・・・
TLS(完全な閉じ込め状態)については、前に記事を書いたことがある。ALS=筋萎縮性側索硬化症については、「こころの時代~難病ALSと闘う日々」(ここ)、そして脳梗塞によるものが映画「潜水服は蝶の夢を見る」(ここ)。
だからどんな病気かは聞いていたが、この番組のように、真っ暗な画面に言葉だけが聞こえる表現をされると、思わずハッとする。
寝ている状態のまま、意識も感覚もあるのに、筋肉だけが動かなくなる・・・。何という残酷な状態か・・・。従って、例え頬の小さな動きだけでも外部に表現する手段があれば、手紙を書くことも出来る。
そして、その手紙で死を願う・・・。しかし、いちど動き出した人工呼吸器を外すことは、今の法律ては殺人などの罪に問われる可能性があるため、誰にも出来ない・・・。例え病院の倫理委員会で「照川さんの意志を尊重すべきだ」という異例の判断をしても、現実は外せない・・
この番組では、照川のように死を願う人だけではなく、前向きに生きようとしている人も紹介している。そして、家族にとって“たとえ動かなくても、お父さんがそこに居るだけで良い”という家族もある。

このような状態は、ALSという難病だけでなく、交通事故や脳梗塞でも発症するというから、決して他人事ではない。
カミさんとこの番組を見ていて、我が家の結論は簡単。「人工呼吸器を付けること自体を拒否」。
しかし現実は、本人や家族の同意無しに、病院のエスカレータに乗ったまま、人工呼吸器を付けられてしまうかも知れない・・。そして一度付けたらそれが外せない??

この番組は、自分で自分の死を選択できない現実について、我々に問う・・。この解は、家族間で“その時はどうする”を決めておいて、その時が来たら、本人に代わってそれを実行するしかない。まあ自分の場合は、カミさんがしっかりした死生観を持っているので安心だが、問題は逆の場合だな・・・・

(関連記事)
NHK「こころの時代~難病ALSと闘う日々」を聞く
映画「潜水服は蝶の夢を見る」を見て

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2010年3月22日 (月)

手仕事屋きち兵衛の「色即是空」

さっき犬の散歩で、“大回り”に行ってきた。“大回り“とは、ウチからお寺の脇を通って多摩川に出て、下水処理場の建物の上を利用した公園でボール投げ・・・という3キロ強のコース。(そういえば前に書いたな・・と探してみると、3年前に「いつもの散歩道」という記事を書いていた(ここ)。)
道ばたにあった梅はすっかり花を落とし、代わりに桜のつぼみが膨らんで、開花寸前。来週の週末には満開だろう。

一回りして、墓地の側に帰ってくると、お線香の匂い・・・いつになく墓参の人影が多い。そうか、彼岸の中日なのだ・・・。
歩きながら、「そう言えば般若心経の歌がある」とカミさんに言ったら、聞いてみたいという。そんなことで、お彼岸にちなんで、手仕事屋きち兵衛さんの「色即是空」を聞いてみよう。

<手仕事屋きち兵衛の「色即是空」Live盤>

「色即是空」
  作詞:永六輔
  作曲:手仕事屋きち兵衛

草の色 花の色
あるがままに 生きているのに
あなたはいない もういない
いない いない いない

風の色 空の色
あるがままに そこにあるのに
あなたはいない もういない
いない いない いない

色即是空 空即是色
いるのに いない いないのに いる
あなたは私の中に
ふるさとに いる いる いる

山の色 海の色
あるがままに 生きているのに
あなたはいない もういない
でも いる いない いる いない
いる いない いる

この手仕事屋きち兵衛さんの「色即是空」という歌は、アルバム「色即是空」(これ)に入っている曲と、ライブ盤とがあるが、自分はどちらかというとこのライブ盤の方が好きだ。スタジオ盤に比べて、ギターの伴奏の旋律が好き・・・。

般若心経の「色即是空」は一番有名な部分だが、その概念は極めて難しい。当blogを書き始めて直ぐにこれについて書いた(ここ)。もう3年以上前だ。それから時間が経って、少しは分かってきたかというと、今でも自信がない。その概念を、この歌で永六輔さんが分かり易い言葉で表現している。
この「いる」「いない」の繰り返しに、何を感じるか・・・。
ウチのカミさんは「誰か亡くなった人が身近にいると、たまらない歌・・」という。

「色即是空 空即是色」について、中村元先生は「我々の物質面というものは実は空なのである。空というものは実は物質的なかたちとして展開するものである。」と解説している(ここ)。
この歌は、(日本で一番有名なお経である)「般若心経」を歌にした唯一の例ではないだろうか。こんな歌を聴きながら、お彼岸に御先祖の供養・・というのも良いのでは・・・?
最後にこの歌のスタジオ録音盤も聴いてみよう。

<手仕事屋きち兵衛の「色即是空」スタジオ録音盤>

(関連記事)
「般若心経」勝手帖-06 色不異空空不異色
中村元の「般若心経」(2/7)

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2010年3月21日 (日)

寿命が決まる仕組み

先日の日経新聞(2010/3/13付Ps5)に「人は何歳まで生きられる?~寿命が決まるしくみ」という記事があった。結論は、“細胞分裂の回数が増えれば最大寿命は長くなる”といImage04281 う。生き物は、全て回数が決まっており、左のグラフによると、細胞分裂の回数は、ネズミは10回、ウサギは20回、馬30回で40歳、ヒトは50回で120歳、そしてゾウガメは120回で200歳だという。この記事を要約すると・・・・(写真はクリックで拡大)

・人の場合、「1992年に122歳で亡くなったフランスのジャンヌ・カルマンさんという女性が史上最高齢といわれている。」それで人の最大寿命は120歳位。
・人の寿命は遺伝の影響が大きい。それプラス日頃の生活。
・日本人の平均寿命は、2008年で男性79.29歳、女性86.05歳。約100年前は男性が44.25歳、女性は44.73歳だった。今は昔に比べて食料が不足していないことなどから、最大寿命に近付いている。
・命には回数券がある。細胞は生まれ変われる回数が決まっている。人間は50回ほど。動物によって回数券の上限は決まっていて少ない動物は寿命も短い。例えばネズミは約10回だから寿命は約3年、ゾウガメは約120回だから寿命も約200年。
・遺伝で決められた最大寿命に近付く方法は、カロリー制限。活性酸素が老化の原因。過剰なカロリー摂取を控えた上で、栄養バランスがとれた食事が原則。長生きの秘訣は「バランスのよい小食」。
・2200年前、始皇帝の命令で徐福(じょふく)という人が新宮にきた。「徐福は不老不死の薬を求めて日本に来たという。新宮市には天台烏薬(てんだいうやく)という木が生えている。根っこは漢方で使われていて活性酸素を消す効果があるようだ」。
・高輪メディカルクリニックの久保院長によると「実は検査で長生きできるか分かる。血液から白血球の細胞を調べれば、細胞分裂の残りが分かる」という。(
日経新聞(2010/3/13付Ps5より)

なかなか面白い話。やはり寿命は遺伝か・・・。そして人間の(細胞の生まれ変わりの)回数の上限は50回か・・・。なるほど・・。しかも、検査で回数券の残りも分かるという・・。
でもこれは老衰の話で、多くはそれ以前に病気で死ぬ事になるのだろう。そしてその病気の原因も色々な生活習慣から来る・・・。

ふと我が家の愛犬メイ子の平均寿命をNetで調べてみた。ウチのヨーキーはちょうど7歳なので、人間に置き換えると44歳だという。平均寿命は12から14歳。ちょうど半分か・・・
生きとし生けるもの、必ず終わりはある。さっきの高輪のクリニックではないが、その終わりの時期は知りたくない。でもメイ子の寿命が一番短い気がして、何か切なくなり、つい頬ずりしてしまった・・・。それを見たカミさんが、「どうしたの急に・・・」・・・
まあ平和だよね・・・・。昨夜は風が強くて雨戸がガタガタうるさく、眠れなかったけど・・・。

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2010年3月19日 (金)

小鳩くるみの「真白き富士の根(嶺)」

「住んでみたい街」(ここ)で人気があるのが鎌倉。“落ち着いた街”のイメージでこのランキングをみると、鎌倉が一番では? 鎌倉は、自分も若い頃に良く行ったところ。
初めて行ったのは、中学2年の修学旅行。江ノ島・鎌倉だった。その時に教わって歌った歌が、「真白き富士の根」だった。
色々な音源があるが、今日は小鳩くるみの澄んだ声で聞いてみよう。

<小鳩くるみの「真白き富士の根」>

  「真白き富士の根」
    作詞:三角錫子 
    作曲:ジェレミー・インガルス

  真白き富士の根 緑の江の島 仰ぎ見るも今は涙
  帰らぬ十二の 雄々しきみ霊に 捧げ奉る胸と心

  ボートは沈みぬ 千尋の海原 風も浪も小さき腕に
  力も尽き果て 呼ぶ名は父母 恨は深し七里ヶ浜辺

  み雪は咽びぬ 風さえ騒ぎて 月も星も影をひそめ
  みたまよ何処に 迷いておわすか 帰れ早く母の胸に

  み空にかがやく 朝日のみ光り 暗にしずむ親の心
  黄金も宝も 何しに集めん 神に早く我も召せよ

  雲間に昇りし 昨日の月影 今は見えぬ人の姿
  悲しさ余りて 寝られぬ枕に 響く波のおとも高し

  帰らぬ浪路に 友よぶ千鳥の 我も恋し失せし人よ
  尽きせぬ恨に 泣くねは共々 今日もあすも斯くて永久に

この歌はあまりにも有名な歌だが、少し復習をしてみよう。文献として一番信用できるのが、本家の逗子開成中学のHPだろう。(ここ)に、この歌にまつわる詳細な物語が書かれている。それによると・・・

