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2009年8月の27件の記事

2009年8月31日 (月)

吉田正音楽記念館に行った

昨日、茨城県日立市にある「吉田正音楽記念館」(ここ)に行ってみた。
お墓が日立にある関係で、何度も訪れている日立。「吉田正音楽記念館」が出来たことは知っていたが、今まで行く機会が無く、今回初めて行ってみた。場所は市の北にあるかみね公園。(写真はクリックで拡大)
P10508981 山頂にある記念館は5階建。1~4階までが、年代順に作曲した楽曲の紹介。5階には展望カフェがあって遠くに海が見える。入場無料だが、受付には女の子がいて色々と教えてくれる。玄関の記念撮影コーナーでパチリ。それから順に階を上がっていく。
圧巻は、吹き抜けのロビーにある、シングルレコードのジャケット群。これだけで、吉田正が非常に多くの楽曲を作曲した事が分かる。数えてみたら、375枚。良く知ったレコードが多い。

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しかし階を上がっても、展示されているのはトロフィーと年代順の作曲した作品名が書いてあるパネルばかり・・・。ところどころにレコードや自筆楽譜があるが、何となく物足りない。確かに、展示されている写真は、吉永小百合、橋幸夫、三浦洸一、フランク永井など、往年の有名歌手と一緒に撮ったものばかりで、まさに“吉田学校”だということは分かる。それにプロジェクターからは、かP10508951 つての名曲が流れては来る・・。でも何か物足りない。
3階に吉田正が使ったピアノと机が展示してあった。一番「人」を感じられる展示。だがものの見事にプラスチックのケースに入っていて・・・・。これが、執務していた一部屋丸ごと移築してあれば、“吉田正その人”を感じられたかもしれないが、残念。

前に、青梅の吉川英治記念館に良く行った。まさに吉川英治が執筆していた部屋がそのまま残されており、「ここで書いていたのか・・・」を感じ入ったもの。それに、目白の林芙美子記念館も同じような展示だった。
それに引き換え、この吉田正記念館は、単に“生まれ故郷だから・・・”という事から出来たので、この位の展示が“限界”なのかも知れない。しかし、この施設の維持費は大変だろう。
昨年、「茨城県天心記念五浦美術館」(ここ)に行ったことがあるが、ここでもその設備の立派さに、つい“維持費”を心配してしまった・・・。

このような箱物行政が、税金の無駄遣いと市民から糾弾されないためには、一体どうしたら良いのだろう・・。常に人が集まる「箱物」は、どうしたら実現できるのだろう・・。
「吉田正」という自分にも非常になじみの深い大作曲家の記念館・・・。その“閑散さ”につい考えてしまったが、解は見つからない。

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2009年8月30日 (日)

「スパリゾートハワイアンズ」に行った

福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」(ここ)に行った。
茨城のお袋は今年88歳の米寿を迎えた。それで、老人が車で移動できる時間はせいぜい2時間位とみて、米寿祝いを常磐ハワイアンセンター、つまり現在の「スパリゾートハワイアンズ」に行くことにした。
「常磐ハワイアンセンター」という名前は昔から知っていた。しかし行く気は全く無かった。それを行く気にしたのは、ご多分に漏れず、映画「フラガール」(ここ)を見てから・・・。
この映画は2006年9月公開。自分は2007年10月のTV放送で見た。その時に、一度行ってみようかな・・と思ったが、当時は多分客が集中しているだろうと思って延ばしていた。それもあったので今回行ってみた。(写真はクリックで拡大)

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自分たちは「ホテルハワイアンズ」に泊まったが、部屋が遠いこと・・・・。チェックインしてから、「部屋まで案内するので、5分ほどお待ち下さい」と言われて待っていたが、25分経ってもアクションが掛からない。ロビーに人がたくさんいたので、混んでいるのかと思って我慢していたが、痺れを切らせてフロントに問い合わせると、どうも忘れられていたらしい・・・。まあ田舎なので仕方が無い?そして案内されてホテル内を部屋まで“大旅行”・・・。まずフロントのある中央館の5階にエレベータで上がり、そこから延々とホテルの部屋の前を通って、二つ向こうの建屋の南館に行く。そしてそこから7階までまてエレベータで上がり、やっと部屋へ。エレベータの待ち時間を入れると10分も掛かる・・・、と言うのはオーバーか?。(建屋を増築した行った結果か?)
部屋はベッド二つと和室。まあこんなものか・・・・。風呂に行こうと、またホテル内を大旅行。つまり、温泉などの施設に行くには、元の中央館のフロントまで戻らないと行けないため、お袋の車椅子を押して延々と・・・(ホテル内旅行で、サンダル“たこ”が出来たしまった)

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さすがプールはデカイ。客も混んでいたが、子供連れの若夫婦が多い。子供は、小学校にまだ上がっていない年頃が多いようだ。夏休みが終わると、団体客が多いと聞く。確かに子供は楽しめる施設だ。
食事はバイキング。これも大人としては残念。でも綿飴製造器の前には子供たちが長蛇の列。自分で綿飴を作れるのは、子供にとって確かに新鮮な体験。この辺りは良く考えられている。
自分がビックリしたのは、「与市」という大露天風呂。翌朝入ったが、自分のほかには一人だけ。ただただ広い浴場にビックリ。フロントに聞いたら、広さは1000㎡(つまり半分が男湯として、150坪の風呂・・)でギネスブックに載っているという。(1998年登録とあった)つまり世界一の広さの露天風呂というわけ。もちろん「撮影禁止」という張り紙があるが、本当に写真を撮りたい露天風呂ではあった。

最後に「グランドポリネシアンショー」。これは映画「フラガール」でお馴染み。50分ほどのシューだが、さすがに見応えはあった。皆おへそを出して踊るため、太れないのでダイエットが辛そう・・・

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ともあれ、これがウワサのハワイアンセンターだった。
考えてみると、別に「ハワイ」に憧れ、本場に行けないのでその代わり・・・と考えなくても良さそう。単に、ハワイ風な娯楽施設で良い。特に湯元温泉から源泉を引いているという各種温泉をはじめ、大きなプールなど、特に子供たちは充分に楽しめる。それに大人たちも、夜中までやっているラーメン屋、居酒屋街など、施設は充分・・。ただ自分たちに還暦の家族組からみると、少し違和感・・・・。
でもここは、まさに炭鉱からレジャー産業への転換、という “リストラ成功の代表例”だが、従業員の言葉のなまりを聞くたびに、まあ一流のサービスとは言えないまでも、産業の無い地方にこれだけの雇用を創ったという事実の重さに、ただただ敬服した。

(関連記事)
映画「フラガール」に参った

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2009年8月29日 (土)

「自動車はガソリン無ければタダの箱」

昨日と今日、一泊二日で、カミさんと一緒に、お袋の米寿祝いに温泉に行ってきた。昨日は、自宅から東京を抜けて茨城の実家に寄り、今年88歳になったお袋を乗せて、一路常磐道を北に・・・・。行き先は、映画「フラガール」で有名になった「スパリゾートハワイアンズ(1990年までは“常磐ハワイアンセンター”)」。(まあこの話は後でゆっくりと・・・)
今日の帰りは、日立に寄って「吉田正記念館」に寄り、夕方、2009年7月9日に開業した「あみプレミアム・アウトレット」に寄り道して、やっと家に着いた・・・

詳しくは別に書くとして、帰り道に「ガス欠」でヒヤリとしたので、今日はその話から・・・
常磐道から東京を抜けて中央道に向かうには、都心を抜ける昔からのルートと、2年前に開通した「中央環状線」で小菅JKTから池袋、新宿に抜けるルートがある。今日は、八潮を過ぎて、さてどうしようかと迷ったが、渋滞の表示板も良く読み取れないまま、池袋方面の環状線にハンドルを切った。都心ルートが今夜どの位混んでいたか分からないが、少なくても環状線はNGだった。中央環状線に入るや、断続的な渋滞。そして「池袋-永福70分」との掲示。まあ慌てても仕方が無い、とのんびり構えたのは良かったが、新宿手前の山の手トンネル内で渋滞している時、ガソリンタンクのエンプティランプがチカチカしているのに気が付いた。自分は「家まで40K・・・。何とか着けるかな?」と思ったが、隣のカミさんがパニック・・・。(カミさんはいつも、エンプティランプが点くと精神不安定になるので、点灯と同時にスタンドに直行・・・が常・・)
まず、音楽を消す。エアコンを切る。ヘッドライトを消す・・・。そして、車を超低消費モードに・・・

それからは、エアコンスイッチを「大丈夫だから・・」と自分が付けると、カミさんが直ぐに消す・・、の繰り返し。自分は考えた・・。70分も山の手トンネルで渋滞・・とすると、家まで届かないかも知れないな・・・・。もし届かなかったらどうなる・・?100Kで走っていてガス欠になるとどのような状態になるのだろう・・? 急にエンジンブレーキが掛かる?・・とすると、ブレーキランプ無しなので、後続車に追突されるかも・・・。これはヤバイ・・・
そして、山の手トンネルから西新宿JKTで中央高速に乗るとき、何と車線は狭い一車線。故障者を寄せる路側帯も無い。この上り坂でガス欠したら、“単なる一個人の不注意で、環状線が止まってしまう・・”と想像したらゾッ!! 東名高速が先日の地震による陥没で不通・・・という事件が頭に浮かぶ・・・

結局、“どうせ高速を降りるなら、直ぐに降りよう”と判断。気が付いてから25分後、次の幡ヶ谷で降りる。下界は笹塚。直ぐにガソリンスタンドを探すため、混んでいる20号線を避けて横道に・・。たまたま止まっていた車の人に聞くと、直ぐ近くのスタンドを教えてくれた。そこで給油してホッと一息・・・、というバカバカしいお話・・・

しかし、今回のミニ旅行では、“運転は慎重に・・・”とは思ったが、給油についてはすっかり頭から抜けていた・・・。今回は二日で580Kを走ったが、幾ら満タンで出発しても、無謀・・・。
今回は、もしかすると家まで届いたかも知れない。(Netで調べてみると、どの車も高速道路で50Kは走れるようにしてあるとか。それに従って、給油所を設置してあるという) でも今回は、渋滞の状況も加味して最悪を考え、せっかくの高速から降りて給油するしかなかった・・。高速道路でのガス欠は、何よりも他人に迷惑を掛けてしまう。そしてSOSを出して、助けが来るまで暑いトンネルの中で何時間待つのだろう?とか、これらは金銭の問題どころではない・・・

しかし良い薬にはなった。真夏のトンネルの中での渋滞中に、エアコンを止めるととうなるか・・・。普通には経験できない経験をした・・。
まあ、これらの“ドジ”も“トシ”から来ているのかも知れないな・・・。そして、こうして“身の程を知って”段々と車に対して慎重になって行くのかもね・・・(以上、オソマツさまでした・・・)

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2009年8月27日 (木)

宰相の目線・・・衆議院選に想う

昨日の日経朝刊のコラム「春秋」に、心にズキンと響く記事があった。曰く・・・

春秋(8/26)
『言葉じりをとらえるな』。失言の尻ぬぐいに追われ続けた官房長官からおしかりを受けそうだが、やはりちょっと看過できない。麻生首相が若者に向け「カネがないなら結婚はしない方がいい」という趣旨の助言をしたとされる件だ。
ご隠居さんが訳知り顔で世知を説き、粋がっているならまだ分かる。民のかまどから煙が消えれば心を痛めるのが為政者のはず。貧しくともこつこつ働き、何とか子を育てる若い親の心にも、この言葉は突き刺さったのではないか。続けて、稼ぎがなければ尊敬されないとも。職を探す人々の耳にどう響いたろう。
先行きが不安なら結婚をためらうのも無理はない。就職氷河期は晩婚化や少子化を加速した。経済はわれわれが立て直すから安心して結婚準備をとなぜ言えないのだろうか。今回の総選挙、若者の関心はふだんより高そう。劣勢と予測される自民党の当選者を、党首のオウンゴールでさらに減らしたかもしれない。
そもそもカネがない人は結婚すべきではないとの考えは妥当か。一人口は食えなくても二人口は食える、と昔からいう。「結婚は人生のコストとリスクを減らす弱者のための生存戦略。貧しい人が結婚しても貧困を再生産するだけ、などという俗説を真に受けるな」。こちらは内田樹・神戸女学院大教授の助言だ。」(2009/8/26日経新聞「春秋」より)

麻生首相は、高いところから見下している発言が多い、と良く言われる。それはこのコラムが指摘しているように、官房長官が言っている「言葉じり」などではなく、本心なのだろう。つまり育ちが良いので、平民の視点が無い・・・?

今回の総選挙。
各政党が謳っているマニフェストの項目に賛成の“○”を付けてみると、自分が付けた“○”がバラバラ・・。つまり、高速道路無料化ではA党、子供手当てだったらB党、自立支援法改正だったらC党、派遣法ではD党、・・・と“これだ”と推すに値する政党が見つからない。30日にどこに投票するか・・・、困ったものだ・・・。

ふと昔かぐや姫が歌った「神田川」という歌詞を思い出した。「・・・窓の下には神田川 三畳一間の小さな下宿・・・」。1973年のヒットだという。
あの時代、このような「小さな部屋」から若い家庭は出発したもの・・・。それを「カネがないなら結婚はしない方がいい」とか、「貧しい人が結婚しても貧困を再生産するだけ」と言う議論は何とも哀しい・・・。今の宰相は、庶民の「結婚」「家庭」「家族愛」というものをどう捉えているのだろう。“生活費”という観点だけで捉えているのだろうか? 家庭は庶民のエネルギーの源泉だという事をご存じ無いのだろうか?

