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2009年4月の22件の記事

2009年4月25日 (土)

母を思う子の心と、子を思う母の心

今朝の朝日新聞の「天声人語」。何とも切ない話題である。曰く・・・

「福島県で刊行されている児童詩誌『青い窓』を、いつも送っていただく。主宰していた佐藤浩さんから聞き、ずいぶん前の小欄が紹介した一編を、逸話とともに思い出した。
  お母さんが 車に はねられた
  お母さんが 病院の れいあんしつに ねかされていた 
  お母さんを かそうばへ つれていった
  お母さんが ほねに なってしまった
  ・・・・・
  お母さんを ほとけさまに おいた
  お母さんを まいにち おがんでいる
書いた小学4年生に、担任は「お母さん」は1回だけでいいと指導したそうだ。だが、児童は直そうとしない。迷った先生から相談を受けて、佐藤さんは言った。「何回でも、何万遍でも書かせてあげてください。その子の悲しみをわかちもって……」
大阪で行方不明になり、遺体で見つかった女児も小学4年生だった。虐待の末に死亡した疑いが強いという。何度声に出し、心の中で、「お母さん」と叫んだかと思うと胸がつぶれる。恐怖から救ってほしい一心で、である。
母娘は内縁の夫と暮らしていた。母親は救えなかったのか、救わなかったのか。わが子が埋められた後で捜索願を出していた。保育園の写真に母娘は満面の笑みで寄り添っている。「お母さん」と何万遍も慕ったことだろう。悲劇との落差に声もない。
〈迷い子の親はしゃがれて礼を言い〉と古川柳にある。声をからして捜し回り、やっと見つかったと親も周りも安堵(あんど)する。子どもたちの胸に、母を慕い、父を思う詩心がふくらんでいく幸せを、社会として守らねばなるまい。」(2009/4/25朝日新聞「天声人語」より)

5月になると「母の日」だ。母を思う子の心と、子を思う母の心を、つい考えてしまう。子を産み、育てるという性(さが)から、子を慈しむのは母親の自然の姿だと思うものの、(詳しくは知らないが)また子が母親に殺された(遺棄された)事件が発生したという。前に、母親に橋から突き落とされた子もいた。子供にとって、最後の砦(自分を守ってくれる最後の手段)が母親だろう。その母親から突き落とされる子供は、「何で?」を思いながら絶望の思いで落ちていったのだろう。このコラムの表現を借りると、本当に“胸がつぶれる”。

先日、NHKスペシャルで「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」という番組を見た(2009/4/12放送 これ)。
「アマゾンの最深部に1万年以上、独自の文化・風習を守り続けている部族がいる。欧米人に“最後の石器人”と呼ばれているヤノマミ族だ。現在、ヤノマミ族は2万人。40~200人で一つの集団を作り、ブラジルとベネズエラにまたがる広大なジャングルに分散して暮らしている。・・・・
森の中、女だけの出産、胎児の胎盤を森に吊るす儀礼、・・・大らかな性、白蟻に食させることで天上に送る埋葬…。そこには、私たちの内なる記憶が呼び覚まされるような世界があった。・・・」

14歳の少女がひとり森の中で子供を産み、精霊である生まれたばかりの赤ん坊を精霊のまま天上に返すか、または育てるかは、その少女が決めるのだという。そして天上に返す時はシロアリに・・・・。(実はこの番組、とても正視できず、早送りで見ただけだが・・・)
何ともショッキングな画面ではあったが、日本のそれとはおよそ動機が違う・・。

先に見た映画「闇の子供たち」(ここ)。タイで、8歳になった少女を親は売る。そしてエイズに感染して売春宿からも捨てられ、必死に戻った故郷の家では、家族は(病気が理由でか)子供を外の掘っ立て小屋に寝かせ、自分で食事を食べられないまま、一人死んでゆく少女。親は子供を二度捨てる・・・。貧困からか・・・。その親と子の心は・・・

話は戻るが、この天声人語にある素朴な子供の詩。愛する母を奪われた無念さがひしひしと伝わってくる。
しかし同じ子供でも、男の子は親との交流が難しい。素朴な会話が出来ない。代表例が自分なのだが・・・。自分は思春期の延長戦で、長い間(子供が出来るまで)親と子の会話が無かった。大きな声では言えないが、実はその「報い」がそのまま自分たちに続いている・・・。
ウチの約1名の息子は、(まあ男だから仕方が無いが)カミさんがメールを打っても100%梨のつぶて。もう1名の息子からは(“携帯魔”のためか)数分後に返事が来るのとは大違い。でもなぜかこの音信不通の息子から、決まって「母の日」にだけは、(子供のときから毎年、大金をはたいただろう)分不相応な大きな生花が届く。まったく分からない・・・・。(まあ自分よりはマシだな・・・・)

社会の最小単位である「家族」・・・。この「家族」のあり方で、人間の「幸」「不幸」はほとんど決定されてしまう。
タイと違って裕福な日本・・・。どんな事情があるにせよ、せめて子供の駆け込み寺としての機能だけは、「家族(家庭)」は最後まで持ち続けたいものである。

★ 「五十肩」の修理のため(?)、4/30まで出かけますので、しばらく休載しま~す。

●メモ:カウント~39万

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2009年4月24日 (金)

「司法試験の合格者数を巡る論理」

先日の日経のコラム「大機小機」に、「司法試験の合格者数を巡る論理」という記事があった(2009/4/22)。なるほどと思える論理があったので転記してみる。

「司法試験の合格者を2010年までに年間三千人に増やす政府の計画について、日本弁護士連合会が二千人程度に抑えるよう政府や与野党に働きかけている。弁護士の「就職難」を懸念しているためだ。
苦労して司法試験に合格しても、安定した報酬を得られない仕事では困るというが、それは他の専門資格でも同じだ。そもそも司法試験というペーパーテストに受かっただけで役に立つ仕事ができるわけではない。ほかの職業では、長年にわたる実務経験を積んで初めて一人前になれる。
司法試験の合格者が増えると質が落ちるという。現に司法研修後の国家試験の不合格者が増えているようだ。しかし試験合格時のレベルが低くても、顧客から見た弁護士としての質が低いとは限らない。受験勉強に向く者だけが弁護士になるのではない。試験に弱くても、弱者のために働きたいと願う者も多い。何年浪人しても合格できずあきらめていた者でも三千人時代には合格でき、優秀な弁護士に育つ可能性がある。どの職業もすそ野が広がるほど優秀な人材が増えるはずである。
逆に、資格を持つ者の数を制限すれば、顧客から見て信頼できない質の低い弁護士でも食いっぱぐれはしない。・・・(略)
・・司法試験の合格者数は供給側の論理だけではなく、顧客の視点からも考えるべきである。」(2009/4/22 日経朝刊「大機小機」から)

物事を、“見る視点を変えると結論が変わる”という事は良くあることだが、この弁護数の議論も全く同じだ。
昭和の時代、長い間司法試験の合格者は500人程度だった。これは司法研修所の収容人数から来ているという公式の話(?)とは別に、合格者を絞る事で弁護士が自分達の地位(収入)を守る事が真の目的、と昔聞いた事がある。そして今3000人時代・・・。
誰が見ても、上から500人で切るのと3000人で切るのとでは、合格者の平均レベルが下がるのは明らか。しかし一方で、このコラムにもあるように、すそ野が広がる事で試験には弱いが世の中の役に立つ弁護士が増える可能性があることも確か。(もちろん6倍増えるとは限らないが・・・・)
この議論での一番の問題は、(このコラムでも指摘しているように)議論の視点が、顧客の視点ではなく「自分たち」であること。弁護士の数を増やすという議論が始まった頃、自分の身近にいる弁護士が「幾ら弁護士が増えても、(相手弁護士のレベルが低いと)かえって仕事(示談)がやり易くなるだけさ・・」とうそぶいていた。そんなベテラン弁護士(弁護士会)も、新人弁護士の急増に伴って、依頼件数が減ったり、現実に新人弁護士が就職難に陥っている状態を見て焦り出した、というのが現実の姿だろう。
その焦りの根幹には「司法試験に合格すれば高収入が約束される」という幻想が未だにあるように思う。
昔、石川達三の小説に「青春の蹉跌」というのがあった。司法試験に合格して(それを武器に)資産家の娘と結婚するため、妊娠した恋人を殺す、というストーリー。これも「司法試験に合格=将来が約束される」という構図があった。
こんな特権意識を粉砕するためにも、弁護士量産時代は大いに結構ではないか?

中学時代の(年賀状だけ)友人の一人に、高名な弁護士の奥さんがいる。息子は皆、弁護士の道に入れなかったが、末娘が新司法試験に合格して父親の事務所を継げる(?)ことになった、と年賀状にあった。これも良いことではないか?(小泉元首相ではないが、政治家は試験が無いまま親の後を継げるが(選挙も試験かな?)、医師・弁護士は資格取得が大変・・・)
また、国選弁護は普通の依頼事件に対して、報酬は1/10だという。当然現役弁護士はやりたがらず、まさにボランティアの領域だという。この国選弁護も、弁護士の絶対人数が増えれば目が行き届く。もちろん地方にも弁護士が溢れる? そして良い意味での競争が生まれて司法界も活性化する・・・。“顧客の視点”から見れば、弁護士量産時代は良いことばかりではないか?
でもそれには、現役弁護士が自分たちの特権意識・縄張り意識を薄めて行く必要が出てくるが、これは難題だ・・・。でも、もはや「弁護士」という肩書きだけで、「先生」「先生」と敬われる時代はもう終ったのではないか、または“もう終えたい”と思うがどうだろう?

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2009年4月23日 (木)

昭和25年の出来事(3歳)~岡本敦郎の「白い花の咲く頃」

自分が2歳から3歳になる昭和25年(1950年)の出来事を調べてみると、6月25日に朝鮮戦Image02491 争勃発、7月2日に金閣寺が放火で炎上。自衛隊の前身である警察予備隊7万5000人の創設。レッドパージが始まる・・・・。
そして「ヤクルト」「江戸むらさき」の発売。学童に完全給食開始。「風と共に去りぬ」「チャタレー夫人の恋人」がベストセラーに。映画は「羅生門」が上映される・・・。
歌は、「夜来香(山口淑子)」、「イヨマンテの夜(伊藤久男)ここ」、「さくら貝の歌(辻 輝子)ここ」、「水色のワルツ(二葉あき子)」、「星影の小径(小畑実)」、「山のかなたに(藤山一郎)」、「赤い靴のタンゴ(奈良光枝)」、「東京キッド(美空ひばり)」、「白い花の咲く頃(岡本敦郎)」など。

この年は、戦後長く歌い継がれる歌が多く発表されている。その中で、昭和25年11月発売の岡本敦郎の「白い花の咲く頃」を聞いてみよう。

<岡本敦郎の「白い花の咲く頃」>

「白い花の咲く頃」
  作詞:寺尾智沙
  作曲:田村しげる
  歌 :岡本敦郎

1)白い花が 咲いてた
 ふるさとの 遠い夢の日
 さよならと 言ったら
 だまってうつむいてた お下げ髪
 かなしかった あの時の
 あの白い花だよ

2)白い雲が 浮いてた
 ふるさとの 高いあの峰
 さよならと 言ったら
 こだまがさよならと 呼んでいた
 さみしかった あの時の
 あの白い雲だよ

3)白い月が 泣いてた
 ふるさとの 丘の木立に
 さよならと 言ったら
 涙のひとみでじっと 見つめてた
 かなしかった あの時の
 あの白い月だよ

作詞の寺尾智沙、作曲の田村しげるという夫婦のコンビの歌は、当blogでも取り上げた「夕月の歌(ここ)」「さざんかの歌(ここ)」や、この「白い花の咲く頃」の他に「リラの花咲く頃」など、叙情豊かな歌が多く自分は大好きである。

