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2009年5月の24件の記事

2009年5月30日 (土)

手仕事屋きち兵衛の「ねがい星」~6/26多摩でコンサート!

“みらい人”さんのご尽力で、手仕事屋きち兵衛さんのコンサートが、東京・多摩で実現する運びになったとか・・・。
090530tesigotoyatama 時は2009年6月26日18:30~ 、所は、東京都あきる野市野辺583-4「ベーカリーカフェ みらい人(ここ)」(電話・FAX042-550-6171)。案内のPFDは(ここ)。(←みらい人さんの許可により転載) ←6/4現在満席との事
曲目は「安曇野」「わすれ雪」「風の桜衣(はなごろも)」「命連綿(いのちれんめん)」ほか、とある。(なんだか当blogで取り上げている曲と似ているな・・・・)

みらい人さんは、当サイトできち兵衛さんの魅力に取り憑かれ、玉之湯さんに行ったときに、きち兵衛さんに多摩でのコンサートをお願いしたとの事。(詳細はここを参照)
縁とは不思議なもの・・・。当サイトとしても大変に嬉しいことである。

ところで、自分がきち兵衛さんを知ったのは、“「わすれ雪」を聞け!”と、「詩紬(うたつむぎ)」というCD(これ)を知人から借りた時だったが、このCDを聞いて「わすれ雪」と一緒に、最初に好きになったのがこの「ねがい星」という歌だった。
軽快なリズムの明るい曲である。

<手仕事屋きち兵衛の「ねがい星」>

「ねがい星」
  作詞:手仕事屋きち兵衛
  作曲:手仕事屋きち兵衛

キラキラ光るあの星に
願いをかけてみましょうか
私の胸の中に ひとつだけ在ることは
あなたの優しいお嫁さんになることよ
キラキラ光るあの星に
願いをかけてみましょうか

ソヨソヨ吹いてるあの風に
手紙をたくしてみましょうか
言いたい だけど言えない 好きですの一言を
私のかわりにささやいてくれるかしら
ソヨソヨ吹いてるあの風に
手紙をたくしてみましょうか

サラサラ流れるあの川に
私を流してみましょうか
もしも あなたと結ばれる
運命(さだめ)ができているのなら
あなたは優しく つかまえてくれるでしょう
サラサラ流れるあの川に
私を流してみましょうか

心コロコロ転がって
あなたのところへ 飛んでゆく
私の想いは フンワリフラフラ 紙風船
ユラユラゆれて ねがい星
も一度かけてみましょうか

ところで、手仕事屋きち兵衛さんのキャッチフレーズは「吟遊詩人」。
これを広辞苑で引くと、“【吟遊詩人】中世ヨーロッパの抒情詩人の一派で、各地を旅行し、自作の詩を吟誦・朗読した者。”とある。
先の通り、その“吟遊詩人”が6月末に多摩に来られる。きち兵衛さんの多摩でのコンサートで、何を語り、何を歌い、何を残してくれるのか、今から楽しみではある。

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2009年5月29日 (金)

映画「ポチの告白」を観て

映画「ポチの告白」を観た(これ)。まず、ここまで勇気ある告発をされた製作者に敬意を表したい。逆に、国民が一般的に知らない闇の世界をここまで表現できる日本という国は、別の意味で評価できるのかも・・・

この映画は、カミさんの友達からの口コミで知った。カミさんと二人で行こうとして、2回もドタキャンの末、5月末で東京では見られなくなってしまうため、午後“この道のプロ?”を強引に誘って観てきた。
非常にマイナーな映画らしく、今の時期の上映は、東京では渋谷の一館だけだった。

090529poti ウーン・・・。この映画について、どう論じようか・・・・。まず3時間15分という長い映画だが、その長さを感じさせない、という点で、エンターテイメントとしてはOK。しかし、あるイデオロギーに基づいて作られた映画であり、一般の映画館では上映されないことも分かる気がする。そのイデオロギーとは「警察とマスコミの癒着・腐敗、及び検察・裁判所まで巻き込む癒着の告発」か?
この映画は、「日本の警察をひとことで言うと、日本最大の暴力団ということになります」というセリフを代表に、製作者の意図を素直にセリフで言わせている。その点で、最初からマイナーな映画であることを覚悟した映画かも? パトカーの中での“国家権力”を楽しむ警官の会話。麻薬マフィアとの癒着・ワイロ・・・。そして(西松事件ではないが)警察の手柄のPR。そして出世にからむ派閥・・・・。どれも、当事者が笑って許せるような内容ではない・・・

一緒に観た人の話によると、これらのエピソード(事件)は、前にどこかで実際にあった事件らしく、このストーリーはそれらの事件を組み合わされたものではないか・・?と言う。
実直なノンキャリアの警官が、派閥に取り込まれ、警察の負の部分に染まって、やがて警察組織を守るために命まで・・・・。まあ汚職ドラマなどで、組織防衛のために良く聞くテーマではあるが・・・。

この映画は、同じようにタイでの幼児売買春を告発した映画」(ここ)と比較されて論じられたりしている(ここ)。
事前のサイトでの情報で“最後の6分で・・・”とあったので、「闇の子供たち」と同じように、何のどんでん返しがあるのか・・・と楽しみに観ていたが・・・・。まあ、腐敗の警察組織を告発しているので、普通のドラマのような逆転劇などあり得ないのだろう。

まあ本来は、このような内容の映画があっても、「事実無根だから・・」とマスコミが笑い飛ばし(←本当は現実なのだろうが)、当事者たちが「なかなか良く出来た“娯楽映画”だね~」ナンテ、うそぶける世の中だと、本当は良いのだろうが・・・。
でも現実は、ここに描かれていることにリアリティがあるので、上映の機会が少ないのかも・・・?

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2009年5月28日 (木)

川畠成道氏の心に滲みるバイオリンの音・・・

いやはや「心に滲み込む音」というものはあるものだ。
NHKラジオ深夜便「人生私流 病をこえた魂の音色 バイオリニスト 川畠成道(37)」(2009/5/23放送)を聞いた。まったく知らなかったが、かなり有名なバイオリニストらしい。(だいたい最近の演奏家はほとんど知らないが・・・)

8歳の時、祖父母にアメリカのディズニーランドに連れて行ってもらったとき、風邪をひいて、その時に飲んだかぜ薬で生存率5%というスティーブンス・ジョンソン症候群という重症のアレルギーになり、生死をさ迷った挙句に失明したという。(この病気については、前に(ここ)で書いた事がある)

その後、川畠さんはバイオリン教師であった父親の指導で10歳からバイオリンを勉強し始め、3年後の中学3年の時にアイザック・スターンに認められてから本格的に勉強を開始。高校から桐朋学園に入学して江藤俊哉に師事。その後、英国王立音楽院に留学、同大学院を首席で卒業したという。
やはり「蛙の子は蛙」だな・・と、何となく聞いていたが、(演奏会で必ず演奏するという)グノーのアヴェ・マリアの音が流れた時、ハッとした。このショックは、前に、サラ・チャンのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いた時(これ)と似ている。

ラジオがAM放送なので音は悪いが、少し聴いてみよう・・。もちろんモノラルである。

<川畠成道のグノーの「アヴェ・マリア」>

この心に滲みて来る演奏は何だろう・・・。
なるほど。番組のタイトルが「病をこえた魂の音色」というだけのことはある・・・。

川畠さんがこの話の中で、「江藤俊哉さんから(高校・大学の7年間指導を頂いたが)、高校2年の時、“バイオリンを上手に弾ける人はバイオリニスト。それに音楽的な表情・表現を加えて演奏できる人は音楽家。それに更に自分の魂を吹き込んで、魂を込めて演奏できる人、それが芸術家である。だから我々は芸術家を目指さなければいけない”と言われた」と言っていた。
この言葉は重たい。なるほど・・・・

当たり前の事だが、人類の共通語である音楽。それは人種を超え、時代を超えて心に届くもの。しかしそれを実現出来る人は数少ない。
目が不自由な音楽家では、梯剛之というピアニスト(これ)が有名だが、川畠さんの音は、眼が不自由だから出る音ではない。そんな事とは関係のない“音楽”である。
(この話とは関係ないが、梯剛之さんは、ウチの息子と同じ保育園卒であり、たまたま卒園式で撮ったビデオに、先生に手を引かれて卒園証書を受け取る梯さんの姿や、歌の伴奏をしている梯さんの姿が映っていたっけ・・。まさかあの子供が・・・(失礼!))

これを機に、Netで見ると川畠さんのDVDが出ているのが分かったのでつい注文してしまった。期間限定版なので手に入るかどうか分からないが、これを機に、川畠成道さんについて少し勉強してみようかな・・・と思った。

●メモ:カウント~43万

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2009年5月25日 (月)

昭和27年の出来事(5歳)~伊藤久男の「あざみの歌」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの6回目。
自分が4歳から5歳になる昭和27年(1952年)の出来事を調べてみると、4月9日に日航機090525s27 「もく星号」が大島三原山に墜落し37名全員が死亡。(写真はクリックで拡大)
4月10日からNHKでラジオドラマ「君の名は」が放送開始(~1954年4月8日)。4月28日に対日講和条約・日米安全保障条約が発効し、GHQ廃止。5月19日に白井義男がボクシング世界フライ級で日本人初の世界チャンピオンに。
そして、昭和27年の12月20日にNHKでラジオ第一放送と第二放送の2波による立体放送が開始されたという。ステレオ時代の幕開きである。この話は、ちょうどラジオ深夜便「ミッドナイトトーク・ラジオと私・作家 山本一力」(2009/5/5放送)で、文化放送とニッポン放送による(ラジオ2台で2電波放送を受信する方式の)ステレオ放送について、懐かしい話をしていた。自分も昔聞いた事がある。片耳は真空管式のラジオのスピーカの音、もう一方の耳は鉱石ラジオのイヤホンの音。それでも広がりが分かり、驚異だった。自分がそれを聞いたのは、昭和30年の中頃、小学校6年生または中学生の頃だったか・・・

昭和27年発売の歌というと、8月発売の伊藤久男の「山のけむり」位しか浮かばない。でも、この歌は既に論じたので(ここ)、同じような歌である「あざみの歌」を今日は取り上げたい。(この歌は前年の昭和26年発売である)

<伊藤久男の「あざみの歌」>

「あざみの歌」
  作詞:横井 弘
  作曲:八洲秀章

山には山の 愁いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲きしあざみの 花ならば

高嶺の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い

いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの経(みち)は はてなくも

香れよせめて わが胸に

Azami ところで、「あざみ」とはこんな花だという事を改めて認識した。この花は見たことがあるような無いような・・・・。(しかし子供の頃から、この歌を通して良く知っている“あざみ”だが、花をしげしげと見たのは今回が初めて??)

