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2009年5月 3日 (日)

「平安の祈り」

「平安の祈り」
神様 私にお与えください。
変えられないものを 受け入れる落ち着きを、
変えられるものは 変えてゆく勇気を、
そして二つのものを 見分ける賢さを。

THE SERENITY PRAYER
God grant me the serenity to accept
the things I cannot change,
courage to change the things I can,
and wisdom to know the difference.

「今日は残された私の人生の最初の日である」

これはNHKラジオ深夜便「精神科医として、作家としての日々(2)精神科医・作家 箒木蓬生」(2009/4/20放送)で紹介されたもの。
箒木さんは精神科医としてクリニックを開業しているが、昨年、急性骨髄性白血病を発病する・・・。(2008/10/27退院)
緊急入院して、半年間入院生活をすることになったが、その時に「精神科診療所の開業医が病気入院になったとき」という論文を書いた。この中で医師が患者になって、どう意識が変わるかも書いた。自分も意識は変った。・・・・
10年位前から週一回、ギャンブル依存症の自助グループに行っているが、会の最後に必ず唱える言葉がある。これはアルコール依存症でも末期患者さんでも、全ての自助グループで言われている言葉で「セレニティ・プレイヤー(平安の祈り)」という。
「神様 私にお与えください。変えられないものを 受け入れる落ち着きを、変えられるものは 変えてゆく勇気を、そして二つのものを 見分ける賢さを」
例えば末期がん患者では、自分はいずれ死ぬが、それを受け入れる落ち着きは必要。でも死が来るまではなるべく明るく生きて行こう。これは変えられるわけなので・・。
今まで人ごとだったが、自分が白血病になって、白血病は変えられないので受け入れる落ち着きを持つしかない。しかし白血病になったからといって打ちひしがれているのとそうでないのとでは大きな違いがあるので、それは変えられるので打ちひしがれないで明るく元気にやって行こうと・・・。これは身に沁みた言葉になった。
・・・・
それから患者さんに対しても、症状があるまま生きて行くのも良いのでは・・と、患者さんの訴えをゆったりと聞いていられる自分になったと思う。
・・・・・・
先の「平安の祈り」も、今まで聞き流していたが、胸に来るな、と思った。もう一つ英語の格言で「今日は残された私の人生の最初の日である」というのがある。毎日毎日が残された人生の最初の日だと思うと、毎日を一生懸命生きなければいけないし、無駄にはできない。新しい意味を持って迫ってくる。これはがん患者でなくても、どなたにでも真実だ。・・・」

言葉というものは奥が深い。先の言葉も、長いあいだ言い継がれているだけに、深く頷いてしまう。Netで見てみると「平安の祈り」は、「ニーバーの祈り」(ここ)として1943年夏にマサチューセッツ州の教会において、アメリカの神学者ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr1892-1971)が唱えたものとされているが、原典には諸説あり、その大意はイタリアの哲学者ボエティウス(Boethius 480?-524)の「哲学の慰め」に遡るという説があるとのこと。
また「神」とは必ずしもキリストではなく、自分の心にある神さまで良いとのこと。

「今日は残された私の人生の最初の日である」という言葉も重い。
これはいつでも通用する。平々凡々の一日でも、サラリーマンを定年退職するときでも、何かのきっかけでこの言葉を思い浮かべるとき、ハッとする。
自分も人生の転機のときにこの言葉を思い出して、決して「惰性」の人生だけは送らないようにしたいものだが・・・・


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