この「白い花の咲く頃」はNHK「ラジオ歌謡」の一つで、寺尾智沙・田村しげる夫妻が昭和24年に書いた「さよならと云ったら」をラジオ歌謡「白い花の咲く頃」として昭和25年5月8日に放送されたという。
この歌については、ダーク・ダックスの喜早哲 著「日本の抒情歌」に、このように紹介されているという。
「詩の寺尾智沙は、田村しげるの妻である。その歌詞には、田村しげるの故郷、天の橋立で有名な宮津湾の奥丹後半島の峰山町での思い出が書かれている。そのひなびた田舎町での、胸の苦しくなるような初恋の思い出、初めてのくちづけ、親の反対であきらめざるを得なかった胸のうち、彼はひとりさまよい腰を下ろすと、そこには名もしらぬ小さな白い花が咲いていた。文字どおりの悲恋物語。エレジーである。」

ついでに、ステレオ再録盤も聞いてみよう。

<岡本敦郎の「白い花の咲く頃」ST>

(関連記事)
伊藤久男の「夕月の歌」
NHKラジオ歌謡「さざん花の歌」 

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2009年4月22日 (水)

臓器移植法改正に思う

最近、臓器移植法改正の議論が高まってきた。そのうち、A案というのが有力で、子供の移植も受けられるようにするため、現在15歳以上という年齢制限を撤廃し、現在の提供条件である「本人の書面による意思表示と家族の承諾」を緩和し、「本人が生前拒否していなければ、家族の判断」だけでOKにするという。
この論に対し、自分は、「脳死になったから家族が自由に処分しても構わないというのはあまりに乱暴だ」という早川忠孝衆議院議員の論に深く頷いた。(2009/4/22日経朝刊p3)

先日見た「闇の子供たち」という映画(ここ)。子供の臓器移植が日本で認められていないため、5000万円を払ってタイでの移植に踏み切る家族。でもそれは生きた子供から心臓を取ることを意味していた。それでも自分の子供を助けたいと奔走する親・・・。
もちろんフィクションだが・・・、でも有り得そうな話だ。
両親の「自分たちの子供を助けたい」という切羽詰った状況を前提に考えると、事故に遭って脳死状態の人がいた場合、その子供の両親に「***万円出すから心臓をくれ」と、言わないとも限らない。
極端な想像だが、幼児虐待をして死にそうになった子供が運ばれた病院で、たまたま臓器移植を待っていたら、事実を隠したい親と、実績を上げたい医師、大金を出しても救いたい親とが一体となって、虐待の事実に目をつぶって脳死と判定して臓器移植に走るかも知れない。
また、家族に棄てられたホームレスの人や独居老人が、もし脳死に陥った場合、本人と縁の薄い家族は簡単に「OK」するかも知れない。
また、(裏の世界で)金が絡み、命が選択されるかも知れない。だいたい「人の命」に対して、誰が優先順位を付けるのか?(先の映画ではないが)金を持っている人の命は、貧しい人の命よりも優先だと、誰が決めるのか?

自然の形で(機械につながれずに)臓器が弱って死ぬ・・。これは太古の昔から営々と続く自然の摂理。それぞれが“自分の人生”を生き抜く。それが「法(ダルマ=理法)」。
よって少なくても我が家は、人の命を踏み台にして生きたいとは思わない。だから臓器を提供したいとも思わないし、臓器を貰って長生きしようとも思わない。何よりも、「まだ死なないか?」と病室の隅で待たれているような死に方はゴメンである。
・・・・と、ここまでは“エムズのひとり言(=カミさん)”さんと盛り上がったのだが・・・

でも次の記事を読んで、その決意も少しぐらついた・・・。曰く・・

<衆院厚生労働委員会の臓器移植小委員会での臓器移植法改正案を巡る参考人質疑(ここ)~2009/4/21>
◇米国で心臓移植を受けた青山茂利さん
 99年9月、45歳のとき突発性拡張型心筋症を発症し、余命3年と宣告された。自分のために家族を犠牲にできないと思い、渡航せず日本で提供を待つことにした。時間切れになれば潔く死のうと決めた。一方、「だれかの死を待つ」自分に苦しみ、希望がゼロではないことは絶体絶命よりつらかった。生きることをあきらめ、自分の気持ちを保った。ある日、車椅子に座る自分とは違い、米国で移植を受けて自分の足で立っている患者仲間と再会した。彼がまぶしく大きく見え、その夜は一睡もできなかった。渡航移植を決意し、米国で移植を受け、私の闘病生活が終わった。

これを聞くと、本当に「自分が、または家族がそうなった時、本当にカッコ良く“要らない”と言えるのか?」、何とも自信が無い自分がここに居る・・・。(トホホ・・)
何とも締りのない記事になったが、結局“その時”、真剣に考える事になるのだろう。でも、下記の論は正しいと思う。

◇光石忠敬・日本弁護士連合会人権擁護委員会特別委嘱委員
 臓器提供の増加を求める流れは、移植を受ける患者の利益のため臓器提供者を犠牲にしてもよいという考え方に基づく。だが、提供者の尊厳も患者同様に守られなければならない。現行法は自己決定の思想が前提であり、本人意思を不要とするのなら新法を作り直すべきだ。また、子どもの利益につながる親の代諾は認められるが、利益にならない代諾の権利は親も持てない。現行法にない組織、生体移植を盛り込み、自己決定を中心としたC案が一番いい改正案と思う。

(関連記事)
映画「闇の子供たち」を見て

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2009年4月21日 (火)

中村元の「阿弥陀経」(5/10)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第19回 極楽国土を欣求する-阿弥陀経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ4 大乗の教え(下)」(これ)を元に味わっていくもので今日はその第5回目、引き続き極楽世界についての説明である。

<こころをよむ/仏典「阿弥陀経」~その5

 うしゃ りほつ ひぶっこく ど じょうさてんがく おうごんい  じ ちゅうや ろくじ    に  う まん だ  ら  け 
又舎利弗 彼仏国土 常作天楽 黄金為地 昼夜六時 而雨曼陀羅華
ごこくしゅじょう じょういしょうたん かくい え こく じょうしゅみょうけ くようたほう 
其国衆生 常以清旦 各以衣裓 盛衆妙華 供養他方

じゅうまんのくぶつ そくいじきじ げんとうほんごく ぼんじききょうぎょう しゃりほつ ごくらくこくど 
十万億仏 即以食時 還到本国 飯食経行 舎利弗 極楽国土
じょうじゅにょぜ くどくしょうごん
成就如是 功徳荘厳

「また、舎利弗よ、かの仏国土、常に天楽(てんがく)をなし、黄金を地をなす。昼夜六時に、曼陀羅華(まんだらげ)を雨ふらす。その国の衆生、常に清旦(しょうたん)をもって、おのおの衣裓(えこく)をもちいて、もろもろの妙華(みょうげ)を盛り、他方[世界の]十万億の仏を供養す。すなわち食時(じきじ)をもって、本国に還到(げんとう)して、飯食(はんじき)し、経行(きょうぎょう)す。舎利弗よ、極楽国土には、かくのごとき功徳荘厳を成就せり。」

「また、かの仏国土、つまり極楽は、いつも天の音楽を奏している。そして地面は黄金よりなる。ここの原文では黄金の色をしているとなっていますが、前のところでも、池の底には金の沙が敷きつめてあったと書かれていましたね。なぜこういう金・銀・宝石の序列があるかというと、この経典ができたころのインドは外国貿易の非常に栄えた時代だったからなのです。この時代は、インドの宝石や香料、そのほか貴重品を、西方、つまりローマの世界に売りつけて、そのかわりローマからは多大の金が流入してくるというときでした。それをもとに、インド独自の金貨をつくったり、あるいはローマの金貨をそのまま使ったりしていたのです。つまり、古代インドの歴史のなかではいちばん経済の栄えていた、繁栄した時代でしたから、彼らの生活経験がここに反映しているのです。
そして「昼夜六時に曼陀羅華(まんだらげ)を雨ふらす」。当時、一日を昼夜の二つに分け、それぞれを三時に分けていました。昼を「晨朝(じんじょう)(早朝)」「日中」「日没(にちもつ)」、夜を「初夜(PM6~10)」「中夜(PM10~AM2)」「後夜(ごや)(AM2~6)」です。
さらに、その国で生きている人は、いつも「清旦(しょうたん)」、清々しい朝に、めいめいが「衣裓(えこく)」、花を盛る器を持ち、フウッとほかの世界へ飛んでいって十万億の仏さまを供養し、食事のときに自分の国に戻ってくる。これは朝飯の時のことをいいます。インドのお坊さんは午後には何も食べませんから、いわゆる朝飯前の仕事というわけです。それからごはんをいただいて、「経行(きょうぎょう)」する。経行とは、身体を調節するために、行きつ戻りつ、そぞろ歩きすることです。」

引き続き、極楽国土のみごとな光景が描写される。今日のところは「四荘厳(ししょうごん)」のうち、
③天楽(てんがく)・金地(こんじ)・天華(てんげ)の荘厳
である。

小乗仏教では「歌舞観聴(かぶかんちょう)を離れる戒を保つ」があるので、原始仏教聖090421gekkabijin 典では音楽に触れない傾向があるが、大乗仏教では、仏・菩薩への供養ということで排されない。
インドは「牛の国」とともに「花の国」だという。その中でも「ブラフマ・カマル(梵天が与えた蓮)」は日本では「月下美人」と言われているそうだ。
極楽国土の説明は続く。

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2009年4月19日 (日)

「間違えやすい敬語」ベスト10

昨日の日経朝刊に「間違えやすい敬語~「いただく」乱用に注意」という記事が載っていた。これは4月上旬、新宿駅西口で、全25問をビジネスマンに○×で答えてもらい、そのうち間違い率の高かったワースト10を挙げたもの。平均点は25問中15問、最高は24問正解の20歳台の電機会社受付の女性だったという。(2009/4/18 日経新聞より)

<間違えやすい敬語 ベスト10>
①「ご拝読いただきありがとうございます」(商談で資料を示して)間違い率67%
「拝」は「謹んで」という意味の謙譲語で自らの行為をへりくだる際に使う。尊敬語と取り違えて使用している。正しくは「ご覧いただき」「お読みいただき」

⇒まあこれは分かるな・・・

②「○○は本日休みをいただいております」(社外からの電話に)61%
休みを与えているのは本人の所属する会社。「いただく」が自社に対してへりくだる形になっている。正しくは「休みをとっております」

⇒これは多い。自分は使ったことが無いが、電話で良く言われる。

③「○○様でございますね」(来客に)58%
「ございます」は「ある」の丁寧語。「かばん」「コート」など物には使うが、敬意を示す相手には使わない。正しくは「いらっしゃいますね」

⇒「いらっしゃる」という言葉はなかなか使わないな・・。

④「コーヒーと紅茶どちらにいたしますか」(商談で)54%
謙譲語と尊敬語を取り違えている。正しくは「どちらになさいますか」

⇒これは自分でも分かる。

⑤「お子様に差しあげてください」(目上の人に贈り物を託して)51%
「差し上げる」は謙譲語。相手を経由する場合は不適切。正しくは「差し上げます」「お渡しいただけますか」

⇒これは難しい。自分でも使いそう・・・

⑤「お求めやすい」(接客の場で)51%
「求める」の尊敬語は「お求めになる」。正しくは「お求めになりやすい」

⇒この言葉はどこでも使われている。「お求めやすいお値段・・」とか。言われてみると、そうか・・・

⑦「ご注意してください」(接客・公共の場で)45%
「お(ご)~する」という謙譲表現を取り違えて使ってる。正しくは「ご注意ください」

⇒たしかにそうだ。でも良く聞くのでは?

