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2009年9月の22件の記事

2009年9月29日 (火)

半藤一利の「昭和史」を(今頃)読んだ

まさに“今頃”読んだのである。半藤一利の「昭和史(1926~1945)(これ)」を・・・・・

恥ずかしながら、彼(か)の“半藤一利”という名を知ったのはほんの2年前(ここ)。戦争のテレビ番組を見て、“歴史大嫌い人間”の自分も、日本人のたしなみとして日本の歴史ぐらい一通りは知っておかなければ・・・と思って、誰の本を読んだら良いのかをamazonで調べたら“半藤一利”という名がたくさん出てきたので知った・・・、というオソマツさ・・・

先日聞いた「NHKラジオ深夜便「こころの時代」~「特集・100年インタビュー“戦争体験と昭和史研究”作家 半藤一利」(2009/8/27放送)(ここ)を機に、厚くて読むのをためらっていた(貰いものの)「昭和史」を読み始めた。これが面白い・・。普通の小説よりよっぽど面白い・・。どこが面白いかって??

まず読み始めて直ぐに違和感を持った。普通の文章と違う・・・。そして「あとがき」を読んで納得した。これは“書下ろし”ではなくて“語り下ろし”なのだ。しかも、語る相手の4人の生徒のうち3人は戦後生まれ・・・。
「学校でほとんど習わなかったので昭和史のシの字も知らない私たち世代のために、手ほどき的な授業をしていただけたら、たいそう日本の明日のためになると思うのですが」という女性編集者の説得に負けて授業を始めたという。
よって、語調がたいそうベランメエ調・・。昔、崇められたであろう偉人たち(?)を「アホが・・」「アホが・・」と言ってこき下ろす。(まあ、たしかに自分もアホだと思うが・・・)

なぜ読んでいて面白いかが直ぐに分かった。そうだ。まさに半藤さんの顔がそこに見えてくる。半藤さんの声がそこから聞こえてくる。半藤節が・・・。
前に高校の歴史の教科書を買ってきて、勉強しなおそうとして挫折した事がある(ここ)。自分は、当時の記事で『とにかく読んでいて面白くないのである。確かに事実は淡々と述べられている。しかし何の感情も無く、ただ淡々と・・・。そこには「命の息吹」が無い。「生きていない」文章は面白い訳が無い。だから眠い・・・』と書いている。そう、半藤さんのこの本は、ちょうどその逆だ。だから面白い・・・。

普通、“・・・節”の本は、読んでいると“鼻に付いて”来るものだが、なぜか半藤さんの本はそれが無い。でも、それは当然だ。実に良く勉強して歴史の事実を掴み、その上での論なので我々一般ピープルと目線が同じなのだ。だから読んでいて痛快・・。それに、(勉強して)全ての事実を掴んだ上で、相手のレベル(=昭和史のシの字も知らない私たち・・)を考慮して話をしてくれているので、表現が実に平易。
この本を読み終えると同時に、当然、続きを読みたくなる。今日の会社の帰りに、乗換駅の吉祥寺駅の本屋で、続編の「昭和史(1945-1989)」を探してもらったが、売り切れだという。こんな有名な本が売り切れとは・・・。仕方なくamazonで頼んだ。と同時に、昭和以前は無いのかと見たら、皆考える事は同じらしく「幕末史」も出ていた。「よしこれも買おう・・・」と、フト我が家の“中古図書館(これ)”を覗いて見たら、何とそこに鎮座している。「何だ、目の前にあった・・・。注文しなくて良かった・・・」
かくして自分は、当分半藤一利の「語り下ろし」の本に没頭することになりそうなのである・・・・

最後に内容について少し・・・。半藤氏は当然“戦争は避けられなかったのか?”の視点である。山本五十六と天皇が戦争を避けようとして努力していた事は半藤氏も認めているようだ。しかし、マスコミに乗っかって“日本の世論”は戦争に酔っていた。特に最初の連戦連勝で・・・・。
自分は半藤氏の指摘通り、マスコミの扇動はあったにせよ、それに“踊った日本人”も多大な責任があるような気がする。事実を隠されていた事はあるにせよ、それを見抜いた人が少なかったのかも??
歴史は戻れない。当時の状況を、全てが終わった後で、棚の上の特等席から見下ろして評論する事が、必ずしも正しいとは思わないが、少なくとも自分に半藤さんの論はフィットした。だから読む・・・。まあそれで良いのではないか・・・。

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2009年9月27日 (日)

アーカイブス・山田太一のドラマ「冬構え」を見て

昨日、朝食の後に新聞を見ながら何気なくテレビを点けたら、NHK総合で「NHKアーカイブス・ドラマスペシャル「冬構え」(1985年3月3日放送)(これ)をやっていて、カミさんとつい見てしまった。
テーマは「老い」。もう24年も前のドラマだが、まったく色あせていない。なぜか?“当時の65歳以上の高齢化率は10.3%だったが、現在では22%になっている”という現実から、テーマが当時より、より深刻だから??

ストーリーは、年老いた老人(笠智衆)が自分の全財産を現金化して、熊本から晩秋の東北地方へ旅に出る。途中、20数年ぶりにガンで入院中の昔の同僚を見舞ったり、同じ一人旅の老女と知り合って同じ宿に泊まったりするが、旅の目的は死に場所探し。一度だけ贅沢をしようとするが果たせず、将来に夢を持つ若い板前のカップルに150万の現金を渡して、やっと海に身を投げようとするが果たせない。
恐山を背景に、笠智衆が朗読する「遺書」が何ともわびしい・・・。妻に先立たれ、一人孤独に、老いの自分を誰にも迷惑を掛けたくないと思う心情・・・。

「私はこの旅先で、どのようなことになろうと、娘や息子達に何の責任もないことをしかと書き残します。子供たち、孫たちは本当にようしてくれました。そして、いかなる意味でも、誰かをも恨んだり悲しんだりして、死を危ぶむものでないことを書き置きます。私は、こうした書き置きを残せる幸せを感じております。この折を逃せば、まもなく更に衰え、自らの死を決する力を失ってしまうでしょう。体や病気の命ずるままに、死を迎える他はないでしょう。私は、今までの人生を微力ながら自ら選んで生きてきたつもりです。できるなら、生き方同様、死に方も選びたい。もとより、そのような考えは、若い時なら、傲慢、神をも恐れぬ、命の貴さを知らぬ、・・・ですが、齢(よわい)80にならんとする今なら、わずかに許されるように思います。死ぬまでの何年かを病院で、あるいは子供の家で、まるで廃人のように生きなければならないかもしれないということに、恐怖を感じております。贅沢かもしれませんが、良い爺さんのままこの世を去りたいという願いを消すことができません。これは私のわがままであります。」

そして自殺を考えている事に気が付いた若い板前は、自分の故郷に連れて行く。そこにはやはり一人暮らしの祖父がポツンと暮らしていた。

「孫があんたに言えという。人間、生きているのが一番だと言えと・・。そうしたことは言えねえ。ワシには人間生きていくのが一番なんて、そうした事は言えねえ。」
「しかし死ぬのもなかなか容易じゃなくて・・」
「んだ。容易じゃねえ」
「どんだ?少しここさ居てみねえか?こう見えても気心知れてくれば結構しゃべるだ・・・」

ドラマの後で、70台半ばになった山田太一さんに、このドラマを振り返ってのインタビューがあった。
「そう頭で考えるようには行かない。一人で始末をつけようとする事には限界がある、と思ったので、思いがけない他者によって別の道が拓けてくるというような事があったら良いな・・・と思った。お年寄りになると、新しい絆を作ることは難しくなってくる。特に男の人はそうだ。不器用に出来ている。」
「人生って、ある年齢になると、ああ、こんな当たり前のことに気が付かなかったのか、とか、亡くなった方を振り返っていると、ああ言ったのは、別の意味だったのかと気付く。
それに、味わいとしての人生を見つけたり、色々な輝きを感じやすくなった。」

夕方、犬の散歩をしながらカミさんとこの話をしていたら、確かに当時は思い至らなかったが、このトシになると、そういう意味だったのかと気付く場合があるな・・と、自分の体験を思い出してひとり納得・・・。
カミさんはこんな話もしていた。カミさんの子供の頃の写真を、1年に一度位しか会わない友人が見て「お祖母さんと一緒に写真に写っている服装が、実にお洒落。可愛がられていた証拠」と言ったとか・・。
カミさん自身は、デパートで写真を撮った後にチョコレートパフェが食べられる・・・という楽しみで行った記憶しか無い。でも言われてみると、自分で見ても当時としては確かにお洒落な格好をしている。それは確かにお祖母さんから大事に可愛がられていた証拠だろう・・・と。そして、自分が死ぬ時はたぶんお祖母さんが迎えに来てくれだろう・・とも。

たまに会う友人は、日頃気が付かない事を教えてくれる・・・。そして、若い時は気が付かなかった事も、トシを取れば見えてくることも多い。それらを、山田太一さんはドラマで色々と教えてくれる。

我が家では、山田太一のドラマは番組表で見つけ次第全て見ているツモリだが、とても全部は見ていない。しかし、このドラマのように、昔のドラマでも山田太一のドラマは色あせていない。実は、自分は昔このドラマを見た記憶がある。しかし今改めて見ると、その時と受け止め方がまったく違う。
つまり、見るときの年齢によって、感想がまるで違う。よって山田さんのドラマは、永遠のテーマゆえ、常に生き続けているのだろう。

NHKのアーカイブスの放送は歓迎だ。昔の名作ドラマを、当時とは別の自分が見るのだから新鮮だ。そしてその時々で、ドラマの深い真実に触れる。山田太一のドラマは、二度も三度も楽しめる奥深いドラマなのだと思う。

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2009年9月26日 (土)

昭和32年の出来事(10歳)~三浦洸一の「踊子」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの11回目。自分が9歳から10歳、つまり小学校3年生から4年生になる昭和32年(1957年)の出来事を調べてみる。(写真はクリックで拡大)