周知のように、日本の政治家は2世、3世が幅をきかせており、一般庶民の目線からは遠い。何のための政治か、よりも「目の前の政権」の奪い合いのため、とにかく票につながる目立つ施策に終始する。何ともみっともない。
翻って、日本では貧困層出身の宰相が生まれる事は無理なのだろうか? フリーター出身の宰相というもの面白いと思うのだが・・・
(もっとも、豊臣秀吉の成金趣味、朝鮮出兵の例もあるので、これも決定打ではないな・・・・)

●メモ:カウント~55万

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2009年8月26日 (水)

映画「十五才 学校IV」に泣いた

自分が泣くなんて・・・・・
山田洋次の映画「十五才 学校IV」を見た。全てが“今更・・・”である。この映画は2000年の作品なので“今更・・”。それにこの映画を録画したのが、5/28なのでもう3ヶ月も前。それを今頃見たので”今更・・・”。しかも、一昨日に少し見て、昨夜もまた少し見て、そして今晩やっと最後にたどり着いた・・・。

ストーリーは、半年も学校に行けない中学3年生15歳の男の子が、家出をしてヒッチハイクで屋久島に縄文杉を見に行く。その過程で、色々な人と出会い、成長して行く。
まあ単純と言えば、単純。だから連続して見なくてもどうって言う事はなかった・・・。
でも、段々と“一人前”になって、人への優しさが満ち溢れてくる・・・。そして縄文杉まで行き、旅は終わる。家に帰った場面・・・・

・・・・・・・
(会社から帰ってきた父が)

父「大介は2階だな」
母「あなた、お願いだから乱暴なことはしないでね。あの子疲れて帰ってきているので、今日はゆっくり寝かせて、明日落ち着いて話せばいいじゃない」
父「明日じゃダメなんだよ。今キチンと叱らなければ。それがあいつをダメにした」
(大介の部屋の前)
父「父さんだ。入るぞ」
(大介がイスを用意して、手で促し・・・)
大介「座って」
(父、意外な顔をしてイスに座る。母が心配そうに部屋を覗く)
大介「父さん、心配かけてゴメンなさい」
・・・・・
父「・・・・分かっているならいいんだ。旅はどうだったんだ?」
大介「面白かった」
父「そうか、面白かったか・・・。良かった・・」「話はまた後で聞くから・・・」
(階段を駆け下りる父に)
妹「ねえパパ、どうしたの・・・」
母「ご飯よ・・・」
・・・・・

この場面で、不覚にも涙が出てしまった・・・。
何年ぶりだろう。涙なんて・・・。カミさんは涙もろいのでいつも映画やテレビを見て目を真っ赤にしているが、自分は不覚だ。(前にカミさんに逃げられた時以来かな??)

これは子供を持った親でないと分からないかもしれない・・・。
どうって言う事のないシーン。何の計算も無い場面。泣かそうナンテいう魂胆が無い(だろう)シーン・・。

昔、「子供は黙っていても育つ」と言われたことがあったが、これは“放っておいても育つ”という事ではない。
幾多のドラマが親と子の絆を描いているが、さすが山田洋二監督。負けた・・・

せっかく泣いている時に、部屋にカミさんがズカズカ入ってきて、「後にしようか?」と言いやがる・・。せっかく余韻を楽しんでいたのにアホ!

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2009年8月25日 (火)

手仕事屋きち兵衛のエッセイ「趣味」

今日は、手仕事屋きち兵衛さんによる自作エッセイの朗読を紹介しよう。
6月の末に、きち兵衛さんのコンサートを聞いたが(ここ)、曲の間のトークが実に味があった。それで、先日カミさんがある場で挨拶をしたが、その時に「きち兵衛さんはこんな事を言っていた・・」とその話を紹介していた。

フト思い出して「原風景(げんふうけい)&サントリーホールライブ」というアルバムを聴いた(ここ)。これは“3年間に亘る全国ツアーのフィナーレとして平成14年7月28日にサントリーホール(小ホール)で行われたコンサートの模様を収録したもの”で、きち兵衛さんが自分のエッセイを4つ朗読している。このアルバムも、もう手に入らない。Netで検索しても、ほとんど引っかからない。既に幻のアルバムなのかも・・・

まあ、「松本 あさま温泉 ホテル玉の湯(ホテル玉之湯)」で毎月第2金曜日に開かれている、きち兵衛さんの車座コンサート(これ)に行けない人は、きち兵衛さんのトークを(音だけだけど)下記で聞いてみてください。今日はその1回目・・・

<手仕事屋きち兵衛のエッセイ「趣味」>

しかしここで言っているカメラの話は、我が家でもまったく同じ。高価なデジタル一眼レフは何で画面が暗いのだろう・・? 何でああお高く止まっているのだろう? Panaのバカチョンの方がよっぽどキレイ・・・。よってこの所、海外旅行等は全てバカチョンだけを持って行く。きち兵衛さんと同じく、自分も高級一眼レフとは肌が合わないようだな・・・。

なおこれらのエッセイは、きち兵衛さんのエッセイ集『一匹ぽっちのコオロギ』に載っており(ここ)に書いたが、その上品なウィットには敬服・・。それに(ここ)では、最初の1編がNetで読める・・・

(関連記事)
手仕事屋きち兵衛の「大きくなったら何になる!?」

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2009年8月23日 (日)

手仕事屋きち兵衛の「とり」

今日は我が家の“鳥”の話・・・
カミさんが結婚前にセキセイインコを飼っていたそうで、我が家でも鳥は良く飼った。そういえば、今まで我が家で飼っていた動物は何があったかと思い出してみると、子供が小学校の時に夏祭りの金魚すくいで持ち帰った金魚。これは金魚鉢の掃除で大変。大きくなった金魚を、とうとう多摩川に放流してしまった。それに次男が小学校から持ち帰ったカイコ。同じく次男が夏休みの間、小学校のクラスから預かったタヌキ。これは庭から首輪を外して逃げた・・・。先生に詫びたが、先生は何故かホットしていたっけ。
そして鳥・・。鳥を飼った歴史は古い。次男が通学路で拾ってきた野鳥以外はすべてセキセイインコ。野鳥は、ヒーヒー鳴いていたので「ヒーちゃん」。飛び降りた拍子に足の骨を折って、カミさんの所に「何かヘンです・・・」と寄ってきて死んだとか・・・。セキセイインコは「ミナちゃん」「フウちゃん」「ディーちゃん」等々。カミさんが肩にインコがとまったまま外に出て逃げられたり(←これ当たり前!)、庭で、鳥かごの掃除をしていたら、裏切って入り口のスキマから逃げたり・・・。でも死んだ鳥が多かった。未だに原因不明だが、居間の鳥かごで一羽が急に元気が無くなり死ぬと、もう一羽も獣医さんに駆け込むため、車を出そうとしていたカミさんの手の中で死んだ。ガス中毒か何か、分からない。それが鳥を飼った最後かも知れない。名前はかなりいい加減で「ひ」のあとは「ふ」なので「フウちゃん」とか・・・。
その中でも「フウちゃん」は、印象が強かったらしく、カミさんが何とデパートに頼んで「ポートレート」をエンピツ画にしてもらった。それがこれ・・。こんな写真一枚で“作品”に仕上げる画家も苦労したと思う。でもこれは家宝だ?(写真はクリックで拡大)

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というわけで(あまり関係ないが)、手仕事屋きち兵衛さんの「とり」という歌を・・・
この歌は「風景色(かぜげしき)~あなたの中の遠いあなたに・・・」というアルバムに入っている歌。でもこのCDが手に入らない・・・。(ここ
前にコンサートの会場で、きち兵衛さんのマネージャーさんに「CDが皆廃盤でもったいない。何とか再発売できないのか?」と聞いたら、「再発には数百万円掛かるので難しい」と言っておられた。よって、今ではまぼろしのCDになってしまった。オ-クションでもなかなか出ない・・・。

<手仕事屋きち兵衛の「とり」>

「とり」
  作詞・作曲:手仕事屋きち兵衛

今僕の手の中に 一羽の鳥がいる
熱い程の手の中でふるえつづける
目を閉じて綿毛を立てて
丸い体 重たそうにうずくまる
あの日見せた羽ばたきを もう一度見たい

大空にとび込んで季節を変えてゆく
青い空に 遠く 高く 白く輝く
鳥を見つめて憧れつづけた
広い景色を従えた白い鳥
僕の心もとりこにして 風の中に

ある日僕の目の前にあの鳥が降りてきた
思い描いていたままのきれいな姿
思わずそっととらえてしまった
柔らかなその体 抱きしめて
ほほ寄せたその時に 小さく鳴いた

君はやっぱり野生の命 大空の渡り鳥
もっと早く気付いていたら良かったけれど
君を手離す勇気がなかった
いとおしくなでる程 色あせて
僕の愛は君にとって 重い鎖

もう一度羽ばたいて見せてくれ
僕の夢もあげるから それを食べて
飛べ 飛んで見せてくれ もう一度
飛べ 飛ぶんだ 飛んでくれ もう一度

この歌詞の解説をするつもりはない。せっかくの“きち兵衛さんの世界”を平凡な視点で汚すつもりはない。でもこのような詩は、どうしたら書けるのだろう。努力ではない。天性の何かが必要なのだろう。だから自分のような一般ピープルは、ただただ聞くだけ。そして聞く人の数だけ、「とり」は存在する・・・

最後に「原風景(げんふうけい)&サントリーホールライブ」というアルバムの、ギターの弾き語りでも聞いてみよう。

<手仕事屋きち兵衛の「とり」>
  ~ライブ ギター弾き語りバージョン

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2009年8月22日 (土)

NHK特集「ルーブル美術館」のテーマ

ボヤーっと、NHKの「あなたが選ぶ フランス絶景50」(これ)という録画を見ていたら、ルーブル美術館が出てきた。18位だという。
そういえば、今年は「ルーブル美術館展」の広告をよく見た。東京では2つの展覧会があったがもう終わったらしい(ここ)。今は大阪や京都で開催中とか・・・・。

自分は美術の分野は門外漢なので、東京で展覧会があるといっても、あまり興味は湧かない。でも美術のテレビ番組は、居ながらにして美術館を見学出来るので、ときたま見ていた。
昔NHKでルーブル美術館を紹介した番組があった。1985年に放送されたNHK特集「ルーブル美術館」で、1年間に亘って放送していた。(ここ

実はそのテーマが良かったので紹介したい。この旋律が欲しくてCDを買ったもの・・。エンニオ・モリコーネによる音楽だが、実にゴージャスで、まさにヨーロッパを彷彿とさせる旋律ではないか・・・。

<NHK特集「ルーブル美術館」のテーマ>

ここで、「自分がルーブル美術館に行った時には・・・」ナンテ書くとカッコ良いのだが、実はフランスには行ったことがない。ヨーロッパは、唯一2006年8月にオーストリアに行っただけ。
よって、付録にその時の写真でも載せておこうか・・・(写真はクリックで拡大)
美術館はウィーン美術史美術館に行った。シェーンブルン宮殿も実にヨーロッパらしかった。

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まあ、こんな写真を見ながら、エンニオ・モリコーネを聞いてヨーロッパの雰囲気に浸るのも良いのでは?
(何せ、日本から見たら、パリもウィーンも距離的には同じようなもの。ほとんど変わらないさ! ←パリまで9730km、ウィーンまで9140km・・・・6%の差か・・・)

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2009年8月21日 (金)

前矢祭町町長 根本良一氏の話~目から鱗!

