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2009年3月の26件の記事

2009年3月31日 (火)

サトウハチローの「お月さんと坊や」

会社の帰り、バスを降りると雲の間からくっきりした三日月・・・。
「月」は秋の風情を感じさせるが、春でも良いのでは?
そこで、こんな童謡はどうだろう・・・?サトウハチローの「お月さんと坊や」という童謡である。

<ボニー・ジャックスの「お月さんと坊や」>

「お月さんと坊や」
   作詞:サトウハチロー
   作曲:中田喜直
   歌 :ボニー・ジャックス

一日(ついたち)お月さん 象さんのおめめ
おめめのお月さん どんなものを見てた
かわいいぼうやと ぼうやのおじぎ
それから わんわんちゃんの
さよなら見てた

三日月(みかづき)お月さん うさちゃんのお耳
お耳のお月さん どんな事を聞いた
かわいいぼうやの おやすみなさい
それから ねんねんようの
おうたもきいた

半かけお月さん ぶたさんのおはな
おはなのお月さん どんなにおいかいだ
かわいいぼうやの おうちのけむり
それから おいしそうな
くりやくにおい

090331satou サトウハチローのこの童心・・・。実に不思議だ・・・。こんないかつい男が、こんなにも童心に帰れるとは・・・・(失礼!)
歌詞の「わんわんちゃん」や「うさちゃん」も、大人が聞いてもさわやかに聞こえるのは、中田喜直の旋律のせい??
あっという間に“別世界”に連れて行ってくれる歌だ・・・

話は変わるが、今日の朝日新聞夕刊の記事が暗い・・・。明日から4月、入社式・新しい門出の日だというのに・・・。記事のタイトルが涙を誘う・・・。曰く・・
「占師さん“私 会社に残れますか”~中高年男性が急増~弁護士に相談を~頼り過ぎないで」
「新入社員殿“自宅待機 願います”~入社直前、通告相次ぐ~学生“まるで内定辞退の勧告”」(2009/3/31朝日新聞夕刊見出し)

どの会社も大不況で四苦八苦・・・。先を考えると心が真っ暗になるサラリーマンのこの頃・・・
でも、フト、空を見上げようよ。ぽっかりと浮かぶ月。そして、サトウハチローの優しい歌・・・
急激に暗くなった2008年度、そして明日から始まる(到底明るくなるとは思えない)2009年度・・・。
せめて、(「うさちゃん」という言葉に縁のない人は)空でも見上げて心を切り替えないか??(←これは、実は自分に言い聞かせている言葉・・・。トホホ・・・)

(付録)
童謡はやはり女声が良い。という話もあるので・・・

<中川順子の「お月さんと坊や」>

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2009年3月30日 (月)

中村元の「阿弥陀経」(3/10)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第19回 極楽国土を欣求する-阿弥陀経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ4 大乗の教え(下)」(これ)を元に味わっていくもので今日はその第3回目、極楽についての説明である。

<こころをよむ/仏典「阿弥陀経」~その3

に じ ぶつごう ちょうろうしゃりほつ じゅうぜさいほう かじゅうまんのくぶつど うせかい みょうわつごくらく 
爾時仏告 長老舎利弗 従是西方 過十万億仏土 有世界 名曰極楽
ご   ど  う ぶつ      ごう あ  み  だ      こんげんざいせっぽう   しゃ り ほつ      ひ  ど  が  こ    みょういごくらく 
其土有仏 号阿弥陀 今現在説法 舎利弗 彼土何故 名為極楽

ご  こく しゅじょう   む  う しゅ  く    たんじゅしょらく    こ みょうごくらく    う しゃ り    ほつ ごく らくこく ど 
其国衆生 無有衆苦 但受諸楽 故名極楽 又舎利弗 極楽国土
しちじゅうらんじゅん しちじゅうら もう しちじゅうごうじゅ かいぜし  ほう しゅうそう  い にょう
七重欄循     七重羅網 七重行樹  皆是四宝 周ソウ囲繞
ぜ  こ   ひ  こく みょうわつごくらく 
是故彼国 名曰極楽

<極楽世界の荘厳を説く>
いよいよ話の本筋入って、まず極楽国土の説明に移ってまいります。

「その時、仏、長老舎利弗に告げたもう、「これおり西方、十万億の仏土(ぶつど)を過ぎて、世界あり、名づけて極楽という。その土(ど)に仏ありて、阿弥陀と号す。[かれ]いま、現に在(い)まして説法したもう。舎利弗よ、かの土、なにがゆえに極楽とする。その国の衆生(しゅじょう)、もろもろの苦しみあることなく、ただもろもろの楽しみのみを受く。かるがゆえに極楽と名づく。」

ブッダは長老シャーリプトラ(舎利弗)にお告げになりました。われわれが住んでいるここから西の方角、十万億の仏国土(ぶっこくど)を過ぎたところに、ひとつの願わしい世界がある。それを極楽という。「仏土(ぶつど)」、つまり仏国土は、仏さまを中心にした、三千大千世界と呼ばれる大きな世界です。それが十万億もあるような、そういう遥かなところにあるというのです。
そこの国土に仏さまがいらっしゃって、阿弥陀仏という名前であった。アミターバあるいはアミターユスですね。この仏さまはいま、現にそこにましまして説法していらっしゃる。その国土をなぜ極楽と名づけるのか。そのわけは、その国の衆生は、もろもろの苦しみあることなく、ただもろもろの楽しみを受ける。だから、その国土を極楽と名づけるのである、というのです。

仏教では、浄土は西方。しかも「十万億土」と遠い・・・。そこに「極楽」があるという。そこには阿弥陀さまがおられて説法している。そして「極楽」とは「ただ楽しみがあるだけの世界」だという。

ところで、日本人は死ぬとすぐに「天国に行く」という。なぜ「浄土に行く」・「極楽に行く」と言わないのだろう・・・。
つまらない余談だが、広辞苑を見ると
天国=①神・天使などがいて清浄なものとされる天上の理想の世界。キリスト教では信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所をいう。天堂。神の国。転じて、苦難のない楽園。②比喩的に、心配や苦しみのない理想的な世界。」とある。なるほど・・。「天国」とは、まさに「極楽」の意味もあるのだ・・。ちなみに
極楽=①阿弥陀仏の居所である浄土。西方十万億土を経た所にあり、全く苦患(くげん)のない安楽な世界で、阿弥陀仏が常に説法している。念仏行者は死後ここに生れるという。極楽浄土・安養浄土・西方浄土・安楽世界・浄土など、多くの異称がある。②きわめて安楽な場所や境遇。」
浄土=五濁ごじよく・悪道のない仏・菩薩の住する国。十方に諸仏の浄土があるとされるが、特に、西方浄土往生の思想が盛んになると、阿弥陀の西方極楽浄土を指すようになった。浄刹。」

ついでに十万億土=娑婆世界から阿弥陀如来の極楽浄土に至る間にある仏国土の数。極楽浄土が遠いことをいう。」

これらの言葉は、広辞苑から教えてもらうまでもなく、我々日本人の頭に違和感なく染み込んでいる。これが「文化」なのだろう。でも阿弥陀経で「極楽」を定義しているということは、当時はこれらの言葉の説明が必要だったのかな・・? そうだとすれば、やはり日本の文化は仏教の影響が大であるということ?

以下、極楽がどんなに素晴らしい所かを説明する言葉が続く・・・・・。

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2009年3月29日 (日)

小春日和~高幡不動へ・・・

昨日までの寒空と打って変わって今日は晴天。庭に出ると、日向ぼっこをしたい気分・・・。春だ~。でも桜は少し遅れている・・・。

大きな声では言えないが、実は今起こっている世界的大不況や会社のリストラについて、自分は少なからず責任を感じていた。それで、その責任を果たしに(少しでも荷を軽くするため)、今日は高幡不動に行ってきた(ここ)、というワケ。

なぜ責任を感じているかって??
090329fudou 我が家では、毎年新年の初詣に東京日野市にある高幡不動(真言宗智山派別格本山 高幡山明王院金剛寺)に行っていた。いつ頃から行きだしたのか定かでないが、数十年行っていた。そして、毎年お護摩の札を貰っていた。自分と息子二人の3つ。願い事は「社運隆昌」。
いつも「本当にこれで良いのですか?」と聞かれるが、これで良いと答えていた。それは、“会社がコケればリストラ等で従業員が不幸になる。それに巻き込まれれば、個人はアッという間に不幸になる。よって、サラリーマンの場合、「家内安全」も「社運隆昌」があってこそ!”という自分の思い込みから・・・。(お寺の人は、申し込んだ時に、「3人とも社長か?」と勘違いしたかも・・・・?)

それが、今年の正月はなぜか行く気にならなくて、サボってしまった。そうしたら、年明け早々会社のリストラの話ばかり・・・。
カミさんから「それは今年、“社運隆昌”をサボったからでしょう」と言われ「今からでも行きましょう」と言われて、今日行ってきたというワケなのであ~る。(写真はクリックで拡大)

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当然に空いていると思った境内は、意外と参拝者が多かった。お護摩で内陣に入ったが、赤ちゃんの多いこと。何か赤ん坊向けの祈祷があるらしい・・・
護摩修行が終わって、不動明王の参拝の後、お坊さんが話し始める。実に語りが上手い。・・・と、本を出した話になった。この方は川澄祐勝貫主だった。ラジオで放送したら評判が良く、本にしろと薦められてこの3月に「叱られる幸せ」という本を出した。この本の印税も全てお寺に入るのでよろしく、とのこと。
このラジオは自分も聞いた。2008年3月11~12日にNHKラジオ深夜便「こころの時代 叱られる幸せ 高幡山金剛寺貫主 川澄祐勝」で放送されたもの。なるほど、あの話が本になったか・・・。
しかし腰の低い貫主さんで、「縁あってお参りされた寄進は、すべてお寺の修復等に使われる。どうぞよろしくお願いいたします」と言っていた。貫主さんがわざわざお護摩に出てきて法話をされ、素直にお寺のために逆にお願いをされるとは・・・。その姿勢にビックリ・・
もう一度、NHKの放送を聴きなおそうと、昔のmp3データを携帯プレヤーにコピーした。そのお姿を頭に、もう一度聞いてみようと思う。

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その時、貫主さんも言われていたが、桜は20種200株が境内にあるが、まだ2分咲きとか・・。でも少し咲いていたので写真に撮った。

ともあれ、正月以来、会社のリストラの話を聞くたびに心が疼いていたが(?)、これでスッキリ・・・。多分これから会社の業績が良くなって(社運が隆昌して)、もうリストラは無いと思うよ・・(ホントかな~??)

*お護摩(お不動のHP(ここ)より)
お護摩とは、梵語でホーマ(homa)といい、〈焚く〉〈焼く〉などの意味をもつことばで、仏の智慧の火を以て煩悩(苦の根元)を焼きつくすことを表します。
P10403861_2 御本尊(不動明王)の前に壇を設け、さまざまな供物を捧げ、護摩木という特別な薪を焼きつくし御本尊に祈る真言密教独特の修法で、たいへん霊験あらたかであると云われております。お護摩の火は不動明王の智恵を象徴し、薪は煩悩を表しています。護摩の儀式を通じて薪という煩悩を、不動明王の智恵の炎で焼きつくし、ご信徒と共に、ご信徒の願いが清浄な願いとして高まり、成就する事を祈ります。

●メモ:カウント~36万

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2009年3月27日 (金)

手仕事屋きち兵衛の「安曇野」

「安曇野(あづみの)」という歌は、手仕事屋きち兵衛さんが家族のために12年間音楽活動を休止した後、やっと家族から許しが出て音楽活動を再開したセカンドアルバムの筆頭にある歌。(デビューして名前が知られるようになったとき、家族が“きち兵衛の子ども”と皆から言われるのを嫌ったため、“家族が嫌がることはしない”と、表舞台から姿を消したという・・・)
この歌は、「風暦(かぜごよみ)」(これ)というアルバムに入っている歌だが、別の「風景色」というアルバムに入っている録音のほうが自分は好きだ。編曲は似ているが、別録音。左手の遠くで快く鈴が鳴り、右手で“ターン”という木製の打楽器が鳴る。この打楽器は何だろう?