⑧「おわかりいただけたでしょうか」(商談で)44%
目上の能力を試したり評価したりしている印象を与えてしまう。正しくは「ご理解いただけたでしょうか」

⇒そりゃそうだ・・・。

⑨「ご助言参考になりました」(上司に対して)43%
相手の好意への感謝としては不十分。「参考程度」とみなされる。正しくは「勉強になりました」

⇒これは間違えないぞ。

⑩「上司にも申し上げておきます」(商談で)39%
社外の人の前で上司を高める形になっている。正しくは「伝えておきます」「申し伝えておきます」

⇒これも間違えないぞ。

10位には入らなかったが、職場でよく問題になるのが、部下が上司に使う「ご苦労さま」。上司にはNGで、状況に応じ「お疲れさま」「ありがとうございます」を使う。
⇒これは非常に多い。メールで「ご苦労さま」の何と多いことか・・・

敬語も時代に合わせて変化する。誤用と考えられてきた言葉が、そうでなくなりつつある例もある。典型が「とんでもございません」。以前は「とんでもない」で一つの形容詞「とんでもないことでございます」が正しいとの解釈だった。しかし2007年の文化庁指針でOKとなった。
⇒これは自分も良く使う。昔は誤用だったとは・・・

“このトシになってそんなこと100%さ・・・”、なんてこの記事を読み始めたら、結果はボロボロ・・・
幾ら日本人でも、そして幾ら自称“超ベテランのビジネスマン”でも、意外と正しい日本語の使い方が出来ていない。
自分も、こんな調子ではとうてい“サラリーマンの卒業(定年=現役引退)”は出来ないので、もう少し頑張るしかないか・・!?

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2009年4月18日 (土)

「賞味期限切れだって食べられる」

今朝の朝日新聞(p13)オピニオン欄に「賞味期限切れだって食べられる~売れ残った商品、捨てるのはモッタイナイ」という記事があった。曰く・・・

「東京・亀戸の食品スーパー「サンケイスーパー」では数年前から賞味期限の切れた缶詰などの加工食品や飲料を「モッタイナイ商品」と称して市価の半値程度で販売している。07年、食品メーカーが賞味期限を改ざんするなどして批判を受ける事件が相次いだが、同スーパーでは「モッタイナイ商品」の販売を続けている。経営者の水野二三雄さんに真意を聞いた。

――「モッタイナイ商品」を始めたきっかけは何ですか。
今から7年ほど前、大手冷凍食品メーカーの冷凍トラックが突然うちの店の前に乗り付けて、「都内の冷凍倉庫を統廃合するために倉庫の商品を整理することになった。ただでいいから引き取ってくれないか」と言うのです。トラックいっぱいに積んだ冷凍食品の中には、賞味期限を最大で4年ほど過ぎているものもありましたが、うちが引き取らなければ捨てるしかないと言うので、「もったいないなあ」と思って、試しに調理して食べてみたらおいしかった。倉庫では零下37度で冷凍していたということで味も風味も全く問題なかった。
「これなら大丈夫だ」と思い、商品を引き取り「賞味期限切れ」と表示した上で市価の1割程度で売り出しました。・・・お客さんは大変喜んでくれて、トラックいっぱいの商品はたった1日半で売り切れました。
・・・先の冷凍食品の一件があってしばらくしてから、私たちが試食した上で「賞味期限切れ」と表示して市価の半値程度で販売を始めたところ、お客さんは喜んで買ってくれました。・・・
――保健所から何か指摘があったそうですが。
保健所はこれまで2回来て、「なるべく賞味期限内に売るようにしてください」と言われたので、「売れ残りが少なくなるよう仕入れを慎重にします」と答えました。「賞味期限切れ」と表示して販売しているので、法律的には問題ありませんから、保健所もそれ以上は言えないんでしょうね。
――「モッタイナイ商品」を食べて、おなかをこわしたという苦情が寄せられたことはありませんでしたか。
一度もありません。ほとんどすべての食品は事前に私どもで試食・試飲して出していますから。逆に、「モッタイナイ商品のおかげでうちは生活できる」とか「亀戸から引っ越したら食べていけない」などと冗談まじりに言ってくれるお客さんもいるほどです。
――そもそも「賞味期限」という制度について、どう考えていますか。
賞味期限などの表示が義務化される前の時代は、私たちは自分の目と鼻と舌で「この食べ物は食べて大丈夫か」ということを判断して食べていました。私のような戦中派は、子ども時代に食べ物がなかったので、お墓に供えられたおまんじゅうや道に落ちていた柿の実なども砂を払って平気で食べていましたから。それに比べれば、きちんと殺菌された上で缶詰や真空パック詰めされた食品が多少時間がたったからと言ってすぐに食べられなくなるとは考えられません。
賞味期限というのは元々、おいしく食べられる期限の目安として表示したものであって、それを過ぎると物が悪くなって食べられなくなるという期限を言っているわけではないはずなんですね。人間には五感があるわけですから、製造年月日さえ書いてあれば、それをもとに食べられるかどうかは自分で判断すればいいのではないでしょうか。日本では毎日、賞味期限切れの食品が大量に廃棄されているという話を聞くと、「本当にもったいないなあ」と思います。

<賞味期限>=食品衛生法と日本農林規格(JAS)法で表示が義務づけられている。缶詰や即席めん、冷凍食品など比較的傷みにくい食品を対象に、おいしく食べられる保証期限を表示するもので、メーカーが保存試験などに基づき、独自の判断で設定する。これとは別に総菜や食肉など製造日から5日以内に品質が急に悪くなる食品の場合は「消費期限」を表示することになっている。(2009/4/18朝日新聞から)

確かに我々は「賞味期限」と「消費期限」を混同しているように思う。冷蔵庫から取り出すと、直ぐに日付を見る。それが「賞味期限」だろうが「消費期限」だろうが関係なく、日付が越えていると躊躇なく捨ててしまう。
昨日書いた「闇の子供たち」(ここ)という映画でも、悲劇の根底は「貧困」である。貧困が全ての原因である。日本人はそれを忘れかけている。
これから、目線を「冷蔵庫」から「世界の貧困」に上げて、「賞味期限」と「消費期限」を良く区別して「もったいない」という言葉を大事にしたいもの。

話は変わるが「サラリーマンの賞味期限」って、知ってる??
今はほとんど「製造後60年」だが、国も“もったいない”と思って、現在それを段階的に65年にしようとしている。でも世の中の人が“団塊の世代”とかいっている通り、“製品”が有り余っているため、従来通り「製造後60年」で廃棄処分にしている会社が多い。実にもったいない。
もっとも、自分では充分に“賞味期限内”だと思っていても、実際にそれを賞味する会社は“目と鼻と舌”で判断する。だから例え年数だけが賞味期限内でも簡単に廃棄(リストラ)してしまう・・・。
よって「賞味期限」は単なる表示だけで判断できるものではなく、食べる側(会社)が独自に判断するものだと言う事を肝に銘じたい。(←何でこんな話になる?? ←不況で今はそんな時代なのさ・・)

(関係記事)
賞味期限切れ~いつまで食べられる?

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2009年4月17日 (金)

映画「闇の子供たち」を見て

今まで見た映画の中で、これほど衝撃を受けた映画はない。もちろんBlogを書く気など、到底起こらなかった・・・・。起きたのは吐き気と重たい気持ち・・・

先日、聞くのを忘れていた昔の放送を聞いた。NHKラジオ深夜便「人生“私”流「夢のある生き方を求めて」京都造形芸術大学教授…寺脇 研」(2009/2/21放送)だ。元文部官僚だった寺脇氏は「ゆとり教育」の生みの親だという。その寺脇氏の趣味(=今の仕事)が映画(邦画)。1年に150本も観るという。その寺脇氏が今まで見た中で最高の映画と言っていたのが「闇の子供たち」(これ)。この映画の題は知ってはいたが、見る機会は無かった。Netで調べると、ギリギリまだやっている・・・。それで急遽、昨夜会社の帰りに一人で飯田橋ギンレイホールに行ってきたというわけ・・・。

舞台はタイと日本。幼児売買春と、生きながら心臓を取られる子供の臓器移植がテーマ。田舎で実の両親に、テレビと冷蔵庫のためにマフィアに売られていく8歳の女の子。連れて行かれたバンコクで待っていたのは、日本・欧米の“客”による性的玩具にされる売春宿の檻(おり)の世界。
日本人らしい痩せた“客”が、店から大きなスーツケースを持って出てくる。自分のホテルでそれを開くと女児が出てくる。そして言う。「まずシャワーを浴びよう」・・・・。
白人夫婦は、子供にホルモンを注射し、子供が死にそうだと分かると、金を払うと言う。そして、7000ドルだと言われて「ビザで・・・・・」。
そしてエイズを発症した子供は、生きたまま黒いビニール袋に入れられ、ゴミ収集車に・・・・

あまりにおどろおどろしいシーンの連続で、吐き気すら覚える。

そして子供の心臓移植。東京の商社マンの息子が心臓の病気で半年しか命が無い。そして5000万円を払って、タイでの心臓移植を決意する。それも我が子を救うため、生きた子供から心臓を取ることも承知の上で・・。そして売春宿の子供が血液型を調べられ、選ばれた子供は洗われ、初めてきれいな服を着せられ、“予定の日”に病院へ・・・

この映画がノンフィクションかフィクションかは、色々と議論されている。この映画に取材協力をした大阪大学医学部付属病院移植医療部の福嶌教偉さんは「まずはタイで、日本人が心臓移植を受けた例はない」「心臓移植を受けようと思っている子供の両親が、よその子供を殺してまで自分の子供を助けたいと思っている人は一人もいない」「心臓移植はリスクが高すぎて、儲けということでは成立しないかもしれない。スタッフは8名必要であり、情報は漏れる」と指摘する。(ここ

これが事実かどうかは別にして、「このような事」が有り得るだろう事は、映画を観ていて分かる。前にもどこかで聞いたことがあるので・・・。
しかし、その場面を赤裸々に眼前に展開されると、目をそらしたくなる。でも、もし自分の子供だったら・・・・?

最近何かの本で、「虫けらも人間も、食する力を失った時、死を迎える」といった事を読んだ。それが自然の摂理。それに対して、「臓器移植」は、我々はどう捉えたら良いのだろう。自然への、また神への反逆?
そしてこの映画のラストシーンに圧倒される。「お前もこれは他人事ではなく、当事者だ」と迫ってくる・・。(それ以上はネタバレなので書かないが・・・・)

ところで、自分はこの映画の“何に対して”吐き気をもよおした? ⇒たぶん“日本人が加害者である”という事実に対してかも・・・。(この映画の通りでないとしても、金満の日本人なら、たぶんその通りだろう・・・)

この映画は、2008年8月の上映スタート時は7館だったという。それが大ヒットになり、公式HPに載っている2009年2月現在の上映館だけでも126館に達する。
でも、見ていて楽しくない、まさにマイナーな社会派ドラマが、これだけ沢山の日本人に受け入れられたということは、まだまだ日本人の自浄能力が期待できるという事かも・・・

話は変わるが、昨夜、自分の“衝撃を受けた”という感想を聞いて、ウチのカミさんも急Image02731 遽、今日見に行った。ギンレイホールの最終上映である。その感想は・・・「社会派ドラマで、このようなテーマを取り上げたのは良かった。桑田佳祐の主題歌“現代東京奇譚”がとっても良かった!特に“淋しくて淋しくて 魂(こころ)に死化粧”という所・・」(奇譚=きたん=世にも珍しく面白い物語・言い伝え)

いずれこの映画も「復習」しようと思って調べたら、すでにDVDが出ている。既にレンタルもされているようだ。(例はここ)そのうち、もう一度ゆっくりと見てみよう・・・かな??