NHKラジオ深夜便「こころの時代」~「合併しない”矢祭町宣言”を支えた人々の思い~福島県・前矢祭町町長 根本良一」(2009/8/17放送)を聞いた。今総選挙の真っ最中ではあるが、地方分権についての、まさに目から鱗の話であった。曰く・・・

福島県中通りの最南端に位置する「矢祭町」は人口6,600人の農林業の町である。その前町長の根本良一氏は現在71歳。1983年から2007年まで6期24年に亘って町長を務めた。(Wikipediaには、「2003年3月、夫人の病気に伴い、介護のため町長選挙への出馬を見送ろうとするも、町民が再出馬を熱望。役場に町長を直談判しに町民が大挙し、説得され再出馬し当選」とある)
過疎化に苦しむ中、お年寄りと子供を大切にする町作りを目指し、「赤ちゃん誕生祝い金制度(これ)」を3年前に誕生させ、2001年には「市町村合併をしない矢祭町宣言(これ)」を制定した。
当時は平成の大合併の時代。「先人たちから引き継いだ郷土を、次世代にそっくりそのまま引き継ぐことが自分たちの役割」という理由で、合併せずに独立で行く道を選択した。
議会定数も、議員自らが提案して18名から10名に削減。議員報酬も日当で一日3万円とした。町役場も立ち上がり、電話交換業務やトイレの掃除も自分たちで行い、図書館も本を買う金が無いため、全国から公募して45万冊を集めたという。地方分権とは何か?自分たちの意思と手による町作りである。

「すこやか赤ちゃん誕生祝金(これ)」は第3子の誕生時に50万円、第4子は100万円、第5子は150万円を支給するもので、その後の10年間は子育ての面倒を町が見る「健全育成奨励金」で、2歳~11歳までの10年間は毎年5万円の計50万円が支給される。
狙いは、町が自立しようと思っても高齢化社会では子供が少ないと手も足も出ない。子供は国の宝と同時に町の宝。これに尽きる。この制度により、5子が3人、3子~5子では16~17人になり、出生率も国の平均1.3人を超えて、2.0人以上になっている。色々な施策を講じて、人口の減少を食い止めたい。
スタンスは、20~50歳台の人には税金は使わない事。劇場を作れとか運動場を作れとか言う話はきかない。あなた方に一番大切な事は、朝から晩まで真っ黒になって働いて、税金をキチンと納めること。そしてあなた方の両親や先輩を大切にする。子供や孫がすくすくと育つ町を作る。働き盛りに税金を使わないのは子供のためだ。
全国的に矢祭町を有名にしたのは、2001年の「市町村合併をしない矢祭町宣言(これ)」。市町村の合併はよくよく慎重に。明治20年の合併は小学校を全国に作る狙いがあった。昭和の合併は新制中学校を全国に作る。そして平成の合併は、財政が立ち行かなくなったので節約・・・
しかし町は、今までの歴史や伝統を守りながら、合併せずにそのままやれる事に越した事はない。これからは親(国)の脛をかじる事はしません、ということ。でも「町民がガマン」では続かない。よって、議員の数も減らすし、役所の人数も減らす・・。
議員定数は議員自らが決めた。総務省は矢祭町を甘く見た。合併しないのは議員の数を減らさないため、自分たちの保身のため・・という話が漏れてきた。それで議会の機能を落とさない最低の数の議員数とした。町は、執行部・議員・職員の三位一体で動いている。
職員も不補充を前提に、3人退職で1人採用、でも住民サービスは落とさない。
議員の報酬も日当制にした。議員の330万円の年俸が高いとは思わないが、本来は非常勤なので日当が正しい、という判断。目に見える所は報酬の対象、見えない所は、社会貢献事業ということで・・・
職員たちは自発的にアイデアを出した。窓口はフレックスの導入で年中無休。職員の自宅を出張役場と位置付けて各種届けを可能に。
また図書館の本は、マスコミを通じて全国に公募をかけて45万冊を集めた。送料込みだったので、3万冊を目標にしていたので、ビックリ。町民総出で整理をした。・・・」

いやはや久しぶりに「目から鱗」の話を聞いた。
広辞苑によると、「地方分権」とは“統治の権能を地方団体が独立した分権として行使すること、および地域住民の自主的決定権や住民参加の権利”という。
しかしこの「独立」の実践を、人口7千人弱のこんな過疎の町(失礼!)で行われているとは・・・。
何よりも、この前町長の迫力ある話し方、実行力にただ感服。このリーダーシップがあればこそ、町の改革が実現出来たのだろう。そして、この話を聞いて、いかにリーダーが重要かが分かる。企業も軍隊も、そして自治体も同じだ・・・。

そう言えば、どこかに反旗を翻している(?)町がある、という話は前に聞いた事があったが、それがどこかは調べた事が無かった。それがこの番組で、福島県の矢祭町だという事が分かった。矢祭町のホームページに載っている「矢祭町議会決意宣言「町民とともに立たん」(これ)」の何と高尚なことか・・・
総選挙で各党が謳っている“未実行の”マニフェストとは違う。“実践”という重みがある。憲法の前文にも似て、自分たちの理想を高らかに謳っている・・・

ふと、NHKの番組で見た事が無いな・・と気が付いた。
矢祭町が、もともと革新的な人たちが集まっていた特殊な町だったとは思わない。たぶんごく平均的な田舎の町だったろう。しかしリーダー次第でその姿は激変する・・。こんな姿は、NHKのドキュメンタリー番組の格好のネタ。でも、NHK好きの自分も、この矢祭町の活動を取り上げた番組には気が付かなかった。これだけの成果を挙げている自治体なので、たぶんNHKが取り上げていると思うが、見ていない。探してみよう・・・

一方、「佐藤勉総務相は10日、住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)に接続していない福島県矢祭町に対し、住民基本台帳法違反として是正を要求するよう、11日に佐藤雄平福島県知事に指示することを決めた。・・(ここ)」という記事を見つけた。今月10日の記事だ。矢祭町は、住基ネットには2002年7月に全国で最初に離脱を宣言。現在も国立市と二つが非接続だそうだ。この動きからも、国の言い成りにはならない町の独立の姿勢が見て取れる。

今回の衆議院選挙戦。この矢祭町のスタンスにどう思うかを、各候補にアンケートして新聞に載せたら、良い候補選択の資料になると思うが、どうだろう?
このパワーあふれるインタビューのZIPファイル(36MB、40分間のMP3)を、(ここ)に一週間ほど置いておきます。興味のある方は聞いてみて下さい。(ただし、ダウンロードには時間が掛かります) そして上記に挙げた矢祭町のHPも、下記に再度リンク・・・

市町村合併をしない矢祭町宣言
矢祭町議会決意宣言「町民とともに立たん」
すこやか赤ちゃん誕生祝金

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2009年8月20日 (木)

村上たかし著「星守る犬」というマンガを読む

カミさんから宿題を出された。Blogネタも兼ね(?)、村上たかしの「星守る犬」というマンガ(おっと、これはコミック?)を渡されて、感想を言えという。
自分は日ごろ殆どマンガは読まない。でも仕方なく(?)読んだ。今日はその話・・・

「星守る犬」とは“犬が星を物欲しげに見続けている姿から、手に入らないものを求める人のことを表す”という。(巻頭から)
Image03541 物語は、林道わきの放置車両内で、遺体発見。男性の遺体は死後1年~1年半、足元の犬は死後3ヶ月。このずれは・・・?
夫婦と女の子のごく普通の家庭。そこに犬は拾われる。時が経つとともに、最初は可愛がってくれた女の子もオトナになって不良化してしまい、いつも散歩に連れて行ってくれた「おとうさん」も、散歩の時間が「ひるま」に変わる・・・。
そして、おかあさんから「本気で分かれてほしいの・・」「持病をかかえて職を失ったあなたをね、支えていくほどの強い想いが無いの」「いつもみたいに“おまえの思うようにしろ”と言って」と言われ・・・・
そして残されたおとうさんは、全てを引き払って犬と一緒に、車で故郷への放浪の旅に出る。そして何もかも無くなったあと、おとうさんはガソリンが無くなるまで車を林道を奥まで進め、そして死を覚悟した時、「そうそう、体が動くうちに・・・」と犬が出られるように車のドアを開ける・・。
おとうさんは死ぬが、犬はそれが分からない。それから1年、犬はおとうさんに話しかけ続けるが、おとうさんは答えない。そして、犬が力尽きた時、おとうさんが現れる。
「おとうさん!!!もう!まちくたびれちゃいましたよっ!!」「じゃあ行くか」「あ!ひさしぶりに、さんぽですか!!」「・・・みたいなもんだ」・・・と二人で天国へ・・・

この本の後半は、“おとうさん”の遺体を処理したケースワーカの「日輪草」という物語。
親がわりに育ててくれた祖父母が、子供の時に犬を飼ってくれた。「私が犬を可愛がったのは最初だけ」だったが、祖父母が亡くなったとき、「すべての血の繋がりを失った私の傍らに犬がいた」「そのぬくもりにしがみつきながら私は悟った。あの日、祖父は、この時を慮ってこいつを家族の一員に迎え入れたのだと・・・」
そして犬が死んだ時「私は、私の犬に何をしてやったのか?」「もっと遊んでやればよかった・・・」「無理に引っ張らずに気の済むまでガードレールやら縁石のにおいをかがせてやればよかった・・・」・・・

筆者は「あとがき」でこう言っている。
「拙い作品、最後まで読んで下さってありがとうございました。自分で書いてて何ですが、作中の「お父さん」は、こんな結末を迎えなくちゃならないほど悪人じゃありません。ちょっと不器用だけど、普通に真面目なタイプ。ただ、ほんの少し、家族や社会の変化に対応することを面倒くさがったり、自分を変えることが苦手だったり・・・・というだけで、昔なら、いたって平均的ないいお父さんです。しかし、今ではそれが十分「普通の生活」を失う理由になり得るようで、本当につまらないことになってきたなあと思うのです。ちやほやしろとは言いませんが、普通に真面目に生きている人が、理不尽に苦しい立場に追いやられていくような、そんな世の中だけは、勘弁してほしい。と、やるべきことすらちゃんと出来ていないダメな僕は、切に思うのです。・・・・・」(村上たかし著「星守る犬」あとがきより)

色々な考えるテーマを我々に与えてくれるこのマンガ・・・。でもまさに筆者が言いたいことがこの「あとがき」に書かれている。
そう、どこにでもあるような「普通の家庭」が、今はリストラというありふれた事象でいとも簡単に崩れていく理不尽・・・
そしてもう一つのテーマが、犬のけなげさ・・・・。昔の忠犬ハチ公が、また映画になって話題になっているが、犬は飼い主をただ待つだけ・・・・。それは哀しい・・・。でも飼い主は、要らなくなったと、保健所に・・・・

さらっと読めるマンガではあるが、犬を飼っている人にとっては、犬の飼い主を決して裏切らないけなげさに、再度ハッと気付かされる物語である。自分もフト反省した。散歩で、クンクン匂いを嗅いでいる時は待っているツモリだが・・・・

この本は、カミさんがたまたま今週急病で入院している息子の見舞いに本を買おうと本屋に行ったとき、山積みされていたそうで、犬の話だからと買ったという。それを自分でも走り読みした結果、自宅用にもう一冊買って来たという。
Netで見ると、朝日新聞(ここ)と読売新聞(ここ)の書評に載って評判になっているらしい。しかも、Netはすごい。オリジナルが連載された「漫画アクション」のサイトで、最初の19ページ分が読める・・・(ここ)。

でも、さすが大新聞が取り上げるだけの内容はあるマンガだと思った。
選挙で忙しいマンガ好きの麻生首相・・・。この本を読めば、少しは政治が変わるかな?? いや変わらないな・・・!
でも、この本を読んだ愛犬家のところの犬だけは、少なくとも1週間くらいは待遇が良くなるはず・・・。それだけでも筆者がこの本を書いた甲斐はあったのでは??

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2009年8月18日 (火)

虫歯が消えた・・・「歯間ブラシ」の効能

今日は、虫歯が消えた「歯間ブラシ」の話・・・・
一説によると、虫歯の直接の原因は「ミュータンス菌」というもので、生まれたばかりの赤ちゃんには存在しないが、多くの場合は両親からの口移し等で感染してしまい、一度でも感染してしまうとその後は口の中で増殖していくらしい。逆に2~3才位までにこのミュータンス菌に感染しなければ、その後の口の中の細菌はバランスを保った状態になり、感染しなくなる。そうなると歯を磨かなくても虫歯にならない・・、という。
実はウチのお袋も兄貴も虫歯知らず。子供の頃、兄貴は「歯がきれいだね」と言われて、得意になって口を開いたまま歯を見せびらかしていたっけ。それに引き換え、自分は子供の時から虫歯だらけ・・・・。

以前、抜けた奥歯3本を90万円掛けてインプラントにしたという記事を書いた(ここ)。さすがに奥歯3本が無くなると入れ歯になる。そして、初めて入れ歯を入れた時の絶望感・・・。そしてインプラントを入れたとき(天然の歯が戻った!)の、幸福感・・・・
日常の生活で、いかに歯が大事か・・・・。

歯を大切にする“見本”は、実は直ぐ近くにあった。ウチのカミさんは、若い頃から寝る前に時間を掛けて徹底的に歯をケアする。その隣で、自分は簡単に形だけ歯磨きをする・・、という習慣。その結果が、我が「入れ歯」と「絶望感」!・・・・。歯磨きをキチンとしなかった報い・・。
でも今は違う・・。自分が歯の手入れを真面目にするようになったキッカケは、このインプラントだった。インプラントを入れたとき、インプラント屋さんから「歯肉と人工歯根の間を歯間ブラシで良く掃除するように」と模型を使って説明され、それを機に歯間ブラシを使い出した。それからもう6年になる・・・。
確かに、インプラントを入れる前は、歯医者に行くと必ず「歯の隅々が磨けていない」「歯垢が残っている」と言われていたので、奥歯の裏側も磨くように意識した。歯磨き粉は使っていない。
それ以来、信じられないくらい歯医者に行かなくなった。こんな事なら、若い頃からキチンと歯磨きをするんだった・・・
実行したことは簡単。1)寝る前だけでなく、昼食の後にも歯磨き 2)その時、歯間ブラシを使う の二つだけ。

