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2009年2月の25件の記事

2009年2月28日 (土)

映画「チェンジリング」を見て

映画「チェンジリング」を見た。いつもの通り、カミさんに言われるままに付き合って見てきた訳だが、何とも心が重い。それは真実の話だから・・・・か?
確かに、とても“書き下ろし”では、このようなストーリーは書けないのではないかと思う。それほど自分にとって「実際にあった話」が重かった。(公式HPはここ

1928年、ある母子家庭で母親が仕事中に9歳の子供が失踪する。母親はロス警察に頼んで探してもらうが、5ヵ月後に戻ってきた息子は別人だった。しかしその少年は自分をママと言う。
背が7センチも低く、学校の教師も歯科医師も少年が別人だと証言するが、取り合わないロス警察。その背後には、市民から腐敗・堕落を追及され、何とか警察の「功績」を市民にPRせざるを得ない警察の姿があった。
別人だと言い張る母親。それを精神病だとして病院に放り込む警察。そこに、ラジオを通じて警察の腐敗摘発キャンペーンをしている牧師が救いの手を差し伸べる。
それから、ロス近郊の牧場で、20人もの少年の誘拐殺人事件が発覚し、その中に息子がいた可能性が出てきた。その事実を前に、警察は徐々に追い詰められ、母親は精神病院から救われ、警察の実態を糾弾して行く結果に・・・・・
(ここまでのスジは公式HP(ここ)に書いてある)(写真はクリックで拡大します)

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事実とは言え、無理スジな所もある。たった5ヶ月しか経っていないのに、別の少年を連れてきて、母親に「お前の息子だ」と押し付けてもそれはムリ・・。当時のロス警察が、いくら男社会だとしても・・・。そしてそれを権力で押さえ込もうとする警察と、それに従順な精神病院。医師・看護士の誇りは??
しかし、市民は黙ってはいない。母親は「警察とモメることは望んでいない。ただ息子を探してくれ・・・」。デモが起き、市民の監視の目の中で徐々に真実が明らかになって行く・・・。
まあ、この流れは見ていて救われる。しかし真実だけにハッピーエンドという訳には行かず、見た後に心が重くなるのは仕方がないか・・・。

この映画は何だろう・・・? 母親の愛と、ロス警察の堕落腐敗の摘発か? 確かに、ここに表現されている母親の息子に対する姿は、この映画のテーマだ。幾ら「諦めろ」と言われても、「どこかで生きている“存在感”を感じる」と言って、決してそれを受け入れようとしない母親の姿。確かに、母親の直感というものはあるだろう。そして、生き甲斐が“息子だけ”の場合、それを奪われた女性は強い。
警察のメンツの話は、横山秀夫の警察小説でも良く出てくる。しかし幾ら1930年代の話とはいえ、ロス警察の横暴は、ちょうどその頃の日本の“特高”に通じる。

この映画は年齢制限のある映画である。つまり、おどろおどろしい場面がいくつも出てくる。それだけに、見終わった後に簡単に「良かった」と言えなかった映画であった。でも最後の「希望」に少しだけ救われたな・・・。(何が「希望」かは、見てのお楽しみ・・・)
(追:ラストシーンは「本当のお母さん?」→カミさんと大論争(?)になっていますので、何方かご覧になったら教えて!)

(付録:最近の映画の公式ホームページは、blogを利用して積極的にその映画をPRしようとする姿勢がある。各種ピクチャーも、何種類かのサイズを変えてダウンロードできるようになっているし、ブログパーツなるものも用意している。せっかくなのでそれも貼り付けておく。~スピーカのアイコンをクリックすると音が出る。それ以外に色々とリンクが張ってある)

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2009年2月27日 (金)

「子供が使ってはいけない敬語」~金田一秀穂氏の愉快な話

NHKラジオ深夜便「くらしの中のことば 杏林大学教授…金田一秀穂」(2009/2/16放送)を聞いた。今回のテーマは「頭が上がらない」。
だいぶん前の放送だが、これがなかなか愉快な話だった。最初の部分を文字にしてみると・・・

「子供用の国語辞典の監修を頼まれる事があるが、その中で子供用の決まり文句とか、慣用句とかを並べる。例えば「馬がいななく」とか「鳥がさえずる」とか。その中で「頭が上がらない」というのが出てきた。「お世話になった先生に、頭が上がらない」という例文をみて、小学生用の辞典だが、本当に小学生はそう言うのだろうか? 何か気持ちが悪い。どうも言いそうにない・・・。他にも、例えば「手に余る」という言葉。「この算数の宿題は、私の手に余る」。何か気持ち悪い。「試験の成績が悪くて、お母さんに合わせるが顔ない・・・」。何か違うんじゃないか、と思う。頭が上がらないと言ったって、そんなことないだろう。宿題が手に余ると言われたって、あんたの手はどの程度のもんだ?と思ってしまう。この場合の「手」は“大人の経験”といった意味。ある程度できる人の「手」に余らなくてはいけない。
つまり、大人しか使えない言葉というのがある。だから「あんたが使ったら生意気だよ・・・」と言いたい。
最近、夜の11時頃にコンビニの前を通ると、塾を終わった子どもたちが帰って行く。たぶん中学受験で夜遅くまでやっているので大変だな、とは思うけれど、友達と別れるときに、彼らは「お疲れさま」と言って帰っていく。6年生ですよ? 疲れているのはとてもよくわかるけど、「お疲れさま」とは言ってほしくない。“疲れるなよ!おまえたち”と思うわけ。
子供が“お疲れさま”と言うのは、ちょっと嬉しくない。
つまり“敬語を使ってはいけない”というルールが子どもにはある。例えば、おばあちゃんからアメ玉をもらった時、「ありがとう」「良い子だね」で終わる。それが「結構なものを頂戴いたしまして、恐れ入ります」と子供が言ったらいったら、イヤなんですね・・。
つまり大人が使うべき敬語は、子供は使ってはいけない。一人前の社会的な存在でないと、敬語は使ってはいけない。「頭が上がらない」とか、「合わせる顔ない」とか、「手に余る」とかの言い方は、社会的な能力があり一人前でないと使ってはいけないのでないかと思う。・・・・」

この話は落語よりも面白かった。駅からの帰りのバスの中で聞いていたが、思わずニタリとしてしまった。混んでいるバスの中で、妙齢のお嬢さんに向かって、頭の薄いオジサンが“ニタリ”と笑い掛けたら、それこそセクハラ! あわてて顔を窓に向けて、外の景色を見ているフリをした。
AM放送で、かつ電話での話なので音が悪いが(特に電話の“エコー”が大きい!)、落語より面白い(?)続きの“お話”を聞きたい方は、これをどうぞ!(9分半)

<「くらしの中のことば」“頭が上がらない”
         ~杏林大学教授 金田一秀穂>

           (「NHKラジオ深夜便」2009/2/16放送)

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2009年2月26日 (木)

スペイン民謡「追憶」

スペイン民謡の「追憶」という歌を習ったのは、たぶん中学校の音楽の時間だったと思う。何とも“懐かしさ”のある旋律で好きだった。それを強烈に再認識したのが、大学の時、中学の先輩だった“女性の音楽教師のタマゴ”が歌ったのを聞いた時。何の発表会だったのかは、覚えていない。しかし強烈に覚えているのが、ピアノ伴奏の1番、2番が終わった後の間奏の分散和音の旋律・・・。楽譜は(これ)である。(←別サイトにリンク~変なアラームが出るな・・・)
この旋律のピアノ伴奏の音源(CD)を探しているが、手に入っていない。鮫島有美子のCDが出た時に、ドキドキしながら聞いたが、別の編曲であり、この伴奏ではなかった。
残念だが、今日はクロスロード・レディース・アンサンブルの演奏で聴いてみよう。この音源では、2番が終わったあとに自分の好きなあの分散和音が少し出てくる。

<クロスロード・レディース・アンサンブルの「追憶」>

「追憶」
  作詞:古関吉雄
  作曲:スペイン民謡
  歌 
:クロスロード・レディース・アンサンブル

1)星影やさしく またたくみ空
 仰ぎてさまよい 木陰をゆけば
 葉うらのそよぎは 思い出誘いて
 すみ行く心に しのばるる昔
 ああなつかし その日

2)さざなみかそけく ささやく岸辺
 すず風うれしく さまよい行けば
 くだくる月影 思い出誘いて
 すみ行く心に しのばるる昔
 ああなつかし その日

この歌は、明治23年8月「明治唱歌(五)」の中に「月見れば」という題で載ったものだという。原題は「flee as a bird (鳥のように自由に)」で、いちおうスペイン民謡となっているが、スペイン語の歌詞は無く、英語の歌詞を昭和14年4月に(出典はここ)、明治大学国文学教授の古関吉雄が訳詩したものだという。
ともあれ、中学時代を思い出す、心が躍る懐かしい歌ではある。

(追:2009/9/21)
上に書いたピアノ伴奏の音源が手に入ったのでアップします。

<石井健三の「追憶」>

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2009年2月24日 (火)

鉛筆画家・木下晋氏と話した・・・

1年ほど前に、NHKラジオ深夜便で聞いて「画家 木下晋氏の母親との凄まじい葛藤」という記事を書いたことがある(ここ)。P10402071 その木下晋氏の新作展が南青山で、2月28日まで開催中であると朝日新聞(2009/2/11)に載っていたのを見つけ、ぜひ“ホンモノ”を見たいと、今日、表参道駅近くにある始弘画廊(ここ)にカミさんと一緒に行って来た。(写真はクリックで拡大します)

Image02431_2 

元ハンセン病患者をモデルにした絵は、予想通り物凄い迫力・・・・。この大きな1.9m×1mの大作「光の合掌」は1日に15~16時間もケント紙に向かい、約1カ月掛けて仕上げたという。会場には全部で12作品があったが、猫が寝ている絵などは目がランランと光っていて、今にも動き出しそう・・・・。10万円と書いてある。カミさんが「買おうよ」と言う。冗談だとばかり思っていたが、後で聞いたら半分は正気だったとか・・・。
一回りしたら、何と本人が画廊に入って来た。あの姿・・・・。
Image00021 画廊の入り口に木下さんの写真集「生の深い淵から(これ)」が置いてあったので手に取って見ていたら、ここにもその本が置いてあると受付の人が言うので、買うことにした。直ぐ近くに木下さんが居られたので、声を掛けてみた。そしたら本にサインしてくれると言うのでお願いした。左手でサインしてくれた。「ラジオで聞きました。ぜひホンモノの絵を見たいと思って・・」と言うと、「どの放送ですか?」というので「昨年のラジオ深夜便で・・・」と。そしてずうずうしく「写真を撮らせて頂けますか?」とミーハーなことを言ったら、「どうぞどうぞ」と直ぐにOK。それで撮らせて頂いたのがこの写真。