Image02791 前に「毬藻の歌」について書いたとき(これ)、下山光雄著「さくら貝の歌~八洲秀章の生涯」という本があることを知った(ここ)。手に入れて読んでみようかと思っていたがそのままになってしまった。
ふと思い出したので、先週、真狩村役場に電話してこの本を頼んでしまった。そして昨日着いたのがこの本。かなり分厚い本格的な本だ。これから読むが、八洲秀章の出身地である北海道真狩村と同じ出身の下山光雄氏が詳細な取材をされて記録したもの。
それによると、「あざみの歌」について、作詞をした横井弘が次のような寄稿をしている。

「出逢い」横井弘(寄稿)
「あなたが“あざみの歌”の詞を書いた横井弘さんですか」
昭和24年春のある日、30代の紳士から声をかけられた。場所は日本音楽著作権協会の一室である。満面に笑みを湛えたその人が八洲秀章先生だった。
「あの詞に曲を付けたので、NHKのラジオ歌謡にしたいと思うのですが、どうでしょう」
私は思いがけない話にただ驚くばかり。何故かと言えば、「あざみの歌」は、昭和20年終戦直後、長野県下諏訪で作詞をし、翌21年キングレコードで1ヶ月ほどアルバイトをした時に女性社員に見せただけで、そのままになっていた作品だからである。

Image02802 「よろしくお願いします」の一言で、八洲先生の叙情豊かな名曲がNHKの電波に乗って全国に流れた。先生の希望で、作曲者自身の独唱だった。温和なうちに激しい情熱を秘めたお人柄そのもののような曲調や歌唱で、リクエストが多数寄せられ、昭和26年には伊藤久男さんの歌でコロムビアからレコードが発売され、大好評を博した。
先輩にもかかわらず、少しもそのような素振りは見せず、いつもにこやかに温かく丁寧に接して下さった先生には頭がさがる思いである。
その後専属となったレコード会社が違うこともあって余りお目にかかる機会もなく、ご一緒に仕事をしたり、飲んだり出来なかったことが残念でならない。それだけに、多くの方々に愛されて今も歌い継がれている「あざみの歌」は、私にとって感慨深い一曲である。」(下山光雄著「さくら貝の歌~八洲秀章の生涯」p168より)

そして作曲者の八洲秀章は「あざみの歌」について次のように語っている。
「棘(とげ)持つ花、それは美しきが故に自分を守る。手折ってはいけない花だ。紅(くれない)ひとすじに燃えて咲く、あざみは棘もつ花。しかし、それは貞操固き処女のように、それ故にこそ一入に魅力的なのである。
あざみは、野生のたくましさと清らかさ、そして、情熱と哀愁とを秘めて咲く、乙女の花だ。雑草の中に紅い燃ゆるその姿の美しさ、あでやかさは、一際に風情がある。・・・」(同じくP170から。「うたごえ」3号 昭和38年7月20日発行)

この本については、読んでからまたコメントしたい。
しかしこの本は、数少ない書店でしか手に入らないマイナーな本だが、出身地の人が、“おらが村の大スター・八洲秀章”を村と一緒になって本にまとめるという業績は立派。この一冊の本によって、八洲秀章という人の人生が固定化され、改めて永遠の命が与えられるような気がする。
それと、いつの日か八洲秀章が歌った「あざみの歌」を聞いてみたいもの・・・・。

話は戻るが、この年に自分は5歳になったわけだが、唯一記憶があるのがこの年に弟が生まれた時のこと。自宅で産婆さんが来てお産が始まった。良く分からないまま、別室で待っていると、オギャーという声が聞こえ、しばらくして、誰かが「弟よ」といって赤ちゃんを見せに来た。その場面だけは今でも良く覚えている。しかし、父の姿は覚えが無いので、その場に居なかったのだと思う。
でもやっと、本シリーズも思い出話が出来るトシになってきた。

最後に、伊藤久男の再録盤も聞いてみよう。

<伊藤久男の「あざみの歌」ステレオ再録盤>~昭和43年録音

(関連記事)
八洲秀章の「毬藻の歌」

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2009年5月24日 (日)

ウィーン・フィルのコンサートマスターに女性?

昨日の朝日新聞夕刊に「名門の花形に初の女性」と題して、ウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに女性が就任するという話題が載っていた。曰く・・・

「名門の花形に初の女性
世界的指揮者の小沢征爾さんが音楽監督を務めるウィーン国立歌劇場に新風が吹いている。かつて「メンバーは地元出身の男性」の不文律があり、保守的で排他的と見られていた同歌劇場管弦楽団に昨年、初の女性コンサートマスターが誕生、今シーズンから活躍している。
Image02781 ブルガリアの首都ソフィア出身のアルベナ・ダナイローバさん(33)。昨年のコンマス試験には6人が挑戦、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の有力メンバーらを抑えて選ばれた。
父の影響で5歳でバイオリンを始めた。ドイツで学び01年、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場管弦楽団メンバー、06年同管弦楽団コンマスと順調に経験を積んだ。
「ウィーン・フィルは夢だった」と言う。今年元旦、そのニューイヤーコンサートの舞台に立った。ベテランのコンマスの隣だったが、「のびのびと演奏できた」。
2年の試用期間を乗り切れば、同歌劇場管弦楽団とほぼ同じメンバーで構成される同フィル初の女性コンマスになる。「いつも自分の演奏をするだけ」と気負いはない。
来年秋にはど、同歌劇場は新体制になる。小澤さんの後任の音楽監督には、地元出身の指揮者フランツ・ヴェルザーメストさんが就任するが、総監督とバレエ監督はフランス人となる。伝統を重んじる「音楽の都」にも、新しい動きがかいま見える。(関本誠)」(2009/5/23朝日新聞夕刊p10より)

これは知る人ぞ知る“大事件”なのである。かのウィーン・フィルに女性がいること自体が事件なのに、こともあろうに、コンサートマスターがブルガリア出身の女性とは・・・・
決して女性を差別しているのではない。“伝統”なのである。楽器は楽団所有のものを使い、音を守る。そして楽員はウィーン出身の男性。もちろんチケットは世襲のため一般ではなかなか手に入らないという伝統の塊。それが・・・

世の中は時代と共に変わって行く。これは当然。しかしクラシック音楽の世界は、200年前とそう変らない。同じ楽譜で、同じ楽器で演奏する。もちろん200年前の録音は無いが、あのベートーベンの第九の初演でも、その会場にいた人は、ナマの音を聞いたわけで、想像するだけで楽しい。

話は飛ぶが、仏教などの宗教の世界も1000年の単位で、昔と変らない。それは人の“こころ”を扱うからだろうか? 確かに、考える対象・問題は時代とともに変っても、それを考える人間の心の動きはそう変わるものではない。同様に、音楽を聴く人の心もそうそう変わるものではない。

何か“変らなければ悪・・・”という風潮も感じられる昨今だが、“変らないことが価値”という世界も存在するような気がする。
今回のウィーン・フィルの動きも、事の良し悪しは別にして、何か“伝統の重み”がまたひとつ失われたようで寂しい気もする。
ともあれ、これが“単に時代に引きずられた結果”ではなく、後世に評価される結果が出ることを祈りたいものだ。

(関連記事)
ウィーン・フィルに女性が居た
ウィーン楽友協会大ホールに行った

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2009年5月23日 (土)

五十肩~初めての鍼(はり)治療

今日、初めて鍼(ハリ)の治療を体験した。
五十肩になってもう2ヶ月以上経つ(ここ)。どうもかんばしくない。色々な人に聞くと、総じて“何をやってもダメ” “時間が経たないとダメ”・・・。よって、医者にも行かず放置している。
先日、行きつけの漢方医に「五十肩に効く漢方は無い?」と聞くと、鍼と貼り薬くらいしかないという。そして、このクリニックでも土曜日の午前中に鍼の治療をやっているというので予約を取ってみた。それで、今日初めて鍼治療を体験したというわけ。

“鍼屋さん”は若い女医さん。まだ30にもなっていない感じ。日本語が大変にうまいが、このクリニックの女医さんと同じ中国の人のようだ。その鍼屋さんが言うには、治療は早いほど良いという。自分の場合はスタートが遅いようだ。
右肩に鍼を打つ。緊張したが、そう痛くは無い。チクリとする場合もあったが、トンと打つ。首の後ろを含めて10本以上打ったという。(怖いので見なかったが・・)本当は、背中にも打つのだが、うつ伏せだと右肩が痛いと言ったので、今回は左を下にして横になったため、右肩だけ。それからワニ口クリップで電極を取り付け、パルスを送る。それに反応して筋肉がピクンピクンと動く。赤外線ランプで肩を温めながら、それを20分位続ける。時間が経つと、段々と肩が辛くなってきたが、何とか終わった。

鍼屋さんが言った事をメモしてみると、五十肩は鍼治療しか効果が無い(←鍼屋さんだから仕方が無いか・・・・)。注射もあるが、これは肩の神経をブロックするので、その時は痛みが無くなるが、薬が切れるともっと痛くなる。血流を良くするため、暖めると良い。肩の前後にホカロンで暖めるのも良い。「風呂に入ると良いのだが?」と言うと、体から水分が出るので、長続きしないという。(←もっと細かく言っていたが忘れた) また季節的に今で良かったという。冬だと肩が冷えてもっと酷いらしい。よって寝る時も必ず長袖を着て肩を冷やさない・・・。それに水分を取れという。冷えた水でなく温かい水分。それで血流を良くするのだという。そして生ものを食べるのを避けよ。(←この理由は聞かなかった) それに無理に肩を動かさないこと・・・・。

“鍼はなぜ効くのか?”と聞くと、経絡・ツボ・筋肉への刺激で・・・(←何だっけ?今度、また聞いて来るね!)
“鍼でどの位効果があるのか?”と聞くと、人によって、また部位によって様々。でも7回くらいは続けるのだという。三叉神経などは7日間毎日やると治るという。でもこのクリニックは土曜午後のみなので仕方が無い。たまたま隣のベッドのご婦人は、同じ五十肩で、痛くて眠れなく、手が尻にも行かなかったが、今では背中の中央位まで動かせるようになったと言っていた。(まあ鍼の効果か時間かは分からないが・・・)
とにかく治療しないと、痛みが無くなっても、肩に砂を入れたようになって動かせる範囲が狭くなるのだという。
それと、五十肩は突然なるのではなく、予兆があってだんだんと発症するらしい。確かに、自分も“今回のは・・・”という認識だった。

“肩も凝っているようなので、次回はうつ伏せになって背中全体に打ちましょう”と言っていたが、さてさて・・・。効果? まだまだ一回目なので何とも・・・
もちろん保険がきかないが、1回3150円は高いのか安いのか分からない。でも全体で40分位の時間をとるので、こんなものだろうと思う。さてどの位で効果が出てくるか・・?
(Wikipediaによると“五十肩は、健康保険で鍼治療が受けられる6つの疾患の一つである”とある(ここ)。これは“鍼治療は効果がある”という証かな??)

まあ、“何をしてもダメ”と言うのが経験者に聞いた話だが、とにかく体験者は多い。“酒の肴”に話をすると、ほとんどの人が“自分もなった・・”と言う。Netでみると発症する割合は全人口の2~5%位というが、どうも半分くらいの人は五十肩の経験をしているような気がする。

まあ自分の場合、痛くて眠れないほどでは無いし、日常生活に困るほどでもないが、まあ少し鍼を試してみようか・・・といったところである。
(なお、この記事は自分のための備忘録である)

(関連記事)
今回の「五十肩」は手ごわい・・・

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2009年5月22日 (金)

ミャンマーの圧政~世界の国々の現状

新聞は、サッと見た後で、“気になる記事”が頭に残ることがある。しかし、一旦閉じた新聞記事を、後で見付ける事は極めて難しい。
この1週間、ずっと気になっていた記事があった。“確か日曜日の記事だった・・・”と、昨夜フト古新聞をあさったら、運良く見つかった。その記事がこれである・・。
先週の日曜日の朝日新聞。「私の視点」というコラムで、ミャンマーの軍事政権について論じたものである。曰く・・・

