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2008年12月の28件の記事

2008年12月31日 (水)

「平成20年間 暮らしの20大ニュース」

今日は大晦日。あと数時間で今年も終わる。NHKで放送中の第九を聞きながら、今年最後の記事である。
12月27日の日経PLUS1の「何でもランキング」のテーマは「平成20年間 暮らしの10大ニュース」だった。平成20年という、今年はある意味で節目だったが、その20年間に起きた出来事をメモして、今年を終える事にしよう。

<日経PLUS1「平成20年間 暮らしの20大ニュース」>
①米金融危機、世界で株急落(H20年:2008年) 815
②オウム真理教による地下鉄サリン事件(H7年:1995年) 786
③阪神大震災(H7年:1995年) 760
④消えた年金問題(H19年:2007年) 734
⑤消費全がスタート(H元年:1989年) 731
⑥消費税が3%から5%に引き上げ(H9年:1997年) 688
⑦湾岸戦争がぼっ発(H3年:1991年) 662
⑧耐震強度偽装事件(H17年:2005年) 647
⑨山一証券、拓銀など大型金融破綻相次ぐ(H9年:1997年) 641
⑩中国製ギョーザに殺虫剤(H20年:2008年) 631
⑪長銀・日債銀が破綻(H10年:1998年) 585
⑫昭和天皇崩御・平成スタート(H元年:1989年) 568
⑬「おれおれ詐欺」続発(H15年:2003年) 567
⑭雪印食品、日ハムの牛肉偽装事件(H14年:2002年) 562
⑮不二家、赤福など食品偽装が相次ぎ発覚(H19年:2007年) 557
⑯松本でサリン事件(H6年:1994年) 550
⑰病原性大腸菌O157大量感染(H8年:1996年) 532
⑱米英がイラク開戦(H15年:2003年) 521
⑲米同時多発テロ発生、アフガン攻撃へ(H13年:2001年) 513
⑳日経平均2万円割れ、バブルはじける(H2年:1990年) 504
(2008.12.27付け「日経」PLUS1より)

この様なアンケートは、昔の事より直近の事件の方がより印象強いもの。だから、何よりも、今の株価暴落・円高の方が“大事件”になる。
後で振り返って、“H20年の年末の世界経済危機は、当時は大騒ぎだったが、結局ベスト10には入らなかったね”ナンテいう事になると良いのだが・・・

とりあえず、何かの“縁”で当blogをご覧頂いた方、及びコメントを頂いた方に、心よりお礼申し上げます。今年は“エムズの片割れ”をありがとうございました。そして来年もよろしくご愛顧のほど、お願いします。

ちょっと珍しく夕食に日本酒を飲んだもので、ほろ酔い気分で書いています。
しかし、“何事も無いお正月”を迎えられるという事は、本当にありがたい事だと思います。良いお年をお迎え下さい。

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2008年12月30日 (火)

仏教界の戦争協力

(連休になって、録り溜めた前の番組を見ている)
ETV特集「戦争は罪悪である~ある仏教者の名誉回復~」(2008年10月12日NHK教育で放送)を見た。NHKの番組HP(ここ)には、こうある。
「日中戦争がはじまった1937(昭和12)年7月、大多数の宗教者が戦争に協力していく中で「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と説き、検挙された僧侶がいた(当時71歳)。真宗大谷派の高僧・竹中彰元。警察の追及にも信念を曲げず、本山からも布教使資格のはく奪処分を受けて、1945年にこの世を去った。・・・地元の人々や多くの宗教者たちの熱心な運動により、去年10月、本山はついに彰元の名誉回復に踏み切る決定を行う。彰元が検挙されて、実に70年ぶりのことだった。・・・本来「殺生」を禁じた仏教界はなぜ戦争に協力したのか。・・・これまであまり取り上げられなかった「宗教者の戦争責任」について考える番組としたい。」

本来「殺生」を禁じていた仏教界が、なぜ戦争に協力したのか・・・。この番組に沿ってメモしてみると・・・

・1937年4月27日、禁固4ヶ月執行猶予3年の判決を受け、真宗大谷派は規律を定めた達令に基づき、僧侶の位を最下位に落とす停班という処分を下した。その背景は・・・
・1904年の日露戦争勃発と共に宗教界は戦争協力体制に入っていった。当時、京都府が記録した「仏教各宗時局に対する行動」という文書によると、各宗派が競って協力体制を敷き、従軍布教使を派遣、軍隊を訪問し、兵士の士気を鼓舞していたと記されている。
・若い頃、布教使として国策を説いたという僧侶は「国難突破とか挺身殉国とか、戦争協力の為に、特にそのような事に力を入れて説いてくれとのことで、それが優先された。国家と本願寺は敏感に連動していた。国家がこういう方針だというと、直ぐに協力しましょう・・・と。」という。
・もともと仏教には不殺生という戒律があり、殺してはならないという戒律を大切にしてきた。その仏教界がなぜ戦争を肯定したのか? 明治時代に発行された真宗大谷派の機関紙「開導新聞」に“一殺多生”という言葉が登場する。多くを生かすために少しを殺す事はやむを得ない。それが仏の教えであり、愛国者の義務だという。
・戦争協力を研究してきた西祐寺の廣瀬住職は言う。「親鸞聖人が一切触れていない言葉を明治16~17年頃から持ち出して、日本の国の富国強兵の国策に協力するための言葉として使い始めた。これが出発点。日本が正義であって日本に反対する国は賊であるという考えに立つ。これは仏教には無い考え方。それを無理に結び付けるために“一殺多生”という言葉が頻繁に使われるようになってきた。」
・そうした教団の方針に異を唱える僧侶もいた。日露戦争に反対した高木顕明もその一人。しかし後に逮捕投獄され、真宗大谷派からも追放された。
・それから満州に武装移民を送り込んだ際、仏教各派はこうした動きに連動して中国大陸に進出、布教活動を進めた。真宗大谷派は1935年10月、武装移民が最初に入植した弥栄村にいち早く布教所を開設。表に掲げられた「日語学校」という表札。日本語を現地の住民に広めて行く事も布教活動の一環だった。
・宗教界も日本軍の占領を円滑に進めるための宣撫(せんぶ)工作の一端を担っていた。鉄砲を打った後、占領地の人たちの心をつかむ事が非常に大切。それに役に立ちそうな能力を持った人たちが宗教教団であり、教師であった。占領地の人たちの心をつかめれば、物資も手に入るし、ゲリラも無くなる。
・1937年、日中戦争が拡大するなか、政府は「国民精神総動員」として宗教界にも戦争への協力を更に求めていく。
・真宗大谷派は国家の方針に敏感に反応する。「国民精神総動員と仏教」という当時の講演の録音によると「・・国民たるもの滅私奉公の誠をいたして国民精神総動員の一員として責務を遂行することは当然であるのであります。今日の非常時に際し国民精神総動員は大和民族の精神的自覚を一層強化せんとする国策であります。・・・」
・そして、真宗大谷派が全国の寺・門徒に配った戦時布教のテキスト「萬歳の交響楽」には「・・・太平が続くと人間が利己的になる。この利己心を打破するには戦争は最もよい導きである。・・・」との言葉まである。
・太平洋戦争が始まり、1942年に本山から出された「戦時 住職手帖」(住職の心得)によると「国民の士気を鼓舞する精神的原動力となるのが住職の役割である。」
・戦後、真宗大谷派は二度と戦争への協力を行わないと表明する。しかし長い間、自らの責任を問う事は無かった。大きな転機が訪れたのは1987年、日中戦争勃発から50年後の事。全世界の戦争の犠牲者を対象とした「全戦没者追弔法会」を開催。自らの責任を告白した。そして、1995年には「不戦決議」を採択。戦争に協力した宗門の罪を懺悔し不戦の誓いを表明した。そして次の年に高木顕明名誉回復。そして、忘れ去られてきた竹中彰元師が2007年にやっと名誉回復された。

この番組で、自分の“不殺生の仏教界”は戦争に対してどう対応したか?の問いに対する一つの答えが得られた。
しかし未だ分からない。なぜ仏教界が国策に付和雷同せざるを得なかったのか?仏教の「不殺生戒」に基づき、この番組の二人の他にも戦争協力に疑問を持った僧侶がたくさんいたはず。それらの声がどのようにして抹殺されたのか? 国民の戦争への熱狂に、僧侶達も単に追従して行っただけなのか・・・・?
そのうちにまた本を探してみる事にしよう。

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2008年12月29日 (月)

TBS「あの戦争は何だったのか~日米開戦と東条英機」を見る

TBS「シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機」を見た。(2008/12/24(水)18:55~23:32放送)
081229toujyou 放送された12月24日は東条英機の葬儀からちょうど60年目だという。先ず民放が、ゴールデンタイムのこれだけの時間を費やして、それほど視聴率が稼げないであろうこの様な地味な番組を放送する事に驚いた。しかしTBSの番組公式HP(ここ)にはこうある。
「・・・戦争の記憶も少しずつ薄れつつある今、TBSでは昭和の歴史を振り返り、この時代に何があったのかを世代を超え後世に語り継ぎ、伝えていくべきだという強い思いのもと「シリーズ激動の昭和」という企画を発想。・・・」
この姿勢は素晴らしい・・・

この番組で自分なりに理解した事をメモしてみた。
・戦前の日本の体制は、天皇の下に司法・立法・行政及び統帥があり、行政(内閣)の下に海軍省・陸軍省があったものの、実際の軍隊は内閣の指揮下にはなく、軍隊を動かす海軍軍司令部・陸軍参謀本部は天皇の統帥権の下にあった。
・統帥権を持った天皇は、意見を参謀総長・軍司令部総長に言うが、持ってきた方針に対しては原則的に反対しない。これは立憲君主制=「君臨すれども統治せず」。よって戦前の日本はシステム的に命令系統が分かりづらかった。
・カリスマ思想家・徳富蘇峰を筆頭に、マスコミがこぞって民衆に開戦を煽った。東条英機と徳富蘇峰とは「宣戦の詔勅」を徳富に添削してもらった間柄という。
・天皇が東条英機を近衛文麿の後継首相に指名したのは、天皇の意思に絶対服従であり、軍を抑えられるのは東條しかいない、との判断かららしい。
・確かに東条英機は、それまでの開戦論者から、天皇の意を汲んで慎重論に変わった。そして組閣後、昭和16年10月23日から政府大本営連絡会議が始まった。そして11月1日の最後の連絡会で開戦を決定。そこには海軍と陸軍との駆け引きも・・・。翌11月2日に天皇に上奏。上奏しながら東条は号泣したという。
・「その時代」は、開戦を叫ぶ国民・マスコミの熱狂があり、逆に戦争を避けるための模索をする天皇と軍・政府のちぐはぐな姿があったという。
・立派な軍人の筆頭が山本五十六だった。山本は非開戦論者で、米英は長くやって勝てる相手ではない、と読んでいた。10月24日付けの手紙で「日米英衝突は避けらるるものなればこれを避け、この際、穏忍自戒臥薪嘗胆すべきは勿論なるも、それには非常の勇気と力とを要し、今日の事態にまで追い込まれたる日本が果たして左様に転機し得べきか・・・」と既に悲観的だった。しかし一旦開戦と決すれば、真珠湾奇襲を決行する。
・一方、ルーズベルト大統領は、日本の暗号を全て解読しており、真珠湾の先制攻撃も知っていた。しかし日本の奇襲を許した。スチムソン陸軍長官は後に「日本の先制攻撃がアメリカ世論をまとめるために望ましかった」と証言している。

後半のドラマの場面で印象に残ったのは、やはり開戦を決めた最後の政府大本営連絡会議。全員が疲れてぐったりしている姿と、タバコの煙で曇った会議室。何ともリアル。そこで300万人が死んだ太平洋戦争の開戦が決まったという・・・。

しかし、非常に難しい東条英機役のビートたけしは適役だった。真面目な昭和天皇役も含めて、全員がドラマに溶け込んでいた。それに、普通のドラマでは、恋愛エピソード等が散りばめられるが、それも無く、淡々と事実を追っているドラマ作りが好感を呼ぶ。

それにしても、この番組へのTBSの取り組みの姿勢には脱帽。NHKのドキュメンタリーではよくあるが、一つひとつの事実にきちんとエビデンス(根拠)を添えて解説していたのも良かった。単に視聴率だけを価値判断に置くのではなく、電波を預かっている立場として、また、マスコミが戦争を扇動したという過去の反省も踏まえて、地に足の付いたこの様な番組作りのTBSのスタンスに、改めてエールを送りたい。
幸い、この企画の第一弾「3月10日・東京大空襲 語られなかった33枚の真実」(2008/3/10放送)も録画してあった。忙しさにかまけて見ていなかったが、近々これも見てみよう。そして、もちろん今日の番組は、今後の勉強の為にDVDに録っておこう。

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2008年12月28日 (日)

中村元の「観音経」(12/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連Image01271_3 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第12回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その12CDはこれ

しゅじょうび-こんやく むりょうく-ひっしん かんのんみょうち-りき のうく-せ-けんく-
衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦

ぐ-そくじんづうりき こうしゅうち-ほうべん じっぽうしょこくど  むせつふ-げんしん
具足神通力 廣修智方便 十方諸国土 無刹不現身

しゅうじゅうしょ-あくしゅ- じ-ごくき-ちくしょう しょうろうびょうし-く- い-ぜんしつりょうめつ
種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅

