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2009年11月の28件の記事

2009年11月30日 (月)

論語の「六十而耳順」~“耳順”とは・・・?

実は3年半前の当blogのスタートの記事は、論語の話であった(ここ)。今日はそれと同じく論語の話・・・

先日、wolfyさんから頂いたコメント(ここ)で「60歳は耳順」とだと教えられ、色々と調べてみた。

広辞苑には、「【耳順】じ‐じゅん[論語為政「六十而耳順」](修養ますます進み、聞く所、理にかなえば何らの障害なく理解しうる意)60歳の異称。」とある。
耳順について分かり易く解説した記事(ここ)によると、この言葉は孔子が自分の人生を振り返って、区切りとなった年齢での進境(=進歩して到達した境地)を語った言葉から出たもので、為政篇にある言葉だという。

子曰、「吾十有五而志于学、三十而立。四十而不惑、五十而知天命。六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。」

子曰はく、「吾十有五にして学に志し(=志学:しがく)、三十にして立つ(=而立:じりつ)。四十にして惑はず(=不惑:ふわく)、五十にして天命を知る(=知命:ちめい)。六十にして耳順ひ(=耳順:じじゅん)、七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず(=従心:じゅうしん)。」と。

先生はおっしゃった、「私は十五歳で学問に志し、三十歳で自立した。四十歳で狭い枠にとらわれないようになり、五十歳で天命を知った。六十歳で人の言うことを逆らわないで聴けるようになり、七十歳で心の欲するままに任せても限度を超えなくなった。」(出典はここ

つまり耳順とは、「六十歳では、人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになった」という境地とか。
「四十にして惑はず=不惑」は良く聞くが、耳順は知らなかった。・・・と、当blogを「論語」でP10408041 検索してみたら、何と自分の書いた記事にこの言葉があった。(ここ
この春に西安の碑林博物館に行った時、この言葉が彫られた石碑があり写真を撮ったのだ。その時の記事に、この言葉を書いていた。でもその事をすっかり忘れていて・・・

この事により、当blogで書く記事が、如何に書くだけで自分の身に付いていないかが立証された。つまり自分の右耳から入った言葉は、自分の頭には残らず、単に左耳に抜けて行くだけだった・・・、という事も分かった。

自分も60歳を超えて、今まで2回の定年を経験し、その分肩から力が抜け、少しは“人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになった”のかな・・・? と思っていたが、これは大きな勘違いで、単に無反応になっているだけかも・・・
ともあれ、人の言葉を素直に聞くという境地は大変に難しい。我々凡夫は、言葉一つで直ぐにカッカしたり“戦闘状態”に入ったりする。それをよく「若気の至り」と言ってごまかす。しかし孔子は、60歳はもう自分が完成していて(?)、何を言われても動じてはいけない年齢だ、と言っているようだ。
これを機に、自分の中でもういちど「耳順」という言葉をかみ締め、自分がどの程度(オトナとして)ひとり立ち出来ているのか・・・、振り返ってみようかと思った。
(それにしても、既に当blogに「耳順」が載っていたとは・・!! ああビックリした~)

(関連記事)
中国西安旅行(1/2)~華清地・兵馬俑坑・碑林・城壁

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2009年11月29日 (日)

映画「2012」を観た~「キネ旬」の映画史上ベスト10

映画には、何年経っても思い出し、何度も見る映画と、「ああ面白かった!」と一度だけで終わる映画とがあるように思う。
0911282012 今日は、映画「2012」(これ)を観てきた。この映画は、まさに「一度だけ見る」映画の代表作だろう。
前に3D(立体)映画「センター・オブ・ジ・アース」(地底探検)(これ)を見たが、その荒唐無稽ぶりには感心した。これは決してけなしているわけではない。感心しているのだ。そして今日の「2012」もその荒唐無稽ぶりに感心した。そのCGの良く出来ていること・・
物語は、2012年12月21日で、地殻変動により地球が滅びる。そして遺伝子的に残すべき選ばれた人と金を出した人、そして動物たちが、まさにノアの「箱舟」に乗って生き延び、新アフリカで新たに出発する、というもの。CGの大作という事で、CGの出来だけを見に行った。そもそもこのような大掛かりなドタンバタン劇は、自宅のテレビ向きではない。ホンモノの劇場で、サラウンドの大音響と共に楽しむもの。その期待には応えてくれた。そんなバカな・・という場面も、「主役は死なない」と思ってゆったりと見ていられるし、双発飛行機で逃げるところも、自分も前にハワイで単発機を操縦した事があるので(ここ)、自分が操縦しているような気分で、楽しかった。
でも“学術的”に見ると、1500mの津波でインド大陸が海に沈む・・などなど、まあ色々あるだろうが、そんなことはどうでも良い。その時だけ楽しめればこの手の映画は合格だ。

一方、みんなの心に長く残る映画はこんな映画らしい。
先日の朝日新聞に“邦画史上1位「東京物語」~「キネ旬」が映画10傑”という記事が載っていた。曰く・・・
「映画専門誌「キネマ旬報」が20日、映画史上のベストテンを発表した。日本映画の1位は小津安二郎監督の「東京物語」、外国映画の1位にはフランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」が選ばれた。同誌創刊90周年を記念し、100人を超える評論家や文化人による投票を集計したもの。」(朝日新聞2009/11/22 p38より)(キネ旬の詳細はここ

  <「キネ旬」日本映画史上ベスト10>
  ①「東京物語」昭和28年(1953年)11月
  ②「七人の侍」昭和29年(1954年)4月
  ③「浮雲」昭和30年(1955年)1月
  ④「幕末太陽伝」昭和32年(1957年)7月
  ⑤「仁義なき戦い」昭和48年(1973年)1月
  ⑥「二十四の瞳」昭和29年(1954年)
  ⑦「羅生門」昭和25年(1950年)8月
  ⑦「丹下左膳余話~百万両の壷」昭和10年(1935年)6月
  ⑦「太陽を盗んだ男」昭和54年(1979年)10月
  ⑩「家族ゲーム」昭和58年(1983年)6月
  ⑩「野良犬」昭和24年(1949年)10月
  ⑩「台風クラブ」昭和60年(1985年)8月
   * 選考者114名による集計

  <「キネ旬」外国映画史上ベスト10>
  ①「ゴッドファーザー」1972年7月
  ②「タクシー・ドライバー」1976年9月
  ③「ウェスト・サイド物語」1961年12月
  ④「第三の男」1952年9月
  ⑤「勝手にしやがれ」1960年3月
  ⑤「ワイルドバンチ」1969年8月
  ⑦「2001年宇宙の旅」1968年4月
  ⑧「ローマの休日」1954年4月
  ⑧「ブレードランナー」1982年7月
  ⑩「駅馬車」1940年6月
  ⑩「天井桟敷の人々」1952年2月
  ⑩「道」1954年9月
  ⑩「めまい」1958年10月
  ⑩「アラビアのロレンス」1963年
  ⑩「暗殺の森」1970年10月
  ⑩「地獄の黙示録」1980年2月
  ⑩「エル・スール」1983年
  ⑩「グラン・トリノ」2008年
   *選考者121名による集計

いやいや世の中は広い。名作中の名作は、自分も少しは見ていると思っていたが、特に外国映画はほとんど見ていない。日本映画では12作品中見たのは5作品のみ。外国映画では19作品中、見たのは6作品だけだった。

しかし、日本映画の名作が、何と古い作品ばかりか・・・。半分以上の作品が昭和20年代から30年代初期。それ以降半世紀以上を経ているが、この状況はどう理解したら良いのか・・・。最近の映画は、派手だが時代に耐えられる作品では無いという事か・・・。
外国映画も1960年代までの作品が6割を占めている。これも同じ理由か?

先日、NHKスペシャル「チャイナパワー第1回“電影革命”の衝撃」という番組を見た(ここ)。
中国で大々的に展開されている映画産業についてのリポートである。大きなセットと、ハリウッドスターをそろえ、社会的現象にまでしようとする広告宣伝。そこには「ヒット」「高収益」のスタンスしかない。確かにビジネスとしてはそうだろう。見て面白かった・・・、と。でも多分そのような映画は、今日のドタンバタン劇と同じく、直ぐに忘れ去られていくのだろう。「東京物語」や「二十四の瞳」がなぜ残っているかを考えると、答えは明らか。

でも「キネ旬」のこの指標は面白い。日本人の目からみた“史上に残る映画”を紹介してくれたわけで参考にはなる。いつの日か、少なくてもこれらの映画だけは目を通しておく事としよう。
ところで、今日見た「2012」だが、それはすぐ3年後の話。2012年12月21日以降にDVDでこの映画を見る人は、既に“過去の話”をどのような気持ちで見るのだろう?その頃にはもうこの映画は誰も見ない・・、と考えると寂しいよね。

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2009年11月28日 (土)

手仕事屋きち兵衛の「青春への手紙」

久しぶりに手仕事屋きち兵衛さんの歌の紹介。今日は「青春への手紙」である。この歌は091128azumino 「安曇野」(これ)というミニアルバムに入っていた曲だが、CDは廃盤で手に入らないのが惜しい。
アコースティックギターが何とも心地良く、しみじみとした良い歌だが、還暦過ぎの我々にとっては、何かうら恥ずかしい歌詞である。

<手仕事屋きち兵衛の「青春への手紙」>

「青春への手紙」
  作詞・作曲:手仕事屋きち兵衛

あなたが言ってた 本当の生き方
それを探しに ぼくは旅立つよ
言葉ではなくて 体で感じる
生きがいってやつを 探してみるよ
そんなせりふで かっこをつけて
歩き始めた 青春だけど
遠回りして来て 見つけた答えを
今のあなたに
話してみたい気がするよ
昔を戻して 夜を戻して

青春なんて 若いことだけで
全べて許された ひとつの季節
本当は何も 知らないからこそ
きれいでいられた 幼い季節
張り子の自分に 意地をつめて
人間らしく生き抜いてみせると
約束したのも本当のことさ
昨日の出来事
今でもあの日が見えるよ
若さの証しが あれも真実

早いものですね もうあれから19年
あなたもきっと今は 幸せでしょうね
子供のこととか 天気のこととか
たわいもないことを 話しているだろう
あんなに嫌った 普通の暮らし
気がつけば今がそんな暮らし
不思議なものですね
人から言われて そう思います
今こそ自分が解るよ 探してきたもの
それが解るよ

ここで歌われている「本当の生き方」とは何だろう・・? 自己実現・・? 若い頃、「本当の生き方」を求めたか? どうも自分は自信が無い。真面目に将来の生き方を悩んだのは、意外と高校時代だったかも知れない。自分の場合、工学部という性格から、一旦大学に入るともうレールに乗ってしまい、考える間もなく自動的に全員がメーカーに入って行った。そして仕事に追われる毎日・・。そして今、リタイア寸前で振り返ってみると、「本当の生き方」って何だ?? そんな言葉があったっけ・・!?

時間に追われる世のサラリーマンは、殆どが「自分の生き方」が出来ていないように思う。会社という組織に組み込まれ、自由などない生活の毎日。でも最近は世の中が変わった。我々の時代は、長期休暇などとても取れる雰囲気でなかった。だから海外旅行なども(金が無いこともあるが)意識の外。それがいつの間にか、大会社はリフレッシュ休暇と称して数十年毎に長期休暇が取れるようになった。しかしその恩恵に浴せなかった残念な最後の世代が我々・・。でも、サラリーマンが定年近くなって時間の自由が利くようになったからといって、そんなに時間を自分で思うように使えないのも現実・・・。だいたい自由な時間の使い方など、訓練されていないもの・・・。(自分も、もしうまく時間を使えたら、こんなblogは書いていないかも・・・)

まあこんな歌でも聞きながら、若い頃にもし“自由”だったら“本当の生活”が探せたのに・・・、ナンテ“残念がる”ことにでもしようか・・・

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2009年11月27日 (金)

「結婚推進こそ少子化対策の要」・・・か?