P10402112

だいたい、自分は“有名人と一緒”に写真を撮らせて頂いたのも初めてだし、サインをもらったのも初めて・・・。それだけ、著者と出会ったことがないのである。

Image00031 作品はどれも「命」を感じる。“無難な題材”などはどこにも無い。ハンセン病で、目も鼻も手も無くなったすさまじい“生きる”姿をとらえる木下氏。そこには、前の記事で書いた家出を繰り返す母親との葛藤、貧困の極みの子供時代の体験が深く刻まれているようで、ノー天気な自分など到底近付けない世界・・・・。
そして、買った写真集「生の深い淵から」の中で、自分が一番気になったのが、この「祈心」という作品。あるのは「手」だけ。でも画面から何かが伝わって来る。
木下さんの作品は、居間に掛けて楽しむという作品ではないが、何かオーラを発する不思議な絵の世界である。また今日は、ひょんなことで本人にも会えるとは・・・。自分もあまり体験をしたことが無い、貴重なひと時であった。

(関連記事)
画家 木下晋氏の母親との凄まじい葛藤

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2009年2月23日 (月)

昭和22年の出来事(0歳)~「鐘の鳴る丘」

朝、新橋駅構内のパン屋でコーヒーを片手にNHKラジオ深夜便「特集・わが人生の歌語り第47回 五木寛之」を聞きながら、フト思った。“自分も真似してみようかな・・・”と。
この番組は、五木寛之氏の歩んできた歴史をひも解きながら、当時流行していた歌を一緒に聞く番組で、今回(2009/2/22放送)は「昭和54年」だった。当blogも“人生を振り返る”のがコンセプト。よって、同じように自分の生きてきた年代を振り返ってみようかと・・・
そんな訳で、今日は自分の生まれた昭和22年(1947年)について振り返ってみる。(・・・と言っても、自分に記憶がある訳では無いので、世の中の動きだけだが・・・)

終戦後2年目の昭和22年は、戦争から帰還した人や、戦争が終って安心した人たちが子供を作ったため、空前のベビーブームだった。今ではそれを「第一次ベビーブーム」というが、当時は第一次とは言わなかった。
しかし、今まで「昭和22年度生まれは250万人で最も多い」と認識していたが、調べたらどうも違うらしい。(出典はここ)
  昭和22 (1947年) 2,679 千人
  昭和23 (1948年) 2,682 千人
  昭和24 (1949年) 2,697 千人
  昭和25 (1950年) 2,338 千人

で、3年間殆ど同じだが、タッチの差で昭和22年生まれは、昭和23年・24年生まれに負けている。残念!?
しかし、2007年は106万人というからざっと2.5倍。近所でもどの家にも子供がいた。しかも、我が家のような3人など珍しくも無く・・・

この年の出来事を調べてみると、まず4月に六・三・三学制が実施され、国民学校が小学校と改名されて学校給食が開始された年だという。
物価は、タバコが2円50銭、 新聞が月20円、封切映画が20円の時代。銀行員の給料は220円位だったという。
090223tongariboushi ラジオでは、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が大ヒット。このドラマの主題歌「とんがり帽子」がヒットしたという。(もちろん自分は知らない)
古関裕而のこの明るい歌で、皆、貧しいながらも明るい未来を目指していたのだろう。

<川田正子の「とんがり帽子(鐘の鳴る丘)」>

「とんがり帽子(鐘の鳴る丘)」
   作詞:菊田一夫
   作曲:古関裕而
   歌 :川田正子

1)緑の丘の 赤い屋根
 とんがり帽子の 時計台
 鐘が鳴ります キンコンカン
 メイメイ小山羊も ないてます
 風はそよそよ 丘の上
 黄色いお窓は おいらの家よ

2)緑の丘の 麦畑
 おいらが一人で いるときに
 鐘が鳴ります キンコンカン
 鳴る鳴る鐘は 父母の
 元気でいろよと 言う声よ
 口笛吹いて おいらは元気

3)とんがり帽子の 時計台
 夜になったら 星が出る
 鐘が鳴ります キンコンカン
 おいらは帰る 屋根の下
 父さん母さん いないけど
 丘のあの家 おいらの家よ

4)おやすみなさい 空の星
 おやすみなさい 仲間たち
 鐘が鳴ります キンコンカン
 昨日にまさる 今日よりも
 明日はもっと しあわせに
 みんな仲良く おやすみなさい

戦後まもない頃の歌とあって「おいらは帰る 屋根の下 父さん母さん いないけど 丘のあの家 おいらの家よ」という歌詞に戦争の影を見て取れる。
ともあれ、戦後皆が元気を取り戻していた頃に、自分はこの世に生を受けたというわけ。(タイトルの(0)は当時ゼロ歳を意味する。~続く)

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2009年2月22日 (日)

世界の「禿げ頭」率ベスト10

先日の日経に、「なるほどマップ~世界の成人男性薄毛率」という珍妙な調査結果が載っていた。曰く・・・

男性の薄毛率、欧州で高く
男性の薄毛の割合は欧州で高い。かつら最大手のアデランスが21カ国・地域で実施した「世界の成人男性薄毛調査」からわかった。チェコを筆頭に上位5位までを欧州勢が占め、6位は米国、日本は14位だった。(写真はクリックで拡大します)
Image02361 成人の基準は各国で違いがあるため、調査は便宜上20歳以上とみられる男性の通行人を観測し、生え際の後退や頭頂部などの毛量が周辺部より明らかに減少している人数を集計。通行人全体の数で割って算出した。
21カ国・地域の平均薄毛率は32.13%。欧州勢が上位を占めた理由について、同社は「民族間の混血が進み遺伝的要因が各国に広がったことや、先進国が多く食生活が豊かなためではないか」と分析。アジアの中では高めの日本についても、食生活の影響や高齢化が背景にあるとみる。
2007年時点の国内の推定薄毛人口は1342万人、調査対象国・地域全体では2億9000万人。矢野経済研究所(東京・中野)によると薄毛治療薬やかつらの国内市場規模は2006年度時点で約1900億円だった。国内ではかつら市場は頭打ち傾向にあり、関連企業にとって海外戦略が重要であることがわかる。」(日経2009/2/19夕刊p3より)

「世界の成人男性薄毛率」
①チェコ   42.79%
②スペイン  42.60%
③ドイツ   41.24%
④フランス  39.24%
⑤英国    39.23%
⑥米国    39.04%
・・・・
⑪ロシア   33.29%
⑫豪州    30.39%
・・・
⑭日本    25.78%
・・・
⑰タイ     23.53%
⑱台湾    22.91%
⑲マレーシア 22.76%
⑳韓国    22.41%
21)中国    19.04%

この統計をどう読むかだ・・・。
(まあ自分はかつらとは縁が無いので、こんな話題はどうでも良いのだが・・・。しかも、昨夜コンサートに行った小椋佳も見事な頭をしていたし・・・・)
日本人は4人に1人がハゲ・・・。ヨーロッパでは、実に4割がハゲという・・・。
こうなると、目立たないな・・・。最近の世界中の株安と同じで、全員が損をしていると、目立たない・・・
しかし、こうもハゲが多いとなると、世の女性陣に言いたいね。“ハゲで人を区別なさるな・・・・”

でもハゲはやはり遺伝だと思う。(ウチの家系にも何かある・・・・)
先日、会社の同期会で20人以上が集まったが、“ハゲは意外と少ないな・・・”という話題になった。統計的には1/4なのに・・・
結局、“同期の連中は会社であまり頭を使わなかったのだ”、と自分なりに納得。小椋佳も、銀行員とミュージシャンの二股を掛けていたので、頭(の毛)が擦り切れたのだろう。
まあ、世の若ハゲの人も、この統計で元気が出るだろう。「自分は決して孤独ではない」・・・・と。そして海外旅行はアジアを避けて欧米にすれば、いっそう目立たない・・。
でも「自分で気にしない・・・」に限る。気にしてもどうしようもない事には、これが一番! 以上、結論でした!

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2009年2月21日 (土)

小椋佳の「歌談の会」に行った~「海辺の恋」

今夜、昭島市民会館で小椋佳の「歌談の会」というコンサートがあり、行ってきた。小椋佳との(レコードでの)“初対面”は昭和49年(1974年)8月なので、もう付き合いが35年にもなImage02351 るが、やっと今日、ホンモノと対面したという訳。(対面といっても、相手は自分の事は、当然知らないが・・・)
このコンサートの事を知ったのが、チケットの発売から大分経ってからだったので、席は後ろの方・・・。よってさすがにホンモノは遠かった・・・。カミさんに言わるままオペラグラスを持って行ったが。これが正解だった・・。でも手で持っていると、どうしてもオペラグラスが揺れるので見にくい・・・。つい、どうもテレビとあまり変わらないな・・・と思ってしまったり・・・。つまり、声と演奏はスピーカを通してだし、画面はオペラグラスを通しての切り取った画面・・・。でも解像度は無限大・・・・。まあ「時を同じくしている」事はテレビと違うところだけど・・・・(←これ、席が遠かったためのグチ・・・)

小椋佳のファーストコンサートは1976年10月だったが、それから30年以上経った小椋佳は、さすがに慣れたもの・・・。話も実に珍妙でうまい! あの銀行家が・・・、そして“もう二度とコンサートはしない”と宣言したファーストコンサートでの緊張とは大違い・・・。(まあ当然だが・・・・)

今日のコンサートは「普段着での歌とおしゃべりの会」、と謳うだけあって、実にアットホーム。「さっき場内アナウンスで、写真を撮るなとか、携帯の電源を切れとか、飲食はダメとか言っていましたが、守らなくて結構です。隠れてやって頂く分には構いません。自分の写真を撮るような無駄なことをする人も居ないだろうし・・・、アッ携帯鳴っていますね。どうぞ、そこで・・・」から始まった。(本当にシャッターを切る人もいる・・・・)
そして今日の歌は、主に“作詞か作曲を別の人と組んで作った歌”の特集だった。そして、津軽を舞台にした「物語」も披露。女性のピアニストをお婆さんにしたり、ギタリストを役者に仕立てたりして、持ち歌を、物語に沿った替え歌にして歌う・・・・。
しかし、この「物語」のように、小椋佳のチャレンジ精神は旺盛。前はミュージカルをやっていたが、今日は物語・・・
軽妙な話の中に出てきた俳優さんでは、吉永小百合さんと3時間、直に話して楽しかった・・・とか、八千草かおるさんは、本当はオトシなのになぜあんなに若いのだろう・・・とか、團伊玖磨さんと堤清二さんと3人で、月に一回美味しい食事とおいしい話をする会があったが、そのうちそれぞれが奥さん以外の美しい女性を連れてくる事になり、自分は調達能力が無かったので、自分用の女性を二人が用意してくれた、とかいう話など、なかなかウィットがあって面白かった。