しんかんしょうじょうかん こうだいち-え-かん ひ-かんぎゅうじ-かん じょうがんじょうせんごう
真観清浄観 廣大智慧観 悲観及慈観 浄願常譫仰

む-く-しょうじょうこう  え-にちは-しょあん のうぶくさいふうか- ふみょうしょうせ-けん
無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間

ひ-たいかいらいしん じ-い-みょうだいうん じゅ-かんろ-ほうう- めつじょ-ぼんのうえん
悲體戒雷震 慈意妙大雲 濡甘露法雨 滅除煩悩焔

じょうじゅ-きょうかんじょ - ふ-い-ぐんじんちゅう ねんぴ-かんのんりき しゅうおんしったいさん
諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散

衆生、困厄(わざわい)を被(こうむ)りて 無量の苦、身に逼(せま)らんに
観音の妙なる智力は 能く世間の苦を救わん。
神通力を具足し 広く智の方便を修(しゅ)して
十方の諸の国土に 刹(くに)として身を現(あら)わさざること無けん。
種種の諸(おおく)の悪趣(あくしゅ)と 地獄・鬼・畜生と
生老病死との苦も 以って漸く悉く滅せしめん。
真(まこと)の観・清浄の観 広大なる知慧の観
悲の観及び慈の観あり 常に願い常に譫仰(あおぎみ)るべし。
無垢清浄の光ある 彗日は諸の暗を被り
能く災の風と火を伏して 譜(あま)ねく明かに世間を照らすなり。
悲(あわれみ)の体(すがた)たる戒は雷(いかずち)の震(ふる)うがごとく 慈みの意(こころ)は妙えなる大雲のごとし
甘露の法雨を濡(そそ)ぎて 煩悩の焔(ほのお)を滅除す。
諍訟(あらそい)して官処(やくしょ)を経 軍陣(たたかい)の中に怖畏(おそ)れんに
彼の観音の力を念ぜば 衆(もろもろ)の怨(あた)は悉(ことごと)く退散せん。

「生きとし生けるものたちはそのほかいろいろな困難やわざわいをこうむって、はかりしれないほどの苦悩がせまってきたとしても、観音さまの素晴らしい智慧の力が、世の人々の苦しみ悩みをことごとく救ってくださるであろう」
前回までは「念彼観音力(=彼の観音の力)」が12回も繰り返し出てきたが、今度は「観音妙智力(=観音の妙なる智力)」である。「ねんぴーかんのんりき」よりも「かんのんみょうちーりき」の方がよほど響きが良い。

「観音さまは神通力を完全に会得して、広大な智慧と巧みな方便とを修めて、十方にあるすべての国土に、どこの国にでも現れないことはない」
「十方」とは、東西南北(四方)と、東南・西南・西北・北東(四惟=しゆい)と上下の十をいう。つまりあらゆる方向。
十一面観音の「十一面」とは、正面に置かれる菩薩相の三面(慈悲を表し楽を与える)、左側の忿怒相(ふんぬそう)の三面(悪人をこらし善道に導く)、右側の白牙(びゃくげ)を出す三面(善行者を賞賛し仏道をさらに勧める)、後頭部の暴悪相(ぼうあくそう)一面(品性いやしき者を善に向かわせる)、それに頭頂部の如来相一面の計十一面をいいます。

「悪業(あくごう)の結果として受けるべき生存の状態に、種種もろもろがある。たとえば、地獄と餓鬼と畜生の三つの苦しみの世界があげられる。また、人間界の苦しみとして、生・老・病・死の四苦がよくいわれるが、それらの苦しみのなかにあえいでいる人々を観音さまはことごとく救ってくださる。すなわち、観世音菩薩の智慧の力つまり、「観音妙智力」のおかげで、もろもろの苦しみはやがてはことごとく消滅するのである。」

「私たちの観音さまは、真実の眼(まなこ)のある方であり、清らかな眼のある方であり、広大な智慧の眼のある方です。加えて、哀れみの眼を持ち、慈しみの眼を持つ、そういうお方を、我々は常に心の願い、常に仰ぎみることにしましょう。」

「汚れのない無垢清浄の光を持つところの太陽のごとき智慧を備えた観世音菩薩は、もろもろの暗闇を破って光明をもたらし、災いを引き起こす風と火とをよくコントロールして、自ら輝きながら、あまねく世界を照らしだすのである。」

「哀れみからなる戒律は雷雨を轟かせるごとくである。つまり、観世音菩薩の説く戒は、あくまでも人々を哀れみいとしむ情の強き発露である。また、観音が衆生を慈しみ、思いやる心はすばらしい大きな雲に例えられる。そうして、仏の教えという甘露の雨を降らせて、生命あるものの煩悩の炎を鎮めてくれるのである。」

「訴訟のために裁判所に呼び出されたとしても、あるいは戦陣のなかで恐怖におびえることがあったとしても、かの観音さまの力を念じたならば、もろもろの怨(あだ)なす敵はことごとく退散してしまうであろう。」(中村元監修「あなただけの観音経」より)

長くなるので、通訳のみ記した。
話は変わるが、今日の日経新聞に棟方志功の記事が載っていた。そこに妻チヤについてこんな記述があった。

「晩年の棟方が肝臓がんで倒れた時もチヤは「生かしてみせる」という信念で看護した。西洋医学に見放された棟方を、病院に泊まり込んで指圧や漢方などあらゆる手当てを試みた。「年を越すのもおぼつかない」という医師の見立てをよそに、正月をこえて棟方は、再び絵筆を執れるほどに回復した。ムナカタには終生「妙智力」の観音さまがそばにいたのだ。・・・」(日経08/12/28p15)

観音さまは意外と身近に居るのかも知れない・・・・

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2008年12月27日 (土)

今日は仕事納め・・・・

今日は、今年の仕事納め。今年は珍しく、カレンダーの配列から(年末年始を連休にするために)今日の土曜日が定時出勤日となった。今まで、休日出勤をすることはあっても、日常と同じ時間帯に出勤することは無かったので、珍しく平日と休日との差を経験することになった。

まあ予想内だが、バス・電車の時刻表がまず違う。当然通勤する人の数が違うので、電車・バスの本数が少ないのは分かる。しかし、我々遠距離通勤のサラリーマンにとって、一番の関心事は「座れるかどうか」。特に今朝は寒かった。-3℃。だからホームで、隣の始発駅発の“座れる電車”を待つこともしたくない・・。ところがラッキーなことに、直ぐに来た特別快速電車に、(いつもは到底座れないが)今日は空席が幾つかあったのでホッ。(サラリーマンの得意のゲームは「椅子取りゲーム」って知っている?隣の立川駅で毎朝繰り返される“お嬢さん”と初老の“オジサン”のお尻がぶつかる椅子取りゲーム・・・。ポカポカと暖かい椅子に座ってウトウトしながら通勤出来るか、それとも立って吊革にしがみついて通勤するか、の違い・・・。そこにはもうメンツなど無いのである・・)
結果、いつもより20分も早く東京駅に到着。山手線に乗って、サーテ、コーヒー・・・と思うと、駅のショップが皆閉まっている。でも行きつけのパン屋は開いていたので、これもラッキー。ここでゆっくりと、いつもの出動時間まで時間を潰して地下鉄へ。少し油断したが、これも平日は一本おきにある直通電車が無い・・。仕方が無いので、途中の乗換駅で別の電車に乗り換えて何とか会社に着いた。それが始業3分前。
「あまり遅いので心配したよ」なんて同僚に言われたりして・・・。(今日は、年に数度しか無い“フレックス無し日”なので・・・)
まあ毒にも薬にもならないどうでも良い話だが、同じ時間帯の駅の風景が、休日は激変する様子を見た。

“激変”といえば、この数ヶ月の世界経済の激変振りは、一体何なんだ?・・・
(上の話と全く関係ないが)昨日の日経にこんな記事があった・・・
「・・・「まさか相関係数が一に近付くとは」。富国生命保険の桜井祐記取締役は今秋の想定外の金融市場の動きに困惑した。これは日本株、外国株、商品などが同じような値動きをし、リスク抑制の基本手段である分散投資の効果が得られなくなったことを意味する。
金融危機で投資家のリスク管理は根本から揺らいだ。金融機関はバリュー・アット・リスク(VaR)と呼ばれる統計的手法で株、債券などの損失可能性を予測し、資産配分している。1978年~2007年の30年間の日経平均株価の値動きを前提に計算すれば、1日で5%以上動く可能性は1万分の1以下。これを「無視しうる頻度」と判断して、見合った資金を投じていく手法だ。・・・
・・・・
10月16日の日経平均株価の下落率(11.4%)について、発生確率を予測すると、その発生確率は124京年(京は兆の1万倍)に1回という天文学的数字となった。・・・」(日経2008/12/26 P13から)

グリーンスパンさんが、先日23日の米下院の公聴会で、今回の金融危機について「100年に1度の津波」と発言したらしいが、どうしてどうして、今の事態は天文学的な確率での発生という試算もあるようだ。

予想し得ない事態には、まあ体の力を抜いて、なるがまま・・・。自然に身を任せるしかないよね。
あと数日で今年も終るが、来年も“椅子取りゲーム”だけは頑張るぞ!(今日は、我ながら締まらない話・・・)

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2008年12月25日 (木)

ヴォーチェ・アンジェリカと菅原洋一の「忘れな草をあなたに」

叙情歌の名曲に「忘れな草をあなたに」という歌があるが、そのルーツを辿ってみた。自分の持っているこの歌の音源の中で、唯一モノラル録音がヴォーチェ・アンジェリカだったが、案の定それがオリジナルだった。先ずは“オリジナル”に敬意を表して・・・・

<ヴォーチェ・アンジェリカ「忘れな草をあなたに」>

「忘れな草をあなたに」
  作詞:木下竜太郎
  作曲:江口浩司

別れても 別れても
心の奥に いつまでも いつまでも
憶えておいて 欲しいから
幸せいのる
言葉に換えて
忘れな草を あなたに あなたに

いつの世も いつの世も
別れる人と 逢う人の 逢う人の
運命は常に あるものを
ただ泣きぬれて
浜辺に採んだ
忘れな草を あなたに あなたに

よろこびの よろこびの
泪にくれて 抱き合う 抱き合う
その日がいつか 来るように
二人の愛の
想い出添えて
忘れな草を あなたに あなたに

この歌は色々な歌手が競作しているが、自分はやはり菅原洋一の歌が好きだ。自分は菅原洋一の3つの録音を持っているが、やはり定番の録音が一番素晴らしい。

<菅原洋一「忘れな草をあなたに」>

さて、この歌のルーツを辿ると、「演歌ジャーナル1998年6月号『昭和流行歌秘話94』長田暁二」(=元キングレコード・ディレクター)に詳しい。当事者だけに話が具体的だ。その話を要約してみると・・・

「ヴォーチェ・アンジェリカ(Voce Angelica=イタリア語で「天使の歌声」)は国立音楽大学声楽科出身の6人の女声重唱団。ダークダックスの女性版を目指して1960年(昭和35年)にデビュー。彼女たちを有名にしたのは、仲宗根美樹の「川は流れる」や三橋美智也の「古城」「石狩川悲歌」のバックコ-ラスを受持って成功したこと。そして「私達にはオリジナルのヒット曲がない」と思っていた彼女たちのところに、作曲家の江口浩司が「あなたたち六人のイメージでこんな曲を作ってみた」と、「忘れな草をあなたに」の曲を直接持ち込んだ。そして昭和38年8月にキングレコードから発売された。そして労音のコンサートなどで歌い、歌声喫茶で歌われる。その後、ステージで一緒になった梓みちよが、「とてもいい歌ね、私にも歌わせて」と申し入れ、昭和40年4月に発売された。続いて、菅原洋一がこの歌を歌いたいと言い出し、菅原のマネージャからキングレコードに「菅原洋一の愛唱歌にして日本レコード大賞を狙いたい。ポリドールで録音させて欲しい」との申し入れがあった。そこでキングでは、先ず倍賞千恵子に急遽レコーディングさせ、そのあとでOKを出す事になり、昭和46年8月に倍賞千恵子盤が発売され、その3ヶ月後に菅原洋一盤が発売されてヒットした。
作詞者の木下龍太郎は、この作品の誕生について「昭和37年のある日、西銀座を歩いていたら、洋画の『夜をあなたに』の看板が目についた。「**をあなたに」-これは歌の題名に使えると直感し、最初は「さよならをあなたに」を考えが、あまりにも生っぽい。自分は花が好きだから“真実の愛”の花言葉を持つ「忘れな草をあなたに」にすればいいと考え、詩想を練った。」という。」

ところで「忘れな草」には、次のような伝説があるそうだ。
Wasurenagusa 「昔、ドイツにルドルフとベルタという恋人同士が暖かい春の夕べ、ドナウ川のほとりをそぞろ歩いていた。乙女のベルクが川岸に咲く青い小さな珍しい花が欲しいというので、ルドルフは岸を降りていった。そしてその花を手折った瞬間、足を滑らせ、急流に巻き込まれてしまった。ルドルフは、最後の力を尽くして花を岸辺に投げ上げ、「私を忘れないでください」と叫び、流れに呑まれていった。残された少女は若者の墓にその花を植え、彼の最後の言葉“忘れないでください”を花の名前にしたという。この話は、プラーテンの詩で有名である。英名の「Forget me not」はこの伝説に基づいて命名され、日本語の「勿忘草」は英名の訳である。
 十九世紀のバリでは、恋人への贈り物として街頭で売られた。スイスのサンクス・ガレン州では、若者がズボンのポケットに忘れな草を入れて行くと、娘に気に入られるという。また、中部ドイツのヘッセン州では、偶然見つけた忘れな草を左の脇の下に入れて家路を辿ると、途中で出会った最初の者が、未来の配偶者の名を教えるという。」