S32 この年の1月には南極観測船「宗谷」が南極に到着。オングル島に基地建設(ここ)。そして5月、大阪のそごうが有楽町駅前に進出。キャッチフレーズは「有楽町で逢いましょう」。フランク永井で同名の流行歌が発売されたのは11月。そのそごうも、今はビックカメラに姿を変えている。6月には東京タワーの建設が始まる(完成は翌昭和33年12月)。映画では「明治天皇と日露大戦争」や「喜びも悲しみも幾歳月」もこの年の封切りだという。
歌では、石原裕次郎の「錆びたナイフ」。友達と一緒に行ったローラースケート場でいつもこの歌が流れていたのを思い出す。その他、フランク永井の「東京午前三時」や島倉千代子の「東京だよおっ母さん」、コロンビア・ローズの「東京のバスガール」などなど。
この年の記憶は確かだ。翌年春に、生まれ故郷のこの埼玉を離れ、茨城に引っ越すので、埼玉の小学校の最後のこの年の記憶は鮮明。思い出した事をメモしてみると、日活映画「若ノ花物語・土俵の鬼」というのを見て、若ノ花の大ファンになり、ラジオで相撲中継を夢中になって聞いた記憶。NHKのラジオドラマ「一丁目一番地」を皆で聴いた記憶(ここ)。
それに「切手収集」という“趣味”を初めて持った(ここ)。(これは当時の流行で、結局自分 090926lightplane_2 は続かなかったが・・)。そして、休日というともっぱらゴム動力の竹ひご飛行機を作った。学校の校庭では竹ひご飛行機の大会。10数秒しか飛ばなかったが・・。今日ジョイフル本田に行ったら、今でも数百円で売っている。この姿をみるといまだにワクワクする。(遠い将来、孫にでも作ってあげる機会があるかどうか・・・)
楽しい思い出としては、お袋が子供たちを連れて大宮まで小林桂樹の「サラリーマン出世太閤記」という映画を見に行った記憶。Netで調べてみると、この映画は確かに昭和32年6月封切りだ。そして焼津の伯母が来た時には色々な場所に連れて行ってもらった。浦和まで「青い大陸」という海底ドキュメンタリー映画を見に行った。これはこの年かどうかは定かでないが、子供の頃の鮮明な記憶。そして木下大サーカスに行った記憶。大森海岸に潮干狩りに行った記憶等々・・・。今特養にいるが、子供の頃は兄ともども世話になった。しかし、小学校3~4年になると、幾らでも思い出が蘇ってくるものらしい。
さて今日は、昭和32年の歌として、8月に発売されたという三浦洸一の「踊子」を聞いてみよう。あの朗々とした声は、今もコンサートで健在だという。

<三浦洸一の「踊子」>

「踊子」
  作詞:喜志邦三
  作曲:渡久地政信

さよならも言えず 泣いている
私の踊子よ ああ船が出る

天城峠で 会うた日は
絵のように あでやかな
袖が雨に 濡れていた
赤い袖に 白い雨

月のきれいな 伊豆の宿
紅いろの灯に
かざす扇 舞いすがた
細い指の なつかしさ

さよならも言えず 泣いている
私の踊子よ ああ船が出る

下田街道 海を見て
目をあげた 前髪の
ちいさな櫛も 忘られぬ
伊豆の旅よ さようなら

小学校4年生の1学期の通信簿の先生のコメント。「全般によくやっております。特にハーモニカは級で一番うまいです。もう少し積極性があれば申し分ありません」。この頃から自分の音楽の“才能”が出てきたようだ。(でも結局、趣味で終わったが・・・)
2学期「あまり向上していません。能力に比して努力していないように思います。指名されると答えますが、積極的に挙手をすること少ないです。ノートの使い方乱暴です。物事を美的に処理する様に」・・・・。なるほど。もうこの頃に自分の「本性」が出ていたのかと、今更ながらドキッとした。
ふと“今泉”という名を思い出した。自分をいじめていた女の子の名だ。雪合戦をしたりすると、必ず自分めがけて投げてきた。気の弱い自分は必死に逃げたものだ。そして、もう直ぐ転校なのでこの子から逃げられると・・・・。しかし現在の“悟り”の境地(ここ)から思うと、この子は実は自分に気があったのだ。その事を自分は今まで気が付かなかった・・・・

まあ戯言はこれ位にして、最後にこの歌のステレオ再録盤を聞いてみよう・・・

<三浦洸一の「踊子」ステレオ盤>

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2009年9月25日 (金)

国連での鳩山演説~CO2 25%削減の国際公約

2020年の温室効果ガス排出量を1990年比25%削減する目標を国際公約として明言した鳩山首相の演説(2009/9/22)は、会場の各国首脳たちから大きな拍手を受け、国内外で大きな話題となっているそうな・・・。

朝日新聞「天声人語」では、このように書かれていた。
「・・・ゆえに新鮮、かつ胸のすく姿だった。国連の気候変動サミットで、温暖化ガス削減の新目標を打ち上げた鳩山首相だ。前政権の3倍超という野心的な数字は、喝采の中で国際公約になった。大排出国の米国、中国は牽制し合い、大した約束をしていない。新首相のスタンドプレーで国民や企業が不公平に泣くことはないか。そんな懸念もあろう。外交舞台では人気者より、ずる賢い嫌われ者が国益を守ることがままあるからだ。・・・もちろん、欧州勢は絶賛だ。海千山千たちにハシゴを外されないよう用心しながら、これからも得意の「非軍事」で汗をかくのが日本の正道だろう。・・・」(朝日新聞「天声人語」2009/9/24より)

また日経新聞のコラム「ゼミナール」でも排出量取引について、以下のような記事があった。
「これまでの2020年に05年比15%減という日本の中期目標は、実際に二酸化炭素(CO2)の排出量を減らす「真水」の削減目標だった。これに対し、政府・民主党が掲げる20年に1990年比25%減の削減目標は、真水ではなく、海外からの排出枠調達を含んでいるようだ。
Img090925 排出量取引とは、政府や企業が削減目標(排出上限)を達成できなくとも、政府間や企業間で目標を超えて削減した相手から排出枠を調達(トレード)し、不足分を埋めれば目標を達成したとみなす手法のことである。京都議定書にも採用され、政府は海外からの排出枠購入を進めてきた。
この排出量取引を使うと、削減目標の達成に必要なコストを社会全体として減らすことができる。例えば、企業ごとに削減義務を設けても、各社の削減手段や対策コストは多様だろう。新技術開発などで低コストでCO2を削減できる企業は、義務として課された量以上に排出量を減らし、余った排出枠を高コストでしか削減できない企業に販売する。そうすれば、各社それぞれが自社に課された目標値まで実際の排出量を減らすより、合計のコストは減少する。
排出枠が高騰すれば自社で排出量を削減し、義務を超えて削減した分の排出枠を売って対策コスト回収できる。逆に排出枠が安くなれば、他社から調達して削減費用を安く抑えることもできる。
実際の制度運用としては、一定レベル以上のCO2を排出する大企業に削減を義務付けるというのが現実的だ。中小企業の排出量を把握するのは困難で算定費用も膨らみやすいからである。こうした排出量取引の活性化を促すため、新政権は国内取引市場を創設する方針を打ち出している。
排出量取引は環境問題をカネで解決し、マネーゲームに陥ると批判されがちだが、削減努力を融通できる仕組みであり、経済合理性が大きい。購入した排出枠はあくまでも誰かが削減を肩代わりしてくれた結果だからである。(三井総合研究所)」(日経新聞2009/9/24p17より)

確かに自分も「排出量取引」は、金で解決する何か汚らしい解決策のように思っていた。しかし良く考えると、“低コストでCO2を削減できる手段”の有効活用であり、全体で考えると経済合理性があるという指摘も分かる気がする。
まあそれはそれとして、経済界からの反応が面白い。ニュースでは「・・・と言うに留まっていた・・」とか言っていた。つまり、経済界の本音は「勝手に国際公約するとは何事か・・・」と言いたいのだろうが、公式には「経団連としては、世界の低炭素社会の実現にわが国が大きく貢献できるよう引き続き主体的に取り組む決意である。」(ここ)とカッコ良い。新たな民主党政権をまだ上目遣いに見ている段階かな??

ふと、昔の車の排気ガス規制を思い出した。トヨタ初め車のメーカは、表向きは、国の数値目標に対して大反発。そんな目標は実現不可能だと・・。しかしメーカ内部では着々と開発を進めており、実際には困らなかった。
それを思うと、この鳩山政権の(たぶん!)メーカにネゴらない(?)目標設定は面白い。マニフェスト通りだが、これらの動きを見ると、確かに自民党政権から変わったな・・・という印象は受ける。
でも日本は技術立国。鳩山演説は、世界から喝采を受けるためのスタンドプレー的な目標設定のような気もするが、意外と“日本の実力”を踏まえたそう高くない目標なのかも知れない。
でも企業は米国や中国と同じく、こんな所に力を注ぎたくないもの本音。しかし、日本が儲ける目的以外の技術分野で、次の世代を踏まえて、世界の最先端技術で貢献する姿を想像すると、実にカッコ良い。
鳩山政権の“ひょうたんからコマ”。日本の経済・産業界が、これを受けて“カッコ良い動き”になることを期待したいものだが・・・。

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映画「不都合な真実」を見た~地球温暖化を考える(1)
地球温暖化を考える(2)~その基礎知識

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2009年9月23日 (水)

高峰三枝子の「宵待草」

今日はなぜか「宵待草」・・・
先日、実家に帰ったとき、お袋が10年以上前に亡くなった親父の遺品であるLPレコードを何とかしろ、という。今更LPレコードでもないが、貰うLPがあるかどうか見てみたら、案の定、懐かしのメロディーと叙情歌ばかり。しかも倍賞千恵子のレコードが多いこと・・・
その中に「歌でつづる日本映画史」というLPがあり、高峰三枝子が歌った「宵待草」があった。これは昭和13年の松竹大船映画「宵待草」の主題歌である。少し聴いてみよう。

<高峰三枝子の「宵待草」>

「宵待草」
  作詞:竹久夢二
      西條八十(2番)
  作曲:多 忠亮

待てど 暮らせど
来ぬ人を
宵待草の
やるせなさ
今宵は月も
出ぬそうな

暮れて 河原に
星ひとつ
宵待草の
花がちる
更けては風も
泣くそうな

この映画は、夢路が亡くなって4年後に、この歌にあやかって企画された映画だとという。
このLPの解説にはこうある。
「昭和13年8月11日、大阪劇場封切り。物語は、旅廻りのレビューのスター高峰三枝子と夏休みで帰郷している学生(夏川大二郎)とのロマンスを描いたものでした。高峰三枝子がレコーディングする時、竹久夢二の歌詞だけでは短いので、西條八十が二番を補足しました。後年、詩人は「月見草の花は散らないで、しぼむので『花は散る』の個所は『花の露』と改めたい。」と洩らされていました。」

そんな事もあって、西條八十の2番の歌詞は、その後ほとんど歌われないという。確かに自分はこの歌の音源を12種類持っているが、2番を歌っているのは映画の主題歌としてのこの高峰三枝子盤だけ。その意味では貴重な音源かも知れない。

090923yoimachigusa ところでNetで調べてみると、「宵待草」という花は無いそうだ。「マツヨイグサ(待宵草)」がその花らしい。しかし「宵待草」という語感が何ともロマンチックで良い。

さっき、(5連休を惜しんで?)夕食後に愛犬を連れて近所を散歩してきたが、風も秋の風情で何とも心地よい。(息子が帰って、やっと静かになったせいもあるが・・・)
そして「宵待草」は5月の花らしい。でも何となく自分は、今の季節に似合う花のような気がする・・・。
最後にお口直し(失礼)で、中村邦子の歌で元祖(?)「宵待草」を聴いてみよう。大正7年の出版というが、まさに日本歌曲の不朽の名作である。

<中村邦子の「宵待草」>

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2009年9月22日 (火)

東京富士美術館に行った・・

Image03641 連休も今日は4日目。何の予定もないのもツマらないので、今日はどこかに行くことにした。買い物以外だと公園か?いや、(カミさんの発案で)お手軽に近くの美術館にしよう・・ということになり、車で数分の東京富士美術館(ここ)に行ってみた。近いものの、意外と行く機会はなく、自分は2回目だろうか・・・(写真はクリックで拡大)

800円の入場料を払うと、100円で「ミュージアムiPodガイド」を貸してくれるというので借りた。まさにiPodで、画面上の絵のマークをチョイ押しして選ぶとレシーバーから案内が聞こえる。全部聞くと60分というが、選んで聞いた。
今日は休日というのに、展示室はガラガラ。「西洋絵画コレクション」という常設展示だけだったせいか、出るまでに見学者は10人も見なかった。どの展示室もほとんど自分たちだけの貸し切り状態・・・。
フト隣でデジカメを撮っている人がいる。注意書きを見たら「撮影は係員までご相談下さい」とある。それで係の人に聞くと、チラシに印があるのもは撮影不可だがそれ以外はOKという。不可の作品は新しいものが主のため、全7展示室中5展示室はOKだった。それで気に入った作品を撮ってきたというわけ・・・。日本の美術館で堂々と撮影が出来る所も珍しいのでは?

