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2008年11月の28件の記事

2008年11月30日 (日)

小椋佳の「山河」と「しおさいの詩」

今までも、歌のアレンジについては色々と書いてきたが、大体においてはオリジナルのアレンジが好きだ。しかしここで挙げる小椋佳のロンドン・パリ録音の「山河」には、一度聞いて惚れしてしまった・・・。このバックに流れるバロック調とも思える不思議な弦のリズム・・・・。幽玄な世界に誘い込まれる・・・。
しかし海外のミュージシャンが、初めて聞いた日本の楽曲を、よくもまあ見事に料理するものだ。音楽という「感性の芸術」は、“万国共通語”という訳か・・・

<小椋佳「山河」>(CDはこれ)

「山河」
  作詞:小椋 佳
  作曲:堀内孝雄
  歌 :小椋 佳

人は皆 山河に生まれ、抱かれ、挑み、
人は皆 山河を信じ、和み、愛す、

そこに 生命をつなぎ、生命を刻む
そして 終(つ)いには 山河に還る。

顧みて、恥じることない 足跡を山に 残したろうか
永遠の 水面の光 増す夢を 河に浮かべたろうか
愛する人の瞳に 愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。美しいかと。

歳月は 心に積まれ 山と映り
歳月は 心に流れ 河を描く

そこに 積まれる時と、流れる時と、
人は誰れもが 山河を宿す。

ふと想う、悔いひとつなく悦びの山を 築けたろうか
くしゃくしゃに嬉し泣きする かげりない河を抱けたろうか
愛する人の瞳に 愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。

顧みて、恥じることない 足跡を山に 残したろうか
永遠の 水面の光 増す夢を 河に浮かべたろうか
愛する人の瞳に 愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。美しいかと。

もともと「山河」は、五木ひろしのために作られた曲だが、五木ひろしが“大きな曲、残る曲”といった「特別」な曲として依頼して出来た曲、と前に聞いたことがある。(実は、この録音をFM放送で聞くまで、五木ひろしの持ち歌とは知らなかった・・・)
しかし、この“哲学者・小椋佳”の詩は、何ともデカイ。まさに我々還暦組に対して「お前の人生はどうだった?」と聞かれているみたい・・・・

話は変わるが、先日NHKで32年前の小椋佳の初コンサートの模様を放送していた。当時は銀行員10年目、「これが最初で最後のコンサート」と本人が言っていたコンサートの模様を少し聞いてみよう。このコンサートで最初に歌った「しおさいの詩」が、小椋佳が初めて人前(コンサート)で歌った「記念すべき第一声」である。

<小椋佳「しおさいの詩」>
  
~1976年10月7日NHKホールでの「小椋佳の初コンサート」から

「しおさいの詩」
  作詞/作曲:小椋 佳

汐さいの浜の岩かげに立って
汐さいの砂に涙を捨てて
思いきり呼んでみたい 果てしない海へ
消えた僕の若い力 呼んでみたい

青春の夢にあこがれもせずに
青春の光を追いかけもせずに
流れていった時よ 果てしない海へ
消えた僕の 若い力 呼んでみたい
恋でもいい 何でもいい
他の全てを捨てられる 激しいものが欲しかった

汐さいの浜の岩かげに立って
汐さいの砂に涙を捨てて
思いきり呼んでみたい 果てしない海へ
消えた僕の 若い力 呼んでみたい

しかし先日、NHK BSの「NHKアーカイブス」(08/11/15)に出演していた小椋佳は元気そうだった。一時期、胃がんの手術でげっそりと瘠せてしまったが、大分戻ってきた感じ。
これからも元気で小椋佳の世界を益々拓いて行って欲しいものである。

(関連記事)
NHKプレミアム10「小椋佳・63歳のメッセージ」
「小椋佳」との出会いと別れ

<付録>
秋本番。散歩コースのもみじ?も真っ赤。多摩川も秋の風情。一方、公園の道も落葉の道にさま変わり・・・・
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2008年11月29日 (土)

機織歴90年~能衣装織の山口安次郎氏

前に録ってあった毎日放送制作「美の京都遺産~能衣装を織る vol.74」を見た。(2008/4/12 BS-i)
Yamagutinouisyou0811292 山口安次郎氏は、明治37年(1904年)生まれの104歳。現役の機織職人だという。
京都の機織(はたおり)職人の家に生まれた山口さんは、小学校を卒業した次の日(12歳)からこの道に入った京都西陣の機織の匠。
「機織が好きで好きで、機を織っているときは恋人と一緒にいるようだ」と山口さんは言う。山口さんが織るのは能の衣装。「自分は能が好きなので能の衣装を織ってみた。でもそのおかげで西陣の技術が保存できた。西陣の織の技術は全部能の衣装にある」
Yamagutinouisyou0811291 能衣装を織るには、色の数は最小限(15色)に抑え最大限の豪華さを表現するという能の精神が生かされている。一つを織り上げるには3ヶ月、準備期間を入れると8~10ヶ月かかるという。
「世間並みに70か80で死ぬものと思っていたが、気が付いたら100になっていた。ついでに、もう90年機を織ってきたがもう10年織ったら機織100年になるな~」
そして、これまで世界各地で展覧会を開いて能衣装の素晴らしさを表現してきたという。

この15分のミニ番組を見て、何よりも「男性」である事に驚いた。100歳近い職人は他の世界でもいるだろうが、男性は少ないのでは??

話は変わるが、NHKラジオ深夜便「健康百話「“イキイキ脳”は良い生活習慣から」東京大学大学院教授…石浦 章一(08/11/19放送)」を聞いた。
「老いない脳を作る」という話をしていた。その話を少しメモしてみると・・

「運動能力で、トシを取って一番最初に出来なくなるのが、目をつぶって片足立ちをする事。これを40歳の人にやってもらうと直ぐにバランスを崩す。これが老化が直ぐ分かる指標。握力等は低下しない。それに睡眠が大事。夜寝るのは、脳の興奮を静める事と、もう一つの理論としては「記憶を整理している。必要な記憶だけを残しておいて要らない物を消去しているのではないか。その時に、要らない物が夢になって出てくるのではないか」というのもある。
100歳を越えた人に、どんな運動をしたかと聞くと、「散歩」と答える。つまり、毎日動いている事が大事。長寿のコツは散歩。それに、皆70~80歳になるまで生き甲斐をもって働いていた。ストレスには「緩急をつけた生活」が大事。それに、外国の例だが、出来れば知的機能の高い配偶者と過ごす。それに囲碁将棋、手芸等の考えながら手を動かす趣味も・・・」

この二つの話を合わせると、104歳の機織職人山口さんは、まさに長生きする条件にピッタリ。
我々サラリーマンは60歳で区切りとなるが、それ以降をどう生き甲斐持って働くか・・・。そう考えると、サラリーマンよりも手に職を持った人の方が有利なようである。
しかし、何のために長生きするのか? 生き甲斐が無ければ仕方が無い・・。でもピンピンコロリのためには、(いつ死ぬかは別として)健康は必要・・・。となると、結果として長生きしてしまう・・・?
我が家も「知的機能の高い配偶者と過ごす」の条件は、当然○なので(!?)、夫婦共に長生きすると思うが・・・。(←そんなワケ無いか?)

(関連記事)
TV番組「美の京都遺産」

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2008年11月28日 (金)

「宇宙エレベーター」~夢のある話

先日の朝日新聞に「できるぞ 宇宙エレバーター:総延長10万キロ、建設費1兆円なりという記事があった。なんと夢のある話だろう・・・(2008/11/24朝日新聞p10)

Image01951 ロケットを使わずにエレベーターに乗って宇宙に行く「宇宙エレバーター」の日本初の国際会議が今月(2008年11月)中旬、日英米の専門家を集めて開かれたそうだ。これまではSFの世界の乗り物とされてきたが、技術革新によって建設実現も夢ではなくなってきたという。
宇宙エレベーターは、赤道の上空3万6千キロにある静止衛星からとてつもなく長いケーブルを地上に垂らし、これを伝って昇降機を上下させ。地上と宇宙を行ったり来たりする乗り物。静止衛星から、地球と反対の宇宙方向にもケーブルを伸ばす必要があり、ケーブルの総延長10万キロの、いわゆる縦に長い静止衛星だという。昇降機は時速200キロで、静止衛星までは約7日間で到着。
こんな奇妙な乗り物が考案されたのは、いまの宇宙ロケットが効率の悪い乗り物のためと言う。
米ロス・アラモス国立研究所の元研究員で旗振り役のエドワーズ博士によると、建設には15年、費用は1兆円。地球からエネルギーを送るレーザー照射器に1500億円、静止軌道への打ち上げに1000億円、地球上の基地建設に600億円、ケーブル作製に400億円という内訳だそうだ。
宇宙エレベーターのケーブルは、あまりに長いため、自重に耐え切れずに途中で切れてしまうと考えられてきた。鋼鉄の180倍の強度が必要だが、理論上400倍まで耐えるカーボンナノチューブの出現で風向きが変わり、すでに必要強度の1/3近いナノチューブが開発されているという。
この会議を主催した民間団体、日本宇宙エレベーター協会の大野修一会長は、「議論は『できるかどうか』から『いつ、誰がつくるか』に移ってきている。早期実現のかぎは、必要な技術で最先端を行く日本が握っていると思う」と話しているそうだ。

この記事を読んで、実に夢があって面白いものの、色々な心配事が浮かぶ。素直な疑問だ。スペースシャトルに比べて、本当に効率が良いのかどうか? ケーブルは薄いベルト状とあるが、どうやってよじ登る?登山電車でさえ、車輪の摩擦だけでは登れないので、線路の真ん中に歯形のレールがある。ベルトに滑らないような細工が必要だろう。
でもケーブルの重さは、1kmあたり7kgほどだという。どうも信じられないな・・・

ともあれ、天下の朝日新聞に載っている記事なので、ウソではないだろう。
しかし、祝日(11/24)にこのような「悩み」を与えて、暇つぶしをさせるなど、なかなか“ニクイ”新聞ではある・・・!?