しかし実にロマンチックな話だ。自分はもう遅いので、だれか若い人にこの話を教えてあげようかな・・・。
それと、無理だと思うけど、ウチの息子に“忘れな草を左の脇の下に入れて家路を辿らせて”最初に出会った人に「私の配偶者は誰ですか?」と聞かせて、その“名を教えて頂きたい”ものだ・・・
まあ“夢のまた夢”だけど・・・(←せっかくの叙情歌の名曲が“グチ”になってしまった・・・)

●メモ:カウント~26万

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2008年12月24日 (水)

カッチーニの「アヴェ・マリア」色々

今日は、“世の中は”クリスマス・イヴだという。我々オジサンには、全くと言って良いほど関係ないけど・・・。
クリスマスらしい音楽というと、自分はなぜか「アヴェ・マリア」だ。前にカッチーニのアヴェ・マリアについて書いた(ここ)。(=ジュルイオ・カッチーニ Giulio Caccini (1551-1618))
この曲について、他の音源を探したら幾つが出てきたので、今日は「カッチーニのアヴェ・マリアの色々・・・」である。
前にも紹介したレスリー・ギャレットの名唱を、まず挙げておく。

<カッチーニ作曲:「アヴェ・マリア」>
     ~レスリー・ギャレット(sp)

次に本田美奈子の歌だが、実に美しい声だが、なぜか伴奏が現代的・・・・
<本田美奈子:カッチーニ「アヴェ・マリア」>

次に、ヴォーカルアンサンブルによる歌である。何とも不思議な世界を醸し出す。
<ヴォーチ・アルモニケ:カッチーニ「アヴェ・マリア」>

ハープによる演奏もある。竹松舞の演奏で聞いてみよう。
<竹松舞(hp):カッチーニ「アヴェ・マリア」>

ところで、“アヴェ・マリア”って何だろう?と調べてみると・・・
歌詞の意味はこのようなものだという。
「アヴェ・マリア 慈悲深きかたよ 汝に幸せを 聖母よ あなたの胎内におられるのは主イエス われら罪人のために罪なき者のために祈りたまえ いまも また死を迎えるときも どうかお恵みをくださいますよう」

そして「アヴェ・マリア」は、新約聖書のルカ伝1章28~42節のなかで、天使がマリアに受胎告知したときの言葉にもとづく祈祷文を歌詞にして、古くからローマ・カトリック教会のさまざまな典礼で歌われてきた聖母賛歌だという。
「マリア」という女性の名前は、旧約聖書では1人、新約聖書では6人が記録されており、いずれのマリアも、感謝と、愛と、知恵と、信頼を受け、信仰と神の愛に生きたすばらしい女性たちだが、この「アヴェ・マリア」で歌われているマリアは、処女であって母であるという、女性の一番神聖な二つの側面をもつ聖母マリアであるという。(CDの解説文より)

まあオジサンもこんな歌を聞いて、少しはクリスマスの気分に浸るとしようか・・・

(2016/12/24訂正)
★カッチーニのアヴェ・マリアの作曲者はヴァヴィロフ。(ここ

(関連記事)
ヴァヴィロフ作曲・演奏による「カッチーニの“アヴェ・マリア”」
X'mas飾りとカッチーニの「アヴェ・マリア」

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2008年12月23日 (火)

八王子にイオンモールが出来る!?

八王子周辺の人以外には全く関係のない話だが、近くの者にとっては重大事件なのであ~る。そして、段々と“将来の楽しみ/夢”が無くなってきた還暦過ぎの我々にとって、これは数少ない“楽しみ”が出来た!という事なのであ~る。

大分前の話だが、新聞にこんな記事があった。
イオン 八王子進出検討 中央道IC北側に大型施設
八王子市の中央道八王子インターチェンジ(IC)近くに、「イオン」(本社・千葉市)が大型商業施設を建設する方向で検討していることがわかった。この土地はもともと都有地だが、同社の出店を希望する地元住民らでつくる「八王子インター北地区周辺まちづくり合同会社」がすでに約29億円で落札している。イオンは「50万人以上の人口を抱えており、十分出店する価値がある」と前向きだ。
場所は同市滝山町1で、面積は約12ヘクタール。八王子ICの北側に位置し、国道16号と新滝山街道に面している。近くには、2007年4月にオープンした道の駅「八王子滝山」があり、新鮮な野菜が手に入ると、近隣住民や観光客でにぎわっている。
イオンは今後、合同会社と協力して具体的な出店計画を決めていく方針。
市は今年7月、八王子IC北地区の都有地利用に関する要望書を提出。テーマパークや映画館などの集客施設、食料品などを販売する地元住民向け商業施設などの設置を前提に、売却先を決めるよう求めていた。担当者は「魅力ある施設ができれば、中心市街地を含め、市の活性化につながるのでは」と期待している。(2008年12月6日  読売新聞)」

八王子インター北まちづくり会社が落札
東京都財務局は、八王子市滝山町の都有地約12万平方㍍を売却するための一般競争入札を行い、八王子インター北地区周辺まちづくり合同会社が28億9496万円で落札した。入札には2社が参加した。12月26日までに仮契約し、第1回定例都議会の承認を経て2009年4月30日までに本契約を締結する。同社では今後、土地区画整理事業により事業を進めていく計画で、いまのところ、イオン(千葉市)がショッピングセンターなどの出店を前向きに検討している。(2008/12/08)建通新聞」

Netで検索すると「八王子市議会議員 伊藤だいすけ」という人が、2008年12月3日の市議会でこれに関する一般質問をして、その結果として新聞発表がされたらしい。(ここ

このモールは、前からチラホラとウワサが聞こえてはいたものの、新聞発表に至るまで色々な経緯があったらしい。しかし、ここまでくれば前進するだろう。

前にこのblogでも書いたが、我が家では「イオンモールむさし村山ミュー(13.7hr)(ここ)」や「イオンモール日の出(13.4hr)(ここ)」「ぐりーんうぉーく多摩(ここ)」などなど、行きつけの昭島駅前の「モリタウン」以外にも、休日には色々なショッピングモールに出掛けている。しかしどこも(昭島を除くと)10K以上離れていて遠い。それに引き換え、近くにイオンモールが出来ると、たったの1~2K?
しかも規模がデカイ。敷地面積12hrからすると、むさし村山や日の出のモールと同規模。施設も、同じように商店街やレストラン街だけでなく、映画館や温泉施設も出来るというウワサ・・・。

子供の頃は、「♪もう幾つ寝るとお正月~・・♪」という色々な楽しみがあった。早く時が流れるのを願ったもの。それがいつの間にか、“もう幾つ寝ても”何にも起こらなくなって久しい。でもこれからは違うぞ!あと4年もすれば近くにモールが出来て、サンダルで(これは無理だけど・・)映画を見に行くぞ!温泉に行くぞ!・・・
「**まであと**日しかない・・」ナンテいうネガティブな事を考えるよりも、この方がよっぽど健康的ではないか!?

====================
「八王子経済新聞」(ここ)より
<イオン、大型SCの八王子出店「前向きに」
    -出店凍結報道受け>
(2009年02月19日
「イオン(千葉市)は2月19日、一部メディアが今後の大型ショッピングセンターの出店計画を撤回、延期すると報道したことについて、「八王子については今後も前向きに検討していく」と答えた。
同社は全国に数多くのショッピングセンターを展開。昨年10月には埼玉県国内最大級のショッピングセンター「イオン レイクタウン」を開業し、大きな話題を呼んだ。
八王子へのイオン出店に関しては昨年12月、中央道・八王子インターチェンジに程近い八王子・滝山町にある都有地約12万平方メートルを、地元住民らで作る「八王子インター北地区周辺まちづくり合同会社」が約29億円で落札。これを受け、同社が合同会社と協力の上、具体的な出店計画を決めていく方針であることを一部メディアが伝えていた。
 今回の報道について、同社の広報担当者は、テナントが決まらない事などが出店に影響を与えていることを認めた上で、一部報道で挙げられた出店計画の撤回、延期については「公式に発表したものではない」と回答。茨城県笠間市での出店計画の撤回については、「既に地元自治体が進出辞退を発表しており、なぜ今になって報道されるのかわからない」とした上で、「事実と異なるものもあり、なぜこの物件をというものもある」と答えた。
 これを踏まえ、現在計画されている八王子への出店については、「地元との関係も良く、前向きに検討している」と回答。正式に進出を決定しているわけではないが、「今のところ、計画の撤回もない」という。」

(関連記事)
八王子・イオンモールがいよいよ着工~16年度オープン (2013/04/24)
2015年に、八王子にイオンモールが出来るぞ・・・(2010/05/31)

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2008年12月22日 (月)

藍川由美の「時計台の鐘」

札幌市のシンボルともいえる時計台が、札幌農学校の演舞場として明治11年(1878年)に造られてから、今年で創建130年になるのだという。
Tokeidai1 今朝の日経(文化欄=p40)に、西 安信氏(北海道工業大学学長)の「米国生まれ 札幌塔時計」という記事があった。西氏は30年に亘ってこの時計台に設置してある「塔時計」について、その歴史を追ってきたそうだ。調べ始めた創立100周年の頃は、米国製か日本製かが議論されていたという。そして結論は・・・・(写真はクリックで拡大)
「・・・1906年版の米ハワード社のカタログには「Japan,tokio,Clock erected,1878」とあり、「#738」の書き込みがあった。札幌農学校から塔時計の発注を受け、同社が東京へ発送した記録だ。「738」というのは製造番号である。記載されている価格表によれば、価格は525ドル。クラーク博士の年俸が7200ドルだったから、1カ月分に近い金額といえる。・・・」(2008/12/22「日経」より)
そして、札幌時計台は電動ではなく巻き上げ式なので、その守り役を1933年から担ってきたのが井上清さん、和雄さん親子であり、その保守状態を写真で見た米ハワード社の元副社長は「素晴らしい保守状態なので、あと200~300年は動くだろ」という手紙をくれたとか・・・。

まあ、そんな訳で、今日は「時計台の鐘」という歌を・・・
この歌も、色々な歌手で持っているが、藍川由美さんの歌が一番オーソドックスなような気がする。

<藍川由美の「時計台の鐘」>

「時計台の鐘」
  作詞/作曲:高階哲夫

1)時計台の 鐘が鳴る
 大空遠く ほのぼのと
 静かに夜は 明けて来た
 ポプラの梢に 日は照り出して
 きれいな朝に なりました
 時計台の 鐘が鳴る

2)時計台の 鐘が鳴る
 アカシヤの木に 日は落ちて
 静かに街も 暮れてゆく
 山の牧場の 羊の群も
 黙ってお家へ 帰るだろう
 時計台の 鐘が鳴る

この歌は、高階哲夫(富山県滑川市出身)の作詞・作曲。1923年(大正12年)に、当時、東京音楽学校出身の新進バイオリニストだった高階哲夫が(後に妻になる)アルト歌手の相沢ます子(旧姓)と共に、ます子の故郷の札幌で演奏会を開いたが、その演奏会は新聞Tokeidai で酷評されたものの、その時に巡った札幌の印象をこの曲にしたのだという。その後、何度かの手直しを経て1927年(昭和2年)に楽譜が出版されたという。
そして初レコード化は、昭和6年4月に、高階氏のピアノで夫人のます子さんが独唱して録音されたものらしい。
自分は、この歌も岡本敦郎の古い録音を持っていたので、てっきりラジオ歌謡などの仲間かと思っていたが、今回調べてみて、より歴史のある歌であることが分かった。

そういえば、この歌は自分が小学校の時、音楽の教科書に載っていたように思う。そして、(冬でもズボン吊のついた半ズボンの)“東京っこ”の同級生が、(家庭教師から教わった)ビブラートをつけたキレイな声で、学芸会で歌っていたのを思い出す。

札幌の時計台・・・。前に出張で札幌に行った際に、中まで入って見学したことがあったが、たしか道路を隔てた正面に、見学テラス付きのコーヒーショップがあったような記憶がある・・・。しかし、町を代表する「歌」があるのは羨ましい・・・・
ちなみに、当八王子には、「八王子の鐘」も無ければ、八王子を代表する歌も無い・・・。

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2008年12月21日 (日)

障害者自立支援法を考える(6)~作った側の論理

今朝の朝日新聞『耕論』(P9)に「障害者の自立 支援いかに」という記事があった。3者のImage02171 立場、つまり、この法律を作った立場、障害者の委員として改正を求める立場、そして障害児を育てた経験からの立場、それぞれの主張が書かれており、障害者自立支援法の問題点を考える上で有用な記事だと思った。よって一言も省略せずに各々の主張を「事実」として捉えてみたい。(以下、2008年12月21日付け朝日新聞「耕論」より)

=============
「本人責任」で解決できぬ ~福島 智さん
(東京大学教授)