<手仕事屋きち兵衛の「安曇野」>~「風景色」より

「安曇野」
 作詞/作曲:手仕事屋きち兵衛

静かなせせらぎ沿いに 花びらをこぼして
咲く花オオヤマザクラ 髪にもふりかかる
うらうらと歩く小道 ふと見上げれば
雪形残る山並み 春の日安曇野

沸き立つ雲を焦がして 陽射しが降り注ぐ
隠れた木立の中に 激しい蝉時雨
木漏れ日浴びた体に 涼風吹けば
想わず目を閉じている 夏の日安曇野

高く抜けた青空に 遠のく遠い雲
旅立つ鳥達交じり 遥かにかすんでる
まばゆい紅葉嵐も 通り過ぎれば
うら寂しさ連れてくる 秋の日安曇野

墨絵を観ているような 砂絵を観るような
静かに時さえ止めて 一面銀景色
粉雪吹雪がやんで 夜が降りれば
星粒がつかめそうな 冬の日安曇野

ここがわたしのふる里 ここに帰れば
すべてが優しくなれる わたしの安曇野
わたしの安曇野

なんと爽やかな歌だろう。それに、手仕事屋きち兵衛ならではの優しい歌声である。しかも、「ここがわたしのふる里 ここに帰れば すべてが優しくなれる わたしの安曇野・・」とは、何と郷愁に満ちたあたたかい歌詞だろう・・・。

090327azumino ところで「安曇野」ってどこにある・・? Netで調べてみると、長野県松本市の北に位置している。何ともロマンチックな市名である。なるほど・・・。こんな所に住んでいるからこそ、この様な歌詞が出来るのだろう・・。都会生活では考えられない風景・・・・

Netで見ていたら、松本あさま温泉「ホテル玉の湯」(ここ)で「車座コンサート」というのをやっており(ここ)、毎月第2金曜日に手仕事屋きち兵衛さんが出演している事を知った。これは行かなければ・・・
しかし、テレビに出ている売れっ子と違って、きち兵衛さんのように、専業ではない地味な(失礼!)シンガーソングライターは、どこで聞けるのか迷ってしまう。その点、このようにホテルに泊まりに行けば、そこで聴けるというのは素晴らしい企画である。
たぶん、それ目当てに行く泊り客も多いのだろう。良い事を知った。近い内に行くぞ。カミさんも「わすれ雪」を車の中で良く聞いているので反対はすまい。
(エッセイを読む限り、“きち兵衛さんの彫刻の店”もあさま温泉にあるようだが、Netの検索では出てこない。ホテルに行ったときに寄ってみたいが、フロントで聞いてみるか・・・・)

(付録)
「素描画(そびょうが)」というアルバムに入っているギターバージョンもなかなか良い。

<手仕事屋きち兵衛の「安曇野」(ギターバージョン)>~「素描画」より

(関係記事)
手仕事屋きち兵衛の「わすれ雪」
手仕事屋きち兵衛の「風の桜衣(はなごろも)」

手仕事屋きち兵衛の「大きくなったら何になる!?」

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2009年3月26日 (木)

電話機がしゃべる・・・・

ちょうど4ヶ月前に、電話機を買い換えた(ここ)。FAX付きのコードレス子機が2台付いたシャープ製(UX-D28CW)で、18千円ちょっとだったが、その安さにビックリしたものだった。
いつだったか、カミさんがsararinさん(ここ)から「ナンバー・ディスプレイが非常に便利だよ」という話を聞き、“有料サービスなど無用”としてきた自分の心が動いた・・・

それで、NTTにナンバー・ディスプレイを申し込んでみたら、次の日の朝にはもう開通。
それが思った以上に便利なのである。電話機がしゃべるのである。「***さんからで~す」と!!
登録してある電話帳通りに“しゃべる”のだが、これが愉快・・。何とも抑揚が可笑しい。ついマネをしたくなる。
それから、電話が掛かってくるのが何とも楽しみになってしまった。そして電話が掛かってくると、電話機がしゃべった通りのマネをして・・・(何ともバカバカしい話だが・・)

何が便利かって? まず誰から掛かってきたかが電話機を取る前に分かるので、心構えが出来る。それに相手によって、誰に掛かって来たかが分かるので、いちいち“取り次ぎ”をする必要が無い。これが一番大きい。(この前など、自分は風呂に入っているのに、ベルが鳴っている電話機を、カミさんがそのまま風呂の中まで持ってきやがった・・)
それに携帯電話同様に、掛かってきた電話や、掛けた電話の履歴が残るので、これも便利。携帯では当たり前の機能だが、一般電話ではこれが有料サービスなのである。
でも一番心配していたのが、相手が「非通知設定」をしているとこの機能が無駄になること。しかし非通知設定をしている人は殆ど居ないのが分かったので、これはセーフ。それに登録していない相手は、(自分は聞いたことが無いが)どうも「東京都からです・・」としゃべるらしい。

話は変わるが、前にカミさんが「危ないので、相手が分からない電話には出ない」と言う。自分はそれに反論して「もし、自分が外出先で倒れて、病院から電話があったときはどうする?どんな電話でもいったんは出るべき」と言うと、“カミさん連合”に聞いてみると言う。そして“カミさん連合”の結論は「出なくて良い。緊急の場合は、どんな手を使ってでも連絡するので・・」だそうだ・・・。
確かに、オレオレ詐欺の電話が我が家にも掛かってきたこともあり、「相手が分からなければ出ない」という選択肢もあるが、サーテどうしたものだろう。

ここまで書いて、電話機の“名誉”のために取説を読んでみた。そしたらいやはや便利な機能が幾らでもある。我が家で面白がっていた「アクセント」も調整できるし、「さん」を外す事もできる。それに、「誰あてコール」というのがあって、「**あてにお電話です」ともしゃべるらしい。まあアクセントに面白がっていないで、ちゃんと設定しろと、取説に叱られたような・・・・。でもこんな値段で、よくもまあ頭の良いこと・・・・

ともあれ、たった2万円しかしないくせに、“一丁前にしゃべる”電話機は、我が家の道化者となってしまった。
これだから、愛犬メイ子が我が家の“人気もの”の座を脅かされる日も近いかもね・・・・

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2009年3月25日 (水)

「子ども1人に月10万円支給したら?」~大和証券 清田会長の話

先日の日経のコラム「インタビュー領空侵犯」に、「出生数の倍増を目指せ~子ども1人に月10万円支給 大和証券グループ本社会長 清田 瞭氏」という論が載っていた。曰く・・・

「――思い切った少子化対策が必要だと説いていますね。
「子ども産んだら一人当たり毎月10万円を、20歳になるまで支給してはどうでしょう。二人なら20万、3人なら30万を、ほかの収入とは分離して非課税でです。それによって毎年の出生数を今の倍の200万人にする目標を掲げるべきです。いわば出生倍増計画です」
「女性が子供を産みたくないわけではありません。理想の子ども数は2.5人なのに、子どもを持たない人も少なくない。経済的な負担が大きいことも背景にあるので、それを取り除いてあげればいい」
――政府も少子化対策を急いでいます。
「今の推計だと2100年の日本の人口は4700万人です。これを前提に年金財政の立て直しなどを考えていてはだめです。仕事柄、経済活性化策を色々考えましたが、経済停滞の根源は人口減少であり、お金はかかってもそこに手をつける必要があるとの結論に至りました。女性が快く子どもを産めるようにしないと、日本は滅びかねません」
――巨額の財源が必要になります。
「目標通り年200万人産まれれば、1年目の支給額は2兆4000億円です。20年目には48兆円が必要になります。財源として消費税を頼りにすると反対が出て時間もかかるので、『人材国債』を発行してはどうでしょうか」
「かつての証券不況の後、建設国債が発行されました。借り換えながら60年で償還する仕組みでした。同じ発想を少子化対策に取り入れればいい。将来につながらない国債発行は問題ですが、国の構造変革につながる支出はためらうべきではありません」
――どんな効果が期待できますか。
「まず子ども用品や教育関連といった産業が刺激されます。40年後には40歳以下の人口は8000万人になり、人口構成は大きく変わります。そうなれば年金はじめ社会保障関連の問題は解消のめどが立つでしょう」
――給付金で女性の意識が変わりますか。
「給付金はあくまで経済事情の改善です。出産休暇で不利にならない仕組みなど、出産を応援する会社や社会の意識改革が必要です」
「子どもを産むのは20代30代の女性が中心ですが、今後、その年代の女性はどんどん減っていきます。減ってしまった後では、いくら経済的な負担を取り除いても人口は簡単には増えません。10年後では手遅れなのです」

(聞き手から)
「国民一人が生涯に生み出す付加価値は4億円程度。そのうち4000万円を納税している。それを考えると、一人に20年で2400万円を投入する案は、投資効率の低い公共事業にお金を投じるより効果的だ。女性が子どもを産むかどうかを国が強制すべきではないが、産みたい人を支援する制度の大幅拡充は欠かせない。(編集委員 太田康夫)」(2009/3/23付け日経より)

これはなかなか面白い論である。子ども1人を育てる支援として、毎月10万円が支給されたら、子育て家庭がどんなにか助かるだろう。しかもこの論は、太田編集委員が言っているように意外とリアリティがある。

先日、民放TVで福祉大国スウェーデンの25%(ただし出版物・公共交通は6%、食料品は12%)の消費税が、なぜ国民に受け入れられているか、その仕組みを解説していた。
それによると、スウェーデンでは、消費税が高くても“国に自分達のお金を一時的に預けている”という感覚だそうだ。だからいずれ戻ってくるので、25%でも納得して払う。例えば、18歳までの医療費はタダ。大学までの学費もタダ。1人暮らしの90歳を過ぎたお婆さんのケアには、一日5~6回もの介護の訪問があり、本人は誰が自分の薬を貰いに行っているかも知らないという。全てはケアマネージャーが仕切っているという。「子どもに面倒を見させないのか?」と問うと、お婆さんは「子どもには子どもの人生がある」との答え。
また政治は公開されており、議員はいかに国民に近い所にいるかに腐心している。年収も、日本では国会議員は2200万円位だが、スウェーデンでは800万円位。もちろん議員宿舎も20㎡と狭く、日本の国会議員の「別格」の存在とは大違い・・・
また国民は政府を信用しているから、ほとんど貯蓄をしていない。国民の満足度は高く、国際的にも生活水準が高い。それらの源泉は「女性も含めて全員が(安心して)働く」事にあるという。

これらの話を聞くと、経済大国日本は、小さいこれらの国を見習ってでも、もっともっとする事があるのではないか?
先の清田さんの提案も、単に一笑に付すのではなく、政府が真面目に検討してみたらどうだろう・・・。

今更ながら、昔の“所得倍増計画”や“コンピューター付きブルドーザー”という言葉が懐かしい・・・? なぜって・・・? 少なくとも、国民を奮い立たせて引っ張って行く「実行力」が、今の政治家よりはあったのでは?
それに、昨日のWBCの原監督やイチローのほうが、(同じ一郎でも)よっぽど国民を奮い立たせたのでは?

