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2009年9月 5日 (土)

映画「ひろしま」を見る~珠玉の反戦歌

先日8/6の広島原爆記念日に、「原爆映画の思い出・・・」(ここ)という記事を書いた。子供のときに見た広島原爆の映画が今も頭に残っているが、その映画が何か、未だに分からない・・・。今までその映画の題は「原爆の子」だとばかり思っていたが、もっと悲惨な場面があって目を伏せていた記憶と合致しなかった。先日、その記事を書きながら、Netで検索していると、同じ時期に映画「ひろしま」という作品があると知った。それで唯一レンタルしているDMMに申し込んでおいたのだが、それがやっと届き、今日見た。

まさにこの映画だった。自分が記憶していた映画。小学校低学年の時、怖くて画面を見続ける事が出来ずに、ずっと下を向いていた映画・・・・。
映画「ひろしま」の詳細の解説は、(ここ)にある。1953年(昭和28年)8月の作品。企画・製作は「日本教職員組合」とある。出演者は、岡田英次、月丘夢路 、加藤嘉等の豪華メンバーだが、それらの名前の前に「出演者 広島原爆被害者、広島各労働組合員、園児・児童、生徒・学生・PTA・一般市民、延88500余人」という画面が出る。これ一つで、この映画の姿勢が分かる。ストーリーは決して面白いものではない。しかし、そのリアリティは鬼気迫る。原爆が落ちてから、市民が焼けてのた打ち回る場面が延々30分も続く。とても正視できないほどの画面。黒焦げの死体の山。やけどを負った人々が逃げ惑うさま。その手は前に突き出して、うらめしや~の幽霊の手。原爆病院での悲惨な状況・・・・。そしてラストシーンの数万人の平和への大行進・・・

昭和28年というと、原爆投下から8年後。この時代、既に段々と原爆が忘れられて、街には軍艦マーチが大きく流れていたようだ。この映画は、原爆を風化させてはならない、という思いがあったのかも知れない。製作は日教組だが、思想的な雰囲気はどこにも無い。あるのは「原爆の事実」だけ。しかしこの映画は非常にマイナーな映画らしい。昔買った「ぴあシネマクラブ」という映画辞典を調べてみたが載っていない。たぶんテレビでも放送されていないだろう。

この映画を、今の時代で眺めて見る。到底かなえられないだろうが、NHKあたりが、終戦記念でこの映画を放送した時、世の中がどう捉えるか・・。様々な批判が出るかもしれない。あまりに原爆の悲惨さをリアルに表現しているので、“家庭に良くない・・”とか、”子供には残酷だ”とか・・・。
最近NHKが戦争体験・証言を集めている。それは戦争の「事実」を今のうちに集めておこうという狙いで評価したい。しかし、映画ではあるが「画像による原爆の現実」がここにある。どんな戦争ドラマよりも、どんな戦争記録映画よりも、少なくても自分はこの映画が表現した原爆の悲惨さが、胸に突き刺さった。まさに(目をそむけた)小学校低学年の頃に突き刺さった記憶は本当だったのだ。
この映画「ひろしま」は、完全に過去の映画と葬られているが、何とかもう一度世に出る機会は無いものだろうか・・・。まあNHKで放送されることは望むべくもないが、原爆の悲惨さを直視した映画として秀作であると思う。
もちろん他人には強制できないが、(もう息子にも強制できないので)そのうち“孫”でもできたら、この映画を強制的に見せたいものだ。戦争の悲惨さを実感させるに、これ以上の映画は無い。

(関連記事)
原爆映画の思い出・・・


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コメント

とても素晴らしい文章です。私は小学生の時、巡回映画で観ました。強烈な印象でした。その後、ビデオを買って時々見ています。一時、仲間で、気に入った作品を16ミリフィルムで自主上映をしていたものですから、「ひろしま」も是非実現したいと考えています。未だ観ていない日本人、そして、核廃絶を訴える新政府にも努力してもらって、世界の人々に見てもらいたい。それだけ、説得力のある作品ですから・・・。

投稿: 縄文 | 2009年9月21日 (月) 13:49

縄文 さん

コメントありがとうございます。この映画は、ストレートに原爆の恐ろしさを表現している点が、他の作品と違う点。それだけに、「過保護な現代」にはマッチしないのかも・・・?
この映画は、なぜこの様に影が薄いのか、残念に思います。

投稿: エムズの片割れ | 2009年9月22日 (火) 20:16

映画「ひろしま」をよく思い出しますが、毎年8月6日になっても、話題に上らないのでがっかりしていました。確かまだ小学生だったか中学生だったかで、詳しくは覚えてませんが、画面のリアルなところは記憶から離れないですね。どうか、もう一度、上映して頂きたいと思っています。忘れ去られてはいけないことだと思っています。
思いがけず、このページに出合いましたので、うれしく思い感謝しています。

【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。原爆と終戦の“夏”ですね。
未だにこの映画を見ている小学生の自分の姿を覚えています。近くの会社で、社員の慰安のために時折開かれる映画会。そこにちん入してこの映画を見ました。怖くて画面を見つめられなかったと同時に、原爆の恐ろしさがこの映画を通して自分に刻み込められたと思っています。

投稿: かめぐ | 2010年8月12日 (木) 19:07

ブログを通じてお知り合いになった方が、この映画制作の関係者の息子さんでしたので、それがご縁で、見ることが出来ました。

記事に書かれていますが、私もそうそうたる出演俳優の前に、教職員組合、広島市民の方が先に書かれていること、
企画・制作が教職員組合であった事に
先ず、深く感動しました。
事実が、丁寧に克明に描かれていました。
本作は現在英語版の制作が進められています。京都では上映会も予定されています。
それに関する紹介記事は以下。
http://blogs.yahoo.co.jp/kunnkoshusugisaku/4543635.html

【エムズの片割れより】
そうですか、この映画が復活しますか・・・。何とか一人でも多く、見て欲しい映画ですね。

投稿: alfmom | 2010年10月13日 (水) 19:55

http://blogs.yahoo.co.jp/pepe_le_moco_0123/folder/1499031.html

この方がこの映画で反戦反核にとりくんでいらっしゃいます。

投稿: とおりすがり | 2011年3月30日 (水) 00:35

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