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2008年11月27日 (木)

伊藤久男の「サロマ湖の歌」

古関裕而が作曲した伊藤久男の「サロマ湖の歌」を、自分が知ったのはかなり早かったと思う。高校の頃だったか? 昔から知っている好きな曲の一つだ。少し聞いてみよう。

<伊藤久男の「サロマ湖の歌」>

「サロマ湖の歌」
  作詞:中山正男
  作曲:古関裕而
  歌 :伊藤久男

1)アー
 サロマ湖の 水はからいよ
 青く澄むとも
 君知るや 君知るや
 思い焦れて 泣く女の
 熱い涙が しみてるからよ

2)アー
 恋の鳥 月に嘆くよ
 哀れ今宵も
 さい果ての さい果ての
 暗いコタンの 森こえて
 遠く悲しく 君よぶ声よ

3)アー
 サロマ湖の 風は寒いよ
 空に凍りて
 音もなく 音もなく
 白く静かに 降る雪は
 君を慕いて 嘆くこころよ

この曲は、北海道の(砂嘴の切れ目で海に繋がっている)サロマ湖を題材にした曲だが、古関裕而はこの湖を見たことがないままに作曲したという。曰く・・・

「サロマ湖の歌~昭和29年~ この作品について、古関先生は自伝の中で、「私の好きな曲の一つだ」と述べていますが、同時に失敗作でもあると述べています。作詞は中山正男氏で、中山氏から「自分が詩をかくから、郷里の美しいサロマ湖を題材にした曲を作ってくれないか」と頼まれ、「いいよ」と二つ返事で引き受けて作曲したもので、中山氏の話を聞き、古関先生は「幽遠で神秘的な北辺のロマンをひめた湖を想定しながらサッと書き上げた」ものだそうです。しかし数年後、サロマ湖を訪れてびっくり。実際のサロマ湖が、歌詞のイメージとあまりにかけ離れていたためです。先生はサロマ湖の歌について、こう結んでいます。「きっと今頃は当時と違って、中山氏の詩に劣らぬ北辺のロマンを漂わせた美しいサロマ湖が、私の再来を待っていてくれるかもしれない」 (『鐘よ鳴り響け』古関裕而自伝より)」(出典はここ

しかし、この「福島市古関裕而記念館」のサイト(ここ)は充実している。開館してからもう20年にもなるというが、このサイトには古関裕而の全作品のデータベースが載っている。

Saromako1 自分がサロマ湖に行ったことがあるかどうか、定かでない。10年ほど前、網走には行った。学生の頃の北海道旅行でもその近くには行った・・・。しかしサロマ湖にも寄ったかどうか・・・。どうも電車から見えたような?? まあ、その位の印象なのである。しかし古関裕而は、この曲を想像豊かに作曲したという。でもその方が良かった・・・。もし作曲の前に見ていたら、こんな素晴らしい曲は出来なかったかも知れないので・・・。

ベートーヴェンに匹敵するくらい(!?)自分が好きな作曲家のひとりである古関裕而。そのうち、この「福島市古関裕而記念館」にも行ってみたいものである。

★日本音楽著作権協会(JASRAC)から、当サイトでの「音楽著作物利用許諾通知(許諾番号 J081115986)」が届きましたので、音楽関係の記事を再開します。また、消去した過去の記事も復活させます。

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2008年11月26日 (水)

韓国ドラマ「チュモン(朱蒙)」が終わってしまった

BSフジで放送されていた韓国ドラマ「チュモン(朱蒙)」がとうとう今日で終わってしまった(ここ)。全81回。まあ自分も良く見たものだ。しかしこれは良く出来たドラマだった。当blogで前にも書いたが(ここ)、紀元前1世紀頃の「高句麗」建国の物語。
ラストシーンは、主人公(チュモンとソソノ)が別れ別れになって少し残念だが、まあ事情(権力の争奪戦)を考慮すると仕方が無いか・・・。ラストシーンで、腹心の鍛冶職人(モパルモ)を、新たに建国のために去って行く王妃ソソノに与えたのは立派。今までの労と、これからの苦労のために、あえて(無くなってしまう)金品ではなく、「技術」を援助したということ。

このドラマでは戦争(=チャンバラ)のシーンが多かったが、朝鮮のチャンバラは日本のチャンバラと違って、まるで体操の床運動のような動き。くるくる回転するかと思うと、宙返りをしたり・・・。まあ本当かどうかは別として、日本のチャンバラよりも役者は疲れるだろう。
それと、映画と違ってCGを使っていないせいか、戦争場面の参加者が少ないので少し寂しいのは仕方が無いか・・・・。
それにしても、舞台が紀元前1世紀の割に、韓国は文明が進んでいる(?)。キリストの時代の映画は、舞台が西洋・中東という事もあるが、着るものや建物が大雑把? それに比べ朝鮮の建物は立派。服装も・・。俳優が、よく白い息を吐きながら演技していたが、当時も寒かったので“耐寒の文化”は発達していたのだろう(?)。まあ、時代考証をどこまでしたか・・・はあるが・・。

それにしても、全81回は長かった。日本の大河ドラマも50回くらいなので、81回は長丁場。最初は全60話でスタートしたらしいが、途中で20話の延長が決まったという。しかし、視聴者を飽きさせず最後まで引き付けていたのは凄い。また、主役であるチュモン役のソン・イルグクは、前に見た「海神」では暗殺者役だったが、よほど高句麗の建国が大変だったと見えて(?)、「海神」同様、(若い頃は別として)殆ど笑うシーンが無かった。まさに、やっと終わって“お疲れさま・・”である。
ラストのナレータによると、チュモンは享年40歳でこの世を去り、王の座を息子に譲ったとか・・・。なんという若さ・・・。

自分は、韓流ドラマでは「海神」とこの「チュモン」を見たわけだが、それに続く韓国歴史ドラマを見たいが、みんな放送済みで番組が見つからない・・・。かなり高視聴率の歴史ドラマが今まで沢山放送されたそうだが、これに続けて見たいもの・・。何とか過去の名ドラマの再放送が新たに始まると良いのだが・・・・
・・・と思っていたら、この放送の最後の「予告」によると、2009年2月4日から「風の国」というドラマが始まるらしい。チュモンの孫の話。その孫を、またチュモン役のソン・イルグクが演じるという。今年、韓国で放送中とか。でも楽しみだな・・・。見るぞ!!

(関係記事)
BSフジの韓国ドラマ「チュモン(朱蒙)」
BS朝日の韓国ドラマ「海神」の魅力

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2008年11月25日 (火)

中村元の「観音経」(10/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 Image01271 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』を元に味わっていくもので、今日はその第10回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その10CDはこれ

わくひょうる-ご-かい りゅうご-しょ-き-なん ねんぴ-かんのんりき は-ろうふ-のうもつ
或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没

わくざいしゅ-み-ぶ- い-にんしょ-すいだ- ねんぴ-かんのんりき にょ-にちこ-くうじゅう
或在須弥峯 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住

わくび-あくにんちく だ-らくこんごうせん  ねんぴ-かんのんりき ふ-のうそんいちもう
或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛

わくち-おんぞくにょう かくしゅ-とうか-がい ねんぴ-かんのんりき げんそくき-じ-しん
或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心

わくそうおうなんく- りんぎょうよくじゅじゅう ねんぴ-かんのんりき とうじんだんだんね
或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊

或いは巨海(こかい)に漂流(ひょうる)して 竜・魚・諸の鬼の難あらんに
彼の観音の力を念ぜば 波浪も没すること能わざらん。
或いは須弥(しゅみ)の峯にありて 人のために推し堕(おと)されんに
彼の観音の力を念ぜば 日の如くにして虚空に住(とどま)らん。
或いは悪人に逐(お)われて 金剛山(こんごうせん)より堕落せんに
彼の観音の力を念ぜば 一毛も損すること能わざらん。
或いは怨賊の繞(かこ)みて 各刀(おのおのつるぎ)を執りて害を加うるに値(あ)わんに
彼の観音の力を念ぜば 咸(ことごと)く即に慈(いつくしみ)の心を起さん。
或いは王難の苦(くるしみ)に遭(あ)い 刑(つみ)せらるるに臨みて寿(いのち)終わらんと欲(せ)んに
彼の観音の力を念ぜば 刀(つるぎ)は尋(にわか)に段段に壊(おれ)なん。

引き続いて、観音さまを念じた時の御利益を述べている。(散文部分には七難が述べられていたが、この偈の部分では③④⑧⑩⑪の五難が加えられて「十二難」が述べられる)
②「水難」=大海に漂流して竜魚に襲われようとする難
③「堕須弥山難(だしゅみせんなん)」=須弥山のような大きな山から突き落とされようとする難
④「堕金剛山難(だこんごうせんなん)」=金剛山のような高い山から突き落とされようとする難
⑤「怨賊難(おんぞくなん)」=盗賊に取り囲まれて刀で危害を加えられようとする難
⑥「刀杖難(とうじょうなん)」=王に捕らえられて刑場で首を切られようとする難
(中村元監修「あなただけの観音経」より)

「水難」は、まさに鑑真和上を彷彿とさせる。和上は日本行きの決心から12年目、何と6回目にやっと日本に辿り着いたという。その船内では、「乗っていた人たちはみなはげしく船酔いし、ただただ観音菩薩の名号を称えるばかりであった」(「唐大和上東征伝」)という。

「堕須弥山難」では、虚空にとどまって助かるという。これは当時(西暦紀元前後)は「天動説」であったのでそこから来ているという。

「怨賊難」では、良く言われるように「賊に全てを与えても、命さえ無事なら良い」。観音さまを念じて、賊の慈しみの心から命さえ奪われなければラッキー。特に海外旅行では・・。

「刀杖難」は、相手が「王」である所が面白い。もしかすると、今回の米大統領選でブッシュ政権が否定されたのも、国民がイラク戦争等を「王難苦」と断じたのかも・・・(以下続く)

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2008年11月24日 (月)

大人に贈りたい絵本~「100万回生きたねこ」

当blogが好きな「ベスト10」シリーズ。今回は「大人に贈りたい絵本のベスト10」である。
日経PLUS1の「何でもランキング」に「大人に贈りたい絵本」という特集があった。(日経2008年11月22日)
それによると、1位は佐野洋子著「100万回生きたねこ」(これ)だという。

<「大人に贈りたい絵本」ベスト10>
①「100万回生きたねこ」(講談社)            375
②「賢者のおくりもの」(冨山房)             325
③「急行「北極号」」(あすなろ書房)           315
④「サンタクロースっているんでしょうか?」(偕成社) 285
⑤「ちいさなあなたへ」(主婦の友社)          275
⑥「さむがりやのサンタ」(福音館書店)         270
⑦「たいせつなこと」(フレーベル館)           255
⑧「木のうた」(ほるぷ出版)                235
⑨「よあけ」(福音館書店)                 220
⑩「グロースターの仕たて屋」(福音館書店)      215

(日経2008年11月22日)

Image01961 「1位の「100万回生きたねこ」は絵本作家やエッセイストとして人気の佐野洋子さんの代表作で、初版は1977年。累計販売数は・・・166万冊のロングセラーだ。主人公は百万回死んで百万回生き、百万人の飼い主に愛された虎猫。自分以外を愛することを知らなかったこの猫が、好きになった白猫を亡くして初めて、愛や命の大切さに気付くという物語。・・・」

P10307151 自分は絵本は殆ど読んだ事が無いので、門外漢だ。それを、この記事を片手にカミさんが「そうでしょう・・?」と言う。・・・と言うのは、今年の5月連休に北京に行った際、北京の本屋で中国語版の「100万回生きたねこ」をたくさん買い込み、重い思いをして持ち帰った事があるから・・・。それは同じ中国語教室の人へのお土産だという。知らなかった自分は「絵本など大人が貰っても仕方が無いのでは?」と言ったものだ。

しかしこの記事を読んで、ミーハーな自分はやっと読む気になった。まさにアッという間に読める。詩のような、またはお経のような心地よい繰り返し・・・・。それでいて、読み終わると暖かく残る余韻・・・・。言葉が少ないだけに、かえって奥深さを感じる・・・