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2009年3月23日 (月)

安田祥子の「絵日傘」(SP盤)

いよいよ桜の開花宣言も出され、春たけなわである。よって今日は“さくら”にちなむ歌を・・・・
童謡「花かげ」と良く似た歌に「絵日傘」がある。同じ大村主計の作詞、豊田義一の作曲である。当サイトの「花かげ」の記事で書いたように(ここ)、
「大村主計(おおむらかずえ:1904~1980)の菩提寺は山梨県塩山の向嶽寺で桜の名所です。「絵日傘」も「花かげ」も向嶽寺の桜吹雪を詠ったもので、向嶽寺には「花かげ」の詩碑が建立されています。末っ子だった主計は、幼い時に、向嶽寺の桜吹雪の下を人力車にゆられて隣村に嫁いでゆく姉の花嫁姿を見送っており、その思い出を詠んだのが。この「花かげ」です。」 (ここ)だそうである。
自分が持っている「絵日傘」の音源では、昔の安田祥子の歌が一番好きだな・・・。これは1971年11月発売の「オリジナル盤による なつかしの童謡歌手」というLPから。

<安田祥子の「絵日傘」>オリジナルSP盤

「絵日傘」
  作詞:大村主計
  作曲:豊田義一
  編曲:海沼 実
  歌  :安田祥子

さくらひらひら 絵日がさに
蝶々もひらひら 来てとまる
うばのお里は 花の道
すみれの花も たんぽぽも

廻す絵日がさ 花吹雪
雲雀もぴいちく 来て遊ぶ
うばのお里は 春がすみ
絵日がさくるくる 通りゃんせ
(昭和8年)

この歌を聞くと、やはり日本舞踊を連想する。小さな女の子が、着物で絵日傘をくるくる回しながら舞台の上で踊る姿・・・
P10201101 そういえば、昨年北京に行った時に、絵日傘を売っているのを見掛けて写真に撮ったっけ・・、と思い出し、探したらあった。北京十三陵で見かけた「絵日傘」?である。
中国産のパンダの絵日傘と日本舞踊は、何かマッチしないが、昔の学芸会を思い出しながらこんな歌を聞くと、何だか懐かしい気がするな・・・・
今週の週末には、たぶん桜も満開だろう。「花かげ」の歌碑があるという塩山の向嶽寺にでも行ってみたいな・・・。

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2009年3月21日 (土)

「がんになって教えられたこと」~医師 朝日俊彦氏の話

明石のロバさんからのコメントで、(自分の死生観に大きく影響を与えた?)朝日俊彦氏が、自らガンに掛かったと知り、あわててNHKラジオ深夜便「こころの時代“がんになって教えられたこと” 医師 朝日俊彦」(2009/3/19~20放送)を聞いた。
090321asahi 前にも記事を書いた(ここ)通り、朝日氏は「笑って死ぬために」(これ)という本を書いており、各地でガンの告知や終末期の患者にどう生きれば笑って大往生が出来るか、その工夫を指導してきた泌尿器科の先生である。それがまだ62歳だというのに、昨年9月に自ら末期の胃がんと診断され、現在抗がん剤で治療中だという。
本当にビックリしたが、放送での朝日先生の明るさ、そしてガンに罹ったが故の気付きについてのお話・・・。非常に迫力のあるお話で、朝日先生の我々へメッセージ、と思って聞いた。曰く・・・・

①「自分の場合、自覚症状がまったく無かった。なんとなく食欲が落ちてきて微熱もでて、血液検査では肝臓の値が乱れていたので、CTを撮った方が良いだろうと思った。それで2008年9月25日に受診したら、放射線科の先生が絶句し、掛ける言葉が無かった位、悪かった。たぶん胃がんによる肝臓転移。胃がんも大きいし肝臓にも大きく病巣が広がっていた。
でもまだ良かったのかなと思った。クリニックを開業してまだ1年なので、借金も抱えている。もし心筋梗塞や脳梗塞だったら皆に迷惑をかける。でもガンなので半年くらいは時間が稼げるので、色々と手を打つことが出来る。
家族会議で相談した結果、ここまで進んでいるともう手遅れなので、通院治療にしてもらうことにした。そうすればしばらくはクリニックも続けられる。
その後、抗がん剤治療は順調に進んでいる。でも抗がん剤はきつい。熱も出る。しかしこの発熱も、朝になると下がるので仕事には支障がない。しかし夜は熱が出る。休日も出る。でも仕事の時間が来ると熱が下がる。これは奇跡だ。
この病気になって考えたことは、捨てられるものは捨てる。この割り切りで気持ちが楽になった。
家族会議で、(産婦人科医の)娘から明るく「喪服のマタニティは持っていないので、孫が生まれるまで待ってくれ」とか、死に対してオープンに明るく家族で話が出来ていると、気持ち的に助かる。
胃がんは生活習慣病なので、自分なりに反省した。ある日点滴をしながら日向ぼっこしていたら、非常に充実して心が癒されていた。今までだったら、こんな時間は時間の無駄だと思っていた。それでこのような時間も大切なんだと、気付かされた。それから日記に「焦らない」とよく書くようになった。それに自分は我が強い面があった。それが病気になって、皆に助けられて生きていることに気付いた。今までの“俺が”“俺が”という生活に歪みがあった。生かしてもらっている皆に対して、暖かい気持ち、感謝の気持ちで接するという事に対しての気付きは、自分にとって大きな財産になった。・・・・」

②「ガンになって良かったと思う。最初は“寿命からすると早いかな”と思ったが、この病気になることによって本当に多くの“気付き”とか“学び”をさせてもらったのは得難い経験。患者さんに対する言葉の掛け方も違ってきた。
講演会での話しにも実感がこもる。今までの話と迫力が違う。
先日、卵巣がんの人が来たが、抗がん剤で戦うその人にエールを送って、何とか頑張って欲しいと抱きしめてあげたい気がした。そこまでの気持ちは、今までは無かった。そのような気持ちになったという事が、ガンの経験という自分の貴重な財産・宝物と思えるようになった。
自分がこの病気になって、今まで色々な人からご支援を頂いてきたわけなので、これからの人生で何とかお返しをしなければいけない、という気持ちが強くなった。
ものの見方が変った。病院勤務が長かったせいか、勤務時代は「病気」を見ていたが、今は家庭環境を含めた最善の方法は何か、ただ治すだけではなく、その人にとって何が皆が幸せになれるかを考えるようになった。今は患者さんの家族のことを良く聞く。例えば、末期がんだと介護保険で介護度5がもらえるので、在宅看護が充分に出来る。痛みはモルヒネでコントロールできるし、家の中なので病人扱いしなくてすむ。・・・
自分はたぶん“善人”の部類に入ると思うが、それでもこのような病気が音も無く忍び寄ってきたという事は、神仏からのプレゼントではないか。だからずるずると病気で弱っていってあの世に行くのでは無くて、どこかで踏ん張って立ち上がって、社会のためにお役に立つことしたいと、昨年末頃から(神仏の期待に応えたいと)思うようになった。
・・・・
実は、35歳になる娘婿が自分と同じ泌尿器科なのだが、在宅往診に関心を持ってくれてこのクリニックの後を継いでくれる事になった。それで僕の肩の荷がどっと下りた・・・」

まさに朝日先生は、今まで自分で言って来られたことを、まさに現在実践されている。その明るいお話に、聞き手の金光寿郎ディレクターも圧倒されていた。できたらその肉声を聞いて欲しく、下記に音声ファイルを置く。そこで朝日先生が言っておられた“自分のガンに対しての呼び掛け”、すなわち・・・
「胃がんクン、君の使命は理解できた。君が僕の体に宿ってくれたおかげで、色々な気付きとか学びとかで自分は一回り大きな人間になれたような気がする。でも、ボクも使命がありそれを全うしたい。だから君とソコソコでお別れもしたい。だから悪いけれども気を悪くしないで、いつかはお別れをするつもりで、それまでは共存共栄して行きましょう」

とお腹をなでながら話しかけている声に、胃がんクンにぜひ耳を傾けてもらって、何とか朝日先生には長生きして欲しいものだ。

(2010/2/23追)
朝日先生は、2009年12月30日に他界されたとの事。享年63歳、あまりに早い他界。ご冥福をお祈り致します。

==========
(この放送の音声ファイル)

NHKラジオ深夜便「こころの時代」
「がんになって教えられたこと」 医師 朝日俊彦

 ①2009/3/19放送分の音声zipファイルは(ここ)40分39MB
 ②2009/3/20放送分の音声zipファイルは(ここ)40分39MB
それぞれ(ここ)をクリックして、数分後に窓が開いたらそれをダブルクリックする。

(関連記事)
朝日俊彦の「笑って死ぬために」(1)~死生観が変わった
朝日俊彦の「笑って死ぬために」(2)~死生観が変わった

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2009年3月20日 (金)

サラリーマン社長の責任の取り方~最近の社長交代に思う

今朝の日経1面のコラム「春秋」は、社長交代についての記事だった。

「日経“春秋”
 トップ経営者の座にひとたび就くと、降りたくなくなる人が少なくない。業績が好調なら居心地がよいし、悪ければ挽回するまでとなる。東芝の西田厚聡社長は赤字決算を見込む中、4年で交代すると発表したので、普通は引責である。
しかし記者会見で「業績悪化には大いに責任を感じているが、それと交代とは関係ない」と西田さんは否定した。「もともと4年を一区切りと考えてきた」という。確かに前から「任期4年」を公言していた。1度尋ねてみたら、「全力投球しているので4年もやったら疲れ切るでしょう」との答えが返ってきた。
「社長になった時から後継者を考えて絞り込んできた」そうだ。社長の最も重要な仕事は後継者の育成だとよくいう。ところが逆をやる社長が意外に多い。「副社長キラー」の異名を取った老害経営者が実際にいた。元気がよくて主役を食うようなナンバー2を関連会社などに飛ばして、「オレを超えるヤツがいないから」と居座る。
 日立製作所は、グループ会社の会長をしている元副社長を呼び戻して新社長に就ける。3年で降板する現社長より7つも年上の69歳である。社長を7年も務めていた庄山悦彦会長は何をしてきたのだろうか。日立は今3月期に7000億円の最終赤字を見込む。社長人事は恐ろしい。」(日経2009/3/20より)

どのような組織でも同じだが、トップの経営(=力量)で全てが決まる。昨今の会社経営の悲惨な有様も、決して全てが世界不況のためではない。それを自分の経営責任を棚上げにして、100年に一度の大不況のためだ、と逃げている経営者の何と多いことか。つまり責任を取らない・・・。
神風を呼ぶのも「運」ではなく「実力」、と言われるように、組織が大きければ大きいほど結果責任を問われるのは当然。しかし昨今の会社のリストラ等の動きをみるに、一般の会社社長の「責任の取り方」について考えてしまう。
会社が逆境であればあるほど、社長を筆頭に「必死」にならなければならないが、社長自身が置かれた状況によって、社長の「必死さ」に違いが出るような気がする。つまり、オーナー社長で、会社が潰れれば、自分の財産も自分の家族の生活も、全てが失われる状況においては、まさに死ぬ覚悟で必死である。だから自殺者まで出る。しかし、いわゆるサラリーマン社長の場合は、その影響は限定的・・。つまり「社長を辞めれば」それでオワリ。その落差はあまりにも大きい。しかし、社員に与える影響はまったく同じ。社員が数人か数千人かの違いはあるが、社長の「経営」によって、それが悪ければ多くの社員をどん底に追い込むことに違いはない。

このところ、公的支援で破綻を回避した米AIGなどが支払った高額賞与に対して、オバマ大統領や世論が怒っているが、先ほどのニュースで、米下院が90%の税金をかける法案を可決したと報じていた。
責任と権限は表裏一体である。経営幹部は処遇(給料)もその責任に応じて優遇されている。しかし、責任を取るべき経営幹部が、逆に多額のボーナスを支給されたという米AIGの例は論外としても、世の多くの会社がいわゆる“サラリーマン社長”であり、権限を行使した挙句の責任を、単に「サヨナラ」だけで終わってしまう事に、多大な影響を受ける(生活を脅かされる)一般社員の目から見ると違和感があるのは自分だけだろうか?
株主は仕組みとして「株」という有限責任であるが、米AIGの話を持ち出すまでも無く、経営幹部の責任の取り方はあいまい。「信賞必罰」であるはずの「信賞」だけをお手盛りで行い、「必罰」からはサッサと逃げる。これら経営幹部に真の責任を取らせる方法はないものであろうか?
昔、近くのあるサラリーマン社長が、突然頭を丸刈りにして現れて皆がビックリした事があった。責任を取る意味で「頭を丸める」という言葉があるが、自分の行ったリストラに対し、本当に頭を丸めた社長・・・
でもこれ位しか社員に対して自分を表現する手段を持たないもの、現実のサラリーマン社長の哀しさかも・・・・

●メモ:カウント~35万

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2009年3月19日 (木)

フジテレビ「ありふれた奇跡」が終わってしまった・・

毎週見ていたフジテレビ「ありふれた奇跡」(ここ)が、今夜、とうとう最終回を迎えてしまった。山田太一の原作であるだけにハッピーエンドで良かった。
ストーリーは、駅での飛び込み自殺を止めたことで知り合った若い男女。この二人もかつて自殺を考えたという共通点があった。その二人が段々と近付いて行く。
しかし、両家には生活水準の違いなどのギャップが・・・・。彼はサラリーマンで挫折して、今は家業の左官屋。そして彼女には、堕胎の失敗で子供が生めないというハンディが・・・。
そして翔太のお爺さんは、絶対に子供は生めなければダメだと言い張る。それは、お爺さんが、東京大空襲で孤児同士の夫婦だから、孫が生まれないと家系が途絶えると心配しているから・・。
登場人物のそれぞれに“色々”ある。彼女の両親には、父の女装の秘密や、母の不倫の秘密があり、彼の両親は別れてまた同居中・・・。それぞれ平和ではない。・・・でも見かけ上は平和・・・
そして今夜の最終回。二人が結婚を宣言して、両家が席を同じくしたところで、このお爺さんが語り始める・・・・