●メモ:カウント~38万

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2009年4月16日 (木)

痴漢冤罪~最高裁の逆転無罪判決に思う

実は、自分はおととい(09/4/14)の最高裁の痴漢事件の逆転無罪判決に拍手喝采しているのである。というのは、前にも当blog(ここ)でも書いたが、自分は日本の痴漢事件の摘発制度に疑問を持っていた。それに対し、今回の最高裁判決は少し応えてくれたように感じた。(・・と言うのは、前にカミさんが駅のホームで痴漢を摘発している女性の姿を目撃し、その自信満々の態度から“到底素人とは思えなかった”と言う。その経験から、痴漢事件に対して自分はかなり偏見を持っているのだ・・)

今朝の新聞各紙がこの判決をどのように捉えているか、全紙を読んでみた。社説とコラム天声人語の両方で扱っていたのは朝日だけ。毎日・産経は社説だけ、日経はコラムだけ、読売は両方とも取り上げていなかった。
その中で、朝日の「天声人語」が分かり易い。曰く・・

「ひとくくりに「痛勤電車」と恨まれても、イタさは各様だ。すし詰めともなれば、つり革や握り棒にすがるまでもない。青年の背が支えになり、おじさんの腹がクッションと化し、乗客はひとかたまりで揺れる。身を任せながら、昨今、手の位置だけは気をつけている▼痴漢の疑いで捕まり、一、二審で懲役1年10カ月の実刑判決を受けた防衛医大教授(63)に、最高裁が逆転無罪を言い渡した。痴漢事件では過去10年、30件以上の無罪判決が出たが、さすがに最高裁は初めてという▼教授は3年前の朝、通勤の満員電車で女子高校生に突然ネクタイをつかまれる。悲劇の始まりだ。下着に手を入れた容疑だった。しかし最高裁判決は、彼女がしつこい被害から逃れようとしていないなどと、不審の目を向けた▼狂言とは思いたくない。女子高校生の思い違いとすれば、冤罪により真犯人が笑い、善人の人生が暗転したことになる。卑劣な犯罪に泣いた被害者は無罪判決をどう消化するのだろう▼物証なし、目撃者なし、あるのは被害者の供述と容疑者の全面否認だけ。こんな「藪(やぶ)の中」で裁けるものかと思うが、検察の幹部は「泣いている人がいるのに、やらないわけにはいかない」と語る。慎重の上にも慎重に吟味するほかない▼「痴漢したでしょう」とにらまれ、一番うろたえるのは身に覚えのない場合だろう。涙声でとがめる少女を前にして、冷静に「両手のアリバイ」を立証する自信はない。女性の尊厳を踏みにじり、時に男性まで泣かせる鬼畜の病に、つける薬を知らない。(2009/4/16朝日新聞「天声人語」より)

この教授の場合も、事実を認めなかったためか、一,二審は1年10ヶ月の実刑判決だった。せっかく教授に昇格した直後だったのに、これまでの3年間は休職扱いになり、人生はメチャメチャ。
前に書いたが映画「それでもボクはやってない」にこのようなセリフがある。(ここ
「この種の軽微な事件でも否認していれば留置場暮らしだ。裁判にでもなれば・・3ヶ月位出てこられない。・・認めれば罰金5万円の事件だ。そのうえ裁判に勝てる保証は何も無い。有罪率は99.9%。・・認めて示談にすれば、誰にも知られず明日かあさってにはここを出られる。・・今認めて示談にすれば、それでおしまいだ。・・・」

一番懸念されるのが、被害者が“100%間違っていない摘発”をしているか、だ。死刑判決と同じく、限りなく0に近いといっても、0でなければ、無関係な人の人生を自分の勝手な「勘違い」でメチャメチャにしてしまうことになる。そんな権利があるとは到底思えない。
だから、毎日新聞の社説にあるように「・・・痴漢は有罪無罪のどちらも立証が難しいやっかいな犯行で、付け入るように示談金目当ての虚偽申告も相次ぐ。疑われたくないと多くの男性がつり革や手すりを両手で握る“バンザイ通勤”を励行しているのが実情でもある。拘置を嫌って、無実なのに犯行を認めて罰金刑に応じる人も少なくない。・・・」という事になる。
何か知恵は無いものか・・・・。もし仮に「痴漢事件は一切示談を認めず、全て正式裁判とする」という法律が出来たら摘発が激減するかもね・・・・??

話は変わるが、先日朝日新聞に「痴漢疑惑で取調べを受けた23歳が自殺」という記事が載っていた。(09/4/5)(詳細はここ
「(前日徹夜して疲れていたから)・・・午後11時35分ごろ、茅ヶ崎―平塚間で仕事の資料を読みながら寝入ってしまった。平塚駅の直前で隣の女子高生が怒ってきた。寄りかかって手が太ももに触れてしまっていた。駅員室に連れて行かれ、警察署に連行された」「3時間以上、事情聴取を受け、・・決めつけられて怒鳴られるから、だんだん気持ちがなえてきた」とつぶやいて自室に戻った。30分後、くたびれたスーツのまま部屋から出てくる。「眠れないから会社に行く。仕事する」といい残し、家族が止めるのを振り切って出て行った。 長男は翌日の午後、遺体で見つかった。家を出てわずか15分ほど後に近くのマンションから身を投げていた。
女子高生は当時の状況をこう話している。「座っていたら男が身を寄せてきて、スカートの下の短パンの中に手が入ってきた。男のイヤホンを取ったら、へらへら笑っているだけだったのでけりを入れた」・・・・

この手の事件は聞けば聞くだけ、何とも言葉が無い・・・・。
(女子高生などが居るはずが無い)夜中の11時半。とうてい満員電車などではないなので、寝ている人が寄り掛かってきても、逃げることは出来たはず。それを女子高生は“けり”を入れて警察に突き出し、自殺に追い込む・・・。まさに女子高生と警察の共犯ではないのか?新聞の通り、親の心中は察して余りある。(ここ

ともあれ、何とかこの手の事件に巻き込まれないために、自分は満員電車は避け、若い女性には近付かないことにはしている。
・・が、もし女性に摘発されたらどうするって? 当然、していなくても“認めて”、今の相場だという5万円を払ってオシマイにするのさ・・・・。(トホホ・・)

(関係記事)
映画「それでもボクはやってない」を観て

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2009年4月15日 (水)

手仕事屋きち兵衛の「生きている悲しみ」

春は鬱病が悪化する季節とか・・・?? また、そろそろ「五月病」などが話題になる季節・・。
手仕事屋きち兵衛さんが「最近こんな時代になって生きていることを悩んでいる人が多いでしょう。自殺する人も多いし・・・。だから皆に聞いてもらいたい。知ってもらいたい」と心を込めて作ったという「生きている悲しみ」という歌。アルバム「風暦これ)」に入っている。しかし、実に哲学的テーマを扱っている。
「人はどうして生きてゆくのか?」「生まれたことの理由を探して」「私はどこの何者なのか?」というフレーズの数々・・・。何とも奥が深い・・・
少し聞いてみよう。

<手仕事屋きち兵衛の「生きている悲しみ」>
               
「風暦」(CDはこれ)より

「生きている悲しみ」
  作詞・作曲:手仕事屋きち兵衛

生きてることに少し疲れて
ため息ついてふと立ち止まる
人はどうして生きてゆくのか?
ふいにおそう行き場のない深い悲しみ
オーイ オーイ 泣いてばかりの
はぐれていた迷子がまた 見え隠れする

生まれたことの理由を探して
歩き始めた私の人生
迷路を抜けて 峠を越えて
孤独のなか たったひとつ見つけたいのは
オーイ オーイ 誰かいないかあ?
私を待つあなたは今 どこにいるのか

人は誰でも自分という名の
迷子を連れて尋ねて歩く
私はどこの何者なのか?
どこから来てどこまで行く旅人なのか?
オーイ オーイ 呼びかけながら
また一人で歩いてゆく 歩きはじめる

フト「人はどうして生きてゆくのか?」と思う・・・。がむしゃらに働いている時は考えない。でも何かをキッカケに立ち止まってしまうと、意識が内面に向かって悪いスパイラルに入り込む。そして・・・
人間は目的が無いと生きて行けないという。「五月病」を代表に、フト目標を見失うと心が揺らぐ。その時「私を待つあなた」が居れば、ハッと我に返る事も出来る。そう、「あなた」のために「私」が存在している事もあるので・・・。しかし「私」だけの場合はツライ。

我々“サラリーマンという人種”の場合、定年という節目が一番怖い。
「どこから来てどこまで行く旅人なのか」というフレーズがあるが、「どこから来て」は自分で分かっている。しかし「どこまで行く旅人なのか」という事は分からない。そして、“分からない”という事が不安を呼ぶ。その時に唯一頼りになるのがやはり「私を待つあなた」の存在だろう。
何が言いたいかって?? ⇒“世の若い人は、絶対に結婚すべき・・・”(笑)

でも「解」は意外とこれかも??
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」(ここ

(関連記事)
「般若心経」勝手帖-03 全文

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2009年4月13日 (月)

宗教者へ「職 失った人に寝食施すべきだ」

昨日の日曜日、朝起きて行くとカミさんが朝日新聞の記事を示して「我が意を得たり・・」の顔・・・。
記事は「私の視点」というコラム。題は「宗教者へ“職 失った人に寝食施すべきだ”~映像作家 児玉 修」というもの。読んでみて、自分も頷いた。曰く・・・・

宗教者へ“職 失った人に寝食施すべきだ”~映像作家 児玉 修
派遣切りなどで約18万人もの非正規労働者が職を失った。今回の不況の特徴は職と共に住まいを失い、路頭に迷う人が大勢出たことだろう。
年末年始の東京では、支援団体が準備した派遣村に収容しきれず、厚生労働省の講堂を開放して対処した。厳冬の札幌では、民間の不動産会社が空き部屋を安価に提供して家を失った人の命を守ったという。
こうした中で、日本の宗教者の多くが沈黙を守り続けていることに不思議な感覚を抱くのは、私だけだろうか。
今回の不況の震源地であるアメリカでは、教会がホームレスに食糧や衣類を供給し、生命を守る最後のとりでとしての役割を果たしている。日本のメディアも、そうした海外の情報は流すが、この国の宗教者が行動しないことについてはあまり触れない。宗教は無関係だと考えられているのだろうか。それとも、何も期待していないのか。
私は約20年間、民放の宗教番組制作を担当し、多くの宗教者と出会ってきたが、彼らのほとんどが宗門の問題以外には無関心なことに驚いた。
例えば、臓器移植の問題で国中が沸騰した時でさえ、宗教者が「いのち」について積極的に発言することはほとんどなかった。
子殺しや親殺し、行きずりの殺人など、社会全体が立ちすくむような事件が起きた時さえ、宗教者がメッセージを発することはない。1年に3万人以上が自殺するという日本の現状も、宗教者には無縁なのだろう。
では、宗教は今、派遣切りの問題にどうかかわることができるのだろう。派遣村のように、宿泊施設と食事を提供することはできないのだろうか。
ほとんどの僧侶が妻帯し、寺が生活の場となっている現況を考えると、路頭に迷う人たちを迎えることができるのは、本山や別院などの大寺院に限られるだろう。本山の多くは境内に研修施設や宿泊施設を備え、100人単位の宿泊が可能である。もし、それらの施設がなければ、広大な境内にテントを張ればいい。
そして、共に暮らす中で、自らの生き様を通して哲学を示すことが宗教者の役割だろう。「人はどう生きればいいのか」。職を失い心に傷を負った人々の声を聞き、悩みを共有することこそ宗教者の務めではないのか。
資金、人手、安全確保・・・。実施までには多くの問題が頭をよぎるのに違いない。すべてを背負う必要はない。公的な機関や支援団体と共に、社会を支えるコマの一つになればいい。踏み出しさえすれば、輪は広がる。
公共性を認められ、課税対象から外されている浄財は、こうした時こそ生かされるべきであろう。」(2009/4/12朝日新聞から)

