« 思い出のTV・ラジオ主題歌集(3) | トップページ | 幸田浩子の「アヴェ・マリア(カッチー二)」とアルビノーニの「アダージョ」 »

2010年1月 8日 (金)

書家 武田双雲氏の筆・・・

元旦にふとテレビを点けたら、“元旦NHK「四季日本列島 新春スペシャル」”という番組をやっていて、書家 武田双雲氏が雪の風景を背景に、透明なガラスに「静」という文字を書いていた。
Takedasouun 武田双雲氏はNHKの大河ドラマ「天地人」の題字を書いた人だという。ふと気になってNetで調べてみた。(ここ)のサイトにあった・・・。心当たりのある(?)題字がたくさん・・・。みんなこの人の筆だった。氏は昭和50年生まれというから、まだ34歳・・。若い・・・・。(公式HPはここ)(写真はクリックで拡大)

Tenchijin Takumishouzou_2 Takumi Katennoshiro Yamazakura Photo_2   

これらの書を見ながら、つくづく筆(書)は芸術である・・と思う。世に字体は無数にある。パソコンの字体(フォント)だけ見ても幾らでもある。(←関係無いけど「筆まめ」の“CRC&G 流麗行書体”は美しい・・・)昔からの漢字でも、「楷書」「行書」「草書」「篆書」「隷書」等々。
しかし双雲氏の字体は、当然それらに該当しない独特のもの。でも、これらの文字を見ているだけで、どうして圧倒的なエネルギーを感じるのだろう。文字に命があることを初めて知った。

数年前に亡くなった叔母が書道をやっていた。子供を書道教室に通わせているうちに、自分が書の道にはまった・・という。何時だったか銀座でその書道グループの展示会があるという招待状が届き、行ったことがある。でもまったく分からなかった。だいたい何が書いてあるか分からない。良いか悪いかが分からない・・・。だいたい、文字は自分の意思を相手が伝えるもの。だから“読めてナンボ・・”の世界だと思うのだが、素人には読めなかった・・・。
そんなこともあってか、“書の道”は益々自分から縁遠くなった。

思い出してみると、自分の悪筆の歴史は筆舌に尽くし難い・・。小学校の頃、通信簿に「ノートの使い方が汚い」と書かれていたが、これは文字が汚いということ。学校で書道があったのは何年生までだったか・・・。小学校の5年生?6年生?
「筆を折る」という言葉があるが、自分はこの書道の最後の授業が終わるとき、“筆を折った!”。つまり「もう二度と筆で文字を書く事は無かろう」と・・・。(つまりそれ位に書道が嫌いだったわけ・・・)
自分の悪筆に伴う(悪い)逸話は幾らでもある。現役時代、課長だった頃、小さなメモ用紙に色々指示を書いては部下に紙つぶてのように渡した。パソコンでのメールが出来る前である。後で聞いたら「課長のこの文字は何と書いてあるのか・・・」と、逆さにしたり裏返したりして皆でワイワイやっていたという・・・。部下たちは、自分のメモの“解読”に大変な努力が要ったという話・・・。だからメールが出来て一番喜んだのが当時の部下・・・。「ああこれで**さんのワケの分からない文字を読まなくて済む・・・」

絶対に文字を書かない自分が、現在唯一肉筆で書くチャンスがある。それは年賀状。単に印刷だけでは面白くないだろうと、少しだけ文字を追加する。でも年に一回しか書かない文字。何とか読めるように書こうとはするものの・・・(南無阿弥陀仏・・)。いやはやパソコンになって良かった!良かった・・・・!

おっと、今日は書の話だった・・。上の写真でも分かるように、双雲氏の筆は、単に文字を崩したりして、格好だけを追った文字ではない。先に書いたように、世の書家の難しい(?)文字は、その世界では評価されていても、我々一般ピープルでは付いて行けない。先のように、何よりも読めない。でも双雲氏の文字は誰でも読める。そして、何という味わい・・・

Netで見ていたら「武田双雲の上機嫌カレンダー2010」というのを売っていることが分かった。実は自分は昨年、某メーカーGrを離れたので、初めて会社からカレンダーを持ち帰らなかった。よってこれからは、カレンダーは自分で買うもの。これはちょうど良い機会・・・とばかりに、amazonに注文してしまった。どの通販サイトも品切れ状態で、いつ入荷するか分からないが、まあ気長に待とうか・・・

小学校の頃に勝手に“筆を折った”自分だが、せめて見るだけでも・・と、双雲氏の筆を黙って見つめる自分ではある。


« 思い出のTV・ラジオ主題歌集(3) | トップページ | 幸田浩子の「アヴェ・マリア(カッチー二)」とアルビノーニの「アダージョ」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 思い出のTV・ラジオ主題歌集(3) | トップページ | 幸田浩子の「アヴェ・マリア(カッチー二)」とアルビノーニの「アダージョ」 »