「不況で仕事が減っている半人前の翔太と、子供が無理だっていうお嬢さんが一緒になって、まずうまくいくわけがないというのが私の常識でね。結局は、本人たちの自由だなんて、忠告もしないで見放していいのかと、この2~3日前まではここでそれを言うつもりでした。
ところが10日ほど前、この翔太がまったく別の件で、急にむきになって言ったことが、胸に響いた。“お爺ちゃんは用心のし過ぎた。それじゃあ人生が広がらないじゃないか”と。正面きって私にね。引きこもりの翔太が、堂々と胸張ってね。俺は、いつの間にか翔太は変わってるぞ、と嬉しかった。つまりそれはお嬢さんと会ったせいだ。いいお嬢さんなんだって、手を合わせたくなった。加奈さん、ありがとう。・・・
私は東京大空襲で、家族も親戚も全部なくして、11歳からひとりでね。日本がどん底の時代に、どん底の子供だった。だから、どうしても人間は、嘘つきで、冷たくて、インチキで、ケチで、裏切りで、自分が大事で、気を許せない。表には出さないけど、その常識で間違いはないと思ってきた。助け合おうとか、善意とか聞くと、何言ってやがる、いざとなれば逃げ出すくせに、と思ってしまう。しかしそれは、どん底の常識でね。今はどん底じゃない。どん底はこんなもんじゃない。どん底じゃない時代に、どん底の用心で生きちゃいけないよね。子供の頃の思いは、なかなか抜けなくてね・・。危なっかしいじゃないか、やめとけ、なんて言いたくなる・・。強気の翔太を見てね、“用心なんてつまらない。人を好きになれば、乗り越えられる”なんてね。段々にね、そう思えてきた。それでも俺は、用心なんかするなと言いたい。心配の種などいくらでもある。数えるな。と言いたい。乗り越えられる・・・、と。以上。」

このセリフに、山田太一の言いたいことが、そしてこのドラマの真髄が凝縮されているように思った。
このドラマのテーマに、“子供が生まれないと結婚はダメか?”があった。人間は、子供を生んで、子供を育てることで人間として成長して行く事は確かである。しかし、子供が出来ない夫婦は幾らでもいる。また時代的に、今は結婚=子供では無くなっていることも確か・・・
そしてこのドラマでのもう一つの名セリフ・・・。
八千草薫の「悲しいことには、きっといいことがついてくる。おめでとう・・」

我が家にはまったく縁のない話題ばかりだったが、いつ見てもホットする、そして見た後になぜか“幸せ”を感じる山田太一のドラマではある。
必ず見ている山田太一のドラマ。またひとつ金字塔が増えた・・・・

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2009年3月18日 (水)

手仕事屋きち兵衛の「大きくなったら何になる!?」

今日は暑かった。午後、兄貴と一緒に、戸塚の介護付き有料老人ホームに居る叔父の見舞い(?)に行った。その電車の中で、手仕事屋きち兵衛さんの「一匹ぽっちのコオロギ」これ)というエッセー集を読み始めたら、こんなのがあった。

「大きくなったら何になる!?
Image02611 わたしの家には風呂がなかった。でも浅間温泉に住んでいたから、当然温泉に入っていた。ここでは“湯仲間”といって近所で風呂を持っていたので、毎月維持費を払い、そこに毎日のように入っていた。そんな訳で、銭湯とは言わないまでも、いろいろな人と一緒になった。
ある日、当時5歳になる息子と入っていると、70歳ぐらいのお爺さんと一緒になった。そのお爺さんとあれこれと世間話をしていた時のこと。息子が、
「ねえお爺さん、大きくなったら何になるの?」と聞いた。すると、お爺さんは、
「いやあ、よわったなあ・・・、もうホトケサマにしかなれねえかなあ、ハッハッハ」と頭を掻いた。
「ホトケサマなら、僕のお父さんに作ってもらえばいいよ」
「そうだな、心平君のお父さんは仏様も作っているもんなあ。そうしてもらおうか」と、お爺さんを子どものほほえましい会話があった。
その翌々日、わたしが一人で入っていると、そのお爺さんが入って来た。わたしは、このお爺さんが好きで、風呂に来る時は心密かに会えることを願っていたのだが、お爺さんは昼間に入っているらしく、いつもはなかなか会えず、こんな風にすぐにまた会えたことは初めてだった。
「やあきち兵衛さん。この間はまいったなあ」
「面白かったですね」
「いやあ、まいった、まいった」
「何が、です?」
「心平君に、大きくなったら何になるの? って聞かれたことさ。本当は、もういい加減に悟りを開きてえって言いたかったんだが、まさか5歳の子どもに言ったって、分かんねええしなあ・・・。子どもってのはいいなあ。楽しいねえ・・・」お爺さんは湯の中で目を閉じながら、ゆっくりと肩に首筋に湯をまわしながら静かに言った。そして気持ちよさそうに動かしていた手を止めると、
「でも、きち兵衛さんや、人間ってやつは、70になろうが80になろうが、いくつになっても、“大きくなったら何になる”ってのを忘れちゃあいけんなあ。子どもってえのはエライねえ」
と、自分に言い聞かせるように、そう言った。わたしは、この言葉にドキッとした。当時わたしは35歳だった。店をやり、木彫教室もいくつかやり、近くの高校の講師もやり、けっこう忙しく、自分はこれでもだいぶ大きくなったつもりでいた。しかし、この言葉を聞いてから、もし息子が、「お父さん大きくなったら何になるの?」と聞いてきたら、わたしはなんと答えたらいいのだろう、と考え込んでしまった。
幼かった頃には、よく大人から“大きくなったら何なる?”と何度も聞かれ、その度にいくつもの夢を口にしてきた気がする。その夢を実現したくて歩き始めたはずだった。それが、いつの間にか大人になり、親になり、人並みになれたと覚えた頃に、それはすっかり忘れてしまい、“大きくなったら何になる”なんて思いも寄らない息子からの質問に戸惑ってしまった。
考えてみれば、何歳になろうが最後まで、“大きくなったら何になる”を忘れないで夢を描きつづけ、そうして生きてゆくことが人生のロマンではないか。男でも女でもこのロマンを忘れない人ってステキだな・・・。それを35歳にしてもう一度考えてみた。すると、またいくつもの夢があらためてふくらんできた。その一つ目は、木彫家として、いい彫刻を一体でいいから残したい。二つ目は、若い頃から親しんできた音楽で一曲残したい。三つ目は、本を一冊残したい。四つ目は・・・、五つ目は・・・、と片手に余るほどの夢があることに、自分で驚いてしまった。
「ねえ、きち兵衛さん、大きくなったら何になるの?」と聞かれたら、何歳になっても夢を語ろう。それも一つだけでなく、いくつも語ろう。と、35歳の時にそう思った。
あれから随分と時が流れ、幸運なことにいくつかの夢が叶い、まだいくつもの夢を描いている。わたしは楽天家で能天気なのかも知れないが、健康以外の夢は必ず叶うと信じている。ただし、それには多少の努力もさることながら、なによりもその夢をお願いつづける維持力と持久力、つまり願い力が必要だと思う。そして、それは少なくとも十年はかかるものだと実感している。」(手仕事屋きち兵衛「一匹ぽっちのコオロギ」P20より)

(手仕事屋きち兵衛さんは、本業が木彫家で、それ以外にシンガーソングライターとエッセイストという3つの顔を持っているという。自分は初めてきち兵衛さんのエッセーを読んだが、何と爽やかなことか・・・・。その声、旋律と同じように、この文章は都会人ではとても書けない・・・・)

ところで、サラリーマンが定年になると、ある面“終了”となる・・・。その時、“大きくなったら何になる?”と聞かれたら、何と答える?・・・・

話は戻るが、戸塚で昼食のスシを食べながら、兄貴がこんな話をする。
「最近英語の勉強を始めた。俺が*大に落ちたのは、やはり英語が出来なかったから。だから当時は色々な科目をやらなければいけなかったが、今は自由なので、英語だけをやって、*大の入試問題が満点になるまで勉強する。だから沢山の受験参考書を買ってきた」
「社会人がTOEICをやるなら分かるが、何を今更受験英語など・・・」

思えば、自分など「英語は天敵!」 だから、たぶん死ぬときは「人生で英語だけはやり残した・・」と思うだろう。(実は既に、中国語をやっているカミさんからも英語をやれとけしかけられているが・・・・)

しかし、きち兵衛さんも言うように、常に「**になる」と思い続ける事は重要であろう。人生に“終わり”は無いのである。(途中、病気で打ち切られる(死ぬ)事はあるが・・・)
還暦を過ぎ、サラリーマンのリタイアを前に、特にそう思う・・・。
きち兵衛さんから元気をもらい、「我が人生で、思い残すことは無い」と言って死ぬため、“天敵の英語”を少しやるしかないか・・・、と思った。そして自分も、いつでも「大きくなったら**になる」と言える日常を送りたいものである。

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2009年3月17日 (火)

手仕事屋きち兵衛の「風の桜衣(はなごろも)」

一目惚れとは良く言うが、今日は久しぶりで「一聴き惚れ」の曲を見つけた。手仕事屋きち兵衛の「風の桜衣(はなごろも)」という歌である。
前にも書いた事があったが(ここ)、このところ「手仕事屋 きち兵衛」さんの歌に凝っている。・・というのは、ひょんな事からきち兵衛さんのCDをファンの方から借りて聴いているので・・・
Image02601 今まで発売されたほとんど全部のCDを借りたので、全部携帯プレヤーに入れて通勤途上で順番に聞いてきたが、今日の帰りの電車の中で聞いた『原風景(げんふうけい)&サントリーホールライブ』というアルバムで、ギターの弾き語りの「風の桜衣(はなごろも)」を聞いてハッとした。
急いで、ホンモノは?と探すと『色即是空』というアルバムに入っていた。それがこれである。(写真はクリックで拡大)フルオーケストラをバックに朗々と歌う・・・。

<手仕事屋きち兵衛の「風の桜衣(はなごろも)」>

   「風の桜衣(はなごろも)」
     作詞/作曲:手仕事屋きち兵衛

   山里を染めて咲く 小彼岸桜(こひがんざくら)
   風を呼び 風に乗り 空に流れ行く
   かなしい程に 澄んだ青空の中
   はじけ散る 桜吹雪(はなふぶき) 春景色
   いつ誰が名付けたか 高遠桜嵐(たかとうはなあらし)

   山里の人は言う あれはあの女(ひと)の
   切なさと哀しみが 染め上げたのだと
   道理(みち)を忘れた 恋におぼれた罪と
   裁かれて落とされて 流された
   あの女(ひと)のはかなさを 飾る桜衣(はなごろも)

   山里に流された その女(ひと)は絵島
   美しい女(ひと)ゆえの 恋の濡れ衣
   女盛りの花を 散らした絵島
   泣き濡れて あきらめて手を合わす
   山里の赤い桜(はな) 絵島の物語り
   山里の赤い桜(はな) 絵島の物語り

詞の内容は江戸時代の「江島生島事件」であるが、何ともその旋律が哀しい・・・・

090317tesigotoya きち兵衛さんのプロフィール(ここ)にあるように、ファーストアルバムを出してから、音楽活動をしばらく休止していたが、1999年頃から再開し、何枚ものCDを出している。しかしamazon等で手に入るCDは限られているようだ。
しかし色々と聴いてみると、埋もれている名曲が多いことに気付く。調べて見ると、松本あさま温泉「ホテル玉の湯」(ここ)でこれらのCDが手に入ることが分かった(ここ)。

ともあれ、現在「手仕事屋きち兵衛の世界」を探索中である。名曲が幾つか見つかったので、また紹介したい。

<付録>: 『原風景(げんふうけい)&サントリーホールライブ』というアルバムのギターの弾き語りでも聞いてみよう。

<手仕事屋きち兵衛の「風の桜衣(はなごろも)」>
     ~ギターバージョン

(関連記事)
手仕事屋きち兵衛の「わすれ雪」
手仕事屋きち兵衛の「安曇野」

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2009年3月16日 (月)