「厚生労働省の社会保障審議会障害者部会の委員として今春から障害者自立支援法の見直しを議論してきた。16日まとまった報告書を採点するとしたら100点満点で30点。大学の試験なら落第だ。自公連立政権で合意している「抜本的な見直しの検討」は、部会では何もできなかった
利用者の負担のあり方や所得保障、作業所への報酬など多くの点で本質的な改革は打ち出せなかった。私は新たな法律を作るべきだと思うが、個々の問題ごとに見直す路線が最初から敷かれていた。
国内の障害者は推定724万人で、ざっと20人に1人。3年たった支援法で自立が進んだとは実感できない。自立とは、自分の財布と相談して今日の晩ご飯を何にするか自分で決め、恋ができること。つまり、人の手助けを得ながら自分の生活を自分で決めること、恋が実るかどうかは別としていろんな人と自由に出会える環境にいることだ。施設よりも、やはり地域で暮らすことで可能性は広がる。
だが、支援法では、重い障害のある人が地域で暮らそうとしても、事実上の上限があり、十分な支援が受けられない。障害者が通う作業所への報酬も「月払い」から、不安定な「日払い」になった。支えるヘルパーへの報酬も低い。
最大の問題はそれまで所得に応じて利用料を払う「応能負担」だったのが、サービス料の原則1割を支払う「応益負担」になったことだ。負担することで消費者の権利が守られるという主張はナンセンスだ。お金を出せない人は何も言えないのだろうか。
本来、自立とはひとりの人間としての生存そのものだ。憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」は、国民として無条件に最低限の生存が保障されるということだ。例えば、食事やトイレ、入浴の介助、呼吸器のケアなど命に直結する支援は、障害者から利用料を取るべきではない。
他者とのコミュニケーションや移動の自由、情報へのアクセスといった文化的な生活を送るためのニーズも、ある程度までは無料にすべきだ。
私は3歳で右目、9歳で左目が見えなくなり、14歳で右耳、18歳で左耳が聞こえなくなり、盲ろう者となった。他者とのコミュニケーションが断絶された時、私の存在は消えた。孤独という言葉では表現できない、絶対的孤立だった。母が考えた指点字による通訳が始まってようやく生きていると思えた。
人はコミュニケーションができないと死ぬ。生存にかかわる支援を否定されることが死刑執行とすれば、こちらは終身禁固刑のようなものだ。
障害者は、行動とコミュニケーションが制限されているという意味で、いわば「目に見えない透明な壁の刑務所」に収監されている存在だ。それは生まれながらの運命だったり、不慮の事故だったり、個人の責任を超えた事情によるところが大きい。たとえ1割でも本人に利用料を求めるのは、無実の罪で閉じこめられた刑務所から出るために保釈金を払えということだ。
生きるために不可欠な支援を「個人の利益」とする「応益負担」は、障害を本人の責任とする考え方に結びつく。」

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国民的理解に「負担」必要 ~京極高宣さん
(国立社会保障・人口問題研究所長)

「障害者自立支援法は「応益負担だからけしからん」という意見がある。しかし、その批判は必ずしもあたっていない。低所得者には負担の上限を低くする応能的な配慮がなされている。応益か応能かという空中戦ではなく、どんな負担なら国民も納得できるかを議論すべきだ。
「利用者が負担すること」にはいくつかの機能がある。一つは財源の確保。二つ目は需要コントロール。もちろん負担が厳しすぎると利用の停止や抑制につながるので、適度な負担にしなければならない。三つ目は「ただ乗り」の横行を防ぐことだ。
四つ目はシンボル効果。多少でも自己負担することで権利性が生まれる。「払っているのだから、もっとサービスを」と言える。最後に、呼び水効果。障害者も1割を負担しているということで、国の支出に国民的合意が得やすくなった。実際にこの3年間で障害者福祉の予算が1400億円程度も増えた。これほどの伸びは今までないことだ。
利用者負担の考え方は、私が部会長を務めた障害者部会で骨子を決め、導入された。負担せずサービスが少ない方がいいか、負担は若干増えるがサービスを使いやすくする方がいいか。選択肢はこの二つしかないと、私は言ってきた。かなり抵抗はあったが、全体として後者で一致したと思っている。
利用者負担の軽減措置もとられ、1割でなく平均3%程度の負担に抑えられている。確かに導入当初は低所得者への配慮が足りなかった。サービスも使ってもらうことが本来の目的で、使わせないような重い負担ではいけない。
障害者も同じ市民と考えるべきで、市民権が剥奪されている場合には合理的配慮が必要だが、市民権以上のものを置くのは反対だ。介護保険や後期高齢者医療制度も1割負担だ。そうでないと国民的理解は得られず行き詰まる。
支援法の施行前に、重度の知的障害者が暮らす施設に行った事がある。一番長い入所者は1千万円ぐらいの預貯金を持っていた。多くは600万円。施設でかかる費用も食事もただで、障害年金は一切使わなかった。ところが、在宅の人は同じ障害年金から食費を出している。不公平ではないかと、支援法で食費も取るようになった
負担を求める以上、所得保障は必要だ。消費税が上がった時に、障害年金を現在の1級、2級のほか、さらに手厚い特級を設けたい。2級で6万6千円、1級でその1.25倍という水準から、1.5倍ぐらいに上げたほうがいい。
将来的には介護保険の「普遍化」が必要だ。介護保険の中に障害者サービスを入れる「統合」ではなく、介護保険のサービスを障害者も使える部分は使おうという考えだ。また、24時間介護が必要な重度の障害者は、医療保険の対象でもあり福祉の対象でもあるようにした方がいい。
内閣府の調査では、支援法でサービスを利用している人の3分の2が満足している。与党は利用者負担の見直しを検討しているが、原則は守ってもらいたい。応能負担に戻すと障害者予算に財政難のしわよせが来かねないからだ。」

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重度障害者の生活を見て ~石井めぐみさん(俳優)

「障害者自立支援法が施行される前、自治体の勉強会に通いました。何がどう変わるのか、自治体の担当者も「始まってみないと分からない」と言っていました。実施されると、重い障害のある人ほどホームヘルプサービスなどを必要とするため、ぎりぎりの生活をしていた上に重い負担がのしかかってきました。今、改めて思います。現場を知らないまま法律が決まる、と。
全国には約5千カ所の小規模作業所や、地域活動支援センターがあって、約8万人の障害者が交流したり、働いたりしています。障害者にとって作業所に通って働くことは、本当に生きがいなのです。その生きがいをあきらめざるを得なくなるような「自立支援」とは、いったい何のための法律でしょう。
私は、長男が重度の脳性麻痺で、養護学校に通う年になったら「チューブで栄養をとる子は通えない」と言われ、驚きました。90年代のことですが、私の住む東京都では、チューブでの栄養注入やたんの吸引は「医療行為」で、医師や看護師しかできない、学校での「医療行為」はできない、という。私は注入や吸引という「不法な医療行為」をして子を育てていたことになるわけです。都や当時の文部省、厚生省にかけあいました。しかし、教育と医療がそれぞれ「管轄外」という縦割り行政の壁で、現場は置き去りにされる。結局、「医療行為」を「医療的日常行為」という言葉に置き換えて黙認されましたが、為政者は現場の実態を知らないのです。
障害児の活動にかかわって全国各地で講演したり、作業所や地域活動支援センターを回ったりして、障害者や母親たちの話を見聞きします。
作業所では時給100円、150円でクッキーを作ったり、わずかな工賃で、寝たきりのままチューブで栄養をとりながらは和紙をちぎって絵はがきを作ったりしています。働くことが生きがいなのに、障害者へのサービス料が原則1割負担。軽減措置はあっても、光熱費ばかりか部屋の電気を消すにも有料サービスを使用しなければならないといった事態が相次いでいます。
地域差もあって、財政難の市町村では補助金も十分出せず、親の負担が増えたり、閉鎖する作業所も出たりしています。国が各都道府県に求めた「工賃倍増計画」で給料が少し上がった人たちもいますが、障害が重く作業がしにくい人は最低限の生活もできない。支援法で、障害者の格差も広がっている。
私はサービス料をゼロにしろとは言いません。しかし、軽減措置などでごまかさず、「応益負担」の見直しに踏みこむべきです。
私の長男は8歳で亡くなりましたが、障害をもって生きるということは、並はずれた魂の強さを持つということなんです。毎日、生活上の不便さと障害を乗り越えて生きてゆく。その力に私たちも大きなパワーをもらっているんです。そうした障害者の「自立」とは何でしょうか。
それは、本人が誇りをもって堂々と生きていけると感じられること、だと思います。そのための最低限の生活は保障されるべきです。」

勝手な言葉の取捨選択をしないために長々と書いたが、この法律を作った側の意見(京極さん)を初めて聞いた。そこには、石井さんが指摘している「現場を知らないまま法律が決まる」という実態が如実に現れている。
言葉尻を捕らえて失礼だが「支援法の施行前に、重度の知的障害者が暮らす施設に“行った事がある”。一番長い入所者は1千万円ぐらいの預貯金を持っていた。」とある。
一度“行ってみたら”、(障害年金を使おうにも使えない人が積もり積もって)1千万円の貯金になっているとは、けしからん!だから全員から金を取る事にした・・」と聞こえる。
それに「どんな負担なら国民も納得できるか」「国の支出に国民的合意が得やすくなった」といった、“国民が障害者支援を反対している”という視点が気になる。「障害者を支援し過ぎて政府はけしからん!」というデモでもあっただろうか?

この3者の意見を聞いてみて、現場を知らない「部会長」の権限(思い込み)で(あまりにも影響が大きい)法律の骨子が作られ、それを無批判に通過させた国会がその元凶としたら、あまりに寂しい。
そして、委員だった福島さんが言うように、まさにせっかくの「抜本的な見直しの検討」が、自公連立政権の合意事項(=国民への約束)であるにもかかわらず、既に官僚が路線を敷いており、改定そのものが抹殺されようとしているとしたら、非常に残念だ。

(関連記事)
家庭での障害者の率~障害者自立支援法を考える(1)
障害者自立支援法を考える(2)~その問題点と顛末
障害者自立支援法を考える(3)~各党の主張 
障害者自立支援法を考える(4)~いよいよ抜本見直しか?
社保審 障害者部会が論点整理~障害者自立支援法を考える(5)

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2008年12月20日 (土)

将棋・大山康晴名人の講演会を聞く

先日のNHKラジオ深夜便アーカイブス「文化講演会から「勝負と人生」将棋15世名人 大山康晴」を聞いた。(2008/12/14放送)
この番組は、NHKに残っている録音から名講演を再放送するのもで、今回の大山さんの講演は、1980年4月5日に放送されたもの。さすがに将棋の世界を極めた人だけあって、その言葉一つひとつに含蓄があり、その言葉一つひとつは、どのような道にも応用がきく話だったような気がする。曰く・・・

「・将棋は3手先を読むとはいうが、最大1手で539の手がある。それを3回繰り返すだけで1億になってしまう。それには“捨てる”ことをどうするか・・・
・若い時に天才と言われた人は大成が難しい。むしろ若い時に鈍(どん)と言われた人が伸びる。
・将棋は400年の歴史があるが、芸である以上、体で覚えることが大事。その点、内弟子は師匠から一切将棋を教えてもらえないが、体で覚えることと如何に意欲を持たせるかで、自分は役に立った。
・あせって肩書きを早く持つと損。まず信頼を得ること。
・目標を持つ。自分が努力して達成できそうな3年後の目標を持ち、頑張って達成したら、また3年後の目標を持つことを繰り返す。
・周りの人から「他の棋士がまね出来ない何かを持ちなさい。それがいつか生きる」と言われ、自分ができることは行儀良く座って将棋を指すこと位しか出来ないので、姿勢正しく指すことにした。良くも悪くも心の姿勢、体の姿勢が崩れないように。そうしたら、ポーカーフェースとか精密機械とか言われもした。
・5年に一度位はスランプがある。それは勝ち負けというより、指す内容が悪くなった時。それを越えるのは、良かった時のメンツを捨てることが立ち直るキッカケを与える。例えば、倒産した元社長は、良かった社長時代を忘れること。今日の立場が当たり前・・・と。
・どうしたら強くなるか? まず勉強すること。新しいものをいかに取り入れるか。そして贅沢にならない範囲で良い道具を使う。良い道具は良い緊張を生む。そして健康が大事。
・人生は、一に健康、二に勉強。人生は運もあればチャンスもある。健康と勉強さえあれば、チャンスにも恵まれるし、運も寄ってくる。」

大山さんの声は、その風貌から想像していたよりも、よほど流暢な話し方であり、弁舌さわやかだった。その重鎮大山さんの声を少しだけ聴いてみよう。

<将棋・大山康晴氏の講演から~1980年4月放送>

(この講演を全部(43分)聞いてみたい方は(ここ)をクリックして数分待つとZIPファイル(41MB)の窓が開くので、そのファイルをダブルクリック。この講演は聞く価値があるかも・・)(なおこのZIPファイルは1~2週間後に消去します)

そういえば、昔、田舎の家に「**さんへ」と書いた大山さんの“書”が床の間に飾ってあったっけ。これは亡くなった親父が、会社の将棋同好会で、大山さんに指導に来て頂いた時に書いてもらったものらしい。親父が亡くなってから10年以上経つので、それがどこに行ったかは分からないが、今度帰省した時に探してみよう。

先日の新聞に、「将棋の羽生善治4冠の永世7冠が来年以降に持ち越された。第21期竜王戦7番勝負第7局で18日、140手で後手の渡辺明竜王に敗れた。・・・3連勝4連敗という将棋のタイトル戦史上初大逆転劇を許した。・・・」という記事があった。
羽生さんも大山さんに匹敵する将棋界の巨星。このスランプ(?)にめげずに、また前人未到の記録を極めて欲しいもの。
どの世界でも、その道を極めた人の言葉は重たい・・・。