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今日の西洋絵画で一番気になったのが、下の2枚。「鏡の前の装い」という作品は、1877年のルージェロンという人の作。隣の「シルクのソファー」という少女の絵も、実に子供らしいリアリティだった。(大きな声では言えないが、自分は全くの美術オンチなので・・・)

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続いて見たのが「日本・東洋美術の名品」。ビックリしたのが浮世絵。葛飾北斎の「富嶽三十六景」と歌川広重の「東海道五拾三次」のホンモノが各10点展示されていた。この美術館には両作品ともシリーズの全部が揃っているとか・・・。
数年前に、国立博物館だったかで「富嶽三十六景」の作品展があり、行った事がある。あまりに混んでいて作品に近付けない。それに意外と作品が小さくてガッカリした事があった。そのホンモノが、全作品ではないものの、ごく普通に展示してある・・・。

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そして圧巻は「源平合戦図屏風」。近付いて見ると実に繊細。非常に細かいところも手を抜かずに書いてある。その他、陶磁器や漆器などの展示もあった。

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今日は、小一時間の見学だったが、まあ見応えはあったかな?
しかし、さすがに設備は立派。トイレを初め、至る所がキレイ・・。 iPodのガイド機もなかなかの優れもの・・。
ここも、特別展示があると混雑するのだろうが、自分は特別な展示は無くても、今日のように空いている時にゆっくりと見学する方が良いな・・。次回はいつかは分からないが、家から近いだけに、また来る機会もあろう。
このようにして何も無い5連休は過ぎて行くのである。

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2009年9月20日 (日)

仲人のいる結婚式は絶滅寸前!?

またまた(+また?)新聞からの話題で恐縮だが、昨日の日経新聞に「仲人って一体何をするの?」という記事があった。その記事によると、今や仲人をたてる結婚式は1%しかないそうだ・・・。曰く・・・(写真はクリックで拡大)

「・・・そもそも仲人って?」
Image03631 「・・結婚式に立会い、披露宴で出席者に挙式の報告をしたり、新郎新婦の紹介をしたりする。・・」
「・・昔は「仲人を頼まれてこそ一人前」「夫婦は一生のうちに3度は仲人をするもの」なんて言われたけど。・・・」
「結婚情報誌「ゼクシィ」の調べだと、仲人をたてる結婚式は今は1%なんだって。伝統が残っていたとされる九州でも2%。だから分厚い情報誌を読んでも、仲人の記述はほとんどない。・・・」
「昔は仲人をたてるのは当然だった。会社の上司にお願いした。・・・サラリーマンなら上司っていう雰囲気だった。・・」
「さすが「会社人間」の時代だな。終身雇用が崩壊した今じゃ、会社の人に頼ろうとも思わないし。・・・」
Image03621 「・・昔の結婚は個人よりも「家と家」の契約という意味合いが強く、両家の間に媒酌人がたって初めて地域社会に正式な婚姻と認められたんだ。戦前だと、仲人をたてない結婚を「野合」とみなして、さげすんでいたそうだ。」
「昔は結婚相手を決めるのは親で、仲人に相手探しや縁談の交渉を頼んでいたものね。恋愛結婚が多数派になったのは、団塊の世代が結婚適齢期を迎えた1960年台後半だったそうよ。・・・」(2009/9/19日経新聞p26より)

このデータからみると、今の若い人は、そもそも「仲人って何?」の世代らしい。

思い出すと、我々夫婦も3回仲人を務めさせてもらった。全員当時の部下だが、式場は良かったな・・。初めてのときは「京王プラザホテル八王子」(1995年)、2回目は「明治記念館」(1996年)、3回目は「椿山荘」(1998年)。たまたま式場が有名所だったのは良かったな。
思い出すと、主賓よりも媒酌人の方が気が楽な面があった。自分は媒酌人の時は、型通りのスタイルでいつも台本を出して堂々と“読ん”だ。これはある先輩が紙を用意しなくて、本番で“絶句”して周囲がハラハラした・・という話を聞き、自分は「読む」と決めた。よって媒酌人の時の失敗はない。逆に、主賓の時は台本を読むわけに行かないので、挨拶で失敗しないようにするのが大変だったっけ。
でも媒酌人の時は、何が何でも「欠席」が出来ないので、体調には注意した・・

でももうその時代ではない。全て思い出の世界・・。今振り返ると、“仲人”は確かに形だけであまり意味は無かったと思う。サラリーマンの場合、もっぱら頼まれ仲人なので、それほど付き合いは続かない。それに仲人だったからといって、査定を歪めるわけにも行かないし・・・
逆にトシを取ると仲人の関係に、弊害が出てくる場合がある。自分は無いものの、ある人は自分が仲人した元部下を永遠の部下だと思って(?)、自分がリタイアした後も現役の部下に色々とちょっかいを出しているという話を聞く。これこそ元部下は迷惑だ。

ともあれ、自分は最近の奥手な“男の子”を見るにつけ、「見合い結婚の絶滅」⇒「結婚の減少」⇒「少子高齢化」の図式が頭に浮かぶ・・・。
民主党は、“子供手当て”と同時に、“媒酌手当て(二人をくっつけた報奨金!?)”ナンテ創ったら良いかもね・・・

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2009年9月19日 (土)

なぜ黄色人種は酒に弱いか?

またまた新聞記事の話題で恐縮だが、今朝の日経新聞に「お酒に強い人 弱い人 何が違うの?」という記事があり、面白く読んだ。曰く・・・ (写真はクリックで拡大)

「・・・元筑波大学教授の原田勝二さんは、お酒に強いか弱いかが遺伝子によって決まることを突き止めた研究者だ。
Image03611 世界の様々な人種、地域の2500人以上を対象に、お酒に強い遺伝子(酒豪遺伝子)を持つ人の割合を調べたところ、白人、黒人はほぼ100%だったが、アジアでは低く、特に日本人56.4%、中国人59.0%、韓国人71.6%が低かった。なぜ黄色人だけが特別なのか?人類の祖先は今から20万~30万年前にアフリカで誕生し、10万年ほど前に一部は中東から欧州に移動して白人になり、一部はアジア地域に向かって移動を続けて黄色人になったとされる。
その時点まで人類は全般的にお酒に強かったが、黄色人種の一部が中国南部で突然、お酒に弱い性質の遺伝子を持つようになり、それが中国全土や韓国、日本に移動したのでは・・・、と原田さんは推測する。・・・
原田さんは日本国内も調査している。その結果、お酒が強い人の比率が高い上位3位は秋田(76.7%)、鹿児島(71.4%)、岩手(71.4%)。比率が低い下位3位は三重(39.4%)、愛知(41.4%)、石川(45.7%)となった。分布図を眺めると、お酒に弱い人たちが中国大陸から九州北部、瀬戸内海を通って、日本の中心だった近畿周辺に移り住んだ様子が浮かび上がってくるようだ。・・・」(2009/9/19日経朝刊S5頁より)

この記事で、酒の強い弱いが遺伝である事は知っていたが、白人、黒人に酒に“弱い人が居ない”とは知らなかった。なるほど、人類が大陸を渡ってくる時に、中国で突然異変が起き、韓国、日本にはその弱い遺伝子が伝わって来た・・・とは、なかなか説得力がある話だ。

周囲を見渡すと、本当に飲めない人が意外と多い。少し飲んだだけで真っ赤になる・・・。でも最近は、飲めない人に対する理解が広まったのは良い事。昔は、「オレの酌が受けられないのか?」などという乱暴な話もあった。
この記事によると、日本人は“強い”人が56%か・・。自分は中位なのでこの56%には入らないな・・・。それに地域差が意外と大きい。近畿の日本中央部が弱く、東北や九州南部が強いという・・。イメージには合う。鹿児島や東北は大酒飲みが多そうで・・・

昔上司だったある“全く飲めない”人が、その後プロジェクトリーダをしたとき、そのプロジェクトの顧客が外国の会社で、外人と飲む機会が多くて困ったそうだ。それで、毎晩少しずつウィスキーを飲んで訓練したそうだ。その結果少し飲めるようになり、久しぶりに飲み会で一緒になった時に、飲んでいる姿を見て皆でビックリした事があった。酒も努力で飲めるようになる??

それと、会社の同僚で毎日昼休みに歩いている人が居る。何で歩くのかと聞いたら、毎日運動をしないと何かの数値が悪くなって酒が飲めなくなる・・とのこと。体の為に酒を止めるのではなく、酒を飲むために他の事で努力をする・・というスタンス。なるほど・・・

ともあれ、酒は人生の楽しみ。酒を愛する人は羨ましい・・・。また酒は人間関係を潤すことも事実・・・。
でも自分など、このトシになってビールなどが胃に悪さをするようになってきて酒に弱くなった。若い頃から毎晩缶ビール一本、という生活をしてきたのに、実に残念。
でも何でも若い頃通りには行かない。それでも全く飲めない人に比べたら、自分など少しは酒の楽しみがあったので、まあそれで良しとするか・・・

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2009年9月18日 (金)

「スウェーデン」高福祉国家の仕組み

昨日の日経新聞に「経済教室~安心確保 活力と両立を スウェーデンモデルの核心学べ」という日本総合研究所理事の湯元健治氏の記事があり、大いに勉強になった。曰く・・

「高福祉は高負担を通じて企業の国際競争力を弱め、国民生活をも貧しいものにしてしまう――。わが国ではこうした認識が一般的であろう。厳しい国際競争にさらされる企業経営者にとって、先進国の中で最高水準の法人税負担に加え、高福祉国家に向け今以上の負担がのしかかれば、日本を逃げ出すしかあるまい。
一方、高福祉で有名なスウェーデンは、今年の世界経済フォーラムの世界競争ランキングで4位(日本は8位)である。国民負担率70%を超える高負担と高い競争力を両立させる、「スウェーデンパラドックス(逆説)」ともいえる状況は、なぜ可能なのか。・・

