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2009年12月 9日 (水)

中村元の「般若心経」(3/7)

中村元先生の「般若心経の講義」を、7回に分けて聴いてみる。
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第12回 空の思想-般若心経・金剛般若経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていく。

しゃーりーしーぜーしょーほーくーそー
舎利子是諸法空相
ふーしょーふーめつふーくーふーじょーふーぞーふーげん
不生不滅不垢不浄不増不減
ぜーこーくーちゅーむーしきむーじゅーそーぎょーしき
是故空中無色無受想行識
むーげんにー びーぜっ しん にー
無眼耳鼻舌身意
むーしき  しょーこーみーそく  ほー
無色声香味触法
むーげんかい ないしー むー いーしきかい
無眼界乃至無意識界

<こころをよむ/仏典「般若心経」~その2>

舎利子よ、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身もなく、色も声も香も味も蝕も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。

「舎利子よ、このいろいろなものは空を特質としている」。色々なものがあらわれ出て、また消えると思えるわけですが、高い境地から見るとそうではない。「生ぜず、滅せず」、つまりいろいろな力が加わって生じたり滅びたりしているのですが、高い立場から見ますと、ただ偉大なるひとつの理があるだけである。したがって、汚れることもなく、浄くなることもない、増えることもなく、減ることもない、ただ偉大なる真実がそこにあるだけだというのです。
こういうわけだから、空のなかには物質的なかたちもなく、感受作用も表象作用も形成作用も識別作用もない。そして、「眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もない。われわれの感覚器官を考えると、眼と耳と鼻と舌と身体(触覚)、その五つの感官に加えて、思考する器官がありますから六つです。これを「六根」といいます。これに応ずる対象が、色・声・香・味・触・法です。色、すなわち物質的なかたち、これは眼で見る。それから、耳で聞く声、鼻で感じる香り、舌で感じる味、等々。なお「法」はこの場合、「思考器官で思考されるもの」「考えられる対象」という意味です。けれども、これらに固定的な実体はない。
さらに、それを一つ一つの領域として見ますと、眼・耳・鼻・舌・身・意それぞれに界をつけ、眼界、耳界等々とする、そうすると、それらを全部合わせると18の領域になるわけです。それらすべてが固定した対象を持っていないということなのであります。
このさとった境地というもの、これを我が国でも、昔から歌のかたちで表明しております。「世の中にわがものとてはなかりけり身をさえ土に返すべければ」。こういうようなものが仮に集まって、我々の存在ができていると、そう考えられる。」(前田専学監修「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」より)

前に「22)「般若心経」勝手帖」というカテゴリで一通り般若心経について書いた。今もう一度それを読んでみると、実にその通りだ。・・・と感心しているという事は、いかに自分の身に付いていないかの証拠・・・・
でも、この「無」という概念を理解しないと、(「空」が分からないと同じくらい)般若心経は分からない。ちょうど3年前に般若心経の同じ所について記事を書いているが(ここここ)、当時に比べて少しは分かったような気がする。
ここで、「無」の解釈として「固定的な実体はない」という言葉が良く出てくる。この中村先生の解説にも同じように出てくる。
昨日、食事をおいしく楽しく食べると体に良いらしい・・・という記事を書いた(これ)。例えばこの食事を例に取ると、「眼耳鼻舌身意」による「色声香味触法」を楽しむということ。つまり、キレイに盛った料理を目で楽しみ、鍋料理などは耳でその出来上がりを確かめ、ワイワイと会話を楽しみ、鼻で臭いを感じ、舌で舌鼓を打つ。そして身(触覚)でアッチッチと感じ、意で「これはうまい」と思う。まさに「六根」がフル活動だ。それを「無」だと言う。「固定的な実体はない」と言う・・・。何とも勿体ない・・・・!?
確かに“固定した対象を持っていない”・・・。(毎日料理は変わるので・・!?)

ところで「世の中にわがものとてはなかりけり身をさえ土に返すべければ」という言葉・・。よく聞く言葉だと思うのだが、語源が分からない。誰が言った言葉なのだろう・・・。詠人知らず・・の歌なのかな?
でも、全てが「無」だと思う事が出来れば、悩んでいる自分を一歩別の立場から客観的に見る事ができ、ばかばかしい・・、と気が付くことも出来る・・・
夕食を前に、「この美味い食べ物も“無”か・・・」と、なぜか考え込んでしまったツマラない自分ではある。

(関連記事)
「般若心経」勝手帖-07 不生不滅
「般若心経」勝手帖-08 無眼耳鼻舌身意

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