ミャンマー 総選挙強行は解決にならぬ
  国民民主連盟(NLD)中央執行委員
  ジャーナリスト    ウィン・ティン
『選挙が即民主主義を意味するわけではない』『恣意的拘束や汚職といった問題も選挙で解決を図れるかは分からない』(オバマ大統領)
選挙は民主主義を意味しない。これは、私の祖国ビルマ(ミャンマー)では全くの真実だ。
40年以上も国民が軍事政権の弾圧に苦しみ、今は来年に予定されている総選挙という大問題に直面している。実施されれば恒常的な軍事独裁体制が法制化されてしまう。
62年までは、国民が選挙で代表を選べた。一党支配下の74年から88年にも選挙はあったが、ネ・ウィン将軍が選んだ候補者に対抗する者はいなかった。だが、26年続いたネ・ウィン体制は88年の民主化蜂起で崩壊。デモには数百万人が参加し、多党制民主主義を求めた。
今の軍政はデモを武力で封じ込めた後、多党制の総選挙による文民への政権移譲を約束したが、90年にアウン・サン・スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が8割以上の議席を得たのに結果を認めず、当選議員や党幹部を逮捕した。
軍政は各政党に憲法制定会議(国民会議)への参加も強要。自由な議論を制限し、軍が国政に主導的役割を持つとの新憲法の原則への賛成を求めた。NLDは会議をボイコットし、問題解決のため軍政に対話に応じるよう求めた。
だが、国民会議は07年に終了し、軍政任命の委員会が憲法草案を作成。08年5月、軍政はサイクロン襲来直後の混乱の中で国民投票を強行し、憲法を承認させた。そして10年に「自由で公正」な総選挙をするという。
AFP通信によれば、中曽根外相と国連のガンバリ事務総長特別顧問は「総選挙が国際社会に祝福されるものとなるようミャンマー政府に働きかけることで一致」した。実施を望み、NLDや民族政党にも参加してほしいようだ。
だが、スー・チー氏を含む2100人以上の政治囚を釈放し、政治に自由に参加できるようにしなければならない。憲法も軍、NLD、民族代表による見直しが必要だ。選挙はこれらが満たされて初めて実施されるべきだ。
新憲法は軍が行政・司法・立法の三権を支配し、諸民族を多数派のビルマ民族に従属させる内容で、基本的人権や民主主義を保障するものではない。総選挙を強行すれば結果として軍政による不正義や残虐行為が続き、人々の抵抗は激化するだろう。
国際社会は総選挙を支持する前に、国民和解に向けた対話をするように軍政に最大限の圧力をかけてほしい。

89年から19年間政治囚として獄中で過ごした。(14日にスー・チー氏が軍政に刑事訴追される前の寄稿)」(~2009/5/17付け朝日新聞p9より)

この寄稿で、ウィン・ティン氏はミャンマーの現状について、切々と訴えている。しかも、この寄稿の7割が現状説明である。良く読むとWikipediaにも載っているような・・・
これは我々日本人に対して、ここまで説明しなければ言いたい事が伝わらないという現状を示しているのかも・・・。自慢ではないが(?)、現に自分がそうだ・・・・

自分が学生だった頃、“ビルマ”“ラングーン”であり、いつの間にか“ミャンマー”“ヤンゴン”に変わった。それは1989年らしい・・・。
スーチーさんの名は良く聞く。しかし、大体の背景は分かっていたツモリだったが、良く読むと時代的な背景等は意外と知らない。
前に「闇の子供たち」(これ)という映画を見て、タイの現状を垣間見た。しかし、ミャンマーは、軍が行政・司法・立法の三権を支配する憲法を制定した。北朝鮮をよく非難するが、同じような国が世界にはまだまだ沢山あるということだ。
この寄稿には無いが、その軍事政権を日本はいち早く承認したという。Wikipediaによると・・・
「1989年6月18日に軍事政権は、国名を「ビルマ」から「ミャンマー」に改称した。軍事政権が代表権を持つため国連と関係国際機関は、「ミャンマー」に改めた。また日本政府は軍政をいち早く承認し、日本語の呼称を「ミャンマー」と改めた。日本のマスコミは多くが外務省の決定に従ったが、軍事政権を認めない立場から括弧付きで「ビルマ」を使い続けるマスコミもある。アウンサンスーチーやNCGUBなど軍事政権の正当性を否定する側は、改名が軍事政権による一方的なものだとし、英語国名の変更を認めていない。タイの英字紙、英BBC、「ワシントン・ポスト」などの有力英語メディアの一部、および主要な人権団体は「ビルマ」の呼称を続けている。アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア政府などは「ビルマ」としEUは「ビルマ」と「ミャンマー」を併記している。」

米英豪などが「ビルマ」から国名を変えていないとは、知らなかった・・・
こんな記事を読むと、自分は世界情勢に何と疎いかを実感させられる。広い世界のそれぞれの国に色々な事情・歴史がある。ビルマひとつをとってみても、軍政の歴史、日本政府がいち早く承認した背景等々、オトナの一般常識として勉強することは山のようにあるようだ。
そのうち“毎日が日曜日”になったら、世界の国々のそれぞれの歴史や現状を一通り勉強してみるのも一興か・・、と思った。相変わらず、リタイア後の“何か”を探している自分である。

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2009年5月21日 (木)

岩崎宏美の「すみれ色の涙」

録音しておいて通勤途上で聞いているNHKラジオ深夜便。今日は、5月16日放送の「人生“私”流『日本のスタンダードを歌いたい』歌手…岩崎宏美」を聞いた。
この「人生私流」というコーナーは自分が大好きなコーナーで、毎回“有名人”が生出演で自分の辿ってきた人生を語る。今回は、もう50歳だという(失礼)岩崎宏美。今日聞いた放送も、榊寿之アナの素晴らしいリードのせいか、実に自然でその会話が楽しめた。

岩崎宏美といえば、先日亡くなった三木たかしの「思秋期」が思い出されるが、自分は特に「すみれ色の涙」が浮かぶ。

<岩崎宏美の「すみれ色の涙」>

「すみれ色の涙」
  作詞:万里村ゆき子
  作曲:小田啓義

すみれって すみれって
ブルーな恋人どうしが
キスして キスして
生まれた花だと思うの
淋しかったから あなたを愛して
淋しかったから あなたを憎んだ
淋しかったから あなたにさよならを
そして一粒 すみれ色の涙

すみれって すみれって
あなたとわたしの青ざめた
心が 心が
咲かせた花だと思うの
淋しかったから あなたを愛して
淋しかったから あなたを憎んだ
淋しかったから あなたにさよならを
そして一粒 すみれ色の涙

この岩崎宏美の「すみれ色の涙」を最初に聞いたときはビックリした。それは、自分にとってこの歌はジャッキー吉川とブルー・コメッツで散々聞いていた歌だったので、「何で??」と思った。当時は“カバー”という感覚があまりなく、歌と歌手とは一体で頭に刻まれていたので、ビックリ・・というわけ。
ブルーコメッツの「すみれ色の涙」の発売は、1968年1月であり、岩崎宏美のカバーは1981年6月である。13年経って蘇ったというわけ。でもブルーコメッツの「すみれ色の涙」は「こころの虹」というドーナッツ盤のB面であり、あまり目立たなかったのは確か。自分にとっては“隠れた名曲”だった。まあ岩崎宏美が“表舞台”に出してくれたのかも・・

オリジナルに敬意を表して(?)、ブルーコメッツ盤も聞いてみよう。

<ブルー・コメッツの「すみれ色の涙」>

この放送で、岩崎宏美は「カバーアルバム」の製作に非常に意欲的であり、最近も4枚のカバーアルバムを出したといっていた。そして「自分の歌も色々な人に歌い継がれて“スタンダード”の歌になれば良いな」、とも言っていた。(「すみれ色の涙」を出した当時も、彼女が“カバー”に意欲的だったかどうかは分からないが・・・)

昔の苦労話の話も出たので、Wikipediaを覗いたら、やはり離婚の苦労があったようだ。でもこの放送の声を聞くかぎり、実に明るく前向きな姿勢なので安心(?)した。

昔のアイドルも、それぞれ大人になって別の魅力を出している。
我々賞味期限間近なサラリーマンも、還暦の“おとな!”になって別の味が出せるのだろうか・・・・。はてはて自信の程は?

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2009年5月19日 (火)

東京放送児童合唱団の「春が呼んでるよ」

“フィットする歌”というのは、数秒聞いただけでピンと来る。その一つがこの歌である。
4月からNHK FMで始まった「にっぽんのうた 世界の歌」という番組(これ)を、毎日録音してチェックしている。(NHK FM(月)~(金)9:20~10:00/再17:20~18:00)
この番組は「日本だけでなく、世界じゅうの童謡や歌曲などをご紹介していく新番組」というのがスタンス。童謡・唱歌を放送する番組は少ない。前にスカパーの衛星ラジオ「STAR digio」に唱歌・童謡を放送するチャンネルがあったが、今は内容が変ってしまった。よってこの番組は自分にとっては貴重な番組。
その「にっぽんのうた 世界の歌」で、5月15日に流れたのが、東京放送児童合唱団の「春が呼んでるよ」という歌。「アッ!これだ!」と思った。何が「これ」かは分からないが、「“これ”なのである」。

<東京放送児童合唱団の「春が呼んでるよ」>

「春が呼んでるよ」
  作詞:小林幹治
  ポーランド民謡

ひばりのこ すずめのこ
飛びながら 何を見た
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春がよんでるよ

あの土手に 寝転んで
お弁当 食べたいな
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春はすてきだよ

もぐらのこ かえるのこ
動き出せ 目を覚ませ
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春がよんでるよ

ほがらかに 歌う空
若草も 声合わせ
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春の歌声よ

この歌のオリジナルは、1963年3月放送の「NHKみんなのうた」で放送され、歌は友竹正則/東京放送児童合唱団/東京混声合唱団だったという。(これ) これはまだ聞いたことがない。
1963年(昭和38年)というと、自分が高校に入った年だ。もちろん「みんなのうた」は聞いていないが、この旋律だけはどこかで聞いたようで、良く覚えていた。

しかし、この音源は「みんなのうた」のオリジナルではないが、歌も編曲も合唱も、全て良い。CDを探したが、「COCE-30588」は分かったものの、アルバム名が分からず、探せなかった。大分古いCDなのかも・・・。

またこの歌は、実に軽快なテンポの歌だが、“短調”なのだという。よって何か哀愁がある・・。唯一残念なのは、この録音はもう少し間奏などを入れてゆっくり歌えば良いものを、連続して歌っているため1分20秒でアッという間に終ってしまうこと。
ともあれ、自分にとって「お宝」の歌がまた1曲増えた。NHK FMの「にっぽんのうた 世界の歌」という番組も、今後が楽しみ。歌の世界も広い。まだまだ「お宝」の歌が見つかるかもね。

(2012/01/19追)
新しい音源が手に入ったので、聞いてみよう。
<日本合唱協会の「春が呼んでいるよ」と「森へ行きましょう」>

●メモ:カウント~42万

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2009年5月17日 (日)

昭和20~30年代・懐かしの「ラジオ番組」サワリ集・・・

NHKは、昔の貴重な音源の宝庫である。何と民放の音源まであるらしい・・・・。
ラジオ深夜便の「ミッドナイトトーク(これ)」というコーナー。4月と5月は「ラジオと私」という特集で、各界の名士がラジオについての思い出話をしていた。
その中で、昔のラジオ番組のサワリが流れていて、懐かしく思った。今日は、それらの番組から抜粋した、「懐かしのラジオ番組サワリ集」である。(下記は番組を切り取ってからつないでいるので、話の内容は不自然である)