新聞記事について記事を書くときには、よくカミさんにその記事の話をして雑談するのだが、今日ほど揉めたことはない。さっきも長時間“激論”をしたが、いちおう書いてみる・・・。
今朝の日経新聞に日本経済研究センター宇南山 卓氏の「結婚推進こそ少子化対策の要~人口基準に保育所整備を」という記事があった。実に理路整然とした論理展開であり、説得力がある・・・、と思っていたら、カミさんは分かりづらいという。ここから既に対立・・・。

結婚推進こそ少子化対策の要~人口基準に保育所整備を
    日本経済研究センター・神戸大学准教授 宇南山 卓
<ポイント>
・晩婚化より非婚化こそが少子化の真因
・独身の選好、新しい経済モデルで説明可能
・大都市保育所充実で出生率は1.6台も

(以下、当blogの捉えた勝手な骨子・・・)
・少子化の進行を要因分解すると、結婚の減少が最大の原因。
・出生率の低下は、婚姻率の低下と既婚女性の出生率に分解できるが、既婚女性の出生率はむしろ増加しており、婚姻率の低下が少子化の原因。
・結婚の減少は、「晩婚化」ではなく「非婚化」。50歳時点での未婚率は60年頃まで2%未満だったが、05年には女性7.2%、男性15.6%まで上昇。
・これまでの経済学では、結婚には家事と仕事の分業、耐久財の共有、子供が持てるなどのメリットがあり、厚生水準は結婚した方が独身より必ず高いと考えられてきた。そのため、一生結婚しないという選択を合理的には説明できなかった。
・しかし最近の研究では家族を「個人」の集合ととらえ、家計内の支出における意思決定権限に注目した。これによると、夫婦間の所得差や年齢差などによって意思決定権が決まる。
・家計内分配の決定権は労働市場の賃金水準で決まるが、既婚女性のパートタイムの賃金水準が低いままなのに比べ、フルタイム女性の賃金水準の上昇により、女性が独身に留まった場合の厚生水準が飛躍的に上昇し、独身に留まることが必ずしも不利ではなく、非婚化を引き起こしている。
・既婚女性の賃金を上げるには、フルタイム労働者として出産後も就業継続する方が効果が高い。それには保育所整備が有効であり、これこそ最大の結婚推進策であり、少子化解消策である。
・保育所の整備は、25~34歳の女性の人口と保育所の定員との比で考えるべき。つまり大都市部に、より集中的に保育所を整備する必要があり、企業内保育所への公的支援も必要。こうすれば婚姻率は2割増え、出生率は現在の1.3台から1.62に回復する。
・この政策のコストは年5600億円で、「子ども手当」の5兆円の1/10で済む。

(日経新聞2009/11/27 p31より)(オリジナル記事はここ

この論をどう捉えるか。自分はなるほど・・と思ったのだが、カミさんに言わせると「これは子供を育てたことの無い人の論。そんな機械的なことでは解決しない。子供が病気になったら誰が面倒をみる?保育所では預かってくれない。だから幾ら会社で重要な会議があろうが、惨めな思いをして会社を休まざるを得ない。今の世の中は、子供の祖母がそれこそ献身的に、丸抱えで母親の代わりを務めているから会社に行ける。しかしそれは恵まれた一部の人だけ。多くの親の助けの無い家庭は、保育所だけあっても到底解決しない。子供にとっても、小さい時は母親と一緒に居ることが何よりも大切。だから、むしろ数年の子育て期間が終わったら、元の会社に復帰できたり、社会に戻れる制度を作って、安心して子育てが出来る仕組みを作った方がよっぽどマシ・・」という。
なかなか良い案だ・・、と思って話したのだが、メタメタ・・・。なるほど、子育てで苦労した経験者(!)からすると、そんなものか・・・・。

話が変わるが、昨日の新聞に、隣の韓国も08年の出生率が1.19と、日本を下回る出世率で悩んでいるとの記事があった。韓国の対策は、「就業年齢の1歳引き下げ」や「第3子以降の大学入試や就職を優遇し親の定年を延長する」という。つまり小学校への入学を現在の6歳から5歳に1年前倒しすれば、就労年齢も1年早まり、養育期間も短縮されて家計負担が減ることになるのだという。(日経新聞2009/11/26 p8より)
何とも乱暴な議論だが、少子化で頭を悩ましているのはどの国も同じらしい。

まあこの宇南山さんの論にしても、色々と異論もあるだろう。またウチのカミさんのように「少子化は自然の摂理。金をばら撒いたりして解決できる問題ではない。減るなら減るに任せたら?」という論もある。
しかし、5兆円もの税金を使う施策としては、「子ども手当て」は少し拙速かも・・?
民主党政権も、マニフェストという呪縛に自らが落ち込むのではなく、今“事業仕分け”で大流行の“透明な議論”をして、より良い少子化対策の道を探す懐の深さも期待したいもの。
場合によっては、現役の母親たちによる「マニフェストの“事業仕分け”」をするのも一興か・・・?

もっとも、実は我が家にとってこんな話はどうでも良いのだ・・・。ウチは“孫”にも“ヨメ”にも縁が無いので・・・!?(それに大きな声では言えないが、ウチの権力構造は、世の賃金の水準となんかまったく無関係で、収入ゼロの約1人が絶大なる権力を握っているんだけど・・・・・)

(関連記事)
「社会を冷静に観察する中学生」~子ども手当て

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2009年11月26日 (木)

半藤一利の「幕末史」を読む~歴史の勉強

最近凝っている半藤一利氏の“語り下ろし”シリーズ。「昭和史(ここ)」「昭和史戦後篇(ここ)」に続いて「幕末史」(これ)を読んだ。語りの口調は前2作と同じ調子だが、自分なりに順位を付けるとすると、昭和史-戦後篇-幕末史という順かな・・。だから今回は意外と読むのに時間が掛かってしまった。
何でスーっと読めなかったか?半藤氏は全て証拠主義らしく、誰が何を考えたかを、現存する手紙や日記等の史料をもとに論じて行く。だから随所に昔の候(そうろう)文が出てくる。だから読みにくい。もちろん現代語に訳してくれてはいるのだが、古い文は面倒なので段々飛ばして読んでしまった。

論じている時代は、1853年の黒船来航から大久保利通が暗殺された明治11年(1878年)までの25年間。日本にとって革命が起きた一番の激動の時代。他国から侵略されないように気を使いながら、どんな国を作ろうかと悩んでいた時代。でも半藤氏はこれらキーマンが“何にも考えていなかった”と断じる。
しかし読み終わってみると心に残るのは、優秀な薩長の人材、勝海舟や西郷隆盛の人間的な魅力、徳川慶喜の不甲斐なさ、そして元侍たちの群集パワーと大久保独裁政治・・・。それに、かの龍馬はほとんど出て来ない。“反薩長”の視点の半藤氏なので龍馬を偶像視していない?
素朴に考えると、新政府は薩長の政府だが、他の藩に優秀な人材が本当に居なかったのだろうか。環境的(政治権力的)に、もし居たとしても活躍の場やチャンスがなかったのかも知れない。

ともあれ、先の昭和史と同じく、断片的に言葉だけ知っていた色々な「**戦争」が自分の頭の中で一本の流れにつながった。これから色々と勉強(?←本来自分は勉強嫌い・・)して行くうちに、少しは日本史も理解できるかも知れない。
091127nihonshi ・・と思って、つい山川出版の「日本史」と「世界史」を買ってきてしまった。つまり「もういちど読む山川日本史」と、「もういちど読む山川世界史」を・・・。

前に「「世界史の教科書を読んだ」と書けない事情・・・」ここ)という記事を書いた。

高校時代、“大嫌い”な「世界史」と“大いに嫌い(←世界史よりはマシ)”な「日本史」を改めて勉強しようと、意気込んで買ってきた高校の教科書。高校の時に、英語と同じく自分の“天敵”として悪夢まで見た歴史の教科書を、心を入れ替えて冥土に行くまでに人生の帳尻を合わせるため、買ってきた現役の高校の教科書。当時に比べ、カラフルな色刷りにビックリしたものの、少し読んで挫折。その教科書が、今度は大人用に同じ山川出版から発売されたという。それを、先の挫折の経験から躊躇しつつも買ってきてしまった、というワケ。
現役の教科書と今回の大人用とを比較してみて分かったことは、高校の教科書は、名前ごとに生きた年代がいちいちルビが振ってあったりで、ごちゃごちゃしている。また、暗記用の太文字も多く、決して“読書用”ではない。でも今回の大人用はスラッと書いてあって、まあ読書用。これなら挫折しないで読めるかな・・と思ってはいるのだが・・。

人生でやり残したことは幾多あるものの、自分にとっては語学=英語(ドイツ語はハナから外した)、歴史、古文・漢文(←これらも今更到底ムリなので外した)がある。兄貴は「オレが**大学を落ちたのは英語力が無かったため。よってもう一度英語を勉強し直して、**大の英語の入試問題で合格点を取る」と現役の受験用のテキストを勉強しているという。確かに何であれ、負けたまま人生を終わるのは残念。だから誰も認めてくれなくても、「今の**大の英語の入試問題で合格点が取れた」という自己満足は、“安心して死ぬ”ために必要かもね・・・

そんなワケで、自分の人生で今まで避けて通ってきた「歴史」。半藤さんからもらった「昭和史」からの“勢い”で、「この2冊の大人用歴史の教科書を読むぞ!」と意気込んではいるのだが、サーテ・・・。
「読み終わったぞ!」とblogに書くことを自己満足の目標に、自分に課す今回の歴史勉強だが、それもblogの効能の一つかも知れない。

(関連記事)
「世界史の教科書を読んだ」と書けない事情・・・

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2009年11月25日 (水)

「事業仕分け」が面白い・・・

昨日から政府の「事業仕分け」の後半戦が始まった。連日、トップニュースである。
この議論は、素人目にもなかなか面白い。視点の違いで結論が色々と違ってくる。文系の人がジャッジすると、科学技術予算はバッサリ・・。実に分かり易い。(←これは皮肉である)
例えば13日の事業仕分けで、官民共同で開発中の次世代スーパーコンピューター(スパコン)が「来年度の予算計上見送りに限りなく近い縮減」とされたが、この議論がいちばん分かり易い。このプロジェクトは2006年度から理研・富士通・NEC・日立が共同で設計を開始したが、今年5月にNEC・日立が経営悪化を理由に撤退して話題になったもの。
財務省の担当官が冒頭に「これまで545億円の国費を投入。システム開発に本格的に着手すれば、さらに700億円近くが必要と見込まれる」と問題点を指摘。仕分け人から「1位でなければ駄目なのか」「国民生活にどう役立つのかが分かりにくい」などの疑問が相次いだという。
この場面をテレビで見ていて最初に受けた印象は、まさに「1位と2位とは何が違うのか?」という仕分け人の視点。確かに素人的にはその通りだ。仕分け人の「世界一を取る為に1200億円も税金かける必要があるのか」という疑問に「然り!」と感じた。しかしその後の世論の動向は冷静に、その結論とは逆に動いている。昨日も9大学の総長がこの事業仕分けについて、「大学の研究力と学術の未来を憂う」という共同声明を発表したという。そして歴代のノーベル賞受賞者も今夜記者会見。利根川さんは「コンピュータが世界一である必要なんかないと言っている人がいるが、世界一を目指したって恐らく世界一にはなれない。目指せばひょっとしたら2位か3位になれるかも知れない。そういう意気込みでやらないと2位にも3位にもなれない。そういう事を人々は理解すべきである」と発言していた。

この「事業仕分け」というセレモニー(失礼!)は、税金の使い道が国民から遠く離れた所で議論されていた従来と違って、TV・Net中継まで動員した“素人の視点からの素直な質問”であり、それなりの意味があるように思う。それに対して執行側が説明責任を果たすのは当然。つまり、国民に対して税金の使途を説明するのは当然だ。しかしテレビでの断片を見る限り、説明する側が慣れていないのか、議論が噛み合わなかったのも散見された。まあ短時間で議論して結論を出す手法も乱暴ではあるが、限られた色々な制限の中で議論するため、仕方が無い面もある。

話は変わるが、先日NHKラジオ深夜便で「星空の語り部」という題で、前国立天文台台長の海部宣男氏の話を聞いた(2009/11/18~19放送)。野辺山天文台は100億円をかけて建設された、一般にも無料で公開されており(ここ)、海部さんは昔、野辺山天文台時代、見学に来た子供たちに「みんなから100円ずつ出してもらって作った」と説明していたとか・・。この視点が大事・・・。

また話が飛ぶが、今朝の日経新聞で三菱電機の望遠鏡の全面広告が目を引いた。「宇宙の果てを見る約100トンの望遠鏡を0.001ミリの誤差で動かす」というリニアサーボモーターの技術を謳っていた。これは東京から見て、富士山頂のサッカーボール1つ分の精度だという。そしてこの技術は単にこの望遠鏡に使われるだけでなく、液晶基板のチェックや半導体、太陽電池の製作など、各方面に応用されていると主張していた。タイミング的には偶然だろうが、この広告は昨日の9大学長の声明と同じく、メーカーとしての最近の政治の動きに対する“懸念の表明”とも受け取れた。

話は戻るが、スパコンのNEC、日立の撤退に見られるように、これら開発プロジェクトはメーカーにとって「ウマミがある」仕事ではないようだ。なぜならウマミがある仕事なら撤退などしないので・・・。

「公開処刑」「イジメ」「集団リンチ」などと揶揄されている事業仕分け。 官庁側は「こらえて、なぶられて、1時間耐えればいい。どうせ結論は決まっているんだから話を聞こうとしない人になにを言ってもしかたがない」(ここ)という声もあるとか・・

まあ政権が代わった今年だけのデモンストレーションだろうが(来年もやると鳩山さんは言っているらしいが)、新鮮な動きである事は確か。それに、このような場があるということは、無駄遣いしないように抑制として働くことも期待される。自治体もやれば・・?