これからが今日の本題。この「歯間ブラシ」が、自分にフィットするのもがなかなか見つかImg_23211 らなかったのである。そして多くの歯間ブラシを使って、最後にたどり着いたのが広栄社製の「ハイスマイル 歯間ブラシ サイズ1(スーパーS・超極細)」という製品(ここ)(5本入り定価252円~Netで200円位)。なぜこれかと言うと、自分の歯のスキマは非常に狭い。よって細い歯間ブラシが必要なのだが、細いと直ぐに曲がってしまう。この「ハイスマイル(サイズ1)」という歯間ブラシは、細いが曲がらない。これが決定打。(写真はクリックで拡大)
でもこれを扱っている店が少ない。いつも、この製品を見つけた店に行くたびに、店頭の製品を全部買い占めた。しかしある時、そのコーナーが無くなっている!手に入らない!
困ってNetで調べたら、通販で売っていることを知り、大量に買った。それで一安心・・というわけ・・・。(参考ここ
繰り返すが、この歯間ブラシを使い出してから、本当に歯医者に行かなくなった。人間、根はサボり屋。痛い目に逢わないと心に響かない。数十年もカミさんに「デンタルフロス(糸ようじ)を使え」と言われてきたが、入れ歯の“絶望感”に直面するまで、真面目に聞いていなかった。でもまだ間に合う。残った歯を大切に・・・。
そして大量に買い込んだ「歯間ブラシ」もとうとう底をついてきたので、そろそろ注文する時期だ。そんなワケで、フトこんな記事を書く気になった・・・。

もし虫歯がある人は、自分のように入れ歯になってから後悔しないために、今からでも歯間ブラシを使うことをお勧めしたい。唯一の欠点は「ブラシが直ぐに磨耗してしまう」こと。まあメーカの身になってみると、一本をあまり長く使われると売れなくなるので、仕方が無いかも・・・

(関連記事)
インプラント~一番“価値のあった”買い物

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2009年8月16日 (日)

企業の時価総額 世界ベスト10(2009/7末現在)

先日の日経新聞に「時価総額 世界上位10社」という記事があった。同じような記事は良く見かけるものの、中国企業がズラリと並んだこの“ベスト10”に、中国の底力を改めて認識した。曰く・・・

<世界の時価総額ベスト10>~2009年7月末時点
順位(昨年末) 企業名  時価総額(億米ドル)
①(2) 中国石油天然気(中)  3,978
②(1) エクソンモービル(米)   3,434
③(7) 中国工商銀行(中)   2,592
④(4) 中国移動(中)      2,102
⑤(6) マイクロソフト(米)     2,092
⑥(3) ウォルマート・ストアーズ(米) 1,951
⑦(17) 中国建設銀行(中)   1,898
⑧(22) HSBC(英)          1,727
⑨(10) ジョンソン・エンド・ジョンソン(米)1,689
⑩(33) ペトロブラス(ブラジル)   1,659

<日本>
22(23) トヨタ自動車    1,445
62(57) 三菱UFJ FG    687
69(41) NTTドコモ      646
70(50) NTT          646
83(107) ホンダ        587
注:FTSEが算出する時価総額。野村證券金融工学研究センター調べ

時価総額 世界上位10社 中国など新興国半数
世界の株式市場で新興国企業の存在感が増している。7月末時点の株式時価総額をランキングすると、上位10社のうち5社を中国など新興国の企業が占めた。
・・・・
存在感が特に高まっているのは中国企業だ。中国石油天然気(ペトロチャイナ)は昨年末に比べ時価総額を1400億ドル近く増やし、米エクソンモービルを抜いて首位に返り咲いた。昨年末は17位だった中国建設銀行もベストテンに復帰した。
・・・・
新興国はこれまで一部の国策企業や国営企業の時価総額が突出して大きい傾向があったが、すそ野も広がっている。時価総額1兆円以上の中国企業(香港上場含む)数は72社と日本(61社)を抜き、国・地域別で米国(214社)に次ぐ2位に浮上した。
・・・・
ただ新興国の時価総額の大きさを額面通りには評価できないとの指摘もある。政府保有分が多いなどで浮動株が少なく、実態以上に時価総額がかさ上げされている企業も多いからだ。個人投資家の動向に左右されやすいなど、株式市場そのものに未成熟な面があるのも否めない。・・・・・・・・」(2009/8/15日経新聞朝刊p3より)

でも中国はデカイ。人口が多いだけに、全てのスケールが桁違いだ。携帯電話の契約数も1年前で6億台という。よって銀行でも何でも、日本に比べるとスケールが違う・・・。
前に上海に行った時、ちょうど中国の連休初日にあたったが、地下鉄の出口から出てくるわ出てくるわ、人人人・・の波にビックリした事があった。
そんな巨大な国の経済力に、日本が追い越されるのは時間の問題だと言われるもの、まあ理解できるな・・・
さて明日から平日に戻る。また通勤電車に揺られるか・・・・

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(2009/8/27追加)
<時価総額で新興国の台頭が目立つ主な業種>
順位     企業名   時価総額(億米ドル)
▽石油・ガス
①中国石油天然気(中)      3,978
②エクソンモービル(米)      3,434
③ペトロブラス(ブラジル)     1,659
④ロイヤル・ダッチ・シェル(英)  1,624
⑤中国石油化工(中)       1,623
41)国際石油開発帝石(日)    179

▽鉄鋼・金属
①ヴァーレ(ブラジル)        1,007
②アルセロール・ミタル(ルクセン) 539
③ポスコ(韓)             356
④中国アルミ(中)          321
⑤新日本製鉄(日)          271

▽携帯電話(キャリア)
①中国移動(中)          2,102
②ボーダフォン(英)        1,070
③NTTドコモ(日)          646
④ドイツテレコム(独)        555
⑤アメリカン・モービル(メキシコ) 447

▽銀行
①中国工商銀行(中)      2,592
②中国建設銀行(中)      1,898
③HSBC(英)           1,727
④中国銀行(中)         1,604
⑤JPモルガン・チェース(米)  1,507
⑪三菱UFJ銀行(日)        687
注)FTSEが算出する7月末時点の時価総額。野村證券金融工学研究センター調べ
「・・・・7月末時点の時価総額をランキングすると、・・・日本企業が首位なのは自動車(トヨタ自動車)、商社・サービス(三菱商事)、この調査で「娯楽商品」に分類されるパナソニックの3業種のみ。米国企業は19業種、中国企業(香港上場を含む)は6業種、フランス企業は4業種で首位となった。・・・」(2009/8/26日経朝刊p13より)

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2009年8月15日 (土)

東海林太郎の「赤城の子守唄」~親父の命日によせて

突然、古い歌が出てきた・・・。当サイトにはそぐわないのだが、実は、今日は親父の命日。それで13回目の命日を偲んで、親父がこよなく愛した歌を・・・・
13年前、会社の盆休みに入った初日の8/14昼前、親父が倒れたとの第一報。いつもの仲間と麻雀をしている最中に、気分が悪くなったから替わってくれと言い出し、その内にろれつが回らなくなってから、意識不明に・・・。最後の言葉は(今の自分の状態について)「これはダメかな?」または「これはヤバイかな?」というような意味だったという。
直ぐに救急車で近くの医院に担ぎ込まれ、手に負えないとの事で大きな病院に緊急入院した。しかしCTの結果は、脳内出血で脳幹がやられており、脳死状態とのこと。家族で話し合って、次の日に人工呼吸器を外してもらい、亡くなった。
“初めて”触れた親父の手は冷たくなっていた。(怖かった親父に触れた記憶は無かった・・。もちろん抱かれた記憶も無かった・・)
親父は、若い頃から病弱だったというが、本人が人一倍体に気をつけていた為か、入院の経験がほとんど無いまま、好きな麻雀をしながら亡くなった。ぽっくりと、それもお盆に逝ったため、周りの人から羨ましがられながら・・・。
そんな親父が好きだった歌手が東海林太郎(しょうじ たろう=明治31年~昭和47年)だった。自分が初めてこの名を知ったとき、「とうかい りんたろう」と読んで親父にバカと言われた。
Image03521 そんなワケで、今日は親父の供養のために(?)、唐突だが東海林太郎の「赤城の子守唄」を・・。この歌は1934年(昭和9年)2月に発売されて空前のヒットとなったとか・・。独特の直立不動の歌い方、ロイドめがねに燕尾服の服装、そして決して手を抜かない熱唱、どれを取っても戦前を代表する大歌手である。(しかしトシを取っても、フサフサしたあの髪は許せんが・・)(写真はクリックで拡大)

<東海林太郎の「赤城の子守唄」>

「赤城の子守唄」
  作詞:佐藤惣之助
  作曲:竹岡信幸

泣くなよしよし ねんねしな 
山の鴉が 啼いたとて
泣いちゃいけない ねんねしな
泣けば鴉が 又さわぐ
 
坊や男児だ ねんねしな
親がないとて 泣くものか
お月さまさえ 只ひとり
泣かずにいるから ねんねしな
 
にっこり笑って ねんねしな
山の土産に 何をやろ
どうせやくざな 犬張子
貰ってやるから ねんねしな

自分は子供のときから親父とはほとんど口を利かなかったが、親父が晩年になってようやく話をすることがあった。その中で、家系図を作ったことがある。親父の「俺がいなくなると、誰も知っている人が居なくなるぞ」という言葉で、口頭で親戚の名前を聞き、関係を聞いて図を作った。そして出来る限りの生年月日と亡くなった日を入れた。それが、その後の葬儀や法事などで流布され、親戚の若い孫の世代で有用になった。
今日8月15日は、お盆であり、また終戦記念日でもある。我が家はそれに加えて命日・・・
それぞれ、どの家も昔を思い出すこの日、先祖を偲んで(?)こんな歌でも聞こうよ・・・

(付録←言い訳・・)
Q:「東海林」と書いてなぜ「しょうじ」と読むの?ふりがなは?
A:結論から言うと「荘司」の当て字。荘司の荘は荘園のこと。司は管理者のこと。つまり「荘司」とは荘園の管理者。
では、なぜ荘司が東海林につながるのかというと・・・
「荘司」さんを区別するために「東海林」というところに住む「荘司」さんを「東海林」の「荘司」さんとか、「とうかいりん・しょうじ」さんとかと呼んでいるうち、表記と音が混ざり合って、「東海林」を「しょうじ」と読むようになった。・・・と推測される。
従って、ふりがなをつける位置にも明確な決まりをもうけることは不可能。
<取材先  広島大学教育学部 柳沢助教授>
(出展はここ

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2009年8月14日 (金)

「老い方の探求」

たまに企業年金の事務局から送られてくる「年金時代」という冊子。2009年夏号の「折々の随想」というコラムに「老い方の探求」という記事があった。曰く・・・

老い方の探求 ノンフィクション作家 沖藤典子
ある日、隣の庭に車を突っ込んでしまう。それを知った息子は、母親から運転免許証を取り上げる、ここから始まるのが“ドライビング・ミス・デイジー”というアメリカ映画です。親孝行な息子は、その代わりに、運転手つきの高級車をプレゼントします。しかし彼女は怒髪天を衝く思い。彼は免許証を取り上げて誇りを奪い、彼女の嫌う人種の運転手をつけたのですから。
絶対に車に乗りません。徒歩で買い物に行く彼女の後を、高級車がソロリソロリとついていく次第。
しかし彼女は少しずつ自分の老いを自覚し始め、人種偏見の誤りを認めていきます。最後の場面は老人ホームにいる彼女を運転手が見舞いに行き、ダンスを踊るというもの。高齢期の運転問題を主軸において、人間の誇りや愛について考えさせられるものでした。
過日、ある市へ講演に行ったところ、県内に住む70代後半の方が来て、「車への依存度が高くなるにつれて、運転が危なくなるんです。自主返上も考えますが、交通の便が悪いし・・・」
高齢ドライバーによる事故は、事故全体が減少している中で増加に歯止めがかからないとか。高齢者は交通弱者から、加害者になりつつあります。各自治体はさまざまな工夫で自主返上を呼びかけており、「返上して良かった、別の世界が開けた」などの声も紹介されていますが、中には「立派だ、さすがといわれたけど、がっくり老け込んだ」という喪失感に悩む人、閉じこもってしまう人などもいるようです。その地域の交通事情にもよりますが。
今年の6月から75歳以上の人の運転免許更新時に、認知証の検査が導入されます。高速道路逆走事件など、交通予防策は喫緊の課題でした。私もいつ運転免許を返上しようかはやばやと悩んでいたので、引導を渡されれば踏ん切りがつくかと思っています。
でも、喪失感もあるのではないか、デイジーさんの心境が分かるような気もします。肉体的死の前に社会的死があるのかなどと、いじけてしまったりして。素直なオジジ・オババなんかおもしろくないよと抵抗しつつも、新しい誇りを獲得していく老い方の探求が必要だと、フンドシを締め直す思いです
。」(「年金時代」2009年夏号より)

フーン・・なるほど・・・・
“老い”を自分でどう認めるか・・・。時々、山を登る人が、若いときと同じだと思って無理をして遭難する・・・という話題を聞く。これも自己の老いを認識していなかったためだろうか・・・?
我々一般人にとって、“老い”の最初の現象として出て来るのが“運転”かもしれない。イザというときの反射(ブレーキの遅れ)、見ているようで注意散漫な状態(よそ見・不注意)、等々・・・。しかも運転は他人を傷付ける可能性があるのでやっかいだ。
自分は、休日というと“運転の練習”と称してスーパーへの買い物の時に運転をさせられるが、最近カミさんに「大丈夫?」「前と少し違う・・・」「右に寄っていない?」等々色々と言われる事が多くなった。もちろん自分では何の自覚も無い。でもこれも徐々に「寄る年波には勝てぬ」なのかも・・・