今日の小椋佳も健康そのもの。血色も良く(?←本当は遠くて分からなかった?)、顔も丸顔に戻って65歳とは思えないバイタリティ・・・。年齢的にも超ベテラン・・・。今日、本人が話していたが、作曲を始めてから38年で、作った曲が著作権協会に登録してあるものだけで2千曲を越えたという。そして他の歌手に提供した曲は300人にのぼるという。
今日の歌の圧巻は「山河」だったが、これは前にアップしたので(ここ)、最初のほうで歌った「佐藤春夫の海辺の恋」を聞いてみよう。この歌は「ほんの二つでしんでゆく」という1973年6月発売のアルバムに入っている歌である。

<小椋佳の「海辺の恋」>

「海辺の恋」
 作詞:佐藤春夫
 作曲:小椋 佳

こぼれ松葉をかきあつめ
をとめのごとき君なりき
こぼれ松葉に火をはなち
わらべのごときわれなりき

わらべとをとめよりそひぬ
ただたまゆらの火をかこみ
うれしくふたり手をとりぬ
かひなきことをただ夢み

入り日の中に立つけぶり
ありやなしやとただほのか
海べのこひのはかなさは
こぼれ松葉の火なりけむ

もちろんこの歌詞の解説などしない。(僭越な・・・・)
しかし今日のコンサートの観客は、案の定、初老の人ばかり・・・。若い人はほとんどゼロ・・・・
でも一介のサラリーマンでも、才能さえあれば(例え風貌がどうであれ(失礼!))“ここまでの存在になる”という、ある意味“歌のアメリカンドリーム”かもね・・・
カミさんよりも長い付き合い(?)の小椋佳だが、元気な姿を見て安心をした今宵ではあった。

●メモ:カウント~32万

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2009年2月20日 (金)

喜多郎の「無限水」

シンセサイザーの喜多郎の初期のアルバムに1979年発売の「OASIS」というのがあって、そこに「無限水」という曲がある。ある意味では、喜多郎らしい最初のアルバム(本当は3番目)と言って良いくらいのアルバムで、昔は良く聞いた。
この心地よい分散和音は喜多郎そのもの・・・・

<喜多郎「無限水」>

この流れるような音楽を聴いていると、何か心が洗われる・・・・・。前にも書いたが、自分は、喜多郎は初期の作品が好きだ。

初期のCDの中で、唯一1982年発売の「1000年女王」のCDだけが手に入らなかったが、2年半ほど前に、何とかロシア製の“まがい物”のCDを手に入れた(ここ)。非常に危ないかと思った通販ショップであったが、何とか無事に・・・・
その後、そのサイトが閉鎖されていたが、TONOさんからコメントを頂いて、新たなショップのアドレスが分かった。
しかし、自分が手に入れたCDに比べても、TONOさんに送られてきたものは、品質が悪いとの事。でも、自分の場合は、デジタル音源が手に入るだけでも満足だった。(オークションでは、アメリカ製の本物(?)のCDが1万円で取引されている)

このまがい物(?)のCDには「1000年女王」と一緒に、上記の「OASIS」が一緒に入っている。そんな訳で久しぶりに「無限水」を聞いた。
素性がどうであれ、喜多郎の音楽は喜多郎の音楽である・・・。2つのアルバムを無理に詰め込んで(80分)、それが13ドルとは、どうも安過ぎて気に食わないが、でも喜多郎の音楽に非は無い。
久しぶりに聞くこのシンセサイザーの音楽・・・・。聞いていると心が澄んで行くでしょう・・・・?
(もしこの曲を聴いてくれる人は、パソコンからの音では喜多郎が泣くので、せめてイヤホンで聴いてくれることを期待・・・・)

(関連記事)
喜多郎の「1000年女王」のCD
喜多郎のNHK特集「シルクロード」のテーマ
喜多郎の「ロシアへの想い」
Pink Floydと喜多郎のドラマー

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2009年2月19日 (木)

日本企業の「ブランド価値」ベスト10

今朝の日経に「日本企業のブランド価値ランキング」が載っていた。曰く・・・

「コンサルティング会社インターブランドジャパンが18日まとめた、日本企業のブランド価値総額ランキング2009年版によると、トヨタ自動車の「トヨタ」が315億ドル(2.9兆円)で首位となった。昨秋以降の景気低迷で価値を落とすブランドが目立つが、5位の任天堂「ニンテンドー」は5%増と健闘した。
米インターブランドは米ビジネスウィーク誌と共同で世界の企業のブランド価値ランキングを毎年発表、今回は初めて日本企業に絞ったランキングを出した。
昨年9月の世界ランキングと比較すると、トヨタや「ホンダ」「ソニー」は利益水準の低下が響き、7~8%価値が目減りした。6位「パナソニック」は、10月に「松下電器」「ナショナル」を廃止して全世界のブランドを統一した効果で、経営不振の中でも横ばいを維持。約5%伸びた「ニンテンドー」はゲーム機「DS」「Wii」などの世界好調が牽引した。
上場会社の持つ日本発の企業ブランドから、海外売上高が3割を超すなどの条件を満たすブランドを選抜。各ブランドの生み出す利益水準などを勘案して順位付けした。」(2009/2/19日経P10より)(詳細レポートPDFはここ~9.3Mもあるので注意!)

  ブランド(企業)     価値総額  増減率 
                (百万ドル)
①TOYOTA(トヨタ自動車)  31,570  ▲7%
②HONDA(ホンダ)       17,673  ▲7%
③SONY(ソニー)        12,438  ▲8%
④CANON(キャノン)      10,484  ▲4%
⑤NINTENDO(任天堂)     9,182    5%
⑥PANASONIC(パナソニック)4,287     0%
⑦LEXUS(トヨタ自動車)    3,233  ▲10%
⑧NISSAN(日産自動車)   2,901    -
⑨TOSHIBA(東芝)       2,404    -
⑩SHARP(シャープ)      2,344    -

ところで「ブランド価値」とは何だろう。
本家の「インターブランド」のHPにある本レポートよると「インターブランドのブランド価値評価手法は、財務力、ブランドが購買意思決定に与える影響力、そしてブランドによる将来収益の確かさ、という観点からブランドを評価する。・・・「将来どれくらい収益を上げると予想されるか?」という視点に基づいて、ブランドを分析する。具体的には、「財務分析(企業が生み出す利益の将来予測を行う)」「ブランドの役割分析(利益のうち、ブランドの貢献分を抽出する)」「ブランド力分析(ブランド利益の将来の確実性を評価する)」の3つの分析によって構成されている。」
つまり「ブランド価値」は、企業の時価総額などの計算で出てくるものと違って、何らかの手法で評価するようだ。

ところで、自分の「ブランド価値」は? これはキツイ・・・。
辞職した中川さんを筆頭に、麻生さんのブランド価値も低下の一途を辿っているが、我々サラリーマンにとっても、最近は自分の「ブランド価値」を意識せざるを得ない御時勢である。
今日の夜のニュースで、「NECやSONYも正社員を対象に希望退職を募集している」と言っていた。このような場合、サラリーマンは各人の「ブランド価値」で決まるような気がする。つまり、給料よりも「ブランド価値」が高い人は生き残るし、逆に低い人は肩たたきの対象となる。まあ原理的には当然だが・・・・。
自分も還暦を過ぎて、サラリーマンとしてのブランド価値がめっきり下がってしまった。今では、我が家で「ブランド価値」で君臨するのはメイ子だけ! ちなみに“メイ子”とは「ヨークシャテリア」の愛犬である。幾らお母さんが作り損なってハナが曲がっていようが、ブランド品(?)であることにはかわりがない。
何とも寂しい“ブランドレス”の我が家ではある。

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2009年2月18日 (水)

焼香の回数は?~雑誌「大法輪」より

雑誌「大法輪」(ここ)は、仏教の総合誌であるが、現在書店に並んでいる今月号(2009年3月号)は、特に勉強になる。今月号の特集は「仏教の誤解を解く~思い違いのQ&A」(ここ)である。身近な話題では、こんな記事が載っていた。

「焼香の回数は決まっている?
焼香は「香を焚いて仏を供養すること」です。この焼香は宗派により作法の回数も異なります。浄土真宗では「つまんだ香を「いただく」という動作(額のあたりに恭(うやうや)しく持ち上げる動作)はありません。それ以外の宗派では、香をまず「いただき」ます。
回数が定まっているのは、浄土真宗の本願寺派(お西)が1回、真宗大谷派(お東)が2回です。その他の宗派は特に定まっていないようですが、真言宗と日蓮宗は一般に3回、臨済宗は1回が多いようですし、曹洞宗は2回が多いような気がします。どうも全部の宗派に通じる、正しい作法、回数というのはないようです。」

「喪服は黒色が正式?
本来の「喪服」は「喪中であることを表す服」のことです。つまり遺族が着用する(会葬者は着ない)もので、日本では白が本来の喪服とされてきました。おそらく死者も白服に改められたことから、遺族もこれにならったものと思われます。遺族の女性は白布で頭を覆いました。黒が喪の色であったのは西欧です。明治中期に欧米文化を取り入れる中で、日本でも黒を喪の色とし、普及したのは関東大震災以降といわれます。なお、前述のとおり喪服は本来、遺族が着るものですが、一般の会葬者までもが黒の喪服を着用するのは、戦後の高度成長期以降の日本だけです。欧米にはないし、戦前の日本にもなかった習慣です。」(「大法輪」2009/3月号P115~116より)

この「大法輪」は、昭和9年に創刊された一宗一派にかたよらない仏教雑誌であり、書いてあることは信用できる。それが、今月は身近な話題で、一般に勘違いされていることなどを“正して”いて面白い。
しかし、葬式のときに焼香の回数をどうするかは意外と分からない。我々は、仕方が無いので前に焼香した人を真似する場合が多い。しかし「プロ」から見ると、色々とあるようだ。
それに葬式に行くには、黒の喪服を着て行くのが礼儀だと思っていたが、そのスタートが、何と戦後に始まった日本だけの習慣とは・・・・。あまりに最近の習慣なのでビックリ。

そう言えば、“お清めの塩”についても書いてあった。
「清め塩は仏教の教え?
「清め」というのは、日本古来の「穢(けが)れから身を清める」という観念から来ており、仏教とは本来関係のない習俗です。穢れの一つに死があり、この施に接したものは何らかの形で清められなければいけないという観念は中世からありました。「清め」には、身を海水に浸す=塩をかける、水で洗う=手水(ちょうず)などがありました。そこで死者を弔問したり、火葬場に行った者は、死の穢れに触れたので清められる必要がある、ということで出てきたのが「清め塩」です。もっとも今日のような葬儀の会葬礼状に挟む形式は、1970年代に葬祭業者が顧客サービスの一つとして開始したものです。そもそも仏教では死を穢れとはしないので清め塩は不要なはずですが、日本人の死に対する恐怖感が生んだ習俗で、それを現代日本では葬祭業者が増幅したものと言えそうです。」