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2008年12月19日 (金)

TVドラマ「風のガーデン」が終ってしまった

とうとうフジテレビのドラマ「風のガーデン(これ)」が終ってしまった。このドラマについては、全11話の6話が終った所で、当blogにも書いた(ここ)。
言うまでも無いが、このドラマは緒形拳が自分の肝臓ガンを隠して出演し、9月30日にクランクアップした直後の(2008年)10月5日夜に亡くなった。そして訃報が7日に流れた直ぐ後の10月9日から放送が開始された。

ラストシーンは、在宅終末医療の老医師(緒形拳)が息子・貞美(中井貴一)を看取る・・・。
テーマがあまりに緒形拳の置かれていた状況に近く、緒形拳が何を思いながら演技していたのか、つい考えてしまう。
・・・・・
「父さん、死後の世界ってあると思いますか?」
「分からんな・・。でも最近、どうもあるように思えてきた」
「僕もあるように思います。父さん、ルイ。もしも次の世が本当にあって、首尾よく俺がそこに行けたら、あっちから君にサインを送るよ。何か君たちに・・」・・

普通のドラマは、主人公が亡くなって終るが、このドラマは“その後”があり、2009年春、雪が解けた風のガーデンに行った息子の岳に不思議な力が働き、岳を(しばらく貞美が泊まっていた)キャンピングカーの止まっていた場所に導いて行く。そこは、岳から貰った球根を貞美がせっせと植えた場所であり、ちょうどキャンピングカーが置いてあった場所の周囲に、たくさんのエゾエンゴサクの花が咲いていた・・・。何ともファンタスティックなラストシーンで見事。

どの出演者も素晴らしく、特に知的障害者の息子の岳を演じた神木隆之介が知的障害者ならではの“純な心”を表現していて光っていた。主人公・白鳥貞美役の中井貴一は、自分は1983年の「ふぞろいの林檎たち」で知った俳優だが、もうあれから25年も経っている。「ふぞろいの林檎たち」では、3流大学を出て就職できなくて困っていた学生だった。それから25年経って46歳で逝ってしまった(ことになる・・)。(=22歳で大学を出て25年経つと47歳!ほぼピッタリ!!)
演出は、脚本家の大御所・山田太一氏の娘の宮本理江子さん。何から何まで一級品が揃ったドラマだったが、実に上品なファンタジーの世界を見せてもらった。
自分は今まで、民放のドラマを殆ど見てこなかったが、このドラマで民放のドラマも再認識・・・。このドラマは、例え緒形拳の遺作をいう面が無くても、名作ドラマとして長く語り継がれていくだろう・・・。
しかも、再放送をあまりしない民放としては珍しく、直前の夕方に連日追いかけ再放送も実施されたのも良かった。
最後の字幕「緒形拳さんありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します」が、何とも哀しかった・・・。

(08/12/27追)
主題歌もなかなか味があった。平原綾香の「カンパニュラの恋」だが、ショパンの「ノクターン」をモチーフに作曲されたらしい。少し聞いてみよう。

<平原綾香「カンパニュラの恋」>~「風のガーデン」最終話から

(関連記事)
TVドラマ「風のガーデン」と「乙女の祈り」

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2008年12月18日 (木)

辻輝子と岡本敦郎の「さくら貝の歌」

前に当blogで、八洲秀章作曲の「マリモの歌」について書いたが(ここ)、今日は「さくら貝の歌」である。
この有名な歌は、NHKラジオ歌謡で昭和24年7月4日に、辻輝子の歌で初放送されたという。その後、岡本敦郎や倍賞千恵子など、色々な歌手で歌い継がれている。先ずは昭和24年のオリジナルを聞いてみよう。辻輝子という歌手は、この歌以外は知らないが、音は最悪なもののそれを超えてしみじみと心に入ってくる。

<辻輝子の「さくら貝の歌」>昭和24年7月

「さくら貝の歌」
  作詞:土屋花情
  作曲:八洲秀章

1)うるわしき 桜貝ひとつ
 去りゆける 君に捧げむ
 この貝は 去年(こぞ)の浜辺に
 われひとり 拾いし貝よ

2)ほのぼのと うす紅染むるは
 わが燃ゆる さみし血潮よ
 はろばろと かようかおりは
 君恋うる 胸のさざなみ

 ああなれど わが思いは儚なく
 うつし世の渚に 果てぬ

Sakuragainouta 前の「毬藻の歌」の記事でも書いたが(ここ)、この歌は八洲秀章が片想いだった故郷・北海道に残してきた横山八重子さんを偲んで、逗子海岸を舞台に作った歌だそうで、逗子市にある「浪子不動(高養寺)」の近くに、1991年「さくら貝の歌」の歌碑が建てられたという。

自分が持っている色々な歌手の「さくら貝の歌」を改めて聞いてみたが、まあ「さくら」の倍賞千恵子の歌も良いが、自分はやはり岡本敦郎の歌が一番好きだ。まさに岡本敦郎叙情歌の代表的な名唱である。

<岡本敦郎の「さくら貝の歌」>

(関連記事)
八洲秀章の「毬藻の歌」

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2008年12月17日 (水)

性能抜群の100円のメガネ拭き「パール レンズワイプ」

今日はコストパフォーマンス抜群の「メガネ拭き」の話・・・。
自分は小学校5年生からメガネを掛けている“超ベテラン”である。毎朝、メガネのレンズをきれいに拭いて掛けるクセがある。ピッカピカにしてから一日がスタートしないと気持ちが悪い。そのメガネをキレイにするのがひと苦労なのである。

昔、部下だったある女子社員が自分の家に近い本社に飛ばされる事になり、挨拶に来た時、「お世話になりました」と可愛いメガネ拭きをくれた。単なる一枚の布だが、眼鏡屋で貰うメガネ拭きと違って抜群にキレイになる。それ以来、10年以上使っただろうか。汚れたら洗濯しろというので、洗濯しながらずっと使っていた。しかし、さすがによれよれになったので買い換えたいと思ったが、何を買って良いか分からない。眼鏡屋で聞いても答えが無い。たまたまその店で売っていた“東レの超極細繊維「トレシー」製”というのを買ってみた。まさにこれだった。良く取れるメガネ拭きの正体は「東レのトレシー」だった。

ここからが本題。その「東レのトレシー」よりもレンズの汚れが良く取れるメガネ拭きが見つかったのだ・・・。
先日、メガネのレンズを買い替えたとき(ここ)、メガネ屋が「これは汚れが良く取れますよ。P10307911 何度でも使えるので使ってみて・・・」と駅前で配っているポケットティッシュに似たメガネ拭きをくれた。㈱パール製の「レンズワイプ」という製品。「超極細繊維の不織布」だという。
何となく安っぽいのでしばらく放って置いたが、ある時フト使ってみる気になった。そうしたら良く取れる。一度使っただけで“惚れ”た。それこそティッシュと同じような単なる一枚の紙なのだが、これで拭くとメガネのレンズがピッカピカになる。しかも何度でも使える。もう1ヶ月くらい同じ紙を使っているが、まだまだ大丈夫。これは良い。レンズ拭き用の液体クリーナも要らないし・・・
値段が書いていないので、さっきNetで調べてみた。楽天市場で99円で売っている。送料が80円なので180円になってしまうが・・
しかし何と安い! 10枚入りなので、1年間メガネをキレイにするコストが、100円足らず・・・

この性能なら、自分は1000円出しても良いくらい・・。なんとも世の中、素晴らしい製品があるものだ。(しかし、ウチのカミさんのように、どんなに老眼鏡が曇っていようと、一切気にしないツワモノも居る。まあそんな人にはこの製品の良さは理解できないだろうが・・・)

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安い買い物?「遠近両用メガネ」

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2008年12月16日 (火)

マイケルズの「坊や大きくならないで」

マイケルズの「坊や大きくならないで」を聞くと、いわゆる「ハモる」ということが良く分かる。前に男声合唱のグリークラブについて書いた事があったが(ここ)、そこで男声合唱での“ハモる”事を書いた。
Image01161 このマイケルズはジャケットでも分かるように、男性3人のグループ。そしてこの歌は、1969年発売のベトナム反戦歌であるという。作曲したトリン・コン・ソン(1939-2001)はベトナムの作曲家で、「Trinh Công Son」と書き、チン・コン・ソン と発音するようだ。前に当blogでも取り上げた「雨に消えたあなた(美しい昔)」(ここ)や「ユエの子守唄」でも有名である。心地よいハーモニーを聞いてみよう。

<マイケルズの「坊や大きくならないで」>1969年2月1日発売

「坊や大きくならないで」
  作詞:浅川しげる
  作曲:トリン(チン)・コン・ソン
  歌 :マイケルズ

坊や 静かにおやすみ
私の坊や
来る日も 来る日も
いくさが続く
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい

お前が 大きくなると
いくさに行くの
いつかは きっと
血に染まるだろう
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい

青空 とびかう鳥よ
お前は自由
いつかは 坊や
平和が来るわ
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい
眠りなさい 眠りなさい

改めてこの歌詞を読むと、母親の子供に対する深い情愛が歌われており、当時のベトナム戦争の状況を思うと心が痛む。戦争に子供を送り出す母親の気持ちは皆同じだ。
しかし先日のムンバイでのテロや世界各地の内戦も含めて、まだまだ世界には戦争が存在する。
早く、こんな歌の“当事者”が居なくなる世の中にならないものだろうか・・・。

(関係記事)
グリークラブの思い出

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2008年12月15日 (月)

「地球儀」を買ってしまった・・・

つまらない話だが、還暦を過ぎて、なんと「地球儀」を買ってしまった。5千2百円の地球儀P10307731 である。昔、子供に買った事はあっても、自分用の地球儀は初めて・・。何故か? “世界に羽ばたく”ため!?

前にも書いたが、NHKの「世界ふれあい街歩き」(ここ)やTBSの「THE世界遺産」(ここ)を、毎週DVDレコーダにせっせと録画している。これらの番組は、居ながらにして世界中を旅する事が出来る。だから、その場所が地球上のどの辺にあるのかを、“居ながらにして”認識できなければ、見ていても楽しくない。世界地図を広げてページをめくるのも面倒。それに地図では距離感が分からない。だから地球儀が必要なのである。
世界にはいったい国が幾つあるのかを調べてみたら、自分の現役(受験の1966年当時)の頃の国連加入国数は122カ国。それが現在は192カ国だそうだ(ここ)。つまり「うっかりしている」間に、なんと70カ国、6割も増えてしまった。

思い出すと、現役(高校生)のころは、アフリカはほとんどが植民地だった。それが今はみな独立国・・・。だから、聞いたことが無い(?)国がたくさんある。(自分の無知をバラしてしまうが・・・・。そういえば、風呂場の日本地図(ここ)の隣に貼ってあった「世界地図」も、いつの間にか「手足のツボの地図(!)」に変わっている・・・)

しかし何とも解決できない悩みがある。これらの番組を見る時間が無い・・・・。NHK「世界ふれあい街歩き」は、毎週再放送を含めて45分番組が2本ずつ溜まっていく。そしてもう31本も溜まってしまった。TBSの「THE世界遺産」も、もう27本も溜まってしまった。1.5倍モードで見ても、20数時間掛かる・・・。
そういえば、前にVHSテープに録った番組も、見ないまま大量にしまってある。でも、時代が変わってハイビジョンになると、画質の悪い昔のテープはまず見ない。
どうせ見ない・・・、と分かっていても、また、カミさんに「TVに左右されているなんてバカみたい」となじられても、それにも“めげず”に録画しているのである。
正月休みにでも、(地球儀を買ったことを機に)片手に地球儀を持って頑張って見ることにするかな・・・。(=世界旅行を安く済ませるために??)