この論は、実にもっともであると思う。
前にマザー・テレサについて当blogで書いた(ここ)。マザー・テレサは、インドで死に行く人がゴロゴロと道端に横たわり、見棄てられているのを見て、宗教・宗派に関係なく、自分の所に連れてきて、人の尊厳のもとにいたわった。それは、慈善事業家の顔ではない。キリストから派遣されてきたという立場だった。「単なる慈善家になるのだったら親と縁を切らなかったでしょう。私はキリストに仕えるために修道女になったのです。・・・」と。
この活動には「キリスト教」が根本にある。それに、年末に良く話題になる「社会鍋」もキリスト教系の活動である。

それに比べて、仏教系の慈善活動というのはあまり聞かない。確かに、特に上座部仏教(=古い仏教)は個人の修行が目的だという。だから仏教は世の中の人全体を対象にしていないのかも知れない。しかし、一方では「他利行」という言葉もある。確かに仏教における行は、自分たちの行だ。昔の布教にしても、キリスト教と仏教とは全く違う。
でも仏教を初めとした宗教は、世の人に心の平安を与えるもの。「心の平安」には寝食が前提である。よって、仏教にも布施に基づく弱者に対する支援活動があっても良いような気がする。
日本人に無宗教の人が多いように、多くの日本人にとって宗教は意外と縁が薄い。それも、このように日常活動から縁が遠いのも原因なのかも知れない。しかし、仏教界もそれなりの理論があると思うので、ぜひ宗教家から“本指摘に対する返答”を聞いてみたいものである。

(関連記事)
沖 守弘著「マザー・テレサ~あふれる愛」を読んで
マザー・テレサの生き方
仏教界の戦争協力

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2009年4月12日 (日)

映画「レッドクリフ Part2」を見る

ウチのカミさんが待ちに待っていた映画「レッドクリフ PartⅡ」(これ)を見に行った。話題性が大きいだけに、場内は今までに無い人の数・・・。

Image02691 「レッドクリフ PartⅠ」については、当blogでも前に書いた(ここ)。その時の印象から、今度もかなり過大な期待を持って見た。でもその自分の過大な期待に対しては“ウーン・・”である。(写真はクリックで拡大)

まず、せっかくの“大人のドラマ”に、“可愛いお話”が入ってきて、残念。
①孫権の妹・尚香が男装して敵軍に乗り込み、スパイ活動をする。そして敵陣の将と友情・・・。ウーン・・ ②劉備軍が孔明を孫権軍にひとり残して撤退するが、本当か・・? 幾ら同盟を結んだといっても、敵陣になぜ1人残る? ③曹操が自分を得ることも戦いの理由と知った周瑜の妻・小喬が、風向きが変るまで開戦を遅らせるために単身曹操軍に乗り込む。そして曹操がお茶を飲んでいて開戦が遅れる・・・。そんなバカな・・?
これだけの本格的な映画なので、自分は大部分が史実に基づいていると思い込んでいるだけに、何か違和感・・・・
家に帰って、NETで調べてみると、確かに大きなストーリーは『三国志演義』には則っているらしい。しかしこの映画ならではの創作もあるらしい。自分が違和感を持った3点も、映画の創作かも・・・?
よって、骨太のドラマ展開を期待している自分には、少し??であった。

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しかし相当に力が入った映画であることは確か。まず2時間余があっという間に経ってしまう。それだけ観客を集中させてしまう映画だ。不足の矢を曹操軍から調達するという有名なエピソードを含め、最後の決戦に向けて着々とドラマは進む。そして圧倒的な戦いの場面。これは「PartⅠ」で体験済み。

しかし相変わらず役者に品位があって良い。曹操も悪役とはいえ風格があり、最高なのが孔明役の金城 武。理知的で品位があり、素晴らしい。カミさんが言うに、金城 武は父が日本人で母が台湾人だという。自分は知らなかったが・・・

中で、「風林火山」が出てきた。言うまでもなく「孫子」だが、プログラムによると、「・・現在我々が読むことができる「孫子の兵法」は曹操が注釈をつけてまとめたもので、風林火山の後に「陰」と「雷」が続いている。「風」/ 疾(はや)きこと風の如く、「林」/徐(しず)かなること林の如く、「火」/侵掠(しんりゃく)すること火の如く、「山」/動かざること山の如く、「陰]/知り難きこと陰(いん)の如く、「雷」/動くこと雷の震うがごとし」。
だが、日本人にとっては、あまりにも武田信玄の印象が強いので、三国志の中国の映画に「風林火山」は、何かヘンな印象・・・
また「乃(なんじの)子(この名は)平安」という場面(字)が出てきた。「乃」と「子」をくっつけると「孕(はらむ)」という字になるとか・・

ともあれ、あまり深く考えないと、充分に楽しめる映画ではある。音も映像も・・・
そしてこの映画の一番のメッセージが冒頭に出てきた、この文言。

「私たちが暮らしている今は、過去に生きた人々の勇気ある行動が積み重なってできてきました。
世界的不況・不信の時代だからこそ、一人一人の決断で今を変えて新しい未来を作りましょう。
みなさんがそれぞれの「奇跡」を起こす時です。
未来に勇気を。」(ジョン・ウー)

たまたま今(2009/4/12夜9時)、テレビ朝日で「レッドクリフ PartⅠ」を放送している。劇場での上映から、まだ半年しか経たないのに地上波放送とは早いが、どうもテレビ朝日もこの映画制作に参加しているらしい。確かにこれからの狙いは、「PartⅡ」に観客を動員すること。それには地上波で「PartⅠ」を放送し、「PartⅠ」を見ていない人も含めて「PartⅡ」に観客を動員する作戦らしい。
これからもこのような本格的な次々に映画が作られると、楽しみだ。

付録:今回は吹き替え版を見た。中国語の勉強をしているカミさんを考えると原語版が良かったが、後の祭り・・。しかし吹き替え版はスーパーされる文字をいちいち読まなくて良いので、絵に集中できて良い。しかし、映画の製作者は声も含めて作品を作っている、と考えると原語版を見るのが良いわけだ。でも今回は声優も素晴らしかったので、自分は吹き替え版の方が好きだな・・・

(2009/4/13追)
一日遅れでこの映画のプログラムを読んだ。なかなか良く出来たプログラムで、歴史的な背景や、3世紀に陳寿(ちんじゅ)が著した正史「三国志」、及び「三国志演義」とこの映画との関連が記されており、後で読むと勉強になる。とともに、昨日書いた自分の疑問の解が、ほとんどここに書かれている。つまり、何が創作かの回答が・・・。先手を取られたようでニクイ・・・・。
つまり、この映画は視聴者の反応の全てをお見通しのようで、「コメントする前に先ずこのプログラムを読め」と言う事かも・・・。しかし豪勢な印刷のプログラムが600円とは安い・・・・

(関連記事)
映画「レッドクリフPart1」を見る

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2009年4月11日 (土)

脚本家・早坂暁の話(2/2)~死の宣告から生き返って

昨日の記事(これ)の続きである。
NHKラジオ深夜便「こころの時代」「タカアシガニに学んだ人生哲学(2)脚本家 早坂暁」(2009/4/8放送)を聞いた。昨日聴いた放送の後半である。(本記事の前に前半の(これ)を一読されたい)

「50歳で心筋梗塞、胆のうガンで余命1年半と告知され、手術を受けた。胸を開いて、心臓のバイパス手術、そしてがんの切除。幸いなことに、胆のうがんは誤診でした。当時は超音波で診断をしていた。当時その病院には超音波の権威がいて、かなり進んだガンだと診断した。後で他の人が見ても、これはガンだと診断する方は正しいかもしれないと言っていた。胆のうガンが発見されたのは、心臓バイパス手術をしようとしていた寸前だった。心筋梗塞という病気は大関格だが、ガンは横綱格。よって、胆のうガンが見つかって、手術を慎重にする必要が出て、両方の手術のチームが組まないといけないので一ヶ月ほど待たされた。その時に昨日言った死の勉強をした。後で考えると、非常に貴重な時間だった。そのまま手術していたら、死について考える時間も無く、手術後の誤診への不満だけで終わっただろう。
手術後退院するときに、再発したら今度は命は無いと言われた。退院した時は嬉しかった。見るもの聞くもの、全てが新鮮だった。空を見ても、小さな花を見ても、感動の嵐・・・。それから常に“これっきり”と思う緊張の生活が始まってしまった。それで疲れてしまった。それなら“死んでしまえばよい”と思った。生きていこうとするからツライ。それで生前葬をやった。これは退院してから1年くらい後の話。通常の葬式と同じで、違うのは自分も挨拶をしたこと。これは色々な意味で良かった。これによる心の開放感は素晴らしいものがあった。香典は5倍くらい集まった。本人が生きているので皆香典を奮発した。弔辞が面白かった。自分が思っていたことは褒められないで、意外な事を褒められた。つまり、他人から見て“自分はこんな人間だ”と教えられた。例えば、「夢千代日記」よりも「花へんろ」の方を評価してくれたとか・・。自分としては原爆をテーマにした「夢千代日記」が一番の代表作と思っていたが、“地方の生活史をドラマにしてくれた”と「花へんろ」を高く評価してくれた。次が「天下御免」で「夢千代日記」は3番目だった。
それで、自分も皆に生前葬のお返しをしないといけないと思った。それで、今まではお金や反響を気にして作品を作ってきたが、これからは自分のやりたいものだけをしよう。次(の世代)に渡すバトンタッチのことだけを考えよう・・、と。それから仕事の請け方が全く変った。幾らお金を積まれても、したくないものはやらない。バトンタッチのものだけやる。既に自分は死んでしまっているのだから・・。
本当に死ぬまでに、自分は何をしなければいけないのかの目標が出来た。
・・・・(以下略)」

この話を聞いて、「死についての勉強」、「自分は何者か・・」、「何のために生きているか・・」などについて、自分も考えてしまった。
特に50歳という若さでは、誰も仕事に没頭していて、「死」という意識は無い。しかし、一旦病気になると、急激に「死」を意識させられる場合がある。自分など、怖いのでなるべく触れないようにしているが・・・。しかし昨日の「死ぬのが怖いというなら、生まれてくるな」という言葉にも、「父親や母親は、自分の目から死をさえぎってくれていた」という目線も、なるほど、と納得した。
それに、人生で、「自分は何者か・・」については知るチャンスは意外に少ない。サラリーマンの場合、定年(扱い)退職をする時が、一番それが良く現れる時かも知れない。思い出すと、自分の場合は、皆が高い金を出してホテルで退職記念の会をしてくれたが、その時がサラリーマンとして一番嬉しかった瞬間だったように思う。
また早坂さんは、死に向き合った経験を機に、「これからは自分のやりたいものだけをしよう」というスタンスに変えたという。
人間は誰も、何かで転機を迎えるが、その時の意識の仕方で、人間はどうにでも変身するらしい。良く「変化をチャンスと捉えて・・」とも言うが・・・。
自分など、不器用で変化を一番好まないが、サラリーマンは誰もが“60歳定年”という転機を迎える。
この話は、これらの“転機をどう迎えるか”の心構えを教えてくれたような気がした。

(関連記事)
脚本家・早坂暁の話(1/2)~余命1年半の告知から

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2009年4月10日 (金)

脚本家・早坂暁の話(1/2)~余命1年半の告知から

久しぶりに、NHKラジオ深夜便「こころの時代」で良い話を聞いた。「タカアシガニに学んだ人生哲学(1)脚本家 早坂暁」(2009/4/7放送)である。(まだ前半だけで、後半は聞いていない)
(帰りの電車の中では、いつも寝て帰るのだが、今日はこの番組をもう一度聞きながら、一生懸命メモを取っていたので、珍しく寝なかった・・・)

「夢千代日記」などで有名な脚本家・早坂暁は、現在80歳だが、人生のターニングポイントは50歳過ぎからの病気との戦いだった。胃かいよう、心筋梗塞、胆のうがん。その人生観を変えたのは、水族館に居たタカアシガニだった。・・・