<「昭和20~30年代・懐かしのラジオ番組サワリ集」>

流れて来るのは、以下の10番組である。解説はWikipedia等から引用してみた。

①「三つの歌」
「三つの歌」は、昭和26年(1951年)から昭和45年(1970年)までの延べ20年間に渡ってNHKラジオ第1放送で放送された聴取者参加型の音楽番組である。
②「とんち教室」
「とんち教室」は、昭和24年(1949年)1月から昭和44年(1969年)にかけて放送されたNHKラジオのバラエティー番組である。
③「お父さんはお人好し」
「お父さんはお人好し」は、昭和29年(1954年)からNHKラジオで放送された連続放送劇である。
④「少年探偵団」
「少年探偵団」は、昭和31年(1956年)4月16日から昭和32年(1957年)12月31日までニッポン放送で放送されたラジオドラマである。
⑤「二十の扉」
「二十の扉」は、昭和33年(1947年)11月1日から昭和35年(1960年)4月2日まで毎週土曜日の19時30分から30分間、NHKラジオで放送された日本のクイズ番組である。
⑥「話の泉」
「話の泉」は、昭和21年(1946年)12月3日から昭和39年(1964年)3月31日まで約18年にわたりNHKラジオ第1放送で放送されたクイズバラエティ番組である。
⑦「赤胴鈴之助」
「赤胴鈴之助」は、昭和32年(1957年)1月7日から昭和34年(1959年)2月14日(全42回)、まで、ラジオ東京(現TBSラジオ)で放送されたラジオドラマである。公募で選ばれた吉永小百合や藤田弓子(当時小学生)が出演した。後に参議院議員となる山東昭子(当時15歳)も語り手として出演している。放送期間:
⑧「笛吹童子」
「新諸国物語 笛吹童子」は、昭和28年(1953年)1月5日から12月31日までNHKラジオで放送されたラジオドラマである。
⑨「紅孔雀」
「新諸国物語 紅孔雀」は、昭和29年(1954年)1月4日から12月31日までNHKラジオで放送されたラジオドラマである。

⑩「ケネディ大統領暗殺事件」
第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが1963年(昭和38年)11月22日(金曜日)現地時間(中部標準時)12:30(18:30 UTC)にテキサス州ダラスで暗殺された事件である。日本でも、折しも当日実施されていた通信衛星による初の日米間のテレビ伝送実験において即座に事件の詳細が伝えられ、視聴者に大きな衝撃を与えた。

これらについては、解説は要るまい。知っている人は知っている・・・。これらのサワリを聞いただけで、聞いたことのある人は、頭が半世紀前に戻ってしまう。
もちろん自分も「懐かしい」と感じるので、それなりのトシである。(でもテーマソングは覚えているが、本当に聞いたかどうかは良く覚えていない番組もある・・)

(2014/07/26追)
<「お父さんはお人好し」第123回>

<「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」最終回>

「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」は、1951年(昭和26年)12月25日から1964年(昭和39年)10月3日まで、ラジオ東京(現在のTBSラジオ)が放送した朝のラジオドラマ。

<「NHKのど自慢」>

1946年(昭和21年)1月19日、「どの自慢素人音楽会」としてスタート。

(関連記事)
NHKの「三つの歌」と「一丁目一番地」
ラジオ主題歌「笛吹童子」「少年探偵団」「赤胴鈴之助」

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2009年5月16日 (土)

昭和26年の出来事(4歳)~岡本敦郎の「リラの花咲く頃」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの5回目。
自分が3歳から4歳になる昭和26年(1951年)の出来事を調べてみると、4月にマッカーサーがトル-マン大統領により解任され帰国。「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」
9月にはサンフランシスコ講和条約調印で、日本は何とか独立を果たす。
11月、郵便料金改訂で封書10円はがき5円に。4月LPレコード発売。民放がスタートし、4月中部日本放送、毎日放送、12月TBS。 黒沢明監督の「羅生門」 がベニス国際映画祭でグランプリ受賞。
この年に流行った(自分の好きな)歌では、5月に岡本敦郎の「リラの花咲く頃」、8月に伊藤久男の「あざみの歌」、12月に岡本敦郎の「憧れの郵便馬車」、藤山一郎に「ニコライの鐘(これ)」が発売になった。
「昭和25年」のところで「白い花の咲く頃」を紹介したが、それと同じような曲で恐縮だが、今日は同じコンビの曲、岡本敦郎の「リラの花咲く頃」である。これは「白い花の咲く頃」がヒットしたための、花シリーズ二作目で、やはりラジオ歌謡である。

<岡本敦郎の「リラの花咲く頃」>

「リラの花咲く頃」
  作詞:寺尾智沙
  作曲:田村しげる
  歌 :岡本敦郎

リラの花が 胸に咲く今宵
ほのかな 夢の香に
ああ 想い出の あのささやき
とおくはるかに きこえくるよ

リラの花が 胸に散る今宵
やさしく 手をくみし
ああ すぎし日の あのメロディー
霧の彼方に 流れゆくよ

リラの花が 胸になく今宵
はるばる 別れきて
ああ なつかしの あのおもかげ
ひとり狭霧の みちをゆくよ

090515lilac ところで、「リラ」とは「ライラック」のフランス語読みだという。Wikipediaによると「花言葉は友情・青春の思い出・純潔・初恋・大切な友達など・・」
なるほど・・。何かロマンチックで、叙情歌に合うな・・・

昭和22年生まれの自分は、この年4歳になったわけだが、やはり何の記憶も無い・・・。よって自分の思い出話は書きようも無いのである。

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2009年5月14日 (木)

雑誌「大法輪」(09/6)の特集「観音さまのすべて」

今日は、雑誌「大法輪」のPR(?)である。「大法輪」(これ)は、当blogでも前に何度か取り上げているが、宗派を超えた仏教の総合誌。今発売中の6月号は「観音さま」の特集(これ)である。
観音さまは、我々にとって最も身近な菩薩さまであり、観音経も良く知られている。今回の特集は、その観音さまについて、色々な視点から論じている。
「観音さまとは」「七観音」「三十三身」「三十三観音」「観音経」「観音経名講和」「観音物語」「巡礼」といった項目で分かり易く書かれている。

観音さまは色々と姿を変えるためか、「**観音」という名前がたくさんある。その中で「七観音」という位置付けがあるという。曰く・・・

色々な観音さま-七観音
七観音は、天台宗と真言宗の祀る六観音のうち、両宗の見解の相違から不空羂索(ふくうけんじゃく)観音と準胝(じゅんでい)観音を別々に組み入れられていたのを平安時代以後、観音信仰の隆盛により合祀されて七観音となったようです。
七観音と尊名と、その救済する六道の名は次のようになります。」(「大法輪」09/6月号P73より)

尊名(別名)  六道
聖観世音   地獄
千手観音   餓鬼
馬頭観音   畜生
十一面観音  阿修羅
不空羂索観音 人
準胝観音    人
如意輪観音  天

 
今まで漠然と聞いていた“観音さまの色々”が頭の中で整理される・・・。
観音経(偈)についても詳しく解説がある。

今日はこの特集の後半部分を読んだが、その中で気になった文言・・・

「高田好胤 観音経講和
・・・・・
おまかせの境涯
私どもの行為には、身業(しんごう)といいまして身体ですることがあります。口で語る、これは口業(くごう)、または語業といいます。心であれこれと思いめぐらす、この心での行為を意業という。この三つが一体にならないといけない。思っていることといっていること、建前と本音とが違うということは宗教者の行いではありません。いくらお仏壇に向かってお念仏を唱えても(語業)、礼拝を行っても(身業)、意業があらぬところへいっていたのでは善い業だちというわけにはまいりません。善業というのは身(しん)・語(ご)・意(い)の三業が揃って善であればなりません。・・・・
言葉も身体も心も一つになりきって観音さまにおまかせしきった境涯、これが念彼観音力(ねんぴかんのんりき)です。・・・」(「大法輪」09/6月号P102より)

「日本の観音霊験譚 三野 恵
・・・・・
ところで、筆者はこの正月、初詣へ行ってきた。・・・・
最近、拝むときには漠然とし「よい方へ進みますように」と念じるようになった。かりにそのときに願う自分の欲望がかなえられたとしても、それが自分にとってよいことかどうかはわからないからである。・・・・」(「大法輪」09/6月号P119より)

まあこれは、「人間万事塞翁が馬」のことではあるが・・・

そして「百観音巡礼の心得と霊場のみどころ」では、観音巡礼について、「西国三十三ヶ所」「坂東三十三ヶ所」「秩父三十四ヶ所」巡りの紹介があった。
「四国八十八ヶ所巡り」もそうだが、巡礼はなかなかと大変だ。しかし「「秩父三十四ヶ所」巡りは、約90キロでゆっくり歩いても四泊五日だという。これ位なら、もしかして・・・

ともあれ、今回の特集は今までの中で一番“夢中になって読んだ”特集であった。(最近はいちいち書店に買いに行くのもおっくうなので、定期購読で直接送ってもらっている)
前に、歴史上の偉人を誰か一人絞って、掘り下げて勉強(研究)してみるのも面白いかな・・?と思ったが(ここ)、このような経典や菩薩を一つだけ選んで掘り下げてみるのも面白いかもね・・・・

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2009年5月13日 (水)

韓国ドラマ「ホジュン」が面白い・・

「我輩はミーハーである・・・」 これは以前にも何度か書いた。

以前からウワサだけは聞いていたが、韓国の高視聴率ドラマ「ホジュン」(これ)がBS11で再放送されるという情報を知ったのは、2回目の放送が終わった時だった。早速予約く・・・。お陰で3回目からずっと見ている。全64話のうち、今日は31回目。もう中盤だが、なるほど、これは面白い。(1~2回も先日レンタルDVDで見てしまった!)
このドラマは、龍川編(1~2回)、山陰編(3~31回)、漢陽編(32~64回)の3部に分かれているようで、今日の31回目で山陰編が終わって、来週から漢陽編が始まる。次々と新しい登場人物が出てくるようで、新たな展開が楽しみだ。

公式サイト(ここ)を覗くと、「韓国では1999年に放送され、大河ドラマ史上初めて60%の視聴率を記録し、現在でも歴代視聴率4位に君臨する国民ドラマである。放送当時は「ホジュンシンドローム」と呼ばれる社会現象まで巻き起こし、ドラマのメインテーマである漢医学の人気が高まり、大学の漢医学科の競争率が急上昇するなど、数々の逸話を残した。」とある。
韓国ドラマの異常に高い視聴率には相変わらずビックリだが、見ているとそれも分かるような気がする。
このドラマも、実在した人物を、史実に基いてドラマ化したという。何が面白いかというと、やはりサクセスストーリーなので安心して見ていられる。今BSフジで放送されている「風の国」のような派手な戦闘場面はないが、善人と悪人(?)が適当に配置されており、それに師匠の病人に対するスタンス(=医員にはまず慈悲の心が必要)が良かった。
時々、ついNetでこれからのストーリーを覗いてしまうほど、先へ先へ・・と見てしまう。(月)~(水)(14時~)という放送もちょうど良い。毎日だとツライが、週に3日だと、殆ど録画が溜まる事が無い。例えニュースを見なくても、つい「ホジュン」だけは放送当日に見てしまう。まあ帰ってからの楽しみだ。それに字幕なので、1.5倍モードで再生しても充分に分かる。よって時間も効率的・・・。

この「ホジュン」は「韓国三大歴史ドラマのひとつ」、というので調べてみたら、その三つとは「チャングムの誓い(これ)」「ホジュン」「商道(サンド)」だという。まだ見ていないのは「商道(サンド)」だな・・・。これは、前に放送していたので、途中の回だったが少し録画してみたが、結局スジが分からず、付いて行けなかった。そのうち、どこかの放送局でまた再放送があったら、これも見てみたいものだ。(韓国ドラマは、全国の色々の放送局で再放送が繰り返されているので・・・)

大きな声では言えないが、実は同じくBS11で「砂時計」も始まったので、これも録画している。でも追い付いて(見て)いない・・・。それに、内容は良く分からないがTBSの「エデンの東」というドラマも録画している。これらはいつ見られるか分からないが、単に“評判が良かったらしい”というウワサだけで録画しているわけ・・・。
でも、これらをカミさんに見つかると、また「バッカみたい!・・」と言われるだろうな・・・。でもそのうち、これらをゆっくり見る時間が取れそうな気がするが、“勘違い”であって欲しいな・・・

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2009年5月12日 (火)