(以下抄録すると・・・)
・スウェーデンは一般のイメージと異なり、倒産も解雇も当たり前に生じる厳しい資本主義競争社会である。
・企業は社会保険料負担が高い反面、労働者には賃金しか支払わず、仕事がなくなれば即座に解雇する。その賃金には通勤手当も扶養手当も無い。企業の健康保険組合もなく、ブルーカラーの解雇には退職金も支払われない。
・賃金体系は、連帯賃金政策と呼ばれる政策の下で企業の生産性格差にかかわらず同じ職種なら賃金が同じという「同一労働・同一賃金」が実現している。こうしたシステムは生産性の低い企業の整理淘汰を促す一方、平均より生産性の高い企業には超過利潤をもたらし高い国際競争力を生み出している。
・解雇された労働者には、他の業種・企業へ強力な転職支援を行う「積極的労働市場政策」が採用されており、教育・職業訓練、一時的雇用、就職支援、所得保障給付など次の仕事につくための多様なプログラムが提供されている。生産性の低い企業・業種から高い企業に積極的に労働移動を促すことで、産業構造の高度化と人的資本の質的向上が同時に達成できた。その結果、同国は高い国際競争力の下、高い生産性と持続的な経済成長を記録。税や社会保険料などの高負担と高福祉が可能になった。
・高負担の内訳は、法人税負担は26.3%(日本は39.5%)だが、企業は赤字でも支払い賃金の31.4%もの社会保険料を払っている。日本の3倍近いが、年功序列賃金や退職金負担がないため、労働コスト(賃金+福利厚生費+税・社会保険料)は日本と同程度で、国際的にも高くない。個人所得には31.4%の地方所得税と25%の付加価値税がある。これは日本の感覚では低所得者には重いが、スウェーデンでは社会保障給付が所得比例となっているため、労働市場に積極的に参加しなければ最低限の給付しか受け取れない。よって比例的な負担は逆に労働意欲を高めると認識されている。
・同国は19世紀の終わりから急速な工業化の過程で急激な出生率の低下に直面した。その時採られた少子化対策が、所得再分配を目的とする貧困対策ではないと位置付けられ、ミーンズテスト(資産調査)の排除を原則としたことが今日の制度の原点となった。
・この政策は、当初は人々を従来の生活基盤から切り離し転職を強制する非人間的発想の政策だと批判された。しかしその後のスウェーデンの現実が評価を一変させた。それは人々を職歴・学歴の拘束や失業の恐怖から開放する「人間中心」の政策だとみなされるようになったのである。
・最大の財源である地方所得税は、地方議会で議論・決定されている。受益の対価である負担を国民の選択の自由と責任に委ねる仕組みこそが政府への信頼を生み、安心と活力の両立を可能にするのである。・・・」(2009/9/17付 日経新聞より)

前に民放TVで、“スウェーデンの消費税25%がなぜ国民に受け入れられているか”について見た事がある。(ここ
それによると、男も女も、とにかく働く。そして税金は国家に貯金している感覚だと聞いた。老後は国がキチンと面倒を見てくれるから、貯金も必要無いし、安心して働ける社会・・・
確かにスウェーデンのGDPは日本の1/10だというので、そのまま適用・・というワケには行かないが、でも参考にはなるだろう。

新聞によると新民主党政権に国民の大きな期待が寄せられており、鳩山内閣の支持率は7割を超えるという。そして、TVでは新たな閣僚の新施策への動きが、次々に報道されている。
この湯元さんの記事を読んで感心したのは、スウェーデンでも、色々な制度が導入された“その時”は、必ずしも国民は受け入れてはいなかったという点。
もう選挙も終わった。来年の参議院選挙がもう始まっているとも聞くが、出来れば目先の人気取りに目を向けるだけではなく、数十年後の次の世代(子供たち)に、「あの時に出現した民主党政権が今の躍進国家日本を作った・・」ナンテ言われると良いのだが、期待し過ぎかな・・・?
(この記事は勉強になるので、全文PDFを(ここ)に・・・)

(参考記事)
「子ども1人に月10万円支給したら?」~大和証券 清田会長の話

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2009年9月16日 (水)

手仕事屋きち兵衛のエッセイ「むさくるしいボヘミアン」

今日は、前回(ここ)に続いて、手仕事屋きち兵衛さんによる自作エッセイの朗読を紹介しよう。

これは「原風景(げんふうけい)&サントリーホールライブ」というアルバムで、きち兵衛さんが自分のエッセイを4つ朗読している。今回はその2回目。「むさくるしいボヘミアン」というエッセイである。(*ボヘミアン【Bohemian】=俗世間の掟に従わず放縦な生活をする人。芸術家などに見られる。「広辞苑」より)

<手仕事屋きち兵衛のエッセイ「むさくるしいボヘミアン」>

このエッセイで、きち兵衛さんは自分の髪をテーマにしている。自分にとっては、はなはだ不得手なテーマだ。何故かって?? 論ずるほど“髪”が無いのさ・・・(シラー・・)

自分が髪の毛を意識し始めたのは、年齢で言うと27~28歳の頃か・・? 九州から東京までのフェリーの船内であった。大昔、会社の先輩とセールスカーで、無線の機械のキャンペーンのため、九州に行ったことがあった。まだ新入社員の頃で、自分の車も無いとき。よって当時はセールスカーを運転するのが楽しくて仕方が無かった。その頃、宮崎から東京までのカーフェリーがあって、帰りに乗ったことがある。船中一泊の旅だった。
その船内で、一緒に行った先輩が「**さん、最近髪が薄くなったね~」というひと言・・・。思えばこれが“スタート”だった・・・。オワリは何時だったかって? もう覚えていない・・・。「論じても仕方が無い事は論じない」のさ・・・。(自分は仏教的に悟っている?)

話は変わるが、7月から会社を替わって、ようやく2ヵ月半になる。替わったときに、昔の仲間にあいさつ回りをしたが、皆が一様に言うのは「**さん、変わっていないね~」。それに対して自分は応える。「(自分のアタマを指して、“自嘲”気味に・・)これ以上、変わりようが無いでしょ~」。「いやそんな事でなくて・・」
つまり、これ以上は髪が“薄く”なりようがないのであ~る。
090916tesigotoya きち兵衛さんは、髪がボサボサで困っているらしい。女性もそうだが、どこからあの毛が「湧いて!!」くるのか不思議・・・・。
ふと、きち兵衛さんの禿頭を想像したら、何となく可笑しくて一人ニヤリとしてしまった・・・。(失礼!)

なおこれらのエッセイは、きち兵衛さんのエッセイ集『一匹ぽっちのコオロギ』に載っており(ここ)に書いたが、(ここ)では、最初の1編がNetで読める。

(関連記事)
手仕事屋きち兵衛のエッセイ「趣味」

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2009年9月15日 (火)

「野生を忘れた日本」~明日発足の鳩山政権に思う

テレビは、明日発足する鳩山内閣の“閣僚内定”の報道で大騒ぎ中・・・
いつも“愛読”している日経新聞のコラム「大機小機」。今日は「野生を忘れた日本」というテーマ。何度も言い尽くされた感はあるが、先の選挙の結果や、明日発足する民主党政権への注文である。曰く・・・

大機小機~野生を忘れた日本
民主党政権が発足する。子育て支援や製造業派遣の禁止など生活者への配慮を掲げる民主党への期待は高い。だがバラマキ合戦に終始し、「結果」であるはずの「政権選択」が争点となった不思議な選挙戦は、ちまたの盛り上がりとは裏腹に空疎な中身だった。国民が真に政策を吟味して民主党を選んだのか、疑問が残る。
国民の審判は民主党への信頼というより、多分に自民党への幻滅に根ざしている。
「自民党をぶっ壊す」と言って登場した小泉政権が支持されたのは構造改革、小さな政府、官から民へといった基本戦略がグローバル化や高齢化が進む日本の進路にふさわしかったからだろう。
ところが小泉政権を継いだ安部内閣が逆走した。改革の後戻りで自民党は都市部の支持を失った。2度の首相途中降板や閣僚不祥事で、信頼は地に落ち、小泉改革まで悪者扱いにされるオマケがついた。既得権益政党に戻った自民党は自壊した。
そもそも格差は構造改革の結果ではなく、グローバル化の産物である。格差論者は派遣の同一労働・同一賃金を叫ぶが、それならインドやベトナムとの同一労働・統一賃金の波が日本に押し寄せていることを理解する必要がある。
「グローバル化が悪い」との主張もある。台風に「日本に来るな」と言っているに等しい。グローバル経済が国民経済を破壊したと批判し米国の不興を買った鳩山由紀夫氏は、弱者のためにあえて友愛精神を発揮したと信じたい。
民主大勝の背景として日本人のこころの変容も見逃せない。・・・・
(中略)・・・
深刻なのは若者に競争忌避ムードが広がっていることだ。日本人全体が野生を忘れかけている。口当たりのよい政策に人気が集まるゆえんだ。
社会の活力は健全な競争を通じ企業が価値をつくることで高まる。製造業派遣禁止や温暖化ガス削減目標引き上げなど活力を削ぐ政策ばかりでは企業は海外に出て行く。規制緩和で競争を促し、活力を高めないと国は富まない。野に下った自民党は今こそ筋の通った構造改革を主張し、出直しを図るべきだ。機軸なきポピュリズムが続く保証はないのだから。(六光星)」(2009/9/15日経新聞「大機小機」から)
*ポピュリズム=(populism)1930年代以降に中南米で発展した、労働者を基盤とする改良的な民族主義的政治運動。(広辞苑より)

話は飛ぶが、 (今年はサボったが) 昨年まで、正月の初詣は毎年、近くの“高幡不動尊”で「社運隆昌」のお札を貰っていた。個人が「社運隆昌」のお札とはヘンなのだが、これは(前にも書いたが=ここ)自分の“会社がコケればリストラ等で従業員が不幸になる。それに巻き込まれれば、個人はアッという間に不幸になる。よって、サラリーマンの場合、「家内安全」も「社運隆昌」があってこそ!”という思い込みから・・・

企業の目線から見ると、民主党の補正予算見直し、公共事業の見直し等の政策を、戦々恐々と固唾を呑んで見守っている姿がある。
まだまだサラリーマンの現役を張りたい自分だが、自分の周囲の企業の置かれている環境は極めて厳しい。企業の存続あってのサラリーマン生活。自民党の政策を継続しろとは言わないが、手段はどうあれ、日本全体が活性化して活力ある国に脱皮することを、鳩山政権に期待したいところ。
一個人の立場と、サラリーマンの立場とで、今回の政権交代に対して、言うことが180度違う“エムズ”ではある。

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2009年9月14日 (月)

蛍光灯の色・・~オヤジの権威もここまで?