先の当blogの記事で、新しく買ったパソコンに「清め塩」をしたことを書いた(ここ)。その時は「清め塩」の由来が分からなかったが、これで分かった・・・。

しかし我々は毎日、特に何も考えずに「風習」を実行している。でも、それらをいちいち理由・出所を意識しながら行うのも大変・・・。まあ大体で良いよね。

*・・・と、ここまで書いたら、電話が鳴った。カミさん曰く「振り込め詐欺の電話だ~!!」
「**(九州の息子)だけど、参っちゃったよ。携帯なくしちゃってさ・・」「モシモシどちらにお掛けですか?」「ツーツー・・」
だいたいウチの息子はそんなにベラベラしゃべらない! どうせ詐欺の電話を掛けてくるのなら、もう少し本人の喋り方を勉強してから掛けて来い!(しかし、本人の名前と電話番号が、どこかから漏れているわけで、気持ち悪いな~)

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2009年2月17日 (火)

王貞治さんの「プロ論」

今日の日経夕刊の1面に「中川財務相が辞意表明」とある。先日のG7の記者会見で、酔っ払ってろれつが回らなかったという。世界の大舞台での緊張感の無さ・・・。何とも“大物”である。普通の人は緊張して、酒を飲んでも酔わないのだが・・。しかし、これが国民が選んだ“プロの政治家”なのだろうか??
同じ日経夕刊1面の下の方、「明日への話題」というコラムに「プロ」についてのこんな記事があった。

プロフェッショナル~アナウンサー 山根基世
この頃、東京でタクシーに乗ると、道を知らない運転手さんが多い。この不況下、ごく最近転職したという方が多いのだ。先日は九段方面のある有名な施設の名前を告げたが、ご存知ない。ナビゲーターで検索するよう頼んだが、その運転手さんは、使い方が分からないとおっしゃる。・・・・困り果てて「それじゃ、九段の方向に向かって走ってください」と頼むと、「あの、九段の方向ってどっちですか?」・・・・
・・・・・・
少し前にNHKで王貞治さんのことを特集した番組を放送していた。そこで王さんは独自の「プロ論」を展開されていた。名言の数々の中でも、とりわけ驚愕させられたのがこの言葉。「人間だから失敗することもありますよ、などということは、他の人がいってくれるのならいいけれど、自分で言うことではありませんよ。そういうことを言う人に限って、ミスを犯すんです。プロはね、自分のことを人間だなんて思っちゃいけないんです」。オオーッと胸深く頷き、次の瞬間、わが身をふり返り、絶句するばかり。
ただ才能があるだけでなく、「極限まで努力した」自信が言わせる誇り高い言葉だと思った。
新米の運転手さんに、そこまでのプロ根性は求めないけれど、プロを目指して努力することで、新しい仕事への誇りも持てるようになるのではないかと思うのだ。」(2009/2/17日経夕刊p1より)

「プロ」という言葉には、一般とは違う“畏敬の念”が含まれている。しかし、「オレは**のプロだ」と言い切れる人はそう多くないのかも知れない。だから不況の時に大騒ぎになる。
「アメリカは“就職”だが日本は“就社”」とは、良く言われること。つまりアメリカは“仕事に就く”が、日本は“会社に就く”。だから日本のサラリーマンは、会社から離れた途端に誇れるものが何も無くなってしまって(選挙に落ちた政治家と同じで)“ただの人”になってしまう、という。一般企業のサラリーマンは、多分多くの人がそうなのだろう。
前に、経理の人に「経理の人は手に職を持っている訳なので、定年退職をした後でも幾らでも行く所があるので羨ましい」と言ったら、「それは小さな会社で、本当の実務が出来る人だけ。大会社の経理屋なんてどこも採ってくれない」と言う。
この不況下、自分は何のプロなのか、何が他人よりも優れているのか、自問自答している人が多いような気がする。そして、王さんの言うように、「極限まで努力した」自信のある人だけが、強気で生きていける・・・。
もちろん自分も「あなたは何のプロ?」と聞かれたら「オレはサラリーマンのプロ中のプロ!」と声高に答えるさ! ←誰も採ってくれないけど・・・・
夕刊を読みながら、酔っ払い政治家と、真摯な王さんとの対比に、「日本は大丈夫かな・・」と感じた今宵ではある。

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2009年2月16日 (月)

藤山一郎の「ふるさとの」

藤山一郎は、単なる流行歌手を超えた大声楽家だと思う。それは日本歌曲を、この上なく叙情豊かに歌うので・・・。
その藤山一郎の歌った歌曲の中でも、三木露風の「ふるさとの」は自分が好きな一曲である。

<藤山一郎「ふるさとの」>

「ふるさとの」
  作詞:三木露風
  作曲:斎藤佳三
  編曲:富田 勲

ふるさとの
小野の木立に笛の音の
うるむ月夜や

少女子は
あつき心にそをば聞き
涙ながしき

十年経ぬ
同じ心に君泣くや
母となりても

この詩を味わうのには少し学が要る・・・? どうもこのような意味らしい・・。 「淡い恋心を抱く少年と少女が、月が照らす野の木立で語り合っていると どこからともなく笛の音が聞こえて来る。あまりの笛の淋しさに思わず涙する。十年経って、少女は結婚して母となるが、あの月夜の晩のように流れてきた笛を聞いて涙を流しているのだろうか・・・・」
何とも感傷的な叙情歌ではある。
090216furusatonomiki1 この詩は、詩集『廢園』(光華書房、明治42年9月5日発行)の「二十歳までの抒情詩」として28篇掲載されているうちの一篇で、この詩のあとに「明治四十年十月」とあるので露風が18歳の時の作らしい。(写真は露風直筆~クリックで拡大)
そして曲は、大正3年(1914年)発行の斎藤佳三作品集『新しき民謡』に発表されたもので、レコードは昭和3年(1928年)2月、藤原義江の歌でビクターから発売されたという。

この藤山一郎の音源は昭和34年6月発売のLPから録っているので、音が悪い。全集ではCD化されているようだが、自分はこのレコードしか持っていない。でも編曲が“富田勲”というのが面白い。(CD音源に交換済み)

不況不況・・と大騒ぎの世の中だが、このような音楽を聴いて、“別の世界に逃避”するのも良いかもね・・・

(付録:本物(←失礼!)のバリトン歌手が歌うとこうなる・・・)

<坂本博士「ふるさとの」>

(2011/08/18追:女声が歌うとこうなる・・・・)

<松本美和子「ふるさとの」>

(関連記事)
藤山一郎が歌う「千曲川旅情のうた(小諸なる古城のほとり)」

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2009年2月14日 (土)

blogを本にした

自分は昔から「自分の本」が好きだった。だから会社でも、仕事上での「本」を作ったりした事があった。でも作家でも無い限り、または素人でも俳人などの作品を生み出す人でない限り、“自分の本”というのもは作れない。なぜか・・? コンテンツが無いから・・・

Img_22921 でもblogの時代になって、「本を作る」という夢が実現できるようになってきた。
今日、当blogの4冊目の本が届いた。 「エムズの片割れ(4)」である。(写真はクリックで拡大)
最初に「エムズの片割れ(1)」作ったのが、2007年12月だった。「ココログ出版(ここ)」というPRがあり、1冊から「ココログ」を本にしてくれるというので、カラーの上製本を1冊とモノクロの無線綴じ1冊を頼んでみた。出来上がったのを見て、高価だが“やはり写真はカラーでなくては・・・”と思って、だいたいスタイルが決まった。それ以来、半年毎に本にしてきた。それで今日届いたのが、2008年7月~12月までの「エムズの片割れ(4)」(440頁)というわけ。(なお「ココログ出版」で本に出来るのは、.“cocologで作ったblog”だけ)

Img_22881 Img_22811 Img_22911

目次、記事は上の写真のようだが、自分のように写真が少なくて文字が多いblogは、もったいない。でも写真はモノクロでは物足りない・・・・。唯一不満なのが、一つの記事での写真掲載が“5枚に制限”されていること。だから6枚目以降の写真が無効になってしまう。でもこれも段々改善されて行くのだろう・・・。

Img_22891 一緒に作ったカミさんのblog「エムスのひとり言(ここ)」は、写真が多いため、綺麗・・・・・。しかも表紙のデザインが上品で、カミさんは世界で一冊しか無い自分の本を見て、大喜び・・! 本の薄さも程よい。何せ、自分の本は、あまりに記事のボリュームが多くて、製本の厚さの限度ギリギリらしい。

しかし、やはり自分の書いたものが本として残るのはこの上なく嬉しいものだ。何か遺産を作ったような感じもして・・・。
でも問題は、この本を誰も読んでくれないという事実・・・・。しかし自分は一人だけ読者を見つけた。何の事はない、自分のお袋である・・・。いつだったか、田舎に行ったときにお袋に見せたら「読みたい」というので置いてきた。そしたら意外な反応・・・。後日電話が掛かってきて、「これは面白い。ようやくお前のことが分かった。考えてみると、高校を出た時から離れていたので、分からなかったが、この本を読んで初めてお前というのもが分かった・・・・」と言う。
確かに幾ら息子でも、田舎に帰ったとしてもホンの一瞬。何を考えているかなど、分からないのは良く分かる・・・・。
還暦が近くなってから、このblogを書き始めたが、予想外の反応があった訳で、これもblogの効用かも・・・
たまたま明日、田舎に行く事になっているので、唯一(1)~(3)を読んでくれたお袋に「(4)が出来たぞ」と持って行くつもりだ。もう90歳に近いお袋だが、(5)(6)・・・と、お互い元気で、引き続き「唯一の読者」で“あり続ける”ことを、祈りたいもの。

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2009年2月13日 (金)

ADSLから光回線に切換えた~スピードの差

先日の記事(これ)の続きだが、先日、Yahoo! BB ADSL 12M からNTT東の光回線に切換えた。今日は、その顛末を・・・。
2/11の休日に約束通りNTTが光回線の工事にやってきた。何と女性が来たのでビックリ。でもチームは3人だった。女性の工事屋さんは宅内工事、光ケーブルの引き込み工事と交通整理/安全担当は男性。ものの1時間で引き込み工事とひかり電話のルーターの取り付けが終ってしまった。さーて、設定するぞ・・・、とNTTから送られてきたCDをセットすると、アッという間に設定が終ってしまった。1台目のパソコンで設定すると、2台目以降のパソコンは何もしないで繋がった。最初のパソコンからの設定でルーターに命が吹き込まれるようだ。そして、ビックリしたのはプロバイダーの設定情報が勝手に出てくる。つまり、自分の場合は@niftyのID・パスワード・メールアドレス・その他の情報を、ひかり電話のルーターが@niftyから引っ張ってくるようだ。従って、ほとんど何もせずに設定が出来てしまう。それにAirStationも、モードスイッチを“ブリッジ”にしてNTTの新ルーターとLAN端子同士を繋ぐと、直ぐに無線でも繋がった。トラブルを前提に意気込んでいたのに、肩すかしを食った感じ・・。

それでスピードだが、いきなり50Mと出てきて、なるほど・・・と納得。昔のYahooBBのADSLの時もそうだったが、切換えた直後は、色々とスピードを測定してみるもの・・。今回も同じだ。整理するとこういう事らしい。(YahooBBのADSL 12Mの時は、下りは有線で7M、無線で5M。上りは0.8Mだった)