なるほど、それで大人の「早めのクリスマスプレゼント用に・・・」という薦めのようだ。この絵本は、「愛する人へ」「愛や命について考えさせられる一冊だけに、子供が生まれたばかりの家族や新婚夫婦にもおすすめできる」らしい。

もうすぐ12月。クリスマスの季節だ。
100万回とは言わない。もし1回でも生まれかわって若い時に立ち戻れたら、この「100万回生きたねこ」を誰かにプレゼントするかもね・・・

(2015/03/11追)
<朗読~「100万回生きたねこ」>

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2008年11月23日 (日)

社保審 障害者部会が論点整理~障害者自立支援法を考える(5)

昨日の朝日新聞に「障害者支援~「1割負担」なじむか」という記事があり、障害者自立支援法の問題点が整理されていて分かりやすかった。(2008/11/22朝日新聞 P3) 曰く・・・

「社会保障審議会 廃止か存続か方向性出せず」
来春の障害者自立支援法見直しに向けて、社会保障審議会(厚生労働相の諮問機関)の障害者部会は21日、論点を整理した(ここ)。「抜本的見直し」の行方が注目されたが、当事者から批判が強いサービス費用の原則1割自己負担については両論併記にとどまった。サービス量に応じて負担するしくみは障害者支援に合うのだろうか。(森本美紀、中村靖三郎)

・・・自立支援法は06年4月施行。別々だった身体・知的・精神各障害の福祉サービスを一本化し、利用者負担のしくみを、それまでの所得に応じた「応能負担」から、サービス利用量に応じて原則1割を支払う「応益負担」に転換した。利用量の増加に対応した「安定的な財源確保」や、「利用者が負担することで事業者と対等の関係を築ける」が理由だ。
しかし、応能負担だと、ほとんどの障害者は収入が低く自己負担がほとんどなかったのに、応益負担でサービスを利用する障害者の約9割に負担が生じた(08年1月、厚労省調べ)。導入後、サービス利用の抑制や中止が相次ぎ、障害者や家族は反発した。
「抜本的見直し」は自民党の主導だ。公明党との政権合意に盛り込まれ、昨年12月の与党プロジェクトチーム報告書は、低所得者の負担軽減や、自己負担分を払えるよう障害基礎年金の引き上げの検討を明記。軽減措置の結果、サービス料に対する自己負担率は、全体平均で2.86%まで抑えられた。しかし、厚労相には「定率負担の廃止は制度の否定に等しい」(幹部)との考えが強い。
社保審障害者部会は21、日最終報告に向けた論点整理で、1割負担のしくみを維持するか廃止するかは方向を出さず、負担軽減措置については来年度以降も「継続実施すべきだ」とした。
この日も利用者負担のあり方などについて、委員会から「『さらに検討すべきだ』ばかり。問題を先送りするということではないか」との疑問が出た。会合はあと数回を残すのみ。厚労省は法改正が必要な部分について、来年の通常国会に法案を提出する方針だ。
・・・・

「健常者と平等」探る
日本障害者協議会(東京)の藤井克徳常務理事は、「応益負担の最大の問題点は、障害者の生命維持に必要な支援を私的な利益とみなしたことだ。障害が重く支援が必要な人ほど、負担が増えるというおかしな現象も生む」と批判する。
藤井さんは、障害は▽自分では避けられない▽自分で前もって知り得ない▽誰にでも生じる可能性があると指摘。「障害ゆえに必要な支援の費用を本人に課すのは、障害を自己責任とする考えにつながる」と言う。
では、どういう負担の仕方があるのか。障害者インターナショナル日本会議(東京)は今年3月、障害があっても地域で暮らせることを目指す「障害者総合福祉サービス法」(仮称)を提案した。国連の障害者権利条約にうたわれている「他の(障害のない)者との平等」という考えをふまえたものだ。
利用者負担については、食費や光熱水費、住居費など障害がない人が負担するものは、障害者も収入に応じて負担する。健常者は支払う必要がないのに障害に伴い負担が生じるもの、例えば食事やトイレの介助、道を歩くためのガイドヘルプ、作業所の利用料など自己負担なしという仕分けだ。日本会議によると、スウェーデンやデンマークでは障害者へのサービスは原則自己負担がない。英国では収入に応じる「応能負担」が中心だという。障害者に一般市民としての生活を保障しようという社会的な合意に基づく。
尾上浩二事務局長は「知る限りでは応益負担を原則とする国は無い」としたうえで、「障害者の権利条約の批准に向けた国内法の整備という視点からも、どの部分の費用をだれがどの程度負担するのか、一から議論し、支援法の枠組み自体を変える必要があるのではないか」と話す。」(2008/11/22朝日新聞 P3)

この記事で、日本障害者協議会の藤井理事の指摘が実に分かり易い。現在の支援法は、社会全体が負担する、というより、「障害は自己責任!?」なので「受益者負担」という考え方であり、世界的にも“信じられない”法律なのだ。
しかも、改正作業が進まない原因は、“厚労相には「定率負担の廃止は制度の否定に等しい」(幹部)との考えが強い。”からも分かるように、「一旦制定した法律を、誤りだと認めたくない」という「役人のメンツ」が背景にあるようで、許し難い。

次の選挙で、少しでもこれが論点になって「障害者自立支援法の改定」が進む事を期待していたが、その根が「官僚」にあるとすると、進みようが無いではないか・・・と、ゾッとした。
国民の為に「官僚」を捻じ伏せる事のできる強い政権の誕生は、今の日本では無理なのだろうか?

(関連記事)
第45回社会保障審議会障害者部会資料(平成20年11月21日開催)

家庭での障害者の率~障害者自立支援法を考える(1)
障害者自立支援法を考える(2)~その問題点と顛末
障害者自立支援法を考える(3)~各党の主張 
障害者自立支援法を考える(4)~いよいよ抜本見直しか?
障害者自立支援法を考える(6)~作った側の論理

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2008年11月22日 (土)

今日は「いい夫婦の日」!?

今日11月22日は、ゴロ合わせで「いい夫婦の日」なんだそうだ。今朝の朝日新聞の「天声人語」・・・・。何とも指摘が「真実」であるだけに、読んでいて哀しい・・・。曰く・・・

「天声人語」~朝日新聞(2008/11/22)
「面白くないと嘆く男性もおられようが、お年寄りの場合、夫を亡くした妻は寿命が延びて、妻を亡くした夫は寿命が縮む傾向があるらしい。夫とは、妻に頼りきる重荷でしかないのだろうか。そっと胸に手を当ててみる、きょう「いい夫婦の日」である。11月22日の語呂合わせから始まって、今年で20年になる。だが、この時期に公表される各種の「夫婦調査」は、しばしば夫を意気消沈へ誘う。お互いの気持ちはすれ違って、夫から妻への「片思い」が多くなっているようだ。たとえば「夫婦一緒の時間を充実させたい」と思う夫は増えている。ところが妻の方は減り続けている。熟年の夫婦では15%の妻が、夫に「嫌悪・不愉快」を感じていると聞けば、小春日和も少し曇る。そうした理由の一端を、田辺聖子さんの随筆に教わった。定年やらで人生戦線を縮小し始めた男と、これから戦線拡大をもくろむ女の違いのためらしい。自分の砦に立てこもる夫と、残りの人生を楽しもうとする妻の、軋(きし)みあいのようである。夫は別荘が欲しいと夢見るが、妻は別荘まで行って家事などまっぴら。心安い友達とリゾートホテルの方がずっといい。「オジサンは司馬遼太郎を読み、オバサンは渡辺淳一を読むようになる」などと、人間通らしく田辺さんは観察する。心のすれ違いに特効薬はなさそうだ。「亭主元気で留守がいい」と言う。「女房元気で・・・・」ぐらいの生活技術と独立心を、まずは夫も備えたい。すきま風には早めの目張りを。暖かい冬を迎えるには「片思い」では心もとない。」

初老の自分に、このコラムの“ひと言ひとこと”が突き刺さる。特に「オジサンは司馬遼太郎を読み、オバサンは渡辺淳一を読むようになる」・・・・という指摘には、「司馬遼を読んで何が悪い!!」と息巻きたいが、それでどうなるものでもない。

でも考えてみると、この論は目新しくも無く、昔から言い尽くされていたこと。ただそれを、再度ズバリと言われたから“気になった”だけ・・・(かのデール・カーネギーは「誤りを指摘しない」と言っているけど・・・・(ここ))

サーテ、今日も天気が良い。カミさんの“ご機嫌取り”に、犬と散歩にでも行くか・・・!?

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2008年11月20日 (木)

居眠りという“特技”・・・「よく打つ選手はよく眠る」

今朝の日経に、野球評論家・豊田泰光氏の「よく打つ選手はよく眠る」というコラムが載っていた。(2008/11/20「日経」朝刊P41)
氏は現在73歳。それでも先週、沖縄-飛騨高山-大宮-水戸の講演をこなせたのは、よく寝ているせいだという。そして、家にいるときは暗くなったら寝る習慣で、10時間はベッドの中にいるという。
「・・・今年西武を引っ張った中島も新幹線、飛行機、バスどこでも眠れるそうで、やはりよく打つ選手はよく眠る。睡眠によって体が休まるのはもちろんだが、打てなかったらどうしようとか、悪いことを考えずに済むのが勝負の世界では有り難い。睡眠のもう一つの効用だ。・・・じたばたしてもどうにもならないとき、私は寝ることにしている。・・」

確かに、何かあった時でも寝てしまえるのは、傍から見て、実に羨ましい「特技」である。先日、元宇宙飛行士の向井千秋さんの亭主が、千秋さんが宇宙でもどこでも直ぐに寝てしまうので、大変な特技だと言っていた(ここ)。つまり、向井さんも豊田さんも、誰もマネの出来ない立派な「特技」なので、一般の人に勧めても仕方が無いのかも知れない。

世に不眠症で悩む人はゴマンと居る。自分は一般的な不眠症だとは思っていないが、それでも何か事件がある時は、人並みに眠れない。または朝の4時頃に目覚めてしまう。
一般的に、トシを取ると睡眠時間が少なくて済むように思っていたが、どうも自分の場合はそうでない。段々と睡眠時間を多く取らないと、体力的に通勤に耐えられないような気がする。

話は変わるが、実は田舎のお袋が居眠りの名手なのである。昔、良く家族マージャンをやった。打つと、もうコックリと居眠り・・・。一回り回って番になると、周りも慣れたもので、「ほら!」と、掛け声。すると何事も無かったようにパイを取って捨てる・・・。
そのお袋も、もう87歳。一人暮らしだが、こっくりの居眠りは相変わらず。だから「長生きするね・・」と、もっぱらのウワサ・・・

ともあれ、「何事も無く(←これが意外と難しい)」「ぐっすりと眠れる(←これも意外と難しい)」事が、いかに幸せなことか・・・。その為には、「悪い話題=悪い“気”」を体に入れないように、新聞やテレビを見ないようにするのが一番手っ取り早いかもね??
何事も、「臭いものにはフタ(=円高の記事も見ない!)」。そうだ、これが我が家の家訓だっけ・・・

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2008年11月19日 (水)

“新人類”の思い込み・・・・(読むに値しない話)

