« (今頃)「チャングムの誓い」・・・・ | トップページ | 「暮らしの中の仏教語―その本当の意味」 »

2009年9月12日 (土)

「最後だとわかっていたなら」

急に秋らしくなって来た。
朝起きて居間に行ったら、カミさんが花舞さんのblog(これ)を見せて、読めという。そこには「最後だとわかっていたなら」という詩が紹介されていた。

「最後だとわかっていたなら」
  ノーマ コーネット マレック:作
  佐川 睦:訳

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

この詩は、1冊の本となって出版されており、出版社のHP(ここ)には、この詩についての解説がある。
それによると、この詩の原題「Tomorrow Never Comes(これ)」は、米ケンタッキー生まれの女性ノーマが、10歳で亡くなった息子サムエルに捧げた詩で、1989年に発表されたという。(息子サムエルは弟と水辺で遊んでいた時、小さな子が溺れているのを見つけて助けようとして亡くなったという・・・) その後、2001年9月11日の米同時多発テロの追悼集会などで朗読され、「911テロで亡くなった若い消防士が生前に書き残した詩」という誤った解説付きで世界中にチェーンメールで配信されたものだという。

まあ経緯はどうあれ、胸を打つ詩ではある。この詩は相当に有名なものらしいので、今更・・・、かも知れないが・・・・
しかし、この詩はまさに「大切な人を大切に」という当たり前のことを言っている。
それなのに、ハッと読んだ人の胸を打つのは、いかに当たり前のことを忘れて生活しているか・・・・

話は変わるが、ちょうど一週間前、愛犬のメイ子(当blogの表紙)が夜10時頃になって急に吐き始めた。心配になったカミさんが掛かりつけの“かじはら動物病院(八王子・小宮)”に電話をしたら、「小型犬は急変するので直ぐに連れて来い」と言われ、直ぐに車で連れて行った。点滴などをしてもらってひと安心したが、その原因の一つには、昼に自分が強く叱ったこともあると言われたとか・・・、でドキッ。これは、昼にあまりに吼えるので強く叱ったが、それで精神的にダメージを受けたらしい・・・。夜遅い急患に、実に親切に対応してくれた医師にも感謝だが、“大切にしているもの”に対する自分の日頃の接し方について反省・・・・。
何?自分が一番に大切に思っているのは“犬”なのかって?
いやいや、自分の周りの皆さん全員が“大切な人”ですよ! 家族も会社の同僚も、電車で一緒に乗る人々も・・・(←本当か???)


« (今頃)「チャングムの誓い」・・・・ | トップページ | 「暮らしの中の仏教語―その本当の意味」 »

コメント

お早う御座います~♪
こちらの方こそ~いつも素晴らしいレポート・情報有り難うございます。
楽しみに拝見してます~♪
今回も又、掘り下げたレポートに、お陰さまで私も学習させて頂き、早速、見出しに手をいれてみましたが~・・・如何なものでしょう~?
内容からして、消防士が生前、お気に入りの詩だったのかな~?位の知識しかなかったのですが、最愛の息子が急逝した母親の想いに、私も辛い過去を重ねて胸が痛くなりました。

投稿: 花舞 | 2009年9月14日 (月) 08:05

エムズの片割れさま、久しぶりです。
昨日、映画「HACHI」を観てきました。
犬を飼っている人間としては、この手の映画は
約束事と解かっていながらダメですねぇ~。意思とは関係なく涙が止め処も無く出て・・・。

自分にとって大切な人が亡くなった時、それまでの絆が切れないのでしょう、犬という最高のパートナーに対し、尊敬の念を持ちました・・
・・と書きつつ下を見ますと2匹が安心し切った顔して寝ております。(かわいいやつじゃ)
犬の寿命は約10年ですので、確実に私よりも先に天国に召されます。(多分?)
短い人生に精一杯愛情を注ぐ気分になりました

・・・えええっと、「最後だとわかっていたなら」ですが、実は私は12才の時、交通事故で九死に一生を得ましたので、今の人生は付録みたいなもので、何時死んでも悔いが無い心境です。まあ,明日が判らないのが人生の面白いところでもあり無情なところでしょう。最後だと判っていたなら、悪い事をする人も居ますし、残された人生を精一杯生きる人も居るでしょう。
人間の本性が剥き出しになると思います。

そうそう、思い出しました。大昔TVで、余命1年というドラマが有りましたが、主人公は財産を処分し、ありとあらゆる物事にチャレンジしたり、危険な仕事を進んでする等々、理想的な
物語でしたが、さて、私がそのような状態になれば・・・、

投稿: 耳鳴りオーディオマニア | 2009年9月14日 (月) 16:14

花舞さん

続編を期待してます・・・・

=========
耳鳴りオーディオマニアさん

我が家にも愛犬「メイ子」がいますが、ちょっと体調が悪くなっただけでも大人二人がオロオロ・・・
その「大切な人?」が居なくなることは、考えないようにしにています。「明日」は知りたくありませんので・・・。

投稿: エムズの片割れ | 2009年9月15日 (火) 22:29

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« (今頃)「チャングムの誓い」・・・・ | トップページ | 「暮らしの中の仏教語―その本当の意味」 »