<<スピード>>~「BNRスピードテスト(ここ)」で測定
<パソコンによる違い>~速度は最高速度を記す
・ ノートパソコン(Satellite PSK111JCWNREKW)(有線:XPsp3:Celeron Mプロセッサ 430 1.73GHz)では、最大値で下り79M、上り16M。
・ 居間のデスクトップパソコン(DELL Dimension 3100C)(有線:XPsp2: Celeron D プロセッサ 331 2.66GHz)では、同じく下り73M、上り85M。

⇒解せないのが、ノートでは上りが16Mしか出ない事。DELLでは85M・・。後で検証したら、この原因はウィルスバスターにあった。ノートパソコンのウィルスバスターを止めると、上り80Mに改善。

<有線と無線の違い>
~ノートパソコン(Satellite PSK111JCWNREKW)+無線ルーター/カード:WHR-HP-G54/WLI-CB-G54HP
有線:下り79M、上り80M(ウィルスバスターOFF)
無線:下り13M、上り32M
まあこんなものか・・・?しかし、やはり有線が良い。無線が悪過ぎ・・・

<有線LANケーブルの長さの違い>
当然ながら1mも20mも同じだった。~違ったら大事件・・・

<測定サイトでの違い>
以上は「BNRスピードテスト」で測定してみたが、サイトによってバラバラ。NTTフレッツのサイトでは、下り93Mという値が出る。
BNRスピードテスト」と「価格comのスピードテストここ)」の違い。
(ノートPC)
BNR:下り79M、上り80M(ウィルスバスターOFF)~ONだと16M
価格com:下り68M、上り74M(ウィルスバスターON)
⇒価格comのスピードテストではウィルスバスターの影響を受けない。なぜだ?

(デスクトップ)
BNR:下り73M、上り85M
価格com:下り67M、上り75M

●スピードに対する考察
・回線のスピードは、気にしないに限る。測定サイトで数字だけ追っても、あまり意味は無い。要は、日常使っていて問題があるかどうか、使い勝手が良いかどうか・・。今までの5Mで特に違和感が無かったのだから、10M以上あれば全く問題は無い。回線だけ早くても、相手のサーバーが混んでいれば当然遅くなるし、変に測定したりすると、かえって気になって損。まあどうせ測定するのは最初だけだと思うけど・・・

<<ADSL⇒光化への費用について>>
自分は、価格com(ここ)で申し込んだ。勧誘電話はそれぞれ「人件費」がかかっているので、原理的に高いはず。逆に、全てをNetで申し込む場合は人件費が不要な分だけ安いはず・・・。
自分が申し込んだ価格comでは、「@nifty光 with フレッツ ホームタイプ」で「1年間の実質費用」は1,022円だった。これはキャンペーンで41,500円のキャッシュバック大きい。同番移行工事費(NTT)の3,150円を入れても、1年間で平均月1,284円、2年間で3,871円、10年間で6,176円となる。一方、ひかり電話(基本プラン)も月525円であるため、今までの1,633円よりも安い。それにプロバイダーだが、今まではYahooで繋いでいたが、Niftyのホームページを使っている関係で、実際には使わないNiftyの「お手軽コース5」998円も払っていたり、Niftyのセカンドメールを2つ取っていたので、その費用420円が掛かっていたが、@nifty光にすると、IDを無料で4つ追加できるので、そのセカンドメールの費用が掛からない等、整理するとこのようになる。

<従来>
Yahoo! BB ADSL 12M 3,702円+@niftyお手軽コース5 998円+セカンドメール2通 420円+NTT1,633円=6,753円/月

<光回線>
@nifty光 with フレッツ ホームタイプ6,720円+ひかり電話・基本プラン525円=7,245円

1年目初度費:割引 プロバイダー4ケ月分▲26,880円+(初期費用 無料キャンペーン±840円)+価格comキャッシュバック▲41,500円+同番移行工事費(NTT)3,150円=▲65,230 円 ⇒△5,436円/月 
よって1年目は7,245円-5,436円=1,809円、2年目以降は7,245円
5年間で計算すると、平気月額は、(1,809円×12月+7,245円×4年×12月=)369,468円÷5年÷12月=6,158円(10年間で計算すると6,701円)
(結論)従来のYahoo! BB 6,753円>NTT光 6,158円 となって、光化したほうが安い

●Yahoo! BB ADSL 12M ⇒ @nifty光 with フレッツ 乗換えの評価
(メリット)
①費用が安い:自分の場合は、結果としてプロバイダーを2つ契約していたので、5~10年間でも安くなった。
②スピードが早い:上記
③特に上りのスピードが速くなったので、電話の音声が良い。

(デメリット)・ ・・・無し

090213ftth 既に世の中では、光回線はADSLを抜いた。回線の究極の姿はFTTH(Fiber To The Home)で、ADSLはそれに行くための臨時の姿に過ぎない。大陸間の大容量通信も当然光。よって光回線の先はもう無い。よって究極の光回線に必ずいつか変わる。問題は“いつなのか”だ・・・
まあNTTも、「2010年度に光2000万契約」の目標に対して、NTT東日本/西日本の2008年12月末時点での光回線契約者数は1063万で、苦戦中とか・・・。
NTTが公約を果たせずに焦っている今が、(決算時でもあり)一番安く光を引っ張れる時期かもね・・・?

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2009年2月12日 (木)

難病からの生還~ミュージシャン渡辺知子さん

雑誌「至知」3月号に、「私たちは奇跡的な命を生きている~ミュージシャン 渡辺知子」という記事があった。「難病である紫斑病、クモ膜下出血という二度にわたる命の危機から奇跡的に生還し、精神的、肉体的ハンディのある若者たちとともにコンサート活動を繰り広げる渡辺知子さん・・・」。曰く・・・

「私が(小学校5年の時に)かかったのは、血小板減少性、血管性、アレルギー性、腹性、と複合の紫斑病で、他にも起立性循環調節障害症など複雑で家族には「20歳までの命でしょう」と知らされたそうです。・・・・・
時間がないんだったら大好きな音楽に打ち込みたいと思いました。夢中でエレクトーンの練習をしている時だけは病気の痛みや学校に行けない寂しさを忘れることができましたね。・・・そして中学3年の時に全国大会出場を決めました。・・・・日本で開かれた世界大会でグランプリを受賞してしまったんです。しかも、高校1年生という世界最年少で、です。・・・・・
(病状は)高校を出ても一進一退でしたね。そんな時、私の病気を人一倍心配してくれ、音楽活動を応援してくれていた大好きな祖母ががんになり、あと1年の命だと宣告されたんです。自分がもう長くないことに気づいていたのでしょうね。見舞いに行くたびに「私が死ぬ時は知子の病気ぜーんぶ、あの世に持っていくからね」と口にするようになりました。
祖母の容体は日に日に悪くなり、息を引取ったのですが、ふと気がつくと、信じられないことが起きていたんです。毎日手足をこっそり見ては、きょうはどのくらい出血しているかと気にしていた紫斑が綺麗に消えているじゃないですか。病院の先生も、「これは奇跡だ」って驚いていました。あぁ、祖母が約束どおり私の病気を持っていってくれたんだと思うと、涙が止まりませんでしたね。・・・・
・・・・・・・・・・
ところが、33歳の時・・・・クモ膜下出血でした。・・・意識を失って救急車で病院に運び込まれた時、心臓と呼吸が止まり、瞳孔も半分以上開いていて生存率はたったの1%だったそうです。・・・
周りに「社会復帰は難しい」と言われ、夢も希望も消えて気持ちは荒れに荒れていました。・・・・
ある日、病院のリハビリ室にいた一人のお爺ちゃんがニコニコしながら寄ってきて、九州弁丸出しで「あんさん、最近よう見るばってん、どこが悪いん?」と話しかけてきたんです。「クモ膜下出血」。ふてくされていた私は無愛想にそう返事をしました。そうしたら「わしは脳内出血たい。見たところまったく同じやな。歩けもせんし、握れもせん。喋りもなかなかでけんばいね」と、いとも嬉しそうに言うんですよ。
そして続けて私にこう聞くんです。「あんさん、夢なかろ?」と。「私にあるわけなかろうが」。「そげなことやけん、つまらんたい。医者の薬よりも夢のほうが効くんばい。わしはこう見えるばってん、大きな夢があるたい。あんた、わしの夢、聞きとうなかね。わしの夢はな、聞いて驚くな。わしの夢はな、もう一度この足で立って歩いてな、孫の手を引いて散歩をすることばい」。・・・・この一言は私にとって、目から鱗が、それこそ音を立てて落ちるくらい本当に衝撃的でした。・・・・
お爺さんは「ほら、皆あんたの夢待っとるばい。大きな声で言うてみい」と言いました。私は目の前のポールを握って立ち上がり、満身の力を込めて叫びました。「私の夢は人の手を借りず、自分の力でトイレに行くことです」と。・・・・・
やがて私は「自分でトイレに行く」という夢を達成しました。トイレで一人喜びの涙を流しながら、またとてつもない夢を私は描きました。それが「もう一度必ずステージに立つ」だったんです。
体験として感じるんですが、この「必ず・・・・する」という“言い切る”パワーはとてつもなく大きいんですね。・・・・・」

先の「あの世に病気を持って行ってくれる」という話は、前にもどこかで聞いた事がある。渡辺さんは、お祖母さんにとても愛されていたのだろう。実にスピリチュアルな話だが、自分は信じる・・・。
もう一つの「必ず・・・・する」という話は、目標があれば、そしてその目標に向かって努力すれば、半身不随でも演奏家として復活することも出来るという、素晴らしい体験談だ。
そういえば昨日のテレビで、今年のパリダカ(ダカールラリー2009)に、11年前のバイク事故で脊椎損傷となりバイクレースから4輪に転向して出場を果たした青木拓磨ドライバーの事を紹介していた。これも“執念”なのだろう。
逆境の時に、人間の真の姿が現れる・・・。その時、自分は・・??(怖~い・・・・!)