「納豆は朝食べるもの」という事が、憲法第九条で決められている事は良く知られている。自分が生まれた時には、既に憲法は発布されていたので、自分は、納豆を朝以外に食べた事は無い。
しかし“新人類”は、何と納豆を“昼でも夜でも”食べる。何度「憲法で決まっているのに・・・」と言っても聞かない。だからこの事は、もうサジを投げた。

この新人類が、今夜別のことを言い出した。昔から、人の名前で、どうしても体に入ってこないものがあり、その人と会った時に名前が出てこなくて困る事があると言う。
例えば、「村本さん」。「村」と来れば「村田さん」に“決まって”いるので、変化球を投げられても覚えられないという。「瀬」と来れば「広瀬さん」。だから「高瀬さん」は頭に入らない。つまり、急にひねられても、付いて行けないという。
「石」と来れば「石井さん」であって「石江さん」はダメ。「竹」と来れば「竹田さん」であって「竹野さん」はダメ。「倉」と来たら「倉田さん」であって、「永倉さん」は覚えられない。「下」と来れば「下田さん」であって「下野さん」はダメ。「高」とくれば「高田さん」と決まっているので「高野さん」はNG・・。(ここまで来ると、こっちこそとても付いて行けない)

しかし、この話は全く理解できない。とにかくヒドイ話だ・・・。
名前は千差万別であり、良い悪いの問題ではない。しかも、その当人の責任ではない。それなのに、勝手に自分が名前を覚えにくいからといって、相手が「石江さん」なのに、「石・・・・? エーと・・・、石井さんですよね!?」と言うのは、相手に対して失礼極まりない。
自分も名前を覚えるのは苦手だが、相手の名前を自分の好きに“修正”してしまう事など無かった。

しかも、この(くだらない)話を、会社から帰って、風呂も晩飯もそっちのけで、40分も聞かされている身にもなって欲しい・・・。だからこの“くだらない話”も、この「blogのネタ」にでもしないと、40分が本当のムダになってしまうのである。
(実はネタ切れで、当blogも大変なのであ~る)

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2008年11月18日 (火)

中村元の「観音経」(9/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 Image01261_2 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』を元に味わっていくもので、今日はその第9回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その9CDはこれ

に-じ-むーじんに-ぼ-さつ い-げ-もんわつ
爾時無尽意菩薩 以偈問白
せ-そんみょうそ-ぐ- が-こんじゅ-もんぴ- ぶつし-が-いんねんみょうい-かんぜ-おん
世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁 名為観世音
ぐ-そくみょうそうそん げ-とうむ-じんに にょうちょうかんのんぎょう ぜんのうしょほうじょ-
具足妙曹尊 偈答無盡意 汝聴観音行 善応諸方所

ぐ-ぜいじんにょうかい りゃっこうふ-し-ぎ- じ-た-せんのくぶつ ほつだいしょうじょうがん
弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願

が-い-にょ-りゃくせつ もんみょうぎゅけんしん しんねんふ-くうか- のうめつしょ-う-く-
我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦

け-し-こうがいい-  すいらくだいか-きょう ねんぴ-かんのんりき か-きょうへんじょうち
假使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池

その時、無尽意菩薩は偈(げ)をもって問うて曰わく
「世尊は妙相を具(そな)えさせたまえり われ今、重ねて彼を問いたてまつる
『仏子は何の因縁にて 名づけて観世音となすや』と。
妙相を具足したまえる尊は 偈をもって無尽意に答えたもう。
『汝よ、観音の行(ぎょう)の 善く諸の方所に応ずるを聴け。
弘誓(おおいなるちかい)の深きこと海の如く 劫(こう)を歴(ふ)るとも思議しえざらん。
多千億の仏に侍(つか)えて 大清浄の願を発(おこ)せり。
われ汝がために略して説かん 名(みな)を聞き及び身を見て
心に念じて空しく過(すご)さざれば 能く諸有(あらゆる)苦を滅せん。
仮使(たとい)、害(そこの)う意(こころ)を興して 大いなる火抗(かぎょう)に推し落とさんも
彼の観音の力を念ぜば 火抗は変じて池と成らん。

よく独立して唱えられている偈(げ=詩)の部分は、当記事の最初でも紹介している。(ここ)しかし、ここでもう一度、味わう事にしよう。
観音経は、前回までの「長行(じょうごう)=散文形式」の内容を、再び「偈(げ)=漢詩の形式)」で説いている。五文字の連続が何とも心地よい。
「観音」の別名は、サンスクリット語で「サマンタ・ムカ」(あらゆる方向に顔を向けた人)という。つまり、観音さまは、あらゆる方向に顔を向けて、それぞれの場所で苦しんでいる人を見、それそれの人に応じてみずからの姿を様々に変えて教えを説き、救って下さる。その変身は33身に及ぶ。
そして「念彼観音力」シリーズ(?)12の始まりである。今日のところは「①火難=火の坑(あな)に突き落とされて焼き殺されようとする難」である。観音さまを念ずれば助けてくれる・・・。

話は変わるが、今日の昼休み、会社の近くの高野山東京別院に散歩して、観音さまに(先週から気になっている)「カミさんの**が下がりますように・・」と念じてきた。でも、健康の事は、薬師如来の特技だった事に気が付いた。でも近くに薬師如来を祭っている寺を知らないので・・・
まあ観音さまは、何でも聞いてくれるはずなので、たぶん**は下がるだろう?甘いかな???

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2008年11月17日 (月)

「宇宙飛行士の亭主」~向井万起男氏の話

NHKラジオ深夜便「人生“私”流「女房宇宙飛行士との面白二人三脚」慶応義塾大学准教授…向井万起男」(1008/11/1放送)を聞いた。向井千秋という女性宇宙飛行士は知っていたが、その亭主がこんなにユニークだったとは知らなかった。
それに向井氏は自分と同じ年、そして奥さんの千秋さんがウチのカミさんと同じ年、ということもあって、興味深く聞いた。
向井万起男氏は、千秋さんも勤務していた慶応義塾大学病院の病理診断部部長で、医学部準教授だという。その向井氏が、千秋さんとの生活や、自分の医師としての信条等を語っていた。

おかっぱ頭が特徴だと言うのでNetで見てみると・・・、なるほど・・・(ここ)。 本人に言わせると、床屋で体を触られるとくすぐったくて笑ってしまうので、30数年前から髪を自分でカットするようになった。その髪型で一番楽なのがおかっぱだ、と言っていた。

病理診断部とは診断や治療効果を見るために、検体の組織検査、遺体の解剖等を担当する。よって臨床医と違って、直接患者と接することは少ない。その向井氏が、心臓外科医だった千秋さんと結婚したのは、39歳の時、千秋さんは34歳だったという。

千秋さんが宇宙飛行士に向いている点を挙げると、①どんな事態になってもパニックに陥らない。これは見事。何があっても沈着冷静に対処する。②どこでも何時でも簡単に眠ることが出来る。どんなにうるさい所でもアッと言う間に寝てしまう。これは特技。宇宙飛行士はスケジュール通りに眠る必要があるため、みな睡眠薬を持って行くが、千秋さんは飲んだ事が無いと言う。③一人になる事に強い。実家が忙しかった事もあり、親戚の家を転々としたり、医学部に入るために中学2年の時から東京でひとり暮らしだった事もあり、一人に強い。
千秋さんの一番の興味は食べ物。それに宇宙食は驚く位美味い。たぶん宇宙飛行士は、食べ物で不満は無いという。

しかし、結婚して22年。実際に一緒に生活したのは、「正味」で3年はない。現在も筑波と東京で別居中だという。これは、自分たちは「異常事態」「非常事態」だと思っている。しかし双方の家族も巻き込んで、お互いが本当に好きな事をやってきた。これからは、出来たら一緒にリタイアしたい。年齢的には遅くても4年後にリタイアだろう。そうしたら二人で好きなアメリカに行って、のんびりとドライブ旅行しながら大リーグを堪能するのだと言う。

しかしこのユニークさ。宇宙飛行士も普通の人ではなれないが、その亭主も普通の人ではなれないな・・・。本もたくさん出されている。
また医学部での講義も徹底して厳しいため、たぶん学生からは怖がられているだろうと言っていたが、そこには妥協の無い信条があるのだろう。

番組の最初に、アナウンサーが恐る恐る「“宇宙飛行士 向井千秋さんの亭主”という紹介で良いか?」と聞いていたが、向井氏はそれを楽しんでおり、むしろ誇りにされていた。しかし、向井氏のユニークさとその文才から、そろそろ「宇宙飛行士の亭主」を卒業して「オレの家内は元宇宙飛行士」に変わるような気がするが、どうだろう?

●メモ:カウント~23万

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2008年11月16日 (日)

テレビ朝日のドラマ「告知せず」を見て

ミーハーの自分は、「芸術祭参加作品」というとだいたい見る気になるのだが、昨夜放送されたテレビ朝日開局50周年記念ドラマスペシャル「告知せず」は、見応えがあった。(2008/11/15夜放送)HPは(ここ
医師である渡哲也が、妻・高畑淳子に末期がんの宣告を“しない”というのがテーマ。

このドラマでは、演技よりも“セリフの一つひとつ”が、色々な問題提起をしていたように思った。現代医療では、「告知」をするのは本人の残された時間を有効に使うこと、及び適切な治療を施すために必ず必要である、との論理で、まるでレールが敷かれたように、淡々と行われているようだ。(もしこれが、本人の気持ちを度外視しているとしたら問題だが・・・)
このドラマでも、(気が弱いので告知しないと家族が決めた)寿司屋の主人が、渡医師に「ウソをつかないで教えてくれ。残された時間で、自分の店の味を、跡を継ぐ息子に教えなければ・・・」と言って、元気で居られる時間が6ヶ月という事を知り、何とか間に合って「もう心残りは無い」と言って死んでいった例。
それに、健気な奥さんが告知された夫に「人は誰でも死ぬ、それが早いか遅いかの違い。あなたがやりたいような治療をしましょう。私は最後まで付き合うから・・・」と支える姿、等があった。

一方、このドラマでは、妻が「早く治って元気になりましょう、と言って!そしたらそこまで頑張って元気になるから・・・」という。そして渡が「元気になりましょう」と言う。それを見た研修医の息子は、「告知すべきだ」という自分の主張が崩れて行く・・・

このドラマの一番のセリフは、渡医師が講義で言う「ある人(実は妻)が、“いい医師になってくれ”と言うので、それはどんな医師だと聞くと、“患者の気持ちに寄り添える医師が良い医師だ”と言っていた」 「手術の腕を挙げたり、研究実績、論文も大切だが、それらは(医師の出世の為ではなく)人の命のためになされるべき」・・・

話は変わるが、一緒に見ていたカミさんが、キュブラー・ロス(「死の瞬間」の著者)は「人も動物なので、自分が死ぬことは必ず分かる」と言っていた・・、とか・・・
この番組でも、妻が亡くなった後に、台所から自分の死を前提とした手紙が見つかる。

つまり、「告知しないこと」は、決して相手を“だます”とかいう次元ではなく、家族が大切なものをそっとしておきたいとき、わざわざ口に出さないという選択肢もあるのではないか・・・という事を、このドラマは教えてくれたような気がした。