でも日本人もバカではない。これら(良い意味での)刺激的な指摘(=スタンドプレー的だが・・)も、時間と共に冷静さを取り戻し、それぞれ的確に判断されるだろう。しかし税金を使う側にも、先の海部氏のような「スパコンの開発では、国民の皆さんから1人当たり1200円ずつ出してもらった」という視点が必要なことは言うまでも無い。これら国の設備も、研究者は自分の設備と勘違いせず、“その設備で発見したことは、半分は国民の成果”と、言葉だけでも言って欲しいもの。
そうすれば「世界一」を目指す若い人のエネルギーに、国民は喜んで応援するだろう。少なくても自分は・・・。(←カミさんはイヤだと言うかな?文系なので・・・!?)
鳩山さんも珍しい理系の総理。鳩山さんが聞きたいと言っていた歴代ノーベル賞受賞者の辛辣な意見も聞けたので、科学技術立国の総理として科学技術分野の裁定をどう下すのか、じっくりと見守るとしよう。

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2009年11月24日 (火)

「もう一度見たい20世紀の名作ドラマ」ベスト10~「北の国から」のテーマ

今日の朝日新聞夕刊に「TV訪ねてみれば」という記事があり、1996年にフジテレビから放送された「白線流し」の松本市のロケ地について書いてあった。あれからもう13年か・・・。これは見た。もっとも能動的に、ではなくてカミさんに釣られて・・・
そういえば、先日の同じ朝日新聞に、「もう一度見たい20世紀の名作ドラマ」という特集があった。朝日の編集部で選んだ2000年までに放送された187作品について、「もう一度見たい20世紀の名作ドラマ」を3780人に聞いたという。結果、ダントツで「北の国から」が1位だったとか・・・。(2009/11/21朝日新聞b2より)

 <もう一度見たい20世紀の名作ドラマ>
 ①「北の国から」     707票(フジ系1981年~2002年)
 ②「古畑任三郎」     464票(フジ系1994年~1999年)
 ③「踊る大捜査線」   430票(フジ系1997年他)
 ④「太陽にほえろ!」  334票(日テレ系1972年~1986年)
 ⑤「時間ですよ」      328票(TBS系1970年~1973年)
 ⑥「俺たちの旅」      325票(日テレ系1975年~1976年)
 ⑦「阿修羅のごとく」   308票(NHK 1979年~1980年)
 ⑧「七人の刑事」      307票(TBS系1961年~1969年)
 ⑨「救命病棟24時」     280票(フジ系1999年~)
 ⑩「3年B組金八先生」  277票(TBS系1979年~2008年)

<さだまさしの「北の国から」のテーマ>



このランキングをみると、自分は意外と見ていない。刑事ものがそれほど好きでないことが原因?(写真はクリックで拡大)
Image03871 「北の国から」は、いつだったかレンタルビデオ屋が流行り出した頃、ビデオを借りて全部見た。つまりスペシャル番組を見て、“オリジナルを全部見るぞ!”と意気込んで、夏休みを利用して一気に見た記憶がある。このドラマは、吉岡秀隆と中嶋朋子が段々と成長していくのと同時進行で進むドラマだったが、自分がこのドラマを知ったのは後なので、既にその時は二人は大きくなっていた・・・
中嶋朋子は、「世界ふれあい街歩き(これ)」でいつもお世話になっている(!)、自分が一番好きなナレータだが、二人とも今更説明も不要なほど“富良野から上京して”活躍中である。
「時間ですよ」はご多分に漏れず風呂場のシーンが楽しみだった!? 向田作品の「阿修羅のごとく」は、何度か再放送を見たが、もう一度見たいな・・・。
しかしこのベストテンを制作局で見ると、フジが4つ、TBSが3つ、日テレが2つ、そしてNHKが1つ、という割合。そこには大河ドラマも無い。NHKがこれほど少ないとはどうしたことだろう・・・。NHK崇拝者(?)の自分としては意外だ・・・。
NHKの「蝉しぐれ」は2003年で、21世紀なので対象外だが、松たか子の「藏」(1995年)(これ)は入って欲しかったな・・・。
NHKの作品が少ないのは、真面目なせいかな・・・?でも自分は民放のドラマよりもNHKのドラマの方が好きだな・・・。まあ個人の好き嫌いの問題なので論じても意味が無いが・・・。
でもさっきの「白線流し」といい、現在BSフジで再放送中の「風のガーデン」(これ)といい、心に残るドラマはどれもフジテレビ系とは、いったいどうしたことか。
「風のガーデン」は、前に見たにも拘らず再放送を毎週せっせと録画しているが、「ドラマはフジテレビ」との先入観で、何も考えずにこれからフジテレビのドラマを何か見てみようかな・・。
下手な鉄砲でも、意外と“当たり”が出るかもね・・・。おっと今見ている「不毛地帯」もフジだって・・・。

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2009年11月23日 (月)

昭和34年の出来事(12歳)~水原弘の「黒い花びら」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの13回目。自分が11歳から12歳、つまり小学校5年生から6年生になった昭和34年(1959年)の出来事を調べてみる。

この年のビッグイベントは4月10日の皇太子と正田美智子の結婚。これを見るために多くの家庭にテレビが入った。昭和33年暮れに100万台だったのが、御成婚の時には200万台に達したとか。(自分の家には無かったけど・・・)
この当時のテレビに関する思い出は多い。夕食後、友達の所にテレビ観戦に行って、力道山のプロレスを見たり、名犬ラッシーを見たり・・・。

3月17日、 「週刊少年サンデー」と[週刊少年マガジン]が発売になった。この時の事は今でも鮮明に覚えている。自分で買った記憶は無い。すべて誰かに借りて読んだ。でも別世界が出来たようで楽しかった・・。
9月26日、伊勢湾台風。これも良く覚えている。夜、風が段々と強くなる中、隣の両親の部屋から「上陸した」というラジオのニュースの音・・・。それが5千人の被害者を出す猛威だったとは・・・
映画では「ベン・ハー」の公開。この映画は見に行った。その後何度も見たが、金のかかったセットにビックリ。歌では、夜霧に消えたチャコ(フランク永井)、南国土佐を後にして(ペギー葉山)、古城(三橋美智也)、黒い花びら(水原弘)、僕は泣いちっち(守屋浩)、
東京ナイトクラブ(フランク永井/松尾和子)などなど、この年のヒット曲には今でも立派に残っているスタンダード名曲が多かった。
よって1曲を選ぶのは至難のワザだが、あえて今日は水原弘の「黒い花びら」を選んでみた。この歌は、第1回日本レコード大賞も受賞している。ステレオ録音もあるが、オリジナルのモノの方が、迫力があって好きだ。

<水原弘の「黒い花びら」>

「黒い花びら」
  作詞:永六輔
   作曲:中村八大

黒い花びら 静かに散った
あの人は 帰らぬ遠い夢
俺は知ってる 恋の悲しさ 恋の苦しさ
だからだから もう恋なんか
したくない したくないのさ

黒い花びら 涙にうかべ
今は亡い あの人 ああ 初恋
俺は知ってる 恋の淋しさ 恋の切なさ
だからだから もう恋なんか
したくない  したくないのさ

実に分かり易い歌詞で、自分も数十回(?)の失恋のたびに歌ったものだ。でも今改めて歌詞を読むと、この歌は失恋の歌ではなかった!初恋の人に死なれた歌だった・・・。知らなかった・・・!?

初恋といえば、先日「BS20周年ベストセレクション 金曜特集「没後20年 向田邦子が秘めたもの」を見た。(これ
091123mukouda この番組は、2001年7月20日に初放送された番組で、没後20年になって、秘められたラブレターが妹の和子さんによって公開され、それをもとにした番組だった。彼女は22歳のときから34歳まで、妻子ある男性とつきあっていた。そして、カメラマンだったその男性によって撮られたと思われる沢山のポートレートが遺品の中から見つかった。女優と見まがうばかりの写真の中の表情は、レンズの向こう側にいる恋人にだけ見せる、安心の表情だった。
男性は母親と二人住まいで、脳溢血で倒れ、足が不自由なまま47歳で他界。この恋が終わったのは、邦子34歳の時だったという。そして男性の死後母親から託されたお互いのラブレターと日記は、邦子が51歳のときに台湾での飛行機事故で亡くなるまで、誰も知らないまま封印された。
これらの資料を読むと、それらの経験がその後の向田作品にいかに投影されていたかが分かる。
彼女も恋人に死なれた時、「黒い花びら」を歌ったかな??これはそんな時の歌だ・・・
(付録:「日曜名作座」向田邦子作「かわうそ」のZIPはここ

話が飛んだが、昭和34年の自分の記憶を辿ってみる。小学校5年の冬の学芸会。メインImage04001 の出し物の劇で何とその主役をやった。これもタナボタ。転校1年目で、自分はその劇の役は無かった。それが本番を数日後に控えたある日、主役のクラス委員長だった人が風邪で倒れ、本番までに復帰することが出来そうに無いと、家族からの連絡。困った先生が、何と自分を代役に指名した。それから2~3日でセリフを覚え、主役をこなした。これはその後の自分にとって、大きな自信になったように思う。
かくして昭和34年が暮れていよいよ小学校も卒業が近くなる。

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2009年11月22日 (日)

世界の名指揮者ベスト・ランキング2009

今日はクラシック音楽の話・・・
昨日久しぶりに「レコード芸術(2009年)12月号」を買った。「世界の名指揮者ベスト・ランキング2009~50人の評論家と読者が選んだ世界の名指揮者ベスト・テン」という特集があったので・・・。
それによると・・・

  <世界の名指揮者ランキング2009>
     (カッコ内は、レコ芸1996年3月号の順位)
  ①ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(①) 336点
  ②ヘルベルト・フォン・カラヤン(②)     297点
  ③レナード・バーンスタイン(④)       269点
  ④アルトゥーロ・トスカニーニ(③)      215点
  ⑤カルロス・クライバー(⑧)          209点
  ⑥ブルーノ・ワルター(⑤)           201点
  ⑦オットー・クレンペラー(⑪)         162点
  ⑧エフゲニー・ムラヴィンスキー(⑩)    155点
  ⑨ジョージ・セル(⑫)             107点
  ⑩ハンス・クナッパーツブッシュ(⑨)    100点
  ⑪セルジウ・チェリビダッケ(⑳)      99点
  ⑫カール・ベーム(⑥)            86点
  ⑫シャルル・ミュンシュ(⑮)         86点
  ⑭ニコラウス・アーノンクール(25)     75点
  ⑮カルロ・マリア・ジュリーニ(⑱)      72点
  ⑮ゲオルグ・ショルティ(⑭)         72点
  ⑮ピエール・ブーレーズ(⑦)         72点
  ⑱ピエール・モントゥー(23)         69点
  ⑲
クラウディオ・アバド(⑬)         68点
  ⑳フリッツ・ライナー(⑯)           65点

まあそうだろうな・・、と思われる順位になっている。個人的なコメントを少々・・・
セルの評価が高い反面、ベームとショルティが低い。そしてここには出てこない小澤征爾が34位。評論家の得点が4点。つまり50人の評論家がベスト10人を選んだ時、1人が9位、2人が10位、残りの47人の評論家は小澤征爾を選ばなかったということ。朝比奈隆が25位なのに比べ、ウィーン国立歌劇場の音楽監督まで務めた割に寂しい・・・。期待と現実との乖離か?

1位のフルトヴェングラーは圧倒的。当サイトでも取り上げた。運命は(ここ)、第九は(ここ)。論ずるまでも無い。
2位のカラヤンは前回の13年前も2位か・・・。自分はどうも“巨匠”という表現はピンと来ないが・・・。でも自分にとって、若い時から身近にいた(?)事は事実。特に高校3年のときに買ったウィーン・フィルとのブラームスの第1番は、自分の頭の中で「標準」となってしまい、その後、誰の演奏を聞いてもフィットしない。動物が一番最初に見たものを親として認識するのと同じなのかも知れない。少し聴いてみよう。

<ブラームス交響曲No.1~カラヤン/ウィーン・フィル>

3位のバーンスタインは自分とはあまり縁が無かった。でも大学の時に手に入れた、ショスタコーヴィチの交響曲No.5は、その迫力に魅了されたもの。
4位のトスカニーニは高校時代にたくさんのレコードを買った。当時、ステレオレコードの出始め。自分の家にはステレオが無かったので、“どうせ買うならモノラルでしか手に入らないものを”とトスカニーニを買った。なぜフルベンでなくてトスカニーニか?“楽譜に忠実”というスタンスが気に入った?でも実際には、テンポがかなり揺れているとか・・・。
5位のカルロス・クライバーは、自分が良く聞いていた学生時代には有名ではなかった。しかしウィーン・フィルとの「運命」はすごいと思う(ここ)。
高校のとき通っていた土浦の駅前に、西武百貨店があった。そこで、時々LPレコードの“訳あり品”の特売セールをしていた。ジャケットの片隅に丸い孔が開いており、キズ物。でも安かったので良く買った。その時、時々見かけたのがエーリッヒ・クライバーのLP。その息子がね・・・・・
6位のワルターは、何と言ってもマーラーの「巨人」。高校3年のときにこのレコードを買ったが、4楽章の冒頭を聴いたとき、ステレオの素晴らしさを実感した。すこし聴いてみよう。

<マーラー交響曲No.1「巨人」#4~ワルター/コロムビア饗>

駅前に本屋があって、音楽の友社の「名曲解説全集」をいつも立ち読みしては、旋律を追っていた。
考えてみると、自分がクラシックにのめり込んだのはほとんど高校、大学の時。特に大学に入るや、トリオの真空管式FMチューナーのキットを買ってきて、自分で組み立て、下宿の庭に大きなFMアンテナを立ててFM放送を聴いた。そのうちオープンデッキを買って、共同通信社発行の「FMファン」という番組表片手にエアチェックし、夢中になって聴いたものだ。
しかし、会社に入ってからはクラシックのレパートリーは増えていない。つまり聴かなくなった。時間が無くなったせいもあるが、寮が2人部屋だったりして、聞くムードでは無かった?
そして定年近くなって、時間に少し余裕が出来てから、昔聞いた音源を懐かしく聴いているのが今・・・、というワケ。

同じ「レコ芸」の12月号に、「再登場した『ヴォックス』からホーレンシュタインの第九」という記事があった(p353)。何とも懐かしい・・。自分が30cmLPを買ったのは、中学3年の時のアンセルメの第九が最初。それ以前は、ビクターから発売さていたVOXというレーベルの、17cmEP盤に33回転で詰め込んだレコードを買っていた。安いので・・。そこで演奏していたのが、このヤッシャ・ホーレンシュタインであり、プロ・ムジカ管弦楽団、バンベルク交響楽団だった。そしてバイオリンはイヴリー・ギトリス。何と彼は今87歳で、来日中とか・・。この人の独奏で、色々なバイオリン協奏曲を聴いたものだ。

ともあれ、クラシックを聴くと学生時代を思い出す。その時はまさに貪り聴いていたが、それ以降は成長の無い我がクラシック歴である。

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2009年11月20日 (金)

森繁久彌「日曜名作座」再び・・・再放送を聴く

今日の夕刊によると、10日に亡くなった森繁久彌さんの告別式が今日行われたとのこと。
森繁久彌が亡くなって、ラジオ深夜便で「日曜名作座」の再放送があるだろう、と期待していたら、期待通り11月16日から19日まで“特番「ありがとう 森繁久彌さん-日曜名作座、再び-」”という番組が放送された。