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2009年2月11日 (水)

「所得に応じた負担に」:与党プロジェクト~障害者自立支援法を考える(7)

今朝の朝日新聞に「自立支援法 所得に応じた負担に 与党PT「原則1割」削除」という記事があった。この記事は非常に重要なので全文を記す。曰く・・・

「自立支援法 所得に応じた負担に 与党PT「原則1割」削除
障害者自立支援法の見直しを検討してきた与党プロジェクトチーム(PT)は、10日の実務者会合で、障害者がサービスを利用する際、費用の原則1割を自己負担させる現行法の規定を削除、所得に応じた「応能負担」へと法改正する方針を固めた。自立支援法は06年に施行されたが、負担増となった低所得層を中心に強い反発が出たことから、今回、大幅な見直しに踏み切る。
与党PTの議員は「原則が変わることが最大の違い」と、理念の転換の意義を強調する。ただ、現在も所得に応じた負担軽減策をとっているため、法改正後も負担水準は大きく変わらない見通しだ。
法制定にあたり、国は将来的に介護保険と統合することも視野に入れ、介護保険と同じ「1割負担」の原則を盛り込んだ。その上で、所得に応じて負担上限額を設けた。
しかし、主に低所得層で負担増となり、「1割自己負担は違憲だ」として、障害者らが各地で国と自治体を相手に提訴した。
こうした状況を踏まえ、PTの見直し原案は、「今回の法改正では、介護保険との整合性を考慮した仕組みを解消し、障害者福祉の原点に立ち返り、自立支援法により障害者の自立生活に必要十分なサービスが提供されるという考え方に立って、給付を抜本的に見直す」と記述。定率負担の原則を撤退し、応能負担の原則に切り替える。ただし、サービス利用が少なく定率のほうが負担が少ない人は、現在の負担水準とする方向。
政府・与党は2度にわたって期限付きの負担軽減措置を実施、実際の負担率を平均3%程度に抑えている。新年度も軽減措置を継続する方針を決めており、今回の法改正は、軽減措置がとられた現状を法的に追認する格好だ。(中村靖三郎)」(2009/2/11 朝日新聞p6)

前に「社保審 障害者部会が論点整理」という記事を書いた(ここ)。そこでは法改正に後ろ向きの状況が報道されていた。しかし、今日の報道は「応能負担」に戻すという記事で(当たり前だが)嬉しい動きである。
自分も、社保審の重み、今回の与党PTの重みが良く分からないため、今日の報道がどの程度の影響力を持つか分からない。しかし朝日新聞の同じ記者の記事であり、何よりも“与党自民党からの声”ということで、「応能負担」への転換を期待したいと思う。

(関連記事)
障害者自立支援法を考える(6)~作った側の論理
社保審 障害者部会が論点整理~障害者自立支援法を考える(5)
障害者自立支援法を考える(4)~いよいよ抜本見直しか?
障害者自立支援法を考える(3)~各党の主張 
障害者自立支援法を考える(2)~その問題点と顛末
家庭での障害者の率~障害者自立支援法を考える(1)

●メモ:カウント~31万

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2009年2月10日 (火)

2009年の「サラリーマン川柳」入選作・・・

今日の新聞に、毎年恒例、第一生命の「第22回サラリーマン川柳」の投票募集(ここ)についての記事が載っていた。
実は、当サイトはサラ川が大好きなのである。自分には無いこのウィット・・。到底自分にこんなセンスはない。

今年の“優秀100句”から「私が選ぶサラ川ベスト10」を選んでみたのが下記・・。(正式投票はしないけど・・)

3)「明日、有休」 妻の舌打ち 気のせいか (愛妻亭主)
 ~ウチはこんな事は決して無いが・・・

10)辞表出し 「あずかっとくよ」は ドラマだけ (北の揺人)
 ~これ、確か! この不況の時代、世界中がこうかも・・・?

22)能あるが 隠しっぱなしで もう定年 (内弁慶の妻)
 ~還暦にもなると、“能”はもう出ないけど・・・

27)「パパが(・)いい!」 それがいつしか 「パパは(・)いい」 (はりきりパパ)
 ~パパを“お爺ちゃん”に読み換えると、同期の連中の話と同じ。←ざまー見ろ!?

30)就活で 苦労の次は 婚活か (アラフォー)
 ~最近の若い人は就活の努力はしても、“婚活”の努力はしないらしい・・・

31)父さんに 「似てるね」と言われ 泣く娘 (瓜二つ)
 ~あー、娘が居なくて良かった!

47)胸(むね)よりも 前(まえ)に出(で)るなと 腹(はら)に言( い)う (えんどうまめ)
 ~この句は、ウチのカミさんに捧げます!?

63)出来る人 出来ない俺が いるお陰 (上司育成担当)
 ~然り!所詮相対的なものさ・・・

83)バラ撒きを 批判しつつも 待ちわびる (複雑な庶民心)
 ~まあ“お金”には罪が無いから・・・

90)うぶ毛でも オレは育てる 妻は抜く (李(リ)才来(サイクル))
 ~若い時に頭を使い過ぎると、自分のように髪が擦り切れて無くなるんだって・・・。でもこの句のように自分は“育てて”もいないけど・・・

どんなに大変な事態でも、物事を笑って前向きに捉えれば、必ず良い方向に向かうとか・・・。全てを笑い飛ばしましょうか・・・・。それがストレスを溜めないコツ。
まあ誰でも“分かって”はいるのですがね~・・・

(関連記事)
我が家の「サラリーマン川柳」ベスト10

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2009年2月 9日 (月)

小鳩くるみの「花嫁人形」

童謡「花嫁人形」は、自分は童謡の中でも好きな歌だ。しかし、聞き流しているこのような童謡も、良く眺めてみると色々な背景が表れてきて面白い。
先ずは聞いてみよう。数えてみたら、自分は色々な歌手で12種の録音を持っていた。でもやはり、小鳩くるみの歌が一番好きだ。

<小鳩くるみの「花嫁人形」>

「花嫁人形」
  作詞:蕗谷虹児
  作曲:杉山長谷夫

金襴緞子の 帯しめながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

文金島田に 髪結いながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

あねさんごっこの 花嫁人形は
赤い鹿の子の 振袖着てる

泣けば鹿の子の たもとが切れる
涙で鹿の子の 赤い紅にじむ

泣くに泣かれぬ 花嫁人形は
赤い鹿の子の 千代紙衣装

雑誌「令女界」の1924年(大正13年)2月号に掲載されたというこの歌詞だが、「花嫁御寮Hanayomeningyou_2 はなぜ泣くのだろう?」の解は書いていない。ナゾである。普通は嫁に行くのは嬉し泣きするはず(?)だが、この場合はそうでもないらしい・・・。嫁に行くのが嬉しくない事情は・・・?
3番以降は花嫁人形を歌っているが、これもなぜか悲しい・・・・
その背景は、作詞者の人生にあるらしい。作詞者の蕗谷虹児(ふきや こうじ=1898年(明治31年)~1979年(昭和54年))は画家であり詩人。新潟県新発田に生まれ、父は地元新聞の記者だったという。しかし両親が結ばれたのは、父が20歳、母が15歳の時。そして母が16歳の時に虹児(本名一男)が生まれたという。そして駆け落ちの末の貧乏で、母は28歳で他界。それは蕗谷虹児が12歳の時であった。駆け落ちという祝われなかった結婚。そして苦労の末の若い死・・・。
この歌には若くして他界した母親の面影が投影されているという。

Hanayomesyasin ところで「花嫁人形」とは、“戦争などで独身のまま亡くなってしまった男性のために、その男性の親が「あの世でこの人形と結婚しろ」と願いを込めて寺や神社に奉納する人形のこと”だそうだ。靖国神社には花嫁人形が奉納されているという。まだ独身の若い息子を戦地で亡くし、せめてあの世で嫁を取らせて・・・と、人形を作って祀る老母の姿は哀しい・・・。

しかし、童謡とはとても思えない難解な歌詞の「花嫁人形」・・・。今まで何気なく聞いていたが、その背景には凄まじいものがあることが分かった。

(2010/05/02追)
4月30日に、新潟市に行ったついでに「花嫁人形」の歌碑を訪ねてみた。ホテルイタリア軒の裏にある歌碑である。

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2009年2月 8日 (日)

最も重要なデータ~HPの写真集・・・

パソコンやHDDに置いてあるデータのうち、我が家で一番重要なデータが、ホームページ用のデータである。今日、新パソコン(dynabook Satellite K11)を使って初めてアップした。うまく行って当然とは思いながらも、もしダメだとどうしよう・・と、なかなかスリルがあった。
そのHPは前から当blogにも何度か書いているが、「クラフト☆ギャラリー M's(エムズ)(ここ)」という。これは、2005年3月11日スタートの“カミさんのクラフトの作品集”である。今日でとうとう530作品にもなった。その唯一の記録がこのサイトなので、重要なのである。つまり、今までの足跡がすべてここにある。
前には、毎週末に必ず更新していた。つまり、毎週末に作品を作ってはアップしていた。それが最近、段々と間が空くようになったので“エムズの片割れ”はホットしている訳なのである。(裏話はここ
このHPを作った苦労は、それはもう筆舌に尽くし難い・・・。ツールは「Web Design Works7」というのを使っているが、このアプリはだいたい極めた。しかし、今までこのアプリにどれだけの時間を遣ったことか・・・。だからVISTAなどに変えてもらっては困るのである。これだけの作品集をVISTAで作り直すなど、飛んでもない!だから、我が家は永久にXPなのである。
昨年7月に、パソコンをdynabook Satellite T31に変えたとき、ページの写真へのリンクが全て切れてしまった。これには肝を冷やした。原因は、「使用者」名を変えたために、リンクが切れたことが分かった。それで、Documents and Settingsに前と同じ使用者名を作り、そこに写真を置くことでリンクが復活した。それで今回の(新PCの)K11の使用者名は前と合わせたので問題が無い筈だった・・。でも今日、初めてHTMLに変換したら、やはりリンクが切れている。焦った!でもK11さんの気の迷いらしく、2回目を実行したら正常に出来たのでホットした・・・。
何せ、このようなトラブルになると、つい夢中になってしまって!!
かくして、今までの4年に及ぶ作品集は何とか継続出来そうだ。これらの作品は、作っても直ぐに他の人の手に渡るので、家には無い。つまり写真だけが残るのである。よって写真が無くなると、今までの実績が無くなるという事なので重要・・。前に、何とかこのサイトを本に出来ないかと調べたが、無理らしい。

話は変わるが、今日いつもの多摩川に犬と一緒に散歩に行ったら、途中の道で梅が満開だった。それがこの写真。(写真はクリックで拡大)

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ピンクの梅と赤い梅。写真を撮りながら「梅にちなんだ歌は何かあったっけ?」とカミさんに聞いたが、思い浮かばない。桜はあるが・・・。
家に帰って自分の歌のデータベースで「梅」という字を検索したら、出てきたのは「沢富美男」と、さだまさしの「飛」という歌だけ。先日もさだまさしをアップしたので今回は省略するが、この「飛梅」という歌は「太宰府天満宮」が舞台だという。歌詞に「梅ヶ枝餅」も出てくる。太宰府天満宮については、最近花舞さんが行ったとか(ここ)で紹介されていた。ウチのカミさんも昨年行ったとか・・。
梅の名所は色々あるが、意外と“梅の歌が少ない”事に気が付いたこの頃ではある。

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クラフト☆ギャラリー M's(エムズ)
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2009年2月 7日 (土)

「子ども部屋」~思い出すこと・・

今朝の朝日新聞の「生活」欄に「子どもの部屋、どうする? 個室より“居どころ”作り」という記事があった。記事の主旨は“入学・進級の季節が近付いてきました。そろそろ子ども部屋を作ったほうがいいか・・・” “小学校入学を機に個室を与えたら・・・”

