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2009年2月 1日 (日)

江戸時代の生活~歴史学者・磯田道史氏の話

NHKラジオ深夜便で「〔歴史に親しむ〕記録で見る江戸時代〜政治、金融、医療 茨城大学准教授 磯田道史」を聞いた。(2009/1/22 放送)
歴史学者の磯田道史氏は、江戸時代に書かれた色々な文書(もんじょ=日記)を通して、江戸時代の生活ぶりを紹介されていた。曰く・・・・

・江戸時代の武士が登城するのは、番方と呼ばれる警備や軍事にあたる役職は(戦争が無いので)せいぜい月に3~4回。でも御家老や勘定方、郡奉行は土日も無い位、登城していた。年末は決算をして12月28日頃に終える。
・正月は、殿様の側近は殿様と一緒に初詣。側近で無い人は、正月2日か3日に、“総登城”があって、殿様と一緒に杯(さかずき)を交わす。上座から低い順に杯が移動し、まさに身分の高い吉良上野介が杯に注いで行った。これは主従関係の確認を行う重要な儀式だった。
・侍は、城下町に固まって住んでいたので、正月はお互いに一軒ずつ廻る年始回り。お互い玄関に名刺受けを置いておき、年賀名刺を入れた。名刺の大きさは今と同じか少し大きいくらい。年賀名刺には「恭賀新年」という言葉と名前を書いた。謹賀新年という言い方は戦後以降?
・明治以降は、バラバラに住むようになったので、田舎へは年賀名刺を郵送するようになった。これは大正・昭和の初めまで続いたと思われる。これが年賀状のルーツ。よって、明治・大正時代は、恭賀新年という言葉しかなかったが、これは江戸時代の流れ。
・喪中ハガキもあった。今の喪中期間は1年以内が普通だが、江戸時代は最長で50日。これ以上は喪に服さないように、と決まっていた。だから夏に無くなって喪中はありえない。
・江戸時代の出産は確かに大変だったが、世界でも赤ちゃんに関する医療で、日本は先進国だった事は忘れてはいけない。
・江戸時代は産婦人科が独自に発展を遂げていた。賀川玄悦(1700-1777)という天才産婦人科医が出て、賀川流産科というのがあった。母親のお腹の中で、赤ちゃんが頭を下にしていることは、日本は西洋と同じ頃、つまり元禄の頃に賀川流産科は知っていた。また赤ちゃんを取り出すための特殊な器具も開発されていた。例えば手が引っ掛かっているときはどうやって取り出すか、など。
・産婆の技術も高く、マタニティも発達していた。江戸時代は最初の1年で亡くなる赤ちゃんは25%。20歳までに半分の子供が亡くなった。それでも世界で日本は医療大国であり、子供を大切にする文化があった。
・「ヘソの緒」を保管する習慣は日本だけだが、江戸時代の初めにはあった。有名人では松尾芭蕉の例がある。芭蕉は三重県の生まれだが、旅をしていて久しぶりに家に帰ってみると、母親が亡くなっていた。家の中を探すと、自分のヘソの緒があり、「臍(ほぞ)に泣く」と書いてある。よって1600年後半にはその習慣が既にあった。江戸時代の前は、胎盤を容器に入れて呪いと共に家の軒下に埋める習慣が大切にされていた。これは、日本人が母と子をつなぐ特別な感情を持っていたということ。もっとも臍の緒を大切にした背景には、臍の緒は薬になるという信仰もあった。
・江戸時代の日本の教育レベルは高く、日本にやってきた西洋人は中国人よりも日本人を褒めている。これには二つの理由があって、1)家庭教育がしっかりしていて親が教えていた 2)寺子屋という便利な機関があった。
・都会では寺子屋には女の子も行っていて、通いで行って文字を教えてくれるので、これで一挙に識字率が上がった。
・同じクラスに色々な年齢の子供が一緒に居るが、内容的にはマンツーマン教育なので問題ない。先生からお手本を書いて来いと言われて、自分で勉強して順番に先生の所に持って行って教えてもらう。先生が見てくれないときは、先輩に見てもらう。しかし寺子屋の中は無政府状態で、子供は皆がおとなしく勉強していたわけではない。しかし先生は一人ずつ個性に合わせて教える。おおらかな個性だけの教育だった。江戸の女の子は、男女の別が厳しかったので、女子なりの教育があり、字の書き方も優雅なカナを教わっていた。それを教える女の先生も非常に多かった。
・寺子屋の費用は、今の価値で月2万円の単位。都会の寺子屋は高かった。束脩(そくしゅう)と呼ばれる月謝は、田舎では野菜などでも良かった。
・それらの教育があったから、日本は明治以降の近代化に対応できた。
・江戸時代の税制。確かに米の40%は召し上げていた。しかし、材木や酒や商業の税は安かった。例えば、米1万円の税金は4千円だが、材木は150円。つまり税率1.5%。江戸時代は、一見農業社会に見えるが、商業優先の誘導税制をやっていた。まさに不公平税制。しかし全体を平均した租税分担率は今と同じくらいだった。
・税金を取られる方も、税率が上がると文句を言うが、取られた後のことは文句を言わないのが日本人の欠点。これは侍と農民とは住む世界が違っていたこともあって、お上に取られた後の事には興味が無かった。これは現代の年金問題につながっている。議会を通して言うしかないが、議会の伝統が無かった。

しかし聞けば聞くほど興味が出てくる江戸時代の生活・・・・。
前に大奥の話をラジオで聞いて書いてみたが(ここ)、一般庶民や侍の生活も面白い。しかも、映画フイルムも録音も、何も無い時代の話なので、手掛かりは「文書(もんじょ)」だけ。磯田さんは、誰も開いた事の無い文書を初めて開くときが、何とも楽しいという。
しかし良く考えてみると、江戸時代の識字率が高いことは“凄い”こと・・。何故かというと、今の時代はメールの時代なので、文字が画一化(=活字ではっきり)しているので誤読が無い。しかし、江戸時代の墨で文字を書く時代は、人によって文字は千差万別。その一人ひとりの個性的な崩れた文字を読んでいた訳で、現代人にはとても読めない。

話は飛ぶが、昔、会社でまだパソコンが無かった時代、自分は部下に対して「メモ」を連発した。「あれはどうなっている?」「これはこうしろ・・・」。後で聞くと、部下連中にとってそれは大変迷惑なことで、ナンテ書いてあるか読めない。それで、皆でメモ用紙を逆さにしたり、裏から眺めたりして、何と書いてあるかを解読・・・。それがメール時代になったので悪筆の解読が不要になり、一番喜んだのが自分の部下達だったとか・・・。(トホホ・・)

でも、昔の時代の文化・生活を知るのは意外と楽しい。時間が取れるようになったら、小説だけでなく、昔の生活を知る本も面白いな・・・、と思うこの頃ではある。

(関連記事)
江戸時代の「大奥の生活」


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