内容的には、記念すべき「日曜名作座」シリーズ第1回の昭和32年4月7日に放送された尾崎士郎作「人生劇場・青春編」、そして最終回の平成15年1月19日に放送された藤沢周平作「夜の雷雨」、それに生前縁のあった向田邦子作「かわうそ」と、宮澤賢治作「セロ弾きのゴーシュ」の4本だった。どれも味わい深く、しんみりと聞いてしまった。
同じく、“特集・森繁久彌さんをしのんで~「芸と人」(昭和57年3月20・27日放送)”も放送され、何と「にっぽんのメロディー」(ここ)の中西龍アナウンサーがインタビューしていた。少し聴いてみよう。これは、インタビューの最初+最後の部分である。

<インタビュー「芸と人」森繁久彌~中西龍アナ>
     
(昭和57年3月20・27日放送)

そういえば今朝の新聞に、日曜名作座のCDの全面広告があった。そこに「日曜名作座は世界の文化遺産」という、この番組を演出した上野友夫さんの文章があった。曰く・・・

日曜名作座」は世界の文化遺産
昭和32年4月7日(日)22時15分から初放送された「日曜名作座」の前身は、同じ曜日、同じ時間帯で放送されていた「東京千一夜」である。
これは森繁久彌を中村メイコ二人によるバラエティ番組だったが、装いを新たにして、森繁久彌と加藤道子二人によるラジオドラマとして登場したのが「日曜名作座」である。
その頃、森繁久彌は「警察日記」「夫婦善哉」などの映画でブルーリボン賞、毎日映画コンクール主演男優賞を受賞していたが芸風は軽妙酒脱、そして年令も男盛りの40代、思い切り森繁らしい芝居をしてもらいたいと考えた。
まず「日曜名作座」の狙いはそこにあった。では相手役の女性は誰にする。選ばれたのがNHK東京放送劇団の1期生の加藤道子。彼女は七色の声の持主といわれたが、どちらかといえば芸術派、熱演派で、この二人の組み合わせが功を奏して、再放送を含めてだが、半世紀・50年に及ぶ長寿番組をなった。
「日曜名作座」の収録風景はスタートから最後まで変わらなかった。
森繁・加藤の二人が向かい合い、マイクが立てられたテーブルをはさんで超しかける。
男女二人で演じ分けるという形式のものであるが、「日曜名作座」のように、同じ出演者で、半世紀近く演じてきたのは、さすがにないという。我が「日曜名作座」は、今や世界的文化遺産といってもいいだろう。(上野友夫)」

思い出すと、自分が「ラジオ深夜便」を聞き始めたのが2007年11月(ここ)、そして「日曜名作座」を聞いたのが同じ11月末(ここ)。しかし翌2008年3月でこの番組は終わってしまったので、あまり聞いていない。03年以降の5年間は選りすぐりの作品を再放送していたというが、聞けずに残念だった。
せっかくの文化遺産。またシリーズで再放送を期待したいが無理かな・・・・

せめて今回再放送されたものだけでも聞いて、森繁節を堪能し、ご冥福を祈ろう。

特番「ありがとう 森繁久彌さん~日曜名作座、再び~」(2009/11/16~19放送~各40分)
(1)尾崎士郎作「人生劇場・青春編」(昭和32年4月7日放送の第1回と、同年5月26日放送の第7回の組み合わせ)
  ZIPファイル⇒(ここ)をクリックしてガマンして数分待つ。(36M)
(2)向田邦子作「かわうそ」(昭和56年11月8日放送)
  ZIPファイル⇒(ここ)をクリックして数分待つ。(36M)
(3)宮澤賢治作「セロ弾きのゴーシュ」(昭和45年7月5日放送)
  ZIPファイル⇒(ここ)をクリックして数分待つ。(30M)
(4)藤沢周平作「夜の雷雨」(平成15年1月19日放送~最終回)
  ZIPファイル⇒(ここ)をクリックして数分待つ。(36M)

特集「森繁久彌さんをしのんで」
(A)「芸と人」森繁久彌(1)中西龍アナ(昭和57年3月20日放送)
  ZIPファイル⇒(ここ)をクリックして数分待つ。(23M)
(B)「芸と人」森繁久彌(2)中西龍アナ(昭和57年3月27日放送)
  ZIPファイル⇒(ここ)をクリックして数分待つ。(22M)

(関連記事)
森繁久彌の「銀座の雀」~巨星墜つ
NHKラジオの「日曜名作座」を聴く

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2009年11月19日 (木)

日本の貧困率は最悪~ひとり親世帯で(OECD)

今日は寒かった。東京は記録的な低温で、最高気温が9.4℃。11月で最高気温が10℃を割ったのは17年ぶりとか・・・。それで(?)今日は、“お寒い”話・・・

先日の新聞に、OECDの30カ国における貧困率で“日本は最悪”との記事があり、ヘエーと思った。曰く・・・

「厚生労働省は13日、国民の経済格差を表す指標の一つの「貧困率」のうち、ひとり親世帯の貧困率が2006年に54.3%だったと発表した。経済協力開発機構(OECD)が算出した00年代半ば時点ではOECD加盟国中最悪。・・・・」(2009/11/14日経より)

*「相対的貧困率」=国民の低所得者の割合を表す指標。全世帯の可処分所得を1人当たりに換算して並べ、中央値の半分に満たない人の割合を「相対的貧困率」と呼ぶ。2000年のデータで計算すると、等価可処分所得の中央値(例:100人中50番目の人)は約274万円であり、この半分の額である約137万円に満たない人の割合が貧困率となる。(詳細データはここ

<相対的貧困率>
1)デンマーク   5.3%
1)スウェーデン  5.3%
3)チェコ      5.8%
4)オーストリア  6.6%
5)ノルウェー   6.8%
6)フランス     7.1%
13)イギリス    8.3%
17)ドイツ     11.0%
18)イタリア    11.4%
19)カナダ     12.0%
24)韓国      14.6%
27)日本      14.9%
28)アメリカ    17.1%
29)トルコ      17.5%
30)メキシコ    18.4%
 OECD平均   10.6%

<ひとり親世帯>
1)デンマーク    6.8%
2)スウェーデン   7.9%
3)ノルウェー    13.3%
4)フィンランド   13.7%
7)フランス     19.3%
9)イギリス     23.7%
14)韓国      26.7%
25)ドイツ      41.5%
27)カナダ     44.7%
28)アイルランド  47.0%
29)アメリカ     47.5%
30)日本       58.7%
  OECD平均    30.8%

これによると、国民の低所得者の割合でみる相対的貧困率で、日本はOECD30か国中、ワースト4の14.9%だという。特にひとり親の世帯は最下位で、その割合は58.7%だという。母子・父子家庭の、何と6割が低所得者層に位置付けられている。
北欧の上位は頷けるが、我が日本が格差社会のアメリカに次ぐワースト4位とは、何とも寂しい。“累進課税の日本は社会主義国家のような総中流世帯・・”という自分の思い込みは“勘違い”だったのだ・・・!
調べてみると、90年代半ばは13.7%であり今回は14.9%、徐々に貧困率が上昇しているという。しかしこの数字は、年度で大きく変わる事はなく、この傾向は昔から続く・・・

先日テレビで、ベルリンの壁崩壊20周年にあたり、東西ドイツの現状についての番組があった。東西の壁が崩壊した直後、多くの東ベルリン市民が西ベルリンに入り、コーラを飲み、自由を実感した。しかしそれから20年、多くの東ドイツの人は資本主義自由経済に付いて行けず、職に就けないままに貧困生活を強いられているという。“それまで失業という言葉は無かったのに・・・”とつぶやく言葉が弱々しかった。同じ事は旧ソ連でも聞かれる。

「努力した人はそれだけ報われる」という大原則はその通りだ。しかし現実の日本は、資本主義の権化・アメリカに勝るとも劣らない格差社会を生んでいたとは・・・。
年金生活間近の我々には、もうどうすることも出来ないが、せめて若い世代にチャレンジの“チャンス”だけは与えられる社会になって欲しいものである。
賞味期限切れ間近の我々還暦世代は、せめて現役世代の一助となるべく、持っている金を大いに遣おうではないか。(←自分は持っていないので貢献できないけど・・・)

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2009年11月18日 (水)

「ただいま○○分待ち」の行列 実際は?~数学の世界

先日の新聞に「「ただいま○○分待ち」の行列 実際は?」という記事があり、面白く思って取っておいた。曰く・・・

「行列の待ち時間を並ぶ前に知ることはできるのだろうか。・・・『リトルの公式』を使えばある程度の時間を計算できる・・・。これは米国のジョン・リトル教授が証明した公式で待ち091116machijikan 時間を「行列の総人数÷行列に加わる人数」で算出する。例えば20人の行列に1分間あたり4人が新たに加わる場合、待ち時間は20÷4=5分。そこで考えた実験方法は、・・・」と、1)リトルの公式 2)施設の従業員に待ち時間を聞く 3)実際の待ち時間 を測定したものがこの表。(2009/11/14日経新聞p7より)(写真はクリックで拡大)
結果は、リトルの公式はかなりの精度だった。しかし、この公式が成り立つ条件として「列の長さが変らないこと。切符を買って列から離れる人と新たに買おうと加わる人の数が同じ」が必要。それに、施設側は待ち時間を長めに表記する傾向がある。これは実際の待ち時間が表示よりも長ければ苦情が出かねないから・・・。

話は飛ぶが、さっきボヤッと「NHKスペシャル 魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い~」これ)を見た。テーマは「一見無秩序でバラバラな数列にしか見えない素数が、どのような規則で現れるか」 だ。中学だったか高校だったか忘れたが、「素数」ナンテいう言葉は懐かしい・・・。考えてみると、素数なんていう言葉が出てきた頃の「数学」は大好きだった。しかし大学に行ったとたん数学は大嫌いになった。なぜか?数学がホンモノになったから・・・(←要は急に難しくなって付いて行けなかった!?)
この番組にも出てきたが、∑が出てきて、その公式から人間味を感じることは出来なかった。高校までの数学は実に人間味あふれて好きだったのに・・・!?

この番組で、とにかくビックリしたのは、「リーマン予想」というとんでもない数学界の難問が、何と一般向けのTV番組として登場したことだった。昨夜も再放送をしていたが、映画「博士の愛した数式」に出てくる主人公も、この数学の世界に身を置く人だった。
この難しい「リーマン予想」の番組を見たあとで、『リトルの公式』の記事を改めて読んだら、なんという当たり前の公式か・・・・。列の人数が変らなければ、入れ替わった人数分だけ自分が列で進むのは当たり前。その入れ替わりが何回必要かで、待ち時間が計算できるのは当然・・・。

難しい「リーマン予想」を見た後だけに、自分の数学的感覚が昔に戻って(!)、『リトルの公式』がピンと来たのかもね??
しかし、この記事を読んだ時にピンと来なかったことだけは確か。それだけ自分にとって数学が遠くなった証拠・・? でも、かつてのビジネスの世界では、数学的な論理的な考え方が役に立ったと、自分では思っていたのだが・・・。
しかし、歴史の勉強はやり直そうかと思ってはいるが、数学のやり直しは一切考えていない自分ではある・・・。

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2009年11月17日 (火)

思い出のTV・ラジオ主題歌集(1)

新企画「思い出のTV・ラジオ主題歌集」ナンテいうのは如何?
我々還暦世代が子供の頃に聞いていたテレビ・ラジオの番組のテーマソングを集めてみた。こんな音楽を聴きながら懐かしさに浸るのも一興か?
戦後の番組から、古い番組から順に追いながら、気になった曲を聴いて行く。何回まで続くか分からないが・・・

①<「とんがり帽子」(コロムビアゆりかご会、川田正子)>

敗戦直後の時代背景をもとに、長野県の高原にある戦争孤児の施設を舞台にした物語の「鐘の鳴る丘」の主題歌。映画化もされてヒットした。もちろん曲は知っているが、番組を聴いたことはない。当時0歳なので当然・・・(昭和22年(1947年)7月~昭和25年(1950年)12月NHKラジオで放送)(関連記事:ここ

②<「さくらんぼ大将」(川田孝子、コロムビアゆりかご会)>

「鐘の鳴る丘」の後、昭和26年からNHKラジオから放送された。もちろん自分は知らない。

③<「笛吹童子の歌」(上高田少年合唱団)>

昭和28年に1年にわたって放送された「新諸国物語 笛吹童子」(昭和28年(1953年)1月5日~12月31日NHKラジオで放送)。この作品も映画化され、中村錦之助(後の萬屋錦之介)と東 千代之介の主演で人気となった。これは少し知っているが、記憶があやふや・・(関連記事:ここ

④<「ヤン坊ニン坊トン坊」(里見京子、横山道代、黒柳徹子)>

これも多分聞いた事が無い。(昭和29年(1954年)4月~昭和32年(1957年)3月31日NHKラジオで放送)

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2009年11月16日 (月)

ここ20年間の銀行の変遷~23行から6行へ

先の市町村合併では、自分の頭の中にあった昔の都市の名前が消えてしまい、ワケが分からなくなっているが、実は銀行の合併劇も同様に、自分の頭の中はワケが分からなくなって取り残されていた。
091117ginko ところが、先日の日経新聞(2009/11/15p4)に、その変遷を示した図が掲載され、この記事は取っておこう・・・と思った。そこで“手軽なblog”にメモしておくことにした。(blogは実に簡便な「メモの入れ物」なのである。~検索機能で直ぐに見つかるので・・)(写真はクリックで拡大)