話は飛ぶが、今日会社の帰りに聞いたNHKラジオ深夜便の「ミッドナイトトーク」の田部井淳子さんの話(8月5日放送)。かのベテラン登山家の田部井さんも60歳を越えて体力の衰えを感じており、①決して無理をしない、②ここまでなら大丈夫と自分の体を知っておく、という事が大事だと言っていた。(自分は田部井さんの話が好きだ。今なら(ここ)で聞ける・・)

カミさんと数万回繰り返されてきた会話・・・。「二人とも運転はヘタなのだから、車が必要無い都心のマンションに移ろう」「や~だ」・・・・
後悔しないためには(事故を起こさないためには)、“自分の衰え”を充分に自覚し、「運転は充分に慎重に・・」を肝に銘じると共に、いつか来るであろう運転をしなくなった時の“喪失感”に対する備えも必要かもね・・・・。(でもまだ、最低10年は現役を貫くぞ~)

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2009年8月13日 (木)

「創業が古い都内企業」ベスト10

今朝の日経新聞に「創業が古い都内企業」ベスト10が載っていた。“ベスト10”が好きな当ブログはついその話に触れたくなる・・・・。曰く・・・

<創業が古い都内企業(宗教法人を除く)>
  商号     (所在地)   創業    主な事業内容
①虎屋       (港区) 1241年創業 和菓子の製造販売
②塩瀬総本家  (中央区) 1349年創業 生菓子製造販売
③西川産業   (中央区) 1566年創業 寝具類卸売り
③西川       (中央区)1566年創業 寝具小売り
⑤ミヤザキ    (豊島区) 1575年創業 食品添加物の卸売り
⑥学校法人立正大学学園(品川区)1580年創業 大学
⑦メルクロス   (中央区) 1585年創業 砂糖の卸売り
⑧松井建設    (中央区) 1586年創業 建築工事業
⑨住友金属鉱山 (港区)  1590年創業 鉱業
⑨伊場仙     (中央区) 1590年創業 扇子・うちわの製造販売

創業100年超す企業2377社
信用調査会社の東京商工リサーチは12日、創業100年を超えた都内企業(宗教法人や学校法人を含む)が5月時点で2377社に上るとの調査結果を発表した。全国47都道府県で最も多く、2位の大阪(1168社)の2倍以上となった。
商工リサーチの企業データベースから1908年(明治41年)以前に創業した企業を抽出した。宗教法人(43社)を含めると都内最古は628年創業の浅草寺。宗教法人を除外したランキングでは起源が鎌倉時代にさかのぼる和菓子の製造販売、虎屋(東京・港)が最も古かった。
2位の塩瀬総本家(東京・中央)とともに、京都の和菓子作りが起源のメーカーだ。
100年企業を創業年代別に見ると、最も多いのが明治時代で1999社と全体の84%を占める。中でも明治30年代が698社と多い。次いで江戸時代が349社。
業種別の構成は卸売り・小売りが41%と最も多く、次いで製造業(24%)、建設業(7%)の順となる。所在地別では中央区(20%)、千代田区(13%)、台東区(10%)の順だった。」(日経新聞2009/8/13 P27より)

また全国で見ると、100歳以上の企業は2万1066社で、日本最古の企業は飛鳥時代に設立された寺社建築の金剛組(大阪市)で1431歳だという。金剛組は西暦578年の創業で、聖徳太子が四天王寺建立のため百済から招いた宮大工が始祖とのこと。

ところで、“我が家の創業”はいったい何時頃なのだろう?
自分は子供のときから親父とはほとんど口を利かなかったが、親父が晩年になってようやく話をするようになった。その中で、我が家の家系図を作ったことがある。「俺が死ぬと、誰も知っている人が居なくなるぞ・・・」という親父の言葉で、口頭で親戚の名前や関係を聞き、関係の図を作った。そして仏壇の過去帳を頼りに、出来る限りの生年月日と亡くなった日を入れてみた。父と母の両方をさかのぼって書いてみたが、でもせいぜい曾祖父母止まりで、年代的には「明治38年没」が一番古い記録だった。
一方、親戚といっても会う機会がほとんど無いのが現状・・。以前は親父の法事で、何とか集まる機会を作ってきたが、みな段々とトシを取り、集まること自体がしんどくなっている。まさに「寄る年波には勝てぬ」だ・・・。

「命連綿」という歌があったが(ここ)、お盆を前に、妙に家族や親戚、故郷・・・を思い出してしまうこの頃である。

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2009年8月12日 (水)

昭和30年の出来事(8歳)~伊藤久男の「数寄屋橋エレジー」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの9回目。
自分が7歳から8歳になる昭和30年(1955年)の出来事を調べてみると、この年はあまり大事件が無かったようだ。
初のSONYブランド製品として、国産初のトランジスタラジオTR-55発売(8/7)。東芝が国産初の自動電気炊飯器を発売。アルミの1円硬貨発行(6/1)。森永粉乳中毒事件(ヒ素混入)で死亡130人、患者1万2000人。創価学会政界進出。広島原爆資料館が開館。厚生省が発表した「売春白書」によると全国で公娼50万人。広辞苑の初版発行。

映画では、木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」や、前回書いた左幸子の「女中っ子」など。
歌は、中村メイコの「田舎のバス」、菅原都々子「月がとっても青いから」、宮城まり子「ガード下の靴みがき」、島倉千代子のデビュー曲「この世の花」、春日八郎「別れの一本杉」など。
自分の好きな歌では、伊藤久男の「サロマ湖の歌(これ)」「サビタの花(これ)」があるが、もうアップしてしまったので、この年の歌でアップする曲がなかなか見つからない・・・。
仕方が無いので、今日は前年1954年(昭和29年)の歌で、伊藤久男の「数寄屋橋エレジー」を聞いてみよう。
考えてみると、当サイトは偏見に満ち満ちている。つまり、懐かしのメロディーが伊藤久男などに偏重し切っている。でもまあ、自分の好みの曲を論ずるワケで、(=嫌いな歌は挙げないので)仕方がないのであ~る。

<伊藤久男の「数寄屋橋エレジー」>

「数寄屋橋エレジー」
  作詞:菊田一夫
  作曲:古関裕而

雨に濡れ 雨に濡れ
あの橋に佇ずむ人は 誰を待つ
人は変れども 数寄屋橋の顔は
いつも変らない

来ぬ人は 来ぬ人は
遥かなる旅に立ちしを君は知らず
夜霧流れても 数寄屋橋の顔は
いつも変らない

風吹けば 風吹けば
思い出は川のネオンにゆらめきて
泣く人もあれど 数寄屋橋の顔は
いつも変らない

090812sukiyabashi 数寄屋橋というと、自分が東京に遊びに行く様になって最初に行ったのが有楽町。そこに橋も無いのに「数寄屋橋公園」という小さな広場があって、そこに「数寄屋橋此処にありき」という碑があり、子供の頃は良く分からなかった・・・。

さて、昭和30年というと、自分は小学校1年~2年の頃だ。通信簿を見ると、コメント欄に「明朗で素直、何時ものびのびと、まじめに学習しているので成績はよい。もう一息の所です。来年こそ期待しています」とあ~る。なるほど、この年までは自分は良かったのだ。3年生で激変するが、それは次回・・・
通信簿を見ると面白い。1、2学期は、科目ごとに評価の内容が細かく分かれており、国語では「聞く」「話す」「読む」「書く」「作る」といった項目に、評点が「すぐれている」~「おとる」までの5段階でそれぞれに「○」が押されている。しかしこの年(昭和30年)の3学期からは、指導要録の改正により、評定が「5」~「1」の数字で表される事になったらしい。
ところで、学校給食はいつ始まったのだろう。朝、近くのパン屋で10円のコッペパンを買い、隣の肉屋で5円のコロッケにソースをぶっ掛けてパンに挟んでもらってから学校に行ったのを、未だに「美~味い」思い出として記憶している。給食の記憶もある。金物の椀に注がれた白い味の無いミルクとコッペパン。いつもミルクが嫌いな人が残して大騒ぎしていたっけ。これは3年生の頃からか??

090812t12 話は飛ぶが、昨日の朝の静岡の地震は大きかった。でも直ぐに収まったので良かった。テレビのニュースを見ると、明日(8/13)の午前0時は開通、と言っていた東名高速が、半日くらい遅れるとか・・・。お盆の帰省ラッシュの時期なので大変だ。
そう言えば、あの関東大震災は9月1日だった。M7.9。予想されている東海地震はM8と想定されているというから恐ろしい・・・。(写真はクリックで拡大)
それに今朝の新聞に、昨日の地震で崩れてきた1000冊の自分の本に生き埋めにされて亡くなった女性がいたと載っていた。
終戦や関東大震災など、色々と昔を振り返る時期である。お盆休みを利用して、危険予知のため、家の周囲の地震対策を振り返ってみるとしようか・・・・。

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2009年8月11日 (火)

「いちばん美しい花火」

先日の日経新聞のコラム「プロムナード」に、「いちばん美しい花火」という何ともファンタスティックな記事が載っていた。読んでいて何とも心地よい・・・。曰く・・・

いちばん美しい花火  道尾 秀介
この季節になると全国で花火大会が開催されるけれど、純粋に花火を観賞するためにあのイベントへ出かけていく人はあまりいない。お祭り気分を味わうためだったり、女の子を誘う口実だったり、屋外で生ビールを飲むためだったりする。
・・・・・・・
が、たった一度だけ、僕は花火の美しさそのものに見入ったことがある。小学校低学年の頃だった。
そのとき僕は時間を止める能力を持っていた。特別な道具を使わずとも、僕が「止まれ」と念じたらその瞬間に世界は停止した。町ゆく人も車も飛行機も、その場で写真のように固まった。まあ小学校低学年の男の子が見る夢なんてそんなものだ。
夢の中で自分の能力に気づいた僕は、悪事を働こうと目論んだ。もしそれが小学校高学年だったら、まず間違いなく銀行へ行って金を盗んだり、好きな女の子のところへ行ってイヤラシイことをしたり、町のあちこちでイヤラシイことをしていたのだろうが、まだ汚れない小学校低学年だった僕は、スーパーへ行って花火を盗んだ。一度でいいから、一人でぜんぶやってみたかったのだ。
マネキンのような人々のそばをすり抜け、びくびくしながら花火とライターを手に入れた僕は、近所の公園へと走った。まだ日が高かったので「夜になれ」と念じたら、夜になった。夢の中というのは全く素晴らしい。あたりが真っ暗になったところで、僕はパックの中から線香花火を取り出して、火をつけようとした。が、時間が止まっているせいか、火がつかない。仕方なく、僕は時間の流れを元に戻すことにした。「動け」と念じた瞬間、世界はふたたび動き出した。
夜の公園で、僕が何本目かの線香花火に火をつけていると、どこかで母親の声がした。万引きおよび夜遊びが発覚することを恐れた僕は、とっさにまた「止まれ」と念じた。
いまでも忘れない、あの美しい花火を見たのは、そのときのことだ。
線香花火は僕の手元で、繊細な飴細工のように停止していた。光の線が枝分れし、それがまた無数に枝分れして、全体として綺麗な球形をかたちづくっていた。呆然としながら、僕は花火に触れてみた。熱くはなく、どちらかというと冷たい感じだった。細かな火の鞠の端を、掌でちょっと押してみると、線香花火はぱりぱりと硝子が割れるような音をさせながら崩れていった。息をするのも忘れるほどの美しさだった。
きらめきながら崩れていくその火に見入っているうち、何故だか僕は急に、家に帰りたくなった。しかしこんな時間に帰ったらきっと叱られる。どこで何をしていたのだと怒られる。――哀しくて寂しくて、鼻の奥にちりちりと甘い痛みが走った。涙が滲んだ目の中で、線香花火は二重になって、いっそう輝いた。
夢は本当の花火みたいに、そこで唐突に終わり、つづきはいまだに見ることができない。(作家)」(2009/8/7 日経新聞夕刊p7より)

ここで言う「夢」とは、寝ているときに見た“夢”なのだろうが、空想の“夢”のように何ともファンタスティックな“お話”である。

ウチでは、休日の朝起きたとき、または散歩のときに何となくしゃべりだすと「あなた、それまた夢の話でしょう・・・。聞いても仕方がない!」と一喝されるのだが、このように文字にすると、誰からも止められないため、“話”はゴールまでたどり着ける・・・。

前にTVで、ピストルの弾が胸に当たる直前で時間を止め、死ぬ前にしたい事をする・・というドラマを見た事がある。まあそれと同じだが、もし自分が一度だけ時間を止める事が出来るとしたら、いつ止めたいと思うだろう・・・。
交通事故の直前?いや、時間を止めるだけで事態は変わらないため、交通事故を止める訳には行かないな・・・。ある瞬間を、永く留めて置きたい場合・・・。本当にそんな瞬間があるのだろうか?
でも、このコラムで言っている「花火」は、実にそんな瞬間なのかもしれない・・・。(大きな声では言えないが、ウチのカミさんは“試験の時、隣の人の答案を見ちゃう”んだって!)