それにしても、今までは嫌われ役が(抜群にうまくて)多かった高畑淳子の、死に向かう演技は迫真。このドラマでは、渡哲也以上の存在感があり、さすがに大女優・・と思った。

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2008年11月15日 (土)

TVドラマ「風のガーデン」と「乙女の祈り」

このところ、フジテレビで(木)夜に放送中のドラマ「風のガーデン」(これ)にはまっている。つい、緒形拳の遺作だというので見始めたが、さすがに倉本聰の脚本だけあって味がある。
物語は、富良野で妻を浮気で自殺に追いやり、父親(緒形拳)に勘当された麻酔医・白鳥貞美(中井貴一)が、手遅れのガンになって絶縁状態の富良野に戻って行くというもの。緒形拳扮する父親の医師は、在宅緩和医療をすすめている。緒方拳は、自宅での看取りのため、各家庭を回る。そして、「尊厳死協会」のチラシが何気なく映る。
ある家庭で、息子が死直前の父を入院させろ・・と言うと、「入院をさせたら、病院は治療をしなければならない。だから切開して管を付ける。そして家族から離される。そして亡くなった後、何も出来なかったと家族に後悔が残る。だから本人の希望通り、家で最期を迎えさせてあげたら?」と諭す。このようなセリフを、まさに自分自身の死を目の前にした緒方拳が話す・・・

この「風のガーデン」は、「北の国から」「優しい時間」に続く「富良野三部作」の最終章として書かれたという。そういえば「北の国から」は、昔ビデオで全部見たっけ。いつだったか、単発物のSP「北の国から」を初めて見たときに、“これがウワサの「北の国から」か・・・”と感激(?)し、夏休みにレンタルビデオで、1981年からの連続ドラマや、その後のSPドラマを全部見た。
この「風のガーデン」もその雰囲気を伝えている。しかし、少し気になる所もある。息子の岳は自閉症っぽいが、絶対音感を持っており、ピアノの調律をし、ピアノも演奏する。少し出来過ぎかも?? でも“純な雰囲気”は良く出ている。それに余命数ヶ月という主人公が富良野に戻るが、末期がんであるにも拘わらず、あれほど他人に気付かれない生活が続けられるものか・・・?(もし自分だったら、気落ち落胆して到底普通の会話など出来ないだろうに・・・)加えて、緒形拳も自分の病気を外部に絶対に知られないようにしていたらしい。その精神力・・・)
ともあれ「風のガーデン」も、もう6回が終わった。あと4回で終わる?

前回の第6話(2008年11月13日放送)で、息子の岳がピアノで「乙女の祈り」を弾いている場面が出てきた。そして父親・中井貴一のチェロと合奏・・・。久しぶりに聞いた「乙女の祈り」であった。

最後にその「乙女の祈り」を聞きながら、緒形拳の冥福を祈り、ドラマの続きを期待する事にしよう。

<バダジェフスカ:「乙女の祈り」~クーパー(pf)>

ついでにバダジェフスカを調べてみたら、テクラ・バダジェフスカは1838年生まれのポーランドの女流ピアニスト・作曲家。この「乙女の祈り」は18歳の時の作品であるが、バダジェフスカが23歳で亡くなったため、この曲だけが知られているという。

(関連記事)
TVドラマ「風のガーデン」が終ってしまった

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2008年11月14日 (金)

電話機を買い替えた

居間の電話機を買い換えた。
先日、居間の電話機の子機で電話をしていたら、妙にノイズが多い。てっきり相手が携帯電話で話しており、周囲の道路の騒音が入っている・・と思ったら、原因は、何と自分の電話機の子機と親機のワイヤレスの部分だと分かった。この修理は、さすがに出来ない。
とうとう寿命・・・と思い、買い換える事にした。今までも、何度か買い換えようとしたが、まだ使えるから・・と、なかなか踏ん切りがつかなかった。しかしそろそろ潮時・・・。
しかし、このシャープ製の電話機は、今まで殆ど故障も無く、良く生きていたものだ。調べたら、買ってからちょうど12年・・・。

電気屋でシャープのカタログを貰って来て買う機種を研究・・・。ドアホンをそのまま使うため、メーカは今まで通りシャープである。
余計な機能は不要。いちおうFAXが付いていて、子機が2つ。電話帳に漢字が出るのが良いな・・・と思うと、UX-D28CWに決まる。
いつものように、価格com(ここ)で見ると、何と、送料込みでたったの18,500円。あまりの安さにビックリ。それで、一昨日の夜に注文して、昨日銀行に振り込んだら、もう今日着いた。

P10306231 どうも機械が来ると、食事そっちのけでつい夢中になってしまう。今日も、夕食もそそくさと、設定をする。いやはや、なかなか頭が良い機械だ。電話帳も親機に漢字登録すると、子機に簡単に転送され、漢字で表示される。使い方も携帯電話と同じ・・・。
繰り返すが、とにかくワイヤレスの子機が2台付いて、FAXも使えて、それで18千円はあまりに安い。今まで使っていたファクシミリ電話機は、子機1台で44千円だったのに・・・
しかも大きさが一回り以上小さい。もちろん子機の大きさも・・・(写真で手前の白いのが新品。後の黒いのが旧型)

今更ながら、(今回のファクシミリ電話機に限らず)機械物は時代と共に急速に高機能で安価になる。そのテンポには目を見張る。
長生きはするものである・・・・。(ナ~ンテ、爺臭いか・・・・?)

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2008年11月13日 (木)

最新の世界人口は67億人

ベスト10好きの当blog。このデータも、残さないわけにも行くまい。

国連人口基金(UNFPA)が2008年11月12日に「08年世界人口白書(これ)」を発表した。それによると、世界人口は67億4970万人で、昨年よりも1億3380万人、5年前よりも4億4820万人増えたという。ベストテンは下記の通り。

<08年世界人口白書>
世界人口      67億4970万人
①中国        13億3630万人
②インド       11億8620万人
③米国        3億 880万人
④インドネシア    2億3430万人
⑤ブラジル       1億9420万人
⑥パキスタン     1億6700万人
⑦バングラデシュ   1億6130万人
⑧ナイジェリア    1億5150万人
⑨ロシア        1億4180万人
⑩日本         1億2790万人

最近の平均増加率は、中国が0.6%、インドが1.5%となっており、このままだと、2022年にはインドが中国を抜いて1位になるという。
一方、日本は5年前とほぼ同じだが、2050年には1億 250万人に減ると見込まれているとか・・・・。米英仏などの先進国は増加が見込まれいるというのに、日本は何とも寂しい・・・
(お恥ずかしい話だが、“ナイジェリア”ってアフリカのどこだっけ? と、つい地図を広げてしまった。そしたらアフリカ中央の西海岸、直角に切り取った角の所にあった・・・

せっかくなので、人口が少ない方もメモしておく。

<人口の少ない国のベスト10>
①バチカン            1千
②ナウル           1万
③ツバル           1万1千
④パラオ           2万
⑤サンマリノ          3万1千
⑥モナコ           3万3千
⑦リヒテンシュタイン    3万5千
⑧セントキッツ・ネービス   5万
⑨マーシャル諸島      5万9千
⑩ドミニカ国         6万7千

    (2006年版より)

これでもつい“セントキッツ・ネービス”って、どこだ? と地図を見てしまった。そしたら、キューバのそばだって・・・

話は全く関係ないが、今日帰ったらカミさんが「明日は何の日か知っている?」と聞く・・。ドキドキしながら「11月だと結婚記念日は23日だし・・」と小声で言うと、「13日でしょ!」と言いやがる。「何でいちいち覚えていられるか・・・」と思いつつ、「何年目だ?」と聞くと33年目だという。33回忌はあっても(失礼!)、結婚33周年は特に名前が無い・・・。

・・・・とカミさんの大声! 「あらいやだ!13日は今日じゃないの!」
かくして、バカバカしい結婚記念日の話はチョン・・・
(30年以上も経って、未だにこの日を意識している女性は、なかなか理解できない・・・)

まあウチは人口増加にも人口減にも貢献していない。つまり子供が二人なので・・・・
(何とも、うまく最初の人口の話に戻らないまま終わる今日のいい加減な記事でした。)
<追>カミさんが「本当に33年なの?」というので、よく数えたら“32年”だった! もうボロボロ・・・の「32周年記念日」でした(まる)

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2008年11月12日 (水)

映画「レッドクリフ Part1 」を見る

「なかなか見応えがあった」というカミさんの友人の話に釣られて、映画「レッドクリフ」を見に行った。このような映画を「活劇」というのだろう。また「怒濤」という言葉が相応しい?

舞台は「三国志」の、まさに「レッド(赤)クリフ(壁)の戦い」。11月に封切られたのはそのPart1で、Part2は来年4月の封切りとか。
スジは至って簡単。漢の丞相・曹操は天下統一を旗印に、80万の大群で劉備軍2万を撃破。劉備軍の軍師・諸葛孔明は、敵である孫権軍3万と同盟を結ぶべく乗り込む。そして孫権軍の司令官・周瑜の信を得て、同盟を結び、孔明の奇策「九官八掛(きゅうかんはっけ)の陣」で勝利。そして舞台はPart2の「赤壁の戦い」へ・・・・

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制作費は、中日台韓からの出資100億円。合戦シーンのため人民軍兵士1000人、それに200頭の馬・・・。確かに合戦シーンは物凄い迫力だ。TVと違って劇場で見る映画は、とにかく音がスゴイ。ド迫力・・・。 しかし、アップした合戦シーンなので、あまりに動きが激しく、目が疲れる。それに、昔の「ベン・ハー」の戦車の競走シーンと違って、今はCGが当たり前の時代なので、幾らスケールの大きいシーンを見ても、「どうせコンピュータによる作り物だろう・・」とあまりビックリしない。

物語は、(予想に反して)主役が周瑜と孔明。孔明は、(上の右の写真のように)品があってなかなか良い。そして、関羽や張飛も、我々のイメージ通りの姿で宜しい。しかし、悪役の曹操が少し善人っぽい。そして、若き孫権役も良いが、劉備は影が薄かった。
全体を通して「徳」の思想が流れている。民を何よりも大事にする「徳」の劉備。それに対して「徳」の無い曹操は、日夜刺客に殺されるのでは・・・と思い、部下は曹操に殺されるのではないかと思う・・・。

映画を見ながら、色々な事を“連想”してしまった。ぬかるみの合戦シーンでは「七人の侍」。関羽と張飛の戦いぶりは、歌舞伎の“大見得”か? まあバイオリンコンチェルトで言うと「カデンツァ(独奏者の妙技)」かな? でも、猛将が1人ずつ出てきては、数十人を相手にやっつけるシーンの連続は、豪傑・張飛達の存在感を示すには必要なのだろう。

映画に行く前に「レッドクリフ」の公式HP(ここ)を見たのだが、これまたビックリ。予告編を含めて、何でも有る素晴らしいサイトである。このサイトの製作にも相当な金を遣っているのだろう。いやはや時代は変わった・・・

話は変わるか、昔、吉川英治の「三国志」に何度かチャレンジしたが、何れも挫折した。理由は、あまりに登場人物が多いのでついて行けなかった。その点、この映画は人物がそれほど多くないので助かる。