住宅の蛍光灯のランプの色は、大きく昼光色(白色)と電球色(赤色)の二つがある。
大昔は、蛍光灯の色というと白色(昼光色)(色温度5000~8000K)に決まっていた。それが技術の進歩で電球色(色温度3000K)が出てきて一般にも良く使われている。(*色温度とは?⇒例えば3000Kの光とは、3000Kの温度の黒体(≒ブラックホール)が発する光と同等の光)

まさに“好み”の話であるが、自分は電球の赤い色に比べて、蛍光灯の白い光の方が好きだ。特に白色よりも昼光色が・・。よって、最初に家を建てた時も、二度目に建てた時も、家中の照明は全部蛍光灯に統一した。(ただしトイレだけは瞬間点灯が必要なので電球にした)
しかも、(世の中が暗いので)“せめて部屋の照明くらいは明るく・・・”と、かなり明るめにした。
しかしカミさんは電球色派。しかし自分はその意見を一刀両断で切り棄て、電球色は家の中には入れなかった・・・。
しかし、である・・・・・。
数年前に、寝室の蛍光灯が電球色に変わった。そして先日、NHK「ためしてガッテン」(2009/9/9放送)の、「使える! 照明で健康になる法ここ)」というテーマの番組で、NHKがこんな事を指摘していた。(ここ

<昼光色の方が・・>
・味に敏感になる(白っぽい光の方が「甘み」と「苦み」に敏感)

<電球色の方が・・>
・白内障で見えにくい新聞の文字が見やすくなる
・胃の働きがよくなる
・眠りが深くなる(寝る前に赤っぽい光を浴びてから寝た人の方が、深い眠りを示すノンレム睡眠の時間が長かった)

(これは人間の歴史と関係があり、昼間に狩猟採集していた人間は、食べる物が毒か栄養かを見分ける必要があったため、昼間の太陽に近い白っぽい光だと味に敏感。逆に、夕方の太陽に近い赤っぽい光だと、食べた物を消化する時間なので、胃の働きがよくなると考えられている・・・)

この番組を見て、カミさんの態度が“してやったり!”と激変した。実はカミさんにとって不眠症は永遠の課題。それが、NHKから“電球色は入眠に良い”と言われてしまったのだから元気付く・・・。
「これは相談ではない。命令である。居間の電灯を電球色に変える!!」と宣言されてしまった。当然自分は「ィヤッ!」・・・・。でも“この剣幕”に「勝負あり」だった・・・

この週末に、居間の蛍光灯を電球色に変えた。ものすごい違和感・・・・。赤い光は、気分的に(裸電球の)昭和30年台(?)に戻ってしまう・・・・!?
確かに最近は、店の照明も電球色にしている例が多くなってきた。ニトリやジョイフル本田のスーパーなどなど・・。でも、まさか自宅の居間まで・・・・!
これも別の視点で見ると、“オヤジ”の権威が失墜した結果だろうか・・?何とも情けない。
どの家でもトシと共にカミさんの権威が増す事は“常識”である。問題は、“それがいつか?”なのである。
その公式からすると、我が家の場合も“その時”がとうとうやってきたのかも・・・? 自分は当然(権力の移譲?は)サラリ-マンの“リタイア後”と想定していただけに、その挫折感は想像を絶するものなのであ~る!!

カミさんに電球色に変えた感想を聞いてみた。「夜は実に良い!“違和感”がなくなった。しかし昼間は、外の白い光に対して部屋の赤い光は違和感・・。でも直ぐに慣れるさ・・・。本当は、昼間は白い光で、夜は赤い光の蛍光灯があれば良いのに・・・」と、のたまう・・・。(←自分だって違和感があったんじゃないか!)
何とも、オヤジの権威が失墜した居間の赤い光ではある・・・・。

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2009年9月13日 (日)

「暮らしの中の仏教語―その本当の意味」

雑誌「大法輪」の今月号(10月号)は「暮らしの中の仏教語―その本当の意味」特集で、なかなか面白い(これ)。まだ「意味が変わってしまった仏教語」しか読んでいないが、「ヘエー・・」が多い。下記に少し紹介・・・(以下「大法輪」2009年10月号p62~75より)

<本来の意味と逆の使い方がされている例>
「道楽」~本来の仏教語では仏道の修行によって得た法悦の境地をいい、「法華経」「薬草喩品」に「道を以って楽を受け」とあるように、仏教修行のよき果報を意味した。しかし今日一般的には、本来のなすべきこと以外の道にふけり楽しむことに転じて用いられる。道楽者や道楽息子というと、まわりの者に迷惑をかける困った存在であり、本来の意味とは正反対である。

「無学」~仏教語としては煩悩を絶ち尽くし、もはや学ぶべきもののない境地をいう。・・・しかしこの語は一般的には、学問・知識がないことを意味する。

「唯我独尊」~釈尊の誕生伝説の一つで、生れ落ちたとき。七歩歩いて右手で天を左手で地を指し、この言葉をとなえたという。本来の意味は、この世界に生まれてきたいのちの、かけがえのない尊さを示したもので、宗教的に大切な意味が込められていた。しかし通俗的には、自分だけが偉いとうぬぼれるさまとして用いられ、悪い意味に変化している。

<音写語で、字そのものに意味が無い例>
「断末魔」~人が死ぬ時に感じる苦痛のことを「断末魔」と言います。「末魔」とは、そこを絶たれたら死に至るとされる、人体の中の急所を意味する「マルマン」というインド語の音を写した仏教語。「末魔」が音写語だと知らない人は、この語が持つ語感に、「世界の終“末”に現れる、恐ろしい究極の悪“魔”」みたいな、スゴいものをイメージしていたかもしれませんね。でも、漢字自体には何の意味もないのです。・・・・

そのほか「自業自得」「示談」「退屈」「他力本願」「般若」などなど、本来の意味と実際に使われている例とが異なっている例などが、たくさん紹介されている。
でも、次の「安心」を読んだら、“安心”した・・・。

「安心」~・・・仏教用語では「あんじん」と濁って読むことが多く、本来は、信仰や実践によって定まった心、何事にも動揺しない心、安らかな境地をいいます。それは面倒なことが無くなったという一時的なものではなく、さまざまな出来事の中でも揺らぐことのない本当の安らぎの境地なのです。

自分とて、還暦を過ぎてはいるものの「安心(あんじん)」の境地には程遠い・・・。

しかしこの特集で、いつも何気なく使っている言葉にはそれぞれに永い歴史があり、仏教に根ざしているものがいかに多いかを改めて認識させられた。一つの言葉を取り上げても、そのルーツを辿ると論文のひとつや二つは書けるかも・・・

話は変わるが、先日、高校の後輩から、昔高校の担任だった先生が退職後に書いた回想録の「生きた証」という(自費出版の)本の書を借りて読んだ。これについては別に書こうと思うが、自分が生きてきた道を、キチッと活字に出来ることがまず素晴らしい、と思った。

文字でも、建物でも、人生でも、芸術作品でも、そして目の前にあるあらゆる物など、世界のあらゆる事柄には、それぞれに「経歴・歴史」がある。“毎日が日曜日”になったとき、何か一つでも取り上げてその「経歴」調べにのめり込むのも面白いかな・・・と思った。
例えばこの特集の“言葉の世界”でいうと、英語のようなアルファベットの言葉は、歴史はあるのだろうが“ナマってこうなった・・”が多いような気がする。それに対して日本語は、表意文字の漢字を使っているだけに奥が深いと思うのだが・・・・

ともあれ「般若心経」ではないが、「空(くう)」の世界観からいうと、物質は全てバラバラに分解して無くなって行く。それに対して、言葉や文化など、目に見えないものは永遠の命があるようにも思う。
人の数だけある様々な人生・・・。お骨になったら誰からも忘れられる・・、というのも寂しい? それともさっぱりして良い?
何か「言葉の由来」の本を読んでいて、ふと自分の人生を考えてしまった。自分は、先の横田先生の回想録「生きた証」のようなものが書けるほどの人生だったか・・?、と考えるとドキッとした。もう間に合わないけど・・・

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2009年9月12日 (土)

「最後だとわかっていたなら」

急に秋らしくなって来た。
朝起きて居間に行ったら、カミさんが花舞さんのblog(これ)を見せて、読めという。そこには「最後だとわかっていたなら」という詩が紹介されていた。

「最後だとわかっていたなら」
  ノーマ コーネット マレック:作
  佐川 睦:訳

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

この詩は、1冊の本となって出版されており、出版社のHP(ここ)には、この詩についての解説がある。
それによると、この詩の原題「Tomorrow Never Comes(これ)」は、米ケンタッキー生まれの女性ノーマが、10歳で亡くなった息子サムエルに捧げた詩で、1989年に発表されたという。(息子サムエルは弟と水辺で遊んでいた時、小さな子が溺れているのを見つけて助けようとして亡くなったという・・・) その後、2001年9月11日の米同時多発テロの追悼集会などで朗読され、「911テロで亡くなった若い消防士が生前に書き残した詩」という誤った解説付きで世界中にチェーンメールで配信されたものだという。

まあ経緯はどうあれ、胸を打つ詩ではある。この詩は相当に有名なものらしいので、今更・・・、かも知れないが・・・・
しかし、この詩はまさに「大切な人を大切に」という当たり前のことを言っている。
それなのに、ハッと読んだ人の胸を打つのは、いかに当たり前のことを忘れて生活しているか・・・・

話は変わるが、ちょうど一週間前、愛犬のメイ子(当blogの表紙)が夜10時頃になって急に吐き始めた。心配になったカミさんが掛かりつけの“かじはら動物病院(八王子・小宮)”に電話をしたら、「小型犬は急変するので直ぐに連れて来い」と言われ、直ぐに車で連れて行った。点滴などをしてもらってひと安心したが、その原因の一つには、昼に自分が強く叱ったこともあると言われたとか・・・、でドキッ。これは、昼にあまりに吼えるので強く叱ったが、それで精神的にダメージを受けたらしい・・・。夜遅い急患に、実に親切に対応してくれた医師にも感謝だが、“大切にしているもの”に対する自分の日頃の接し方について反省・・・・。
何?自分が一番に大切に思っているのは“犬”なのかって?
いやいや、自分の周りの皆さん全員が“大切な人”ですよ! 家族も会社の同僚も、電車で一緒に乗る人々も・・・(←本当か???)

