« 浴室の“タイルのリフォーム工事”顛末記 | トップページ | 半藤一利著「昭和史 戦後篇」を読んだ »

2009年10月28日 (水)

体操・池田敬子さんとチャスラフスカさん・・

だいぶん前の放送だが、NHKラジオ深夜便「こころの時代『我が体操人生に悔いなし』女子体操コーチ 池田敬子」(2009/10/12放送)を聞き、胸に残った。
まず池田さんの“若さ”。話を聞いていると50代位に聞こえたが、76歳だという。経歴からいってそりゃそうだが、その声のみずみずしさ・・・。やはり体操選手は違う・・・?
まあそれはどうでも良いのだが、チャスラフスカさんと交流の話が印象に残った。

チャスラフスカさんは、池田さんとは1964年の東京オリンピックで競った仲だが、メキシコオリンピック(1968年)後、祖国チェコの政治情勢(チェコの民主化運動「プラハの春」の支持)のため、当局から睨まれ、長い間、食うや食わずの生活を余儀なくされたという。池田さんはそれを耳にして何とか支援できないかと、ジュニア体操大会のゲストとして日本に呼んだという。
当時の外相は宮澤さん(1975~6年頃?)。チェコ当局がチャスラフスカさんの出国を許可しないので、同じ広島県人なのを頼りに宮澤さんにお願いし、外相自ら動いてくれたため、チェコ当局も夫・子供を国に残すことを条件に、単身での日本行きをOKしたという。しかし来日したときの服装が、裾は擦り切れていて、とても人前には出せない。それで体操協会と相談して直ぐに服と靴とバックを買ったという。
チャスラフスカさんは自分の置かれた状況について、「一緒に体操をしていた仲間が、道で会っても声一つ掛けてくれなくなった。それが悔しい」と言っていたとか・・・。政治的に睨まれた人との付き合いは、どの国でも難しいと見える。しかも彼女の体操での業績は国によって抹殺されたため、その後に生まれた息子は、母親が昔優秀な体操選手だった事は知らなかったとか。
しかし、同じ体操選手として、日本で人気があることを頼りに池田さんがこのようなバックアップをしていたとは・・・・。何か、こんな話を聞くとホットする・・・。
(Wikipediaによると、チャスラフスカさんの「その後」について次のように書かれている
「1989年11月、ビロード革命によって共産党体制が崩壊すると、チャスラフスカはハベル大統領のアドバイザー及びチェコ・日本協会の名誉総裁に就任した。大統領府を辞した後には、チェコオリンピック委員会の総裁も務めている。
公的にはチャスラフスカの名誉は回復されたが、私生活においては不幸が続いた。正常化体制の時代に離婚したオドロジルが、次男とのトラブルの末に死亡するという事件も起こっており、長らくうつ病の治療のために入院中と伝えられていた。」)

(2016/12/30追)~上の音源を追加する
<NHKこころの時代『我が体操人生に悔いなし』池田敬子より>

話は飛ぶが、池田さんは1966年(昭和41年)世界体操ドルトムント大会を最後に現役を引退するが、それは、その時の競争相手が17歳だったこと。それに比べて日本ではジュニアが育っていないことを痛感し、その後はジュニアの育成に奔走することになる。
その話の中で、「器械体操はどうしてあんなに危ないことをさせるのか?」に対する答えが面白かった。曰く・・
「器械体操には子供が生きて行く上で、とても大切なものが含まれている。例えば、つまずいたら手を出す動作をするが、跳び箱は、走っていって踏み足板を両足で踏むと同時に前の跳び箱に、“危ない”と手を出す。これがクセになると転んだときにいつの間にか手が出る。
それに、マット運動ででんぐり返しをした時に、頭を打たないように丸くなるが、子供は丸くなれない。腹筋がないから膝を抱えることができない。背筋が強いので、小さい子に逆上がりをさせると、反ってしまう。小さくなれない。
川に落ちて溺れたとき、“これに掴まれ”と棒にしがみ付く動作。これは鉄棒にある。
このようにイザという時に応用できる動作が、器械体操には色々ある。だから危なくないように管理をしてやらせる」

と言っていた。

なるほど・・・、まあ言い訳のように聞こえなくも無いが、それなりの理屈はあるものだ。
しかし、先に亡くなった古橋広之進氏もそうだが、スポーツ選手の活躍は、現役を引退しても永い。(逆に円谷選手のようなケースもあるが(ここ)・・・)
池田さんの老いを感じさせない活躍と同時に、チャスラフスカさんのように、体制と戦って業績を抹殺される人もいる。(中国など、オリンピックで金メダルを取ると、一生生活に困らない・・・というウワサも聞くが・・・)

まあ運動に縁の無い自分は、このようなスポーツマンシップの話には全く縁が無いが、このようなハツラツとした人生の話を聞くと、何かまぶしく感じる。さてさて少しは自分も何かをする気になった?? いや、全然・・・!

(関連記事)
東京五輪・女子体操・金~チャスラフスカさんの生涯 


« 浴室の“タイルのリフォーム工事”顛末記 | トップページ | 半藤一利著「昭和史 戦後篇」を読んだ »

コメント

こんばんわ。

この池田敬子さん1週間くらい前にテレビでたぶん17歳の鶴見虹子のことを話していました。

池田敬子という名前は覚えていますが、東京でどんな顔をしていたかは思い出せませんでした。ただ歳をとらない人だという印象を強くしましたね。

完璧な演技のチャスラフスカさんは東京オリンピックで、そして映画で高校2年だった自分はうっとり酔いしれたものです。

彼女のそれからの悲劇もテレビのドキュメンタリー番組でいくつか見たように思います。

私の断片的な知識につながりが出来ました。

投稿: 小父さん | 2009年10月28日 (水) 23:09

小父さん

色々とコメントをありがとうございます。若い人と違って、blogは還暦を過ぎた男にはなかなか縁遠いものかも知れません。
でもやはり話題は同じ年代の方が合うのでしょうが・・・
同年代の貴blogを拝見して心強い限りです。

投稿: エムズの片割れ | 2009年10月29日 (木) 21:43

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 浴室の“タイルのリフォーム工事”顛末記 | トップページ | 半藤一利著「昭和史 戦後篇」を読んだ »