全体的な印象は、自分は「まあまあかな」だったが、カミさんは珍しくプログラムを買うという。来年4月のPart2も見るとして、3度目の正直で、そのうち吉川英治にもチャレンジしてみようかな・・・

(関連記事)
映画「レッドクリフ Part2」を見る

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2008年11月11日 (火)

こんぶ養殖事業に賭ける人生~長谷川由雄氏の話

NHKラジオ深夜便で、こんぶ養殖事業に賭けた長谷川由雄氏の話を聞いた。そして、こんな「見える成果」のある人生は、素晴らしいな~、と思った。番組は、「こころの時代“こんぶの浜、賑わい再び”元水産庁北海道区 水産研究所所長 長谷川由雄」(2008/11/4~5)。

長谷川由雄氏は1919年(大正8年)生まれの89歳。函館高等水産学校(現北海道大学水産学部)で初めて海藻と出会い、北大理学部で学び、北海道水産試験場に勤務して以来、60年余り昆布の研究をされている。
恩師に言われた「学問は産業に役立つこと」という言葉を座右の銘とし、その研究姿勢は徹底した「現場主義」を貫いた。そして、浜に這いつくばるようにして昆布を研究。そして、特殊な培養液の水槽の中で4000ルクスの光をあて、昆布の苗を作り出す事に成功。1966年には、北海道開発局の委託試験事業として、南茅部町(現函館市)で、海での試験事業をスタート。早くも1967年には養殖事業が大成功。1年の養殖で、天然2年もの近くまで成長し、市場では天然ものの8割の値が付いて、関係者もビックリ。そして1969年に本格的な養殖事業が始まり、1985年には生産量で天然ものを上回る規模にまで成長したという。もちろん品質も最高級。(昆布の収穫量は、今は減って天然物が14000トン、養殖物が5000トンだという)
この昆布の養殖技術の成功は、取る漁業から育てる漁業への転換をもたらすと共に、漁民の出稼ぎや、浜の過疎化を食い止め、浜は「家族総出の大忙し」に激変した。
その成果に、早速アメリカとカナダから問合せが来た。それは「パテント(特許)」を一切取らなかったから。
長谷川さんは言う。「国から給料を貰っている研究者が、国の施設を使って、どうしてパテントを取って自分の懐に入れられますか?」。だからパテントなど最初から考えなかった。皆に自由に使ってもらって、皆の生活が豊かになればそれで良い、という大らかな気持ちだった。それに、持って行っても出来ないところ(海)では出来ない。ロシア、中国、北朝鮮など、色々と技術援助をしたが、うまく行かなかった。日本海でもうまく行かなかった。
そして最後に長谷川さんは憂いていた。「道の行政では、もう海藻は済んだ。次は魚だ・・・」と、海藻をやる後継の研究者がいない。その歪がある。自分もトシ・・・。これから後が心配・・と。

話は変わるが、Netで長谷川さんを検索しても殆ど出てこない。唯一引っ掛かるのが、北海道開発局函館開発研究部のHP(ここ)。このHPには、“怖そうな”長谷川さんの写真もある。まあこの話題が、1960~1970年代という、Net時代のかなり前のせいかも?

しかしこの話を聞いて、人生で「俺はこれをやった」と言える“目に見える”成果を挙げられた長谷川さんの人生は素晴らしいもの・・・。しかも、浜の「出稼ぎ」生活を一変させた恩人でもある。
まあ羨むつもりも無いが、普通のサラリーマンだと、一生かかってもなかなかそんな業績を挙げられない。そういえば、昔、ダム設備に付帯の機械を納入した時、ダム建設事務所の役人が「ダムは男一生の仕事」と言っていたっけ。ダム建設は、数十年の長期の仕事なので、人生をかけた「自分の作品」と言えるのだろう。

ん? 自分の作品・・? 幾ら(定年で)卒業間近でも、仕事での“自分の作品”ナンテ、無いよね・・・

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2008年11月 9日 (日)

「東京裁判」の“還暦”に思う・・・

この11月12日で、極東国際軍事裁判(東京裁判)」の判決から60年。人生にたとえると、還暦を迎えるという。新聞でも、それに関した記事を時たま見かける。今朝の日経にも「全員無罪のパール判決~割れた判事団」(P34)という囲み記事があり、11月1日の朝日新聞にも「東京裁判から60年 「第二の人生」で徹底分析を」というコラムがあった。

この記事とは直接関係ないが、先日、ある人と「(自分の無学がバレるため)誰にも聞けない自分の疑問・・・」を聞いてしまった。そうしたら、こんな回答をもらった。

Q1)東京裁判を代表に、戦勝国が敗戦国を裁くというのはどういう根拠か? 逆に、日本がアメリカに勝っていたら、アメリカに乗り込んで行って裁判が出来たのか?
A1)ドイツを裁いた「ニュルンベルク裁判」と、この「東京裁判」しか例が無い。敗戦国内で戦争犯罪者を裁くことは難しいので、代わりに裁いたともいえる。裁判なので法に則るが、事後法であり、法的根拠はあまりない。

Q2)戦後(1945年8月15日)、ソ連がズカズカと侵略してきて、南樺太(8月25日)や北方領土(8月28日~9月5日)を占領したが、これはなぜ許されているのか?
A2)終戦の日が何時かが議論になるが、8月15日は日本がポツダム宣言の受諾を表明しただけで戦争は終わっていないというのが論拠。そして、それが認められてしまっている。終戦は、ポツダム宣言受諾の降伏文書に調印した9月2日など諸説ある。

Q3)敗戦国が戦勝国に「賠償金」を払うのは、どのような論拠か? 「けんか」をした両者は、勝負がついた時点で、それぞれの被害はそれぞれが負うべきでは?
A3)「戦争に勝つ」という事は、勝った方の論が正しかったということ。よって、最初から敗戦国が勝った方の論を認めていれば、本来、戦争はしなくても良かった。よって論が正しかった(勝った)方の「戦争の費用」は、論が正しくなかった(負けた)方が弁償すべき、となる。

いちおう、「なるほど・・・」と頷いてはみたが、まだまだ自分は不勉強だ。つまり、この論が正しいのかも含めて、もう少し勉強が必要・・・。
よって次の機会に、この議論が正しいかも含めて、“続き”をする事にした。

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2008年11月 8日 (土)

中村元の「観音経」(8/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 Image01261 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第8回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その8CDはこれ

むじんに ぜかんぜおんぼさつ じょうじゅにょぜくどく いしゅじゅぎょう ゆうしょこくど
無尽意 是観世音菩薩 成就如是功徳 以種種形 遊諸國土
どだつしゅじょう ぜこにょとう おうとういっしんくようかんぜおんぼさつ
度脱衆生 是故汝等 応當一心供養観世音菩薩
ぜかんぜおんぼさつまかさつ おふいきゅうなんしちゅう のうせむい ぜこししゃばせかい
是観世音菩薩摩訶薩 於怖畏急難之中 能施無畏 是故此娑婆世界
かいごうしい せむいしゃ むじんにぼさつ びゃくぶつごん せそん
皆号之為 施無畏者 無尽意菩薩 白仏言 世尊
がこんとうくようかんぜおんぼさつ そくげきょうしゅうほうしゅようらくげじきひゃくせんりょうごん
我今當供養観世音菩薩 即解頸衆宝珠瓔珞價直百千両金
にいよし さくぜごん にんじゃ じゅしほっせちんぽうようらく じかんぜおんぼさつ
而以与之 作是言 仁者 受此法施珍宝瓔珞 時観世音菩薩
ふこうじゅし むじんに ぶびゃくかんぜおんぼさごん じんしゃ みんがとうこ じゅしようらく
不肯受之 無尽意 復白観世音菩薩言 仁者 愍我等故 受此瓔珞
にじ ぶつごうかんぜおんぼさつ とうみんしむじんにぼさつ ぎゅうししゅう
爾時 仏告観世音菩薩 当愍此無尽意菩薩 及四衆
てん りゅう やしゃ けんだつば あしゅら かるら きんならまごらか にんぴにんとうこ
天 龍 夜叉 乾闥婆 阿脩羅 迦褸羅 緊那羅 摩羅伽 人非人等故
じゅぜようらく そくじかんぜおんぼさつ みんしょししゅう ぎゅうおてん
受是瓔珞 即時観世音菩薩 愍諸四衆 及於天
りゅう にんぴにんとう じゅごようらく ぶんさにぶん いちぶんぶしゃかむにぶつ いちぶんたほうぶっとう
龍 人非人等 受其瓔珞 分作二分一分奉釈迦牟尼仏一分奉多宝仏塔
むじんに かんぜおんぼさつ うにょぜじざいじんりき ゆうおしゃばせかい
無尽意 観世音菩薩 有如是自在神力 遊於娑婆世界

「無人意よ、この観世音菩薩は、かくの如きの功徳を成就して、種種の形を以って、諸の国土に遊び、衆生を度脱(すく)うなり。この故に、汝等よ、まさに一心に観世音菩薩を供養すべし。この観世音菩薩摩訶薩は怖畏(おそれ)の急難の中において、能く無畏(むい)を施す。この故に、この娑婆世界に皆これを号(なづ)けて施無畏者(せむいしゃ)となすなり。」

この「無畏(むい)」は、さきほど申したように、畏れのないこと。つまり安全にしてくださる、畏れを去ってくださる、という意味です。だから、観音さまのことを「施無畏者」といいます。無畏を施す、与える者というわけです。

無尽意菩薩は、仏に白(もう)して言わく「世尊よ、我今、まさに観世音菩薩を供養すべし」と。すなわち頸(くび)の衆(もろもろ)の宝珠(ほうじゅ)の瓔珞(ようらく)の価、百千両の金(こがね)に直(あたい)するを解きて、以ってこれを与えて、この言(ことば)を作(な)す「仁者(きみ)よ、この法施(ほっせ)の珍しき宝の瓔珞を受けたまえ」と。
時に観世音菩薩は肯(あ)えてこれを受けず。無尽意菩薩はまた、観世音菩薩に白(もう)して言わく「仁者(きみ)よ、我等を愍(あわ)れむが故に、この瓔珞を受けたまえと」と。
その時、仏は観世音菩薩に告げたもう「まさにこの無尽意菩薩とおよび四衆と天・竜・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦褸羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩羅伽(まごらか)、人・非人等を愍れむが故に、この瓔珞を受くべし」と。
即時(そのとき)、観世音菩薩は、諸の四衆および天・竜・人・非人等を愍れみて、その瓔珞を受け、分かちて二分と作し、一分は釈迦牟尼仏に奉り、一分は多宝仏の塔に奉れり。
「無尽意菩薩よ、観世音菩薩には、かくの如き自在の神力ありて、娑婆世界に遊ぶなり」と。