銀行の名で自分の頭にあるのは、やはりこの図の20年前の23行。これならイメージが湧く。しかしその後の合併劇で何がなんだか分からなくなった。特に分からないのが、ひらがなの行名。「さくら」「あさひ」「あおぞら」「みずほ」そして「りそな」・・・
正直言って、漢字が残っている行名ならだいたい見当が付くのだが、ひらがなは分からない。特に「みずほ」と「りそな」が分からない。

各社のHPには下記のように紹介されている。
「「みずほ(瑞穂)」は、「みずみずしい稲の穂」を表す言葉であり、「みずほ(瑞穂)の国」は、実り豊かな国を意味する日本国の美称として用いられています。この名称は、グローバルな金融市場において、日本を代表する金融機関として、最高水準の総合金融サービスにより、国内外のすべてのお客さまに豊かな実りをご提供していくという決意を込めたものです。みずみずしさを感じさせる若々しい語感は、新しい企業文化にふさわしく、広くみなさまに親しんでいただける名称であると考えています。」(みずほFGのHP(ここ)より)

「「りそな」は、ラテン語で「Resona=共鳴する、響きわたる」という意味を持っています。私たちにとって、もっとも大切なものは、お客さまの声です。お客さまの声に耳を傾け、共鳴し、響き合いながら、お客さまとの間に揺るぎない絆を築いていこうという思いをこのネーミングに込めました。」(りそなHDのHP(ここ)より)

一方「UFJ」というのも分からない。同じくHPによると、
「「三和銀行」と「東海銀行」の合併により誕生した。社名は「United Financial of Japan」の頭文字をとり、「我が国を代表する総合金融グループを創造していく」という思いが込められている。」(UFJ銀行のHP(ここ)による)

これらを見ていくと、「りそな」は造語に近い。同じ造語で有名なのがSONY。
「音『SONIC』の語源となったラテン語の『SONUS (ソヌス)』と小さいとか坊やという意味の『SONNY』から来ています。簡単な名前で、どこの国の言葉でもだいたい同じように読めて、発音できることが大事ということで考案されました。」(SONYのHPより)

SONYについては、昔(昭和30年代)竹ひご飛行機(ライトプレーン)に「ソニー号」というのSony2 があって、竹ひごの上に貼った紙に「SONY」と誇らしく印刷されており、良く知っていた。そして「ソニー」って何?と疑問に思い、語源を聞いたので当時から知っていた。また大学の就職活動でSONYに企業訪問に行ったとき、担当者から「SONYは“ソニー電気”ではありません。これは将来どのような分野にも進出出来るように単にSony Corporationとしています」と紹介されたのを今でも覚えている。もっとも、あれから40年近く経ったが、“SONY電気”以外に広げたような印象は無いけど・・・

話が飛んだ。銀行は製造業などと違って、どの銀行も同じような仕事をしている。それだけに店舗の重複など、合併の効果はあるのだろう。しかしカンバンをどうするかは、大問題。確かに「太陽神戸三井銀行」というのも素人的には分かり易いが、長続きはしない。合併時に一番大きな銀行名にするというのも、される側にとっては抵抗感があるのだろう。だから「喧嘩両成敗(?)」的に、どこにも関係の無い行名にする・・・。まあそれも分かるが、少なくてもその行名に「すべてのお客さまに豊かな実りをご提供していく」とか「もっとも大切なものは、お客さまの声です」とかいう「顧客志向」は無いな・・・

ふと山崎豊子の「華麗なる一族」を思い出した。小が大を食って銀行合併をしたが、実はそれは、もっと大きな銀行から合併される第一段階だった・・・、という結末だったように記憶している。

でも、生き残りを賭けた合併も悪い事ばかりではない。当blogの記事の中の、“小椋佳が語る「少しは私に愛を下さい」の誕生秘話”ここの頁の下の方)のように、「この歌は勧銀時代、アメリカに留学していた時、3日遅れで送られてきた日経新聞を見たら、“勧銀が第一銀行と合併”と載っていた。それで勧銀のトレードマークのバラともお別れか・・・と思って出来た歌だという。」と、名曲が生まれるキッカケにもなるのだ。
少なくても自分にとっては、銀行名がどうなろうと「少しは私に愛を下さい」の方が重大なのだ・・・。相変わらず“りそな”と“みずほ”の区別がつかない自分ではある・・・

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2009年11月15日 (日)

「生かされているいのち」

前の記事(これ)に引き続き、「大法輪(2009年12号これ)」で気になった記事。

「釈尊の「覚り」
  真宗大谷派教学研究所長・大谷大学前学長 小川一乗
・・ところで、釈尊の「覚り」とは、生まれ死ぬ「いのち」への目覚めです。私たちは、「いのち」を私のものであると、「私のいのち」として、それを私物化して生きています。しかし、釈尊は、「私のいのち」ではなく、さまざまな因縁によって「生かされているいのち」であることを明らかにされました。それが「覚り」を支えている「いのち」への目覚めです。「生かされているいのち」であるから「縁起するいのち」であり、因縁が尽きれば残存する「いのち」はありえないから、「無我なるいのち」であり、そのような「いのち」は本来的には「空(ゼロ)なるいのち」なのです。
私たちは「いのち」を私物化して、自分の思い通りに生きようとします。しかし、思い通りに生きられず、苦悩が絶えません。「生かされているいのち」を生きていることへの目覚めがないからです。釈尊の「覚り」に同感したとき、「私のいのち」という自我(エゴ)の思いによって作り出されている苦悩から開放されて生きる者となれます。そのような仏に成りたい、と願わずにはおれません。
そういう私たちのために、大乗の菩薩たちは、「すべての人びとが仏に成らなければ、私も仏に成らない」という、菩薩行を展開したのです。」(「大法輪」2009/12号p57より)

まさに我々は、自分の命は自分のものと思っている。だから例えば病を宣告されたとき、「何でオレだけが・・」と思う。何かによって「生かされている」なんて、とても思えないので・・・。でもそれが本道だという。それが目指す道(覚り)だという・・・。
そして「因縁が尽きれば、空なるいのち」だという。言葉では「そうだろうな」と分かっても、心では分かっていない。なぜか?「空」が分かっていないから・・・
だから自分には「覚り」なんて程遠い世界・・・。

でもこの文章は、般若心経を解説しているようにも聞こえる・・。ふと柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」の全文朗読を思い出して聴いてしまった。(これ ←聞いた事がない方はぜひ一度ここをたたいてみて下さい。=Windows Media Player)

肩を怒らせないで生きる事の難しさ・・。でも自分も還暦を過ぎて、だいぶん肩から力が抜けてきたとは思うのだが・・・・。

<付録>
「木魚」はなぜ魚に関係するのか?
昔、中国人が魚をじっくりと観察し、魚が四六時中、目を閉じないことに気付いたという。そのことから、古くから中国では魚は夜も昼も眠らない勤勉な生き物であると考えられたのだ。・・・読経中や座禅中、あるいは師匠の話を聞いているときに、つい居眠りをして大目玉を食らった僧侶も少なくなかっただろう。そこで、怠惰や居眠りを戒めるために、勤勉な魚の形をした鳴り物を考案したのである。・・・(「大法輪」2009/12号p184より)

(関連記事)
「般若心経」と「穏やかな心」

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2009年11月14日 (土)

ちあきなおみの「紅とんぼ」

ふとさっきTVを点けたら、BS2で「歌伝説 ちあきなおみの世界」(H17年)の再放送をしていた。最初の紹介で、ちあきなおみの誕生日が自分とほとんど同じと聞いて、自分の生きてきた年代と照らし合わせながらツイ見てしまった。あの時は自分は・・・と。

前に「かもめの街」について書いた(ここ)が、ちあきなおみの歌唱力は素晴らしい。番組の中で船村徹が「(ちあきなおみは)おたまじゃくしの裏を歌えるということ。おたまじゃくしをなぞっていく歌い方は誰でもやるが、文章で言うと行間を読むというか、それが我々の世界ではおたまじゃくしの裏側を歌い、弾くということ。それが出来る人だなと思った。“紅とんぼ”の場合でも、そうじゃないとあの曲は無理ですよね。それをピシッとやってくれた」と言っていた。
歌のこころを歌えないとプロにはなれない・・・。聞く人の心を揺さぶらない・・・。ちあきなおみは、それが出来たので芸能界からH4年に去ってから、既に17年も経っているのに未だに語り継がれる・・・。

<ちあきなおみの「紅とんぼ」>

「紅とんぼ」
  作詞:吉田 旺 
  作曲:船村 徹

空にしてって 酒も肴も
今日でお終い 店仕舞
五年ありがとう 楽しかったわ
いろいろお世話になりました
しんみりしないでよ ケンさん
新宿駅裏 紅とんぼ
想いだしてね 時々は

いいのいいから ツケは帳消し
みつぐ相手も いないもの
だけどみなさん 飽きもしないで
よくよく通ってくれました
唄ってよ騒いでよ しんちゃん
新宿駅裏 紅とんぼ
想いだしてね 時々は

だからほんとよ 故里へ帰るの
誰も貰っちゃ くれないし
みんなありがとう うれしかったわ
あふれてきちゃった想い出が
笑ってよ涕(な)かないで チーちゃん
新宿駅裏 紅とんぼ
想いだしてね 時々は

たまたま先日、テレビ東京の「空から日本を見てみよう」(これ)で新宿駅の周辺を映していたが、大きなビルの間に、低層階の一角があった。戦後から続く横丁だという。
この歌は、そんな店を舞台にしているのだろう。
多くの世のサラリーマンは、会社の帰りにこんな店で一杯飲んでウワを晴らして帰るのが一般的だった。今はどうなのだろう?
自分の場合は、あまりこの雰囲気が好きで無かったので、自分から進んで行く事は無かった。誘われれば付き合ったが、そのうちに居酒屋チェーンが台頭し、そっちに行く事が多かった。よって、この歌で歌われたような店には縁が無かったな・・・。
何か古き良き日本を歌っているような名曲ではある。

(関連記事)
“ちあきなおみ”と“すぎもとまさと”の「かもめの街」

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2009年11月13日 (金)

山崎ハコの「白い花」と「こころの花」

昨日は、天皇の即位20周年の記念行事が行われ、何とEXILEというグループが歌ったという。J-POPと天皇・・、何かピンと来ないが、前に奈良・東大寺大仏殿昭和大修理落慶記念行事で、さだまさしが歌った。この時もアレッと思ったが、その時代の楽曲が奉納されるということで、何の不思議も無いとか・・。まあ昨日も同じ視点かな?
091113yamazakihako でも最近の歌は、このように賑やかなものが多い。昔はシンプルだが心に響く歌が多かった・・・。ナンテいうわけで、今日はギター伴奏のシンプルな歌、山崎ハコの「白い花」を・・・
この「白い花」は山崎ハコの1976年5月発売のセカンドアルバム「綱渡り」に収録された歌。新録音盤を聞いてみよう。(写真はクリックで拡大~ここから借用)

<山崎ハコの「白い花」>

「白い花」
  作詞:山崎ハコ
  作曲:山崎ハコ

私の目の前の白い花
人目にもつかず咲いているけれど
幸せそうに ほほえんで
香りを漂わせる
できることなら この指で
お前を摘んでしまいたい
あの人の心に 誇らしく
咲いてるお前を

白い花びら はにかんで
とてもきれいに見えるわ
お前のように 咲きたかった
あの人の心の中に

ひそかに きれいに 咲くがいい
美しい白い花よ
あの人と いっしょに 生きて行け
あの人をなぐさめながら

お前をみつめて 生きて行く
私の気持ち知らないで
私にやさしいほほえみを
かえす 白い花
ひそかに きれいに 咲くがいい
ほほえむ 白い花よ
あの人と いつまでも 生きて行け
あの人をなぐさめながら

上の写真にも写っている夫君の安田裕美のギターが、何と柔らかくしっとりとしていることか・・・・。そして歌詞の何と恐ろしい・・・(研ナオコの「愚図」を連想させる歌詞だね・・)

091113tabino この「白い花」と旋律が同じで、同じ山崎ハコが歌う「こころの花」という別の歌がある。調べてみると、前進座公演「旅の終りに」という芝居の挿入歌として五木寛之が詞をつけたものだという。この芝居は、前進座創立七十周年記念特別公演として、中村梅雀の主演で2001年から2004年にかけて全国を巡回したもので、山崎ハコはギター伴奏の安田裕美と共にこの芝居に出演し、舞台でこの「こころの花」を歌ったという。この歌の録音が素晴らしい。

<山崎ハコの「こころの花」>

「こころの花」
  作詞:五木寛之
  作曲:山崎ハコ

私のこころに咲いている
桔梗の白い花よ
かすかに汚れているけれど
それでもきれいよ
この世に生きて行く切なさを
身に滲みて知りながら
やさしく微笑んで咲いている
小さな白い花

真っ赤に咲く花もあるけれど
桔梗の白い花よ
ひっそりゆれている横顔が
とてもきれいよ
私も小さな白い花
ずいぶん汚れちまったけれど
お前のように清らかに
この世に生きたい

雨に打たれながら咲いている
桔梗の白い花よ
あの人の心に届けたい
私の想いを
誰にも知られずに咲いている
小さな花だけれど
いつかはきっと振り返る
気付いてくれるでしょう

その日を信じて咲くがいい
桔梗の白い花よ
みんなの心に咲くがいい
りりしく美しく

091113kikyou 091113kokoronohana 091113kokorono

どちらが好きか? 自分は山崎ハコのオリジナルの方が、迫力があって好きだな・・・。
ふと桔梗の花というのはどんな花かと探してみたら、こんな花だという。白い桔梗の花もあるらしい。
ともあれ、時代のせいか、最近はこのような曲調の歌が聞けなくなった。よって古い歌を思い出して聞くしかないよね。

*なお、上の話と関係ないけど、今日は米オバマ大統領来日で大騒ぎ。それと今日は我が家の結婚“33回忌”だそうだ。よくもまあ33年も・・・・!?