不摂生から、朝から肉ばかり食い、タバコは100本吸い、仕事が忙しいからと朝方3時間しか寝なかった。だから病気一直線。
突然医師から、良くて2~3年、冷酷に言えば1年そこそこと思ってくれ、と告知された。
心筋梗塞で心臓の半分が死んだ。それと胆のうがんの二つが一緒に起きた。「連載を持っていたので、あとどの位のくらいの時間があるか、正直に言ってくれ」と言ったら、1年ちょっと位と言ってくれた。もう少し期待していた。日本で最高の病院に入ったのに・・、呆然とした。
うまくいって2年。自分は10年位は持つだろうと考えていた。10年あれば、書きたいものも書ける。ちょっと短すぎる。(詳細はエッセー集「眠られぬ夜に―生から死への15章」(これ))

初めて死と向きあった。きつかった。死が分からない。七転八倒して、模範解答を見つけた。死は誰も体験したことがない。が、生まれた時から死は約束さたもの。「死ぬのが怖いというなら、生まれてくるな。生まれた時に死は約束されていることを知れ」と禅宗のお坊さんが言っていた。
元気なときには見えない。井上靖が、「しろばんば」(これ)という小説で書いている。

「自分の両親が死んだとき、初めて死と向かい合った。長生きしてくれている父親母親に感謝の気持ちがなかったが、死んだときに初めて、父親や母親は、自分の目から死をさえぎってくれていた。両親が死ぬと何もさえぎってくれるものがないので、死と対面する。親は生きていることで、子供を守ってくれている。死から視界を遮ってくれている」という文章・・・。なるほど、と思った。

あわせて、死とはどういうものか、本で勉強した。最初に読んだ本がエリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」(これ)。人間が限られた余命を、どのようにして死にたどり着くかを、5段階で書いていた。1)は「拒否」~自分が死ぬ訳がない。2)「怒り」~何で自分が・・・。3)「取引」~良いことをしたので治るだろう。4)「沈痛」~一番苦しくて長い。5)「受容」~受け入れる。
自分は「怒り」の段階だった。「受容」は、自分は納得できなかった。キューブラー・ロスはキリスト教の病院だったので、皆、天国を信じている。でも自分に宗教はないので、天国は感じられない。自分は宗教を持っていなかったので恥ずかしいと思った。

自分と同じような人で、余命1年半と言われた中江兆民が「一年有半」(これ)という本を書いた。明治34年で30万部の大ベストセラーになった。そこにはこうあった。「自分は、永久は信じない。霊魂も信じない。永遠なるものは物体である。物である。自分は物にすぎない。そこで消滅する。そう思えば往生する」。霊魂不滅を排除したテーマ。
同じ時期、正岡子規は脊椎カリエスのため、痛さで叫びながら生きていた。子規は兆民を「命を売り物にするとは卑しい」と一刀両断に切り捨てている。
「兆民居士は、平気で死ねると言っているが、死ぬことがそんなに偉いのか。平気で生きることの方がもっと大事だ」と言う。これは「目から鱗」だった。「兆民は死というものを、生がなくなる、ゼロになる、そこで終わりと言う。でも自分はそうでは無い。死後も続くんだ。それは死なないという意味ではなく、自分のしていることの跡継ぎが出て、子供のようにつないでいく。だから、平気で生きる方が大事。次にバトンタッチする大事な繋ぎ手でありたい。」
そこで自分は、死ぬとここで終わると思っていたので、違うな、と分かった。次につながないといけない。何ぼ痛くても、淡々と走れ。苦痛の表情を他人に見せるな。その時、初めて抜けた。

医師から「何を食べてもいいですよ」と言われた。これはショックだった。医療放棄だ。投げ出されたと思った。だから、病室で焼肉を食ってやった。
それに、「病院に夕方までに帰れば、どこに行っても良い」と言われた。それで音楽を聞きに行ったら号泣してしまった。自分の本音が出た。それから池袋の水族館に行った。アジが、わけもなく平気で泳いでいるのはスゴイ。彼らは本能のまま泳いでいる。人間は目的が無いと生きられない、という事があるが、本来の命は、目的なんかなくても良い。生きる090410kani とは何ぞや、などと難しいことを考えるな。魚は生きているから泳いでいる。水族館の奥の方に、タカアシガニがいた。動かない。でも口だけ動いている。彼らは立っていることに意味がある。具体的な例を見て、“平気で生きるとは、こういうことなんだ”と分かった。・・・
(以下後半の放送に続く)」

どうも、最近「死」についての話題が多くて恐縮だが、特に理由はない。たまたまである。
でもあの早坂暁が30年前に余命1年半と宣告されていたとはビックリ・・・。どうして死の渕から生き返ったかは、後半の放送を聞かないと分からないが、前半だけでも、初めて死と向き合った姿が良く分かる。

キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」は、カミさんが昔から自分の宝にしていた本。数十年前からカミさんから“読め読め”と言われていたが、たまたま先日(昭和60年発行の黄ばんだ)この本を読み始まったところだった。でも何かしっくり来なくて放り出してあった。
まあこれを機に、(黄ばんでいない)新しい訳の本を買ってきて、再チャレンジしてみるか・・・・・

重たいテーマで、何ともコメントができない早坂暁の話ではある。(どうして生き返ったかは、後半の放送を聞いてから追記する)

(関連記事)
脚本家・早坂暁の話(2/2)~死の宣告から生き返って

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2009年4月 8日 (水)

韓国「尊厳死」判決を読んで~延命措置中止認める

2008年11月28日、ソウル西部地方法院で「韓国で初の尊厳死判決」が出たという。その判決文が日本尊厳死協会(ここ)の季刊誌「リビング・ウイル」(H21.4.1号p12)に載っていた。
それによると、原告5人(本人とその子ら4名)が学校法人某大学傘下の病院を相手取り、人工呼吸器取り外しを求めて提訴(2008/6/2)、本人の請求が認められたというものだった(子らの請求は棄却)。(ここ

「韓国「尊厳死判決」を読んで 日本尊厳死協会 常任理事 弁護士 青木仁子
(1)事案の概要~人工呼吸器の除去を
原告本人は76歳の女性で、敬虔なキリスト教信者。夫は3年前、延命措置の気管切開術を拒否して亡くなっている。原告本人は当時、家族に「私が病院で、蘇生するのが難しいときに、呼吸器をはめないで欲しい。機械で延命するのは望まない」と話していた。
その彼女が2008年2月18日、肺ガン検査のため被告病院で気管支内視鏡を利用した肺腫瘍組織検査中に、出血多量により心停止となった。主治医らは心拍動機能を回復させ、人工呼吸器を装着した。が、低酸素性脳損傷を受け、この時から持続的植物状態となった。集中治療室で人工呼吸器を装着した状態で抗生剤投与、人工栄養供給、水液供給等の治療を受けている。人工呼吸器を除去すれば直ちに死亡に至る病状となった。

(2)当事者の主張~意思表示の有効性でも対立
原告本人は次の理由から「被告は原告本人に対し人工呼吸器を除去しなければならない」と主張した。①憲法が保障する自己決定権に基づき、治療中断の決定ができる。②既に意識が回復不可能な状況でなされている医療は生命だけを単純に延長させているに過ぎず、医学的に意味がない。③原告本人は以前、無意味な延命を拒否し、自然な死を望む意思を表明したことはあり、本件治療を中断して人工呼吸器を除去する意思があったとする。
これに対し、被告は、原告本人は現在意識不明であり、その意思の確認はできないとした。治療中断は直ちに死を招来し、患者に対する生命保護義務が優先する被告病院としては、治療を中断することはできないと主張した。

(3)人工呼吸器除去義務の理論~憲法10条により、医師に中断応ずる義務~生を維持する利益より死を迎える利益大きい
人工呼吸器取り外しを認める理由を判決は次のように述べている。
(ア)憲法(大韓民国憲法)10条は個人の人格権と幸福追求権を保障しており、その前提として自己運命決定権がある。そして患者の自己決定に基づく治療中断要求のある場合、特別な事情のない限り、医師はこれに応ずる義務があるとする。
(イ)ところで、治療行為の中断で患者が直ちに死に至る場合でも、医師は患者の要求に従って治療中断の義務があるかというと、そうではない。憲法に規定された全ての基本権の前提として上位に生命権がある。国家は憲法10条に従い国民の生命を保護する義務が、人は誰にも他人の生命を侵害してはならい義務がある。従って、医療法、応急医療に関する法律、刑法(嘱託殺人罪、自殺幇助罪)で法律上の制限をしている。患者が人工呼吸器の除去を要求しても、医師はその要求に原則として応ずる義務がない。
(ウ)しかし、人間は誰もがいつか死を迎える。人間の尊厳性は生命権がその基礎をなしており、死への過程、死の瞬間にも具現化されなければならない究極的価値である。特に医学技術の発達によって生命の延長が可能になった今日では、生命延長治が快復不可能な患者に肉体的苦痛だけでなく、植物状態のまま意識なく生命を延長しなければならない精神的苦痛を強要する結果となり、却って人間の尊敬を害するところとなった。
(エ)それ故、患者が不治且つ末期の病状にあり、治療中断の意思表示がある場合、患者が生と死の境界で自然な死を迎えることが人間の尊厳に更に符合し、死を迎える利益が生命を維持する利益よりもはるかに大きい。
(オ)従って、原告本人の場合は、人工呼吸器の除去を要求する自己決定権の行使は制限されず、医師はこれを拒否することができないとする。これに従った人工呼吸器の除去行為は、応急医療中断の正当事由があるとして、医師は民・刑事上の責任を負担しない。
(カ)更に、患者の要請を医師が拒否できない場合について実体的・手続的要件を立法で詳細に規定することがより望ましい、とした。が、具体的立法がないからといって、認められないものではなく、憲法から直接導き出される権利として生命保護の原則との衝突及び利益衡量を考慮した法解釈の下で認めうるとした。

(4)原告の病状
原告本人は通常の持続的植物状態よりはるかに深刻で、脳死に近い状態である。通常の持続的植物状態の場合、期待生存期間は2年~5年であるが、原告本人の場合は自発呼吸が不可能で脳損傷の範囲が大きく、植物状態発生の日から1年以内、現在(判決の日)からは3~4か月以内と見られるとしている。

(5)患者の意思
原則として、治療中断当時の病気と治療に関する正確な情報の提供を受けたことを前提とし、明示的に表示されてこそ有効と言える。しかし、意識不明患者が現在の自身の状態及び治療に関する情報の提供を受けたとすれば表示したであろう真正な意思を推定し、その推定意思に基づく自己決定の行使が可能であるとする。

(6)家族の請求権について~家族といえども請求権なし
治療中断は患者の自己決定権行使に根拠を有するものであるとして、子供ら全員の請求については棄却した。家族らが生命延長治療により経済的、精神的に苦痛を受けているといっても、それに関する立法がない限り、他人の生命を短縮する結果をもたらす治療の中断を請求する独自の権利を有するとみるのは困難である、とした。
尊厳死が憲法の自己運命決定権を根拠とする以上、当然の帰結であろう。

日本にこの判決はどのような意義があるか・・・意思能力者の代理人選任がハードル
韓国憲法10条と日本国憲法13条はほぼ同じであるから、この判決がもたらす意義には大きなものがある。まず、広く法制化に理解を求めていく上で大きな助けになろう。次に、もし日本で持続的植物状態の患者が、人工呼吸器取り外しや、胃ろう取り外しの裁判を提起した場合、この判決は我々の大きな味方として活躍することは間違いない。
しかし、問題は日本の場合、裁判を提起するための原告本人の代理人選任をどうしたらよいかである。韓国ではできるが、日本では、持続的植物状態の原告本人の特別代理人の選任方法がなく、それをどう突破するかで足踏みせざるを得ないのが現状である。
(その後上訴され、2009/2/10ソウル高裁も尊厳死を認める判決~ここ

当blogでも、今まで何度か死について考えてきた。誰にでも訪れる死は、人間にとって最大の出来事である。
自分の身に何かが起きた時、誰も“機械的にレール(決められた手順)に乗って、管に繋がれてしまう自分”を想像しない。自分だけは別だと思っている。しかし、イザという時、医師の手で何の議論も無く、ただただ延命に走るのが今の医学のような気がする。
その環境の中でこの判決文を読むと、その判断の素晴らしさ感激する。他国の判決文など、今まで読んだことがなかったが、この判決は単に法律との機械的な照合に終始することなく、人間の尊厳をもとにした人間性豊かな判決だと思った。

ところで、同じ冊子の巻頭で、理事長 井形昭弘氏は「・・・会員数は12万名を超えましたが、日本全国からみれば少数と言わざるを得ません。・・・・そこで私は会員一人一人が二人の友人、知人に働きかけていただくことをお願いしたいと思います。・・・尊厳死運動は「健やかに生き、安らかに死ぬ権利を求める」人権運動です。・・・」と述べている。
日本の「尊厳死法制化」を目指しているという尊厳死協会。何とか「人間の尊厳」のために頑張って欲しいもの・・・。
何?自分は尊厳死協会に入っているかって?  入っていない・・。でも昔からカミさんが入っている・・。絶対に自分の方が先に死ぬので、自分は“大丈夫”なのさ・・・!?