中村元の「阿弥陀経」(2/10)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第19回 極楽国土を欣求する-阿弥陀経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ4 大乗の教え(下)」(これ)を元に味わっていくもので今日はその第2回目、阿弥陀仏、阿弥陀経についての概説である。

<こころをよむ/仏典「阿弥陀経」~その2

「仏説阿弥陀経  姚秦三蔵法師鳩摩羅什奉詔訳

にょぜがもん  いちじぶつざい しゃえこく  ぎじゅ きッこ どくおん よだい びくしゅう
如是我聞 一時仏在 舎衛国 祇樹給孤独園 与大比丘衆
せんに ひゃくごじゅうにんく かいぜだいあ らかん しゅしょ ちしき ちょうろうしゃりほつ ま かもッけんれん 
千二百五十人倶 皆是大阿羅漢 衆所知識 長老舎利弗 摩訶目ケン連

ま か かしょう ま かか せんねん ま  か   く   ち   ら  り   は  た  しゅ りはんだ    か  なんだ あ  なんだ
摩訶迦葉 摩訶迦旃延 摩訶倶チ羅 離婆多 周利槃陀伽 難陀 阿難陀
ら  ご    ら きょう     ぼん は だい びん ず る は  ら   だ   か  る  だ  い   ま   か こうひんな  は   く   ら
羅ゴ羅 キョウ梵波提 賓頭盧頗羅堕 迦留陀夷 摩訶劫賓那 薄拘羅
あ   ぬ  る  だ にょ ぜ  とう しょだいで  し  びょう     しょ ぼ  さつ ま  かさつ もんじゅし  り  ほうおう じ  
阿ヌ楼駄 如是等 諸大弟子 ビョウ諸菩薩 摩訶薩 文殊師利法王子
あ   いッた  ぼ さつ けんだ か  だいぼさつ じょうしょうじんぼさつ よにょぜ とう しょだいぼ さつ 
阿逸多菩薩 乾陀訶提菩薩 常精進菩薩 与如是等 諸大菩薩
ぎゅうしゃくだいかんいんとう むりょうしょてん だいしゅく
及釈提桓因等     無量諸天  大衆倶

「仏の説きたまいし阿弥陀経 姚秦(ようしん)の三蔵法師(さんぞうほっし)、鳩摩羅什(くまらじゅう)詔(みことのり)を奉じて訳す
<序説>
かくのごとくわれ聞けり。一時(あるとき)、仏、舎衛国(しゃえこく)の祇樹給孤独園(ぎじゅぎつこどくおん)に在(い)まして、大比丘衆(だいびくしゅう)、千二百五十人とともなりき。みな、これ、大阿羅漢にして、衆に知識せられたり。[すなわち]長老舎利弗(しゃりほつ)、摩訶目ケン連(まかもっけんれん)、摩訶迦葉(まかかしょう)、摩訶迦旃延(まかかせんねん)、摩訶倶チ羅(まかくちら)、離婆多(りはた)、周利槃陀伽(しゅ りはんだか)、難陀(なんだ)、阿難陀(あなんだ)、羅ゴ羅(らごら)、キョウ梵波提(きょうぼんはだい)、賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ)、迦留陀夷(かるだい)、摩訶劫賓那(ま  かこうひんな)、薄拘羅(はつくら)、阿ヌ楼駄(あぬるだ)、かくのごときらのもろもろの大弟子、ならびにもろもろの菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)、[すなわち]文殊師利法王子(もんじゅしりほうおうじ)、阿逸多菩薩(あいったぼさつ)、乾陀訶提菩薩(けんだかだいぼさつ)、常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)、かくのごときらのもろもろの大菩薩、および釈提桓因(しゃくだいかんいん)らの無量の諸天(しょてん)・大衆とともなりき。」

「かくのごときわれ聞けり」、お経の最初に必ず出てくることばですね。「舎衛国(しゃえこく)」は当時の大国であったコーサラ国の首都、サーヴァッティー。「祇樹給孤独園(ぎじゅぎつこどくおん)」は、もとジェータ太子の園であった林で、スダッタという長者が買い求めてブッダに寄進したものです。このスダッタ長者は孤独なる人にいろいろな衣食を寄付し、人々を救うことに努めていましたから、「給孤独」ともいわれるのです。
そこにブッダが千二百五十人もの大ぜいの修行僧たちといっしょにおられた。「阿羅漢(あらかん)」はアルハットの音を写したもので、尊敬さるべき人、敬われるべき人ということです。「衆に知識せられたり」、多くの人々に認められておりました。「長老舎利弗」、ブッダ第一のお弟子とされるシャーリプトラですね。非常に知恵がすぐれているとされました。あとに続くお弟子は、もとはみなインドの名前を漢字で写したものです。順ぐりに申しますと、マハーマウドガリヤーヤナ、マハーカーシャパ、マハカーティヤーヤナ、マハーカウシティラ、レーヴァタ、シュッディパンタカ、ナンダ、アーナンダ、ラーフラ、ガヴァーンパティ、ピンドゥーラ・バーラドヴァージャ、カールダーイン、マハカッピナ、ヴァックラ、アニルッダとなります。このうちピンドゥーラ・バーラドヴァージャは「おびんつるさま」としてよくお寺でかわいい姿がみられます。それをなでると目などなでた箇所の病が治るという信仰ありますね。
さらにもろもろの菩薩・摩訶薩がいた。「菩薩」とはさとりをめざす人。「摩訶薩」とはマハーサットヴァの音を写したもので、偉大な人、立派な人を意味し、「大士(だいじ)」、つまり大きな士(さむらい)と訳すこともあります。まず「文殊師利法王子(もんじゅしりほうおうじ)」、もとのことばでマンジュシュリーで、子供の形でよく描かれています。それで、法王である仏の子であると象徴的にいわれるのです。「阿逸多(あいった)」はアジタ、弥勒菩薩のことです。「乾陀訶提(けんだかだい)」はガンダハスティン。そして、常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)。続いて「釈提桓因(しゃくだいかんいん)」とありますが、これは帝釈天のことです。「釈」というのはシャクラの音を写したもので、これが名前です。「提桓因」というのはデーヴァーナーム・インドラという音を写したもので、神々の主という意味です。
このような無数に多くの「諸天・大衆」、つまり神々の仲間と人々とともにいらっしゃった、というのです。」

いつものように、舞台設定が説明される。場所は舎衛国(しゃえこく)の祇樹給孤独園(ぎじゅぎつこどくおん)。そこに居たのは1650人の修行僧たち。1650人は枕詞で多人数の例えで良く出てくる言葉。そして16人の大弟子の名、そして4人の大菩薩の名前が羅列される。
まあそこまで詳細に参加者の名前を挙げなくても良いだろう、と思うのだが、お経を聞いていると、まるで詩の朗読を聞いているように心地よい「韻」に聞こえる。(まあサンスクリットの原文でも「韻」があるのかどうかは分からないが・・・)
でもこれだけの阿羅漢や菩薩さまが一緒に聞いていた、ということは、極楽世界についてのブッダのお話が、如何に重要かを物語っているのかな・・・??

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2009年3月15日 (日)

唱歌「田舎の冬」

今日は絶好の散歩日和・・・
初めて左入(←突然ローカルな地名とは・・・)の方まで足を伸ばしてみた。
そしたら、龍光寺というお寺があった。付近を通るときにお寺があることは知っていたが、初めて行ってみたら大きなお寺でビックリ。近くにこんな大きな寺があったのだ。真言宗智山派とある。境内に電子梵鐘と称する大きなスピーカ装置があった。帰ろうと思ったら、そこからチャイムの音・・・。
それを聞きながら、ある旋律を思い出した。遥か小学校の頃に聞いた旋律・・・。もちろん梵鐘の旋律とは違うが・・・。思い出した旋律をカミさんに聞かせても知らないという。道すがら、口に出して歌ってみると、フト「ホーイホーイ ホーイホーイ むら雀・・・」という歌詞を思い出した。
家に帰って、これだけを頼りにNETで検索してみると、「田舎の冬」という唱歌だという事が分かった。しかしAmazonで検索しても出てこない。CDは出ていないのかも知れない。
しかし、一つだけ音源が見つかったので拝借・・・(ここ)。そう、この歌だ・・・。昭和36年の小学5年の教科書に載っていたらしい(ここ)。だから自分も当然習ったはず・・・

<唱歌「田舎の冬」>

「田舎の冬」
  作詞者不詳
  作曲/島崎赤太郎

1)ましろに おく霜 峰の雪
 しずかに さめくる 村の朝
 ほういほい ほういほい むら雀
 かり田のかかしに ひの光

2)ひなたにつづるは 古ごろも
 軒にはたるひの とくる音
 ほういほい ほういほい かん烏
 門辺の枝には 柿二つ

3)いろりにほだたく 夕けむり
 枯野に風立ち 日のくるる
 ほういほい ほういほい 渡り鳥
 鎮守の林に 宿かさん

懐かしい歌。今では忘れ去られてしまった歌のようだが、何とか時間を掛けて良い音の音源を見つけよう・・・。
フト、散歩から思い出した、何とも懐かしい旋律ではある。

(追:09/3/20)
野ばら社「唱歌」(p202)に歌詞が載っていた。それによると「昭和6年10月「新尋常小学校唱歌(五)」」とある。またWikipediaによると、「田舎の冬」は、第1回NHK全国学校音楽コンクール(1932年11月26日)の小学校の部の女子B課題曲だったようだ。

(関連記事)~2010/10/01追
唱歌「田舎の冬」の音源が見つかった

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2009年3月14日 (土)

「モバイルWiMAXの実力」

「日経コミュニケーション」(2009/3/5号)に、「モバイルWiMAXの実力~電波は不安定だがHSDPA以上は達成」という記事が載っていた。
世はユビキタス(いつでも、どこでも、だれでも)時代。騒々しかったWiMAXも、2009年2月26日からUQコミュニケーションズが「UQ WiMAX」の試験サービスを始めたという。
この記事は、日経コミュが早速「UQ WiMAX」の端末「UD01NA」を手に入れて、イーモバイルの「D02HW」とウィルコムの「AX530S」と比較実験をしたのものである。
実験は、次の3通り。
①都内3ヶ所での速度テスト(FTPでDTIのFTPサイトに1MのファイルをUP/DOUNした時の時間)
②同一ビル内で場所を移動しての速度テスト
③ラウンド・トリップ時間(RTT:あるコンピュータから発信したパケットが別のコンピュータに届き、さらにその返答が返ってくるまでの時間)

結果は以下の通り・・。(写真はクリックで拡大)

090314wimax1 090314wimax2 090314wimax3

①ではどれも電波の状態が弱かったが、電波が5段階の所を探して実験しても2.86Mと、それほど改善しなかったという。ちなみに「speed.rbbtoday.com」では下りで15Mだった。それに通信の不安定さが大きい。わずかな場所の違いで電波の強度が大きく変わるうえ、同じ場所でも短時間で電波の状況が変化した。
②では、UQのWiMAXは、使用周波数が高いせいか(UQ WiMAX は2.5G、イーモバイルは1.7G、ウィルコムは1.9G)室内では、特に上りで一気に速度が落ちたようだ。

しかし技術の進歩には目を見張る。今回の実験では、まだWiMAXの基地局の数が圧倒的に少ないので、エリアでの比較はこれからの基地局増設での改善に期待したいが、スピードの差はさすが・・・
時代は益々「いつでも、どこでも、だれでも」の時代に移って行く。WiMAXでは200kmで移動していても通信できると言う。そして端末のパソコンも、今の5万円パソコンから薄型テレビのように、これからもっともっと薄いパソコンが出てくるのだろ。

多くの情報が簡単に手に入ることは確かにありがたい。しかし、情報過多が「心の平安」を乱すこともある。ふと、GNPよりも「国民総幸福量(Gross National Happiness)」という考え方を打ち出しているブータン(ここ)を思い出した。
はたして、“いつでも、どこでも、だれでも”というユビキタス時代は、人間に幸福を与え得るものなのだろうか・・・

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2009年3月13日 (金)