花火といえば、前に土浦の花火大会に行って、真下で見る花火に感激の涙を流した事があった(ここ)。言葉を失うくらい、真下で見る花火は美しい・・・。その一瞬を止めて存分に眺められたら・・・・・。筆者が言っていることは確かに分かる・・・。
写真もその一瞬を止めるテクニックではある。しかしその切り取るエリア、深さ(明るさのダイナミックレンジ)、音の何を取ってナマには到底足元にも及ばない。

話は飛ぶが、小学校低学年のとき、夏休みにお袋の姉がいた焼津に行った。そこで花火大会に連れて行ってもらった事があった。そこで、頭の上で炸裂する花火に驚いて、やはり小学校低学年の兄が行方不明になった。皆が探す中、兄はひとりで家に帰ってきた。花火の会場から家まで、どの位離れていたかは知らないが、人間も犬と同じで、“帰巣本能”があるのかね、とオトナが話していたことを思い出した。
子供の頃は、一瞬一瞬の時間が凝縮されていて長い。時間の密度が濃い。色々なエピソードも、大人になってからのエピソードに比べてかなり良く覚えている。
還暦を機に、心をリセットして子供に還り、凝縮した時間を過ごせるようになれると良いな・・・と“夢見る”この頃ではある。

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2009年8月10日 (月)

NHKスペ「日本海軍 400時間の証言 第1回 開戦 海軍あって国家なし」を見て

NHKは夏のこの時期、戦争に関する色々な番組を放送するが、3日連続(8/9~11)で放送している「NHKスペシャル 日本海軍 400時間の証言」のシリーズは、新たに世に出た史料を紹介していた。(これ
まだ昨日放送の「第一回 開戦 海軍あって国家なし」(2009年8月9日(日)放送 )しか見ていないが、“本人たち”の“生の声”を聞いた。

海軍軍令部は、内閣に属する海軍と違って、天皇直属の組織であり、統帥権の独立をタテに内閣や海軍に干渉・指示はするが、逆にそれらから指示されることは無いという。
そして、軍令部は作戦・指揮を統括するのがミッションであり、海軍は予算・人事が主。少数の軍令部が、開戦時にどのような役割を果たしたのか、番組はかつての軍令部メンバーの生の声でたどっていく・・・。
この絶大な権力を持った「軍令部」の実態は、今まで資料が殆どなく闇に包まれていたという。しかし昭和55年から11年間、軍令部のメンバーが中心となって秘密裏に集まって「海軍反省会」が開かれていた。70~80代になっていた彼らは、生存中は絶対非公開を条件に、開戦に至る経緯、その裏で行った政界・皇族・陸軍などへの働きかけなどを、旧海軍の水交会に集まり、400時間にわたって、将来への糧として仲間内で語っていたという。
そこで彼らは、戦争を避けるべきだと考えながらも、組織に生きる人間として、そして「海軍の立場」本位で、国民の視点とはかけ離れた組織の論理で開戦に至った・・・。
特に敗戦へ転がり落ちる転機となったミッドウェー作戦は、現場の航空艦隊も潜水艦隊も準備不測を理由に1ヶ月の延期を申し入れていたが、永野軍令部総長の「山本がそう言うのならやらしてみようじゃないか」との一言で決めてしまったとか・・・・。

この番組は、数十本のカセットテープに録音されていた当時の「軍令部」の反省会だけに、その当事者たちの声は生々しい。
しかし、そこで浮かび上がってくるのは、(たびたび言われている)“国・国民の視点ではない軍のメンツでの開戦への道”だ。

今夜の「第二回 特攻 やましき沈黙」、そして明日の「第三回 戦犯裁判 第二の戦争」も見逃せない・・。今度は録画しておこう・・・
しかし、開戦から68年・・。当時の日本を開戦へと引っ張ったエリートたちの声を、この番組で、ゆっくりと聞いてみようではないか・・・。

(09/8/11追)
「第二回 特攻 やましき沈黙」(8/10放送)を見た。発言のやり取りを聞いていて、少し疑念が沸いてきた。「反省会」と言っても、本当の反省会なのか・・・。後世に録音が残る事を意識して、発言を控える事が無かったか?まさに「やましき沈黙」は無かったか?
自分をその場に置いてみた。“戦友とともに「反省会」をしよう・・・”となっても、果たして自分たちの責任を後世に対して残すだろうか? 自分はノーだな・・・
ある「事実(=テープの声)」を、色々な視点で見ると、「真実」は見た数だけある。今回のこのテープに残された「事実」をどう捉えるか・・・・。この番組で明らかにされた事は、一つの「事実」ではあるが“色々な視点”のひとつにしか過ぎないのかも知れない・・・・。
半藤一利さんの感想を聞きてみたいものである。

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2009年8月 9日 (日)

乙武洋匡の「五体不満足」を(今頃)読んだ・・

乙武洋匡という人は、ものすごく優秀なプロデューサなのかも知れない。自分という“個性”を、最大限引き出して世に売り込む才能に長けた人・・・・?

乙武洋匡の「五体不満足」を、今頃(?)読んだ。ひょんな事から我が家に「中古図書館」が出来(ここ)、そこにあった“かつてのベストセラー”を読んでみる気になった。「バカの壁」は、どうも自分にフィットしなくて途中で放ったが、この乙武洋匡の「五体不満足」は最後までスッと読んだ。

このベストセラーも「なるほど・・・。売れるだけのことはある」が感想・・・。とにかく読みやすい。何の抵抗も無く、ススーッと最後まで読めてしまう・・・・
この文庫は「完全版」と銘打っているが、それはこの本がベストセラーになった後、つまり初出版の2年半後に「その後」を書き加えたものだという。この部分を読んでみて、自分はやっとうなずいた・・・・ (後でカミさんに聞いたら、発売当時に息子も含めてこの本を読んだのだそうだ。そしてやはり何か違和感を感じたとか・・・)

つまり、自分はこの本を読みながら、“何かを意識して書いている”ような気がして違和感があった。あまりに“受け”を意識し過ぎているというか、浮っついていると言うか・・・
それを2年半後に本人が反省(?)した弁が、この本の最後に載っていた。
「自分で、人気者になるような書き方をしていたのかもしれない」・・・。そして「・・・もしも神様がやり直しを認めてくれるのなら、私は『五体不満足』出版前に時計の針を戻すかもしれない。・・・・私は再びこのレールの上を歩む選択をする自信がない。」(「五体不満足」P268より)・・・・・と。

しかし、四肢が無いというとてつもない障害を負って生きてきた筆者の、それに負けない屈託のない姿勢に、ただただ驚かされる。並みの人間ではない。早稲田の政経卒という優秀な頭の持ち主なだけではなく、「目立たちがり屋」という自分の個性をいかんなく発揮して凡人が想像できない位に障害にひるまず生きて行く姿勢には、ただ脱帽だ。普通の人間は、置かれた悲惨な事態に打ちひしがれ、いかにひっそりと暮らすか・・・、と思うだろう。
それを「障害は個性」だと割り切って世界に対峙して行く・・・
もちろんこれには、「かわいい」と言ってくれた母親がいればこそ、なのは言うまでも無い。

しかし現実は、母親が「もし、私も胎児検診を受けていて、自分のお腹のなかにいる子に手も足もないということが分かったら、正直に言って、あなたを生んでいたかどうか分からない」(P264より)と言っているように、これが真実だろう。誰も“平々凡々”をあえて否定する人はいない。

ビジネスの世界でも、よく「正のスパイラル(回転)」「負のスパイラル」という言葉を使う。本来、まさに「負のスパイラル(物事を悪く悪く考えて、益々事態は悪くなる・・)」となる“障害児の誕生”を「正のスパイラル」に変えたのは、繰り返すが、母親の、そして両親の「かわいい」という捉え方が全てだろう。

世の中、どの家庭でも何が起きるか分からない。もちろんこのような大変な事態も・・。それを「正のスパイラル」で行動できるノウハウは一体何なのだろう? この両親にいちど聞いて見たいものである。

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2009年8月 8日 (土)

国立モスクワ合唱団の「仕事の歌」

先日テレビで、国立モスクワ合唱団の東京オペラシティでの公演の模様を放送していた。ロシア民謡は、昔は良く歌ったり聞いたりしたものだが最近はあまり耳にしなくなった。幾多あるロシア民謡の中で、“迫力”を感じる「仕事の歌」を聞いてみよう。

<国立モスクワ合唱団の「仕事の歌」>

「仕事の歌(ドゥビーヌシカ)」
     
  ロシア民謡

故郷で聞いた たくさんの歌
喜びの歌 悲しみの歌
その中で忘れられぬ一つの歌
それは仕事仲間の歌
(*)
エフ エフ ドゥビーヌシカ ウーフネム
エフ 丸太がくずれるぞ
引っ張れ 引っ張れ
ダー ウーフネム

私が聞いたこの歌 仲間は歌う
丸太を桁に組み上げながら
不意に崩れる丸太 呆然とする仲間
下敷きになった 若者ふたり
(*)

ヴォルガ河で 砂に埋もれ
足や背を祈り
胸を痛め それでも楽に引っ張れるように
歌うのさ おれたちのドゥビーナの歌
(*)

時いたれば 民衆目覚め
頑丈な背をまっすぐに伸ばし
幾世紀も のしかかる重圧を振り払い
ドゥビーナを力強く振り上げるだろう
(*)

・ドゥビーヌシカ(ドゥビーナ)=「棍棒」「丸太ん棒」または曳綱を巻くロクロの軸木の意。荷役人夫の労働と深い関わりのある道具であり、ツァーリの圧制に抗して蜂起した民衆たちの武器になった。
・ウーフネム=力仕事をする時のかけ声
*歌詞はボグダノフが1865年に発表したものを85年にオリヒンが改作して後、革命歌として一般に広まった。世界的バス歌手シャリアピンのレパートリーでもあった。リフレインの部分が本来の「ドゥビーヌシカ」であり、ヴォルガの舟ひき人夫の労働の歌であったものである。(出典:CDの解説書より)

ロシア民謡は、昔の「歌声喫茶」で良く歌われていたが、ロシア人の歌うこの「仕事の歌」は、一般的なロシア民謡とは違って、何か重々しく迫力があった。
10数年前、ロシア民謡のCDを買おうと探したが、デジタル録音のCDがなかなか見つからなかった。昔の古いアナログ録音ばかり・・・。それで、何とか手に入れたのがこのCDだった。

唱歌・童謡もそうだが、Jポップ全盛の現代では、この手の歌は“別世界”に隔離されてしまったような感がある。でも先日の東京オペラシティでの国立モスクワ合唱団のコンサート(2009年6月2日公演)の模様をテレビで見て、まだまだロシア民謡は廃れていないな・・・、と思った。
還暦過ぎのリタイア組が、昔の歌声喫茶活動(?)を始めたようなニュースも聞く。自分がそれに参加するとは思えないが、昔の歌を懐かしむのは、自分だけでは無いようである。

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2009年8月 7日 (金)

大原麗子さんが亡くなった・・・

昨夜のテレビに、「女優の大原麗子さん(62)が亡くなっているのが発見された」とのニュース速報のテロップが流れた。(これ) 大原麗子さんは、最近テレビなどで見掛けることが無くなっていたが、29歳のときに発病したギラン・バレー症候群という病気に苦しんでいたという。そして改めて昭和21年生まれで、自分より一つ年上だと知った。
自分は別に大原麗子さんのファンというわけではないが、女優の大原麗子さんとの“出会い”について、ひとつの思い出がある。(←もちろん“出会い”といっても本人に会ったことなどは無い・・・)

Image02871 それはこの一つの写真。(写真はクリックで拡大)
この写真は、大昔の「週刊現代」の表紙である。時期は、自分が会社の独身寮にいた頃である。日常ほとんど週刊誌を読まない自分が、なぜこの「週刊現代」の写真を持っていたかは不明だが、この人が誰だか分からないままこの写真に“惚れ”た・・・・。

Image02891 そしてこの写真を部屋に飾っているうちに、友人から「大原麗子」という女優さんだと教えられた。証拠写真の日付によると、部屋に飾っていたのは1973年5月の頃らしい。その後、映画などで見掛けたが、そのハスキーボイスに惚れることはなかった。つまり自分は「この写真」に惚れたらしい・・・・。
(その後の“調査”によりこの写真は“週刊現代 昭和45年8月13日号 表紙・秋山庄太郎・撮影「モデル・大原麗子」”だと分かった(ここ))

同じように、独身時代に“惚れた”女優さんに、松坂慶子さん(57)がいる。(同じ部屋の写真に、若かりし頃の松坂慶子さんが貼ってある・・) 同じように“この写真”に惚れたのだろう。日本的美人・・・・
独身時代の華やかな(?)頃、臆面も無く「大原麗子さんや松坂慶子さんみたいなヨメさんが欲しいな~」ナンテ言っていたもの・・・(自分のことなど棚に上げて・・・!)
それを聞いていたある友人が、その後の自分の結婚式で「**クンは、いつも大原麗子さんや松坂慶子さんみたいな人が良いと言っていました・・」なんてバラしやがって、それを聞いた自分は、「場所を考えろ!・・・ったく」と結婚式の“雛壇で”怒ったもの・・・

Img_23031 話は変わるが、この写真も自分が気に入っている写真。昭和44年10月に買ったLPの写真である。週刊誌の写真と違って、それこそ皆目誰だか分からない。でもまさに静かな微笑ではないか・・・・(やはり自分は本人がどうあれ、その一瞬の姿に何かを感じるらしい・・・)