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NHK「世界ふれあい街歩き」が楽しい

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2008年12月14日 (日)

北島三郎の「風雪ながれ旅」~真のプロ歌手

先日、NHKラジオ深夜便~こころの時代で「“わが人生の玉手箱”元新宿コマ劇場・支配人 奥津和彦」を聞いた。(2008/12/1~2放送)
自分はコマ劇場に入った事はないが、その話によると「新宿コマ劇場」が今年いっぱいで閉館になるとか・・・(ここ)。(「・・・昭和31年12月の開場以来、皆様に格別のご愛顧をいただいております「新宿コマ劇場」ですが、・・・平成20年12月末日をもちまして閉館することになりました。・・・9月の『北島三郎特別公演』をもちまして、・・・幕を降ろす事になります。・・・」
この番組で奥津氏はこんな話をしていた。「出演の常連は美空ひばりと北島三郎だった。美空ひばりは、自分も一生懸命やるので聞くほうも一生懸命に・・・がスタンス。よって場内での飲食には厳しかった。一方、北島三郎は歌から芝居まで、全て自分が一人で取り仕切るスタイル・・・」そしてこの告示にもあるように、ラストのステージも北島三郎だった。

北島三郎といえば、1981年(昭和56年)の年末のNHK紅白歌合戦(第32回)の大トリで歌った「風雪ながれ旅」を思い出す。
我が家でも最近は殆ど見なくなった紅白歌合戦だか、この1981年の北島三郎(19回目の出場)の「風雪ながれ旅」は、歌の後半で紙吹雪が猛烈に舞ったとき(紙吹雪の多さに一瞬“事故”かと思った位・・)、北島三郎の口の中にも紙が2~3枚・・・・・。見ているこっちがドキッと・・・。しかし、それに全く動じないで歌い終えた北島三郎。さすがプロ!!と、感心したものだった。つまり、顔に紙吹雪が引っ掛かって痒かろうが、口に紙吹雪が入って歌いにくかろうが、まったく動じなかった・・・。たしかにTVを見ている人は、歌を中断して紙を吐き出しても状況を理解できるが、地球の裏側で、そんな事を知らずにラジオを聞いている人もいる。北島三郎が、そこまで考えたかどうかは分からないがこの“プロ根性”はすさまじい。
昔の録画テープを探してみたら、あった。S-VHSのEPモードからの録音なので音は悪いが、歌の後半は、口の中に何枚も紙吹雪が入った状態での歌である。

<北島三郎「風雪ながれ旅」>
     ~
1981年12月31日のNHK紅白歌合戦より

「風雪ながれ旅」
  作詞:星野哲郎
  作曲:船村 徹
  歌 :北島三郎

1)破れ単衣に 三味線だけば
 よされよされと 雪が降る
 泣きの十六 短い指に
 息をふきかけ 越えて釆た
 アイヤー アイヤー
 津軽 八戸 大湊

2)三昧が折れたら 両手を叩け
 バチがなければ 櫛でひけ
 音の出るもの 何でも好きで
 かもめ啼く声 ききながら
 アイヤー アイヤー
 小樽 函館 苫小牧

3)鍋のコゲ飯 袂でかくし
 抜けてきたのか  親の目を
 通い妻だと 笑ったひとの
 髪の匂いも なつかしい
 アイヤー アイヤー
 留萌 滝川 稚内

北島三郎は紙が口に入った時、別にプロを意識したわけではないだろうが、あの堂々たる態度に、真のプロ歌手の姿を見る。
北島三郎は、今年の紅白が45回目の出場とか・・。(1986年(昭和61年)を除いて1963年(昭和38年)からずっと出場・・・。凄いな~)
最後にお口直し(?)に、2003年の紅白歌合戦での同じ「風雪ながれ旅」をサラウンドで聞いてみよう。そろそろ年の瀬である・・・・

<北島三郎「風雪ながれ旅」>(ヘッドフォン用5.1サラウンド)
  ~2003年12月31日NHK紅白歌合戦から

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2008年12月13日 (土)

「創作四字熟語」=「天声人語」の筆力?に感心・・・

先日の朝日新聞の「天声人語」に、住友生命が募った「創作四字熟語」についての話題があった。しかし、限定された文字数の中に、よくもまあこれだけ凝縮した内容を押し込んだものだと、「天声人語」がコラムの模範生とはいえ、感服・・。曰く・・

「ほぼ健診だけで雇ってくれた良き時代が「無病即採(そくさい)」なら、今の雇用不安は「家内暗然」だろうか。漢字四つで表す世相。以下、住友生命が募った「創作四字熟語」でこの年を振り返る。
借金で消費を重ねたツケだろう。背伸びした米国の住宅ローンは「脆宅惨米(ぜいたくざんまい)」に終わり、リーマン・ブラザーズ破綻(はたん)の「兄弟減価」で危機に火がついた。それより前で幸いだったのが、縦横無尽に働くべき日銀総裁がいない「中央無人」の20日間。危機こそ出番の政界なのに、失言を残して閣僚らが退く「舌退(ぜったい)多数」がなお続く。
医療や年金の不安から、不老長寿の夢は「苦労長寿」に転じ、医師不足の「窮々(きゅうきゅう)病院」に妊婦の顔も曇る。学校では無理難題を吹っかけるモンスターペアレントが「猪突猛親(ちょとつもうしん)」した。
食は今年も傷だらけ。小麦の高騰でパンもうどんも値上げの「粉群憤騰(こぐんふんとう)」。消費者担当相が孤軍奮闘しようにも、中国のウナギを愛知県産と偽る「鰻身(まんしん)相違」が足を引っ張る。
本番前に「聖火乱難(らんなん)」が五大陸を駆け抜けた北京五輪。ソフトボールは上野投手が金の夢をつないだ413球の「好投夢繋(むけい)」、競泳は北島選手がひと掻(か)きごとに連覇に近づく「一掻占金(いっかくせんきん)」にわいた。片やマラソンの高橋尚子さんは現役を引退、惜しまれつつの「活動Q止」に。
学生が大麻に手を出し、大学当局が頭を下げた「汚薬御免(おやくごめん)」もつらい。政治も経済も社会も、国ごと崖(がけ)の上にあるような日本だが、ひとり元気なのがアニメ文化。耳を澄ませば〈ポーニョポーニョポニョ〉と「四面魚歌(ぎょか)」の08年でした。」(2008/12/12朝日新聞「天声人語」から)

住友生命のHPに今年の「創作四字熟語」ベスト50が載っている(ここ)。上の記事とダブルが、その中で自分が気に入ったのを転記してみると・・・

・「好投夢繋」(こうとうむけい:荒唐無稽)北京オリンピック。女子ソフトボールでは、上野由岐子投手の好投が金メダルへの夢に繋がった
・「株式逃資」(かぶしきとうし:株式投資)世界の株安で、株式に投じた資金が目減りして逃げていく。
・「暗増景気」(クラサマスケーキ:クリスマスケーキ)金融不安、円高、物価上昇・・・景気は一段と悪化。
・窮々病院(きゅうきゅうびょういん:救急病院)医師不足で困窮する救急病院。
・兄弟減価(きょうだいげんか:兄弟喧嘩)リーマン・ブラザーズショックは大変なものでした。あちこちで、責任の押し付け合いが発生していそうです。
・「中央無人」(ちゅうおうむじん:縦横無尽)日銀総裁人事が混迷。中央銀行の総裁が空席となる異常事態に。
・「汚米極怒」(オー・マイ・ゴッド)まさか汚染米が流通しているとは!驚きと怒りを覚えました。
・「酷使無償」(こくしむしょう:国士無双)「名ばかり管理職」の過重労働が社会問題となる。

今年で19回目を迎えるという住友生命の「創作四字熟語」。自分は、第一生命の「サラリーマン川柳」(21回)の方が好きだが、まあ保険会社も顧客との“ツテを期待して”色々と考えるものだ。
でも最近は、このようにウィットで受け流さないと、息苦しい世の中になってきたのは確か。何と“米GMが破産の危機!”とか、“ドルが13年ぶりに88円台に突入!”とか・・
“今年の一字”は「変」だとか。これは納得! 今年もあと半月か・・・・。

(関連記事)
我が家の「サラリーマン川柳」ベスト10

●メモ:カウント~25万

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2008年12月11日 (木)

ノーベル賞の伝統を崩した「益川敏英氏の日本語」

今朝のニュースで、「日本人3氏のノーベル賞授賞式で、異例の日本語での祝福の言葉があった」と報道されていた。これも益川敏英氏の功績かな・・・と思った。(2008/12/10表彰式)

それに先立つ昨日の日経の1面下のコラム「春秋」に、こんな事が書いてあった。
「街角で英語でものを尋ねられ「ソリー! アイ・キャント・スピーク・イングリッシュ」で逃げようとしたら「ユー・アー・スピーキング」と切り返されたことがある。同じ前口上を振るノーベル物理学賞の益川敏英さんを見ていて、そんな些事(さじ)を思い出した。
嫌いなのか苦手なのか英語がイヤで海外の学会には行かない、初めてパスポートを作ったのが今回授賞式に行くためと聞けば、失礼ながら、受賞記念の講演は興味深くなる。ノーベル財団のサイトでネット中継を見た。生い立ちから賞の対象になった発見まで、本当に全部日本語である。英訳が後ろに映写される。
出発する前に益川さんは「英語がしゃべれなくても物理はできる」と語ったけれど、中継を見終えた当方の感想は「日本語ができても物理は分からない」。特に「四元クォークモデル・CP対称性の破れ・破れを起こす複素位相」あたりは音声が耳に入っても頭の中で文字にならなかった。
10日の授賞晩餐(ばんさん)会でも短いスピーチがある。益川さんと研究相手の小林誠さん、米国籍の南部陽一郎さん、化学賞の下村脩さんと受賞者には日本語遣いが4人もいるから日本語スピーチはむしろ歓迎されるのでは。ただし益川さん自身こうも言っているので念のため。「英語を覚えなくていいということではない」(2008/12/10日経p1「春秋」より)

フランス人は自国語への誇りから英語をあまり話したがらないと聞く。(その影響でもないが、実は自分も“大和人間の誇り”から(?)、日本語しか話さない。←もちろんこれは負け惜しみだけど・・)
しかし、このコラムを読んで、何とノーベル賞受賞者の大学者でさえ英語を話さない人がいると聞いてビックリ。・・・というか、心を強くした(?)

2002年に田中耕一さんが受賞した時、「英語で講演しなければいけないので大変だ」とTVで話していたのを思い出した。しかしそれにもめげず、(この講演を英語以外で行うのは異例なのを承知で)益川さんが講演を、堂々と日本語で行ったとは立派。

しかもそれを受けて、12月10日の公式の授賞式で、なんと「日本語での賞賛の言葉」があり、受賞した本人達もビックリしている様子がTVに映し出されていた。
これは、「ひょうたんからコマ」とは言わないが、もし益川さんが型通りの英語で講演していたら、異例の日本語での賛辞はなかっただろう。
益川さんは、12月8日の記念講演を英語の字幕を使って日本語で済ませたことに対して、「世界中に英語が話せないことを宣言してしまった。零点です」と頭をかいたそうだが、どうしてどうして・・・。日本語をノーベル賞授賞式で使わせた“益川さんの業績”に喝采!
と同時に、選考委員の粋(イキ)な取り計らいに感心した。(もしかしたら、他の国の受賞者も、自国語で講演して晴れの舞台で自国語をつかってもらえば良かった・・と思っているかも?また来年から自国語の講演が流行るかもね・・・)

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2008年12月10日 (水)

NHK連続テレビ小説のテーマ「おはなはん」「藍より青く」「おしん」

先日のNHKラジオ深夜便で、「朝の連続テレビ小説主題曲・主題歌集」を放送していた。(2008/12/5放送) その番組の中で、幾つかの懐かしい曲が流れた。
音楽を聞くと、いつもその時代を思い出すが、特にこれらTVドラマのテーマ曲を聞くと、鮮明に「その時・その頃」を思い出させる。

<「おはなはん」のテーマ>~1966年(昭和41年)

「おはなはん」は、昭和41年4月4日スタートだという。これは初めの数回だけ見た記憶がある。・・・というのは、ちょうど大学に入る寸前で、下宿住まいをするため、“いざ出発!”の直前に見たのだった。だから物語全体は知らないが、最初のシーンだけが妙に印象に残っている。

<「藍より青く」のテーマ>~1972年(昭和47年)

この「藍より青く」はまったく知らない。しかし本田路津子の「耳をすましてごらん」(ここ)が、このドラマの挿入歌だというので「藍より青く」という名を知っている程度。でもこのテーマはなかなか良い。

<「おしん」のテーマ>~1983年(昭和58年)

世界的に有名な「おしん」。放送された当時は見なかった。しかし放送されていた時は、ちょうどある客に試作装置を納めたときで、古びた旅館に同僚達としばらく滞在して、客に通った。その時、トシをとった同僚が旅館の食堂で朝食を食べながらこのドラマを見ていたのを思い出す。その後、BSで放送された再放送で全編見た。ミーハーの自分がこんな有名なドラマを見逃す訳は無い・・。

田舎のお袋は、毎朝欠かさず“15分間”見ているようだ。でもなぜか我が家では見ない「テレビ小説」ではある。

(関連記事)
NHK「思い出のメロディー」を見た(耳をすましてごらん)

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2008年12月 9日 (火)

玄米の効用・・・

玄米が体に良いことは良く言われているが、何気なく聴いていたラジオでそれを改めて聞くと、つい「そのうち自分も・・」と思ってしまう。
NHKラジオ深夜便「こころの時代~雑草からのメッセージ 東海大学農学部教授 片野學」(2008/12/4放送)で、片野氏が体調を崩した時に勧められた玄米の効用について話しておられた。曰く・・・

「・・・・石田英湾著の「生活革命=玄米正食法」という本を読んで玄米食になった。この本には、玄米を食べるようになって、肉・牛乳・乳製品を食べない、卵も食べない。つまり植物性で、海藻は食べる、塩・ミソ醤油は気を付ける。そうすると医者が見離した病人が、医者が驚くように治って行く事例がたくさん書いてある。自分は今まで生物学、植物学をものすごく勉強してきたつもりだったが、肝心要の私達人間の細胞の原料は水と食べ物だという事を知らなかった。それでちょっとした病気もあったので、人体実験と思ってやってみた。そしたら玄米を食べるのなら200回噛むこと、というアドバイスを貰った。それを実行したら、玄米二個の昼食で、お握りひとつを食べるのに30分かかった。だから1時間の昼食であごが疲れた。まずオナラが出る。でも臭くない。また便が大量に出る。しかも拭いても便が紙に付かない。寒さも平気になる。その時に、生涯で最も良い業績になった仕事が出来た。これも玄米と水をかぶっていたせい・・・。その成果から、次の年から食生活評論家として県下の人前で話をしていた。食育の大切さ・・・・。「食」は“人”が“良”いと書く。日本で玄米を食べ始めたのは江戸時代の元禄、中国では唐の時代。唐の皇帝が白米と玄米のどちらを食べるべきか実験をさせた。そしたら玄米を食べていた人はピンピンしているのに白米の人は調子が悪くなった。それで漢字を作った。白米はダメなので「米」偏に「白」で「粕(かす)」。玄米から9%除いて91%の白米が残るが、蛋白と澱粉は全部残る。その9%に人のイライラや、人の体調を正常に保つものすごいものが入っている。それで“米”偏に健康の“康”つまり「糠(ぬか)」という字が誕生する。それまで漢字は漢の時代に全部出来ていたと勘違いしていた。今は「不」の下に「良」を書かなければいけない時代・・・・」