三木たかし作曲の森昌子「愛傷歌」

作曲家、三木たかしが昨日(2009/5/11)、亡くなったという。しかし、64歳の死は早過ぎる・・・。
聞くと、これまでに作った曲は2000曲に及ぶという。思い出すに、オッと思った歌は「また三木たかしの曲か・・・」の連続だった。よって、自分が好きだった曲のうち、三木たかし作曲の歌は数知れず・・・。
Netで三木たかし作曲の歌を眺めてみた。あれもこれも・・・・
今日は、その中で森昌子が歌った「愛傷歌」を聞いてみよう。しみじみとした旋律は素晴らしく、編曲・録音もゴージャス。もちろん森昌子の歌も言うことが無い。自分は、この歌が森昌子の中では一番好きである。

<森昌子の「愛傷歌」>

「愛傷歌」
  作詞:石本美由紀
  作曲:三木たかし
  歌 :森 昌子

命がいつか 終るよに
別れがくるのね 愛しても
思い出だけの 人生は
どうして生きれば いいのやら
秋が来て 別れの時を知る
これがさだめなら
死ぬより悲しいわ
戻ってきてと 呼びかける
私の願いの むなしさよ

コートの襟を 立てながら
落葉の向こうに 去った人
ひとりの部屋に 残された
涙はあなたの 贈りもの
幸せの 季節はどこへやら
すがる胸もない
死ぬより悲しいわ
私の愛の ぬくもりを
あなたにつたえる すべもない

眼をとじて 寝るにも眠れない
人の恋しさよ
死ぬより悲しいわ
お酒に酔って こんな夜は
こころの傷跡 いやしたい

三木たかしは“演歌の作曲家”というイメージはないが、ホンモノの演歌の作曲家だった猪俣公章も早く亡くなった。Netで見ると1993年に55歳で亡くなっている。この人の歌も森進一や藤圭子、クールファイブの歌で散々聞いたものだ。だから亡くなったと聞いた時は、非常に残念に思った。三木たかしも同じだ。
さっき放送していた「NHK歌謡コンサート 船村徹特集」で、船村徹は77歳だといっていた。やはり三木たかしの64歳は早過ぎる・・・。

作曲家は誰もそうだが、だいたい作風は同じになる。だからその作風を一旦好きになると、誰が歌った歌でも直ぐに気に入る。そして作曲者を確認して、「やっぱりそうか・・」と納得する・・・。
そんな三木たかしの作品で、自分が特に好きだった歌は、代表曲の「津軽海峡・冬景色(ここ)」を初め、同じ石川さゆりの「風の盆恋歌」、岩崎宏美の「思秋期」、川中美幸の「遣らずの雨」「女泣き砂日本海」、香西かおりの「花挽歌」、チョー・ヨンピルの「想いで迷子」、森進一の「北の螢」等々、幾ら挙げてもきりがない・・・。どれも「やっぱり三木たかしか・・」と思う曲ばかり・・・。
これは、もちろんクラシックの世界でも同じ。ベートーヴェンやモーツアルトは言うに及ばす、ブルックナーの交響曲などはどれを聴いても同じように聞こえる。

話は飛ぶが、サラリーマンがリタイアした後、「**さんのリタイアは惜しかった。こんな時に、**さんだったらどうしただろう・・・」と後輩に思い出される人が、いったい何人いるだろう。
自分は、少なくても「**さんが居なくなったので、良くなった・・」とだけは言われないだろうと思っているが、もしかしたら自分の勘違いかもね??

ともあれ、自分が好きだった曲をたくさん作ってくれた三木たかしさんに、哀悼の意を表しながら、しみじみと聞く「愛傷歌」ではある。(別に知り合いではないけど・・・)
「命がいつか 終るよに 別れがくるのね 愛しても・・・」

(2015/04/28追)
<森昌子の「愛傷歌」~2014年録音盤>

●メモ:カウント~41万

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2009年5月11日 (月)

「六十の手習い」~“何か”残せるか?~久木綾子さんの話の続き

今日のタイトル、「何か残せるか?」の意味は、“人生で後世に残るものを我々は一つでも残せるだろうか・・・?”という意味である。
先日書いた記事(ここ)、久木綾子さんが89歳にして小説「見残しの塔―周防国五重塔縁起」(これ)で新人作家デビューを果たしたという話が、なぜか頭から離れない・・・。

“70歳スタートでの89歳新人作家デビュー”の事実は刺激だ・・・。
繰り返しになるが、この話をもう一度考えてみると、瑠璃光寺の五重塔を見るために、35回も東京から山口に通い、小説を書くために兵庫の歴史講座に月一回参加したり、高野山に一ヶ月こもったり、大工の棟梁に弟子入りしたり、それにこの小説の舞台には必ず実際に足を運んでそこの空気を吸う・・・、といった事が出来たのは、本人の熱意・執念に伴って「健康」がキチッと付いて来たわけで、これは大変なことだ・・・。普通は、幾ら「熱意」があっても、70歳では「健康(体力)」の点で腰が引けて(あきらめて)しまうだろう。

森光子の「放浪記」が2000回を迎えたと最近話題になっている。今日、バスを待っていると、駅前の電光掲示板に「国民栄誉賞を検討・・」とあった。これは48年間の継続の成果。しかし、何度も言うが久木さんの話は何と“70歳でスタート”なのだ・・・。

先日NHKラジオ深夜便で「魅力あらた 龍馬の土佐~大河ドラマ“龍馬伝”を前に土佐の風土を語り合う」を放送していた。(2009/4/24放送) その話の中で、来年、大河ドラマ「龍馬伝」が始まるのを機に「現代龍馬学会」が発足したという。龍馬研究は190通にも上る残された手紙の研究がベースだという。
この話を聞いて、歴史上の偉人を誰か一人絞って、掘り下げて勉強(研究)してみるのも面白いかな・・?と思った。世間では郷土史家の活動も盛んらしい。

ともあれ、久木さんの小説の中身よりも「70歳から20年掛けて勉強し、一つの小説を書き上げた」という事実に、自分は強い衝撃を受けているようだ。失礼ながら、本になるか、また売れるか等、全く分からないのに20年も掛けて・・・、である。それに引きかえ、還暦後“サーテ何をしようかな・・・”と未だに迷っている自分があまりに小さく・・・・

Image02761 それで、久木さんの爪の垢を煎じるワケにも行かないので、会社の帰りに東京駅前の丸善に寄って、小説「見残しの塔―周防国五重塔縁起」を買ってしまった。やはりこの本は話題になっているらしく、目印の“旗”とともに山積みにされていた。

本を手にとって見ると、重い。厚いこともあるが、文章が重い・・・。難しい漢字がたくさんあり、とても走り読みできる内容ではなさそうだ。どうも「面白い」という小説には見えないが、作品が書かれた背景を認識して、ゆっくり読もうかと買ってきてしまった。(でも2520円は高いゾ!)

「**の手習い」という言葉は、色々に使われているが、広辞苑で調べてみると「六十の手習い」「八十の手習い」という二つは載っていた。それ以外の「七十の手習い」などは載っていなかったが、何の数字を入れても通じる。つまり、トシが幾つになっても“スタートは出来る”ということだ。
この小説(の存在)は、迷っている自分の意識を少しは変えてくれるような気がするが、甘いだろうか・・・。

(関連記事)
89歳の新人作家~久木綾子さんの話

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2009年5月 9日 (土)

土居裕子の「月見草の花」

今日は、歌手土居裕子さんについてである。この人の名を初めて聞いたのは10年くらい前だろうか。NHK FMで初めて録音したのが「月見草の花」だった。NHKラジオ深夜便でもこの人の歌は何度か放送されている。
実にクセの無い透明感あふれる歌声は、何ものにも代えがたい。

<土居裕子「月見草の花」>

「月見草の花」
  作詞:山川 清
  作曲:山本雅之

1)はるかに海の 見える丘
 月のしずくを すって咲く
 夢のお花の 月見草
 花咲く丘よ なつかしの

2)ほんのり月が 出た宵は
 こがねの波が ゆれる海
 ボーと汽笛を 鳴らしてく
 お船はどこへ 行くのでしょ

3)思い出の丘 花の丘
 今日も一人で 月の海
 じっとながめる 足もとに
 ほのかに匂う 月見草

前にCDを買おうと調べたが見つからなかった。ふと先日、いったい“この土居裕子とは何者か”と(失礼)、Netで調べてみると、オフィシャルサイトがあった。(ここ
経歴は、案の定、東京藝術大学音楽学部声楽科出身とある。やはりホンモノだ。そして予想通りNHKの「歌のお姉さん」役も務めたらしい。自分も子供の歌が似合うと思っていたので・・・。そしてミュージカルでも活躍中とか・・・・

前に塩野雅子さんについて書いたが(ここ)、土居さんの歌声は同じように透明だ。何とかImage02755 CDが欲しいと思っていたが、オフィシャルサイトで買えるCDが何枚かある事が分かった。1990年にキングレコードから発売された「ローレライ」というアルバム。このCDに、前にNHKから放送されていた曲が収録されていた。サイトの案内の通りに郵便振替で2600円を振り込んだら、さっそく「土居裕子の会」の名前で新品のCDが送られてきた。
Amazonで見ると、このCDは中古が1万円で売られている・・・・。

しかしどんな手段にせよ、CDを手に入れることが出来るのは、非常にありがたい。当サイトで何度か書いている手仕事屋きち兵衛さんのCDも、Amazon等、一般では手に入らないが、あるホテルに申し込むと手に入る。
確かに、J-POPなどと違って爆発的に売れることは無いだろうが、この歌声を聞いていると、この人の歌う日本の唱歌は、後世に残しておく価値があるように思う。
しかし録音が非常に少ない。色々な童謡のアルバムに散らばっているのかも知れない。
そこで誰か、「土居裕子の日本の唱歌・童謡大全集」などを企画してもらえないだろうか?鮫島有美子のCDがあれだけ売れている。同じように、この人の歌が知られれば、きっと“地道に”売れると思うがどうだろう?
まあ大全集は無理としても、ピアノ伴奏で良い。そして変な編曲も不要だ。オーソドックスな童謡・唱歌のCDが企画されることを、勝手に期待している自分である。(その時、(こ)ピアノ伴奏で「追憶」も入れて欲しいな・・・)

(関連記事)
童謡「十五夜お月さん」の思い出
「冬の星座」と「冬の夜」~冬の唱歌

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2009年5月 8日 (金)

89歳の新人作家~久木綾子さんの話

NHKラジオ深夜便で「瑠璃光寺五重塔に魅せられて 作家 久木綾子」(2009/4/26~27再放送)を聞いた。(初回放送は09/3/1だったが録音失敗だった)
何よりも、89歳で最初の小説を出版したというからスゴイ。世の中には凄い人がいるものだ・・・。

090508rurikouji 東京在住の久木さんは、70歳を過ぎた頃、亡くなった夫の歩いた道をもう一度辿る旅で、山口の国宝瑠璃光寺の五重塔に出会った。それからこの五重塔のとりこになって、もう35回も行ったという。(写真はクリックで拡大)
そして、小説の取材・勉強に14年、執筆に4年を掛けて小説「見残しの塔―周防国五重塔縁起」(これ)を書き、2008年9月に出版したという。

久木さんは瑠璃光寺の五重塔を見てから、「あの世が透けて見える塔」と表現して友人を誘っているという。そして「あの塔は結界だと思う。生きている人が、そして過去の人が透けて見える塔。あそこはたぶん結界だと思う」と友人に言っているとか。
この小説では、はかなく生きてはかなく死んでいった人たちの面影を描いてみたいと思って書いたというが、その執念がすごい。先ず「日本史の論文の書き方(これ)」という本を買ってきて、それをもとに取材をスタートしたのが20年前。
そして主人公が塔を建てた宮大工のため、大工の棟梁のところに修行に入った。父が早く亡くなり、祖母と母の女だけの3人家族で育ったため、家には大工道具も無い。トンカチとクギ位はあったが、棟梁のところに行って初めてノコギリを見た。だから大工の1から10まで習ったのではなく、0.1から1まで習ったのだという。そして高野山に1年修行に入ったり、80歳の時にはパソコン教室でWORDを習ったり、勉強の毎日だったという。それらを追いかけるのが楽しくて、締め切りが無かったら、今でも勉強していただろう・・・