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2009年9月10日 (木)

(今頃)「チャングムの誓い」・・・・

数週間前、「ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」などに出演し、日本でも人気の韓国トップ美人女優、イ・ヨンエ(38)が極秘結婚していたことが(8月)25日、分かった。韓国メディアによると、相手は米国在住の韓国系男性で17歳年上の55歳。24日に米国で、家族だけが参列して挙式したという。」というニュースが流れた。

最近、我が家で「チャングムの誓い」の話題が多い。カミさんが、今TBSで再放送されている番組を見始めたのだ。自分が見たのは2006年11月に終わったNHK総合なので、あれから約3年・・(ここ)。

当時は、カミさんに完全にバカにされていた。“世間の評判で見るなんて・・・”と。しかし最近、カミさんがアイロン掛けをしながら何となく眺めていた「チャングムの誓い」をつい見てしまって、だんだんのめり込んで・・・・

自分は、3年も経つとスジも頭のなかでボンヤリ・・・。カミさんから「見たんでしょ?」とスジを色々質問されても答えられない。仕方なく、昔買ったNHKのガイドブック(後編)を本箱から探し出して見せてやった。そしたら、早速それを読破。そして、ドラマがまだ後半に入っていなかったので、前編のガイドブックを読みたい、と言い出した。
今更新しいガイドブックを買うのも勿体ないので、amazonで中古を買う事にしたが、定価1050円の本が何と239円だという。送料340円を入れても579円。そして送られてきた本を見たカミさんは「何?中古なの?新品だとばかり思っていた・・・」。
Amazonでの評価が「中古商品-良い」となっていたが、これほど新品に近いとは思ってもいなかった。
そんな事があったので、この美人さんの結婚ニュースに反応したというワケ・・・・

「このイ・ヨンエさんは、どこか吉永小百合に似ているよね~」ナンテ話していたら、結婚もそれと似て、17歳年上だという。吉永小百合は15歳年上だったので、確かに似ている。
しかし、国を代表するような(?)絶世の美人が、なぜ同年代の人と結婚しないのだろう・・と、カミさんと話していたら、“あまりの美人は、同世代の人はとても近寄れない”のだという。なるほど・・・、と納得した。
そういえば昔、小学校の時に、クラスで人気があった女の子がいた。しかし、特に男の子が話し掛けない・・。心配したその女の子の母親が先生に相談し、クラスでその女の子を仲間外れにしないための話し合いが開かれた。
なぜ仲間外れにしたか・・・?その真の理由は、男の子が皆、その女の子が好きだったのだ。だからドキドキして、とても話し掛けられなかった・・・。自分も好きだった・・・。もちろんクラスの話し合いで、そんな話は出なかったが・・・
いつだったか、カミさんとそんな話をしていたら、「その女の子が可愛そう。大人になってからでも良いので、その“事実”を本人に話してあげたら?」と言うが、その子とは小学校の卒業以来会った事が無い。
どうも、皆が憧れる人の周囲には、近寄りがたいバリアが出来るらしい。それは本人ではなく、憧れる人の方が作る。(⇒だから“仲間はずれにされている”と感じている人は、一度“自分が皆から憧れの対象になっていないか?”をチェックしてみたら?)

話がそれたが、このイ・ヨンエさん。まあ我々庶民には関係ないが、この“品性”だけは見習いたいものだ。もっとも、「品性」が努力で身に付くとは限らないけど・・・
(←実はこの記事、8月に書いておいたもの・・。ネタ切れの時にアップしようと思っていて忘れていた・・。だから本当は賞味期限切れの話題ですね・・・。←バレた??)

(関連記事)
「チャングムの誓い」が終わった

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2009年9月 9日 (水)

「どうして“大好き”は嬉しい?」~養護学校教諭 山元加津子さんの話

NHKラジオ深夜便「こころの時代」「障者が教えてくれたこと 養護学校教諭 山元加津子」(2009/9/1~2放送)を聞いた。(自分は、毎週(日)に前の週の放送を通勤用MP3プレヤーに転送して聞いているので、聞くのが1週間遅れるのである)
このインタビューで、山元さんは養護学校での2つの事例を挙げて「どうして“大好き”は嬉しい?」について話をされていた。曰く・・・

高校2年のしょう君が食べるのは、肉だけ。決して野菜やご飯を食べない。周囲は、学校を卒業する前に何とか野菜を食べさせたいと思うが、無理強いすると発作で倒れてしまう。
「かっこちゃん(山元さんの愛称)、“大好き”は嬉しい?」「そうだね」「嫌いは悲しい?」「そうだね」「ボクがキュウリ食べたら嬉しい?」「嬉しいかな~」
ある日、しょう君が一人で頑張ってキュウリを一つ食べてくれた。「しょう君、キュウリを一個食べました。かっこちゃん、しゅう君大好きです」・・・・

どうして“大好き”は嬉しいのか・・・。大好きという気持ちは、たくさんの人がさせようと思っても越えられなかった事を可能にしてしまう力がある。人は生まれたとき、否、受精卵の時から「大好きは嬉しい」事が作られているのでは、と思った。

かおりちゃんは中学2年の女の子。言葉が話せない。会った最初の頃は、事情を知らなかったので話しかけた。しかし、「アと言って」と言ってもアの口の形だけはするが、息が漏れて声にならない。
そしてお母さんに言われた。「先生、私はかおりがしゃべれることは一切望んでいないんです。私はかおりが障害を持った時から、一言で良いからママと呼んでくれたら・・、それだけを願ってきた。けれども小学生までに言葉が出なければ、もう出ない。中学生になって出る事は無い・・。スクランブル交差点の真ん中で迷子になっても、誰を探すわけでもなくポツンと一人で立っているこの子を見たときに、しゃべるなんていう事はもう考えない、と思った。練習はこの子を苦しめるだけ。先生も、期待しても後でガッカリするだけなので止めて下さい」・・・
それから、かおりちゃんと一緒に居るうちに、かおりちゃんが私の真似をするようになってきた。私は髪の毛をクルクル遊ぶクセがあるがそれを真似たり・・。ある時、机の上に置いてあった本がドサッと落ちた。私が「アーアア」と言ったら、私の顔をじっと見て「アーアア」と言った。かおりちゃんがしゃべった! 「ママと言って!」「ママ・・」
お母さんに言っても信じてくれないと思ったので、「今日遊びに行っても良いですか」と電話した。・・・「今日かおりちゃんがしゃべったんです」と言うと、お母さんの顔が険しくなって、「先生に言いましたよね。私はかおりがしゃべるなんて一切望んでいないし、止めて下さいと言いましたよね」「本当にしゃべったんです。かおりちゃん!ママと呼んで!」そしたらお母さんの顔をじっと見て「マーマ」と言った。そうしたらお母さんの目から涙が溢れ出て、かおりちゃんをぎゅっと抱きしめて「かおり、ありがとう・・」と。
そしてお母さんは言った。「かおりが先生を大好きという気持ち、先生がかおりを大好きという気持ちが奇跡を起こした」・・・

それで「人が人に気持ちを伝えることは簡単な事ではない」と気が付いた。「相手の事が大好きにならないと気持ちは伝えられないし、相手が自分の気持ちを知りたいとか、聞きたいとか、そういう関係でないと気持ちは伝えられない」と分かった。
そして“大好き”という気持ちが人間になぜ備わっているのだろう、と思った。それは「私たちは、大好きが嬉しい」というものが生まれる前から備わっているのではないかと、養護学校で出会った沢山の子供たちから教えられた。・・・・

<かおりちゃんの話>

Netで見ると、山元加津子さんは大変に有名な方らしく、本もたくさん出されており、講演にも忙しい。そして映画も作られたとか・・・
自分はこの放送を聞いて初めて知ったが、何よりも障害児に自分の目線をキチッと合わせている姿に感動した。それに、その声も52歳とは到底思えない(失礼!)可愛らしさ・・・。
しかも、山元さんがここで言われていることは、決して障害者に対してだけではなく、親子・夫婦・恋人、その他の人間関係全てで言えること・・・。
この山元さんの姿は、到底努力して成るものではない。天性というか、それこそ生まれた時から備わっていたものだろう。(トンマな所もあるらしいが・・)だから我々一般ピープルはとても真似は出来ない。せめて、山元さんが目指している所を、どうバックアップできるか・・・、であろう。
テーマは重い。凡人の我々は、この山元さんのこの話に、どうコメントしたら良いか分からない。とにかく皆でこの「話を聞く」ところからスタート・・、だろう。
自分としては、今年の「こころの時代」の番組の中でも、ピカ一の話だったように思う。
全体を聞かれたい方は、下記にZIPファイルを置きます。クリックすると数分後にダウンロードされます。

NHKラジオ深夜便「身障者が教えてくれたこと(1)」は(ここ)をクリック。
NHKラジオ深夜便「身障者が教えてくれたこと(2)」は(ここ)をクリック。

最後にNetで見つけた幾つかのサイトを紹介して今日の記事は終えよう。(山元さんの“爪の垢を煎じて飲む”ために、どうしたらそれが手に入るか、誰か教えて欲しい・・・)

(関連サイト)
「山元加津子と仲間たちのページ」は(ここ
山元加津子さんのblogは(ここ
講演予定は(ここ
映画「1/4の奇跡~本当のことだから~」の自主上映会の予定などは(ここ

なおYouTubeには、たくさんの講演会や映画の関連動画がアップされている。

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2009年9月 7日 (月)

「働きやすい会社2009」ランキング

今日(09/9/7)の日経新聞に、 「働きやすい会社2009 ランキング」という記事が載っていた。昨年に続いて見てみよう。(昨年の「働きやすい会社2008」はここ

「働きやすい」とはどのような基準かというと、「・・企業には人事・労務制度の充実度、ビジネスパースンには働く上でどのような制度や環境を重視するかを聞いた。各社の制度を点数化したうえでビジネスパースンが重視する項目に傾斜配分して企業ランキングを作った。・・・」とある。
調査の方法は「今回が7回目。企業に対する調査は1543社を対象に6月上旬~7月下旬にかけて実施し、436社の有効回答を得た。ビジネスパーソンは従業員1000人以上の企業に勤める人が対象で、6月下旬にネット経由で調査をした。日経リサーチアクセスパネルの6000人に聞き2184人が回答した。・・・・」

評価項目は、以下の4つ。(各項目のベスト3)
1)社員の意欲を向上させる制度(①パソナグループ(204.89) ②凸版印刷(191.41) ③大日本印刷(189.87))
2)人材の採用・育成と評価(①損害保険ジャパン(105.68) ②パナソニック(103.25) ③凸版印刷(102.21))
3)働く側に配慮した職場づくり(①パナソニック(233.61) ②東京海上(219.13) ③NEC(217.41))
4)子育てに配慮した職場づくり(①パナソニック(157.06) ②三井物産(155.29) ③大和證券Gr本社(155.16))

結果、4項目の合計による総合順位は、

<「働きやすい会社2009」ランキング>
       ~日経新聞(2009/9/7)(P11)より
順位(昨年) 社名       得点
①( 2) パナソニック        682.64
②( 5) 凸版印刷          657.18
③(19) 東京海上日動火災保険 636.35
④( 3) 日立製作所        632.75
⑤(20) 日本ヒューレット・パッカード  622.33
⑥(73) パナソニック電工     618.92
⑦(14) 大和證券Gr本社     618.36
⑧( 1) NEC            613.98
⑨( 4) 三井住友海上火災    612.25
⑩(56) ダイキン工業       609.94
⑪(54) キャノン          607.63
⑫(11) 富士通           607.43
⑬(21) ソニー           607.31
⑭(50) 損害保険ジャパン    605.79
⑮(10) 日本IBM          605.31

なおビジネスパースンに「働きやすい会社」の条件を聞いたところ、
①「年次休暇の取りやすさ」
②「本人への考課結果の伝達」
③「実労働時間の適正さ」
・・・
⑤「評価基準の公開」
・・・
⑩「勤務時間に一定の自由度を認める制度」
⑪「休職社員の早期復帰支援対策」
・・・
⑭「メンタルヘルスケア施策」などなど・・・