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2009年11月12日 (木)

「先生(教師)」というコワ~イ職業・・・

広辞苑によると、「先生」とは「①先に生れた人。②学徳のすぐれた人。自分が師事する人。また、その人に対する敬称。③学校の教師。・・・・」とある。

一週間遅れで、通勤電車の中で聞いているNHKラジオ深夜便。先週の「ミッドナイトトーク」は、「忘れられない出会い」というテーマ。今朝は、脚本家・田渕久美子さんの話を聞いた。(これ
先に聞いた阿木燿子さん、山本一力さんでも「忘れられない出会い」で必ず先生が出てくる。それほど、子供の頃の学校の先生の影響は大きいということ。
田渕さんも、島根の高校の先生のことを語っていた。田渕さんは何としても東京に出たかった。しかし母親は「女の子だから大阪・京都まで」と制限し、話が進まない。それを3者面談の時に、先生が「娘さんはそんな事では収まりませんよ。やりたいことをやらせてあげて・・」と頼んだとか。意外な言い方に、母親も本人もビックリ。それで母親の態度が変わって、自分の思った東京の大学に進めた、と言っていた。これがその後の大脚本家を生む素地に・・。

先生の両親へのアドバイス(直訴)が人生の転機になった、という話は良く聞く。子供のそれぞれの適性は、クラスの様々な子供たちとの比較の中で、教師が一番分かるのだろう。家族の中では、適性はなかなか見えない。比較対象も無いので・・・。そして、子供の才能を見抜くことが出来た教師は、直訴(?)という一線を越えてでも、その子供の才能を花開かせようと動く。そしてその事が、親が知らなかった子供の隠れた才能に気付かせ、その道で世の中で認められる人に成長するケースは良くある。

もう一つ話していたのが、先生の融通。田渕さんは完璧な文系で数学が全くダメ。あるとき、先生に呼ばれて「こんな問題は解けないか」と、多分易しい問題を出されたが、やっぱりダメ。それで先生も「もういい」と諦めたとか。これら先生の色々な融通には助けられたという。でも息子の学校を考えると、女の先生の方が融通が利き、男の先生はダメと言っていたが、こればかりは意外・・。女性はどんな場面でも型通りで融通が利かないと思っていたのだが・・・・

ご多分に漏れず、自分も子供の頃の先生は良く覚えている。顔も直ぐに思い出す。しかし校長・教頭先生の顔は思い出さない。つまり、身近で話を聞く先生の影響が大きいという事だ。ふと、学校の先生というのは、何人位の生徒の心に生き続ける(覚えられている)のだろう、と考えてみた。前に書いた高校の先生の場合(ここ)、担任になり得る一般の教師生活が28年だった。教頭、校長は多分子供に直接的な影響は与えないと思うので除外した。1クラスの人数は、自分の頃は50~60人位いたが、まあ40人とすると、毎年担任するクラスの全員が別と考えると、40人×28年=1,120人。ざっくり言って、教師の一生で、1000人規模の人間の「こころ」にその姿が焼き付く可能性がある、ということ。(良くも悪くも・・・)

自分の場合を振り返ってみると、自分の人生に大きな影響を与えた先生がいたかというと、それは無かったと思う。まあこれは、自分に特殊な才能が無かったので、先生の目に留まらなかった、というだけのことだが・・・。

昔、次男が中学受験をしたことがあった。その時、ある塾のテキストで自分が次男に付きっ切りで教えた事があった。その時感じたのが「砂に滲みるように」という感覚。その点、教師は実に責任重大な職業だと思う。戦時中、軍国教育によって数多くの人が戦争に駆り立てられた事は周知の事実。「生きて虜囚の辱めを受けず」でたくさんの人が降伏せずに玉砕したのも教育。中国が日本から侵略を受けた盧溝橋事件の日を「国辱の日」としているのも教育(ここ)。

まっさらな人間(子ども)に何を教えるかということは重大。言うまでも無く、人間の長い人生の生き方は、子どもの時に受けた教育によって大きく影響を受ける。もちろん巡り会った人からも・・・。その点、教師は子どもにとって「先生=模範の人間像=学徳のすぐれた人」と映る。

昔、高校のとき、受験でどの学部を受けるかにあたって、大学生だった兄貴から教師の道を薦められたことがあった。“人間を作る事は素晴らしい”と・・・。それは確かだが、運良く挫折したため、その道には進まなかった。今更ながら“危ないところだった”と思う。人間を作る職業など、恐ろしい・・・・。(とてもとても、自分にそんな能力は無かった!)
良くも悪くも、子ども(の人生)に大きな影響を与える教師という職業。
今の先生方も当然、「人間を作る」、「(自分の姿(生きザマ)が)いつまでも子どもの心に宿る」ことを前提に子どもと接しているとは思うが・・・・
まさに「先生」とは、恐ろしい職業である。
今頃、先生にならずに良かったと、ホッとしている自分である。(←本当は負け惜しみ!?)

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2009年11月11日 (水)

森繁久彌の「銀座の雀」~巨星墜つ

今朝新聞を広げてビックリ。昨日、森繁久彌さんが老衰のため96歳でご逝去とのこと。まさに「巨星墜つ」である。
森繁久彌の歌で先ず思い出すのが「知床旅情」だろうが、自分は「銀座の雀」の方が好きだ。少し聞いてみよう。

<森繁久彌の「銀座の雀」>

   「銀座の雀」
     作詞:野上 彰
     作曲:仁木他喜雄

   「たとえどんな人間だって 心の故郷があるのさ
   俺にはそれがこの街なのさ
   春になったら細い柳の葉が出る 夏には雀がその枝で鳴く
   雀だって唄うのさ 悲しい都会の塵の中で
   調子っぱずれの唄だけど 雀の唄はおいらの唄さ」

   銀座の夜 銀座の朝
   真夜中だって 知っている
   隅から隅まで 知っている
   おいらは銀座の 雀なのさ
   夏になったら 鳴きながら
   忘れものでも したように
   銀座八丁 飛びまわる
   それでおいらは 楽しいのさ

   「すてばちになるには 余りにも明るすぎる
   この街の夜この街の朝にも 赤いネオンの灯さえ
   明日の望みにまたたくのさ 昨日別れて今日は今日なのさ
   惚れて好かれてさようなら 後にはなんにも残らない」

   春から夏 夏から秋
   こがらしだって 知っている
   霙(みぞれ)のつらさも 知っている
   おいらは銀座の 雀なのさ
   赤いネオンに 酔いながら
   明日ののぞみは 風まかせ
   今日の生命に 生きるのさ
   それでおいらは うれしいのさ

Netで調べてみると、「この曲は昭和25年にラジオ番組”愉快な仲間”でスタッフの一員だった野上彰がバーの壁に落書きした詩に音楽担当の仁木他喜雄が曲を付けて”酔っぱらいの町”という曲名で歌手の藤山一郎が歌い、その後昭和30年に映画の主題歌として”銀座の雀”という曲名で森繁久彌が歌い、大ヒット曲となりました。」(出典ここ)とある。
この原曲も少し聴いてみよう。語りと歌詞が微妙に違う・・・

<森繁久彌・藤山一郎の「酔っぱらいの町」>

若い人は分からないだろうが、昭和25年~30年頃の銀座の風景を思い出しながらこの歌を聞くと、何となく納得できる。そこには戦後の、何となく寂しい姿がある。都会独特の冷たさか・・・。

森繁久彌と言えばNHKの「日曜名作座」だ。2年ほど前、自分がNHKラジオ深夜便を聞き始めた頃、30年も前の「日曜名作座」の再放送があり、何とも懐かしかった。(ここ
森繁さんを追悼して、これから多分色々な番組の再放送があるだろうが、その中に「日曜名作座」の再放送が含まれることを祈りたい。
今日は、こんな歌でも聞きながら、森繁久彌さんのご冥福を祈る事としよう。

(関連記事)
NHKラジオの「日曜名作座」を聴く
森繁久彌「日曜名作座」再び・・・再放送を聴く

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2009年11月10日 (火)

「人間の狂気と平和」

雑誌「大法輪」の今月号(2009年12月号これ)、コラム「仏教の眼」に「人間の狂気と平和」という記事があり、心にズシンと応えた。曰く・・・

人間の狂気と平和
   寛永寺一山円珠院住職 杉谷義純

今年は第二次世界大戦がヨーロッパで勃発してから70年を迎えた。・・・
・・・・(中略)
ユダヤ人であるというだけで、ナチスドイツによってこのアウシュビッツに収容され、命を奪われた人々は110万人に達するという。想像力に乏しい私には、聞いただけでは実感としてとらえられないほどの大きな数字である。ところが、収容所に展示されていた5万を超える遺品の靴の山を見た途端、その膨大な量にホロコーストのすさまじさが迫ってきた。
アウシュビッツ展示博物館は、戦争の悲惨さと人間の狂気の記憶の場として整備されたという。そして誰れもが、このような残虐行為が20世紀の半ばに行われたことに驚き、同じ時代に二度と起り得ないことと思ったに違いない。ところが1970年代のカンボジアでは内戦が起り、実権を握ったポル・ポト政権は、反政府行動を起こす危険があるとして、インテリ層、技術者、資本家、僧侶など300万人を殺害した。一方、アフリカ中央部に位置するルワンダでは、1990年にやはり内戦が勃発、フツ族よるツチ族の大量虐殺が行われ、100日間で100万人もの人々が命を壊れたのである。
さらには1993年、ボスニア・ヘルツェゴビナで内戦が勃発、20万人に及ぶ犠牲者を出した。この紛争では、セルビア人による非セルビア人殲滅作戦、いわゆる民族浄化が明るみに出た。ナチスドイツが行った民族浄化を、忌わしい人間の狂気として二度と蘇ることのないよう「記憶の場」として、アウシュビッツが発信し続けてきたのにもかかわらず、今、この我々の時代にこの殺戮が起きたのである。
・・・・・・(中略)
広島・長崎への原爆投下は、ホロコーストと同様、人間の狂気の仕業ではないかと思う。いくら戦争の早期終結のためとか、自国兵士の犠牲を少なくするためとの弁明があっても説得力に欠ける。それゆえ異なる構造の原爆を矢継ぎ早に投下した、隠された意図に戦慄を覚えるのである。
・・・(中略)
法華経の中に「十界(じゅっかい)」という、人間の心の実相を説明している言葉がある。「十界」とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩、仏の十の世界をいう。私たちは通常人間の心を持ち、思い悩んだり喜んだりしているが、怨みを抱けばたちまち修羅と化して暴力を振る。空腹になって自制心を失えば畜生も驚く行動も取りかねないのである。しかし地獄界に堕ちたといえども、これらの十界にはそれぞれ他の九界も具わっているので、救われる一縷(いちる)の望みもあるという。これを十界互具(じゅっかいごぐ)という。まさに私たちの心は正気と狂気の境を常に彷徨(さまよ)っているといわねばならない。
いくら科学技術が進展しようと、また人権思想が浸透しようとも、人間の本質は少しも変っていない。その行動を自制する「愚者の自覚と懺悔の心」をいかに保てるか。平和は決して他人事ではないのである。」(「大法輪」2009年12月号p36より)

ルワンダやサラエボについては、前に映画を見て記事を書いた(下記)。その記事を改めて読んでみると、確かに100万人の虐殺、20万人の虐殺・・と書いている。しかし、何と実感が伴っていないことか・・・。上のコラムの筆者と同じように、あまりに多い数にピンと来ない。でもそれは単なる星の数ではない。人間の命の数なのだ・・・・(ポル・ポト政権についてはまだ不勉強・・)

半藤一利氏は「昭和史」で、日本の太平洋戦争への道は「国民的熱狂」が一因だと指摘している(ここ)。よって、日本人だって他人事ではない。その結果、太平洋戦争の日本人の犠牲者は310万人・・・。
それに対してアウシュビッツでの犠牲者110万人、カンボジア内戦300万人、ルワンダ内戦100万人、ボスニア内戦20万人という規模・・・。これらは日本人の310万人とは違い、戦って死んだのではなく、殺戮された数・・・・

人間はもともと狂気を持ち合わせている。しかしそれを自分の意思で抑えられるから「人間」なのだ、と良く言われる。しかしそれは一応「満ち足りている」状況下でようやく保たれている平静であり、パニックなどの状況下にあっては意外と脆いかも・・・・
我々も残された人生、そのような狂気を出さずに済めばそれに越した事は無いのだが・・・。
そのために、年金は大切にせねば・・・(←ン?? ←人間、金が無くなると人間性を失うので・・!?)