それから場面に出てくる場所、街道には全部行ってみた。登場人物が歩いた道を、滋賀県から宮崎県まで自分でも歩いてみた。そこの空気を吸って、そこで感じたままに書きたいので行った。だから想像で書いた所はない。
執筆に4年掛かったのは、山口の同人誌に連載したが、隔月発行で毎回掲載では無かったため時間が掛かったとか。
そして言う。「トシを考えて行動したことは無い。行きたいと思うと行ってしまうし、やりたいと思うとやってしまう。万年受験浪人の状態」・・・

この話を聞いて、「六十の手習い」という言葉をしみじみ“眺めて”しまった。久木さんの場合は、ご主人が亡くなってからの「七十の手習い」である。しかしここまでやり遂げる人がいるとはビックリ・・・・・。インタビューの声も、とても90歳近い方とは思えない。
自分も、久木さんの爪の垢を煎じるため、この本を読んでみるか・・・

フト先日書いた(ここ)「今日は残された私の人生の最初の日である」という言葉を思い出した。
今日もカミさんに、「夜、夢をたくさん見るのは、人生でまだやり残していることがあるため。その何かを早く見つけろ」と“激励”されてしまったが、人生はまだまだ永い。自分も、第2ラウンドをどう生きるか、真面目に考えないと・・・
(しかし“女性”はスゴイね。ウチのカミさんも、自分が死んだ後で、久木さんのように“化ける”かもね・・・。そしたら先にあの世に行っている自分は、“化けた”カミさんがあの世に来ても分からず、人違いしてしまうかも・・・。ウン、これはありそうな話だな・・・)

(関連記事)
「六十の手習い」~“何か”残せるか?~久木綾子さんの話の続き

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2009年5月 7日 (木)

中村元の「阿弥陀経」(6/10)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第19回 極楽国土を欣求する-阿弥陀経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ4 大乗の教え(下)」(これ)を元に味わっていくもので今日はその第6回目、引き続き極楽世界についての説明である。

<こころをよむ/仏典「阿弥陀経」~その6

ぶ  し  しゃり ほつ ひ こく じょうう  しゅじゅきみょう  ざっしきしちょう びゃっこう く じゃく 
復次舎利弗 彼国常有 種種奇ミョウ 雑色之鳥 白鵠孔雀
おうむ    しゃり  かりょうびんが   ぐみょうしちょう ぜしょうしゅちょう ちゅうやろくじ すいわげおん 
鸚鵡舎利 迦陵頻伽 共命之鳥 是諸衆鳥 昼夜六時 出和雅音

ごおんえんちょう  ごこんごりき  しちぼだいぶん はっしょうどうぶん にょぜとうほう ご ど しゅじょう 
其音演暢 五根五力 七菩提分 八聖道分 如是等法 其土衆生
もんぜおんに かいしつねんぶつ ねんぽうねんそう
聞是音己 皆悉念仏 念法念僧

「またつぎに、舎利弗よ、かの国には、常に種種の奇妙なる雑色(ざつしき)の鳥あり。白鵠(びゃっこう)・孔雀(くじゃく)・鸚鵡(おうむ)・舎利(しゃり)・ 迦陵頻伽(かりょうびんか)・共命(ぐみょう)の鳥なり。このもろもろの鳥、昼夜六時に、和雅(わげ)の音(こえ)出す。その音は、五根(ごこん)・五力(ごりき)・七菩提分(しちぼだいぶん)・八聖道分(はっしょうどうぶん)、かくのごときらの法を演暢(えんちょう)す。その土(ど)の衆生は、この音を聞きおわりて、みなことごとく、仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。」

「奇妙」とは、実に珍しくすばらしいという意味で、「雑鳥」は色とりどりということです。「白鵠(びゃっこう)」は鶴の一種で、白鳥とも鵞鳥(がちょう)ともいわれます。「舎利」とは、百舌鳥(もず)とも訳されます。「迦陵頻伽(かりょうびんか)」はカラヴィンカという、とくに鳴き声の美しい鳥です。「共命(ぐみょう)の鳥」というのは、この鳥がジーヴァン、ジーヴァンと鳴くので、もとの言葉でジーヴァとは命という意味ですから、それで「命」を重ねて名づけられた名前です。ですから「命命鳥(みょうみょうちょう)」ともいいます。これは、一つのからだに頭と心が二つあるとされています。なお、サンスクリットの原典では、あげられている鳥は三種で、白鳥・帝釈鴫(たいしゃくしぎ)・孔雀です。
このようないろいろな鳥が、昼夜六時にまことになごやかに、みやびやかないい声を出している。それは「五根・五力・七菩提分・八聖道分」を述べているのだというのです。これは仏教のほうで、それぞれ人間が修行によって達成すべく、修養に努めるべき徳目のことですね。全部で三七あるとされ、「三十七覚支」といいます。そのなかで、「五根」は悟りを得るための五つの機根をいい、信根・精進根・念根・定(じょう)根・慧(え)根。「五力」は信仰・努力・憶念(おくねん)・禅定(ぜんじょう)・智慧という悟りに至らしめる五つの力で、信力・精進力・念力・定力・慧力。「七菩提分」は七覚支ともいい、七つの悟りに役立つもののことです。「八聖道分」は人間の生き方の八つのあるべき姿、正しい生き方ということです。
その土の「衆生」、これはサンスクリット原文では「人々」となっていますが、彼らはこの声を聞きおわって、ことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ずる。仏さまが明らかにされた道理が「法」、そして、修行する人々の集まりがサンガ、つまり僧、教団ですね。」

引き続き、極楽国土のみごとな光景が描写される。今日のところは「四荘厳(ししょうごん)」のうち、
④化鳥(けちょう)・微風(みふう)の荘厳 である。

それらの鳥は、「教え」をさえずっているという。それらは、
<五根>~さとりを得るための機根
「根」とは感覚器官~視覚(眼=げん)、聴覚(耳=に)、嗅覚(鼻=び)、味覚(舌=ぜつ)、触覚(身=しん)
<五力>~さとりにいたらしめる五つの力
<七菩提分>~七つのさとりに役立つもの
<八聖道分>~人間の正しい八つの生き方、あるべき姿

仏・法・僧=三宝とは仏教徒として尊敬し従わなければならない三つを宝にたとえていった言葉。
①仏=仏教の教主である仏(ブッダ、仏陀)
②法=その教えである法(ダルマ、真理)
③僧=それを奉ずる人々の集団である僧(サンガ、僧伽(そうぎゃ))

(以下「四荘厳」化鳥・微風の荘厳の説明が続くが、中村先生の解説では省略されている)

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2009年5月 6日 (水)

「世界で一番長生きが多い里~中国・広西巴馬」

今日NHKのBShiで放送された「プレミアム8<紀行>世界一番紀行“世界で一番長生きが多い里~中国・広西巴馬”」を見た。(2009/5/6放送)

“「長生き」には何が必要なのだろう…。100歳以上の超高齢者の割合で世界一と言われる中国広西チワン族自治区・巴馬(はば)を俳優の吉本多香美がたずね、長寿の秘密を探る。”
香港の西、中国の南部、ベトナムとの国境に近い巴馬の人口は25万。そのうち100歳以上のお年よりは81人。人口1万人当たりだと3.2人になり、この割合はユネスコが設けた長寿地域の基準の約4倍。世界で一番高いという。しかも寝たきりの人は1人も居らず、みんな現役で働いているという。
最高齢のお婆さんは、1885年7月9日生まれの123歳。しかしこの時代は戸籍制度が確立していなかったので、本人の記憶や歴史的事実を照らし合わせて確定したのだという。このお婆さんは、今も現役で鉈(なた)を振るい、毎日山に柴刈りに行く。・・・

巴馬長寿研究所の陳所長によると、長寿の秘密①は「自然環境の力」。まず水質。石灰岩の山の中から滲みだした水にはカルシウムなどのミネラルが豊富に含まれている。PHは7.8~8の弱アルカリ性で飲料水に最も適している。中国の一般的な飲料水はPH6程度の弱酸性なので、それとの違いは歴然。
長寿の秘密②は「食べ物の力」。野菜は今朝採った物ばかり。その日に採ったものでなければ、市場では誰も買わない。巴馬のお年よりは肉を3日食べなくても平気だが、豆を1日も食べずにはいられない。特に豆腐は大好物。穀物も健康に良いものばかり。特に一番人気の「麻の実」は血管を柔らかくするので高血圧の予防になる。天然のタケノコやキクラゲなどにも事欠かない。
男性も元気。102歳のお爺さんは、拳法の達人。95歳の4代目漢方医師も現役。体のあちこちの脈で病気が全て分かるという。そして代々伝わった処方で700種類以上の薬草を使い分けているという。
長老の103歳のお婆さんは、目も耳の完璧。肉眼で針に糸を通す。そして未だに孫たちに生活の知恵を教え続けている。しかし酒の造り方などはまだまだ伝授できていない。そしてひ孫に矢継ぎ早に指示が飛ぶ。「若い子には少しずつ教えていく。一度じゃ覚えきれないだろ・・」。そして若者の良き相談相手にもなっている。
このお婆さんが一番つらかったのは、文化大革命の時に、40歳だった長男が5人がかりで頭を殴られて殺されたこと。それは頭が良かったのが理由・・・。それからは6人の孫を育てるために懸命に働いた。・・・

長寿の秘密③は「生活の習慣」。“巴馬のお年よりは、みな現役で働くことが大好き。働かないとかえって調子が悪くなってしまう。きつい仕事は出来なくても、何かしら出来ることを見付け、働くことを決して諦めません。毎朝日の出とともに起きて、昼間は適度に働き、夜8時には床に就くという、自然のリズムに合った生活を送っています。”
長寿の秘密④は「家族の力」。“この家族は写真に写っていない人を含めると100人以上です。巴馬の長寿の理由で私が一番重要だと思っているのが家族の力です。このご一家も5世代同居。お年よりは孤独感や寂しさを感じません。特にこの地域では親孝行の伝統が色濃く受け継がれています。親不孝者は結婚できない、という言葉があるほどです。長老は家族に尊敬されているのでストレスが無く、精神的に豊かな日々を送れるのです。・・・”

最後に、先の103歳の長老のお婆さんの言葉・・・。
「自分の人生に、いずれ終わりが来ることを考えたことはありますか?」
「そういうことは考えないようにしているんだ。私は1日1日を生きられればいい。終わりが来ることなんて考えない。ただみんなと1日1日を過ごせればいいんだ。ここまで長生きしたんだからいつ死ぬかなんて考えないよ」

この番組を見ても、目新しいことは何も無い。そしてここには、長生きしたいと思って長生きしている人は誰もいない。みな毎日一生懸命に充実した生活をしている。それが結果として長生きにつながっている。毎日いつもの通り働き、家族から大切にされ、良い空気と水と食べ物を食べて自然に生きている。まさに「自然」と同化して生きれば結果として長寿になってしまう・・・。
それに引き換え現代は、老人は疎まれ、居場所が無く、挙句の果てに生活保護を受けて無認可施設に入って火事に遭ったり・・・。

前に書いたブータン(ここ)ではないが、人の真の幸せ(=長寿)は決して“裕福な便利な生活”からは得られないことを、この番組でも伝えていた。

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2009年5月 5日 (火)

