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2009年10月16日 (金)

日経新聞のコラム「そもそも論」

今朝は、初めて通勤電車で乗り越してしまった。ああ次の駅だな・・とは思ったのだが、半藤一利著「昭和史 戦後篇」を読んでいたら、ツイ頭がそっちに行ってしまって・・。フト顔を上げると、降りるべき駅のホームが目の前から遠ざかって行った。
この本は、“もったいないので”ゆっくりと精読しているところである。

所で、今朝の(当blogの好きな)日経新聞のコラム「大機小機」はテーマが「補正削除 3つのそもそも論」だった。夜のニュースでも、今年度補正予算の2割、2兆9千億円を執行停止にすると言っていた。これについて、「大機小機」の冷めた指摘が面白い・・・。曰く・・・

補正削除 3つのそもそも論
物事の原点に立ち戻って議論することを「そもそも論」という。そういう議論は「そもそも」という言葉で始まる場合が多いからだ。現在進められている補正予算の削減について、このそもそも論を適用してみると、次のような3つの疑問がわいてくる。
第1は、そもそも補正予算を削減するのは適切かという疑問だ。今回の補正予算は景気対策の一環として決定されたものだ。景気対策であれば、多少無駄であっても歳出を増やした方が良いという考え方もあり得る。少なくとも、景気対策のための予算を削減するのだから、「削減しても景気や雇用への悪影響はない」という点を明確にしたうえで削減すべきではないか。
第2は、そもそも補正予算で削減した分が本予算の財源になるのかという疑問だ。民主党のマニフェスト(政権公約)を実現するためには、2010年度本予算で7.1兆円の財源が必要という。鳩山新政権は、補正予算で削減した分をこの財源に使うと言っている。しかし今年度限りの措置としての補正予算は、赤字国債を増発し一定の歳出を行うものだ。その補正予算が削減されれば、削減分は国庫に返納され、その分だけ赤字国債の発行が減る。補正予算の削減分を自動的に来年度本予算で使っていいというルールは存在しないのである。
しかもこの手は11年度には使えないから、11年度予算では今度こそ、本予算から財源を見つけなければならない。つまり、補正予算の削減分をマニフェストの実現に使うのは、財源探しの一部を先送りし、その分を赤字国債で賄うのと同じことなのである。
第3は、そもそも財政再建はどうなるのかという疑問だ。新政権が熱心に歳出を削減しても、その削減分は新政策の財源に使われる。この結果、自民党時代の歳出規模はそのまま維持される。
自民党時代の財政は、破綻コースを歩んでいたのだから、新政権はそのコースをそのまま歩むことになる。しかも、名目成長率の低下によって税収は大きく落ち込む。そうなると新政権下の財政事情は、自民党時代よりもさらに悪化する。この財政赤字から中長期的にいかに脱却するかについてのシナリオは全く示されていない。
こうして考えてみると、補正予算を削減し新政策の財源にする方法は、そもそも最初から大きな問題があったことになる。(隅田川)」(日経新聞2009/10/16 p19より)

読んでいて、実に歯切れが良くてスカッとしている。別に自民党にへつらっているわけではない。淡々と理を唱えている。だから説得力があるように見える。

もっともこの議論は総選挙の前から良く言われていた議論で、目新しいものではない。今回は、選挙の結果として政権が代わるのではなく、政権を取ることが目的の選挙だった。だから民主党は「政権を取る」ための“てんこ盛り”のマニフェストになり、いざ政権を取るとその実現に汲々とする・・・。まあ予想通りだけど・・・

話は変わるが、いつも、このコラムはどんな人が書いているのだろう・・・、と思う。実に理路整然としており、文字に無駄がない。このような文章が書ける人は、相当に頭が良い人なのだろう。
関係ない話だが、いつかこんな文章が書きたいな・・・と思う“エムズ”ではある。まあ今日は、補正予算の使い方の議論ではなくて、「文章力に感心した」ということで・・・・


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