●メモ:カウント~37万

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2009年4月 7日 (火)

昭和24年の出来事(2歳)~「夏の思い出」

まだ4月に入ったばかりで“春本番”だが、今日は暑かった。東京は20℃だって・・・・
Image02461_2 自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの3回目。2歳を迎えた昭和24年(1949年)はどのような年だったのかを調べてみると、国鉄の人員整理に伴う鉄道関係の怪事件が相次いだ“不穏な年”だったという。下山事件(7/5)、三鷹事件(7/15)、松川事件(8/17)。
その他、法隆寺金堂の火災で壁画12面を焼失(1/26)、明るい話題では湯川秀樹のノーベル物理学賞授賞(11/3)、スポーツではロサンゼルスでの全米水上選手権で、古橋広之進が4つの世界新記録を達成して「フジヤマのトビウオ」と言われた。
そして、「サザエさん」が朝日新聞の夕刊に登場。NHKでは録音テープの使用がスタートし、番組では「とんち教室」がスタート。(写真はクリックで拡大)

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歌では、「青い山脈」や「長崎の鐘(ここ)」「悲しき口笛」「銀座カンカン娘」などが流行ったという。その中で、今日は昭和24年6月にNHKラジオ歌謡として発表された「夏の思い出」を聞いてみよう。(たまたま今日は夏みたいだったので・・)この歌は、自分は女声合唱が好きだ。

<中国短期大学フラウェンコールの「夏の思い出」>
                    
~昭和24年6月発表

「夏の思い出」
  作詞:江間章子
  作曲:中田喜直

1)夏がくれば 思い出す
 はるかな尾瀬 遠い空
 霧のなかに うかびくる
 やさしい影 野の小径
 水芭蕉の花が 咲いている
 夢みて咲いている 水のほとり
 石楠花色に たそがれる
 はるかな尾瀬 遠い空

2)夏がくれば 思い出す
 はるかな尾瀬 野の旅よ
 花のなかに そよそよと
 ゆれゆれる 浮き島よ
 水芭蕉の花が 匂っている
 夢みて匂っている 水のほとり
 まなこつぶれば なつかしい

 はるかな尾瀬 遠い空

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この歌を聴くと、もはや戦後の匂いは感じられない。戦後4年経っているが、まだまだ貧しい時代だ。自分はこの年、2歳になった。そういえば、自分が赤ん坊の時、眉毛が八の字に垂れていたので「下山さん」というのが自分のあだ名(愛称)だったという。しかしその下山さんも有名な怪事件(下山事件)でこの年に亡くなった。
その後、自分は下山さんほどエラくならなかったので、赤ん坊の時の「下山さん」という愛称は、自分の人生にあまり影響は与えなかったらしい。(←もしかすると、成長するに従って、垂れ目の“八の字眉毛”が、きりりと歌舞伎役者のような“逆八の字”になったせいかも? ←これウソ)
かくして(自分がまだ意識の無い)2歳の年は過ぎて行った・・・。

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2009年4月 6日 (月)

ラジウム温泉の効能?~山梨の増富温泉

昨日、塩山向嶽寺に行ったついでに、須玉まで足を伸ばして、ラジウム温泉で名高い増富温泉に行ってきた。増富温泉は、カミさんの友人夫妻がハマっているという温泉。何だか、不眠症に効くらしい。もちろん、色々な効能があるらしいが・・・。

しかし、休日の高速が割引になるのは有り難い。実績を記すと、(八王子→勝沼):1800円→900円、(勝沼→須玉):1200円→600円、帰りの(須玉→八王子):2850円→1000円。
増富温泉は須玉ICで下りてから遠い。20K位あっただろうか。まあ温泉なので「秘境」なのだろう。
Netで探した町営の日帰り温泉施設「増富の湯」(ここ)という所に行ってきた。 (写真はクリックで拡大)

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日曜日だというのに、意外と空いている。ロビーには殆ど人影が無い。更衣室もガラガラ。でも中に入ると人が固まって入っている浴槽がある。茶褐色の冷たい風呂。訳も分からず入ってみたが、源泉の浴槽が3つある。35度、30度、25度でどれも冷たい。皆は、そこに入ってじっとしている。どうもこれが湯治らしい。(考えてみると、あまり熱いと長時間入っていられない・・)
Image02671 それ以外に、薬湯風呂、ジュグジー、サウナ等々。HP(ここ)によると、「源泉泉質=含二酸化炭素-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉 」「効能=糖尿病・通風・筋肉疲労・精神疲労・循環器障害・リュウマチ・アレルギー体質・内臓疲労・アトピー性皮膚炎・更年期障害・肝機能障害・胆石症、など」とある。
また浴室内に、どの様に入ったら効能があるか、コースの案内があった。それによると、「精神的養生コース」「肉体的養生コース」「内臓疾患的養生コース」の3つかあり、それぞれ入浴の順番が書いてあった。
帰ってからHPを良く見ると、「温泉療養プログラム」というページがあり、そこに源泉風呂の詳細な入り方が載っているではないか・・・。
それによると、「三つの源泉の中から30分位の間、我慢せずにリラックスして入れる温度をお選び下さい。30分程で約10ccの源泉成分を体内に吸収します。また成熟された源泉の「気」もいっしょに取り入れて下さい。15分~30分程、入浴する事により、体内環境をアルカリ性体質に傾け、ホルモンのバランスを整えます。循環機能を高め、体内にある老廃物や毒素を排出する働きが出てきます。」とある。

でも、これだから素人は怖い・・。何の前知識もなく突然行くので、せっかくの効能が発揮されない・・・。でも自分も皆の真似をして少なくても20分位はジッとしていたので、少しは効能があったかも・・。でも「五十肩」は劇的に改善、はされなかったけど・・・。

帰りは、小仏トンネル~談合坂20Kの渋滞。高速割引で我々のように思い付きで出かける人が多かったせいかも・・・
ともあれ、カミさんから「近いからいつでも行ける、と言いながら、一度も行かないじゃないの・・・」と言われていた心の負担が無くなった“効能”だけはあった。でもカミさんの「たった一度だけでは、効能が分からないよね・・」という心の負担がまた増えたので、今度はそれを癒しに、あらかじめ源泉風呂の入り方を良く勉強して、今度は“ベテラン”のフリをして行く事になるのかな~・・・

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2009年4月 5日 (日)

童謡「花かげ」のふるさと~山梨の向嶽寺に行った

前から一度訪問したいと思っていた場所があっった。童謡「花かげ」の舞台となった、山梨県塩山の向嶽寺(ここ)である。
朝、フト桜がちょうど見ごろだという情報をNetで得て、急に行く気になった。高速道路代が安くなったこともキッカケではあるが・・。朝11時過ぎにカミさんと愛犬メイ子と一緒に向岳寺に向けて出発。
中央道勝沼ICから20K余。中央道がすいていたこともあって、八王子から1時間半位で着いた。向嶽寺の境内は意外と広い。桜が満開・・。でも人はほとんど居ない。満開だというのに花見客の姿がほとんどないため、境内は静寂そのもの・・・。でも立派。(写真はクリックで拡大)

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境内を、「花かげ」の詩碑を探して歩くが見つからない・・・。ちょうど歩いているおばさんがいたので「花かげ」の詩碑はどこ?と聞くが「私も初めてなので・・」と言われてしまった。何の事はない。正面から入っていけば直ぐに分かるのだが、我々はお寺の裏手から入ったので見つけづらかった。

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詩碑の裏側には、「1957年10月5日建立」とある。発起人としては、堀内敬三、松田トシ、西條八十、サトウハチローや赤尾好夫(旺文社の設立者)まで、そうそうたる人たち・・。

この境内の桜並木が、大村主計をしてこの「花かげ」を作らせたのか・・としみじみと満開の桜を見た。しかし、境内の広さからいうと、もう少し桜の木が欲しい気もする。“並木”にしては少しさびしい・・・。
ともあれ、行きたいと思っていた“「花かげ」のふるさと”に行けた。何よりも、お寺の雰囲気から“わび”や“さび”が感じられて良かった。人が居ないのも良かった。
この大村主計の童謡「花かげ」も、土地の人が道路に「花かげ通り」と名付けるまでもなく、永遠に歌い継がれて行く事だろう。あわせて、何とか(未だ聞いた事がない)松田トシの「花かげ」を聞きたいものだと思った。

(関連記事)
塩野雅子の童謡「花かげ」
安田祥子の「絵日傘」

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2009年4月 4日 (土)

中村元の「阿弥陀経」(4/10)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第19回 極楽国土を欣求する-阿弥陀経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ4 大乗の教え(下)」(これ)を元に味わっていくもので今日はその第4回目、引き続き極楽世界についての説明である。

<こころをよむ/仏典「阿弥陀経」~その4

にじ ぶつごう ちょうろうしゃりほつ じゅうぜさいほう かじゅうまんのくぶつど うせかい みょうわつごくらく
爾時仏告 長老舎利弗 従是西方 過十万億仏土 有世界 名曰極楽
ご ど  う ぶつ   ごう  あ み  だ      こんげんざいせっぽう しゃり ほつ    ひ  ど  が   こ     みょういごくらく 
其土有仏 号阿弥陀 今現在説法 舎利弗 彼土何故 名為極楽

ご  こく しゅじょう む  う  しゅ く  たんじゅしょらく  こ みょうごくらく  う  しゃ り ほつ ごく らくこく ど
其国衆生 無有衆苦 但受諸楽 故名極楽 又舎利弗 極楽国土
しちじゅうらんじゅん しちじゅうらもう しちじゅうごうじゅ かいぜしほう しゅうそういにょう
七重欄循 七重羅網 七重行樹 皆是四宝 周ソウ囲繞
ぜ  こ   ひ  こく みょうわつごくらく  
是故彼国 名曰極楽

「また、舎利弗よ、極楽国土には、七重の欄循(らんじゅ)、七重の羅網(らもう)、七重の行樹(ぎょうじゅ)ありて、みな、これ四宝(しほう)をもって周ソウ(しゅうそう)し、囲繞(いにょう)せり。このゆえにかの国を、名づけて極楽という。」

「欄循(らんじゅ)」をは欄干の石垣のようなものです。実際、インドの霊場のストゥーバ(仏塔)のまわりには石垣がずうっと巡らされています。インドでは、それが幾重にもなっている遺跡もすでに見つかっています。「羅網(らもう)」は珠玉で飾った網。「行樹(ぎょうじゅ)」は並木です。これらが七重になっている。そしてみな、「四宝」、四つの宝でめぐらされているというのですね。金・銀・瑠璃・玻璃(はり)です。瑠璃はヴァイドゥーリヤの音を写したもので、青玉(せいぎょく)といわれています。玻璃というのはもとのことばではスパティカで、水晶のことです。「囲繞(いにょう)」は取り囲むという意味です。そういうすばらしいところだから、これを極楽と呼ぶのである。