前にも書いたが(ここ)、ウチのカミさんは昔から白米ではなくて五穀米を食べている。(一般的な五穀米は玄米、麦、ひえ、あわ、きび、そばをブレンド・・) もちろん自分は真っ平ゴメン。しかし、今までのカミさんの健康と自分の健康を比較してみると、それほど差が出ているように思えない。(特に最近は、カミさんは血圧の測定に余念が無い・・)

何度も言うが、「blogは備忘録」である。自分が大病にかかって「SOS」を出す時、ここに書いた事を思い出して玄米食を実行することにしようか・・・・。(←でも神さまに「今更なんだ!考えが甘い!」と言われて、効果は出ないかもね・・・)

(関係記事)
ブッダの教える「夫」像

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2008年12月 8日 (月)

伊藤久男の「熱砂の誓い(建設の歌)」

今日は12月8日。67年前の昭和16年(1941年)のこの日、真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まった。一説によると、この真珠湾攻撃が成功したのは、ハワイ・オアフ島の山の上にいた米軍監視哨が、飛行機の大編隊が頭上を通過するのを見ても「本土からやってきた編隊だろう」と思って見逃したことが奇襲成功の一因とか・・・。

こんな歌を思い出した。伊藤久男の「熱砂の誓い(建設の歌)」という歌。若い頃、(歌詞とは関係なく)この歌の威勢の良い旋律を良く聞いたものだ。

<伊藤久男の「熱砂の誓い(建設の歌)」>

「熱砂の誓い(建設の歌)」(昭和15年10月)
  作詩:西条八十
  作曲:古賀政男
  歌 :伊藤久男

1)よろこびあふれる 歌声に
 輝け荒野の 黄金雲(こがねぐも)
 夜明けだサ夜明けだ 大陸に
 わき立つわれらの 建設の歌

2)あの山この谷 勇ましく
 血潮流した 兄弟(はらから)よ
 今こそサ微笑め 聞いてくれ
 われらの勝ち鬨 建設の歌

3)日本男児と 生まれたら
 この肉この骨 大陸へ
 埋めよとサ言われた 亡き母の
 瞳が輝く 暁の星

4)砂漠の野菊の 朝露に
 燦(きら)めき拓(ひら)ける 愛の路
 光はサ昇るよ 東から
 世界に轟け 建設の歌

ついでにステレオ再録盤も聞いてみよう。その音の違いは時代の違い・・。(さすがに3番は歌われていない) 

<伊藤久男の「熱砂の誓い」>~ステレオ盤

Netでみると、この歌は昭和15年(1940年)公開の東宝の国策映画「熱砂の誓ひ」の主題歌だという。太平洋戦争の始まる前年の歌だ。
一方、Wikipediaに「1940年(昭和15年)、日劇のアトラクションに出演し、伊藤が歌う「熱砂の誓い」を客席で見た岡本敦郎は、その歌声に感動し、歌手になる決意をしたと述懐している。」との記載があった。
かの岡本敦郎が生まれたのもこの歌のせい・・・と考えると、少しは気持ちが明るくなるかな??

明治維新以降の、日清・日露から中国侵略・太平洋戦争までの日本軍国主義・・。「日本史」大嫌い人間の自分だが、これらの事実をキチンと理解することは、日本人としての「宿題」かも知れない。自分も死ぬまでには、何とかそれらの「宿題」を終えようとは思うが・・・。
ついでに、戦後、仏教界も戦争に協力したとして懺悔しているが、この辺りの事情もそのうち勉強してみようか・・・。

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2008年12月 7日 (日)

「要介護」状態の介護保険

今日の朝日新聞「耕論」のタイトルが“「要介護」状態の介護保険”。何とも的を射たタイトルで感心した。いつものように3人の論が展開されていた。わが意を得たりという論なので、少し抜粋してみる。(2008/12/7 朝日新聞P9より)

作家・落合恵子さん~「職員の疲労、受けての命直撃」
「7年間、在宅で介護してきた母を昨夏、見送りました。・・・
・・・求められている仕事の質に比べて、給料は低い、離職者も多い。その結果、サービスの質は低下する。介護は、食べて排泄することを基本に、いかに「される側」に心を寄り添わせていくかという意味で、大変な「感情労働」も求められる。「する側」が疲れ切ったとき、その疲労は「される側」の命を直撃するのです。
・・・
いまは赤字財政で介護や医療をなるべく使わせない動きが出ている。施設への入所が何千人待ちという自治体もある。後期高齢者医療制度で負担が増えるお年寄りもいる。老いそのものが「自己責任」と言わんばかりです。一方、現役世代も生活が苦しい。親もそれを知っているから「長生きしてごめんね」となる。
団塊の世代が高齢化する数年後を考えることも大事ですが、目の前のお年寄りや介護職員の日々を保障できずに将来、何ができるのでしょう。
母の介護と同時に始まった介護保険制度は来春、3度目の報酬見直しを迎えます。命にお金をかけない政治は最悪です。すべてのお年寄りが長生きしてよかったと思える社会と、すべての子供が生まれてよかったと思える社会はつながっています。介護報酬の引き上げ分が現場の労働者に確実に届く改正を期待します。」

ワタミ社長・渡邉美樹さん~「経営の視点持つサービスを」
「05年に本格的に有料老人ホームの経営に乗り出した。・・・・
・・・・
介護付き有料老人ホームが36施設、住宅型が1施設。平均入居率は9割を超え、介護事業の経常利益は約15億円。600店舗以上を展開する外食産業に次ぐ第2の柱だ。
私たちの介護事業の特徴は施設介護に特化し、入居金と月額利用料を収益の要にしていることだ。これらは事業者が決めることができ、介護報酬に左右されない。国の仕組みに頼らない「入居金ビジネス」で利益を上げ、グループ内の社員と同じ水準の給料を介護の社員に保障している。
入居金の平均は貯金や退職金でまかなえる約850万円。食事と管理費を合わせた月額利用料は年金を想定した17万8千円~19万8千円。他におむつなどの実費と介護保険の自己負担分をいただく。
サービスのかぎは外食事業で培ったノウハウだ。・・・・
・・・
介護現場が荒廃した一因は、介護保険の導入でいきなり「民」に市場が解放され、最低限のことをやってあげるという「官」の福祉の発想が受け継がれたことだと思う。
福祉は、例えば食事の介助という「行為」に対してお金が支払われる。おいしくてもまずくても関係ない。それに対し、「サービス」は素材や見た目、歯触りの良さなどの付加価値をつけたおいしさを提供し、お客様の満足の対価としてお金をいただく。経営の視点を持ったサービスに徹することが、結果的にお客様の利益につながる。
国は需要と供給の予測を読み誤った。費用を抑えようとして、介護の危機を招いている。求められるのは、高齢者を幸せにするにはどのくらいのお金と費用が必要なのかという発想で、グランドデザインを描き直すことだ。・・・・
昨年コムスン問題が浮上した時、「介護でもうけるな」という声があった。もちろん不正は許されないが、収益を上げる仕組みがないと新規参入はない。在宅介護は、いまの介護報酬ではできない。・・・
介護費用を抑制するため、介護施設の設置を制限する自治体があるが、20年には高齢者人口は3500万人を超える。社内の試算では、10人に1人が介護を必要とし、うち5人に1人、約70万人が有料老人ホームに入る。
行政は、財政基盤があり人材が確保できる事業者に自由にさせ、きちんとサービスが提供されているかを、余計な口出しをせずに監視すればいい。」

自分で母親の在宅介護の経験をされた落合恵子さんと、居酒屋「和民」に加えて大人気の有料老人ホームを展開中のワタミ社長・渡邉美樹さんの論は、どちらも実践的であるだけに深く頷ける。
同じ記事で、慶大教授の金子勝さんは言う。「背景にあるのは小泉構造改革路線だ。05年~06年の改正は「痛みを分かち合う」「自己責任」の具体化だった。社会保障費を5年間で1兆6千億円削減することになり、厚生労働省は介護保険でも費用の抑制ばかりを追求している。」

先日の元厚生次官襲撃事件で、犯人が「悪いのは政治家よりも官僚」と言っていたが、もしかすると言い当てているのかも・・・。つまり、官僚は(会社でもそうだけど・・)過去の政策が誤っていたと分かっても、絶対にそれを認めない。
しかし介護保険制度でも、このように色々と改善の案はある。テレビの日曜討論ででも、そのうち政治家ではなくて担当の官僚を呼び、落合さんや渡邉さんから改善案をぶつけて官僚に即答してもらったら面白いと思うが、どうだろう・・・。

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2008年12月 6日 (土)

フランク永井の「おまえに」

今日の朝日新聞の「天声人語」が愉快だ。最後のひと言にグッ!曰く・・・

「10月に亡くなったフランク永井さんの名曲に「おまえに」がある。<……僕のほころびぬえるのは/おなじ心の傷をもつ/おまえのほかにだれもない/そばにいてくれるだけでいい>。固い契りを、ささやくように歌い上げた。夫婦か、恋仲か。おまえと呼ばれて、女性側に何の違和感も生じない関係であろう。主従ではなく、絶対的な信頼で結ばれた男女が浮かぶ。<そばにいてくれるだけでいい>人など、そういない。朝日新聞の会員サービス、アスパラクラブが「おまえ」という呼び方への反応を約2万人に聞いた。配偶者や恋人にそう呼ばれたら「腹立たしい」「なんとなく不快」との回答が、男女とも8割あった。「新婚当初、それでよくけんかした」女性もいる。職場でも、女性のほぼ9割、男性の7割が不快に感じていた。「おまえ呼ばわりは一種のパワハラ」(30代女性)「尊敬できない上司から言われるのは抵抗がある」(30代男性)等々。ここまでの不人気、ほかならぬ「御前(おまえ)」が首をひねるに違いない。もとは目上に使う呼称で、おんまえ、ごぜんと読めば察しがつく。それが江戸期から同等や目下にも使われるようになり、戦後は「おれ」と対をなす、男臭くて荒っぽい語感を帯びた。相手が男でも女でも、信頼関係に余程の自信がなければ控えるのが賢明だ。当方、家族を「おまえ」と呼んだこと数知れない。それでモメた覚えもないのだが、先の調査結果を知って不安がよぎった。もしや先方が耐え忍んできたのではないか。聞いたら、その通りだった。 」(2008/12/6朝日新聞「天声人語」より)

フランク永井も亡くなってから、もう一ヶ月になる(2008年10月27日死去)。(そして今日は、「からたち日記」「高校三年生」等の作曲家・遠藤実氏が亡くなったという報道があった)
・・・という訳で、今日はフランク永井の「お前に」。

<フランク永井の「おまえに」>

「おまえに」
  作詞:岩谷時子
  作曲:吉田 正
  歌 :フランク永井

1)そばにいてくれる だけでいい
 黙っていても いいんだよ
 僕のほころび ぬえるのは
 おなじ心の 傷をもつ
 おまえのほかに だれもない
 そばにいてくれる だけでいい

2)そばにいてくれる だけでいい
 泣きたい時も ここで泣け
 涙をふくのは 僕だから
 おなじ喜び 知るものは
 おまえのほかに だれもない
 そばにいてくれる だけでいい

3)そばにいてくれる だけでいい
 約束をした あの日から
 遠くここまで 来た二人
 おなじ調べを 唄うのは
 おまえのほかに だれもない
 そばにいてくれる だけでいい

今、改めてこの詩を読むと、何とも言葉が無い・・・。(むず痒くなってくる・・)
天声人語にも「おまえと呼ばれて、女性側に何の違和感も生じない関係であろう。主従ではなく、絶対的な信頼で結ばれた男女が浮かぶ。」とあるが、それは殆どの場合勘違いで、「もしや先方が耐え忍んできたのではないか」と気が付くのが正解だろう。その点、「天声人語」の筆者は、“さすが”にそれに気が付いただけ偉い!