何? 今のカミさん?・・・もちろん見合い写真に“何か”を感じたのさ・・・。似ているかって? もちろん上の大原麗子の写真と瓜二つさ・・・(←破れっかぶれだけど・・・! blogってバレないから便利だよね)

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2009年8月 6日 (木)

原爆映画の思い出・・・

今日は8月6日。広島に原爆が落とされてから64年目だという。ふと、昔見た原爆の映画のことを思い出した。今日はそんな思い出話・・・。
生まれてから小学校4年生まで、自分は与野に住んでいた。現在の埼玉県さいたま市中央区上落合である。近くに田中計器工業㈱という会社があった。地図で見ると既にその会社は無く、現在その敷地にはマンションが二つ建っている。そこでは確か、自動車のワイパー用小型モータを作っていたっけ・・・。当時の我が家は、その会社が払い下げた元社宅のうちの一軒で、通路に同じような家が並んでいた。

昭和30年代初めの頃の楽しみは映画であった。週末の夜になると、その田中計器の食堂で映画会が開かれ、自分たちも映画会のウワサを聞いて、もぐり込んだ。そこで見た“怖い映画”が原爆の映画だった。ドカンと原爆が落ち、人が融けて行く・・・。怖くてその場面では下を向いていた。そしてその怖いシーンが終わった頃、やっと顔を上げる・・・・
実はその映画の題を覚えていなかった。大人になって、色々調べて、その映画は「原爆の子」という映画だったのでは?と思うようになった。映画「原爆の子」は、新藤兼人監督、乙羽信子主演の昭和27年(1952年)制作の映画で色々な賞も取っている。ストーリーは、広島原爆で一人生き残った乙羽信子扮する瀬戸内海の小島の小学校の教師が、原爆被災当時に勤務していた広島の幼稚園の園児たちのその後の消息を知りたいと思い、夏休みに一人ひとり訪ねて歩く・・・
しかし、後でこの映画を見たが「怖いシーン」はほとんど無い。もしかすると、そのときは子供心に“怖い”と思って見なかったが、本当は残酷な場面は無かったのかも知れないな・・・と思ったり・・・。

フト、もう一度当時の原爆映画には何があるのかをNetで調べてみた。すると「ひろしま」(これ)という1953年の映画があることが分かった。関川秀雄監督で岡田英次や月丘夢路が出演している。フト、この映画があの時の映画かも知れない・・と思った。論より証拠、NetのDVDレンタルに申し込んでみた。そのうちDVDが送られてきたら見てみよう。あの怖い映画かどうか・・・・

当時、たぶん自分は小学校にやっと上がった頃だったと思うが、これらの原爆の映画が、子供心に強烈なインパクトを与え、原爆の悲惨さを心に深く刻んだことは確か・・。今更ながら、感受性の強い子供時代に与えられた刺激は永く残るものだ。

まあ、それらの昔見た映画の記憶を今一度呼び戻してみるのも、8月6日の良い供養なのかも知れない・・・。
話は飛ぶが、この頃の映画の記憶では、小学校の校庭に銀幕を張ってみんなで地面に座って見た「女中ッ子」(1955年 佐野周二/轟夕起子)や、お袋に大宮の映画館に連れて行ってもらった「サラリーマン太閤記」(1957年小林圭樹・加藤大介)などを思い出す。これらについても、その内書いてみよう。

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2009年8月 5日 (水)

PanaのHDD内蔵プラズマTVを使ってみて・・

PanaのHDD内蔵プラズマTVを買って2ヶ月近くなる。今回は、今まで使ってみた“感想”である。
機種はTH-42PZR900。1テラバイトのHDDが内蔵されているモデルである。

<良い点>
・HDD内蔵型は非常に便利。自分のように、もっぱらタイムシフトで録画した番組を見る事がほとんどの人間には、TVとレコーダの2台の電源を入れて・・・という面倒な事がなく、非常に便利。
・1.3倍モードの再生での音が良い。

<悪い点>
・まず電源を食うことにビックリ。まるでTV全体がパネルヒータのよう・・。後ろにはファンが4つも付いている。ファンの音がしないのは助かるが、発熱たるや、夏は大変。「画質が良ければ電気代なんて・・」と思って買ったが、果たして発熱に見合う画質なのだろうか・・・
・HDDに録画している番組が、番組毎のフォルダに分けられないため、管理できない。内蔵の1テラバイトのHDDは、全く意味がない。「BSデジタル(HD放送)なら最長約86時間録画可能・・・」ナンテ言っているが、1時間のハイビジョンの番組が80もズラリと並んで、どうやって見つける事が出来るのか、また、どうやって管理できるというのか・・・。ジャンル別で分けると言っても、ほとんどが同じジャンルになるので意味がない。ちなみに、自分が持っている日立のDVDレコーダは、「分け録」機能があるので、番組毎にフォルダが別なので、後から見る時にものすごく便利。これは必須の機能だ。Netで調べて見ると、東芝の液晶TV(42Z8000等)は「連ドラグループ別」という録画リストがあるし、日立のプラズマTVでは番組名の「フォルダ」を作ってそこに入れる事が出来るらしい。よってどうもPanaだけその機能が無いのか??
・「液晶2倍速に比べて、動きが良いはず・・・」と思って買ったのだが、結果は“不満”。動く部分の画像が崩れる。これがプラズマの性能とすると、薄型TVは、自分にはフィットしないのかも・・・
・早送り再生の画面がコマ落しになり見づらい。日立のDVDレコーダの早送り再生は画面がスムーズ。専用レコーダではないので、この機能が弱いのかも・・・
・予約機能が時々エラーになる。予約は「探して毎回」リストに登録された番組が「予約」リストに都度登録されて動くのだが、本来自動的に設定されているはずの「予約」の画面が「未定」ばかりになった。Netで検索したら同じ現象の人の、「Panaのサポートに電話しても分からないというので、主電源を切って再立ち上げしたら直った」という書き込みがあり、その通りにしたら運良く直った。先日、「予約」リストで番組がダブってもいないのに全ての予約が「重複」と表示されて、どの番組の予約も30秒でとまってしまう。仕方なく、Panaのサポートに初めて電話した。出てきた女性が、「上司にも相談したが分からない。様子を見て、ダメならサービスを呼んで下さい」という回答。「様子をみろ、と言われても、予約が全滅なんだけど・・・」と言ったが、何を言っても無反応の水掛け論なので電話を切る。自分で、予約を全部消してやり直したら復帰。つまり搭載されているソフトはバグが多く、Panaも実態を把握していないため、サポートに聞いても無意味。メーカへのサポートが期待できないため(メーカ自体が分かっていない)、何とか自分の力でこのTVをなだめながら付き合って行くしかない。

もし、今買うとしたらどうする? やはり最初に考えた東芝の42Z8000を買うな・・・。発熱の点と、番組毎にフォルダを分ける機能の点で・・・。東芝の42Z8000で心配な点は動きだが、プラズマが必ずしも良いとは言えない事が分かったので、薄型TVはそんなものだ・・・とあきらめるしかない。もう一つ、画面の表面が光沢仕上げなので、反射が心配だが、PanaのプラズマTVも結構光沢があるので、こんなものか・・・。

なかなか自分と相性の良い機械を手に入れるのは難しい。なるべく後悔しないように・・・と機種を選んでいるツモリだが、やはり買って初めて目にする(初対面)機械には“難”がある。買う前にキチンと店頭で“ご対面”して納得してから買えば良いのだが、今回は結婚して初めて顔を見た状態なのでヌカッた。
一番重要なのは、「我慢できるかどうか」だが、PanaのHDD内蔵プラズマは、録画番組のフォルダが番組毎に分けられないのが致命傷。発熱は我慢できても、これだけは「我慢できない」。繰り返すが、内蔵の1TBのHDDは意味が無く、せいぜい使っても250G程度。それ以上使っても、録画した番組を探すのが大変なだけ・・・。
もっとも、この機種は08年8月発売の旧モデルなので、現行機種が改善されている可能性はある。しかし、どうも今回の自分の機種選定は結果としてNGだったようである。これは、Panaのブランドを暗黙に信用していた報いかも知れない・・・
(もっとも、自室に鎮座するプラズマTV君にこの話が漏れると、“嫌がらせを受ける可能性”があるので、そうっとしておくが、残念・・・・・)

(関連記事)
プラズマテレビを買ってしまった・・・

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2009年8月 4日 (火)

「今年(H21年度)の経済財政白書の読み方」

少し前の記事だが、先日の日経新聞のコラム「大機小機」に「今年の経済財政白書の読み方」という記事があった。曰く・・・

今年の経済財政白書の読み方
経済財政白書が発表された。基本的には時代の要請に応えた力作だと思う。特に評価すべき点は、世論に迎合しない姿勢を貫いていることだ。例えば次のような点だ。
第1は、外需か内需かという議論である。2008年度後半以降、外需の落ち込みによって景気が大きく停滞したため、世の中では「外需主導から内需主導への転換が必要だ」と指摘する人が多い。しかし白書は、今後の新興国における需要拡大などを考えれば、外需は依然として重要な成長のエンジンであり、「外需と内需の双発エンジン」で回復を目指すべきだという。
第2は、非正規雇用と格差の議論だ。世の中では「規制緩和の行き過ぎが非正規雇用を増やし、格差社会をもたらした」とし、「非正規としての雇用を規制すればよいではないか」と簡単に言う人が多い。しかし白書では、「非正規雇用が増えたのはここ数年の現象ではない」「非正規雇用が多様な就労ニーズの受け皿として機能した面がある」「厳しい雇用保護規制は非正規雇用比率を高め、平均失業期間を長期化させる効果がある」「失業の増大こそが格差拡大の原因であり、景気回復が最大の格差対策である」といった議論を展開している。
第3は金融危機への対応をめぐる議論である。選挙を控えて、各党の政策はどうしても歳出拡大型になりやすい。こうしたなかで白書は、出口をどうするかも重要だと指摘し、「景気回復後に財政再建にどう取り組むか、十分な検討が必要だ」と説明する。
また、短期的な危機対応だけではなく、今のうちから危機後の成長を見すえた対応が必要であると説き、フィンランドやスウェーデン、韓国などの例を引きながら、「危機後にも生産性を高め、競争力を強化するためには、研究開発や人的資本への投資を怠らない事が基本だ」と論じる。
いずれも正統的分析に基づく適切な指摘である。ホットな経済問題が出現すると、経済論議もまたホットになりがちだが、白書はクールな姿勢を貫いていて好感が持てる。
こうして見てくると、今年の白書は、来るべき政権に対して、経済政策のあるべき方向を伝えようとしているようにも思える。選挙の結果、どの政党が政権を担うにせよ、経済政策運営の責任を担うこととなる人は、この白書を熟読玩味し、経済政策の運営に誤りのないようにしてほしい。(隅田川)」(09/7/31日経新聞「大機小機」より)」

自分はこの記事を、新鮮に(?)読んだ。なぜかというと、“新聞は何でも批判する”と思い込んでいる自分が、珍しく官僚にエールを送っている記事を見つけたから・・・・
今回の衆議院選挙の各政党のマニフェストを見ても、世間迎合の姿勢は痛々しいくらい・・・。民主党の言っている「子供手当て」は中学生まで子供1人当たり26千円を支給すると言う。まあこれは、前に当blogで取り上げた「子ども1人に月10万円支給したら?」(ここ)という大和証券 清田会長氏の論と似ているが、高速道路無料化などは、まさに世論迎合だろう・・。
その点、この白書は経済政策の真髄を突いているらしいので“○”なのだろう。(言っておくが、自分はこの「白書(これ)」を読む気ナンテさらさらな~い・・)
でも人間は弱いもので、その立場になれば直ぐに「迎合」するのは世の常。「選挙」などはその代表例だ・・・。まあ選挙に落ちて「タダの人」になりたくないので、ただただ当選を目指すのは致し方ない??
まあ、うがった見方をすれば、この白書を書いた官僚は、逆に“弱い立場にない”ので正論を張れた・・、とも言える??
昔、こんな事を聞いた事がある。野党は、与党の言う事は「まずは反対」。それから理由を考える・・・。本当かどうかは知らないが、こんなスタンスは、“打たれても耐えられる施策”にブラッシュアップする事は出来るだろうが、反対のための反対だと、何とも不毛だ。
今度の選挙で、世間に迎合しない“真のリーダ”を期待したいところだが、サーテどうなるだろう・・・

(関連記事)
「子ども1人に月10万円支給したら?」~大和証券 清田会長の話

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2009年8月 3日 (月)

韓国TVドラマ「ホジュン」が終ってしまった

今日、BS11で放送中だった韓国TVドラマ「ホジュン~宮廷医官への道これ)」が終ってしまった。
前に「韓国ドラマ「ホジュン」が面白い・・(ここ)」という記事を書いてから3ヶ月弱。とうとう今日が最終回だった・・・・。

感想は・・・・?
やはりハッピーエンドで良かった。まあ最初から分かってはいたが、さんざん嫌がらせを受けた競争相手のユ・ドジが、担当の王子を死なせて牢獄に入れられ、医官の身分が消えかかったとき、ホジュンが王様の治療のチャンスをドジに与え、名誉の復活を遂げさせたが、それを機にドジが今まで自分が嫉妬心から嫌がらせをしてきた事を詫びるシーンがあったが、それなど、ハッピーエンドの冴えたるもの。
でも最後まで、ホジュンが自分の名誉のためではなく、宮廷の権力争いにも巻き込まれず、庶民の治療に力を注ぐ姿勢は、見ていてすがすがしかった。逆に、私利私欲に溺れて、政敵を陥れることばかり考えている奸臣の策略は、幾らドラマとはいえ、見ていて心が悪くなる・・・。でも結局は悪人がすべて淘汰されたので、まあ問題は無いのだが・・・・