(関連記事)
映画「ルワンダの涙」を見て
映画「ホテル・ルワンダ」の重たいテーマ
映画「サラエボの花」を見て~戦略のレイプ

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2009年11月 9日 (月)

「社会を冷静に観察する中学生」~子ども手当て

昨日の朝日新聞の投書欄に「社会を冷静に観察する中学生」という投稿があった。曰く・・・

社会を冷静に観察する中学生
    中学校教員 羽田澄子(埼玉県久喜市 48)
中学3年の国語のテストで、鳩山政権の政策を一つ取り上げ、自分の考えを200字以内の文章にまとめるという課題を出した。88人が様々な意見を提示してくれた。
意外にも、「子ども手当はなくしてほしい」が36人で1位だった。理由は「親は何に使ってしまうかわからない」が最多で、「その場しのぎに過ぎない」「保育所を増やすなど支援を目に見える形にしないと、安心して子供を産めない」と続く。子ども手当の対象者が書いたと思うと、苦笑いしてしまう。
2番目に多かったのは「公立高校無償化に反対」の24人。理由は「中学を卒業したらすぐ働きたい人や職人に弟子入りしたい人がいるかも」「誰もが高校へ行きたがるという考えを前提にしているのがおかしい」などシビアだ。
私は感心した。子供たちは親や社会を冷静に見ている。「いい大学」を出れば「いい仕事」に就けるとも思っていない。学歴偏重への批判ともとれる。閉塞感あふれる世の中で、人生には実はもっと様々な選択肢があるはずだ、と言いたいのかもしれない。」(2009/11/8朝日新聞p6より)

この指摘は、非常に興味深く、またナイーブだ。
本論から外れるが、学校の授業でこのような政治的なテーマを、いとも簡単に採り上げることが出来る現在の教育環境に、まず感心した。“その昔”であれば、少しでも政治的な話をすると、「思想的に偏っている」とか言われたもの・・・。
しかしまさに今検討が進んでいる国の動きをテーマに挙げるとはなかなかニクイ。でも、中学生にとってはたくさんあるマニフェストの中で、自分たちが当事者になる身近なテーマに子供たちの意識が集中するのは仕方が無いこと。でもその一つのテーマを見つめただけでも、子ども自身が疑問を抱いている現実がここにある。せっかくの国民のお金だが、自分たちの親が他に使うであろうことを予測している・・。何とも寂しい話だ。
前に、同じように教員が投書で、給食費を払わない親を家に督促に行ったとき、ちょうど温泉旅行から帰ったばかりの家族にばったり・・という体験をされ、「子供手当てを支給するなら、給食費への充当を・・」、と言っていた。これも然り・・・・

大変な額の“国民の金”を遣うバラマキ施策・・。もしその施策に国民の同意が得られたとしても、その方法が大問題・・。お札の一枚一枚に印は付けられないから、何らかの方法で「子ども」以外には使えない仕組みをどう作るのか・・・。国民が政府の動きをじっと見つめている・・・

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2009年11月 8日 (日)

金子由香利の「スカーフ」

今朝、ぼやっと新聞を読んでいたら、金子由香利のコンサートの広告が出ていた。
「金子由香利 シャンソン・リサイタルVol.30~日本のシャンソン界のカリスマシンガー金子091108kanekoyukari 由香利。そのコンサートツアーが今回の30回でいよいよファイナルを迎える。・・・今回も名曲の数々を情感豊かに熱唱し、大人の雰囲気あふれる本物のシャンソンを堪能させてくれる。」とある。もちろん単なるツアーのファイナルなのだが、なぜかこの「ファイナル」という言葉が気になった。年齢不詳な方だけに、いつ引退されるか分からないので心配・・・?
今日は、金子由香利の「スカーフ」という歌。

<金子由香利の「スカーフ」>

「スカーフ」
  作詞・作曲:Maurice Fanon

あなたが残した スカーフよ
二人だけの 絹の思い出
暖かく つつまれた
あの頃を 思い出すの
項(うなじ)にふれる あなたの指を
あなたと呼んだ あの頃の事を

あなたが残した スカーフよ
二人だけの 絹のささやき
夜のとばりに 二人の膝に
もう一度 見ているの
愛し合う 人達の
夜がおろす 夢の事を

あなたが残した スカーフよ
二人だけの 絹のためいき
あなたの居ない 淋しさに
今も残る ぬくもりよ
絡み合った 二人の指の
ほどかれた さよなら

あなたが残した スカーフよ
二人だけの 絹の思い出
愛し合った あの頃を
思い出すため・・・・

1年半ほど前に金子由香利さんの「再会」について書いた(ここ)。特に調べてもいないが、相変わらずNetではその人物像の情報が得られない人・・・。逆にその“ナゾ”が心地よい。
実は自分はシャンソン好きでも何でもない。タダ単に自分にフィットした歌を聞いているだけ・・。それで金子由香利さんの歌は「再会」とこの「スカーフ」という2曲を聴いている。
しかしこの情感あふれるこの歌詞は、“我々の現実”に蓋をして別世界に誘う・・・。オトナはこうでなければ・・・。それに比べて、“携帯メールで直接「直訴」・・・”ナンテいう情感のない直接的な態度では、到底歌にならない・・・。やはりこのように“奥ゆかしく”なければ・・・

この金子由香利さんの「スカーフ」の音源を、自分は2つ持っているが、両者で歌詞が微妙に違う。最初の、「あなたが残した スカーフよ」を「襟に巻いた スカーフよ」と歌う。訳詩なので変る事もあろうが、これもナゾだ・・・・

最後に微妙に違う「スカーフ」を聴いてみよう。歌の前後にかなり長い街角の騒音が入っている珍しい(?)録音。
まあ自分には全く縁のない「オトナの恋」である。

<金子由香利の「スカーフ」(別録音)>

(関連記事)
金子由香利の「再会」~おとなの歌

●メモ:カウント~65万

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2009年11月 7日 (土)

映画「沈まぬ太陽」を観る

映画「沈まぬ太陽」を観た。山崎豊子の作品は、今テレビでも「不毛地帯」が放送されており、またJAL再建問題がニュース番組をにぎわしている時でもあり、タイミングとして良いのか悪いのか・・・
結論として、この映画は、会社で不遇を嘆いている人、自分の居場所が見つからないと思っている人などに見て欲しい映画だと思った。

3時間22分の大作。途中で10分の休憩が入る。昔、「ベン・ハー」を観た時に途中休憩が入り、ビックリしたのものだが、日本映画としては珍しい。
この映画は、前に小説を読んでいたこともあり、必ず見たいとは思っていたものの、相棒のカミさんが絶対に見ないという。こんな暗い話を見る気はしないという。確かに、あえて暗い話に首を突っ込むのも、気が重いのは確かだが・・・。その“説得工作”が暗礁に乗り上げたため、仕方なく今日一人で見てきた。
S60 う~ん。観終わって・・・、確かに楽しい映画でも、それほど涙を誘う映画でもない。でも我々リタイアサが近いベテランサラリーマンにとっては、実に良く分かる映画。
「人事は好き嫌い」という“当たり前の事”が中心に描かれているし、政界との癒着、家族関係や墜落事故の被害者との付き合い等々、我々会社人間は、ついこの映画の色々な場面に自分を置いて比較しながら見てしまう。
だから、3時間半という大作でも、時間的に長いという感じは全くない。でも終わってみると、最初のアフリカの場面など、左遷されていた時のシーンが少し丁寧過ぎるかな、という感じはした。

しかしまさに(小説というフィクションの)“事実”に基づく物語であるだけに重たい。それが真実(本当の事実)とどう違うかなどは問題ではない。モデルとなった“事実”と小説との関係は、(ここ)に詳しいようだが、それを詮索するつもりも無い。
自分が捉えたこの映画(小説)の一番のテーマは、「自分の信念と家族・・」かな? 組合委員長だった自分の信念を貫くために、結果として家族に犠牲を強いることになる主人公の恩地の人生。逆に組合副委員長だった行天の、会社方針に迎合して出世する人生。その二つを対比して物語は進む。配役としては大ベテランが勢揃い。でも少し難を言うと、映画では、渡辺謙が一徹な雰囲気のはまり役だったのに比べ、自分は三浦友和がどうも“根っからの善人”というイメージがあるため、少し違和感があった。でも三浦も重鎮になってきた・・。
自分が印象に残った場面は・・・。娘が結婚するとき、婿さんの両親が挨拶に来たが、婿さんの父親が「お父さん(恩地)は東大法学部ですって?」と言う。それまで「アカの娘はもらえない」と言っていたのに・・。経歴で人を判断するのを恩地が怒って、婿さんの両親を残して家の外に飛び出す・・。それを追い掛けた妻(鈴木京香)がいなす場面・・・。「純子は、あのお父さんと結婚するわけではないし、大丈夫・・」と・・。実に余裕のある妻の言い方が実に印象的だった。(予告編(ここ)にも少し出てくるが・・) 家族の、そして夫婦の絆が良く表現されていたと思う。そして手をつないで挨拶の席にもどる二人・・・。

そしてラストシーン。真っ赤な太陽を背にして、二度目のアフリカ駐在での恩地の言葉が、このドラマのテーマを語っている。アフリカの大地の生の営み、そして夕日の真っ赤な太陽・・・・。如何に自分たちの周りのことが“些細なこと”か・・・。

このシーンを見ながら、仏教でいう「空」という言葉を思い出した。
自分のような「シルバー割引」で観る人は、この映画に出てくる事件は全て体験済みで驚くに値しないが、今まさに現役でその渦の中に居る人は、意外と客観的に自分の置かれている立場が観察できない。よって、そのような人にこの映画を見てもらえると、全ては些細なこと・・、というヒントが得られるかもしれない。
全ては「空」である。自分にとって大事件でも、悠久の時の流れに自分を置くと、全てはどんなに些細なことか・・・・。
(しかし今の社会は、主人公のような信念を持った人は少ない。全てが小粒になった。歴代首相をみても、一流会社の経営者をみてもそうだ。そう思えるのも、自分がシルバーになったからかも知れない・・・)

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2009年11月 6日 (金)

松井秀喜のニューヨーク伝説

昨夜からテレビ・新聞は、米大リーグのワールドシリーズで優勝し、MVPに選ばれた松井秀喜外野手の話題で持切り・・・。昨夜の7時のNHKニュースでもトップだった。
でもこんな話題は嬉しいよね。イチロー選手もスゴイが、松井選手も“ここぞ”という時に打てる。まさに長嶋を彷彿とさせる本当の“プロ”なのだろう。
でもやはり、ヤンキースは(契約が切れるので)松井放出に傾いているらしい。移籍先はイチローのいるマリナーズとも報道されている。ビジネス的に言えば、これは仕方が無いのかもしれない。骨折に泣き、「僕、まだメジャーで何も成し遂げていませんから」という言葉の通り、大リーグで思うように活躍できなかったのが惜しい。
しかし、「悔しさをパワーとして、次に生かせるかってことが大切なことじゃないかと思います。逆にそういうことができる人じゃないと、悔しい思いも神様はさせないんじゃないかなと思う。神様が与えてくれた一つのチャンスでもあるんじゃないかと、僕はとらえられる」(日経新聞2009/11/6 p35より)と言う通り、最後の試合でその悔しさを爆発させたのかも知れない。これは大変なこと・・・・。

昨夜の試合後のインタビューで、松井選手が「夢みたいですね」「本当にびっくりです」と言っていた。でもこの言葉は実は謙遜で、「あれだけ努力したのだから当然だ」が真実なのだ・・・、と信じたい。まあ「終り良ければすべて良し」ということわざもある。昨日の“爆発”を来年につなげて、今後の活躍を期待することにしようか・・・。

な~んて、一人前の事を書いているが、実は自分は全くの野球オンチ。とうの昔に亡くなった親父など、テレビとラジオを一緒につけて、あっちこっちの試合を同時に聞きながら、「巨人が負けるのが楽しい」と言って余生を楽しんでいたが、その血は全く受け継いでいないようだ。でもその親父がもし生きていたら、この松井の骨折による挫折と最後の爆発をどう評価するのかな?

今朝の日経新聞のスポーツ欄。「09年11月4日。日本人が「アメリカの顔」として記録された。」という文字が、今までの松井の苦労を癒してくれるような気がした。

(関連記事)
松井秀喜の「運命論」
松井“ゴジラ”は偉い!

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2009年11月 4日 (水)

お寺のトップの呼び名

“ネタ切れ”なので、昔の新聞の話題でも・・・・・
先日の朝日新聞に「ニュースがわからん! お寺のトップの呼び名が色々あるな」という記事があった。近くのお寺には散歩で行っても、宗教団体などに縁のない自分は、こんなことは知らなくても良いのだが、“ヘエー”と思ったのでメモしておく・・・。
曰く・・・

<お寺のトップの呼び名>
「座主(ざす)」~天台宗 延暦寺・高野山 金剛峰寺・真言宗醍醐寺派 醍醐寺
「門首(もんしゅ)」~真宗大谷派 東本願寺
「門主(もんしゅ)」~浄土真宗本願寺派 西本願寺
「貫首(かんす)」~法相宗 興福寺

Image03771 「貫首は古代の律令制の戸籍を意味する貫籍(かんじゃく)の筆頭人。転じて本山などのトップの呼称となったらしい」
「門主・門首・座主・・・・たぶん、ほかの宗派と区別するためだと思うよ。ちなみに座主とは学徳ともにすぐれた僧のことで、中国では高僧の敬称だった。日本ではまず天台宗トップの称号となり、平安時代から江戸時代まで天皇の勅旨によって任命された。・・・」
「一本化できない?・・実は、明治政府が1872(明治5)年に教部省をつくり、神社や寺院、陵墓などに関する事務を管理した。その時に、各宗に教導職管長を任命し、宗内の取り締まりに当たらせた。トップを「管長」に統一して、国が任命することにした。でも教部省は5年後に廃止された。・・・仏教に神道的な規範を押しつけようとしたことなどで、猛反発が起きたらしい。でも「管長」の名称は残り、今も使っている宗派がある。・・・・・憲法が保障する「信教の自由」のひとつの表れかもしれない。」(2009/10/17付け朝日新聞p2より)

話は飛ぶが、ダライ・ラマ14世が先月30日から11月7日まで来日されており、各所で講演をされているという。世界的に尊敬を集め、多大なる影響力があるダライ・ラマ14世。やはり3歳の時に、ありふれた家庭の子供からダライ・ラマの化身として僧の教育が始まったという。
キリスト教など他の宗教は、それなりのベテランがトップに就く。その点、チベット仏教は特殊。でもそれなりの成果(失礼!)を上げている。
日本の仏教界のトップも、ダライ・ラマ14世のように、世界的に言動が注目される存在だと良いのだが、どの程度の影響力があるか分からない。日本の場合は、チベットと違ってそれほど“問題”があるわけでもないので、名誉職のような気もするが・・・・
(なお今日の記事は“休憩”の記事なのでシマらない・・。ゴメン・・・)

