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2009年1月21日 (水)

「派遣労働者の解雇と会社法」~日経より

今朝の日経新聞の「大機小機~派遣労働者の解雇と会社法」というコラムに、重たい指摘があった。曰く・・・

派遣労働者の解雇と会社法
世界金融危機は実体経済を大きく覆い、社会の最も弱い層から犠牲者が続出し始めている。とりわけ日本で目立つのは大企業による派遣労働者の解雇だろう。日ごろ、株主価値よりも雇用が第一と言っている企業が、人間の生存を脅かすような決定を下すことには、強い違和感を禁じ得ない。しかしそこには、会社法制における労働者の位置付けが正社員についてさえも軽視される日本の実情が背景となっているようだ。
会社は株主のものであり、経営者は株主の代理人である、といった会社法の古い見方からすると、会社法と労働との接点は乏しい。土地や建物を買うのと同様の感覚で労働を「買う」という発想が中心である。あとは社会政策的な保護の対象として労働法があるにすぎない。
・・・・・
会社の目的とはそれぞれの会社が有する使命、ミッションの最大実現であると考えるなら、労働者も経営者も派遣労働者もそうしたミッションの実現組織の正当な構成員ということになり、権限の相違は立法政策の問題にすぎないことになる。派遣労働者も生身の人間としての生存がかかる会社法上の特殊な債権者であり、会社として十分な配慮義務があることになる。
特に欧米のように株主が個人である点にこだわる社会では、株主とは人間であり、消費者であり労働者である。ドイツでは労働者は経営の中枢に位置付けられる。フランスでも合併などには労働者の合意が必要だ。英国も法制上労働者の地位は非常に高い。米国も個人株主中心の社会である点で欧米と軌を一にする。
会社法が労働を論じるのは当然のことである。会社法に労働概念がなく、労働法に企業概念のない日本の法制の基本的考え方が、派遣労働者の犠牲を安易に肯定する発想の基礎にある。厳しい生活を強いられる労働者よりも株主の方が大事という発想が正しいのかどうか、しかと考えるべきであろう。(盤側)」(2009/1/21 日経P19) 

数年前、ある企業買収の話から「会社は株主のもの」という論が一般化されてしまった。しかしこれには“解せない”と思う人が多い。本当に会社は株価だけを見て株を売買だけをする人たちの「もの」か?
株を持っている人は、「株を持っている」という意識はあっても、「自分の会社」という意識はほとんど無い。一方で社員たちは「我々の会社」「我が社」という言い方をする。
会社が株主のものであり、法人としての会社が、持ち主である“株主の為にある”存在だとすると、今回の派遣切りは当然の動きかもしれない。
しかし、法人としての「会社」の実力は、トヨタの08年度の未処分利益(剰余金=貯金)が12.4兆円、キャノンは2.8兆円もあるように、充分らしい。つまりトヨタの“貯金”は、グループ会社員(31万6千人)1人当たり4千400万円もあるという。(出典はここここ
そんなに(過去の社員の苦労の賜である)貯金が存在しながら、少し業績が悪くなると、直ぐに人員削減に走るとしたら、何か「会社」は変だ・・・。

今日のテレビ・新聞は、オバマ新大統領就任式のニュースで大騒ぎ。確かに組織はトップの資質次第で良くも悪くもなってしまうので重要だ。同じくトヨタの社長交代が正式に発表されたが、過去にどのような業績を出していても、トップは直近の結果責任を取らされるので厳しい。同時に、“神風を吹かせるのも実力のうち”とも言われる・・・。
しかし逆に、組織はトップのスタンスで変わるもの。ひとつの企業だけが変わる事は(周囲の目があるので)難しいだろうが、“日本株式会社”が、全体として“所有者である社員(労働者)のため”に動くようになると、労働者の環境も変わり、日本もより良い国になるのだが・・・・。(ところで、麻生首相のあとの“日本のオバマ”は誰なのだろう?)


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