まずタイトルだが、このHPによると「真白き富士の根」が正しいらしい。
「1910(明治43)年1月23日午後、校則を破って「ドウショウ(海鴨)」撃ちに行こうと漕ぎ出した7人乗りの船には、逗子開成中学校の生徒11名と逗子小学校生徒1名(21歳~10歳)の12名が乗っていた。七里ヶ浜の行合川沖付近で突風に煽られてボートは転覆。午後1時半頃のことだった。
次の日、新聞で事件の顛末を知った、後の大正天皇である嘉仁東宮殿下も葉山御用邸から乗馬で逗子海岸に来られたという。
1月25日、七里ヶ浜行合橋沖約1kmのところで2体の遺体が発見されたが、一人が両腕に弟をしっかりと抱いていた。徳田勝治・武三の兄弟だった。そして1月27日までの4日間で12名全員の遺体が収容された
2月6日に校庭で開かれた追悼大法会には、浄土宗僧侶90人、各宗の僧侶50人、そして式場に500人、式場外で4,000人の人々が参列した。
その場で、兄妹校鎌倉女学校の最上級生が揃いの黒紋付き袴姿で、同校の数学の教100319mashiroki 師・三角錫子の弾くオルガンに合わせて歌ったのが「真白き富士の根 緑の江の島 仰ぎ見るも今はなみだ・・・」。
この、一般には「真白き富士の根」として知られている「七里ヶ浜の哀歌」は、アメリカの作曲家ジェレミー・インガルス Jeremiah Ingalls(1764~1828)が作曲した When We Arrive at Home という歌の旋律に三角錫子先生が歌詞をつけたもの。」(三角錫子は、その後、常磐松女学校(今のトキワ松学園)を創設)(以上出典:逗子開成中学のHP(ここ)より)

100319nyouhonji1 鎌倉は言うまでもなくお寺の町。北鎌倉から鎌倉まで歩いただけでも、数々の名刹がある。そして鎌倉駅の近くにあるのが「妙本寺」。実は、我が家はこのお寺には縁がある。我が家の原点なのである。詳しくは書か100319nyouhonji2 ないが、また行ってみたいものである。町並みは変わっても、お寺の境内は変わらない。だからお寺は“時間が止まっている所”なのだ・・・。

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2010年3月18日 (木)

日テレのドラマ「曲げられない女」が終わった・・・

日本テレビで10回に亘って放送されてきた菅野美穂のドラマ「曲げられない女」(ここ)が、昨日とうとう終わってしまった。(最近テレビドラマの事を良く書くが、それほど沢山見ているわけではない・・・)

このドラマはまさに菅野美穂を見るドラマ。でも脇役も結構達者で、現実離れした設定の割に楽しめた。主人公の早紀(菅野美穂)は、司法試験に合格した直後に不慮の死を遂げた父親の遺志を継いで、司法試験にチャレンジすること10回目。
曲がったことが嫌いな早紀は、世の中の出来事に対して色々と正そうとするが、バッジが無いと誰も相手にしてくれない・・・。でも司法試験の壁は厚い・・・。

そして10回目のH22年度の司法試験で、第二次試験筆記試験に何と17番で合格。合格通知に順位が載っているので、ヘエーと思って確認したら、あまり成績が悪い人に諦めさせるために(?)順位を通知する仕組みになっているらしい。そして最後の口述試験の当日、とうとう産気付いて・・・・・。
まあドラマを見ている方からすると、たぶん産気付いても受験できるな・・・、とタカをくくっていたが、その通り。産気付いたお腹に向かって「もう少し待って!これ以上邪魔をするなら、子どもなんて必要ありません!」と言ったとたん、産気が止まって・・・・(よしよし・・・)
そして最終合格発表の日・・・・。何と不合格!!

ドラマを見ている方からすると、何ともやりきれない。勝手なことを言うが、ドラマは“ハッピーエンド”でないと、見た甲斐が無い。ドラマの終了時間まであと数分・・・・。そしたら、最後の最後で10年後(?)の姿が映し出され、育った10歳の娘が差し出した金ピカのバッジが“天秤マーク”・・・。H23年度の口述試験に合格したらしい・・・。映った合格証書の日付が平成23年5月5日。まさにラストチャンスで引っ掛かったわけだ。ちなみに旧司法試験はH22年度が最後で、H23年度は前年度不合格者に対する口述試験のみ・・。
いやはや良かった、良かった・・・・。ギリギリでの合格。でもその合格の日は来年5月なんだけど・・・。まあいいか・・

しかしこのドラマは、旧司法試験の厳しさを良く映し出していた。国会議員も、「選挙で落ちれば“タダの人”」とは良く言われるが、司法試験も同じ。どんなに頑張っても、落ちれば単なる“世の中の落ちこぼれ”。しかし合格すればエリート・・・!?

しかしエリートだった法曹界も、新司法試験の開始から大分雰囲気が変わってきたらしい。現在、旧司法試験合格者は、自己紹介のときに「旧司法試験を合格・・・」と言うのだそうだ。彼らはそれなりに法曹界に受け入れられているようだが、新司法試験合格者は、法曹界で“それなり”に見られているようで、今回の日弁連会長選挙で、司法試験の合格者半減を訴えた宇都宮健児氏が当選したように、新司法試験合格者の就職は大変だという。

ともあれ、奇想天外なストーリー設定で、結論はどうなることかと思ったが、何とか落ち着いたようで何よりだった。
途中で見るのを止めたカミさんが、「菅野美穂が最後に合格するかどうかだけ教えて」というので、自分だけ最後まで見ていたが、「このまま合格したら面白くないな・・」なんて言いながらも、不合格になると“不機嫌になった”自分・・・・
何とも人間は勝手なものだ・・・。しかし、ラスト4分間の10年後の“ひねり”がなかなか良かったな・・・

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2010年3月17日 (水)

東京・大阪で民放ラジオのNet配信がスタ-ト

3月15日より、“radiko.jp”(ここ)というサイトが立ち上がり、民放の地上波ラジオ放送をインターネットで配信するサービスがスタートした。
このサ-ビスは、特に都会での雑音の増大による難視聴地域の増大と、若年層のラジオ離れの対策が背景らしい。

昼休み、それを知って早速叩いてみる。しかし音が出ない。Flash Playerの不調かと思い、何度もダウンロードをしてしまった。しかし、しばらく放っておくと音が鳴り出すので、サーバーへの集中アクセスのための応答の問題と思う。
しかし、出てきた音は感動もの・・・・。FM放送はいつも聞いているので同じだが、AM放送がステレオの無雑音で聞けるというのは画期的なことだ。前にMUSIC BIRDというデジタルラジオを聞いたときの感動を思い出した。例えれば、ゴーストだらけのアナログテレビの画面とデジタルハイビジョンの画面との違いのようか?

サイトの案内を読むと、これは3月15日から8月末までの試験放送で、9月以降の実用化を目指しているという。そして放送は、東京地区が東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県を対象に、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、ラジオNIKKEI、InterFM、TOKYO FM、J-WAVEの7局。大阪地区が大阪府、京都府、兵庫県、奈良県を対象に、朝日放送、毎日放送、ラジオ大阪、FM COCOLO、FM802、FM OSAKAの6局。これ以外の地域は、IPアドレスの制限によりアクセス不可だという。放送内容はホンモノと同時放送。(でも20秒ほど遅れるらしい~ここ

しかし肝心のNHKが入っていないのが残念。「IPサイマルラジオ協議会に経緯と狙いを聞く」(ここ)という記事によると、
「編集部:今回の配信局の中に、NHKが入っていないのには、何か理由があるのですか?
宮澤:特に理由は無いのですが、エリアの調整や権利者さんの問題などが、民放とNHKでは少し違うというのはあります。ただ、NHKさんとはやらないという事ではまったく無くて、これから具体的なお話をさせていただく予定になっています。」

とあるので、今後の推移を期待しても良さそうだ。

自分のように、“とにかく良い音で・・・”という期待とは別に、パソコン作業をしながら聞く、という使い方では、パソコンと親和性は良いという。
でも考えてみると、ラジオは、スポンサーを含めて多くの人に聞いて欲しい。でも我々は、いちいちAMラジオを買って雑音だらけの放送を聞く気はしない。でもパソコンから良い音で出て来るのであれば、幾らでも聞きたい・・・。その証拠に、スタートの3月15日は、相当につながりにくかったという。

夜、家からのアクセスでは、音は直ぐに出たが、やはり放送が時々音が止まる。多分まだ試験放送中のため、アクセスの集中で直ぐには音が出なかったり、音が飛ぶのは仕方が無いのかも知れない。まあ自分のように、特に音楽を録ろうとすると、これでは使い物にならないが・・・・。
でもAM放送といえども、局のオリジナルの音源はこれだけ高音質だという事を知って感動・・・。でも、どんなに高級なラジオを使っても、AM波経由では到底こんな再生音は出ない。その意味では、“本当は大変な実力の持ち主”の中波民放が、今度初めてベールを脱いでその実力を世の中に披露した格好か・・・?

よってこれから本番に向けて、NHKも参加して、アクセスがスムーズになることをぜひ期待したいもの。まあサービスエリアについては、電波の届く範囲、という限定は付いて回るのだろうが、最低限9月の本番でのNHKの参加を・・。(NHKが聞けないと、たぶん自分の場合は(好みが合わないので)二度とアクセスしないだろう・・・)

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2010年3月16日 (火)

ガンで亡くなる人の方が幸せ?

