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2009年9月27日 (日)

アーカイブス・山田太一のドラマ「冬構え」を見て

昨日、朝食の後に新聞を見ながら何気なくテレビを点けたら、NHK総合で「NHKアーカイブス・ドラマスペシャル「冬構え」(1985年3月3日放送)(これ)をやっていて、カミさんとつい見てしまった。
テーマは「老い」。もう24年も前のドラマだが、まったく色あせていない。なぜか?“当時の65歳以上の高齢化率は10.3%だったが、現在では22%になっている”という現実から、テーマが当時より、より深刻だから??

ストーリーは、年老いた老人(笠智衆)が自分の全財産を現金化して、熊本から晩秋の東北地方へ旅に出る。途中、20数年ぶりにガンで入院中の昔の同僚を見舞ったり、同じ一人旅の老女と知り合って同じ宿に泊まったりするが、旅の目的は死に場所探し。一度だけ贅沢をしようとするが果たせず、将来に夢を持つ若い板前のカップルに150万の現金を渡して、やっと海に身を投げようとするが果たせない。
恐山を背景に、笠智衆が朗読する「遺書」が何ともわびしい・・・。妻に先立たれ、一人孤独に、老いの自分を誰にも迷惑を掛けたくないと思う心情・・・。

「私はこの旅先で、どのようなことになろうと、娘や息子達に何の責任もないことをしかと書き残します。子供たち、孫たちは本当にようしてくれました。そして、いかなる意味でも、誰かをも恨んだり悲しんだりして、死を危ぶむものでないことを書き置きます。私は、こうした書き置きを残せる幸せを感じております。この折を逃せば、まもなく更に衰え、自らの死を決する力を失ってしまうでしょう。体や病気の命ずるままに、死を迎える他はないでしょう。私は、今までの人生を微力ながら自ら選んで生きてきたつもりです。できるなら、生き方同様、死に方も選びたい。もとより、そのような考えは、若い時なら、傲慢、神をも恐れぬ、命の貴さを知らぬ、・・・ですが、齢(よわい)80にならんとする今なら、わずかに許されるように思います。死ぬまでの何年かを病院で、あるいは子供の家で、まるで廃人のように生きなければならないかもしれないということに、恐怖を感じております。贅沢かもしれませんが、良い爺さんのままこの世を去りたいという願いを消すことができません。これは私のわがままであります。」

そして自殺を考えている事に気が付いた若い板前は、自分の故郷に連れて行く。そこにはやはり一人暮らしの祖父がポツンと暮らしていた。

「孫があんたに言えという。人間、生きているのが一番だと言えと・・。そうしたことは言えねえ。ワシには人間生きていくのが一番なんて、そうした事は言えねえ。」
「しかし死ぬのもなかなか容易じゃなくて・・」
「んだ。容易じゃねえ」
「どんだ?少しここさ居てみねえか?こう見えても気心知れてくれば結構しゃべるだ・・・」

ドラマの後で、70台半ばになった山田太一さんに、このドラマを振り返ってのインタビューがあった。
「そう頭で考えるようには行かない。一人で始末をつけようとする事には限界がある、と思ったので、思いがけない他者によって別の道が拓けてくるというような事があったら良いな・・・と思った。お年寄りになると、新しい絆を作ることは難しくなってくる。特に男の人はそうだ。不器用に出来ている。」
「人生って、ある年齢になると、ああ、こんな当たり前のことに気が付かなかったのか、とか、亡くなった方を振り返っていると、ああ言ったのは、別の意味だったのかと気付く。
それに、味わいとしての人生を見つけたり、色々な輝きを感じやすくなった。」

夕方、犬の散歩をしながらカミさんとこの話をしていたら、確かに当時は思い至らなかったが、このトシになると、そういう意味だったのかと気付く場合があるな・・と、自分の体験を思い出してひとり納得・・・。
カミさんはこんな話もしていた。カミさんの子供の頃の写真を、1年に一度位しか会わない友人が見て「お祖母さんと一緒に写真に写っている服装が、実にお洒落。可愛がられていた証拠」と言ったとか・・。
カミさん自身は、デパートで写真を撮った後にチョコレートパフェが食べられる・・・という楽しみで行った記憶しか無い。でも言われてみると、自分で見ても当時としては確かにお洒落な格好をしている。それは確かにお祖母さんから大事に可愛がられていた証拠だろう・・・と。そして、自分が死ぬ時はたぶんお祖母さんが迎えに来てくれだろう・・とも。

たまに会う友人は、日頃気が付かない事を教えてくれる・・・。そして、若い時は気が付かなかった事も、トシを取れば見えてくることも多い。それらを、山田太一さんはドラマで色々と教えてくれる。

我が家では、山田太一のドラマは番組表で見つけ次第全て見ているツモリだが、とても全部は見ていない。しかし、このドラマのように、昔のドラマでも山田太一のドラマは色あせていない。実は、自分は昔このドラマを見た記憶がある。しかし今改めて見ると、その時と受け止め方がまったく違う。
つまり、見るときの年齢によって、感想がまるで違う。よって山田さんのドラマは、永遠のテーマゆえ、常に生き続けているのだろう。