自分の場合、この「子ども部屋=個室」は自分の人生に非常に大きな影響を与えたと思うので、思い出すままにメモしてみる。
自分が初めて勉強部屋を与えられたのは小学校5年生の時だった。自分が生まれたのは埼玉だったが、単身赴任していた茨城の親父の会社に社宅が出来たため、その社宅に入る事になった。昭和33年3月のことである。
茨城の社宅には、6畳二間の他に、独立した3畳の部屋があり、そこを当時中学2年だった兄貴と一緒に“勉強部屋”として使うことになった。そして同時に机を買ってもらった。いま思うと、単に引き出しが二つ付いただけのシンプルな机だったが、とにかく嬉しかった。そこに、“自分の原点=スタートライン”があったように思う。つまり自分はそこで初めて「自分の居場所」を得た。
机に座ることが嬉しくて、家に居るときはだいたいそこに座っていた。自分の城である。高校・大学受験の兄と一緒に、その3畳の部屋で5年を過ごした。もちろん話などはしない。そして、かなり早い時期に、カーテンで自分の机の周りを囲った。いま思うと、たった半畳の机の周りを仕切ることによって、机がまさに“自分のすみか”となった。そこに居ると、まさに自分の世界・・・。鉱石ラジオや短波ラジオを作っては世界の日本語放送を聞いた。もちろんイヤホンで。そういえば、人生でたった一度ハチに刺された事があったが、それは屋根に登って短波ラジオのためのアンテナのエナメル線を張っていた時だった・・。
イヤホンで、良く落語を聞いていたことを思い出す。そして、そっと半田付けをしていると、隣の兄貴から「くさい!」と怒鳴られた。そりゃそうだ。1m向こうは大学受験勉強中だもの・・・。
居間に自分の居場所が無かったこともあるが、いつも机に座っているので、結局勉強もすることになった。そして先生から褒められるとそれを機にまた勉強する・・・、という回転が生まれ、それがその後、自分の人生に大きな意味を持つ事になる・・・。

話が変わるが、結婚したころ、会社の同僚・同期の間で土地・家を買う事がはやり、自分も上の子どもが生まれた頃に、縁あって土地を買い、家を建てた。もちろん会社から大きな借金をして・・。
自分もそうだったので、子供には個室を・・、と思っていたこともあり、そこに10年住んだあと、公団の土地の抽選に当たったこともあって、住み替え、子どものそれぞれの部屋を確保した。

考えてみると、昔は“自室”など、夢のまた夢・・・。それが今は“小学校に上がるので・・”の“当たり前”の時代になっているらしい。でも、やはり子どもにとって勉強部屋は必要だと思う。つまり、何よりも“自分の城”は絶対に必要だと思うから・・・。
半年位前だったか、マンションに応募した(ここ)。その時も、もう家には居ない息子が帰った時の“城”をどうするかは議論した。まあ抽選に外れたのでその心配も無くなり、相変わらず息子どもは、今までの自分の部屋に当然のごとく帰ってくるが・・・・・

今夜もテレビで、派遣を切られた労働者が路上生活になっていく姿を伝えていた。この人たちは、まさに“居場所”が無くなっている・・・。
小学校に上がるので“子ども部屋を・・・”という話題と、派遣切りに遭った人の路上生活の話題・・。何ともやり切れない理想と現実との乖離である。
(付録=子ども部屋を作ったとき、二人の息子に「どの部屋にする?」と聞いたら、小学校2年だった下の息子が「ドロボウが入ってきたときに、一番安全なこの部屋にする」と一番奥の部屋を選んだことがあった。この息子が将来自分の家を建てたときに、相変わらず「一番奥の部屋がお父さん部屋!」と言うのか、それとも玄関から一番近い部屋を自分の部屋にするのか、いまから興味津津(しんしん)ではある!?)

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2009年2月 5日 (木)

無線LANから有線LANへ ~自分の“思い込み”の愚

今日から、自分のパソコンを無線LANから有線LANに変えた。
今まで、2階にある自室のパソコンはAirStationの無線LANでつなぐのが当たり前だった。1階にあるルーターとは離れているので、NETにつなぐには無線でつなぐしかなかった・・・。今までそう思ってきた。

無線LANカードを最近買い換えたとき、マジメにAirStationのソフトをインストールしたら、タスクバーにアンテナマークのインジケータが出るようになった。それが時々青くなったり赤くなったりするのに気が付いた。ポインタをそこに持って行くと、通信速度が表示される。パソコンを開いた時には54Mだが、時間が少し経つと、速度が遅くなって青くなり、そして赤くなったときは11Mを切っている。まあ無線なので仕方が無いが、何か気になる。どうせ、良くて5M位しか出ないので、11Mもあれは充分のはずなのだが、気になる・・・。

実は来週、NTT東の光ネクストに切り替える。この事も少し書いておこう。「NTT東日本です」と名乗った光フレッツの勧誘電話があったのが1月中旬の土曜日。光については全く考えていなかったが、“NTT東日本です”と名乗るので、つい話を聞いてしまった。実は我が家の電話番号は公表していないので、迷惑電話が掛かるとは思ってもいなかった。それでツイ・・。
そして数十分後には“まあ光にしてみるか”となってしまった。まあADSLも中間の技術だし、そのうち光に変わるとは思っていたので・・・。(しかし勧誘電話に乗ったのは、自分としては非常に珍しく初めての経験・・・)
しかし、その後NETで調べてみると、どうせ光にするのならもっと条件の良い申し込みが沢山ある。よってこの話は、一旦キャンセルして慎重に検討しようと、聞いた電話番号に電話すると「(月)(火)は休み」だという。これはヘンだ。・・・と、NTTのコールセンターに電話すると、「NTTであれば、月曜日が休みというのは有り得ない」という。結局、「電話があったのはNTTの代理店からだろう」という話になった。そして次の日に一旦キャンセル。
そして色々調べて、1週間後に一番安いキャンペーンに申し込み。41千円のキャッシュバックがあるため、最初の1年は、平均すると月に1000円チョット・・・。もちろん今までのADSLよりも比較にならないくらい安い・・・
かくして、ひょんな勧誘電話から我が家も光電話に変わることになったわけ。でも5Mも出ているのにそれ以上本当に必要か?の議論は置いてきぼり・・・・

次に、「せっかく光になるのに無線LANが11M位で制限されるのはつまらないな・・」と思い出した。「待てよ?何で無線LANにこだわっているのだ?有線を引けば良いではないか。そうすれば速度も安定するし、必要時以外は無線の電源を落としておける(実は面倒なので無線LANに暗号をかけていない)」
P10309821 ・ ・・と思い出したら居ても立ってもいられなくなって、(通販で買えば2/3で変えるのは分かっているが)今日の帰りに有楽町ビックカメラでLANケーブルを買ってきて、つないだというわけ。(LANケーブルも細い。カテゴリ6なのに・・・)(写真はクリックで拡大)
つなぐと、案の定、居間のパソコンと同じく安定して7Mが出る。それはそれで良いのだが、買ったばかりの無線LANカードがまた余ってしまった。何と計画性の無い・・・・

ここからが本題なのだが、“思い込み”は恐ろしい。昔からスカパーの電話回線を階段に沿って1~2階に引いており、LANケーブルを引くなど、どうって事ないのに「2階は無線」と思い込んでいた。ここが問題・・・・
それで、一気に夢中になって有線に変えてしまった。

何でそんなに夢中になる? でも、フト思い出した。小学校低学年の頃、ゴム動力の“竹ひご飛行機”が大好きだった。竹ひごで翼を作り、翼に紙を貼ってゴム動力で飛ぶ。
夜、寝床で「そうだ! 昼に飛んでいたアメリカの飛行機のように、尾翼の両端に垂直尾翼を付けよう・・・」と想像すると、もう嬉しくなって、日曜日の朝早くに一人でガサゴソ早起きをして、部品屋に飛んでいって、夢中になって作ったものだ。もちろん“設計”していないので、うまく飛ぶはずは無いのだが、形を色々と思い通りに作る事に、ドキドキわくわくしたものだった。
この時に似ている・・・。有線LANは直ぐに動くだろうか?設定は?速度は?安定度は?・・
もう、そう思ったら直ぐに試してみたくて、夢中になって突進する・・。今日も、家に帰るや背広を脱ぐのもそこそこに、直ぐにケーブルを2階まで引いて・・・。カミさんが何かしゃべっているのも、うわの空・・・。そして一旦つながると、やっと気分が平静になる・・・。そして目の前には怒ったカミさんの姿・・!? なぜ怒っているの? ⇒カミさんがしゃべっていたのを、全く無視したので・・・!(いつもこの連続・・)

まあ自分も還暦を越えたとは言え、子供のようなこんな気持ちを持っている事は良いことではないか?まだまだ自分は夢中になれる何かがあるので若い?(カミさんに言わせると、「オモチャ(パソコンやテレビの設定など・・・)を手にすると、すぐに夢中になって他の事が目に入らなくなる・・・」)
今日の夜のひとコマでした・・・

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2009年2月 4日 (水)

グレープの「雪の朝」

2月に入ったが東京では“雪らしい雪”はまだ降っていない。本格的に雪が降ったら雪の歌でも・・・と思っていたが、降りそうも無いので・・・・
雪の歌というと、アダモの「雪が降る」や「雪の降る街を」を連想するが、自分の若い頃を思い出すと、グレープの「雪の朝」だ。
この頃のことは意外と覚えている。立川のレコード屋でこのEPを買ったっけ・・。デビュー間もない頃である。

<グレープ「雪の朝」>

「雪の朝」
 作詩/作曲:さだまさし

表は雪が降ってる 一面の薄化粧
君はまだ眠ったままで 夢でもみてるのかしら
あたりに人影は無く 街もまだ目覚める前
僕は横になったままで 煙草に火をつける
窓の外には遠く 水鳥が飛び交い
雲は低く流れて 雪は降り続く
表通りを荷馬車が通り過ぎて行く

僕が少しまどろむと もう君は起きていて
ねえみてごらん雪だわと 君は幸せな人だ
曇りかけた ガラスを 君はその手で拭い
まるで子供みたいに 目を輝かせた
またいつもの生活が 始まるだけの朝なのに

Image02301 この歌は、グレープのデビュー曲で1973年10月25日の発売という。周知のようにグレープは1976年春に解散したが、その後のさだまさしの活躍は言うまでも無い。(写真はクリックで拡大)

本人はこの曲について、「想い出のデビュー曲。前評判の割には長崎地方以外ではヒットしませんでした。地味な曲ですものねぇ。現実味が薄い、なんてよく云われますが、それもそのはず、これはいわば幻想曲で、フランソワーズ・サガンの色に魅かれて作ったのです。」とコメントしている。
ん?・・ “フランソワーズ・サガンの色”・・・・??
これはもう退散・・。自分の理解を超えた世界なので・・・。

しかし、何とも不思議な雰囲気の詩だ。後年の“哲学者さだまさし”の片鱗が出ているのだろうが、どうも“論点”がはっきりしない。単なる写実絵なのだろうか・・・

(雪国の人には失礼だが)雪が降ると電車が止まる。よって“このまま春になればいいな~”ナンテ思いつつ聞く「雪の朝」ではある。

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2009年2月 3日 (火)

「病者の祈り」

NHK教育テレビの「こころの時代~「響きあういのち つないで」精神科医・聖学院大学大学院教授…平山正実」を見た。(2009/2/1 am5~、再)09/2/8 pm2~)
この番組の中で紹介されていたのがこの詩である。この詩は、アメリカの無名の一患者の言葉として伝っているもので、ニューヨークのリハビリテーション研究所の受付の壁にプレートとして掲げられているという。
特に自死の問題と取り組んでいる平山さんは、生活の指針として東京・北千住にある平山さんのクリニックにも、これを掲げているという。
この詩をどう読むか・・・。コメントは不要であろう。

「病者の祈り

大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった

より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった

世の人びとの賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにといのちを授かった

求めたものはひとつとして与えられなかったが
願いはすべて聞かれた
神のみこころに添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
わたしはあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ

(ニューヨークの物理療法リハビリテーション研究所の壁に刻まれている無名一患者の作)

<英語原文>
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED

I asked God for strength, that I might achieve
  I was made weak, that I might learn humbly to obey...