うしゃりほつ ごくらくこくど しちじゅうらんじゅん しちじゅうらもう しちじゅうごうじゅ
又舎利弗 極楽国土 七重欄循 七重羅網 七重行樹
かいぜ しほう  しゅう そう   い  にょう ぜこ   ひ  こく  みょうわつごくらく 
皆是四宝 周ソウ囲繞 是故彼国 名曰極楽

う   しゃ り  ほつ ごくらくこくど  う   しっぽう  ち はっくどく すい しゅうまんごちゅう ちたいじゅんに
又舍利弗 極楽国土 有七宝池 八功徳水 充満其中 地底純以
こんしゃ ふ  じ  し  へんかいどう こんごんるり   は り   ごうじょう じょううろうかく やく い こんごんる り
金沙布地 四辺階道 金銀瑠璃 玻璃合成 上有楼閣 亦以金銀瑠璃
は   り   しゃこ      しゃくしゅめのう に  ごん じきし    ち ちゅうれんげ だいにょしゃりん しょうしきしょうこう  
玻璃シャコ 赤珠瑪瑙 而厳飾之 池中蓮華 大如車輪 青色青光
おうしきおうこう しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう みみょうこうけつ
黄色黄光 赤色赤光 白色百光 微妙香潔
しゃり ほつ    ごくらく こく  ど    じょうじゅにょぜ    く   どくしょうごん  
舎利弗 極楽国土 成就如是 功徳荘厳

「また、舎利弗よ、極楽国土には、七宝の池あり。八功徳の水、その中に充満せり。池の底には純(もっぱ)ら金沙(こんしゃ)をもって地に布(し)けり。[池の]四辺の階道(かいどう)、金・銀・瑠璃・玻璃(はり)より成る。[階道]の上に楼閣あり。また、金・銀・瑠璃・玻璃・シャコ・赤珠(しゃくしゅ)・瑪瑙(めのう)をもって、これを厳飾(ごんじき)す。池中(ちちゅう)の蓮華、大きさ車輪のごとし。[しかも]青色(しょうしき)には青色、黄色(おうしき)には黄色、赤色(しゃくしき)には赤色、白色(びゃくしき)には白色ありて、微妙(みみょう)・香潔(こうけつ)なり。舎利弗よ、極楽国土には、かくのごとき功徳荘厳(しょうごん)を成就せり。」

それからまた、極楽国土には七つの宝で飾られている池がある。そこには、「八功徳の水」が満ちている。「功徳」とはすぐれた性質という意味で、つまり、八つの特性を備えた水が満ちているというのです。その八つは何かというと、澄んでいて清らか、冷たく、甘美、軽く軟らか、潤沢、安らか、飲むと飢渇(きかつ)などのわずらいを除く、飲みおわって身体の健康を増す、というものです。
池の底にはもっぱら金の砂を敷き詰めている。そして池のまわりの階段の道は、金・銀・瑠璃・玻璃からつくられている。さきに出てきた西宝ですね。池のまわりの階段の道というと、どういうものなのか、ちょっと戸惑うかもしれません。われわれ日本人は、極楽の池というと、宇治の平等院であるとか、東北の毛越寺(もうつじ)にあるものを思い浮かべたりしますが、インド人が考えた極楽の池というのはちがうのです。まず、池は真四角なのです。だから四辺ある。そして四つのまわりの縁から下に向かって階段がおりている。それも小さな階段ではない。傾斜面が全部階段になっていて、どこからでも下りられる。スタジアムを連想していただいたほうがわかりやすいかもしれません。
こうした池は、仏教の遺跡だけでなく、いまでも、インドの霊場へ行きますと、ヒンドゥーの寺院によく見られます。インドの人は四辺のどこからでも下りてきて、その池で沐浴し、からだを清めて、それからお参りするのです。なかには、ついでだからというのでしょうか、洗濯をしているおばあさんなどもおります。
それから、階道の上のほうには高い建物がある。これもまた金・銀・瑠璃・玻璃・シャコ・赤珠(しゃくしゅ)・瑪瑙(めのう)で飾られている。「厳飾(ごんじき)」とありますが、この「厳」は飾るという意味です。そして、池のなかには蓮華が咲いていて、花の大きさは車輪のごとくである。これは誇張だと思われるかもしれませんが、大陸には大きな蓮華もあって、現にわたしはカルカッタの植物園でほんとうに車輪のような大きな蓮華の花を見たことがあります。さらに、青い色の蓮華には青い光が、黄色い蓮華には黄色い光が、赤い色の蓮華には赤い光、白い色の蓮華には白い光がさしている。どれもまことに微妙でかぐわしい香りがする。極楽国土はこのような優れた特性で飾られて、それが完成しているというのです。

引き続き、極楽国土のみごとな光景が描写される。それは古来四つに分けられ、「四荘厳(ししょうごん)」といわれる。それは、
①宝樹(ほうじゅ)の荘厳(前回3/10)
②宝池(ほうち)の荘厳(今回4/10)
③天楽(てんがく)・金地(こんじ)・天華(てんげ)の荘厳
④化鳥(けちょう)・微風(みふう)の荘厳
であり、今回は②宝池の荘厳の解説である。

しかしお経は本当に「詩」だと思う。リズムが良い。「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色百光・・・」などはその代表で、読んでいて本当にリズミカルである。

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2009年4月 3日 (金)

「人生の本番」~落合恵子さんの話

NHKラジオ深夜便「人生私流“人生の崖っぷちから見えるもの”作家 落合恵子」を聞いた。(2009/3/28放送)
落合恵子という名は良く聞いていたが、その“人となり”は殆ど知らなかった。母親は今で言うシングルマザーで、22歳の時に落合さんを生んだという。昭和20年という時代、いわゆる私生児は世間の風当たりも強かったが、母親の強い保護(=シェルター)のもと、大事に育てられたという。聞き手の柴田アナの「まだ22歳なのに一人で子供を生むという決断をされた母親は、生まれてくる子供をどう捉えていたのか?・・・」という問いに対して、落合さんは「早く生まれて、自分と一緒に人生を生きましょう」と、待ち望まれて生まれた存在だったと答えていた。確かに、そうでなければ、生まれてくる子供はすくすく育つわけはないが・・・。

しかしさすがに元アナウンサー。聞いていて実に歯切れが良く、テンポが良いインタビューであった。その中で、次の会話が印象に残った。
柴田アナ「“崖っぷちに立つあなたへ”の前書きだったか、“ちょっと待って。人生の本番はこれからなのよ”という言葉があった。“人生の本番”って良い言葉だなと思った。でも自分の人生の本番って、走っている時は見えないのでは?・・・」
落合「(人生の本番って)“いつが?”が分からないし、見方を変えれば“いつでも”かも知れないし、“苦しみ”も本番かも知れないし、その向こう側に喜びの種があるかも知れないし、“毎日が本番です”という気もする」
アナ「・・・落合さんにとっては“書くこと”が本番?・・」
落合「書くことによって、“靴擦れ”が無くなってきた。本番が始まった、という感じ・・・」

この「人生の本番」という言葉と、人生における「靴擦れ」という二つの言葉・・・。

人間、還暦にでも達すると、どうしても過去を、そして自分の生きてきた人生を振り返る。もちろんそこで、「やはり自分の人生は靴擦れを起こしていた」と振り返る人は不幸だ。一般論として、「自分はこんなハズではない・・」と自己否定している間は、たぶん「靴擦れ」を起こしているのだろう。逆に、幾ら毎日が忙しくても、日々充実して達成感がある時は、「これがオレの人生」と思えて、「人生の本番」なのだろう。しかし、「人生の本番」という言葉ほど、人によって、また捉え方によって受け止め方がバラバラなものは無いように思う。 

何?自分?・・・・今までも「人生の本番」で、これからも「“新たな”人生の本番」さ・・・・!

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2009年4月 2日 (木)

クセになる?~カルビー「しおとごま油風味」ポテトチップス

最近、夕食の後にカミさんが「これクセになるのよ・・」と持ってくる“お口直し?”(失礼!)が、ポテトチP10404111 ップス・・・。これに、何とカルビーとはまったく関係のない他社の「ごま油」の写真が堂々とあるのでビックリ!(写真はクリックで拡大)
カルビーの「しおとごま油風味 ポテトチップス」・・
表紙に曰く・・「かどやの純正ごま油とカルビーのおいしいコラボレーションが実現しました。」とさ・・

P10404141 実は「かどや」なんて知らない。でもこのごま油は、家で餃子を焼くときにいつもお世話になっているので、良く知っている。それは“この姿”を良く知っているのであって、ブランドなどどうでも良い。
それが、意外にお菓子の袋に出てきたときのインパクトはなかなかのものである。
だいたい、手を変え品を変えて頑張るポテトチップスの“味”でも、“ごま油風味”なら、その味を付けて終わるはず。そこにホンモノの写真で訴えるとはニクイ・・・!

当然食べる方も、「あの味がするかな?」と身構えて、慎重にクチにする。そして、餃子のときのあの味に出会うと、ホットする・・・。何ジャこれは・・・

でもこの企画は参考になる。「期間限定 コラボレーション カルビー+かどや」というのもニクイ・・・。“珍しさ”で煽っている。なるほど・・・。いつでも手に入ると思うと、確かに有難さも半減するよな・・・、確かに。
でも製品企画の模範だな・・。
(blogのネタ切れを起こしていることがバレました??)

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2009年4月 1日 (水)

今回の「五十肩」は手ごわい・・・

五十肩になってもう1ヵ月になるだろうか・・。タイトルを「今回の・・」としたのは、どうも前にもあったような気がするから・・・・
兄貴や友人から「五十肩になって手が上がらなくて困った」という話を良く聞いていた。しかし、“オレは無事に50台を過ぎちゃった!”と安心していたのだが、今まさに“六十肩”になってしまった(らしい)。
でも、これも自分の勝手な診断。医者に行ったわけではない・・・。

右腕が自由に動かなくなったと気が付いたのは、たぶん3月に入ってから。てっきりパソコンの叩き過ぎかと思っていたが、いつになっても治らない・・・。NETでみると「ズボンにベルトを通そうとして手を後ろに回すと、痛い」とあった。(女性だとブラジャーが付けられない) まさにこれだ。何もしなければ痛くないのだが、右手を背中に回すと痛い。肩の関節が痛むらしい。五十肩の一般的な症状としては、腕が肩より上にあがらない、と聞いたが、自分の場合は上まで手があがる。しかし後がつらい・・・

経験者の兄貴に聞いたら「2回もなった。医者に行っても、何をしても、時間が来るまでどうしようもない」との事。風呂に入って肩を暖めると少し良いようだが気休めで、どうも時間が経つのを待つしかないようだ。まあ、必ず治るということなので待つが、何とも不自由だ。

自分の五十肩を聞きつけてカミさんが言う。「民間療法だが、****を飲むと一発で治るんだって! 今度**に行ったら、試してみようネ!」・・・。自分以上にやる気満々・・・。
これは(もし治っていなかったら)4月の第5週に実行“されて”しまう!
本当に“一発で”治ったら、紹介するね・・・・。お楽しみに・・・

まあこの体も、段々とガタが来ているというワケ。まあ“六十肩”なので、老化が一般より10年遅くやって来た・・・と思えば、少しは気も晴れるかな?
ともあれ、(怖いので)何とか4月の第5週までに治ってくれると、カミさんの“試験台”にならなくて済むのだが・・・・
(何度も書いているが、blogは日記・備忘録である。いつの間にか治っても、思い出したい時に、このblogで“肩”で検索をすると、いつ起きたかが自分で分かるのであ~る)

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