雑誌「大法輪」の連載「医は仏道」の今月号(2010年4月号)のテーマは「高齢者のガンの死」。曰く・・・

高齢者のガンの死
     浜松医科大学名誉教授 高田明和(75)
・・・以前、ガンについては今完全に治っても、平均寿命は2年半延びるだけということを述べました(ここ)。80歳以上の場合には、ガンが治っても平均1年くらい寿命が延びるだけです。・・・・
・・・最近、高齢者が認知症になったり、脳梗塞になったりして自分で言葉もうまく話せず、身の周りのことも自分でできないという人が多くなったということが、テレビなどで報道されています。そのような人にインタビューすると、「私は長く生きすぎた。しかし、自分ではどうにもならない」と嘆いたりしています。・・・
ガンが高齢者の病気であるということは、ガンでない他の病気で苦しむ人も高齢だということです。するとそれを介護したり、世話をする子供、妻、夫も高齢になっているのです。ですから、時に介護に疲れ、無理心中をしたりすることが報道されます。
私の友人は、「高齢者の場合、ガンになることは決して悪いことではない。むしろ、死の時期を知ることができ、身の周りの整理もでき、しかも、それ以上多くの人に迷惑をかけないですむことを考えれば、むしろガンで亡くなった人の方が幸せだ」などと言っていました。
私は最初、この話を聞いた時に、「なんという不遜で、高齢者に失礼な話か」と怒りました。しかし、自分が年をとり、友人たちが車いすで生活したり、脳梗塞で口もきけなくなっていて、息子も仕事を辞めて介護しているというような姿を見ると、あまりに周囲の人の生活を犠牲にしているかも知れないと思うようになっているというのも、正直なところです。・・・・
不幸にもガンになられた家族をもったり、自分自身がガンに苦しむような場合、「自分はガンになってしまった。そのうちに死ななくてはならない。それに比べ、周囲の同世代の人たちはなんと楽しそうに生きていることか。自分にはもっとやることもある、また残された家族のことも心配だ。愛する子ども、孫のことを考えるといても立ってもいられない・・・・」というように思うのは、当然のことです。
・・・本人の苦しみは分かりますが、ガンは高齢者の病気なので、高齢者がいかにガンのことを考えるかということが重要です。
私もその年齢になっています。ガンになるのは嫌です。しかし、ガンでなくても死ぬ確率が高いこと、ガンでなければ、周囲の人に迷惑をかける病気になる率が非常に高くなるということを考えると、いたずらに自分の不幸を嘆くのは、間違いかも知れないのです。
他人の不幸を予測するわけではないのですが、周囲のガンでない人も、そんなに長くは生きられないのです。気がつかずに心筋梗塞などで突然死ぬことがあるというのが、統計の教えるところです。このような人は、残された家族のこととか仕事のことなど考える余裕もなく命を落とすのです。
このように考えると、むしろ死後のことをよく考えて、人生の整理ができることはよいことだったのではないかと考えることもできるのです。
私たちは、かならず死にます。しかし、いつ死ぬかが分からないからのんきにしています。ガンになると、死の宣告を受けたように思うから苦しいのです。しかし、知っても知らなくても、私たちは死の宣告を受けているのです。・・・・
死は誰にでも平等に訪れます。これをいかにうまく迎えるかということは人生の総決算としてもっとも重要なことのように思われるのです。」(「大法輪」(2010年4月号p210より)

何事も視点を変えると、同じ事実でも姿が変わってくる・・、とは良く言う。ガンの宣告も、考えようによっては「良かった」ということになるのか・・・?
そう、この論は「人間の死亡率は100%」という事実を前提にしている。でも、誰も“自分だけは死なない”と思って生活をしていることも事実。だから、死の病は怖い・・・。「死」という言葉自体が怖い・・・。でも生きとし生けるもの、何かで死ぬ事は確か。要はいつ、何で死ぬかだ・・・。老衰なんて贅沢・・。自分の理想は脳溢血で一発・・・、なのだが、これもそう上手く行くとは限らない。ちょっと間違えると、それが周囲の人に多大な迷惑を掛けるもとにもなってしまう・・・。だから高齢者が倒れた時は、直ぐには救急車を呼ばないことがコツだとか、誰かが言っていた・・・。先日亡くなった朝日さんだったかな・・・?まあそれも真実かもね・・・

でもこの論に書いてある「死後のことをよく考えて、人生の整理ができる・・」という話は、気が弱い自分にはとうてい当てはまらない気がする。だから一発で・・・と、つい“期待”してしまう。
前にも書いたが、ウチの親父は80歳で、麻雀をやりながら、脳出血で死んだ。一発で・・・。倒れて直ぐに人工呼吸になって次の日に亡くなった。突然の親父の死後、兄貴が遺品を整理したが、自分の心の内を吐露したようなものは一切無く、整理が行き届いていたらしい。
そうなのだ、何もガンを宣告されてから身辺整理をしなくても、ある年齢になったら、いつ死が訪れても良いように、準備はしておかないといけないのだろう。
だから自分の場合は親父同様に一発で・・・と願うものの、上の話では無いが、「・・・しかし、自分ではどうにもならない」のが現実。
何度も書くが、当家の家訓「臭いものには蓋」で、もう少し知らん顔をしていよ~っと・・

(関連記事)
「ガンが無くなったら何歳まで生きる?」

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2010年3月15日 (月)

フジテレビのドラマ「不毛地帯」が終わった

先日、昨年10月から19回に亘って放送されていたフジテレビのテレビドラマ「不毛地帯」(これ)が終わった。山崎豊子原作だけに、実に重厚なドラマで見応えがあった。しかし視聴率は12%程度だったとの事。先に放送された「JIN-仁-」(これ)が19%、来週最終回を迎える「曲げられない女」が14%だというので、少し低くて残念。(自分が見ている番組の中での比較だが・・・)

役者も一流ぞろい。思い付いたことをメモしていくと、自分の一押しは、近畿商事社長の大門一三を演じた原田芳雄(70)。これは渋い。精悍なる青年社長から、時代に取り残されていく老社長まで、その風貌、風格はピッタリ。三国連太郎(87)もすごい存在感だが、原田芳雄の存在感も同様だと感じる。そして、里井副社長を演じる岸部一徳(63)も嫌われ役だが、その存在感は堂々たるもの。
毎朝新聞の記者・田原秀雄を演じる阿部サダヲも、最初はいやらしさを感じたが、段々と正義を報ずる姿勢が感じられ、好ましく感じてきた。最後、主人公の壱岐正から(社長追い落としのための)情報を貰って礼をするシーンは、今までのいやらしさ、不信感が払拭された感じがして良かった。
そして、ライバルの東京商事の鮫島辰三を演じた遠藤憲一は、最後まで競争相手としてのいやらしさを遺憾無く発揮、悪役を演じきった。それとは逆に、シベリア帰りの上司・谷川正治を演じた橋爪功は、善良そのものの人間味が出ていて暖かく、厳しいドラマの中で、唯一ホッとするシーンを与えてくれた。
そして主人公・壹岐正を演じた唐沢寿明は、自分には何か感じるものが少なかった。もちろん好演したには違いないが、“魅力ある人間像”を演じたかというと、どうも自分には訴えるものが少なく、その世界に入り込めなかった。
そして主人公の恋人役、秋津千里を演じた小雪も、どうも自分とは相性が悪かった。緊張したドラマの進行だけに、少し恋愛ものを入れて“一服すること”も必要だったのだろうが、自分に取ってみると、かえってその場面で気が削がれ、残念。よって千里とのシーンは、ドラマの進行に影響を与えない単なる“一服”と判断して、最近見るときは、その恋愛部分は全てスキップして見なかった。それでも充分に楽しめた。

前に「“もう一度見たい20世紀の名作ドラマ”ベスト10」(ここ)という記事を書いた。その時、「心に残るドラマはどれもフジテレビ系とは、いったいどうしたことか。」と書いたが、この「不毛地帯」でもそれは正しかった、・・・かな?充実したドラマはやはりフジテレビ・・・とすると、“フジテレビで始まる次のドラマ”でも探そうか・・・

(関連記事)
「もう一度見たい20世紀の名作ドラマ」ベスト10~「北の国から」のテーマ

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2010年3月14日 (日)

BSアンテナの交換

先日の雪の夜(3月9日)、BS放送が映らなくなった・・・。今まで、幾ら雪が降っても、映らない事は無かった。唯一映らなくなったのは、豪雨の時だけだった。それが今回は、いともP10607291_2 簡単に映らなくなった。そんな豪雪でもなく、積雪も5センチ位の雪だったのに・・・。もちろんパラボラに雪が積もったのが原因なので、ベランダのパラボラの雪を取り除くと映るようになる。ブースターへの着雪も大いに関係があるので拭う。
しかし・・・、だ。こんなことでダウンしてもらっては困るのである。・・・でもフト思う。これも、ウチの機械がいつも発する“断末魔の悲鳴”かも・・?(大きな声では言えないが、ウチの機械たちは、自分との信頼関係が抜群のため、壊れる時にはあらかじめアラームを出してくれるのである。このBSアンテナも突然壊れては、買い替えに数日はかかり、その間困るので・・・)(写真はクリックで拡大)

考えてみると、このアンテナを買ったのは、1989年8月12日とメモにある。NHKが放送衛星「ゆり2号a」を用いてBSの本放送を開始したのが1989年6月1日なので、放送開始2ヵ月後から自分は受信していた事になる。それ以来、約22年間、よくもまあ元気で動いてくれたもの・・・。
パラボラ表面の塗装もボロボロと剥げてきており、そろそろ交換の時期かな・・、と気になっていた所だったので、これを機にBSアンテナを交換することにした。

例によって価格comでみると、何と今は5千円程度で買える。22年前は3.5万円だった。当然性能も格段に上がっていると思う。自分は、機種は迷わない。今売れているものを買うだけ・・・。すると東芝の「BS・110度CSデジタルハイビジョンアンテナ 取付け金具キット付き BCA-453K」というのが一番売れているらしく、送料込みで5,350円だという。本体だけだと4,570円。その差がたったの780円。それで取付け金具や15mの同軸ケーブルが付いている。単なる交換なので、本当は本体だけで良いのだが、同軸も今後使うこともあろうかと“取付け金具キット付き”を買うことにして、一番安かったAmazonに注文。

