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2010年2月13日 (土)

「一反の絹」~“ビルマの竪琴”秘話

雑誌「大法輪」(2010年3月号)に「随筆説法~心があったまる仏教」という記事があり、「ビルマの竪琴」の秘話が面白かった。

随筆説法~心があったまる仏教 “一反の絹”
    群馬・曹洞宗長徳寺住職 酒井大岳

「ビルマの竪琴」(竹山道雄著)という小説があります。映画にもなりました。主人公・水島上等兵のモデルといわれた武者一雄さん(本名は中村一雄・群馬県雲昌寺先代住職)は、平成20年12月、92歳で遷化されました。武者さんは福井県の永平寺で修行中の1938年に徴兵され、フィリピンなど東南アジアを転戦後、多くの死者が出たインパール作戦に参加し、ビルマ(いまのミャンマー)で終戦を迎えました。25年前の「上毛新聞」(昭和60年8月6日)には、こう書かれています。
Biruma ――この戦いはおびただしい戦死者を出し、武者さんの部隊も6000人がわずか200人になってしまった。インパールからの帰路、その道筋には日本軍将兵の遺骨が散乱、白骨街道と呼ばれたが、武者さんはその行軍中、軍服の上にけさを羽織り、手に数珠を持って一つでも多くの遺骨を・・・とお骨を集めては埋葬し供養し続けた。――

武者さんは英軍の捕虜となりながらも収容所で合唱隊を編成します。そこで「荒城の月」や「さくらさくら」などの指揮をして兵士たちの心を慰めました。この話をドイツ文学者の竹山道雄さんが、武者さんと同じ部隊にいた教え子から聞いて、小説「ビルマの竪琴」を書き上げました。
私事ですが、武者さんの前の住職さんはわたしの叔父(父の弟)でした。そのご縁から武者さんには特に親しくしていただいて、わたしの寺にも、勤め先の高校にも講演に来ていただきました。・・・・・・・
武者さんから直接お聞きし、わたしがとくに感動した話をここに一つを紹介しましょう。
“一反の絹と仏の智慧”
インパール作戦に参加中、武者さんたち一行(20人の小部隊)はビルマの山の中にパゴダ(仏塔)を発見し、一週間雨宿りをしたことがあるそうです。食糧が尽き、ムドンの町へ向かっていざ出発というとき、一人の隊員がパゴダの地下の暗がりに絹の反物が山と積まれているのを発見しました。隊長は言いました。
「このまま放置すれば紙くずも同然。これをムドンの町へ持って行けば食糧に替えられる。みんな持てるだけ持て!」 隊員たちは争うように地下から絹の反物を担ぎ出し、五反十反と自分の背のうにくくり付けたそうです。しかし、武者さんはたった一反しか乗せませんでした。
「先に死にたいと言うのか!この意気地なし!」隊長の罵声を浴びながらも武者さんはぐっとこらえました。自分の体力からこれ以上積み上げることは危険だと思ったからです。
ムドンへ向かって2百キロも歩く山のなかで、一人死に、二人死に、絹を多く背負った者から疲労で死んでいきました。武者さんは一反しか持たなかったために生き残りました。途中で一行から遅れ、原始林の中に迷い込んだときも、「急いではいけない。無理をしてはいけない」と思いつづけたそうです。・・・
武者さんはそのときのことを思い出されながらこう話されました。
「絹の反物が食糧に替えられるとなれば、みんな欲が出てきます。多く持った者ほど生き延びられる、だれでもそう思いますよ。でも私は体も小さいし、無理をするとばてやしないかなと、とっさに思ったんです。なぜ、自分の体力と反物の量とのことを考えたのでしょうね。あのときはそういうこと考える余裕なんてないんですから。
私はあれからずうっと思っているんですが、あれは土たん場で、仏さまからさずかった智慧ではなかったかとね。すべてに当てはまるわけでもないでしょうが、人間、ぎりぎりのところでは、欲の少ない人のほうが生き延びるのではないかと、そんな気もしているんですよ――」
武者さんは永平寺で修行中、寝る間も惜しんで仏教書を読みふけったそうです。「こんなときどうすればいいのか、と追い詰められたとき、仏教の教えのなかからすっと解答が降りてきてくれたような、そんな気もするんですね」と、そうも語っておらました。
・・・・・・
“小欲知足と心の豊かさ”
それから「欲の少ない人のほうが生き延びるのではないか」、ともおっしゃっていますが、これはおそらく、お釈迦さまの遺言と言われる「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」のなかの「小欲知足(しょうよくちそく)」を指しているものと思われます。
 「多欲の人は利を求むること多きが故に苦悩も亦(ま)た多し。小欲の人は無求(むぐ)無欲なれば則(すなわ)ち此の患いなし。」
<多欲の人は利益を求める気持ちが大きいので、悩み苦しみもまた多い。しかし、小欲の人は、求め欲することがないので、そのような患いがない>
・・・・・・」(「大法輪」2010年3月号p28~32より)