ピンク・フロイドのイベントに行った~「OFF THE WALL」~PINK FLOYD SPIRIT~

当サイトでも何度か取り上げているPINK FLOYD。自分が聞く唯一のロックバンドである。実演に行ってみたいと、夢にまで見ていたが、キーボードのリチャード・ライトが2008年8月に亡くなった結果、ピンク・フロイド再結成の可能性は100%無くなってしまった。
090313pink ところが、今年は1979年に「The Wall」が発表されてから、記念すべき30年目だという事もあり、昨年の年末に、新聞で“ピンク・フロイドのトリビュートバンド「OFF THE WALL ~PINK FLOYD SPIRIT~」の日本公演(リチャード・ライト追悼)“というイベントの広告を新聞で見た。UK、ドイツ、そしてロシアに続く公演。そこで直ぐにチケットを買ったが、今晩そのコンサートがあった。(これ

場所は、有楽町駅前の東京国際フォーラム ホールA。入ってみると、何と席が1階のど真ん中。これ以上は望めないという特上席だった。ミュージシャンの表情までImage02521 見えるし、全体が程よく視界に入る。中央のスクリーンも丁度良い。(先日、小椋佳のコンサートでは最後部でガッカリしたが、今日はその挽回・・・?
しかし定刻になっても、席がたくさん空いている。会場に入るときに「プログラムは完売しました」と言っていたので、“30分も前に来たのに完売とは相当混むのかな・・・”と予想したが外れ。帰る時に見回したが、1階席で7割位の入りか・・・。(さっき調べたら、Aホールは何と5千人も入るという。1階席だけで3千人。これでは簡単に満席にはならない・・・)
演奏が始まった。やはりその音の大きさに圧倒される。ドラムスのベースドラムの音が巨大なスピーカーを通して床や椅子を揺らす。腹に響く。照明がまばゆく、レーザー光線が飛ぶ。そして中央の円形スクリーンにはお馴染みのピンク・フロイドのコンサートでいつも出てくる絵が写る。気分はまったくピンク・フロイドのコンサート。
ミュージシャンは全部で8名。「UKプロジェクトユニット」という名。ボーカルの2人とギター/ボーカルの人が女性。特に左手の女性は、ギターにボーカルに重要な位置を占めて演奏していた。「虚空のスキャット」も歌っていた。
2時間弱の演奏曲はほとんど知っている名曲ばかり。エコーズが出てきたときは、“ヤッタ!”と思ったが、何と女性二人が歌う。女声のエコーズは初めて聞いた。
レーザー光線を良く見せるためか、会場全体が曇っている。ドライアイスの煙か・・・。そして、会場全体が音と光の洪水・・・・。まさにDVDで見ていたピンク・フロイド独特のコンサートそのもの。
これを聞きながら思った。ピンク・フロイドの伝説のステージが目の前にある。ただしミュージシャンはトリビュート(替え玉)バンドだけど・・・。でも満足・・・

思い出すと、2002年3月に元ピンク・フロイドの中心メンバーだったロジャー・ウォーターズが来日したときに、この同じAホールで聞いた。その時は、まさにホンモノだったが、光のショーは無かった。その点、今日のイベントはホンモノに近い。バンドの演奏も、全てホンモノを真似ているだけに、違和感が無かった。

しかし日本人は本当におとなしいと思った。曲によって、ミュージシャンがリズムに合わせて手を叩くように合図するが、会場はなかなかそれに乗らない。最後の、「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」でも、会場に向かって一緒に歌うように合図するが、会場からなかなか声が出ない。まあ英語でまくし立てるので分からないかも・・・・。もちろん歌詞も日本人は知らない・・・。
でも多分、バンドの人から見ると、「ジーパンで日本に演奏に来たら、会場の人は皆スーツ姿だった・・」という印象では??(自分は本当にスーツ姿だったけど・・・)

ともあれ、2時間弱の演奏が終わって、帰りに階段を下りていたら、何と右耳がキーンという耳鳴り。あの大音響に、自分の故障中の右耳が悲鳴を上げたらしい・・・・。
でも、席も内容も大満足・・・。夢にまで見たPINK FLOYDを、唯一替え玉(トリビュートバンド)だという点さえ除くと、体験することが出来たわけだ。

この60年間に思い出す演奏会は幾つかあるが、今日のイベントも強烈に思い出に残るであろう。特に今回の光のショーは、テレビやCDを通してでは決して体験できない・・・。
この特等席のチケットは、記念に取っておこう・・・。今日は、良い日だった・・・。

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2009年3月12日 (木)

さだまさしの「惜春」

さだまさしの「惜春」・・・・。
なぜか今日は、この歌の旋律が頭に浮かんだ・・・。理由は分からない・・・・。

<さだまさしの「惜春」>

「惜春」
  作詩/作曲:さだまさし

君は坂道を登ってゆく
僕は坂道を下りてゆく
すれ違い坂は春の名残りに
木蓮の香り降る夕暮れ

薄墨の中に沈みゆく愛を
涙と交互に掘り起こせば
出逢うのはいつもあたたかな嘘と
わずかばかりの夢の切れはし

やさしさ故に傷ついて
やさしさ故に傷つけて

君は振り返る弱さもなく
僕は引き止める強さもなく
ただ立ち尽くせば背中合わせに
おだやかに落ちてゆく二人

君は忘れ去る強さもなく
僕は思い出す弱さもなく
ただ音もたてず時の流れに
ふりつもるさびしさの気配

倒れゆく愛の光と影から
こぼれた真実を抱き起こせば
哀しみはつまり風に追われては
枯葉がくり返す吹き溜り

やさしさ故に傷ついて
やさしさ故に傷つけて

君は坂道を登ってゆく
僕は坂道を下りてゆく
すれ違い坂は春の名残りに
木蓮の香り降る夕暮れ

090312sekisyun この歌は、1979年の発売だという。もう30年も前の歌だが、なぜか滲みる・・・。(写真はクリックで拡大)
しかし「哲学者:さだまさし」の歌詞は、相変わらず意味深い。「惜春」とは“春を惜しむ”か・・・。ところで「春」とは何だ? 「昔の良き時代」か?・・・
この歌も、「君」という文字に、勝手に色々なものを当てはめてみると、想像の世界は広がる・・・。

話は飛ぶが、昨日、中原十六世名人がこの3月末をもって現役を引退する、との報を聞いた。中原名人と自分とは、年齢がほぼ同じということもあり、昨夜の記者会見のテレビに、つい聞き入ってしまった。
もちろん自分は、将棋はまったく指せないが、親父や息子が将棋キチであったため、将棋界については“少しだけ”気にしていた。だから、自分と年代がごく近い中原名人が、昨年8月に脳出血で倒れたときは、ビックリ・・・。
昨日の記者会見では、左手足が不自由だが、今後は執筆活動をして行くと言っていた。
まだ61歳・・・。あまりに早い引退である。でも、将棋は特に頭脳の過酷な戦いゆえ、現役継続は難しいのだろう・・。
また中原名人本人は、自身のあまりの激変に戸惑っていることだろう。その心中はいかばかりか・・・、察して余りある。なぜ自分の手足が動かないのか・・、なぜ将棋が指せないのか・・・・、と。
もちろん中原名人にとっての「春」は「健康な自分」だろう。

ところで、自分にとっての「春」は何だろう・・・、とフト思う。「惜春」の“春”とは・・・
少なくとも「会社の業績」や「株価」で無い事だけは確か。(←かな~~??)
こんな名曲を聴きながら、そんな無粋なことを思う訳が無いではないか・・・!!

●メモ:カウント~34万

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2009年3月11日 (水)

中村元の「阿弥陀経」(1/10)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第19回 極楽国土を欣求する-阿弥陀経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ4 大乗の教え(下)」(これ)を元に味わっていくもので今日はその第1回目、阿弥陀仏、阿弥陀経についての概説である。

<こころをよむ/仏典「阿弥陀経」~その1

極楽浄土を求める信仰
大乗仏教が展開するなかで、現世を「穢土(えど)」、つまり汚れたところであると考えて、彼岸の世界に「浄土(じょうど)」を求める信仰が生まれてきます。たとえば、阿しゅく仏、もとの言葉でアクショーブヒャといいますが、その浄土である東方の「妙喜国(みょうぎこく)」、また、弥勒菩薩の浄土「兜率天(とそつてん)」などが考えられ、これらの諸仏を信仰することで来世にはそこに生まれることができると信じられていたのです。このなかで、後世もっとも影響が大きかったのは、阿弥陀仏の浄土、極楽世界の観念です。
阿弥陀仏はもとのことばでアミターバ、あるいはアミターユスと申します。アミタは「限られていない」という意味です。アーバーは「光」という意味ですから「無量光(むりょうこう)」と訳し、また、アーユスは「寿命」という意味ですから「無量寿(むりょうじゅ)」と訳します。そのほかいろいろの名前もありますが、わが国では一般に阿弥陀仏として信仰されています。この信仰は日本、朝鮮、中国(華僑を含む)、ベトナムなど、東アジアないし南アジアで行われており、とくに日本仏教では浄土教がもっとも多くの信徒を持っていることで知られています。この浄土教の根本経典が、「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」(「仏説(ぶっせつ)無量寿経」、略して「大経(だいきょう)」)、「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」(「仏説観無量寿経」、略して「観経(かんきょう)」)、「阿弥陀経」(「仏説阿弥陀経」、または「小経(しょうきょう)」)で、これを浄土三部教と称します。
「阿弥陀経」はその信仰をたたえ、極楽浄土のみごとな姿を端的に簡明に述べたもので、もとのことばでは「スカーヴァティーヴューハ・スートラ」といいます。スカは「楽しみ」、ヴァティーは「あるところ」、だからスカーヴァティーは「極楽世界」のことです。ヴューハは「すばらしい姿」、スートラは「経」です。
これはサンスクリット原文が発見されております。漢訳はいろいろありますが、そのうちで、とくに鳩摩羅什(クマーラジーヴァ。紀元344~413年?)の訳した「阿弥陀経」が有名で、一般に読まれています。そこでは冒頭に、「仏の説きたまいし阿弥陀経 姚秦(ようしん)の三藏法師(さいぞうほっし)、鳩摩羅什詔(みことのり)を奉じて訳す」とありますが、「姚秦」は中国・五胡(ごこ)十六国時代の王朝である後秦(384~417)のことで、「三藏法師」とは、経・律・論という聖典の三つの部分すべてに通じている学徳のある法師という意味です。鳩摩羅什は西域のクッチャ(亀玆国(きじこく))に生まれた人で、父は天竺の人、母はクッチャの王さまの妹でした。後秦の国王に迎えられて長安の都に入り、そこで13年の長きにわたって多数の経典を訳したのです。」

この説明にあるように、「阿弥陀経」とは、「楽しみがあるところ(極楽世界)のすばらしい姿の経」という意味だそうだ。
浄土系の宗派は「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に帰依する)」と唱えるが、浄土系では、来世で「極楽世界」に生まれ変わる事が最大のテーマ。
死後は、“穢れたこの世におさらばして、極楽浄土で安穏に暮らす・・”と考えると、「死」が怖くなくなるのかも・・・。

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(関連記事)
「般若心経」勝手帖
中村元の「観音経」

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2009年3月10日 (火)

「“日経平均”株式会社」への投資成果

春が近い。昼休みのたった15分の散歩も、今日は快晴で暖かく、気持ちが良かった。
ところで、今朝の日経新聞「一目均衡」というコラムに面白いシミュレーション(模擬計算)が載っていた。「“日経平均”株式会社」にドルコスト方式で投資をしたとするとどうなっていたか・・・、というシミュレーションである。曰く・・・