そして最後のシーンは、昔の師匠の医院での庶民相手の医師に戻り活動するが、「疫病で庶民が飢えているのに、自分だけ食べられない」と、まさに自己犠牲の最期を迎えてしまう・・・・。その死の手には、しっかりと“鍼”が握られていた・・・・
そしてラストシーンでは、ホジュンに片想いをしていたイェジンが登場し、ホジュンの墓参りをする。その時の医女との会話でドラマは終るが、そのセリフが泣ける・・・

「内医女様 誰のお墓ですか?」
「私が一生胸に想い、尊敬している方よ」
「何をされた方ですか?」
「医員様よ。その方は、大地の中を流れる水のような方だった。太陽の下で名を誇って生きるのはさほど難しくない。難しいのは、誰にも気づかれず、乾いた人の心を潤すことよ。
あの方はそんな方だったわ。心の底から病人を愛する心医だった」
「内医女様、その方は内医女様を愛していたんですか?」
「それは・・・私にもわからないわ。私が死んで土に葬られ、流れる水となって出会ったら―― その時は―― その時は必ず尋ねてみるわ」・・・・・

・・・とまあ、ヒットするだけの事はあるな・・と思うドラマではあった。
このドラマでいつも気になったのは“鍼”。何かあると、すぐに脈をみて鍼を打つ。それで病人は息を吹き返す・・・。鍼を打つ場所は、腕だったり、唇だったり、指だったり・・・。
確かに化学合成の薬品が無かった頃は、薬草と鍼だけが頼りなのだが・・・

話は変わるが、実は自分も五十肩の治療で毎週(土)に鍼治療に通っている(ここ)。もう10回を超えたが、鍼は何とも不思議な世界・・・。痛い右肩だけでなく、うなじや足にも鍼を打つ。その鍼のお陰か、自分の五十肩もこの4~5日、随分良くなってきた。右手に力が入るようになってきた。「治るまでに少なくても半年」と言われてきたが、自分の場合はもう5ヶ月だが、もしかしたら、あと少しで治るかも・・・? これも鍼のお陰??
鍼屋さん(←鍼の先生の事を我が家ではこう呼ぶ)に、「韓国ドラマで鍼を打つシーンがあるが、打って直ぐに抜くが、しばらく置いておいた方が良いのか?」と聞いたら、中国・広州出身の鍼屋さんは、「あれは見せるためだから」とそっけない。
まあテレビドラマの鍼治療と、自分の鍼治療がダブったここ数ヶ月ではあった。

ともあれ、65回に亘る「ホジュン」が終ってしまった・・・。“見なければいけない”韓国歴史ドラマは、あと「商道(サンド)」を残すだけとなった。この再放送はいつ行われるか、良くウォッチしておけなければ・・・

ひとり言⇒「ホジュンが終わったので、自分の五十肩も一緒に終わってくれないかな~~」
「モシ モーシ! ホジュンが終わっちゃったよ~! 五十肩さん、聞いてるか~??」

(関連記事)
韓国ドラマ「ホジュン」が面白い・・
五十肩~初めての鍼(はり)治療

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2009年8月 2日 (日)

中村元の「阿弥陀経」(10/10)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第19回 極楽国土を欣求する-阿弥陀経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ4 大乗の教え(下)」(これ)を元に味わっていくもので今日はその第10回目、今は末世だが、阿弥陀仏を信仰すれば救われると説く。

<こころをよむ/仏典「阿弥陀経」~その10

しゃりほつ にょがこんじゃ しょうさんしょぶつ ふかしぎくどく ひしょぶッとう やくしょうせつが 
舎利弗 如我今者 称賛諸仏 不可思議功徳 彼諸仏等 亦称説我
ふかしぎくどく にさぜごん しゃかむにぶつ のういじんなん けうしじ 
不可思議功徳 而作是言 釈迦牟尼仏 能為甚難 希有之事

のうおしゃばこくど ごじょくあくせ こうじょくけんじょく ぼんのうじょく しゅじょうじょく みょうじょくちゅう 
能於娑婆国土 五濁悪世 劫濁見濁 煩悩濁 衆生濁 命濁中
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい いしょしゅじょう せつぜいっさいせけん なんしんしほう 
得阿耨多羅 三藐三菩提 為諸衆生 説是一切世間 難信之法
しゃりほつ とうちがお ごじょくあくせ ぎょうしなんじ とくあのくたら さんみゃくさんぼだい 
舎利弗 当知我於 五濁悪世 行此難事 得阿耨多羅 三藐三菩提

いいっさいせけん せつしなんしんしほう ぜいじんなん ぶっせつしきょうい しゃりほつ 
為一切世間 説之難信之法 是為甚難 仏説此経已 舎利弗
ぎっしょびく いっさいせけん てんにんあしゅらとう もんぶっしょせつ かんぎしんじゅ さらいにこ 
及諸比丘 一切世間 天人阿修羅等 聞仏所説 歓喜信受 作礼而去
ぶっせつあみだきょう 
仏説阿弥陀経


「この経の最後に、いまの世の中はもう末世だということが述べられます。

「舎利弗よ、われ、いま諸仏の不可思議の功徳を称賛するごとく、かの諸仏らも、また、我が不可思議の功徳を称説(しょうせつ)して、この言(ごん)をなす、『釈迦牟尼仏よ、よく甚難(じんなん)・希有(けう)の事をなしたまえり。[すなわち]よく、娑婆国土の、五濁悪世(ごじょくあくせ)の劫濁(こうじょく)、見(けん)濁、煩悩濁、衆生濁、命(みょう)濁の中において、阿耨多羅三藐三菩提をえて、もろもろの衆生のために、この一切世間に難信(なんしん)の法を説きたまえり』と。
舎利弗よ、まさに知るべし。われ、五濁悪世において、この難事(なんじ)を行じ、阿耨多羅三藐三菩提をえて、一切世間のために、この難信の法を説けり。これを甚難[の事]とす。」
仏、この経を説きおわるや、舎利弗およびもろもろの比丘(びく)、一切の世間の天・人・阿修羅等、仏の説きたまいしところを聞きて、歓喜信受(かんきしんじゅ)して、礼をなして去りぬ。

五つの濁りとは、末世に生ずる避けがたい五つのけがれです。「劫濁(こうじょく)」は時代のけがれで、天災や戦争など社会悪です。「見濁(けんじょく)」は思想のけがれで、邪(よこ)しまな見解や教えが横行すること。「煩悩濁(ぼんのうじょく)」は精神的悪徳がはびこること。「衆生濁(しゅじゅうじょく)」は人間の心身がともに弱くなり、低下すること。「命濁(みょうじょく)」は人間の寿命が短くなることです。いまはこういう末世である。けれども、この末世においても阿弥陀仏を信仰するならば救っていただける、こういう教えを説かれたわけです。
また、ここに「難信(なんしん)の法」とありますが、これは念仏の教えをさしています。心がけがれ、疑いに覆われた衆生にとって、名号を信じしめ、称えしめんとする阿弥陀仏の他力廻向(たりきえこう)の法門は信じがたきものだというのです。
こうして、仏さまがこの経を説きおわられた。シャーリプトラをはじめ、そこにいたもろもろの人々、神々、神霊は、ああ、いい教えをうかがった、ありがたいことだと思って喜んで、礼をなして去った、と結ばれます。


前回(9/10)と今回(10/10)の間には、省略され部分がある。前回は「東方世界の仏たち」が阿弥陀仏の徳を讃えていたが、この後に、「南方」「西方」「北方」「下方」「上方」の順で、それらの世界の仏たちが登場し、全く同じ文言で阿弥陀仏の功徳を賞賛し、この回に進む。

今回で何とかゴールにたどり着いたわけだが、やはりお経は難しい。まさに時代を超えた哲学なので、サラッと読んで分かるような代物ではない。
自分もこれを機に、何度か、何冊か読んで、死ぬまでにその真髄に少しでも近付けたらありがたいと思う。

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2009年8月 1日 (土)

昭和29年の出来事(7歳)~伊藤久男の「ブラジルの太鼓」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの8回目。
自分が6歳から7歳になる昭和29年(1954年)の出来事を調べてみると、色々と大きな事件があったらしい。
090801s29 3月1日、太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、付近で操業中のマグロ漁船第五福竜丸が被曝。
7月1日には防衛2法が施行され、保安隊が陸上自衛隊に、警備隊が海上自衛隊に、そして航空自衛隊が新設され、防衛庁が設置された。
9月26日には、青函連絡船「洞爺丸」が乗客・乗組員1227人を乗せて函館を出航したが、高波を受けて座礁、沈没。生存者はわずか177人、死者・行方不明は1155人にも達した。(写真はクリックで拡大)

この年の映画は「二十四の瞳」や「七人の侍」が封切られ、かの「ローマの休日」も公開された。
歌では、岡本敦郎の「高原列車は行く」や春日八郎の「お富さん」などがヒット。この年の伊藤久男は、たくさんのヒット曲がある。映画「君の名は」の挿入歌の「数寄屋橋エレジー」「忘れ得ぬ人(これ)」をはじめ、「「サロマ湖の歌(これ)」もこの年だ。
今日は、この年の2月に発売になった「ブラジルの太鼓」を聞いてみよう。

<伊藤久男の「ブラジルの太鼓」>

「ブラジルの太鼓」
  作詞:石本美由起
  作曲:上原げんと
 
1)棕梠の葉陰に 洩れる太鼓は
 低い調子で
 ボンボボンボン ボコボコボン
 高い調子で
 トロントロントン トロロロロン
 若いこころの ときめきよ
 ああカーニバル ブラジルの夜
 叩く太鼓の 妖しい音に
 惹かれて踊る 村娘
 リクラー リクラー

2)空にこだまし 弾む太鼓は
 低い調子で
 ボンボボンボン ボコボコボン
 高い調子で
 トロントロントン トロロロロン
 燃えて火となる 恋の血よ
 ああ情熱の ブラジルの夜
 生命ふたつを 一つに抱いて
 踊れば濡れる くちびるよ
 リクラー リクラー
 
3)狂うリズムを きざむ太鼓は
 低い調子で
 ボンボボンボン ボコボコボン
 高い調子で
 トロントロントン トロロロロン
 恋のオウムも 森で啼く
 ああミモザ咲く ブラジルの夜
 囃すバイヨン 果てない宴
 炎の酒に 燃える夢
 リクラー リクラー

ステレオ再録盤でも聞いてみよう。
<伊藤久男の「ブラジルの太鼓」ステレオ盤>

昭和29年のこの年に自分は小学校に入った。この頃から少しずつ思い出す事が多くなる。
小学校といえば、ご多分に漏れずランドセルの思い出・・。古今東西、なぜランドセルが子供心を捉えるか分からないが、小学校入学はやはり人生の大きなイベント。
自分のランドセルは、もらい物だという茶色のうすべったい形をしていた。黒い大きなランドセルが欲しかったが、“勝負あり”でこのランドセルで小学校に行った。(不満だったが・・・)
そのせいかどうかは分からないが、ウチの長男・次男が小学校にあがるとき、お袋からそれぞれ高級なランドセルを贈ってもらった。特に長男の時は馬の皮製の最高級のランドセル。次男の時は“普通の高級品”。(まあいつでも「次男」はこんなものさ・・←自分も次男だけど・・)

小学校の入学式もかすかに覚えている。初めて教室で座った時の不安・・・。昇降口の風景・・・。そして、先生はベテランの女の先生だった。
まさに今は夏休みの最中だが、1年生の時だったかどうかは忘れたが、夏休みになると朝のラジオ体操があり、毎朝早起きをして出席のスタンプを貰いに会場に行った。家に帰ると、庭の朝顔を見ているお袋の姿がなぜか目に浮かぶ・・・。そこに親父の姿はない・・。
そして昼になると、図書館に本を借りに行った。夏休みに何冊借りるかが競争だった。でもこれは1年生のときではなかった、と思う。3年生か、4年生か・・・?

ふと当時の通信簿を見てみた。体重20K、身長113cmとある。そして「慢性結膜炎」と「回虫」と書いてある。この時代はそんな時代だった。結膜炎では友人と一緒に近くの日赤大宮病院に通ったことを覚えている。結膜炎の手術の時、麻酔の目薬をするのだが、右と左が分からず、手術をするのと違う方の目を麻酔した事があったが、一年生の時だったらしい。
そして、初めて貰った1年生1学期の通信簿には、担任の先生のこんな所見が書いてある。
「無邪気で明るい態度で学習して居ります。交友も円満です。ノートの使い方はもう少し気をつけてよくしていきたいと思います」。
内向的だとばかり思っていた自分の子供時代。小学校に入った当時は、まだ“大丈夫”だったのだ! しかし、字がキタナイことで有名だった自分は、何と小学校1年生の最初からそうだったのだと、改めて認識・・。結局、人生の初めからオワリまで、字がキタナイことで終りそうだな・・・・・。

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