手仕事屋きち兵衛の「命連綿(いのちれんめん)」

今日は5月5日の「こどもの日」である。それにちなんだ歌は「背くらべ」や「鯉のぼり」等色々あるが、こんな歌はどうだろう。手仕事屋きち兵衛の「命連綿(いのちれんめん)」という歌である。永六輔氏による歌詞が何とも暖かい。

<手仕事屋きち兵衛の「命連綿」>

「命連綿(いのちれんめん)」
  作詞:永 六輔
  作曲:手仕事屋きち兵衛

母の母の 母の母の母の 母の母の母に逢いたい
父の父の 父の父の父の 父の父の父に逢いたい
オトコがいて オンナがいて
出逢い 愛し合い 生命がつながる
明日の生命が生まれる

親子 親子 親子 親子 親子 親子 親子 親子は語ろう
家族 家族 家族 家族 家族 家族 家族 家族は語ろう
親がいて 子供がいて
向かい合い 語り合い 家族がつながる
明日の家族がつながる

明日の生命 明日の家族
生きていれば 何とかなる
何とかなるまで 生きていればいい
生きていればいい

孫の孫の 孫の孫の孫の 孫の孫の孫に逢いたい
祖父の祖父の 祖父の祖母の祖母の 祖母の祖父の祖母に逢いたい
あなたがいて 私がいて
出逢い 愛し合い 生命がつながる
明日の家族が生まれる

明日の生命が生まれる

この歌は、前に紹介した「風の桜衣(はなごろも)(これ)」と同じく、手仕事屋きち兵衛さんのCD「色即是空」(ここで入手可能)というアルバムに入っている曲で、作詞は永六輔氏である。
単調な言葉の繰り返しが、永遠の時間軸を感じさせる。あまり日常的には使わない「連綿」という言葉。広辞苑には「長くひきつづいて絶えないさま。連々。」とある。
そうなのだ。自然の摂理として、命が連綿と続いて行くには、命が永遠に受け継がれて行かなければならない。それには男と女の出逢いがあり、家族を作って子供を育む環境が必要。こんな当たり前のことが、最近は危機に瀕しているという。

話は飛ぶが、先日の日経新聞に「シングルのための老後設計」なんていう記事がありImage02741 (2009/4/26 p15)、未婚率の上昇についてのグラフが載っていた。それを見ると、我々世代の30年位前に比べて未婚率は、25~29歳で男が50%⇒70%に、女が20%⇒60%に、30~34歳では男が10%⇒50%に、女が7~8%⇒30%以上にまで晩婚化が進んでいるという。(写真はクリックで拡大)
せっかくの「こどもの日」。これを機に、将来を担う子供について自分たちの周囲を見回してみることも良いのでは?

話は戻るが、この「色即是空」というアルバムの裏表紙にきち兵衛さんのこんな一文があった。
「以前、永 六輔さんから「人は何故歌を唄うのか?」と尋ねられた事があった。「それは、ある想いを言葉よりも深い所に届けたいからだと思う。」・・・と私は答えたのだが、その思いは今も同じだ。それどころか、ここ数年は大切な方が相次いで逝ってしまい、もっと電話をすればよかった、もっと手紙を書けばよかったと後悔すると共に、もしかしたら、歌なら人伝に、風の便りに、あの方に届くかもしれない・・・と思うようになっている。
歌は例え歌詞を忘れることがあっても、メロディーはいつまでも忘れない。もしメロディーにぴったりとくっついて、離れることのない詞で歌が書けたなら、その歌は決して忘れられないものになるだろう。そうなれば、その歌は言葉よりも深い所、魂にまで届き、何もかも越えて、遠くの人に届いてくれるような気がする。そして、歌に限らず、言葉よりも深い所に届くもの、それが芸術であり、そういう歌なら「時代」も「国境」も「時空」も越えて、人々の心に魂に伝わって行くのだろうと思う。 きち兵衛」

これは、自分も実にその通りだと思う。
そんな想いでこの歌を聞いてみると、皆で一生懸命に働き、暖かな家庭で将来を担う「こども」を育む。そして何かあっても、“生きてさえいれば何とかなる”“家族が助け合えば何とかなる”・・・。そんなきち兵衛さんの想いが伝わってくる歌ではないか・・・?

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2009年5月 4日 (月)

「ひと駅」ウオーキング~小さなヒントをもらった・・・

先日の朝日新聞の「男のひといき」というコラムに「あなどれぬ“ひと駅”」という記事があり、自分も小さなヒントを貰った。曰く・・・

あなどれぬ「ひと駅」
この10年ほど、妻と2人で「ひと駅ウオーキング:を楽しんでいる。
最寄り駅から電車に乗り、A駅で降りて住宅街を抜け、田んぼのあぜ道を通り川岸に出て、土手の遊歩道をB駅に向かう、というようなウオーキングである。教員だった現役時代は忙しく、通勤電車の窓から景色を眺めながら、いつかゆっくり歩いてみたいと思っていた。
都心と反対方向へ電車で20分ほど。下車して散策すると、思いがけずわらぶきの農家に出あい、しばし日本の原風景を味わうこともある。鎮守の森では幼い孫たちの成長と安全を祈り、花が供えてある小さな祠(ほこら)にほっとしたりもする。
地元の人たちとの出会いもある。道を尋ねたついでに野菜づくりのこつを教えていただいたり、泉や古い池に伝わる昔話を聞いて、絵本になりそうだなあと、しみじみ思ったりする。
昼食は駅前のコンビニで買い求めたおにぎりやサンドイッチを食べることが多いが、「名物のそば・うどん」などという看板を見つけてしまうと、おにぎりなどは夕食に回される。
すでに30近くの駅で下車している。季節を変えて2度3度と同じコースを歩くこともある。
メタボは何とか克服しているので、今はぼけ防止にも役立つのではと期待しながら、あと10年は歩き続けようと妻と話している。(埼玉県富士見市 武川行男 無職71歳)」(2009/5/2朝日新聞より)

これはなかなか良い方法だ。我々は、日本狭しと言えども、行ったことが無い所の何と多いことか。旅行ではない。ほんの近くの場所でも・・・・。
確かに犬の散歩で、この周りは歩いている。しかし、電車レベルで少し離れると、いつも車で通る道以外はほとんど知らない。

1年ほど前、同僚の親の葬式で初めて早稲田に行った。帰りに高田馬場駅まで歩いたが、“これがウワサの早稲田か・・”とキョロキョロしてしまった。名前だけは知っていても、行ったことが無い場所が非常に多い。でも、行く意思が無ければ、行く機会が無いまま終わってしまう。
でもこのコラムのように、“ある駅から隣の駅まで”というのは分かり易い。
リタイアしたある知人から、電車に乗せられる折り畳み自転車を買い、行きは電車で行って、帰りは自転車で返ってくる、という話を聞いた事がある。これも一つの方法だが、このような「リタイア後の“日本発見”」もまた良いのでは・・・と思った。

そういえば、数年前、住んでいる近くの「名所」に行ってみようと「名所100訪問」を目標に行き始めたが、いつの間にか挫折してしまった。
そのうち、再度ウオーキングでの挑戦を始めてみたいもの。もちろんカミさんを巻き込んで・・・

●メモ:カウント~40万

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2009年5月 3日 (日)

「平安の祈り」

「平安の祈り」
神様 私にお与えください。
変えられないものを 受け入れる落ち着きを、
変えられるものは 変えてゆく勇気を、
そして二つのものを 見分ける賢さを。

THE SERENITY PRAYER
God grant me the serenity to accept
the things I cannot change,
courage to change the things I can,
and wisdom to know the difference.

「今日は残された私の人生の最初の日である」

これはNHKラジオ深夜便「精神科医として、作家としての日々(2)精神科医・作家 箒木蓬生」(2009/4/20放送)で紹介されたもの。
箒木さんは精神科医としてクリニックを開業しているが、昨年、急性骨髄性白血病を発病する・・・。(2008/10/27退院)
緊急入院して、半年間入院生活をすることになったが、その時に「精神科診療所の開業医が病気入院になったとき」という論文を書いた。この中で医師が患者になって、どう意識が変わるかも書いた。自分も意識は変った。・・・・
10年位前から週一回、ギャンブル依存症の自助グループに行っているが、会の最後に必ず唱える言葉がある。これはアルコール依存症でも末期患者さんでも、全ての自助グループで言われている言葉で「セレニティ・プレイヤー(平安の祈り)」という。
「神様 私にお与えください。変えられないものを 受け入れる落ち着きを、変えられるものは 変えてゆく勇気を、そして二つのものを 見分ける賢さを」
例えば末期がん患者では、自分はいずれ死ぬが、それを受け入れる落ち着きは必要。でも死が来るまではなるべく明るく生きて行こう。これは変えられるわけなので・・。
今まで人ごとだったが、自分が白血病になって、白血病は変えられないので受け入れる落ち着きを持つしかない。しかし白血病になったからといって打ちひしがれているのとそうでないのとでは大きな違いがあるので、それは変えられるので打ちひしがれないで明るく元気にやって行こうと・・・。これは身に沁みた言葉になった。
・・・・
それから患者さんに対しても、症状があるまま生きて行くのも良いのでは・・と、患者さんの訴えをゆったりと聞いていられる自分になったと思う。
・・・・・・
先の「平安の祈り」も、今まで聞き流していたが、胸に来るな、と思った。もう一つ英語の格言で「今日は残された私の人生の最初の日である」というのがある。毎日毎日が残された人生の最初の日だと思うと、毎日を一生懸命生きなければいけないし、無駄にはできない。新しい意味を持って迫ってくる。これはがん患者でなくても、どなたにでも真実だ。・・・」

言葉というものは奥が深い。先の言葉も、長いあいだ言い継がれているだけに、深く頷いてしまう。Netで見てみると「平安の祈り」は、「ニーバーの祈り」(ここ)として1943年夏にマサチューセッツ州の教会において、アメリカの神学者ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr1892-1971)が唱えたものとされているが、原典には諸説あり、その大意はイタリアの哲学者ボエティウス(Boethius 480?-524)の「哲学の慰め」に遡るという説があるとのこと。
また「神」とは必ずしもキリストではなく、自分の心にある神さまで良いとのこと。

「今日は残された私の人生の最初の日である」という言葉も重い。
これはいつでも通用する。平々凡々の一日でも、サラリーマンを定年退職するときでも、何かのきっかけでこの言葉を思い浮かべるとき、ハッとする。
自分も人生の転機のときにこの言葉を思い出して、決して「惰性」の人生だけは送らないようにしたいものだが・・・・

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2009年5月 2日 (土)

中国西安旅行(2/2)~陝西歴史博物館・大雁塔・青龍寺・清真寺・鐘楼・鼓楼

2009/4/26~30まで、4泊5日のLOOK JTBのツアーで、中国西安に行ってきました。今日は観光2日目の模様です。

<陝西(せんせい)歴史博物館>~写真はクリックで拡大
正面玄関に鎮座する巨大な獅子の像。これは則天武后の母の陵墓から出土したものだという。前にトヨタ自動車のCMで、この獅子が最敬礼するものがあり、物議を醸したとか。トヨタは謝罪し、このCMを製作した広告会社とは取引を止めたとか・・・。
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<大雁塔(慈恩寺)>
玄奘三蔵がインドから持ち帰ったサンスクリット語の経典や仏像などを保存するために、慈恩寺境内に652年に建てられた大雁塔。高さ64m。最上階の7階に登ると市内が一望できる。しかし保管場所としてはいかにも狭い。もちろん今は何も無いが、それほど大量には保管出来なかったろう。しかし自分の今回の訪問目的の一つの場所。現在は観光名所になっているだけで、寺としての機能はないという。
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<青龍寺>
空海が804年に、この地で恵果和尚に弟子入りし、2年間真言密教を学んだという青龍寺。広大な敷地の中に、日本から送られた桜や記念碑が立つ。
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お寺なのでちゃんと拝もうと思っていたが、終了して外に出てしまった。ガイドさんに聞くと、坊さんのいるお寺は隣にあるという。せっかくなので行ってみた。そしてカミさんが3元で買った蝋燭と線香をあげて拝んだ。
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日本のお寺と違って、内陣は見られない。でもお坊さんの姿は見かけた。ガイドブックを読むと、この寺は唐末の戦乱により廃寺となっていたが、1973年に発掘され、空海記念碑や恵果空海記念堂などが建てられたという。再建された青龍寺は予想よりも寂しかった。

