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2010年2月 1日 (月)

細川護熙氏の「私の死亡記事」

昨日終わった日経新聞の「私の履歴書~細川護熙」。タイトルが「私の死亡記事」というショッキングな(?)内容。曰く・・・

私の死亡記事
前にある雑誌から頼まれて「私の死亡記事」というのを書いたことがある。それから時間もたったので少し書き改めて再掲する。
『作陶、書、油絵などを広く手がけ、首相も努めたことのある細川護熙氏が先月20日、神奈川県湯河原町の自宅不東庵で老衰のため死去していたことが明らかになった。99歳だった。遺言により、葬儀や告別式は行われない。
細川氏は1938年、東京生まれ。上智大卒業後、朝日新聞記者を経て政界入りし、参院議員、熊本県知事、行革審部会長などを歴任。92年に自民党と社会党を中心とした55年体制の打破と規制緩和や地方分権による構造改革などを唱えて日本新党を旗揚げし、93年の衆院選後に8党会派の非自民連立政権の首班として第79代首相に就任、38年ぶりの政権交代を実現した。
首相在任中は政治改革、コメの市場開放などをやり遂げた。政権返り咲きを狙う自民党に佐川急便からの借入金問題などを追及され、連立政権内部の分裂などの動きも加わり、約8ヶ月で辞任。首相退陣後も政界再編に尽くし、98年に4党を合併させていまの民主党を立ち上げ、60歳で政界を引退した。
その後は「不東」と号し、アート三昧の日々。生前に用意した自然石風の墓石には戒名もなく、「長居無用」とのみ刻んだが、長寿を続け、最近まで日本の政治の質の低下や構造改革の遅れを嘆いていたという。
真抜田(まぬけた)首相は、官邸で記者団に「ロマンを持ち、理想主義の旗を掲げた、日本では珍しい政治家だったのではないか。私が政治を志したのも細川さんの新党旗揚げに触発されてのことだった。ご冥福をお祈りします」と語った。』

『細川氏を悼む』
凸凹大学長の出久能望(でくのぼう)さん(政治学)
時代の流れを読む目というか、政治的勘はなかなかのものだった。何でも行動がはやかったが、せっかちな言動に周囲が追いつけず、時に混乱をもたらした。権威主義、形式主義を嫌い勲章や叙勲の類を受けつけなかったのも細川氏らしいが、保守的な考えの人たちにはなかなかその発想自体が理解されなかったのではないか。

陶芸家の部田空祖(へたくそ)さん
陶器において名を残すつもりはないと言いながら、楽、井戸、信楽などで器格のある、茶趣に富んだ作品を残した。書や油絵もたしなみ、文武両道の家風を受け継いだが、政治だけは轆轤(ろくろ)で回すようなわけにはいかないと話していたのを思い出す。
・・・・」(2010/1/31 日経新聞「私の履歴書」から)

元首相とは思えないウィットに富んだ文才ぶりに感心・・・。
しかし「前にある雑誌社から頼まれて「私の死亡記事」というのを書いたことがある。」というのは本当だろうか? それが本当だとすると、世の死亡記事はみな本人が書いている??
確かに本人が書けば、誰から評されるまでもなく、自分の人生に対して謳いたいことが言える。これは正しい。でもそれは自分の人生の実績を、世の中に“高らかに謳える”人だけの話・・・
翻って、自分のような“元サラリーマン”は何と書くのだろう・・・。もし自分が「私の死亡記事」を依頼されたら・・・(←そんなこと有り得ないのだが・・・)
「サラリーマン一筋で人生を生きた“生涯現役挫折”氏が、自宅のある八王子市で、99歳で老衰のため死亡した。(←細川さんもそうだけど、“99歳で老衰”とはあまりに贅沢・・・)“生涯”氏は1947年埼玉県生まれ。茨城県で育ってから就職のため上京、それ以来八王子に住んだ。“生涯”氏は43年間サラリーマンだったが、特段目立った業績はない。定年退職前から、“リタイア後どうしよう?”という大命題の解を見付けるべく、その思考過程を「エムズの片割れ」という珍妙な名前のblogに書き綴ったのが唯一の形見となった。しかし、結局その解を見付ける事は出来なかったという。

40年間勤めた会社の元同僚の話
「そんな人、居たかな~・・・・・」
70年間(良くぞ!)添い遂げた奥さんの話
「やっと肩の荷が降りました。さー、念願の都会のマンションに引っ越すぞ~!」(←94歳とは思えない元気さでした。)」

あーヤダ・・・


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コメント

八王子ですか、
小生は東京勤務時代、休日によく高尾山に行き、山上の茶店でウォークマンで好きな音楽を聴きながら山菜そば&ビール2本でボーとした時間を過ごすのが好きでした。
現在は、奈良・法隆寺参道の近くに住んでいますが、仏教には縁のない生活です。

それにしても、今回のエッセイ、ウィットに富んでいて、素敵!です。

投稿: リュウちゃん6796 | 2010年2月 2日 (火) 08:52

いつも楽しみに読ませて頂いています。

今回は本当に笑っちゃいました。

最後のとどめがたまりませんね。

投稿: しょーちゃん | 2010年2月 2日 (火) 11:13

開設4年目に入り、完全種切れのブログ老人は、専ら、連日中身の濃い片割れさんの記事を楽しみにしています。
特に今日のは大傑作・・・、死も怖くなくなりました。

投稿: toriaezu3965 | 2010年2月 2日 (火) 15:16

いつも読ませていただいております。今回のは特に秀逸で、自分も遺書でも書くときの参考になりました。

投稿: 杵づか | 2010年2月 2日 (火) 15:37

 こんばんは・・昨日まで、せっかく単身赴任で現場監督派遣会社経由で川崎市に行ってたのに・・(>_・・どうぞ!遊びに寄って見てやって下さい。


投稿: 智太郎 | 2010年2月 2日 (火) 20:39

どうも本音を書くと好評なようで・・・
しかし、このように客観的に自分の人生を自分で評価すると、ガクッと来ますね。でもまだ時間はある・・・。何か書けるような事を成さねば・・・・!
ですよね!皆さん!

投稿: エムズの片割れ | 2010年2月 3日 (水) 22:10

あまりの傑作に、とくに貴殿の・・・。
久々に笑いました。
へえ茨城育ちでしたかあ。感激。

投稿: カトレア | 2010年2月 6日 (土) 17:33

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