でも、この歌の姿は夫婦の理想の姿なのかも・・・? そう言えば、同じ夫婦の姿を謳った歌に「喜びも悲しみも幾歳月」という歌があったっけ・・(ここ)。この歌詞も、同じように夫婦の絆が謳われていて心に響く。
まあ自分も還暦の身だが、残された時間、少しでもそれに近付くように“チョットだけ”頑張ってみるとしようか・・・?(直ぐに忘れると思うけど・・・)

(2013/09/07追)
今朝のNHKラジオ深夜便で、フランク永井の特集があったが、その中で、この「おまえに」について、こんな解説があった。
「これは岩谷時子さんが、吉田正夫妻のさりげない日常を描いて作詞した。昭和41年、「大阪ロマン」のB面に吹き込まれたこの歌は、ほとんど注目されませんでしたが、フランクさんはステージで歌い続け、昭和47年、A面にして2度目の発売をしたもののヒットせず、その5年後(1977年)に再録音で再々発売して、カラオケブームに乗って大ヒットした。最初の吹き込みから11年経っていた。それだけ思い入れの強い歌です。」

<フランク永井「おまえに」~昭和41年版>

(関連記事)
「喜びも悲しみも幾歳月」の歌詞が泣ける

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2008年12月 5日 (金)

中村元の「観音経」(11/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 Image01271 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第11回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その11CDはこれ

わくしゅ-きんか-さ- しゅそくび-ちゅ-がい ねんぴ-かんのんりき しゃくねんとくげ-だつ
或囚禁枷鎖 手足被柱械 念彼観音力 釈然得解脱
しゅうそ-しょ-どくやく しょ-よくがいしんじゃ- ねんぴ-かんのんりき げんじゃくお-ほんに
呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人

わくぐ-あくら-せつ  どくりゅうしょ-き-とう ねんぴ-かんのんりき じ-しつぷ-かんがい
或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害

にゃくあくじゅ-い-にょ- り-げ-そうか-ふ ねんぴ-かんのんりき  しつそうむ-へんぼう
若悪獣圍繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無邊方

がんじゃ-ぎゅうふっかつ け-どくえんか-ねん ねんび-かんのんりき じんしょうじ-え-こ
玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋聲自回去

うんらいく-せいでん ごうばくじゅ-だいう- ねんぴ-かんのんりき おうじ-とくしょうさん
雲雷鼓掣電 降雹濡大雨 念彼観音力 応時得消散

或いは枷鎖(くびかせくさり)に囚(とら)え禁(とど)められ 手足に柱械(てかせあしかせ)を被(こう)むらんに
彼の観音の力を念ぜば 釈然(とけさり)て解脱(まぬか)るるを得ん。
呪組(のろい)と諸の毒薬に 身を害(そこな)われんと欲(せ)られん者は
彼の観音の力を念ぜば 還(かえ)って本の人に著(つ)きなん。
或いは悪しき羅刹(らせつ) 毒竜(どくりゅう)・諸の鬼等に遇わんに
彼の観音の力を念ぜば 時に悉く敢えて害(そこなわ)ざらん。
若し悪獣に囲繞(いにょう)せられて 利(と)き牙爪の怖るべきあらんに
彼の観音の力を念ぜば 疾(ふ)く辺(はてし)無き方に走らん。
蜥(とかげ)・蛇及び蝮(まむし)・蠍(さそり)の 気毒(けどく)の煙火(えんか)の燃ゆるごとくならんに
彼の観音の力を念ぜば 声に尋いで自ら廻(かえ)り去らん。
曇りて雷(いかずち)鼓(な)り掣(いなずま)電(ひらめ)き 雹(あられ)を降らし、大雨を濡(そそ)がんに
彼の観音の力を念ぜば 応時(ただちに)消散することを得ん。

引き続き、観音さまを念じた時の御利益を述べている。
⑦「枷鎖難(かさなん)」=捕らえられて首かせ・手かせ・足かせ・鎖をつけられる難
手かせ・足かせ・・・・。特にサラリーマンは、目には見えない手かせ足かせがあるのは仕方が無いか・・・
⑧「毒薬難(どくやくなん)」=のろいをかけられまた毒殺されようとする難
自分に返る・・・。道元禅師は「大凡(おおよそ)因果の道理歴然(どうりれきねん)として私なし」(およそ因果の道理というのもは、明々白々としたもので、われわれの私見をはさむ余地はまったくない)と言われたとか・・・
⑨「羅刹難(らせつなん)」=羅刹・毒殺・悪鬼に遭遇する難
黒澤明の「羅生門」。羅刹が生じる門なので、悪鬼が出没する門・・・?
⑩「悪獣圍繞難(あくじゅういにょうなん)」=鋭い牙や爪をもった猛獣に囲まれる難
猛獣よりも人間のほうがよっぽど恐ろしい・・・・?
⑪「玩蛇蝮蠍難(がんじゃぶっかつなん)」=とかげ・へび・まむし・さそりにであう難
とかげ・へび・まむし・・にも観音さまの慈悲の心は及ぶ・・・。虫も人間も平等。
⑫「雲雷雹雨(うんらいばくいなん)」=黒雲・かみなり・ひょう・大雨にあう難
(中村元監修「あなただけの観音経」より)

今日のニュースで、特に自動車産業を筆頭に、派遣社員の大量契約打ち切りが進んでいる、と報道されていた。だから、今なら「不況になっても、観音さまを念じれば、派遣社員もクビを切られない・・・」ナンテいう例えになったかも・・・

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2008年12月 4日 (木)

アダモの「夜のメロディー」

洋楽を殆ど聴かない自分だが、昔、少しだけ聴いたのがブラザース・フォア(ここ)とこのアダモである。もちろん「インシャラー」や「雪が降る」などの定番しか聴かないが、その中でもこの「夜のメロディー」は、1970年代に聴いた懐かしい曲である。
当時は、EMIのレコードの音が悪く(モノラル!)、とてもレコードを買う気になれなかったが、1980年にEPICソニーの「最新録音!」のLPレコードが見つかったので買った。これは、1978年3月のアダモ34歳の時の録音である。伴奏はトゥールーズ交響楽団の協力による。

<サルヴァトーレ・アダモ「夜のメロディー」>

歌詞オンチな自分は、もちろん外国の歌の歌詞など興味はない。でもせっかくなので、原詩の意味を読んでみた・・・。レコードの解説(訳詩)によるとこうある。

「夜のメロディー

昼間はおまえを忘れていても
夜毎ぼくはおまえを呪って過ごす
そして月が沈む頃には
ぼくの魂はうつろで
心は重くなる、重く
夜よ、お前は巨大に見える
おまえをつかまえようと腕を伸ばすけれど
おまえは意地悪く
ぼくの先手を打って喜ぶ
夜よ、ぼくは気が狂う
夜よ、ぼくは気が狂う

その上おまえの笑いは闇をさく
ぼくにはもうどこを探せばいいのかわからない
静かになった時、また希望がよみがえってくる
そしてぼくはまたおまえを愛しはじめる
おまえが戻ってくるのは束の間だ

そしてぼくを軽くあしらうために呼ぶ
けれどぼくが血の凍る思いをするたびに
おまえの笑いがすべてを消しに来る
夜よ、ぼくは気が狂う
夜よ、ぼくは気が狂う

日の光はおまえの姿をかき消す
おまえはぼくの知らないところへ行く
おまえを籠にとじこめておく奴のところへ
そいつはぼくの気を狂わせる
夜よ、ぼくは気が狂う
気が狂う・・・狂う・・・狂う・・・
(対訳/中村敬子)

この歌詞をどう読む??“気が狂う”とは、前に当blogで書いた「森田童子の“「逆光線”」という歌を思い出す(ここ)。やはり日本の歌の歌詞の方が、味があって好きだな・・・

ところでアダモについて少し調べてみたら、サルヴァトーレ・アダモは1943年まれだという。イタリアのシシリー島生まれ。3歳の時にベルギーに移住。17歳の時から録音開始。18歳の時には、既に自作曲200曲以上のストックを持っていたという(出典ここ)。
そしてこの「夜のメロディー」は20歳(1964年)の時の作品。ちなみに「雪が降る」は19歳、「インシャラー」は22歳の時の作品とか。そして日本語版の「雪が降る」がヒットしたのは1971年だという。
アダモの来日は30回にも及び、海外アーティストの中でも特に親日家であるという。(ベンチャーズの50回にはかなわないが・・・)

こんな曲を久しぶりに聞くと、独身の頃を思い出す。
しかし世の中、洋楽で歌詞を良く認識して歌って(聴いて)いる人がどのくらいいるのだろう? 自分のように、歌詞などどうでも良くて聞いている人が多いような気がするが、勘違いかな?(まあ、負け惜しみだけど・・・)
洋楽にも良い歌はあった(←過去形)、と、フト気が付いたこの頃ではある。

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2008年12月 3日 (水)

「篤姫」の脚本家・田渕久美子氏の話

帰りの電車の中で、先日放送されたNHKラジオ深夜便「<トークショー>大河ドラマ「篤姫」の魅力~脚本家 田渕久美子」を聞いた。(2008/11/26放送分)
最近になく評判の大河ドラマ「篤姫」だが(失礼)、とうとうあと2回で終わってしまう・・・。このトークショーは、その篤姫の“原作と脚本の戦い(=葛藤?)のドラマ”のように自分は聴いた。

原作は大御所の宮尾登美子。「篤姫」は、ウチでカミさんと一緒に見る二つのドラマのうちの一つだが(あとは「風のガーデン」)、「ここまで面白いのは原作が宮尾登美子だから」ということで意見が一致していた。(もちろん原作は読んでいないが) ところが、今日の番組を聞いて、その殆どが脚本家で決まることを知った。

だいたい「小松帯刀」は原作には全く出てこないとか。原作は大奥のドラマが主。しかし大河ドラマではその外側をも表現しなければならない。そこで篤姫と同じ年の生まれと知った「小松帯刀」を登場させて、大奥の外の世界を描く事にしたという。(ちなみに坂本竜馬も同じ年の生まれとか・・)
キャラクターも原作とは様変わり。篤姫はドラマではキャラキャラした好奇心旺盛な人物像だが、原作では落ち着いた女性。幾島(松坂慶子)は、ドラマでは美人だが、原作は大きなコブのある変わった女性。篤姫と井伊直弼(中村梅雀)とは、ドラマでは交流があったが、原作では最初に挨拶をしただけ・・・、等々。

大河ドラマで幕末を描くのは非常に難しく、NHKでもなかなかヒットしないというジンクスがあった。でも「自分も幕末が分からない。しかし分からない自分が書くのだから皆さんに分かってもらえると思った」がスタンス。

しかし、この悪戦苦闘の話を聞いていると、原作とは何だ?と思う。森進一が「おふくろさん」で作詞者の川内康範と紛争になったが、この「篤姫」でも、原作者の宮尾登美子とトラブらないかと心配してしまった。
しかし、自分が思っていた以上に脚本家の裁量は大きい。原作を前提にはするものの、1年間視聴者を飽きさせないために、色々と知恵を絞る。でもその脚本さえ、現場ではセリフがどんどんカットされ、出来上がったドラマを見ると、脚本家として納得しない方が多いという。

しかし、和宮の堀北真希について、お公家風を表現するために「首が回らない」とか、「宇宙人」とか評していたのは面白かった。宮崎あおいが地に足を付けていたのに対し、和宮は宇宙人のようにフワフワと・・・。しかし和宮の堀北真希は上手だった。品があり、京風におっとりとしていて・・・・。

当blogでも、前に「篤姫」の時代考証をしていた大石学氏の話も取り上げた(ここ)。 自分にとって、大河ドラマでこのように印象に残ったのも珍しい。
これは9月から再放送された(ここ)のが大きい。9月まで見ていなかった自分が、とうとう再放送を含めて、結局全編見てしまった。
あと2回。楽しんで見る事にしよう。
(この放送を聞いてみたい方は(ここ)をクリックしてzipファイルをダウンロードして下さい。32Mもあるので、クリックしてから数分後に窓が開きます。本ファイルは1週間後に削除します)

(関連記事)
NHK大河ドラマ「篤姫」の再放送が楽しみ・・
江戸時代の「大奥の生活」

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2008年12月 2日 (火)

“ちあきなおみ”と“すぎもとまさと”の「かもめの街」

ちあきなおみの「かもめの街」は、スケールの大きな歌である。カラオケなどで素人が歌える歌ではない。プロ専用の曲のような気がする。つまり、大変な歌唱力が必要とされる歌だ。

<ちあきなおみ「かもめの街」>~ライブ盤

「かもめの街」
  作詞:ちあき哲也
  作曲:杉本真人
  歌 :ちあきなおみ

やっと店が終わって ほろ酔いで坂を下りる頃
白茶けたお天道が 浜辺を染め始めるのさ
そんなやりきれなさは 夜眠る人にゃ分からないさ
波止場に出れば カモメがブイに2,3羽
一服しながら ぼんやり潮風に吹かれてみるのが
あたしは好きなのさ 
カモメよ カモメよ
淋しかないか
帰る故郷があるじゃなし
おまえも一生 波の上
あたしも一生 波の上
あ~あ~ドンブラコ

いろんな人が居たし いろんな人が居なくなった
泣いてくれるのは カモメと霧笛ばかり
一服しながら あれこれ取り止めなく懐かしむのが
あたしは好きなのさ
カモメよ カモメよ
風邪などひくな
絹の寝床があるじゃなし
おまえも一生 波の上
あたしも一生 波の上
あ~あ~ドンブラコ
カモメよ カモメよ あ~あ~

(作詞が「ちあき哲也」とあるので、ちあきなおみと関係があるのかと思ったが、無関係のようである)
「紅とんぼ」もそうだが、ちあきなおみは素晴らしい歌唱力である。しかし、周知のように1992年に夫の郷鍈治が肺がんの為、55歳で亡くなったのをきっかけに、一切の芸能活動を休止している。今どうしているのは分からない。
ちあきなおみは、かけがえの無い夫を亡くしたことで、「歌う」という本来の姿を失ってしまった・・・。この事から、ちあきなおみの場合、歌は単なる「生活の手段」ではなく、「自己表現の手段」だったのだろう。だから、その活動の一翼を担っていた夫の存在が無くなったとき、まさに「ちあきなおみ」という存在(歌手)は、「片割れ」だけでは機能しなくなったのかも知れない。
「ちあきなおみ」という歌手は、一見“トボけた”一面とは裏腹に、何とも壮絶な大歌手ではある。

ついでに、この歌を作曲をした「すぎもとまさと」の歌でも聞いてみよう。

<すぎもとまさと「かもめの街」>

●メモ:カウント~24万

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