トヨタの米国でのリコール問題を例に挙げるまでもなく、機械の故障は困ったものではあるが、故障が無くなる事は原理的に有り得ない。問題は、機械の故障率が要求されている水準に達しているかどうか・・・。車や飛行機などの乗り物の場合、人の命に関わるので、要求水準は厳しい。一方、家電製品でも、昔発生した暖房機による一酸化炭素中毒のように、命に関わる故障もある。また故障すると、交換作業が大変で、いわゆる設計・製造責任に関わるリコール問題を起こすと、会社を潰すことにもなりかねない製品もある。特に値段が安いアンテナのような製品は怖い・・・。
色々な機械の中でも、UHFアンテナのブースター(弱電界の地域で、屋根のUHFアンテナの近くに設置される増幅器)や、BSアンテナのコンバータ(パラボラの前に突き出した受信部)は、炎天下の設置が当たり前。周囲温度は単なる気温ではなくて、屋根の照り返しなどを含めると、相当な温度になる。しかし、屋根の上の機械は壊れないのが当たり前で、20年位は普通に使う。だから一旦不良品を出すと、車と違って値段が安いだけに対応が大変だろうと想像する。
同様に自動車のカーステレオやカーナビの温度仕様も大変だろうと思う。炎天下の運転席の温度は60℃以上にもなり、バカにならない。(カーナビなどの使用温度範囲は-5℃~+50℃、保存温度範囲は-20℃~+80℃位らしい・・・・)でもアンテナのように、車は20年も乗らないのでマシか・・・・

さて、今日も上天気なので取り替えようと思って、アンテナレベルを見ると、REGZAのレベル計で54。最大が56なので優秀。お払い箱の予感がしたせいか、ベテランアンテナくんが「まだまだ大丈夫」「変える必要などない」、と主張しているような・・・。さてさて困った。でも先日は、少しの雪でダウンしたではないか・・と、意を決して(?)取り替えることに・・・。
P10607401_2 20年ぶりに下ろしたアンテナは大きく、重かった。それに、やはり錆だらけ。新品は性能が上がっている分、パラボラが小型になっており軽い。
でもレベル的には最大値の56で、そう変わらない。でもこれからは、雪の寒さの時などで、差が出てくるかもね・・・
ともあれ、我が家のBSアンテナさん、“20年間お疲れサマ・・・”というお話でした。(相変わらず、当blogは自分用の備忘録なので・・・・)

(付録)
今日、散歩の時に行った近くのお寺のミモザ。真ん中の写真は、題して「ミモザとメイ子」。ミモザって、確か伊藤久男の歌にあったな・・・と思って調べたら、「ブラジルの太鼓」(ここ)の歌詞に出てきていた。あんまり関係ないけど・・・

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2010年3月13日 (土)

ブルー・コメッツのコンサートに行った~「青い瞳」

今晩(2010年3月13日)、昭島市民会館で行われた「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」VS「加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズ」のコンサートに行ってきた。その余韻で、まだ耳がジンジンする・・・。

前半の1時間がワイルドワンズ、後半の1時間弱がブルーメッツ。なぜ2組なのか、良く分かった。ワイルドワンズの平均年齢が66歳、ブルコメは71歳だという。体力的に2時間のコンサートは無理なのだ。
Image03931 1曲目を聞いて、先ずその音量にビックリ。大きいというより痛い。今日の席は9列目と、全31列ある会場の前の方で、ステージの左右に5つずつあるスピーカーの、左手のスピーカーが目の前。今までロックでは、ベンチャーズやロジャー・ウォーターズのコンサートなども聴いたが、その音量に圧倒はされたものの、耐えられない事は無かった。でも今日は耐えられず、後半は耳の穴に指を入れて音量を調整した位。スピーカーに近過ぎたのが原因だが、音質の関係もあるかも?それとも自分の耳の耐力の問題か? スピーカーからまるで「オト」という目に見えない弾が飛んで来る感じで、いやはや参った・・・

演奏者もそれなりの年齢なので、聴く方も自分と同じ初老の人ばかり。それにしても、おばさんのエネルギーは凄まじい。隣の席のおばさん二人は、ワイルドワンズのトークの間中、「そうなのよね~」と、頷いては二人で普通の声でおしゃべりをしている。コンサートの最中なのに・・・。そして前の席の赤シャツのおばさんは、両手を挙げて身振り手振りをしながら踊っている。席から飛び出しそうになりながら・・・。もちろん最前席ではブルーや赤の電灯が左右に振られ・・・
どうも、年齢的には不都合無いが、自分には何か違和感が・・・・

ブルー・コメッツのトークの中心は三原綱木。トシを押しての演奏なので、年寄りのジャッキー吉川や、高橋健二を労わりながら(?)・・・、明日は倒れるかも知れないと言いながら・・・。でも自然体で良かった。
井上忠夫が亡くなって10年、ブルコメの再結成から8年経ったという。井上忠夫の葬儀のときに再結成の話が出たのだという。
三原が疲れて、マイクを小田に渡すと、小田啓義も結構流暢に話す。「すみれ色の涙」(これ)では、昭和57年に岩崎宏美が歌ってくれたので印税がガポガポ。それで世田谷に家が建ったという。でも良い事ばかりではなく、離婚することになって全部持って行かれた、と言っていた。

歌った曲は、「ブルー・シャトウ」「北国の二人」「さよならのあとで」「こころの虹」「すみれ色の涙」「青い瞳」「青い渚」などなど。
ワイルドワンズは「想い出の渚」ただ一曲で44年食ってきたと言っていたが、ブルコメはオリジナル曲が抱負。やはりスーツ姿で、昔のイメージ通りだった。
今日も、“デビュー曲”と言って歌っていたが、最後に1966年7月発売の「青い瞳」を聴いてみよう。この当時はモノ録音である。

<ブルー・コメッツの「青い瞳」>

「青い瞳」
  作詞:橋本 淳
  作曲:井上忠夫

旅路の果ての 孤独な街で
俺は悲しき 恋を知ったのさ
やせた女の 青い瞳には
俺の心が せつなく燃えたのさ

俺は心にちかう
愛の言葉 吹きすさぶ北国の
胸を打つ 恋の一夜
かわす言葉も 俺達にはない
青い瞳が別れを告げるだけ

三原綱木が「今ここにあるのも井上忠夫が色々な曲を作ってくれたおかげ」と言っていたが、それはその通り。今日は井上忠夫が歌っていた所を三原綱木が歌っていたが、井上忠夫が生きていて、このステージに居たら・・なんて、無理なことを想像しながら、“耳を半分塞ぎながら”聞いた2時間であった。

最後に、井上忠夫が1977年に一人で再録した「青い瞳」を聴いてみよう。

<井上忠夫の「青い瞳」>

(関連記事)
ブルー・コメッツの「雨の赤坂」~コンサートのチケットを買った・・

(付録)
「神さま・仏さまを信じますか?」と聞かれたら、自分は「ハイ」と答える。なぜか?今日も救ってもらったので・・・。
今日のコンサートは、5時半開場、6時半開演だったので、少し早く5時40分に家を出た。いつもなら車で20分位で着く。少し早く着いて、駐車場で居眠りでもするかと思って・・・。そしたら夕方だったので多摩大橋が混んでいる・・。でもまあまあその後はスイスイ行って、ちょうど6時に昭島市民会館の駐車場に着いた。・・とズラッと並んだ車の間に、一つポッカリと空いている・・・。シメタと思ってそこに車を停めたのだが、妙に辺りが静かだ・・・。おかしいな・・・、と思って、ふとチケットを見たら「開演6時」とある!腕時計を見ると6時・・・。しまった!小走りに開館に入ると「そろそろ開演です」と言う。まだ始まっていなかったか・・・。会場のドアを開けると開演を知らせるブザーの音。席に着くや演奏が始まった!
いやはや開演時間を間違えた・・。とふと胸のポケットを探ると、名刺入れが無い。しまった免許と財布を置いてきた・・・。こんなこと初めて・・。
しかし、原因不明だが6時半開演と思いこんでいた自分に、50分前に出発することを促し、まあまあ道路も空いていて、駐車場所も確保出来て、ちゃんと遅刻せずに導いてくれたのだから、これを神さまのお陰と言わずに何としよう。しかも免許不携帯も含めて途中で気が付かせなかったのも軽妙。もし途中で開演時間の間違いに気が付いたら、焦って事故を起こし、免許不携帯とダブルだった。神さま、仏さま、今日の遅刻をカバーしてくれてスミマセン・・・

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2010年3月12日 (金)

会社のパソコンのOS~93.4%がWindows XP

先日、居間のパソコンを買い換えたが、OSは迷うことなくWindows XPを選んだ(ここ)。
「日経コミュニケーション」の2010年3月1日号に「アンケートで見えた ユーザーの本音」という記事があり、「Windows7に移行しますか?」というアンケート記事が載っていた。結果、案の定、現行機種はWindows XPが圧倒的であり、企業の本音は「移行したくない」だった。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

Windows7に移行しますか?
2009年10月22日に一般出荷が始まった米マイクロソフトの次世代OS「Windows7」。ユーザー企業はこのOSへの移行についてどのように考えているのだろうか。今回は、読者モニターに対して、導入意向を聞いてみた。まず、現在企業内で主に使用しているOSを答えてもらったところ、Windows XPが93.4%と圧倒的に多かった。Windows Vistaは2.3%であり、XPからの移行がほとんど進まなかった実体が改めて浮き彫りになった。
・・・・
100312osxp 現在、Windows7を導入していない理由を複数回答で尋ねたところ、「事前に各種の検証が必要だから」という答えが81.9%と圧倒的に多かった。Windows XPを前提に導入されたソフトウェアやサービスの互換性を見極めるのに時間がかかるようだ。
次に多かったのが、「現在のOSの機能でも不満がないから」という回答で、56.3%の企業が選んだ。実際、自由記述欄でも「Windows XPのままで業務に支障はないので、サポートの問題さえなければ移行したくない」というコメントが多く寄せられた。移行は着実に進むものの、多くの企業が本音では自社にWindows7は不要と考えているようだ。」(日経コミュニケーション2010/3/1号p29より)

