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2008年11月11日 (火)

こんぶ養殖事業に賭ける人生~長谷川由雄氏の話

NHKラジオ深夜便で、こんぶ養殖事業に賭けた長谷川由雄氏の話を聞いた。そして、こんな「見える成果」のある人生は、素晴らしいな~、と思った。番組は、「こころの時代“こんぶの浜、賑わい再び”元水産庁北海道区 水産研究所所長 長谷川由雄」(2008/11/4~5)。

長谷川由雄氏は1919年(大正8年)生まれの89歳。函館高等水産学校(現北海道大学水産学部)で初めて海藻と出会い、北大理学部で学び、北海道水産試験場に勤務して以来、60年余り昆布の研究をされている。
恩師に言われた「学問は産業に役立つこと」という言葉を座右の銘とし、その研究姿勢は徹底した「現場主義」を貫いた。そして、浜に這いつくばるようにして昆布を研究。そして、特殊な培養液の水槽の中で4000ルクスの光をあて、昆布の苗を作り出す事に成功。1966年には、北海道開発局の委託試験事業として、南茅部町(現函館市)で、海での試験事業をスタート。早くも1967年には養殖事業が大成功。1年の養殖で、天然2年もの近くまで成長し、市場では天然ものの8割の値が付いて、関係者もビックリ。そして1969年に本格的な養殖事業が始まり、1985年には生産量で天然ものを上回る規模にまで成長したという。もちろん品質も最高級。(昆布の収穫量は、今は減って天然物が14000トン、養殖物が5000トンだという)
この昆布の養殖技術の成功は、取る漁業から育てる漁業への転換をもたらすと共に、漁民の出稼ぎや、浜の過疎化を食い止め、浜は「家族総出の大忙し」に激変した。
その成果に、早速アメリカとカナダから問合せが来た。それは「パテント(特許)」を一切取らなかったから。
長谷川さんは言う。「国から給料を貰っている研究者が、国の施設を使って、どうしてパテントを取って自分の懐に入れられますか?」。だからパテントなど最初から考えなかった。皆に自由に使ってもらって、皆の生活が豊かになればそれで良い、という大らかな気持ちだった。それに、持って行っても出来ないところ(海)では出来ない。ロシア、中国、北朝鮮など、色々と技術援助をしたが、うまく行かなかった。日本海でもうまく行かなかった。
そして最後に長谷川さんは憂いていた。「道の行政では、もう海藻は済んだ。次は魚だ・・・」と、海藻をやる後継の研究者がいない。その歪がある。自分もトシ・・・。これから後が心配・・と。

話は変わるが、Netで長谷川さんを検索しても殆ど出てこない。唯一引っ掛かるのが、北海道開発局函館開発研究部のHP(ここ)。このHPには、“怖そうな”長谷川さんの写真もある。まあこの話題が、1960~1970年代という、Net時代のかなり前のせいかも?

しかしこの話を聞いて、人生で「俺はこれをやった」と言える“目に見える”成果を挙げられた長谷川さんの人生は素晴らしいもの・・・。しかも、浜の「出稼ぎ」生活を一変させた恩人でもある。
まあ羨むつもりも無いが、普通のサラリーマンだと、一生かかってもなかなかそんな業績を挙げられない。そういえば、昔、ダム設備に付帯の機械を納入した時、ダム建設事務所の役人が「ダムは男一生の仕事」と言っていたっけ。ダム建設は、数十年の長期の仕事なので、人生をかけた「自分の作品」と言えるのだろう。

ん? 自分の作品・・? 幾ら(定年で)卒業間近でも、仕事での“自分の作品”ナンテ、無いよね・・・


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