「日経平均株価が9日、バブル崩壊後の安値を更新した。個人投資家にとって株式市場は何だったのかを振り返るために、「日経平均株式会社」が上場していたと仮定し、大学卒で社会人となる23歳から毎月同じ金額ずつ買い続けたと考えた。この結果、損益の分岐年齢は65歳だった。今年は戦後64年だから、戦後生まれは全員、含み損を抱えた計算だ。
毎月(または毎年)一定金額ずつ買うのはドルコスト平均法と呼ばれ、多くの投資の教科書が「最も賢い長期投資の方法だ」と紹介している。安いときに多く買え、高いときには少ししか買えないから、平均取得価格が下がるのである。
例えば、今年64歳になる人が23歳だった1968年4月には、日経平均終値が1456円だった。1万円を投資すると、「日経平均株式会社」の株式が6.87株買えたというわけだ。日経平均が3万8915円の最高値を付けた89年12月には0.26株しか買えなかった。
今年3月まで41年間(492ヶ月間)に買えた「日経平均株」は682.73株となる。これに9日の終値の7086円を掛けると484万円弱。投資元本は累計492万円なので、8万円強の含み損を抱えた計算だ。
他の年齢の人も同様に計算した。その結果、23~64歳は全員含み損を抱え、65歳以上は含み益となった。最も効率が良かったのは戦後の東京証券取引所再開とともに投資を始めた83歳の人で、6.27倍になった。
対照的に40歳から51歳までは、23歳からずっと「日経平均株」に投資し続けても。元本の半分以上を失った。損失のピークは46歳。23年間の投資成果は元本の0.44倍にすぎない。
物価上昇による目減り分も考慮すれば、戦後生まれにとって株式市場は資産を減らす場所だった。政府が「貯蓄から投資へ」と背中を押しても、賢い個人が動かないのは当然だろう。・・・(編集委員 前田昌孝)」(2009/3/10日経朝刊p13より)

“日経平均”を捉えてのシミュレーションは、たぶん投資の平均像を示すのだろう。上記は絶対額で比較しているが、比較はやはり「銀行の定期預金」などと比較すると、よりリアリティが増すのではないだろうか・・・。つまり、現金で持ち続ける人は居ないので・・。例えば年利1%とすると元金492万円は600万円位になる。年利2%だと760万円位・・。(Excelでの計算が合っていればだが・・・。←昔は普通預金で1%だった・・)
つまり、色々な条件を加味すると益々損益分岐年齢は上がってしまう。それは戦後生まれだけでなく、戦中・戦前派も大きな損を抱える、ということ。
まあ一般論として、「今の株価」で評価する限り、“株式投資は損だった”という結果らしい。

話は変わるが、我々“還暦組”にとって、退職金等の蓄えの運用は老後の生活レベルに直結する。しかし、あまり毎日“上がった下がった・・”を気にするのも、心の安定に良くない。(逆に毎日その“スリル”を味わって、“生きている実感”を毎日確かめるのも一つの方法だが・・)
よって自分はとっくの昔に株とは縁を切った!(もっとも株と言っても会社の持ち株会位だが・・) だから株が幾ら下がろうが関係ない・・・!、と格好良くうそぶきたい所だが、なぜか我が家は毎日“ユーロ・ドルの為替レート”を気にしてしまう・・・。(我が家も、結局同じ・・・)

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2009年3月 9日 (月)

東京リーダーターフェル1925の「さすらいの唄」

今日は雄大な男声合唱を聞いてみよう。大正時代の「さすらいの唄」を“東京リーダーターフェル1925”が歌う。さすがに90名の大男声合唱団の歌は、迫力が違う。

<東京リーダーターフェル1925の「さすらいの唄」>

「さすらいの唄」
  作詞:北原白秋
  作曲:中山晋平
  歌 :東京リーダーターフェル1925

1)行こか戻ろか 北極光(オーロラ)の下を
 ロシアは北国 はてしらず
 西は夕燒 東は夜明け
 鐘が鳴ります 中空に

2)泣くにゃ明るし 急げば暗し
 遠いあかりも チラチラと
 とまれ幌馬車 やすめよ黒馬(あお)よ
 明日の旅路が ないじゃなし

3)燃ゆる思を 荒野にさらし
 馬は氷の上を踏む
 人はつめたし わが身はいとし
 街の酒場は まだ遠し

4)わたしゃ水草 風吹くままに
 ながれながれて はてしらず
 昼は旅して 夜は夜で踊り
 末はいずくで 果てるやら

この唄は古い。大正6年(1917年)、明治座で行われた芸術座第9回公演「生ける屍」の劇中歌で、北原白秋が流行歌に手を染めた最初の曲だそうだ。歌ったのは松井須磨子。我々(=還暦組)にとっては、“懐かしい歌”というより「昔々の唄!」である。

しかし、この男声合唱団はホンモノである。合唱団の公式HP(ここ)によると、
「当団は、ドイツの男声合唱に強くあこがれていた同志社グリークラブ出身の故山口隆俊や、後に全日本合唱連盟理事長を務めた故秋山日出夫などにより1925年(大正14年)に創立されました。以来、たゆみない演奏活動を継続し、本年で創立84年を迎える日本で最も歴史の古い一般の男声合唱団です。」
とある。(1925年創立なので団の名前に1925が付いている・・・)

何とかこの歌のCDを手に入れようと思って調べてみた。合唱団のHP(ここ)によると、「さすらいの唄」は1987年発売の「想い出の青春讃歌 嗚呼玉杯に花うけて(日本コロンビア)GES-11199」というCDに入っているらしいが、当然今は廃盤。手に入りそうもない・・・。Yahooオークションで出ないかと、ここ数ヶ月間たまに見ているが出てこない・・・
確かに、そうそう売れるCDではないが、文化的な価値があるCDなので(?)、細々とでも良いので合唱団自ら少量の在庫を持っていて、我々一般ピープルの希望者に分けてくれると有り難いのだが・・・・。

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2009年3月 7日 (土)

中村元の「阿弥陀経」(全文)

中村元の「阿弥陀経の講義」を、次回から10回に分けて聴いてみる。
前に「般若心経」を味わってみた(ここ)。それに続いて、中村元先生の講義で「観音経」を聴いた(ここ)。それに続いての「阿弥陀経」である。
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第19回 極楽国土を欣求する-阿弥陀経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ4 大乗の教え(下)」(これ)を元に味わっていく。
今日は、まず読経したものを聴いてみよう。阿弥陀経は色々な音源を集めたが、真宗大谷派の読経が一番聞きやすい。(この読経は数人で読んでいるので、息継ぎの間が空かず、音程(声の高さ)が合っているので聞き易い)

<真宗大谷派の「阿弥陀経」読経>

「仏典をよむ4 大乗の教え(下)p2」に、「阿弥陀経」に関して以下の説明がある。
「『阿弥陀経』は、詳しくは『仏説阿弥陀経』、『小経』ともいわれる。原文は『スカーヴァティーヴューハ』といい、「極楽の美しいありさま」を意味する。以下の回で取りあげる『大無量寿経』『観無量寿経』とあわせて「浄土三部経」と呼ばれ、浄土教の根本経典である。北インドにおいて阿弥陀経信仰が盛んだった時期、西暦1世紀ごろに成立したとみられ、阿弥陀仏の信仰をたたえ、極楽浄土の壮麗なさまを描いている。サンスクリット原典が現存し、チベット訳、2種の漢訳などがある。鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)の訳になる『仏説阿弥陀経』(西暦402年ごろ)が、もっとも広く流布している。」

ここに描かれているのは、「極楽浄土の姿」である。「観音経」もそうだが、かなり具体的で分かり易いお経である。それに引き換え、「般若心経」の何と難解なことか・・・。600巻にも及ぶ「大般若経」のエッセンスであるので仕方が無いが・・・・。

まずは「阿弥陀経」の原文を、読経とともに(必死に)追いかけるところからスタート。(写真はクリックで拡大~欄外の黒い部分をクリックすると元に戻る)

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2009年3月 6日 (金)

「シルバーシート」を譲られてしまった日・・・

今日は自分の人生で、“とてつもなく大きな”ターニングポイントである・・・。
何と、信じられないだろうが、電車で「シルバーシート」を譲られてしまった!!!!

今日の会社の帰り、いつものように新橋駅から山手線に乗り、車両の後ろの連結部のドアの前に“凛(←これは「りん」と読む!)”として立った。そうしたら、やおら“水谷豊”っぽい、“とび職風”の40歳位の人が、座っていた席を立って「どうぞ」と言う。「まさか自分ではないだろう・・」と見回すが、他に該当する人が居ない!! 「いや結構です・・」とあわてて言うと、「次の駅で降りますから・・」と言う。
自分はオトナである。こんな時に「いや、自分も“次の”次で降りますから」と断るのも相手に失礼だし、相手も困惑するだろう・・・、と思って、「スミマセン」と言って座った。そうしたら、「ガガーン」というか「ジーン」というか、自分の心が乱れに乱れた! 「シルバーシートを譲られてしまった!!」というショック!! 何ということだ。我が人生で、席を譲ったことはあっても(←実はほとんど無いが・・)、譲られたことは初めて!!

人間の評価は、自分でするものではなく、他人がするものである。幾ら自分がそう思っていても、他人が自分をどう評価するか・・・、である。その観点からすると、何と自分は「シルバーシートに座って何の不自然も無いオジイサン」ということになってしまうではないか・・・・

人生には色々な折り返し点がある。学校を卒業する時もそうだし、就職するときも、結婚するときも、そして定年を迎える時も大きな折り返し点。また、その一つに「シルバーシートを譲られちゃった日」というのも、あるような気がする。
自分は、とうとう“その日”を迎えてしまったわけだ・・。なに?今日は2009年3月6日!?ゴロが良いではないか!3,6,9で覚え易い!(←これ負け惜しみ!)
「反省」してみると、自分は確かに頭は(使い過ぎて)薄い。髪もシルバーである。(←幾らシルバーでも、まるっきり無いよりはマシ!) しかし“凛”として立った姿は、とてもシルバーシートを譲られる姿には見えなかったはず! でも現実は違った。もう自分も立派に席を譲られるオジイサンに見えるらしい。これは否定のしようがない。良く、「自分は席を譲られるトシではない!バカにするな!」と怒る人も居るらしいが、自分は素直・・・

前向きに捉えると、「もう自分はシルバーシートに“おどおどして”座る必要がない」と言うこと。よって、帰りのバスの中、途中でシルバーシートが空いたが、誰も座らないので自分が「堂々と」座ってやった!ザマー見ろ!(失礼)

帰ってカミさんに話したら、“哀れんで”くれるどころか「あなたは立派なオジイサンよ!」と言いやがる。自分は、決して若いとは言わないが、まだまだ席を譲られるトシにはなっていないと、すっかり“勘違い”していたわけだ。
これを機に、これから堂々とシルバーシートに座れるようにしてくれた“水谷豊っぽいとび職さん”に感謝することにしようか・・・(トホホ・・・)

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2009年3月 5日 (木)

昭和23年の出来事(1歳)~「異国の丘」

自分の生きてきた年代を振り返るシリーズの第2回。
Image02451_2 生まれた次の年である(自分が1歳)昭和23年(1948年)がどんな年だったかを調べてみると、帝銀事件(1/26)、東京裁判の結審(11/4)とA級戦犯の絞首刑の執行(12/23)、大韓民国の成立(8/15)と朝鮮民主主義人民共和国の成立(9/9)、セロテープの発売(20円)とボールペンの発売(セーラー)、サマータイムの実施(~1951年)、「人は右、車は左」の対面交通の実施(11/1)、「110番」のスタート(10/1)、太宰治の入水自殺(6/13)と「斜陽」のベストセラー、そして4月には美空ひばりがデビューし、米ベル研でトランジスタが発明された(6/30)。
歌は、フランチェスカの鐘(二葉あき子~6月発売)、異国の丘(竹山逸郎/中村耕造~9月発売)と、戦後最大の40万枚(最終的に100万枚?)を売ったという「湯の町エレジー」(9月発売)が大ヒット。
その中で、今日はオーケストラによる「異国の丘」を聞いてみよう。言うまでもなく、この歌は、収容所にいたシベリア抑留兵の増田幸治がこの歌のもとになる詩を作り、それを聞いた同じ収容所にいた吉田正がセメント袋の裏に書き止め、曲をつけたといわれている。そして昭和23年8月、NHKラジオの「のど自慢」に中村耕造という復員兵がこの歌を歌い、世の中に一気に広まった。元の詩は”今日も暮れ行く”ではなく”昨日も今日も”で始まっていたようで、のど自慢で紹介されてから佐伯孝夫が詞を手直ししたとされている。(出典はここ

<吉田正記念オーケストラの「異国の丘」>

「異国の丘」
  作詞:増田幸治
  補詞:佐伯孝夫
  作曲:吉田 正

1)今日も暮れゆく異国の丘に
 友よ辛かろ切なかろ
 我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ
 帰る日も来る春も来る

