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2009年4月22日 (水)

臓器移植法改正に思う

最近、臓器移植法改正の議論が高まってきた。そのうち、A案というのが有力で、子供の移植も受けられるようにするため、現在15歳以上という年齢制限を撤廃し、現在の提供条件である「本人の書面による意思表示と家族の承諾」を緩和し、「本人が生前拒否していなければ、家族の判断」だけでOKにするという。
この論に対し、自分は、「脳死になったから家族が自由に処分しても構わないというのはあまりに乱暴だ」という早川忠孝衆議院議員の論に深く頷いた。(2009/4/22日経朝刊p3)

先日見た「闇の子供たち」という映画(ここ)。子供の臓器移植が日本で認められていないため、5000万円を払ってタイでの移植に踏み切る家族。でもそれは生きた子供から心臓を取ることを意味していた。それでも自分の子供を助けたいと奔走する親・・・。
もちろんフィクションだが・・・、でも有り得そうな話だ。
両親の「自分たちの子供を助けたい」という切羽詰った状況を前提に考えると、事故に遭って脳死状態の人がいた場合、その子供の両親に「***万円出すから心臓をくれ」と、言わないとも限らない。
極端な想像だが、幼児虐待をして死にそうになった子供が運ばれた病院で、たまたま臓器移植を待っていたら、事実を隠したい親と、実績を上げたい医師、大金を出しても救いたい親とが一体となって、虐待の事実に目をつぶって脳死と判定して臓器移植に走るかも知れない。
また、家族に棄てられたホームレスの人や独居老人が、もし脳死に陥った場合、本人と縁の薄い家族は簡単に「OK」するかも知れない。
また、(裏の世界で)金が絡み、命が選択されるかも知れない。だいたい「人の命」に対して、誰が優先順位を付けるのか?(先の映画ではないが)金を持っている人の命は、貧しい人の命よりも優先だと、誰が決めるのか?

自然の形で(機械につながれずに)臓器が弱って死ぬ・・。これは太古の昔から営々と続く自然の摂理。それぞれが“自分の人生”を生き抜く。それが「法(ダルマ=理法)」。
よって少なくても我が家は、人の命を踏み台にして生きたいとは思わない。だから臓器を提供したいとも思わないし、臓器を貰って長生きしようとも思わない。何よりも、「まだ死なないか?」と病室の隅で待たれているような死に方はゴメンである。
・・・・と、ここまでは“エムズのひとり言(=カミさん)”さんと盛り上がったのだが・・・

でも次の記事を読んで、その決意も少しぐらついた・・・。曰く・・

<衆院厚生労働委員会の臓器移植小委員会での臓器移植法改正案を巡る参考人質疑(ここ)~2009/4/21>
◇米国で心臓移植を受けた青山茂利さん
 99年9月、45歳のとき突発性拡張型心筋症を発症し、余命3年と宣告された。自分のために家族を犠牲にできないと思い、渡航せず日本で提供を待つことにした。時間切れになれば潔く死のうと決めた。一方、「だれかの死を待つ」自分に苦しみ、希望がゼロではないことは絶体絶命よりつらかった。生きることをあきらめ、自分の気持ちを保った。ある日、車椅子に座る自分とは違い、米国で移植を受けて自分の足で立っている患者仲間と再会した。彼がまぶしく大きく見え、その夜は一睡もできなかった。渡航移植を決意し、米国で移植を受け、私の闘病生活が終わった。

これを聞くと、本当に「自分が、または家族がそうなった時、本当にカッコ良く“要らない”と言えるのか?」、何とも自信が無い自分がここに居る・・・。(トホホ・・)
何とも締りのない記事になったが、結局“その時”、真剣に考える事になるのだろう。でも、下記の論は正しいと思う。

◇光石忠敬・日本弁護士連合会人権擁護委員会特別委嘱委員
 臓器提供の増加を求める流れは、移植を受ける患者の利益のため臓器提供者を犠牲にしてもよいという考え方に基づく。だが、提供者の尊厳も患者同様に守られなければならない。現行法は自己決定の思想が前提であり、本人意思を不要とするのなら新法を作り直すべきだ。また、子どもの利益につながる親の代諾は認められるが、利益にならない代諾の権利は親も持てない。現行法にない組織、生体移植を盛り込み、自己決定を中心としたC案が一番いい改正案と思う。

(関連記事)
映画「闇の子供たち」を見て


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