さてこのデータをどう読むかだが、昨年同様順位が乱高下している。昨年も同じ事を書いたが、このような順位がそうそう簡単に、毎年変わるとは思えないのだが・・・
でも、「働きやすい会社」とは、本来、人の価値観(人生観)によって様々に変化するものだろう。つまり、お金をたくさん欲しい人は賃金の高い会社を選ぶだろうし、休暇をたくさん取って気ままに暮らしたい人はそのような会社を、逆に、若くても“自分の実績”を高く買って欲しい人は外資系の会社などなど・・・、人それぞれ何に重きを置くかで自分に合った会社を選ぶ。、つまり「働きやすい会社」とは決して“楽をしてお金がもらえる会社”ではない。自分の自己実現の出来る会社が、自分にとって「働きやすい会社」なのだろうと思う。
しかし、会社側にすれば、優秀な人材を集めたいわけなので、時代に即して、新人に評価されようと、色々と戦略を練る事になる。
まあそれはそれで結構な事ではあるが、でもそれらが出来るのは、ほんの一握りの大会社と就職に心配の無い(?)超一流の学生に限られるのではないか・・・。
派遣切りに遭った人や、ハローワークに毎日通っている人などが、このベスト10を見てどう思うだろう? たぶん全く興味を示さないかも・・・。「それどころではない・・!」「こんなデータはお遊びでしかない」と言うかも・・・
政権も替わる。こんなデータを見ながら、皆でワイワイと“会社選びが出来る”世の中にして欲しいものだが、さてどうだろう・・・

(関連記事)
「働きやすい会社2010」ランキング
日経による「企業ランキング」~働きやすい会社2010
「働きやすい会社2008」ランキング

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2009年9月 6日 (日)

昭和31年の出来事(9歳)~マヒナスターズの「好きだった」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの10回目。自分が8歳から9歳になる昭和31年(1956年)の出来事を調べてみる。
090906manaslu 「日本隊マナスル登頂」は記念切手の図柄を覚えている。そして「メルボルンオリンピック」は自分が記憶にある初めてのオリンピックだった。体操の小野喬が個人総合で優勝。
ラジオ番組では「赤胴鈴之助(ラジオ東京)」や「少年探偵団(ニッポン放送)」など。映画では「ビルマの竪琴」やチャールトン・へストンの「十戒」がこの年の公開。
歌謡曲では「若いお巡りさん(曽根史郎)」「東京の人よさようなら(島倉千代子)」「リンゴ村から(三橋美智也)」「ここに幸あり(大津美子)」「哀愁列車(三橋美智也)」「どうせひろった恋だもの(コロンビア・ローズ)」などなど。
この年に発売された歌で、今日は「好きだった」を挙げよう。鶴田浩二の歌で昭和31年10月発売。実は、自分はマヒナスターズがオリジナルだとばかり思っていたが、オリジナルは鶴田浩二だった・・・。でも先ずはマヒナで聞いてみよう。これは昭和34年発売である。

<和田弘とマヒナスターズの「好きだった」>

「好きだった」
  作詞:宮川哲夫
  作曲:吉田正

好きだった 好きだった
嘘じゃなかった 好きだった
こんな一言 あの時に
言えばよかった
胸にすがって 泣きじゃくる
肩のふるえを ぬくもりを
忘れられずに いるのなら

好きだった 好きだった
俺は死ぬ程 好きだった
云っちゃならない 「さよなら」を
云ったあの日よ
笑うつもりが 笑えずに
顔をそむけた 悲しみを
今も捨てずに いるくせに

好きだった 好きだった
口にゃ出さぬが 好きだった
夢にまで見た せつなさを
知っていたやら
馬鹿な男の 強がりを
せめて恨まず いておくれ
逢える明日は ないけれど

今から思うと、この年は、自分の歴史にとって大きな転換点だった?悪い意味で・・・
小学校3年生のときの悪い思い出。いまだに覚えているが、その日は、授業参観の前で、教室の先生の机の上に、授業参観用の何かの書類が書き掛けで置いてあった。皆でワイワイとその机の回りに集まった。その時、良くは覚えていないが、インク瓶をひっくり返したような状況になった。その瞬間、回りにいた友達は皆いなくなって自分だけが取り残された。「**ちゃん(自分)がやった」・・・と。次に覚えている情景は、ひとり校庭の片隅に居る自分。そして、誰もいない校庭の向こうに校舎が見える・・・(孤独感と絶望感・・)。当然、先生に一人叱られた。その事は、家に帰っても母親には言えなかった。そして通信簿に何が書かれるか心配だった。そして1学期の通信簿には、「明朗、素直でまじめに物事をしますが、時々いたずらをします。授業中もう少し活発に発表ができるようにしたいと思います」と書かれていた。“事件”の事が詳しく掛かれていなかったのでホッとした。
その女の先生との相性は悪かったらしく、掃除時間に雑巾掛けをしていて先生の足にぶつかった事があったらしく、後で先生に「**さんがぶつかった所がアザになった」とイヤミを言われたのを覚えている。
それが自分の初めてのトラウマになったらしく、以後、自分は内向的になったのだ!
2学期の通信簿には「まじめによく学習していますが、自分から進んで発表をしない故、大変おしいと思います」。一応客観的に書いてあるが、自分はその先生の前で完全に萎縮していたのであ~る。たまたまその先生は2学期で退職し、3学期からは新しい先生になったので、自分に取ってまあ良かったのではあるが・・・。

先日の小旅行のときに、車の中でカミさんに「自分はこの事件で内向的な性格になったのだ。よって子供に対する先生の影響は非常に大きい」と話したら、「それは元々持っていた性格じゃないの?それがたまたま出てきただけ」とのたまわる・・・。
何が自分の本性かは分からないが、この事件があった小学校3年生の1学期から、少なくても中学2年生位までは内向的な性格だったと、自分では思っている。その後は?・・ →また別の(内向的じゃ無い)本性が出たのさ・・・。もちろんサラリーマン時代も確かに内向的ではなかったけど・・・。
何が自分の本性か、未だに分からない日々が続いているのであ~る。

最後にオリジナルに敬意を表して、鶴田浩二の歌も聞いておこうか・・・

<鶴田浩二の「好きだった」>

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2009年9月 5日 (土)

映画「ひろしま」を見る~珠玉の反戦歌

先日8/6の広島原爆記念日に、「原爆映画の思い出・・・」(ここ)という記事を書いた。子供のときに見た広島原爆の映画が今も頭に残っているが、その映画が何か、未だに分からない・・・。今までその映画の題は「原爆の子」だとばかり思っていたが、もっと悲惨な場面があって目を伏せていた記憶と合致しなかった。先日、その記事を書きながら、Netで検索していると、同じ時期に映画「ひろしま」という作品があると知った。それで唯一レンタルしているDMMに申し込んでおいたのだが、それがやっと届き、今日見た。

まさにこの映画だった。自分が記憶していた映画。小学校低学年の時、怖くて画面を見続ける事が出来ずに、ずっと下を向いていた映画・・・・。
映画「ひろしま」の詳細の解説は、(ここ)にある。1953年(昭和28年)8月の作品。企画・製作は「日本教職員組合」とある。出演者は、岡田英次、月丘夢路 、加藤嘉等の豪華メンバーだが、それらの名前の前に「出演者 広島原爆被害者、広島各労働組合員、園児・児童、生徒・学生・PTA・一般市民、延88500余人」という画面が出る。これ一つで、この映画の姿勢が分かる。ストーリーは決して面白いものではない。しかし、そのリアリティは鬼気迫る。原爆が落ちてから、市民が焼けてのた打ち回る場面が延々30分も続く。とても正視できないほどの画面。黒焦げの死体の山。やけどを負った人々が逃げ惑うさま。その手は前に突き出して、うらめしや~の幽霊の手。原爆病院での悲惨な状況・・・・。そしてラストシーンの数万人の平和への大行進・・・

昭和28年というと、原爆投下から8年後。この時代、既に段々と原爆が忘れられて、街には軍艦マーチが大きく流れていたようだ。この映画は、原爆を風化させてはならない、という思いがあったのかも知れない。製作は日教組だが、思想的な雰囲気はどこにも無い。あるのは「原爆の事実」だけ。しかしこの映画は非常にマイナーな映画らしい。昔買った「ぴあシネマクラブ」という映画辞典を調べてみたが載っていない。たぶんテレビでも放送されていないだろう。

この映画を、今の時代で眺めて見る。到底かなえられないだろうが、NHKあたりが、終戦記念でこの映画を放送した時、世の中がどう捉えるか・・。様々な批判が出るかもしれない。あまりに原爆の悲惨さをリアルに表現しているので、“家庭に良くない・・”とか、”子供には残酷だ”とか・・・。
最近NHKが戦争体験・証言を集めている。それは戦争の「事実」を今のうちに集めておこうという狙いで評価したい。しかし、映画ではあるが「画像による原爆の現実」がここにある。どんな戦争ドラマよりも、どんな戦争記録映画よりも、少なくても自分はこの映画が表現した原爆の悲惨さが、胸に突き刺さった。まさに(目をそむけた)小学校低学年の頃に突き刺さった記憶は本当だったのだ。
この映画「ひろしま」は、完全に過去の映画と葬られているが、何とかもう一度世に出る機会は無いものだろうか・・・。まあNHKで放送されることは望むべくもないが、原爆の悲惨さを直視した映画として秀作であると思う。
もちろん他人には強制できないが、(もう息子にも強制できないので)そのうち“孫”でもできたら、この映画を強制的に見せたいものだ。戦争の悲惨さを実感させるに、これ以上の映画は無い。

(関連記事)
原爆映画の思い出・・・

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2009年9月 3日 (木)

20万円でお墓を大リフォームした話

今日は、お墓の外柵の改修が格安で出来た、というお話。改修前と改修後の写真を下記に・・・。(写真はクリックで拡大)

P10100572 ⇒20万円 P10508792 

実はカミさんの弟のお墓が茨城県にある。小学校に上がる前に亡くなったので、かれこれ40年以上も前になる。亡くなる前、(小学校に上がる前だというのに)海が見えるところに眠りたい、と言っていたとかで、お墓は太平洋が見えるところにある。
しかしウチからお墓は遠い・・。190K・・。お墓の近くには身寄りも無いため、なかなか行く機会がない。他にお参りしてくれる人も居ないため、少し放っておくと草ぼうぼう。それが気になり、1年に一度くらいは行かないと・・・と思いつつも、なかなか行けない。“もうお墓にはいません”ナンテいう歌があったが、カミさんは草ぼうぼうの状態で放っておくのをいつも気にしていた。
草が生えるのをどう防ぐかに、今までも色々と腐心してきた。除草剤を撒く事はいつもの事として、高速道路で使っているという除草シートを買ってきて土の部分に敷き、上に砂利を乗せてみたり・・・。それで少しは良くなったが、やはり年月が経つと性能が劣化するらしく、元の木阿弥に・・。