まったく予想していた通りだ。WindowsのOSの移行は、まさにメーカーの都合。商売上の都合。それに対して、特に企業ユーザーはそれを全く期待していない。なぜか・・? Windows XPが“完成品”だから・・・・。それはWindows7に Windows XP を仮想的に実行できる XPモードが実装されていることからも分かる。

Windowsの歴史を辿ってみると、Windows 3.0が発売されたのは1990年、Windows 95が1995年秋、Windows 98が1998年、Windows XPが2001年、Windows Vistaが2007年1月、そしてWindows7が2009年10月。
振り返ると、Windows 98までは、“フリーズした”という言葉が頻繁に使われ、事務所でもあっちこっちで“固まった!!”という悲鳴が聞こえたもの。それがNT系のWindows XPの登場で、それがまったく聞かれなくなった。これは画期的なことだった。だからユーザーにしてみると、それ以上の要求は無いのである。
しかしパソコン関係のメーカーはそれでは困る。パソコンの買い替えや、ソフトの買い替えには、今までのものを棄ててくれないと困る・・・。それにはOSのバージョンアップしかない。でも、家庭用ならソフトの買い替えも高(たか)が知れているが、企業では違う。自社専用ソフトの開発に数億円・・・など当たり前の世界だ。現在の不自由が無い安定しているシステムを、なぜ変えなければいけない? これは誰もが思う、疑問である。
それにWindows Vistaの寿命も問題。仕方が無くXPからVistaにシステムを変えた企業は、たった3年で今度は“最新はWindows7だ”と言われている・・・。

競争原理の世の中なのに、Windows XPを入手できないようにして(家庭用ではXP搭載の製品が皆無)、OSの更新を強制するやり方はどうなのだろう?(幸い法人用では、DELLがXPを未だに売っているのが救いだが・・・)
サポートがある期間で終わるのは仕方がないとしても(本当はユーザーが使っている限り、サポートを期待したいが・・・)、OSの入手(XP搭載のパソコンの販売)だけは可能にしておくべきではないか。そしてウィルスや搭載している機能等で、新しいOSの方がより魅力があれば、幾らXPをラインアップに加えていても、市場はXPを棄てて新しいOSに切り替えるだろう。それは市場に任せるべきでは?
このアンケート記事を見て、ユーザーが“要る”と言っているものをメーカーが拒絶し、新しいシステムを強制する現在のやり方に、幾らマイクロソフトの独占市場とはいえ、何か割り切れないものを感じる。

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2010年3月11日 (木)

昭和37年の出来事(15歳)~倍賞千恵子の「下町の太陽」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの16回目。自分が14歳から15歳、つまり中学2年生から3年生になった昭和37年(1962年)の出来事を調べてみる。

この年は、5月12日、堀江謙一(23)さんのヨットでの太平洋横断という快挙があった反面、5月3日の常磐線三河島駅での列車脱線衝突で160名が死亡。そして歴史上一番世界核戦争=人類滅亡に近付いたとされるキューバ危機(10月22日~28日)があった年。
それと、8月30日に戦後初の国産飛行機YS-11が試験飛行に成功。この時は、自分もテレビ中継を見ていた。今でも覚えている・・・。
相撲では大鵬の時代が始まり、“土俵の鬼”と呼ばれた横綱若乃花が引退。
この年の映画では、吉永小百合の「キューポラのある街」、三船敏郎の「椿三十郎」、勝新太郎の「座頭市物語」など。外国映画では「世界残酷物語」「史上最大の作戦」「アラビアのロレンス」などなど・・・。
この年に流行った歌謡曲は、橋幸夫の「江梨子」、ダーク・ダックスの「山男の歌」、橋幸100311shitamachi 夫と吉永小百合の「寒い朝」、植木等の「ハイそれまでヨ」、倍賞千恵子の「下町の太陽」などなど、この年も名曲が多い。
今日はその中で昭和37年11月発売の倍賞千恵子の「下町の太陽」を聞いてみよう。自分は、当時は「江梨子」や「ハイそれまでヨ」は良く耳にしたが、この歌を知ったのは後年だった。

<倍賞千恵子の「下町の太陽」~オリジナル盤>

<倍賞千恵子の「下町の太陽」~ステレオ再録盤>

「下町の太陽」
  作詞:横井弘
  作曲:江口浩司

下町の空に かがやく太陽は
よろこびと 悲しみ写す ガラス窓
心のいたむ その朝は
足音しみる 橋の上
ああ太陽に 呼びかける

下町の恋を 育てた太陽は
縁日に 二人で分けた 丸いあめ
口さえ聞けず 別れては
祭りの午後の なつかしく
ああ太陽に 涙ぐむ

下町の屋根を 温(ぬく)める太陽は
貧しくも 笑顔を消さぬ 母の顔
悩みを夢を うちあけて
路地にも幸の 来るように
ああ太陽と 今日もまた

誰でも人生で一番輝いている時代というのはあるもの。自分にとって、この昭和37年という年が、我が60数年の人生で、一番輝いていたように思う。
前に「人生における“勝ち”と“負け”」(ここ)という記事を書いたのを思い出した。高校・大学受験の学業では負けた兄貴だが、中学の通信簿だけは勝った。そんな記録を作った良き中学時代だった。
(大きな声では言えないが、高校と大学の成績表は全て焼却した。でも中学のそれは大事に取ってある。自分に都合の悪い証拠品は抹殺するのさ・・・)
そう、確かに勉強はした。でもそれ以外の思い出は・・・?
ちょうど兄貴が受験勉強真っ盛りだったこともあり、この頃から、自分も受験一辺倒の生活が始まった。

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2010年3月10日 (水)

『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』

雑誌「大法輪」の今月号(2010年4月号)に、こんな詩が載っていた。

   「やっちゃんとお母さんの詩」

    ごめんなさいねおかあさん
   ごめんなさいねおかあさん
   ぼくが生まれてごめんなさい
   ぼくを背負うかあさんの
   細いうなじにぼくはいう
   ぼくさえ生まれなかったら
   かあさんのしらがもなかったろうね
   大きくなったこのぼくを背負って歩く悲しさも
   「肩わな子だね」とふりかえる
   つめたい視線に泣くことも
   ぼくさえ生まれなかったら

    私の息子よゆるしてね
   私の息子よゆるしてね
   このかあさんをゆるしておくれ
   お前が脳性マヒと知ったとき
   ああごめんなさいと泣きました
   いっぱい
   いっぱいなきました
   いつまでたっても歩けない
   お前を背負って歩くとき
   肩にくいこむ重さより
   「歩きたかろうね」と母心
   「重くはない」
   と聞いている
   あなたの心がせつなくて
   私の息子よありがとう
   ありがとう息子よ
   あなたのすがたを見守ってお母さんは生きていく
   悲しいまでのがんばりと人をいたわるほほえみの
   その笑顔で生きている
   脳性マヒのわが息子
   そこにあなたがいるかぎり

    ありがとうおかあさん
   ありがとうおかあさん
   おかあさんがいるかぎり
   ぼくは生きていくのです
   脳性マヒを生きていく
   やさしさこそが大切で
   悲しさこそが美しい
   そんな人の生き方を教えてくれたおかあさん
   おかあさん
   あなたがそこにいるかぎり

   (『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』向野幾世、産経新聞ニュースサービスより)
   (「大法輪」2010年4月号p25より)

コメントは・・・・・・・・、ない。

(でも気を取り直して・・・・)
100310umaretegomen Netで調べてみると、この詩は、向野幾世著「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」という本に載っているものらしい。2002年復刻された書評(ここ)に「24年前にサンケイ出版で発刊されていた同書の復刊」とあるので、1978年に出版されたものらしい。
この詩の背景について、同書評は下記のように書いている。
「これは養護学校で言葉も十分に話せず手足も不自由な子供たちに言語教育をしていた向野先生が、脳性マヒの「やっちゃん」と一緒に作った詩でした。向野先生があげる言葉に対し、表現したいことと一致すれば、目をぎゅっとつぶってイエスのサイン、間違っていれば舌を出してノーのサインを送るという方法で、詩作はすすめられたといいます。」
「生まれたときから重度の障害を持ったやっちゃんが、一生懸命、明るく生きた15年間。そして、その死後、この詩が世間に与えた感動の輪などを余すことなく 描いた愛と感動のノンフィクション。時を経ての復刊です。」
「お母さんへのすべての感謝を一篇の詩に凝縮させて二カ月後、生まれながらにして重度の脳性マヒだった奈良県の少年やっちゃんは天国に旅立った。やっちゃんを見守ったすべての人の愛と涙に溢れた珠玉の一冊。」(
ここより引用)

現在も文庫本として出版されているという。(これ
自分は・・・・? 読まない・・・・。

●メモ:カウント~85万

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2010年3月 9日 (火)

「ヤマハ音楽教室」の思い出

いやはや大雪だ。BSアンテナにも雪が積もって、アンテナレベルが下がってしまった。明日の朝が思いやられるな・・・。そんな話とは関係ない話・・・。

先日の日経新聞に「ヤマハ音楽教室 生徒、大人が22%に急伸」との囲み記事があった。それによると、ヤマハ音楽教室の生徒数は約50万人、そのうち大人は約10万人・・・。
曰く・・・