映画「ビルマの竪琴」は1956年(昭和31年)1月21日公開。隊長の三國連太郎は重厚で、100214biruma 自分の子供心にも、強く印象に残っている。
そのモデルは、実在されていた・・・。中村さんは永平寺の修行僧だった22歳の時に徴兵されたが、心は既に真の僧侶だったのだろう。仏の教えが心にあった・・・。

「小欲知足」という言葉を聞いて「知足石(ちそくせき)」を思い出した。
これについては、前に「吾唯(われただ)足るを知る」という記事を書いた(ここ)。
足ることを知っている人は、“隣の芝生は青い”と思わないし、誰をも羨やましがらない。よって悩みは少ない・・・。
それは理屈では分かる。しかし、現実はどうだろう・・・
我が家の場合は、誰の息子がどの大学卒だとか、どの会社に入っているかとか、みんな既に過去形で気にならない。しかも、誰が携帯電話で“孫の写真”を見せようが、携帯電話を投げ捨てるようなことも無くなった・・・。
まあそれだけ、我が家も段々と“仏の境地”に近付いているという事だろう。(←これホントかな~??自信ない・・・!)

(関連記事)
「吾唯(われただ)足るを知る」


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コメント

エムズの片割れさんのこのブログでは、グッドタイミングな記事がよく載り驚いています。
今日は、「ビルマの竪琴」が出てきたのにビックリしました。
丁度、竹山道雄さんの話をしていたからです。
先の記事「手仕事屋きち兵衛の『光る風』」の所にコメントさせていただいた今回コンサートをする会場に少なからず関係があるのです。そこの一族だからです。

会場が「大日本報徳社」というので、大日本という所から右翼団体かと思ったという方もありましたが、そうではありません。
私たちより年上の方は良くご存知だと思いますが、江戸末期から明治・大正・昭和の戦前まで、二宮尊徳の教えが民衆の中に広まった大きな教えでした。どこの学校にも薪を背負った二宮金次郎の像があったことを思い出します。
私は詳しいことは分かりませんが、二宮尊徳の教えが報徳の教えなのだそうです。
渋沢栄一も豊田佐吉も松下幸之助も土光敏夫もそして多くの事業家たちなども、この思想に大きな影響を受けています。
明治以後、その教えの全国的な元となった所が「大日本報徳社」だそうです。

その掛川の報徳社を興した人は、大庄屋の岡田佐平治。その息子・孫がそれぞれその時代(報徳社ですから)社長を勤めてきたのですが、それぞれ大変な学者であり政治家で、京都大学総長・文部大臣・宮内大臣・内務大臣・枢密院議長など歴任された方々を輩出しています。そのほかにも東大教授も幾人も出ています。

「ビルマの竪琴」の竹山道雄氏は東大の教授をされていた方、道雄氏の父親はこの岡田家の人間で、その母の実家浜松の竹山家の養子になったのです。
私は報徳の真の教えについては無知ですが、私が常々思っているのは、「ビルマの竪琴」は報徳思想が強く含まれているのではないかということです。(若い頃は、そんな論文が書けたら???などと思ったこともありました。笑)

〔話は別ですが、竹山道雄氏の弟の竹山謙三郎先生(日本の建築学会の重鎮)は私の恩師で「都市防災学」などを学びました。人間的に素晴らしい恩師でした。〕

今回、普通ではお借りすることの出来ない「国の重要文化財の建物」でコンサートを開催する運びとなり、お力を貸してくださった皆様に感謝しています。

「ビルマの竪琴」の武者氏の良い話から飛んでしまってすみません。
何しろ時の偶然に驚いています。

投稿: ジャン | 2010年2月14日 (日) 00:59

本当に人間というものは、全くの他人と思っている人にも、たどっていくとどこかで繋がっているものなのですね。
今から56年前、私は道雄氏の兄上に学校で英語を教えて頂いておりました。若いころケンブリッジ大学に留学された方でダンディでとても優しいお爺ちゃん先生でした。紳士というものはこういう人を言うのだと子供心に思ったものです。竹山家の当主で、疎開で実家に戻られていた時、農地解放のため莫大な農地と広大な屋敷を失われてしまったようです。
「異国の丘」を歌われた竹山逸郎さんも多分何らかの繋がりがある方だと聞いております。
本筋と離れてしまって申し訳ありませんが、今年のお正月に竹山家の本を読んだばかりでしたので、人間の縁の不思議さをつくづくと感じた次第です。

投稿: ハコベの花 | 2010年2月14日 (日) 11:15

ジャンさん、ハコベの花さん

いやはや、不思議な縁というのはあるようで・・・。
さっき、TVで居酒屋の風景を写していました。何の関係も無い、家族や仲間がそれぞれ店の一角を占めてワイワイ・・・
これらも何かを辿れば、どこかで繋がっている??想像するだけで楽しいですよね。特に都会の雑踏を見慣れていると・・・

投稿: エムズの片割れ | 2010年2月18日 (木) 20:05

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