そこで、そういう教えを聞きまして、無尽意菩薩は「ああ、わたしも観音さまを供養しましょう」と言い、瓔珞、宝の玉を連ねてあるような首飾り、それをさし上げて「これを受けてください」。そうすると、観音さまはそれを受けなかった。無人意は重ねて、「われらを愍(あわ)れむがゆえに、この瓔珞をお受けください」とお願いした。
すると仏さまは、観音さまに「とにかくみな生きとし生けるもののためにこれを受けなさい」といわれた。そこで観音さまは生きとし生けるもののために、その瓔珞、首飾りを受けて、分けて二つにして、一つは仏にさし上げ、一つは多宝仏の塔に奉った、というのです。
どこまでも生きとし生けるもののことを考えられるけれども、自分では受けない、という崇高な気持ちがここに具象的に表現されております。

ここの所は、主役の観音菩薩と、衆生の代表としての無尽意菩薩、そしてアドバイザーとしての仏さま(釈迦牟尼)が絵のように見える。
仏教には「布施」が3種類ある。金や物を施す「財施」、教えを説く「法施(ほうせ)」、そして人に無畏を施す「無畏施(むいせ)」。観音さまは人々が恐怖におののいている時に「心配しなくてよいよ」と安心を与えてくださる。だから「施無畏者(せむいしゃ)」とも呼ばれる。

次に、無尽意菩薩は、観音菩薩を供養するために、自分が身に付けていた瓔珞(ようらく=サンスクリット本では真珠の首飾り)を観音さまに差し出す。しかし、観音さまは、自己の仏道修行として人々を救済されてきたので、それを受け取らない。受け取ったらそれは修行ではなくなってしまうので拒否。しかし無尽意菩薩は、一度断られて引っ込んでは男がすたる。再度受け取るようにチャレンジ。すると、見かねた仏さまが受け取るように、とアドバイス。そして観音さまは「そこまで言われては」と受け取る。しかし、受け取った瓔珞を二つに分けて、一つを仏さまに、もう一つを多宝仏の塔に掛けたんだってさ・・・

まあ我々が住む娑婆世界では、何でも自分のため、自分の家族のため等々、自分たち中心に物事を考えて行動してしまう。その点、さすがは観音さま・・・・。

しかし我々も、このトシにもなると「無畏施(むいせ)」が一番有り難いような気がする。例えば病気になったとき、手術をする時など、金も物も、何も有り難くない。有り難いのは、まさに「安心」の心。観音さまは、まさに我々の味方である。

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2008年11月 7日 (金)

ヴェルディ:「レクイエム」<怒りの日>

今日はなぜか、この曲を聞きたくなった。「怒りの日」である。音楽は幾多あるが、「怒り」を表しているものは意外と少ない。
その中で、「レクイエム(死者のためのミサ曲)」の第3曲「怒りの日」は、その代表曲かも知れないな・・・。
当blogのクセだが、そのサワリだけを聞き比べてみる。アバド、ゲルギエフ、プラッソンの3つである・・・

<<ヴェルディ:「レクイエム」~怒りの日>>

<クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィル/スウェーデン放送合唱団他>(CDはこれ

<ゲルギエフ指揮 キーロフ歌劇場管弦楽団>(CDはこれ

<ミシェル・プラッソン指揮 トゥールーズ・キャピトル劇場管弦楽団>(CDはこれ

3.怒りの日 (Dies irae)

Dies irae, dies illa
solvet saeclum in favilla,
teste David cum Sibylla
Quantus tremor est futurus,
quando judex est venturus
cuncta stricte discussurus.

怒りの日よ、その日
地上は灰に帰する
ダヴィデと巫女の予言のように。
何という恐怖の来ることか
審判者が至り
ものみな厳しく試される時は。

演奏の評はしないが、どの演奏も「怒り」がみなぎっている。何に対する怒り?
Wikipediaによると「怒りの日(Dies irae)とは終末思想の一つで、キリスト教において世界の終末、神あるいはキリストが過去を含めた全ての人間を地上に復活させ、その生前の行いを審判し、神の主催する天国に住まわせ永遠の命を授ける者と地獄で永劫の責め苦を加えられる者に選別するとの教義、思想。または、それが行われる日。」とある。

「レクイエム」は、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレが有名だが、昔から良く聞いたのは、モーツァルト。そしてヴェルディは、この「怒りの日」だけを聞いていた。そして、フォーレは自分とは肌が合わなかった。
ヴェルディの「レクイエム」は長い。CDでも2枚。実を言うと、この「怒りの日」だけは好きだが、でもそれは最初の部分だけ。つまり、自分が聞くのは、上の部分だけか・・・?

でも、「ある部分だけ好き」、というのがあっても良いような気がする。何も全体を通して、好き嫌いを評しなくても、“ここの所が好き・・”でも・・。(クラシックの愛好家からみると「邪道」・・・?)

話は変わるが、当blogは先週末niftyにより「閉鎖」されてしまい、再開するためにかなりのファイルを削除した。(これは仕方が無いが・・・)
でも、ヴェルディは1901年に亡くなっており、死後50年を大きく越えている為、削除の心配は無い・・? もちろん“歌詞”も数百年前だ・・

でもこの「怒りの日」は、実に大規模な曲であり、迫力があるよね・・・

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2008年11月 6日 (木)

NHKラジオ深夜便「こころのエッセー」賞から

NHKと雑誌「ラジオ深夜便」が創刊100号を記念して「こころのエッセー」を募集し、その入選作の朗読が放送された。(2008/10/27~29)
番組によると、全部で746編の応募があり、「こころのエッセー」賞2編、佳作7編を決めたとか。そして応募者は27歳から100歳まで、平均年齢は72歳だったという。
その中で「こころのエッセー」賞を取ったのが、「折れた三味線」というエッセー。村上清さんという92歳の方の作品だ。少し聞いてみよう・・・

特別審査員の漫画家・やなせたかし氏は、この作品を、「この話は、あまりにも出来過ぎている。一番最後に若い芸者さんが盲目になっていて三味線のお師匠になっているなど、まるで小説のようで、迷った。でも92歳の方の作品と聞いて、許せるかなと思った。もし70歳だったら、ちょっと作り過ぎだと言っていたと思う」と評している。
同じく、脚本家の内館牧子氏は、「この作品は、ダントツで最高点を付けた」と言っており、「うそ臭いとか、作った物語とか思う方も居られるだろうが、一服のエッセーとして、また物語として抜群に良く出来ている。これだけのものを書く人は、ただ者ではない。どうしたらこのような人になれるんでしょう?」と絶賛していた。
ちなみに、NHKの方が村上さんを訪ねて、「すごいお話ですね」と言ったら、「もちろん全て事実です」と話されていたとか・・・
それほど、この作品は素晴らしい出来なのである。つまり情景が目に浮かぶのである。村上さんは戦争体験を同人誌に寄せたりしている方だそうだ。それに、佳作の作品も大変な文章力なのである。

自分はこの放送(作品)を聞いて、実は「これはエッセーというより“短編小説”ではないか?」と思った。
そして、広辞苑を引いてみた。そしたら「エッセー=①随筆。自由な形式で書かれた思索的色彩の濃い散文。 ②試論。小論」とあった。
そして「随筆=見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。漫筆。随想。エッセー」とある。
なるほど・・・。「見聞」、「経験」か・・・・。

しかし、深夜の番組だというのに、元気に(?)ラジオ深夜便を聞いている人たちが多い。そしてその視聴者は、人生の大先輩であると同時に、何と博学の方が多いことか・・・。まあ還暦一年生の自分など、その先輩に比べると、まだまだ「初心者」「洟垂れ小僧」・・・ということか・・・・・。

(関連記事)
第4回NHKラジオ深夜便「こころのエッセー」賞から(2010年3月放送)

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2008年11月 5日 (水)

小説「氷点」が出来るまで~三浦光世氏の話

今夜は、世界中が米大統領選挙でのオバマ氏当選の話題一色である。しかし当blogはそんな事とは関係なく・・・・

TVに続いてラジオで、小説「氷点」等の三浦文学を支えた夫君 三浦光世氏の話を聞いた。そして正に三浦文学は“おしどり夫婦”の努力の結晶だった事を改めて知った。

番組のひとつはNHK教育「こころの時代~宗教・人生「祈り 苦難をともに40年」(2008年10月26日AM5:00)、二つ目は同じく11月1日のNHKラジオ深夜便〔こころの時代〕「三浦綾子と歩んだ40年」三浦綾子記念文学館館(ここ)長 三浦光世(深川市のつどいで収録)である。両方とも、話されている内容はダブルが、TVの方は対談、ラジオの方は講演であった。素人の(失礼)三浦氏は、対談の方はアナウンサーが話を引っ張ってくれるので話し易いが、講演の方は自分で進めるため、大分苦労されていた。しかし、どちらの話も三浦文学の生みの過程を話されていて面白かった。

二人の出会いのきっかけは、結核療養所の交友誌「いちじく」の札幌の主催者が、「旭川には、(旧姓)堀田綾子と三浦光世がいるので、“女性通し”励まし合ったら良い」と手紙をくれたこと。それは、主催者が「光世」という名前から女性と勘違いされたもの。仕方なく、1955年6月18日、三浦さんは堀田さんの家に行くが、綾子さんの母親が、男性が訪ねてきたというので追い返せばそれで終わったが、どうぞどうぞと、家の奥の病室に案内してくれた。そのとき、綾子さんは33歳、(24歳で結核を発病し)脊椎カリエス等で7年間寝返りが打てない状況だった。病床の綾子さんから、聖書の一番好きなところを読んでくれと頼まれ、ヨハネによる福音書14章を読んでやった。そこには「天国に行っても、そこには住む所が沢山あるので心配することが無い」と書いてあった。これは、いつ治るか分からない病人相手にふさわしい内容ではなかった。しかし、綾子さんは怒りもしなかった。その後、「祈ってくれ」と言われて「神様、堀田綾子さんをお癒し下さい。もし私の命が必要であればどうぞ取り上げて下さい」と余計なことを言ってしまった。そしたら綾子さんはビックリしていた。
1959年元旦、綾子さんがが「来年もこうして来てくださるんでしょうか?」と聞くので、「来年は、あなたと二人で、お父さんとお母さんに元旦の挨拶に参りましょう」。これがプロポーズの言葉だったとか・・・
1959年5月24日結婚式。時に綾子さん37歳、光世さん35歳。綾子さんは病気で、結婚できると思っていなかったので、非常に喜んでくれたとか。そして9畳一間で、新婚生活が始まった。数ヵ月後、営林署の出張のついでに行った層雲峡の保養所が新婚旅行だった。それでも綾子さんは非常に喜んでくれたという。

1963年元旦、堀田さん宅に元旦の挨拶に行った際、朝日新聞の懸賞募集の記事を綾子さんの弟に見せられた。それから1年掛けて小説を執筆。題の「氷点」は光世さんが思い付き、締め切りギリギリの12月31日の消印を郵便局で押して貰って、原稿は放たれて行った。そして731作品の中から「氷点」が当選した。でも、貰った1000万円の懸賞金のうち、450万円が税金で持って行かれた。・・・などなど、なかなか面白く話されていた。