ヤマハ音楽教室 生徒、大人が22%に急伸
ヤマハの音楽教室に異変が起きている。生徒数を大人と子どもに分けると、1994年度末からの15年で子どもが26%減ったのに対し大人は2.5倍に膨らんだ。全体に占める大人の比率は2009年度末で22%の見通し。15年前の8%から急伸する。団塊世代が定年を迎え、時間とお金に余裕ができたのを機に楽器を手にする人も増えている。・・・」
(2010/3/7付け日経新聞p7より)

こんな記事を読んで、フト懐かしくなった。というのは、自分もかつてヤマハの音楽教室に通ったことがあったので・・・。会社に入って2年目の春、昭和46年の6月、一緒の寮の同期生から、「エレクトーンを習いに行かないか」と誘われた。結局、4人で立川駅前のエレクトーン教室に通った。もちろんヤマハの目的はエレクトーンを買わせるため。でも皆寮住まいで買える筈もなく・・・。
先生は若い美人さん。もちろん年上だが、子どもっぽい人で、「指使いはこうする・・・」と、指に触れる。我々は紅顔の23歳・・。皆んな胸がドキドキ・・・・
言いだしっぺの友人は、“その手の事”に感度が高く、「左手薬指に指輪があったぞ」とか「教室が終わったあと、外で先生を男性が待っていた・・」とか言う。自分は“奥手”なもので、左薬指の意味も分からず、「ヘエー・・。それが??」と言うだけ。
Image04281 昔のエレクトーンのテキストを本箱から探したら、1年少し通ったらしく、昭和47年8月まで、月謝のカードに印があった。「これ以上は自分でエレクトーンを買って、家で練習しないとダメ」というところまで来て、結局止めてしまった。左の写真は、その時の教則本に載っていたエレクトーンの写真だが、懐かしい。当時の音楽教室のパンフを見ると、東京では7教室。銀座、有楽町、渋谷、池袋、吉祥寺、立川、千住。それに千葉、横浜、戸塚、水戸、高崎が載っている。関東で12教室しかなかったらしい。今では各駅ごとにあるらしいが、まさに出だしの頃だったのだろう。(写真はクリックで拡大)

その後、もう10数年前になるだろうか、家電量販店でCASIOのシンセサイザー・キーボードを安く売っているのを見つけ、買ってみた。ピアノの音を出して、昔1曲だけ我流で練習した「月光」を弾くのが目的だった。・・・が、ピアノよりも鍵盤が少なく、弾けないため、直ぐに止めてしまった。その後は、ロフトに置きっぱなし・・・・。もう、電源を入れても音が出ないだろう・・・・。これほどの無駄遣いはないな・・・。

団塊の世代の大量リタイア時代を迎え、昔の趣味に戻る人が多いらしい。
自分も“サンデー毎日”を間近に控え(?)、何となくこんな記事が気になるこの頃である。

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2010年3月 8日 (月)

恐竜がもし絶滅しなかったら・・・

先日の新聞各紙に「恐竜絶滅 やはり巨大隕石が原因」という記事が載っていた。この話は、昔から良く言われていた説だが、それが今回の議論で決着したという。
この話題にまつわる記事を探していたら、日経新聞の「春秋」に面白い記事があった。曰く・・・

春秋
 杞(き)の国の人が天の落下を心配した中国の故事から、取り越し苦労を杞憂(きゆう)という。人間同様、かつて地上の王者だった恐竜も空から破壊者が降ってくるとは想定外だったろう。科学者の国際チームが、恐竜絶滅の原因は隕石の衝突だと結論づける論文を発表した。
衝突した時期は6550万年前、場所は今のメキシコにあるユカタン半島。直径が約10キロメートルというから、都心を走る山手線に匹敵する大きさだ。生じた粉じんが空を覆い多くの動植物が死に、食料の減少で恐竜も絶滅に追い込まれた。地道な地層調査の積み重ねから導かれた結論だという。
もし隕石の軌道がほんの少しずれ、地球にぶつからなかったらどうなったか。恐竜の天下が今も続いたのでは、との予想も多いそうだ。そうなれば哺乳類は陰でひっそり生きるしかなかったろうという(真淳平著「人類が生まれるための12の偶然」岩波書店)。数々の偶然や犠牲の上に人間社会が生まれたわけだ。
隕石は再び来ると、研究チームの一員でもある松井孝典・千葉工大惑星探査研究センター所長は著書で語る。ただし先の規模のものは数千万年に1回。それより食料不足や温暖化などで近代文明が崩壊する方が早く、猶予は「あと100年」とみる。人が自ら種をまいた災厄に無策のまま臨むのでは、やや情けない。 」
(日経新聞2010/3/7付「春秋」より)

恐竜が絶滅したのが、6550万年前。一方、人類誕生は、Wikiによると「ヒト属(ホモ属)はおよそ200万年前にアフリカでアウストラロピテクス属から別属として分化し、ホモ・サピエンスは40万から25万年前に現れた。」とあるので、ごくごく最近。
ここで「もしこの隕石の衝突が無かったら・・・」と想像すると“楽しい”。
恐竜が出現したのが2億5000万年ほど前というから、2億年もの間、巨大化し、栄華を誇っていたらしい。隕石の衝突がなかったら、そしてそれによる恐竜の絶滅が無かったら、我々人類はどのような生活をしているのだろう?この仮定は、決して絵空事ではなく、数千万年に1回という隕石の衝突が無かったら・・という、実に“現実的な仮定”なのである。

恐竜もその後の6500万年間で“成長して”頭が良くなっている(?)だろうし、そう簡単には人類に“知恵で”負けていなかったかも知れない。“映画「ジュラシック・パーク」でのシミュレーション”によると、意外と恐竜もすばしっこく、人間はタジタジだった。結局、恐竜を制御することが出来ずに人間は逃げ出したっけ・・・。
もっとも、恐竜はウチの愛犬と同じく指が自由ではないため、パソコンのキーボードも叩けないだろうから、まあ結局は人類が機械を使って恐竜どもをコントロールしただろうが、やはり有害生物として撲滅しただろうか?病気の絶滅宣言をしたように・・。いや“心の広い”人類は、やはり「ジュラシック・パーク」のようなところで、“飼っておく”ことはしたような気がする・・・。

実に取留めの無い妄想のバカバカしい話だが、全ては“偶然のたまもの”である事は確か。自分が今ここにこうして生きているのも偶然なら、カミさんと一緒に暮らしているのも偶然。子供たちが誕生したのも偶然。何もかも偶然のたまもの。こうして考えてみると、すべてが偶然で、今後何が起きるか分からない・・・、というのも良く分かる。
おっと、つまらない事を考えていたら、(今後何が起きるか分からないので)何か恐ろしくなってきた・・・。
意味のない議論はこの辺で終わろう。(つまらないことを書き連ねたので1500文字にもなってしまった・・・)

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2010年3月 7日 (日)

中村元の「般若心経」(5/7)

中村元先生の「般若心経の講義」を、7回に分けて聴いてみる。
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第12回 空の思想-般若心経・金剛般若経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていく。

ぼーだいさっ たー
菩提薩捶
えーはんにゃーはーらーみーたーこーしんむーけーげー むーけーげーこー

依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙故
むー うー くー ふーおんりー いっ さい てん どーむーそー

無有恐怖遠離一切顛倒夢想
くーぎょーねーはんさんぜーしょーぶつえーはんにゃーはーらーみーたー

究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多
こー とく  あー のく  たーらーさん みゃくさんぼーだい

故得阿耨多羅三貌三菩提

<こころをよむ/仏典「般若心経」~その4>

菩提薩捶は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罫礙(けいげ)なし。罫礙なきが故に、恐怖あることなく、[一切の] 顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟す。
三世諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三貌三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得たまえり。

「「菩提薩捶」の「菩提」は「さとり」、「薩捶」は「生きもの」「人」という意味ですから、「真実の求道者」「道を求める人」という意味になります。略して「菩薩」です。この真実を求める人は、般若波羅蜜多=完全な智慧によるがゆえに、心にさわりがない。さわりがないから、何かを恐れるということもない。そこで、一切の顛倒した、まちがった妄想を離れて、涅槃(ニルヴァーナ)=究極の境地を体得することになる。
「三世諸仏」とは、過去・現在・未来の三つの時期のもろもろの仏さまのことです。仏教では、仏さまは一人じゃないわけで、無数にまします。その仏さまがたもみな、般若波羅蜜多によるがゆえに、「阿耨多羅三貌三菩提」、つまり無上の正しいさとりを得られたというのですね。「阿耨多羅三貌三菩提」とは、アヌッターラー・サムヤックサンボーディというもとのことばを。音で写したのです。アヌッタラーとは「無上の」という意味で、サムヤックサンボーディは「正しいさとり」ということばです。特別の意味がありますから、漢字にはなかなか訳しにくいというので、もとの音をそのまま写したわけです。」(前田専学監修「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」より)

何十回聞いても「般若波羅蜜多」と「阿耨多羅三貌三菩提」が心に入らない。もちろん音写語なので漢字に意味は無いのだが、言葉そのものはつい口から出るものの、頭の中で真の意味になかなかつながらない。「完全な智慧」とは・・・。そして「無上の正しいさとり」とは何だ・・・。
そして「罫礙」は「さわり」。「罫」という字は、罫線の罫だ。枠・・。「礙」は「碍」だ。「障害者」は正しくなく、「障碍者」が正しいとする議論があるが、その「碍」で「さわり」の意味。“さわりが無いと、恐れがなくなる”という。これは重要だ。さわりとは何か?
とにかく般若心経は難解だ。これほど一つひとつの語に、それぞれの世界がある言葉はない。

(関連記事)
「般若心経」勝手帖-11 無罫礙
「般若心経」勝手帖-12 究竟涅槃

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2010年3月 6日 (土)

第4回NHKラジオ深夜便「こころのエッセー」賞から

今回で4回目というNHK「ラジオ深夜便 こころのエッセー」賞。テーマは「忘れられない思い出・心に残ることば」。2010年3月1日~4日に放送された入選作の朗読を聞いた。1433作品の応募の中から「こころのエッセー」賞3作品の他、佳作9作品が朗読された。その中でビックリしたのは、最年少が17歳だということ。しかもトップ3作品にこの(応募時)高校2年生の作品が選ばれている・・・。受験勉強をしながら、エッセーの募集を知ったとか・・。“朝青龍で有名”な脚本家の内館牧子さんが絶賛していたのが、この河合久美子さんの「ありがとう」という作品。朗読を聞いてみよう。

<「こころのエッセー」賞 河合久美子さんの「ありがとう」>

Netで検索すると、河合さんが在校している大阪の初芝富田林高校のHPに作品が紹介されていた(ここ)。この作品は、非常に短い文の中に色々な情景が凝縮されている。Wordで文字数をカウントしたら1125文字。原稿用紙3枚・・。短い文章の一つひとつに、情景が、まるで映画のカットシーンのように浮ぶ・・・。それに題が良い。「ありがとう」という題が・・
印象に残った言葉は「私はそこにちょこんと座る」。今までおばあちゃんが座っていただろうパイプ椅子に、今は孫娘が座る・・・。(高校のHP写真を見ると、“ちょこん”と座るには少し重たいようだが・・(←失礼!))