<清真寺>
西安で最大規模のモスク。西安は西に位置しているせいかイスラム教徒が多く、モスクも多いという。この寺は何とも不思議な寺で、中国風の建築だが偶像が無く、動物模様も無い。一番奥の寺院には、礼拝のための席がずらりと並んでいた。礼拝の時刻を示す時計表示があり、朝5時から夜の8時過ぎまで5回。しかもその時間がランダム・・・。
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観光2日目(2009/4/28)は、以上で終了。夕食は火鍋(しゃぶしゃぶ)。これは美味かった。その後に陝西歌舞大劇院でのショー見物。これも見応えがあった。
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相席になった隣の外人さん。カミさんが恥じらいも無く話し掛ける。イギリスから来て14日間も居るという。デジカメの写真を見せて、こんな肉料理を食ってきた、と話すが「羊」の単語が出ない。カミさんが絵を描いて見せたら「ラム」と言いやがる。「そうだラムだ!・・・」と盛り上がってしまった。でもこの英国人は肉は一切食わず、豆腐と野菜だけだという。
ひょんな事で国際交流?(←これ、ほとんど“英会話”はなし。片言の単語だけ・・・)

そして一日フリーの3日目(2009/4/29)である。

<鐘楼>
ホテルから鐘楼までタクシーで6元(100円)。鐘楼と鼓楼のパック入場券が40元。鐘楼はロータリーの中央にあるが地下道の入り口にタクシーが付けてくれたので直ぐに分かった。上にあがると展望が開ける。
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目の前に大きなモールがある。その最上階にフードコートがあり、そこで食べた“ナスと肉の炒め物定食”が15元(100円)。格安で実に美味しかった。まあこれもカミさんの中国語が何とか通じたのでありつけたわけだが・・・
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<鼓楼>
鐘楼の隣にある鼓楼(左下の写真は鐘楼から鼓楼を展望)。上にあがると太鼓が並んでいる。
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<ホテル>
泊まったホテルは、ソフィテル西安(西安索菲特人民大厦:SOFITEL ON RENMIN SQUARE XIAN)。これが素晴らしかった。2005年開業のホテルで、ピッカピカ。でも奥に古いホテルがあったので、建て直したみたい。入り口の左右(東西)に対称の同じ建物。大きいので両翼が入った全景の写真はない。写真は東楼のみ。しかし日本語を話す女性スタッフがいたので助かった。
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JTBでは、本来はLグレードだが、場所が西安という田舎なので最高がAグレードだという。でも通路だけでなく、部屋の中やトイレにまで大きな壷が置いてある。地震は無いというが、つい落として壊したら、と思うとヒヤッ・・・。

<ヘエー・・と思ったこと>
・西安の気候は夏と冬だけ。春と秋が非常に短いので、防寒服から直ぐに半そでになるという。夏は40度・・・
・中国の一人っ子政策は非常に厳しく、もし二人目を生むと、自営業以外の会社員はクビになり、子供は戸籍が取れないので学校にも行けないらしい。逆に双子が生まれるとお祭り騒ぎ・・・
・昨年まで5月1日から1週間休みだったが、今年からは3日間に短縮されたとか。
・中国では55歳になると定年で、その後はもっぱら孫の世話。若夫婦は共働きなので子供を親に預けるのは当然とか・・・
・中国の昼休みは12時から2時まで。昼食後の午睡の時間がある。官庁だと家に帰って、3時ごろ出てきたり、午後は出て来なかったりするので、最近は罰金があるとか。
・道路での人の横断はいつもの通り。人は歩道でも無いところを車を縫って渡る。車もそれを当然として人を縫って走る。実に絶妙のタイミングで動いている。我々だけでは怖くて渡れない・・
・ショッピングモールは、欧米の一流ブランドばかり。店員はいるが客がほとんどいない。聞くと、中国は貧富の差が非常に激しく、富裕層だけを相手に商売しているとか。
・我々が行けるレストランが街の中に少ない。もちろんコンビにも一軒も無い。我々観光客は相手にしていないのか・・・。
・西安で日本人はほとんど見なかった。ホテルはフランス系のためか欧米人ばかり。このところ、観光客は激減しているとか・・・。
・このところ、スーツケースを成田まで宅配便を利用して事前に送っていたが、最近は皆さん使っていないらしい。成田の宅配屋はどこもガラガラだった。確かに割引を利用しても往復3100円は高い。不景気の為とは言えないようだ。

P10502481 そして帰り、北京空港でインフルエンザの調査票を渡された。ホテルのテレビは、NHKワールドが映ったので日本のニュースはいつも見ていたが、成田ではテレビの通り厳重だった。
しかし、乗り継ぎで北京空港で4時間も待たされたが、舞台で音楽や踊りを見せてくれたので、良い時間つぶしになった。
それと、空港までの道路にあった信号機。あと何秒で切り替わるかのタイマー付き。これは良い・・・
P10502591 P10502731 P10502441 

かくして4月30日夜中に帰ってきました。行きに丸一日、帰るのにまた丸一日の正味3日の旅行。時間的には勿体ないが、でもトイレが詰まった以外は何の事件も無く、まあまあの旅でした。
さて来年は広州の方に行くか??

(関連記事)
中国西安旅行(1/2)~華清地・兵馬俑坑・碑林・城壁

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2009年5月 1日 (金)

中国西安旅行(1/2)~華清地・兵馬俑坑・碑林・城壁

2009/4/26~30まで、4泊5日のLOOK JTBのツアーで、中国西安に行ってきました。内々の(後で付け加えた)目的は、“五十肩”の修理でしたが、結論は×でした。
実は、ウチのカミさんが教わっている中国語教室の先生が、昔広州に留学した事があり、その時に「中国の人は、五十肩になると“蛇の血を飲んで”直ぐに治す」という話を聞いていたとか。それを詳しく聞くと、レストランで頼むと、蛇の血を紹興酒に割って出してくれて、それを飲むと一発で治るのだとか・・・。それで、同じ中国なので、西安でもそれが飲めるか聞いてみる事にしていたのですが、ガイドさんが言うには「広州は蛇の料理が盛ん。でも西安ではそのような習慣はない。それに蛇の料理もない。酒も紹興酒でなくて白酒が主・・・」という訳で手に入らず、実験も出来なかった次第・・・・。(カミさんは)残念!でも(自分は)内心ホッ!

ここ数年は、毎年のように中国に行っている。昨年はオリンピック直前の北京(これ)、一昨年は上海(これ)、台湾は7年前。そして今年は長安(西安)に行ってみることにした。
今回、西安を選んだ理由は、自分としては“昔の長安は、仏典を漢訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)や玄奘三蔵の活躍した都であり、また空海が勉学した所だった”こと。つまり中国の“仏教の原点の都”に行ってみたかった。この成果は?? 少し残念・・・
またカミさんの目的は、中国語の実践。これは成果大。昨年に比べて臆せず話が出来、自分の言いたいことは何とか話せるようになったが、聞き取るのが今ひとつ・・・とか。しかし中国語で話すと、一様に相手がビックリ・・・。直ぐに「どこで中国語を覚えたのか?」という質問。そして皆、発音がきれいだと言う。厳しい中国語教師の叱咤の成果か・・・

また、今回は初めて全日我々二P10409531 人だけの貸切の状態だった。客用座席4つのワンボックスカーに我々二人だけ、。それに運転手とガイドの計4人で回った。貸切状態は自由が利いて非常に良いのだが、JTBツアーに付き物の現地旅行会社が一方的に連れて行くみやげ物屋から逃げられないのがツライ・・・。

<西安 華清地>写真は何れもクリックで拡大
観光1日目の2009/4/27に最初に行ったのが華清地。この華清宮は玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの場で、ここの温泉で楊貴妃は肌を磨いたという。まあ温泉の遺跡を見ても仕方が無いが、ドカンと大きなミロのビーナスのような白い楊貴妃の妖艶な像にはビックリ・・・。
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<兵馬俑坑>
今回の旅行の目玉。まあ大体予想通り。2000年にNHKスペシャル「四大文明」が放送されたとき、記念にNHKが展覧会を開催し、そこで兵馬俑の実物を見た事があった。その時名、大きさにビックリしたが、今回はその数に圧倒された次第・・・・。
もともと兵馬俑は帯状の通路の間の空間に置かれていたという。つまり像は皆トンネルに置かれていたが、長い年月でトンネルが潰れ、兵馬俑も壊れて埋まったという。それで壊れない完全な形で発掘されたのは、写真右下の一体だけだったという。
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それに、掘り出した直後は色彩が残っているが、直ぐに色が消えてしまったという。それらの理由からもう発掘はされていない。このスライドを撮った写真にはあまり色が付いていないが、直接見たスライドには顔の色とか、かなり着色が残っていた。
それとビックリしたのは、門から展示場までの通路。行きは電気自動車に乗って行く。しかし帰り道は全員が15分位の歩き・・。我々が行った日は晴天だったが、雨の時は悲劇だという。靴の中に雨が・・・。何で歩かせるかというと、客を土産物屋の中を歩かせて買わせるのが目的だとか・・・。写真のように皆、帰り道を黙々と歩く・・・。足の悪い人はこの兵馬俑博物館の見学は無理かも・・・
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<碑林博物館>
創建は1087年。もともと孔子廟だったところを博物館にしたもの。そして、多くの石碑が林立するところから「碑林」という名が付いたという。
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下の中央の石碑の写真から、論語の「子曰 吾十有五而志于学 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而従心所欲不踰矩」という字が読み取れる。自分の場合、孔子と同じように「六十歳で人の言うことを逆らわないで聴けるようになった」かどうかは、はなはだ疑問だが・・・ 。
同じく、右下の写真からは「温故知新」という文字が読み取れる。
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<西安 城壁>
前にNHKで放送された、「関口知宏の中国鉄道大紀行 ~最長片道ルート36000kmをゆく~」という番組で、城壁が非常に大きいものであることは知っていたが、行ってみて、なるほど・・・これは完璧な城壁だ、と思った。
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周囲約14Km、高さ12~14m、底部の幅は15~18m。城壁の上に貸し自転車屋があり、二人乗り自転車に乗って行く人がいたが、1時間では回れないほどの距離だという。
西安の中央部はこの城壁で囲まれており、門の入り口ではさすがに車の渋滞が発生・・。
昨年見た万里の長城ほどではないが、この城壁もその頑丈さにビックリ。レンガとは石のように頑丈なものらしい。

<その他>
食事の前に、マッサージに行った。タイでもベトナムでも、そして中国でも、必ず行くのがマッサージ。JTBのガイドに頼むと金額的に(リベートのため)2倍位高いのだが、今回はガイドへのプレゼントと、場所を探すのが面倒なので、初めてガイドに任せた。自分は全身、カミさんは足のマッサージで、それぞれ70分で200元(3200円)ずつ。
ガイドさんから担当のマッサージ師に、“五十肩で、右肩が痛くて背中に回せない”旨を良く言ってもらってからスタート。担当さんは汗だくでやってくれた。それで、五十肩は良くなったかって?・・変らなかったな・・・。
でも二人同じ部屋でやってもらえたので、中国語で聞かれてもカミさんに訳してもらえたので、まあ高かったがまあ良しとしよう。
かくて市内周遊の1日目は終わったのであった。(続く)

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