(関連記事)
チベットで生きる日本人~マリア・リンチェンさん

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2009年11月 3日 (火)

中村元の「般若心経」(2/7)

中村元先生の「般若心経の講義」を、7回に分けて聴いてみる。
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第12回 空の思想-般若心経・金剛般若経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていこう。

ぶっせつまーかーはんにゃーはーらーみーたーしーんぎょー
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」
かんじーざいぼーさーぎょーじんはんにゃーはーらーみーたーじー
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時
しょうけんごーうん かい くー どー いっさい   くー やく
照見五蘊皆空度一切苦厄
しゃーりーしー しきふーいーくー くー  ふー いーしき
舎利子色不異空空不異色
しき  そく  ぜー くー くーそく ぜー しき
色即是空空即是色
じゅーそーぎょーしきやくぶーにょーぜー
受想行識亦復如是

<こころをよむ/仏典「般若心経」~その2>

「般若心経」の教え
まず最初に「般若心経」を読んでいきましょう。これは正しくは「般若波羅蜜多心経」といい、「般若心経」は略称です。
「般若」とはもとのことばでプラジューニャ「正しい認識」「真実の智慧」という意味です。「波羅蜜多」はパーラミターという言葉の音を写したもので、「完成」「究極に至る」という意味です。「心」とは、精髄、エッセンスということですから、つまり、「完全な覚りの精髄を述べた経典」ということになります。
このサンスクリットの原文もわが国に伝えられており、現に法隆寺には、いまから1300~1400年前に書かれた梵字の「般若心経」が完全な姿で伝えられております。東京・上野の国立博物館にある法隆寺宝物館で展観されていて、いまわれわれが見ましても、なんとか読めます。これは玄奘三蔵が訳した「般若心経」の原文にあたるもので、その当時のままの写本としていまに残る唯一のものです。インドにも他のアジア諸国にもありません。完全なかたちで伝えてくださった我々の祖先の努力に深く敬意を表し、感謝するものです。さて、この「般若心経」は、わが国では浄土教以外のほとんどの宗派で唱えておりますが、これは玄奘三蔵の訳によるものです。まず、その玄奘訳の漢文を見てみましょう。
・・・(ここ)参照・・
ここまでが「般若心経」の全文です。これからは、その漢訳の文章の書き下しをもとに、読んでまいります。

観自在菩薩、深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみつた)を行(ぎょう)じし時、五蘊(ごうん)皆空(くう)なりと照見(しょうけん)して、一切の苦厄(くやく)を度したまえり。舎利子よ、色(しき)は空に異ならず。空は色に異ならず。色はすなわちこれ空、空はすなわちこれ色なり。受想行識もまたかくの如し。

まず最初に「観自在菩薩」とあります。これは「観音菩薩」「観世音菩薩」といっても同じことで、観音さまのことです。この観音さまが深遠な深般若波羅蜜多を実践なさったときに、つまり真実の認識というものを身につけて行われましたときに、五蘊はみな空であると見きわめられた。この、じっと真実を見つめるということによって、一切のわれわれの苦しみをお救いになった。
「五蘊」とはわれわれの存在を構成している五つの要素のことで、「色・受・想・行・識」の五つです。なお、ここに「一切の苦厄を度したまえり」とありますが、この文句は実は、サンスクリットの原文にはありません。おそらく玄奘三蔵がその主旨をとって、我々の真実の姿を見れば、苦しみ、悩みはなくなるという趣旨で付け加えたのだと思います。
「舎利子」とはもとのことばでシャーリプトラで「舎利弗(しゃりほつ)」とも記します。ブッダ第一のお弟子で、ブッダのかわりに説法できる信任が厚く、「智慧第一」と呼ばれました。この人によって仏教教団が発展したのですが、そのお弟子に向かって、次のように告げられました。
「色は空に異ならず」。「色」は五蘊のうちの最初ですね。もとのことばでルーパ、物質的な姿かたちです。我々は物質的な面を離れては存在しえないけれども、その本性を尋ねると、それは実は空にほかならない。ところが「空は色に異ならず」。その「空」とは、何もない虚無ではなく、現実に展開するものなのである。展開するものだから、それが具体的な物質的なかたちにほかならない。うちに何もない。何もないからこそ展開することができる。
「色はすなわちこれ空、空はすなわちこれ色なり(色即是空。空即是色)」。我々の物質面というものは実は空なのである。空というものは実は物質的なかたちとして展開するものである。
「受想行識もまたかくの如し」。我々の存在を構成する五蘊の他の四つが「受・想・行・識」です。「受」は感受作用、「想」は心に想う表象作用、「行」は我々をうちからつくり出す力のこと、「識」は識別作用、我々は常に意識をしておりますね、それらをいうわけです。我々の存在を構成する五つはいずれも空である。そして、空がまた色・受・想・行・識としてあらわれ出ている。
鏡の譬(たと)えというのが、仏典によく出てきます。鏡はうちに何ももっておりません。だから、いかなる姿も映し出すことができるわけです。鏡のなかに何か特殊な姿があれば、清らかに映すということができない。それに譬えられます。空であるからこそ我々の命、生存というものが実現する。そういうのであります。」(前田専学監修「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」より)

まさに「空」の思想であるが、分かったようで分からない・・。自分もここ数年来、般若心経を勉強するたびに、「空とは何ぞや」について、行きつ戻りつ・・・である。
昔、高校の頃、受験勉強で覚える事があるとよく“書いて”覚えた。般若心経も同じで、分からなければ、何度も唱え、読み、そしてこのように(記事に)「書く」ことで、少しでもその境地に近付けるかな・・と思って試しているのだが・・・・

でも今回、今までも何度か目にしてきた「鏡のたとえ」が一番分かるような気がした。たぶん死ぬまで分からないだろう「空」。気長にチャレンジするとしよう。

なお「般若心経」の全文、及び“読経”は、当サイトの記事「般若心経」勝手帖-03 全文ここ)にあるが、改めて下にあげておく。

<高野山金剛峯寺76人の専修学院生による般若心経>

(関連記事)
「般若心経」勝手帖
「般若心経」勝手帖-01“般若波羅蜜多”が分からん
「般若心経」勝手帖-02 仏さまの種類と六波羅蜜
「般若心経」勝手帖-05 「五蘊」とは
「般若心経」勝手帖-06 色不異空空不異色

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2009年11月 2日 (月)

ブルー・コメッツの「白鳥の歌」

昨日、山中湖の旭日丘で白鳥を見た。別にそれにこじつけたワケでもないが・・・
P10602551 こんな歌は、もう誰も知らないだろうな・・・
でも自分にとっては、ゴールデンキャストの歌なのである。先ず作詞・作曲が橋本淳・平尾昌章、そして編曲が森岡賢一郎(これ)、歌うのがジャッキー吉川とブルー・コメッツという豪華キャスト!!(と言っても、誰もそうは思わないだろけど・・・・)

歌の題が「白鳥の歌」とは泣かせる。シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」と同じ。また自分がこよなく愛する藤山一郎の「白鳥(しらとり)の歌」もある(これ)。でもこの歌はブルコメの「白鳥の歌」なのである。

<ブルー・コメッツの「白鳥の歌」>

「白鳥の歌」
  作詞:橋本淳
  作曲:平尾昌晃

北の入江の 夕ぐれは
悲しいほどに 美しい
あなたの愛の ふるさとね ふるさとね

わたしの心に 住んでいる
涙を知らない 白鳥は
あなたのもとへ はばたくの はばたくの

はてしない空を 舞いながら
つきぬ愛の 喜びを
あなたに唄う
唄う生命の限り

北の入江の さざ波に
ゆられて眠る 白鳥は
あなたのための 朝を待つ 朝を待つ
ふたりのための 朝を待つ 朝を待つ

Image03831jpg この歌が発売になったのは昭和43年(1968年)4月25日だという。自分が大学3年のとき・・。当時自分はブルー・コメッツと布施明の歌に凝っていた。それに平尾昌章の作曲にも・・・。それが、何とそのコンビで発売になったのだ・・・。
当時、下宿の近くの家で中学生の家庭教師をしていた。何とも扱いの難しい子で・・。そこに行った時に、このシングル盤があったのをふと思い出した。

しかし(学生の頃を含めて)子供の時の時間軸は、オトナになってからの時間軸に比べて長く感じられる。久しぶりにこんな曲を聴いただけでも、当時の学生時代の頃が色々と思い出される。それに引き換え、大人になってからの時間軸の速さ・・・・
その理由は、生物学的には「代謝」にあるという。子供は代謝が早いから時間を遅く感じ、年を取るに従って代謝が遅くなるので時間を早く感じるのだという。
また「ジャネーの法則(これ)」というのもあって、これは「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)」という法則を心理学的に解明したのだそうだ。そうすると、この歌を聴いていた20歳の頃の時間軸に比べて、今は3倍の速さか・・・・。

でも、(売れなかったという)このような歌も、自分にとっては時間軸が長かった(=色々あった)青春の一こまを思い出させてくれる“貴重品”なのである。
今の若い人は、こんな曲をどう評価するのだろう・・・。まあ感想を聞きたくも無いが・・・。(バカにされたら殴りたくなるので??)

(関連記事)
編曲者「森岡賢一郎」
藤山一郎・松田トシの「白鳥の歌」を聞いた

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2009年11月 1日 (日)

山中湖ミニ旅行~山中湖「夕焼けの渚・紅葉まつり」

昨日と今日、カミさんと息子の3人で、山中湖にミニ旅行に行ってきた。(2009/10/31~11/1)
ウチの長男は、家族旅行が大好き。カミさんと3人でミニ旅行に行くようになって3回目かな? 今回は、2年前にも行った山中湖。何の事はない。7月に入社した転職会社の健保組合の保養所に、初めて様子を伺いに行って見た・・・というわけ。
現役時代に勤めていた会社は大会社だけあって、全国に数十の保養施設があり、子供が小さかった頃は本当に世話になった。もちろん子供が大きくなってからはトンと行かなくなった。それで旅行するときは、普通にホテルに予約してどこかに行くわけだが、それが意外とコストパフォーマンスが悪い。先日のお袋を連れての旅行もそうだったが、どうも掛けたお金に対して満足感が無い。それで昔を思い出して、一泊5500円という格安の健保の保養所を久しぶりに体験してみた、というワケ・・・。

当八王子から富士五湖は近い。渋滞が無ければ1時間台。それで昨日は時間があったので甲府まで足を伸ばし、山梨県立美術館に行った。自分は2回目。前は自分の両親が家に遊びに来た時に一緒に行った。メモを見たら1993年6月19日とある。その時もミレーを見て“ほうとう”を食べたっけ・・。
着くと、駐車場のイチョウの紅葉がきれい。まっ黄色・・・。美術館の前の広場では、たまたまバザーのテント・・・(写真はクリックで拡大)

P10601341 P10601621 P10601701

2度目なので余裕の見学。でも、一番有名なミレーの「落ち穂拾い、夏」。これは同じ構図の絵が2つあり、一つはパリのオルセー美術館に、そしてもう一つがここに展示されていImage03821 るのだという。また同じテーマで配置が少し違う縦長の作品もあるようだ。
そしてカミさんのお目当てが、このコンスタン・トロワイヨンの「近づく嵐」。のんびりした牛と、迫り来る嵐の対比が良いという。
そして隣の山梨県立文学館にも行ったのだが、特に面白いものは無かった。

それから山中湖へ。保養所の風呂はたいしたことは無いだろうからと、近くの「紅富士の湯」に寄ってから行く事にした。それが大変な混みよう。外人さんも多い。確かに風呂からは富士山の夕方のシルエットは見える。しかし街中のスーパー銭湯に比べると、いかにも地味。まあこんなものか・・・
P10601831 それから5時過ぎに保養所へ。食事後、旭日丘湖畔緑地公園で10月30日からスタートしたというライトアップされた「山中湖 夕焼けの渚・紅葉まつり」(これ)を見に行った。保養所で言われた言葉通り寒い・・・。道に設置してある温度表示は5℃・・・
朝日丘の無量駐車場に車を停めて、どこで何をやっているのかと歩いていくと、湖岸にテントが張ってある。そして紅葉したモミジがライトアップ。なるほどこれはキレイだ。赤いハロゲン灯(?)に照明された、紅葉・・・

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保養所に戻って、おー寒・・・、と風呂に飛び込んでやっと一息。しかしこじんまりした保養所も質素で良いもの。無料のカラオケを3人で独占し、1時間200円のビリヤードを息子に教えてもらいながら試してみたり・・。(息子は本当に遊び人だった!)

そして今朝、昨夜行ったライトアップされた紅葉を、今度は日の光の中で見てみようと、また旭日丘湖畔緑地公園に行く。今度は富士山がキレイ・・・。下に流れる雲の上に雪を頂いた富士・・・。そして昼のモミジもそれはキレイ・・・
帰りの車中から見た富士も格別。今が一番美しい姿・・・

P10602431 P10602421 P10602451 P10602341 P10602521 P10602761

帰り道は、息子のリクエストで、また勝沼まで戻って「メルシャン勝沼ワイナリー」に寄り、P10602891 昼食は近くのほうとう屋に寄って帰った。
まあ、今は一番季節が良いとき。しかも好天に恵まれ、、下界ではまだまだ見られない紅葉を満喫し、そして好天の雪の富士を仰ぐことが出来た。まあ無事に家族でミニ旅行が出来ること自体、満足満足・・。(でも、ことによると普通の旅館の2万円ではなく、一泊5500円に満足したのかもね・・)

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