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2009年11月30日 (月)

論語の「六十而耳順」~“耳順”とは・・・?

実は3年半前の当blogのスタートの記事は、論語の話であった(ここ)。今日はそれと同じく論語の話・・・

先日、wolfyさんから頂いたコメント(ここ)で「60歳は耳順」とだと教えられ、色々と調べてみた。

広辞苑には、「【耳順】じ‐じゅん[論語為政「六十而耳順」](修養ますます進み、聞く所、理にかなえば何らの障害なく理解しうる意)60歳の異称。」とある。
耳順について分かり易く解説した記事(ここ)によると、この言葉は孔子が自分の人生を振り返って、区切りとなった年齢での進境(=進歩して到達した境地)を語った言葉から出たもので、為政篇にある言葉だという。

子曰、「吾十有五而志于学、三十而立。四十而不惑、五十而知天命。六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。」

子曰はく、「吾十有五にして学に志し(=志学:しがく)、三十にして立つ(=而立:じりつ)。四十にして惑はず(=不惑:ふわく)、五十にして天命を知る(=知命:ちめい)。六十にして耳順ひ(=耳順:じじゅん)、七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず(=従心:じゅうしん)。」と。

先生はおっしゃった、「私は十五歳で学問に志し、三十歳で自立した。四十歳で狭い枠にとらわれないようになり、五十歳で天命を知った。六十歳で人の言うことを逆らわないで聴けるようになり、七十歳で心の欲するままに任せても限度を超えなくなった。」(出典はここ

つまり耳順とは、「六十歳では、人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになった」という境地とか。
「四十にして惑はず=不惑」は良く聞くが、耳順は知らなかった。・・・と、当blogを「論語」でP10408041 検索してみたら、何と自分の書いた記事にこの言葉があった。(ここ
この春に西安の碑林博物館に行った時、この言葉が彫られた石碑があり写真を撮ったのだ。その時の記事に、この言葉を書いていた。でもその事をすっかり忘れていて・・・

この事により、当blogで書く記事が、如何に書くだけで自分の身に付いていないかが立証された。つまり自分の右耳から入った言葉は、自分の頭には残らず、単に左耳に抜けて行くだけだった・・・、という事も分かった。

自分も60歳を超えて、今まで2回の定年を経験し、その分肩から力が抜け、少しは“人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになった”のかな・・・? と思っていたが、これは大きな勘違いで、単に無反応になっているだけかも・・・
ともあれ、人の言葉を素直に聞くという境地は大変に難しい。我々凡夫は、言葉一つで直ぐにカッカしたり“戦闘状態”に入ったりする。それをよく「若気の至り」と言ってごまかす。しかし孔子は、60歳はもう自分が完成していて(?)、何を言われても動じてはいけない年齢だ、と言っているようだ。
これを機に、自分の中でもういちど「耳順」という言葉をかみ締め、自分がどの程度(オトナとして)ひとり立ち出来ているのか・・・、振り返ってみようかと思った。
(それにしても、既に当blogに「耳順」が載っていたとは・・!! ああビックリした~)

(関連記事)
中国西安旅行(1/2)~華清地・兵馬俑坑・碑林・城壁


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コメント

いつも いろいろ教えてくださって、ありがとうございます。
「耳順」いい言葉ですね。
自分自身がその年になって、「耳順」に成っているだろうかと思い巡らしても、該当できているかは・・・疑問。(そうなれたらいいのですが・・。)
今の人は七掛けで計算した方がいいと言う人もいるから・・・、自分はまだ不惑の域から出ていないのかもしれない?と思ったりして。

ところで、ここの「凡夫」と言う語を見て・・・。
私は子供の頃から父が書いた書が欲しくて・・・、ようやく自分がもらえたのは結婚するときだった。(その後、数年して父は旅立った。)そのとき幾つか貰った中の一つに、
「我必ずしも聖にあらず 彼必ずしも愚にあらず 共に是凡夫のみ」と書かれた色紙がある。
この言葉が、聖徳太子の<和を以って貴しとなす>で始まる「十七条憲法」に出てくることを知ったのはずっと後年になってからだ。
そして、改めて(というより初めてに近い)「十七条憲法」を読んだのは、今年になってからだった。「十七条憲法」に書かれた言葉の素晴らしさ・重さ・大きさに感動(平凡な言葉でしか言い表せない)している。

投稿: ジャン | 2009年12月 1日 (火) 00:46

ジャンさん

「凡夫」は中村元先生が仏教の話で良く使うので知りました。
しかし聖徳太子の「十七条憲法」にも出てくる言葉とは知りませんでした。
何事も奥が深いですね。

投稿: エムズの片割れ | 2009年12月 5日 (土) 23:31

「耳順」を調べていてこちらにたどりつきました。
「吾十五にして~」のこの段は学校などでもよく扱われるのでよく目にはしますが、私は「耳順」が一番解釈し辛いです。
そしてこちらのブログの記事を読んで思い出したのは「学而時習之。 不亦説乎。(学びて時に之を習ふ。 亦説ばしからずや。)」でした(^_^)
今子どもに論語の素読をしていて、意味・解釈をあらためて振り返っているところです。
論語っていいなぁと思います。

【エムズの片割れより】
実は当サイトの初日の記事は、「己所不欲、勿施於人」でした。
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_29ac.html
それから7年も経ちました。
そういえば、自分は論語を読んでいない・・・。これを機に、一通り読んでみようかな・・・

投稿: 不惑 | 2013年7月 5日 (金) 09:07

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