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2009年8月15日 (土)

東海林太郎の「赤城の子守唄」~親父の命日によせて

突然、古い歌が出てきた・・・。当サイトにはそぐわないのだが、実は、今日は親父の命日。それで13回目の命日を偲んで、親父がこよなく愛した歌を・・・・
13年前、会社の盆休みに入った初日の8/14昼前、親父が倒れたとの第一報。いつもの仲間と麻雀をしている最中に、気分が悪くなったから替わってくれと言い出し、その内にろれつが回らなくなってから、意識不明に・・・。最後の言葉は(今の自分の状態について)「これはダメかな?」または「これはヤバイかな?」というような意味だったという。
直ぐに救急車で近くの医院に担ぎ込まれ、手に負えないとの事で大きな病院に緊急入院した。しかしCTの結果は、脳内出血で脳幹がやられており、脳死状態とのこと。家族で話し合って、次の日に人工呼吸器を外してもらい、亡くなった。
“初めて”触れた親父の手は冷たくなっていた。(怖かった親父に触れた記憶は無かった・・。もちろん抱かれた記憶も無かった・・)
親父は、若い頃から病弱だったというが、本人が人一倍体に気をつけていた為か、入院の経験がほとんど無いまま、好きな麻雀をしながら亡くなった。ぽっくりと、それもお盆に逝ったため、周りの人から羨ましがられながら・・・。
そんな親父が好きだった歌手が東海林太郎(しょうじ たろう=明治31年~昭和47年)だった。自分が初めてこの名を知ったとき、「とうかい りんたろう」と読んで親父にバカと言われた。
Image03521 そんなワケで、今日は親父の供養のために(?)、唐突だが東海林太郎の「赤城の子守唄」を・・。この歌は1934年(昭和9年)2月に発売されて空前のヒットとなったとか・・。独特の直立不動の歌い方、ロイドめがねに燕尾服の服装、そして決して手を抜かない熱唱、どれを取っても戦前を代表する大歌手である。(しかしトシを取っても、フサフサしたあの髪は許せんが・・)(写真はクリックで拡大)

<東海林太郎の「赤城の子守唄」>

「赤城の子守唄」
  作詞:佐藤惣之助
  作曲:竹岡信幸

泣くなよしよし ねんねしな 
山の鴉が 啼いたとて
泣いちゃいけない ねんねしな
泣けば鴉が 又さわぐ
 
坊や男児だ ねんねしな
親がないとて 泣くものか
お月さまさえ 只ひとり
泣かずにいるから ねんねしな
 
にっこり笑って ねんねしな
山の土産に 何をやろ
どうせやくざな 犬張子
貰ってやるから ねんねしな

自分は子供のときから親父とはほとんど口を利かなかったが、親父が晩年になってようやく話をすることがあった。その中で、家系図を作ったことがある。親父の「俺がいなくなると、誰も知っている人が居なくなるぞ」という言葉で、口頭で親戚の名前を聞き、関係を聞いて図を作った。そして出来る限りの生年月日と亡くなった日を入れた。それが、その後の葬儀や法事などで流布され、親戚の若い孫の世代で有用になった。
今日8月15日は、お盆であり、また終戦記念日でもある。我が家はそれに加えて命日・・・
それぞれ、どの家も昔を思い出すこの日、先祖を偲んで(?)こんな歌でも聞こうよ・・・

(付録←言い訳・・)
Q:「東海林」と書いてなぜ「しょうじ」と読むの?ふりがなは?
A:結論から言うと「荘司」の当て字。荘司の荘は荘園のこと。司は管理者のこと。つまり「荘司」とは荘園の管理者。
では、なぜ荘司が東海林につながるのかというと・・・
「荘司」さんを区別するために「東海林」というところに住む「荘司」さんを「東海林」の「荘司」さんとか、「とうかいりん・しょうじ」さんとかと呼んでいるうち、表記と音が混ざり合って、「東海林」を「しょうじ」と読むようになった。・・・と推測される。
従って、ふりがなをつける位置にも明確な決まりをもうけることは不可能。
<取材先  広島大学教育学部 柳沢助教授>
(出展はここ


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