2)今日も更けゆく異国の丘に
 夢も寒かろ冷たかろ
 泣いて笑うて歌って耐えりゃ
 望む日が来る朝が来る

3)今日も昨日も異国の丘に
 重い雪空日がうすい
 倒れちゃならない祖国の土に

 たどりつくまでその日まで

まさに戦争のツラさ悲しさが漂う「異国の丘」ではあるが、現代の大オーケストラによる演奏は、また別の趣がある。
当時シベリアでは60万人もの人が抑留され、寒さに震えていたというが、その人たちに、この歌がどれほど勇気を与えてくれたかは想像に難くない。

その頃自分はどうしていたかって?・・やっと1歳なので、当然“意識”はナイ・・・・。

(関連記事)~大オーケストラによる歌
上海交響楽団の「荒城の月」

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2009年3月 3日 (火)

童謡「うれしいひな祭り」

Googleを開くと、お内裏さまの絵・・・。そうだ、今日は3月3日、ひな祭りである。
今朝の日経の「春秋」にもこんなことが書いてあった。

「光源氏はむろん男だが、雛(ひな)祭りをする場面が源氏物語第十二帖「須磨」に出てくる。といっても、人形を飾ったり白酒を飲んだりではなく、祭りの元の姿だった「禊(みそ)ぎ祓(はら)え」の神事を、都を離れて隠れ住んだ須磨の海辺で行うのである。
「今日は、かく思(おぼ)すことのある人は、御禊(みそぎ)し給(たま)ふべき」つまり「何か心配なことがある人はお祓いをしなければならない日だ」と聞かされた光源氏が、身の災いを移した人形を舟に乗せて海に流す。すると突然、雷鳴とともに激しい風雨がまき起こり……と物語は第十三帖「明石」に続く。
・・・・・
雛祭りの元の禊ぎの起源をたどると、青々と萌(も)えだした草を踏んで厄を払う「鞜青(とうせい)」に行き着くという。それが現代の季節感に合わないのは、例えば今日を旧暦に換算すると2月7日になるように、新暦と旧暦でズレがあるからだ。ただ、温暖化が進めば、いずれピッタリの季節感になるかもしれない。そんな心配もする今年の雛祭りだ。」(日経2009/3/3「春秋」より)

ひな祭りの原型が、既に平安時代にあったらしい事が「源氏物語」からも見て取れる。
ひな祭りは、我が家にとっては120%関係の無い行事だが、この「うれしいひな祭り」という歌は、自分にとって子供の頃を思い出す懐かしい歌の一つである。何を思い出すかというと、それは小学校の時の「学芸会」・・・・(写真はクリックで拡大~写真の外をクリックすると戻る)
P10401241 小学校3年生の時だっただろうか、引っ込み思案の自分はまったく目立たない子供だった。それが突然、学芸会での「嬉しいひな祭り」の“五人ばやし”の踊りに引っ張り出されたのだ。何のことは無い、ピンチヒッターだったのだ・・・。
小学校3年というと昭和31年の頃。当時は楽しみが少なかったせいか、小学校の学芸会はどこでも盛んであり、生徒向けとは別に父兄向けの日があった。そこに出るはずの友達が突然病気で倒れ、そのピンチヒッター・・、と記憶している。でもそのお陰で、懐かしい思い出になった・・・・

この「うれしいひな祭り」という歌は「昭和10年にサトウハチローが作詞したのもだが、発表時は山野三郎の名前で出た。作曲者・河村光陽の長女、河村順子の歌で昭和11年(1936年)2月レコード化。」(西東社「童謡・唱歌・こころの歌」p30より)とのこと。よって、童謡としては非常に新しい。(この音源は1938年8月29日録音、1951年2月発売のもの)

<河村順子の「うれしいひな祭り」>

「うれしいひな祭り」
  作詞:山野三郎(=サトウハチロー)
  作曲:河村光陽
  歌 :河村順子(長女)

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り

お内裏様と おひなさま
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉さまに
よく似た官女の 白い顔

金のびょうぶに 映る灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
赤いお顔の 右大臣

着物を着かえて 帯しめて
今日はわたしも 晴れ姿
春の弥生の このよき日
何よりうれしい ひな祭り

P10401881 Wikipediaには、「本来「内裏雛」とは雛人形の男雛と女雛の一対を指すが、男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」と呼ぶ誤りは「うれしいひなまつり」の歌詞から一般化している。」とある。この歌は意外と“影響力”があったらしい。
でも先日カミさんと犬の散歩の時に思い出しながら歌ってみたが、自分は「お内裏様とお“姫”様・・」と歌う位なので、サトウハチローを論じる資格も無い・・・。
それに、カミさんが言うには「お嫁にいらした姉様に よく似た“官女”の白い顔・・」という歌詞について、「“官女に似る”とはお姉さまに失礼。“よく似た「お雛様」の白い顔”すべき」と言う。まあこれでは語呂が合わないけど・・・・。

ウチは「女の子を・・・」と思って、“間違って”男を産んでしまった家。せめて歌だけでも“女の子の歌”でも歌うとするか・・・・

●メモ:カウント~33万

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2009年3月 2日 (月)

“かんぽの宿”問題~日経「大機小機」の大人の論理

先日の日経のコラム「大機小機」に「官業払い下げの論理と倫理」という記事があり、つくずく“日経はオトナの新聞だな”と思った。(2009/2/227日経朝刊p15より)
曰く・・・

大機小機~官業払い下げの論理と倫理
日本郵政が所有する資産「かんぽの宿」の売却を巡る騒動は、官業払い下げの論理と倫理を問いかけている。
2400億円余りを投じた資産の譲渡価格がなぜ、109億円でしかないのかという素朴な疑問は確かにある。中には不動産として優良物件もあるというから、個別物件ごとの評価を積み上げれば譲渡価格を上回る金額になるはずと考える人は、入札に不正があったのではないかと疑い、「出来レース」と批判する。
郵政側は、これは単純な不動産の処分ではなく、3千人超の従業員を抱える宿泊事業の売却で、M&A(合併・買収)と同様に事業価値の評価の問題だと主張する。永久には縛れないが、雇用確保を条件とする事業の譲渡価格は投下資本の多寡には関係なく、将来の予想収益の割引現在価値で決まるという理屈だ。
問題は公正価値(フェアバリュー)とは何かである。国会質疑を聞く限り、最悪の環境下で売り急ぐ必要があったかという疑問はあれ、郵政の説明に特段の違和感はない。批判者が暗に想定するような客観的で絶対に正しい公正価格など存在しないからだ。
パナソニックが三洋電機を子会社化する際、時価を下回るTOB(株式公開買い付け)価格が話題になった。自ら資産査定をして付けた価格は、事業統合を考えるパナソニックにとっての公正価値であり、純投資目的の大株主(優先株)であるゴールドマン・サックスにとっての公正価値とは一致せず、不特定多数が参加する公開市場の時価と違っていても不思議はない。
誰がどんな目的で買うのかで、同じ資産・事業の価値は変わる。安すぎると思えば、対抗TOBを掛けるか、売らずに保有し続ければよい。上場会社の株価でさえも、何が公正価値かは神のみぞ知る。予測と仮定の評価(主観)に基づく根付けは、第三者による活発な競争的取引の結果を受け入れるしかないのだ。民間の私有財産の処分に関する限り、以上の論理で問題はほぼ完結するのではないか。
しかし、日本郵政は民営化しても政府が全株を保有する国有企業で、その資産は国民の財産だ。官業払い下げに付き物の疑惑を招かないためには、民間取引に倍する手続きの公正さと透明性を要求される。郵政と入札参加者双方にその自覚はありや。かんぽの宿売却は、公共財を扱う倫理基準を満たしていたかどうかの問題だろう。(渾沌)」(2009/2/227日経朝刊p15より)

「かんぽの宿」の“各新聞の論評”については、各紙の特徴が出ていて面白いので、当blogでも前に取り上げた(ここ)。でもこのコラムを読んで、「これでこの議論は終りだな」と思った。つまり、自分にとって、それほどこの記事は説得力があったのだ。
いったいこのコラムは誰が書いているのだろう? 相当、頭の良い人が書いているのだろう。一般的な感情・感覚の視点からの見方、及び、市場経済の視点からの見方、そして一刀両断の結論。実にスカッとしている。

何でもそうだが、物事を見る視点の違いで、正反対の結論が出る事は多い。その格好の例を、この“かんぽの宿”事件は提供してくれた。
この事件は、たぶん買い手が付かないまま、時間だけが過ぎるのだろう。せめて日本郵政が必要な説明責任を果たしていたら、別の動きになっていたかも知れないが・・・・。

マアそれはそれとして、繰り返しになるが、このコラムの筆者は素晴らしい。自分もこのような論理展開が出来るようになりたいが、“頭の出来”が違うのでマア永遠に無理だな・・・

(関連記事)
「かんぽの宿」問題~自分の“付和雷同”を思う

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2009年3月 1日 (日)

唱歌「仰げば尊し」

今日から3月。早いもので、もう卒業式のシーズンである。今日3月1日は、昔、高校の卒業式があった日である。今では何日が卒業式か知らないが、自分の卒業した昭和41年当時は、必ず3月1日が卒業式だった(ここ)。それは入試との関係だった。当時国立一期校の試験日が3月3日~4日であり、毎年、地方の大学を受ける人は卒業式に出られなかった。当時、1月になると皆自宅に籠もって勉強していたが、3月1日の卒業式には皆出てきた。受験直前のピリピリした中にも緊張が解ける一瞬であった。その時にこの「仰げば尊し」を歌ったかどうかは覚えていない。その当時でも、卒業式といっても殆どが「蛍の光」だったように思う。でもこの歌は、なぜか歌っていて、そして聞いていて涙を誘う一曲ではある。もちろん今では、こんな歌を卒業式で歌う学校は無いだろうが、自分にとっては懐かしい一曲である。

<コロムビア合唱団の「仰げば尊し」>

「仰げば尊し」
   作詞/作曲:不詳(文部省唱歌)

1)仰げば尊し 我が師の恩
 教えの庭にも はや幾年
 思えばいと疾し この年月
 今こそ別れめ いざさらば

2)互に睦し 日ごろの恩
 別るる後にも やよ忘るな
 身を立て名をあげ やよ励めよ
 今こそ別れめ いざさらば

3)朝夕なれにし 学びの窓
 蛍の灯火 積む白雪
 忘るる間ぞなき ゆく年月
 今こそ別れめ いざさらば

この歌は、「明治17年3月唱歌教材集「小学唱歌集(三)」に発表。大槻文彦、里見義、加部巌夫が詞を練り上げたともいわれる。明治29年の「新編教育唱歌集(八)」以降にも掲載」(西東社「童謡・唱歌・こころの歌」より)

卒業式といえば、サラリーマンの卒業式は別にして、自分は4回の卒業式を経験しているが、どれも少しずつ覚えている。小学校の時は「何で女の先生が泣いている?」と素直・・・・。中学校の時は「もう姿を見ることが無くなる**を惜しんで・・!?」。高校は入試の真っ最中。そして大学は、3月の末にまさに形だけの卒業式であまり印象がない。まあ先生方との繋がりも弱かったし、とにかく卒業出来て良かった・・・、だけ?

言われるまでもなく、この歌詞は現代的ではない。まさに明治時代の風景で、今の若い人は理解できないだろう。
でもまあ春も近いので、そんな難しいことを考えるのは止めて、素直にこの歌を聞きながら、若い頃の「前向きの自分」を思い出して懐かしむのも、また良いでのは・・・?

(追~2011/01/25)
Image05692 2011年1月24日付「朝日新聞」夕刊に「あおげば尊し 米に原曲」という記事があった。原曲は、米国で19世紀後半に世に出た「卒業の歌」だという。記事のオリジナルのPDFは(ここ

(追)
2009/3/8付け朝日新聞(p28)に今年の卒業式の人気曲ベスト10が載っていた。
「・・・ここ10年ほど、ダントツで人気があるのが「旅立ちの日に」。月刊誌「教育音楽」が全国の中学校の音楽教師に、卒業式に何を歌うか聞いた調査では、今年も1位でした。・・」
<卒業式の人気曲ベスト10>
①旅立ちの日に
②大地讃頌
③手紙
④仰げば尊し、流れゆく雲を見つめて
⑥大切なもの、明日のために、旅立ちの今たしかめあって、巣立ちの歌、この地球のどこかで

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