NHKのアーカイブスの放送は歓迎だ。昔の名作ドラマを、当時とは別の自分が見るのだから新鮮だ。そしてその時々で、ドラマの深い真実に触れる。山田太一のドラマは、二度も三度も楽しめる奥深いドラマなのだと思う。


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コメント

実は、私もついつい見てしまった。
惹き込まれた。
私も(この年?になったからだろう)エムズの片割れさんと同じような感慨を持って見ていた。
主人公の(笠智衆さん)なさろうとしていることがどれもこれも凄く理解できる。
そして、自分も80歳位まで生きていられたとして、またその頃このドラマを見たらどんな感慨を覚えるのだろうとさえ思いを馳せてしまった。

最後に山田太一さんが次のようなことを言っっていた。
「笠智衆さんは、かつて小津安二郎さんが映画の『この場面で泣いてくれ』と言っても、『熊本の男は絶対に泣かない』と言ってとうとうどの映画でも一度も泣かなかった。その笠智衆さんに、このドラマの最後のところで『泣いてください』と言ったら、初めは泣かないと言っていたが、とうとう『では泣いてみましょう』と言って泣いてくれた。今になってみるとあの場面は泣かなかった方がよかったのかもしれないと思うが・・・、分からない。」

このような内容だったように思う。こんな話を聞いて、また深い「何か」を見てしまったような気がした。
笠智衆さんも60歳代の頃はまだ、熊本の男は絶対泣かないからここで泣けないと思っていたのだろうが、年を重ねて80歳位になった時、ご本人自身も泣いてもいいかと思ったのだろうと。
それまでの笠さんも分かるし、年を重ねた笠さんの気持ちの変化も分かるような気がする。
主人公と笠智衆さんご自身がダブって・・・、
とてもいいドラマだった。


投稿: ジャン | 2009年9月29日 (火) 00:59

「熊本の男は泣かない」の話、面白く読ませていただきました。小津作品には数多く出演している笠智衆ですが、どの作品だったのでしょうか。
東京物語で、最後に妻が急逝したときのことだろうか、などと考えております。
笠智衆は、熊本云々を理由にしていますが、泣くことによって返って悲しみが伝わらないと考えたのではないでしょうか。山田太一もきっと同じことを考えているのでしょう。

投稿: 周坊 | 2009年9月29日 (火) 13:45

昨日、急逝した叔母を送って今、帰宅しました~・・・
享年93歳、余儀なく8年間の入院生活を送り、近年は殆んど寝たきりの生活でしたが意識はしっかりして臨終間際まで家族の手をとって、お別れの挨拶する如く口を動かして何かを語っていたそうです。
タイムリーな記事に声を出して朗読したくなりましたが、声にならず涙が溢れます・・・
願わくば「遺書」のように、人生の終焉、選択できれば幸せな事だと思いました。
「生まれる時」は選択できないが、せめて「死ぬ時」は・・・同感ですが、年々増える自殺者の社会問題も絡んで、複雑なテーマです。
100歳超の高齢者が3万人を超えるという高齢化社会・・・せめて「生かされる」選択だけは避けたいのが万人の願いなのでは~?・・・

投稿: 花舞 | 2009年9月30日 (水) 13:45

山田さんが「笠さんが泣く場面が、このドラマの一番重要な場面」と言っていましたが、自分はそうは思いませんでした。あの場面が無くても、その哀しみは充分に表現されていると思いました。
死ぬ時を自分で決められるか・・・?そして、死をどう迎えるか・・・。
人間の最後の大きなテーマですね。解が無いだけに、当blogとしても大きなテーマで、これからも色々と考えて行きたいと思います。

投稿: エムズの片割れ | 2009年9月30日 (水) 22:48

「冬構え」で流れたシャンソンふうの曲に感じ入りました。曲名と歌手をご存知なら、教えてください。

投稿: じゅん | 2009年10月 8日 (木) 09:58

曲名が分かりました。Mikis Theodorakis作曲「Dromoi Palioi」のようです。

投稿: じゅん | 2009年10月10日 (土) 22:24

NHKの知る楽の12-1月放送の標題は、“こだわり人物伝”ということで、岡部伊都子と小津安二郎を取り上げています。
小津については、落語家の立川志らくという人が解説しています。
それによると、笠智衆が泣けないと頑張ったという映画は「晩春」だそうです。
このシーン、you-tubeでLate spring finalの検索でご覧になれます。

投稿: 周坊 | 2009年12月 2日 (水) 20:44

周坊さん

YouTube見ました。この「晩春」など、小津作品の名作は、そのうち一通り見ておきたいものです。情報ありがとうございました。

投稿: エムズの片割れ | 2009年12月 5日 (土) 23:45

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