そこで意を決して、墓石と外柵の間をコンクリートで埋め、原理的に草が生えないようにしようという事になり、業者を探した。要求事項は、約1坪のお墓の、①ブロックの外柵を作り直す事と、②墓石と外柵の間をコンクリートで埋めること。③工事時期はいつでも良い。手の空いた時に・・・。
1年ほど前、まずは、お寺さんに紹介してもらった地元の石屋さん(A)に見積もってもらったら、121万円と97万円の二つの案の見積りが来た。これは今ある墓石の下に、立派な納骨堂を作るというもの。金額の“桁”が違うので断念。
Netで探した安そうな業者さん(B)は75万円。ここは外柵の取替えとなると、全体リフォームとなるため、閉眼供養をしてお骨を本堂に預けて、更地から納骨室や墓誌を新設するという。やはり、こんな金は出せない・・・。後から電話で少し安くすると言ってきたが、ほとんど変わらなかった。
数ヶ月前、また改修の話が出て、もう一度お寺さんの紹介の業者さんに、「本当にブロック塀の交換と、コンクリートのベタ打ちだけで良い、と再見積りをしてもらったら、今度は37万円という見積。まだ高い・・・
仕方が無いので、高価な石屋さんに頼むのは諦めて、地元のホームセンターに、「塀屋さんに何とかお墓の“塀”の改修をしてもらえないか」と頼んでみたが「お墓の塀の改修はやった事がない・・・」と敬遠されてしまった。

しばらく経って、Netで「延島庄也石材店ここ)」を見つけた。場所は茨城県桜川市真壁町だが、関東一円で対応してくれるらしいので、メールで問い合わせた。
結果、外柵をブロックでやり直すときは、14万円だという。オッと思った。(A)業者の37万円と同じ仕様なのに、半分・・・。そして外柵を高さ60cmの石にすると29万円、石の外柵を半分の30cmにすると18万円で出来るという。探せばあるものである。
思ったより安いので、外柵はブロックでなく30cmの石にすることにして、早速依頼した。あくまで、“工事の時期はいつでも良い”という事で・・・
それに、発注条件としては、①場所が離れているので現場での立会いが出来ないこと、②そして工事については工事写真を送って欲しい、を要求したが快諾してくれた。
それに、後日お寺さんに挨拶に行ったら、お水代を請求されたとかで、それも1万円位で良いでしょう、と教えてもらった。
また現場調査をしたら、敷地が坂になっているため、若干の費用が増えたが、それでもお寺さんへのお水代込みで20万円強で終わった。しかも墓石クリーニング、ステンレス花立、ステンレス香炉皿がサービスで。
そして送られてきた工程写真がこれら・・・。官公庁の工事では必ず工程写真を撮るが、工事状況が一目瞭然・・。

P10100572_2  P10100642 P10100652 P10100672 P10100692 P10100722 P10100492 P10100592 P10100632

これで草ぼうぼうも避けられるし、一安心。これからは、あまりお墓の事を気にしなくて良くなってホットした。と同時に、“幾ら顔を会わせなくても、良心的な業者は世の中にはいるものだ”という事が分かった。
振り返ってみると、(A)業者さんは、お寺の紹介という事で安心して見積もった?それとやはりお寺さんへのお水代も入っているのだろう。
(B)業者さんも(A)業者と同じく、施主の「草が生えない最低限のこと」という意向を無視して、更地からやり直し、という必要以上の見積をした。また、閉眼供養などでのお寺さんへのお礼代も入っているのだろう。
そして今回頼んだ「延島庄也石材店」は、施主の意向を充分に汲んでくれて見積もってくれた。先にも書いたが、まったく同じ工事内容(ブロック塀の交換と生コンベタ打ち)で37万円と14万円の違いは明らか。葬式やお墓の世界は“色々あって不明瞭”とは良く言われるが、この例でもそれは明らか。
しかし、たぶん材料費などは特別に安いという事は無いように思う。しかし何よりも「顧客志向」のスタンスが違った。
加えて、店から工事場所まで80Kもある。車での移動は2~3時間掛かるだろう。これは大変なこと。(ホームページには“関東一円対応”となっている)具体的に何人で工事したのかは分からない。でも先日見に行ったお墓は、実に立派になっていて、目地も丁寧な処置がされており、工事は完璧。周囲の新設のお墓に引けを取らない。ステンレス製のお花立てや香炉皿も勿論ピッカピカ・・・。まさに新設同様のお墓になった。でも、場所が遠いので業者が面と向かって施主に会うことも無い、いい加減な工事をしてもバレない、気が付いた時(現場に行った時)は既にお金を払った後・・・、という状況が許される中で、このようにキチットした対応をしてもらい、人との信頼関係を信ずることが出来て、実に気分が良い墓参りになった。

ともあれ、もう40年以上前の小さな子供のお骨が一つだけ入っているお墓。でもお墓参りを通してその存在を思い出すのも、姉が生きていればこそ・・・
「お墓にあまり思い入れをすると、安心してあの世に行けない・・」という話も聞くが、この弟も他に思い出してくれる人がいない存在なので、このお墓というシンボルを通してたまに弟を思い出すことも、良い事のような気がする。(この記事は、“延島庄也石材店”のPR記事だって?そうさ、PRしたいのさ・・・。我が家と同じような事で悩んでいる人のために)

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2009年9月 2日 (水)

「あみプレミアム・アウトレット」に行った

先日、小旅行の帰りがけに「あみプレミアム・アウトレット」ここ)に寄ってみた。ここは、茨城県阿見町に先月(2009 年7月9日)オープンしたばかりのピッカピカのモール。よって夕方だというのに、まだまだ人波が多かった。

P10509301 P10509291 P10509321

場所は、常磐道つくばJCTから圏央道に入って「阿見東IC」を降りた目の前にある。敷地面積165千㎡、店舗面積21千㎡、店舗数104店舗、駐車場2500台。まあそんなに疲れないで一回り出来たので、大規模というわけではない。
近くに牛久大仏があり(ここ)、夕方ともなると、街路灯の向こうに大仏様もシルエットが美しい・・・。たぶん、そうなるように設計しているのだろう。

P10509551 P10509371 P10509431

しかしこの牛久浄苑にある牛久大仏はデカイ。高さ120mという。鎌倉の大仏が15m、自由の女神が40mというから、ギネスに載るのも分かる・・・。(そういえば、昔行った時、森光子と赤い字で書いた墓石があったっけ・・・)

自分にとっては全く興味のない店ばかり。よって自分にとっては、カミさんに付き合うだけ。でもフードコートで食べた石焼ビビンバはなかなか美味かった。
自分はヒマだったので、夕方の写真を撮ってきた。

P10509511 P10509491 P10509611

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2009年9月 1日 (火)

「太平洋戦争はなぜ起きた?」という問いに対する半藤一利氏の答

人の話を聞いて、その人の話を信用するかどうかは、それまでの経験値から自分なりに(無意識に)判断している場合が多い。自分の場合、(昭和史の)歴史家である半藤一利氏の話はかなり信用している。

NHKラジオ深夜便「こころの時代」で「特集・100年インタビュー“戦争体験と昭和史研究”作家 半藤一利」(2009/8/27放送)を聞いた。その中で、アナウンサーの質問「太平洋戦争はなぜ起きた?」に対する半藤氏の説明が分かり易い。非常に単純な質問だけに、答えが難しいが、理由を一方的に対戦相手国のせいにせず、国内に目を向けて次のように答えていた。

Q:「太平洋戦争はなぜ起きてしまったのか?」
A:「その時その時で日本の政策が選択を迫られた。例えば満州で傀儡政府を作ったことを、当時の国際連盟が猛反対した。日本は一旦撤退しろと勧告されたが、その時に日本はどういう選択があったかというと、1)国際連盟の言う通りに一旦下がって国際連盟の判断に任せる。2)国際連盟に日本が懸命に訴えて、満州国を育てるためにどうすれば一番良いのかを世界の国々に訴える事で、国際連盟の中で頑張る。そして日本が取った選択である3)国際連盟から脱退する。世界を相手にしない。俺たちは俺たちの道を行く。という選択・・・
色々な局面で選択を迫られた時に、昭和史の選択は本当に間違った選択を次から次にした。上に立った政治家が誤っただけではない。マスコミも誤った。例えば国際連盟からの脱退は、むしろマスコミ(新聞)が「脱退せよ」と煽った。それは事実としてある。それに国民が煽られ、「国際連盟なにするものぞ」「栄光ある孤立だ」「我が道を行く」と国民は熱狂する。という形で一つ一つの所で大事な選択を皆で良く考えて、日本の生きる道というのは、国際社会のなかでどの道が一番正しいかを考える事をせずに、次から次へと強硬路線を取って選択を誤って行った。というのが結果として世界中を相手に戦争する形になったのだと思う。」
Q:「軍部が独走したというが・・」
A:「軍部の独走としきりに言われるが、軍部の独走だけではあそこまでは行かない。政治の方もだらしなかったが、国民の世論もだらしなかった。世界の国と交際をせずに、“お前達の国は相手にせず・・”とやって、アジアの国々の中で、植民地ではあるがインドやビルマなどの国々が、日本の言う事をきくかというと、きかない。」・・・・

太平洋戦争開戦の理由として良く言われるのが、米(英中蘭)から経済封鎖をかけられたためとか、いや、植民地の拡大、つまり資源目当てだ、とか・・。そして、その責任者は「開戦は“仕方が無かった”」と言う。しかし戦争がもたらした悲劇はあまりにも大きい。
しかしこの半藤さんの論では、マスコミに踊った国民にも多大なる責任があるという・・。
軍隊の教育で多くの兵士が捕虜とならずに自決した事は周知の事実。つまり全ては教育だ。新聞も考えようによっては、国民に対する「教育機関」なのかも知れない。国民も、もしその責任を問われると「自分は悪くない。新聞に踊らされただけ」と言い訳をするのだろう。一方、国民を煽った新聞は、その責任をどう言い訳しているのだろう。これは自分のこれからの勉強のテーマだな・・・

自分がこの高名な半藤一利という名を知ったのは、恥ずかしながらほんの2年前(ここ)。Netで、太平洋戦争について何の本を読んだら良いかと探していたら、半藤一利という名前がたくさん出てきた。
その後、NHKの「その時歴史が動いた」という番組にも良く出ていたので、話を聞く機会は多く、その道の第一人者だと知った。
目の前に、半藤さんの「昭和史」という本がある。通勤カバンに入れると重い。でも先ずこの本を読まないと全ては始まらないな・・。
今日の半藤さんの話を聞いて、マスコミ(新聞・放送)が“何のために”国民を戦争に向って煽って行ったのか、その理由と歴史的推移を知りたいと思った。
60年間もの間、戦争による死者ゼロの国は世界でも日本だけとか・・・。これを継続していくためにも、良くも悪くも先人たちの行動の検証、勉強は必要だろう。
併せて、今回衆議院選挙の世論の“熱狂”も、後世反省の弁が出ない事を祈ろう。先の小泉劇場では郵政民営化に“熱狂”し、今回は郵政見直しに“熱狂”しているとしたら、半藤さんのいう“世論もだらしない”と同じになるので・・・・

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