I asked for health, that I might do greater things
  I was given infirmity, that I might do better things...

I asked for riches, that I might be happy
  I was given poverty, that I might be wise...

I asked for power, that I might have the praise of men
  I was given weakness, that I might feel the need of God...

I asked for all things, that I might enjoy life
  I was given life, that I might enjoy all things...

I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
  I am among all men, most richly blessed!

              Author unknown

This creed is hung on a wall at a waiting room of Institute of Rehabilitation Medicine, 400 East 34th Street NYC. 

090203iaskedgod この詩は、かなり有名な詩らしい。カミさんにこの詩のことを話したら、前から知っていたがそれを書いたメモを無くしてしまって、この詩を探していたのだという。(写真はクリックで拡大)
自分はこの詩が分かるようになるまで、かなりの時間が必要な気がする。

●メモ:カウント~30万

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2009年2月 2日 (月)

韓国歴史ドラマ「風の国」が楽しみ・・・

いよいよ2月4日(木)20:00から、「BSフジ」で韓国歴史ドラマ「風の国」が始まる(これ)。(再放送:毎週(金) 13:00~/毎週(土) 24:00~)それに先立って放送された予告編「風の国特番」を見た。

先に放送された「朱蒙(チュモン)」については、(ここ)で書いた。高句麗建国の初代チュモン王の息子のユリ王の子供、ムヒュルが主人公。つまりチュモンの孫役を、チュモン役のソン・イルグクが演じている。息子を同じ役者が演じるのでは不自然だが、孫ならまあ良いか・・・
全36話というから、チュモンの81話の半分以下。でも自分のように「チュモンが終わってしまってボーゼンとしている(?)ヒマ人」にとっては大事な番組だ・・・。

200億ウォンをかけた作品というが、ウワサによるとこのような大作を作ることは、もう無理らしい。なぜなら、韓国の俳優が売れてしまってギャラが高くなり、同時に不況とウォン安でスポンサーが付かなくなっているらしい。・・・とすると、その最後の作品として(?)「風の国」はゆっくり見なければ・・・。
案の定、“特番”で予告と裏舞台を見る限り、ハイビジョンの映像は素晴らしく、戦闘シーンにも金を掛けている。コンピュータグラフィックもふんだん。しかし、役者が前の作品とダブって出演している。だから、前の作品の役柄が自分のアタマにこびりついている為、今度の作品の役柄に自分の頭が切り替わるかが心配。

ともあれ、自分にとって韓国ドラマは「冬のソナタ」、「チャングムの誓い」、「海神」(ここ)」、「朱蒙(チュモン)」に続く5作目。カミさんは馬鹿にして決して見ないが、時間のある人は覗いてみるのも一興。まあこのようなドラマは初回から連続して見なければ面白くないので、ご紹介まで。

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韓国ドラマ「チュモン(朱蒙)」が終わってしまった
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BS朝日の韓国ドラマ「海神」の魅力

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2009年2月 1日 (日)

江戸時代の生活~歴史学者・磯田道史氏の話

NHKラジオ深夜便で「〔歴史に親しむ〕記録で見る江戸時代〜政治、金融、医療 茨城大学准教授 磯田道史」を聞いた。(2009/1/22 放送)
歴史学者の磯田道史氏は、江戸時代に書かれた色々な文書(もんじょ=日記)を通して、江戸時代の生活ぶりを紹介されていた。曰く・・・・

・江戸時代の武士が登城するのは、番方と呼ばれる警備や軍事にあたる役職は(戦争が無いので)せいぜい月に3~4回。でも御家老や勘定方、郡奉行は土日も無い位、登城していた。年末は決算をして12月28日頃に終える。
・正月は、殿様の側近は殿様と一緒に初詣。側近で無い人は、正月2日か3日に、“総登城”があって、殿様と一緒に杯(さかずき)を交わす。上座から低い順に杯が移動し、まさに身分の高い吉良上野介が杯に注いで行った。これは主従関係の確認を行う重要な儀式だった。
・侍は、城下町に固まって住んでいたので、正月はお互いに一軒ずつ廻る年始回り。お互い玄関に名刺受けを置いておき、年賀名刺を入れた。名刺の大きさは今と同じか少し大きいくらい。年賀名刺には「恭賀新年」という言葉と名前を書いた。謹賀新年という言い方は戦後以降?
・明治以降は、バラバラに住むようになったので、田舎へは年賀名刺を郵送するようになった。これは大正・昭和の初めまで続いたと思われる。これが年賀状のルーツ。よって、明治・大正時代は、恭賀新年という言葉しかなかったが、これは江戸時代の流れ。
・喪中ハガキもあった。今の喪中期間は1年以内が普通だが、江戸時代は最長で50日。これ以上は喪に服さないように、と決まっていた。だから夏に無くなって喪中はありえない。
・江戸時代の出産は確かに大変だったが、世界でも赤ちゃんに関する医療で、日本は先進国だった事は忘れてはいけない。
・江戸時代は産婦人科が独自に発展を遂げていた。賀川玄悦(1700-1777)という天才産婦人科医が出て、賀川流産科というのがあった。母親のお腹の中で、赤ちゃんが頭を下にしていることは、日本は西洋と同じ頃、つまり元禄の頃に賀川流産科は知っていた。また赤ちゃんを取り出すための特殊な器具も開発されていた。例えば手が引っ掛かっているときはどうやって取り出すか、など。
・産婆の技術も高く、マタニティも発達していた。江戸時代は最初の1年で亡くなる赤ちゃんは25%。20歳までに半分の子供が亡くなった。それでも世界で日本は医療大国であり、子供を大切にする文化があった。
・「ヘソの緒」を保管する習慣は日本だけだが、江戸時代の初めにはあった。有名人では松尾芭蕉の例がある。芭蕉は三重県の生まれだが、旅をしていて久しぶりに家に帰ってみると、母親が亡くなっていた。家の中を探すと、自分のヘソの緒があり、「臍(ほぞ)に泣く」と書いてある。よって1600年後半にはその習慣が既にあった。江戸時代の前は、胎盤を容器に入れて呪いと共に家の軒下に埋める習慣が大切にされていた。これは、日本人が母と子をつなぐ特別な感情を持っていたということ。もっとも臍の緒を大切にした背景には、臍の緒は薬になるという信仰もあった。
・江戸時代の日本の教育レベルは高く、日本にやってきた西洋人は中国人よりも日本人を褒めている。これには二つの理由があって、1)家庭教育がしっかりしていて親が教えていた 2)寺子屋という便利な機関があった。
・都会では寺子屋には女の子も行っていて、通いで行って文字を教えてくれるので、これで一挙に識字率が上がった。
・同じクラスに色々な年齢の子供が一緒に居るが、内容的にはマンツーマン教育なので問題ない。先生からお手本を書いて来いと言われて、自分で勉強して順番に先生の所に持って行って教えてもらう。先生が見てくれないときは、先輩に見てもらう。しかし寺子屋の中は無政府状態で、子供は皆がおとなしく勉強していたわけではない。しかし先生は一人ずつ個性に合わせて教える。おおらかな個性だけの教育だった。江戸の女の子は、男女の別が厳しかったので、女子なりの教育があり、字の書き方も優雅なカナを教わっていた。それを教える女の先生も非常に多かった。
・寺子屋の費用は、今の価値で月2万円の単位。都会の寺子屋は高かった。束脩(そくしゅう)と呼ばれる月謝は、田舎では野菜などでも良かった。
・それらの教育があったから、日本は明治以降の近代化に対応できた。
・江戸時代の税制。確かに米の40%は召し上げていた。しかし、材木や酒や商業の税は安かった。例えば、米1万円の税金は4千円だが、材木は150円。つまり税率1.5%。江戸時代は、一見農業社会に見えるが、商業優先の誘導税制をやっていた。まさに不公平税制。しかし全体を平均した租税分担率は今と同じくらいだった。
・税金を取られる方も、税率が上がると文句を言うが、取られた後のことは文句を言わないのが日本人の欠点。これは侍と農民とは住む世界が違っていたこともあって、お上に取られた後の事には興味が無かった。これは現代の年金問題につながっている。議会を通して言うしかないが、議会の伝統が無かった。

しかし聞けば聞くほど興味が出てくる江戸時代の生活・・・・。
前に大奥の話をラジオで聞いて書いてみたが(ここ)、一般庶民や侍の生活も面白い。しかも、映画フイルムも録音も、何も無い時代の話なので、手掛かりは「文書(もんじょ)」だけ。磯田さんは、誰も開いた事の無い文書を初めて開くときが、何とも楽しいという。
しかし良く考えてみると、江戸時代の識字率が高いことは“凄い”こと・・。何故かというと、今の時代はメールの時代なので、文字が画一化(=活字ではっきり)しているので誤読が無い。しかし、江戸時代の墨で文字を書く時代は、人によって文字は千差万別。その一人ひとりの個性的な崩れた文字を読んでいた訳で、現代人にはとても読めない。

話は飛ぶが、昔、会社でまだパソコンが無かった時代、自分は部下に対して「メモ」を連発した。「あれはどうなっている?」「これはこうしろ・・・」。後で聞くと、部下連中にとってそれは大変迷惑なことで、ナンテ書いてあるか読めない。それで、皆でメモ用紙を逆さにしたり、裏から眺めたりして、何と書いてあるかを解読・・・。それがメール時代になったので悪筆の解読が不要になり、一番喜んだのが自分の部下達だったとか・・・。(トホホ・・)

でも、昔の時代の文化・生活を知るのは意外と楽しい。時間が取れるようになったら、小説だけでなく、昔の生活を知る本も面白いな・・・、と思うこの頃ではある。

(関連記事)
江戸時代の「大奥の生活」

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