講演は、そこまでの話だが、TVでの対談の番組は、二人の口述筆記の様子も映していた。光世さんは、初めて口述筆記をしたとき、「ものすごく楽なのでこれからそうしてほしい」と頼まれ、それから口述筆記を始めたとか・・。光世さんは、綾子さんの「流れ」を乱さないために、なるべく早く書くようにし、そして決して否定的な反応はしなかったとか・・・。
そして1966年に営林所を辞めて、綾子さんの執筆の手伝いをしたが、合計で世に出した本が90冊以上。その一冊一冊に、綾子さんの光世さんへの謝辞が書かれている。

小説「氷点」は、自分にとってTVドラマが思い出深い。両親役の芦田伸介、新珠三千代、そして、陽子役に内藤洋子。これが放送されたのが1966年1月という。映画も同じ年・・・。
自分が大学に入った年だ。自分はこの「氷点」をきっかけに、その後「塩狩峠」など、何冊か三浦文学を読んだ。

そして自分も若かったので、「陽子」には何か惹かれた・・・。
その後、初めて子供が出来たとき、「女の子だったら陽子と付けようか?」と言って、何故かしらカミさんに反対されたっけ・・・。(もしかしたら“語源”が「氷点」だったことがバレていた?? まあ男だったので、何事も無かったが・・・・)

でも、この三浦光世氏の話は、三浦夫妻のお互いの「尊敬の念」が強く感じられ、そして、この真に思いやり合う夫婦の姿に、三浦文学が、光世さんの存在があったからこそ生まれた文学であることを知った。なかなか我々凡人には真似が出来ない事である・・・

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2008年11月 4日 (火)

全日本剣道~一瞬のスキ

昨日、何となくTVをつけたら、剣道の試合をやっていた。剣道の第56回全日本選手権の決勝戦だった(2008/11/3)。その緊張感、一瞬をつく試合に、「時間」というものの不思議を感じた。

試合は、10分の制限時間を越えて時間無制限の延長戦に入り、19分58秒に、上段の構えの正代賢司選手が、若生大輔選手をメンで破って優勝した。(ここ
自分はもちろん剣道など全く分からない、でも解説者が言っていたように、広い日本武道館が緊張でシーンと静まり返り、まさに固唾を呑む・・・。
素人目には、終始、中段の構えの若生選手が喉元を攻めて押しているように見えた。そして、上段の構えの正代選手が、メンを片手で打って、入ったか?と思っても審判は動かない。素人の見る「当った」のと、審判の見るメンが入ったのとは、どうも基準が違うらしい。
チャンバラ映画の、侍が睨み合って「スキ」を窺い、一瞬を突いて勝負が決まるのは、剣道の試合と同じ。真剣だったら、まさに命が懸かった緊張だ。
そして一瞬、パーンという音と共に、どよめきと白旗が二つ・・・・。そして、試合後、面を取ると汗びっしょり・・・。

悠々と流れる時間(別にリタイア後、という意味ではないが・・・)。そして、何のスポーツでも同じかも知れないが、“一瞬”に賭ける勝負。その時間の対比を、何か感慨深く感じてしまった。

剣道か・・。そう言えば、下の息子が小学校に入る前に剣道をしていたっけ。胴着一式を買い、剣道場に通った。そして家に会社の人が来ると、得意になって剣道着姿を見せていたっけ・・・・・、ナンテ思い出した。

そう言えば、自分だって剣道はしたことがあるゾ・・。
高校の時、体育の時間に剣道、柔道が必須だった。初めて身に付けた剣道着。先生が、胴を空けて「打て!」と大きな声。自分は夢中になって「ドウ!」と打った!(つもり・・)。そしたら「イテー!」と先生・・・・。(ムリだよね。自分は、メガネを取って剣道の面を付けているので、先生の胴がどこにあるか、見える訳ないものな・・・)

上段の構えの優勝は25年ぶりとか・・・。良く分からないが、「一瞬」を堪能した(?)TV観戦であった。

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2008年11月 3日 (月)

TV番組「美の京都遺産」

秋もたけなわ。この連休は、“TVで”京都見物をしてしまった。(何とお手軽な・・・)

BS-iで毎日曜日のAM6:45~7:00に、毎日放送制作の「美の京都遺産」という番組を放送している。(ここ) (MBSの55周年記念番組のようだ) 大分前から、この番組を見ようかと録画予約しておいた。それが溜まりに溜まって、50番組以上になり、この連休にまとめて幾つか見た。そして素晴らしい京都を堪能した(??)。

自分は、ドキュメンタリー番組は殆どがNHKで見ている。民放のドキュメンタリーはあまり期待していなかった。しかしこの番組の、色彩の素晴らしさに目を見張った。正味10分少しの番組だが、撮影が非常に丁寧。「遺産」と銘打っているように、また京都仏教会が監修しているだけに、番組作品としても「遺産」としての価値を意識しているかのようだ。

番組の中では、必ずその寺のお坊さんよる「ひと言」がある。たまたま見た2008年8月31日放送の「相国寺 (vol.30)」では、臨済宗相国寺派管長 有馬頼底氏が「山川草木悉皆成仏(どんなものにも仏の心がある)」の解説をしていた。また「無事是貴人」についての解説、つまり「無事であるということ、何事も無いということがいちばん尊いことなのだ。何が無いか?心の中になにも懸念することが無い、空っぽ、無であるということ。これが一番尊い人の姿なのではないか」という解説が耳に残った。

同じような番組ではBS朝日で2003年頃放送された「五木寛之の百寺巡礼」が有名で、殆どを見落とした自分は、ぜひ再放送を願っているが、このような番組は、見ていて心が静かになる。だから最近は、寝る前にこのシリーズを1~2つ見ている。不思議と気持ちが落ち着くので・・・

しかし、ホンモノにはかなわない。その内に、本物を見に、奈良・京都を定期的に訪ねたいものだ。昔、仕事での出張帰りに奈良も京都も一通りは回ったものの、トシを取ってのゆったりした訪問は、また別の思いに浸れるかも・・・・。

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2008年11月 2日 (日)

スーパー銭湯でのいっときの幸せ

久しぶりに息子が帰ってきたので、カミさんにせがまれて、3人で近くのスーパー銭湯に行った。湯楽の里という(ここ)。でも、意外と楽しめた。(それでここに書く気になった。でも、何といういい加減なタイトルだろう・・・・)

P10302621 実は今ネットで調べてみて、それらをスーパー銭湯と呼ぶことを知った。あまり風呂好きでない自分は、この店に行ったのは初めて。日曜日は780円。風呂の種類は多く、ジェットバスを始め、露天、壷湯、うたた寝の湯、シルク風呂からサウナまで、HPで数えると17種類。自分は日頃は入れないサウナへ・・。
いつも思うが、サウナとは不思議な風呂である。80℃以上の環境でも人間は生きている・・。息をして、肺は大丈夫か?? どう考えても理解できないので、初めてサウナに入った時は、緊張しっ放し。でも汗をかいた後はさっぱり。今夜も主はサウナ・・・。でもこの店ではサウナで二つ気に入った。一つは入るところに「目がね置き」があったこと。最初の頃は、知らないでメガネをしたまま入ってしまい、レンズのコーティングが取れて困ったっけ。二つ目は、何とサウナに入りながらテレビが見れる。メガネを外していたので詳しく分からなかったが、テレビにこの熱を伝えない工夫をどうしているのか、覗いて見たかった・・・。
40分後に合流。カミさんは時間が少なかったと不満だが、自分にとってはちょうど良かったな・・。店の中にも当然食事所はあるが、今夜は車でカミさんお気に入りのレストラン「馬車道」に行って、食事をして、それから帰ってきた。

話は変わるが、旅行に行って旅館に泊まるとき、一番「幸せ」を感じる時はいつだろう? やはり、大きな風呂に入って、冷たいビールを飲んで、美味い物をたらふく食べ、部屋に帰ってリラックスする時・・・。
それが、このスーパー銭湯では、それを簡単に実現してくれる。しかも格安で・・・。だから(?)混んでいる。行ったのは日曜日の夜8時過ぎ、という遅い時間帯だったが、子供を含めて大盛況。何と外人もたくさん・・・。

帰りの車の中で、カミさんから「幸せだね」と言われると、ついこっちもその気になってしまう。まあ、こんな簡単な事で小さな幸せを感じることが出来るのは、有り難い事ではある。
でも(自分の思い込みだが)銭湯は夜に限る・・。前に、混むからと昼前に連れて行かれたことがあったが、昼に風呂に入る「幸せ」は自分には分からん・・・。
まあ、3連休ではあるが、特に予定の無い中での、我が家の小さなイベントではあった。

●メモ:カウント~22万

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2008年11月 1日 (土)

「自立支援法は違憲」~集団訴訟に思う

今朝の新聞で、自立支援法の1割の自己負担は違憲だとして障害者が集団訴訟を起こしたことを知った。これはぜひ応援したい訴訟である。

自立支援法は違憲」~障害者、8地裁で提訴
福祉サービスに応じて障害者に原則1割の自己負担を求める障害者自立支援法は憲法が定める「法の下の平等」に反するなどとして、全国の障害者ら30人が(2008年10月)31日、国や各自治体に自己負担をなくすよう求め、東京、大阪、福岡など8地裁に一斉提訴した。
原告は、障害者が地域社会で働き、生活するために必要な支援や介護は。障害者が受ける「利益」ではなく、人間らしい生活をするために、社会が広く負担して支えるべきものだと主張。・・・・・」(朝日新聞 2008/11/1(P38)より)

これは全くその通りだと思う。視点は明確。障害者が受ける介護サービスが、消費税と同じような、受益者負担の「利益」と捉えるかどうか・・・。
確かに「利益」と捉えれば、「1割くらいの負担は当然だ」という話も出てくる。しかし、障害者は社会全体が支えるべきもの、と捉えると「利益」では無くなる。裁判所がこれをどう判断するのか、期待したい。

また、10月31日に東京・日比谷公会堂で、日本障害者協議会などによる集会「もうやめよう!障害者自立支援法」が開かれ、全国から65000人もの障害者たちが参加したという。その中で、重い知的障害の子を持つ母親は「普通に生きることを障害者にとっての利益ととらえ、支援に費用がかかるのがつらい」と訴えたという。

同じく朝日新聞の「ひと」というコラムに「障害者自立支援法訴訟の原告で全国弁護団事務局長 藤岡毅氏(46)」が載っていたが、ここでも「・・・10歳の次男、駿人(はやと)君には知的障害がある。「障害を自己責任と考え、利用料を強いる社会に子供を残し、死ぬに死ねません」。・・・とあった。(朝日新聞 2008/11/1(P2))
前にも書いたが、「障害者の問題を口にする人は、殆どが家族等に障害者が居る人」という傾向がここにもあった。

一方、平成18年度に施工された「障害者自立支援法じゃ3年後をめどに見直す事になっており、2008年4月から「社会保障審議会障害者部会」において検討中であり、本年中にその方向性を出すという。(ここ

先の「傾向」に当てはめると、この部会のメンバーや、はてまた厚生労働大臣の身内に障害者が居たら、たぶん内容は激変すると思う。
障害者を家族に持つ必死な眼差しと、受益者負担の役人の溝を、この裁判が埋めてくれることを期待したいが、少なくとも、法廷で明らかにされる事実をぜひマスコミは取り上げて欲しいものである。

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