それにしても、つくづく“全ては才能が左右する”と思う。当blogは、何となく始めてから、もう3年半にもなるが、「記事が長過ぎる」「だから読むのを途中で止めてしまう・・」とは良く言われる。あるベテランブロガーさんは、「“1000文字が限度”と考えて、それ以内に納める」と言っていた。それは確かだ。読む人のことを考えると、そうしないといけないだろう。でも自分の場合、なかなか短くならない。それは、まさに自分に“文才”が無いため・・。

それに比べて、この高校生は頼もしい。
人間は褒められて成長する、とは良く言う。特に子供のときに何かのキッカケで褒められて、自分の一生の仕事を見つけることは良くある。この高校生にとっても、この表彰は人生の大きな出来事として心に刻まれることだろう。しかし幾ら有名な脚本家から「将来、文筆家を目指しているのかも?」といった事を言われたとしても、“それも選択肢の一つ・・・”位に考え、あまりそれに囚われることなく、自由に羽ばたいて欲しいもの。
(ここまでで丁度1000文字。そうか、自分もこの程度で止めれば良いのだな・・・)

今日は短い(?)ので、上の作品を高校のHP(ここ)より引用させて頂く。これが高校2年生の作品なのである・・・。“ただトシを取れば良い”というものではないのである。

========
~第4回NHK「ラジオ深夜便 こころのエッセー」賞 受賞作品~
「ありがとう」
    河合久美子(17歳)
蝉の声がミンミン鳴いている。風はぬるく、空にはもう日差しが注いでいる。玄関を出て、
五歩でたどり着くおじいちゃんの店の裏口に行く。裏口の扉を開き、おはよ、と言う。
おじいちゃんはにっこりして、おはよう、と応える。

おじいちゃんは、もう店の陳列をし終わっていた。まん丸のメガネをかけて新聞を読んでいる。
おじいちゃんが座っているパイプいすの隣には、年季の入ったもう一つのパイプいすがある。
私はそこにちょこんと座る。きしきしと音が鳴った。

私のおじいちゃんは、小さな食料品店を経営している。私はこのお店が大好きだ。
こぢんまりしていて、お客さんは近所の人たちばかりだ。利益はほとんどと言っていいほどないけれど、このお店はおじいちゃんにとって 「生きがい」だと私は思う。

おじいちゃんとおばあちゃんは、昭和の戦争を乗り越え、出会った。食料品店を開き、
二人で一生懸命働いて切り盛りしてきた。おばあちゃんは、おじいちゃんより六歳年上だ。
親戚の人が、おじいちゃんにはしっかりした姉さん女房が必要だと考えたらしい。
そして、私の伯母さんと私のお父さんが生まれた。一階はお店で、二階は今は使っていないが、昔は皆で川の字になって寝たそうだ。だから、このお店はおじいちゃんにとって人生そのもので、思い出がいっぱい詰まった場所なのだ。

今、おばあちゃんは天国にいる。旅立ったのは六か月前。近くの入院先から電話があり、
おじいちゃんはすぐ病院へ向かった。おじいちゃんが来て安心したのか、おばあちゃんは
すっと息を引き取った。

おばあちゃんが亡くなる前日、おじいちゃんは夢を見たと言う。それは、病院にいる
おばあちゃんが家に帰ってきて、おじいちゃんの隣に座っている夢だったそうだ。
そして次の日、おばあちゃんは家に帰ってきた。

お通夜の日、たくさんの人が来てくれた。おじいちゃんは杖をついて、一人一人にお辞儀をした。
目は涙でいっぱいだった。告別式の日、火葬場へ出発するときに空から雪がはらはらと降った。

おばあちゃんは、私にいつもおむすびを作ってくれた。おなかがすいた、と言うと、
いつも作ってくれた。塩味と愛情の味がする、おむすび。温かくておいしかった。
お見舞いに行ったとき、おばあちゃんが好きな乳酸飲料をいつも飲ませてあげた。
亡くなる五日前、おいしそうに少しずつ飲むおばあちゃんは、元気だった。飲み終えると、
「ありがとう、ありがとう」と言ってくれた。

火葬が終わり、私はおばあちゃんを抱き抱えていた。また空からはらはらと、雪が降った。

お店を後にし、家に戻る。仏壇でほほえんでいるおばあちゃんを見ては、何回もありがとう、ありがとう、と思う。

おじいちゃんは、ぽっかり空いたパイプいすの横で、今日も新聞を読んでいる。

(関連記事)
NHKラジオ深夜便「こころのエッセー」賞から~第3回

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2010年3月 4日 (木)

モラヴェッツの「月光」のLPを手に入れた

仏陀は「執着を棄てよ」と教えた。でも自分は学生時代に聞いた、米コニサー・ソサエティのベートーベンの「月光」ソナタの録音に“固執”し、モラヴェッツ演奏の「月光」のLP探しに“執着”した。
その結果、オークションで念願のLPを手に入れた。でもその音は、期待通りだった??

Img_24051 当blogでモラヴェッツを取り上げた最初は、2007年9月27日の「モラヴェッツの「月光」のテープが見つかった」(ここ)という記事。

それ以来、昔聞いたLPのCDを探したが・・・、無い。スプラフォン盤のCDは、録音データ的には昔のコニサー録音のLPと同じようなのだが、演奏が違うように思えた。一楽章の終わりの部分の、フェルマータの長さが違う・・・。それで、結局昔聞いたLPそのものを探すことにした。コニサー・ソサエティのLP探しである。
Img_24061 前に、このLPからMDに録音されたものを手に入れた。しかしレコードプレヤーのノイズが多く、満足できなかった。それでなおLPを探した。それで、高価ではあったが、何とか今回オークションに出ていた米国製のLPを手に入れることが出来た。
それが昨日届いた。さてさて、期待通りの音が出るかどうか・・・。恐る恐る針を盤に下ろす・・・。その結果は・・・・

Img_24071 残念ながら、スクラッチノイズがあまりに多い。相当に使い古した(散々掛けた)盤のようだ。前に手に入れたMDの方がよっぽど良かった・・・。
これらの録音については「ベートーヴェン「月光の曲」の聞き比べ15種(ここ)」にアップしてある。(容量が大きいページなので、ダウンロードのため音が出るまでには相当に時間が掛かる)

結果、分かった事は、学生時代のオープンテープを再生した音は、相当高域が落ちている。だから相対的に低音が響く。しかしオリジナルの音は、かなりフラット。結局、自分は高域が落ちたオープンテープの音が好き、ということ。
これは好みの問題。最初に聞いた音に惹かれ、その原音を追った2年半だったが、今振り返ってみると、それは“幻の音”だった。作られた音だった。オリジナルは自分の想像とは違う別物だった。

昔、もし憧れた初恋の人がいたら、それは後になって逢うべきではない。現実は想像の世界とはほど違い。期待を裏切る。それは“憧れ”、“手に入らないもの”として自分の心に大切に取っておいた方が“楽しい”・・・。

それと、前に「欲しいもの~「それから」のサントラ盤」(ここ)という記事も書いた。
ずっと“手に入れたい”と探していたものが手に入った時の一抹の寂しさ・・・。このLPも同じ・・・。
しかし、人間は何と贅沢な動物なのだろう・・・・。

(関係記事)
モラヴェッツの「月光」のテープが見つかった
遠藤郁子とモラヴェッツの[月光の曲」
ベートーヴェン「月光の曲」の聞き比べ15種

欲しいもの~「それから」のサントラ盤

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2010年3月 3日 (水)

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「身も心も」

誰も“至福のとき”という時間は持っているもの。自分の場合、PINK FLOYDのコンサートのLDやDVDをかけて、ヘッドホンで大きな音で聞いているときかも知れない・・・。
小椋佳、井上陽水もコンサートもNHKで良く放送されるため、録画しては聞いているが、ピンク・フロイドのコンサートにはかなわない。スケールが違う。音量が違う。
そんなロックの音楽で、同じような雰囲気の日本の歌では、3曲が頭に浮ぶ。1曲は井上陽水の「傘がない」(ここ)、そして沢田研二の「許されない愛」(ここ)、そしてもう1曲がこのダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「身も心も」という歌なのである。またバラードと捉えると布施明の「愛は不死鳥」も思い出す。先ずは少し聴いてみよう。

<ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「身も心も」>

「身も心も」
  作詞:阿木燿子
  作曲:宇崎竜童

犬の遠吠えひとしきり激しく
身体起こして時計を見れば
夜はまだまだその色を変えずに
月の明かりが手許を照らしてる
言葉はむなしいけど
ぬくもりなら信じよう
涙は裏切るけど
優しさなら分かち合える
身も心も 身も心も
一ツに溶けて 今
俺の腕の中で眠る人よ

