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2010年1月 6日 (水)

日本の「30年成長、20年衰退のあと」

昨日の日経新聞のコラム「大機小機」の記事「30年成長、20年衰退のあと」は、日本のこの50年間を俯瞰していて分かり易い。特に目新しい議論ではないのだが、2010年という新年を迎えて、この50年間を振り返っている。曰く・・

30年成長、20年衰退のあと
新しい年が始まった。2010年の日本。このまま緩慢な衰退を続けるか、再成長へカジを切るか。勝負どころだ。
戦後日本の高成長の号砲が鳴ったのは今から半世紀前の1960年にさかのぼる。55年の保守合同を経て岸信介内閣が6月に日米安保条約を改定。後継の池田勇人政権が暮れも押し迫った12月27日に「所得倍増計画」を閣議決定し、輸出立国への歩みを始めた。日本は軍事・外交面で米国の傘を借りながら経済発展に集中し、世界が驚くスピードで成長の会談を駆け上がった。
60年は産業面でもエポックの年だった。ローマ五輪に合わせカラーTVの本放送が始まり、ベンチャーの域を出なかったソニーが世界初のポータブルトランジスタTVを発売、その名を内外に知らしめた。世界では石油輸出国機構(OPEC)が新段階を迎えた。
この50年間を振り返ると、繊維、鉄鋼、電機、自動車といった基幹産業が2度の石油危機を乗り越えて競争力を向上、日経平均が史上最高値を付けた89年までの30年間が成長期。90年のバブル崩壊からの20年間が衰退期、と大くくりにとらえることができる。
自民党による長期政権がもたらした政治の安定、間接金融強化による金融システムの安定、さらに官主導の計画的な産業育成。過去20年でみれば、それまでの30年間の日本のメリットが、市場主義とグローバリゼーションをいう世界の大潮流のなかでデメリットに変わり、新たな国家ビジョンや成長メカニズムをつかみ切れなかったのがここまでといえるだろう。
衰退の20年間にあって何とか世界一の水準を保ってきたのが企業の技術力だ。最も長い景気循環に「コンドラチェフの波」がある。新しい技術の芽生え、発展、普及と成熟、陳腐化が経済衰退の大きなうねりをつくり、その周期を50年程度とする考え方である。
再成長の出発点を企業の競争力向上、なかでも基礎技術や産学連携を含む技術力に置く意味はそこにある。
日本の名目国内総生産(GDP)は20年近く500兆円程度で停滞している。日本にとっては民主新政権が参院選前の6月にまとめる新成長戦略の行動計画が、反転成長への大きなポイントになる。参院選の最大の争点は成長戦略。この未来をかけた計画作りに失敗すれば再び政権交代もあり得る、と新政権は覚悟して臨んでほしい。(三角)」(2010/1/5「日経新聞」p19より)

自分が社会人になったのが1970年。まさに高度成長にまっしぐらの時期だった。入社した当時は、毎年給料が数%ではなくて、数十%ずつ上がって行く時代だった。まさに国民が良く働き、仕事もあった。
それに引き換え、最近の日本は全てのスケールが小さくなった。かつての日本のリーダーは、戦後の吉田首相を筆頭に、先の池田首相の「所得倍増計画」や「コンピュータ付きブルドーザー」と言われた田中角栄首相まで、まあ色々あるにせよ存在感だけはあった。
それに引き換え、先の自民党の1年交替の首相たちも含めて、現在の日本の“指導者”には“指導力がない”と言われて久しい。企業のトップも同様で、大物が居ない。今の経済界に、昔の松下幸之助、本田宗一郎、井深大や盛田昭夫・・・などのように、後世に名前が残るような経済人が何人いるだろう・・

まあ我々サラリーマンも、リタイア寸前になると、自社(=自業界)の視点を離れて色々と客観的に世の中が見えてくる・・・。
逆に捉えると、今の世の中は、政権交代の実に変化が多い“面白い時代”なのかも知れない。まあ個人では8千万分の1票しか政治に参加できないので、世の動きをテレビドラマのようにでも捉え、“楽しむ”ことにでもしようか・・・


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