サイレンかすかに遠くから響いて
夜の帳の幕引き係
眠りのその中で聞き分けたのだろう
頬をすり寄せ胸にすがりつく人
月日は移ろいやすく
やすらぎなら信じよう
愛とは呼ばずあなたに
愛しいそう打ち明けよう
身も心も身も心も
一ツの命 今
俺の腕の中で夢みる人よ

身も心も身も心も
一ツに溶けて 今
俺の腕の中で眠る人よ

この歌は、1977年9月5日の発売という。初めて聞いたのはNHK FMで、「長い曲なので普通は全曲通してはなかなかかけられないが、今日は全曲かけます」とわざわざ断って放送していた。それ以来の付き合い。確かに自分が持っている音源は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの2種類と竜童組の2種の編曲があるが、どれも長い。オリジナルは7分半もある。上の音源はその録音の、間奏を省いた短いもの。

いつもの通り、自分の音楽の聞き方は、旋律だけ聴いて歌詞はあまり気にしないので、今日も歌詞についての議論はなし。阿木燿子さんには悪いが・・・
この歌が、宇崎竜童の曲の中でその程度の位置を占めているかは分からない。しかしこのドラムスのリズムが何とも心地よい。
前にも書いたが、もし生まれ変ったら、趣味でも良いのでドラマーの真似事をしたいな~、なんて夢想するこの頃ではある。

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井上陽水「傘がない」~3種

(付録)
今日の記事と関係ないけど、今日は3月3日ひな祭り。下の写真は、ウチの居間に飾ってある、ひな祭りの飾り色々・・・。女の子が居ないのに、まるで娘がいるみたい・・。と良く言われるそうだ。女の子が生まれなかったことに対する、、神さまへのせめてものイヤミさ・・・!(写真はクリックで拡大)

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2010年3月 2日 (火)

日経新聞「春秋」のサラリーマン用“金言”

昨日の日経新聞の「春秋」は、現役サラリーマンにとっての“金言”だな、と思って読んだ。曰く・・・

春秋(3/1)
 業務の能率を高めるには、まず余計な仕事をやめるのが早道だ。第1次南極越冬隊長を務めた西堀栄三郎さんは、能率とは「目的を果たしながら、もっとも要領よく手をぬくこと」だと自著の「石橋を叩(たた)けば渡れない」で明言している。
「手ぬき」など、とんでもないと思う人もいるだろう。最近、トヨタ自動車のリコール問題などで、企業の品質管理のあり方があらためて問われている。コンプライアンス(法令順守)の強化も重要な課題だ。二重三重のチェック体制が必要という意見もうなずける。しかし西堀さんは品質管理の専門家でもある。
単に人手をたくさんかけたり、頻繁に報告させたりしても、手間がかかるだけだ。ことに一から十までオレを通せという上司は要注意である。自分では判断せず、何でも上にお伺いをたて業務を遅らせるのが多い。パナソニックの森下洋一相談役は社長になった時「オレは聞いていないと言うな」と社内を戒めた。
個々に権限と責任を決めて任せた方がよい。帝人に昔いた大社長の大屋晋三さんは「課長は部長に、部長は役員にそれぞれなったつもりで働け」と言ったとか。だが、得てして課長以下の業務に首を突っ込む部長が少なくない。極端な話、社長が部課長の仕事までやりだしたら、会社は余計な仕事であふれかえる。」(
日経新聞2010/3/1「春秋」(ここ)より)

サラリーマンも長い間やっていると、経験に裏打ちされた“自分のスタンス”というものが出来てくるもの。この「オレは聞いていないと言うな」というスタンスは、自分も同じだ。
実は昔、管理職になった時、大先輩の講話を聞く機会があり、その時に同じ言葉を聞いた。その大先輩は「“オレは聞いていない”と言う事は認めない。なぜ聞いていないのか? それはその人に言う価値がないから言っていないだけ」・・・。
この話はズシンと腹に響き、それ以来数十年、その言葉がずっと頭に残っている。そうなのだ・・・。部下は、言って(報告して)自分のためになるのなら幾らでも言う。報告する。しかし、言っても何にもならない、または言ったことで逆に叱責されるなど、後悔すると二度と言わなくなる。それが人間の原理。だから、圧力で“報告しろ”と言うのではなく、“言っておかないと自分がソンをする”という組織風土、つまり“言った甲斐があった”という状況をこそ、上長は自分の組織で作るべき、と言っている。

一般論が多い「春秋」だが、この記事はまさに現役サラリーマンの胸を突き刺す金言ではないか?
まあこんなことも、リタイアサラリーマンには逆に邪魔かも・・・・。まあリタイアした後は、このような生々しい事は一刻も早く忘れるべきなのだが、自分の場合はもう少し頭に置いておくこととしよう。この記事を読んで、ツイ“然り”と思ったもので・・・

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2010年3月 1日 (月)

唱歌「蛍の光」

1年前の3月1日に、「仰げば尊し」を挙げた(ここ)が、今年は「蛍の光」である。自分の頭の中は、3月1日はどうも「卒業式」なのである・・・。高校の卒業式の記憶で・・
上の1年前の記事に、卒業式の人気曲ベスト10が記してある。それによると「仰げば尊し」はあるが「蛍の光」は無い。どうも最近この曲は人気がないようだ。

自分が持っている「蛍の光」の色々な音源を聞き比べてみたが、この演奏が落ち着いていて一番好きだ。

<コロムビア合唱団の「蛍の光」>

「蛍の光」
  作詞:稲垣
千穎
  スコットランド民謡

蛍の光 窓の雪
書よむ月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
明けてぞ今朝は 別れゆく

とまるも行くも 限りとて
かたみに思う ちよろずの
心のはしを ひとことに
さきくとばかり 歌うなり

「蛍の光」は明治14年11月「小学唱歌集(初)」に「螢」として掲載。原題「Auld Lang Syne(久しき昔)」は、親しい友人との再会の歌で1788年、バーンズ作詞。賛美歌370番「めざめよ我が霊」。(西東社「童謡・唱歌・こころの歌」より)
蛍の光、窓の雪とは晋の車胤(蛍の光)と孫康(窓の雪)の故事から出た言葉です。(野ばら社「唱歌」より)

この歌詞を聞くと旺文社の「蛍雪時代」を思い出す。付録に付いてくる色々な参考書が“重かった”。つまりこなせないで、自分の場合はもっぱら“積ん読”だったので・・・。
そう言えば、今日の朝日新聞の朝刊に小学館の「小学1年生」の全面広告が載っていた。このシリーズは、子供のときに良く読んだ雑誌だ。最初は小学館の「小学1年生」から高校の「蛍雪時代」まで良く読んだ。小学校に上がった当時、静岡に住んでいた伯母と伯父が、毎月「小学1年生」を郵送してくれた。それが楽しみで、その頃になると、いつも郵便屋さんを待った。その後、伯父が亡くなったのを機に郵送はストップし、代わりに親父が会社に来る本屋から買って、土産として持ち帰るようになった。発売日になると待ちきれずに、親父が風呂に入っている時に、そうっとカバンを開けてシメシメと見て、風呂から出た親父から声が掛かると、知らぬ振りをして貰ったもの・・・。癇癪持ちでキライだった親父だが、100%悪い人間ではなかったのかな・・・?

その小学館の「小学5年生」と「小学6年生」が、2009年度末で休刊となったという。1922年10月の創刊で、87年の歴史を終えた・・。今日の広告でも、5年生と6年生は無かった。
同じような雑誌に、学習研究社の「*年生の学習」(2010年1月で廃刊)という雑誌があって、学校で斡旋していた。中学・高校になると旺文社の「中一時代」~「高二時代」があったが、これも1991年廃刊したという。それと双璧をなした学習研究社の「中一コース」も1999年に廃刊。どれも現代のNet時代にはマッチしていないのだろうか・・・。
それと、昔聞いた文化放送の「大学受験ラジオ講座」が現在どうなっているかと調べてみたら、1995年3月で終了していた。これもNet時代では古いのかな?

おっと卒業式の話が、昔の雑誌の話になってしまったが、3月は卒業のシーズン。まあ我が家はとうに縁が無くなってしまった行事だが、まあこんな歌でも聞きながら、子どもの頃を懐かしむことにしよう・・・

(追:2010/3/16)
作詞の稲垣千穎(ちかい)について
今朝の日経新聞に「蛍の光」の作詞者・稲垣千穎について記事があった。それによると、
「1881年に皇后が師範学校を行啓した際に東京師範学校校長・井沢修二が記した「唱歌略説」に「此(この)歌は稲垣千穎の作にして学生等が数年間勤学し蛍雪の功をつみ業成り事遂げて学校を去るに当たり別れを同窓の友につげ(略)卒業の時に歌うべき歌なり」と書かれてあった。・・・」
「稲垣千穎は本名・真次郎。奥州棚倉に生まれ、藩主転封で川越に移った後、藩校で教員となる。・・その後東京に移り・・・1874年に東京師範学校雇いとして公職に就いた千穎は、古典文学を教える一方、国文・国史教科書を出版。和歌の才能にも優れていたことから音楽取調掛に任命され、やがて「蛍の光」を手掛けることになる。1913年2月9日没。・・
・・・当時の師範学校は日本中の優秀な人材を集め、さらに研鑽を積んだ者を世に送り出していた。卒業式は、皇族も出席してその功をねぎらうために行われたものだ。その儀式が全国に広がったのは、そこから巣立った者たちが各地で教師となって広めたからだろう。・・・」(
2010年3月16日付「日経新聞」p40 河合塾講師・中西光雄「仰げば尊し『蛍の光』作詞者」より)(原本PDFはここ

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唱歌「仰げば尊し」

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